まだ途中
ハローのテーマ / 全員
恋のテレフォン GOAL / 全員
THE マンパワー!!! / 全員
-MC-
21時までのシンデレラ / Berryz工房
ひとりじめ / 美勇伝
夢ならば / 安倍なつみ・Berryz工房
オンナ、哀しい、オトナ / セクシーオトナジャン
SEXY NIGHT〜忘れられない彼〜 / 加護・紺野・斎藤・亜弥・唯
-MC- (中澤、飯田、矢口、舞波)舞波からの質問「芸能界ではなぜ先輩のことを『ねえさん』『師匠』と言うのか」に答える中澤、「年下からも『かおりん』と呼ばれる」を繰り返す飯田。
スッペシャル ジェネレ〜ション / 亀井・久住・アヤカ・みうな・三好・矢島・梅田・萩原
人知れず 胸を奏でる 夜の秋/ プリプリピンク
愛の意味を教えて! / W
スッピンと涙。 / 後藤真希
抱いてよ!PLEASE GO ON / 後藤真希、バックに夏焼と村上、あと2人キッズ(髪の毛振り乱して顔を確認できず)
カッチョイイゼJAPAN / 吉澤・辻・新垣・道重・あさみ・村田・大谷・熊井・鈴木・中島・嗣永・清水・岡井(まことのドラム)
This is 運命 / メロン記念日、メインステージでは稲葉の指揮で全員が歌う。動きはレギュラーの「あるある探検隊」もどき。
-MC-岡井、萩原
悔し涙ぽろり / 小川・前田
印象派 ルノアールのように / エレジーズ
ずっと好きでいいですか / 松浦亜弥
ね〜え? / 松浦亜弥・℃ute
LOVEマシーン / 中澤・飯田・安倍・保田・後藤・石川・辻・加護
-MC- (LOVEマシーンメンバ−)
色っぽい じれったい / モーニング娘。
真夏の光線 / モーニング娘。
ハッピーサマーウェディング / モーニング娘。
大阪恋の歌 / モーニング娘。
Magic of Love / 中澤・飯田・安倍・保田・後藤・稲葉・アヤカ・メロン記念日・前田・松浦
やる気!IT’S EASY / モーニング娘。・W・カントリー娘。・美勇伝・熊井・萩原(あとまだいたけど、メモに書いた自分の文字が読めない!)
Go Girl〜恋のヴィクトリー〜 / 全員
-MC- (全員紹介)
ALL FOR ONE & ONE FOR ALL! / 全員
打ち上げで朝まで遊んでいたので、今日のスタートは昼過ぎから。
ディスクピア日本橋でアニメの上映会。今回は5本立て。入場時にアニメのポスター数枚をもらう。
まず、「創聖のアクエリオン」第2話「天翔の記憶」前半
原作、監督は河森正治、キャラクター原案金田榮路、キャラクターデザイン藤川太、音楽菅野よう子、保刈久明、コンセプトデザインokama
近未来、甦った堕天翅族と、それに対抗する地球再生機構ディーバの闘い。ディーバはエレメントと呼ばれる子供たちを訓練して、かつて堕天翅族を封印した機械天使アクエリオンを機動させる。
って、何故、第2話の前半だけの上映なのか。メーカーからのサンプルDVDに、それしか入っていなかったそうだ。まさに、楽園崩壊とも呼べる惨事である。
2本目は「極上生徒会」第1話「拝啓、ミスターポピット」
岩崎良明監督、シリーズ構成、脚本は黒田洋介、キャラクターデザインは川田剛、アニメーション制作J.C.STAFF
極上生徒会は、「私立宮神学園極大権限保有最上級生徒会」の略。これ、テストに出るので、覚えておくように。
特殊能力で学園内のトラブルを解決する、学園もの。主人公の蘭堂りのは、パペットの「プッチャン」と会話し、プッチャンからアドバイス受けたりいろいろ教えてもらったりする。こんなキャラクターは、現実にはあまりいないかも、と思っていたが、よくよく思い返してみると、けっこう、身の回りにもいた。人形を通じて会話したりするのはざら。僕も無生物に翻訳を頼んでしゃべっていた。
3本めは「交響詩篇エウレカセブン」第1話「ブルーマンデー」
原作ボンズ、京田知己監督、シリーズ構成佐藤大、キャラクターデザイン吉田健一、メカニックデザイン河森正治(アクエリオンでもお馴染み)
主人公の少年レントンと、美少女エウレカの出会い。冷たく難攻不落のエウレカが魅力的に見える。
4本めは「スピードグラファー」第1話「背徳都市」
GONZO原作、杉島邦久監督、キャラクター原案コザキユースケ、シリーズ構成吉田伸。
特殊能力で妖怪を退治する写真家。なぜか、新本格登場以前のミステリを読んでいるような、懐かしい気分で見た。森村誠一とか半村良あたり。検証はしないけど。こどもっぽくないからだけなのかもしれない。
5本めは「最終兵器彼女アナザーラブソング」
実写映画化もされる「最終兵器彼女」の物語を、視点を変えて描かれたオリジナルアニメ。
最終兵器「ちせ」と、もう1人の最終兵器「ミズキ」の葛藤が描かれる。普通の女の子の日常と恋愛を生きようとするちせと、軍人気質でそれらをばっさり切り捨てるミズキ。だが、最終兵器としてのスペックはちせの方が遥かに高いのだ。イラつくミズキ。
加瀬充子監督、脚本江良至。
本編でちせにイライラしていた人は、自分の代弁者があらわれることで、そのイライラも客観化できて、バランスとれるんじゃないか、と思った。何事にせよ、イライラしたり、怒っていては、実現できるものもスムーズにいかなくなっちゃうからね。
ちなみに、実写版のちせは前田亜季。これも楽しみ。

