バナナホールに「スナック・リリー」を見に行った。
リリー・フランキーさんが会場のお客さんとトークをしながら綴る面白いイベント。
ゾノネムの早漏ラップも愉快。
ひさしぶりにリリーさんとしゃべった。
でも、リリーさんと握手しながらしゃべるって、なんだかテレる。
売れっ子で超多忙に違いないのだが、東京行ったときには、時間の余裕があれば、飲みに行けたら面白かろう、と思っている。
このイベントは早々に前売りが完売していたので、せっかく大阪にリリーさん来てるのに、今回はあきらめるかな、と思っていた。ところが、僕をイベントに誘ってくださる人があらわれたのだ!
イベントに招待で入場させてもらった上に、僕が帰宅する、まさに家の戸口まで歓談しながら送ってもらった。
感謝感激、雨、あられ、鞭、縄、ロウソクである。
リリー・フランキーさんが会場のお客さんとトークをしながら綴る面白いイベント。
ゾノネムの早漏ラップも愉快。
ひさしぶりにリリーさんとしゃべった。
でも、リリーさんと握手しながらしゃべるって、なんだかテレる。
売れっ子で超多忙に違いないのだが、東京行ったときには、時間の余裕があれば、飲みに行けたら面白かろう、と思っている。
このイベントは早々に前売りが完売していたので、せっかく大阪にリリーさん来てるのに、今回はあきらめるかな、と思っていた。ところが、僕をイベントに誘ってくださる人があらわれたのだ!
イベントに招待で入場させてもらった上に、僕が帰宅する、まさに家の戸口まで歓談しながら送ってもらった。
感謝感激、雨、あられ、鞭、縄、ロウソクである。
マリア様がみてる―子羊たちの休暇、真夏の一ページ
2005年9月29日 読書
今野緒雪の『マリアさまがみてる〜子羊たちの休暇』を読んだ。
仲直りしたロサキネンシスと祐巳が別荘で夏休みを過ごす。
見栄と羨望の渦巻く上流社会気取りなどが描かれる。
でも私立リリアン女学園に通っていながら、階級にまつわる軋轢などを語られても、ほとんど嫌味でしかない。
読者としては、そんなことは百も承知で、お嬢さま方のお嬢さまっぷりを面白がるのである。
この本のタイトルを見てから、ジンギスカンを食べたくてしかたがない。
『マリアさまがみてる〜真夏の一ページ』を読んだ。
祥子は男嫌いなのでで、男に慣れさせるために周囲が策略を施したりする。
男嫌い、女嫌い、人間嫌い、など自分を安全圏において、人間関係を深いところまですすめようとしない感情ってのは、さっぱりわからない。わからない、というか、それが言い訳になると思い込んでいる浅はかさが理解できない。男嫌いとかそんなことを持ち出すのは、相手に対するたいへんな侮辱だと思うのだ。言い訳どころか、墓穴をさらに深く掘っている。
祥子は自他ともに認める男嫌いだが、「男嫌い」というラベルに囚われている哀れな人物でしかないのだ。
「私は男嫌いだから、あなたとはうまくつきあえない」という表明は、「私はあなたが嫌いだ」と言っているのに加えて「あなたは固有名詞をもった個人としての資格もない、単なる男一般のジャンルの一要素でしかありません」と言っているに等しい。
これを侮辱と言わずして何と言おう。
ほとんど虫扱いだ。
「このイラク人はいい奴だから友達だけど、あのイラク人は悪い奴だ」という区別もなく、「イラク人は皆殺し」というのが、イラク戦争の理屈だ。
男嫌いもそれと似ている。
今までどんなに男にひどい目にあわされ、どんな嫌な思いをしてきたとしても、男というジャンルを嫌いになるのは病気としか思えない。その病を癒すには、自らの愚かさを自覚して賢くなるしかないのだ。
以上、僕が何を言いたいのかというと、男嫌いの女性、人間嫌いの人とでも、僕はなかよくなりたい!ということでした。男だから、という理由で拒否するな、ということでした。
仲直りしたロサキネンシスと祐巳が別荘で夏休みを過ごす。
見栄と羨望の渦巻く上流社会気取りなどが描かれる。
でも私立リリアン女学園に通っていながら、階級にまつわる軋轢などを語られても、ほとんど嫌味でしかない。
読者としては、そんなことは百も承知で、お嬢さま方のお嬢さまっぷりを面白がるのである。
この本のタイトルを見てから、ジンギスカンを食べたくてしかたがない。
『マリアさまがみてる〜真夏の一ページ』を読んだ。
祥子は男嫌いなのでで、男に慣れさせるために周囲が策略を施したりする。
男嫌い、女嫌い、人間嫌い、など自分を安全圏において、人間関係を深いところまですすめようとしない感情ってのは、さっぱりわからない。わからない、というか、それが言い訳になると思い込んでいる浅はかさが理解できない。男嫌いとかそんなことを持ち出すのは、相手に対するたいへんな侮辱だと思うのだ。言い訳どころか、墓穴をさらに深く掘っている。
祥子は自他ともに認める男嫌いだが、「男嫌い」というラベルに囚われている哀れな人物でしかないのだ。
「私は男嫌いだから、あなたとはうまくつきあえない」という表明は、「私はあなたが嫌いだ」と言っているのに加えて「あなたは固有名詞をもった個人としての資格もない、単なる男一般のジャンルの一要素でしかありません」と言っているに等しい。
これを侮辱と言わずして何と言おう。
ほとんど虫扱いだ。
「このイラク人はいい奴だから友達だけど、あのイラク人は悪い奴だ」という区別もなく、「イラク人は皆殺し」というのが、イラク戦争の理屈だ。
男嫌いもそれと似ている。
今までどんなに男にひどい目にあわされ、どんな嫌な思いをしてきたとしても、男というジャンルを嫌いになるのは病気としか思えない。その病を癒すには、自らの愚かさを自覚して賢くなるしかないのだ。
以上、僕が何を言いたいのかというと、男嫌いの女性、人間嫌いの人とでも、僕はなかよくなりたい!ということでした。男だから、という理由で拒否するな、ということでした。
町田康の『猫にかまけて』を読んだ。
飼い猫に関するエッセイ。
ココア、ゲンゾー、ヘッケ、奈奈。
それぞれの猫に個性があり、町田康は猫が何を言わんとしているかを翻訳したりもする。
そこにおのずから可笑しみが出て来るのだが、この本では、猫の死について多くのページを割いて書かれている。
僕は猫アレルギーながら、猫が好きで次から次へと猫をもらったり、ひろったりして飼ってきた。
猫の数だけ別れがセットでくっついているので、そのときは胸が破れるような思いをするが、「先に死なれるのがイヤ」だからと言って猫を飼うのをやめようと思ったことなどない。
このあたり、自分の恋愛観に近いのかもしれない。
アレルギーで、つらい思いするのがわかっているのに、好きにならずにはいられない。
その点、うちの母方の家系は猫嫌いのDNAが受け継がれているようで、困る。僕はアレルギーという形で出ただけだが、それ以外の家族はひどいものだ。
亡くなった祖母は猫を見ると棒を持って追い払っていた。
祖母が家に来たときは、うちの猫たちは姿を隠していた。
空襲警報で防空壕に逃げてるみたいなものだ。
祖母が帰った後、うちの猫たちはストレスから解放されて、いびきをかいて眠っていた。
母親は「ふだん猫をいじめてるから、化け猫の映画が一番こわい」と言っている。
今でも「ギャア」という猫の叫びが聞こえるから、何事かと思ったら、母親がしっぽを踏んづけていたのである。
1日に1回は必ず踏んでいる。
妹は猫に対しては「しっ、しっ」と追い払う声と、罵る言葉しかかけない。人間の心を読んだり、頭がいいことが我慢ならないらしいのだ。挙げ句の果てには、「爪や歯が危ないから処分する」とまで言い出す始末だ。
昔、子猫をひろってきて飼おうと思ってたら、翌朝目覚めてみると、首をくくられて死んでいたこととか、そりゃ、呪いも祟りもあるだろうよ!と家族に言いたい経験は多々ある。
今、僕の隣では猫が平和そうに眠っている。
こいつを撫でることで、僕は日々のストレスを放電させてもらっているが、この猫にとっても、この家の中での安全地帯は僕だけだと理解しているようだ。
最近は、僕が精神的に落ち込むことが多くて、そんなときに救ってくれるのは人間よりも、この猫で、「何があったの?」と寄ってくる。ストレスや落ち込みを察知しているかのようだ。
そんなわけで、今は僕がこの猫にちょっと頼ってしまっているふしがある。
元気になったら、また遊ぼうね。
飼い猫に関するエッセイ。
ココア、ゲンゾー、ヘッケ、奈奈。
それぞれの猫に個性があり、町田康は猫が何を言わんとしているかを翻訳したりもする。
そこにおのずから可笑しみが出て来るのだが、この本では、猫の死について多くのページを割いて書かれている。
僕は猫アレルギーながら、猫が好きで次から次へと猫をもらったり、ひろったりして飼ってきた。
猫の数だけ別れがセットでくっついているので、そのときは胸が破れるような思いをするが、「先に死なれるのがイヤ」だからと言って猫を飼うのをやめようと思ったことなどない。
このあたり、自分の恋愛観に近いのかもしれない。
アレルギーで、つらい思いするのがわかっているのに、好きにならずにはいられない。
その点、うちの母方の家系は猫嫌いのDNAが受け継がれているようで、困る。僕はアレルギーという形で出ただけだが、それ以外の家族はひどいものだ。
亡くなった祖母は猫を見ると棒を持って追い払っていた。
祖母が家に来たときは、うちの猫たちは姿を隠していた。
空襲警報で防空壕に逃げてるみたいなものだ。
祖母が帰った後、うちの猫たちはストレスから解放されて、いびきをかいて眠っていた。
母親は「ふだん猫をいじめてるから、化け猫の映画が一番こわい」と言っている。
今でも「ギャア」という猫の叫びが聞こえるから、何事かと思ったら、母親がしっぽを踏んづけていたのである。
1日に1回は必ず踏んでいる。
妹は猫に対しては「しっ、しっ」と追い払う声と、罵る言葉しかかけない。人間の心を読んだり、頭がいいことが我慢ならないらしいのだ。挙げ句の果てには、「爪や歯が危ないから処分する」とまで言い出す始末だ。
昔、子猫をひろってきて飼おうと思ってたら、翌朝目覚めてみると、首をくくられて死んでいたこととか、そりゃ、呪いも祟りもあるだろうよ!と家族に言いたい経験は多々ある。
今、僕の隣では猫が平和そうに眠っている。
こいつを撫でることで、僕は日々のストレスを放電させてもらっているが、この猫にとっても、この家の中での安全地帯は僕だけだと理解しているようだ。
最近は、僕が精神的に落ち込むことが多くて、そんなときに救ってくれるのは人間よりも、この猫で、「何があったの?」と寄ってくる。ストレスや落ち込みを察知しているかのようだ。
そんなわけで、今は僕がこの猫にちょっと頼ってしまっているふしがある。
元気になったら、また遊ぼうね。
マリア様がみてる - パラソルをさして
2005年9月27日 読書
『マリア様がみてる〜パラソルをさして』を読んだ。
この回は、主人公の祐巳がお姉さま祥子に捨てられた悲しみが中心に語られる。
「小笠原祥子さまは、祐巳の生活を彩った。花も宝石も手編みのレースも香水も、色あせるほどきらめく宝物。こんなときめきを与えてくれる人はいない。きっと二度と現れない。
だからそんな素敵なお姉さまに捨てられた自分には、もう何の価値もなくなってしまったのかもしれない。
死ぬとか、生きるとか、そういう現実的なイメージではなくて、祐巳はただ消えてしまいたいと思った。
