今日は日本橋ストリートフェスタ。
日本橋が歩行者天国になり、パレ−ド等イベントが行われるのだ。
僕はロコドルパレードを追いかけて見ることにした。
ダンシングBANANA(大阪)、Bachicco!(岡山、香川)、MAY BE MAX(京都)、SUNFLOWER(広島)、MOTION(名古屋)、CROSS(福井)がパレード。
メイビーマックスは今日のロコドルスーパライブで解散なので、ライブも見たかったが、整理券はとっくの昔になくなっている。
パレードでは、ダンシングBANANAが踊りながら進んでおり、ただ歩くだけの他のユニットに大きく差をつけた。僕もついついダンシングBANANAばっかり見てしまった。
途中のパフォーマンスエリアで、ダンシングBANANAは「Diving to Love」を歌い、Bachicco!はぞろりと長いうわっぱりを脱いだら、中はチアーガールスタイルで、短いながら、チアーダンスを見せてくれた。
パレードの最中に、アイドル大阪環状線の公開録音も行われていた。
HOP CLUBのメンバーが毎週日曜日に放送しているラジオ番組で、寺田有希ちゃんを中心に、今回はあべののイベントでお休みしていた星野真希ちゃんが参加していた。これもまた、必見のイベントだったのだが、あいにくと、ゲストが桃井はるこで、桃井はるこのファンたちによって、整理券は早々になくなっていた。この番組はふだんラジオ大阪のサテライトスタジオで生放送しており、そもそも整理券が必要なほど人が来るとも思わなかったのだが、アニメオタクの力はすごい。僕はまったく二次元に萌えないので、アニメとか、声優とか、グラビアアイドルにほとんど用はないのだ。
それにしても、イベントの目玉であるパレードとイベントが同時に開催されている、というのはつまらないんじゃないか、と思った。ラジオの公開録音を見に行った人は、パレードをほとんど見ることが出来なかったはずだ。ラジオそのものは、いずれ番組で聞くことができる。でも、パレードの臨場感は、その場にいてこそ味わえるのだ。
この日は、いろいろ他にアイドルイベントが重なっていた。
なかでも面白そうだったのは、神戸ポートピアランドでのSTSライブ。
ポートピアランドが閉園するので、最後のイベントになる。これはめちゃくちゃ面白そう。
その日の夜に仕事が無ければ、きっと見に行っていただろう。
あと、メイビーマックスを抜けた中吉涼子ちゃんの撮影会も別の場所であった。
中吉涼子ちゃんは、HOP CLUBジュニア〜メイビーマックスという経歴の持ち主で、日本橋にはHOP CLUBもメイビーマックスも集まっていたのだ。
これは、撮影の趣味があれば、きっと参加していただろう。
と、いうわけで、ロコドルパレードのほんのわずかの時間、ストリートフェスタを楽しんで、とっとと家に帰り、睡眠をとった。
花粉症の時期はなにかと行動が鈍くなってしまう。
オシャレ魔女ラブ&ベリーオシャレワールドに行った。
大阪南港のATC特設会場。
エントランス(人間大のラブ&ベリーが舞踏会のファッションでお出迎え)
マジカルルーム(映像。ヒラヒラ落ちてくるカードに触れると、衣装や靴がキラキラリ〜ンとあらわれる)
スペシャルトキメキ舞踏会(ドレスを着て、写真を撮れる。千円。サイズは子供向け)
ぬりえコーナー(ぬりえは小学生でないともらえない)
バルーン&ボールパーク(200円。入って遊べるのは6歳まで)
物販コーナー(このイベントのオリジナルグッズというのは無いようだ)
ゲームコーナー(昔のバージョンのカードが出る機械も置いてある)
なりきりダンスステージ(これが、このイベントの目玉だと思う。アイドルステージ、シーサイドステージ、ディスコステージの3つが再現されており、マイクが2本立っている。こどもたちは、ステージに立って、それぞれのステージの歌を歌うことができるのだ。みんな並んで、入れ替わりたちかわり、ゲームの歌を歌っている。あいにくと、一緒に振りつきで踊っている子はいなかったが、ファッションズの子とか遊びに来たら、ダンスステージが見れたかもしれない)
スタンプラリーもあり、会場周辺の6箇所をまわれば、オリジナルのカ−ドケ−スがもらえる。もちろん、なけなしのお金をはたいて6ステージまわり、カードケースを入手した。
さっそく、手持ちのカードを入れた。
家に帰ってから、『小学2年生』や『幼稚園』の付録のシールをカードケースに貼って、カスタマイズ。
平日に行ったので、それほどの大混雑でもなく、このまま終わるまで遊んでいたいと思うほど楽しかった。実際にはほとんど参加できないので、こどものステージとゲーム見てるだけなんだけど。親子づれが多く、みんなビデオをまわしていた。ああ、ダンスする子でもいればなあ。
5月までやっているので、機会があれば、また行ってみたい、と思った。
ジム・キャリー主演の「マン・オン・ザ・ムーン」を見た。ミロシュ・フォアマン監督、1999年。
アンディ・カウフマンの伝記映画。
冒頭から、いきなり「もう映画は終わった」と言って、エンドクレジットが流れ、画面は真っ暗になる。時間がたってから、そーっとジム・キャリーが観客席をのぞきこむ。映画のはじまりだ。
アンディが35才で死ぬまでに残したネタの数々は、衝撃としかいいようがない。

カーター大統領の物真似。
「私はアメリカ大統領、ジミー・カーターです」
と、自己紹介する。声や口調はまったく似ていない。

レコードをかけて、モジモジしている。
サビの部分では人が変わったように、堂々と一緒に歌い、あとはまたモジモジ。

大勢の観客を前に、小説の朗読をはじめる(華麗なるギャツビー)。
退屈した観客が、いつものネタをやってくれ、と言うと、「本を読むのがいいか、それとも、レコードかけるのがいいか」と聞く。
客が「レコード」をリクエストするが、レコードにも本の朗読がふき込んである。
客が三々五々帰っていくなかで、最後まで小説を読む。

トニー・クリフトンという別人になりすまして、客に不快感を覚えさせる芸をする。
別人が扮装して、トニーとアンディが同じステージに立つことも。

世界無性別級チャンピオンと称して、女性観客から希望者を募りプロレスする。

テレビ番組で、わざと垂直同期を狂わせて、テレビの故障と思わせる。

客の「あのネタをやってくれ!」という期待には背を向け、客をしらけさせたり、理解できなかったり、怒ったりする芸でも、自分が面白いと思うことをやり続けたアンディ。
十八番のネタを持ちながら、「レパートリー」として同じことを繰り返したり、観客の安心感を保証するようなステージをしなかった、いわばムラのあるアンディ。
僕は無知なことに、この映画を見るまで、アンディ・カウフマンのことは、名前しか知らなかった。でも、ジム・キャリーは大好きだし、公開当初から、この映画を見たいとずっと思っていた。それが、やっと今見ることになったのには、理由がある。
先にこの映画を見た人のうち何人かが、僕に見ろ見ろとしつようにすすめるのだ。
そのときから、僕には何か予感のようなものがあった。
最近、芸のことなどを考える機会があって、この映画をやっと見ることになったのだが、僕の予感めいたものは、間違っていなかった。
他人事とは思えない。
実際のアンディ・カウフマンの映像を見たい。

幽霊通信

2006年3月18日 読書
都筑道夫少年小説コレクション第1巻『幽霊通信』を読んだ。
おばけ博士と異名をとる和木俊一ものを集めてある。
民俗学に詳しい名探偵、というと、これは京極夏彦などの先駆ではないか。
以下、作品ごとのメモ。
ネタバレしか書いていないので、要注意。
「ゆうれい通信 第1話 一本杉の家」
誰も住んでいないはずの家の戸があいていて、中にあんどんがついている。
部屋の中では女のひとがふとんで寝ている。長い髪の毛は畳の上に生き物のように伸び、顔はふとんで隠れている。
時は真冬。そもそも戸をあけて寝ていることが不思議なのだ。
幽霊が出ると噂を流して、金庫のカギを持っている少女をおびきだすのが目的。

「ゆうれい通信 第2話 二階にうつるかげ」
2階の窓に真夜中うつる不思議な影。
ある日は福助。ある日は日本髪結った女性、またある日は鬼。
美術品の泥棒が外にいるものへの合図として、投影。
家人が不在かどうか、次にすりかえる能面はどのタイプか。

