「哲学への権利-国際哲学コレージュの軌跡」上映会&討論会@アートエリアB1
今日は夜勤明けに府立図書館と市立図書館のハシゴ。
結局、読みたい本は古書店をまわって買うしかないのか、と思う。でも、とりあえず15冊ほど借りてきたけど。
午後6時から西山雄二監督による「哲学への権利-国際哲学コレージュの軌跡」の上映会と討論会を見に行った。場所はなにわ橋駅のラボカフェ。
討論会は「哲学と社会の対話」と題され、西山雄二、本間直樹(大阪大学)、ファシリテーターに中村柾樹(大阪大学)の3人で行なわれ、来場したお客さんからの発言にも答えていた。
映画はコレージュに関わる7人の人物へのインタビューで成り立っている。(ミシェル・ドゥギー、フランソワ・ヌーデルマン、ブリュノ・クレマン、ボヤン・マンチェフ、カトリーヌ・マラブー、フランシスコ・ナイシュタット、ジゼル・ベルクマン)
映画の章立ては、だいたいこんな風。「プロフィール」「定義」「大学」「理念」「経済」「場」「困難」「デリダ」
国際哲学コレージュは1983年にデリダらが創設した研究教育機関で、学費も試験も論文提出もないかわりに単位もない。講師は教授ばかりとは限らず、市民による授業もあるが、もちろんある一定のレベル以上の講義は保証されている。講師も無償だし、キャンパスもない。西山氏はトークの最初に、「あいだ」という言葉で説明されていた。つまり、大学と在野のあいだ、哲学と哲学以外のあいだにこのコレージュの狙いはあるらしい。
西山氏は討論会のしめくくりに、「哲学は何の役にたつのか」という問いかけを言い換えて考えてみることを推奨された。哲学があるというのはどんな感じなのか。哲学によってもたらされる奥行きを考えよう。などと。
無料で哲学講義を受けることができる、となると、雑多な受講者が集るのがパリなどでの姿なのだろうが、少なくとも、今日のこの上映&討論会については、服装の色がほとんど黒白紺茶灰で占められた、まさに日本単一民族の集いであった。
終了したのは予定を大幅にこえて9時過ぎ。
駅への階段をおりたところにあるこのスペースでの上映&討論会は非常に寒かった。また、後ろの方で見ていたせいで、字幕が最初のうち見にくくて、字幕にピントをあわせるため眼筋を酷使した。ちょっとは視力が回復したかな。
http://rightphilo.blog112.fc2.com/

帰宅したら「崖の上のポニョ」やってたので、夕食をとりながら、ついつい見てしまう。
この映画は人魚姫を思わせるファンタジーと、いやになるほどの現実との間に、ポニョと宗介の交流が描かれており、半魚人娘と少年のシーンが見る人の少年時代の思い出を上書きするように再現し、あまずっぱい気持ちになっちゃうのだ。少なくとも、僕はそうだった。こどもの頃、あんなことがあったなあ、と思えるのだ。年寄りが元気になるコクーン的展開は、もっと自分が年寄りになったら見方も変わってくるのかな。今でもかなり年寄りのつもりなんだけど。

