塚原史の『ボードリヤール再入門』を読んだ。
サブタイトルに「消費社会論から悪の知性へ」とある。
この前読んだ吉本隆明の『自著を語る』で渋谷陽一が吉本隆明の堅めの本にも詩を感じる、みたいなことを言っていた。(そういえば、渋谷は吉本隆明の「パッション」をしきりに言っており、その論調は坂本龍一を迎えての「サウンドミュージアム」でも坂本龍一を相手に再現されていた)
それと同様、ボードリヤールの本も『透き通った悪』あたりから、文学になっていることを塚原氏は書いている。僕がボードリヤールを面白く読めるのは、文学になってからのボードリヤールであることは言うまでもない。難しい理屈はよくわからないのだ。
本書はボードリヤールの歩みをたどり、また巻末には各著作のレジュメまであって、ボードリヤールを読み直してみる手助けになる。
WTCでSTSライブ。
午前11時の回
ジュニアダンスチーム
ラズベリーズ
マシェリ
スーパーバブルズ
チックス
トゥインクルペタル
ファッションズ
タイフーンjr.
リサコ&ジャングルダンサーズ
ブラックベリーズ
クランベリーズ
プリティーズ
プリッツ
ライブ後には物販もあり、ストラップやカレンダーが販売されていた。

ATCで開催中のWorldあぽろんで、ヨサコイ、エイサー、チアダンスなどなど。
アナザードリームでジョイントさせてもらったK2からもオールスターズがダンスで参加していた。
同時に3箇所で開催しているので、掛け持ちして複数の場所で見たりした。

WTCに戻って、STSライブの2回目。
ジュニアダンスチーム
ラズベリーズ
マシェリ
スーパーバブルズ
チックス
クレア
マシェリ&タイフーンjr.&ラズベリーズ
ファッションズ
トゥインクルペタル
ジュニアダンスチーム
RINO
タイフーンjr.
リサコ&ジャングルダンサーズ
ブラックベリーズ
杉本めぐみ
クランベリーズ
プリティーズ
プリッツ
ライブ後にはCD販売。
1回目は1時間弱だったが、2回目は各ユニットが2曲披露とトークあり、で2時間のライブになっていた。
客席には、以前ユニットに参加していたあの顔この顔勢揃いで、楽しい。
帰りにWorldあぽろんをちらっとのぞいて帰る。
この日は夜勤明けで見に来ており、夕方からまた夜勤があったので、せめて帰ってから1時間でも睡眠をとろうと考えていたのだ。しかし、まあ、1時間や30分だけ眠るなんて冒険をして、仕事に遅れたりしたら話にならない。結局、眠らずに仕事へ。

『POST NO FUTURE』

2009年4月28日 読書
工藤キキの『ポストノーフューチャー』を読んだ。サブタイトルは「未分化のアートピア」
東京でのアートシーンを主に綴った文章が並んでいる。
著者はコンセプト好きだと告白しているが、この本を読むと、実際には見に行っていないアートのエッセンスを面白く感じ取ることができた。
この本を読んでいると、いろんなアイディアが湧いてきた。
こういったアートシーンに目をやったり、渦中にいる、ということでアートは発生するのだ。もっとアンテナ磨いて、フットワークを駆使したい。
BEARSにライブを見に行った。
震える舌
向井千恵
工藤冬里
向井千恵+工藤冬里でシェシズの曲を4曲
昨日出来たばかりの新曲
という流れ。
向井千恵さんは30年ほど前から見ているので、まだ「パフォーマンス」なんて言葉が珍しかった頃の記憶がよみがえって、楽しい。
プラッツで「ポンバシデイズ」
いつもこのライブ会場はほとんど何も見えない暗さと、座るところの無さに困っていたが、今回はライブするには明るすぎるほど明るく、また、壁ぎわにベンチが設置されていて、ずっと座って見ることも可能だった。
タイムスケジュールは次のとおり。
14:30〜 F.A.N.Y
14:50〜 v.link
15:10〜 Kyo-mi
15:30〜 哀架
15:50〜 夏雪
16:10〜 KoTomi
16:30〜 美月
16:50〜 山口満里奈
17:10〜 姫☆DAN 
17:30〜 Mari7
17:50〜 MilkyHat
18:15〜 MarryDoll
18:40〜19:30  物販タイム

帰宅して、サウンドミュージアムで坂本龍一。3時間弱、坂本龍一漬けだったが、ここで印象に残ったのは、先日吉本隆明の本でも感じた、渋谷陽一の「あっぱれファンの鑑」っぷりだ。
また、録画しておいた「SONGS」でも坂本龍一をとりあげていた。
こっちの番組での坂本龍一は、非常に老成した姿を見せており、サウンドミュージアムでの坂本龍一と同一人物とは思えなかった。
もちろん、サウンドミュージアムでの坂本龍一の方が魅力的なわけで、渋谷陽一の手腕が光ってしまった。

国立国際美術館で中沢新一と杉本博司の対談。
杉本博司の「歴史の歴史」展関連のイベント。
古墳作ってなかで横たわってみたりする杉本博司。
中沢新一はしきりにミクロからマクロへの転換の話をしていた。
マクロな考え方が有効なのは納得できるが、ミクロに走るのにはそれなりの理由があるわけで、なかなか難しい。

日本橋でのう☆かのの路上。
天気が不安定で、ライブはなかったが、片瀬ちゃんも、しずのんも僕のことを多少なりとも覚えてくれていたのはうれしかった。
夜からはアルカディアでのう☆かののアニメソングライブ。
立ち見状態だったが、久々に行ったアルカディアは、中で働いている子が可愛い子ばかりなのに気づいた。
KissFMのマイケルキューブで公開生放送、今日はミス近大の浅田裕衣。
マリオが飛ぶ音、鼻をぷ〜ん、を披露した。
天才てれび君の新人、奈々ちゃんも同じ技を披露していた、ということは、きっと芸人さんか誰かが、これをテレビでやってたんだろうなあ。テレビはほとんど見ないので、さっぱりわからない。