「ゆうれい通信 第3話 三時三分にどうぞ」
3月3日の3時3分からひなまつりのおいわいをする、と、みどりちゃんから電話。
でも、みどりちゃんはすでに死んでいたのだ。
声はテープで、少女をおびきだすため。
娘が死んで狂ってしまった母親から、財産のありかを聞き出すため、娘にそっくりな少女を母親にあわせてショック療法しようとしたのだ。

「ゆうれい通信 第4話 スペードの4」
いろんな手紙に同封されている破れたスペードの4。
狼男。
犯人は家政婦で、手紙の封をあけてはトランプをいれていた。
主人はかつての悪党仲間からの誘いをずっと受けていたのだ。

「ゆうれい通信 第5話 五色のくも」
赤い蜘蛛や青い蜘蛛がうようよ発見される。
復讐のために、蜘蛛に色を塗って脅していたのだ。

「ゆうれい通信 第6話 ぼうしが六つ」
薬屋が目覚めたら、枕もとにシルクハットが置いてある。
数日後にもまた1つ。さらに数日後にまた1つ。
この薬屋は以前帽子屋で、詐欺で赤いシルクハットを無駄に大量に作らされて、自殺していた。
帽子は銀行強盗の一味を集めるための合図。

「ゆうれい通信 第7話 七福神の足あと」
殺人現場の七福神のかけ軸から、七福神が消えた。
周囲には、小さな足跡が残されている。七福神の犯行か?
犯人は、掛け軸の絵に隠されていた高価な絵を盗み、手で小さな足跡を偽造していた(クレイトン・ロースンの足跡)。

「ゆうれい通信 第8話 8時のないとけい」
女の子が待っている。死んでしまった人が帰ってくるのを待っている。
時計を見ると、8時のところが塗りつぶされている。
家に行ってみると、家の中の時計すべてが8時を塗りつぶされている。
この家では父も娘も8時に死んでおり、不吉なので塗りつぶしていたのだ。

「ゆうれい通信 第9話 おしの九官鳥」
家に白い幽霊が出る。
父親は娘に「安心しろ。おしの九官鳥が知っている」と謎の言葉を残して死ぬ。
幽霊はショック死させるため。顔に白いきれをかぶせ、夜行塗料を塗ったコンタクトをつけていた。
九官鳥の剥製に、正式の遺書が隠されていた。

「ゆうれい通信 第10話 十字路の火を消すな」
十字路の灯火が消される事件があいつぐ。
現場には「十字路の火を消すな」のメッセージや、次の予告まで。
予告に釣られて十字路を見に行った家に空き巣に入るのが目的。

「ゆうれい通信 第11話 十一才のたんじょう日」
家が生きているかのように、ときどきかわる。
廊下が急になくなったり、2階が1階になったり。
睡眠薬で寝ているあいだに体の位置を変えたりして、家のようすが変わったかに見せかけた。

「ゆうれい通信 第12話 十二ひとえの人形」
十二単を着た人形の袖が濡れていた。先祖からの言い伝えでは、人形が泣くのはおそろしいことが起こる前兆なのだ。
おばけ博士をおびき出して、人形に仕込んだ時限爆弾で復讐するつもりだった。

「耳のある家」
青黒い手にはみずかき、顔は青くてブヨブヨ。蛙女だ!
博士の合成皮膚の研究を悪用しようとしていた者が暗躍。
博士は妻(蛙女)の顔が崩れており、合成皮膚できれいな顔になるように研究していた。
悪党は、合成皮膚で別人に変装できるので、悪事に使おうとしていた。
悪党の新入り仲間は「依田高美」逆から読んだら「味方だよ」

「砂男」
ジンギスカンのモンゴルの「もの言う砂」を狙う一味。
砂男と呼ばれる男と、清にいさんが一室に入る。砂男が出て行ったのを見て、部屋に入ると、誰もいない。他に出口はない。換気口はあいているが、とうてい大人の身体は通らない。
もの言う砂とは、ヘロインのことだった。
砂男は子供2人が肩車して大人の身長になっていた。
砂男のかっこうで出て行った清にいさん。部屋の中に残った2人のこどもは換気口から外に出る。
な〜るほど。これって、『少年探偵長』に影響受けたのか。のちに、石井輝男監督作品にも同趣向。

「座敷わらしはどこへ行った」
こどもが中にいるはずの家、数人で手分けして探すが、誰もいない。
崖の上で人が殺されていた。
消えたこどもには共犯がおり、見張り役がこっそりと逃げ出すのを助けたのだった。
そのこどもがいつまでも帰ってこないので、殺人を目撃して囚われたのじゃないか、と捜索。(廃墟になった精神病院とか)
こどもは、自分の家で囚われていた。
悪党の仲間割れで殺人は起こっていたが、それを目撃した父親が悪党の逃走の手助けを強いられ、自分のこどもが誘拐されて右往左往するふりをして、車を手配などしていた。

「いつまでも読み継がれて」(皆川博子)
『猫の舌に釘を打て』のタイトルと、『三重露出』のアイディアから『猫舌男爵』は生まれたのかもしれない、とか。
猫舌男爵は途中まで読んで放ってあるので、近いうちに完読しよう。

和木俊一シリーズでまとめてあるせいか、同じトーンで読み切ることができて、楽しかった。ミステリー色も強い。強烈なシーンは控えめで、怪奇趣味を前面に押し出していないところが粋な感じがする。
これで都筑道夫少年小説コレクション全6巻の半分を読んだことになる。
あ〜。読み終わるのが惜しいよ〜。

黒の血統

2006年3月17日 読書
三橋一夫のふしぎ小説集成第3巻『黒の血統』を読んだ。
ギュスターヴ・ドレのカバー装画があんまりしっくりこないなあ、と思っていたが、見なれてくると、これはこれで「どこにもない」感覚があって奇妙でいい。
以下、作品ごとのメモ。
ネタをばらされて怒る人は読まないように。
「生胆盗人」
天保時代の藩医が医学研究のために辻斬りし、胆や胃袋、舌などを集める。
役人が踏み込むと、壁一面の目玉がギョロッとにらみ、無数の舌が笑う。

「怪しの耳」
頭のてっぺんに第3の耳がはえた。
この耳は芸術的才能を与えてくれるとあって、耳のとりあいになる。

「夢」
なんだ、戦死する夢を俺は見てるのか、と微笑みながら戦死する男。

「天から地へ」
小遣い稼ぎの犯罪のはずが、殺人の濡れ衣着せられ、逃げる最中に橋から落ちる。
落下中に見た自分の人生を恥じる男。

「秋風」
チョコチョコリンノアッチュンチュンヨ。
墓参りで幼くして死んだ子供と語り合う父親。

「黒の血統」
執事はお嬢様に横恋慕し、許婚者を殺し、良人を破滅させて思いを遂げようとする。
お嬢様は彼が自分とは異母きょうだいであることを告げて自殺。

「その夕べ」
心中前の情景かと思いきや、討ち入りの日の堀部弥兵衛の話だった。

「不思議な遺書」
父の遺書は、息子が捨て子で、娘が愛人に生ませた子であったと告白したものだった。
な〜んちゃって、ドッキリだよ〜ん。

「霊魂のゆくえ」
失恋したと思い込んで自殺したが、霊になって後の世界を見てみると、思い違いだと判明した。
あわてて魂は自分の肉体に戻ろうとするが、見知らぬ老人に宿ってしまう。

「空袋男」
文字どおり心臓が口から飛び出した男。
ぜんそくがひどくなると、口から手をつっこんで肺を取り出し、お腹が痛くなると、胃を取り出す。
そのうちに、中味がからっぽになってしまった。

「或る晩年」
妻にも子供にも死なれ、お仕えする家も零落しておひまをもらうことに。
静かに狂った老人は、既にいなくなってしまった最愛の人たちに囲まれて、しあわせに死んでいく。

「幕」
犯罪に巻き込まれた親子の話はすべて劇のだしものだった。
大根役者となじられた男は、劇と同じ格好で車にはねられる。

「ハルポックとスタマールの絵印」
薬のパッケージのキャラクターに魅かれあう病人の恋。

「ミスター・ベレー」
下宿人はベレ−帽をかぶった福の神。

「再生」
芸術家が生まれ変わる。
こどもが亡き芸術家のものと見まがう作品を作る。

「第三の耳」
頭のてっぺんにはえた耳(「怪しの耳」と同じモチーフ)
それを恥じて手術で取ったが、その心根のあさましさに恋人は幻滅する。

「なみだ川」
悪国司が無理難題をふっかける。
「コレワコレワというものを持ってこい」
妻は蛇に化身して箱に入り、国司に献上。
ふたをあけた国司は思わず「これは、これは!」と驚く。

