心斎橋クラブジャングルで開かれている「ポエトリージャングル」に参加してきた。
5分から10分程度の出番が2回ある。
草壁コウジ、保山宗明玉、佐々木和忠、ぶゆ、宮悪戦車(ストロベリーソングオーケストラ)、河童(DOUBLE STEAL)、木藤直之(ダックスープ)
まっとうに詩を読む人あり、似顔絵を見せる人あり、ギターで歌を歌う人あり。
僕がやったのは、
他の詩人さんのダイジェスト
詩集に手が届かない
「のびざかり」朗読
訳詞を曲とともに朗読(『ちんぽ/刑事』)
用意していた他のアイディアは、次回に回すことにした。
と、いうより、本来ちゃんと詩を書いてきてそれを朗読するはずだったのだが、間に合わなかった。
その間に合わなかった詩も「絵書き歌」ならぬ「字書き歌」のアイディアだったので、真正面から詩を読むことに対するテレがあるようだ。
あるいは、真正面からでは自分の言わんとするところが全く伝わらない、屈折した内面を持っているのかもしれない。
そう思ってふりかえると、モダンチョキチョキズ時代に書いた歌詞も、ダブルミーニングの嵐で、すべての文章が二重の意味をもつように仕掛けたものばかりだった。(大半はボツになったので、残ってない)

ポエトリーリーディングのあと、味園ビルの銭ゲバでホットケーキナイトをしているというので、メープルシロップとチョコレートシロップを持っていく。
ぐりこちゃんとミワちゃんが焼くホットケーキはおいしくて、ちびくろサンボほど食べたかったが、近来の懸案である「腹部平坦化計画」のため、1枚でおさえておく。
今までは、僕のおなかが巨大化しようが、くぼんでいようが、誰も喜びも嫌がりもしないので、自然にまかせておこう、と努力を怠っていた。しかし、それでは腹は膨張する一方で、今に僕は地球上を転がる一個の球体になるにちがいない。そうなると、僕の行動指針は欲求や意識によるものではなく、万有引力に決定されてしまう。僕は「意識」が大好きなのだ。
って、そんな理由、あるわけないけど、あるかもね!

シン・シティ

2005年10月31日 映画
こんばんわ、森シンシチです。

殺人兵器ミホ萌え〜
ORC200でヴォーカルクイーンストリートライブ。
午後6時から、まずはコナミスポーツジュニアクラブのこどもたちのダンスが15分間。
その後、歌姫たちのライブ。
大河内美沙(私生活、ティアーズレイン。このライブイベントの顔)
増井万帆(初登場。クリスタルケイ、中島美嘉を歌う。かなり好感が持てたので、今後の注目株)
池真衣(キューティーハニー、明日への扉)
増田有華(合唱コンクールで金賞受賞したが、練習しすぎで声が出ない、とか言ってた。ベストフレンド、気がつけばあなた。今回、この有華ちゃんが、一番魅力的にうつった。松浦亜弥の歌を歌うなど、アイドル寄りのアプローチだったせいか。とにかく、すっかり、この子のファンになってしまった)
馬場綾乃(絶叫マシーンで声が出ない、とか言ってた。中島美嘉が好きらしく、NANAの歌うたってたし、メイクもそれっぽい)
河野真実(声を聞かせて、STARS)
西川さゆり(3曲歌う。ELT、ドリカム、スピッツ)
ここまで見て、僕は仕事に向かわねばならず、タイムアップ!
司会の女の人が、なんだか余裕のない天然っぽくてハラハラの魅力。
はっきり言って、このイベントで歌われる楽曲は、僕のストライクゾーンではない曲が大半なのだが、なにゆえに、通いつめるのか。
歌手の魅力は、まさにマジック。

バクネヤング

2005年10月26日 読書
松永豊和の『バクネヤング完全版』を読んだ。
日々のんべんだらりんと過ごしていると、結局何もせずに1日を終えてしまうことが多い。映画1本、本1冊、CD1枚によって、その後の自分自身が変わったり、楽しくなったりする経験を何度も味わっているので、何かをちょっとでも吸収したい。漫画もほとんど読んでなくて、機会があれば、借りたり、買ったり、立ち読みしたりして、漫画を読む習慣をつけたいなあ、と思っている。だって、漫画、面白いんだも〜ん。
で、この『バクネヤング』も借りたもの。
世界征服をめざして、大阪城にたてこもる暴走男バクネの大暴れが描かれている。登場人物が変わり者ばかりで、笑うシーン満載、こんな人間ばっかりの世界ならバクネが征服してもかまわないとも思うし、こんな世界に征服するだけの価値はない、とも思える。
バクネはまるでヒドゥンに身体をのっとられたかのような直情でご乱行を繰り返す。死ぬことに対するおそれもなさそうだ。
この本、連載されていた分に、256ページの書き下ろしを加えてある。書き下ろし分はバクネの無軌道なアクションの物語ではなく、ヤクザの親分の超能力娘が主人公になり、違う話だという感じがした。
違う話ながら、どちらも味があって面白い。
バクネヤングを完結させるよりも、同じ登場人物が出て来る違う物語として読んでみたかった気もする。
バクネ、って、一応名前に漢字がふってあったけど、「爆音」だな、と思った。
カール・タウベの『アステカ・マヤの神話』を読んだ。似たようなタイトルの本を最近読んだが、別の本だ。
この本を読んで、ふと立ち止まり、考えた箇所。

マヤのキチェ族の『ポポル・ヴフ』では太陽が現れれば、神や恐ろしい獣は石に変わってしまう。夜明けが秩序と安寧の昼を象徴し、夜は神々や魔神の生き返る神話の時間だった。しかし、昼と夜の二元論は善悪の区別を単純にあらあすものではなく、相互補完的なものだった。