エド・ハンター・シリーズ。

『消された男』

2010年2月3日 読書
エド・ハンター・シリーズ。
エド・ハンター・シリーズ。
いよいよハンター&ハンター。
ミステリ好きなら、某漫画作品は、ここからタイトルをいただいたことに気づいていた。
Dr.パルナサスの鏡
Dr.パルナサスの鏡
映画の日。テリー・ギリアム監督の「Dr.パルナサスの鏡」を見た。
現代の話とは思えない古めかしい馬車での見世物「イマジナリウム」。(中世の図像学などに影響を受けたらしい)
鏡の中に飛び込めば、その人の想像力の世界がひろがっている。
それは齢1000才になるパルナサス博士の力によるものなのだ。(このときの想像力、映像はテリー・ギリアム節が全開で楽しい!)
パルナサス博士はかつて悪魔と取引をした。恋した女性にアプローチするために若さを得るかわりに、生まれた娘を16才になると悪魔に引き渡す、そんな古典的な約束を。
と、いうわけで、世間的にはヒース・レジャーの遺作で、鏡の中に入った彼を演じるのがジョニーデップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルという、いかにも映画ファンの女性をひきつける餌がぶらさげられた作品だった。ジョニー・デップが若くして死んだスターは永遠の命を得る、というセリフを言ったり、鏡の中の3人は出演料をヒースの娘に贈ったとか、その手のエピソードにはことかかない。客席もそんなハンサム男優目当ての女性が多くて、エンドロールがはじまるとためらいもなく外に出て行った。僕がまだ席に座って見ているというのに、その前を直立で「もう映画終わったんだからスクリーンをさえぎってもいいでしょ」といやがらせするように歩いていた。しかし、その手の話題で女性ファンを掴まないと、客が呼べないので仕方がないのである。
でも、もちろん僕にはそんな男優たちの魅力以上に、テリー・ギリアム映画の魅力にどっぷりと浸ったのである。
ちくりと刺す批判精神も面白かった。たとえば、小人のパーシー(ミニ・ミーのヴァーン・トロイヤー)を呼ぶときに素直に「こびと」と呼べずに身長の云々と言い換えをしようとあくせくするさまとか。ロシアの暗殺者に対して、暴力を思う存分ふるいたいなら、警察に入れ、と歌い踊るミュージカルシーンがあったり。世界中の恵まれない子供たちを救うと称して、内臓売買を行なっていたり。
悪魔(トム・ウェイツ)が意外と悪に徹しているわけではない存在で、むしろ親しみとユーモアを感じさせるのも面白い。
また、パルナサス博士を演じたクリストファー・プラマー(えっ、80才?)がまるでヴァン・ホーエンハイムのように見えたのも面白い。リアルパルナサスだ。近所の路上に暮らしている多くのパルナサス博士たちに対する認識もちょっと変わった。
娘を演じたリリー・コールは演技はさておいて、天上の可愛さ、美しさが時代を越えて、20世紀初頭の銀幕をほうふつとさせた。このリリー・コール、マリリン・マンソンが監督したルイス・キャロル映画「ファンタスマゴリア」にも出演しているらしい。それを一刻も早く見たい!

(追記)
この映画、最後の最後に粋な趣向がある。
エンドクレジットも終わって、あとは場内が明るくなるだけ、というその瞬間!
えっ?ヒース?
ヒースが甦った?
ヒースが生きている?
しかも、今、この劇場内にいる?
まさにうれしさに大喝采の瞬間。
午後2時から新星堂守口店イベントでJK21ライブ。
1.ハッピーグラデュエーション
2.CHU天閣
3.ちゃう×3
4.エニシングゴーズ
5.フットマン
6.ハッピーグラデュエーション
CD発売キャンペーンなので、2曲程度かな、と思っていたが、30分ほどのライブと、あと希望者全員に握手会、CD購入者にサイン会、CD10枚購入でメンバー手書きの感謝状、という盛り沢山な内容だった。
今日のJK21は川口、月脇欠席で、プチからの参加はなかった。
途中、藤井の靴が脱げてしまうハプニングもあって、面白かった。
間に合えば天保山で食いしんぼガールズ見るか、とたくらんでいたのだが、JK21が充実のライブだったので、回避。

昨日も今日も地下アイドル中心の長丁場のイベントがあったが、体調不良もあって、どちらも顔を出せず。
あっさり帰宅したあとはNHK-FMで「現代の音楽」
先週は聞けなかったのが、篠崎史子の第2回目。
                        猿谷 紀郎
                    【ゲスト】篠崎 史子
 − 篠崎史子 ハープの個展11から −(2)
「リンの詩(うた)(1972)」       坪能克裕・作曲
                      (10分03秒)
                    (ハープ)篠崎 史子
               (エレクトロニクス)有馬 純寿
「夢のガラクタ市 −前奏曲とリート−
    ハープとコンピュータのための(1990/2009)」
           ミヒャエル・エンデ作詞、三輪眞弘・作曲
  ※システム改訂版初演
                      (13分42秒)
                    (ハープ)篠崎 史子
               (エレクトロニクス)有馬 純寿
「変容する空間 ハープとエレクトロニクスのために
                (2009)」一柳 慧・作曲
  ※委嘱作品初演
                      (14分40秒)
                    (ハープ)篠崎 史子
               (エレクトロニクス)有馬 純寿
  〜東京・サントリーホールで収録〜
                  <2009/11/10>
録画しておいたNHK杯トーナメントは渡辺竜王と久保棋王の相振り飛車の勝負。
渡辺竜王の快勝譜だった。先週の糸谷流も面白かったし、NHK杯トーナメント、ますます盛り上がってきた。
「鋼の錬金術師」は反撃開始で、あんなに恐ろしかったプライドがヴァン・ホーエンハイムの前では卑小な存在に見え、軍部をホムンクルスが支配していることもとるにたりないローカルな話題であるように思えてくるのがすごい。