祥子さまがもういらなくなってしまったのならば、この身を祥子さまの前からなくしてしまいたい。捨てられてもなお祥子さまを慕うこの気持ちが残るのなら、心も連れてこの世界からなくなりたい」
でも、人前でどお〜んと落ち込んで、周囲に迷惑をかけるわけにはいかない。
「けんか別れしたとはいえ、皆の目にはまだ祐巳は小笠原祥子さまの妹なのだ。最後の最後に、お姉さまの顔に泥を塗るようなことはしたくなかった」
心はからっぽになっても、いつもどおりに振る舞うことで、毎瞬をなんとか切り抜けようとする。
「平気って言えるほど復活していないけれど、バスに乗り遅れないように走ることくらいはできる。見ず知らずの生徒に、ほほえみながら挨拶を交わすくらいの余裕はある。
だから、大丈夫。一人でちゃんと帰れる。
いつものように、駅でバスを乗り換えて、停留所からはいつもの道のりをただ家を目指して歩けばいいだけのこと。
右左、右左。
そうして歩いていけば、すぐに家につく。
右左、右左。
そんな風にきっと、明日という日もやって来るに違いない」
それでも、やっぱり、心の痛手はちょっとやそっとじゃ癒えない。
「今は頑張らない。
無理して元気な振りはしない。今は傷ついた子猫だから。傷の舐めて、丸くなって、疲れた心と身体をいたわってやっていいんだ。
きっと、いつか本当に力がわいてくる日のために、今はゆっくり休もう。
明日のことは、また明日考えればいいのだから」
自分の落ち込みを相手のせいにしてはいけない、と必死で心をコントロールする。
「人間関係は一対一が基本だから、祥子さまが祐巳を切り捨てて瞳子ちゃんを引き寄せたとしても、それは祥子さまの決めたことで、瞳子ちゃんには関係ない。
人の気持ちは変わるものだ。ましてや祥子さまは祐巳の所有物でもなんでもなくて、人格をもった一人の人間」
一番つらいのは、一人っきりになれず、誰かと変わらぬ会話を交わしているとき。
「何がおかしいのかわからない。
けれど、たわいのないおしゃべりが、祐巳に笑顔を作らせる。心の中では笑っていないのに、顔の表面だけで笑っている。
その方が楽だから。
つられて、心まで楽しくなるかもしれないから」
とか、落ち込んだ日々を必死で過ごそうとする祐巳。
この作品では、最終的に、和解が訪れる。
「何もかも、もういいや。
この一ヶ月いろいろあったけれど。つらくて悲しくて、どうしようもない気持ちになったけれど。
お姉さまにぶつけたい恨み言の一つや二つ、いや、三つや四つは軽くあって、逆に言わなければよかったって後悔した言葉もたくさんあるけれど。
もう、いいや。
全部忘れて、今はただお姉さまに会いたい」
こんなハッピーエンドになればいいのに、現実はといえば、ため息が出るばかり。
この本は大河津くんにかなり前に借りたものだが、なぜか今まで読めずにいた。
よりによって、このタイミングでこれを読むとは。
読書というのは、おのずと読む時期を選んでくれるものなのだろう。
祐巳の苦しみは、全部自分の現状とオーバーラップした。
僕に欠けているのは最後のハッピーエンドだけだ。
この回は、主人公の祐巳がお姉さま祥子に捨てられた悲しみが中心に語られる。
「小笠原祥子さまは、祐巳の生活を彩った。花も宝石も手編みのレースも香水も、色あせるほどきらめく宝物。こんなときめきを与えてくれる人はいない。きっと二度と現れない。
だからそんな素敵なお姉さまに捨てられた自分には、もう何の価値もなくなってしまったのかもしれない。
死ぬとか、生きるとか、そういう現実的なイメージではなくて、祐巳はただ消えてしまいたいと思った。
祥子さまがもういらなくなってしまったのならば、この身を祥子さまの前からなくしてしまいたい。捨てられてもなお祥子さまを慕うこの気持ちが残るのなら、心も連れてこの世界からなくなりたい」
でも、人前でどお〜んと落ち込んで、周囲に迷惑をかけるわけにはいかない。
「けんか別れしたとはいえ、皆の目にはまだ祐巳は小笠原祥子さまの妹なのだ。最後の最後に、お姉さまの顔に泥を塗るようなことはしたくなかった」
心はからっぽになっても、いつもどおりに振る舞うことで、毎瞬をなんとか切り抜けようとする。
「平気って言えるほど復活していないけれど、バスに乗り遅れないように走ることくらいはできる。見ず知らずの生徒に、ほほえみながら挨拶を交わすくらいの余裕はある。
だから、大丈夫。一人でちゃんと帰れる。
いつものように、駅でバスを乗り換えて、停留所からはいつもの道のりをただ家を目指して歩けばいいだけのこと。
右左、右左。
そうして歩いていけば、すぐに家につく。
右左、右左。
そんな風にきっと、明日という日もやって来るに違いない」
それでも、やっぱり、心の痛手はちょっとやそっとじゃ癒えない。
「今は頑張らない。
無理して元気な振りはしない。今は傷ついた子猫だから。傷の舐めて、丸くなって、疲れた心と身体をいたわってやっていいんだ。
きっと、いつか本当に力がわいてくる日のために、今はゆっくり休もう。
明日のことは、また明日考えればいいのだから」
自分の落ち込みを相手のせいにしてはいけない、と必死で心をコントロールする。
「人間関係は一対一が基本だから、祥子さまが祐巳を切り捨てて瞳子ちゃんを引き寄せたとしても、それは祥子さまの決めたことで、瞳子ちゃんには関係ない。
人の気持ちは変わるものだ。ましてや祥子さまは祐巳の所有物でもなんでもなくて、人格をもった一人の人間」
一番つらいのは、一人っきりになれず、誰かと変わらぬ会話を交わしているとき。
「何がおかしいのかわからない。
けれど、たわいのないおしゃべりが、祐巳に笑顔を作らせる。心の中では笑っていないのに、顔の表面だけで笑っている。
その方が楽だから。
つられて、心まで楽しくなるかもしれないから」
とか、落ち込んだ日々を必死で過ごそうとする祐巳。
この作品では、最終的に、和解が訪れる。
「何もかも、もういいや。
この一ヶ月いろいろあったけれど。つらくて悲しくて、どうしようもない気持ちになったけれど。
お姉さまにぶつけたい恨み言の一つや二つ、いや、三つや四つは軽くあって、逆に言わなければよかったって後悔した言葉もたくさんあるけれど。
もう、いいや。
全部忘れて、今はただお姉さまに会いたい」
こんなハッピーエンドになればいいのに、現実はといえば、ため息が出るばかり。
この本は大河津くんにかなり前に借りたものだが、なぜか今まで読めずにいた。
よりによって、このタイミングでこれを読むとは。
読書というのは、おのずと読む時期を選んでくれるものなのだろう。
祐巳の苦しみは、全部自分の現状とオーバーラップした。
僕に欠けているのは最後のハッピーエンドだけだ。
田代裕彦の『平井骸惚此中ニ有リ』を読んだ。
宮武外骨此中ニ在リみたいなタイトルだが、宮武外骨は無関係。「平井」の方に関係がある。(江戸川乱歩の本名)
本作は全5巻になっており、その第1巻。
時代は大正時代。探偵小説作家の平井骸惚に弟子入り志願の帝大生河上太一が密室事件に挑む。
結局解決するのは平井骸惚の方なのだが、うまく言いくるめられて、弟子入りすることに成功する。
全体が講談調の語り口になっているが、会話も多く、平井家の娘、涼(すず)が太一に対抗心を燃やしていたりして、物語が面白くて読みやすい。
密室のトリックは、なぜあえて密室の話にしたのかなあ、と思った。かなり有名な前例があるトリックを使っており、推理小説としてのカタルシスは零点と言っていい。
暗号も出てくるが、乱歩の『二銭銅貨』の暗号をそのまま使っただけなので、単なる雰囲気作りでしかない。
以上、推理小説のネタとしてはまったくお話にならないのだが、だからつまらないかと言えば、そうではない。
この作品は、推理小説を舞台にした青春ライトノベルなのだ。
江戸川乱歩のデビューした時代を背景にした物語というだけで、わくわくしてくるではないか。
ただし、これは僕が神経質なだけかもしれないのだが、「すべからく」の使い方にはひっかかった。プロの作家でも、たとえば島田荘司などが「すべからく」の使い方を誤っており、それを読んで「すべからく」という言葉になじんだ人が同様に間違った使い方をしているのだが、どうにもひっかかってしかたがない。
「すべからく〜べし」なのだ。これは「決して〜ない」「必ずしも〜ない」みたいなセットなので、これを抜かして文章を終わられると、「お〜とっとお」とこけそうになる。
「考えられることは2つある」と言っておいて、1つしか言わずに帰ってしまうような置き去り感がある。「この後、どこかに行きますか」と言われて「じゃあ、コーヒーでも」と答えたら「喫茶店へどうぞ。私は家に帰ります」と返されたみたいなもんだ。
なお、この作品はライトノベルだから、萌えどころもあるが、それは太一を慕う妹の方。
次巻からの妹の活躍を願う。
宮武外骨此中ニ在リみたいなタイトルだが、宮武外骨は無関係。「平井」の方に関係がある。(江戸川乱歩の本名)
本作は全5巻になっており、その第1巻。
時代は大正時代。探偵小説作家の平井骸惚に弟子入り志願の帝大生河上太一が密室事件に挑む。
結局解決するのは平井骸惚の方なのだが、うまく言いくるめられて、弟子入りすることに成功する。
全体が講談調の語り口になっているが、会話も多く、平井家の娘、涼(すず)が太一に対抗心を燃やしていたりして、物語が面白くて読みやすい。
密室のトリックは、なぜあえて密室の話にしたのかなあ、と思った。かなり有名な前例があるトリックを使っており、推理小説としてのカタルシスは零点と言っていい。
暗号も出てくるが、乱歩の『二銭銅貨』の暗号をそのまま使っただけなので、単なる雰囲気作りでしかない。
以上、推理小説のネタとしてはまったくお話にならないのだが、だからつまらないかと言えば、そうではない。
この作品は、推理小説を舞台にした青春ライトノベルなのだ。
江戸川乱歩のデビューした時代を背景にした物語というだけで、わくわくしてくるではないか。
ただし、これは僕が神経質なだけかもしれないのだが、「すべからく」の使い方にはひっかかった。プロの作家でも、たとえば島田荘司などが「すべからく」の使い方を誤っており、それを読んで「すべからく」という言葉になじんだ人が同様に間違った使い方をしているのだが、どうにもひっかかってしかたがない。
「すべからく〜べし」なのだ。これは「決して〜ない」「必ずしも〜ない」みたいなセットなので、これを抜かして文章を終わられると、「お〜とっとお」とこけそうになる。
「考えられることは2つある」と言っておいて、1つしか言わずに帰ってしまうような置き去り感がある。「この後、どこかに行きますか」と言われて「じゃあ、コーヒーでも」と答えたら「喫茶店へどうぞ。私は家に帰ります」と返されたみたいなもんだ。
なお、この作品はライトノベルだから、萌えどころもあるが、それは太一を慕う妹の方。
次巻からの妹の活躍を願う。
ペット博でSTS、佐藤聰明、ナザーロフ
2005年9月25日 アイドル
今日は朝からペット博。
STSのユニットライブがあるのだ。
まず、午前11時半の1回目。
ポケモン選抜「めざせポケモンマスター」
ブラックベリーズ「Sexy,Naughty,Bitcy」
プリッツ「Go Ahead」
いちごっ娘「Uki Uki Baby」
2回目は午後1時。
ポケモン選抜「めざせポケモンマスター」
ブラックベリーズ「Can’t be Stopped」
プリッツ「Go Ahead」
いちごっ娘「Get Your Groove」
各ユニット1曲ずつで、時間が短かすぎる!