アステカ人は一神教的考え方を受け入れない。創造とは二者の対立や衝突の結果として起こる現象だと考えていたからだ。そうした対の思想をあらわすのが、「二元性の神」オメテオトル。オメテオトルは万物を司るが創造はその子供たちにゆだねられている。オメテオトルは人間にとって祖父母のような関係にあたるところから、老人の姿で描かれることが多い。ただ、老いが衰えをあらわしているかというと、そうではない。
アステカをはじめメソアメリカでは、人は加齢とともに強い生命力を持つと考えられているからだ。

その他、いろんな神の話が書かれていて、興味深い。
まだまだマヤ神話を追いかけていくつもりで、発見も多かろうと予想できる。
面白い!
今、ほしいのは、ファービーとたまごっちとブライス。
ファービーは新しく出るのが言葉もわかっていい感じなのだが、あいにくと、色が地味。
レインボーカラーは悪趣味なのでいやだけど、もっと「えっ、何これ?」というような可愛い色のファービーを期待して、第2弾の発売を待つか。
たまごっちは、11月に出る、就職とかするたまごっちが狙い目か。これも、カラーを見て決めるか。
ブライスは、自分と同じ格好をさせて連れ歩く、キモ道まっしぐらを考えてるが、それならプチブライスの方が適切かと思う一方、プチブライスに服を作るのは難しそうだ。
ああ、どれもこれも。

はじめてメイド喫茶ラズベリードリームに入った。
紫や赤の衣装で、アンティークドールめいたいでたちのメイドさんたち。
椅子のすわり心地は最悪で、客の回転を促すのが見え見えなのがバッド!バッド!でもとってもいいの!
いろんなサービスが考えられていて、感心した。
手書きの名刺くれるところとか。
水商売のノウハウを応用している感じ。

東京から由紀ちゃんが帰ってきており、田中くんと、「おとうさん」を呼んで、4人で夕食。
由紀ちゃんを囲んで食事会をするには、それだけの動機があった。
同じく、安井くんは今日が誕生日で、安井くんと食事会する動機もあったのだが、安井くんは別行動、合流をはかるも、結局、安井くんがこっちに合流すればいいのに、という流れに落ち着いてしまった。それだけ、由紀ちゃんとの会食には意味があった、ということだ。
「おとうさん」は名前を出して大丈夫なのかわからないので、この表記。由紀ちゃんとはほとんど面識がないのだが、一方的に僕が「おとうさん」に会いたくて呼びつけた。体調不良にもかかわらず駆け付けてくれた「おとうさん」に感謝。
僕以外、みんなが目薬持参でさしさしモードなのには驚いた。
アレルギーだの疲れ目だのいろいろたいへんそうだ。
由紀ちゃんのキャラクターで、天然スローフード、スローライフ、エコキュートな会食終えて、帰宅。
なんだか調子が狂った感じだな〜と思って、鏡を見ると、僕の顔は2歳年老いて見えた。(ビミョー)
鶴見はなぽーとブロッサムでダンシングBANANAのライブ。
まずは午後2時の回。
1、ハイパービート(チアバージョン)
2、ハッピーメイカー
3、世界がひとつになるまで
4、軌跡
5、真実の宝石
なんと客席後方からポンポンもってダンシングBANANA登場。
MCで、高校受験のため、12月、1月、れなとみゆきの2人がお休みするらしい。SweetSみたいだ。ということは、11月のイベントに行っておかないと、この2人にはとうぶん会えないってことなのか?
ライブ後、客席に多数来ていたちびっこたちと握手会をし、グッズ販売ではいつもながらの写真撮影とおしゃべり。いやー、疲れてるはずなのに、ほんと、頭がさがります。
集合写真では、ちびっこと一緒に写真撮ったりもしていた。ブロッサムに客として来ていたTOUCHのメンバー3人が「ちびっこ」組として握手会に並び、一緒に写真を撮っていた光景はもう、微笑ましくって。

2回めのステージは午後4時から。
1、ハイパービ−ト(チアバージョン)
2、イッツオーライ
3、ありがとう
4、軌跡
5、世界中のこどもたちが
チアダンスはこの2回目の方がスムーズに行ってたように感じた。
僕のメモには、この1曲目、2時の回と同じ曲だったのに「ハッピービート」と曲名が書いてある。新曲で、どっちが本当なのか特に確かめなかったけど、僕のメモや記憶なんて、いいかげんなものだ。表記も適当。
終了後はまたしてもちびっこ握手会とグッズ販売。
今回のライブ見て感じたのは、まみかの髪型がドキッとするほどセクシーで、現在のバナナの中では一番のべっぴんさんだな、と認識した。まともに目をあわすのもドキドキした。

