りなちゃん1日店長、おかめふく梅田路上
2006年1月21日 アイドル土曜日はイベントが盛り沢山。
でも、諸事情により、チョイスしたのは、徒歩で行ける範囲、しかも無料イベント。
こう書いてしまうと、「諸事情」が金銭的なことなんだって、丸わかり!
まず、トップジャパン日本橋でエンジェルキッスDVD発売記念イベント。
子供モデルを多数擁するエンジェルプロダクションから出たエンジェルキッスDVD4枚のモデル、りな(小2)、さとり(12才)、なお(13才)、miyu(小4)の合同イベントになる。
午後1時からの本イベントは、DVDを購入しないと参加できないので、残念ながらパスせざるを得なかった。
でも、正午から、りなちゃんが1日店長として、レジに入った。
このイベントは自由参加だ。
店頭では、miyu(パンダの着ぐるみ)、なお(ロリータ)、さとり(ロリータ)が宣伝のチラシ配り。
僕はりなちゃんの1日店長の方を集中的に見ることにした。
「1日店長」のたすきをかけてレジに入るりなちゃん。
次々と売れる、りなちゃんのDVD。
イベント参加券とレシートを封入し、自分で持って来たキティのスタンプも押している。
写真で見た表情からは、消え入りそうなイメージの子なのかな、と思っていたが、実際に見てみると、元気な子で、とても好感を持てた。
そうこうするうちに、ビラ配りを終えて残りの3人も合流してきた。
イベントでは、トーク、撮影会、ゲームなどが展開するのだろう。
うわー、めっちゃ見たかった。
http://www.angel-production.com/index.html
午後9時からは、梅田でおかめふくのストリートライブ。
梅田なら、いつも仕事で徒歩通勤しているので、徒歩の範囲だ。
とは言え、15分くらい遅れて到着したのだろうか、既にライブは始まっていた。
「一人旅シャラルラン」の新バージョンとか、未聴だった新曲「ハッピーラッキーデイ」などもまじえつつ、「いいお天気」「恋はアラモード」「てんきゅっ」などなど。
ふだん路上ライブしている心斎橋大丸前が、前回警察によって止められたので、今回は梅田になったようだが、近くにバンドの音も聞こえないので、その分、ライブを楽しむことができた。
ただ、人通りが少ない場所だったので、少々淋しくもある。
一長一短だ。
ライブ終わって、時計(たまごっち)見たら、もう10時になろうとしていた。
http://choco2.jp/i.php?id=okamefuku
でも、諸事情により、チョイスしたのは、徒歩で行ける範囲、しかも無料イベント。
こう書いてしまうと、「諸事情」が金銭的なことなんだって、丸わかり!
まず、トップジャパン日本橋でエンジェルキッスDVD発売記念イベント。
子供モデルを多数擁するエンジェルプロダクションから出たエンジェルキッスDVD4枚のモデル、りな(小2)、さとり(12才)、なお(13才)、miyu(小4)の合同イベントになる。
午後1時からの本イベントは、DVDを購入しないと参加できないので、残念ながらパスせざるを得なかった。
でも、正午から、りなちゃんが1日店長として、レジに入った。
このイベントは自由参加だ。
店頭では、miyu(パンダの着ぐるみ)、なお(ロリータ)、さとり(ロリータ)が宣伝のチラシ配り。
僕はりなちゃんの1日店長の方を集中的に見ることにした。
「1日店長」のたすきをかけてレジに入るりなちゃん。
次々と売れる、りなちゃんのDVD。
イベント参加券とレシートを封入し、自分で持って来たキティのスタンプも押している。
写真で見た表情からは、消え入りそうなイメージの子なのかな、と思っていたが、実際に見てみると、元気な子で、とても好感を持てた。
そうこうするうちに、ビラ配りを終えて残りの3人も合流してきた。
イベントでは、トーク、撮影会、ゲームなどが展開するのだろう。
うわー、めっちゃ見たかった。
http://www.angel-production.com/index.html
午後9時からは、梅田でおかめふくのストリートライブ。
梅田なら、いつも仕事で徒歩通勤しているので、徒歩の範囲だ。
とは言え、15分くらい遅れて到着したのだろうか、既にライブは始まっていた。
「一人旅シャラルラン」の新バージョンとか、未聴だった新曲「ハッピーラッキーデイ」などもまじえつつ、「いいお天気」「恋はアラモード」「てんきゅっ」などなど。
ふだん路上ライブしている心斎橋大丸前が、前回警察によって止められたので、今回は梅田になったようだが、近くにバンドの音も聞こえないので、その分、ライブを楽しむことができた。
ただ、人通りが少ない場所だったので、少々淋しくもある。
一長一短だ。
ライブ終わって、時計(たまごっち)見たら、もう10時になろうとしていた。
http://choco2.jp/i.php?id=okamefuku
安達哲の『さくらの唄』全3巻を読んだ。
大荒れの思春期ストーリー。
どう大荒れかというと、金春夫妻という醜い現実のエージェントが、同居してきて、普通の学生なら脳内ですべて終わっている思春期の嵐が、現実の中で吹き荒れてしまうのだ。
主人公の自意識過剰っぷりや、精神の脆弱さは、思春期特有のもので、懐かしくて愛しいが、断固として撲滅すべきものである。
一方、金春夫妻がつきつける現実の醜さも、いくらでも代案があるもので、主人公が逃げ場を失っているように思うのは、まったくの錯覚なのだ。
現実は醜いというのが金春夫妻の主張だが、そうとはかぎらないことを、思春期を過ぎた者なら、だれでも知っている。「現実とはこうだ」と思い込んでいる金春夫妻もまた、思春期同様の視野の狭さをもっているのだ。
これは、視野の狭いもの同士の物語なのだ。
クライマックスでは現実の醜さはもう破れかぶれでファンタジー的様相を呈してくる。
そして、ラストでは、すべての鬱屈や悩みが「苦しんだだけ損でした」的ハッピーエンドを迎える。
ラストシーンで、この漫画のマドンナ役の仲村真理が言う。
「最初から自分信用してやればよかったのよ」
まさにその通り。
悩んだり、苦しんだりするのも、勉強のうち、経験のうち、なんておためごかしを言う人もいるが、悩みや苦しみはない方がいいに決まっている。
それでも悩んでしまう、それでも苦しみはつきまとう、と思っている人は、悩みや苦しみ無しではアイデンティティーを保てない性格なんじゃなかろうか。
でもなあ、思春期のあいだは、こんな簡単なことも、なかなかわからないんだなあ。
僕も思春期のあいだは、わからなかったもんなあ。
人生の中では、こんな大馬鹿な季節はほんの一瞬のことだが、それを描いた作品だから、「さくらの唄」とタイトルがつけられたんだろうか。
大荒れの思春期ストーリー。
どう大荒れかというと、金春夫妻という醜い現実のエージェントが、同居してきて、普通の学生なら脳内ですべて終わっている思春期の嵐が、現実の中で吹き荒れてしまうのだ。
主人公の自意識過剰っぷりや、精神の脆弱さは、思春期特有のもので、懐かしくて愛しいが、断固として撲滅すべきものである。
一方、金春夫妻がつきつける現実の醜さも、いくらでも代案があるもので、主人公が逃げ場を失っているように思うのは、まったくの錯覚なのだ。
現実は醜いというのが金春夫妻の主張だが、そうとはかぎらないことを、思春期を過ぎた者なら、だれでも知っている。「現実とはこうだ」と思い込んでいる金春夫妻もまた、思春期同様の視野の狭さをもっているのだ。
これは、視野の狭いもの同士の物語なのだ。
クライマックスでは現実の醜さはもう破れかぶれでファンタジー的様相を呈してくる。
そして、ラストでは、すべての鬱屈や悩みが「苦しんだだけ損でした」的ハッピーエンドを迎える。
ラストシーンで、この漫画のマドンナ役の仲村真理が言う。
「最初から自分信用してやればよかったのよ」
まさにその通り。
悩んだり、苦しんだりするのも、勉強のうち、経験のうち、なんておためごかしを言う人もいるが、悩みや苦しみはない方がいいに決まっている。
それでも悩んでしまう、それでも苦しみはつきまとう、と思っている人は、悩みや苦しみ無しではアイデンティティーを保てない性格なんじゃなかろうか。
でもなあ、思春期のあいだは、こんな簡単なことも、なかなかわからないんだなあ。
僕も思春期のあいだは、わからなかったもんなあ。
人生の中では、こんな大馬鹿な季節はほんの一瞬のことだが、それを描いた作品だから、「さくらの唄」とタイトルがつけられたんだろうか。
ライト・イズ・ライト―Dreaming 80’s、メイドちやじ卒業
2006年1月19日 読書
見沢知廉の『ライト・イズ・ライト』を読んだ。
80年代の右翼(新右翼)、左翼(サヨク)の狂騒を描いている。
論争も、主義も、主張も、アジテーションも、全部が言葉の上だけの存在で、上滑りして、浮ついている。
右と左の男女がくっつき、所属するウィングが違うと評される男が出て来る。
相容れないはずのものが、関係しあっている。
また、時代をあらわす懐かしい言葉が次々と出て来る。
岡安の秘密結社Gとか。
ハンドヘルドコンピュータとか音響カプラという名前を聞いたのは、まさに20年ぶりじゃないか、と思う。
さて、この本を読んで考えたのは、やはり、言葉の問題だ。
右翼には右翼の、左翼には左翼のもつ独特の言い回しや、口調、決まり文句がある。
この小説では、お互い相手が何を言うかを知った者同士にょる討論が描かれる。
それに対する反論も、あらかじめ用意されており、さらに、それへの反論も。
人は、何が正しいかを判断してどちらかの側に属するのではない。
まず、どちらに属するかを決めて、しかるのちに、行動も理論武装も行われるのだ。
どこかに属さずにはいられない人というのが存在している。
そういう人は、帰属感を得たいがために、外部のものにはわからない言葉を使いたがる。
隠語、スラング、略語、専門用語などなど。
最近流行の言葉や、今まで聞いたこともないような言葉を使いたがる人は、それだけ、自分の居場所に不安を抱えているのだ。
これは、一般的に言って、当然のことだ。
判断の前に所属がある、というのは、つまり、自分はこの世界に生まれたくて生まれてきたわけではない、ということの1つのバリエーションだ。
「おまえは、右翼のことを知らないくせに、なぜ、右翼になったんだ」という言葉は
「僕は、地球に生まれたかったんじゃないのに、いきなり地球人なのだ」という事情とどう違うのか。
そして、日本に生まれたかぎりは、好き嫌いを問わず、日本語を学習する。
これは、そのまま「業界人だから、寿司をシースーと呼ぶ」という学習の仕方とどう違うのか。
言語を学習して、コミュニケーションをはかろうとする行為は、そのまま、同じ本を読み、映画を見て、テレビを見ることで、共通言語を得るのと同様である。
みんなの話題についていけないから、と読む本、見るテレビ、遊ぶゲーム、聞く音楽など。
一般的には、何も責められるところのない、普通の行動だ。
ここで「一般的」とか「普通」と書いているのは、僕は違う意見を持っているからだ。
スラング使ったり、略語使ったりして、自分がどこかに属しているという実感を味わいたい、と思っている人もいるが、僕はそうではない。
どこかに属する、ということは、既にある何かの傘の中に入る行為だからだ。
僕がめざすのは、スラングを学習することではなく、自分でスラングを作り出すことだ。
僕がめざすのは、他人とは違う言葉を使って孤高を守ることではなく、他人に僕の言葉を使わせてインフルエンザにかからせることだ。