ペット博は、犬好き大集合イベントで、猫だのうさぎだの鳥だの爬虫類だの甲虫だのもいたが、肩身が狭そうだった。
会場にペットを連れてきてもいいので、うれしがって犬を連れてきた人が多かった。
僕の目には犬が弁当のおかず、揚げ物に見えてしかたなかった。けもの臭い肉。
混雑していたので、歩いていて何度犬を蹴ってしまったか知れない。
ふれ愛コーナーでは、やはり犬が中心で、猫に触れる時間は1日のうち、ほんのわずかだった。
そして、この猫、四方八方から触られまくっているのに、ピクリとも反応せず、おとなしくしている。
猫らしくない。脳手術を受けてマヒしてるのか、それとも、薬物でトリップしてるのか。
痛々しかった。
犬に服を着せる人が多く、ペット博でも犬用の服を山ほど売っていたが、犬は喜んでいるのか?
その後、まほいみぃのイベントに行く予定だったが、長蛇の列におそれをなして、やめてしまった。
CD購入でイベントに参加できるのだが、CDの値段が不明で、どんな曲なのかも未チェックだった。
りえむらの録画でも見て、また機会があれば見てみたい。
信長書店側は「場所を貸しているだけ」みたいな感じで、本当にここでイベントやるのかどうかもわかりにくかった。
帰宅して、現代の音楽。佐藤聰明特集。これが気持いい。
ともすれば腐ってしまいがちな感情が、「太陽讃歌」によって、太陽エネルギーが充填されていくのが実感される。音楽には力があるんだ、と思った。作者はヒーリングのことなどたぶん考えてもいないのだが、音楽というものそのものに力があるんだ、と思った。
今日はだらだらと過ごしてしまったので、エドゥアールド・ナザーロフのアニメーション特集を見た。
ロシアのアニメで、全部で7編。
あらすじを書いてしまうので、見たい人は要注意。
1、ひとりぼっちのカバ (1975年/6分)
カバはひとりぼっちで寂しい。でも、アリや蜂が群れているのを見て、もしもこれがカバだったら、と想像すると、うるさくって仕方ないと思い直す。でも、寂しさは癒えない。カバに気の合ったもう1頭のカバがあらわれ、孤独が癒える。
孤独を癒すのは、大勢でワイワイやることではなく、大切な人が1人いればいいんだ、と思い知らされる。
2、お姫様と怪人 (1977年/5分)
罠にはまったお姫様を食べてしまおうとする怪人。でも、お姫様の可憐さ、優しさにほだされて、お姫様を食べることができない。
同じ設定で、もしお姫様がわがままだったら。怪人はお姫様の傍若無人に手を焼いて、こんなのは食べたくない、と追い返す。
どっちにしても、お姫様は助かってしまうのだ。
素直で純朴な少女も、わがままで厄介な少女も、どちらも最強だってことか。
3、猛獣狩り (1979年/10分)
都会の銃砲店。ライオンを仕留めて満足顔のハンターの写真が飾ってある。少年は想像で大陸に思いを馳せる。伸び伸びと駆け回る動物たちと一緒に駆ける少年。ライオンを狙うハンターを見つけた少年は、ハンターに銃口を向ける。発射されたのはゴムの矢で、ライオンは満足気に少年を見ながら悠然と去っていく。
実弾でなく、ゴムの矢でホッとした。敵や殺人者の命を尊重してこそ、人間の道なんだ。復讐や仕返しや見せしめや制裁なんて論外。
4、犬が住んでいました (1982年/10分)
番犬として役立たずの犬は家を追い出される。獲物をとらえる力もなく、飢えた犬に、狼が声をかける。狼と犬はひと芝居打つ。狼が飼い主の家の子供をさらい、犬が狼と格闘、無事にこどもを取り返すのだ。犬は元通り、飼い犬にカムバック。犬はお礼に、宴会に狼を呼んで、食事をこっそりとふるまう。
犬は番犬になって食い扶持を得る道がある。でも、狼はどうなんだ。老いた狼の孤独が強烈に印象に残った。
5、アリの冒険 (1983年/10分)
あー、あらすじ書くの面倒になってきた。
昆虫の生態が見事に描かれていた。
6、シードロフ・ヴォーヴァに愛を込めて (1985年/10分)
過保護に育てられたシードロフ・ヴォーヴァは母親と一緒に軍に入隊、食事も着替えも全部親の手を借りる。
7、マルティンコの奇跡 (1987分/12分)
魔力のあるカ−ドによって、ギャンブルで負けなしのマルティンコ。その力でなんでも思いのまま。策略でカードを奪われたマルティンコは、頭に角がはえてしまう林檎の力で、カードを取り戻し、お妃を得る。カードはそのときに失われてしまうけど、それでもめでたし、めでたし。
録画しておいた「電車男」の最終回をやっと見れた。
このドラマ見てわかったのは、エルメスの狂気だ。多くの登場人物が出て来たドラマだが、エルメスが一番、いや、唯一狂っている。こんな狂った女とつきあうことになった電車男こそ、最大の被害者だ。
大相撲、朝青龍の逆転優勝。強い!
K1のサップVSホンマンのだらだらぶりとは違って、見ていてスカッとした。
今の最強はヒョードルと朝青龍が双璧だ。
あとはみんな雑魚。
STSのユニットライブがあるのだ。
まず、午前11時半の1回目。
ポケモン選抜「めざせポケモンマスター」
ブラックベリーズ「Sexy,Naughty,Bitcy」
プリッツ「Go Ahead」
いちごっ娘「Uki Uki Baby」
2回目は午後1時。
ポケモン選抜「めざせポケモンマスター」
ブラックベリーズ「Can’t be Stopped」
プリッツ「Go Ahead」
いちごっ娘「Get Your Groove」
各ユニット1曲ずつで、時間が短かすぎる!
ペット博は、犬好き大集合イベントで、猫だのうさぎだの鳥だの爬虫類だの甲虫だのもいたが、肩身が狭そうだった。
会場にペットを連れてきてもいいので、うれしがって犬を連れてきた人が多かった。
僕の目には犬が弁当のおかず、揚げ物に見えてしかたなかった。けもの臭い肉。
混雑していたので、歩いていて何度犬を蹴ってしまったか知れない。
ふれ愛コーナーでは、やはり犬が中心で、猫に触れる時間は1日のうち、ほんのわずかだった。
そして、この猫、四方八方から触られまくっているのに、ピクリとも反応せず、おとなしくしている。
猫らしくない。脳手術を受けてマヒしてるのか、それとも、薬物でトリップしてるのか。
痛々しかった。
犬に服を着せる人が多く、ペット博でも犬用の服を山ほど売っていたが、犬は喜んでいるのか?
その後、まほいみぃのイベントに行く予定だったが、長蛇の列におそれをなして、やめてしまった。
CD購入でイベントに参加できるのだが、CDの値段が不明で、どんな曲なのかも未チェックだった。
りえむらの録画でも見て、また機会があれば見てみたい。
信長書店側は「場所を貸しているだけ」みたいな感じで、本当にここでイベントやるのかどうかもわかりにくかった。
帰宅して、現代の音楽。佐藤聰明特集。これが気持いい。
ともすれば腐ってしまいがちな感情が、「太陽讃歌」によって、太陽エネルギーが充填されていくのが実感される。音楽には力があるんだ、と思った。作者はヒーリングのことなどたぶん考えてもいないのだが、音楽というものそのものに力があるんだ、と思った。
今日はだらだらと過ごしてしまったので、エドゥアールド・ナザーロフのアニメーション特集を見た。
ロシアのアニメで、全部で7編。
あらすじを書いてしまうので、見たい人は要注意。
1、ひとりぼっちのカバ (1975年/6分)
カバはひとりぼっちで寂しい。でも、アリや蜂が群れているのを見て、もしもこれがカバだったら、と想像すると、うるさくって仕方ないと思い直す。でも、寂しさは癒えない。カバに気の合ったもう1頭のカバがあらわれ、孤独が癒える。
孤独を癒すのは、大勢でワイワイやることではなく、大切な人が1人いればいいんだ、と思い知らされる。
2、お姫様と怪人 (1977年/5分)
罠にはまったお姫様を食べてしまおうとする怪人。でも、お姫様の可憐さ、優しさにほだされて、お姫様を食べることができない。
同じ設定で、もしお姫様がわがままだったら。怪人はお姫様の傍若無人に手を焼いて、こんなのは食べたくない、と追い返す。
どっちにしても、お姫様は助かってしまうのだ。
素直で純朴な少女も、わがままで厄介な少女も、どちらも最強だってことか。
3、猛獣狩り (1979年/10分)
都会の銃砲店。ライオンを仕留めて満足顔のハンターの写真が飾ってある。少年は想像で大陸に思いを馳せる。伸び伸びと駆け回る動物たちと一緒に駆ける少年。ライオンを狙うハンターを見つけた少年は、ハンターに銃口を向ける。発射されたのはゴムの矢で、ライオンは満足気に少年を見ながら悠然と去っていく。
実弾でなく、ゴムの矢でホッとした。敵や殺人者の命を尊重してこそ、人間の道なんだ。復讐や仕返しや見せしめや制裁なんて論外。
4、犬が住んでいました (1982年/10分)
番犬として役立たずの犬は家を追い出される。獲物をとらえる力もなく、飢えた犬に、狼が声をかける。狼と犬はひと芝居打つ。狼が飼い主の家の子供をさらい、犬が狼と格闘、無事にこどもを取り返すのだ。犬は元通り、飼い犬にカムバック。犬はお礼に、宴会に狼を呼んで、食事をこっそりとふるまう。
犬は番犬になって食い扶持を得る道がある。でも、狼はどうなんだ。老いた狼の孤独が強烈に印象に残った。
5、アリの冒険 (1983年/10分)
あー、あらすじ書くの面倒になってきた。
昆虫の生態が見事に描かれていた。
6、シードロフ・ヴォーヴァに愛を込めて (1985年/10分)
過保護に育てられたシードロフ・ヴォーヴァは母親と一緒に軍に入隊、食事も着替えも全部親の手を借りる。
7、マルティンコの奇跡 (1987分/12分)
魔力のあるカ−ドによって、ギャンブルで負けなしのマルティンコ。その力でなんでも思いのまま。策略でカードを奪われたマルティンコは、頭に角がはえてしまう林檎の力で、カードを取り戻し、お妃を得る。カードはそのときに失われてしまうけど、それでもめでたし、めでたし。
録画しておいた「電車男」の最終回をやっと見れた。
このドラマ見てわかったのは、エルメスの狂気だ。多くの登場人物が出て来たドラマだが、エルメスが一番、いや、唯一狂っている。こんな狂った女とつきあうことになった電車男こそ、最大の被害者だ。
大相撲、朝青龍の逆転優勝。強い!
K1のサップVSホンマンのだらだらぶりとは違って、見ていてスカッとした。
今の最強はヒョードルと朝青龍が双璧だ。
あとはみんな雑魚。
心斎橋大丸前で、おかめふくのストリートライブ。
今日は2回ステージで、たっぷりと彼女たちの歌を堪能できた。
(1回目)
ぼくらはみらいのたんけんたい
ホウキ雲
三日月ラプソディー
FLY!!
Best Friend
てんきゅっ!
(2回目)
わぴこ元気予報
ここにしか咲かない花
一人旅シャラルラン
いいお天気
パフィーメドレー
(アンコール)
おかめふくソング
イヤー、可愛いったらありゃしない。
しかし、道行く人々が、歌っているおかめふくをチラッと見た後、ウチワをふって応援している僕などをじっくり見て嘲り笑いながら通り過ぎていく光景を見ると、まだまだ心斎橋の民度の低さを痛感せざるをえない。
僕なんか見ずに、おかめふくを見ろ!
おかめふくがライブ後に、お客さんのところに来て、お礼を言っているところなど、とても好感が持てる。
僕はなぜか「ハデハデマン」とあだ名で呼ばれた。
カラフルではあるが、派手じゃないつもりなのに。
まあ、ハデハデマンでいいや。
いや、僕はハデハデマンだ!