ベアーズやねん

2005年10月21日 ライブ
なんばBEARSで「ベアーズやねん」
イベントタイトルは、ABCラジオの「ハロプロやねん」からとった。テーマ曲の「でっかい地球に愛がある」もそのまま使った。
出演者は次のとおり。
保山宗明玉
少女崇拝
野田真悟
佐伯誠之助
やすみあけ
丼野M美
自分BOX
社熊メイデン
鰯メタリック
ぐりこライス
北紫子
邪王院弘
泰子興業
あなるちゃん+魔ゼルな規犬
いとこ三兄弟
アンコールで丼野M美による「センチメタルボーイ」
午後6時30分から開始して、終わったのが10時前。これだけのユニットが出たにしては、スムーズにいった。
僕が関わったのは、5組。
保山宗明玉(キーボードを演奏しようとするが、どうしても鍵盤に手が届かない。いろんな道具も使うが、結局届かないパフォーマンス。使った曲はマリ・ウィルソン)
少女崇拝(山田はるこ、草壁コウジによるユニット。紙芝居で丼野に陵辱される北紫子を救出する役で、実際に登場)
鰯メタリック(ちやじちゃんと安井くんが二人羽織でドラムする脇で、なぜか僕がバドミントンのラケット振ってる。鰯を客席にスマッシュ!ドクロのマラカスで馬鹿踊り)
いとこ三兄弟(丼野、だみあんとの3人ユニット。モーニング娘。の「直感」でカップ麺両手に持って踊る。衣装は苺ましまろ)
アンコールの丼野(と、いってもだみあんも登場して、いとこ三兄弟のまま。アンコールを客席に聞いておいて、「ブラック?」とか言いながらアンコール決めるのは、STSライブの真似。ほとんど誰もわからん)
このイベントは、当初予定されていた出演者が6組ほど欠席した呪われたライブに思えたが、6組減っても、これだけの多さで、バラエティに富んでいたように思う。やってる側はめちゃくちゃ楽しくて、お客さんも多数来ていただき、後から聞く評判もまあまあだった。僕のやることが面白かったかどうかはさておき、イベントは成功だったように思う。
東京から来て出演してくれる人、岐阜から向かってくれた人、出番直後に次のイベントに走る人、睡眠に陥りあわや欠場かというところみごと覚醒して駆け付けてくれた人、そうかと思えば一睡もせずにやってきて楽屋で酒びたりの人、いろいろあって面白かった。楽屋が面白いのが、やめられない理由のひとつだ。
次の1月9日BEARSでの「ペット博(ひろし)」はさらにパワーアップしそうだ。おそろしや〜。
アイリーン・ニコルソンの『マヤ・アステカの神話』を読んだ。
ルイス・シャイナ−以来、マヤについて自分が何も知らなかったことに気づいて読んでいるが、これがまた興味深い。
前に読んだ『マヤ文明』はマヤ考古学の歴史で、まるで「ハムナプトラ」か「インディジョーンズ」の世界が展開されていたが、この本は、マヤ神話や、メソアメリカの神話について読みといている。
ルイス・シャイナーの小説で、主人公の弟がククルカンになるが、これはケツァルコアトルと呼ばれる神(鳥蛇)のマヤバージョンだ。「ケツァルコアトル」の名前はどこかで読んだことのある既知のものだったが、今読んでみると「ケツ、亜弥子、取る」(ケツアヤコトル)と誤読してしまい、亜弥子ちゃんが僕のお尻を抜き取ってしまう光景を読みながら何度も想像してしまった。
ケツァルコアトルの永遠のライバルはテスカトリポカという名前で、これにケツァルコアトルは打ち勝つのだが、単純にケツが善でテスカが悪というわけでもないようだ。
テスカトリポカは中立的で、いつも元気旺盛、歌と花と蝶に関係がある。一方、意地悪と罪にも関係がある。テスカトリポカは、あるときは鈍重で無気力、あるときは軽快で躍動的な、まったく気まぐれで予想しがたい性質の人格化だとアイリーン・ニコルソンは解釈している。
テスカトリポカは善人に果報をもたらし、悪人に病気をもたらす。また、ちょっと何かを思い付いただけでそれを発明した。
放っておけば途方もない力を出す気紛れな神。
トリックスターとか、アポロンに対するディオニュソスに近い神なんじゃないか、と思った。
えーっ、それなら、テスカトリポカの方が僕は好きだな〜。
この本で一番熱くなったのは、時間についての記述だった。
マヤ人は歴史を反復するものと考えていた。暦によって、特別の5日間は、その期間にあったことがそのまんま永劫回帰して反復されるので、マヤ人はその期間、争いをさけて、眠りにおちないようにした。人々は家に引きこもりがちになり、永久にしなければならないことがないように雑用やいやな仕事はしないように気をつけた。
過去は過ぎ去ったものではなく、どこかに現存するものと考えられたのだ。

また、この本で「球技」の意味を知った。
メソアメリカの遺跡には球技を描いたものが見られる。球技はつかの間の命の者に物事の予め定められた流れをいかに操作すべきかを教えるゲームなのだ。
ボールの動きを運命を支配する天体の周期に照らし合わせてみたり。球技は蛇や梯子と同様の象徴性をもっていたらしい。
(球技に負けたチームの主将は首を切られたというから、重大な意味を持たされても当然というべきか)

メソアメリカの文明の産物は、ヨーロッパ人によって無視され、破壊された。わずかに残ったものだけでもじゅうぶんに語りかけてくることを思うと、もっと豊穣な成果を得られたかもしれず、実に惜しい。

奇妙な人生

2005年10月17日 読書
スティーブン・ドビンズの『奇妙な人生』を読んだ。
おそらくはラテンアメリカの国での、夜間外出禁止令が出るクーデターの夜、同窓会で集まった中年男性たち。
外に出られない緊迫したムードの中で、各人の驚くべき人生があらわになってくる。
いくつもの物語が重なっていて、読みごたえバッチリ。
たとえば、冒頭、若い女性がうつった1枚の写真を見つけた登場人物たちが、この女性は何もので、なぜこの主の家に飾られているのかを、解釈して語るシーンがある。それぞれが全く違ったストーリーで写真の女性を主人公にした話を展開する。これでもう、つかみはオッケーなのだ。
登場人物の個性もすごいし、メインで語られる、この家の主人と給仕女との愛憎もすごい。僕の人生が薄っぺらで、まだちっとも生きていないような思いにとらわれた。こうした思いは、この小説の書き手である登場人物にも反映される。
彼(バタビー)は新聞の読書欄を編集している。ボルヘスにインタビューしたあと、それに触発されて、小説のアイディアを得る。精神的にショックなことがあったとき、人はそれをなかったことにしようとする。場所は大学の教室。講義の最中に床に一点の汚れを残して教授が消えてしまう。調べた結果、こんな真相が明らかになる。教授は人体自然発火で、燃焼してしまったのだ。それを見ていたはずの学生たちは、それがあまりにも辛くて、その間だけ眠っていたのと同じ状態になっていたのだ。これが基本のアイディア。バタビーはこのアイディアを作品にできない。目撃者が一瞬にして忘れてしまわねばならないだけの辛い状況を捻出できないのだ。
ドビンズの面白いところは、この後、「しかし」と話を逆転させるところにある。自然燃焼で誰かが燃え尽きるなんてことは、実は日常茶飯事で、我々はそれを見ていながら、ショックから逃れるために忘れてしまっているんじゃないか、と。本当はしょっちゅう起こっていることなんじゃないか、と言ってるのだ。
この本にはいろいろ考えさせられた。
たとえば、家の主人(パチーコ)が言う。
「十四歳のとき、僕たち三十人を集めて、一人一人に自分はいい人間だと思うかという質問をしたら、みんなイエスと答えたにちがいない。なんでそんなことを聞くのかと首を傾げながらね。二十歳の時に全員を招集して同じ質問をしたとしよう。結果は同じだろうか?その年になるまでに、僕たちのうちの何人かは非行へと走っていた。だが、基本的にはみんな自分はいい人間だと思っていたんじゃないかと思う。いざこざを起こしても、仲間はその背景を推し量ってしかたがなかったんだと思ってくれただろう。つまり、あの時点では僕たちはまだ世に恥じない人間だった。だとしたら、どこでどうなったんだ?」
パチーコの出す仮説はこの後、納得する展開をするが、本を読んで確かめてほしい。
いろいろ考えたなあ。たとえば、恋人が浮気をしたから、といって喧嘩して別れてしまうカップルがいる。でも、今後の一生、許してその恋人と一緒にいるのと、別れて一人ぽっちになるのでは、どっちを選ぶ?喧嘩して別れることで守ろうとしたのは、自分の見栄とプライドなのではないか。それは恋人よりも大きかったということか?う〜む。