日本橋インディペンデントシアター2ndで「日本橋メイドカフェ対抗萌えバトル」
e-maidから、ひなこ、さき、ゆりこ
cafe dollから、えり、ゆき、あい
ccoちゃから、かすみ、ひな
cafe萌え萌え、メルカフェ2店からの参加者は失念!残念。
それぞれの店からの応援要員がステージ下にいたり、今回参加していない「メイドインカフェ」のメイドさんが客席にいたり、と、見るべきところ多数。
イベントは、各店のビデオを流して、アピールするコーナーから入った。
ビデオ上映のたびに、椅子に坐っていた壇上のメイドさんたちが、椅子からおりてぺたんとステージにおしりを落として映像を見る光景が、なんとも可愛い。
その後はゲームで日本橋メイドカフェの世界一決定戦。
国の名前を次々と付け足しながら言っていくゲームがえんえんと続く。
このゲームでは、わざと難しい国名をチョイスして足していく店や、マニアックな国名を足していく店など特徴が出たが、おそらく「もうこのゲームはこのへんでいいや」と空気を読んでわざと負けたCCOちゃが印象に残った。ゲームに負けても、これは勝ちに等しい。
次のゲームがはじまったくらいで、僕は時間切れ。次の場所に向かう。

九条でスタジオSTSライブ。以下プログラム。
オープニング/Super Bubblez
イントロ/ステッパーズ&アーミーズ&タイフーンJr.
憧夢〜風に向かって/トレード(足あげ無し?)
渚の「・・・・」/プリティーズ(赤色コスチューム)
ミッキー/ミニバブ
ハピネス/ファッションズ
アセレヘ〜ペテン師/ペトラキッズ
LIKE A IN THE CAR/ミニミニclub(このレパートリーでミニミニも大ブレイクか)
モーニングコーヒー/マシェリー
そんでもってFUN FUN FUN/ハローキティ選抜
バイク/Super Bubblez
fantasiaキッズファッションショー/大森万梨乃、春原綾乃、津田祥生、山本かのこ、井口愛華、名幸優希、広瀬遥、森浦莉紗子(夏のおでかけをテーマにしたファッションショー)
Just Lovin’ You/桐生彩加
瞳は元気なブルースカイ/ミューズ
センチメタルボーイ/RISAKO&REINA
Uki Uki Baby/いちごっ娘
LOVE☆Raspberry Juice/TOUCH
can’t be stopped/ブラックベリーズ(人気投票連続1位の記録をどこまで伸ばすのか)
以上で本編は終了。この後、「ユニット対抗トーナメント」10人のお客さんが審査員になって、4つのユニットから1つを選ぶ。
ニセモノダイヤモンド/ミューズ
Get Your Groove/いちごっ娘
Quincy/TOUCH
sexy,naughyty,bitcy/ブラックベリーズ
結果は、ブラックベリ−ズが5票獲得で優勝。TOUCHが4票、いちごっ娘1票だった。
ブラックベリーズ、無敵だ。
今日はなんばBEARSでライブイベント「GO!ディガンス!」
東京どりぃむらんど、自分BOX、おっちらーず、ヘルメッツ、邪王院弘、北紫子、やすみあけ、泰子興業、ドジッ娘クラブ、丼野M美、少女崇拝、野中ひゆ、過呼吸
総勢13組の一筋縄ではいかないアーチストたちの狂喜乱舞。
裏で京都のカモロックがあり、集客はイマイチだったが、来てくれたお客さんには楽しんで帰ってもらえたものと思う。
最初は、「僕もカモロック行きたい!」と思っていたくらいだが、ライブの最中に、あまりにも楽しくなりすぎてしまい、自分がイベントの企画者でよかった、とつくづく思った。
だいたい、僕や僕のイベントというのは、「二の次」に回されることが多く、それだけ、つかみどころがないんだろう、と自覚している。
でも、こればかりはなおらない。
マイナーでアングラなマニアック世界を捨てては、何のためにイベントしているのかわからない。客の入りを気にして、迎合するなら、ちゃんとメジャーなことをすればいいのだ。そして、それを面白いと思うのなら、それでいい。そこには僕の出番はない。
他では絶対に味わうことができないものを、相変わらず、僕は提供したい。
そんな僕の道楽につきあわされるBEARSもたいへんだろうな、と毎回思う。
普通、13組も出るはずないもん!
今回は無理やりアンコールまでして、完全燃焼した。
次回は10月21日。きっと、テイストは今までどおり、でも確実に一期一会のライブが待っている。
ISBN:4309727425 単行本 内田 静枝 河出書房新社 2005/04 ¥1,575
日記が追いつかないよー。
とりあえず、本の画像確保。
ガース・ウィリアムズの『しろいうさぎとくろいうさぎ』を読んだ。この絵本は、たしか新聞か雑誌で野ばら君が紹介していた。
しろいうさぎとくろいうさぎが、楽しく遊んでいる。でも、不意に、くろいうさぎが、物思いに耽って落ち込んでしまうのだ。どんなに楽しく遊んでいても、くろいうさぎは、ふっと落ち込みモードに入ってしまう。理由をきいてみた。すると、くろいうさぎは、どうすればしろいうさぎとずっと一緒にいれるのか、と考えてしまったらしい。しろいうさぎは、「どうしてほしい?」と尋ね、くろいうさぎは「ずうっといっしょにいてください!」と、まんまとプロポーズさせられる。