みんながだれかの真似でない言葉を使って、お互いに交通がはかれれば、理想ではないか。
すべての常識は、僕が書き換える。(つもり)
百科事典も辞書も、僕が全部書き直す。(予定)
既存のものを学習するのは、ヒトラーが政権をとるに至った経緯にならって、無力をかこつことがないように、だ。
つまり、みんなと同様、僕も孤独を避けたい、と思ってる。
でも、何かに属すくらいなら、人を僕に属させたいのだ。
この『ライト・イズ・ライト』に描かれる青春群像が、愛すべきものであると同時に、避けたく思えるのは、彼らが何かに属することに対して無防備すぎるからだ。
右に属すのも左に属すのも、「属する」という一点で同じ穴のムジナなのだ。
属する欲望に負けた人間は、永遠に負け戦をたたかい続けるしかないのだ。
右でも左でもない、方向音痴の翼で自由に動くことこそが、有効な選択だと思う。
今日は、メイドインカフェの名物メイド、上履きメイドの「ちやじ」卒業の日だった。
上履きをやめて、体育館シューズに変えるのか、とかそういうわけではない。
仕事前に寄ってみると、淡々とメイド業にいそしむちやじの姿があった。
メイドにありがちな、内心では何を考えているのかわからない、水商売的トーク、営業トークを、ちやじはしたことがない。
それでいて、当意即妙としか言い様のない、ちやじの受け答えは、メイド喫茶が似而非風俗でしかないんじゃないか、との僕の思い込みを覆すにはじゅうぶんだった。
メイド喫茶をやめても、またどこか面白い店や職場で、「客」としての関係を持つことができるように、祈っている。
ラスト、ちやじはメイド喫茶の入口に、上履きを丁寧にそろえて置いて、メイドとしての仕事を終わらせた。
そして、自分自身に向けてそっと言ったのだ。
「いってらっしゃいませ、ご主人様」
80年代の右翼(新右翼)、左翼(サヨク)の狂騒を描いている。
論争も、主義も、主張も、アジテーションも、全部が言葉の上だけの存在で、上滑りして、浮ついている。
右と左の男女がくっつき、所属するウィングが違うと評される男が出て来る。
相容れないはずのものが、関係しあっている。
また、時代をあらわす懐かしい言葉が次々と出て来る。
岡安の秘密結社Gとか。
ハンドヘルドコンピュータとか音響カプラという名前を聞いたのは、まさに20年ぶりじゃないか、と思う。
さて、この本を読んで考えたのは、やはり、言葉の問題だ。
右翼には右翼の、左翼には左翼のもつ独特の言い回しや、口調、決まり文句がある。
この小説では、お互い相手が何を言うかを知った者同士にょる討論が描かれる。
それに対する反論も、あらかじめ用意されており、さらに、それへの反論も。
人は、何が正しいかを判断してどちらかの側に属するのではない。
まず、どちらに属するかを決めて、しかるのちに、行動も理論武装も行われるのだ。
どこかに属さずにはいられない人というのが存在している。
そういう人は、帰属感を得たいがために、外部のものにはわからない言葉を使いたがる。
隠語、スラング、略語、専門用語などなど。
最近流行の言葉や、今まで聞いたこともないような言葉を使いたがる人は、それだけ、自分の居場所に不安を抱えているのだ。
これは、一般的に言って、当然のことだ。
判断の前に所属がある、というのは、つまり、自分はこの世界に生まれたくて生まれてきたわけではない、ということの1つのバリエーションだ。
「おまえは、右翼のことを知らないくせに、なぜ、右翼になったんだ」という言葉は
「僕は、地球に生まれたかったんじゃないのに、いきなり地球人なのだ」という事情とどう違うのか。
そして、日本に生まれたかぎりは、好き嫌いを問わず、日本語を学習する。
これは、そのまま「業界人だから、寿司をシースーと呼ぶ」という学習の仕方とどう違うのか。
言語を学習して、コミュニケーションをはかろうとする行為は、そのまま、同じ本を読み、映画を見て、テレビを見ることで、共通言語を得るのと同様である。
みんなの話題についていけないから、と読む本、見るテレビ、遊ぶゲーム、聞く音楽など。
一般的には、何も責められるところのない、普通の行動だ。
ここで「一般的」とか「普通」と書いているのは、僕は違う意見を持っているからだ。
スラング使ったり、略語使ったりして、自分がどこかに属しているという実感を味わいたい、と思っている人もいるが、僕はそうではない。
どこかに属する、ということは、既にある何かの傘の中に入る行為だからだ。
僕がめざすのは、スラングを学習することではなく、自分でスラングを作り出すことだ。
僕がめざすのは、他人とは違う言葉を使って孤高を守ることではなく、他人に僕の言葉を使わせてインフルエンザにかからせることだ。
みんながだれかの真似でない言葉を使って、お互いに交通がはかれれば、理想ではないか。
すべての常識は、僕が書き換える。(つもり)
百科事典も辞書も、僕が全部書き直す。(予定)
既存のものを学習するのは、ヒトラーが政権をとるに至った経緯にならって、無力をかこつことがないように、だ。
つまり、みんなと同様、僕も孤独を避けたい、と思ってる。
でも、何かに属すくらいなら、人を僕に属させたいのだ。
この『ライト・イズ・ライト』に描かれる青春群像が、愛すべきものであると同時に、避けたく思えるのは、彼らが何かに属することに対して無防備すぎるからだ。
右に属すのも左に属すのも、「属する」という一点で同じ穴のムジナなのだ。
属する欲望に負けた人間は、永遠に負け戦をたたかい続けるしかないのだ。
右でも左でもない、方向音痴の翼で自由に動くことこそが、有効な選択だと思う。
今日は、メイドインカフェの名物メイド、上履きメイドの「ちやじ」卒業の日だった。
上履きをやめて、体育館シューズに変えるのか、とかそういうわけではない。
仕事前に寄ってみると、淡々とメイド業にいそしむちやじの姿があった。
メイドにありがちな、内心では何を考えているのかわからない、水商売的トーク、営業トークを、ちやじはしたことがない。
それでいて、当意即妙としか言い様のない、ちやじの受け答えは、メイド喫茶が似而非風俗でしかないんじゃないか、との僕の思い込みを覆すにはじゅうぶんだった。
メイド喫茶をやめても、またどこか面白い店や職場で、「客」としての関係を持つことができるように、祈っている。
ラスト、ちやじはメイド喫茶の入口に、上履きを丁寧にそろえて置いて、メイドとしての仕事を終わらせた。
そして、自分自身に向けてそっと言ったのだ。
「いってらっしゃいませ、ご主人様」
僕はジャクソン・ポロックじゃない。
2006年1月18日 読書
ジョン・ハスケルの『僕はジャクソン・ポロックじゃない』を読んだ。
役者でもある作者による短編集。
その作品は、エッセイや評伝と小説を一体にしたような手ざわりで、新鮮だった。
映画スターなどの有名人を主人公にしたエピソードを事実と虚構をおりまぜて作りあげている。突然、無関係なエピソードが語られるかと思えば、それが1つのテーマに収斂されていったり、いかなかったりする。
主に映画のストーリーと、それを演じた俳優のストーリー、そのどちらがより虚構、という階級もなく語られる不思議な世界。
以下、各作品で語られるエピソードのインデックスをメモしておこう。
「僕はジャクソン・ポロックじゃない」
有名になり過ぎたジャクソン・ポロック。
反逆もまたスタイルとして容認されてしまうのだ。
「象の気持ち」
人を死なせてしまい、公衆の面前で感電死させられる象のトプシィ。
見世物として展示されるホッテントットの女性、サァキィ。
「サイコの判断」
映画「サイコ」のジャネット・リー。
トロイア戦争のパリス。
「ジャンヌ・ダルクの顔」
エクソシストの悪魔役、マーセデス・マッケンブリッジ
カール・ドライアー「裁かれるジャンヌ」のルネ・ファルコネッティ(ジャンヌ役)
「サムソンとデリラ」のデリラ役、ヘディ・ラマー
自分なりの人生を送ることにともなう犠牲。
「キャプシーヌ」
57才のときにとびおり自殺を試みるキャプシーヌ。
同い年のノーマン・モリソンは抗議の焼身自殺。
「六つのパートからなるグレン・グールド」
グールドらしいエピソード。実際にあったことかどうかは不明。
「素晴らしい世界」
宇宙に飛んだライカ犬。
井戸の中に落ちた少女。
モーテルの発明について。
「真夜中の犯罪」
オーソン・ウェルズ。「黒い罠」の。「第三の男」の。「フォルスタッフ」の。
この作品に関しては、ほとんど映画の中だけでストーリーが進む。
まるで、役作りのような掘り下げ。
「奥の細道」
芭蕉と曾良。俳句作りと人生には精神集中が大前提と考える芭蕉の前にひろがる、妨害物。
俳句の道は「細道」とならざるをえない。
アーヴィング・ペンと、そのモデル、リサ。
1冊読み終えるのが惜しいくらい楽しく読んだが、ときどき、僕の頭によぎったのは「プロレススーパースター列伝」だった。
なぜ?
せめて「ハリウッドバビロン」であってほしかった。
役者でもある作者による短編集。
その作品は、エッセイや評伝と小説を一体にしたような手ざわりで、新鮮だった。
映画スターなどの有名人を主人公にしたエピソードを事実と虚構をおりまぜて作りあげている。突然、無関係なエピソードが語られるかと思えば、それが1つのテーマに収斂されていったり、いかなかったりする。
主に映画のストーリーと、それを演じた俳優のストーリー、そのどちらがより虚構、という階級もなく語られる不思議な世界。
以下、各作品で語られるエピソードのインデックスをメモしておこう。
「僕はジャクソン・ポロックじゃない」
有名になり過ぎたジャクソン・ポロック。
反逆もまたスタイルとして容認されてしまうのだ。
「象の気持ち」
人を死なせてしまい、公衆の面前で感電死させられる象のトプシィ。
見世物として展示されるホッテントットの女性、サァキィ。
「サイコの判断」
映画「サイコ」のジャネット・リー。
トロイア戦争のパリス。
「ジャンヌ・ダルクの顔」
エクソシストの悪魔役、マーセデス・マッケンブリッジ
カール・ドライアー「裁かれるジャンヌ」のルネ・ファルコネッティ(ジャンヌ役)
「サムソンとデリラ」のデリラ役、ヘディ・ラマー
自分なりの人生を送ることにともなう犠牲。
「キャプシーヌ」
57才のときにとびおり自殺を試みるキャプシーヌ。
同い年のノーマン・モリソンは抗議の焼身自殺。
「六つのパートからなるグレン・グールド」
グールドらしいエピソード。実際にあったことかどうかは不明。
「素晴らしい世界」
宇宙に飛んだライカ犬。
井戸の中に落ちた少女。
モーテルの発明について。
「真夜中の犯罪」
オーソン・ウェルズ。「黒い罠」の。「第三の男」の。「フォルスタッフ」の。
この作品に関しては、ほとんど映画の中だけでストーリーが進む。
まるで、役作りのような掘り下げ。
「奥の細道」
芭蕉と曾良。俳句作りと人生には精神集中が大前提と考える芭蕉の前にひろがる、妨害物。
俳句の道は「細道」とならざるをえない。
アーヴィング・ペンと、そのモデル、リサ。
1冊読み終えるのが惜しいくらい楽しく読んだが、ときどき、僕の頭によぎったのは「プロレススーパースター列伝」だった。
なぜ?
せめて「ハリウッドバビロン」であってほしかった。
山口雅也の『チャット隠れ鬼』を読んだ。
ネット初心者の教師が、生徒たちをネット犯罪の魔の手から守るため、ネット内をパトロールすることになった。繁華街に補導に出るのと同じ感覚。
そうこうするうちに、チャットで少女を狙っているペドの存在に気づいた!
ペドの魔手から少女を救わねば!