あと、心に残った部分を抜粋。

欲望から自分を解放するのと同じように、空腹から自分を解放できたらどんなにありがたいことか。僕は時として、糞便を畑の肥やしにする変わり者の神様のために人間はこの地球に存在するのではないかとすら思うことがある。

情欲に年齢はあまり関係ない。そりゃ、若くてきれいな女を抱くのはいいもんだが、僕は時々、欲望の対象は必ずしも肉体だけじゃないような気がするんだ。相手の目だとか表情だとか、自分に対する関心だとか、そういうものにそそられることのほうが多い。好みのタイプの女しか抱けないなんていう話を聞くと、不思議でしようがない。それじゃいつも同じものを食っているようなもんじゃないか。

センチメンタリストというのは常に感傷に浸る材料を探し求めているのだから、困ったものだ。
九条のスタジオSTSで「STSライブ2005」
オープニング/Super Bubblez
憧夢〜風に向かって/トレード
I Believe/ナオセレクト
NO MORE CRY/タイフーンjr.
LIKE A IN THE CAR/チックス
No.1/PHRASE(新生フレーズ!)
アセレヘ〜ペテン師/ペトラキッズ
Get Up On it Like This/御堂筋パレード選抜
POP/Super Bubblez
数分の休憩をはさんで、以下、第2部
めざせポケモンマスター/ポケモン選抜
ベストフレンド/八田有紗
Just Lovin’ You/桐生彩加
anybody’s game/ミューズ
淋しい熱帯魚/RISAKO&REINA
steady/ファッションズ
Get’s your Groove/いちごっ娘
Love like candy floss/TOUCH(新レパートリー)
sexy, naughty, bitcy/ブラックベリーズ
GO AHEAD!!/プリッツ
以下、アンコール
Can’t be Stopped/ブラックベリーズ
Uki Uki Baby/いちごっ娘
あいかわらずの怒涛のライブ。
これを一度体験すると、ハロプロ祭りでもだるい展開に見えてくるし、ライブハウスのセッティングに時間のかかる転換など見てられなくなる。

心斎橋大丸前に移動して、おかめふくのストリートライブ。
心斎橋駅出口出たところでライブしてたので、「近い!」と叫んだ。
わぴこ元気予報
FLY!!
そこにしか咲かない花
ベストフレンド
ホウキ雲
ほほえみをあずけて
以上で第1部終了。
ここで、「おかめふく」を音楽的バックで支えることになったTAKAという男の人が登場、ギターを弾いて、おかめふくが歌うのは
I LOVE YOU
第2部は以下の通り。
センチメタルボーイ
一人旅シャラルラン
三日月ラプソディー
いいお天気
てんきゅっ
パフィーメドレー
今日はおかめふくのサイン入り写真を特別に販売していた。
全部写真の内容が違っていて、しかも、もう焼き増ししない、というレアなものばかり。飛ぶように売れて、あっという間に完売!
テレビ番組「MTM」にも登場するとのことで、今後の展開が楽しみ。
stsでもおかめふくでも「ベストフレンド」聞けるとは。同じ歌なのに、印象が全然違う。

その後、味園ビルの「ど・CORE」で開催の「すきすき-エレポナイト」に行く。
現在進行形のフューチャーポップ、エレポップがガンガンかかる夢のようなイベント。
小西さんによるADD(A Different Drum)Synthpop Festivalのレポートもあり、久々に音楽への興味がグワワ〜っと湧いて来た。上記フェスティバルはアメリカのユタ州、ソルトレークで開催されたイベントで、ADDレーベルから作品を出しているアーティストを中心に、全12組が出演したそうだ。
朝まで味園ビルで遊び、帰宅。