戎橋でとんぼりステーション、マリードールのおしゃべりを楽しみに見るが、橋の上がざわざわしていると、なかなか声が聞き取れないこともある。
でも、あれだけの大画面で2人を見るのは楽しい。

読んだのは寺山修司の未発表歌集『月蝕書簡』
いかにも寺山な世界の言葉たち。
未発表になるにはそれだけの理由もあったと納得できるようなセルフパロディに近い作品が見られる。
佐々木幸綱との対談、解説、田中未知による経緯の記述、また、これら未発表の歌について書いた寺山の文章を再録、など、寺山修司ファンには豪華な1冊(なにより、未発表だけあって、新作とも言えるのだ)で、楽しめる。
錬金術で有名なニコラ・フラメルの実像を追った本。
そこで浮彫りになるのは、信心深いブルジョアの姿。

『吉本隆明 自著を語る』
『吉本隆明 自著を語る』を読んだ。
第1章 『固有時との対話』『転位のための十篇』
 詩作の始まり/詩的衝動との対峙/転換点としての終戦/独自のスタイルへの到達/詩人と批評家の葛藤/現在の立場
第2章 『マチウ書試論』
 新約聖書との出会い/マルクス主義への失望/宗教との向き合い方/絶対的なものへの憧れ
第3章 『高村光太郎』
 戦犯者探しへの違和感/シンパシーの理由/敗戦の受け止め方/軍国少年であった自己との対峙/未発表の手紙/評論家としての出発点/批評とエモーションの間で
第4章 『芸術的抵抗と挫折』
 アリバイ論への不満/新たな批評機軸/「吉本思想」の萌芽/「愛国」をどう捉えるか
第5章 『擬制の終焉』
 闘争の最前線で/「マルクス主義」と「マルクス者」/連帯と決別/安保闘争後の”戦後処理”/避けられない”破局感”
第6章 『言語にとって美とは何か』
 小林秀雄と江藤淳/『資本論』から得た着想/言語論から言語表現論へ/批評家個人としての水準/”還相”からの文芸批評
第7章 『共同幻想論』
 ”国家”という共同幻想/”死”という共同幻想/天皇制との決着/呪縛からの解放/対幻想の独創性/新たな問題意識
第8章 『花田清輝との論争』
 不意打ち的な論争の始まり/花田清輝の評価/吉本隆明の「花田清輝論」/論争の落とし穴/よりエモーショナルな糾弾へ/”遠慮”の文化
第9章 『心的現象論』
 吉本思想の根幹を成す三部作の位置づけ/揺るがない文芸批評としての立ち位置/精神医学との距離感/『心的現象論』が目指した広大な地平/「詩作」としての三部作

控えめにも吉本隆明の名前しか見えないが、インタビュアーは渋谷陽一がつとめている。吉本の各著作について、渋谷がわかりやすくまとめながらインタビューが進めているのが丁寧で面白い。それは吉本に言わせれば「ほめ過ぎ」であろうとも、吉本の各著作の勘所がこんなに明瞭に出された本は稀ではないか。実にみごとなまとめ方だ、て、渋谷陽一を何回もほめたくなる本だった。

