今日も今日とて第16回大阪ヨーロッパ映画祭。
午前11時からデンマーク映画「リトル・ソルジャー」
アネット・K・オルセン監督
元軍人の女性ロッテは、コールガールリリーのボディガードをつとめる。
と、いえば「ボディガード」を思い浮かべるところだが、これは女性どうし。ただ、女性どうしのからみもあったな。アフリカに暮らすこどものために売春するリリーを救おうと、ロッテは組織を裏切ったりする。薬をのませて脱力した肉体にしたうえでことに及ぶ死姦マニアの客を「この変態!」と殴りつけてリリーを助けちゃうのだ。リリーは承知のうえだし、常連の上客だったというのに。軍人さんはそういう機微までわからないからねえ。
上映後はリリーを演じたローナ・ブラウンがトーク。以前、歌手として来日したことがあるそうだ。

午後2時30分からギリシャ映画「アテネの恋人たち」
パノス・H・コートラス監督
殺人罪で服役していた男ヨルゴスは、出所してすぐにシーメールのステラと出会い、関係をもつ。2人は男性どうしだが恋愛感情がうまれる。
ところがところが、このシーメールのステラ、実はヨルゴスの息子だったのだ!
ヨルゴスはもともと、息子が叔父にいたずらされそうになって、その叔父を殺して服役したというのに、男どうしの関係を自ら結んでしまったわけだ。しかも、父と子で!
と、いえばまるでギリシア悲劇じゃあーりませんか、ということになるが、なんと運命に服従せずに、ゲイのパワーでハッピーエンドにしてしまうのだ。これは面白い!
ゲイやドラァグクイーンのカルチャーも出て来て興味深かった。いろんなゲイ向けの玩具がキッチュで悪趣味で面白い!ほしい!メールヌードのクリスマスツリーオーナメントとか。
なお、この映画の英語タイトルは「A Woman’s Way」女の道、とでもいうのか。そのことについて、上映後、脚本家のパナヨティス・エヴァンゲリデスさんが質疑応答にこたえていた。ギリシャでのタイトルは「Strella」で、主人公のシーメール、ステラの名前とギリシャ語の「trella」をくっつけた造語なのだそうだ。翻訳できないので、それぞれの国でタイトルをつけているため、「アテネの恋人たち」みたいなタイトルがついているのだという。ちなみに、この「trella」だが、トークでは「クレイジー」みたいな意味だと言っていて、じゃあ、「やりすぎステラ」みたいな感じなのかな、と想像してみた。ギリシャ語の辞書をひいてみたが、どうにもこうにもギリシャ文字は読みにくくて、はっきりした意味合い、ニュアンスがつかめなくて残念だ。幼いときに服役によって離ればなれになったから「ステラれて」なんて、どう?と思った。

午後6時からルーマニア映画「両替からはじまる物語」
ニコラエ・マルジネアヌ監督
オーストラリア移住のために全財産を両替しようとして、詐欺にあった男の物語。
男は同じ手口で両替するとみせかけて騙しとる悪人に変貌する。最初はだまされておろおろするコミカルな雰囲気だった主人公が、ラストでは冷血な悪人になってしまっているのが怖い。
その主人公を演じたコスミン・セレシが上映後、質疑応答にこたえていた。
なお、この質疑応答だが、毎回見て来て、すごく興味深かった。
同じ映画を見たはずなのに、と思うほど解釈の違う人がいたり、おや、そういう観点から質問しますか、と目がさめる思いをしたり、質問として態をなしていないものもあり、また自慢話がまじる場合もある。質疑応答は観客のオンステージタイムだな、と思った。バラエティに富んでいて面白かった。

今日はテレビで桂米朝とざこばのトークを中心にした上方落語の番組があったり、将棋の日の特別番組があったりして、帰宅後が充実していた。
また、いつものように、NHK-FMで「現代の音楽」
                         猿谷 紀郎
 − 作曲家の個展〜中川俊郎 −(2)
「もの思う葦(あし)たち(2003)」    中川俊郎・作曲
                      (12分05秒)
                  (管弦楽)東京都交響楽団
                     (指揮)飯森 範親
「影法師−F.シューベルトの同名の歌曲 その他による
                (2009)」中川俊郎・作曲
サンプリングの元ネタなどのトークが面白かった。
現代音楽と笑いは親和性があるんだな、と思いを強くした。
  ※世界初演
                       (9分29秒)
                  (管弦楽)東京都交響楽団
                     (指揮)飯森 範親
  〜東京・サントリーホールで収録〜
                  <2009/10/14>

第16回大阪ヨーロッパ映画祭、今日は3本見た。
午前11時からハンガリー映画「カメレオン」
クリスティナ・ゴダ監督。最近なにかと話題の結婚詐欺の物語。
前半での詐欺の面白さと、後半の追い詰められていく過程の息苦しさ。
金をむしりとるために偽りを重ねてきた主人公が、恋してしまい、たちまち盲目に。
体に故障をかかえたバレリーナにひとめぼれ、彼女を救うために腕のいい医師をだます工作をする。医師は実はゲイだったのだ!詐欺師はゲイの医師を落とすために計略を錬る。この医者を演じたヤノシュ・クルカが上映後に出て来て、質疑応答にこたえていた。
しかし、けんもほろろな強気のバレリーナにめげずにアタックする詐欺師の姿には泣けた。結局、詐欺師はバレリーナに最初からずっと負けていたのだ。役者が違う、っていう感じ?