(10/18 スタジオSTSライブ、配付されたプログラムと実際の順番が違っていたので、訂正しました)
ミミちゃんのパンツ丸出し逆立ちが、ロリだのペドだのという観点から描かれていないかの印象を与える映画。
これ、久しぶりに見るのか、はじめて見るのかも忘れてしまい、次のストーリー展開を楽しみながら見ることができた。
スタジオジブリの中で一番面白い作品なんじゃないか、と思う。
アニメ内アニメじゃないのが気持いい。
なお、この映画見たあと、すきすきエレポナイトというイベントで、さながら「パンダコパンダ」の再現かと思わせる光景に出会うが、それはまた後の話である。
夜がおとずれ、ハンモックの上で丸くなった。いつもならすぐに安らかな眠りにつくところだ。だが、なんということだろう。眠りがすぐに途切れてしまった。
突然すさまじい苦痛に襲われ、目が覚めてしまっのだ。部屋中に羽音が響きわたり、あたりかまわず手をのばすと、大きなゴキブリぐらいの冷たくて平たい虫がたくさんいるのがわかった。いや、ぞっとしたことといったらなかった!顔の上にも、うようよいる。急いでろうそくに火をつけた。次の瞬間、この世でもっともおぞましい光景に目が釘付けになってしまった。
ハンモックには少なくとも200匹の気持の悪い虫がからまっていた。急いでふり払っても、30匹が顔の上に居すわる。顔も手も体もはれあがり、たえ難い苦痛になった。
ハンモックのなかの虫は、ほとんどが私から吸い取った血でまるまると太っていた。
部屋の壁は同じような虫がびっしりと覆い、満腹になった仲間が場所を譲ってくれるのを待っているかのようだった。
以上、デジレ・シャルネの『アメリカの都市と廃墟』より。
クロード・ボーデ/シドニー・ピカソ著の『マヤ文明〜失われた都市を求めて』を読んだ。
マヤ文明について語るというより、マヤ文明を西欧人はどう発見してきたか、という歴史が語られている。
マヤのあれこれよりも、面白かったのはサイドストーリー。
上記のような探検記もあるし、その他興味深いエピソードが満載だ。
シャルネはマヤ遺跡での作業のつらさをこれでもか、と描いている。
「仕事をするとものすごく汗をかき、体力を使う。ワインやアルコールを混ぜた水など液体を12リットルも飲んで、しかもそれが全部汗となって蒸発してしまう」12リットル!
ちなみにデジレ・シャルネは19世紀半ばにマヤ文明の遺跡をはじめて写真におさめて写真集にして発表し、現地で模型を作るなど、客観的な資料を残そうとした人だ。
それまでのマヤ文明の資料はスケッチに負っており、これがまたいいかげんなものであったことが書かれている。
たとえば、18世紀末から19世紀にかけてマヤ遺跡を長期逗留して比較的忠実にスケッチしてきた芸術家に、ジャン=フレデリック=マキシミリアン・ド・ワルテック伯爵がいる。
当時はマヤ文明は独自の文明と認識されていなかった。ワルデックはインド、ヘブライ、ギリシア、エジプトの痕跡をマヤ遺跡に求めるあまり、実際にはない模様(楔形文字とか)をデッサンに描き加えてしまったりしていたのだ。
しかし、このワルデックという人は、面白い人で、波乱万丈の一生を送った人なのだ。
女性を口説くときに「自分は42もの革命を目にしてきたのです」と打ち明けたりしている。それが嘘に思えないほどのバイタリティーがあったのだ。
ワルデックは84歳のときに17歳のイギリス人少女と結婚してこどもをもうける。死ぬときもいかにもワルデックらしい死に方をする。
美しい女性が通り過ぎるのを見ようと振り向いたとたん、転んで倒れ伏し、二度と起き上がることはなかった、らしい。112歳の誕生日を祝ったばかりのことだったんだって!
御堂筋パレードの日。
僕の目当てはサントリーのフロートで脇を一緒に歩き、ショータイムではダンスを披露してくれるstsダンススクールの子たち。
ふだんはパレードの日は人がいっぱいになるし、横断歩道もなかなか渡れないし、いい気分がしなかったのだが、今回みたいに、見たいものがあると、とたんにそんなことが気にならなくなる。
パレード全体としては、いっときほどのゴージャスさが影をひそめた感があった。
ごく一般の中学、小学の吹奏楽だのバトンだののパレードを見ていると、STSダンススクールの子たちが神のごとき輝きを持って感じられる。
これは、ロウティーンのアイドルは好きだけど、子供は嫌いだ、という僕の感覚がそのまま出たものだろう。

湊町リバープレイスで午後5時からそのSTSダンススクールのライブイベントがあった。
オープニング/Super Bubblez
憧夢〜風に向かって/トレード
キープ・ザ・フェイス/ミニバブ(ワア!ブルーベリーズのレパートリーをミニバブが!)
NO MORE CRY/タイフーンjr.
Baby My Heart/マシェリ
anybody’s game/ミューズ
steady/ファッションズ
can’t be stopped/ブラックベリーズ
Sexy,Naugty,Bitcy/ブラックベリーズ
RISAKO&REINA/淋しい熱帯魚
Go Ahead!/プリッツ
Get Your Groove/いちごっ娘
Quincy/TOUCH
POP/Super Bubblez
パレード組も途中で集まってきてのステージになった。
パレ−ドに出ていたのは、いちごっ娘やTOUCH、ファッションズ、プリティーズなどの、まあ年少組とでも言うべきキッズたち。 パレードでずっと歩いて踊って、さらにステージをこなすのだから、まったくもって頭の下がる思いだ。

堀江に移動して、シャムアギャラリーで「てん刻展」
ひょうたんオーケストラの奥田さんとか、チャンキー、いぬんこなどなど、面白い作品が並ぶ。スタンプ遊びもできるようになっていて、しばらく中で遊んでいた。
その後、MEBUKIでイカルス渡辺さんのイベント。店内では作品が展示してあり、今日は特別にイカルス渡辺ディナーショーみたいな感じで、食事しながら、イカルス渡辺ライブを楽しめる趣向だった。
本来なら予約が必要なイベントだったのだが、無理に入れてもらってライブを楽しむ。
いろいろあって、すっかり神経は昂揚しきっていた盛り沢山の1日だった。