結婚の祝いをする動物たち。その後、くろいうさぎが落ち込んで物思いに耽るようなことはありませんでした。って。
野ばら君は、この物語を、恋愛を見事に表現しているという観点から、ほめていた、と記憶している。
なるほど、読んだ後、思わずうるっときてしまった。
でも、よく考えると、おかしな話だ。
うさぎの世界はどうだか知らないが、人間界では、ずうっと一緒に楽しく過ごしたいなら、結婚は御法度だ。結婚によって愛情が成就するなんていう思想は、100%不可能なだけでなく、むしろ逆効果だ。結婚した後も愛情たっぷりのカップルももちろん存在するが、それは、結婚していなければ、なお素晴らしかったのだ。国の制度によって保証される愛情なんてありえない。国や制度にどっぷりはまった右翼でもないかぎり、そんな幻想すら抱けないのではないか。そもそも愛情を保証したり、確保したりする考えが腐っている。
しろいうさぎが策略によってくろいうさぎから求婚の言質をとってめでたし、めでたしとしたうさぎバ−ジョンでなく、人間におきかえた場合の、適切な回答は、どんなものになるんだろう。僕なら、答えをこう導くだろう。
「どうすれば君とずうっと一緒にいられるんだろう」と悩む人にあげられる回答は、こうだ。
「先のことで悩むな!今楽しめ!」
ありもしない未来のことで悩む、その根性を叩き直せ。今、一緒にいることの楽しさを十全に楽しめない奴は、永遠に苦しみ続けるだけだ。悩んでも何も解決しない。悩んでいることそのものが悪だ!結婚なんかが解答だと思い込むような小市民的なぬるい幸せに浸るな!
僕がこの絵本の作者なら、くろいうさぎの悩みを笑いとばしてしまう展開にするだろうし、「ずうっと一緒にいてください」と言われたら「キモっ」と返事をかえしているだろう。
ところが、実生活においては、くろいうさぎみたいに愛をぶつけてこられたら、感動するし、うれしいに決まっているのだ。これが、僕の弱点だ。
安野モヨコの漫画『シュガシュガルーン』『働きマン』のそれぞれ第1巻を読んだ。
安野モヨコは、東京に暮らす「だみあん」の家に入り浸りになっているとき、『ハッピーマニア』を「これは私のことだ!」と驚喜して読んでいるのを見て、本をかっさらって読んだ記憶がある。
その後、『花とみつばち』を読んだのは、ごく最近のことだ。
なんだか人気があって影響力のある作家さんらしい。
確かに、どの漫画も水準を越えて面白かった。
この人は自分の主張したいことをテーマとしてもっていて作品を書いているのではなく、あくまでも娯楽作品の作者に徹しているところが、潔くていいな、と思う。
イデオロギーを持ってしまうと、作家としての厳格さに欠けて、書きたいことをただだらだらと書き流すことになりかねない。
その点、安野モヨコは安心だ。
むちゃくちゃ古い話だが、かつて、さだまさしが「関白宣言」という歌を出したとき、女性の権利と平等を訴える人々が、「どーゆーつもりだ!」と抗議したことがある。それに対するさだまさしの答えはこうだ。
「これは単なる作品です」
潔い!
アルカイダがアメリカを滅ぼす物語を書いたとしても、それが娯楽作品であるかぎり、作者がどう考えているのかは、その中に含まれていない。文学だと、そうはいかないが、娯楽だと、それでいいのだ。
僕がするパフォーマンスも、娯楽だから、深読みするのは1つの楽しみ方だろうけど、特別何かを訴えようとしているわけではない。
むしろ、何かテーマを持ったパフォーマンスや、「ここを見てください」なんて見方を示されるパフォーマンスなんて、パフォーマーの心の弱さをあらわしているだけに思える。
何の意味も意義もないパフォーマンスであることを、堂々と開いて受けて立つのが、気持ちいい。
安野モヨコの気持よさはそこにある。
作品で語られる内容は、作者の主義をちっとも代弁していないのだ。だって、きっと主義なんてなさそうだし。
楳図かずお恐怖劇場の「絶食」を見た。
伊藤匡史監督(男はつらいよシリーズの助監督、本作が監督デビュー)
高橋洋脚本(リングシリーズ)、上野未来主演、中川翔子、辻本祐樹。
心と体、容貌の醜さが正比例する楳図ワールドの代表作。
ブスは心がきれい、とか、デブは心が広くて陽気だ、とか、事実に反する思い込みが横行している。実際には、美しい人間ほど心は素直だし、デブはせこい。ただ、ブスが整形して美人になっても、相変わらず心が醜いままの人も多いし、デブがダイエットしても相変わらずせこいままの人もいる。そういうとき、われわれはこう思うのだ。「ブスのくせに顔だけきれいにしている」「デブのくせにやせている」
こういうのはイジメの思考方法で、できることならこんな考え方は放棄したいのだが、社会に出て、一般人として生活していくうえで必要な考え方なので、学校で叩き込まれるのだろう。さもなければ、北朝鮮やイラクへの悪感情が跳梁跋扈する世界を生きにくい。
さて、この映画、原作を何回も読み返したことがあるのに、やっぱり感動した。
自分の実態を自覚したくないのは誰しもの願いだろう。
自分を承認できるほど、自分は寛大ではない。
自分のあるがままを受け入れるには、それを受け入れてくれる他人が必要になる。
恋をする理由の1つは、そんなところにあるんじゃないか、と思った。