「浮気な幽霊」
自分が死んだと気づいてない人妻の幽霊。

「アイ・アム・ユー」
夫婦の魂がいれかわり、妻が仕事に行って、夫が家事にたずさわる。
そっちの方がしっくり来た。

「猫」
どろぼう猫を殺して埋めたら、その頭蓋骨からカボチャがはえた。

「沼」
H家の男はみんな沼で死ぬ。
沼のほとりで出会った女性に一目惚れした彼も死神に取りつかれたかのように沼で死ぬ。

「片眼」
亡夫が幽霊になって妻を看病。

「天狗来訪」
天狗がやってきて、帰っていった。
そう思わせて、実は邪魔者を殺害。不意にいなくなっても不思議じゃないように思わせたかったのだ。

「とべとべ眼玉」
眼玉が飛び出して、好きな女性をたぶらかす男の正体を目撃。

「生胆盗人」や「空袋男」「ハルポックとスタマールの絵印」のアイディアは面白く、「黒の血統」や「秋風」「或る晩年」は味わい深い。水木しげるが小説を書いたら、こんな風になるんじゃないか、と思わせる作品もいくつかあった。「とべとべ眼玉」なんて最たるものじゃないか。
『ふしぎ小説集成』は全部で3冊。あと1冊しかないのか、と思うと、続けて読み切ってしまうのが惜しい。ラッフルズのシリーズだって、読めば面白いのがわかっていながら、残り1冊しかないから読むのを控えているのだ。コンプリートは野暮な趣味だと思う。
三橋一夫のふしぎ小説集成第1巻『腹話術師』を読んだ。
三橋一夫は春陽文庫などで大衆小説を大量に発表していた作家だが、ふしぎ小説と銘打った短編も相当数あり、このたび日下三蔵の編集で3冊にまとめられた。
以下、作品ごとの覚え書き。
ネタバレしまくりなので、未読の人は要注意。

「腹話術師」
口をなくした男

「猫柳の下にて」
自殺した恋敵がニワトリに生まれ変わった

「久遠寺の木像」
木像と一体化する男

「トーガの星」
土人トーガはワニに食われたのか、星になったのか

「勇士カリガッチ博士」
貧乏芸術家のところにやってきた鼠の勇士カリガッチ博士。
彼の励ましによって制作がはかどる。
カリガッチ博士をつけねらうのは、家主の飼い犬。

「白の昇天」
入水心中はまるで昇天のごとく

「脳味噌製造人」
脳味噌入れ替えで画才を失ったが世俗的に成功する芸術家

「招く不思議な木」
貧乏なときに世話になった「招き木」
人がこっちを手招きしているように見える木。
裕福になってその木をないがしろにし、切ったときに自分の身体も切られたような痛みが走る。

「級友『でっぽ』」
人をあやつって殺人の容疑者を自殺させる

「私と私」
ドッペルゲンガーはお互いを気遣って何をするにも中途半端

「まぼろし部落」
嫉妬に狂う男の話はすべて脳内マトリックス

「達磨あざ」
情事を正当化するアザ

「ばおばぶの森のかなた」
貧乏でも明るく生きる極端なプラス思考の家族。
売れない生活必需品でも、泥棒なら持って行くだろう、と売る。
健康法だと言って、絶食する。
森の中に消えた家族。きっと森のかなたに姿をあらわすだろう。

「島底」
夢でよく見る風景は、前世の記憶だった。
記憶を再現するように女を殺して崖からとびおりる男。

「鏡の中の人生」
鏡を通って2つの人生を行き来する。

「駒形通り」
タイムスリップは夢。

「親友トクロポント氏」
カリガッチ博士は鼠だったが、今度は人間大のウサギとの交友。
彼は心の腐った人間には見えない存在なのだ。

「死の一夜」
火縄でアリバイ。

「歌奴」
老いて美しさを失った女。
その事実を残酷にあばきたてられて泣く女。
その凄絶なまでの美しさ!

「泥的」
忍び込んだ家は出征軍人の家。
泥棒は自分を恥じて何もとらずに帰る。

「帰郷」
戦争から凱旋した兵士。
「お帰りなさい、桃太郎」

「人相観」
吉運の人相にしようと額を剃り上げていた男が、その傷がもとで死ぬ。

「戸田良彦」
同姓同名で性格が正反対の2人。

「『まぼろし部落』のころ」(エッセイ)
作品は私小説だなんて言ってる。

短い話だがそれぞれ深みがある。
これといった仕掛けがあるわけでもないのに、「久遠寺の木像」や「歌奴」などは強烈な印象で頭に残っている。
笑ったのは「勇士カリガッチ博士」での犬(スピッツで、雌なのにトミイという名前)にまつわる描写。
最初に登場したときから、こんな表現だ。
「こいつ案外に獰猛邪悪な性格で、誰彼の差別なくギャンギャンと吠えたてる、厄介千万な代物である」
それが
「憎悪に燃えた殺人鬼のような眼で僕を睨みつけながら、尖った歯をむき出して、血に狂ったように僕に挨拶を述べ立てた」
で、僕は
「第一日目の御挨拶の時にすでに噛みつかれるか、或いは夢中になって相手を蹴り殺し、女主人の怒りを買って、すぐさま、追い立てでも食ったかも解らない」
カリガッチ博士と話していると、
「トミイの畜生は、(中略)無教養な女の逆恨みに、ヒステリイの眉をさか立て」襲ってくる。
対策として、ボス的な犬を連れて来てトミイとつがわせて、家の中にいるトミイを外に引きずり出そうとする。
「かくてトミイ婆は、自由の天地の野良犬になりさがり、全身ミミズ腫れの虐待を受け、生疵のたえまもなく、奴隷の如くにコキ使われた挙句の果ては、悪い病気でもうつされてハゲチョロケの体になり、野垂死にすることは決まっている」
いやー、ひどい。笑える。
「ばおばぶの森の彼方」には自分の今の境遇と重なる部分が多くて、これも笑えた。
どんなに貧乏でも、絶望しないのだ。
貧乏ゆえの行動もすべてプラスにとらえる。
悩み苦しんでも、能天気に生きても、どちらも一生なのだ。
愚痴や不平でイライラするのは時間がもったいない。

MORNING GIRL

2006年3月15日 読書
鯨統一郎の『MORNING GIRL』を読んだ。
アーサー・J・クック三世のSF小説を翻訳した、という体裁をとっている。
(作中の「能間寺院」などの言葉遊びや、ネタで鯨統一郎の自作であることはバレバレ)
時は未来、舞台はスペースアイランド「飛翔」。
地球は原発の暴走などで放射能にまみれている。
飛翔でも地球でも住人の平均睡眠時間が日に日に減っていく現象が認められた。
このままでは人間は睡眠しなくなってしまう。
睡眠を解明するためのプロジェクトが組まれる。
さて、このSF長篇小説、核になるのは、「睡眠とは何か」「夢とは何か」それに絡んで、「人はなぜ原子力発電するにいたったか」についてのアイディアであり、鯨統一郎らしい。
睡眠や夢についての最新の研究にもふれている。
以下、ネタバレなので、読んでない人は注意。
生命は地球外から飛来した。
地球は文字どおりの「母なる地球」で、人間たちの親でもある。
「睡眠」とは、母なる地球が人間とスキンシップをとるためのものだった。
もともと地球は放射能まみれの星であり、原初の姿に戻るため、地球は夢を通じて人間に原子力開発のヒントを出し、原発を作らせるにいたる。
睡眠は人間とのスキンシップなのだから、子離れするために、子たる人類には地球から離れる宇宙開発のヒントを夢で与え、また、スキンシップの減少がそのまま睡眠時間の減少になってあらわれたのだ。
なーるほど。
アイディアは面白いが、短編で書くには、読者を納得させるのが困難なネタだ。
タイトルから、モーニング娘。をどこか想起させる部分があるんじゃないか、と思っていたが、特になかったように思う。
SF的なお膳立て、たとえば、「飛翔」を支配していたのがAIだった、などは、僕のようなSF音痴でもわかりやすくて、読みやすかったが、最初から「SFだ」と思って読んだら、普通小説すぎてなまぬるく感じたかもしれない。
鯨統一郎は、無条件で読むことにしている作家だ。
多作家なので、近いうちに、また別の本を読むことになるだろう。
加納朋子の『沙羅は和子の名を呼ぶ』を読んだ。
異世界との接触で現実が影響を受ける物語10編がおさめられている。
以下、簡単な覚え書き。
「黒いベールの貴婦人」
病院で死んだ子の幽霊と、医療ミスの噂で町を追われた医師の娘の生霊の交流。