マルゴ

2005年10月6日 読書
ナボコフの『マルゴ』を読んだ。河出書房新社「人間の文学」シリーズ、篠田一士翻訳。
マルゴは女性の名前。「まるこ」ではないので要注意。
冒頭を引用すれば、本書のあらすじはすべて尽くされている。
「むかし、ドイツのベルリンに、アルビヌスという男が住んでいた。裕福で身分もよく、幸せな日を送っていたが、ある日のこと、年若い情人のために、彼は妻を棄ててしまう。彼の方では愛していたが、その情人には愛されていなかった。それで、彼の生涯は悲惨な最後をとげることになる。
かいつまんでいえば、これだけの話」なのだ。身につまされるではないか。
主人公のアルビヌスはどんな男かと言うと、これがちょっとなさけない。
「彼には礼装用のネクタイを結ぶことも、右手の爪を切ることも、こうもり1本たたむこともできなかった。壜のコルクにしても、半分を粉みじんにしてひっぱりだし、あとの半分を中におっことさずには、抜くことができないのであった。」
「まったくのところ、自転車に乗るだけが芸だった」
ヒドイ!
マルゴには「あなたは嘘つきで、臆病で馬鹿よ」とズバリ言われ、作者には地の文で「彼を一言にして言い表わしてかなり当を得ていた」と書かれてるのだ。
マルゴに接近する男はレックスという名前で、こちらはまたどこかで会ったような見事な人物造型がされている。
レックスは「芸術、科学あるいは情緒の領域で創造されたあらゆるものは多かれ少なかれ、たんなる巧妙なトリックに過ぎない」と確信している。
そして、マルゴのことでアルビヌスが悩むと、それを見てこう思う。
「レックスにはアルビヌスの苦悩が今後おこるべきアチャラカ喜劇の障りになるどころか、そのプログラムの第一項目にくるもので、彼自身この喜劇の舞台監督として、他人からは見えないボックスに席を与えられているように思えた」
レックスはアルビヌスとも友情を培いながら、マルゴと密会を繰り返すのだ。
そして、ついにアルビヌスがマルゴとレックスの関係に気づく。
「彼は心の中で、自分たちがレックスと知り合ったそもそものはじめからの些細なエピソードをすべてひとつひとつふりかえってみた。そして、それらの中のいくつかは鉛色の光にてらし出され、その光は彼の全存在をおおいつくすのだった。何かが永遠に破壊されてしまったのだ」
マルゴが何をしようと「この先、あらゆる物事は疑惑の毒を含んだ香りに汚されるわけだった」
わかるような気もするけど、こういうことで「全存在」とか「永遠」を持ち出してくるアルビヌスの情けなさがきわだっている。
クライマックスあたりは、恋は盲目どころか、本当に目が見えなくなってしまったアルビヌスをいいことに、レックスはアルビヌスの目の前でマルゴといちゃつく。アルビヌスは、家の中にいるのは、マルゴと自分の2人だけだ、と思い込んでいるのだ。
どうする?!この結末、血を見ずにはおれない!
なお、この『マルゴ』は『くたばれハリウッド』の中で、パラマウント社の製作責任者が「お気に入りの5冊」の1冊に選んでいる。ナボコフの作品としては有名なのだろうか。
最初、僕はアルビヌスと自分を重ね合わせて読んでいたが、途中で、どうも僕はレックス寄りの人間のように思えてきた。アルビヌスに重ね合わせるべき知人に思い当たるふしがあるからだ。
ルイス・シャイナーの『うち捨てられし心の都』(上下)を読んだ。
人類学者、ロッカー崩れのジャンキー、ローリングストーン誌記者、ゲリラ等がマヤ遺跡周辺に集って物語が展開する。
時代は80年代、イラン・コントラ事件の頃。
反米ゲリラと、CIAに操られてゲリラ掃討をもくろむ軍。
そんな中、ジャンキーはキノコを食べてトリップする。
このキノコの効き目たるや、もう生きるか死ぬか、というくらいで、幻覚ではなく、実際に過去にタイムスリップして体験することができるのだ。
ジャンキーはキノコの力でマヤ文明に触れ、新しい世界へ人々を導く神的存在になる。
ゲリラを殲滅しようとするアメリカの手先による攻撃に対して、ジャンキーはククルカンと呼ばれる者になり、反撃しようとするゲリラに語る。
「射撃をやめなさい。彼らの使っているのと同じ武器では彼らとは戦えない。あなたの考えで戦わなくてはいけない」
ゲリラの女闘士は言う。
「銃なしには」「考えにはなんの力もないわ」
それに対するククルカンの答えはこうだ。
「ちがう。銃があると、すべての考えが同じになってしまう」
シビレルー。
また、マヤ暦によるタイムスリップの説明が感動した。
マヤ暦の考え方では、1日1日はすべて特別な日だ。それは1人1人の人間がみんな特別で違っているのと同じ。
もしも同じ名前を持つ日があれば、それは、同じ日なのだ!
そして、すべては円を描いている。
同じ日どうしであれば、行き来もできるというわけだ。
太陽暦で言い換えてみると、たとえば3月3日という日はすべて同じ日だ。
3月3日どうしであれば、過去でも未来でもおかまいなしに行き来できる。
ははーん。
この作品で興奮したのは、こんなところ。ジャンキー(ククルカン)がキノコを食べて、あっちの世界に行ってしまい、人事不省に陥っている。何をしても目覚めない。そんなとき、軍が攻撃をしかけてきた。このままでは危ない。人類学者は、ククルカンをこっちの世界に連れ戻すために、自らキノコを食べる。あっちの世界に行き、ククルカンを見つけ、説得してこちらの世界に連れてこようとしているのだ。