『東京モンスターランド 実験アングラ・サブカルの日々』
榎本了壱の『東京モンスターランド 実験アングラ・サブカルの日々』を読んだ。
パビリオン1 少年詩人群像館/二科展と同人誌『かいぶつ』
 転身ゲームの始まりは熊本先生の一言だった
パビリオン2 デザイン黎明館/粟津潔と『いちご白書』の季節
 憧れのデザイナーとの遭遇 そして世界中の大学が燃えた
パビリオン3 絶世女流詩人館/吉原幸子と『粘液質王国』
 原宿隠田に住む絶世の女流詩人に会いに行った
パビリオン4 草月前衛芸術館/草月会館半地下の五月革命
 前衛の拠点草月アートセンターと鎌倉純情小曲集
パビリオン5 渋谷天井桟敷館/寺山修司と演劇実験室
 怪人テラヤマの逆襲 あるいは母親ハツさんの肖像画
パビリオン6 鬼六緊縛館/団鬼六と芳賀書店社長
 緊縛写真集の変態生写真に思わず生唾を呑み込んだ
パビリオン7 ダンスダンス館/『蛞蝓姫物語』とモワティエ舞踏会
 ダンスはエロスの隣国 不思議な国でありす
パビリオン8 1970年回顧館/もうひとつのそれぞれの70年
 自死する三島 療養する寺山 漂泊する萩原
パビリオン9 欧州アヴァンギャルド館/ヨーロッパ・アングラ奇行
 小雨のナンシーの夜、突然に
パビリオン10 ウメスタ実験映画館/萩原朔美と家族商会活動所
 代官山の眠れない夜々 あるいは恋の片路切符
パビリオン11 パリ青春逍遥館/シャローン通りの350日
 パリの恍惚と不安 ヒロ・ヤマガタもいた青春の日々
パビリオン12 ビックリハウス館/100万円の『ビックリハウス』
 アートのメディア誌計画がなんとパロディ雑誌作りに
パビリオン13 パルコ文化館/パルコのマスダ学校
 増田通二専務の恐怖決裁にサバイバルすること
パビリオン14 パロディ編集館/「アンアン」が「ワンワン」になった日
 アイディアの源泉は徹底した自己満足
パビリオン15 トラジコメディ館/28年目の悲喜劇
 永すぎた少年期の終わりの物語
パビリオン16 テレビメディア館/『11PM』というメディアモンスター
 『美の世界』『ザ・テレビ演芸』『マルチスコープ』に出る
パビリオン17 ヘンタイよいこ館/糸井重里と『ヘンタイよいこ新聞』
 御教訓カレンダーから弐千円札が生まれるまで
パビリオン18 日グラコンペ館/「日本グラフィック展」と日比野克彦
 天才ダンボールアート少年はにこやかに登場する
パビリオン19 デザイン会議館/黒川紀章と「日本文化デザイン会議」
 日本の文化をデザインするモンスター達
パビリオン20 トークスクラップ館/20世紀モンスターサミット
 そのときあの人とこんな話をした
●ネオパロディ時代始まる(1977)
 粟津潔 中原佑介 福田繁雄 寺山修司 マッド・アマノ
●一番ひとに見せたいこと(1982)
 糸井重里
●全肯定的アドトリアル・マガジンの氾濫(1982)
 椎名誠 増田通二
●ヘタうまの時代とダサイズム(1982)
 谷川晃一 横澤彪
●神田八丁堀は、ブラックホールだよ(1984)
 梅原猛 糸井重里
●アルバイトに、プロレスをちょっと(1984)
 C・W・ニコル 糸井重里
●反時代的感情のない時代(1985)
 高橋源一郎
●模造人間の危機(1985)
 島田雅彦
●無共闘時代の新人類(1985)
 泉麻人
●脱建築とニューグロテスク(1985)
 粟津潔 吉田光邦 ジェイムズ・ワインズ
●情報化社会に水を売る(1985)
 細川護煕 粟津潔
●CIデザイン世界戦争(1986)
 亀倉雄策 糸井重里
●チベットの女形(1986)
 糸井重里 中沢新一 黒川紀章
●放置プレイの法則(1987)
 糸井重里 中沢新一
●牛もうもうもうと霧を出たりけり(1987)
 糸井重里 原田泰治 ビル・レイシー 芳賀徹
●奇々怪々 講談「百物語」(1987)
 神田陽子 杉浦日向子 萩原朔美
●境界線上の劇場論(1989)
 朝倉摂 池辺晋一郎
●混浴のアナキズム(1990)
 田中優子
●自然発生した雨後の竹の子族
 加藤正一 三枝成彰 杉浦日向子
●神亡き後のアート(1990)
 伊東順二
●メディアサバイバル宣言(1991)
 三宅理一 田中優子 黒川紀章 河原敏文 高松伸 竹山聖
●ダジャレの文化人類学(1993)
 杉浦日向子 山口昌男 荻野アンナ
●広告表現の局地化(1995)
 田中一光 中島信也
●変態少女ダンスの世界(1996)
 黒川紀章 香山リカ
●欲望の鉱脈(1998)
 西川りゅうじん
●大阪の若草物語(1998)
 コシノアヤコ コシノヒロコ
●ウソも方便(1998)
 伊奈かっぺい 山上進 つボイノリオ
●スカートの中の少女論(1998)
 荒木経惟 サエキけんぞう 俵万智
●色白美人とガングロ少女(1999)
 鈴木その子 中尊寺ゆつこ 原島博
●世紀末遊びの王国(2000)
 香山リカ 森村泰昌
あとがき 東京モンスターランド/かいぶつ達は吼えたか
 20世紀カルチャーのメガロポリスで 

アングラサブカルの時代の面白かったこと、また懐かしいこと!
時代と自伝。
現代に近づくにつれ、著者のステータスや、やりたい仕事をやりたいように実現するだけの力はアップしているのだが、昔の話の方が、断然生き生きしていて、面白い。
著者の年齢のせいなのか、時代がそうなのか。
途中、恋愛のことなども語られる。言葉遊びの好きな人だとは思っていたが、予想以上のダジャリストのようだ。
榎本氏は、寺山の本の装幀や、ビックリハウスなどで、馴染み深い人だったが、今は京都造形芸術大学の教授なんだ!会いに行こうと思えば手の届くところ(足の届く?)にいらっしゃったとは!

本田透の『なぜケータイ小説は売れるのか』を読んだ。
以下、目次
序章 ケータイ小説七つの大罪
大罪が刻印されたケータイ小説!?
第1の罪 売春
第2の罪 レイプ
第3の罪 妊娠
第4の罪 薬物
第5の罪 不治の病
第6の罪 自殺
第7の罪 真実の愛

第1章 ケータイ小説のあらまし
ケータイ小説ブームとその背景
PCとは異なるケータイ文化
ケータイ小説市場の特徴は何か
Yoshiが築いたジャンル「ケータイ小説」
『Deep Love』は他の文芸作品と大きく異なる
ケータイ小説市場の広がり
乱立・分裂するケータイ小説市場

第2章 ケータイ小説市場の最前線
ケータイ小説の現場の声
ケータイ小説で再スタートを切った版元
ケータイ小説を出版する版元
ケータイ小説に対して沸き上がった、盗作疑惑
ケータイ小説界の「プロ作家」からの視点

第3章 ケータイ小説の内容
ケータイ小説のヒット作を読む
全ての始まり〜『Deep Love』Yoshi(スターツ出版)〜
ケータイ小説のターニングポイントとなったシリーズ『天使がくれたもの』Chaco(スタ−ツ出版)〜
ケータイ小説の名を天下に知らしめた〜『恋空 切ナイ恋物語』美嘉(スターツ出版)〜
恋愛説話の完成形〜『赤い糸』メイ(ゴマブックス)〜
ケータイ小説の人気作品を読んでみて

第4章 ケータイ小説を巡る言説
「ケータイ小説女を口説く」から始まる
ケータイ小説は「小説」じゃない
ケータイ小説を読む男が出世できる!?
ケータイ小説は文学を殺すか
ケータイ小説が売れることに耐えられない人々
ケータイ小説は結局、「文学」なのか

第5章 なぜケータイ小説は売れるのか
すべての人間が「物語」を発信できる、新しい時代
活版印刷、ネット、そしてケータイへ
ケータイ小説の文体は、デバイスに規定されている
ニヒリズムの時代と、物語のパーソナル化
ケータイ小説の必要性、文学の必要性
ニヒリズムの果てに希望はあるか