でも、その正体をどうやって知ればいいのか。
このミステリーは、チャットをまったく知らない僕みたいな読者にも、丁寧に解説をつけすぎている。作者はこの小説をジュブナイルとして書いたんじゃないか、と思った。
チャットにはまっていく教師の姿も、「あるある」とうなづかせる程度で、エキセントリックな面は皆無だ。
ミステリー的には、本人が目の前にいるのに、チャットで一緒に会話を目撃する、「化人幻戯」的謎が秘かにあらわれる。
そのトリックも、チャットロボットを使う、少年漫画レベルの解決が待っている。
やはり、これは、少年向けの小説なのだ。
少年向け小説を集中的に読んでいる今の僕には、うってつけの作品だった。
山口雅也には、こんな風な、何かの入門編とミステリーをドッキングさせた作品をまた書いてほしいと思う。
チャットを1回もしたことのない僕でも、チャットの魅力を感じたのだから。
ネット初心者の教師が、生徒たちをネット犯罪の魔の手から守るため、ネット内をパトロールすることになった。繁華街に補導に出るのと同じ感覚。
そうこうするうちに、チャットで少女を狙っているペドの存在に気づいた!
ペドの魔手から少女を救わねば!
でも、その正体をどうやって知ればいいのか。
このミステリーは、チャットをまったく知らない僕みたいな読者にも、丁寧に解説をつけすぎている。作者はこの小説をジュブナイルとして書いたんじゃないか、と思った。
チャットにはまっていく教師の姿も、「あるある」とうなづかせる程度で、エキセントリックな面は皆無だ。
ミステリー的には、本人が目の前にいるのに、チャットで一緒に会話を目撃する、「化人幻戯」的謎が秘かにあらわれる。
そのトリックも、チャットロボットを使う、少年漫画レベルの解決が待っている。
やはり、これは、少年向けの小説なのだ。
少年向け小説を集中的に読んでいる今の僕には、うってつけの作品だった。
山口雅也には、こんな風な、何かの入門編とミステリーをドッキングさせた作品をまた書いてほしいと思う。
チャットを1回もしたことのない僕でも、チャットの魅力を感じたのだから。
マーク・ディンダル監督のディズニー映画「チキン・リトル」を見て来た。
にわとりの子供はヒヨコかと思ったら、ニワトリのまま子供の姿で登場する。
チキン・リトルはもやしっ子で、見た目はナードそのもの。
スポーツさせても運痴だし、鈍臭いことこのうえない。
つごうが悪くなると「だれの話し?」ととぼけるギャグをもっている。
いつかみんなに自分を認めてもらいたい、と思ってるけど、なかなかうまく行かない。
エイリアンのこどもカービーが地上に取り残されて、それを帰してあげるため、チキン・リトルは仲間のラント(デブ)、アビー(ブス)、フィッシュ(マイペース)たちの冒険がはじまる。
この仲間たちというのも、クラスではいじめの対象になるか、1人仲間はずれになるタイプの子ばかり。
作品は、映画のパロディ満載で、軽く見るには最適。
置き去りになったカービーを取り戻すため、宇宙戦争さながらのシーンが繰り広げられたりする。(宇宙戦争、予告編しか見てないんだけど、映画の中で「外は宇宙戦争だぞ!」とネタバレしてた)
この映画、チキン・リトルのキャラクターが可愛いんじゃないか、と思って見たのだが、ストーリーを見て、各登場キャラクターの性格などを知ってみると。
チキン・リトルのたよりなさ、どんくささに、イライラした。
好感を持てたのは、フィッシュ。
フィッシュは何事に対しても自然体で、偏見にもとらわれず、自意識過剰でもなく、臆病でもない。こんな人になりたい。
あとは、カービーが素直で可愛い。
子供を信じてやれない、野球バカのチキン・リトルの父親は最低だし、カービーの親も早とちりでダメだ。
エイリアンだと言うだけで、侵略と思い込むアメリカンな白痴っぷりが描かれていて、多少なりとも批判的なのかな、と思ったら、そういうわけでもない。
男にまじって野球のトップ選手であるフォクシー(メス)が、チキン・リトルのまぐれ当たりで失墜したり、エイリアンになぜかおしとやかなレディに変えられたりするのは、まさにアメリカン白痴な展開としか言い様がない。
妙に野球にこだわるチキン・リトルの性向も、アメリカン白痴だ。
ところで、この映画、ピクサーが絡んでいない映画のようだ。
映像的にあまり印象に残らなかったのは、そのせいだったのか。
写真はカービー。
にわとりの子供はヒヨコかと思ったら、ニワトリのまま子供の姿で登場する。
チキン・リトルはもやしっ子で、見た目はナードそのもの。
スポーツさせても運痴だし、鈍臭いことこのうえない。
つごうが悪くなると「だれの話し?」ととぼけるギャグをもっている。
いつかみんなに自分を認めてもらいたい、と思ってるけど、なかなかうまく行かない。
エイリアンのこどもカービーが地上に取り残されて、それを帰してあげるため、チキン・リトルは仲間のラント(デブ)、アビー(ブス)、フィッシュ(マイペース)たちの冒険がはじまる。
この仲間たちというのも、クラスではいじめの対象になるか、1人仲間はずれになるタイプの子ばかり。
作品は、映画のパロディ満載で、軽く見るには最適。
置き去りになったカービーを取り戻すため、宇宙戦争さながらのシーンが繰り広げられたりする。(宇宙戦争、予告編しか見てないんだけど、映画の中で「外は宇宙戦争だぞ!」とネタバレしてた)
この映画、チキン・リトルのキャラクターが可愛いんじゃないか、と思って見たのだが、ストーリーを見て、各登場キャラクターの性格などを知ってみると。
チキン・リトルのたよりなさ、どんくささに、イライラした。
好感を持てたのは、フィッシュ。
フィッシュは何事に対しても自然体で、偏見にもとらわれず、自意識過剰でもなく、臆病でもない。こんな人になりたい。
あとは、カービーが素直で可愛い。
子供を信じてやれない、野球バカのチキン・リトルの父親は最低だし、カービーの親も早とちりでダメだ。
エイリアンだと言うだけで、侵略と思い込むアメリカンな白痴っぷりが描かれていて、多少なりとも批判的なのかな、と思ったら、そういうわけでもない。
男にまじって野球のトップ選手であるフォクシー(メス)が、チキン・リトルのまぐれ当たりで失墜したり、エイリアンになぜかおしとやかなレディに変えられたりするのは、まさにアメリカン白痴な展開としか言い様がない。
妙に野球にこだわるチキン・リトルの性向も、アメリカン白痴だ。
ところで、この映画、ピクサーが絡んでいない映画のようだ。
映像的にあまり印象に残らなかったのは、そのせいだったのか。
写真はカービー。
大阪厚生年金会館大ホールでワンダフルハーツコンサートを見て来た。
午後6時30分の回。
以下、セットリスト。ネットなどで検索してみたが、僕のメモと違うところがいくつかあった。ここに載せるのは、僕のメモから。間違っていたら御容赦!
01.好きすぎて バカみたい / 全員
02.ここにいるぜぇ! / 全員
MC(矢口、まこと)
03.クレナイの季節 / 美勇伝
04.紫陽花アイ愛物語 / 美勇伝
05.好きになっちゃいけない人 / 田中・村上・鈴木
06.LOVE涙色 / 辻・新垣
07.スクランブル / 藤本・高橋・加護・三好
MC(リーダー集合。吉澤・石川・辻・清水・矢島。各ユニットのセールスポイントをリーダーがアピールし、まことが評価。モーニング娘。はメンバーが10人なので「テンワンダフル!」とかWは辻が途中で加護に電話を変わっても辻母が区別できていないことから、「一心同体ワンダフル!」とかBerryz工房はライブ前に乳歯ぬけて「フレッシュワンダフル!」とか。いちいち笑えた。℃-uteにハロプロエッグの有原栞菜が新加入。この日はお披露目だけで、横浜アリーナから正式にステージに立つとのこと)
08.わっきゃない(Z) / ℃-ute(オリジナル新曲!?)
09.ぴったりしたいX’mas / 小川・熊井・久住
10.渚のシンドバッド / W
11.Missラブ探偵 / W
12.ひょっこりひょうたん島 / 道重・岡田・夏焼・熊井・嗣永・徳永・矢島・梅田
13.BE ALL RIGHT! / 吉澤・紺野・藤本・石川・三好・辻・菅谷・須藤・清水・村上・中島
14.浮気なハニーパイ / 全員(チアバージョン)
MC(岡井・萩原。ワンダフルにかけて、まことのことを「キノコフル」と評する舞)
15.FIRST KISS / あぁ!
16.ミラクルルン グランプリン! / 加護・中島・岡井・萩原
17.I&YOU&I&YOU&I / 石川・亀井・矢島・村上
18.ギャグ100回分愛してください / Berryz工房
19.スッペシャル ジェネレ〜ション / Berryz工房(前曲から間髪おかずにはじまったのに、客席の「ス!」のかけ声がばっちりシンクロしてた!すごい!)
20.女子かしまし物語2 / モーニング娘。(「くっすみ、くっすみ」健在)
21.色っぽい じれったい / モーニング娘。
22.浪漫〜MY DEAR BOY〜 / モーニング娘。
23.直感2〜逃した魚は大きいぞ!〜 / モーニング娘。・℃-ute・Berryz工房
24.友情〜心のブスにはならねぇ! /モーニング娘。以外
25.ピリリと行こう / 全員(小川のターンが1人だけ早かった!)
26.そうだ!We’re ALIVE / 全員
MC
27.愛あらばIt’s ALL RIGHT / 全員
いや、もう、目移りして、どこを見ていいやら!
何回も見て、堪能したいものだ。
萩原舞は身体が小さいのに、その分ダンスがダイナミックで大きくて感心した。
毎回、ハロプロ祭り見て思うのだが、これだけの人数、魅力のある美少女が集まっているのを見るのは、空前絶後だ。天国かと思った。みんな、ダンスも歌も、そうとう練習積んでいるだろうし。
しかし、1時間40分は短い。せめて倍の時間、ライブしてほしいものだ。
午後6時30分の回。
以下、セットリスト。ネットなどで検索してみたが、僕のメモと違うところがいくつかあった。ここに載せるのは、僕のメモから。間違っていたら御容赦!
01.好きすぎて バカみたい / 全員
02.ここにいるぜぇ! / 全員
MC(矢口、まこと)
03.クレナイの季節 / 美勇伝
04.紫陽花アイ愛物語 / 美勇伝
05.好きになっちゃいけない人 / 田中・村上・鈴木
06.LOVE涙色 / 辻・新垣
07.スクランブル / 藤本・高橋・加護・三好
MC(リーダー集合。吉澤・石川・辻・清水・矢島。各ユニットのセールスポイントをリーダーがアピールし、まことが評価。モーニング娘。はメンバーが10人なので「テンワンダフル!」とかWは辻が途中で加護に電話を変わっても辻母が区別できていないことから、「一心同体ワンダフル!」とかBerryz工房はライブ前に乳歯ぬけて「フレッシュワンダフル!」とか。いちいち笑えた。℃-uteにハロプロエッグの有原栞菜が新加入。この日はお披露目だけで、横浜アリーナから正式にステージに立つとのこと)
08.わっきゃない(Z) / ℃-ute(オリジナル新曲!?)
09.ぴったりしたいX’mas / 小川・熊井・久住
10.渚のシンドバッド / W
11.Missラブ探偵 / W
12.ひょっこりひょうたん島 / 道重・岡田・夏焼・熊井・嗣永・徳永・矢島・梅田
13.BE ALL RIGHT! / 吉澤・紺野・藤本・石川・三好・辻・菅谷・須藤・清水・村上・中島
14.浮気なハニーパイ / 全員(チアバージョン)
MC(岡井・萩原。ワンダフルにかけて、まことのことを「キノコフル」と評する舞)
15.FIRST KISS / あぁ!
16.ミラクルルン グランプリン! / 加護・中島・岡井・萩原
17.I&YOU&I&YOU&I / 石川・亀井・矢島・村上
18.ギャグ100回分愛してください / Berryz工房
19.スッペシャル ジェネレ〜ション / Berryz工房(前曲から間髪おかずにはじまったのに、客席の「ス!」のかけ声がばっちりシンクロしてた!すごい!)
