『ヘドロ宇宙モデル』
2009年9月16日 読書
泉和良の『ヘドロ宇宙モデル』を読んだ。講談社BOX。
タイトルはSFっぽいけど、宇宙モデルは宇宙の生成から崩壊までをシミュレートした遊具インテリアみたいなもの。
タイトルから受ける印象ではぶっとんだ破格のストーリーのようだが、読んでみると、これがたんたんとした物語。文章もちゃんと読ませる文体で、非常に意外。
以下、目次。
1.退職後7日目・31歳の男
2.退職後8日目・燃えないゴミの日の女の子
3.(宇宙モデルとコンビニまでの不安な道のり)
4.(スフィアと彼女の顔と月)
5.(過去からの追跡者)
6.退職後9日目・燃えないゴミの日翌日・再犯
7.(猫道)
8.(すき焼きと最低人間)
9.退職後10日目・燃えないゴミの日から3日目・ファミレス逃亡翌日
10.退職後11日目・燃えないゴミの日から4日目・謎の地図
11.(旅立ち)
12.(ルーム203)
13.(拡大機能)
14.退職後12日目・燃えないゴミの日から5日目・自慰行為・時間の止まった世界
15.(星を見る父と娘)
16.退職後13日目・燃えないゴミの日から6日目・武器・僕らの不安
17.(泣き声)
18.退職後14日目・燃えないゴミの日から7日目・夢の残像・麻痺
19.(祈り)
20.退職後15日目・燃えないゴミの日から8日目・僕のモデルを挟み対峙する僕と清水父娘
21.退職後16日目・燃えないゴミの日から9日目・鬼来たる
22.(雨の中の格闘)
23.退職後17日目・燃えないゴミの日から10日目・惑星Aの1001の夜
24.(ブラックホール・フォーチュン)
25.退職後18日目・燃えないゴミの日から11日目・6枚目のメモ
26.退職後19日目・燃えないゴミの日から12日目・月曜の午前〜午後
27.(鬼ババ)
28.(ジュンの祖父)
29.(すき焼き再来と宇宙ボトルメール)
30.(緩やかんい接近する距離)
31.退職後20日目・燃えないゴミの日から13日目・スフィア損傷翌日・裸回顧
32.(電話・オバ)
33.(宇宙ボトルメール)
34.退職後21日目・燃えないゴミの日から14日目・スフィア損傷3日目・宇宙ボトルメール2
35.(自称、宇宙モデルエンジン開発者のサイト)
36.(ブラックホールよ、止まれ)
37.退職後22日目・燃えないゴミの日から15日目・スフィア損傷4日目・公園
無職の主人公、これがなさけない、ふがいない、たよりない。
他の登場人物は、主人公と友情をかわす不思議な女子高生、ストーカー女、美人の鬼ババ。となると、まるでNHKにようこそっぽい世界で、舞台となるのは、「部屋とコンビニとファミレス」これはSFどころか私小説だったのか。
誰に届くかわからない宇宙ボトルメールの発想はセンチメンタルでロマンチックだが、室内に届くメールだから、部屋が宇宙につながっているイメージ。これはセカイ系ならぬウチュウ系だったのか。作中、宇宙モデルに寄せて、こんな文章がある。
「僕は何より孤独を恐れているのだ。誰からも認識されなくなってしまうことに耐えられない人間なのだ」
「例えば宇宙の外側には神様のような人がいて、その人がどこからともなく自分を見守ってくれているのではないか、と思いたかったのかもしれない。それなら、たとえ僕がひとりぼっちになって、誰からも認められなくなったとしても、その人に見守られていると思うことで安心できるからだ。僕やジュンが宇宙モデルの中を漂う小さな銀河を見守るみたいに、誰かに自分を見守っていて欲しいのだ」
「孤独に怯える僕らというのは、何かしらそういう自分を見守ってくれる存在を求めていて、そしてまた誰からも認められない寂しさを知っている分、誰かを見守っていたいのかもしれない」
「宇宙モデルというのは、そんな孤独から逃れようとする僕らにとっての、ささやかな祈り」
なるほど。これは、SFどころか、自分に言い聞かせるための私小説みたいなものだったのか。それはさっきも書いたか。いや、藤子F不二雄にならって言えば、「すこしフィクション」の「SF」なのか。
タイトルはSFっぽいけど、宇宙モデルは宇宙の生成から崩壊までをシミュレートした遊具インテリアみたいなもの。
タイトルから受ける印象ではぶっとんだ破格のストーリーのようだが、読んでみると、これがたんたんとした物語。文章もちゃんと読ませる文体で、非常に意外。
以下、目次。
1.退職後7日目・31歳の男
2.退職後8日目・燃えないゴミの日の女の子
3.(宇宙モデルとコンビニまでの不安な道のり)
4.(スフィアと彼女の顔と月)
5.(過去からの追跡者)
6.退職後9日目・燃えないゴミの日翌日・再犯
7.(猫道)
8.(すき焼きと最低人間)
9.退職後10日目・燃えないゴミの日から3日目・ファミレス逃亡翌日
10.退職後11日目・燃えないゴミの日から4日目・謎の地図
11.(旅立ち)
12.(ルーム203)
13.(拡大機能)
14.退職後12日目・燃えないゴミの日から5日目・自慰行為・時間の止まった世界
15.(星を見る父と娘)
16.退職後13日目・燃えないゴミの日から6日目・武器・僕らの不安
17.(泣き声)
18.退職後14日目・燃えないゴミの日から7日目・夢の残像・麻痺
19.(祈り)
20.退職後15日目・燃えないゴミの日から8日目・僕のモデルを挟み対峙する僕と清水父娘
21.退職後16日目・燃えないゴミの日から9日目・鬼来たる
22.(雨の中の格闘)
23.退職後17日目・燃えないゴミの日から10日目・惑星Aの1001の夜
24.(ブラックホール・フォーチュン)
25.退職後18日目・燃えないゴミの日から11日目・6枚目のメモ
26.退職後19日目・燃えないゴミの日から12日目・月曜の午前〜午後
27.(鬼ババ)
28.(ジュンの祖父)
29.(すき焼き再来と宇宙ボトルメール)
30.(緩やかんい接近する距離)
31.退職後20日目・燃えないゴミの日から13日目・スフィア損傷翌日・裸回顧
32.(電話・オバ)
33.(宇宙ボトルメール)
34.退職後21日目・燃えないゴミの日から14日目・スフィア損傷3日目・宇宙ボトルメール2
35.(自称、宇宙モデルエンジン開発者のサイト)
36.(ブラックホールよ、止まれ)
37.退職後22日目・燃えないゴミの日から15日目・スフィア損傷4日目・公園
無職の主人公、これがなさけない、ふがいない、たよりない。
他の登場人物は、主人公と友情をかわす不思議な女子高生、ストーカー女、美人の鬼ババ。となると、まるでNHKにようこそっぽい世界で、舞台となるのは、「部屋とコンビニとファミレス」これはSFどころか私小説だったのか。
誰に届くかわからない宇宙ボトルメールの発想はセンチメンタルでロマンチックだが、室内に届くメールだから、部屋が宇宙につながっているイメージ。これはセカイ系ならぬウチュウ系だったのか。作中、宇宙モデルに寄せて、こんな文章がある。
「僕は何より孤独を恐れているのだ。誰からも認識されなくなってしまうことに耐えられない人間なのだ」
「例えば宇宙の外側には神様のような人がいて、その人がどこからともなく自分を見守ってくれているのではないか、と思いたかったのかもしれない。それなら、たとえ僕がひとりぼっちになって、誰からも認められなくなったとしても、その人に見守られていると思うことで安心できるからだ。僕やジュンが宇宙モデルの中を漂う小さな銀河を見守るみたいに、誰かに自分を見守っていて欲しいのだ」
「孤独に怯える僕らというのは、何かしらそういう自分を見守ってくれる存在を求めていて、そしてまた誰からも認められない寂しさを知っている分、誰かを見守っていたいのかもしれない」
「宇宙モデルというのは、そんな孤独から逃れようとする僕らにとっての、ささやかな祈り」
なるほど。これは、SFどころか、自分に言い聞かせるための私小説みたいなものだったのか。それはさっきも書いたか。いや、藤子F不二雄にならって言えば、「すこしフィクション」の「SF」なのか。
『青年のための読書クラブ』
2009年9月15日 読書
桜庭一樹の『青年のための読書クラブ』を読んだ。
東京、山の手の女子総合学園、聖マリアナ学園を舞台にした連作集。
学内のはみだし者が集う「読書クラブ」のメンバーが、聖マリアナ学園設立の1919年から、100年間にわたる学園の歴史から消された事件を綴った「読書クラブ誌」の体裁をとっている。
学園もので「読書クラブ」「演劇部」という題材のせいか、文学、演劇のかおり高い文章で綴られる。とくに第1章などは、予告編的文体で、魅せられる。それぞれ、最初に『シラノ・ド・ベルジュラック』(第1章)、『哲学的福音南瓜書』(第2章)、『マクベス』(第3章)、『緋文字』(第4章)、『紅はこべ』(第5章)からの引用があり、作品もそれをモチーフにしている。
登場人物の名前も、いかにも女性の文学らしく、長谷部時雨、五月雨永遠、黒夢蘭子などそれらしく命名されている。
女子学園のなかの読書クラブというと「文学にかかわる議論をしながら過ごした激しく浮世離れした時間」「一人きりで書物に耽溺した時間」で塗り込められた、とざされた世界を想定するのが通常だが、物語ではそのとき社会では何が起こっていたかに触れて、いやおうなく社会の受けている彼女たちの姿を描いている。
女子たちの描き方も容赦ないリアリズムであり、間違っても『マリア様がみてる』には出て来ない女子たちが主人公になっているのが、面白い。
自分が女子学園に勤務していた頃を思い出した。そうそう、リアルな女の子って、こうなんだ、と。
以下、それぞれの物語について。
ネタバレしかしていないので、要注意。
第1章 烏丸紅子恋愛事件(1969年度)
コテコテの大阪人、烏丸紅子を「王子」に仕立てようと、自らシラノ・ド・ベルジュラックを買って出る醜女の才媛、妹尾アズサ。
エスの魅力で王子になりおおせるが、紅子がほんものの男に恋をしてしまい、失墜する。
第2章 聖女マリアナ消失事件(1960年度)
1919年学園設立の経緯に関する物語。
敬虔な聖女マリアナと、無神論の兄ミシェール。マリアナはミシェールの死後、日本に渡って学園を設立する。1959年、マリアナの銅像が建設された後に、マリアナは忽然と小さな家から姿を消す。雪に覆われた冬の学園で、足跡ひとつ残さずに。その家に残っていた煙突掃除夫の老人に聞いても、謎は解けない。
真相は、2つの人物入れ替わり。
第3章 奇妙な旅人(1990年度)
バブルの落とし子、「扇子の娘たち」による革命の嵐。
第4章 一番星(2009年度)
ロックバンド「人体模型の夜」のボーカルになって大人気になる山口十五夜。
激しい曲調のレパートリーが多いなか、新曲は『緋文字』と題したバラードで、慕っていた女性に裏切られたことを歌う。裏切りの真相はともかく、それにいたる推理が堅実。
第5章 ハビトゥス&プラティーク(2019年度)
没収された携帯電話や音楽端末を取り返し、ブーゲンビリアの花を残す「ブーゲンビリアの君」。教官室に忍び込む方法は、変装。
ここで第1章の登場人物が再登場。
東京、山の手の女子総合学園、聖マリアナ学園を舞台にした連作集。
学内のはみだし者が集う「読書クラブ」のメンバーが、聖マリアナ学園設立の1919年から、100年間にわたる学園の歴史から消された事件を綴った「読書クラブ誌」の体裁をとっている。
学園もので「読書クラブ」「演劇部」という題材のせいか、文学、演劇のかおり高い文章で綴られる。とくに第1章などは、予告編的文体で、魅せられる。それぞれ、最初に『シラノ・ド・ベルジュラック』(第1章)、『哲学的福音南瓜書』(第2章)、『マクベス』(第3章)、『緋文字』(第4章)、『紅はこべ』(第5章)からの引用があり、作品もそれをモチーフにしている。
登場人物の名前も、いかにも女性の文学らしく、長谷部時雨、五月雨永遠、黒夢蘭子などそれらしく命名されている。
女子学園のなかの読書クラブというと「文学にかかわる議論をしながら過ごした激しく浮世離れした時間」「一人きりで書物に耽溺した時間」で塗り込められた、とざされた世界を想定するのが通常だが、物語ではそのとき社会では何が起こっていたかに触れて、いやおうなく社会の受けている彼女たちの姿を描いている。
女子たちの描き方も容赦ないリアリズムであり、間違っても『マリア様がみてる』には出て来ない女子たちが主人公になっているのが、面白い。
自分が女子学園に勤務していた頃を思い出した。そうそう、リアルな女の子って、こうなんだ、と。
以下、それぞれの物語について。
ネタバレしかしていないので、要注意。
第1章 烏丸紅子恋愛事件(1969年度)
コテコテの大阪人、烏丸紅子を「王子」に仕立てようと、自らシラノ・ド・ベルジュラックを買って出る醜女の才媛、妹尾アズサ。
エスの魅力で王子になりおおせるが、紅子がほんものの男に恋をしてしまい、失墜する。
第2章 聖女マリアナ消失事件(1960年度)
1919年学園設立の経緯に関する物語。
敬虔な聖女マリアナと、無神論の兄ミシェール。マリアナはミシェールの死後、日本に渡って学園を設立する。1959年、マリアナの銅像が建設された後に、マリアナは忽然と小さな家から姿を消す。雪に覆われた冬の学園で、足跡ひとつ残さずに。その家に残っていた煙突掃除夫の老人に聞いても、謎は解けない。
真相は、2つの人物入れ替わり。
第3章 奇妙な旅人(1990年度)
バブルの落とし子、「扇子の娘たち」による革命の嵐。
第4章 一番星(2009年度)
ロックバンド「人体模型の夜」のボーカルになって大人気になる山口十五夜。
激しい曲調のレパートリーが多いなか、新曲は『緋文字』と題したバラードで、慕っていた女性に裏切られたことを歌う。裏切りの真相はともかく、それにいたる推理が堅実。
第5章 ハビトゥス&プラティーク(2019年度)
没収された携帯電話や音楽端末を取り返し、ブーゲンビリアの花を残す「ブーゲンビリアの君」。教官室に忍び込む方法は、変装。
ここで第1章の登場人物が再登場。
『きみが選んだ死刑のスイッチ』
2009年9月14日 読書
森達也の『きみが選んだ死刑のスイッチ』を読んだ。
以下、目次。
「○○くんが、こんなに悪いことをしました」
学校もひとつの「社会」だから
証言はなぜ食い違う?
事件は毎日起きている
第1章 罪と罰
文明が少しずつ成熟するとともに、「犯してはならない罪」とこれに「対応する罰の程度」をきちんと決めておこうというルールが決まってきた。同じルール違反をしたならその罰の重さがちがわないように、つまりはいつでもだれにとっても公平であるようにというわけだ。けれども忘れてはいけないのは、最終的に罰を決める、つまり裁くのは方程式でもパソコンでもなく、「人」だということ。
ルールとタブー、罪と罰
目には目を、歯には歯を
裁くのは、人
「疑わしきは罰せず」
時代/場所が変われば法も変わる
「権力」の意味
なぜ人は「法」を守るのか?
日本の「民主主義」
国家は「憲法」に逆らえない
「国家」はどうして必要なの?
アブナっかしい民主主義
三権分立を思い出そう
「まずは処刑。判決はあとじゃ!」
第2章 冤罪
裁判で容疑が確定されるまでは、無罪という前提で扱わないといけないということを知っている?ところで警察や検察、そして弁護士だって、いつもけっしてまちがえないというわけではない。マスメディアの報道がまちがった世論をつくり出し、それらが無実の人を有罪にしてしまうことだって、いままでに、そしていまだってたくさんあるんだ。
ならば、裁判だ。
裁判官も人の子
取り返しのつかない報道
トップニュースと真実
あいつが犯人だろう!?
真犯人がみつからなければ
認められない無罪
逮捕されても、犯人じゃない
正しい裁判を保障するもの
第3章 裁判員制度
あなたも知っているかもしれないけれど、裁判員制度とは、国民が裁判に参加することだ。でもここで落ち着いて考えてみよう。なんでそんなことが突然決まって、しかもなぜぼくらはその制度を強制されるのだろう?この制度を取り入れなくてはならない理由について、少していねいに考えてみたい。
日弁連のホームページから
最高裁判所のホームページから
日記をつければ逮捕です
丸くて白いものは?
なぜか、理由をおしえてほしい
法律の知識、ってなんだ
あなたが加害者になるとき
逮捕されたらどうなるの?
もっともっと重い罰を!
わかりやすさときれいごと
早く死刑に!
誰にも言わずに理解を深める
王さまの耳はロバの耳
市民感覚も暴走する
未整備カーで高速へ!
小学生にもわからない裁判員制度のイロハ(マンガ)
第4章 死刑
このままでいけば、あなたがそのうち裁判員に選ばれる可能性はけっして低くはない。そして裁判員が参加する裁判は、被告人を死刑にするかどうかを決断しなければいけない重大な裁判であることが少なくないんだ。ならば考えよう。死刑とはどんなものなのか、どんな意味があるのか。それを知らなければあなたは決めることなどできない。当たり前のことだ。
死刑が増えるわけ
死刑、当たり前?