「エンジェル・ムーン」
亡妻の少女時代の幽霊がやってくる。
約束の店「エンジェルムーン」を作った男。

「フリージング・サマー」
忘れられたくない思いで、死後も届く手紙、留守電

「天使の都」
子供を死なせてふさぎこむ妻。クルンテープで天使に逢ったことで生気を甦らせる(天使は仕込み)

「海を見に行く日」
女の一人旅。よってたかって自殺防止に動く人々。

「橘の宿」
たちばなが見せる幸せな家族

「花盗人」
ひあたりのいい他人の庭にパンジー植えて「転地療養」

「商店街の夜」
シャッターに描いた森が実体化する

「オレンジの半分」
『わたしには双子の妹がいる』「わたし」に瓜二つの妹がいる(二人姉妹)、と勘違いする男。実際は、「わたし」には年の離れた2人の妹がおり、その妹2人が双生児だった(三人姉妹)。

「沙羅は和子の名を呼ぶ」
もしも学生時代につきあっていた彼女とあのまま結婚していたら生まれていたはずの娘、沙羅。沙羅は現在の自分のひとり娘、和子と接触する。2つの人生を行き来する男。
主人公の男には、根性ババな同僚がおり、こちらの人生においては、出世した男をやっかみ、向こう側の人生では、男が美人妻を娶ったことをやっかんでいる。向こうの世界ではその嫌な同僚は殺されてしまった。こっちの世界も同じようにしようと謀る沙羅。

子供が死ぬ話が多い。
子供の存在のあやうさ、はかなさをあらわしているのだろうか。
それに関連して、少女の年齢についてヒントをもらった。
たとえば、こんな会話。(ありがちだけどね)
「私はもう16よ」「まだ16って言い方もできるさ」
たとえば、こんな感想。
「およそこの世に12才の女の子ほど小生意気で扱いにくい人種はいないに違いない」
あやういなあ。揺れているなあ。ファジイだなあ。
死んでしまっても、こうやってあやうさだけが一人歩きしてるのだ。
枝川弘監督の「新婚七つの楽しみ」を見た。1958年。
デパートのネクタイ売り場で働く若尾文子と、川崎敬三は、街頭録音のインタビューで、相反する男女観、結婚観で激しくやりあう。結婚後も働きたい若尾文子と専業主婦を主張する川崎敬三。
そんな2人が結婚しての新婚生活。
ミス・ワカサ、島ひろしの新婚カップル(お互いにバツ3、バツ4)に教えてもらった「新婚七つの楽しみ」を2人は見つけだして数えることにする。まあ、それは、仕事中に電話すること、とか、結婚後も恋人時代のように街角でデートすること、ヒゲを剃ってあげること、夫婦喧嘩のあとの仲直り、内緒で食べる焼き芋など。他愛ないったらありゃしない。
こういった名言っぽい発言がこの映画には頻発する。
船越英二が演じる独身主義者が、警句を言いたがるのだ。
「恋愛は美しき誤解である。結婚は惨澹たる理解である」などなど。
冒頭のシーンでは、一女性がインタビューにこたえてこう言ったのもその1つか。
「結婚に必要なのはスリーCです。キャッシュ、カ−、コンドーム」
さらにミス・ワカサと島ひろしが登場すると、たちまちその場は漫才になってしまう。
口癖の「すべては愛情の問題でんな」が繰り返されるのもおかしいし、変なシーンを見かけたら「ストロンチウムのせいで、ココがいかれとんねんで〜」「気の毒やなあ」と息ぴったりに掛け合う。
結局、新婚の2人はお互い主義を曲げることもなく、なかよく夫婦生活を続けるのである。この映画には、結婚後の楽しみの見つけ方は描かれているが、結婚そのものの楽しみは不明なままだ。

笠置シヅ子主演の「ペ子ちゃんとデン助」を見た。瑞穂春海監督、1950年。デン助は堺駿二が演じている。横山隆一原作で、映画の中で登場人物たちが『フクチャン』を読んでいるシーンも出て来る。
楽しい歌謡映画だった。笠置シヅ子は屋上で大声で歌ったり、しっとりと「ペ子ちゃんセレナーデ」歌ったり、さらには、エンドマークが出てから、堺駿二が「ペ子ちゃんもう1曲」と「終」の文字を握りつぶすと、作中の「買物ブギ」がもう1回流れる、という趣向もある。今のプロモーションビデオ感覚だ。
ストーリーは、雑誌編集に携わる大中ペ子(おおなか・ぺこ)が覆面歌手ミスター・クローバーをネタに売り上げアップを狙ううちに、2人は仲良くなり、ペ子ちゃんも歌手として見い出される。ペ子ちゃんが好きだったデン助は涙を飲む格好だが、もっと自分を磨いて出直そうとする、前向きな結末になっている。
ところで、名曲「買物ブギ」には「つんぼ」「めくら」という単語が入っているため、完全な形ではなかなか聞けなくなっている。その部分を削ることで僕なんかは、「くそ、めくらのせいで、名曲が聞けないじゃないか!」「つんぼなら音楽のことで文句言うな」と無用のイライラにとらわれる。「きちがい」だって、「きちがいはそんなこと気にしないはずだ。正常な人間が勝手に気違いを理解したふりするな」と怒りの気持が湧く。「〜が不自由な人」という言葉は既に一般的に広まっている。でも、僕には違和感がある。そんな言い回しは、「言葉が不自由」なのだ。カタワを気遣うふりをして、新たなカタワを作り出しているとしか思えない。肝心なのは、言い回しや単語にはなく、その使い方に心がともなっているかどうかなのだと思う。それを言葉の言い換えで済まそうとするのは、表現者としては落第だ。言葉に不自由な人間だけが、「〜が不自由な人」だの「〜に障害がある人」の言い回しを使えばいいのだ。
AKB48の大阪キャンペーンライブを見て来た。
まずは正午からディスクピア日本橋でイベント。
司会はスマイリーキクチ。
ミニライブとトーク、ジャンケン大会があった。
ミニライブは4曲。
1、Dear My Teacher
2、AKB48
3、スカート、ひらり
4、桜の花びらたち
これは前回テレビ番組で東京に連れて行ってもらったときに聞いた曲ばかりで、楽しめた。
僕の感想でいうと、今回シングルになった「桜の花びらたち」は、この4曲のなかではいちばんつまらない曲だと思う。早くセカンドあるいはアルバムが出てほしい。
ジャンケン大会では、勝ち残った3人にAKB48のTシャツと写真集がセットで渡された。
東京から来た常連組が客の半分以上を占めていたと思われ、大阪のイベントなのに、非常に居心地悪くて、「ここはアウェイか!」とツッコミをいれたくなった。
大阪の人間にとっては、CD以外ほとんど情報のないアイドルだったので、いきなりみんながコールしたり、踊り出したりしたとたん、出遅れた感にとらわれてしまったのだろう。
しかし、AKB48が可愛いことにはかわりがない。
今回、はじめてメンバーが自己紹介したり、しゃべったりするのを聞いて、各人ちゃんと個性の色分けができていることに驚いた。こいつら、ただ者じゃない!
ディスクピアの次は、メンバーが3つにわかれて、難波、心斎橋、梅田で同時多発キャンペーン。
僕はタワーレコード難波店に行った。
ここではレッドとピンクのチームが来ていた。
キャンペーンといっても、歌があるわけではなく、CD購入者は握手できる、というものだった。
僕は何回かタワーレコード難波店に足を運び、前日も寄ってみたのだが、キャンペーンの詳細は何も明らかになっておらず、それどころか、AKB48のキャンペーンがあることすら、店のどこを見てもわからなかった。「ひょっとしたらここでキャンペーンがあるというのはガセネタではないか」と思ったほどだ。明らかに、店側としては、このイベントに対して積極的ではない。当日、店に行ってみても、やっぱりどうすれば何がどうなるのかさっぱりわからなくて、うろうろしているうちにキャンペーンははじまった。メンバーで、僕のことを覚えていてくれた子がおり、たいへん感激した。こういうところで、客はファンに変わるのだろう。AKB48というアイドルの特殊性をタワーレコード難波店のスタッフが認識していたとは言い難いイベントのすすめ方だったが、それを求めてもしかたがないのかもしれない。
お次はビッグステップ。
ステージを大階段あるいは他の階の手すりごしに見る、というライブ。
人を馬鹿にしているのか、と思われるほど、ライブには適さない環境だった。
これなら、千里セルシーででもやってくれた方がよっぽどいい。
アメリカ村の休日なので、田舎から出て来た一般客が多く、そういう客はAKB48などちっとも見ずに、ファンたちが踊ったりオタ芸打ってたりする方が珍しいらしくて「こっち見てる方が面白い」とキャアキャア言いながら珍獣扱いで客を見ていた。アイドルイベントにはつきものの光景だ。こんな無神経な差別主義者が平気でミナミに出て来ているかぎり、僕はアイドルファンをやめられない、と思った。
ミニライブはディスクピアと同じ曲目。
自己紹介中に制服を着替えるのも同じパターン。
1日に2回もライブ見ることができるなんて、感激以外のなにものでもない。
AKB48、もっともっと見たい!