20.女子かしまし物語2 / モーニング娘。(「くっすみ、くっすみ」健在)
21.色っぽい じれったい / モーニング娘。
22.浪漫〜MY DEAR BOY〜 / モーニング娘。
23.直感2〜逃した魚は大きいぞ!〜 / モーニング娘。・℃-ute・Berryz工房
24.友情〜心のブスにはならねぇ! /モーニング娘。以外
25.ピリリと行こう / 全員(小川のターンが1人だけ早かった!)
26.そうだ!We’re ALIVE / 全員
MC
27.愛あらばIt’s ALL RIGHT / 全員
いや、もう、目移りして、どこを見ていいやら!
何回も見て、堪能したいものだ。
萩原舞は身体が小さいのに、その分ダンスがダイナミックで大きくて感心した。
毎回、ハロプロ祭り見て思うのだが、これだけの人数、魅力のある美少女が集まっているのを見るのは、空前絶後だ。天国かと思った。みんな、ダンスも歌も、そうとう練習積んでいるだろうし。
しかし、1時間40分は短い。せめて倍の時間、ライブしてほしいものだ。
スタジオSTSライブ1月号
2006年1月14日 アイドル今年最初のSTSライブに行ってきた。午後6時30分開場、7時開演。
最初に工藤幸子からご挨拶。
学校の朝礼を思い出して、妙な懐かしさを覚える。
貧血で倒れてやろうかと思った。
01.Keep the Faith/ラズベリーズ
02.浪漫/プリティーズ(カワダルミちゃん加入。5人)
03.Baby My Heart/マシェリー
04.No More Cry/タイフーンjr.
05.桃色片想い/チックス
06.悲しみから瞳をそらさないで/トレード
07.I Believe/ナオセレクト
08.ミッキーマウスマーチ/ミニミニclub
09.Pump It/Super Bubblez(新レパートリー。今川奈美ちゃん参加)
10.Just Lovin’ You/桐生彩加
11.愛のカケラ/杉本めぐみ
12.No.1/Phrase
13.steady/ファッションズ(菅安奈ちゃん不在)
14.ちょっとだけMy Love/ミューズ(満里奈ちゃん不在)
15.King & Queen/プリッツ(新レパートリー、川口美歩華ちゃん加入。6人)
16.淋しい熱帯魚/RISAKO & REINA
17.Love like candy floss/TOUCH
18.sexy,naughty,bitcy/ブラックベリーズ(前回投票で1位)
19.don’t you wanna see me (oh) tonight/ブラックベリーズ
人気投票で選んだベスト3は、
第1位プリッツ
第2位RISAKO&REINA
第3位ラズベリーズ
だったが、見ていたときの感動度では、
Super Bubblez、ナオセレクト、桐生彩加だった。
チックスもプリティーズも、ハロプロじゃない選曲がいいんじゃないか、と思った。
今回は、ミューズもファッションズもメンバーを欠き、いちごっ娘も出なかったので、投票ではブラックベリーズとTOUCHの一騎討ちになるんじゃないか、と思われる。
僕みたいに、プリッツをいいと思う人がどれだけいるか、2月の結果発表が楽しみだ。
僕がこのライブに望むのは、クランベリーズが復活して「恋してるって感じ」を歌ってくれて、ラズベリーズに「ちょっと背伸びしたい」歌ってもらい、ブラックベリーズに「恋がはじまるゥ」を歌ってもらい、ストロベリんごとAKI & AYAKAに出てもらうことだ。
かっこよくない頃の創叡がとても懐かしい。
最初に工藤幸子からご挨拶。
学校の朝礼を思い出して、妙な懐かしさを覚える。
貧血で倒れてやろうかと思った。
01.Keep the Faith/ラズベリーズ
02.浪漫/プリティーズ(カワダルミちゃん加入。5人)
03.Baby My Heart/マシェリー
04.No More Cry/タイフーンjr.
05.桃色片想い/チックス
06.悲しみから瞳をそらさないで/トレード
07.I Believe/ナオセレクト
08.ミッキーマウスマーチ/ミニミニclub
09.Pump It/Super Bubblez(新レパートリー。今川奈美ちゃん参加)
10.Just Lovin’ You/桐生彩加
11.愛のカケラ/杉本めぐみ
12.No.1/Phrase
13.steady/ファッションズ(菅安奈ちゃん不在)
14.ちょっとだけMy Love/ミューズ(満里奈ちゃん不在)
15.King & Queen/プリッツ(新レパートリー、川口美歩華ちゃん加入。6人)
16.淋しい熱帯魚/RISAKO & REINA
17.Love like candy floss/TOUCH
18.sexy,naughty,bitcy/ブラックベリーズ(前回投票で1位)
19.don’t you wanna see me (oh) tonight/ブラックベリーズ
人気投票で選んだベスト3は、
第1位プリッツ
第2位RISAKO&REINA
第3位ラズベリーズ
だったが、見ていたときの感動度では、
Super Bubblez、ナオセレクト、桐生彩加だった。
チックスもプリティーズも、ハロプロじゃない選曲がいいんじゃないか、と思った。
今回は、ミューズもファッションズもメンバーを欠き、いちごっ娘も出なかったので、投票ではブラックベリーズとTOUCHの一騎討ちになるんじゃないか、と思われる。
僕みたいに、プリッツをいいと思う人がどれだけいるか、2月の結果発表が楽しみだ。
僕がこのライブに望むのは、クランベリーズが復活して「恋してるって感じ」を歌ってくれて、ラズベリーズに「ちょっと背伸びしたい」歌ってもらい、ブラックベリーズに「恋がはじまるゥ」を歌ってもらい、ストロベリんごとAKI & AYAKAに出てもらうことだ。
かっこよくない頃の創叡がとても懐かしい。
まいまいしい、花田少年史
2006年1月13日 アニメ・マンガ
京都造形芸術大学情報デザインコースの学生たちによる「まいまいしい」展を見て来た。
「まいまいしい」には「廻しい」に似た文字をあてている。
フライヤーにはカタツムリのイラストレーションがあり、「24人のアーティスト集団によるお化け屋敷」「誘い込まれる渦の中、そこは真冬の白昼夢」とか書いてある。
内容は、フライヤーどおり、お化け屋敷仕立てで、あしもとはギシギシと音の鳴る板。
這いつくばって蝸牛の殻の中を入って行ってみる影絵。
ニキの子宮にも似た入口を持つドームの中に待ち受ける包卵のオブジェ。
見上げるプラネタリウム式アニメーション。
のぞき穴から見る、日常生活の中に侵入した蝸牛たち。
おそらくは「ZOO」あたりにインスピレーションを受け、後発のガロ系漫画を製作として昇華させた趣きがあった。
ひとことで言えば、懐かしのサイケデリック風味があるのだ。
こどもが「こわい!」と叫んでおじけづいていたのが、面白かった。
見る者の参加によって展示が成立する、という方向性は大好きだ。
客がこれだけ動かされるのだから、もっと展示物、あるいは、展示会場も動くなり、変化するなりする工夫があれば、眩暈の度合も大きくなったのだろうが、学生の展示としては、じゅうぶん及第点をとっているだろう。
意味なく、単なる静物画とか風景画を展示するパビリオンが中に混在していても面白かったかもしれない。
ビックリハウスになっていてもよかった。
要するに、僕は遊園地でただ遊びたいのか。
一色まことの『花田少年史』4巻までを読んだ。
成仏できない霊を見ることができる少年。
霊たちは、この世に残した思いを少年によって何とか果たしてもらいたくて、少年に接近してくる。
一歩間違えば、幽遊白書にもなったかという設定だが、こちらの方は、主人公がハゲ丸だ。クリリンだ。ダサダサだ。
幽遊白書にならなくてよかった。
テレビアニメ化されたらしいが、1回も見ていない。
NHKあたりでアニメ化しそうな、健全でしっかりしたストーリーで、これは「やおい」だの「萌え」だのとは無縁なフィールドで存在することができた幸せな漫画だといえるだろう。
なお、この4巻までで、本編は完結しており、どうやら番外編の第5巻もあるらしい。読んで損のない物語なので、見つけたらまた読もう。
「まいまいしい」には「廻しい」に似た文字をあてている。
フライヤーにはカタツムリのイラストレーションがあり、「24人のアーティスト集団によるお化け屋敷」「誘い込まれる渦の中、そこは真冬の白昼夢」とか書いてある。
内容は、フライヤーどおり、お化け屋敷仕立てで、あしもとはギシギシと音の鳴る板。
這いつくばって蝸牛の殻の中を入って行ってみる影絵。
ニキの子宮にも似た入口を持つドームの中に待ち受ける包卵のオブジェ。
見上げるプラネタリウム式アニメーション。
のぞき穴から見る、日常生活の中に侵入した蝸牛たち。
おそらくは「ZOO」あたりにインスピレーションを受け、後発のガロ系漫画を製作として昇華させた趣きがあった。
ひとことで言えば、懐かしのサイケデリック風味があるのだ。
こどもが「こわい!」と叫んでおじけづいていたのが、面白かった。
見る者の参加によって展示が成立する、という方向性は大好きだ。
客がこれだけ動かされるのだから、もっと展示物、あるいは、展示会場も動くなり、変化するなりする工夫があれば、眩暈の度合も大きくなったのだろうが、学生の展示としては、じゅうぶん及第点をとっているだろう。
意味なく、単なる静物画とか風景画を展示するパビリオンが中に混在していても面白かったかもしれない。
ビックリハウスになっていてもよかった。
要するに、僕は遊園地でただ遊びたいのか。
一色まことの『花田少年史』4巻までを読んだ。
成仏できない霊を見ることができる少年。
霊たちは、この世に残した思いを少年によって何とか果たしてもらいたくて、少年に接近してくる。
一歩間違えば、幽遊白書にもなったかという設定だが、こちらの方は、主人公がハゲ丸だ。クリリンだ。ダサダサだ。
幽遊白書にならなくてよかった。
テレビアニメ化されたらしいが、1回も見ていない。
NHKあたりでアニメ化しそうな、健全でしっかりしたストーリーで、これは「やおい」だの「萌え」だのとは無縁なフィールドで存在することができた幸せな漫画だといえるだろう。
なお、この4巻までで、本編は完結しており、どうやら番外編の第5巻もあるらしい。読んで損のない物語なので、見つけたらまた読もう。
二人で泥棒を―ラッフルズとバニー
2006年1月12日 読書
E・W・ホーナングの『ラッフルズとバニー〜二人で泥棒を』を読んだ。
1899年に出版されたラッフルズもの第1弾。
ラッフルズは泥棒で、バニーはその相棒。
バニーガールのイメージがあったので、バニーは女だと思ってたら、男だった。
泥棒を主人公にした作品は、ルパンや地下鉄サムや怪盗ニックや隼お秀など多々あるが、このラッフルズがそれらの先駆である。
例によって、ネタバレのオンパレード。
第1話「三月十五日」
ラッフルズが泥棒だということが、バニーにばれる。
2人のチーム結成。
第2話「衣装のおかげ」
変装の名人、ラッフルズ。
秘密のアジトは衣装部屋で、楽屋みたいになっている。
警官に変装して窮地を脱するラッフルズ。
第3話「ジェントルメン対プレイヤーズ」
クリケット選手としても一流のラッフルズ。
第4話「ラッフルズ、最初の事件」
ラッフルズの語り。同名の銀行支店長と間違われて、初の犯罪。
第5話「意図的な殺人」
もっとも偉大なのは殺人を犯した人間だ、という思想のもと、殺人に手をそめようとするラッフルズ。
ターゲットにした悪党は、先客によって殺されていた。
犯人を見事に逃がしてやるラッフルズ。
第6話「合法と非合法の境目」
名画を複製とすりかえるラッフルズ。
それと知らずに、複製の絵を盗むバニー。
バニ−最初の事件?
第7話「リターン・マッチ」
同業の脱獄者をかくまうラッフルズ。
自分で頭を怪我させて、襲われたふりをする。
第8話「皇帝への贈り物」
バニーはラッフルズにふりまわされっぱなし。
女をくどくラッフルズに嫉妬するバニー。
ラッフルズは策略で女に近付いてたのに。
どう?