午後2時30分からイタリア映画「絆」
ガブリエーレ・サルヴァトレス監督
強烈な映画だった。賃金の安い外国人労働者によって職を失う労働者。彼とその息子との父子の絆がこの映画のテーマになる。父親は乱暴者でナチスを信奉しており、息子はどっぷり感化されている。彼らには親しくしている友人がいた。彼は事故で知的障害を抱えているが、問題を起こしてしまう。彼はポルノ女優ラモーナスーパースターが大好きで、毎夜のようにビデオを一時停止して大写しになったブラウン管を抱きしめてキスをしていた。(テレビに人造の両手をくっつけて、テレビと抱き合えるようにしていた。これは素晴らしい!)ある日、町で見かけた女性をラモーナだと思い込んで、つきまとい、追いかけ、ついには殺してしまうのだ。少年の父親はそれを知って「おんどれ、何してくさる!」とぶち切れて、正真正銘、脳出血でぶち切れて意識不明になってしまう。殺された女性と、意識不明の父親を発見して、少年はてっきり父親が女性を殺したと思い込むのだ。
乱暴、貧乏、荒れた生活、雨で泥だらけ、と汚くてつらい映像が続くのだが、女性が聞いていたiPodみたいな機械を耳にしたとき流れる音楽はすべての現実を忘れさせるだけのパワーを持っていた。精神的にまいったときにはいつも音楽が助けてくれていたが、そんなこんなをパーっと思い出させるうまい演出だった。
上映後はFM802の人がイタリア事情などをまじえたトークをしてくれて、これは面白かった!

午後6時からスイス映画「タンドリー・ラブ〜コックの恋〜」
オリヴァー・ポーラス監督
静かでたんたんとしたスイス、アルプスを舞台に、ボリウッドが炸裂する!
おいしそうな料理、突然はじまる歌とダンス、カラフルな衣裳、と、話題は満載で、今回もっとも人気の映画だったらしい。
スイスとボリウッドのミスマッチを楽しむ映画だったが、はっちゃけ度は想定内でちょっとおとなしかったかな。
上映後にはオリヴァー・ポーラス監督と、「スラムドッグミリオネア」の原作者ヴィカース・スワループさんがゲストトーク。
インド料理は本来カラフルなものではないので、映画用にヌーヴェル・キュイジーヌばりにレシピを考えた、とか。この映画に出てくるインド人の役者はボリウッドの俳優ではないが、達者な役者でボリウッドっぽく演じてくれた、とか、裏話聞くと、「思ったよりも普通だな」と思ってた映画になんだか愛着がわいてきた。
スイス料理を出していた店がインド料理店に急遽変わって、店内をインドっぽく替えるシーンは面白かった。いきなりテーブルのまんなかにドンとシヴァ神像が置かれたりして、常連の客たちは「マタハリ?」と言ったりする。

第16回大阪ヨーロッパ映画祭。なかでも毎回注目しているのが、最新映画初上映のスケジュール。今年は福島のABCホールで開催された。
今日はヤン・デクレール特集。
1本めは「神父ダーンス」1992年。ステイン・コーニンクス監督。
19世紀末ベルギーフランドル地方での女工哀史(?)、プロレタリア映画。
ヤン・デクレールは劣悪な条件で働く労働者とともに戦った実在の人物、神父ダーンスを演じる。
ダーンスは兄が経営する新聞社から労働問題をとりあげた記事を書いて出したりするが、ブルジョアたちはそれを右翼の暴力やカトリックの権力を使ってつぶそうとする。
製糸工場で子供が死んだのをきっかけに労働者はついに立ち上がる。
貧富の差をあらわす映像が、あまりにも凄すぎて、その極端さに笑いたくもなったが、実情はほぼこんなものだったんじゃないか、と思う。
この映画が描く世界から100年以上が経過しているが、まだ貧富の差、貧困の問題は解決されたとは言い難い。自分自身をふりかえって見れば一目瞭然だ。労働者が立ち上がって戦うこともほとんどなくなった。唯一大阪の西成だけが例外だ。そのすぐ近くに住んで暮らす僕も一種の臨戦体勢にある、ということだ。昔、「山宣」見たときに感じたような「よ〜し!」感にとらわれた。
上映後のヤン・デクレールの話によると、この映画はまだ新人だった監督と、脚本の段階から意見を交わしあって、ともに作り上げたらしい。原作はめちゃくちゃぶあつい小説なのだそうだ。コーニンクス監督は今ではベルギーを代表する観客動員数を誇る映画監督であるが、日本で上映されたのは、この「神父ダーンス」くらいじゃないか、と思う。違うかな?