死刑と密室
死刑囚の罰
死刑と極刑
死刑の方法
死刑と屠畜
死刑の歴史
死刑廃止国のデータ
死刑と世論
死刑と信念
死刑と警戒心
死刑と国家
死刑とメディア
死刑と仮想敵
死刑の意味
死刑と命
死刑と応報感情
死刑のスイッチ
ラストで書かれた、死刑反対の主張は非常にわかりやすい。
死刑存置の根拠2つに対して森氏はこたえる。
1、「死刑がなくなれば凶悪な犯罪が増える」
実際にそうなっていないことが世界レベルで証明されている。
2、「被害者遺族の仇を討ちたいとの気持ちに応えねばならない」
もしもそうなら、死刑を公開して、なぶり殺しにすればよい。
遺族の気持ちにしたがって量刑が変わるなら、罪刑法定主義という近代司法国家の大原則を放棄することになる。
ふむふむ。
それと、当事者が「殺せ」と言いたい気持ちはわかるが、当事者でない人間が「殺せ」ということに違和感を覚える、という意見もよくわかる。
死刑を存置する立場をとる、ということは、絞首刑のスイッチを押せと言われたら、迷いなく押して人を殺せる、ということになる。
僕みたいな、いつ自分が加害者になるかもしれない人間は、なんといっても森氏に頑張っていただきたいのである。
以下、目次。
「○○くんが、こんなに悪いことをしました」
学校もひとつの「社会」だから
証言はなぜ食い違う?
事件は毎日起きている
第1章 罪と罰
文明が少しずつ成熟するとともに、「犯してはならない罪」とこれに「対応する罰の程度」をきちんと決めておこうというルールが決まってきた。同じルール違反をしたならその罰の重さがちがわないように、つまりはいつでもだれにとっても公平であるようにというわけだ。けれども忘れてはいけないのは、最終的に罰を決める、つまり裁くのは方程式でもパソコンでもなく、「人」だということ。
ルールとタブー、罪と罰
目には目を、歯には歯を
裁くのは、人
「疑わしきは罰せず」
時代/場所が変われば法も変わる
「権力」の意味
なぜ人は「法」を守るのか?
日本の「民主主義」
国家は「憲法」に逆らえない
「国家」はどうして必要なの?
アブナっかしい民主主義
三権分立を思い出そう
「まずは処刑。判決はあとじゃ!」
第2章 冤罪
裁判で容疑が確定されるまでは、無罪という前提で扱わないといけないということを知っている?ところで警察や検察、そして弁護士だって、いつもけっしてまちがえないというわけではない。マスメディアの報道がまちがった世論をつくり出し、それらが無実の人を有罪にしてしまうことだって、いままでに、そしていまだってたくさんあるんだ。
ならば、裁判だ。
裁判官も人の子
取り返しのつかない報道
トップニュースと真実
あいつが犯人だろう!?
真犯人がみつからなければ
認められない無罪
逮捕されても、犯人じゃない
正しい裁判を保障するもの
第3章 裁判員制度
あなたも知っているかもしれないけれど、裁判員制度とは、国民が裁判に参加することだ。でもここで落ち着いて考えてみよう。なんでそんなことが突然決まって、しかもなぜぼくらはその制度を強制されるのだろう?この制度を取り入れなくてはならない理由について、少していねいに考えてみたい。
日弁連のホームページから
最高裁判所のホームページから
日記をつければ逮捕です
丸くて白いものは?
なぜか、理由をおしえてほしい
法律の知識、ってなんだ
あなたが加害者になるとき
逮捕されたらどうなるの?
もっともっと重い罰を!
わかりやすさときれいごと
早く死刑に!
誰にも言わずに理解を深める
王さまの耳はロバの耳
市民感覚も暴走する
未整備カーで高速へ!
小学生にもわからない裁判員制度のイロハ(マンガ)
第4章 死刑
このままでいけば、あなたがそのうち裁判員に選ばれる可能性はけっして低くはない。そして裁判員が参加する裁判は、被告人を死刑にするかどうかを決断しなければいけない重大な裁判であることが少なくないんだ。ならば考えよう。死刑とはどんなものなのか、どんな意味があるのか。それを知らなければあなたは決めることなどできない。当たり前のことだ。
死刑が増えるわけ
死刑、当たり前?
死刑と密室
死刑囚の罰
死刑と極刑
死刑の方法
死刑と屠畜
死刑の歴史
死刑廃止国のデータ
死刑と世論
死刑と信念
死刑と警戒心
死刑と国家
死刑とメディア
死刑と仮想敵
死刑の意味
死刑と命
死刑と応報感情
死刑のスイッチ
ラストで書かれた、死刑反対の主張は非常にわかりやすい。
死刑存置の根拠2つに対して森氏はこたえる。
1、「死刑がなくなれば凶悪な犯罪が増える」
実際にそうなっていないことが世界レベルで証明されている。
2、「被害者遺族の仇を討ちたいとの気持ちに応えねばならない」
もしもそうなら、死刑を公開して、なぶり殺しにすればよい。
遺族の気持ちにしたがって量刑が変わるなら、罪刑法定主義という近代司法国家の大原則を放棄することになる。
ふむふむ。
それと、当事者が「殺せ」と言いたい気持ちはわかるが、当事者でない人間が「殺せ」ということに違和感を覚える、という意見もよくわかる。
死刑を存置する立場をとる、ということは、絞首刑のスイッチを押せと言われたら、迷いなく押して人を殺せる、ということになる。
僕みたいな、いつ自分が加害者になるかもしれない人間は、なんといっても森氏に頑張っていただきたいのである。
『西の魔女が死んだ』
2009年9月13日 読書
梨木香歩の『西の魔女が死んだ』
ターシャ・チューダーみたいなおばあちゃん。
不登校の娘が彼女のもとで、癒しと精神力鍛練のレシピを受け取る。
フワフワしたカントリーなムードをぶちこわすのは、武骨なゲンジという男だが、最後の最後に「ゲンジ、おまえ、やるなあ」と思わせるエピソードが出て来て救われる。
NHK-FM「現代の音楽」は、前回に続いてターネイジ。
猿谷 紀郎
− 音の現在(いま)〜
マーク・アントニー・ターネイジ −(2)
「ユア・ロッカバイ(1992−93)」
マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(21分49秒)
(サクソフォーン)マーティン・ロバートソン
(管弦楽)BBC交響楽団
(指揮)アンドリュー・デイヴィス
<PolyGram POCL−8004>
「“ブラッド・オン・ザ・フロア(1993−96)”から
“注射針”」マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(4分46秒)
(ギター)ジョン・スコフィールド
(ドラム・キット)ピーター・アースキン
(サクソフォーン、バス・クラリネット)
マーティン・ロバートソン
(アンサンブル)アンサンブル・モデルン
(指揮)ピーター・ランデル
「“ブラッド・オン・ザ・フロア(1993−96)”から
“恐れを払いのけて”」マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(15分48秒)
(トランペット)ウィリアム・フォアマン
(トランペット)ブルース・ノックルズ
(アンサンブル)アンサンブル・モデルン
(指揮)ピーター・ランデル
<PolyGram POCL−8013>
ターシャ・チューダーみたいなおばあちゃん。
不登校の娘が彼女のもとで、癒しと精神力鍛練のレシピを受け取る。
フワフワしたカントリーなムードをぶちこわすのは、武骨なゲンジという男だが、最後の最後に「ゲンジ、おまえ、やるなあ」と思わせるエピソードが出て来て救われる。
NHK-FM「現代の音楽」は、前回に続いてターネイジ。
猿谷 紀郎
− 音の現在(いま)〜
マーク・アントニー・ターネイジ −(2)
「ユア・ロッカバイ(1992−93)」
マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(21分49秒)
(サクソフォーン)マーティン・ロバートソン
(管弦楽)BBC交響楽団
(指揮)アンドリュー・デイヴィス
<PolyGram POCL−8004>
「“ブラッド・オン・ザ・フロア(1993−96)”から
“注射針”」マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(4分46秒)
(ギター)ジョン・スコフィールド
(ドラム・キット)ピーター・アースキン
(サクソフォーン、バス・クラリネット)
マーティン・ロバートソン
(アンサンブル)アンサンブル・モデルン
(指揮)ピーター・ランデル
「“ブラッド・オン・ザ・フロア(1993−96)”から
“恐れを払いのけて”」マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(15分48秒)
(トランペット)ウィリアム・フォアマン
(トランペット)ブルース・ノックルズ
(アンサンブル)アンサンブル・モデルン
(指揮)ピーター・ランデル
<PolyGram POCL−8013>
午後1時からアリオ八尾でSI☆NAのライブ。
3人になったSI☆NAのステージはどうなのか、興味津々だ。
1.ロッタラロッタラ
2.タイムマシンにお願い
3人は物販のTシャツで登場。赤:須磨、黄:あさみ、紫:まなみ
あさみは髪の色も変え、まるでジャージのような下。ヤンキー仕様か。
須磨は激ヤセ。
ライブが続くのかと思っていたら、ここでゲームコーナー。
「誰が一番?みんなで当ててみよー!」
縄跳び:途中でビニールの縄が切れるアクシデントがあったが、あさみがトップ!
まなみはなんと、2回しか飛べなかった!
目を瞑って片足立ち:1分以上出来た須磨とあさみ。拍手であさみ勝利。
まなみはなんと、数秒でリタイア。
10ケタの数字を暗記:須磨勝利。
日本の歴代総理大臣の名前を多く書く:須磨勝利。
トータルであさみ優勝。賞品はフルーツ大福。
お客さんも誰が一番になるかで勝ち抜いたなかから、最終的に女子高生がサイン色紙をゲット。
3.北風と太陽
4.sexy boy
さて、これでライブは終わり、グッズ(写真)を買った人対象で握手会。
ライブの出来映えは、う〜む。
もうすぐ梅田でライブがあるというのに、かなり前にはじめてダイエー甲子園で見たときに比べても、未完成だった。そもそもほとんど踊っていない。sexy boyのようなお馴染みの歌でも、まるでカラオケ並の適当な振付けだった。練習不足なのか、モチベーションが著しく低下しているのか。
これでは、梅田ライブの宣伝にはならない。
ただ、僕は今までSI☆NAが大好きだったが、特に誰をイチオシにする、ということもなかったのだが、今回のライブで、断然、岩嶋オシに決めた。縄跳び2回とか、片足立ち数秒とか、これだけ見たらまるで、どんくさい奴じゃないか。でも、アイドルの場合は、欠点は魅力の裏返しだ。もとから、まなみの歌とプロポーションの実力は高く評価していたので、最後のひと押しをされた、という感じ。
まなみは可愛かったけど、せっかくあれだけ時間があったんだから、もっとライブしてくれたらよかったのに、と残念に思った。
午後3時からは、ヒサ絵。
ORCの歌姫ライブに出たときは時間がなくて最初の1曲しか聞けなかったが、今回は時間たっぷり使ってライブしてくれたので、ちゃんと聞けた。
魅力的な歌手だ。
着物を両肌ぬぎで傘さして歌う、和風ないでたちだが、歌はオーソドックスなポップスだった。なんだか、学生時代に戻ったような気持ちになった。
トークが不思議で、面白く、今後も要チェックだ。
午後6時30分から、中央公会堂大ホールで、建築講演会「環境に対する建築家の意識」
進行は建築史家の倉方俊輔。
1971年生れの2人の建築家、平沼孝啓と芦澤竜一のスライドを使ったそれぞれのプレゼンテーションと、倉方氏を加えてのトーク、質疑応答。
芦澤氏は「循環」をテーマに太陽、生命、土などから語りおこす。
今回、注目だったのは、大阪生れの平沼孝啓氏。
まず舞台から客席を見る、という視点にふれてから話をはじめたが、平沼氏の考え方は、常に視点を逆転させてとらえる新鮮さに満ちていた。環境と建築について考える際も、人間側からでなく、自然の側から考えるのだ。そうした視点の逆転から、「環境については興味がない」と言ってみたりする。
質疑応答で、大阪でどのような建築の仕事をしたいか、という質問があったときも、平沼氏は、「よそで仕事して、大阪にお金をもってくる」と、視点が自在な答えをしていた。
2人ともに話のスケールが大きくて、倉方氏がわかりやすくまとめてもまとめても、はみでてしまうものを感じた。
なお、建築家の講演会なのだからそんなに人は集らないだろう、とおもっていたのだが、僕が予約いれたときは、定員1167名のうち、整理番号1099だった。会場もほぼ満員。これは認識不足でした。
3人になったSI☆NAのステージはどうなのか、興味津々だ。
1.ロッタラロッタラ
2.タイムマシンにお願い
3人は物販のTシャツで登場。赤:須磨、黄:あさみ、紫:まなみ
あさみは髪の色も変え、まるでジャージのような下。ヤンキー仕様か。
須磨は激ヤセ。
ライブが続くのかと思っていたら、ここでゲームコーナー。
「誰が一番?みんなで当ててみよー!」
縄跳び:途中でビニールの縄が切れるアクシデントがあったが、あさみがトップ!
まなみはなんと、2回しか飛べなかった!