帰宅後、FMで「現代の音楽」いかにもな現代音楽が流れる。
ラジオ大阪で「アイドル環状線」今日は寺田有希が1人で頑張る。
テレビで「トゥームレイダー2」を放送していたので、見た。
ヤン・デ・ボン監督、アンジェリーナ・ジョリー主演。
今回はアフリカに眠るパンドラの箱をめぐるアクション。
といっても、普通にすれば問題ないのに、「それじゃ面白くないから」という理由で無意味なアクションが連続する、不思議な作品だった。
舞台はギリシアから中国、アフリカと目まぐるしく移り、ハリウッドがこれらの地域をいまだに暗黒の秘境扱いしているのがわかり、興味深い。
アンジェリ−ナ・ジョリーの顎の張った顔が、青木さやかに見えて仕方がなかった。
ストーリーは、アンジェリーナ・ジョリー演じるララ・クロフトが金持ちのわがまま女全開で、無謀なことばかりやり、パートナーのジェラルド・バトラーがそれをフォローする。
真のヒーローはこのジェラルド・バトラーなんだ、と思った。
命知らずで勝ち負けにこだわるララ・クロフトは鼻持ちならない馬鹿で、ジェラルド・バトラーは超人的活躍でララ・クロフトを助けるのだ。目立たないが、実力はすごい(俳優の、じゃなくて、役柄上)。不幸なことにルックスがそれほどでもないので、きっと顔だけで映画を見ている女性ファンなどは、なんであんな男にララ・クロフトの相手がつとまるのか、なんて大馬鹿な感想を抱くんじゃないだろうか。そこが悲劇だ。
敵役も抜け目のない賢い男だった。こいつも最後殺してしまうには惜しい。
ララ・クロフトは最終的にパンドラの箱を元通り封印するために活躍したことになるのだが、よく考えてみると、もともと、おまえがオーブを盗み出そうとしたのがすべての発端なんじゃないか。そのために多くの人間が死んで行った責任をいったいどうとるつもりなのか。おまえがしゃしゃり出てこなければ、オーブはいまだにギリシアの海の底に眠っており、謎を解こうと相棒たちを酷使しなかったら、オーブの意味すらわからなかったはずだ。
腹を切ってわびろ!
それが嫌なら、せめて顎を削れ!
鶴見はなぽーとブロッサムでダンシングBANANAのライブがあった。
みゆきは受験のためにお休みで、メンバーは7人。
演目は次のとおり。
午後2時の回
1、花(オレンジレンジのカバー。ラップ部分はちひろから始まる)
2、軌跡(2ndシングル)
3、ハッピーメイカー
4、ダンデライオン(バナナ初のバラード)
5、真実の宝石(1stシングル)
6、ダイビング・トゥ・ラブ(3rdシングル)
「花」の歌い出しで、れなが声が裏返り、やりなおすのもご愛嬌。
前回のブロッサムライブで、「ダンデライオン」のときに唯が号泣してたので、今回はどうか、と思っていたら、唯はきっちり歌っていた。かよとちひろの目に涙が光っていたように見えたのは錯覚か?
ライブ後はちびっこ限定の握手会と、撮影タイム、グッズ販売。CDにメンバーのトレーディング手形つけて売ったりしてた。手形には直筆のメッセージなどが書いてあるので、それだけでも買う価値あり、とみた。
午後4時の回
1、軌跡(新バージョン。東京では1度披露しているロックバージョン)
2、チャイナドール(各ソロダンスによるメンバー紹介)
3、真実の宝石
4、ダンデライオン
5、ダイビング・トゥ・ラブ
6、花
チャイナドールなどを見ていると、ダンスのうまさは唯が頭ひとつ抜けているように見えた。

九条に移動し、STSスタジオライブ。午後7時開演
創叡の社長に「まちウケ見たよ、優勝してたね、たいしたもんだ」と肩を叩かれたりした。
ライブ前には、大関栃東がステージに立って挨拶をした。
すぐ僕の目の前を大関が通ったのだが、びんつけ油のいい匂いがすーっと通り過ぎていった。
以下、プログラム。
(第1部)
1、オープニング/ジュニアスペシャルダンスチーム
2、SHOW TIME/ステッパーズ
3、Keep the Faith/ラズベリーズ
4、憧夢〜風に向かって/トレード(新衣装で統一)
5、OVER/村上太巳
6、桃色片想い/チックス
7、Baby My Heart/マシェリー
8、POP STAR/タイフーンJr.
9、Just Lovin’ You/桐生彩加
10、浪漫/プリティーズ
11、ジェラシー/ミニミニclub
12、PUMP IT/Super Bubblez
(第2部)
1、I BELIEVE/ナオセレクト
2、anybody’s game/ミューズ(満里奈復活!病み上がりなのか、激痩せしてた。梨由が体調不良で休んでおり、今回も4人)
3、愛のカケラ/杉本めぐみ
4、in the name of love/ファッションズ
5、No.1/PHRASE
6、Give Me Up/RISAKO & REINA
7、King & Queen/プリッツ
8、Your Song/いちごっ娘
9、Love like candy floss/TOUCH
10、don’t you wanna see me(oh)tonight/ブラックベリーズ
11、sexy,naughty,bitchy/ブラックベリーズ
先月の人気投票で1位をとったのはブラックベリーズで、これで3回連続。
ミューズは本田美奈子の作った歌で全国デビューするらしい。
今回のライブでは、RISAKO & REINAのレイナの技術に進歩がみられたので、アンケートのベスト3にいれるつもりだったが、他のユニットで鳥肌が立ったのとか、感涙したのがあって、惜しくも入らなかった。
僕のベスト3は次のとおり。
1、TOUCH
2、プリッツ
3、トレード
TOUCHはもともと好きなユニットだったが、今回のライブをみると、前よりもよくなっていて、文句をつけるとしたら、選曲くらいしかなくなってしまった。「TOUCHに死角なし」が、今の僕の感想だ。