今、覚醒した!
我はハデハデマンなり。他の何ものでもなし!
今日は2回ステージで、たっぷりと彼女たちの歌を堪能できた。
(1回目)
ぼくらはみらいのたんけんたい
ホウキ雲
三日月ラプソディー
FLY!!
Best Friend
てんきゅっ!
(2回目)
わぴこ元気予報
ここにしか咲かない花
一人旅シャラルラン
いいお天気
パフィーメドレー
(アンコール)
おかめふくソング
イヤー、可愛いったらありゃしない。
しかし、道行く人々が、歌っているおかめふくをチラッと見た後、ウチワをふって応援している僕などをじっくり見て嘲り笑いながら通り過ぎていく光景を見ると、まだまだ心斎橋の民度の低さを痛感せざるをえない。
僕なんか見ずに、おかめふくを見ろ!
おかめふくがライブ後に、お客さんのところに来て、お礼を言っているところなど、とても好感が持てる。
僕はなぜか「ハデハデマン」とあだ名で呼ばれた。
カラフルではあるが、派手じゃないつもりなのに。
まあ、ハデハデマンでいいや。
いや、僕はハデハデマンだ!
今、覚醒した!
我はハデハデマンなり。他の何ものでもなし!
後藤真希コンサート〜はたち〜
2005年9月23日 アイドル
後藤真希コンサートツアー2005秋〜はたち〜を見て来た。
大阪国際会議場メインホールで午後7時から。
ゲストは稲葉貴子。
ステージには巨大なミラーボールが置いてある。
ライブはじまりでその銀玉が回って上に上がる。
サードアルバム「3rdステーション」を中心に組み立てられている。
以下、演目。
エキゾなDISCO(3rd)
LIKE A GAME ( 溢れちゃう…BE IN LOVE のカップリング)
シンガポール トランジット(3rd)
19歳のひとり言(3rd)
来来(ライライ)!「福家(シンフー)」(3rd)
Don’t Stop 恋愛中(T&Cボンバー)
人知れず 胸を奏でる 夜の秋(プリプリピンク。2番は稲葉のみ)
ステーション(3rd)
もしも終わりがあるのなら (スッピンと涙のカップリング)
LOVE BELIVE IT! (2nd)
抱いてよPLEASE GO ON!
稲葉のごっちんツアー観察日記(「シンフー」、OPDネタ。観客席を写真撮影とか稲葉のパソコンキーボード初心者ぶりに萌え)
さよなら「友達にはなりたくないの」
ALL MY LOVE〜22世紀〜 (さよなら「友達にはなりたくないの」のカップリング)
愛のバカやろう
ポジティブ元気!(3rd)
原色GAL 派手にいくべ!
スッピンと涙。
以下、アンコール
うわさのSEXY GUY
スクランブル
以上、全19曲。2時間。
ツア−初日で後藤真希の誕生日だったので、アンコールでの観客席は青いサイリウムで誕生を祝う。
ファンがサイリウムを配っていた。
こういうアイドルへの客席からのプレゼントは定着してきたようで、いい感じ。
MC中に、期せずして起こる「ハッピーバースデイ」の大合唱。
ライブがはじまる前も終わってからも、ファンの声援は止まない。
いやー、モーニング娘。のライブで客のさめ方にガッカリしていた(アンコールのかけ声をかけない、とか)のに、後藤真希はすごい。
巨大ミラーボールをステージに配したわりに、はたち(大人)のコンサートを演出したかったせいか、しっとりした曲も多く、会場をダンスホールにすることはできなかったが、十分に面白かった。
後藤真希の衣装替えの多さにも感嘆した。
なお、僕はファミリー席だが2階の最前列中央、というまさに特等席で見ることができ、ライブの楽しさを堪能した。
大阪国際会議場メインホールで午後7時から。
ゲストは稲葉貴子。
ステージには巨大なミラーボールが置いてある。
ライブはじまりでその銀玉が回って上に上がる。
サードアルバム「3rdステーション」を中心に組み立てられている。
以下、演目。
エキゾなDISCO(3rd)
LIKE A GAME ( 溢れちゃう…BE IN LOVE のカップリング)
シンガポール トランジット(3rd)
19歳のひとり言(3rd)
来来(ライライ)!「福家(シンフー)」(3rd)
Don’t Stop 恋愛中(T&Cボンバー)
人知れず 胸を奏でる 夜の秋(プリプリピンク。2番は稲葉のみ)
ステーション(3rd)
もしも終わりがあるのなら (スッピンと涙のカップリング)
LOVE BELIVE IT! (2nd)
抱いてよPLEASE GO ON!
稲葉のごっちんツアー観察日記(「シンフー」、OPDネタ。観客席を写真撮影とか稲葉のパソコンキーボード初心者ぶりに萌え)
さよなら「友達にはなりたくないの」
ALL MY LOVE〜22世紀〜 (さよなら「友達にはなりたくないの」のカップリング)
愛のバカやろう
ポジティブ元気!(3rd)
原色GAL 派手にいくべ!
スッピンと涙。
以下、アンコール
うわさのSEXY GUY
スクランブル
以上、全19曲。2時間。
ツア−初日で後藤真希の誕生日だったので、アンコールでの観客席は青いサイリウムで誕生を祝う。
ファンがサイリウムを配っていた。
こういうアイドルへの客席からのプレゼントは定着してきたようで、いい感じ。
MC中に、期せずして起こる「ハッピーバースデイ」の大合唱。
ライブがはじまる前も終わってからも、ファンの声援は止まない。
いやー、モーニング娘。のライブで客のさめ方にガッカリしていた(アンコールのかけ声をかけない、とか)のに、後藤真希はすごい。
巨大ミラーボールをステージに配したわりに、はたち(大人)のコンサートを演出したかったせいか、しっとりした曲も多く、会場をダンスホールにすることはできなかったが、十分に面白かった。
後藤真希の衣装替えの多さにも感嘆した。
なお、僕はファミリー席だが2階の最前列中央、というまさに特等席で見ることができ、ライブの楽しさを堪能した。
大衆の侮蔑―現代社会における文化闘争についての試論
2005年9月22日 読書
ペーター・スローターダイクの『大衆の侮蔑』を読んだ。
現代社会では知識人は大衆を侮蔑し、大衆は知識人を侮蔑する。万人が侮蔑しているのだ。
せこい!
「大衆文化は自己自身を関心を持たれる存在にしようとする試み、つまり自分を他人よりも良く見せようとする試みの全てが挫折することを前提に成立している」
ウワー、大衆文化って、サイテー!
そう言えば、マスコミのやってることって、偉い人のドジな一面をクローズアップしたり、堕ちた偶像、メッキが剥がれたカリスマ、ヒーロー転落、汚い裏話みたいなのが多い。マスコミだけでなく、2ちゃんねるなどもよく似たものじゃないか、と思っている。どう?
ニーチェがツァラトゥストゥラを通して大衆像を描いている。
ツァラトゥストゥラの目に人間が侮蔑すべき存在として映ずるのは、彼らが月並みで、有限で、水平的なものの中で尽きてしまう「ちょっとした欲求」に止まろうとするからだ。
そこで分析されるのが、ヒトラーだ。大衆がヒトラーを支持し、熱狂したのは何故か、について語るスローターダイクの口調は、皮肉に富んでいて愉快だ。
「(ヒトラーは)倒錯したマリオネットであること、言い換えれば、明らかに自殺傾向を持ち、自分の殻に閉じこもり、食糞性でインポテントなマザコン男であることを自分の頭では理解していなかったとしても、彼のヒステリー的、野卑で誇大妄想的、かつコメディアンじみた特性は、最初から公共的、直接的に明らかだった」
ボロクソだ。
「ヒトラー狂は、その本質から見て、公共的なカルト・メディアとしての総統の姿を通して欲情を駆り立てられた凡庸なる者たちの自己崇拝以外の何ものでもない」
ヒトラーは大衆に対しては敵対者であったことは1度もなく、彼らの代表者だったのだ。
「何らかの特殊性ゆえに彼の出番が来たわけではなく、疑いの余地ない粗雑さと、際立った陳腐さゆえに、彼が出て来たのである」
大衆は完全無欠のヒーローを欲せず、等身大で親近感の湧く者を評価する。
カニは自分の甲羅にあわせて穴を掘るってやつだ。
せこい!侮蔑されて当然!
スローターダイクは、この大衆の傾向を、現代になってからふってわいた問題ではなく、ヨーロッパにおいては歴史的な問題だとして、考察をすすめる。
ヤスパースはこう言っている。
「新しい世紀は、人間と市民の同質=平等化を普遍的に実現しようとする。貴族があるとすれば、私はどうやって貴族的でないことに堪えたらいいのか?つまるところ、貴族はいないのだ!」
ハイデッガーは『存在と時間』でこう言う。
「我々は人が享楽するように享楽し、娯楽する。我々は人が見て批評するように、文学と芸術を読み、見、そして批評する」
「誰もが別の誰かであって、誰も自分自身ではない。人は、誰でもないのである」
ヨーロッパでのこういう語り口は、アメリカではすっかり大衆の側に立った考えに染まる。
リチャード・ローティは知識人をきどった階級としてこきおろしている。
出る杭は打ってしまう、大衆文化には、出口はないのだろうか。
カネッティがかつて描いた群集は、実際に人間が集まる「群集」だったので、そこから革命の起こる可能性もあった。しかし、今は大衆は集まらずに、個人1人1人が大衆なのである。
スローターダイクの見い出した出口は芸術だ。
大衆は、脚光をあびている人物に対して、「あんなのは運がよかっただけだ」「親の七光り」「バックに実力者がついているからだ」「金の力にものを言わせた」「トップの人間に媚びたからだ」「既得権益」「大人の事情」などと、実力をそのまま認めず、自分がなりかわることのできるものとして考える。
しかし、芸術については、大衆は、自分が36回生まれ変わってもあんな素晴らしい作品を作ることなど出来ない、とわかり、一転して持ち上げてほめるのだ。
このスローターダイクの考えがどこまで当たっているのかはわからないが、芸術家が大衆文化の突破口を作るという発想は、形を変えた知識人と大衆の関係と、あまり変わらないような気もする。
大衆は知識人を自分と同じ位置までひきずりおろす。芸術家だって同じ扱いをされるんじゃないか?岡本太郎を単なる変なオッサンとしてマスコミは扱って来なかったとでも言うのか?
この本は、いずれ安井くんに貸してもらう『大衆の反逆』にインスパイアされてチョイスして読んだのだが、本書ではオルテガの名前は一切出てこなかった。
この本がオルテガの論とどう関連しているのか、あるいは、まったく別の話なのか、いずれオルテガを読む日まで、わからない。
現代社会では知識人は大衆を侮蔑し、大衆は知識人を侮蔑する。万人が侮蔑しているのだ。
せこい!
「大衆文化は自己自身を関心を持たれる存在にしようとする試み、つまり自分を他人よりも良く見せようとする試みの全てが挫折することを前提に成立している」
ウワー、大衆文化って、サイテー!
そう言えば、マスコミのやってることって、偉い人のドジな一面をクローズアップしたり、堕ちた偶像、メッキが剥がれたカリスマ、ヒーロー転落、汚い裏話みたいなのが多い。マスコミだけでなく、2ちゃんねるなどもよく似たものじゃないか、と思っている。どう?