目を瞑って片足立ち:1分以上出来た須磨とあさみ。拍手であさみ勝利。
まなみはなんと、数秒でリタイア。
10ケタの数字を暗記:須磨勝利。
日本の歴代総理大臣の名前を多く書く:須磨勝利。
トータルであさみ優勝。賞品はフルーツ大福。
お客さんも誰が一番になるかで勝ち抜いたなかから、最終的に女子高生がサイン色紙をゲット。
3.北風と太陽
4.sexy boy
さて、これでライブは終わり、グッズ(写真)を買った人対象で握手会。
ライブの出来映えは、う〜む。
もうすぐ梅田でライブがあるというのに、かなり前にはじめてダイエー甲子園で見たときに比べても、未完成だった。そもそもほとんど踊っていない。sexy boyのようなお馴染みの歌でも、まるでカラオケ並の適当な振付けだった。練習不足なのか、モチベーションが著しく低下しているのか。
これでは、梅田ライブの宣伝にはならない。
ただ、僕は今までSI☆NAが大好きだったが、特に誰をイチオシにする、ということもなかったのだが、今回のライブで、断然、岩嶋オシに決めた。縄跳び2回とか、片足立ち数秒とか、これだけ見たらまるで、どんくさい奴じゃないか。でも、アイドルの場合は、欠点は魅力の裏返しだ。もとから、まなみの歌とプロポーションの実力は高く評価していたので、最後のひと押しをされた、という感じ。
まなみは可愛かったけど、せっかくあれだけ時間があったんだから、もっとライブしてくれたらよかったのに、と残念に思った。
午後3時からは、ヒサ絵。
ORCの歌姫ライブに出たときは時間がなくて最初の1曲しか聞けなかったが、今回は時間たっぷり使ってライブしてくれたので、ちゃんと聞けた。
魅力的な歌手だ。
着物を両肌ぬぎで傘さして歌う、和風ないでたちだが、歌はオーソドックスなポップスだった。なんだか、学生時代に戻ったような気持ちになった。
トークが不思議で、面白く、今後も要チェックだ。
午後6時30分から、中央公会堂大ホールで、建築講演会「環境に対する建築家の意識」
進行は建築史家の倉方俊輔。
1971年生れの2人の建築家、平沼孝啓と芦澤竜一のスライドを使ったそれぞれのプレゼンテーションと、倉方氏を加えてのトーク、質疑応答。
芦澤氏は「循環」をテーマに太陽、生命、土などから語りおこす。
今回、注目だったのは、大阪生れの平沼孝啓氏。
まず舞台から客席を見る、という視点にふれてから話をはじめたが、平沼氏の考え方は、常に視点を逆転させてとらえる新鮮さに満ちていた。環境と建築について考える際も、人間側からでなく、自然の側から考えるのだ。そうした視点の逆転から、「環境については興味がない」と言ってみたりする。
質疑応答で、大阪でどのような建築の仕事をしたいか、という質問があったときも、平沼氏は、「よそで仕事して、大阪にお金をもってくる」と、視点が自在な答えをしていた。
2人ともに話のスケールが大きくて、倉方氏がわかりやすくまとめてもまとめても、はみでてしまうものを感じた。
なお、建築家の講演会なのだからそんなに人は集らないだろう、とおもっていたのだが、僕が予約いれたときは、定員1167名のうち、整理番号1099だった。会場もほぼ満員。これは認識不足でした。
今日は1日、ヤノベケンジの「トらやんの大冒険」
水都大阪2009参加プロジェクトで、アトムスーツを着たチョビ髭&バーコード頭の腹話術人形トらやんが中之島のあちこちに登場。
ちょっと前に国立国際美術館行ったとき、アトムカーが展示してあった。
今日はそれ以外の展示を見てまわる。
まず、京阪なにわ橋駅アートエリアB1で「サヴァイバル・システム・トレイン」
タンキングマシーンや、絵本の原画、巨大絵本、アトムスーツの映像など。
ここでは「ラボカフェ」と題して、レクチャーや対話のプログラムを不定期に開いているようだ。ちょうど今日は「第1回オルタナティブ会議〜ぼくらに政治は可能か?〜」を午後7時からするらしいのだが、夜勤明けで7時までこの界隈にいることはちょっと難しかったかな。
次に中之島図書館で「森の映画館」
大人には入れないサイズのシェルター映画館。
中で上映されていたのは、トらやんと、腹話術師のおじさんがかけあいで行なうコメディ。
上映時間は約10分。おそらく即興でなされる会話は、実にオーソドックス。ここで杉たかしさんを起用していたら、ある意味レジェンドが生れたように思う。
なお、この森の映画館の場所がわからなくて、図書館内で「ええはがき展」などを見た。
いったん外に出て、開催場所を確認(すぐ隣)
次に、大阪市役所で「ジャイアント・トらやん」
さすがに市役所の中では、火は吹かないようだ。
中之島公園で、「ラッキードラゴン」
アートと飲食のスペース。これは楽しかった。
巨大なダックちゃんが浮かんでいるのも見ることができた。
正直、トらやんよりも、ダックちゃんの方がインパクト大。
ヤノベケンジをここまでとりあげるなんて、素晴らしい。これがもし、普通の絵描きさんで風景画でもあちこちに展示してあったりしたら、ぴくりとも触手が動かないところだった。
水都大阪2009参加プロジェクトで、アトムスーツを着たチョビ髭&バーコード頭の腹話術人形トらやんが中之島のあちこちに登場。
ちょっと前に国立国際美術館行ったとき、アトムカーが展示してあった。
今日はそれ以外の展示を見てまわる。
まず、京阪なにわ橋駅アートエリアB1で「サヴァイバル・システム・トレイン」
タンキングマシーンや、絵本の原画、巨大絵本、アトムスーツの映像など。
ここでは「ラボカフェ」と題して、レクチャーや対話のプログラムを不定期に開いているようだ。ちょうど今日は「第1回オルタナティブ会議〜ぼくらに政治は可能か?〜」を午後7時からするらしいのだが、夜勤明けで7時までこの界隈にいることはちょっと難しかったかな。
次に中之島図書館で「森の映画館」
大人には入れないサイズのシェルター映画館。
中で上映されていたのは、トらやんと、腹話術師のおじさんがかけあいで行なうコメディ。
上映時間は約10分。おそらく即興でなされる会話は、実にオーソドックス。ここで杉たかしさんを起用していたら、ある意味レジェンドが生れたように思う。
なお、この森の映画館の場所がわからなくて、図書館内で「ええはがき展」などを見た。
いったん外に出て、開催場所を確認(すぐ隣)
次に、大阪市役所で「ジャイアント・トらやん」
さすがに市役所の中では、火は吹かないようだ。
中之島公園で、「ラッキードラゴン」
アートと飲食のスペース。これは楽しかった。
巨大なダックちゃんが浮かんでいるのも見ることができた。
正直、トらやんよりも、ダックちゃんの方がインパクト大。
ヤノベケンジをここまでとりあげるなんて、素晴らしい。これがもし、普通の絵描きさんで風景画でもあちこちに展示してあったりしたら、ぴくりとも触手が動かないところだった。
『ブランク 空白に棲むもの』
2009年9月10日 読書
倉阪鬼一郎の『ブランク 空白に棲むもの』を読んだ。
エキセントリックでぶっとんだ邪神退治の物語。
身体が左右に揺れたあと、メトロポリスみたいに白髪になり、スキャナーズみたいに頭が破裂する事件が連続しておこる。
マスコミはホワイトデスシンドロームと煽る。
見えないものやあっちの世界の存在が見えてしまうたちの名探偵と、天才将棋少年がタッグを組んで、数式によって召喚された邪神と闘う。
めちゃくちゃ面白かった。
途中に読者への挑戦状もはさまれている。
以下、ネタバレしかしていないので、要注意。
邪神がSNSのコミュニティトップ画像を使って、頭破裂の種をまく、という発想もぶっとんでいるが、邪神を将棋によって退治するのも素晴らしい。
この話は結局は将棋によって異種格闘技を勝利する話なのだ。
将棋は世界の模型であり、最善手を指すことで、邪神を撃破する。
どういうことか、というと、宇宙を将棋盤にみたてて、まさに盤上この一手の決めてとばかりに、駒をバシッと打つのである。
うった駒、「角」は「馬」になり、その馬に数式、公式、音符、将棋の定跡、詰将棋といった人類の叡智の結晶を乗せて、邪神に突撃するのだ。
エキセントリックでぶっとんだ邪神退治の物語。
身体が左右に揺れたあと、メトロポリスみたいに白髪になり、スキャナーズみたいに頭が破裂する事件が連続しておこる。
マスコミはホワイトデスシンドロームと煽る。
見えないものやあっちの世界の存在が見えてしまうたちの名探偵と、天才将棋少年がタッグを組んで、数式によって召喚された邪神と闘う。
めちゃくちゃ面白かった。
途中に読者への挑戦状もはさまれている。
以下、ネタバレしかしていないので、要注意。
邪神がSNSのコミュニティトップ画像を使って、頭破裂の種をまく、という発想もぶっとんでいるが、邪神を将棋によって退治するのも素晴らしい。
この話は結局は将棋によって異種格闘技を勝利する話なのだ。
将棋は世界の模型であり、最善手を指すことで、邪神を撃破する。
どういうことか、というと、宇宙を将棋盤にみたてて、まさに盤上この一手の決めてとばかりに、駒をバシッと打つのである。
うった駒、「角」は「馬」になり、その馬に数式、公式、音符、将棋の定跡、詰将棋といった人類の叡智の結晶を乗せて、邪神に突撃するのだ。
柳広司の『虎と月』を読んだ。
中島敦の『山月記』で虎になった男の息子が主人公。
『山月記』その後、という話でもあり、『山月記』の謎解きにもなっている。
余韻をのこすエンディングも見事。
以下、ネタバレするので、要注意。
「虎」になった、というのは、実は「瘧」になったんじゃないか。とか
「匪賊」になった父と、匪賊を取り締まる役職の友人との再会の際の友情に満ちた漢詩を、同じ音の漢字1字かえるだけで、虎になった話にすることができる。とか。
中島敦の『山月記』で虎になった男の息子が主人公。
『山月記』その後、という話でもあり、『山月記』の謎解きにもなっている。
余韻をのこすエンディングも見事。
以下、ネタバレするので、要注意。
「虎」になった、というのは、実は「瘧」になったんじゃないか。とか
「匪賊」になった父と、匪賊を取り締まる役職の友人との再会の際の友情に満ちた漢詩を、同じ音の漢字1字かえるだけで、虎になった話にすることができる。とか。
『CODE Version 2.0』
2009年9月8日 読書
ローレンス・レッシグ教授の『CODE Version 2.0』を読んだ。
以下、目次。
第二版への序文
序文
第1章 コードは法である
第2章 サイバー空間からのパズル4つ
境界線/統治者たち/ジェイクのコミュニティ/かぎまわるワーム/主題
規制可能性
第3章 現状主義:現状は変わらないのか?
サイバー場所:ハーバード大学vsシカゴ大学
第4章 コントロールのアーキテクチャ
「誰が」どこで何をした?/誰がどこで「何をした」?/誰が「どこで」何をした?/結果
第5章 コードを規制する
アーキテクチャを規制する:規制の2段階方式/コードを規制して規制のしやすさを高める/東海岸コードと西海岸コード/Z理論
コードによる規制
第6章 各種のサイバー場所
空間の価値観/サイバー場所/なぜアーキテクチャが問題になって空間に差が出るのか/コードを規制してよりよい規制を
第7章 なにがなにを規制するか
点の暮らし/政府と規制する方法について/間接的な手法の問題点/その先にあるもの
第8章 オ−プンコードに見る限界
かぎまわるバイト/数える機械/ネット上のコード/ネット上のコード小史/オープンソースの規制/いきつくところ
隠れたあいまいさ
第9章 翻訳
第10章 知的財産
著作権の終焉を告げる各種の報告について/法が救いに/サイバー空間における知的財産の未来/財産・所有物保護の限界/公法を私法で置き換える/不完全性からくる匿名性/許認可文化vsフリー文化/完成がもたらす問題/選択
第11章 プライバシー
私的状況でのプライバシー/公共の場でのプライバシー:監視/公共の場でのプライバシー:データ/解決策/捜索/プライバシーの比較
第12章 言論の自由
言論を規制するもの:出版/言論の規制:迷惑メールとポルノ/言論の規制:フリー文化/言論を規制するもの:流通・配付/言論の教訓
第13章 間奏
競合する主権
第14章 独立主権
空間の主権:規制/空間の主権:規制の選択
第15章 競合する主権
対立/互恵的な盲目性/サイバー空間の「中に」いることについて/考えられる解決策
対応
第16章 われわれが直面している問題
法廷の問題/立法の問題/コードの困ったところ
第17章 対応
司法の対応/コードに対する反応/民主主義の対応
第18章 デクランは何を見落としているのか
第19章 補遺
訳者あとがき
バージョン2について/本書の概要/「規制」とインターネット/民主主義の将来/本書の意義(個人的に)/レッシグその後/謝辞など
注
索引
この前読んだ『FREE CULTURE』と主張は変わらないが、同じことを言っているわけではないので、最後まで面白く読み通せた。
規制の4つのパターン「法」「規範」「市場」「アーキテクチャ」については、何度もくり返されるので、記憶が80分しか持たない僕でも覚えてしまった。また、随所に著者による見取り図やまとめがさしはさまれるので、全体の流れもわかりやすい。
第5部にあたる「対応」で示されたまとめを例として引用しておこう。
第1部の教訓は、もとのインターネットの規制不可能性はやがて終わる、ということだった。そこでのふるまいを再び規制できるようにするアーキテクチャが登場するだろう。第2部は、その規制可能性の一面を描いた−技術だ。その規制の一部として「コード」の重要性はますます高まり、通常の法律が脅しを通じて実現するようなコントロールを直接強制するようになる。そして第3部は、技術的な変化が根本的な価値観に対するわれわれのコミットメントをあいまいにしてしまう状況を3つ検討した。これをわたしは隠れたあいまいさと呼んだ。知的財産やプライバシー、言論の自由をどう保護するかは、憲法起草者たちが行なわなかった根本的な選択に左右される。第4部は、この対立を行政区域に適用した。ここでも教訓は第1部に戻ってくる。政府としてはますます規制しやすいネットを目指したがるし、今後は国境なきインターネットに地理的な領域を復活させようとするだろう。
この4部にわたり、わたしの中心的な目的は、一度述べれば言うまでもないような認識を強いることだった。それは、このネットワークがどう発展するかについては、なんらかの選択をしなくてはならない、ということだ。こうした選択は、ネットワークにどんな価値観が組み込まれるかに根本的に影響してくる。
この第5部における質問とは、われわれにその選択をするだけの能力があるかということだ。わたしの意見では、ない。われわれは実に完璧なほどに、原理原則の問題で司法府を縛ってしまったし、また立法プロセスも、利益誘導の裏返しによって徹底的に腐敗しているので、このきわめてだいじな瞬間に直面している今この時に、われわれはなんら有効な決断ができないでいる。(後略)
翻訳者の山形浩生も巻末に「本書の概要」を書いている。それだけレッシグの主張はまだ新しいということなのだろう。
読んでいて、本文に書いてあるわけではないが、「なるほど」とわかったことがある。
たとえば、悪質な少年犯罪は昔に比べて減っているのに、マスコミの誘導で、その逆のイメージをわれわれは持っている。それによって、少年法改正をあとおしすることが可能になった。同じように、迷惑メールが大量に来ることで、ネット規制を歓迎する世論を作り出すことができる。スパムメールで得するのは、業者だけではないのだ。国民を管理し、支配したい者にとって、スパムは歓迎すべきものだ。と、すると、毎日届く大量のスパムのうしろに、彼らが関わっていないのか、と考えるのがスジだ。
携帯電話の爆発的普及で、通話はすべて簡単に盗聴可能になったいきさつと似ている。
レッシグは第4章「コントロールのアーキテクチャ」でこんな一文を書いている。
「本当に匿名性がほしければ公衆電話を使いなさい!」
町から公衆電話が消えつつあるのは、そういうわけだったのか。
公衆電話が撤去され、かわりに監視カメラが置かれる町。コストとセキュリティーの裏で、それを操って国民を管理しようとする一連の流れがあるのだ。
この手の議論が古臭く思えるのもまた、何らかの力が働いているせいかもしれない。
なお、本書は膨大な正誤表がサイトにあるほど、誤字脱字が多い。さきほどの引用部分でも、途中「この4部にわたり」は「ここまでの4部にわたり」と訂正されているが、それ以外に、僕が訂正した箇所もある。そんな誤字のなかで、本書を読んでいて思わずにんまりと笑ってしまったのは、「著作権」を「著作嫌」と誤って変換している箇所。これって、わざとじゃないんだろうか。
以下、目次。
第二版への序文
序文
第1章 コードは法である
第2章 サイバー空間からのパズル4つ
境界線/統治者たち/ジェイクのコミュニティ/かぎまわるワーム/主題
規制可能性
第3章 現状主義:現状は変わらないのか?
サイバー場所:ハーバード大学vsシカゴ大学
第4章 コントロールのアーキテクチャ
「誰が」どこで何をした?/誰がどこで「何をした」?/誰が「どこで」何をした?/結果
第5章 コードを規制する
アーキテクチャを規制する:規制の2段階方式/コードを規制して規制のしやすさを高める/東海岸コードと西海岸コード/Z理論
コードによる規制
第6章 各種のサイバー場所
空間の価値観/サイバー場所/なぜアーキテクチャが問題になって空間に差が出るのか/コードを規制してよりよい規制を
第7章 なにがなにを規制するか
点の暮らし/政府と規制する方法について/間接的な手法の問題点/その先にあるもの
第8章 オ−プンコードに見る限界
かぎまわるバイト/数える機械/ネット上のコード/ネット上のコード小史/オープンソースの規制/いきつくところ
隠れたあいまいさ
第9章 翻訳
第10章 知的財産
著作権の終焉を告げる各種の報告について/法が救いに/サイバー空間における知的財産の未来/財産・所有物保護の限界/公法を私法で置き換える/不完全性からくる匿名性/許認可文化vsフリー文化/完成がもたらす問題/選択
第11章 プライバシー
私的状況でのプライバシー/公共の場でのプライバシー:監視/公共の場でのプライバシー:データ/解決策/捜索/プライバシーの比較
第12章 言論の自由
言論を規制するもの:出版/言論の規制:迷惑メールとポルノ/言論の規制:フリー文化/言論を規制するもの:流通・配付/言論の教訓
第13章 間奏
競合する主権
第14章 独立主権
空間の主権:規制/空間の主権:規制の選択
第15章 競合する主権
対立/互恵的な盲目性/サイバー空間の「中に」いることについて/考えられる解決策
対応
第16章 われわれが直面している問題
法廷の問題/立法の問題/コードの困ったところ
第17章 対応
司法の対応/コードに対する反応/民主主義の対応
第18章 デクランは何を見落としているのか
第19章 補遺
訳者あとがき
バージョン2について/本書の概要/「規制」とインターネット/民主主義の将来/本書の意義(個人的に)/レッシグその後/謝辞など
注
索引
この前読んだ『FREE CULTURE』と主張は変わらないが、同じことを言っているわけではないので、最後まで面白く読み通せた。
規制の4つのパターン「法」「規範」「市場」「アーキテクチャ」については、何度もくり返されるので、記憶が80分しか持たない僕でも覚えてしまった。また、随所に著者による見取り図やまとめがさしはさまれるので、全体の流れもわかりやすい。
第5部にあたる「対応」で示されたまとめを例として引用しておこう。
第1部の教訓は、もとのインターネットの規制不可能性はやがて終わる、ということだった。そこでのふるまいを再び規制できるようにするアーキテクチャが登場するだろう。第2部は、その規制可能性の一面を描いた−技術だ。その規制の一部として「コード」の重要性はますます高まり、通常の法律が脅しを通じて実現するようなコントロールを直接強制するようになる。そして第3部は、技術的な変化が根本的な価値観に対するわれわれのコミットメントをあいまいにしてしまう状況を3つ検討した。これをわたしは隠れたあいまいさと呼んだ。知的財産やプライバシー、言論の自由をどう保護するかは、憲法起草者たちが行なわなかった根本的な選択に左右される。第4部は、この対立を行政区域に適用した。ここでも教訓は第1部に戻ってくる。政府としてはますます規制しやすいネットを目指したがるし、今後は国境なきインターネットに地理的な領域を復活させようとするだろう。
この4部にわたり、わたしの中心的な目的は、一度述べれば言うまでもないような認識を強いることだった。それは、このネットワークがどう発展するかについては、なんらかの選択をしなくてはならない、ということだ。こうした選択は、ネットワークにどんな価値観が組み込まれるかに根本的に影響してくる。
この第5部における質問とは、われわれにその選択をするだけの能力があるかということだ。わたしの意見では、ない。われわれは実に完璧なほどに、原理原則の問題で司法府を縛ってしまったし、また立法プロセスも、利益誘導の裏返しによって徹底的に腐敗しているので、このきわめてだいじな瞬間に直面している今この時に、われわれはなんら有効な決断ができないでいる。(後略)
翻訳者の山形浩生も巻末に「本書の概要」を書いている。それだけレッシグの主張はまだ新しいということなのだろう。
読んでいて、本文に書いてあるわけではないが、「なるほど」とわかったことがある。
たとえば、悪質な少年犯罪は昔に比べて減っているのに、マスコミの誘導で、その逆のイメージをわれわれは持っている。それによって、少年法改正をあとおしすることが可能になった。同じように、迷惑メールが大量に来ることで、ネット規制を歓迎する世論を作り出すことができる。スパムメールで得するのは、業者だけではないのだ。国民を管理し、支配したい者にとって、スパムは歓迎すべきものだ。と、すると、毎日届く大量のスパムのうしろに、彼らが関わっていないのか、と考えるのがスジだ。
携帯電話の爆発的普及で、通話はすべて簡単に盗聴可能になったいきさつと似ている。
レッシグは第4章「コントロールのアーキテクチャ」でこんな一文を書いている。
「本当に匿名性がほしければ公衆電話を使いなさい!」
町から公衆電話が消えつつあるのは、そういうわけだったのか。
公衆電話が撤去され、かわりに監視カメラが置かれる町。コストとセキュリティーの裏で、それを操って国民を管理しようとする一連の流れがあるのだ。
この手の議論が古臭く思えるのもまた、何らかの力が働いているせいかもしれない。
なお、本書は膨大な正誤表がサイトにあるほど、誤字脱字が多い。さきほどの引用部分でも、途中「この4部にわたり」は「ここまでの4部にわたり」と訂正されているが、それ以外に、僕が訂正した箇所もある。そんな誤字のなかで、本書を読んでいて思わずにんまりと笑ってしまったのは、「著作権」を「著作嫌」と誤って変換している箇所。これって、わざとじゃないんだろうか。
ウェルカム・バクスター
2009年9月7日 映画
モーガン・J・フリーマン監督、脚本の「ウェルカム・バクスター」を見た。1999年。
観光用の巨大なアイスクリームコーン以外はほとんど沙漠の町、バクスター。
謎の毒々液体を積んだトラックが横転。
事故のときは平気そうだった運転手が死んだことで、事態は一転。毒々の正体が解明されるまで町は封鎖される。ひぐらしか?