宅八郎ライブ

2005年7月3日 ライブ
宅八郎大阪襲撃最終日は、なんばBEARSでハチロックのライブ。
対バンはACE、プンクボイ、恋愛研究会。
ACEはテクノのマスターコースライブ。
プンクボイは自虐&他虐。
恋愛研究会はリスナー目線のオマージュ・バロック。
ハチロックはアイドル代弁バンド。
どれもこれも面白い。
その面白さ以上に、今回のライブでは、お客さんが負傷し、救急車、警察まで来る大騒ぎになった。
救急車はしかたないとしても、警察を呼ぶ意味がよくわからない。主催者さんは動顛していたので、誰かが警察を呼ぶように命じたんじゃないか、と推測される。
僕は実際に目撃していないので、わからないのだが、主催者とお客さん、バンドの間で感情的なやりとりがあったそうだ。
このあたり、推測や伝聞情報ばかりで、無責任な発言になってしまうので、思う事は多々あるが、書くのは控えておこう。
ライブそのものはとても素晴らしかった。客で負傷者が出ているのに、「素晴らしい」なんて言うのは不謹慎と思われるかもしれないが、くだらないライブで負傷したのだとしたら、それこそ目もあてられない。それはそれ、これはこれ、なのだ。
打ち上げでは宅さん今夜も絶好調!
ニューウェイブの話で盛り上がった。
またお会いしたい、と切に感じた。
宅八郎大阪襲撃の2日め。
芦原橋ウィングエンタテインメントホールで不定期に開催している「ロック古文書」に宅さんをお招きした。
サウンドアーチストの安井君とともに、映像や音を紹介しながらトークを展開する企画。
今回、宅さんがまさにJ-popというか、J-ROCKの系譜ともいえる文字通りの「J」秘蔵映像を紹介してくださった。その映像のインパクトたるや、素晴らしい。自分もかつてテレビで見てきたはずの映像なのだが、こうして「宅セレクション」の視点を与えられると、有無を言わせぬ迫力が出る。
トークはイベント前の控え室から、イベント終了後の打ち上げまで快調に進んだ。
お客さんの反応もよく、素敵なイベントに仕上がったと思う。僕はただ、宅さんの用意した映像と、宅さんの解説に笑いころげているだけだったが。ステージにたまたま上がった観客みたいな感じ。楽しい!
宅さんはここで「ハデ・ヘン」なる言葉を主張された。
「ハデー・ヘンドリックス」ではない。
派手、変といえば、僕にも多少かぶるところがある。
だからというわけではないが、このコンセプトは楽しい。
宅さんが、こんなにも気さくに話せる人だとは知らなかった。
人というのは、実際に会ってみないとわからないものだな、と思った。
宅八郎大阪襲撃の3日間の初日、フェスティバルゲートのココルームで、トークイベントに行ってきた。
雷まじりの大雨だ。
午後6時スタートだったが、少し遅れて入ったところ、開始も時間を遅らせていたとのことで、ほとんど見逃さずにすんだようだ。受付で、今回の宅八郎大阪イベントの主催者マキさんにはじめて御会いし、挨拶など。cocorooomは上田假奈代さんという詩人の方の行動力と魅力によって運営されているといって過言ではない場所だ。この上田さんとは、かつて僕が詩人としてポエトリーリーディングを頻繁に行っていた頃に御一緒させてもらったことが何度かある。久々の再会は、上田さんの和服のいでたちのように、はんなりと。
さて、宅さんのトークイベントは、ネットラジオBS@もてもてラジ袋でおなじみの、リハしゅう、ぶたお両氏による司会進行で行われた。
宅さんの今までの活動をふりかえる、という形ですすめられ、秘蔵映像なども上映された。
低気圧のせいか、宅さん、ちょっとお疲れ気味だった。
いや、そう見えたのは、僕が睡眠不足で疲れていたせいだったのかもしれない。
最後までお客さんを楽しませようとするサービス精神もあり、今までテレビや本でしか知らなかった宅八郎という人間に俄然興味が湧いてきた。
明日は、宅さんとトークイベント「ロック古文書」だ。
田辺イエロウの『結界師』を5巻まで読んだ。
妖かしをとらえるための結界術が、ゲームの要素を持っていて楽しい。
「方囲」(ほうい)でターゲットを特定し、「定礎」(じょうそ)で面の位置指定。「結」(けつ)で立体を形づくる。この立体の中に妖かしを囲い込み、「滅」で滅却。
いろんな応用が可能なようで、立体の囲い込みは、いわば箱を作るのと同じで、箱の中にとじこめることもできれば、箱の上に乗っかっているような形にすることもできる。
また、囲い込むのは全身である必要はなく、身体の一部分を「結」で囲い、「滅」でダメージを与えることもできるのだ。
「結」で囲ったものを「解」(かい)で逃がすこともできる。キャッチ&リリースだ。
これをどう応用するか。
たとえば、ガン細胞を囲い込んで「滅」で治療とか。
たとえば、自分の男性器を囲い込んで、短小なのをカバーする、とか。
たとえば、その囲い込みがコンドームがわりになって、避妊もできるし、病気もうつらない、とか。
大好きな女の子と共に狭い空間に閉じ込められてみる、とか。
下ネタばっかりか。
発情期だ!