ウヒャー、すごい!
この世界観はマヤ文明、マヤ神話をベースにしているので、ちょっとマヤについていろいろ読みたくなってきた。
ルイス・シャイナーは『グリンプス』でも一種のタイムスリップでブライアン・ウィルソン等に会って未完の音楽を完成させる話を書いている。
この作品でのククルカンもかつてはジミ・ヘンドリックスと同じステージに立ったロッカーとして描かれる。
そして、このタイトル原題『Deserted Cities Of The Heart」も1968年のクリームのアルバムの中の曲名そのものだ。
ロックファンにとっては懐かしくて発狂しそうな思いにとらわれる。
あいにくと、シャイナーの本はほとんど翻訳されてない。
でも、あんまり読むとノスタルジーで死んでしまいそうだ。
日野日出志の怪奇劇場「わたしの赤ちゃん」を見た。
中村義洋監督、有坂来瞳主演。
中村監督は「あそこの席」「ほんとにあった!呪いのビデオ」や「渋谷怪談」の作品をとっている。
わたしの赤ちゃんは爬虫類の赤ちゃんを生んでしまう胎児系ホラー。
日野日出志の画などを使っていて、日野テイストも多少かもしだしている。
この映画版では、原作を作中作として使っている。
主人公は映画の脚本家で、妻が妊娠しているのを題材に、トカゲを産んでしまう女性の話を書き上げる、という設定。
このトカゲ、無気味な赤ちゃんが、爬虫類というよりは、完全に人形、ぬいぐるみなのだ。
犬が中に入っていると思われる着ぐるみとか、安さ爆発!
日野作品はある意味、安さも魅力のうちだが、まったくこわくないのは困ったものだ。
イレイザーヘッドの赤ちゃんは悪夢見るほどのクオリティで、しかも安さ爆発で笑いも含んでいた。
うむ?ということは、リンチは日野日出志って通底してる?
梅田のワイアートギャラリーで鈴木亘彦展「エメラルド貯水池」
漂流物を樹脂で固めて標本にしたような作品、ガラスやレンズをモチーフにした作品が並ぶ。
ガラスの明るい面を前に押し出した作品群だった。
こまごまとした貝だの石だの玩具だのがコレクションされている。本来ごっちゃになって存在するガジェットを丹念に並べて、等距離の視点を獲得させているため、1つ1つの物質の来歴が散弾銃のように海馬を刺激する。いや、心地よい比喩で言うなら、ムアツフトンか。
少年時代の憧憬を作品にしたような印象だったが、どうやら、作者本人はその境地に安住していたくないような雰囲気だった。
今日は午後6時からチャンキー松本とミルブックスの人と、3人でトークショーがあった。
大竹伸朗とみうらじゅんに影響を受けた、というのが興味深かった。
ただ、僕は「貯水池」を「ちょすいち」と読んでいたのだが、チャンキーが「チョスイイケ」と読んでいて、特に訂正もされなかったので、そっちが正しいのか、と思った。
「チョスイチ!」だと、挨拶みたいで、「チョスイイケ!」だと励ましの言葉みたいに聞こえるなあ。
トーク後に鈴木さんとも話し、おいしい赤ワインもいただき、チャンキーやいぬんことも歓談、とっても気持がよかった。
帰りはレイトショーで映画を見るという死神ちゃんを適度な場所まで送って帰路につく。
僕は道をまったく覚えない上に方向音痴。死神ちゃんも方向、時間の感覚が欠如しているため、無事にたどりつけたかどうかは、五分五分だとふんでいる。いや、99パーセント、時間どおりにたどりついていないな。
間違いない!(今、旬のギャグ)
モーニング娘。コンサートツアー2005秋「バリバリ教室 小春ちゃんいらっしゃい!」を見に行った。
大阪、フェスティバルホール、午後7時開演。
吉澤が膝を負傷しており、出演して歌もダンスもするが、走ったりジャンプしたり激しい動きが出来ない、ということで、フォーメーションからはずれて、脇で1人立って演じていた。これは、教室で立たされているという風情でもあるが、一番わかりやすいたとえとしては、制服向上委員会の「ダンシング・ウィズ・デビル」における高橋里奈がかつてになっていたダンスのお手本ポジションを思い出せば、わかりやすい。
以下、曲目。
色っぽい じれったい
LOVEマシーン
ラヴ&ピィ〜ス!HEROがやって来たっ。 (「THEマンパワー!!!」カップリング)
恋は発想 Do The Hustle!
ザ☆ピ〜ス!
恋愛レボリューション21
恋の始発列車 (「真夏の光線」カップリング。吉澤/高橋/小川/藤本/亀井/田中)
バイセコー大成功! (プッチモニ「青春時代1.2.3!」カップリング。新垣/道重/久住)
ラストキッス (タンポポ。高橋/亀井/田中)
男友達 (4thアルバム「いきまっしょい!」吉澤/亀井/道重/田中/久住)
そっと口づけて ギュッと抱きしめて/藤本美貴
涙が止まらない放課後/紺野あさ美
Memory 青春の光
シャボン玉
初めてのロックコンサート(4thアルバム「いきまっしょい!」小川/新垣/高橋/紺野)
パパに似ている彼 (2ndアルバム「セカンドモーニング」吉澤/藤本/亀井/道重/田中/久住)
AS FOR ONE DAY
Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜
直感〜時として恋は〜 (6thアルバム「愛の第六感」)
女子かしまし物語2(6thアルバム「愛の第六感」)
THE マンパワー!!!
ここにいるぜぇ!
以下、アンコール
ふるさと
Go Girl〜恋のヴィクトリー〜
以上。