クローズドサークルの中で起きたのは、殺人事件じゃなくて、恋愛!
足止めくらった女優(ケイト・ハドソン)と、地元の青年との恋。
この女優、「減速」とか「油膜」を撮ったS・ブロック監督の新作に出るとか言ってたが、これって何かのパロディー?それっぽいのをパッと思いつくけど、はっきりしないので、書かないでおこう。
中心になるストーリーは、そのラブストーリーなのだが、面白かったのは、常軌を逸した2人の登場人物だ。
町から猫の子1匹出すまいとやっきになる警察(FBI?)は、任務遂行に夢中になるあまり、検問を突破した青年に発砲、怪我を負わす。この警察の男は精神的に弱いところがあって、銃を発射したことと、住民から総スカン食ったことで追い詰められて、鎮静剤を酒で飲んで昏睡してしまう。
また、撃たれた青年の恋人、クリスティーナ・リッチは爆弾魔で、手製の爆弾でいろんなものを爆破する。発砲した警察の男の車を爆破したり、ラストでもパイプを爆破。
狂った警官と爆弾娘の強すぎるスパイスで、ラブストーリーの方はちょっとかすんだかな。
なお、本作はスタッフのグリップス(特機)、デイボン・ボールドウィン追悼、と最後に出る。
グリップっていいネーミングだな、と思った。映画のエンドロールに出てくるなかで、いつも「これ、いいなあ」と字面だけでよく思うのは「ベストボーイ」かっこいいね!名前は!「最良の少年」だなんて。あと、もっとかっこいいのは「ネガティブカッター」!僕もネガティブカッターと呼ばれたい。
観光用の巨大なアイスクリームコーン以外はほとんど沙漠の町、バクスター。
謎の毒々液体を積んだトラックが横転。
事故のときは平気そうだった運転手が死んだことで、事態は一転。毒々の正体が解明されるまで町は封鎖される。ひぐらしか?
クローズドサークルの中で起きたのは、殺人事件じゃなくて、恋愛!
足止めくらった女優(ケイト・ハドソン)と、地元の青年との恋。
この女優、「減速」とか「油膜」を撮ったS・ブロック監督の新作に出るとか言ってたが、これって何かのパロディー?それっぽいのをパッと思いつくけど、はっきりしないので、書かないでおこう。
中心になるストーリーは、そのラブストーリーなのだが、面白かったのは、常軌を逸した2人の登場人物だ。
町から猫の子1匹出すまいとやっきになる警察(FBI?)は、任務遂行に夢中になるあまり、検問を突破した青年に発砲、怪我を負わす。この警察の男は精神的に弱いところがあって、銃を発射したことと、住民から総スカン食ったことで追い詰められて、鎮静剤を酒で飲んで昏睡してしまう。
また、撃たれた青年の恋人、クリスティーナ・リッチは爆弾魔で、手製の爆弾でいろんなものを爆破する。発砲した警察の男の車を爆破したり、ラストでもパイプを爆破。
狂った警官と爆弾娘の強すぎるスパイスで、ラブストーリーの方はちょっとかすんだかな。
なお、本作はスタッフのグリップス(特機)、デイボン・ボールドウィン追悼、と最後に出る。
グリップっていいネーミングだな、と思った。映画のエンドロールに出てくるなかで、いつも「これ、いいなあ」と字面だけでよく思うのは「ベストボーイ」かっこいいね!名前は!「最良の少年」だなんて。あと、もっとかっこいいのは「ネガティブカッター」!僕もネガティブカッターと呼ばれたい。
ガンジー石原CD発売記念ライブ@なんばBEARS
2009年9月6日 ライブ
BEARSでガンジー石原CD発売記念ライブ。
自分BOX with ララボンゴ
湯浅湾
ガンジー石原+糸車(feat.山本精一)
ベアーズにたどりついたら、もう自分BOXのライブははじまっていた。
実は、間違えてファンダンゴに行っていたのだ。十三の駅おりたところでバッタリとミンカパノピカのエイジ君に会った。「今からファンダンゴでガンジーのライブやねん」と教えてあげたのが、なんとも恥ずかしい。ファンダンゴは扉がしまっており、ライブ会場がここではない、と気づき、難波に逆戻り。ベアーズなら家から徒歩で行けたのに、電車乗り換えて扉だけ見た、とは情けない。でも、エイジ君に会えたし、まあ、いいか。
湯浅湾は、歌詞は変だけど、音楽は驚くほどにオーソドックスなロック。高校生の頃、ロックといえば、こういう音楽のことを言ってたなあ、と懐かしくなる。
一方、ガンジーの歌は、根は昔のフォークだけど、バックの演奏陣のセンスが素晴らしくて、立派な今の音を出していた。
客席側も豪華。
山本くんが、いつもの適当な発言で「保山くん、小金ためてるんやて?」と言っていたのが面白かった。あいにくと僕は「貧困さん、いらっしゃい」なのである。
今日は朝から行きたいイベントがいくつかあったが、例によって、体調と財布の加減で、ガンジーだけだった。その分、テレビとラジオが充実。
NHK-FMでは昼からずっと現代音楽がらみの番組をしていた。
午後2時からは「海外コンサート」でブーレーズの芸術を特集。
野平 一郎
「清められた夜 作品4」 シェーンベルク作曲
(29分58秒)
「ピアノ協奏曲 作品42」 シェーンベルク作曲
(20分02秒)
(ピアノ)内田 光子
「管弦楽のための変奏曲 作品31」 シェーンベルク作曲
(19分48秒)
(管弦楽)フランス放送フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ピエール・ブーレーズ
〜フランス・パリ サル・プレイエルで収録〜
<2009/2/20>
(ラジオ・フランス提供)
「アクサクス」 ファビアン・パニセロ作曲
(27分50秒)
「古い建物」 エンノ・ポッペ作曲
(17分20秒)
「フィギュール・ドゥブル・プリスム」 ブーレーズ作曲
(17分10秒)
(管弦楽)南西ドイツ放送交響楽団
(指揮)ピエール・ブーレーズ
〜ドイツ・ドナウエッシンゲン ドナウハレAで収録〜
<2008/10/17>
(南西ドイツ放送協会提供)
「交響曲 第8番 変ホ長調“一千人の交響曲”」 マーラー作曲
(1時間24分19秒)
(ソプラノ)リカルダ・メルベト
〃 カミラ・ニュルンド
〃 アドリアーネ・ケイロス
(アルト)ミシェル・デ・ヤング
〃 ジェーン・ヘンシェル
(テノール)ロバート・ディーン・スミス
(バリトン)ハンノ・ミューラー・ブラッハマン
(バス)ローベルト・ホル
(合唱)ウィーン楽友協会合唱団
〃 ブラチスラバ・フィルハーモニー合唱団
〃 ウィーン少年合唱団
(管弦楽)ベルリン国立管弦楽団
(指揮)ピエール・ブーレーズ
〜オーストリア・ウィーン楽友協会で収録〜
<2009/4/30>
(オーストリア放送協会提供)
やはり、僕の趣味はまんなかのドナウエッシンゲンの音楽かな。
午後6時からの「現代の音楽」は音の現在(いま)と題して、イギリスの作曲家マーク・アントニー・ターネイジを特集。とんがった作風ではないけど、それがかえって今風なのかも。
猿谷 紀郎
− 「3人の叫ぶ教皇(1988−89)」
マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(15分46秒)
(管弦楽)バーミンガム市交響楽団
(指揮)サイモン・ラトル
<東芝EMI TOCE−55001>
「フラクチャード・ライン(2000)」
マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(16分03秒)
(パーカッション)イブリン・グレニー
(パーカッション)ピーター・アースキン
(管弦楽)BBC交響楽団
(指揮)レナード・スラットキン
アースキンはウェザーリポートのドラマー、グレニーはグラミー賞受賞のパーカッショニスト。
「アナザー・セット・トゥ(2000)」
マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(8分48秒)
(トロンボーン)クリスティアン・リンドベルイ
(管弦楽)BBC交響楽団
(指揮)レナード・スラットキン
<CHANDOS CHAN 10018>
「“トゥルー・ライフ・ストーリーズ(1995−99)”から
“チューン・フォー・トオル”」
マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(2分04秒)
(ピアノ)イアン・ブラウン
<ONYX CLASSICS ONYX 4005>
Mark Anthony Turnageは、表記のしようで「MAタニジ」にもなる。松原タニシを思い浮かべてしまうのである。
落語関連では、
朝からABCラジオで「日曜落語なみはや亭」
船弁慶/桂文華
何度も聞いた演目なので、見たこともないのに、「おちょね」に「こちょね」が馴染みの芸者に思えてきて、おお、元気でやってたか、なんて思う。
「米朝よもやま噺」
ゲストは前回に続いて山田庄一氏。「文化は夜出来る」の発言は、まったく大賛成。
夜に店をしめたり、終電があって電車が止まったりして、家に帰らないといけないようでは、文化は生まれない。
テレビでは朝から「扇町寄席」
蛇含草/笑福亭小つる
餅じゃなくて、ソーメンを食べる趣向。
「上方演芸ホール」
寿限無/笑福亭笑喬
七度狐/桂文三
寿限無をはじめて聞いたのは、小学生のとき、担任の先生が落語をやってくれたときだ。
北野先生、よく覚えたね!
七度狐は、「野宿」のバリエーションは「水たまりで寝たらジュクジュク」
サゲは尻尾引っ張ったら大根だった、というもの。
今日行こうと思ってた彦八まつりとか、上方亭などを空振りしたぶん、ラジオ、テレビで挽回した思い。
実は今日は朝からインテックス大阪のこみっくトレジャー行って、ばーどちゅーんでものぞこうと思ってたが、参加サークルのホームページを徹夜で見ていたせいで、もうおなかいっぱいになってしまった。これはまずい。電車賃がかかるのもちょっとつらいところだったので、助かったのかと思いきや、最初に書いたように、今日は乗らなくてもいい電車に乗るはめに陥った。電車で無駄使い、という運命からは逃れられなかったのだ。
しかし、今や「コミトレ」といえば、岸本華和ちゃんが出ているNHKの番組のことになってしまったなあ。
将棋番組はNHK杯トーナメント。
森内九段vs豊島五段。
解説のはっしーが両対局者をほめまくる。
後手の豊島五段がゴキゲン中飛車で攻めるが、いつのまにか形勢は森内ペースになり、じりじり壁が迫ってくるような格の違いを見せて森内九段の勝利。
自分BOX with ララボンゴ
湯浅湾
ガンジー石原+糸車(feat.山本精一)
ベアーズにたどりついたら、もう自分BOXのライブははじまっていた。
実は、間違えてファンダンゴに行っていたのだ。十三の駅おりたところでバッタリとミンカパノピカのエイジ君に会った。「今からファンダンゴでガンジーのライブやねん」と教えてあげたのが、なんとも恥ずかしい。ファンダンゴは扉がしまっており、ライブ会場がここではない、と気づき、難波に逆戻り。ベアーズなら家から徒歩で行けたのに、電車乗り換えて扉だけ見た、とは情けない。でも、エイジ君に会えたし、まあ、いいか。
湯浅湾は、歌詞は変だけど、音楽は驚くほどにオーソドックスなロック。高校生の頃、ロックといえば、こういう音楽のことを言ってたなあ、と懐かしくなる。
一方、ガンジーの歌は、根は昔のフォークだけど、バックの演奏陣のセンスが素晴らしくて、立派な今の音を出していた。
客席側も豪華。
山本くんが、いつもの適当な発言で「保山くん、小金ためてるんやて?」と言っていたのが面白かった。あいにくと僕は「貧困さん、いらっしゃい」なのである。
今日は朝から行きたいイベントがいくつかあったが、例によって、体調と財布の加減で、ガンジーだけだった。その分、テレビとラジオが充実。
NHK-FMでは昼からずっと現代音楽がらみの番組をしていた。
午後2時からは「海外コンサート」でブーレーズの芸術を特集。
野平 一郎
「清められた夜 作品4」 シェーンベルク作曲
(29分58秒)
「ピアノ協奏曲 作品42」 シェーンベルク作曲
(20分02秒)
(ピアノ)内田 光子
「管弦楽のための変奏曲 作品31」 シェーンベルク作曲
(19分48秒)
(管弦楽)フランス放送フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ピエール・ブーレーズ
〜フランス・パリ サル・プレイエルで収録〜
<2009/2/20>
(ラジオ・フランス提供)
「アクサクス」 ファビアン・パニセロ作曲
(27分50秒)
「古い建物」 エンノ・ポッペ作曲
(17分20秒)
「フィギュール・ドゥブル・プリスム」 ブーレーズ作曲
(17分10秒)
(管弦楽)南西ドイツ放送交響楽団
(指揮)ピエール・ブーレーズ
〜ドイツ・ドナウエッシンゲン ドナウハレAで収録〜
<2008/10/17>
(南西ドイツ放送協会提供)
「交響曲 第8番 変ホ長調“一千人の交響曲”」 マーラー作曲
(1時間24分19秒)
(ソプラノ)リカルダ・メルベト
〃 カミラ・ニュルンド
〃 アドリアーネ・ケイロス
(アルト)ミシェル・デ・ヤング
〃 ジェーン・ヘンシェル
(テノール)ロバート・ディーン・スミス
(バリトン)ハンノ・ミューラー・ブラッハマン
(バス)ローベルト・ホル
(合唱)ウィーン楽友協会合唱団
〃 ブラチスラバ・フィルハーモニー合唱団
〃 ウィーン少年合唱団
(管弦楽)ベルリン国立管弦楽団
(指揮)ピエール・ブーレーズ
〜オーストリア・ウィーン楽友協会で収録〜
<2009/4/30>
(オーストリア放送協会提供)
やはり、僕の趣味はまんなかのドナウエッシンゲンの音楽かな。
午後6時からの「現代の音楽」は音の現在(いま)と題して、イギリスの作曲家マーク・アントニー・ターネイジを特集。とんがった作風ではないけど、それがかえって今風なのかも。
猿谷 紀郎
− 「3人の叫ぶ教皇(1988−89)」
マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(15分46秒)
(管弦楽)バーミンガム市交響楽団
(指揮)サイモン・ラトル
<東芝EMI TOCE−55001>
「フラクチャード・ライン(2000)」
マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(16分03秒)
(パーカッション)イブリン・グレニー
(パーカッション)ピーター・アースキン
(管弦楽)BBC交響楽団
(指揮)レナード・スラットキン
アースキンはウェザーリポートのドラマー、グレニーはグラミー賞受賞のパーカッショニスト。
「アナザー・セット・トゥ(2000)」
マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(8分48秒)
(トロンボーン)クリスティアン・リンドベルイ
(管弦楽)BBC交響楽団
(指揮)レナード・スラットキン
<CHANDOS CHAN 10018>
「“トゥルー・ライフ・ストーリーズ(1995−99)”から
“チューン・フォー・トオル”」
マーク・アントニー・ターネイジ作曲
(2分04秒)
(ピアノ)イアン・ブラウン
<ONYX CLASSICS ONYX 4005>
Mark Anthony Turnageは、表記のしようで「MAタニジ」にもなる。松原タニシを思い浮かべてしまうのである。
落語関連では、
朝からABCラジオで「日曜落語なみはや亭」
船弁慶/桂文華
何度も聞いた演目なので、見たこともないのに、「おちょね」に「こちょね」が馴染みの芸者に思えてきて、おお、元気でやってたか、なんて思う。
「米朝よもやま噺」
ゲストは前回に続いて山田庄一氏。「文化は夜出来る」の発言は、まったく大賛成。
夜に店をしめたり、終電があって電車が止まったりして、家に帰らないといけないようでは、文化は生まれない。
テレビでは朝から「扇町寄席」
蛇含草/笑福亭小つる
餅じゃなくて、ソーメンを食べる趣向。
「上方演芸ホール」
寿限無/笑福亭笑喬
七度狐/桂文三
寿限無をはじめて聞いたのは、小学生のとき、担任の先生が落語をやってくれたときだ。
北野先生、よく覚えたね!