ニーチェがツァラトゥストゥラを通して大衆像を描いている。
ツァラトゥストゥラの目に人間が侮蔑すべき存在として映ずるのは、彼らが月並みで、有限で、水平的なものの中で尽きてしまう「ちょっとした欲求」に止まろうとするからだ。
そこで分析されるのが、ヒトラーだ。大衆がヒトラーを支持し、熱狂したのは何故か、について語るスローターダイクの口調は、皮肉に富んでいて愉快だ。
「(ヒトラーは)倒錯したマリオネットであること、言い換えれば、明らかに自殺傾向を持ち、自分の殻に閉じこもり、食糞性でインポテントなマザコン男であることを自分の頭では理解していなかったとしても、彼のヒステリー的、野卑で誇大妄想的、かつコメディアンじみた特性は、最初から公共的、直接的に明らかだった」
ボロクソだ。
「ヒトラー狂は、その本質から見て、公共的なカルト・メディアとしての総統の姿を通して欲情を駆り立てられた凡庸なる者たちの自己崇拝以外の何ものでもない」
ヒトラーは大衆に対しては敵対者であったことは1度もなく、彼らの代表者だったのだ。
「何らかの特殊性ゆえに彼の出番が来たわけではなく、疑いの余地ない粗雑さと、際立った陳腐さゆえに、彼が出て来たのである」
大衆は完全無欠のヒーローを欲せず、等身大で親近感の湧く者を評価する。
カニは自分の甲羅にあわせて穴を掘るってやつだ。
せこい!侮蔑されて当然!
スローターダイクは、この大衆の傾向を、現代になってからふってわいた問題ではなく、ヨーロッパにおいては歴史的な問題だとして、考察をすすめる。
ヤスパースはこう言っている。
「新しい世紀は、人間と市民の同質=平等化を普遍的に実現しようとする。貴族があるとすれば、私はどうやって貴族的でないことに堪えたらいいのか?つまるところ、貴族はいないのだ!」
ハイデッガーは『存在と時間』でこう言う。
「我々は人が享楽するように享楽し、娯楽する。我々は人が見て批評するように、文学と芸術を読み、見、そして批評する」
「誰もが別の誰かであって、誰も自分自身ではない。人は、誰でもないのである」
ヨーロッパでのこういう語り口は、アメリカではすっかり大衆の側に立った考えに染まる。
リチャード・ローティは知識人をきどった階級としてこきおろしている。
出る杭は打ってしまう、大衆文化には、出口はないのだろうか。
カネッティがかつて描いた群集は、実際に人間が集まる「群集」だったので、そこから革命の起こる可能性もあった。しかし、今は大衆は集まらずに、個人1人1人が大衆なのである。
スローターダイクの見い出した出口は芸術だ。
大衆は、脚光をあびている人物に対して、「あんなのは運がよかっただけだ」「親の七光り」「バックに実力者がついているからだ」「金の力にものを言わせた」「トップの人間に媚びたからだ」「既得権益」「大人の事情」などと、実力をそのまま認めず、自分がなりかわることのできるものとして考える。
しかし、芸術については、大衆は、自分が36回生まれ変わってもあんな素晴らしい作品を作ることなど出来ない、とわかり、一転して持ち上げてほめるのだ。
このスローターダイクの考えがどこまで当たっているのかはわからないが、芸術家が大衆文化の突破口を作るという発想は、形を変えた知識人と大衆の関係と、あまり変わらないような気もする。
大衆は知識人を自分と同じ位置までひきずりおろす。芸術家だって同じ扱いをされるんじゃないか?岡本太郎を単なる変なオッサンとしてマスコミは扱って来なかったとでも言うのか?
この本は、いずれ安井くんに貸してもらう『大衆の反逆』にインスパイアされてチョイスして読んだのだが、本書ではオルテガの名前は一切出てこなかった。
この本がオルテガの論とどう関連しているのか、あるいは、まったく別の話なのか、いずれオルテガを読む日まで、わからない。
音楽と意図―ヒットチャート考現学!
2005年9月21日 読書
ターザン山本!の『音楽と意図』を読んだ。
かんちゃんに借りて読んだヒットチャート考現学の本。
ほとんどJ-POPを聞かないターザン山本!が毎回4曲J-POPを聞いて、その場で託宣のように音楽と時代を断言批評する。
どんなにヒットしている曲でもボロクソにけなすし、いいと思ったら持ち上げまくる。
思ったとおりに言って、裏がないのが気持いい。
音楽は時代を映す鏡である、という言葉があるが、ターザン山本!にとっては、それは当為目標で、音楽は時代を反映してなきゃ駄目!なのだ。
そして、その時代も静態的なものではなく、時代を切り開いていく発想がアジテーションされる。
こういう考え方は、かつてのロックの考え方だった。
今じゃ、J-POPに時代を切り開く使命を帯びさせようなど、荷がかちすぎるように思ってしまっていたが、ターザン山本!みたいに、どんなものにも可能性を託してみるのもいいかもしれない。
かんちゃんに借りて読んだヒットチャート考現学の本。
ほとんどJ-POPを聞かないターザン山本!が毎回4曲J-POPを聞いて、その場で託宣のように音楽と時代を断言批評する。
どんなにヒットしている曲でもボロクソにけなすし、いいと思ったら持ち上げまくる。
思ったとおりに言って、裏がないのが気持いい。
音楽は時代を映す鏡である、という言葉があるが、ターザン山本!にとっては、それは当為目標で、音楽は時代を反映してなきゃ駄目!なのだ。
そして、その時代も静態的なものではなく、時代を切り開いていく発想がアジテーションされる。
こういう考え方は、かつてのロックの考え方だった。
今じゃ、J-POPに時代を切り開く使命を帯びさせようなど、荷がかちすぎるように思ってしまっていたが、ターザン山本!みたいに、どんなものにも可能性を託してみるのもいいかもしれない。
昭和の子供 懐かしの妖怪図鑑
2005年9月20日 読書妖怪王グループが執筆した『昭和の子供 懐かしの妖怪図鑑』を読んだ。
昭和に刊行された水木しげる、中岡俊哉、佐藤有文らの妖怪本へのオマージュ。
第1章ではどんな妖怪図鑑が昭和に刊行されたか、執筆者それぞれの特徴など、紹介されている。
第2章では、それら昭和の妖怪本からチョイスした百の妖怪を、現代のイラストレイターが描きなおし、解説も現代の視点から行っている。
と、聞けば、読みどころは第2章のはずなのだが、これが反対。
第2章の妖怪図鑑を描くイラストレイターは複数で、それぞれに画風も違う。しかも、安っぽい漫画チックな絵も多く、同人誌ならともかく、一般書籍のレベルからいくと、首をかしげるものも多い。
妖怪の解説を読んでただ想像をふくらませた方がマシなものも多かった。
また、解説がときおり「ツッコミ」に走るのもどうかと思った。
読んでいて面白かったのは第1章の方で、いろんな妖怪図鑑を思い出して懐かしかった。
『妖怪なんでも入門』
『妖怪おもしろ大図解』
『日本妖怪図鑑』
『妖怪大図鑑』
『悪魔全書』
『日本の妖怪大図鑑』
『モンスター大図鑑』
『完全図解・妖怪ミステリー』
『日本の怪奇』
『幽霊と妖怪の世界』
『妖怪学入門』
『世界のモンスター』
『世界の怪奇スリラー』
『世界の怪奇画報』
『妖怪世界編入門』
などなど。懐かしい。
この本を読んで、はからずも、昭和の妖怪図鑑がすぐれて面白かったことを証明してしまった形だ。
昭和に刊行された水木しげる、中岡俊哉、佐藤有文らの妖怪本へのオマージュ。
第1章ではどんな妖怪図鑑が昭和に刊行されたか、執筆者それぞれの特徴など、紹介されている。
第2章では、それら昭和の妖怪本からチョイスした百の妖怪を、現代のイラストレイターが描きなおし、解説も現代の視点から行っている。
と、聞けば、読みどころは第2章のはずなのだが、これが反対。
第2章の妖怪図鑑を描くイラストレイターは複数で、それぞれに画風も違う。しかも、安っぽい漫画チックな絵も多く、同人誌ならともかく、一般書籍のレベルからいくと、首をかしげるものも多い。
妖怪の解説を読んでただ想像をふくらませた方がマシなものも多かった。
また、解説がときおり「ツッコミ」に走るのもどうかと思った。
読んでいて面白かったのは第1章の方で、いろんな妖怪図鑑を思い出して懐かしかった。
『妖怪なんでも入門』
『妖怪おもしろ大図解』
『日本妖怪図鑑』
『妖怪大図鑑』
『悪魔全書』
『日本の妖怪大図鑑』
『モンスター大図鑑』
『完全図解・妖怪ミステリー』
『日本の怪奇』
『幽霊と妖怪の世界』
『妖怪学入門』
『世界のモンスター』
『世界の怪奇スリラー』
『世界の怪奇画報』
『妖怪世界編入門』
などなど。懐かしい。
この本を読んで、はからずも、昭和の妖怪図鑑がすぐれて面白かったことを証明してしまった形だ。
TOUCH、ダンシングBANANA
2005年9月19日 アイドル西成区民ホールで午後1時から「ふれあい咲かそ敬老の日チャリティイベント」
中国民族楽器揚琴の演奏あり、韓国舞踊あり、河内音頭西成音頭あり。
市会議員さんらの挨拶も何人も。
老人にやさしい政治、地域重視、心の時代などなど、歯の浮くような挨拶が続く。
このイベントの目的は、スタジオSTSのTOUCHを見ること。
TOUCHはファラウェイとラブ☆Mラズベリージュースの2曲を歌い踊る。
あいだのMCで、敬老の日向けのおしゃべり。
みなっちは毎年敬老の日につっかけをプレゼントしているそうだ。みなっちのおじいさんは冬でもつっかけ一丁で外出しているらしい。あやかのおじいさんの話で「もう50代」に会場どよめく。50代はまだまだ老人の範疇に入らない。
鶴見はなぽーとブロッサムに行き、ダンシングBANANAの2回目のステージを見る。
プロローグ〜ヒビキ
イッツオーライ
世界が1つになるまで
ハッピーメイカー
軌跡
真実の宝石
ありがとう
今日はもう夏も終わったということで、ウチワが500円に値下げしていた。
ブロッサムのステージが広くなっていたようだ。
僕は漠然と見ていたので気づかなかったのだが、ダンシングBANANAのちひろとかが、「前はここまでだったのに、ここから前の部分が広くなってる」とでも言うような(聞こえてないので憶測)、範囲を示す手刀ゼスチャーをしていた。
バナナのメンバーも敬老の日に向けたメッセージをしていた。
しらじらしくても、そこはそれ、セレモニーだから。
TOUCHとダンシングBANANA。ダンスの楽しさを満喫して、帰る。
中国民族楽器揚琴の演奏あり、韓国舞踊あり、河内音頭西成音頭あり。
市会議員さんらの挨拶も何人も。
老人にやさしい政治、地域重視、心の時代などなど、歯の浮くような挨拶が続く。
このイベントの目的は、スタジオSTSのTOUCHを見ること。
TOUCHはファラウェイとラブ☆Mラズベリージュースの2曲を歌い踊る。
あいだのMCで、敬老の日向けのおしゃべり。
みなっちは毎年敬老の日につっかけをプレゼントしているそうだ。みなっちのおじいさんは冬でもつっかけ一丁で外出しているらしい。あやかのおじいさんの話で「もう50代」に会場どよめく。50代はまだまだ老人の範疇に入らない。
鶴見はなぽーとブロッサムに行き、ダンシングBANANAの2回目のステージを見る。
プロローグ〜ヒビキ
イッツオーライ
世界が1つになるまで
ハッピーメイカー
軌跡
真実の宝石
ありがとう
今日はもう夏も終わったということで、ウチワが500円に値下げしていた。
ブロッサムのステージが広くなっていたようだ。
僕は漠然と見ていたので気づかなかったのだが、ダンシングBANANAのちひろとかが、「前はここまでだったのに、ここから前の部分が広くなってる」とでも言うような(聞こえてないので憶測)、範囲を示す手刀ゼスチャーをしていた。
バナナのメンバーも敬老の日に向けたメッセージをしていた。
しらじらしくても、そこはそれ、セレモニーだから。
TOUCHとダンシングBANANA。ダンスの楽しさを満喫して、帰る。
夜から梅田の歩道橋で月極のストリートライブ。
金森氏とチコピド氏をみつけた。いや、見つけられた。
ちょうど休憩中だったので、コンビニにギネスビールを買いに行き、飲みながら観戦。
缶のギネスビールは中にボールが入っていて、これが開栓後の泡立ちが美味さを増すのだ。
中秋の名月が百貨店の建物の脇に見えている。
ライブ中にふるまわれた月見だんごを食べながら、即興音楽聞いて、あなるちゃんのダンス見て、名月を鑑賞する。
月極で月見酒。
金森氏とチコピド氏をみつけた。いや、見つけられた。
ちょうど休憩中だったので、コンビニにギネスビールを買いに行き、飲みながら観戦。
缶のギネスビールは中にボールが入っていて、これが開栓後の泡立ちが美味さを増すのだ。
中秋の名月が百貨店の建物の脇に見えている。
ライブ中にふるまわれた月見だんごを食べながら、即興音楽聞いて、あなるちゃんのダンス見て、名月を鑑賞する。
月極で月見酒。
東大阪サンサン祭りと京都ゼスト
2005年9月18日 アイドル東大阪サンサン祭りのハッピータイムイベントを見て来た。
到着時、アキお姉さんがバルーンショーをしていた。
続いて、Li-GDのダンス。彼女たちはイトーヨーカドー奈良店のキッズダンスコンテストでグランプリをとったチーム。
上田忍が「オールウェイトゥゲザー」を歌う。
BIT COLORS(7人)のダンス。彼女たちはB-MIXでグランプリを受賞している。BIT COLORSのメンバー中、ちひろ、かよ、まみか、ゆいの4人はダンシングBANANAのメンバー。ドルフィンがポイントだそうだ。かっこいい!