今日は早朝に安楽椅子探偵の解決編があった。
僕は真犯人を当てていた。
でも、真の名探偵の1人には選ばれず、50万円は夢と消えた。
もっと早く真相を綺麗な文章にまとめる作業をしておればよかった、と思った。
それよりも、自分で小説書いて、デビューした方がいいのかな、とまた気まぐれなことを思い始めた。
芦辺拓の『謎のジオラマ王国』を読んだ。
ネオ少年探偵シリーズ3作目。
滑刈乙二(なめかり・おとじ)はひきこもりのフィギュア職人。
彼は自作のフィギュアで町のジオラマを作り、そのジオラマ内で起こした現象を、そのまま現実でも実現させてしまう力があるという!
実際に、事故だの事件だの、彼が動かしたとおりに、それが起こったことが判明する。
少年探偵たちは、時限装置を使った自作自演なんじゃないか、と推理するが、それでは説明のつかないことが連発する。
彼は、本当にフィギュアを好き勝手に操作して、町を支配することができるのか?
この作品、乱歩復活を思わせる素晴らしい発想だと思う。
「読者のみなさんも、きっと見たことがあるでしょう。博物館やイベント会場に展示されている、本物そっくりの都市のジオラマを。」
で始まる本作は、ジオラマに小さい人間がいて暮らしているんじゃないか、ふだんの風景が作り物じゃないかと思ったことはないか、と読者を導いたあと、
「そんなことを考えているうちに、ふとこわくなることはありませんか。みなさんが住んでくらしているこの町が、実は精巧にできたジオラマなのではなかろうか−などと」
と、不安をあおる。
「ある日、窓を開け、なにげなく空を見上げたら、そこには巨大な顔があるかもしれない。(中略)いや、見られるだけならまだしも、ジオラマの外にいる巨人が、みなさんをヒョイとつまみ上げたり、とつじょ現れた怪獣が、建物をこわし始めたとしたら」
う〜む、見事な導入部だ。
押絵だの鏡だのレンズだの、それらにつながる乱歩的嗜好が現代にいきづいている!
囚われの身になった少女が、なんとか脱出しようとするてだても懐かしい少年探偵シリーズを思わせる。
てなづけた猫に手紙をくくりつけて外と連絡とろうとしたり、ボイスチェンジャーのスプレーで風船作って、手紙を飛ばしたり。
少年探偵たちのフィギュアも作られており、恐怖をあおるのは、ワラ人形などの呪術にも近いし、ジオラマで世界を自由にできる発想は、神学的でもある。
このシリーズは学研の『学習』に連載された最後の作品だ。
そのせいか、シリーズで出て来た登場人物が再登場して、花を添えたりしてる。
あまりにも面白いので、別の少年少女向けの雑誌にでも新作をどんどん発表してもらいたい。
今日は梅田のビッグマン広場でプリマベーラのキャンペーンイベントがあった。
プリマベーラは少女たちによるイリュージョン・ユニットで、今回は総理大臣杯競艇のキャンペーンとして来阪したのだ。
マジックとダンス、スタジオライブなどもたまにしており、そこでは歌も歌っているようだ。
今日は1日で5回のステージがあったが、夜勤明けに梅田に行き、その日の夜も仕事があったため、正午の1回だけを見ることにした。
マジック自体は、もともとがマジシャンではないアイドルっぽい子たちがやっているので、ほとんどが奇術道具にたよったような内容で、おはガールに毛がはえた程度だった。
ハンカチーフが手の中で消えるマジック、破った新聞紙が復活するマジック、切ったロープが復活するマジック、人が入った箱に剣を突き刺したり、お客さんが選んだカードを剣で突き刺して当てるとか。
何回も見たことのあるマジックなのだが、こういうのは、好感がもてる。
かなりマジでマジックを練習しているようだったし。
ダンスは、ステージが不安定で踊りにくそうなのが残念だった。
これは1回くらい東京でスタジオライブ見た方がいいのかもしれない。
あるいは、夏にはマジックライブショーでまた来阪するらしいので、それを狙うか。
近々、DVDも出るし、CDデビューもするらしい。
要チェックだ。
そもそも、このプリマベーラに目をつけたのは、メンバーの中に制服向上委員会出身の松本久美子が「KUMI」という名で活躍しているからだ。
久美子はきっちり卒業したのではなく、突然いなくなってしまった子なので、どこで何をしているのかと思ってたら、やっぱり出て来ましたね〜。
今回はメンバー9人のうち、6人しか来ておらず、KUMIは来ていなかった。
残念。
アゴタ・クリストフの自伝『文盲』を読んだ。
アゴタ・クリストフは『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』の三部作で衝撃を与えた作家。『悪童日記』がとても面白い本で、何の気なしに、次の『ふたりの証拠』を読んだときの「えっ!何これ!」感は今でもありありと思い出せる。高木彬光の『帝国の死角』を読んだときに受けた衝撃を遥かにこえて、しかも面白かったのだから、ぶったまげたのだ。
アゴタ・クリストフは言葉の魔術師だ、くらいに思っていたのに、この自伝のタイトルはどうだ。『文盲』
アゴタ・クリストフはハンガリー生まれの作家だが、21才のときに起こったハンガリー動乱で亡命。外国語(フランス語)を一からマスターしなおして、作家になっているのだ。
この『文盲』では幼いときに、なんでもかんでも読まずにはいられない本の虫ぶりが書かれている(本人曰く「病気」)。同時に、自分で物語を編み、書くことの悦びも。
作家になるには、とにかく書き続けることだと言う信念は、この作家の口から出ると血が吹き出るかのようなリアリティーを持つ。
アゴタ・クリストフは、ハンガリー語が母語なのだが、長じてロシア語を押し付けられ、さらにナチスによって押し付けられたドイツ語を「敵語」だと感じる。今では、フランス語も「敵語」だと書いている。
幼いときからその言語の中で育っていない者は、卑近な例では外国人タレントの日本語習熟度でもわかるように、最終的に壁がありそうに思える。
アゴタ・クリストフの場合、何かものを書くときに辞書を使っただけで、その言語に対しての文盲性を感じてしまうほどだから、よけいに鋭く敵語の感覚が襲ってくるのだろう。
それでもアゴタ・クリストフはフランス語をなんとか血肉にしてみせる、と果敢に挑み続ける。
どんなに周囲の人間が、「あなたはフランス語がうまい」「フランス人と遜色ない」と言っても、本人は「わたしは文盲です」と言う。
ここでフランス語に対して「敵語」という言葉をあえて使っているのは、ただ単に外国語だからという意味ではなく、もっと深刻な理由だと書いている。
「フランス語が母語をじわじわと殺しつつある」からだ。
言語を奪われ、言語を押し付けられることに対する傷が、文盲の言葉になってあらわれている。
大阪人が東京に行ったり、人前でトークするときなどに、共通語を使っているのを見ると、悲惨な思いにとらわれる。
彼は文盲なのだ。
アゴタ・クリストフは政治の動きによって外部から強制された文盲だが、自主規制による文盲だってある。大阪人の例などは典型的だろう。奴隷の文盲と呼んでもいい。
いっぱい聞けていっぱいしゃべれるのが価値であるかのような錯覚を持っている者がいる。
その外国語は、強いられて使っているのではないのか。
外国語を達者に使えるようになっても、文盲を自称することができるのか。
そう。彼らの母語はもう自殺しているのである。
今日は安楽椅子探偵の回答締めきりの日だ。
僕が回答したのは、北山かおり犯人説。
北山かおり、が誰なのかというと、再現ビデオで被害者の三条みやび役を演じていた劇団員である。
三条みやびが北山かおりが所属する劇団のファンだったことから、何らかのつながりがあってもおかしくない設定になっていた。
推理のポイントは大きく2つ。
霊視者化野ルナは一度聞いた人の声は識別できる、と豪語していた。
でも、殺人直前、ルナの家に訪れた犯人の声を、ルナは識別できなかったのだ。
自分が何者かを説明したであろうやりとりのあと、ルナは扉をあけている。
これで、犯人はルナが声を聞いていない、関係者であることがわかる。
もう1つ。
ルナは霊視をその案件によって違うノートに記している。
ノートには日付けもタイトルもなく、違うのは表紙の絵だけ。
ふだんはノートにカバーをかけているので、表紙の絵は見えない。
ところが、犯行現場に、ページを破られたノートが発見されている。
ノートは今回の三条みやび失踪事件のノートだった。
これで、犯人はルナのノートの表紙絵を見たことのある人物ということになる。
声を聞かれてなくて、ノートの表紙の絵を見た人物。
これは推理のための問題編なのだから、「映像には映っていないが実は声を聞かれていた」だの「ルナが声の識別ができると言ったのはハッタリだ」など、問題編の映像から導き出せない可能性については無視することにした。一見無関係なマンションの管理人までがサイン会でルナと会話したことをあえて盛り込んでいるところなどから、声とノートの推理を無効にするだけの理由はないように思えたのだ。
上の2つの推理から出て来る容疑者は、北山と、デブのチーフADの2人。でも、デブはルナ殺害のとき、車で40分かかる場所にいたので、北山が犯人だと考えられる。
ただ、このルナ殺しについては、実際に殺すことができた人物という意味では誰にでも可能性はある。実際の事件であれば、真犯人はわからない。でも、これは推理ゲームだ。宅急便を装った通り魔にも可能な犯罪に対して、推理で真相を見抜くには、上の2つの絞り込みが必要だと思える。
ルナは霊視で「みやび殺しの犯人は男」だの「殺されたのは1月14日」だの断言している。
みやびの部屋の中には1月16日発売の雑誌があり、霊視がどうあれ、少なくとも14日以降生きていただろうと思われる。一方、北山は14日の夜は朝まで劇団員と飲んでいたアリバイがある。14日が犯行のあった日だと思われるのは好都合だった。
犯人は、ルナの霊視が警察を間違った方向に導いているのを利用して、容疑からはずれようとした。
ルナの霊視に信憑性を与えるため、ルナの霊視のとおりに事後工作した。
「死体は終わりの記号とともに」の霊視を後づけして、死体の遺棄場所に「Z」の文字を描いたりした。この文字は霊視前には描かれていなかったのが、はっきりと映像がとらえている。
ルナが捜査陣を誤った方に導いているうちはよかったが、ルナは犯人をいよいよ霊視で当てるという段になって「かお〜、かお〜」とか言い出した。
北山かおりは、こりゃ、本当に霊視ででもまぐれででも、自分の名前が言われたんじゃかなわん、とルナを殺害することにした。
でも、今までの霊視は正しいものと思ってほしいので、ノート全体を処分せずにページだけを破った。本件のノートのページだけを破ることで、「犯人はルナの霊視をおそれていた」という印象を与えることができるのだ。
みやび殺しの動機はわからないが、おそらく、西大路の部屋で、三条みやびと北山かおりが愛人どうしでバッティングしたんじゃないか、なんて憶測が可能だ。まあ、これは回答者が考えてどうなるものでもない。
西大路がみやびの持ち物を処分したときに、みやびの赤いコートを見逃したのは、みやびが自らの足で西大路の部屋を訪れ、コートを脱いでいたからだ。西大路は、赤いコートがみやびのものだと判断できなかったのだ。再現ビデオでは赤いコート着てなかったし。
長々と書きながら推理をまとめようとしているが、いかんせん、時間がない。
登場人物には「ユウ」という名の女性とか、自分のことを「僕」と呼ぶ女性とか、元男役のスターとか、女性なのに男を思わせる人物が多い。これは何かの暗合なのか?
ルナの霊視「仮面!仮面仮面仮面」は「4カメ」のことで、カメラマンが怪しいのでは。
そんな!
さて、北山かおりで僕の中では決まりなわけだが果たして、当たっているのかどうか。
三条みやび役の北山かおり、という人物を発見した時点で、これは勝ちだと思っていた。
よほどのすれっからしでないと、北山かおりの存在には気づかないと思うのだ。
でも、案外、みんな簡単に北山かおりを容疑者の1人に加えているのだろうか。
なお、今回のこの推理を導くにあたって、先日読んだ『誰のための綾織』と、今読んでいる『謎のジオラマ王国』がおおいに役に立った。
やっぱり推理小説って面白いもんですね〜。では、また御一緒に楽しみましょう。
「新世紀Mr.BOO!ホイさまカミさまホトケさま」を見た。2004年。
Mr.BOO!のパロディが満載。
マイケル・ホイの役どころを演じるのは、ラウ・チンワン。
同じメガネをかけており、ラストでマイケル・ホイが魔法学校の校長役で特別出演するが、2人が顔をつきあわせて「似てるなあ」とか言うのが楽しい。
厨房でのカンフーも再現される。ソーセージのヌンチャクに、フライパンでの顔に斑点ギャグ(穴の開いてないフライパンなのに、顔に斑点がつく!)。
しょっちゅう骨折してギプスはめてるのもおかしい。
ラウ・チンワンは「ヒーロー・ネバー・ダイ」などに出演している。
サミュエル・ホイ役はルイス・クーで、歌もうたうし、アクションもこなすイケメン役。ブルース・リーが取りついたかのごときアクションでは、やってるあいだに止まらなくなり、悪人だけでなく、囚われていた人たちも叩きのめしてしまう。
リッキー役はチャン・シウチョン(ジョーダン・チャン)。欲望の街シリーズなどに出演。
オーバーオール着て、首にはギプス、どもり。
月面にはじめて立つ香港の宇宙飛行士からサインをもらいたい、という願いをかなえてもらう。月面にいきなりあらわれて、サインをねだるのだ。
強盗役のシー・キェン(燃えよドラゴンのミスター・ハン)は、今回はン・ジャンユー(フランシス・ン)。
ストーリーは、ドジな魔法使い見習いハミー・ポッポー(セシリア・チャン。ハリーポッターのパロディ)が、魔法のランプから出て来て、願いをかなえてあげる、というもの。
魔法の効き目が遅くて、忘れた頃に魔法が叶えられたりする。
恋人は恐竜のようなぬいぐるみに変えられており、妹の双子は、箸に変えられている。
恋人は巨大化したり凶暴化して、ジュラシック・パークまんまのパロディを演じる。ただし、この恐竜キャラ、ゲロとウンコが最大の攻撃なのだ。
双子の妹は、70年代のゴーゴーガールみたいな姿で強盗の手下になる。この双子が二重人格で、とてもキュートなのだ。
意外なところでアンディ・ラウも顔を見せる。(恐竜の素顔)
全体にギャグがベタベタで安心して笑える。