鬼頭莫宏の『ぼくらの』の1巻を読んだ。
ジョージ秋山っぽい設定で、鉄腕アトムを『PLUTE』でリメイクしたみたいに、鬼頭莫宏は『ザ・ムーン』を現代に甦らせたのか、と思った。
まだ1巻めなので、この後どんな仕掛けがあるのか楽しみなところだ。

最近、眠くて眠くてしかたがない。
集中力もない。いったん寝たら6時間くらい平気で寝てしまう。
身体が狂ってる。
でも、精密検査とかで食生活はきわめて健康なものに切り替えたはず。
それが原因か。
杉山亮選・解説による『のどかで懐かしい「少年倶楽部」の笑い話』を読んだ。
大正3年から昭和37年まで出版された子供雑誌『少年倶楽部』の読者投稿欄から選ばれた笑い話を、昭和初期、昭和10年代、戦時下、戦争後に分けて載せてある。
「のどかで懐かしい」と断ってあるかぎりは、きっと面白くないんだろうな、と思い込んでいたら、これが結構面白かった。
たとえば、昭和5年8月号の「麒麟の首」と題する笑い話は、次のとおり。

先生「麒麟の首はなぜあんなに長いのでせう」
生徒「だって、あんなに高いところに顔があるんですもの」

うまい!
僕も自分のホームページの「質問掲示板」で、いろんな問答を載せているが、こういう発想の転換はなかなか出来ない。自分の思考回路が出来上がってしまい、ちょっとやそっとでは、違ったものの見方ができないのだ。
また、時代を感じさせる笑い話も興味深い。
昭和15年12月号の「かんちがひ」はこんな話。

生徒「先生、こんどの旅行はどこですか」
先生「こんどの旅行は中止です」
生徒「え、中支ですか。すごいなあ」

昭和10年11月号の「国史」はこんな話。

国史の時間、先生大きな声でテーブルをたたきながら
「逆賊北條高時を滅ぼしたのは誰ですか。誰か。忘れたのか…吉井君!」
わき見していた吉井君、泣き声で
「先生、僕ぢゃありません」

これなどは、のどかな笑い話になるのだろうか。

なお、杉山氏は、解説で最近の「笑い」について、こう書いている。

最近では、考えこまれたシャープなギャグは減り、楽屋ネタが乱発され、その場でしかわからない使い捨てのリアクション芸なるものが主流となりました。

また、さらに、こんなことも。

(現在の)子供たちの笑いは、しばしば攻撃的に過ぎたり、一部の者にしかわからなかったりします。ダジャレと下ネタをいう者が「おもしろい子」といわれ、笑いの背景に子どもなりの教養を感じません

自分のパフォーマンスや、イベントが、陥りそうな質の低下を突かれたような思い。

たまご和尚

2005年6月28日 読書
浦沢義雄の『たまご和尚』を読んだ。イラストはタムラノボル。
中国の古典『平妖伝』を翻案したものらしく、どこまでが原作のアイディアで、どこからが浦沢氏の発想なのかがわからない。今度、『平妖伝』の方を調べてみよう。
駝鳥の卵から生まれた、たまご和尚のファンタスティックな冒険物語。
エイモス・チュツオーラが禅問答してるような、不思議な笑いが盛り込まれている。
悪人の張夫妻が畑で育てた大量の美女たちが、「はげ頭でひげづらの美女」軍団として、戦力になったりする。
なかで、ほほーっと、思うフレーズも見つかった。

浜いちばんの漁師の首(胴体と離れている)が、たまご和尚に言う。
「こんな海、見て、感動なんかするなよ」
「感動しちゃいけないのか?」
「いけない」
「どうして?」
「感動なんて、心が汚れているやつや、目のにごったやつがするものだ」
「……」
「大きな兄を見ろ」
大きい兄も東の海の輝きをみつめていました。
「大きな兄は目が澄み、心も美しいから、感動なんかしない。ただ見るだけだ」
「まったくだ」
たまご和尚は笑いました。

浦沢義雄は「うたう!大竜宮城」や「ペットントン」などの脚本家で、モダンチョキチョキズでは「くまちゃん」の作詞をお願いして書いてもらったことがある。実際に書いてもらった歌詞が過激すぎるということで、各方面からクレームのつかないような歌詞に書き直してもらうことになった。「くまちゃん」のボーカルをお願いした財津一郎さんも、元の歌詞が好きだ、と言って、元のバ−ジョンで歌いたかったらしい。でも、一応、キューンソニーから出るメジャーな歌なのだから、自粛したのも無理はない、当時の状況だった。非常にくやしい思い出だ。メジャーだとやりたいことも満足にできない。それ以上にメリットもあるんだろうけど。
タムラノボル氏は「ひらけポンキッキ」「ポンッキキーズ」のクリーチャーデザインを担当していた人で、ポンキッキーズと言えば、「ピ、ピカソ」の撮影のときのことを思い出す。
今後、「ピ、ピカソ」の映像が流れることがあっても、モダンチョキチョキズが映るバージョンでなく、MAYA MAXのアニメバージョンが流れるはずだ。あの映像はたぶん2度と見られない。昔のPV見ていても、自分が映っているのを見たら、はずかしすぎて見ていられないのだから、お蔵入りでちょうどいい。
朝早くからラピートで関西国際空港に行き、妹と甥を迎えに行く。
飛行機到着から1時間半ほど経過してから、出てきた。
妹は長年のマルチニーク暮らしで、南国の女になっている。
子供は賢そうな8歳。
帆船の模型など、お土産にもらう。
我が家は日本橋オタク街のまっただなか。8才の子供がはじめて接するには刺激が強すぎるんじゃないか、いや、インパクト強すぎるのは、いいことだ。
鉄道すらないマルチニークの子供にとって、日本橋はどう映っただろう。
とりあえず、我が家ではアニマックスやカートゥーンネットワークなどで、アニメ漬けになっている。近々、格安ゲームショップや、日本橋道楽で激安アニメビデオなどの洗礼を経て、マニアックへの道を歩みはじめるかも。
マルチニーク島だけに「マルチ」と呼んでやるか。