「あとがき」で打ち明けているように、本書は「ライトノベル作家が、ケータイ小説を読んでみた」企画である。「はじめに」で本書の流れがコンパクトにまとめてあり、「あとがき」ではケータイ小説が売れる理由が簡潔にまとめてあり、また、ライトノベルとケータイ小説の違い(著者によると、水と油)も書いてある。
以前読んだ『1995未了の問題圏』で杉田俊介がケータイ小説を、地方の女性のプロレタリア文学と評しているのが面白くて、本書も興味深く読んだが、本書でも「ケータイ小説の主な読者は地方都市の女子中高生だ」とあり、なぜ読まれるのかの分析で「現状維持」と「保守回帰」という言葉が使われていた。本書全体で、そこはかとなくケータイ小説の読者のレベルの低さを面白がるところがあって、その扱い方はまるでオリエンタリズムである。なぜ売れるのか、なぜ読まれるのかの分析も、ほとんど人食い人種がなぜ人肉を食べるのかを分析する手つきと同じなのだ。いや、それが滅法面白いんですけど。なぜ地方の女子中高生はケータイ小説を読むのか、という問題は、なぜ猫はマタタビが好きなのか、という問題にも似ている。要するに、自分は絶対にケータイ小説なんかいいとは思わないけど、ケータイ小説を好む人種も存在する、そしてそのわけは、という分析。
とにかく、読んでいて痛快このうえない本である。
『Deep Love』はバブル時代に蘇った『銭ゲバ』だ、という面白い指摘も随所に仕掛けられているのだ。



午後2時30分からワッハ上方の上方亭ライブ。
看板の一/笑福亭由瓶
佐々木裁き/笑福亭生喬
入門的なわかりやすい話と、中級編の話。
落語がはじまるまで時間があったので、演芸ライブラリーで桂春團治の「お玉牛」も堪能した。三代目春團治は今年が襲名50周年になるとのことで、ワッハ上方でも5月に記念の落語会が開かれる。米朝の落語をもう聞くことはできないかもしれない、という危惧のあるなか、四天王のなかで一人、3日連続で落語を聞かせてくれる活躍ぶりを示している。春團治の落語は、年取ってからの方が断然面白い、と僕は感じている。

日本橋オタロードでThe Milkのストリートライブ。
聞いたところから。
キャッツアイ
春一番
サブリナ
しっぽのぽ
ダンス(イェイェガール)
風船
歌とダンスとマジックと。

ライブ終わりで、通りかかった村上三奈ちゃんのストリートに合流。
場所を決めてライブするのでなく、移動しながらのライブで、これは三奈ちゃんのパフォーマンスにぴったりあっている。
いったん帰宅して夕食をとってから難波方面に出かけると、高島屋前で三奈ちゃんの移動式ライブにまたもや遭遇。
村上三奈ライブは、ある意味「事故」にあったようなものに思える。
今回は近くに行って合流するのでなく、遠目で、三奈ちゃんとそれを見ている(あるいはむりやり目撃させられる)お客さんをフレームにいれることで、さらに面白くなった。

午後6時からアメリカ村マイケルキューブでJK21の「エニシングゴーズ」
ジョージ、柊子、さあや、みゆきの4人。
応援ははるな、ありさ、みなみ、ももなの4人。
チャレンジコーナーは早口言葉で、「カタカナ」
勝者は大方の予想を裏切って(?)ジョージ。
敗者はリベンジの意味もあってか、さあや。
罰ゲームは物真似で、くまのプーさん。
罰ゲームする方が好感度はアップするんじゃないか、と思う。
「よげんの書」コーナーは、さあやが「6月に阪神首位」
実現しなければ、放送で過去の恥ずかしい話を暴露することに。
予言内容と罰を書いたところ、「暴露」がなんと「爆露」と書かれて、騒然となった。なるほど、暴露よりも爆発力がありそうだ。
新コーナーは、「JK21的時事放談」
JK21が政権をとったらどうするか、とか、これが意外と面白い。
大阪を首都にする、とか、通天閣を国会議事堂にする、とか。

NHK-FM「現代の音楽」
                        猿谷 紀郎
 − ISCM“世界音楽の日々”を中心に
                 〜北欧特集から −(1)
「エルミタージュの回想〜独奏尺八のために(2004)」
                       伴谷晃二・作曲
                      (15分52秒)
                     (尺八)福田 輝久
「ザ・ベルズ・オブ・ヴィネタ(ヴィネタの鐘)(1990)」
                   ベント・ソレンセン作曲
                       (6分25秒)
                 (トロンボーン)村田 厚生
「アプラウフ(1983、1988)」
                 マグヌス・リンドベルイ作曲
                      (10分50秒)
                 (クラリネット)上田  希
                    (打楽器)葛西 友子
                    (打楽器)大竹 秀晃
  〜東京オペラシティ・リサイタルホールで収録〜
                    <2009/3/5>

アリオ八尾でミルキーハットライブ。
12時30分の回。
1.大航海ランドスケープ
2.マイレボリューション
3.歩いていこう
4.Diving to Love
5.グレープフルーツ
足を骨折していたちひろが完全復活。
衣装は黒ハット(フラワーアレンジ)、白Tシャツ、黒ベスト、下はデニムのバリエーション。
ともみの歌声は非常にきもちいい。

続いて、アントキの猪木。
客席から登場し、歌、コント、エキササイズ。

ミルキーハット14時30分の回
1.ハットダンス
2.バイザウェイ
3.マイレボリューション
4.歩いていこう
5.Diving to Love
6.グレープフルーツ
衣装は黒ハット(赤薔薇)、白シャツ、黒ベスト、下は黒パンツのバリエーション。

NHKラジオ第1で午後10時15分から「ラジオ文芸館」で、江戸川乱歩の『心理試験』の放送。
語りは小野卓司。
こうして読み聞かせてもらうと、以前活字で読んだときの印象とはまた違って聞こえるから面白い。
と、いうより、『心理試験』を読んだのは中学時代のことで、その後読み返すことはあっても、中学時代の強烈な読後感を刷新することはなかったのだ。
そのときから、犯行動機がまるでドストエフスキーの『罪と罰』だ、とか感じていたが、ラストの屏風の手がかりのくだりが、以前読んだとき以上に、鮮やかさよりもアンフェアな印象を抱いたのには驚いた。乱歩の名作でなければ、いくらでも見のがせるアンフェアさなのだが。