今日は、川島雄三が演出を担当した松竹の娯楽小品も見た。
「ニコニコ大会」の3編。
まずは「歌の花籠」1946年。
コントやら、「愛染かつら」のダイジェスト、古賀政男が奏でる「影を慕いて」などの第1篇と、藤原義江の「港の船出」、高峰三枝子の「湖畔の宿」、レビューなどの第2篇。レビューは松竹歌劇団のステージを撮影しているが、並木路子も確認できた。
戦後まもなくの娯楽バラエティで、今見ても、じゅうぶんに面白かった。
そして「追いつ追われつ」1946年。
森川信演じる足を洗ったスリが、スリの美女と仲良くなって、彼女も足を洗う話。
劇場での逃走劇にさしはさまれるのは、当時のレビューで、これまた娯楽の王道。
ラインダンスがはじまると、客が双眼鏡出して、ふとももを必死で見ようとしているのとか。
この作品は川島雄三がメガホンをとっている。
ラストのキスシーンはとってつけたようだが、その分、衝撃的!
「アリスセイラーとその時代」と題するトークセミナーに行って来た。
大阪教育大学教養学科芸術講座、音楽学研究室主催で、アリスセイラー・デヴュー25周年記念のイベントになる。
場所は中之島イノベーションセンターの大阪教育大学サテライト教室セミナー室。
進行は卜田隆嗣助教授と安井献。
とはいうものの、ほとんどはアリスセイラーの一人語りで終始した印象がある。
まずはアリスセイラーが「シェリーに口づけ」を半口パクで踊り、スタート。
デビューのきっかけから、現在までの活動をアリスセイラ−自身が保存していた資料をもとにして語る。
雑誌などの資料はオーバーヘッドプロジェクターで。
映像資料も上映された。
25年を語るには1時間や2時間ではとうてい足りない、と痛感した。
アマリリスを語るだけで、初期のパフォーマンス重視のものから、メンバーが一新してのバンド時代、さらに、今回は語られなかったが、ギャルバン時代もあり、どれに焦点をあてるかで、それぞれ2時間くらいは使えそうだ。
今回は主に初期のアマリリスについて語られた。
僕がいろいろな表現活動を行ったり、イベントを企画しだしたのも、約25年前からだ。(大学卒業して、給料もらうようになってから)。
アマリリスのツアーの車に町田町蔵氏とともに同乗させてもらって、東京に行ったこともあったし、アマリリスファンの集いを開催したこともある(前売り料金の方が当日よりも高く設定した)。
僕が企画するイベントにもしょっちゅうアリスセイラーに出演してもらったし、一緒にパフォーマンスしたことも多かった。
神戸まつりに出てもらったこともあったし、キタノサ−カスで「ニコニコ印ダダ・アクロバット」というイベントに出てもらったり、京大西部講堂でニュ−ウェイブ大運動会を企画したり(台風上陸で中止)、思い返せば、夜を徹して語れるほどに、いろんなことがあった。
アリスセイラーの面白いところは、セルフプロデュースの巧みなことだと思う。
行動の動機を自分の主観や欲望にあわせているのだが、周囲が見えていないわけではないのだ。むしろ、自分を1つの素材として見て、何をすれば一番面白いかを判断して、自分を操縦しているかのようだ。
こういったコントロール技術は、僕のような直情径行の短気な人間にはとてもうらやましい部分で、教えられる事が多い。
25年の活動の価値は、その年月の長さにあるのでもなければ、「継続は力なり」なんて嘘の言葉にあるのでもない。そのとき、そのときでやりたいことをやり、そのためには今までの活動なんてあっさり捨て去ることのできるフットワークが貴重なのだ。過去の栄光や、積み上げた実績、地位や名誉、ネームバリューなんてどこ吹く風のそうした軽やかなフットワークをいつまでも保っていられることが驚異なのだ。肩書きとか、何周年なんてことを意識しだすと、滞留して、腐ってしまう。なにより、そんなのはつまらないだろう。アリスセイラーの出発がインプロヴィゼーションにある、というのが、アリスセイラーのすべてを物語っているかのようだ。
アリスセイラーが次に何をしでかすのか、刮目して待ちたい。
僕たちはアリスセイラーというインプロヴィゼーションを体験している最中にあるのだ。