岡崎弘明と柳田理科雄による『空想科学少女リカ』を読んだ。
日常破壊娘と呼ばれる暴れん坊女子高生、神宮寺リカの「もしも」SF大乱行。
第1話「超音速少女大暴走」
走りだしたら止まらない。人間スーパーボールと化すリカ。それもこれも、遅刻常習犯のリカがあびたマッハ光線のせい。
第2話「空中浮遊少女」
体重測定嫌さに、無重力スプレーのガスを吸い込むリカ。学内の多くの人にもスプレーかけまくって、みんなは宇宙の藻くずと消えてゆく運命に!
第3話「恐怖の胃拡張少女」
うっかり満腹で挑んだ初デート。「食ってもチャラ薬」飲んで食事を楽しもうとするが、効き目がすごすぎて、1日で500食分食べねば納得いかない体に。新陳代謝も大暴走!
第4話「大迷惑 時をかけされる少女」
ドミノ並べで失態を演じたリカは時間を戻す機械で何度でもやりなおす。食べたバナナも時間を戻せば何度でも食べられるのだ。しかし、みんな時間が戻るときの記憶が残ったままで、宇宙はひずんでいく。
第5話「哀愁の巨大少女」
垂直跳びでいい記録を残そうとして、伸縮自在光線で巨大化するリカ。なんと、身長3000メートルに。歩くだけで原爆級の被害。
これらリカの能力や状態が変化することによるシチュエーションのシミュレーションをそのまま小説にしている。
空想科学読本の柳田理科雄によるシミュレーションが、いかにもで面白い。
3000メートルの身長に伸びた人間の場合、肉眼で細胞が見える、とか。
空中に浮いたリカが地球の自転によって南西に流れていく、とか。
でも、それだけの話と言えば、それだけの話だ。
それをSFと言うのなら、じゅうぶんに小説としては成立しているのだが、問題は、リカの魅力だ。
乱暴で、いいかげんで、自己中心的なリカの言動は、読んでいるだけで、ムカムカと腹がたってくる。こんな奴はひどい目にあって、ズタボロになればいいんだ!と思ってばかりで、シミュレーションを面白がる以上に、不愉快になる場面も多かった。
これが、「えーっ!こんなんになっちゃいましたー!」というようなか弱い少女であれば、どれだけ萌えたか。
って、結局は自分の女の好みだけでものを言っているだけか!
明日からマルチニークに嫁いでいった妹が子供を連れて2ヶ月ほど帰ってくる。
子供の夏休みを日本で過ごそうというのだ。
2人が滞在するスペースがないので、マンションの1室を2ヶ月だけ借りるように話をつけて、そこで過ごせるようにする。
同じマンションなので、行き来が簡単。
家具も何もない部屋はめちゃくちゃ広い。自分の所持品を全部捨ててしまって、広い部屋で暮らしたい衝動にかられた。
照明もエアコンもテレビもないがらんとした部屋なので、日本橋でんでんタウンで必要最小限の家電製品を買って、迎える準備をする。
今日は自主映画やドリームパーティや桃井はる子ライブなど、行きたいところは多々あったが、準備に追われて、どこにも行けず。「あー、今頃ライブだなー」と思いながら、FMでシュトックハウゼンを聞いていた。
でも、でんでんタウンをうろうろしていたおかげで、中古CDを1枚1円で売っている店とか見つけた。アルバムも1円。500枚買っても、500円!手当たりしだいに買っても損はしないが、重くて持って帰ることができない。82枚だけ買った。82円。
明日は朝一の飛行機で関西空港に到着する。
朝5時起きだ。

そんなこんなで、読んだのは漫画1冊だけ。
原哲夫の『アテルイ2世』原作は高橋克彦。
坂上田村麻呂とアテルイの闘いが、現代に舞台を移して繰り広げられる。
最近、古代から中世にかけての日本列島の歴史を読んでいたので、アテルイの名前に釣られて読んだのが、この漫画。
スケールの大きなSF伝奇のはずなのに、どうにも支離滅裂だ。
坂上田村麻呂がスターウォーズのジャバ・ザ・ハットそのものなのを筆頭に、飲めないはずの牛乳をアテルイが飲むという意味不明な描写が繰り返されたり、笑えるほどの御都合主義が繰り返されたり。
1冊分にも満たない分量だが、これは天下の奇書なのではないか。