2本目の「ザ・ヒットマン」は、以前この映画祭で「アルツハイマー・ケース」のタイトルで上映された作品だ。当時の自分の日記を読み返すと、そうとう面白かったらしい。エラリイ・クイーンばりのオチが何だったかもう忘れてしまったが。
と、いうわけで、この映画は見ずに、図書館行ったりして過ごす。

3本めはその「アルツハイマー・ケース」のエリク・ヴァン・ローイ監督の「ロフト」2008年。この「ロフト」はベルギーで大ヒットし、今まで19年間にわたって観客動員数1位を続けていた「Koko Flanel」を破ってトップに立った。「Koko Flanel」は「神父ダーンス」のコーニンクス監督の作品。ちなみに、この「Koko Flanel」が1990年に観客動員数ナンバー1をとるまでは、同じコーニンクス監督の「Hector」が歴代トップを突っ走っていた。
5人の男が共同で借りたセックス部屋(ロフト)で起きた殺人事件。時間があっち行ったりこっち行ったりしながら、少しずつ真相が明らかになっていく。血で書いたダイイングメッセージがあったり、血まみれのベッド、手錠でつながれた死体など、興味深い謎のほとんどは残念ながら、事件後の工作だった、というのはミステリーマニアとしてはちょっと肩すかしか。事件の謎を解くミステリーというよりも、もてない奴は妻子持ちでもやっぱりもてない行動をとってしまうんだな、との感慨にひたってしまう人間サスペンスだった。そういえば、「アルツハイマーケース」もクイーンばりの下りがあったな。基本的にミステリーが大好きな監督とみた。思いっきりやりたいように映画作ったら、きっとマニアもうなるような映画を作ってくれるのかもしれない。
さて、この映画に登場する金持ちで妻子持ちで性欲の虜になった5人のなかにはもちろんヤン・デクレールはいない。めちゃくちゃチョイ役だった。
http://www.loft-m.jp/

マンフレッド

2009年11月19日 読書
マンフレッド
バイロンの『マンフレッド』を読んだ。
岩波文庫の小川和夫訳のもの。
『マルドロールの歌』についてデュカス自身が「それはバイロンのマンフレッドやミツケーヴィッチのコンラッドの部類に属するもの」と書簡に記している。(プラーツからの孫引き御免!)『マルドロールの歌』も学生時代に読んだのと、その後読んだのとでは印象がずいぶん違っていたのを思い出し、バイロンの『マンフレッド』再訪である。
言いふるされたことではあるが、マンフレッドはファウスト的人物。
「遠い昔に 説かれて以来忘れられている学問に、 何年ものあいだ夜な夜なを過ごした。そして長い時と努力と、 恐ろしい試練と、苦行の結果、 おれの眼は『永遠』に精通するようになった」と自ら言ってのけ、「第一の宿命」の口を借りて、「この男は 並の人間ではございませぬ」と言わせている。第一の宿命が言うには、マンフレッドは「その知識、力、意志は、 天上の要素をはばむ 肉体に制約されておりますものの、 肉体の生みだしたものとしては稀な域に達しております」
自惚れであってもナルシシズムであっても、こういう言葉を臆面もなく吐いてみたいものだ。
そして知るのは「知識は幸福ではないということ」「学問とは無知を別の種類の無知と取りかえることにすぎない」と、いうこと。これも言ってみたい。
こうしたマンフレッドは恋によって愛する人を死なせてしまい、精霊を召喚して忘却を得ようとするが果たせず、かと言って後を追って死のうとしても死ねない。悩み苦しんだあげくにどうにかこうにか死んでこの劇詩は終わる。
手を下したわけでもなく、愛する人を恋によって殺してしまう、とはいったいどういうことなのか。バイロンとその異母姉との恋愛が作品に影響を与えている、とは言われているが、何の障壁もない恋愛であってもお互いに傷ついてしまうことが当たり前、ましてやタブーの関係であれば、傷は致命傷にもなりうると、いうことなのか。
ところが現代においては、「キュン死に」することだってあるのだ。時代は変わってその軽重は変われど、こと人間の愛と死についてはそんなに変わっていないということか。

あわせて森鴎外の『於母影』の「マンフレット一節」と「戯曲『曼弗列度』一節」も読んでみた。
ロマンチック・アゴニーのバイロンとしては、鴎外の漢詩などの方が雰囲気は出ていたように思えた。さすがに読みにくいけど!

ビートルズ ファースト・ライブ・イン・アメリカ
衛星で放送してた「ビートルズ ファースト・ライブ・イン・アメリカ」を見た。2009年。
テレビ用の特別バージョンらしい。
1964年にビートルズがアメリカに来た際のオフショットとエド・サリバンショーなど。
やんちゃで悪ふざけがすぎて、いつもおもろいことばっかりやっているビートルズが魅力的。たとえば荷造りするときに、背広をポケットにねじこもうとしたり、ホテルの椅子をスーツケースにいれようとしたり、とにかくボケまくっているのだ。
テレビカメラに向かって、「この映像を見ているみなさん、ラジオの方が面白いですよ」とコメントしたり。髪型について聞かれたら、「全員かつらです。ないしょだけど」と答えたり。
当時はビートルズ級のビッグスターでも、とくにセキュリティーポリスがついたりせず、普通に列車に乗っていたりするのが新鮮。さすがに宿泊先のホテルは警備が厳重だったけど。
この映画見ていると、時代の差もあるんだろうけど、最近大ハヤリのマイケル・ジャクソンとは対照的なスタンスにビートルズがいることに気づく。ライブステージで1つの魅力的な世界を構築しようとするマイケルに対して、ビートルズは、にわか拵えの場であっても自分たちの音楽と精神だけで乗り込み、むしろ世界を破壊しようとしている。それはつまり、マイケルはポップであり、ビートルズはロックなんだ、ということなのか。
『ルネサンスの画家 ポントルモの日記』
『ルネサンスの画家 ポントルモの日記』を読んだ。
ポントルモの日記
ベネデット・ヴァルキへの返書
ポントルモ 人と芸術/宮下孝晴
 (1)ポントルモの生涯と作品
 (2)ポントルモの生きた16世紀のフィレンツェ
 (3)ポントルモの芸術とマニエリスム
 (4)ポントルモの『日記』について