新曲の「恋は発想 Do The Hustle!」は、やっとマシな曲があてがわれたかな、という思い。今回のライブの僕のみどころは、「直感」の振り付け確認だったのだが、前回のツアーで見たときとは、どうやら振り付けが変わってしまったようだ。ふだんの生活において、「まったくそのとおりだな」と思われる場面で「そのとーり!」と踊っていた僕は愕然とした。「そのとーり!」の振り付けが変わってしまっては、周囲の人間は「ああ、あれはモー娘。の歌の振り付けだったんだな」と了解するすべが失われ、僕は単なる変な動きをする精神異常者だと思われてしまうではないか。
さて、このライブ、久住小春を大々的に取り上げており、それに小春は必死でくらいついていっているようだ。まだ余裕はなさそうだが、大器であることには変わりない。
そして、結局ほとんど目立たぬポジションのままだった道重さゆみの美しさったらなかった。ダンスがうまいわけでもなく、歌もへたなのだが、足をスパーンと高く上げる得意技が出るたびに、僕は「トリコロール白の愛!」と叫んで気絶寸前だった。

今日はなんとなく、格闘技っぽい1日だった。
ライブ前に入ったジンギスカンの店「ヤマダモンゴル」は大阪プロレスのポスターやサイン色紙が飾ってあった。
ライブ後、帰宅途中で道端で大げんかしている若い男女を見た。
コスプレ(男装)してる女性2人が喧嘩しており、仲裁に入った男性が巻き込まれて3人で大げんかになってるのだ。でも、本当に相手にダメージを与えたいなら、もっと技のくり出し方を考えた方がいい、と思った。もっと格闘技の試合を見ろ、と忠告したくなった。
帰宅後、録画してたプライドを見る。
ライト級とウェルタ−級。かろうじて一番体重の軽いライト級で日本人が決勝に駒を進めた。これは快挙ではない。外国人格闘家で、そんな軽い体重の者は少ないのだ。
今回ウェルタ−級で楽々と決勝に残ったダン・ヘンダーソンがかつてヘビー級のノゲイラと闘って、勝てなかったように、要するに、格闘技は体重が重い奴が有利で強いのだ。
ライト級最強の称号は、人類全体のランキングでいえば、たいしたことじゃないように思える。
かつてリングスに上がった田村が前田に「体重つけろ、大きくなれ」とアドバイスされたのはそれだ。輪ゴム鉄砲の技術がうまくても、原爆落とされたらおしまいなのだ。
五味が強い、と言っても、僕は「そんなに自分が強いと言い張るのなら、ミルコに挑戦状を出せ」と思ってしまうのだ。
そんなわけで、体重が重いことを悪いことだと思ってないので、ダイエットは思うように進まないのです。一方、体重が重いくせに弱いのは言い訳のしようのない真の弱さだとも思うのです。それがかろうじて、体重増加礼讃に傾かずにおれるギリギリの歯止めです。
って、僕は格闘家じゃないのに、なぜ強さにこだわってるのか?
今日は2つのライブイベントに出演する。ダブルブッキングだ!
1回やってみたかった!
【jibun-box 10th anniversary party】
日時:10月1日(土)午後6時半開場/午後7時開演
場所:難波BEARS(大阪)
 http://home.att.ne.jp/orange/bears/
出演:保山宗明玉
   Y’s
   だみあん
   さくりん
   アリスセイラー
   シモーヌ深雪
   チャンキー松本といぬんこ
   自分BOXwithララボンゴ
  *マル秘ゲスト有り... 
2005.10.1(土)<念力祭.2>
@新世界ブリッヂ http://www.beyond-innocence.org/
START/17:00・ADV/?1,800
act...保山宗明玉、水色ブレイン、サイケアウツG、溺れたエビの検死報告書、クッダ チクレロ、ケッチ(from 岡山)、clione-index(from 岡山)、Live Clean Stay Young

ライブ前の緊張をほぐすため、メイドインカフェに寄り、コーヒーのひととき。
楽しいにゃ〜。
このままずっとここにいたいにゃ〜。
ハッ、いかん、いかん。ライブに行かねば!

まず、ベアーズのオープニングアクトで、自分BOX10周年の軌跡を紙芝居にして演ずる。
紙芝居はわざと意味不明の絵を、客からはほとんど見えないような大きさで貼付けたものを見せるでもなく見せる。
それにあわせて語るのは、知らないレコードの歌詞カード。
レコードは20まい100円で安売りしてたので、当日思い付いて買ったもの。
紙芝居は、当日スケッチブック買って、そこらへんにあった少年ジャンプを使って即席に作ったもの。
使った音楽はそのときに聞いてたカセットをそのまま使った。
全部、間に合わせのように思えるが、こんなふうに、紙芝居の絵、文句、音楽を当日のインスピレーションで決めよう、と決めたのは、1ヶ月くらい前だ。
予定どおりのパフォーマンスだったが、もっと自分を追い込めばよかった、とも思った。
お客さんの数を見ると、僕をはじめて見る人もいるようで、ならば、もっとわかりやすく面白いのを考えてもよかったかな、と反省した。
僕の考えることは、他人にはどこが面白いのかポイントがつかみにくいのが多いのだ。
さて、他の出演者も気の会う人ばかりで、楽屋から楽しい。
お客さんでも、会いたかった人が来ていて、とてもうれしかった。

ブリッヂに移動し、こちらは3曲ライブした。
イントロダクション〜バンキッド〜ジェットシューター
レパートリーというものの強みを思い知る。
音楽に助けられて、思いきって自分のやりたいことができる。
こちらは人形のひきがたりなどをして、のこぎりでうっかり自分の腕までひきがたりしてしまい、後で治療したりした。
こっちの方のライブは、あまり追い込まれない方が面白いステージができるタイプだった。
だから、あんまり自分を追い込まず、ある意味余裕をもってのぞんだ。
でも、どこが面白いのか、というポイントが非常に私的なことで、他人にはわかりにくい事情はたいして変わらない。
こちらもお客さんで、会いたい人が来てくれて、とてもうれしかった。

ベアーズに戻ると、野ばら君の出番前。
お客さんが多くて、中で見ているのがたいへんだった。
ラストではなぜかシモーヌに呼び出されて、いきなり最後のしめをまかせられた。
全然しめになっていないけど、適当にしゃべっているうちに、ライブは終わった。

打ち上げは阪神優勝の余波を受けて、料金はいくぶん安めだったが、その分、中途半端な時間に追い出され、珈琲館で朝まで過ごす。

ベアーズの僕のライブ見た人からは「楽しかった」とメールがあって、喜んだが、ブリッヂの僕のライブを見たお客さんから感想など連絡は一切ない。愛想をつかされたのかもしれない。
自分ではブリッヂのパフォーマンスはある意味大成功で上出来だと満足していたのだが、客として見れば、評価はまた違うのだろう。
僕のテイストをわかって喜んでくれる人はベアーズにしかいないのか、とか思ったが、僕はアウェーが大好きなのだ。
ブリッヂに僕を呼んでくれた銀河さんが「怒らせてなんぼでしょ」と言ってくれたのに救われた。
どうせなら、フジロックにでも出て、千単位の客をいたたまれない気持にひきずりこみたい。
うむ?かつてモダンチョキチョキズで大ホールでライブしてたとき、既にそれは実現してたのか?なーんだ、忘れてた!

< 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索