造幣局の通り抜けに行く。
今年の花は「平野撫子」。通り抜けといえば、本数が多いせいか、「関山」のイメージがどうしても強く残る。

「通り抜け 関山ほどが せきのやま」

それにしても、お客さんのほとんどはお年寄り(団体さんもいた!)で、携帯で写メールとっている人が多かった。

「写メールを 撮ってくれろと せがむ婆」

途中、俳句と川柳を投句する場所があって、難産の末、川柳を書いて入れておいた。

「難産や 関山までの 一里塚」

川柳と俳句では用紙が別々になっていて、俳句の用紙は桜色、川柳は白色だった。
勝手なフィクションで、それらしい俳句を作っても面白いのかな、とか考えた。

「わたしなら ビッチ俳句と 娼婦言い」
「亡き子らの 面影やどす 桜花」
「つれあいも ひとつの人生 通り抜け」
「混雑で 名前ばかりの 通り抜け」
「群がって 歩みののろい 亀らかな」
「あしもとを お留守に見上げる 桜花」 

投句した後になって、頭に浮かぶ印象や感想は575の形を自然にとっていた。だいたいが駄洒落なので、これは年寄りの趣味なのである。

「はなさいて 一つになった 鼻の穴」
「桜散る 梅ならば落つ 鼻びらよ」
「花よりも 談合好きな 某幹部」

お客さんの中には、通り抜けの桜がイマイチだったみたいで、大声で「こりゃ、来年は奈良の吉野行かなくちゃ」と言っている人もいた。

「来年は 吉野に決めた 通り抜け」

午後6時40分からアメリカ村マイケルキューブで「アメリカ村アイドル」の放送があって見に行った。
今日は女子フットサルチーム、プリスタエンジェルズの栗実ちか。
しっかりしていて、一見、制服向上委員会の吉田梢風だ。
会話を聞いているかぎり、相手の出してくるボールに全部反応して対処する、まさにフットサル的対話で、あんまりきっちりしすぎていると、疲れちゃうよ!もっと休んで!とアドバイスしたくなった。まあ、自分がいかにきっちりしていないか、ということが思い知らされて、ちょっと恥ずかしくなった、というところか。

「名探偵コナン・戦慄の楽譜(フルスコア)」
犯行の動機は弱過ぎて全く納得できないが、それにまつわる部分の真相はミステリ的要素があって満足。しかし、音痴のコナンが音声でプッシュホンの接続をするところはびっくり。
この劇場版では「眠り」で真相暴露のプロセスは踏んでいなかった。つまり、犯人は子供のあばく推理、真相にまともに応対していたわけだ。

『自由について 七つの問答』
丸山眞男の『自由について 七つの問答』を読んだ。
聞き手は鶴見俊輔、北沢恒彦、塩沢由典。
僕にとっての「丸山以後の丸山プロジェクト」の一環として読んだもの。なに?そんなプロジェクト、いつ思い立ったのか!今。
以下、目次。

第1部 戦争の記憶の底から
第1の問答
日本の思想史をとらえるにあたって、丸山さんは「思想が本格的な『正統』の条件を充たさない」ことを、その特徴として挙げておられます。だとすれば、ヨーロッパ、中国などでは「正統」は揺るがぬものとしてあるということですか?
 戦後初めての広島
 初めに「異端」ありき
 軍隊の中で
 二つの「正統」−”レジティマシー”と”オーソドクシー”
 教典の背後に
第2の問答
仏教が日本思想史にもたらした影響について、お考えを聞かせてください。
 宗教改革としての鎌倉仏教
 個人の行動パターンに影響をもたらすもの
 聖と俗、四つの類型
 戦争の下の仏教
 政治と仏教
 キリスト教の背後に
第3の問答
志願して軍隊に入った若い兵士も、塹壕の中では「この戦争は間違っている」という信念を抱くことがあると思います。丸山さんのお仕事の中にも、そういう<服従−不服従>への観点がはらまれているのではないですか?
 宣長論の視野
 「神武創業の古」の逆説
 「高度成長」への予測を誤る
 アメリカの政治学
第4の問答
マルクス主義は、丸山さんの学問にどんな影響をもたらしましたか?また、そうした思想の再生の可能性について、お考えがあれば聞かせてください。
 「疎外」観の深まり
 南原繁と長谷川如是閑
 京大事件以後
 新カント派とスペイン内乱とのあいだで
 第2の『資本論』へ
 
第2部 私があなたと考えを異にする自由
第5の問答
敗北者、たとえば西郷隆盛をどう評価されますか?また、「政治家」の政治責任と「政治思想家」の政治責任について、その違いをどのようにお考えになりますか?
 マッカーシズムのことなど
 「シンデモラッパヲハナシマセンデシタ」
 結果責任とプライオリティ
 西郷とトクヴイル
 価値の多元性を掘りおこす
 自由の次元
 ワイマール再考
 幕臣意識と自由民権
 形式的自由のディレンマ
第6の問答
支配者ではない人びとが、対立を暴力的なものにしないように互いの付き合いを工夫することも、政治思想的なものではないでしょうか?
 「国家学」から「政治学」にまたがって
 ファシズムのレジティメーション
 「賢明さ」をめぐって
 政治嫌いの政治行動
 種痘も政治?
第7の問答
現在の国際社会の中で、日本の「国民的統合」をどうお考えになりますか?未来にむけて、天皇制についての考えもお聞かせください。
 多数少数決原理
 『御成敗式目』−「道理」の精神
 下から定義される政治
 承認、協賛、翼賛
 古代からの「過密情報社会」
 ポリスが壊れて、コスモポリスが生まれる
 「政事」の構造
 平田派国学の「裏切られた革命」
 絶対者がいない世界
 女性の太陽神、複数的な天皇
 電波の中の『枕草子』
解説
丸山さんを囲む会と文体研究会/塩沢由典
丸山眞男おぼえがき/鶴見俊輔