ホッケの『迷宮としての世界』で、ポントルモの日記はこう書かれている。
「これほど貧乏ったらしい、これほど単調な、また同時に<人間的>という言葉のごく初歩的な意味で、これほど人間的な記録というものは、まず想像できないだろう」
そうまで言われたら、読んでみるしかない。
日記の内容は、何を食べたか、身体の具合、絵画制作の進行具合を中心に、と言うか、ほとんどそれしか書いていない。なるほど、貧乏ったらしい。しかもグルメ日記などとは縁遠くて、食事を制限することで健康が保てる、という考えなので、朝に満腹になるまで食べたら夜は食べなかったり、身体に不調が出たら食事を減らしたりしているのだ。
食事のことしか書いていない日が多くて、たとえばこんな風。
「月曜日は晩にピエロとつまらないものを色々、それにパンを12オンス食べた」
「月曜日は豚の舌を食べた」
「月曜日の晩はバスティアーノが買った牛肉を少し食べた。それは犬も食べないような肉だった」
ほんとに、食べたことしか書いてない!
しょっちゅう日記に出てくるメニューで「卵の魚」というのがあるが、これはどうやら、オムレツみたいなもののことを言っているようだ。
こういう食日記にまぎれて、いきなりこんな日記もある。
「火曜日と水曜日には老人をした」
わお!何を食べてるのか、と思ったら、絵画制作の進行状況だった。
特徴的な日記にはこんなものも。
「木曜日は腕をした」
「金曜日にはもう一方の腕」
「月曜日、子羊のレバーのフライ1つ」
「金曜日、背中」
「土曜日、夕食をとった」
「金曜日、仕事をした」
「金曜日、雨降り」
「月曜日、兜」
「火曜日、家で夕食をとった」
「月曜日、体がひどく痛い」
「31日、卵」
「水曜日、下の頭」
「月曜日、家にいた」
「火曜日は家で何かしていた」(この日記にはひっくり返った)
解説ではこの日記をシュルレアリスムとして読む見方を提示しているが、まさしく、そう!
でも、食事や作業の進行具合や健康のことばかり書いている日記って、ブログやmixiでおなじみな気もする。そっちはぜんぜんシュルレアリスムを感じないけど。

ベネデット・ヴァルキへの返書は、絵画と彫刻との優劣について人文学者ベネデット・ヴァルキがとったアンケートにこたえたもの。
結論としては、素描がすべてで、両者に優劣はつけがたい、ということにしているが、それぞれの違いを書いていて興味深い。
彫刻は制作において身体的な労苦と熟練を必要とするが、それによって健康が保たれ、立派な体格が作られる。絵画はその反対で、制作の労苦が肉体に害を及ぼし、健康の増進よりも精神の苦悩がひどい。
また、「彫刻は丈夫で値段も高い上等の布地で、絵画は表の毛が抜けてしまえば何の値打ちもない弱い安物のどうしようもない布地のようなものです」とも書いている。
これだけ見れば彫刻の方がいいように思えるが、そうでもない。
絵画は「ある形に魂を与えてあたかも生きているかのように見せ、尚かつそれを平面上で行なって自然を凌駕しようとする」のである。
そこで両者の「永遠性」について考えたとき、絵画は「芸術家の腕前」により、彫刻は「大理石の採掘場」によって得られる、としている。絵画の側から、自分を卑下しながら、いかに凄いかをアピールしているのだ。

以前、ホッケ読んだときは、ポントルモのエピソードを「乱歩が土蔵で蝋燭」なんじゃないか、と書いたが、この日記と宮下孝晴氏の解説を読むかぎり、事実だったようだ。ただ、人嫌いだとはいえ、引きこもりではなくて、よく友人と食事をとっていたりするように思えた。解説によると、黒死病や社会情勢から逃れるために、修道院に2年ほど避難してこもってしまってた時期もあったそうだが。
なお、ポントルモは本名がヤコポ・カッルッチ。ポントルモ村で生れたため、その名で呼ばれるようになったそうだ。(現在のポントルメ)。あずまんが大王の「大阪」みたいなものかな?あっ、あの子は別に大阪出身じゃなかったか。いつも学食で見かけるから「食堂」というあだながついた人みたいなものか。