今日は天保山マーケットプレースで食いしんぼ節分大祭。
午後2時から七福神社で招福グッズの配付。
並んでPinkyの子からもらったのは、鬼の民芸グッズ。これで財宝に恵まれればいいな!
午後3時からロタンダステージで食いしんぼガールズのライブ。
今日はピンキーとピパラスが出演した。
司会は笑福亭鶴松で、前回と同じジョーク言ってて笑った。(知名度の無さにすねて帰ろうとするギャグ)
赤鬼、青鬼も登場。
1.春一番
2.ダンス(ピンキー)
3.ダンス(ピパラス)
4.食いしんぼ横丁のテーマソング
食いしんぼガールズによるお店紹介もあり。
自己紹介のあとには、鶴松による「名前をむちゃくちゃに覚えている」ギャグも再び。
今回、食いしんぼガールズとしてのピンキーをはじめて見たが、アクロバティックなダンスは素晴らしい。

谷町つきいち古本市に足をのばす。
ツイン21の古本市に行けなかったので、今年初の古本市になる。
探偵小説ばかり十数冊買い込んだ。
僕は成人するまで探偵小説にしか興味がなかった。人生50年を過ぎようとする今、ふりだしに戻って、幼い頃から大好きだった探偵小説の世界に再び耽ってみようか、と考えている。約30年にわたるブランクがあるので、読みたい本は山積みだ。
最近、この日記には読書の記録を残してなかったな、と思い、『悪魔はすぐそこに』と『復讐者の棺』を思い出し思い出し書いてみた。読んだまま、この日記に書いていないのがあと数冊あるので、時間を見つけて補完していこう。前記の2冊だって、感想を書こうと思ったらもう半分以上忘れていて、思い出すのに時間がかかった。このザル頭、どうにかならんのだろうか。そう言えば、見た映画(ビデオ)の記録も書かないままにたまっている。
これもまた、時間を見て。
宍戸留美、小林有子、染谷有香@異次元倶楽部
宍戸留美、小林有子、染谷有香@異次元倶楽部
今日は、宍戸留美ちゃんからメールがあって、大阪に来ているというので、ホイホイと会いに行った。
曾根崎新地にある異次元倶楽部というマジックバーに行ってみると、石田アキラ監督がユーチューブ番組を撮影していた。遊びにいった僕もついでに出演して、最後には2月26日のベアーズのライブのことまで告知してきた。
番組では、異次元倶楽部でオーナー/マジシャンの坂本一鉄さんのマジックを見せてもらいウヒャーと驚かせてもらった。レギュラーで登場の染谷有香ちゃん以外にゲストとして出演したのは、僕と宍戸留美ちゃんと、小林有子ちゃん。
宍戸留美ちゃんは言うまでもない、アイドル&声優の、あの宍戸留美ちゃん。
小林有子ちゃんは以前から名前はよく聞いていて、留美ちゃんが言うように「親戚くらいの間柄」ほどの親近感はあったが、意外と初対面。「コスプレ戦士キューティーナイト2」に出演などしている歌手、女優さん。
目の前でマジックを見せてもらうのは久しぶりで、すごく楽しくて不思議だった。
今は亡きミステリ作家、泡坂妻夫さんに見せていただいたマジックは、いかにもミステリ作家らしいトリックの奇術で、興奮した。また、まだ「コンプリート」とか言わない時代の某マジシャンさんに、モダンチョキチョキズのステージで使うイリュージョンの仕掛けを教わったのも楽しい思い出だ。
撮影のあとは、みんなで食事に行って、久しぶりにおいしいビールを飲んだ。
何もなければ、将棋会館に行って王将戦の大盤解説会見よう、と思っていた午前中のことを思うと、予想外の大違いな1日になった。こういう予想外なら大歓迎である。
味園ビル白鯨で、No.305企画 「ぐりとぐらと俺」に出演してきた。
http://seishun.otaden.jp/
start/19:00
\1,000(1ドリンク込)
出演
邪王院弘
保山ひャン
yingfan
ガンジー石原
秋葉原紫音&ぴのこ
しましまむしくん
ペケキング・テリー
悪戯をして捨てられてしまった子供達の楽団
No.305