水野あすかの歌。
涙そうそう、ハナミズキ、上を向いて歩こうの3曲を歌う。
彼女はダンシングBANANAのセカンドシングル「軌跡」の作詞をした人だ。
吉岡由佳梨(ユカリン)のバルーンショーには、BIT COLORSのBANANAメンバーもお手伝いして、マジレンジャーのバルーンを持っていた。
最後はやっぱり、ダンシングBANANA。黄色のバナナっぽい衣装。
鉄腕アトム(BANANAバージョン)
てのひらを太陽に
ハッピーメイカー
世界が一つになるまで
チャイナドール(各メンバーのソロダンスでメンバー紹介)
軌跡
真実の宝石
ダンシングBANANAのライブの最中に、お祭りだからよそのいろんな声も聞こえてくる。
中でも、近くでポン菓子をマイク使って呼び込んでいる店があって、ダンシングBANANAのダンスと微妙にかぶって面白かった。「なつかしいポン菓子ですよ〜。ポーン(弾ける音)、フーッ!(おっさんの歓喜の声)」
たっぷり2時間以上のお祭りイベントを後にして、京都のゼスト地下街に向かう。
到着すると、なんとタイミングバッチリ!miminyの声が!しかもどうやら1曲めだ。間に合った!
miminyは今回30分の持ち時間で、6曲を披露。
スマイリー
リルラリルハ(妹チーム)
さよなら大好きな人(姉チーム)
アジアの純真(渡辺姉妹)
Shining Star忘れないから(藤原姉妹)
ちゃりんこ
司会はビワイリーと愛子だ。
MAY BE MAXも持ち時間は30分。
メドレー(春一番〜プレイバックパート2〜青い珊瑚礁〜さくらんぼ〜ペッパー警部)
熱い予感〜クリムゾンスター
私の阪神タイガース
フルチャンス
けいたい電話
ライブ終了後、涼子ちゃんに書いてきた手紙を手渡し。
そんなこんなで続いて行われたヨサコイやビワイリーのライブの曲目はチェックできなかった。
続いて、これはびっくり!福井県からCROSSが来ていた!
RHYTHMIC BIBLE
LOVE SESSION
True Kiss
Promise-to my heart-
CROSSはボーカルのイズミとダンサーのアンナ、マユの3人ユニット。
方言丸出しのおしゃべりがとぼけていて面白い。なのに、歌がはじまるとかっこいいのだ。
以上でイベントは終了。お祭りからお祭りへと渡り歩いた1日だった。
行きは時間が無くて地下鉄に乗ったが、帰りはゆっくりと京都を散策しながら京阪電車で帰る。
到着時、アキお姉さんがバルーンショーをしていた。
続いて、Li-GDのダンス。彼女たちはイトーヨーカドー奈良店のキッズダンスコンテストでグランプリをとったチーム。
上田忍が「オールウェイトゥゲザー」を歌う。
BIT COLORS(7人)のダンス。彼女たちはB-MIXでグランプリを受賞している。BIT COLORSのメンバー中、ちひろ、かよ、まみか、ゆいの4人はダンシングBANANAのメンバー。ドルフィンがポイントだそうだ。かっこいい!
水野あすかの歌。
涙そうそう、ハナミズキ、上を向いて歩こうの3曲を歌う。
彼女はダンシングBANANAのセカンドシングル「軌跡」の作詞をした人だ。
吉岡由佳梨(ユカリン)のバルーンショーには、BIT COLORSのBANANAメンバーもお手伝いして、マジレンジャーのバルーンを持っていた。
最後はやっぱり、ダンシングBANANA。黄色のバナナっぽい衣装。
鉄腕アトム(BANANAバージョン)
てのひらを太陽に
ハッピーメイカー
世界が一つになるまで
チャイナドール(各メンバーのソロダンスでメンバー紹介)
軌跡
真実の宝石
ダンシングBANANAのライブの最中に、お祭りだからよそのいろんな声も聞こえてくる。
中でも、近くでポン菓子をマイク使って呼び込んでいる店があって、ダンシングBANANAのダンスと微妙にかぶって面白かった。「なつかしいポン菓子ですよ〜。ポーン(弾ける音)、フーッ!(おっさんの歓喜の声)」
たっぷり2時間以上のお祭りイベントを後にして、京都のゼスト地下街に向かう。
到着すると、なんとタイミングバッチリ!miminyの声が!しかもどうやら1曲めだ。間に合った!
miminyは今回30分の持ち時間で、6曲を披露。
スマイリー
リルラリルハ(妹チーム)
さよなら大好きな人(姉チーム)
アジアの純真(渡辺姉妹)
Shining Star忘れないから(藤原姉妹)
ちゃりんこ
司会はビワイリーと愛子だ。
MAY BE MAXも持ち時間は30分。
メドレー(春一番〜プレイバックパート2〜青い珊瑚礁〜さくらんぼ〜ペッパー警部)
熱い予感〜クリムゾンスター
私の阪神タイガース
フルチャンス
けいたい電話
ライブ終了後、涼子ちゃんに書いてきた手紙を手渡し。
そんなこんなで続いて行われたヨサコイやビワイリーのライブの曲目はチェックできなかった。
続いて、これはびっくり!福井県からCROSSが来ていた!
RHYTHMIC BIBLE
LOVE SESSION
True Kiss
Promise-to my heart-
CROSSはボーカルのイズミとダンサーのアンナ、マユの3人ユニット。
方言丸出しのおしゃべりがとぼけていて面白い。なのに、歌がはじまるとかっこいいのだ。
以上でイベントは終了。お祭りからお祭りへと渡り歩いた1日だった。
行きは時間が無くて地下鉄に乗ったが、帰りはゆっくりと京都を散策しながら京阪電車で帰る。
アニメ上映会、ベリーズ工房、camp!
2005年9月17日 アイドル
毎月恒例のディスクピアのアニメ上映会。今回は4本立て。
1本め「ぺとぺとさん」第1話「おはよーさーん」
田舎の中学、夏。「ぺと子」こと鳩子ちゃんは、特定種族「ぺとぺとさん」に属する女の子。(ペド子じゃないよ!)
特定種族というのは「妖怪」のことで、ぺとぺとさんはいとしいものと触れあうとくっついて離れなくなるのだ。ぺと子本人によると「エロエロ妖怪」
水泳の授業のときにクラスメイトのシンゴと手と手がぺとってしまったぺと子。眠れば取れるのだが、なかなか眠れない。スクール水着を脱ぐのもひと苦労。
主題歌をさねよしいさこが歌っており、劇中音楽は栗コーダーカルテット。
ぺと子のしゃべりはのんびりとした関西弁で、作品全体に漂うのどかな雰囲気がきもちいい。
原作はライトノベルで、機会があれば読んでみようと思った。
2本めは「苺ましまろ」第1話「バースデイ」
普通の姉妹と近所の友達。お姉ちゃんの誕生日プレゼントとして紙粘土で灰皿を作ろうとしたまではいいが、何せお子ちゃま。夜の8時にもなると睡魔と闘う始末。
これもまた自主制作映画見てるような気持良さ。エンディングは上野洋子。
3本めは「AIR in summer」前編「やまみち」
TVアニメ「AIR」の特別編。わがままなお姫さまカンナと、警護する武士リュウヤ。おつきのウラハ。
オタクの人って、Mが多いのだろうか。わがままな少女に命令されたりして、右往左往する話がなんだか多い。
僕はそんなのまっぴらごめんだな。
4本めは「フルメタルパニックTSR」scene1「終わる日」TSRはThe Second Raid
学園ミリタリーで、かなりシリアスな戦闘、メカバリバリの展開が続く。後半になってようやく宿題に悩む主人公宗介と、テレサ艦長の絡みがあってコメディタッチが顔を出す。
軍隊、メカはどうにも苦手なので、やっとひと息つけた。
僕にとって面白かった順は、上映順そのまま。
メイドインカフェで一服。
今日サーヴしてくれたメイドさんは、球体関節人形を作っているそうだ。
ここのメイドさんって、アートの香りがある?
大阪厚生年金会館大ホールで、Berryz工房ライブツアー2005秋「〜スイッチ ON!〜」
以下、曲順。
なんちゅう恋をやってるぅYOU KNOW? (7th)
21時までのシンデレラ(8th)
ハピネス〜幸福歓迎!〜 (4th)
恋はひっぱりだこ (アルバム収録曲)
ファイティングポーズはダテじゃない!(2nd)
愛のポエム/千奈美・雅 恋をしちゃいました!(タンポポ)
かっちょええ!/茉麻・舞波・佐紀 (ピリリと行こう!のカップリング)
TODAY IS MY BIRTHDAY/梨沙子・雅 (アルバム収録曲)
小遣いUP大作戦/桃子・千奈美・友理奈 (アルバム収録曲)
パッション E-CHA E-CHA (恋の呪縛のカップリング)
蝉(ビデオ映像、アルバム収録曲)
ピリリと行こう! (3rd)
夢でドゥーアップ (なんちゅう恋をやってるぅ YOU KNOW?のカップリング)
安心感 (アルバム収録曲)
あなたなしでは生きてゆけない (1st)
恋の呪縛 (5th)
スッペシャル ジェネレ〜ション (6th)
友情 純情 oh 青春 (映画「Promise Land 〜クローバーズの大冒険〜」主題歌)
アンコール
BERRY FIELDS (あなたなしでは生きてゆけないのカップリング)
Bye Bye またね (アルバム収録曲)
ベリーズ工房として今できる最高のライブだと思う。
キャンペーンなどでは口パクで嫌なときもあったが、このライブではひっかかるところがなかった。
舞波がこのツアーで卒業する。
キッズとしては初の卒業者になるわけだが、普通の小学生ならもっと早くにボロボロ抜けていたと思われる。舞波も含めて、彼女たちはやはり選ばれた特別な存在なのだと思った。
夜も更けてから、堂山distaでcamp!という映像イベント。
今回はドラッグムーヴィーと、映画におけるドラッグの描かれ方について、シモーヌと寺田氏が語る。
ヴィスコンティ、フェリーニ、ベルトルッチから、ロジャー・コーマンの「白昼の幻想」、「トレインスポッティング」「ラスベガスをやっつけろ」「最終絶叫計画」などなど。
休憩をはさんで、チーチ&チョンの「スモーキング作戦」上映。
マリファナの煙がもうもうとたちこめるB級映画。
マリファナと下ネタばっかりでひげ面の男二人が珍道中。
このイベントは毎回覆面上映で、今回の映画は、チーチ&チョンかラス・メイヤーだろう、とあたりをつけていたのだが、予想どおりだった。予想がはずれたのは、第1部のトークのときに、「黄金の腕」でシナトラが禁断症状に苦しむシーンが出て来るんじゃないか、とか。「レオン」のゲイリー・オールドマンや「ワンス・アポン・ナ・タイム・イン・アメリカ」のデ・ニーロとか、一瞬の恍惚とした表情集があるかな、とか。ドラッグが絡んでいたかどうか覚えていないのだが、なぜか「悪魔のいけにえ2」のビル・モーズリーがチョップトップ・ソウヤーで見せた怪演を頭に思い浮かべていた。
朝帰りだが、今日もまたいろいろ出かけるのだ。
1本め「ぺとぺとさん」第1話「おはよーさーん」
田舎の中学、夏。「ぺと子」こと鳩子ちゃんは、特定種族「ぺとぺとさん」に属する女の子。(ペド子じゃないよ!)