見たのは録画しておいた「ザ・リング」
ハリウッド映画に変身して、ちっともこわくなくなった映画。
でも、呪いのビデオの映像だけは、恐い。
日本のでも、ビデオ映像が一番こわかった。
ストーリーはいらないから、あの呪いのビデオだけを見たい。
みさき公園で、創叡のユニットによるライブ。
和歌山の方までのちょっとした旅行気分だ。
暑さも日ざしも良い感じ。つまり、夏真っ盛り!
到着したとき、ミューズがリハーサルしていた。
まずは午後1時半の回。
ステッパーズ&アーミーズ&タイフーンjr./イントロ
トレード/憧夢〜風に向かって
プリティーズ/渚の「…」
ペトラキッズ/アセレヘ〜ペテン師
マシェリー/モーニングコーヒー
ミニミニclub/ライク・ア・イン・ザ・カー
リサコ&レイナ/センチメタルボーイ
ミューズ/瞳は元気なブルースカイ
ブラックベリーズ/セクシー、ノーティー、ビッチー
タッチ/クインシー
いちごっ娘/ゲット・ユア・グルーブ
スーパーバブルス/バイク
以上、12曲。
今日のペトラキッズは4人だった。
この夏、創叡のライブはほぼ毎週のように行われる。なんて楽しい夏なんだ!
2回目は午後3時からだったが、今日は芦原橋でHELP!なので、そちらに向かう。

今回のHELP!は、「空飛ぶ女くの一」からゲストが多数来ていただき、寸劇も含めた充実した内容になった。
自分でやっていて、「うわー、こんなイベントなら絶対に毎回見たい!」と思ってしまった。ふだんは自己嫌悪でイベント後には首を吊りたくなるのが当たり前なのに、今回だけは、及第点をつけられる。自画自賛である。
今日は、他にも見に行きたいイベントがいくつもあった。
当初は、「あー、自分のイベントがあるから、見に行けない!」と地団駄踏んでいたのだが、今となっては、「自分のイベントでよかった!さもなければ、別のところに行ってて、これを見逃していたかも!」と思っている。自己満足である。

打ち上げでは、さすがに嗅覚がきくのか、久しぶりに来てくれた死神ちゃんも含めて、白木屋で。睡眠不足がたたって、人と話しをしている最中に、すうっと眠りの世界に入ったりした。
いかん、いかん。一生めざめていたいのに、睡眠しちゃうなんて。せっかく死神ちゃんが目の前にいるっていうのに、何が悲しくてまぶたを閉じねばならぬのか。
弁天町のORC200に歌姫ヴォーカルクイーンコンサートを見に行った。
午後6時過ぎからまずはコナミスポーツクラブのジュニアファンクチームによるダンス。
20分程度の演技。
馬場綾乃/恋におちたら(Crystal Kay)、hands(倖田來未)
池真衣/VALENTI(BoA)、愛のために(上戸彩)
河野真実/Tears(Fayray)、焼け野が原(cocco)
谷口晴菜/恋におちたら(Crystal Kay)、story(AI)
西真衣子/SWEET 19 BLUES(安室奈美恵)、コンプリケイテッド(アヴリル・ラヴィーン)
大河内美紗/デリシャス、thanksful(島谷ひとみ)
増田有華/亜麻色の髪の乙女(島谷ひとみ)、僕たちの行方(高橋瞳)
西川小百合/say the word(安室奈美恵)、プレイヤー(オリジナル)、フラジール(エブリリトルシング)
後、BAby Blackがトリをつとめたのだが、既に時間は午後8時を過ぎていた。
今日は夜勤なので、BabyBlackのみ見ることができず、とっとと職場に向かう。
今回の目玉は、元ブラックベリーズの池真衣ちゃんの出場だった。
いつもはダンスしながらのボーカルだっただけに、1人で歌うステージはなんだか動き足りない、手持ちぶさたとも言えるような感じが残ったが、次回も出演してくれるそうだし、場数踏めばクリアできそうだ。これは、マイちゃんが、というよりも、見ている僕の方が、ということ。どうしても踊ってほしい、と思いながら見てしまうので。
元ブラックベリーズの野間佳代ちゃんも来るっていうから、てっきりステージに立つんだと思ってたけど、それはなかった。
現ブラックベリーズのレパートリーの「セクシーノーティビッチー」をコナミスポーツクラブが踊ったので、ついついブラックベリーズと比較してしまった。こうして見ると、三木幸美の堂々とした踊りっぷりをあらためて実感させられる。あのダンスに拮抗できるのは池真衣ちゃんだけだっただけに、ブラックベリーズでこの2トップを見ることができないのは、とても惜しい。
また、池真衣ちゃんはMAY BE MAXの新人オーディションで1番の得票を得ながら、なぜか加入を見送っている。ここでもMAY BE MAXの和田葵、杉村公奈との3トップが見られるかと楽しみにしていたのに、天王寺公園ライブでの1回だけの幻に終わってしまった。
しかも、和田葵ちゃんも、白浜在住ということと、受験のために、脱退だって!
ユキナ、頑張れ!
新しく加入するのは中吉涼子と渡辺千里の2人。
モーニング娘。には入れなかったけど、MAY BE MAXで天下をとってくれ!
牧野修の『アシャワンの乙女たち』を読んだ。
これ、えらい面白い!
全寮制の女子校、第4ボロヴィニア学園に進級した木戸美弥。
新しいルームメイトは、美人の白鳥すこやか、武闘派の燐、消え入りそうな薫。
この学校は、なんと、悪の権化ドゥルジに対抗するために、正義のエージェントを養成するための機関だったのだ!
作者のあとがきによると、「吉屋信子が伝奇小説を書いたら」という発想が最初にあったらしく、章立てが「播種、発芽、開花、結実」に分かれ、各章が「鳥兜、麝香草、心臓草、胡蝶蘭、花唐辛子」などの植物名を冠されている。花物語だー!
主人公の2人、木戸美弥と、白鳥すこやかの2人の名前は、実際には木戸猛(ミャオ、と読む。男の子が生まれてくることを待望されていたので、こんな名前になった)、白鳥健と書く。どちらも男の名前のようだが、女の子なのだ。
悪のドゥルジは怪物を送り込んでくる。たとえば、牙のはえた「キバドゥルジ」など、生命の進化の過程で切り捨てられた形態の異形のものたち(みたいなの)が多数のバリエーションで学園を襲う。
どうして襲うかというと、善神「アシャ」の持つ最終兵器が、汚れなき乙女の身体を借りて誕生するのが迫っていたからだ。その乙女は、薫。
そして、正義の戦士となるのが、木戸と白鳥のペアだ。戦士の名は「バアル・オーム」(バアルはセム語で「王」、オームはヒンドゥーの聖音)2人はお互いを補いあって、心がひとつになったとき、正義の「バアル・オーム」に変身するのだ。
ドゥルジの怪物が迫ってきたとき、木戸猛と白鳥健は、腕を組んで、バアル・オームの十字架(クロス)を作り、変身する。
「バアァアアアルゥオォオオオゥウムゥウウウウッ!」
これって!