仕事前の出演だったので、一番手の邪王院のライブ見て、その後に出演したあとは、速攻で駅に向かう。
会場は、入るなり椅子やテーブルがひっくりかえっていて、ごみだらけになっている、という演出だった。
ライブ前に、同じ味園ビル内のギャラクシーギャラリーに行って、「こちら天国 薬師丸郁夫展」を見た。一見CGかコラージュに見える手描きのサイケデリック油絵の数々。
ギャラリー内には虫眼鏡も用意してあった。
過去の作品ほどサイケデリックポップで、最近の作品は仏画に接近している。
いや、仏画というより、平面の仏像、みたいな感じ。

『月夜の狼』

2010年1月27日 読書
エド・ハンター・シリーズ。
いよいよ私立探偵に。
エド・ハンター・シリーズ
『シカゴ・ブルース』
エド・ハンター・シリーズ
午前11時から心斎橋FANJで「Girls Panic 〜IDOL〜」
出演順に。
古田愛実
1.God Knows
2.なつまち
3.星間飛行
4.ループ
今日が初ライブ。緊張も見られたが、とても初ライブとは思えないステージング。

村田寛奈
1.じょいふる
2.kissして
3.真っ赤な自転車
4.インフィニティ
5.Be your wings
6.バイバイ
歌、ダンス、トーク中の仕草の可愛さ、ルックス、身長まで、文句なし。強いて改善点を見つけると、衣裳なのだが、これも100点満点の90点くらいとってるし。
今、村田寛奈を見ずして、いったい何を見ろというのか。
おニャン子はリクエストにこたえた選曲。

山口美優
1.気分上々
2.愛を歌おう
3.フォー・ユー(オリジナル)
4.みんなの気持ち
5.愛のために
今日は弾き語りなし。ダンスが可愛いので、かっちり振付けのついた歌だと魅力倍増。

Sweet ricotta(小林美稀&名越恵里奈)
1.ホワイトラブ
2.
3.バタフライ
4.シュガーベビーラブ
5.キャッツアイ
7th styleの2人。「あほスキ」は仕事のある曜日なので観覧には行けないのだが、午後4時前に並べば最前列行ける、とか言ってた。

天心和風乙女団ver.ペーペー(星奈依里、若知コウ)
1.take a shot
2.マグネット
3.経験値上昇中
前回に続いて、星奈依里参加のTKOユニット。トークがなごむ。若知コウに写真名刺いただく。

Mary Angel
1.ブランニューワールド
2.リアリティー
3.きらきらスマイリー
4.ジャンプ
5.まじかるスター
以下、アンコール
6.エンジェルウィング
ライブ前に、りーたんの14才サプライズバースデイ企画。
ケーキに花束に映像メッセージ(マリードール、渡辺姉妹、ファンの方々)。まーたんは「りさ婆」と呼ぶ。今回のセットリストは、りーたんが考えたらしい。
また、りーたんは受験を控える身になるが、絶対に活動休止しない、と宣言した。
無理しないでほしいが、その心意気には感動した!

物販は階段降りたところで。なんだか混雑していて、回避。

午後6時から、よみうり文化センターでNAIBIフェスティバル。
第2部のESSEアカデミー13thアニバーサリーコンサートから見た。
ナビゲーターはキャラメルリボン(セイナ、アマネ、アオイ)の3人。プログラムには「キャメルリボン」と誤植があったのは御愛嬌。ら抜き言葉にご用心!
最初は芝居メーテルリンク原作の「青い鳥」
内容はいろいろ変えたり加えたりしてあった。
ESSEアカデミーエグゼクティブプロデューサー内山節子女史は、なんと木の役で登場!
vocalとdanceの部に入り、以下のとおり進行。
1.POP CREW(dance)4人
2.LOCK CREW(dance)8人
3.Girls CREW(dance)11人
4.JAZZ CREW(dance)16人
5.NATSUMI/みんな空の下
6.MOEMI/スキップビート
7.じょいふる(21人)
8.てつや/I am XXX
9.AYU&ほなみ、まゆ/キャンディーマシーンにのって
アボカドにしゅうゆつけて食べるのが好きなので、次は「アボカドマシーンに乗って」を歌いたい、とか言ってた。
10.キャラメルリボン/なにわ食いしんぼう横丁のテーマソング
11.DEAR FRIEND(7人)
12.YUYA/STORY
13.Pastel/DOLL、Luster
14.フィナーレ(出演者全員)/Come On!〜Do You Dance Now〜
予約を入れて見に行ったのだが、最前列の席だった。
ESSEアカデミーのステージにはずれはない。今回もじゅうぶん堪能させてもらった。こういうイベントにはつきものの話だが、直前までいろいろと忙しく、キャラメルリボンが司会進行の台本を手にしたのはほんの一昨日のことだったとか。
ESSEアカデミーのステージのあとは、「FUNK ESSEn’tial 10ストリート」があり、全部で12のプログラムがあったが、時間の都合で前半の6つだけ見た。
見たぶんだけを書いておこう。
オープニングはD’Friend + ONE(アリサ、ミユキ、ユウヤ)
1.studio ESSE KUCHA kidsクラス
2.ESSE北江口Bクラス
3.studio ESSE AKKOクラス
4.ESSE北江口Cクラス
5.MOEMIクラス
6.studio ESSE EIクラス
ESSEアカデミーのステージで、メロディーチューバックそっくりの子(たぶん、植村珠希ちゃん)がいたが、帰りの電車で同じ車両に乗りあわせた。笑顔になるとそっくりなのだ。
目の前の席にいちゃいちゃしているバカップル(高校生?中学生?)がいたので、見ていられなくて目をそらすと、どうしてもメロディーの方を向かざるを得なかったのである。