特定種族というのは「妖怪」のことで、ぺとぺとさんはいとしいものと触れあうとくっついて離れなくなるのだ。ぺと子本人によると「エロエロ妖怪」
水泳の授業のときにクラスメイトのシンゴと手と手がぺとってしまったぺと子。眠れば取れるのだが、なかなか眠れない。スクール水着を脱ぐのもひと苦労。
主題歌をさねよしいさこが歌っており、劇中音楽は栗コーダーカルテット。
ぺと子のしゃべりはのんびりとした関西弁で、作品全体に漂うのどかな雰囲気がきもちいい。
原作はライトノベルで、機会があれば読んでみようと思った。
2本めは「苺ましまろ」第1話「バースデイ」
普通の姉妹と近所の友達。お姉ちゃんの誕生日プレゼントとして紙粘土で灰皿を作ろうとしたまではいいが、何せお子ちゃま。夜の8時にもなると睡魔と闘う始末。
これもまた自主制作映画見てるような気持良さ。エンディングは上野洋子。
3本めは「AIR in summer」前編「やまみち」
TVアニメ「AIR」の特別編。わがままなお姫さまカンナと、警護する武士リュウヤ。おつきのウラハ。
オタクの人って、Mが多いのだろうか。わがままな少女に命令されたりして、右往左往する話がなんだか多い。
僕はそんなのまっぴらごめんだな。
4本めは「フルメタルパニックTSR」scene1「終わる日」TSRはThe Second Raid
学園ミリタリーで、かなりシリアスな戦闘、メカバリバリの展開が続く。後半になってようやく宿題に悩む主人公宗介と、テレサ艦長の絡みがあってコメディタッチが顔を出す。
軍隊、メカはどうにも苦手なので、やっとひと息つけた。
僕にとって面白かった順は、上映順そのまま。
メイドインカフェで一服。
今日サーヴしてくれたメイドさんは、球体関節人形を作っているそうだ。
ここのメイドさんって、アートの香りがある?
大阪厚生年金会館大ホールで、Berryz工房ライブツアー2005秋「〜スイッチ ON!〜」
以下、曲順。
なんちゅう恋をやってるぅYOU KNOW? (7th)
21時までのシンデレラ(8th)
ハピネス〜幸福歓迎!〜 (4th)
恋はひっぱりだこ (アルバム収録曲)
ファイティングポーズはダテじゃない!(2nd)
愛のポエム/千奈美・雅 恋をしちゃいました!(タンポポ)
かっちょええ!/茉麻・舞波・佐紀 (ピリリと行こう!のカップリング)
TODAY IS MY BIRTHDAY/梨沙子・雅 (アルバム収録曲)
小遣いUP大作戦/桃子・千奈美・友理奈 (アルバム収録曲)
パッション E-CHA E-CHA (恋の呪縛のカップリング)
蝉(ビデオ映像、アルバム収録曲)
ピリリと行こう! (3rd)
夢でドゥーアップ (なんちゅう恋をやってるぅ YOU KNOW?のカップリング)
安心感 (アルバム収録曲)
あなたなしでは生きてゆけない (1st)
恋の呪縛 (5th)
スッペシャル ジェネレ〜ション (6th)
友情 純情 oh 青春 (映画「Promise Land 〜クローバーズの大冒険〜」主題歌)
アンコール
BERRY FIELDS (あなたなしでは生きてゆけないのカップリング)
Bye Bye またね (アルバム収録曲)
ベリーズ工房として今できる最高のライブだと思う。
キャンペーンなどでは口パクで嫌なときもあったが、このライブではひっかかるところがなかった。
舞波がこのツアーで卒業する。
キッズとしては初の卒業者になるわけだが、普通の小学生ならもっと早くにボロボロ抜けていたと思われる。舞波も含めて、彼女たちはやはり選ばれた特別な存在なのだと思った。
夜も更けてから、堂山distaでcamp!という映像イベント。
今回はドラッグムーヴィーと、映画におけるドラッグの描かれ方について、シモーヌと寺田氏が語る。
ヴィスコンティ、フェリーニ、ベルトルッチから、ロジャー・コーマンの「白昼の幻想」、「トレインスポッティング」「ラスベガスをやっつけろ」「最終絶叫計画」などなど。
休憩をはさんで、チーチ&チョンの「スモーキング作戦」上映。
マリファナの煙がもうもうとたちこめるB級映画。
マリファナと下ネタばっかりでひげ面の男二人が珍道中。
このイベントは毎回覆面上映で、今回の映画は、チーチ&チョンかラス・メイヤーだろう、とあたりをつけていたのだが、予想どおりだった。予想がはずれたのは、第1部のトークのときに、「黄金の腕」でシナトラが禁断症状に苦しむシーンが出て来るんじゃないか、とか。「レオン」のゲイリー・オールドマンや「ワンス・アポン・ナ・タイム・イン・アメリカ」のデ・ニーロとか、一瞬の恍惚とした表情集があるかな、とか。ドラッグが絡んでいたかどうか覚えていないのだが、なぜか「悪魔のいけにえ2」のビル・モーズリーがチョップトップ・ソウヤーで見せた怪演を頭に思い浮かべていた。
朝帰りだが、今日もまたいろいろ出かけるのだ。
おかめふく、SKY、エルパンテーラ
2005年9月16日 ライブhillsパン工場でライブを見て来た。4組出演。
1番目はflat’s
MISIAやボニーピンク、E,W&Fの曲などを歌う、女性二人組。
専門学校生らしさがよく出ている。こういうユニットは掃いて捨てるほどいるので、差別化がたいへんそうだ。
2番目はお目当ての、おかめふく。
センチメタルボーイ
FLY!!
HAPPY DANCE
いいお天気
てんきゅっ
衣装もアイドルっぽく決めて、なんだか志の違いを見せつけた感。
おかめふくの2人には僕は「派手派手の人」で通っているらしい。
そんなに派手じゃないのに、どうしたことだ。
うちわを買って、サインしてもらった。
3番目はSKY
SCENE
かげぼうし
出会った頃のように
allright
空さやかとまどかの姉妹デュオ。このユニットも注目株なのだが、僕には曲が大人すぎる。
4番目はカーマイン
男女のユニットだが、男性が高音、女性が低音。かなりの実力派。
オリジナルも含めて6曲、せつない歌を聞かせてくれた。
だから、駄目なんだって!僕は今、せつない曲なんか聞いたら、ぐずぐずに崩れてしまうんだから。
もっとご陽気に!
その点、アイドルの脳天気さ、励ましソングの多さは救いなのだ。
ライブ終了後、エルパンテーラに顔を出す。
前回、スタッフ、出演者の間で乱闘があり、開催を危ぶんでいたのだが、無事(?)開催。
前回の顛末と、乱闘に至る布石などが映像とともに語られる。
今に至るも、和解したわけではなく、お互いに「殺したい」「ウマがあわない」とごく普通の口調で語り合う彼らが面白い。
おまけに、喧嘩した者どうしがなぜかペアルックで同じTシャツ着ている。
ジョジョ川といしくんぼの調教ショーは、いしくんぼが犬になって客席をまわる。
ジョジョ川の足指につけたジャムをいしくんぼがなめるところだけは、僕が代わりにやりたかった。
イベント終了後、アニメソングとコスプレのイベントに行く予定だったが、お金がなくて、珈琲館で友人たちと歓談して帰る。
翌日はまた昼過ぎから行きたいイベントがあるのだが、帰っていろいろしているうちに、既にお昼前。
1番目はflat’s
MISIAやボニーピンク、E,W&Fの曲などを歌う、女性二人組。
専門学校生らしさがよく出ている。こういうユニットは掃いて捨てるほどいるので、差別化がたいへんそうだ。
2番目はお目当ての、おかめふく。
センチメタルボーイ
FLY!!
HAPPY DANCE
いいお天気
てんきゅっ
衣装もアイドルっぽく決めて、なんだか志の違いを見せつけた感。
おかめふくの2人には僕は「派手派手の人」で通っているらしい。
そんなに派手じゃないのに、どうしたことだ。
うちわを買って、サインしてもらった。
3番目はSKY
SCENE
かげぼうし
出会った頃のように
allright
空さやかとまどかの姉妹デュオ。このユニットも注目株なのだが、僕には曲が大人すぎる。
4番目はカーマイン
男女のユニットだが、男性が高音、女性が低音。かなりの実力派。
オリジナルも含めて6曲、せつない歌を聞かせてくれた。
だから、駄目なんだって!僕は今、せつない曲なんか聞いたら、ぐずぐずに崩れてしまうんだから。
もっとご陽気に!
その点、アイドルの脳天気さ、励ましソングの多さは救いなのだ。
ライブ終了後、エルパンテーラに顔を出す。
前回、スタッフ、出演者の間で乱闘があり、開催を危ぶんでいたのだが、無事(?)開催。
前回の顛末と、乱闘に至る布石などが映像とともに語られる。
今に至るも、和解したわけではなく、お互いに「殺したい」「ウマがあわない」とごく普通の口調で語り合う彼らが面白い。
おまけに、喧嘩した者どうしがなぜかペアルックで同じTシャツ着ている。
ジョジョ川といしくんぼの調教ショーは、いしくんぼが犬になって客席をまわる。
ジョジョ川の足指につけたジャムをいしくんぼがなめるところだけは、僕が代わりにやりたかった。
イベント終了後、アニメソングとコスプレのイベントに行く予定だったが、お金がなくて、珈琲館で友人たちと歓談して帰る。
翌日はまた昼過ぎから行きたいイベントがあるのだが、帰っていろいろしているうちに、既にお昼前。
葉桜の季節に君を想うということ
2005年9月15日 読書
歌野晶午の『葉桜の季節に君を想うということ』を読んだ。
このミステリ、年間ベスト1に選ばれたりしている話題の長篇で、やっと読むことができた。
著者の本作以降の『ジェシカ』とか『魔王城』を読んだが、それほど「化けた」という内容ではなかったため、この作品だけが特別の何かがあるんだ、と期待していた。
が、読んでみて「アレ?」と思ったのは、やっぱり以前と変わらず、文章の素人っぽさというか、いつまでたっても学生の同人誌っぽい文体、青くささが鼻につく。
ストーリーは、老人をだまして商品を高額で売り付ける組織、その悪事を探るにわか探偵を軸にして展開されている。
そして、クライマックスに至って、ある事実が明らかになる。
それは読んでびっくり玉手箱なのだが、なんと、その仕掛けに、青臭い文章が一役買っていたことがわかるのだ。
これか!