七度狐は、「野宿」のバリエーションは「水たまりで寝たらジュクジュク」
サゲは尻尾引っ張ったら大根だった、というもの。
今日行こうと思ってた彦八まつりとか、上方亭などを空振りしたぶん、ラジオ、テレビで挽回した思い。
実は今日は朝からインテックス大阪のこみっくトレジャー行って、ばーどちゅーんでものぞこうと思ってたが、参加サークルのホームページを徹夜で見ていたせいで、もうおなかいっぱいになってしまった。これはまずい。電車賃がかかるのもちょっとつらいところだったので、助かったのかと思いきや、最初に書いたように、今日は乗らなくてもいい電車に乗るはめに陥った。電車で無駄使い、という運命からは逃れられなかったのだ。
しかし、今や「コミトレ」といえば、岸本華和ちゃんが出ているNHKの番組のことになってしまったなあ。
将棋番組はNHK杯トーナメント。
森内九段vs豊島五段。
解説のはっしーが両対局者をほめまくる。
後手の豊島五段がゴキゲン中飛車で攻めるが、いつのまにか形勢は森内ペースになり、じりじり壁が迫ってくるような格の違いを見せて森内九段の勝利。
国立国際美術館に行く。今日はB2Fの展示が無料なのだ。
まず、「慶応義塾をめぐる芸術家たち」
慶応義塾ゆかりの芸術家の作品を中心に展示。
慶応ゆかり、と言っても、慶応に別に興味もなかったので、今回の展示で、へえ、この人も慶応義塾ゆかりの人なのか、と認識した次第。
展示室は大きく3つにわかれていた。
1、西脇順三郎、瀧口修造、飯田善國
2、谷口吉郎とイサム・ノグチ
3、駒井哲郎
西脇は慶応義塾で英米文学の教鞭をとっており、西脇の影響を受けた瀧口と飯田、という関係。飯田は西脇との共作「クロマトポイエマ」で言語と色彩を関連づけている。
西脇の描いた絵画も展示されていた。
谷口吉郎は慶応義塾関連の建築を手がけており、大学内の教員サロンのデザインを彫刻家イサム・ノグチに依頼した。このサロン「新萬來舎」はノグチ・ルームとも呼ばれている。
駒井哲郎は銅版画家であり、『三田評論』にも挿絵を描いていた。
次に見たのが、やなぎみわの「婆々娘々」(ポーポーニャンニャン)
女性が50年後の自分に扮した写真作品「マイ・グランドマザーズ」のシリーズ。
グリムやアンデルセンなどのメルヘンをテーマに、少女に老婆の仮面をかぶせた写真作品「寓話」のシリーズ。
そして、付け乳房を振り乱して踊る女性の巨大なポートレート「ウィンドスウェプト・ウィメン」のシリーズ。これは今年の新作だ。感じはスリッツのジャケット写真。
ビデオ作品もあり、会場外にはマイ・グランドマザーズ・シリーズの撮影風景の映像も流れていた。
特殊メイクや仮面とは言え、老婆の写真を山ほど見せられたわけだが、見に来ているお客さんも、老婆が多かった。今、ルーヴル美術館展を同時開催しているせいだろう。
そこでわかったのは、作品中の老婆は写真ゆえに沈黙しているが、実際の老婆はおしゃべりだということだ。何も話題がないのに、とにかく何かを口から発していないと気がすまないようだった。作品見るたびに必ず感想を言ってみたり。
あと、この美術館に特有な現象なのか、それとも日本全体でそうなのか、展示室外で休憩している人が、ペットボトルでお茶を一瞬飲んだだけでも、それを見逃さず、つかつかと早足で近寄り「会場内では飲食はご遠慮ねがいます」(と、たぶん言ってる)とチェックをいれる姑のような監視係がいるのを目撃し、一気にイヤな気分になった。注意された人は、いかにも善良そうな人で、作品を汚したりしそうに絶対ない人だったし、注意しているときには、既にお茶は鞄の中にしまわれていたのである。人を見抜く目もないのか。このようなゲシュタポ管理を徹底しようとするところが、こういう美術館のどうしようもなくダメなところだな、と思った。作品や芸術家からこの監視婆たちは何を感じとっているのだろう。作品を見ているときも、常に「こいつは何かしでかしはしないか」と監視されているのだ。こんなガチガチに管理されたうえで「お芸術」をありがたく見せてもらっても、よほどこちらが広い心で目を開いていないと、何も感じ取れない。どうにかならないのか。あの監視婆たちの言動は芸術の妨げでしかなく、ノイズになっている。あえてノイズを楽しもうか、という気持でないと、せっかくの素晴らしい作品が台なしになる可能性もある。国立国際美術館では何か過去に作品を傷つけられるような事件でもあったのか?入るなり日傘は傘立てにいれてください、と強制的に傘立てに入れさせられていたし。
生國魂神社で第19回彦八まつり。
毎年行なわれている落語家さんのお祭り。
桂春之輔の「もう半分」で、どて焼きを食べ、森乃福郎の「本屋の善さん」で古本をチェック。満腹のため、林家そめすけのホルモンや、文枝一門の焼きうどんは今回パス。人が多かったのと、回りそうな気がしたので、丁稚カフェ(桂あやめ、月亭遊方、林家染雀)で柳蔭を飲むのもちょっとパス。体調万全で、財布に余裕があれば、もうちょっと楽しめただろうに。
読んだ本は小川洋子の『博士の愛した数式』
記憶が80分しか持たない数学者と、その身の回りを世話する家政婦さんとの心の交流。
映画は録画したきりでまだ見ていないが、本を読むかぎり、数学者の姿は宇野重吉を頭に思い描いていたから、映画のキャスティングもそんなに間違っていないように思える。見てみないとわからないけど。
毎日来るたびに、初対面の相手として扱われる寂しさなんて、アイドルとファンの関係みたいなもので、ファンはなんとか覚えてもらおうとして、涙ぐましいアピールをあれこれするのである。
小説では、80分どころか、新たな記憶ができない状態になって終わる。
記憶というのは面白いもので、ある女性などは、いや、僕もそうかな、昔のいろんなことを都合よく忘れて、今を生きている。これは新しい記憶によって古い都合の悪い記憶を排泄してしまうわけだ。とすれば、新しい記憶ができないこの小説の数学者は、ある意味、人間として生きることが困難になってしまったと言えるだろう。
忘れてしまうことは、寂しいけど、それで生きられる道も開く。
それに比べて、覚えられない、というのは、たいへんな地獄なんだろう。
まず、「慶応義塾をめぐる芸術家たち」
慶応義塾ゆかりの芸術家の作品を中心に展示。
慶応ゆかり、と言っても、慶応に別に興味もなかったので、今回の展示で、へえ、この人も慶応義塾ゆかりの人なのか、と認識した次第。
展示室は大きく3つにわかれていた。
1、西脇順三郎、瀧口修造、飯田善國
2、谷口吉郎とイサム・ノグチ
3、駒井哲郎
西脇は慶応義塾で英米文学の教鞭をとっており、西脇の影響を受けた瀧口と飯田、という関係。飯田は西脇との共作「クロマトポイエマ」で言語と色彩を関連づけている。
西脇の描いた絵画も展示されていた。
谷口吉郎は慶応義塾関連の建築を手がけており、大学内の教員サロンのデザインを彫刻家イサム・ノグチに依頼した。このサロン「新萬來舎」はノグチ・ルームとも呼ばれている。
駒井哲郎は銅版画家であり、『三田評論』にも挿絵を描いていた。
次に見たのが、やなぎみわの「婆々娘々」(ポーポーニャンニャン)
女性が50年後の自分に扮した写真作品「マイ・グランドマザーズ」のシリーズ。
グリムやアンデルセンなどのメルヘンをテーマに、少女に老婆の仮面をかぶせた写真作品「寓話」のシリーズ。
そして、付け乳房を振り乱して踊る女性の巨大なポートレート「ウィンドスウェプト・ウィメン」のシリーズ。これは今年の新作だ。感じはスリッツのジャケット写真。
ビデオ作品もあり、会場外にはマイ・グランドマザーズ・シリーズの撮影風景の映像も流れていた。
特殊メイクや仮面とは言え、老婆の写真を山ほど見せられたわけだが、見に来ているお客さんも、老婆が多かった。今、ルーヴル美術館展を同時開催しているせいだろう。
そこでわかったのは、作品中の老婆は写真ゆえに沈黙しているが、実際の老婆はおしゃべりだということだ。何も話題がないのに、とにかく何かを口から発していないと気がすまないようだった。作品見るたびに必ず感想を言ってみたり。
あと、この美術館に特有な現象なのか、それとも日本全体でそうなのか、展示室外で休憩している人が、ペットボトルでお茶を一瞬飲んだだけでも、それを見逃さず、つかつかと早足で近寄り「会場内では飲食はご遠慮ねがいます」(と、たぶん言ってる)とチェックをいれる姑のような監視係がいるのを目撃し、一気にイヤな気分になった。注意された人は、いかにも善良そうな人で、作品を汚したりしそうに絶対ない人だったし、注意しているときには、既にお茶は鞄の中にしまわれていたのである。人を見抜く目もないのか。このようなゲシュタポ管理を徹底しようとするところが、こういう美術館のどうしようもなくダメなところだな、と思った。作品や芸術家からこの監視婆たちは何を感じとっているのだろう。作品を見ているときも、常に「こいつは何かしでかしはしないか」と監視されているのだ。こんなガチガチに管理されたうえで「お芸術」をありがたく見せてもらっても、よほどこちらが広い心で目を開いていないと、何も感じ取れない。どうにかならないのか。あの監視婆たちの言動は芸術の妨げでしかなく、ノイズになっている。あえてノイズを楽しもうか、という気持でないと、せっかくの素晴らしい作品が台なしになる可能性もある。国立国際美術館では何か過去に作品を傷つけられるような事件でもあったのか?入るなり日傘は傘立てにいれてください、と強制的に傘立てに入れさせられていたし。
生國魂神社で第19回彦八まつり。
毎年行なわれている落語家さんのお祭り。
桂春之輔の「もう半分」で、どて焼きを食べ、森乃福郎の「本屋の善さん」で古本をチェック。満腹のため、林家そめすけのホルモンや、文枝一門の焼きうどんは今回パス。人が多かったのと、回りそうな気がしたので、丁稚カフェ(桂あやめ、月亭遊方、林家染雀)で柳蔭を飲むのもちょっとパス。体調万全で、財布に余裕があれば、もうちょっと楽しめただろうに。
読んだ本は小川洋子の『博士の愛した数式』
記憶が80分しか持たない数学者と、その身の回りを世話する家政婦さんとの心の交流。
映画は録画したきりでまだ見ていないが、本を読むかぎり、数学者の姿は宇野重吉を頭に思い描いていたから、映画のキャスティングもそんなに間違っていないように思える。見てみないとわからないけど。
毎日来るたびに、初対面の相手として扱われる寂しさなんて、アイドルとファンの関係みたいなもので、ファンはなんとか覚えてもらおうとして、涙ぐましいアピールをあれこれするのである。
小説では、80分どころか、新たな記憶ができない状態になって終わる。
記憶というのは面白いもので、ある女性などは、いや、僕もそうかな、昔のいろんなことを都合よく忘れて、今を生きている。これは新しい記憶によって古い都合の悪い記憶を排泄してしまうわけだ。とすれば、新しい記憶ができないこの小説の数学者は、ある意味、人間として生きることが困難になってしまったと言えるだろう。
忘れてしまうことは、寂しいけど、それで生きられる道も開く。
それに比べて、覚えられない、というのは、たいへんな地獄なんだろう。
中崎町の天劇キネマトロンで、「関西の鬼才、ふたりによる短編映画上映会!! ふたりかいっ!?」
石田アキラ監督と山岡聡監督の作品が上映された。
会場には両監督も来場しており、解説やトーク、お客さんからの質問にも答えてくれた。
上映された作品は、チラシによると、
『Antanannte la France』
『駅で化粧する理由』
『YAKUZA vs ZOMBIE』
『バカアシ、ダッシュ!』
以上、山岡監督作品。
『少年』
『沼田らしい。』
『戦え!胃袋ウーマン』
『うわさのみどりマン』
以上、石田監督作品。
おまけ映像もあって、もっといろいろ上映されたような気もする。
笑える作品が多くて、仕事疲れの心が癒された。
石田作品には、宍戸留美ちゃんの歌が使われていたり、黒田恵子ちゃんが出ていたり、おなじみの面々が見れるのがあたたかい気持になれていい。どこから見つけてきたんだろう、と思わせるような強烈なキャラクターが山ほど出てくるのが、僕好みである。
山岡監督の『バカアシ、ダッシュ!』のヒロインは、大蔵淳子ちゃんで、作中の日付から2005年に撮影されたものだと思うが、今、大蔵ちゃんはどうしているんだろう。昔、大蔵ちゃんが定期的に開催していたイベントとか見に行ってたしなあ。
読んだ本は川上弘美の『椰子、椰子』
日記形式で、日常の一千一秒物語が語られる。
タイトルは椰子の木が2本で、「2木」が「日記」を意味してるのかな、と思ってたが、違っていた。
夢日記を短い断片小説にした作品で、こういうのは僕の好みにぴったりあうのだ。
面白い!
将棋王座戦第1局は、羽生王座が先勝。
関西の山崎七段にも頑張ってほしいところだが、何だか、みんな羽生が防衛するのが当たり前みたいにしゃべっているのが、くやしい。
2局めはスケジュールがあえばぜひ大盤解説会に行きたい。
石田アキラ監督と山岡聡監督の作品が上映された。
会場には両監督も来場しており、解説やトーク、お客さんからの質問にも答えてくれた。
上映された作品は、チラシによると、
『Antanannte la France』
『駅で化粧する理由』
『YAKUZA vs ZOMBIE』
『バカアシ、ダッシュ!』
以上、山岡監督作品。
『少年』
『沼田らしい。』
『戦え!胃袋ウーマン』
『うわさのみどりマン』
以上、石田監督作品。
おまけ映像もあって、もっといろいろ上映されたような気もする。
笑える作品が多くて、仕事疲れの心が癒された。
石田作品には、宍戸留美ちゃんの歌が使われていたり、黒田恵子ちゃんが出ていたり、おなじみの面々が見れるのがあたたかい気持になれていい。どこから見つけてきたんだろう、と思わせるような強烈なキャラクターが山ほど出てくるのが、僕好みである。
山岡監督の『バカアシ、ダッシュ!』のヒロインは、大蔵淳子ちゃんで、作中の日付から2005年に撮影されたものだと思うが、今、大蔵ちゃんはどうしているんだろう。昔、大蔵ちゃんが定期的に開催していたイベントとか見に行ってたしなあ。
読んだ本は川上弘美の『椰子、椰子』
日記形式で、日常の一千一秒物語が語られる。
タイトルは椰子の木が2本で、「2木」が「日記」を意味してるのかな、と思ってたが、違っていた。
夢日記を短い断片小説にした作品で、こういうのは僕の好みにぴったりあうのだ。
面白い!
将棋王座戦第1局は、羽生王座が先勝。
関西の山崎七段にも頑張ってほしいところだが、何だか、みんな羽生が防衛するのが当たり前みたいにしゃべっているのが、くやしい。
2局めはスケジュールがあえばぜひ大盤解説会に行きたい。
『まごころ−哲学者と随筆家の対話』
2009年9月3日 読書
鶴見俊輔と岡部伊都子の対談『まごころ−哲学者と随筆家の対話』を読んだ。
2003年に京都の岡部宅で収録された対談。
以下、目次
第1章 ”犀のごとく歩め”
「自分は学歴はなくて、病歴がある」(岡部)
「お釈迦さんが言った”犀のごとく歩め”」(鶴見)
「『先生、その問題、自分で考えたんですか』と問う小学生」(鶴見)
「ラジオでは、耳で聞いて、わかる言葉に変えんならん」(岡部)
「朝鮮人は長い間虐げられてるから、動機がずっと続く」(鶴見)
「70万人の在日朝鮮人とどうつきあうか、それが鍵だね」(鶴見)
「桓武天皇のお母さんは百済の王族」(岡部)
「個人の値打ちで勝負する」(鶴見)
「自分の体の感じで平和憲法を支持するのは在日朝鮮人」(鶴見)
第2章 ほんものの人間、ほんとうの歴史
「『鉢の木』を思い出す須田剋太画伯とのつきあい」(鶴見)
「『人間にとって差別は一番いけない』とまず言わはった須田さん」(岡部)
「私に人生や学問のコツを教えてくれた”ランチの女王”」(鶴見)
「日本の学問は落ちた。明治以前の方がよかった」(鶴見)
「学校でなく、自己内対話で自分の見識を養え」(鶴見)
「概念で考える美というものは、私は遠い」(岡部)
「”耳塚”にお連れした時に五体投地された高銀先生」(岡部)
「長い帝国主義の方が、同時に深い把握もしている」(鶴見)
第3章戦争・沖縄・ハンセン病
「私は戦争に加担した女です」(岡部)
「婚約者を殺しにやって、殺されたようなもの」(岡部)
「それからなんべん、婚約者が戦死した沖縄へ行ったか」(岡部)
「敗ける時に敗ける側にいたい」(鶴見)
「命令が下ったら自分は拒絶できたか、という哲学的な問題」(鶴見)
おわりに−死を前にして
「きちんとした反戦運動は、女から起こるしかない」(鶴見)
「『若さからの解放』は機嫌のええもんなんです」(岡部)
第1、2章はおもに鶴見がとばし、3章は岡部が語る。
岡部の京都ことばが心に届く。
戦争を体験した人が語る「戦争は絶対いや」というのは、うわ、ほんとにいやだったんだろうな、と思えるが、戦争体験者の死亡によって、その機会は失われていくんだろうか。
傷痍軍人が年齢と無関係に存在するように、戦争の語り部も年齢にかかわりなく受け継いでいくようにならないだろうか。
体験者の残した手記の朗読とか、イタコの降霊による語り、というような迂回もなく、まさに自分が体験者であるとする語り。
昔は人魚の肉食べて不死になった人とか、何世紀にも渡って歴史に登場した人とかがいたのだが、現代に、そういう人はいるのか。マスコミは何か隠していないか?