『クライムマシン』
ジャック・リッチー(文庫版)
くわしいネタバレは近いうちに。
会話の面白さ。
オーシャンズ4みたいな話
詳しくはまた書く予定
都筑道夫。
モッカラアゴーゴー(作詞:谷川俊太郎)
詳しくはまた書く予定
仲間はしゃれたミステリ。
11は単なるオールスター。
詳しくはまた書く予定

『復讐者の棺』

2010年1月20日 読書
『復讐者の棺』
石崎幸二の『復讐者の棺』を読んだ。
孤島で起こる連続殺人。
サラリーマン石崎幸二が女子高生ミリア&ユリにさんざんけなされながら、事件にまきこまれる。
後半に、この事件の疑問点をまとめた部分があるので、それを書き出してみよう。
1、なぜわたしたちは巻き込まれたのか?
 人質として?(但し、復讐完遂に必ずしも有利とは限らない)
 復讐を見せたかったのか?
2、なぜ顔を潰して焼いたのか?
 本当に前社長と同じ目に合わせただけか?
 入れ替わりトリックのため?
 犯人はDNA鑑定を気にしていないのか?
3、なぜ地下室に遺体を並べたのか?
 自分の復讐の成果を見せたいため?
4、なぜ遺体をすべて焼いていないのか?
 なぜ首だけ残っているのか?
 犯人があわてて逃げたからとは思えない。
5、殺害の順番は?
 いちばん憎いから、辻野さんがいちばん最初なのか?
6、斉藤さんの様子が、いつもと違うような気がした。
 斉藤さんもひとりの女だってことさ(石崎)
7、なぜ一人ずつ殺していったのか?
 急いで殺しているのにおかしい。
 犯人は本格ミステリィ馬鹿なのか?
8、なぜ遺体の靴は脱がされていたのか?
 どうせ焼却炉で焼くのならそのままでもいいのでは?

石崎幸二の作品の面白さは、ミリア&ユリが石崎に仕掛けるプレイにある。
事件の真相は、よくぞトリックのためだけに縁もゆかりもない人を殺しまくれるもんだ、と感心してしまう。しかも推理によって論理的に犯人を絞り斬れず、犯人の自白によって真相が確定されてしまう展開も意表をつく。犯人が感情を剥き出しにするラストあたりはまるで名探偵コナンを見ているようだった。
面白いトリックの推理クイズと、ミリア&ユリのサディスティックな言動、それを甘んじて受け止める石崎のふがいなさが、本書の魅力のすべてだ。
僕は石崎幸二の作品が大好きで、メフィスト賞作家のなかで、文句なしに一番だ。
自虐的な会話は何というか、前立腺を刺激するのである。
『悪魔はすぐそこに』
D・M・ディヴァインの『悪魔はすぐそこに』を読んだ。
大傑作。ネタバレするので、要注意。
大学を舞台に描かれる事件。
横領容疑で追い詰められた教授が、脅迫めいた謎の言葉を残して変死する。どうやら、8年前のスキャンダルの真相が動機なのか。
と、いうわけで、詳しいあらすじは適当に検索してください。
このミステリの一番の面白さは、結局誰が事件の真相を明かす名探偵なのかがわからないところだ。頭脳明晰そうな人物は何人かいるし、また、主人公だっている。だが、この主人公の青年、こんな調子なのだ。

ピーター(主人公)が答えないのを見て、ルシール(その彼女)の語気が荒くなる。
「ねえ、真実が知りたいとは思わないの?」
思わない。そこが、ふたりのちがいなのだ。ルシールは真実を怖れない。ピーターは真実から目をそむけ、そのまま居心地よく逃避していたい…