タイトルに関連する第2部の「私があなたと考えを異にする自由」はローザ・ルクセンブルクの言葉から。
この会そのものが、丸山先生にお聞きする、というスタンスのせいか、この対談を読むと、丸山眞男の対話におけるイニシアティブのとりかたのすさまじさがよくわかる。
相手を飲んでかかる、とでもいうのか。
「丸山眞男」のレッテルで語られることと、本人とのずれも感じた。これこそ、丸山以後の丸山プロジェクトの意味!って、さっき思いついただけなのに。


Chupi*Chupi「I.P.999」リリースパーティー
OSAKA RUIDOでChupi*Chupiの「I.P.999」リリースパーティー。
Chupi*Chupiのアルバムに参加させていただいた縁で、僕もちょっとだけステージに立たせてもらった。
とは言え、時間の都合で、仕事のときのワイシャツにネクタイ、長ズボン、という僕にとっては珍妙なコスプレスタイルでのライブになった。
まず、アルバムにも収録されたような、即興詩をぶちまけてから、1曲歌う。
おしゃれなライブイベントに毒をまいたような登場になったが、僕的にはとても楽しくライブさせてもらった。
アルバムもいっぱい売れたらいいな。
ライブ全部見たかったけど、仕事があったため、僕の1つ前に出演されたsawakoYOUNGさんしかちゃんと見れなかった。残念!
http://www.k4.dion.ne.jp/~chupi/


『私にとっての20世紀』
加藤周一の『私にとっての20世紀』を読んだ。
以下、目次。

第1部 いま、ここにある危機
 未知のものへの関心
 私にとっての20世紀
 1999年に起きたこと
 対米従属しかし反米感情
 この10年の危機
 国連決議なき空爆
 日本の大勢順応主義
 日本人は本当に変わったのか
 情報の不均等性
第2部 戦前・戦後その連続と断絶
 人間は本性において悪魔なのではない
 死刑廃止と戦争反対
 人格を破壊された旧友
 知的好奇心について
 なし崩し的権力掌握の歴史
 「近代の超克」座談会について
 「国体」という言葉について
 サルトルと自由について
 死の切迫する状況のなかで読む
 戦争中の芸術活動について
 「雑種文化論」について
 憲法問題を考える
 はじめての南京訪問
第3部 社会主義冷戦のかなたへ
 ソ連邦の崩壊
 19世紀の社会主義思想
 ソ連型官僚主義的社会主義
 プラハの春
 冷戦下における社会主義圏訪問
 クロアチア紀行
 サルトルのソヴィエト観
 ペレストロイカについて
 中国問題は冷戦史観では理解できない
第4部 言葉・ナショナリズム
 20世紀の負の遺産
 歴史的文化的ナショナリズム
 日本人は「国」という言葉を使いたがる
 大和心について
 本居宣長の古事記解釈
 富永仲基の『翁の文』
 言葉に対する誇り
 文学の仕事

テレビ番組を書籍化したもので、語り口はきわめてわかりやすい。
ところで、僕だって20世紀に生をうけて、相当の年数を過ごしてきたはずなのだが、社会や歴史といったものにほとんど関わっていないのを痛感した。時代風俗、流行にも乗ってこなかったのだ。僕にとっての20世紀は、これからなのかもしれない。