まるでライトノベル。
ホームズとワトソン的関係の2人だというのも、ライトノベルだし、2人の間柄が同性愛をにおわすところもライトノベル。
この本がもっと読まれるようになれば、コミケで「ラッフルズとバニー」ものがジャンルとして確立するかもしれない。
御手洗と石岡とか、京極と関口とか、ホームズとワトソンみたいに、バニーはどんくさくて愛すべきキャラクターで、右往左往しまくりだし、ラッフルズは格好いいし。
夜中に放送している萌えアニメでも通用しそうだ。
このシリーズは、あと2冊翻訳されているので、機会があれば読んでみよう。
1899年に出版されたラッフルズもの第1弾。
ラッフルズは泥棒で、バニーはその相棒。
バニーガールのイメージがあったので、バニーは女だと思ってたら、男だった。
泥棒を主人公にした作品は、ルパンや地下鉄サムや怪盗ニックや隼お秀など多々あるが、このラッフルズがそれらの先駆である。
例によって、ネタバレのオンパレード。
第1話「三月十五日」
ラッフルズが泥棒だということが、バニーにばれる。
2人のチーム結成。
第2話「衣装のおかげ」
変装の名人、ラッフルズ。
秘密のアジトは衣装部屋で、楽屋みたいになっている。
警官に変装して窮地を脱するラッフルズ。
第3話「ジェントルメン対プレイヤーズ」
クリケット選手としても一流のラッフルズ。
第4話「ラッフルズ、最初の事件」
ラッフルズの語り。同名の銀行支店長と間違われて、初の犯罪。
第5話「意図的な殺人」
もっとも偉大なのは殺人を犯した人間だ、という思想のもと、殺人に手をそめようとするラッフルズ。
ターゲットにした悪党は、先客によって殺されていた。
犯人を見事に逃がしてやるラッフルズ。
第6話「合法と非合法の境目」
名画を複製とすりかえるラッフルズ。
それと知らずに、複製の絵を盗むバニー。
バニ−最初の事件?
第7話「リターン・マッチ」
同業の脱獄者をかくまうラッフルズ。
自分で頭を怪我させて、襲われたふりをする。
第8話「皇帝への贈り物」
バニーはラッフルズにふりまわされっぱなし。
女をくどくラッフルズに嫉妬するバニー。
ラッフルズは策略で女に近付いてたのに。
どう?
まるでライトノベル。
ホームズとワトソン的関係の2人だというのも、ライトノベルだし、2人の間柄が同性愛をにおわすところもライトノベル。
この本がもっと読まれるようになれば、コミケで「ラッフルズとバニー」ものがジャンルとして確立するかもしれない。
御手洗と石岡とか、京極と関口とか、ホームズとワトソンみたいに、バニーはどんくさくて愛すべきキャラクターで、右往左往しまくりだし、ラッフルズは格好いいし。
夜中に放送している萌えアニメでも通用しそうだ。
このシリーズは、あと2冊翻訳されているので、機会があれば読んでみよう。
シオドア・スタージョンの短編集『時間のかかる彫刻』を読んだ。
サンリオSF文庫で『スタージョンは健在なり』のタイトルで出ていた本。
これもなかなか面白かった。
SFというジャンルが苦手なので遠ざけていた作家だったが、意外にも人間臭くて、普通小説に近い。
僕にでも読めるほどなのだ。面白くて、読みやすい。
さて、あとで思い出すためのメモなので、ネタバレしている。
読む人は要注意。
「はじめに」
スタージョンの序文。SFに対する偏見があった時代を反映してる。
「ここに、そしてイーゼルに」
絵を描かねばならないのに、『狂えるオルランド』の冒険世界に想像の翼をはばたかせて、いつになっても創作活動ができない。
美しいものを描きたいのに、美しいものを見出せないのだ。
でも、主人公は気づく。万人はそれぞれ違った美意識と世界をもっているが、それと同時に、万人が美への渇望をかかえている。美しいものはあふれている。人生を費やしても足りないくらいだ!
これは自分の活動にも照らしあわせて、思うことが多かった。
ステージに立つかぎりは、今までにしたことのない面白いことをしたい。でも、あえて人さまにお見せするような、面白いことなんて、そうそう思い付かない。でも、違うのだ。面白いことは世の中にあふれかえっている。毎日ステージに立ってもやり足りないくらいだ。
「時間のかかる彫刻」
時間のかかる彫刻とは、盆栽のこと。時間をかけて、手間ひまかけて、枝っぷりなどをととのえていく。
主人公は、気づかされる。人間関係もそうだ。手間ひまかけて、なかなか思い通りにならない関係を、良好なものに作り上げていくのだ。
孤独にひきこもって作業していた芸術家は、人とのコミュニケーションの第一歩を踏み出す。
君の名前は?と。
「きみなんだ!」
愛がさめていく。
女は挽回するために、男の好きなものに興味をもち、変えるべきところは変える、と決心する。
それでも男の心は変わらない。
そんな努力をいくらしたって無理なんだ。だって、問題はそんなことじゃなく、きみなんだ!
うひゃー、ひとごとじゃない。恋愛が終わるときって、覆水盆にかえらず、てことになってしまってたなあ。
「ジョーイの面倒をみて」
責められて当然の奴を常にかばい続ける男。
男はそいつをかつてボコボコにして、内蔵に後遺症を残すまでにしていたのだ。
奴が何かの拍子に死んだりしたら、さあ、たいへん。
ボコボコにされてなかったら助かっていたと判断され、間接的な殺人者になってしまうのだ。
こいうのってあるな。
1回ひとを傷つけてしまったら、そのひとがどんなにひどいことしても、自分が傷つけたことに原因があるかも、って怒れなくなってしまう。
「箱」
保護監察官がこどもたちに指令を与える。
箱を無事に届けなさい、と。
多くの困難をクリアしながら、箱を届けたこどもたち。
箱の中味は、たいしたものではなかった。
でも、箱を届けるという1つの目的を共有したこどもたちは、一丸となって困難に立ち向かうことができたのだ。
目的と結果は、あとでわかることがある。
そうであるなら、目的と結果について思い悩むことなど、皆無のはずだ。
ふむ。たしかに、皆無だ。
「人の心が見抜けた女」
愛する女が、愛犬を残して死んでしまった。
男は、犬を売り、この町でもいいことなかったな、と思う。
薄情!だが、愛してるときは本気!
『きみなんだ!』にも似た、ひどい話。
「ジョリー、食い違う」
ぐれかけていた少女が、改心しようと一大決心した。
でも、親は聞く耳もたない。
少女は転落の道に自ら進んで行く。
親が人間を駄目にする好例。
「『ない』のだった−本当だ!』
トイレットペーパーがミシン目のところで切れないことに着目した男。
つまり、穴があいて何もない部分をもつことで、そこは強化されたのだ。
なにもない100%で盾ができあがる!
これと同じ発想の創作落語を聞いたことがある。桂三枝のネタで、飛行機作るのに、事故が起こらないように、翼にミシン目をいれておくのだ。こうすれば、翼は折れない、と。
きっと、三枝はこの作品を読んで、落語を作ったのだと思う。
スタージョンはさらに着想を発展させて、SFそのものの世界を作っている。
「茶色の靴」
理想の世界を作るため、あえて権力を手にした男。
でも、女はそんなことを理解しない。
これもまたペシミスティックな話。
好きな音楽を多くの人に聞かせたいために、あえて売れ筋の曲を作って名前をあげたら、あいつは魂を売った、とか非難されたりする。
まあ、話はちょっと違うかもしれないが、こういうことはよくあることだ。
「フレミス伯父さん」
ラジオをたたいて故障をなおすように、人間をたたいて何でもなおしてしまう伯父さん。
うわー、これ面白い。
「統率者ドーンの『型』」
不死身になる方法。
コピーをコピーしていくと、どんどん劣化していく。
これが老化だ。
じゃあ、若いときのオリジナルDNAをサンプルとしてとっておき、常にそれをコピーすれば、劣化はしない。不死身だ。
部分的に実現すればいいなあ。
「自殺」
飛び下りたあと、死にきれず、必死でよじのぼる男。
上まで到達したときには、すでにリセットされていて、自殺衝動も消えていた。
死ぬ気でやればなんでもできる、なんて簡単にいうけど、本当に死の近くまで行かないと、なかなかそんなことはできないのだ。
サンリオSF文庫で『スタージョンは健在なり』のタイトルで出ていた本。
これもなかなか面白かった。
SFというジャンルが苦手なので遠ざけていた作家だったが、意外にも人間臭くて、普通小説に近い。
僕にでも読めるほどなのだ。面白くて、読みやすい。
さて、あとで思い出すためのメモなので、ネタバレしている。
読む人は要注意。
「はじめに」
スタージョンの序文。SFに対する偏見があった時代を反映してる。
「ここに、そしてイーゼルに」
絵を描かねばならないのに、『狂えるオルランド』の冒険世界に想像の翼をはばたかせて、いつになっても創作活動ができない。
美しいものを描きたいのに、美しいものを見出せないのだ。
でも、主人公は気づく。万人はそれぞれ違った美意識と世界をもっているが、それと同時に、万人が美への渇望をかかえている。美しいものはあふれている。人生を費やしても足りないくらいだ!
これは自分の活動にも照らしあわせて、思うことが多かった。
ステージに立つかぎりは、今までにしたことのない面白いことをしたい。でも、あえて人さまにお見せするような、面白いことなんて、そうそう思い付かない。でも、違うのだ。面白いことは世の中にあふれかえっている。毎日ステージに立ってもやり足りないくらいだ。
「時間のかかる彫刻」
時間のかかる彫刻とは、盆栽のこと。時間をかけて、手間ひまかけて、枝っぷりなどをととのえていく。
主人公は、気づかされる。人間関係もそうだ。手間ひまかけて、なかなか思い通りにならない関係を、良好なものに作り上げていくのだ。
孤独にひきこもって作業していた芸術家は、人とのコミュニケーションの第一歩を踏み出す。
君の名前は?と。
「きみなんだ!」
愛がさめていく。
女は挽回するために、男の好きなものに興味をもち、変えるべきところは変える、と決心する。
それでも男の心は変わらない。
そんな努力をいくらしたって無理なんだ。だって、問題はそんなことじゃなく、きみなんだ!
うひゃー、ひとごとじゃない。恋愛が終わるときって、覆水盆にかえらず、てことになってしまってたなあ。
「ジョーイの面倒をみて」
責められて当然の奴を常にかばい続ける男。
男はそいつをかつてボコボコにして、内蔵に後遺症を残すまでにしていたのだ。
奴が何かの拍子に死んだりしたら、さあ、たいへん。
ボコボコにされてなかったら助かっていたと判断され、間接的な殺人者になってしまうのだ。
こいうのってあるな。
1回ひとを傷つけてしまったら、そのひとがどんなにひどいことしても、自分が傷つけたことに原因があるかも、って怒れなくなってしまう。
「箱」
保護監察官がこどもたちに指令を与える。
箱を無事に届けなさい、と。
多くの困難をクリアしながら、箱を届けたこどもたち。
箱の中味は、たいしたものではなかった。
でも、箱を届けるという1つの目的を共有したこどもたちは、一丸となって困難に立ち向かうことができたのだ。
目的と結果は、あとでわかることがある。
そうであるなら、目的と結果について思い悩むことなど、皆無のはずだ。
ふむ。たしかに、皆無だ。
「人の心が見抜けた女」
愛する女が、愛犬を残して死んでしまった。
男は、犬を売り、この町でもいいことなかったな、と思う。
薄情!だが、愛してるときは本気!
『きみなんだ!』にも似た、ひどい話。
「ジョリー、食い違う」
ぐれかけていた少女が、改心しようと一大決心した。
でも、親は聞く耳もたない。
少女は転落の道に自ら進んで行く。
親が人間を駄目にする好例。
「『ない』のだった−本当だ!』
トイレットペーパーがミシン目のところで切れないことに着目した男。
つまり、穴があいて何もない部分をもつことで、そこは強化されたのだ。
なにもない100%で盾ができあがる!