えい、優柔不断なやつ!まるでものぐさ探偵物部太郎の元祖かと思わせる、こののらりくらりは何だ!そうそう、一応「主人公」と言ったけど、視点は複数の人物でころころ変わったりする。ルシールはみごとな才女で、こんなふうに書かれている。

どんなことであれ、ルシールは誰よりもみごとにやってのけた。遊びでさえ例外ではない。周りからは傲慢と言われた。たしかにルシールは自分の価値を知っているし、謙虚なふりをする気はない。それを傲慢と呼ぶのなら、その非難は当たっているのだろう。
傲慢で冷淡。容貌さえも、その評判を和らげてはくれなかった。

ピーターはそんなルシールをかばって味方についてあげればいいのに、こんなことを言う。

「いいことを教えてあげようか、ルシール?もしもきみがパンを切ろうとして指を切ったり、皿を落としたり、そんな失敗を初めてやらかしたら、ぼくはきっと狂喜乱舞するな。きみにも人間らしいところがあると知ってね」

ピーター、最低!こんな調子で、どうも物語は事件の真相をつきとめることよりも、主に恋愛のことで多くを費やされる。
たとえばピーターはルシールにこう思われている。

理性で考えれば、ピーター・ブリームはとうてい自分が選ぶべき夫ではない。そもそも、知性において対等とはいえないのだ。ルシールが気にしていないとはいえ、ピーターは気にしている。さらに問題なのは、ピーターの生きかたが偏狭で保守的なことだー不愉快なことからは目をそむけたがり、型にはまったもの以外は信用せず、世間の歓心を買わずにはいられない。理屈で考えれば、カレンのほうがよっぽど似合いの妻になりそうだ。いや、実際にそうなのかもしれない。カレンは、自分では気づいていないかもしれないけれど、本当はピーターになかば恋をしかかっているのだから。ピーターのほうは?いまのところルシールしか目に入っていないようではある。

ピーター、けっこうボロクソに思われているな。
で、上にも出てきた(無能な上司に悩まされている)事務局のカレンはこう思ったりする。

いかにもピーターらしいわ!車を移動させるのを見送りながら、カレンは心の中でつぶやいた。いつだって思いのままに動かせる相手を見つけ、自分は楽をしようとする。いかにも自分は無力だという顔をして。あんなにもすがるような表情を浮かべて。

そして、カレンはラウドン教授についてこう考える。

グレアムのことは好きだ。その鋭敏な知性、誠実さ、責任感。そして、ほほえんだときにぱっと明るくなる表情も。
では、好き以上の強い感情を抱いているのだろうか?同情していることはまちがいない。グレアムの顔に苦痛の色が浮かぶと、自分までつらい気持ちになるし、妻の死のことを思うと心が痛む。
とはいえ、同情だけでは足りない。愛情は?そう考えると、ためらわずにはいられなかった。ピーター・ブリームに対して心に湧きあがった激しい思いは、いまだカレンの記憶に残っている。でも、グレアムを見て感じるのは、もっと控えめな…

一方、ピーターはこんな嫉妬心も。

かすかに惜しむような気持ちが、ピーターの心をよぎった。カレンが自分を忘れ、グレアム・ラウドンに走るなんて…

ああ、これらの恋愛模様はどうなるのだろう。
と、思って読みすすめていると、驚愕の真相が明かされる。どう驚愕なのか、というと、ギリギリまでまったく真相がわからなかったのに、真相を聞いてみると、すべての事実が真相を指さしていたことに気づくところだ。普通にあらすじだけ聞いて、さて、事件の真相は何でしょう?というクイズだったら、まっさきに思いつく自然なことなのに、小説を読んでいるあいだ、まったく思いつきもしなかったのだ。見事だ!
事件の真相にまつわるテーマは、僕が勝手に「親子もの」と呼んでいるものだ。
ロス・マクドナルドとか我孫子などの某作品の流れ。