中西新太郎編による『1995年 未了の問題圏』を読んだ。
はじめに ようこそ!「バブル崩壊後の焼け野原」へ/雨宮処凛
序論 1995年から始まる/中西新太郎
 1、ふたつの厄災の年
 2、格差・貧困化の時代
 3、戦後スペクトラム像を超える
 4、ポスト95年−どこからどこへ
 5、格差・貧困化の文化形象
 6、結びにかえて
対論1 生きづらさと1995年/雨宮処凛×中西新太郎
 「平坦な戦場」という言葉が本当にしっくり来ました。
 現実にみんなが気づくまでの時差に、自分たちは落ち込んでいたんだなと思います。
 フリーターは外国人労働者と露骨に競わされていると、気づかざるをえないんです。
 生き延びるために、『ゴーマニズム宣言』を読んだ。
 自分たちの将来はホームレスだろうって予感していました。
 経済状況ひとつでひっくり返ったりしない、絶対的な価値観が欲しかった。
 みんなが「終わりなき日常」を生きられるわけではないんです。
 バブル崩壊後の焼け野原で、女子高生を見習えと言われても。
 『完全自殺マニュアル』を心の支えに生きていました。
 働かせるシステムの精緻さは、30年前の比ではない。
 フリーター時代は、社会から5センチくらい浮いている感覚がありました。
 「生きさせろ」に思想は関係ないじゃないですか。
ヘイワでユタカだと勘違いされていた90年代と、「生きてる実感」問題/雨宮処凛
対論2 戦後・宗教・ナショナリズム/中島岳志×中西新太郎
 宗教が一見肥大化しているようで、実はどんどん痩せ細っている。
 「ゆるくてアツい」ぼくらの志向性は、団塊とつながっているところがある。
 現代の「ジモト」志向を、新しいパトリと考えることができるか。
 上からのナショナリズムは、幻想の平等性を付与できる。
 上からのナショナリズムも、より洗練された形を獲得している。
 ポストモダンとの出会いはフリッパーズ・ギターでした。
 ゴーマニズムに頼る限り、公共性からどこまでも離れていく。
 「祭り」が政治を動かす現状は、非常にあぶなっかしいですね。
 人間の生きた軌跡を描くことで、左右の二分法を崩したいんです。
ゆるくて熱いーよしもとよしとも『青い車』/中島岳志
対論3 「構造改革」と貧困/湯浅誠×中西新太郎
 日本社会全体をおおう貧困の広がりが、90年代後半を通じて見えてきた。
 人間の定義がどこかで変わってしまった。
 大学自治が潰されたことは、決定的に大きかったのではないか。
 個人だけでなく、社会の「溜め」が縮小している。
 行政が撤退した後の領域で、地域やボランティアの「支え合い」が強いられている。
 人間の定義を変えない限り、この貧困を放置するなんてできないはず。
 新自由主義でも土建国家でもない形で、社会と個人の関係をどうイメージするべきか。
 勝てない闘いはしちゃいけないと思わされているんじゃないですかね。
95年ホームレス襲撃事件と08年無差別通り魔事件/湯浅誠
対論4 家族・不登校・女性労働/栗田隆子×中西新太郎
 女性が生きるうえでの選択肢のなさとして、「生きづらさ」にぶつからざるをえないんです。
 マイナーな人がマイナーなりに生きていくことの意味を、考えざるをえないんです。
 家族に求めていたのは、ある種の親密さとか、拠りどころ。
 女性の行き場のなさの出口として、オウムが求められたのではないか。
 「希望は結婚」なのか?
 弱さと性の関係を考えないと、女性が関係をもつ可能性の幅が広がらない。
 それぞれの場所を少しでも生きやすくしようとしている人たちが、力の出る言葉をつくりたい。
 不登校の不気味さは結局、家族の問題に落とし込まれてしまった。
 わけのわからない薄気味悪さと、つきあっていきたいんです。
95年の「窓」/栗田隆子
対論5 サブカルチャーと批評/杉田俊介×中西新太郎
 95年前後のサブカルには、他者への恐怖と寛容の模索が同居していた。
 加害者にも被害者にもなりうる者どうしが共に生きる可能性を、『寄生獣』は問うていた。
 他者との闘争を通じた対話の可能性を問うてきたのが少年マンガの歴史だと思います。
 『ナウシカ』は設計されたユートピアではない未来の可能性に賭けた。
 日本のマンガやアニメがなぜあれだけ性的な徴候に満ちているのか、精神分析的に見ていく必要があると思います。
 性や暴力表現の空気のような蔓延は、真の暴力を隠蔽しているのではないか。
 無限に強さをめざす『ジャンプ』の エートスは資本制の基本原理にマッチしている。
 少年/少女文化のボーダーレス化は、ジェンダー装置の内的変動を背景としている。
 虚構なら他人に何をしても構わない、という暴力の自己消去こそがトラップなんじゃないか。
 同期=シンクロへの欲望は、他者と向き合うことを回避してしまう。
 サブカルの想像力に根付いた、庶民的な共存の知恵を信頼しています。
「あちこちがただれてくるよな平和」と爆裂弾/杉田俊介
対論を終えて/中西新太郎

みな、一様にゴーマニズムに魅かれたことを告白し、一方、宮台への違和感を表明している。また、完全自殺マニュアルとか。僕の世代になると、これらベストセラーの思想なり傾向なりは、オプションでしかないのだが、当時の若い世代にとっては大きな存在だったのかもしれない。

午後2時30分から上方亭で上方講談。
刑部明神の由来/旭堂小二三
「薮井玄意」天王寺屋の段/旭堂南陵
小二三が、最近「歴女」と呼ばれる歴史好きの女性が増えて来ていることをとりあげて言っていた。「講談やればいいのに」と。
鉄ドルが関西でもイベントやるようになったから、今度は歴ドルのイベントをぜひ見てみたい。

日本橋オタロードでThe Milkの路上ライブ。
駆け付けて見ることができたのは4曲。
年下の男の子
恋のつぼみ
しっぽのぽ
ふうせん
ライブしてる場所の向かいの店で買ったという、I LOVE 日本橋のTシャツを着ていた。
見ると、店員さんもそのTシャツを着ていた!

午後6時からマイケルキューブでJK21の「エニシングゴーズ」
ジョージ、柊子、さあや、みゆきの4人。
応援にはさちよ、愛美、るな、みなみ、ももな。
早口言葉は、引き抜きにくい釘。(前回は立て掛けたかった竹)
4人と、るなが競ったが、飛び入りで愛美、さちよも参加。お客さんの審判は、るなの優勝(一番うまいわけではなかったが、ファンが見に来ていた)、駄目が出されたのは前回に引き続き、ジョージ。罰ゲームは「物真似」
「よげんの書」コーナーは、藤井みゆきが「6月某日に番組へのメッセージが100通を越える」と予言。予言が失敗したときは、見に来ているお客さん全員にサインのプレゼントをするという。えっ?じゃあ、メッセージ送らない方がファンにとってはいいことがあるってこと?
今回の放送での選曲は、Footman、win!win!タイガースがJK21の曲。あとは洋楽が多く流れた。ビヨンセとかケリー、カサビアンなど。これからも洋楽をどんどんかけていく、と言ってた。
JK21といえば、この4月で藤川真莉亜、安斎仰、江咲有姫の3人が卒業。これから、って時だったのに、と後で言えるような活動をJK21には期待している。

NHK-FM「現代の音楽」は先週から案内が猿谷紀郎にバトンタッチ。
2回にわけて、ゲストは吉村七重。
 − 演奏家に聞く・吉村七重 −(1)
「琉璃琴」                  西村 朗・作曲
                      (12分33秒)
                   (二十絃箏)吉村 七重
「竜田の曲(ショートバージョン)」      三木 稔・作曲
                       (6分00秒)
                   (二十絃箏)吉村 七重
                   <2009/3/10>
「琴座の碧霞」                猿谷紀郎・作曲
                      (16分08秒)
                   (二十絃箏)吉村 七重
            (フルート)ウォルフガング・シュルツ
            (チェロ)ウォルフガング・ベッチャー