これと同じ発想の創作落語を聞いたことがある。桂三枝のネタで、飛行機作るのに、事故が起こらないように、翼にミシン目をいれておくのだ。こうすれば、翼は折れない、と。
きっと、三枝はこの作品を読んで、落語を作ったのだと思う。
スタージョンはさらに着想を発展させて、SFそのものの世界を作っている。
「茶色の靴」
理想の世界を作るため、あえて権力を手にした男。
でも、女はそんなことを理解しない。
これもまたペシミスティックな話。
好きな音楽を多くの人に聞かせたいために、あえて売れ筋の曲を作って名前をあげたら、あいつは魂を売った、とか非難されたりする。
まあ、話はちょっと違うかもしれないが、こういうことはよくあることだ。
「フレミス伯父さん」
ラジオをたたいて故障をなおすように、人間をたたいて何でもなおしてしまう伯父さん。
うわー、これ面白い。
「統率者ドーンの『型』」
不死身になる方法。
コピーをコピーしていくと、どんどん劣化していく。
これが老化だ。
じゃあ、若いときのオリジナルDNAをサンプルとしてとっておき、常にそれをコピーすれば、劣化はしない。不死身だ。
部分的に実現すればいいなあ。
「自殺」
飛び下りたあと、死にきれず、必死でよじのぼる男。
上まで到達したときには、すでにリセットされていて、自殺衝動も消えていた。
死ぬ気でやればなんでもできる、なんて簡単にいうけど、本当に死の近くまで行かないと、なかなかそんなことはできないのだ。
田中芳樹の『ラインの虜囚』を読んだ。
ネタバレなど平気でしているので、読みたい人はパスしてください。
1830年のフランス。ライン川東岸に建つ「双角獣の塔」に幽閉されている人物の正体を探るため、16才の少女、コリンヌは冒険をはじめる。
ナポレオン生存説がおおいにありうる時代、鉄仮面やカスパール・ハウザー、海賊の時代。
コリンヌの冒険を妨害するのは、「暁の四人組」
コリンヌをサポ−トするのは、なんとなんと、若き文豪アレクサンドル・デュマ、海賊ジャン・ラフィット、勇将エティエンヌ・ジェラール!
血湧き、肉躍るとはこのこと。
凡百の作家なら、シリーズ化して、えんえんと話を続けたくなるだけの魅力あるキャラクターたち。謎ときの妙味。
ここでいう謎とは、この冒険そのものが持つ意味。
コリンヌはこの冒険を祖父からの指令により、自分が本当の孫であることを証明するために決行したのだ。
だが、この冒険と、孫である証明はまったく無関係だ。
真相は逆。
祖父の方がにせもので、コリンヌを孫として認めたくない、コリンヌを遠ざけたい、コリンヌの存在を消すために冒険が企てられたのだ。
ああ、面白い!
かなり前に、僕は安井くんに1冊の本を借りていて、それを早く読みたくてたまらないのだが、活字を集中して読めなくなっていて、ずっとリハビリで本を読んでいる。
この日記で感想を書くタイミングは、読了した日に決めている。
たいていの本は2日も3日もかけて読んでいるのだ。
でも、この本だけは、一気に読めた。
中学生の頃に、夢中になって冒険物語を読んでいたときの感触がよみがえってきたのだ。
ネタバレなど平気でしているので、読みたい人はパスしてください。
1830年のフランス。ライン川東岸に建つ「双角獣の塔」に幽閉されている人物の正体を探るため、16才の少女、コリンヌは冒険をはじめる。
ナポレオン生存説がおおいにありうる時代、鉄仮面やカスパール・ハウザー、海賊の時代。
コリンヌの冒険を妨害するのは、「暁の四人組」
コリンヌをサポ−トするのは、なんとなんと、若き文豪アレクサンドル・デュマ、海賊ジャン・ラフィット、勇将エティエンヌ・ジェラール!
血湧き、肉躍るとはこのこと。
凡百の作家なら、シリーズ化して、えんえんと話を続けたくなるだけの魅力あるキャラクターたち。謎ときの妙味。
ここでいう謎とは、この冒険そのものが持つ意味。
コリンヌはこの冒険を祖父からの指令により、自分が本当の孫であることを証明するために決行したのだ。
だが、この冒険と、孫である証明はまったく無関係だ。
真相は逆。
祖父の方がにせもので、コリンヌを孫として認めたくない、コリンヌを遠ざけたい、コリンヌの存在を消すために冒険が企てられたのだ。
ああ、面白い!
かなり前に、僕は安井くんに1冊の本を借りていて、それを早く読みたくてたまらないのだが、活字を集中して読めなくなっていて、ずっとリハビリで本を読んでいる。
この日記で感想を書くタイミングは、読了した日に決めている。
たいていの本は2日も3日もかけて読んでいるのだ。
でも、この本だけは、一気に読めた。
中学生の頃に、夢中になって冒険物語を読んでいたときの感触がよみがえってきたのだ。
なんばBEARSで「ペット博(ひろし)」というライブイベントをしてきた。
午後6時30分から約3時間の狂気乱舞。(狂気は凶器でも可)
出演は、
保山宗明玉(カオカオカオカオ)
丼野M美(口パクでメールミー)
野田真悟(エア楽器)
ヘルメッツ(歌のおねえさん)
No.305(オタクのほぶらきん)
ニンジャエキスプレススクアッド(略してNES。ファミコンとPSP)
松原タニシ(サラリーマン曙太郎)
いとこ三兄弟(オッケーイ!結果発表!そのとおり!)
野中ひゆ(カルトアイドル)
やすみあけ(だべり)
自分BOX(その相手)
社熊メイデン(サ−ビス満点偽明和)
邪王院弘(森山先生。ひとり芝居と、戎、成人式ラップ)
阿僧祗1905 (テクノ!)
その人也(ちあきなおみで墨汁飲んで、キユーピー解体、飴パッパ)
魔ゼルな規犬(絶叫演説。引き出しの中)
少女崇拝(SMのあとは女体盛り)
以上の17組(順不同)
これだけのユニットが出るのだから、1組あたり10分くらいの持ち時間になってしまう。
それは、特に意図したものではなく、大勢が出ることになったから、しかたなく、そうしているのだ。
僕はこのベアーズで3ヶ月に1回くらいの割合で、こんなライブイベントをさせてもらっている。
かなり自由度の高いライブで、楽しいので、毎月でもしたいくらいなのだが、それだけのお金が続かない。ベアーズのご好意で、毎回助かっているのだが、それでも、1回のライブで1万円程度の赤字にはなる。たかだか1万円でも、今の僕には痛いのだ。
このライブでの最大の悩みは、どうせ10分しかできないのだから、と、このライブをまるで隠し芸大会みたいにとらえている人が多いことだ。
何でもできる場だから、ふだんしない実験的なことをする、というのなら大歓迎なのだが、普通にライブすると損をするとでも言わんばかりのスタンスでとらえられると、つらい。
見るお客さんには、一期一会の精神で接してもらわないと駄目なのに、それをさせないのは、僕のいたらなさに尽きるだろう。はっきり言えば、なめられているということだ。10分は短いけど、その時間で勝負してほしい。
要するに、このライブの10分間を見て、「もっと見たい!」と思わせ、普通の30分以上できるライブにでも足を運んでもらえたら、企画者として名利につきるのだ。
「今回のライブはあくまでも特別バージョンで、いつもはこんなんじゃない。だから、今回のを見て判断しないでくれ」というのでは、何のためのライブなのかわからない。
僕が企画する意味もない。
と、いうわけで、次のライブは4月21日(金)「ベアーズ工房」というタイトルで行うが、もうこういう形でのイベントはやめた方がいいのかなあ、と迷ってもいるのだ。
アングラの祭典を見たい人は、ぜひ、4月21日にベアーズにお越しください。
次があるかどうかはわかりません。
午後6時30分から約3時間の狂気乱舞。(狂気は凶器でも可)
出演は、
保山宗明玉(カオカオカオカオ)
丼野M美(口パクでメールミー)
野田真悟(エア楽器)
ヘルメッツ(歌のおねえさん)
No.305(オタクのほぶらきん)
ニンジャエキスプレススクアッド(略してNES。ファミコンとPSP)
松原タニシ(サラリーマン曙太郎)
いとこ三兄弟(オッケーイ!結果発表!そのとおり!)
野中ひゆ(カルトアイドル)
やすみあけ(だべり)
自分BOX(その相手)
社熊メイデン(サ−ビス満点偽明和)
邪王院弘(森山先生。ひとり芝居と、戎、成人式ラップ)
阿僧祗1905 (テクノ!)
その人也(ちあきなおみで墨汁飲んで、キユーピー解体、飴パッパ)
魔ゼルな規犬(絶叫演説。引き出しの中)
少女崇拝(SMのあとは女体盛り)
以上の17組(順不同)
これだけのユニットが出るのだから、1組あたり10分くらいの持ち時間になってしまう。
それは、特に意図したものではなく、大勢が出ることになったから、しかたなく、そうしているのだ。
僕はこのベアーズで3ヶ月に1回くらいの割合で、こんなライブイベントをさせてもらっている。
かなり自由度の高いライブで、楽しいので、毎月でもしたいくらいなのだが、それだけのお金が続かない。ベアーズのご好意で、毎回助かっているのだが、それでも、1回のライブで1万円程度の赤字にはなる。たかだか1万円でも、今の僕には痛いのだ。
このライブでの最大の悩みは、どうせ10分しかできないのだから、と、このライブをまるで隠し芸大会みたいにとらえている人が多いことだ。
何でもできる場だから、ふだんしない実験的なことをする、というのなら大歓迎なのだが、普通にライブすると損をするとでも言わんばかりのスタンスでとらえられると、つらい。
見るお客さんには、一期一会の精神で接してもらわないと駄目なのに、それをさせないのは、僕のいたらなさに尽きるだろう。はっきり言えば、なめられているということだ。10分は短いけど、その時間で勝負してほしい。
要するに、このライブの10分間を見て、「もっと見たい!」と思わせ、普通の30分以上できるライブにでも足を運んでもらえたら、企画者として名利につきるのだ。
「今回のライブはあくまでも特別バージョンで、いつもはこんなんじゃない。だから、今回のを見て判断しないでくれ」というのでは、何のためのライブなのかわからない。
僕が企画する意味もない。
と、いうわけで、次のライブは4月21日(金)「ベアーズ工房」というタイトルで行うが、もうこういう形でのイベントはやめた方がいいのかなあ、と迷ってもいるのだ。
アングラの祭典を見たい人は、ぜひ、4月21日にベアーズにお越しください。
次があるかどうかはわかりません。
NIN NIN、いかレスラー、男はつらいよ寅次郎春の夢、腰弁頑張れ
2006年1月7日 映画
アメリカ村のタワーレコードでインリンのインストアトークショー。
レイザーラモンHG直伝のギャグ「あばら、ボ〜ン」も生披露。
去年を振り返ってのトークで、アニメ「アークエとガッチンポー」についても触れる。
僕はインリンをジョイトイのライブと、このアニメの声優としてしか知らず、グラビアはほとんど見ていない。見ていても、グラビアには萌えないので、スルーしているようだ。
できれば、またアークエのようなアニメで声優してほしい!