2003年に京都の岡部宅で収録された対談。
以下、目次
第1章 ”犀のごとく歩め”
「自分は学歴はなくて、病歴がある」(岡部)
「お釈迦さんが言った”犀のごとく歩め”」(鶴見)
「『先生、その問題、自分で考えたんですか』と問う小学生」(鶴見)
「ラジオでは、耳で聞いて、わかる言葉に変えんならん」(岡部)
「朝鮮人は長い間虐げられてるから、動機がずっと続く」(鶴見)
「70万人の在日朝鮮人とどうつきあうか、それが鍵だね」(鶴見)
「桓武天皇のお母さんは百済の王族」(岡部)
「個人の値打ちで勝負する」(鶴見)
「自分の体の感じで平和憲法を支持するのは在日朝鮮人」(鶴見)
第2章 ほんものの人間、ほんとうの歴史
「『鉢の木』を思い出す須田剋太画伯とのつきあい」(鶴見)
「『人間にとって差別は一番いけない』とまず言わはった須田さん」(岡部)
「私に人生や学問のコツを教えてくれた”ランチの女王”」(鶴見)
「日本の学問は落ちた。明治以前の方がよかった」(鶴見)
「学校でなく、自己内対話で自分の見識を養え」(鶴見)
「概念で考える美というものは、私は遠い」(岡部)
「”耳塚”にお連れした時に五体投地された高銀先生」(岡部)
「長い帝国主義の方が、同時に深い把握もしている」(鶴見)
第3章戦争・沖縄・ハンセン病
「私は戦争に加担した女です」(岡部)
「婚約者を殺しにやって、殺されたようなもの」(岡部)
「それからなんべん、婚約者が戦死した沖縄へ行ったか」(岡部)
「敗ける時に敗ける側にいたい」(鶴見)
「命令が下ったら自分は拒絶できたか、という哲学的な問題」(鶴見)
おわりに−死を前にして
「きちんとした反戦運動は、女から起こるしかない」(鶴見)
「『若さからの解放』は機嫌のええもんなんです」(岡部)
第1、2章はおもに鶴見がとばし、3章は岡部が語る。
岡部の京都ことばが心に届く。
戦争を体験した人が語る「戦争は絶対いや」というのは、うわ、ほんとにいやだったんだろうな、と思えるが、戦争体験者の死亡によって、その機会は失われていくんだろうか。
傷痍軍人が年齢と無関係に存在するように、戦争の語り部も年齢にかかわりなく受け継いでいくようにならないだろうか。
体験者の残した手記の朗読とか、イタコの降霊による語り、というような迂回もなく、まさに自分が体験者であるとする語り。
昔は人魚の肉食べて不死になった人とか、何世紀にも渡って歴史に登場した人とかがいたのだが、現代に、そういう人はいるのか。マスコミは何か隠していないか?
「祝福されない王国」の部屋@workroom*A、『真理先生』
2009年9月2日 読書
workroom*AでshopへなちょこOPEN記念展「祝福されない王国」の部屋。
藤本由紀夫さんの作品に嶽本野ばら君が物語をつけた本『祝福されない王国』の出版記念展になる。
「乙女の自習室」と銘打つだけあって、入ると静謐な空間が待ち受けていた。
でも、おしゃべりしても「しーっ」という感じでもないのが、乙女の自習室たるゆえん。
室内には本で取り上げられた藤本由紀夫さんの作品がかくれんぼのように点在している。
オルゴール作品もあるので、音を出すことが禁じられているはずもなかったのだ。
中央の大テーブルには「祝福されない王国」が連載されていた文芸誌『yom yom』が螺旋状に積んである。
ドリンクは豆から挽いて煎れる珈琲か、瓶のフォルムが素敵なサイダーか。
僕は珈琲を、電動ミルでひいて自分で作った。京都のオオヤコーヒー。
う〜む、美味。
shopへなちょこをのぞくと、僕の原稿が掲載されているフリーペーパー「実験アキレス」とか置いてあった。と、いうか、行ったら実験アキレスの編集長の勝さんが先に来ていたのだった。あと、僕が昔出した「保山ボックス」も販売していて、これがまあ、法外な値段をつけられていて、笑った。野ばら君が絵を描いてくれているので、プレミアがついたのだろう。もうどこにもないセットだと思っていたので、興味ある方は、shopへなちょこをのぞいてみてください。
根本敬さんの『真理先生』を読んだ。
第1章
さぶ・カトちゃん
ボス、シケてますよ
童貞ソー・ヤング
水面のひよこ、水底の弁当
男にとって甲斐性とは
どの面、そして目の前の金
ストーンズのライブ(確かめに行ったもの)
もう一人の俺
第2章
「小説」
第3章
男と男の結婚・男、友情の旅篇
結婚式のスピーチのために記す*挨拶と軽い自己紹介の後に、以下
誰もが一度は考えること−ボノボ、その生態(2005年の暮れに書いた日記より)
人間だもの−伝達回路を開通せよ
そして王道と書いてマイウェイと読む
2007年2月5日から6日の間に「因果境界線」が絶対にある。−もう「サブカル呼ばわり」のコチラの手の内には既に今後必要なものは揃っている。それを以て遡及するのが然るべき筋道である。そこへ固い意志の下突き進むしか、新しいコトや未来の名に値するものなど一切生まれない。
『墓場の鬼太郎』と『ゲゲゲの鬼太郎』の変容から垣間見たもの
赤塚先生から赤塚と呼び捨てになった時
ビッグバーンから始まった宇宙の中で、グレゴリー歴2009年の現在、人類、とりわけ日本人の幸福とは何か!?−そしてサザエさん化を「皇室」に迄も求めてやまない暴走する大衆と、そのサザエさん一家の光と影
時代は変わる由、世襲制もまた良し
この歳(28歳)まで長く生きて来られ、とても感慨深い
死相とは何だ?
ヤキソバパンをパクつきながら考えたこと
あDEいンザLAいふ
全体に根本さんの文章は、もずくの中を歩くような不思議な感覚がともなう。
なんと言えばいいのだろう。
不如意とか、不具合とか、不自由とか、不具、などがまとわりつくのだ。
厄介なものがこびりついている。
2部の「小説」は意外とまっとうに文学してて驚いたのだが、後半、性欲の噴火で根本さんらしい展開になり、根本漫画を読んでいる気分になった。
しかし、根本流の爆発はそこくらいで、随想の部分にいたっては、不具なのだ。
根本さんの生き方そのものなのだ。
文章は、漫画よりも根本さん本人を如実にあらわしているのかもしれない。
まっすぐのつもりなのに、不具ゆえに曲りくねってしまう。
人間バロックとは、根本さんのことではないか、とふと思った。
藤本由紀夫さんの作品に嶽本野ばら君が物語をつけた本『祝福されない王国』の出版記念展になる。
「乙女の自習室」と銘打つだけあって、入ると静謐な空間が待ち受けていた。
でも、おしゃべりしても「しーっ」という感じでもないのが、乙女の自習室たるゆえん。
室内には本で取り上げられた藤本由紀夫さんの作品がかくれんぼのように点在している。
オルゴール作品もあるので、音を出すことが禁じられているはずもなかったのだ。
中央の大テーブルには「祝福されない王国」が連載されていた文芸誌『yom yom』が螺旋状に積んである。
ドリンクは豆から挽いて煎れる珈琲か、瓶のフォルムが素敵なサイダーか。
僕は珈琲を、電動ミルでひいて自分で作った。京都のオオヤコーヒー。
う〜む、美味。
shopへなちょこをのぞくと、僕の原稿が掲載されているフリーペーパー「実験アキレス」とか置いてあった。と、いうか、行ったら実験アキレスの編集長の勝さんが先に来ていたのだった。あと、僕が昔出した「保山ボックス」も販売していて、これがまあ、法外な値段をつけられていて、笑った。野ばら君が絵を描いてくれているので、プレミアがついたのだろう。もうどこにもないセットだと思っていたので、興味ある方は、shopへなちょこをのぞいてみてください。
根本敬さんの『真理先生』を読んだ。
第1章
さぶ・カトちゃん
ボス、シケてますよ
童貞ソー・ヤング
水面のひよこ、水底の弁当
男にとって甲斐性とは
どの面、そして目の前の金
ストーンズのライブ(確かめに行ったもの)
もう一人の俺
第2章
「小説」
第3章
男と男の結婚・男、友情の旅篇
結婚式のスピーチのために記す*挨拶と軽い自己紹介の後に、以下
誰もが一度は考えること−ボノボ、その生態(2005年の暮れに書いた日記より)
人間だもの−伝達回路を開通せよ
そして王道と書いてマイウェイと読む
2007年2月5日から6日の間に「因果境界線」が絶対にある。−もう「サブカル呼ばわり」のコチラの手の内には既に今後必要なものは揃っている。それを以て遡及するのが然るべき筋道である。そこへ固い意志の下突き進むしか、新しいコトや未来の名に値するものなど一切生まれない。
『墓場の鬼太郎』と『ゲゲゲの鬼太郎』の変容から垣間見たもの
赤塚先生から赤塚と呼び捨てになった時
ビッグバーンから始まった宇宙の中で、グレゴリー歴2009年の現在、人類、とりわけ日本人の幸福とは何か!?−そしてサザエさん化を「皇室」に迄も求めてやまない暴走する大衆と、そのサザエさん一家の光と影
時代は変わる由、世襲制もまた良し
この歳(28歳)まで長く生きて来られ、とても感慨深い
死相とは何だ?
ヤキソバパンをパクつきながら考えたこと
あDEいンザLAいふ
全体に根本さんの文章は、もずくの中を歩くような不思議な感覚がともなう。
なんと言えばいいのだろう。
不如意とか、不具合とか、不自由とか、不具、などがまとわりつくのだ。
厄介なものがこびりついている。
2部の「小説」は意外とまっとうに文学してて驚いたのだが、後半、性欲の噴火で根本さんらしい展開になり、根本漫画を読んでいる気分になった。
しかし、根本流の爆発はそこくらいで、随想の部分にいたっては、不具なのだ。
根本さんの生き方そのものなのだ。
文章は、漫画よりも根本さん本人を如実にあらわしているのかもしれない。
まっすぐのつもりなのに、不具ゆえに曲りくねってしまう。
人間バロックとは、根本さんのことではないか、とふと思った。
秋山祐徳太子の『恥の美学』を読んだ。
序章 恥の十七条憲法
第1章 疾風怒濤のポップ・ハプニング
恥ずかしさを突き抜けろ
芸大の受験”芸術”に挑む
見られる恥ずかしさ
行為芸術の原点はチンドン屋
教育ハプニング・二宮金次郎
恥ずかしさを共有する
ビタミン・アートの衝撃
グリコ・ハプニング誕生
強烈な恥を振りまくゼロ次元
全裸で闘う万博破壊共闘派
猥褻か政治犯か
ダダカン、万博を疾走する
第2章 都知事選に恥が結集する
泡沫候補への関心
人生の天王山、到来
選挙ポスターをアートする
選挙活動始まる
ネズミの運動員
”選挙功労者”河野さん
”チンダレ”候補の窪田さん
茨城県から立候補
立会演説会での豹変ぶり
私は
公人と私人
皇宮警察と太子
出馬を許した母の理解
東京を越えて
恥が大逆転する
第3章 ブリキ芸術は人生の軽ろみ
バブル対ブリキの決戦
”世界初”ブリキ製仏像
ブリキの円空
ご当地芸術
徘徊するブリキ板
ブリキ芸術ならではの受難
ブリキか、トタンか
第4章 私だって恥ずかしい[対談前半戦]秋山祐徳太子×南伸坊
第5章 すべての恥は珍百景に通ず
土下座する人
靴の珍光景
葬儀間違い
鹿せんべいの恐怖
珍コレ珍百景
第6章 恥は友を呼ぶ
文豪の恥ずかしながら
恥をかかせない信条
「酒蘭丸」を助ける
無責任きわまりない客
野毛憲法 めげない、こりない、あきらめない
第7章 青春の恥は人生の花
愛国弁当
青春期は大量の恥を浴びよ
面接で恥の逆転劇
フラれて本当の恥を知る
恥のキューピッド
排泄の美学
第8章 ”狂気”乱舞の恥かき人
ふつうの人の情熱
狂気の街頭ハプニング
恥をアートする天才編集長
「恥の石」を大海に投げ込む
第9章 ナンセンスが加速する
モーレツ、サラリーマンアート
中世の恥
パリの恥
秋山”聖徳”太子
恥のインスタレーション
寝たきり芸術
第10章 恥にマニュアルはない[対談後半戦]秋山祐徳太子×南伸坊
シャイであることと、芸術行為者であることは矛盾しないどころか、条件であるように思える。なぜ思えるかと言うと、僕だって肩書きを問われれば「芸術家」だと豪語するくせに、誰よりも恥ずかしがり屋なのだから。と、公言するあたりが、恥知らずなんだろうが、わざと恥知らずなことをして、脇から「ワザ、ワザ」と見抜かれて青ざめるタイプなのだ。この僕は!恥スパイラルである。
序章 恥の十七条憲法
第1章 疾風怒濤のポップ・ハプニング
恥ずかしさを突き抜けろ
芸大の受験”芸術”に挑む
見られる恥ずかしさ
行為芸術の原点はチンドン屋
教育ハプニング・二宮金次郎
恥ずかしさを共有する
ビタミン・アートの衝撃
グリコ・ハプニング誕生
強烈な恥を振りまくゼロ次元
全裸で闘う万博破壊共闘派
猥褻か政治犯か
ダダカン、万博を疾走する
第2章 都知事選に恥が結集する
泡沫候補への関心
人生の天王山、到来
選挙ポスターをアートする
選挙活動始まる
ネズミの運動員
”選挙功労者”河野さん
”チンダレ”候補の窪田さん
茨城県から立候補
立会演説会での豹変ぶり
私は
公人と私人
皇宮警察と太子
出馬を許した母の理解
東京を越えて
恥が大逆転する
第3章 ブリキ芸術は人生の軽ろみ
バブル対ブリキの決戦
”世界初”ブリキ製仏像
ブリキの円空
ご当地芸術
徘徊するブリキ板
ブリキ芸術ならではの受難
ブリキか、トタンか
第4章 私だって恥ずかしい[対談前半戦]秋山祐徳太子×南伸坊
第5章 すべての恥は珍百景に通ず
土下座する人
靴の珍光景
葬儀間違い
鹿せんべいの恐怖
珍コレ珍百景
第6章 恥は友を呼ぶ
文豪の恥ずかしながら
恥をかかせない信条
「酒蘭丸」を助ける
無責任きわまりない客
野毛憲法 めげない、こりない、あきらめない
第7章 青春の恥は人生の花
愛国弁当
青春期は大量の恥を浴びよ
面接で恥の逆転劇
フラれて本当の恥を知る
恥のキューピッド
排泄の美学
第8章 ”狂気”乱舞の恥かき人
ふつうの人の情熱
狂気の街頭ハプニング
恥をアートする天才編集長
「恥の石」を大海に投げ込む
第9章 ナンセンスが加速する
モーレツ、サラリーマンアート
中世の恥
パリの恥
秋山”聖徳”太子
恥のインスタレーション
寝たきり芸術
第10章 恥にマニュアルはない[対談後半戦]秋山祐徳太子×南伸坊
シャイであることと、芸術行為者であることは矛盾しないどころか、条件であるように思える。なぜ思えるかと言うと、僕だって肩書きを問われれば「芸術家」だと豪語するくせに、誰よりも恥ずかしがり屋なのだから。と、公言するあたりが、恥知らずなんだろうが、わざと恥知らずなことをして、脇から「ワザ、ワザ」と見抜かれて青ざめるタイプなのだ。この僕は!恥スパイラルである。
JK21夏休みのデイリーライブ最終回。今回がデイリーライブ39回目になる。
結局、僕はこのラストを含めて、15回、デイリーライブに来たことになる。まあ、3分の1程度、というところか。
最初、デイリーライブの計画を知ったときは、途中で挫折するんじゃないか、とあやぶんでいたが、とうとう、最後までやりきった。途中、山あり谷ありだったろうけど、これは快挙として素直に喜びたい。これくらいの思いきったことをしてくれないと、風穴はあかないものと信じる。
1曲めから既に目をうるませているメンバーもいる。僕だって、1曲めで、目頭があつくなっていた。
1.ハッピー・グラデュエーション
2.ちゃう×3
3.フットマン
デイリーライブの思い出についてトーク。
椿:イントロドンで、あややを答えられなかった。
脇坂:ポニョを3回も歌った。
今崎:ひょっこりひょうたん島でのソロ緊張した。
碧:血液型がメンバー中、1人だけB型。同じ誕生日に、えなりかずきがいる。
松田:罰ゲームで青汁とか黒酢とか飲んだ。
藤井:MC初体験。
月脇:森崎の卒業ライブ、万葉シャオニャン、ミルキーハットとのジョイントライブ。
田中:ライブ中に靴がぬげた。
城島:コント。
須田:ゲームでメンバーの本性がわかった。
新垣:浴衣ライブ。
今日のメンバーは以上11人。
感謝の意味も込めて、39回目のライブで「サンキュー特集」
4.スマイリー(須田、藤井→脇坂、椿)
5.ありがとう(城島、須田→碧、新垣)
6.ありがとうの歌(城島、藤井→碧、月脇)
7.エニシングゴーズ
8.困っちゃうナ(須田、城島)
9.Kiss(城島、須田)
ラストの曲。お客さんにはファンの人が用意したサイリウムが配られており、いっせいに点灯。ファンからのメッセージの入った横断幕もライブ最前列でメンバーに見えやすいところに張られていた。僕もちょこっとだけメッセージを書かせてもらった。
曲終わりで、アンコールがかかる。
10.ハッピー・グラデュエーション
いや〜、感動させてもらいました。
9月からは、アトリエで週に2日(木曜と日曜)ライブをしていくそうだ。
ただし、料金は夏休みのデイリーライブより千円アップ。
このあたりが微妙だ。
たった千円の値上げだけど、今後は歩いていける心斎橋や日本橋のライブハウスでのアイドルイベントとそんなに料金の差がなくなる。さらに、心斎橋や日本橋などのアイドルライブはユニットが複数出るため、3時間ライブはざらで、長いのになれば6時間くらいイベントが見れる。
9月以降は、どれ見に行くか、迷うだろうなあ。
ローレンス・レッシグ教授の『FREE CULTURE−いかに巨大メディアが法をつかって創造性や文化をコントロールするか』を読んだ。表紙には「権利VS制約 著作権、知的財産権、所有権…インターネットでなにが起こっているのか?いま法によって守られるべきものはなにか?』と勇ましい文章が書いてある。また、裏をかえすと、「日本語版への序文」から引いた、こんな文章も。
「自由(フリー)な文化は技術が変わり著作権のもたらすバランスが変わるにつれて、そのバランスを最新の状態に保つ。でも奇妙なことに、少なくとも政策立案者たちの中では、繁栄は知的財産権が最大化されたときにしか起きないというこれと対立する発想がある。権利を増やすのが常によいことだ、というわけだ。保護を増やすのが常に効率を最大化する、とでも言うようだ。この正反対の見方は、われわれの社会でどんなに有力だろうと、根本的にまちがっている。本書では、なぜまちがっているかを示そうとしている−そしてもっと重要なこととして、デジタル技術の経済成長と創造的な可能性が実現されるためには、このまちがった見方を改めることが重要だということを示そうとしている」
以下、目次
日本語版への序文
序
はじめに
「海賊行為」
第1章 クリエータ
第2章 ただの猿まね屋
第3章 カタログ
第4章 「海賊たち」
映画/音楽録音/ラジオ/ケーブルテレビ
第5章 「海賊行為」
海賊行為Ⅰ/海賊行為Ⅱ
「財産」
第6章 創設者たち
第7章 記録者たち
第8章 変換者たち
第9章 コレクターたち
第10章 「財産」
なぜハリウッドが正しい/発端/法:期間/法:範囲/法とアーキテクチャ:到達の深さ/アーキテクチャと法:力/市場:少数者への集中/総合すると
謎
第11章 キメラ
第12章 害
クリエータへの締めつけ/イノベータの抑圧/市民を堕落させる
バランス
第13章 エルドレッド
第14章 エルドレッドⅡ
結論
あとがき
隗より始めよ
これまで当然とされていた自由の再構築:実例/フリー文化の再構築:1つのアイデア
そしていずれは本丸を
1、手続きを増やそう/登録と更新/マーキング
2、保護期間の短縮/(1)短くすること/(2)単純にすること/(3)死蔵させないこと/(4)これからの作品だけを対象にすること
3、自由な利用VSフェアユース
4、音楽を解放しよう−もう一度
5、弁護士をどんどんクビにしよう
謝辞
訳者あとがき
日本語版への序文の最初の行で、本書の目的がズバリ書いてある。
「本書の狙いは、あるミームを紹介し、それを擁護する議論を提供することだ。そのミームとは、『フリー文化』という発想だ」
新技術が古い利益を脅かすと、古い利益(反対勢力)は全力で潰しにかかるのだ。
知的財産の過剰な保護が有害であるとする議論を、多くの実例をあげながら、説明していく。たとえば、80年代、カリフォルニアでは、著作権侵害技術だからという理由で、ビデオデッキが禁止された。非合法利用に使う人がいた、ということでメーカーが責任をとらされた。拳銃は合法なのに、ビデオデッキは違法だったのだ。
また、こんな例も。
「インターネットで音楽を2曲ダウンロードした場合の最高賠償金額(980億ドル)が、過失で患者を切り刻む医者の賠償金額(25万ドル)を上回る」
第1章では「日本文化の中では不可欠な創造性の一種」として「同人誌」をとりあげており、なるほど、日本はウィニー作った人が逮捕されてしまう国ではあるが、同人誌を見ると、可能性の光はさしているのかな、と思った。
本書はネット上でpdf版がフリー公開されている。
一方、本書の奥付には「本書は著作権上の保護を受けています。本書の一部または全部について云々」というお決まりの文句も印刷されている。
著作権の問題はむずかしい!