 − 演奏家に聞く・吉村七重 −(2)
「三つの断章(1942) 第1章」     中能島欣一・作曲
                       (3分19秒)
                      (箏)中能島欣一
「三つの断章(1942) 第2章」     中能島欣一・作曲
                       (2分50秒)
                      (箏)中能島欣一
「三つの断章(1942) 第3章」     中能島欣一・作曲
                       (1分50秒)
                      (箏)中能島欣一
              <ビクター VICG−5083>
「“弦楽四重奏のための2つの小品”から 第2曲“ポルカ”」
                   ショスタコーヴィチ作曲
                       (2分15秒)
        (弦楽四重奏)フィッツウィリアム弦楽四重奏団
            <ポリドール F35L−50441>
「レタナル・ルトゥール(永遠の回帰)(2000)」
                     ドイナ・ロタル作曲
                      (13分26秒)
           (アンサンブル)ヴィオロンチェリッシモ
         <ELECTRECORD EDC−461>
「“セイ・ハイク(六つの俳句)”から
           第1曲“クリスタリーノ”(1989)」
                ジュリオ・カスタニョーリ作曲
                       (6分00秒)
          (アンサンブル)エリシオン・アンサンブル
            <RCA RCA CCD−3011>
「カンムリカイツブリ」       マッティ・コンティオ作曲
                       (2分40秒)
     (カンテレ・デュオ)シニッカとマッティ・コンティオ
   <IMU INKOON MUSIIKKI
                    IMU−CD081>
テレビで「レッドクリフPart1」を放送していた。
赤壁の戦いを描く。うむ。面白かった。三国志も面白いな。これに手を出すと蟻地獄かもしれないけど。

午前11時30分から心斎橋FAN-Jで「Girls Panic-IDOL-」
司会は橋本梨世。
以下、出演順に。

F.A.N.Y
1.OPEN YOUR HEART
2.Grow into shinin’stars
3.Color 4 wishies
4.十年桜
5.ミエナイツバサ
ベティズブルーのTシャツ。F.A.N.Yを見るのは久々だけど、ちょっと見ない間に、すごくよくなっていた。

姫☆DAN
1.ダンス
2.アニメメドレー
3.恋愛ライダー
4.ブルーバード
5.恋の運動会
6.ココロのチズ
アニメメドレーで、それぞれがお立ち台でセンターをとるまわし方が、すごく可愛くて面白い。

プチJK
1.花吹雪ハニーチップス
2.キラキラ乙女心めっちゃラブハッピー
3.ジェニーはごきげんななめ
4.winwinタイガース
5.Footman
今日は5人。さなちゃんがしばらくお休みするらしい。
メンバー紹介の際、AKBのメンバー紹介みたいなことをやっていた。自己紹介の内容が好きな食べ物のことばっかりだったので面白かった。

しずのん
1.ホーム&アウェイ(メロキュア)
2.you make me up
3.「  」
4.LOVE de Moet
5.サヨナラ
本人曰く、ローティーンにまじってのアウェー。
僕は「のうかの」で路上やってたときしか、しずのんは見たことがなかったが、たたずまいとかマイペースで気持良かった。

時間がなくて、物販に参加することができなかった。今日こそはチャンスだったかもしれない、と思ったのだが。

京都に移動し、立体ギャラリー射手座で吉田重信「ヒカリノミチ」展
油の浮いた水たまりに虹色がビヨビヨ動いているような映像(もっときれいに見えるけど!)動きがとにかく自然現象なので、庭園を何するでもなく眺めて過ごしているかのような落ち着いた感覚になってくる。蝋燭の炎を見ているかのような、こ、これは催眠作用?

京都国際マンガミュージアムで「冒険と奇想の漫画家 杉浦茂101年祭」を見る。「101」は杉浦キャラがよくやる手の形。
いろんな人が葉書サイズで杉浦茂に捧げる作品を描いていた。これがなかなか面白い。
佐伯俊男はいつもの女学生がコロッケ5円のすけと2ショット。丸尾末広は杉浦キャラに驚いて悲鳴をあげる少女。花輪和一は杉浦キャラが花見で集合。などなど。なかでもいちばん異彩を放っていたのが、高取英!杉浦キャラがさらに歪んだ存在になって描かれていた。これは必見である。
会場では杉浦マンガが読み放題なので、「プロレスの助」「ネジ坊珍探検」「岩見重太郎」「曽呂利さん」「忍術合戦」などを読む。
杉浦茂展以外では、バンド・デシネの歴史と展開展などやっていた。
ピエール・ラ・ポリスの「RED JACKET VS WHITE JACKET」で、ウルトラマンみたいな身体と駄菓子みたいな顔(鉱物?)の特撮ヒーローが「私のセリフを勝手に変えるのは今すぐやめろ!」と言うシーンは面白かったなあ。
あと、牧野圭一プロデュース展「総合育成支援教育現場から創造の世界を学ぶ」では下嶋千佳さんの「サバーブテニス」(セーラームーンみたいな戦士が、環境を破壊する悪人をテニスの試合で懲らしめる作品)とか、めちゃくちゃ面白い。
これら展示を見たあとは、楳図かずおの『イアラ』とか読んで、そろそろ時間かな、と退出。

トランスポップギャラリーで根本敬個展。「『ガロ』の絆のブルース発混沌それが我が墓碑無名マゴットブレインドコズミックスロップ経由特殊まんが大麦太郎ネヴァーダイアナ妃行き」
画廊では根本さんのコラージュ作品などが展示してあった。
夜からトーク&映像上映イベント。
主に、アジア音楽めぐり、みたいな感じだった。しかし、世の中、面白い人が多すぎる。
このイベントで久々に安田謙一くんに会った。
なお、イベントでは狭いギャラリーの中に人がいっぱいになって、最初は前の方の桟敷席で座っていたが、ギャラリーのスタッフに「ここに座ってください」と言われて、椅子に座る。根本さんと相対する位置で、まるで、根本さんと僕のトークショーのような見かけになった。
根本さんのイベントがもっと関西であればいいのに。
この日も、あんまりしゃべる時間もなく、帰宅。

< 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索