トーク、聞いてると、野望があって頭の回転が早いインリンの魅力が爆発していた。
トークだけなのに、露出度満点のコスチュームだったし。
早々に帰って、録画しておいた映画などを見て過ごす。
「NIN NIN」を見た。劇場版忍者ハットリくん。2004年。
鈴木雅之監督、ハットリくんは香取慎吾、ケムマキはゴリ。
初歩的な特撮とCGで、ハットリくんはマトリックスとスパイダーマンを足して8で割ったようなアクションを見せる。
こども向けの映画としては、じゅうぶんな出来で、楽しめた。結局、悪人はいない、という世界観も安心できる。
伊東四朗演ずる服部ジンゾウは、まさにはまり役で、忍たま乱太郎が実写版で映画化される際にも、ぜひ、伊東四朗に出演してもらいたい、と思った。
「いかレスラー」を見た。河崎実監督、西村修主演。2004年
プロレスのリングに巨大なイカがあらわれて、チャンピオンを倒す。イカはもとレスラーだったのだ。その後、シャコボクサーなどもあらわれる。
実相寺昭雄が監修しているらしいが、どこをどう監修したのだろう。
ストーリーは定番のスポーツ根性もので、一度地獄を見た選手がカムバックするという話。その話がまっとうであればあるほど、イカやシャコやルー大柴の跋扈する映画世界はむちゃくちゃな狂ったコメディになっていく。これは人を喰った映画なのに、テレビ番組の解説では、妙にきっちりした映画だということを強調していておかしかった。この枠、「アフューグッドメン」とか、かなり真面目な映画を放送していて、「いかレスラー」はいかにも異色だ。ユーモアを解さない人に見せてやろう、という策略だったのではないか、と思われる。
「男はつらいよ〜寅次郎春の夢」を見た。山田洋次監督。寅さんシリーズ24作め。1979年。
葡萄を山ほどもらって困っているところに、寅さんが葡萄を土産に持って帰ってくる。
アメリカ人は嫌いだと言ってのける寅さんが、マドンナ役の香川京子にあわせてアメリカ大好きとコロッと変わる。
ハーブ・エデルマンの演技(階段のぼるときつまづく、とか、鴨居に頭ぶつけるとか)もわかりやすくて、なごむ。
男はつらいよのシリーズは邦画の定番として、けっこう劇場で見ている。
古い価値観に支配されている映画なのだが、現代の日常も似たりよったりなんじゃないか、と思った。
「腰弁頑張れ」を見た。成瀬巳喜男監督、サイレント映画。1931年。
主人公は保険の外交員(山口勇)。契約獲得のために、金持ちの屋敷でこどもたちと一緒に遊んだりする。「腰弁」の名のとおり、ペーペーなので、家は貧乏、我が子におもちゃも満足に買い与えられない。
こどもが事故にあって、保険のセールストークでさんざん言っていた不慮の事故で生命が危機にさらされる事態に直面する主人公。
この映画、コメディだが、泣かせどころもあって、名作じゃないか、と思った。
主人公の奥さん(浪花友子)が、腹をたてて、部屋を掃除しはじめるシーンには感じるものがあった。女性は怒ると、掃除をしはじめるのだ。(勝手に決めつけるな?)
4本見たところで、眠気がたまらなくなって、寝ることにした。
まったく、睡魔というのは邪魔なものだ。
レイザーラモンHG直伝のギャグ「あばら、ボ〜ン」も生披露。
去年を振り返ってのトークで、アニメ「アークエとガッチンポー」についても触れる。
僕はインリンをジョイトイのライブと、このアニメの声優としてしか知らず、グラビアはほとんど見ていない。見ていても、グラビアには萌えないので、スルーしているようだ。
できれば、またアークエのようなアニメで声優してほしい!
トーク、聞いてると、野望があって頭の回転が早いインリンの魅力が爆発していた。
トークだけなのに、露出度満点のコスチュームだったし。
早々に帰って、録画しておいた映画などを見て過ごす。
「NIN NIN」を見た。劇場版忍者ハットリくん。2004年。
鈴木雅之監督、ハットリくんは香取慎吾、ケムマキはゴリ。
初歩的な特撮とCGで、ハットリくんはマトリックスとスパイダーマンを足して8で割ったようなアクションを見せる。
こども向けの映画としては、じゅうぶんな出来で、楽しめた。結局、悪人はいない、という世界観も安心できる。
伊東四朗演ずる服部ジンゾウは、まさにはまり役で、忍たま乱太郎が実写版で映画化される際にも、ぜひ、伊東四朗に出演してもらいたい、と思った。
「いかレスラー」を見た。河崎実監督、西村修主演。2004年
プロレスのリングに巨大なイカがあらわれて、チャンピオンを倒す。イカはもとレスラーだったのだ。その後、シャコボクサーなどもあらわれる。
実相寺昭雄が監修しているらしいが、どこをどう監修したのだろう。
ストーリーは定番のスポーツ根性もので、一度地獄を見た選手がカムバックするという話。その話がまっとうであればあるほど、イカやシャコやルー大柴の跋扈する映画世界はむちゃくちゃな狂ったコメディになっていく。これは人を喰った映画なのに、テレビ番組の解説では、妙にきっちりした映画だということを強調していておかしかった。この枠、「アフューグッドメン」とか、かなり真面目な映画を放送していて、「いかレスラー」はいかにも異色だ。ユーモアを解さない人に見せてやろう、という策略だったのではないか、と思われる。
「男はつらいよ〜寅次郎春の夢」を見た。山田洋次監督。寅さんシリーズ24作め。1979年。
葡萄を山ほどもらって困っているところに、寅さんが葡萄を土産に持って帰ってくる。
アメリカ人は嫌いだと言ってのける寅さんが、マドンナ役の香川京子にあわせてアメリカ大好きとコロッと変わる。
ハーブ・エデルマンの演技(階段のぼるときつまづく、とか、鴨居に頭ぶつけるとか)もわかりやすくて、なごむ。
男はつらいよのシリーズは邦画の定番として、けっこう劇場で見ている。
古い価値観に支配されている映画なのだが、現代の日常も似たりよったりなんじゃないか、と思った。
「腰弁頑張れ」を見た。成瀬巳喜男監督、サイレント映画。1931年。
主人公は保険の外交員(山口勇)。契約獲得のために、金持ちの屋敷でこどもたちと一緒に遊んだりする。「腰弁」の名のとおり、ペーペーなので、家は貧乏、我が子におもちゃも満足に買い与えられない。
こどもが事故にあって、保険のセールストークでさんざん言っていた不慮の事故で生命が危機にさらされる事態に直面する主人公。
この映画、コメディだが、泣かせどころもあって、名作じゃないか、と思った。
主人公の奥さん(浪花友子)が、腹をたてて、部屋を掃除しはじめるシーンには感じるものがあった。女性は怒ると、掃除をしはじめるのだ。(勝手に決めつけるな?)
4本見たところで、眠気がたまらなくなって、寝ることにした。
まったく、睡魔というのは邪魔なものだ。
諸星大二郎の『西遊妖猿伝』双葉社バージョン全9巻を読んだ。この9冊で、第1部「大唐編」が完結する。
登場人物やストーリーのおおまかな設定は「西遊記」をベースにしているのだが、これは中国を舞台にしたまったく違う物語になっている。史実ともからんで、独特の伝奇の味わいが出ている。諸星流のとぼけたギャグもあったが、少ない、少ない。
第8巻と9巻の刊行は数年のあきがあった。
僕みたいに、後でまとめて読む者にはなんでもないが、リアルタイムで読んでいた人にはつらかっただろう。
この物語にはまだまだ続きがある。先が楽しみだ。
登場人物やストーリーのおおまかな設定は「西遊記」をベースにしているのだが、これは中国を舞台にしたまったく違う物語になっている。史実ともからんで、独特の伝奇の味わいが出ている。諸星流のとぼけたギャグもあったが、少ない、少ない。
第8巻と9巻の刊行は数年のあきがあった。
僕みたいに、後でまとめて読む者にはなんでもないが、リアルタイムで読んでいた人にはつらかっただろう。
この物語にはまだまだ続きがある。先が楽しみだ。
アイアン・ジャイアント、NINKU
2006年1月5日 アニメ・マンガ
ブラッド・バード監督の「アイアン・ジャイアント」を見た。1999年。
ブラッド・バードは「シンプソンズ」を手がけた人なので、センスの良さは最初から保証されたも同然だった。しかし、気になるのは、このアニメ映画を見た人が「泣く」「泣いた」「号泣した」なんて感想を並べていることで、そういうのは一番嫌な部類の映画にあたる。
空から落下してきた兵器ロボットが少年と出会う話。
と、いうと、たちまちに「フランケンシュタイン」か?「キングコング」か?「E.T.」か?と頭に浮かび、実際に見てみると、それらが間違いではないこともわかる。手塚治虫の「魔神ガロン」にも似ていた。
なーんだ、おなじみのパターン映画なのか、で済ますはずが、それがそういうわけには行かなかった。泣く。泣いた。号泣した。
パターンなのかもしれない。でも、あざとさが感じられなかった。なぜなんだろう。
ジョー・ジョンストンがデザインした巨大ロボットがよかったのか。ロケッティアの人だけあって、映画の時代設定、ちょっと昔のノスタルジックなムードをうまく出していた。どこかで見たような気がしてくるのだ。
製作総指揮にザ・フーのピート・タウンゼントの名前があるのも、ノスタルジックに拍車をかける。
ところで、「攻殻機動隊S.A.C.」や「BLOOD+」のProduction I.Gって、アイアン・ジャイアントの頭文字なのか!?と思い付いた。そうでなければ、イノキ・ジャイアントで、最強のプロレスラーを意味するのか?なんて考えてるまに調べたら、やっぱり違っていた。設立メンバーの石川光久(当社代表取締役)と後藤隆幸(当社取締役)の頭文字のIとGとをとって、”I.G”なんだって!
録画しておいてまだ見ていなかった劇場版「NINKU 忍空」も見た。
これもまた番外編としての定番路線王道を走っていた。
ニセ忍空に、ニセ用心棒。西部劇や時代劇の定番中の定番。
キャラクターだけ変えて同じストーリーが何回反復されたことか。
不思議なことに、アイアン・ジャイアントとは違って、この「忍空」は、好感も嫌悪もなく、サラッと流れていってしまった。
登場人物を空欄にして、いろんなキャラクターを代入しただけみたいな、やっつけ仕事を見せられたような感想しか湧かなかった。
どこがどう違うというのか。
確かに、現代性もなければ、メッセージもない「忍空」だったけど。
ブラッド・バードは「シンプソンズ」を手がけた人なので、センスの良さは最初から保証されたも同然だった。しかし、気になるのは、このアニメ映画を見た人が「泣く」「泣いた」「号泣した」なんて感想を並べていることで、そういうのは一番嫌な部類の映画にあたる。
空から落下してきた兵器ロボットが少年と出会う話。
と、いうと、たちまちに「フランケンシュタイン」か?「キングコング」か?「E.T.」か?と頭に浮かび、実際に見てみると、それらが間違いではないこともわかる。手塚治虫の「魔神ガロン」にも似ていた。
なーんだ、おなじみのパターン映画なのか、で済ますはずが、それがそういうわけには行かなかった。泣く。泣いた。号泣した。
パターンなのかもしれない。でも、あざとさが感じられなかった。なぜなんだろう。
ジョー・ジョンストンがデザインした巨大ロボットがよかったのか。ロケッティアの人だけあって、映画の時代設定、ちょっと昔のノスタルジックなムードをうまく出していた。どこかで見たような気がしてくるのだ。
製作総指揮にザ・フーのピート・タウンゼントの名前があるのも、ノスタルジックに拍車をかける。
ところで、「攻殻機動隊S.A.C.」や「BLOOD+」のProduction I.Gって、アイアン・ジャイアントの頭文字なのか!?と思い付いた。そうでなければ、イノキ・ジャイアントで、最強のプロレスラーを意味するのか?なんて考えてるまに調べたら、やっぱり違っていた。設立メンバーの石川光久(当社代表取締役)と後藤隆幸(当社取締役)の頭文字のIとGとをとって、”I.G”なんだって!