http://www.lessig.org/
結局、僕はこのラストを含めて、15回、デイリーライブに来たことになる。まあ、3分の1程度、というところか。
最初、デイリーライブの計画を知ったときは、途中で挫折するんじゃないか、とあやぶんでいたが、とうとう、最後までやりきった。途中、山あり谷ありだったろうけど、これは快挙として素直に喜びたい。これくらいの思いきったことをしてくれないと、風穴はあかないものと信じる。
1曲めから既に目をうるませているメンバーもいる。僕だって、1曲めで、目頭があつくなっていた。
1.ハッピー・グラデュエーション
2.ちゃう×3
3.フットマン
デイリーライブの思い出についてトーク。
椿:イントロドンで、あややを答えられなかった。
脇坂:ポニョを3回も歌った。
今崎:ひょっこりひょうたん島でのソロ緊張した。
碧:血液型がメンバー中、1人だけB型。同じ誕生日に、えなりかずきがいる。
松田:罰ゲームで青汁とか黒酢とか飲んだ。
藤井:MC初体験。
月脇:森崎の卒業ライブ、万葉シャオニャン、ミルキーハットとのジョイントライブ。
田中:ライブ中に靴がぬげた。
城島:コント。
須田:ゲームでメンバーの本性がわかった。
新垣:浴衣ライブ。
今日のメンバーは以上11人。
感謝の意味も込めて、39回目のライブで「サンキュー特集」
4.スマイリー(須田、藤井→脇坂、椿)
5.ありがとう(城島、須田→碧、新垣)
6.ありがとうの歌(城島、藤井→碧、月脇)
7.エニシングゴーズ
8.困っちゃうナ(須田、城島)
9.Kiss(城島、須田)
ラストの曲。お客さんにはファンの人が用意したサイリウムが配られており、いっせいに点灯。ファンからのメッセージの入った横断幕もライブ最前列でメンバーに見えやすいところに張られていた。僕もちょこっとだけメッセージを書かせてもらった。
曲終わりで、アンコールがかかる。
10.ハッピー・グラデュエーション
いや〜、感動させてもらいました。
9月からは、アトリエで週に2日(木曜と日曜)ライブをしていくそうだ。
ただし、料金は夏休みのデイリーライブより千円アップ。
このあたりが微妙だ。
たった千円の値上げだけど、今後は歩いていける心斎橋や日本橋のライブハウスでのアイドルイベントとそんなに料金の差がなくなる。さらに、心斎橋や日本橋などのアイドルライブはユニットが複数出るため、3時間ライブはざらで、長いのになれば6時間くらいイベントが見れる。
9月以降は、どれ見に行くか、迷うだろうなあ。
ローレンス・レッシグ教授の『FREE CULTURE−いかに巨大メディアが法をつかって創造性や文化をコントロールするか』を読んだ。表紙には「権利VS制約 著作権、知的財産権、所有権…インターネットでなにが起こっているのか?いま法によって守られるべきものはなにか?』と勇ましい文章が書いてある。また、裏をかえすと、「日本語版への序文」から引いた、こんな文章も。
「自由(フリー)な文化は技術が変わり著作権のもたらすバランスが変わるにつれて、そのバランスを最新の状態に保つ。でも奇妙なことに、少なくとも政策立案者たちの中では、繁栄は知的財産権が最大化されたときにしか起きないというこれと対立する発想がある。権利を増やすのが常によいことだ、というわけだ。保護を増やすのが常に効率を最大化する、とでも言うようだ。この正反対の見方は、われわれの社会でどんなに有力だろうと、根本的にまちがっている。本書では、なぜまちがっているかを示そうとしている−そしてもっと重要なこととして、デジタル技術の経済成長と創造的な可能性が実現されるためには、このまちがった見方を改めることが重要だということを示そうとしている」
以下、目次
日本語版への序文
序
はじめに
「海賊行為」
第1章 クリエータ
第2章 ただの猿まね屋
第3章 カタログ
第4章 「海賊たち」
映画/音楽録音/ラジオ/ケーブルテレビ
第5章 「海賊行為」
海賊行為Ⅰ/海賊行為Ⅱ
「財産」
第6章 創設者たち
第7章 記録者たち
第8章 変換者たち
第9章 コレクターたち
第10章 「財産」
なぜハリウッドが正しい/発端/法:期間/法:範囲/法とアーキテクチャ:到達の深さ/アーキテクチャと法:力/市場:少数者への集中/総合すると
謎
第11章 キメラ
第12章 害
クリエータへの締めつけ/イノベータの抑圧/市民を堕落させる
バランス
第13章 エルドレッド
第14章 エルドレッドⅡ
結論
あとがき
隗より始めよ
これまで当然とされていた自由の再構築:実例/フリー文化の再構築:1つのアイデア
そしていずれは本丸を
1、手続きを増やそう/登録と更新/マーキング
2、保護期間の短縮/(1)短くすること/(2)単純にすること/(3)死蔵させないこと/(4)これからの作品だけを対象にすること
3、自由な利用VSフェアユース
4、音楽を解放しよう−もう一度
5、弁護士をどんどんクビにしよう
謝辞
訳者あとがき
日本語版への序文の最初の行で、本書の目的がズバリ書いてある。
「本書の狙いは、あるミームを紹介し、それを擁護する議論を提供することだ。そのミームとは、『フリー文化』という発想だ」
新技術が古い利益を脅かすと、古い利益(反対勢力)は全力で潰しにかかるのだ。
知的財産の過剰な保護が有害であるとする議論を、多くの実例をあげながら、説明していく。たとえば、80年代、カリフォルニアでは、著作権侵害技術だからという理由で、ビデオデッキが禁止された。非合法利用に使う人がいた、ということでメーカーが責任をとらされた。拳銃は合法なのに、ビデオデッキは違法だったのだ。
また、こんな例も。
「インターネットで音楽を2曲ダウンロードした場合の最高賠償金額(980億ドル)が、過失で患者を切り刻む医者の賠償金額(25万ドル)を上回る」
第1章では「日本文化の中では不可欠な創造性の一種」として「同人誌」をとりあげており、なるほど、日本はウィニー作った人が逮捕されてしまう国ではあるが、同人誌を見ると、可能性の光はさしているのかな、と思った。
本書はネット上でpdf版がフリー公開されている。
一方、本書の奥付には「本書は著作権上の保護を受けています。本書の一部または全部について云々」というお決まりの文句も印刷されている。
著作権の問題はむずかしい!
http://www.lessig.org/
今日は選挙の日。
すぐ近くに投票所があるけど、僕の地域の投票所じゃないので、歩いて5分の投票所まで行って、投票。自民党の年行った候補者関係から電話とか葉書とか来て必死さが伝わったけど、いくらあがいても無駄でしょう。案の定、大阪では自民党惨敗。
ただ、気になるのは、これだけボロボロに負けていても、
「まあ、1回民主党さん、やってみたらええねん」
「お手並み拝見」
など、上から目線の発言が多いこと。
こんなに負けてるのに、まだ自分たちがコントロールする側に立っているとする勘違いと、それに、まるでひと事のようなこれらの発言。お上が何かやってくれる、という発想から抜け出さないと、どうにもならないんじゃないのか?
テレビでは24時間テレビしていて、番組自体はほとんど見ないのだが、何かイベントしてないか、とよみうりテレビやツイン21行ってみたけど、何もしていなかった。
そもそもステージが組んでいないのだ。
ヨーグルトとチーズの試食がかろうじてお祭りらしい賑わいだった。
今年は「わくわく宝島」も「オーサカキング」もなく、大阪では大きなイベントを何もしていなかった印象がある。その分、お金を使う機会もなくて、まあよかったと言えばよかったが。
NHK-FMで「現代の音楽」前回に続いて、武満徹の多彩な音楽活動から。
猿谷 紀郎
【ゲスト】武満 浅香
− ゲストに聞く〜武満浅香 −(2)
「映画“怪談”の音楽から 第1話“黒髪”(部分)」
武満 徹・作曲
(2分06秒)
「映画“怪談”の音楽から 第3話“耳無し芳一の話”(部分)」
鶴田錦史、武満 徹・作曲
(2分17秒)
(琵琶)鶴田 錦史
<小学館 STZ28>
「クワイエット・デザイン」 武満 徹・作曲
(2分52秒)
(朗読)武満 浅香
(音響技術)升 章
<小学館 STZ46>
「ピアノ・ディスタンス」 武満 徹・作曲
(4分46秒)
(ピアノ)高橋 悠治
<小学館 STZ13>
「“L.A.、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ”から
L.A.」武満 徹・作曲
(1分15秒)
(演奏)東京コンサーツ
「“L.A.、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ”から
ニューヨーク」武満 徹・作曲
(1分15秒)
(演奏)東京コンサーツ
「“L.A.、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ”から
パリ」武満 徹・作曲
(1分19秒)
(演奏)東京コンサーツ
「“L.A.、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ”から
ローマ」武満 徹・作曲
(1分03秒)
(演奏)東京コンサーツ
「“L.A.、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ”から
ヘルシンキ」武満 徹・作曲
(1分33秒)
(演奏)東京コンサーツ
<小学館 STZ58>
これは、ジム・ジャームッシュの映画のために書いたが、結局使われなかったもの。浅香さんによると、監督は「怪談」のときのようなミュージックコンクレート的音楽を期待していたが、出来上がってきたのがそうではなかったので、使わなかったのではないか、ということだった。
「“ギターのための12の歌”から
“オーバー・ザ・レインボー”」
ハロルド・アーレン作曲、武満 徹・編曲
(2分55秒)
(ギター)荘村 清志
<小学館 STZ22>
「“ギターのための12の歌”から“サマータイム”」
ジョージ・ガーシュウィン作曲、武満 徹・編曲
(2分57秒)
(ギター)鈴木 大介
<fontec FOCD−9114>
「“ギターのための12の歌”から“星の世界”」
チャールズ・C・コンヴァース作曲、武満 徹・編曲
(2分42秒)
(ギター)大萩 康司
<ビクターエンタテインメント VICC−60640>
ひさしぶりに映画を見た。
松尾昭典監督の「やくざ先生」1960年。
西村滋原作、木村威夫美術、鏑木創音楽。
主演は石原裕次郎。
戦災孤児や、非行少年を集めて教育をほどこす「愛隣学園」
その学園出身で、元不良の裕次郎が先生としてやってきた。
すぐにカッとなって手をあげ、壁にぶちあたっては辞職願いを書く繰り返し。
近隣住民は学園の不良少年たちを一歩も外に出ないように塀を作って監視しろ、とねじこんでくる。
問題を起こす生徒を刑務所に入れようという意見が学園内からも出るが、裕次郎は刑務所に入れられて自暴自棄になった経験から「刑務所は人間の入るところじゃありません」と反対する。
結局、学園は自衛隊の基地を作るから、と国によってつぶされて追い出されてしまう。
現実の前に教育の理想がおしつぶされてしまうストーリーにはなっているが、それに抵抗し、なお希望を捨てない姿勢が感動させる。
50年前でも、世間というのは、一緒なんだな、というのがよくわかる。
なによりも、裕次郎というスターを使ってこういう映画が作られたのが、まだ当事の人々の正常さを示しているのだが、今はどうだ。昔はよかった、なんて言いたくないけど、壁にぶつかって、辞職願いの1つも書きたくなろうと言うものだ。
とか言っても、絶望なんかしていられない。シニカルになるにもなり方がある。
すぐ近くに投票所があるけど、僕の地域の投票所じゃないので、歩いて5分の投票所まで行って、投票。自民党の年行った候補者関係から電話とか葉書とか来て必死さが伝わったけど、いくらあがいても無駄でしょう。案の定、大阪では自民党惨敗。
ただ、気になるのは、これだけボロボロに負けていても、
「まあ、1回民主党さん、やってみたらええねん」
「お手並み拝見」
など、上から目線の発言が多いこと。
こんなに負けてるのに、まだ自分たちがコントロールする側に立っているとする勘違いと、それに、まるでひと事のようなこれらの発言。お上が何かやってくれる、という発想から抜け出さないと、どうにもならないんじゃないのか?