事件とは無関係だが、面白い言葉があったので、書き留めておこう。

年老いることの何が真に悲劇的かというと、それは何につけどうでもよくなってくる点だ。

本当に、そうだと思う。悲劇的かどうかは考えようだけど。
バイロン卿の諷刺叙事詩『ドン・ジュアン』(上・下)を読んだ。
第17歌の途中まで書かれているが、バイロンの死によって中断している。
下巻の巻末に献辞、第1、2歌への序、第6、7、8歌への序、年譜、解説がまとめられている。
いわゆるドンファンの物語だが、女たらしのイメージはなく、彼自身の魅力によって女は魅せられるが、ジュアンは応じなかったり、色事以外のストーリーが展開したりする。
それと、この大部の物語詩の大半はバイロン自身の世相漫談で占められており、後世、数々の名言を生んだのも、この漫談の部分になる。ストーリーの部分も荒唐無稽な冒険物語で、楽しく読みすすめることができた。
以下、順に簡単なメモ。
第1歌
ドン・ジュアンとジュリアのスリリングな色事の顛末。
ジュリアはイネス(ジュアンの母)とかつて恋敵だった女性で、年上の人妻。
情事の現場に夫ドン・アルフォンソが踏み込むが、ジュアンはうまく隠れてやりすごそうとする。
部屋中探しても見つからないジュアンはどこに隠れていたのか?
なんと、ベッドの中!盲点!
ジュアンが発見できないとみて、ジュリアは嫉妬深い夫に対して抗議を開始。これが歌でいうと13節分、時間にして約30分にわたりえんえんと続くのだ。
だが、ジュアンが脱いだ靴が見つかり、ことは露見。ジュアンはほうほうの態で逃げる。
この歌で、気になる部分は、年齢に関する次のような記述。

そして最後にドン・アルフォンソの
50の齢を考えた。
せめてこれが思い浮かばねば
よかったのに残念だ、
なにせこの数で物が引き立つ
ことはめったにないからだ、
雪国だろうと、陽の焦がす
国々だろうと、何処だろうと、
これは恋では不吉にひびく

50才で悪かったな!

第2歌
情事がばれたジュリアは尼寺に行き、ジュアンはスペイン行きの船にのって航海する。
途中、嵐に遭って難破。
サメの餌食になったり、餓死したり、人肉を食べて狂い死にしたりしてバタバタとみんな死んでいき、ジュアン1人だけが陸地にたどりつく。
ジュアンを救ったのは、17才の乙女、海賊の娘ハイディ。
2人は愛しあう。
この歌のなかには、こんな部分がある。

人間は、馬鹿でないかぎり
酔わないわけにはまいらない。
人生の最善なるものは、
ただ酩酊にこそあるのである。

第3歌
ハイディの父、海賊のランブローが島に帰ってみると、自分が死んだという虚報を信じて、みんなが宴を開いている真っ最中だった。
この歌ではギリシアの讃歌が語られたりする。
そろそろ脱線が過ぎるのが目立つようになってきた。
こんな記述もある。

しかし物語にもどるとしよう。
正直に申しあげるが、もしわたしに
欠点があるとすれば、それは
脇道にそれるということだ。

第4歌
ランブローはジュアンをとらえてガレー船に監禁する。
仲を引き裂かれたハイディは狂ったあげくに衰弱死する。
ジュアンは奴隷として売られるのか

第5歌
奴隷の身分のジュアンは、なぜか女装コスプレをさせられる。

第6歌
ジュアンは女として一夫多妻制の主人のもとに買われる。
回教王妃ガルベヤーズは、ジュアンを連れてこい、という。
ガルベヤーズはジュアンをどうしようというのか。
この歌には女性に対するこんな歌も。

女の顔に「生あるもののうち
いちばん醜いもの」を見つけるのが
女性というものの習い性なのだが
云々。

第7歌
ロシアVSトルコの戦争。イズマイル攻囲。
ロシア軍のもとにジュアン到着。
巻末に載せられた「序」を読むと、このイズマイル攻囲の顛末はフランスで書かれた『新ロシア史』から取られている。

第8歌
戦場で「五月のように美しい」10才の少女を救うジュアン。
これはド・リシュリュウが実際に行なったことらしい。

第9歌
ペテルブルグのジュアン。
エカテリーナ女帝に謁見し、たちまち惹かれあう。
ここでも脱線の言い訳。

そこでわたしはぶらぶらして
ときどき物語ることもあれば、
思索に耽ったりもする

第10歌
エカテリーナの寵愛。
ジュアン発病し、エカテリーナのもとを去る。
10才のリーラの後見人の話。
この叙事詩はユーモア満載で、金に関するこんな部分も。

ああ、支払いとは何によらず
いかにも苦痛大きいものか
命取っても女房取っても、
何取ってもいい、財布のほかは

第11歌
イングランドでのジュアン。
ジュアンは追い剥ぎを正当防衛で殺してしまうが、外交使節として遇される。
ここでは当時の詩人、文壇へのあてこすりが歌われる。
とくに、青鞜派(ブルーストキングス)と呼ばれる、文学趣味を衒っていた女性たちへのからかいは顕著で、たとえば、次のごとし。