録画しておいてまだ見ていなかった劇場版「NINKU 忍空」も見た。
これもまた番外編としての定番路線王道を走っていた。
ニセ忍空に、ニセ用心棒。西部劇や時代劇の定番中の定番。
キャラクターだけ変えて同じストーリーが何回反復されたことか。
不思議なことに、アイアン・ジャイアントとは違って、この「忍空」は、好感も嫌悪もなく、サラッと流れていってしまった。
登場人物を空欄にして、いろんなキャラクターを代入しただけみたいな、やっつけ仕事を見せられたような感想しか湧かなかった。
どこがどう違うというのか。
確かに、現代性もなければ、メッセージもない「忍空」だったけど。
曽田正人の『め組の大吾』全20巻を読んだ。
テレビドラマ化されているが、そっちの方はまったく見ていない。
消防士の物語で、ドラマチックなヒーローもの、作者の言葉で言えば、「かっこいい」ストーリーが展開する。
前向きな話なので、読んでいて、何度衿をただしたことやらしれない。
消防士や警察の話だと、規則をきっちりと守って、優等生として振舞っていてもドラマは生まれない。
はみだした人物が、その行動への支障をクリアしながら、成果をあげるところに醍醐味がある。
この漫画でも、一歩間違えると大惨事になっていたケースを、主人公の持つ強運と、カリスマ性によって切り抜けていく。
こうしてみると、どんな仕事でも、あるいは、暇つぶしでも、それに一所懸命に没頭すれば、ヒーローになりうるんだな、と思えてくる。
好きなことは加減を考えたりせずに、思いっきりやりたいものだ。
この前読んだスタージョンの「成熟」という中編で、「ほどを知るのが成熟」という締めの言葉があった。ならば、成熟なんてつまらない。スタージョンの作品も、成熟したゆえに滅んでしまった人間を描いている。成熟とは後戻り可能な力を持ち、前進よりは後戻りする智恵をもつことだと思う。成熟には要注意だ。
テレビドラマ化されているが、そっちの方はまったく見ていない。
消防士の物語で、ドラマチックなヒーローもの、作者の言葉で言えば、「かっこいい」ストーリーが展開する。
前向きな話なので、読んでいて、何度衿をただしたことやらしれない。
消防士や警察の話だと、規則をきっちりと守って、優等生として振舞っていてもドラマは生まれない。
はみだした人物が、その行動への支障をクリアしながら、成果をあげるところに醍醐味がある。
この漫画でも、一歩間違えると大惨事になっていたケースを、主人公の持つ強運と、カリスマ性によって切り抜けていく。
こうしてみると、どんな仕事でも、あるいは、暇つぶしでも、それに一所懸命に没頭すれば、ヒーローになりうるんだな、と思えてくる。
好きなことは加減を考えたりせずに、思いっきりやりたいものだ。
この前読んだスタージョンの「成熟」という中編で、「ほどを知るのが成熟」という締めの言葉があった。ならば、成熟なんてつまらない。スタージョンの作品も、成熟したゆえに滅んでしまった人間を描いている。成熟とは後戻り可能な力を持ち、前進よりは後戻りする智恵をもつことだと思う。成熟には要注意だ。
シオドア・スタージョンの『海を失った男』を読んだ。略して『ウミウシ』
日本で独自に編まれた短編集。
スタ−ジョンは『不思議のひと触れ』と『盤面の敵』しか読んでなくて、どういう作家なのか、印象が一定していなかった。今回、この本を読んで、1つのイメージを得ることができたように思う。もっちゃりとした人間関係を書くのが得意な作家だということだ。名前はなんだかキラキラしたSFのイメージがあるのに、作風はぜんぜん違った。
以下、各作品のメモを残しておくので、未読の人は要注意。
「ミュージック」この作品は、僕には残念ながら何のことやらさっぱりわからなかった。病院の地縛霊と化した入院患者の幽体離脱にも似た共感力のことか、とも思ったが、それにしては、煙草を吸ったりしているし、猫が出入りしている。つまり、ここは病院ではありえない。すると、自分の引きこもった世界を病院であらわしているのかとも思えるが、そんな感じではなくて、自由に浮遊しているイメージが強いのだ。意味などにとらわれず、詩として味わうのかとも思ったが、そんな文体でもなかった。
「ビアンカの手」人体に寄生する両手。これは面白い!
「成熟」オールマイティ!何をやっても超一流。さて、成熟とはいったい何なのか。答えは出ない。本書の中で一番面白かった。
「シジジイじゃない」自分の恋愛が脳内恋愛だったことに気づく男。しかも、妄想によって作られた夢人間は、自分の方だったのだ。この「シジジイ」が僕の読んだ初版では、ページの上に記された作品名では「ジジジイ」に誤植されていた。「ジ、ジジイじゃない」って、どういうことだ!爺いじゃないぞ!この「シジジイ」は2つの有機体が1つの細胞核を共有することで、この作品の内容からすると、「恣似自慰」と当て字したくなる。
「三の法則」宇宙人が地球人に寄生して、地球を滅ぼすべきか、見守るべきか、なんて決める。宇宙人は3分割して寄生し、3人が融合することで元の宇宙人に戻ることができるのだが、地球人は一夫一婦の呪縛に囚われていて、3人で1つの関係をなかなかとらない。
3の法則は、その設定からは手塚治虫の「W3」みたいだし、3人による愛の形を描くのに、宇宙人なんて出してきたもんだから、滑稽なストーリーになってしまった。現代なら、3人で1つの恋愛関係なんて、ごく普通のように思える。
「そして私のおそれはつのる」東洋の神秘を体現するババアが少年を導こうとする。ところがこのババアが全然達観してなくて、嫉妬したりする。少年はババアは尊敬しながらも、少女に愛情を注ぐのだ。少女はババアよりも強かった。ババアのはえせ東洋の神秘だったが、少女はマジ超能力者だったのだ。少女は全能だしなあ。
「墓読み」象形文字を解読するように、秘密のアルファベットを発見して、墓そのものを読む。墓を読むことで、死者が語る言葉を解読することができるのだ。必死で頭を悩ませて、やっと解読できるようになった男は、その墓碑銘にこう刻む。「安らかに眠れ」それは、墓から男へのメッセージだったのだ。
「海を失った男」海の恐怖と崇高さを思い出しながら、男は砂に埋もれている。男は海を失った。だって、火星に遭難して埋もれているんだも〜ん。
日本で独自に編まれた短編集。
スタ−ジョンは『不思議のひと触れ』と『盤面の敵』しか読んでなくて、どういう作家なのか、印象が一定していなかった。今回、この本を読んで、1つのイメージを得ることができたように思う。もっちゃりとした人間関係を書くのが得意な作家だということだ。名前はなんだかキラキラしたSFのイメージがあるのに、作風はぜんぜん違った。
以下、各作品のメモを残しておくので、未読の人は要注意。
「ミュージック」この作品は、僕には残念ながら何のことやらさっぱりわからなかった。病院の地縛霊と化した入院患者の幽体離脱にも似た共感力のことか、とも思ったが、それにしては、煙草を吸ったりしているし、猫が出入りしている。つまり、ここは病院ではありえない。すると、自分の引きこもった世界を病院であらわしているのかとも思えるが、そんな感じではなくて、自由に浮遊しているイメージが強いのだ。意味などにとらわれず、詩として味わうのかとも思ったが、そんな文体でもなかった。
「ビアンカの手」人体に寄生する両手。これは面白い!
「成熟」オールマイティ!何をやっても超一流。さて、成熟とはいったい何なのか。答えは出ない。本書の中で一番面白かった。
「シジジイじゃない」自分の恋愛が脳内恋愛だったことに気づく男。しかも、妄想によって作られた夢人間は、自分の方だったのだ。この「シジジイ」が僕の読んだ初版では、ページの上に記された作品名では「ジジジイ」に誤植されていた。「ジ、ジジイじゃない」って、どういうことだ!爺いじゃないぞ!この「シジジイ」は2つの有機体が1つの細胞核を共有することで、この作品の内容からすると、「恣似自慰」と当て字したくなる。
「三の法則」宇宙人が地球人に寄生して、地球を滅ぼすべきか、見守るべきか、なんて決める。宇宙人は3分割して寄生し、3人が融合することで元の宇宙人に戻ることができるのだが、地球人は一夫一婦の呪縛に囚われていて、3人で1つの関係をなかなかとらない。
3の法則は、その設定からは手塚治虫の「W3」みたいだし、3人による愛の形を描くのに、宇宙人なんて出してきたもんだから、滑稽なストーリーになってしまった。現代なら、3人で1つの恋愛関係なんて、ごく普通のように思える。
「そして私のおそれはつのる」東洋の神秘を体現するババアが少年を導こうとする。ところがこのババアが全然達観してなくて、嫉妬したりする。少年はババアは尊敬しながらも、少女に愛情を注ぐのだ。少女はババアよりも強かった。ババアのはえせ東洋の神秘だったが、少女はマジ超能力者だったのだ。少女は全能だしなあ。
「墓読み」象形文字を解読するように、秘密のアルファベットを発見して、墓そのものを読む。墓を読むことで、死者が語る言葉を解読することができるのだ。必死で頭を悩ませて、やっと解読できるようになった男は、その墓碑銘にこう刻む。「安らかに眠れ」それは、墓から男へのメッセージだったのだ。
「海を失った男」海の恐怖と崇高さを思い出しながら、男は砂に埋もれている。男は海を失った。だって、火星に遭難して埋もれているんだも〜ん。
アクシデンタル・スパイ、下弦の月 ~ラスト・クォーター
2006年1月2日 映画
「アクシデンタル・スパイ」を見た。テディ・チャン監督、2001年。
ジャッキー・チェン、ビビアン・スー。
ストーリーが何だったか、ほとんど関係のないアクション映画。というよりジャッキー映画としか言い様のない、ワンマン映画になっている。
トルコ風呂から市場を裸で逃げるシーンは何度見たことか。
この映画は以前にも見たことがあるが、ケーブルテレビで放送しているのを見始めたら、ついつい最後まで見てしまった。
ビビアン・スーを見ようと思ってチャンネルをあわせたのだが、ジャッキー以外はみんな傍役だった。
最後にあるお約束のNGシーンでは、意外と簡単そうなところでNG出してるんだな、と思った。
矢沢あい原作の「下弦の月 ラスト・クォーター」を見た。二階健監督、2004年。
栗山千明主演の「雰囲気映画」。栗山千明は大好きなのだが、この映画の白眉は妹役の中村有沙だった。正面から顔全体が映ることもなく、ただごはん食べている一瞬のシーンと、病室で泣く一瞬のシーンしか出て来ないが、ごはんのシーンでは敵、病室のシーンでは味方、という見事な使い分けで、ごく普通の少女を演じきっている。
ラストシーン、HYDEが湖の真中でオールを流されて立ち往生するのが、罰ゲームみたいで笑えた。10年後にまだ舟の中で取り残されているHYDEとか映ればよかったのに。
ジャッキー・チェン、ビビアン・スー。
ストーリーが何だったか、ほとんど関係のないアクション映画。というよりジャッキー映画としか言い様のない、ワンマン映画になっている。
トルコ風呂から市場を裸で逃げるシーンは何度見たことか。
この映画は以前にも見たことがあるが、ケーブルテレビで放送しているのを見始めたら、ついつい最後まで見てしまった。
ビビアン・スーを見ようと思ってチャンネルをあわせたのだが、ジャッキー以外はみんな傍役だった。
最後にあるお約束のNGシーンでは、意外と簡単そうなところでNG出してるんだな、と思った。
矢沢あい原作の「下弦の月 ラスト・クォーター」を見た。二階健監督、2004年。
栗山千明主演の「雰囲気映画」。栗山千明は大好きなのだが、この映画の白眉は妹役の中村有沙だった。正面から顔全体が映ることもなく、ただごはん食べている一瞬のシーンと、病室で泣く一瞬のシーンしか出て来ないが、ごはんのシーンでは敵、病室のシーンでは味方、という見事な使い分けで、ごく普通の少女を演じきっている。
ラストシーン、HYDEが湖の真中でオールを流されて立ち往生するのが、罰ゲームみたいで笑えた。10年後にまだ舟の中で取り残されているHYDEとか映ればよかったのに。