テレビでは24時間テレビしていて、番組自体はほとんど見ないのだが、何かイベントしてないか、とよみうりテレビやツイン21行ってみたけど、何もしていなかった。
そもそもステージが組んでいないのだ。
ヨーグルトとチーズの試食がかろうじてお祭りらしい賑わいだった。
今年は「わくわく宝島」も「オーサカキング」もなく、大阪では大きなイベントを何もしていなかった印象がある。その分、お金を使う機会もなくて、まあよかったと言えばよかったが。
NHK-FMで「現代の音楽」前回に続いて、武満徹の多彩な音楽活動から。
猿谷 紀郎
【ゲスト】武満 浅香
− ゲストに聞く〜武満浅香 −(2)
「映画“怪談”の音楽から 第1話“黒髪”(部分)」
武満 徹・作曲
(2分06秒)
「映画“怪談”の音楽から 第3話“耳無し芳一の話”(部分)」
鶴田錦史、武満 徹・作曲
(2分17秒)
(琵琶)鶴田 錦史
<小学館 STZ28>
「クワイエット・デザイン」 武満 徹・作曲
(2分52秒)
(朗読)武満 浅香
(音響技術)升 章
<小学館 STZ46>
「ピアノ・ディスタンス」 武満 徹・作曲
(4分46秒)
(ピアノ)高橋 悠治
<小学館 STZ13>
「“L.A.、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ”から
L.A.」武満 徹・作曲
(1分15秒)
(演奏)東京コンサーツ
「“L.A.、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ”から
ニューヨーク」武満 徹・作曲
(1分15秒)
(演奏)東京コンサーツ
「“L.A.、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ”から
パリ」武満 徹・作曲
(1分19秒)
(演奏)東京コンサーツ
「“L.A.、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ”から
ローマ」武満 徹・作曲
(1分03秒)
(演奏)東京コンサーツ
「“L.A.、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ”から
ヘルシンキ」武満 徹・作曲
(1分33秒)
(演奏)東京コンサーツ
<小学館 STZ58>
これは、ジム・ジャームッシュの映画のために書いたが、結局使われなかったもの。浅香さんによると、監督は「怪談」のときのようなミュージックコンクレート的音楽を期待していたが、出来上がってきたのがそうではなかったので、使わなかったのではないか、ということだった。
「“ギターのための12の歌”から
“オーバー・ザ・レインボー”」
ハロルド・アーレン作曲、武満 徹・編曲
(2分55秒)
(ギター)荘村 清志
<小学館 STZ22>
「“ギターのための12の歌”から“サマータイム”」
ジョージ・ガーシュウィン作曲、武満 徹・編曲
(2分57秒)
(ギター)鈴木 大介
<fontec FOCD−9114>
「“ギターのための12の歌”から“星の世界”」
チャールズ・C・コンヴァース作曲、武満 徹・編曲
(2分42秒)
(ギター)大萩 康司
<ビクターエンタテインメント VICC−60640>
ひさしぶりに映画を見た。
松尾昭典監督の「やくざ先生」1960年。
西村滋原作、木村威夫美術、鏑木創音楽。
主演は石原裕次郎。
戦災孤児や、非行少年を集めて教育をほどこす「愛隣学園」
その学園出身で、元不良の裕次郎が先生としてやってきた。
すぐにカッとなって手をあげ、壁にぶちあたっては辞職願いを書く繰り返し。
近隣住民は学園の不良少年たちを一歩も外に出ないように塀を作って監視しろ、とねじこんでくる。
問題を起こす生徒を刑務所に入れようという意見が学園内からも出るが、裕次郎は刑務所に入れられて自暴自棄になった経験から「刑務所は人間の入るところじゃありません」と反対する。
結局、学園は自衛隊の基地を作るから、と国によってつぶされて追い出されてしまう。
現実の前に教育の理想がおしつぶされてしまうストーリーにはなっているが、それに抵抗し、なお希望を捨てない姿勢が感動させる。
50年前でも、世間というのは、一緒なんだな、というのがよくわかる。
なによりも、裕次郎というスターを使ってこういう映画が作られたのが、まだ当事の人々の正常さを示しているのだが、今はどうだ。昔はよかった、なんて言いたくないけど、壁にぶつかって、辞職願いの1つも書きたくなろうと言うものだ。
とか言っても、絶望なんかしていられない。シニカルになるにもなり方がある。
ESSEキッズダンスコンテストvol.13@大阪城野外音楽堂
2009年8月29日 アイドル コメント (2)今日はいろいろ行きたいイベントが重なっていたのだが、選んだのは、大阪城野外音楽堂でのESSEキッズダンスコンテストvol.13
昼頃に到着したとき、Aブロックの前半戦がはじまっていた。
Aブロックは午後1時半頃に終わり、Bブロックの音確認と場当たりに約1時間。
Bブロック開始は午後2時55分から。
ABあわせて64組の参加があった。
決勝に進んだのは、そのうちの13組と、前年度のグランプリ、準グランプリのチーム。あわせて15組で本年度のグランプリを競う。
午後5時45分からの決勝に進んだチームは、次のとおり。表記は適当、ヒアリングは不確か、といういつものクオリティーで、どうぞ。
ミリオンビビッド
シャカラカバービー
ブンブンバスターズ
ビートポップ
シャムロック
Dp-king
ジュエル
ピロピロミックス
レッドキャンディー
BETSEYS
ダイナマイトクラッシャー
ハイド&シーク
XOパワーズ
ニューヨークシティポイズン(前年度準グランプリ)
美姫(前年度グランプリ)
審査結果が出るまでに、Pastelのライブ。
1.Shake it Up
2.大声ダイヤモンド
3.ラスター
ベストオブベストダンサー賞選出のダンスバトルもあった。
3曲の中から自分でチョイスして踊る。
審査結果。
プリティー賞:キューティーカラーズ
ESSE賞:チームリナ
チームワーク賞:ジュエル
パワフル賞:ダイナマイトクラッシャー
ベストファンキー賞:ビートポップ
コスチューム賞:ティアラ
パフォーマンス賞:レゴセブン
審査員特別賞:レッドキャンディー
審査員特別賞:ユキダンスファクトリープチ
審査員特別賞:シャカラカバービー
審査員特別賞:ハイド&シーク
審査員長特別賞:美姫
ベストオブベストダンサー:オザキタツヤ
準グランプリ:BETSEYS(ベッツィー)
グランプリ:ニューヨークシティポイズン
終わったら午後8時になっていた。
別のイベントと掛け持ちする時間はなかった。昼間の早いうちは雨が降ったりやんだりで、雨に濡れた座席に座りなおすのがいやで、いったん座った場所から動けなかった、という事情もある。もちろん、今朝までオールナイトのイベントをやっていて、あちこち動く体力が残っていなかった、というのもある。
さて、今回のコンテストだが、同じ日に関空でも60組参加のキッズダンスコンテストをしており、枚方では姫☆DANがエントリーしているダンスコンテストもあった。(姫☆DAN準グランプリ、おめでとう!)しかし、このESSEのを見ているだけでもかなり充実していたので、関西のキッズダンスの層の厚さを思い知らされた。
なかでも、予選では目がさめるようなダンスを見せて格の違いを見せたシャカラカバービーなんか、もっと上に食い込んでくるかな、と思ったのだが。
レゴセブンは、受賞したときのコメントでも「ニンニン」をつけてほしかったな。
グランプリ、準グランプリは文句のないところ。
問題なのは、決勝の審査結果の進行。
予選ではパステルの子などが司会していて、元気で明るく、間違っても大きなミスはしなくて、むしろ楽しかったが、決勝では。
チームリナが受賞して、賞状をもらうシーンで「チームリーダー」を呼んでいた。
後のほうで発表されるはずの審査員特別賞が一番で発表され、あとでまた再発表されることに。
そして、ひどかったのは、準グランプリの名前を間違えたこと。
僕はたまたま準グランプリのベッツィーの子らが待機する近くに座っていた。準グランプリからは、ダンスした音楽が流れて、その後に名前を呼ばれる。この演出はいいと思うが、今回は裏目に出た。ベッツィーの踊った音楽が流れて、ベッツィーはキャーキャー言って喜びかけたところ、司会の男性は「ニューヨークシティポイズン!」と大声で呼んだ。舞台上でベッツィーの代表者が唖然とした表情で立ち尽くしていた。喜びかけた他のメンバーも「ええっ?」と泣きそうな顔に。しかるのちに、訂正して「ベッツィー!」と言い直す。メンバーはもう素直に喜べない。周囲の大人が「悲しむことはない」と慰めたが、あまりにもひどすぎる。メンバーは釈然としない表情、はっきり言って、怒っていた。僕ならちゃぶだいをひっくり返しているところだ。これは都はるみを「美空」と紹介しかけた司会者にも匹敵する大失態だ。せっかくのコンテストが最後の最後で台無しになってしまった。グランプリがどこのチームなのか、準グランプリの発表の際に、ばらしてしまっているのだ。
よく考えてみると、僕はベッツィーには関わりのない単なる部外者なのだから、怒るすじあいもない話で、疲れているせいで、怒っているだけなのかもしれない。ベッツィーの近くにいたせいで、ついつい感情移入してしまったのである。とにかく、おめでとう!ベッツィーのダンスは、グランプリとっていてもおかしくない出来だったと思ったよ!
昼頃に到着したとき、Aブロックの前半戦がはじまっていた。
Aブロックは午後1時半頃に終わり、Bブロックの音確認と場当たりに約1時間。
Bブロック開始は午後2時55分から。
ABあわせて64組の参加があった。
決勝に進んだのは、そのうちの13組と、前年度のグランプリ、準グランプリのチーム。あわせて15組で本年度のグランプリを競う。
午後5時45分からの決勝に進んだチームは、次のとおり。表記は適当、ヒアリングは不確か、といういつものクオリティーで、どうぞ。
ミリオンビビッド
シャカラカバービー
ブンブンバスターズ
ビートポップ
シャムロック
Dp-king
ジュエル
ピロピロミックス
レッドキャンディー
BETSEYS
ダイナマイトクラッシャー
ハイド&シーク
XOパワーズ
ニューヨークシティポイズン(前年度準グランプリ)
美姫(前年度グランプリ)
審査結果が出るまでに、Pastelのライブ。
1.Shake it Up
2.大声ダイヤモンド
3.ラスター
ベストオブベストダンサー賞選出のダンスバトルもあった。
3曲の中から自分でチョイスして踊る。
審査結果。
プリティー賞:キューティーカラーズ
ESSE賞:チームリナ
チームワーク賞:ジュエル
パワフル賞:ダイナマイトクラッシャー
ベストファンキー賞:ビートポップ
コスチューム賞:ティアラ
パフォーマンス賞:レゴセブン
審査員特別賞:レッドキャンディー
審査員特別賞:ユキダンスファクトリープチ
審査員特別賞:シャカラカバービー
審査員特別賞:ハイド&シーク
審査員長特別賞:美姫
ベストオブベストダンサー:オザキタツヤ
準グランプリ:BETSEYS(ベッツィー)
グランプリ:ニューヨークシティポイズン
終わったら午後8時になっていた。
別のイベントと掛け持ちする時間はなかった。昼間の早いうちは雨が降ったりやんだりで、雨に濡れた座席に座りなおすのがいやで、いったん座った場所から動けなかった、という事情もある。もちろん、今朝までオールナイトのイベントをやっていて、あちこち動く体力が残っていなかった、というのもある。
さて、今回のコンテストだが、同じ日に関空でも60組参加のキッズダンスコンテストをしており、枚方では姫☆DANがエントリーしているダンスコンテストもあった。(姫☆DAN準グランプリ、おめでとう!)しかし、このESSEのを見ているだけでもかなり充実していたので、関西のキッズダンスの層の厚さを思い知らされた。
なかでも、予選では目がさめるようなダンスを見せて格の違いを見せたシャカラカバービーなんか、もっと上に食い込んでくるかな、と思ったのだが。
レゴセブンは、受賞したときのコメントでも「ニンニン」をつけてほしかったな。
グランプリ、準グランプリは文句のないところ。
問題なのは、決勝の審査結果の進行。
予選ではパステルの子などが司会していて、元気で明るく、間違っても大きなミスはしなくて、むしろ楽しかったが、決勝では。
チームリナが受賞して、賞状をもらうシーンで「チームリーダー」を呼んでいた。
後のほうで発表されるはずの審査員特別賞が一番で発表され、あとでまた再発表されることに。
そして、ひどかったのは、準グランプリの名前を間違えたこと。
僕はたまたま準グランプリのベッツィーの子らが待機する近くに座っていた。準グランプリからは、ダンスした音楽が流れて、その後に名前を呼ばれる。この演出はいいと思うが、今回は裏目に出た。ベッツィーの踊った音楽が流れて、ベッツィーはキャーキャー言って喜びかけたところ、司会の男性は「ニューヨークシティポイズン!」と大声で呼んだ。舞台上でベッツィーの代表者が唖然とした表情で立ち尽くしていた。喜びかけた他のメンバーも「ええっ?」と泣きそうな顔に。しかるのちに、訂正して「ベッツィー!」と言い直す。メンバーはもう素直に喜べない。周囲の大人が「悲しむことはない」と慰めたが、あまりにもひどすぎる。メンバーは釈然としない表情、はっきり言って、怒っていた。僕ならちゃぶだいをひっくり返しているところだ。これは都はるみを「美空」と紹介しかけた司会者にも匹敵する大失態だ。せっかくのコンテストが最後の最後で台無しになってしまった。グランプリがどこのチームなのか、準グランプリの発表の際に、ばらしてしまっているのだ。
よく考えてみると、僕はベッツィーには関わりのない単なる部外者なのだから、怒るすじあいもない話で、疲れているせいで、怒っているだけなのかもしれない。ベッツィーの近くにいたせいで、ついつい感情移入してしまったのである。とにかく、おめでとう!ベッツィーのダンスは、グランプリとっていてもおかしくない出来だったと思ったよ!
JK21のデイリーライブ。
1.ハッピー・グラデュエーション
1週間OFFがあったらどう過ごすかをトーク。
脇坂:食っちゃ寝
新垣:勉強
月脇:こもって寝たいけど、現実的には、勉強!
藤井:ゲーム
椿:遊園地めぐり
碧:海外に逃亡してケンタッキーめぐり(グアムのるるぶが今の愛読書!)
田中:ドライブ(運転はパパ。田舎の鹿児島にも行きたい)
今崎:CD〜DVD〜お菓子etc.(好きなお菓子がジョージと同じ。じゃがりことか)
須田は、みんな「カラオケ」とか言うと思ってたのに、意外と「勉強」とか答が出たのを驚いていた。
アニメソング特集。
2.タッチ(藤井、椿)
椿は「みなみ」つながり!とアピール。須田と田中は「タッチ」見たことないとか。
3.ムーンライト伝説(碧、田中)
田中は大のセーラームーンファン。碧はタキシード仮面が好き。
4.ふたりはプリキュア(新垣、城島)
今崎が今のフレッシュプリキュアまでちゃんと見ている!
5.ちゃう×3
トークは、今日がスタジオ最終回になった関西テレビ「アップ&アップ」について。
6.エニシングゴーズ
7.フットマン
8.Kiss(城島、須田)
今日は、以前に撮影した月脇夕実ちゃんとの2ショット写真をもらえた。
こんなに可愛い子と2ショット撮らないなんて、みなさん、どうかしてますよ、と教えてあげたかった。
と、いうのは、物販にある写真とか、サイトの写真がどうにも現場で見る夕実ちゃんの可愛さを引き出せていないように感じていたのだ。ところが、どうだ。この2ショット写真の夕実ちゃんの可愛さといったら!
家宝にする。
さて、今日は深夜イベント「なかよしお泊まりクラブ」
日時:午後11時過ぎ〜朝まで(午前5時過ぎ)
会場:SOCIOあめりか村
http://www.idea-estate.co.jp/socio/access.html
大阪市中央区 西心斎橋2-11-5高谷ビル2階 地下鉄 心斎橋駅より徒歩5分程度
料金:NOチャージ。ドリンクを注文してください。
出演:保山ひャン(ごあいさつ)
悪魔大根(DJ)
宮崎亜美
丼野M美
dark angel Maria
テクノ妹子
イヤホン魔
その他、とびいりあり!(例:スープーメッセンジャー)
僕は「イヤホン魔」という新しいユニットで出演。
自分的にはめちゃくちゃ面白かった。
イベントとしては、タオルケットを相当数用意していき、けっこうお客さんも来てくれて、ライブハウスがさながら死屍累々の死体安置所のような寝床と化した。
僕としては大成功だと思ったのだが、ライブハウス側ではどう思っただろう。こんな前代未聞なムチャクチャなイベント。
次、もしもこの「なかよしお泊まりクラブ」があるとしたら、11月以降になる。
今度は、新たにコンセプトを加えて、「人形たちの集会」をやりたい、と思っている。
お泊まり会のコンセプトはそのままに、ライブハウスで寝るのは寝るのだが、お客さんは、自分の連れ合いである「人形」や「マスコット」「嫁」を連れてきて、一緒にライブと睡眠を楽しむのだ。アンティークドールとか、抱き人形、ぬいぐるみに等身大シーツなどなど。
理想を言えば、お菊人形とかビスクドールが淡嶋神社くらい集れば面白いなあと思う。
夜中の2時頃には、有志による「コックリさん」もできればいいな。このイベントでは、コックリさんも一緒に楽しむお客さんの1人なのだ。
1.ハッピー・グラデュエーション
1週間OFFがあったらどう過ごすかをトーク。
脇坂:食っちゃ寝
新垣:勉強
月脇:こもって寝たいけど、現実的には、勉強!
藤井:ゲーム
椿:遊園地めぐり
碧:海外に逃亡してケンタッキーめぐり(グアムのるるぶが今の愛読書!)
田中:ドライブ(運転はパパ。田舎の鹿児島にも行きたい)
今崎:CD〜DVD〜お菓子etc.(好きなお菓子がジョージと同じ。じゃがりことか)
須田は、みんな「カラオケ」とか言うと思ってたのに、意外と「勉強」とか答が出たのを驚いていた。
アニメソング特集。
2.タッチ(藤井、椿)
椿は「みなみ」つながり!とアピール。須田と田中は「タッチ」見たことないとか。
3.ムーンライト伝説(碧、田中)
田中は大のセーラームーンファン。碧はタキシード仮面が好き。
4.ふたりはプリキュア(新垣、城島)
今崎が今のフレッシュプリキュアまでちゃんと見ている!
5.ちゃう×3
トークは、今日がスタジオ最終回になった関西テレビ「アップ&アップ」について。
6.エニシングゴーズ
7.フットマン
8.Kiss(城島、須田)
今日は、以前に撮影した月脇夕実ちゃんとの2ショット写真をもらえた。
こんなに可愛い子と2ショット撮らないなんて、みなさん、どうかしてますよ、と教えてあげたかった。
と、いうのは、物販にある写真とか、サイトの写真がどうにも現場で見る夕実ちゃんの可愛さを引き出せていないように感じていたのだ。ところが、どうだ。この2ショット写真の夕実ちゃんの可愛さといったら!
家宝にする。
さて、今日は深夜イベント「なかよしお泊まりクラブ」
日時:午後11時過ぎ〜朝まで(午前5時過ぎ)
会場:SOCIOあめりか村
http://www.idea-estate.co.jp/socio/access.html
大阪市中央区 西心斎橋2-11-5高谷ビル2階 地下鉄 心斎橋駅より徒歩5分程度
料金:NOチャージ。ドリンクを注文してください。
出演:保山ひャン(ごあいさつ)
悪魔大根(DJ)
宮崎亜美
丼野M美
dark angel Maria
テクノ妹子
イヤホン魔
その他、とびいりあり!(例:スープーメッセンジャー)
僕は「イヤホン魔」という新しいユニットで出演。
自分的にはめちゃくちゃ面白かった。
イベントとしては、タオルケットを相当数用意していき、けっこうお客さんも来てくれて、ライブハウスがさながら死屍累々の死体安置所のような寝床と化した。
僕としては大成功だと思ったのだが、ライブハウス側ではどう思っただろう。こんな前代未聞なムチャクチャなイベント。
次、もしもこの「なかよしお泊まりクラブ」があるとしたら、11月以降になる。
今度は、新たにコンセプトを加えて、「人形たちの集会」をやりたい、と思っている。
お泊まり会のコンセプトはそのままに、ライブハウスで寝るのは寝るのだが、お客さんは、自分の連れ合いである「人形」や「マスコット」「嫁」を連れてきて、一緒にライブと睡眠を楽しむのだ。アンティークドールとか、抱き人形、ぬいぐるみに等身大シーツなどなど。
理想を言えば、お菊人形とかビスクドールが淡嶋神社くらい集れば面白いなあと思う。
夜中の2時頃には、有志による「コックリさん」もできればいいな。このイベントでは、コックリさんも一緒に楽しむお客さんの1人なのだ。