ところどころ引っ掛かる下手くそな文章や単語が、ミスディレクションだったのだ。
『ブードゥーチャイルド』も面白く読んだが、この作品が作者の最高傑作であることは間違いない!
多くの伏線が最後に1つにまとまるミステリの醍醐味が、あざとく感じられたのも事実だ。
100万に1つの偶然がたまたま100万重なって、奇跡的な出来事が起こるのを描くのもミステリならではだろう。
でも、本作では巻末補遺であげられるデータ部分が、作中ではどうも浮いているように思えた部分ばかりで、作為を感じずにはいられなかった。
最大のサプライズが真相前に予想できてしまったのがくやしい。
もっと伏線はうまく隠してよ!
このミステリ、年間ベスト1に選ばれたりしている話題の長篇で、やっと読むことができた。
著者の本作以降の『ジェシカ』とか『魔王城』を読んだが、それほど「化けた」という内容ではなかったため、この作品だけが特別の何かがあるんだ、と期待していた。
が、読んでみて「アレ?」と思ったのは、やっぱり以前と変わらず、文章の素人っぽさというか、いつまでたっても学生の同人誌っぽい文体、青くささが鼻につく。
ストーリーは、老人をだまして商品を高額で売り付ける組織、その悪事を探るにわか探偵を軸にして展開されている。
そして、クライマックスに至って、ある事実が明らかになる。
それは読んでびっくり玉手箱なのだが、なんと、その仕掛けに、青臭い文章が一役買っていたことがわかるのだ。
これか!
ところどころ引っ掛かる下手くそな文章や単語が、ミスディレクションだったのだ。
『ブードゥーチャイルド』も面白く読んだが、この作品が作者の最高傑作であることは間違いない!
多くの伏線が最後に1つにまとまるミステリの醍醐味が、あざとく感じられたのも事実だ。
100万に1つの偶然がたまたま100万重なって、奇跡的な出来事が起こるのを描くのもミステリならではだろう。
でも、本作では巻末補遺であげられるデータ部分が、作中ではどうも浮いているように思えた部分ばかりで、作為を感じずにはいられなかった。
最大のサプライズが真相前に予想できてしまったのがくやしい。
もっと伏線はうまく隠してよ!
戦争の世紀を超えて―その場所で語られるべき戦争の記憶がある
2005年9月14日 読書
森達也と姜尚中の対談集『戦争の世紀を超えて』を読んだ。
アウシュビッツやザクセンハウゼン強制収容所、ポーランド人がユダヤ人を虐殺したイエドヴァブネ村、ベルリンの壁、東京裁判と三島自決の市ヶ谷記念館、ソウルの戦争記念館など、戦争を記憶する場所で語られた対談が収められている。
現代のイラク戦争は、かつてのアウシュビッツに似ており、いわば害虫駆除の発想だから、殲滅戦になってしまう、というやりとりもあり、話は北朝鮮の拉致問題、そして、被害者と加害者のどちらかのサイドに立ってものを考えることの危険さを語ったりしている。
以前、何で読んだのか失念してしまったが、犯罪ドキュメンタリーは、被害者から取材せず、もっぱら加害者側からの取材で作品を成立させていることに批判的な文章を読んだことがある。森達也はオウムを取材して「A」「A2」というドキュメンタリー映画を作った監督だ。彼がどう考えているのか、本書では語られている。
その中で、印象的だった発言がこれだ。
(日本の世相がイラク戦争をあっさり容認したことについて)「どうしたら僕らは声を持続できるのか。人を殺す、もしくは殺されるということへのリアルな想像力を、思いきり抱きしめることなんです」「せめて歯をくいしばりながら加害した側へ思いを馳せること。嫌悪や憎悪で目を逸らさずに、ひたすら正視し、彼らの営みの裏側にある情感を想像すること。だから第三者、つまり非当事者が重要なんです」
被害者と一緒になって「許せない!」「被害者の痛みを知れ!」と叫ぶことよりも、冷静にものを考えることが重要だというのだ。当事者が怒りくるい、憎悪に走るのはしかたがない。でも、第三者まで憎悪を共有していては戦争の連鎖は止まらないのだ。
今の「テロ戦争」がセキュリティ幻想を生み出していることも危惧されている。駅からゴミ箱が消え、電車のアナウンスで不審な荷物には手を触れるなとアナウンスする。街中に監視カメラがセットされる。
とんでもない世界になったものだが、本書の対談者はそれでも希望を捨てない。世界は確実によくなっている。それを信じていることは、今ではもはやマイノリティなのかもしれない。だからこそ、大勢について一緒にセキュリティに励み、異物を除去するような真似だけは注意して避けたいものだ。
アウシュビッツやザクセンハウゼン強制収容所、ポーランド人がユダヤ人を虐殺したイエドヴァブネ村、ベルリンの壁、東京裁判と三島自決の市ヶ谷記念館、ソウルの戦争記念館など、戦争を記憶する場所で語られた対談が収められている。
現代のイラク戦争は、かつてのアウシュビッツに似ており、いわば害虫駆除の発想だから、殲滅戦になってしまう、というやりとりもあり、話は北朝鮮の拉致問題、そして、被害者と加害者のどちらかのサイドに立ってものを考えることの危険さを語ったりしている。
以前、何で読んだのか失念してしまったが、犯罪ドキュメンタリーは、被害者から取材せず、もっぱら加害者側からの取材で作品を成立させていることに批判的な文章を読んだことがある。森達也はオウムを取材して「A」「A2」というドキュメンタリー映画を作った監督だ。彼がどう考えているのか、本書では語られている。
その中で、印象的だった発言がこれだ。
(日本の世相がイラク戦争をあっさり容認したことについて)「どうしたら僕らは声を持続できるのか。人を殺す、もしくは殺されるということへのリアルな想像力を、思いきり抱きしめることなんです」「せめて歯をくいしばりながら加害した側へ思いを馳せること。嫌悪や憎悪で目を逸らさずに、ひたすら正視し、彼らの営みの裏側にある情感を想像すること。だから第三者、つまり非当事者が重要なんです」
被害者と一緒になって「許せない!」「被害者の痛みを知れ!」と叫ぶことよりも、冷静にものを考えることが重要だというのだ。当事者が怒りくるい、憎悪に走るのはしかたがない。でも、第三者まで憎悪を共有していては戦争の連鎖は止まらないのだ。
今の「テロ戦争」がセキュリティ幻想を生み出していることも危惧されている。駅からゴミ箱が消え、電車のアナウンスで不審な荷物には手を触れるなとアナウンスする。街中に監視カメラがセットされる。
とんでもない世界になったものだが、本書の対談者はそれでも希望を捨てない。世界は確実によくなっている。それを信じていることは、今ではもはやマイノリティなのかもしれない。だからこそ、大勢について一緒にセキュリティに励み、異物を除去するような真似だけは注意して避けたいものだ。
姜尚中にきいてみた!―東北アジア・ナショナリズム問答
2005年9月13日 読書
「嫌韓流」みたいな本を読んだ後は、姜尚中の本を読むにかぎる!と思って、読んだ。
韓国を蔑視する日本と、韓流ブーム、そして反日。
「嫌韓流」では韓国の反日的行動としてとりあげられていた事柄に、全く違った視点から解釈がなされている。なんでもかんでも嫌悪感や憎しみにつなげようとする「嫌韓流」とは違って、そこに希望を見ようとする。
この違いは何かと言うと、要するに、韓国を日本よりも低いものとして見る「嫌韓流」と、同等と見る姜尚中の差なのだろう。
本書でタイトルにされているように、姜尚中の意見は「夢想家の『見果てぬ夢』と一蹴されそうですが」「それでもわたしはナショナリズムの実在よりは、東北アジア共同体の虚妄に賭けてみようと思うのです」に尽きる。
悲観的であることが現実的であり、正しいのだとする意見はあまりにも悲しい。
それこそ、決まったことはしかたがない、とあきらめる団塊ジュニアの考え方ではないか。
この本では、「3・6・8世代」という言葉が使われる。
韓国のノムヒョン政権を作った世代で、「三十代で、60年代に生まれて、80年代に学生だった人」
韓国というと、男尊女卑、年功序列、儒教のしみついた国民性だと思われているが、それと闘ってきた世代こそが「3・6・8世代」なのだ。
韓国の「3・6・8世代」はなにかと問題はあるものの、期待をかけるに足るものとしてとらえられ、一方、日本の「団塊ジュニア」には失望感が強い。
姜尚中は言う。
「拉致問題は非常に重要です。北朝鮮の対応が不誠実であることは明白です。きびしい日本の国民世論が出てくるのも当然です。それでも、対話は続けるべき」
こんな意見を開陳すればまるで非国民扱いの日本こそ、見直さねばならないんじゃないか。
韓国を蔑視する日本と、韓流ブーム、そして反日。
「嫌韓流」では韓国の反日的行動としてとりあげられていた事柄に、全く違った視点から解釈がなされている。なんでもかんでも嫌悪感や憎しみにつなげようとする「嫌韓流」とは違って、そこに希望を見ようとする。
この違いは何かと言うと、要するに、韓国を日本よりも低いものとして見る「嫌韓流」と、同等と見る姜尚中の差なのだろう。
本書でタイトルにされているように、姜尚中の意見は「夢想家の『見果てぬ夢』と一蹴されそうですが」「それでもわたしはナショナリズムの実在よりは、東北アジア共同体の虚妄に賭けてみようと思うのです」に尽きる。
悲観的であることが現実的であり、正しいのだとする意見はあまりにも悲しい。
それこそ、決まったことはしかたがない、とあきらめる団塊ジュニアの考え方ではないか。
この本では、「3・6・8世代」という言葉が使われる。
韓国のノムヒョン政権を作った世代で、「三十代で、60年代に生まれて、80年代に学生だった人」
韓国というと、男尊女卑、年功序列、儒教のしみついた国民性だと思われているが、それと闘ってきた世代こそが「3・6・8世代」なのだ。
韓国の「3・6・8世代」はなにかと問題はあるものの、期待をかけるに足るものとしてとらえられ、一方、日本の「団塊ジュニア」には失望感が強い。
姜尚中は言う。
「拉致問題は非常に重要です。北朝鮮の対応が不誠実であることは明白です。きびしい日本の国民世論が出てくるのも当然です。それでも、対話は続けるべき」
こんな意見を開陳すればまるで非国民扱いの日本こそ、見直さねばならないんじゃないか。
酒や酒や酒持ってこ〜い
2005年9月12日 日常昨日のくだらない落ち込みは、今日に至るも続く。
用事で1回外に出たが、その帰りにまた酒をしこたま買ってきて、家で1人で酒盛り。
精神状態がネガティブなときに酒なんか飲んでも悪酔いするだけだし、落ち込む一方だ。
そんなことくらいわかっているのだが、飲まずにはいられない。
金縛りにあったように、1歩も動けなくなるまでに飲みつぶれる。
喉が渇き、トイレに行きたくなり、それでも身体は動かない。
このとき、僕はまだ自分がなぜこんなにも落ち込んでいるのか理解していない。
恋愛感情をもっていない相手に対する一方的な思いなど、もう一刻も早く捨てて、二次元にでも恋すりゃいいのだ。
用事で1回外に出たが、その帰りにまた酒をしこたま買ってきて、家で1人で酒盛り。
精神状態がネガティブなときに酒なんか飲んでも悪酔いするだけだし、落ち込む一方だ。
そんなことくらいわかっているのだが、飲まずにはいられない。
金縛りにあったように、1歩も動けなくなるまでに飲みつぶれる。
喉が渇き、トイレに行きたくなり、それでも身体は動かない。
このとき、僕はまだ自分がなぜこんなにも落ち込んでいるのか理解していない。
恋愛感情をもっていない相手に対する一方的な思いなど、もう一刻も早く捨てて、二次元にでも恋すりゃいいのだ。