T・R・Y

2006年3月4日 映画
20世紀初頭の上海で、金持ちの悪党相手をだまして荒稼ぎしていたペテン師・伊沢修は、殺し屋から救ってくれた革命家の関のために、日本軍から革命用の武器弾薬を盗む約束をするはめになる。主人公が上海を舞台にした革命に巻き込まれていく姿をアクションたっぷりに魅せていく本作は、上海に広大なオープンセットを組んで撮影された…

今さっきテレビで放送してたのを見終わったところ。
2002年、大森一樹監督。
コンゲームの映画だと思ってたけど、だまされているのは作中登場人物だけで、観客は織田裕二の表情などで、「ああ、これは嘘をついてるな」とあっさりわかる仕掛けになっていた。
つまり、だまされる快感がない。
原作はきっともっと面白いと思うので、近々読んでみよう。
この映画は、客のレベルを極端に低いところに設定しすぎており、織田裕二ファンでなければ、評価できる部分は非常に少ない。
途中で赤眉の男が織田裕二を襲ってくるのは、まるで、ピンクパンサーの映画を見ているかのようだった。襲ってくるたびに笑った。
渡辺謙の存在感はさすがだったが、だまされやすすぎて、ちっとも切れ者の印象が湧かない。
無駄などんでん返しが続き、黒木瞳など、登場する必要のないキャラクターも多い。最後の取引のシーンからあとは、もっともっと削ることができたはずで、列車の爆発なんて蛇足以外の何ものでもない。
どうせ、終わったかと思ったらまだ続きがあって、逆転する、というのを繰り返すなら、もっと極端にやってほしかった。
もう終わり、と思わせてからどんでん返しがえんえんと2時間ほど続くとか。数十回の大どんでん返しで客が陶酔するくらいに。
それとも、織田裕二のファンは、これで満足する程度のオツムの持ち主なんだろうか。そんな馬鹿な。
ミステリーを馬鹿にするのもいいかげんにしてもらいたい。
高田崇史の『試験に敗けない密室』を読んだ。
夏休みに訪れた村でまきおこる密室事件。
ネタバレしかしないような日記なので、読んでない人は注意。
作中、いろんなパズルや密室問題がかわされる。
学校のサークルでいろんな推理クイズなどを出し合ったりするのを彷佛とさせる懐かしい気分に陥る。
たとえば、「部屋が三つありました。三つ室」「男が蜂に刺されて死んでいました。蜜室」とか、人間を縮小する発明で小さくなった博士が開けられたドアに頭ぶつけて死ぬ事件とか、密室の中には殺された男性が1人しかいなかった(でも、生きている女性ならいた)。などなど、コナンやおはスタの頭脳バトルで鍛えられた小学生のレベルにも達しない駄弁が脱力させてくれる。
本編の密室事件は、宿の部屋に入ったはずの女性が、引き戸を開けて中を見たら、誰もいなかった、というのが最大の謎になっている。
部屋を間違えたわけでもないし、隠れる場所もない。逃げ場所もない。
さて、真相はというと、これもまた奇術を建物サイズに拡大したもの。
引き戸で開けたときに、戸だけでなく、中の部屋そのものを移動させていたのだ。
女性の体重が軽かったので、開けにくい、という印象しかなかったのだ。
誰が戸を開けてもこんな仕掛けが出来たかというとそうではなく、廊下に体重によって仕掛けが作動するスイッチみたいなのがあって、軽い体重の人間が開けたら普通に中に入れるのだ。
しかも、この事件は、大がかりなドッキリだったことが最後に判明する。
アニメならいざ知らず、こんな真相、なかなかない。
軽く読めるのだが、ライトノベルほど若者向けじゃないし、ジュブナイルほど健全でもない。長篇の推理クイズで、小説というよりも「文章題」という方があたっているんじゃないか、と感じた。

さて、今日は深夜に「安楽椅子探偵ON AIR」というテレビ番組が放送される。
問題編を見て視聴者が推理し、真相をあてた中から1人だけが賞金をゲットできるのだ。
ビデオを録画しておいて、何回も見たり、スロー再生、一時停止などでデータを集めてメモをとり、推理するのだ。
原作は有栖川有栖と綾辻行人の合作。
かつては新本格の最先端を走っていた2人だが、最近はどうなんだろう。
最近の作品をほとんど読んでなくて、ちょっと判断がつかない。
僕の推理はまたいずれ。

今日は僕の誕生日で、夜の11時過ぎにいきなり呼び出されて銭ゲバに行ったら、誕生日パーティが待っていた。
いくつになっても、誕生日を祝ってもらうのはいいものだ。
誕生日以外も祝ってもらったら、うれしくて狂い死にするだろう。

虹果て村の秘密

2006年3月2日 読書
有栖川有栖の『虹果て村の秘密』を読んだ。
先般来、集中して読んでいるミステリーランドの1冊。
夏休みに訪れた村で起こる密室事件。
ネタバレ上等なので、要注意。
死体が持っていた本のタイトルは『熱い歌』これが何を意味するのか、という推理で、烏賊崎という人が疑われるシーンが出て来る。
『熱い歌』は「ATUIUTA」で、回文になっている。
烏賊崎も「IKAZAKI」で、同様に逆読みしても同じになるのだ。
こんなダイイングメッセージの推理は、作中、すぐに「決めてなし」で却下される。
犯人の名前を暗示しようとしてその本をとったのか、違う意味があったのか、別の本を取ろうとしたが間違えたのか、特に意味はないのか、犯人が後から持たせたのか、などなど、いろんな可能性が考えられるからだ。
さて、密室だが、外から施錠する方法については、古今東西の推理小説で多くのやり方が考えてこられているので、その可能性については、まったく謎はない。謎なのは、なぜ密室にしたのか、ということだ、という論法がとられる。
密室トリックは、糸などを使ったもので、これといった新しいものではない。
では、なぜ、密室のしたのか。
犯行直後に、その部屋に訪問者があり、ドアを開けられると困るから、とっさに中から施錠したのだ。
そして、その訪問者が窓から中を見たとき、犯人はなんとか死角に隠れることができたが、死体を移動させるにはいたらなかった。
人が大勢寄ってくるときに、その野次馬にまぎれて犯人は逃げようとする。
だが、犯行直後にやんだ雨で、犯人宅から犯行現場までの足跡がなく、「こいつはどこからここに来たのか」が不審に思われる、という推理の道筋が立つ。
なるほど。
ロジックだ。
有栖川有栖の推理パズラーは、論理にケレン味がなくて、とても地味な印象がある。
本作でも、真相を導く推理を聞いて納得はしても「おおっ!」という意外性はない。
そして、この作品は少年少女向けに書かれているのだが、それを意識しすぎたのか、少年少女が夏休みを満喫しているシーンが長い。何も事件らしきものが起こらずに、本編の3分の1はこどもが遊んでいるだけなのだ。おまけに、なんだか前向きなメッセージというか、はっきり言って説教くさいテーマが盛り込まれていたりする。
面白ければ大量殺人も平気だ、いや、むしろ大量殺人でもないと、退屈だという若手のミステリーとは違って、人を1人殺すのにも慎重な態度をとっている。
推理小説は平気で人を殺す野蛮な物語なのではなく、殺人が必ずばれて真相が明るみになってしまう物語なのだ、ということも言われる。
さて、この本は、近々放送される「安楽椅子探偵」のために、原作者の1人である有栖川有栖の思考方法をおさらいするために読んだという一面もある。
でも、少年少女向けの良書をめざした本書では、あまり参考にならなかったようだ。
ミステリ−的な頭を維持するには役立ったか。

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