午後6時30分から日本橋PLATZで「ポンバシwktk学園」
ジャングルの2階で開催されていたイベントが、場所を変えてリニューアルされた第1回め。今回より2部構成になり、1部がアイドル、2部がお笑いになる。
1部の司会進行は山田ジャックさんと、わかやまん。
今日登場のwktkメイツは7人。
ちどり(ちィちゃん)カラオケのコンテストで同率2位になったとか。もしも優勝していたらテレビ和歌山などに出演していたらしい。ジャックさんによる裏ネームは「ゴーストバスターズ」
そうめん(那瀬ひとみ、きいさつき)は声優さんのユニット。那瀬ひとみはネットラジオ「そこアニ」のアシスタントやってたりする。ジャックさんの裏ネ−ムは「メッセンジャー黒田」。きいさつきは、某教材のナレーターやってたりする。「じゃない方」と自称。
きらり☆トラップ(藤咲るか、神谷にこ)るかは、そのハスキーな声を「酒焼け」と言われ、にこはなぜか「タイ人」と呼ばれる。
みつふじちひろは、今日お客さんとして来ていたのを、むりやり上げられた。トークが「けだるい」とツッコマれて、いきなり個性発揮か。
桃音サキ(さきそん)は11月4日に19歳になったばかりだが、厄年全開エピソードを連射する。バースデイメールで「楽しんでね」と綴るはずところの文章で「楽」が抜けたものが送られてきた、とか。自転車のチェーンが切れた、とか、部屋の中でヒルを踏んだとか。
歌は自己紹介の途中ではさまれたりしたが、全体としてのセットリストは次のとおり。
76th star(水樹奈々ver)/さきそん
強引niマイyeah〜(絶望先生OP2)/そうめん
天城越え(あえぎごえ)/ちィちゃん
FAIRY TAIL(オリジナルソング)/きらり☆トラップ
しあわせなき・ぶ・ん(ファンシーララED)/さきそん
あと、縛り屋トーマスのコーナーでは、デートをすっぽかして怒らせてしまった彼女と仲直りする秘策をwktkメイツに相談していた。回答は、さつき、にこ、さきそんの3人が答えるが、トーマスの彼女もデートも某人気ゲーム上のお話のようだ。
以上、約1時間半。
wktk学園はジャングルではじまった当初、見に行ったことがあるが、その後、僕自身の貧困によって行けないままになっていた。今回見て、アイドルイベントとしての充実度に驚かされた。
最近のアイドルイベントといえば、ライブハウスに集客力のあるアイドルを集めて出すだけのものが多くて、入場料も2千円越えるのが当たり前、ライブ中のオタ芸と物販タイムでのふれあいを楽しむものばっかりになっていた。イベントのタイトルは変わっても、内容はほとんど同工異曲で、限られた集客力アイドルのだれを呼んでくることができたかがイベント企画者の力量に直結するものが多かった。ドリンク代含めて3千円を越えるイベントだってある。そのイベントに、少年ジャンプ10冊分以上の面白さを保証しないかぎり付けられない価格のはずだ。はっきり言って、客に甘えているのだ。
と、こんなことを考えたのも、このポンバシwktk学園には、イベントに対する工夫がちゃんとあって、客に甘えるわけでもなく、また、媚びるわけでもないスタンスがみられたからだ。wktkメイツのアイドル力も及第点をとっている。これなら、次も見に来よう、という気も起こさせる。
しばし休憩の後、2部のお笑いライブ。今日は全部で11組が出た。
相咲ぽっぽ(腐女子)
火の玉アタック(特撮)なぜか70年代特撮多し。
わかやまん(ないしょのつぼみ老人)
サラマンダー(芸人おっかけ)
フルーツピーチ大将軍(出落ちとスケブ)
まつおとしあき(あなたの知りたくない世界)
ベッターマン1号(女ベッター)
縛り屋トーマス(仏陀)
ウメダルイス(ファミリーマジック)
月見峠(デジャヴ)
ハゲーズ(トーマス&わかやまん)ハゲネタ
このお笑いライブも個性が強烈なのが多くて、あらびき団がいかに無害脱色されたオーバーグラウンドなものかを感じさせた。
http://wktkmates.blog62.fc2.com/

今日も今日とてセルシー文化祭。
Trick BeaT DANCE(ダンス)
ライン(ダンス)
シャカラカバービー(ダンス。最近、シャカラカ大活躍!)
と、ダンスが続いた後は、歌。
インフィニティ/村田寛奈
プレシャス/村田寛奈
昨日はKONOMIが「インフィニティ」唄ってたし、今、この歌が旬なのか。
賞をとった「インフィニティ」は元気で楽しく文句なし。選曲の理由を「なんとなく」と答えた「プレシャス」ではまさに歌姫であることも証明していた。
中学生になったひろなちゃんだが、ペトラキッズの頃の面影を残していた。2つくくりのヘアスタイルもね!
今月末にあるFANJのライブも俄然、見に行きたくなってきた。
その後は、KONOMIのライブ。
1.Don’t Say "Lazy"
2.snow tears
3.until the day
4.give me up
5.続く世界
6.恋はgroovy×2
昨日は白とピンクの衣裳だったが、今日は黒!羽根!
途中で足元まで覆っていたスカートをはずして早変りも見せた。
入賞曲の恋はgroovy×2は最高によかった。あとは、アップテンポな曲であってもとくに振付けがあってダンスするわけではないので、ちょっと寂しい。そういう意味では、曲のよしあしは別として、昨日のセットリストの方がより感動的だったか。KONOMIの唄いっぷりも昨日の方がのびのびとしていた。アレルギーが出たせいなのか。と、いっても、今日もKONOMIの歌は最高だった。
次のイベントがあるので、ここでセルシーを離れる。痛恨のきわみだ。クイッキーバンビーナも見たかった!