青鞜派という、あのやさしい
女族は、十四行詩に吐息つき、
近頃出た評論雑誌の
ページによって、その頭の、
ないしはそこに載せるボンネットの、
内側に詰めものするのだが

青鞜派の女性の言うことが、評論雑誌の受け売りばかりだ、ということをからかっているのだ。

第12歌
ここまでは「ほんのファンファーレ、序曲にすぎぬ」と書いてある。
どれだけ大長編に仕立てる気なのか。
ここでは愛について、少女リーラの後見人候補について歌われる。
脱線部では、逆境について、戦争、嵐と同列に「女の激怒」をあげたりしている。

第13歌
社交界の人々。

第14歌
社交界の花形となるジュアン。
ジュアンの若気の至りを見るにみかねて、アデライン夫人がジュアンの魂を救うために接近する。
漫談部ではこんなところが共感を呼ぶ。

身の毛よだつほど忌わしい
災いの声音数あるなかで、
梟の唄や真夜中の
突風よりも悲しいのは、
「だから言ったじゃないか」という
もったいぶった文句であるが、
これ口にするのは、過去の予言者たる
友人諸君であり、彼らは
きみが今どうしたらよいかは
いっこう口にしてくれず、
きみが早晩しくじるのは
目に見えていたのだと言い、
きみが少しばかり「善行」から
逸れたのを、もろもろの
昔話の長々とした
覚え書で慰めるのだ

あと、この『ドン・ジュアン』は一般では「事実は小説より奇なり」という言葉の原典として知られている。主に雑学マニアがひけらかしたくなる豆知識だ。ミステリ好きの人なら全員が、「事実は小説より奇なり」という言葉の浅はかさを佐野洋の『推理日記』でたたきこまれており、バイロンともあろう人がどうしてこんなくだらないことを言ったのか、と思って読んでいたが、その言葉どおりの詩行はなかった。たぶん、この第14歌の次のくだりがそれにあたるんだと思う。

奇妙なことだが、真実だ、
真実は常に奇妙であり、
作り事よりも奇妙だから

これは、アデライン夫人とジュアンがこれから罪をおかせば二人の破滅になる、と書いた後、「しかし大事というものは/小さな事から起こってくる」「男と女とを/破滅の瀬戸際に追い込んだ/危険な情熱が」「ほんの些細な場合から、/起こってきたということ」「事のすべては罪のない/玉突きゲームに始まった」に続いて歌われる。
つまり、フィクションを「絵空事で現実味に乏しい」などと切り捨てる態度に釘をさすための言葉であって、「事実は小説より奇なり」という言葉の使われ方とはまるっきり違うニュアンスをもっているのだ。第11歌にも、バイロンが真実と嘘について書いた一節がある。

嘘とはいったい何だろう?
それは仮装した真実に
ほかならぬではないか。

そして「すべての嘘吐きとすべての嘘よ、/称えられてあれ!」とも言う。
『ドン・ジュアン』を読んだ人なら誰しもが、「事実は小説より奇なり」がバイロンの言葉だと言われることに違和感を覚えるはずであり、原典を探すなら、『ドン・ジュアン』の上の一節を「事実は小説より奇なり」と言い換えた人をこそ探すべきである。

第15歌
アデラインはジュアンに身をかためるように持ちかける。
しかし、候補としてあがった美しきオーローラにアデラインは不満を覚える。
ここではジュアンの魅力が歌われる。

穏やかにして、たしなみあり、
陽気であったが騒がしくない。
取り入ろうとする気がないのに
巧みに人に取り入っている。

女たち相手となると彼は
女たちのなしたいもの、
望みのものになった。

また、第14歌で「事実は小説より奇なり」について記したが、この第15歌にもフィクションについてバイロンがどう考えていたかがわかる一節がある。

寓話だの、作り話だの、
詩だの、比喩話だのは
偽りだが、耕作に
適した土地にそれを蒔く
人たちの手によっては、また
真実にもされうるのだ。
不思議なことだが、作り話が
やってのけられぬものはない!

それでこそ、バイロン!

第16歌
幽霊を目撃して、ジュアン放心。

第17歌
1823年に起稿されているが、翌年のバイロンの死によって14連で中断している。
バイロンの構想が奈辺にあったかはわからないが、第12歌で「序曲」と言い放ったくらいだから、少なくとも、まだ前半のはず。享年36才は早すぎる。


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