こういう趣向だけでなく、人間の心にネガティブな感情をふきこんで自殺に追い込もうとするドゥルジのやりくち、ドゥルジに見込まれて精神攻撃を受ける人間の心理描写など、弱い心が狂っていくこわさが存分に味わえる。
これ欲しさに、牧野修の本をもっと読もう、という気になってくる。

この本で一番こわかったところ。
怪物たちが詩を朗読したり、般若心経をとなえながら襲ってくる。
怪物の鳴き声というか、うなり声が、そんな風な呪文っぽいものなのだ。
ある怪物は、東海道線の駅名をとなえながら、襲ってくる。
「おわりいちのみやいなざわせいしゅうびわじまなごや」
これは悪夢だ!
今日は漫画。馬場康誌の『空手小公子・小日向海流』を19巻まで読んだ。
体操部にいた海流(みのる)は、第二空手部の部員になる。
空手漫画なのだが、ブラジリアン柔術が出てきたり、剣道やムエタイと戦ったり、忍術が出てきたり、異種格闘技の楽しみを味わえる。
敵だった相手と、闘った後にあっけらかんと仲間になるのは少年漫画のいいところだ。
憎しみなんて、そんなに長期間に渡って抱いていられないしね。
こういう漫画では、登場人物がよく実在の人物に似せて描かれることがある。
まるでドラマか映画のキャストを決めて漫画にしたような感じ。
そうすると、あらかじめ実在の人物がもっているキャラクターをそのまんま使うことができる利点がある。
わかりやすい。
でも、タイガーマスクみたいに、漫画のキャラクターを人間が真似るような関係の方が、突飛で面白いはずだ。
この『小日向海流』はギャグでもないし、とんでもない話を展開しているわけでもない。
格闘技好きの人間を楽しませる端正な空手漫画なのだ。
どんなに闘っても、陰惨にならない明るさは特筆に値する。
ドロドロのルサンチマンなどこの漫画にはいらない。
少年とは、そういうものなのだから。

ゴシックハート

2005年6月21日 読書
高原英理の『ゴシックハート』を読んだ。
1、ゴシックハート
2、人外
3、怪奇と恐怖
4、様式美
5、残酷
6、身体
7、猟奇
8、異形
9、両性具有
10、人形
11、廃虚と終末
12、幻想
江戸川乱歩、楳図かずお、ハンス・ベルメール、岡崎京子、ポー、中井英夫、ウィトキン、フランケンシュタイン、吸血鬼、攻殻機動隊、エヴァンゲリオン、サド、マリリン・マンソン、O嬢の物語、グノーシス主義、ポルポリーノ、三島由紀夫、澁澤龍彦などなど。
これらのキーワードのどれかに反応するようなら、この本はとても楽しく読めるだろう。
非常に読みやすい。ほとんど忘れかけていた『ヴェルーシュカ』の名前も出てきて、懐かしく思った。その写真集は本を大量処分したときに、あっさりと1冊3円くらいで手放している。
さて、ゴシックの精神について、こんな記述がある。
「現実社会という「誰かのための制度」を憎み、飽くまでも孤立したまま偏奇な個であろうとするゴシックは、そういうクズな世界での抵抗の一つなのである」
これは、嶽本野ばら君のロリータ像と随分と重なるところがある。
ゴシックロリータの登場は、自然な流れだったのだろう。
僕は本書で扱われている物事が大好きなのだが、それをゴシックという形であらわすには、あまりにも自分が楽天的だと認識している。
ゴシックは様式美なのだが、かっこつけることのかっこわるさを先に考えてしまう。
自分がゴシックに走ってもさまにならない、というすっぱい葡萄的発想があるのだろう。
ゴシックは大好きなのに、自分の実践としては、なんちゃってゴシックが一番居心地がいい。
かつて20代の頃、自分の存在と世界との乖離を切実に感じて、「不在」をテーマにして考えてみたり、「非」だの「不」だの「無」だの「否」だのといった言葉が大好きな時期もあった。ミニコミ作っていたときも、一番のテーマは「場違い」だった。
これらは、今ある世界への異議申し立てだったのだが、アンチや破壊をテーマにすることはもはやなくなった。
そっちはそっちでやってください、こっちはこっちで好きにやらせてもらいます。
というのが、今の僕だ。
まわりと関わらないマイペース主義みたいなものだが、これをなんとなく持続させるのに、目に見えない戦いをしているのも事実だ。
これって、僕としてはゴシックハートなんですが、どう?
やっぱり、違う?

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