日本橋に戻って、SPIKe presents ファン感謝祭vol.1- 日本橋PLATZ
出演者は、Mari7、池本真緒、SKETCH。
午後2時開演に間に合わなかったので慌てていったのだが、会場ではまったりと物販中。
「しまった!もうライブ終わってしまったのか!」と思ってたら、ライブはまだはじまっていなかった。さらに、物販タイムのあとは、出演者もお客さんも一緒に外に出て、日本橋散策(撮影タイム?)
夕刻にPLATZに戻り、約30分ずつのライブ。
このイベントでは重大発表があるとのことで、「ひょっとしてライブ前に物販と日本橋ぶらり旅がある、っていうのが重大発表?」と思ったが、違った。
Mari7、池本真緒、SKETCHの3つが合体したユニット「フライハイ」が始動する、というのがその重大発表だった。各人、ユニットの活動も今までどおりあり、6人ユニットで動くときもある、ということらしい。とりあえずは、この全員が出るイベント「フライハイ」でこのユニットが見れるということだ。

帰宅後にNHK-FMで「現代の音楽」
                         猿谷 紀郎
 − 作曲家の個展〜中川俊郎 −(1)
「合奏協奏曲 第2番(1987/88)」   中川俊郎・作曲
                      (11分15秒)
                  (管弦楽)東京都交響楽団
                     (指揮)飯森 範親
ジョン・ケージに「天才」と呼ばしめた中川俊郎だが、このサントリーホールでの西村朗とのプレトークで、初演時にはブーイングが起こったことが語られた。武満徹や松村禎三も否定的だったそうだ。
楽譜は4ページだけで、真っ白で即興の部分が多いそうだ。
「合奏協奏曲 第3番(2009)」      中川俊郎・作曲
  ※世界初演
                      (13分11秒)
                  (管弦楽)東京都交響楽団
                     (指揮)飯森 範親
この曲のスコアには、プレトーク中に突然脈略なく演奏するように指示されている部分もあって、西村朗とのプレトーク中にいきなり奏でられたりした。
なお、この「第3番」は「第2番」とほとんど同じ。20年たって環境が変わることで、内容も変わる、ということのようだ。
  〜東京・サントリーホールで収録〜
                  <2009/10/14>

KONOMI@千里セルシー〜ルビー@心斎橋大丸〜桂米左@上方亭
午前11時半から千里セルシーのセルシー文化祭でKONOMIのライブ。
1.恋はgroovy×2
2.ロマンティックあげるよ
3.beleive
4.インフィニティ
5.until the day(誕生日にもらったオリジナル)
衣裳も可愛いし、歌も踊りも完璧。30分のライブがあっというまだった。

心斎橋に戻って、今日から営業になる大丸北館に行く。
サンリオショップ前にジュエルペットのルビーが来るのを見るのが目的。
宍戸留美ちゃんがダイアナの役で「ダ〜〜ク、ダ〜〜〜ク」とやってるのを見るためにアニメ見ていたら、このイベントの宣伝が流れて知ったのだ。1日に3回やるらしい。
おねえさんがジュエルペットクイズをこどもたちとした後、「マジマジマジカルジュエル」の歌でおねえさんもルビーも踊る。
ルビーの可愛さと、おねえさんの歌のうまさ、踊りの的確さが光った!

今日は関西文化の日。
ワッハ上方入場無料だったので、上方亭ライブを見に行く。
入場したら桂米左の落語がはじまったところだった。
米朝の文化勲章の話から、うどん、そば、ラーメンの食べ方などをまくらにして、演目は「子ほめ」
「赤いから赤んぼう」「ほな、七色やったらレインボウ」とか言ってたな。

「人間インフルエンザ」いよいよ明日です!
出番を考えてみました。
午後6時30分スタートで、それぞれ約10分程度のライブです。

保山ひャン
邪王院弘
めばちっ娘クラブ
内木バンド
中田氏大百科
悪魔大根(晴)
No.305
人間ロケット
丼野M美
松尾優輝
dark angel Maria
宮崎亜美
イヤホン魔
kitchen piller

受付で「フルリレロ〜」と言えば、前売り料金1500円で入れますので、なにとぞよろしく!(当日2000円)
場所:なんばBEARS
大阪市浪速区難波中3−14−5 新日本難波ビルB1
電話:06-6649-5564
地下鉄難波駅5番出口を出て、そのまま進行方向にまっすぐ、
信号3つ目を右に曲がったところにあります。
徒歩約8分。阪神高速の高架に沿って歩く感じです。
※駐車場はございません。 近隣の駐車場をご利用 下さい。

保山は最初の「保山ひャン」と、最後から2番目の「イヤホン魔」で出ます。
10月〜11月は出演するライブがいっぱいありましたが、とりあえず、これがファイナルです。
12月にはまたイベントあるんですけど。

将棋竜王戦第3局

2009年11月11日 将棋
将棋竜王戦の第3局が、昨日、今日の2日で戦われている。
関西将棋会館に大盤解説会を見に行こうか、と思っていたのだが、雲行きが怪しくて、テレビ中継を慎重に見た。と、いうのも、2日制の戦いとしては異例の進み方をしていたからだ。今までの対局を見ると、1日めは序盤から中盤にさしかかるあたりで終了し、2日めから中盤がはじまり、大盤解説会がはじまる夕刻から終盤に突入する、というのが通例だった。ところが、本局は、1日めの終了時に、すでに終盤に突入していたのだ。2日めの対局がはじまると、夕方までには終局を迎える予感がぷんぷんとしていた。
案の定、大盤解説がはじまるより前に、対局は終わってしまった。これでは「次の一手」問題もへったくれもあったものではない。
これで渡辺竜王の3連勝。
それにしても不思議な将棋だった。
1日めの対局は結局、前例のある手順を再現しただけ(それでも終盤に突入、というのがすごいが)、森内九段の封じ手は意表をつく新手だったが、その意図は解明されぬままに森内九段が予定変更し、あっさりと渡辺竜王が勝ってしまったのだ。つまり、2日めの最初の手(1日め終わりの封じ手)の段階で、勝負はついていたも同然だったのだ。新手の意味したものは何だったのか?
プロのみなさん、教えてください!
それとも、あの手は女流王位戦の石橋が指した反則負けの一手みたいなものだったのか?羽生との名人戦で森内が手を見落として「ハッ」とした瞬間が頭の中を回った。

夜と霧

2009年11月10日 映画
夜と霧
アラン・レネ監督の「夜と霧」を見た。1955年。
ハンス・アイスラー音楽。
タイトルからわかるように、アウシュビッツの収容所、ユダヤ人の大量の死体が映し出されている。
だが、この映画はドキュメンタリー映画というよりも、ナレーション主体の映像詩のように見えた。そのぶん、作り手のメッセージがダイレクトに伝わってきている。ナチスの映像などは、今となってはどこかで見たことのあるようなものが多いが、そこに眼目はないのだ。いっそのこと、ハーケンクロイツの静止画だけでナレーションがあってもよかったようなものだ。ただ、ユダヤ人たちの首なし死体と生首、ブルドーザーで死体がゴロゴロ動かされる映像などは、やはりショッキングで、こういう映像に慣れてしまってはならないと思う。
映画のラストの方で語られた言葉を引用しておこう。
「遠ざかる映像の前で希望が回復したふりをする。ある国のある時期の話と言い聞かせ絶え間ない悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる」
今日は新世界で、石田アキラ監督と、広田華ちゃんと、ちやじとの4人で、今月末のイベントのための映像撮影。
イベント会場になるはずのお店がつぶれてしまう、という情報が当日入ってきて、イベントそのものは仕切り直しになったが、とにかく集ったので、新世界をぶらぶらしながら撮影。
「のこされ島」空環工房で文化おもちゃ箱あそび島をのぞいたり、
http://www.asobijima.net/
おもちゃ屋さんで掘り出し物を探したり、
ジャンジャン横丁で遊んだり、
飛田新地を散策したり。
どうせなら、昨年暴動のあった警察署あたりも行けばよかった、と思った。
でも、そうなると、ドキュメンタリー映画まんまになってしまうので、僕みたいないいかげんな人間が映る映像としてはイレギュラーなものになってしまう。
なお、遊び島でその日展示されてたなかで面白かったのは、Yo-Yo*Junctionのクレイアート、写メちゃんの写真にはサキタ君とか写ってた。
http://yoyoj.com/
浅田トモシゲさんの携帯散歩もよかった。
http://asadapress686.com/
おみやげに折りバラもいただいた。
のこされ島の近くにある新世界ルナストリートをのぞいてみたが、今日あるはずだった「ちんどん通信社の夕焼け音楽アラモード」は中止になっていた。残念。
ジャンジャンにあるココルームやカマン!メディアセンターでいろいろ情報を仕入れたり。
なんだかんだ言って、単なる散策でもついついイベントを探してしまうのは、業とでもいうべきものか。
気になったイベントを書いておこう。
11/18(水)13:00〜
持ち込み映像祭!(見たい映像、ビデオ、DVDなど)
@カマン!メディアセンター
11/23(月)14:00〜
談論会 大阪アヴァンギャルド「具体」の明日とは?
出演:山崎泰孝、元永定正(2000円1ドリンク付)@のこされ島
11/23(月)、28(土)14:00〜、15:00〜、16:00〜
ちんどん通信社の「夕焼け音楽アラモード」(入場無料、カンパ制)@ルナストリート
正午からLABI1なんばでK-Palette CUP DANCE CHAMPIONSHIP2009予選大会。
同時刻にO-CATではSPROUTというキッズダンスバトル大会を開催するとあって、どっち行こうかと迷ったけど、とりあえず、LABI1に。
DSのwi-fi通信の用事もあったというのが大きいか。
そう。僕はまだドラクエ9で錬金を頑張っているのだ。もはやゲームとか遊びというより、修行の域に入ってきた。
さて、K-Palette。
第1部参加14組中、決勝進出を決めたのは、7組。
ヒアリングが不確かで表記は適当だけど、次のとおり。
グロリア、ブルーベル、シャムロック、ギミック、ミキ、カイランバン、ザスプリームズ
http://50900.jp/dance2009/index.html

O-CATポンテ広場に移動して、キッズダンスバトル「sprout!」大阪大会を見る。
2人のタッグで、2回ターンが回ってくる。
予選通過した1位から8位までの8組は次のとおり。
MAD TRIBE
AKASUKE
SPARK
Jaim
GACHA☆MON
おまめこまめ
MACCHO
SEISMIC
Ⅰ回戦は1位のMAD TRIBE対8位のSEISMIC、以下、2位対7位、3位対6位、4位対5位、といった下剋上バトルが展開された。
2回戦、つまり準決勝に進んでバトルするのは、予選1位のMAD TRIBE対予選3位のSPARK、予選5位のGACHA☆MON対予選7位のMACCHO。
と、ここまで見ることはできたが、タイムアップでLABI1に移動。
キッズダンスバトルって、めちゃくちゃ楽しい!感動と興奮!
ちょっとダウナー気味だった精神がシャキッと立ち直った。
(後日、結果みたら、予想どおり、MAD TRIBEが優勝してた。個人賞を受賞したMAD TRIBEのACYAのダンスがとにかく頭抜けていて、これに勝つのは不可能なんじゃないか、と思わせた)
http://sprout-ent.com/report11.html

LABI1に戻って、午後4時からK-Paletteダンス予選第2部。
16組中、決勝に進んだのは8組。
ランティー、シャカラカバービー、クレイジーJリックス、バンボレ、プチバニラ、アマウントガールズ、ニューヨークシティポイズン、ジャメラバーズ。
O-CATと掛け持ちしたのは、シャカラカバービーもご同様だった!(O-CATではゲストで出てた)

帰宅後、NHK-FMで「現代の音楽」
                         猿谷 紀郎
 − 音の現在(いま)〜トマス・アデス −(2)
「アサイラ 作品17(1997)」    トマス・アデス作曲
                      (22分32秒)
              (管弦楽)バーミンガム市交響楽団
                  (指揮)サイモン・ラトル
 <EMI CLASSICS 50999 5 03404
                          2 2>
「ピアノ五重奏曲 作品20(2000)」 トマス・アデス作曲
                      (20分21秒)
                  (ピアノ)トマス・アデス
          (弦楽四重奏)アルディッティ弦楽四重奏団
     <EMI CLASSICS TOCE−55729>

私は「うつ依存症」の女
今日は行こうと思っていたイベントに、諸事情により行けず、かと言って、何か別のことをして何らかの成果があったわけでもない。まったくの無為な1日になってしまった。大きな岩を山頂まで持ち上げたかと思うと、それがまたゴロゴロと落ちてしまったような1日。こんなことなら睡眠でもとって心身を休めればよかった。
日本橋プラッツの前でマリードール見たときは、絶対にアイドルスナイパー行こうと決めてたのになあ。

と、いうわけで、家でビデオ見る。
エーリク・ショルビャルグ監督の「私は「うつ依存症」の女」を見た。2001年。
エリザベス・ワーツェルの自伝小説の映画化。
で、ベストセラーになったそうなのだ。
タイトルの意味合いが、見終わった今になってもよくわからない。
薬の依存症でもないし、うつ病でもないし、仮病でもないし、(と、いうように映画を見ていて感じた)。主人公の女性が、何かの依存症になったとして、それに対して闘う姿勢が見られないため、単なる厄介なわがまま少女にしか見えないのだ。
我が娘を思い通りにコントロールしようと圧力をかける母親役で、ジェシカ・ラングが出ており、これが熱演。娘はいち早く親離れすれば問題の多くは解決すると言うのに、いつまでも親に愛憎を抱いており、治療費を親が負担することも当たり前のことのように考えている。これでは何もなおらない。親がいつまでも子離れしないのは、親というものの性格だからしかたがないのだ。
主人公のクリスティーナ・リッチは、作中、薬で激ヤセする、という設定のためにすっかりスリムになって登場している。
うれしいのはルー・リードの役で本人が出演しているところ。

NHK衛星で「黄金の洋楽」タイムリーにもベルベットアンダーグラウンド。
再結成ツアーから、1993年6月、パリで収録されたライブを放送していた。
「VENUS IN FURS」VELVET UNDERGROUND、
「WHITE LIGHT WHITE HEAT」LOU REED、
「BEGINNING TO SEE THE LIGHT」VELVET UNDERGROUND、
「SOME KINDA LOVE」VELVET UNDERGROUND、
「FEMME FATALE」VELVET UNDERGROUND、
「HEY MR RAIN」VELVET UNDERGROUND、
「I’M STICKING WITH YOU」VELVET UNDERGROUND、
「I HEARD HER CALL MY NAME」VELVET UNDERGROUND、
「ROCK AND ROLL」VELVET UNDERGROUND、
「SWEET JANE」VELVET UNDERGROUND、
「I’M WAITING FOR THE MAN」VELVET UNDERGROUND、
「PALE BLUE EYES」VELVET UNDERGROUND、
「COYOTE」VELVET UNDERGROUND、
「NYC MAN」LOU REED、
「MODERN DANCE」LOU REED、
「I’M WAITING FOR THE MAN」VELVET UNDERGROUND、
「THERE SHE GOES AGAIN」VELVET UNDERGROUND、
「VENUS IN FURS」VELVET UNDERGROUND、
「PALE BLUE EYES」VELVET UNDERGROUND、
「FEMME FATALE」VELVET UNDERGROUND


『アキハバラ発<00年代>への問い』
『アキハバラ発<00年代>への問い』を読んだ。
以下、目次。
はじめに/大澤真幸
 I
真夏の秋葉原を歩いて、ここには本質など何もないと気づいた /森達也
「排除」のベルトコンベアとしての派遣労働/竹信三恵子
孤独ということ—秋葉原事件を親子関係から考える/芹沢俊介
若者を匿名化する再帰的コミュニケーション/斎藤環
街路への権利を殺人者としてではなく民衆として要求しなければならない/和田伸一郎
 コラム
 追い詰められた末の怒りはどこへ向かうのか/雨宮処凛
 K容疑者と生活困窮者の間/湯浅 誠
 II
◎インタビュー
「私的に公的であること」から言論の場を再構築する/東浩紀
存在論的な不安からの逃走—不本意な自分といかに向き合うか—土井隆義
事件を語る現代—解釈と解釈ゲームの交錯から/佐藤俊樹
無差別の害意とは何か/中西新太郎
極端現象か、場所の不安なのか—秋葉原殺傷事件の社会学的前提を考える—/内田隆三
 コラム
 劇場型犯罪の果て/速水健朗
 主客再逆転の秘義/永井均
 III
世界の中心で神を呼ぶ—秋葉原事件をめぐって/大澤真幸
事件を「小さな物語」に封じ込めてはならない/吉岡忍
なぜKは「2ちゃんねる」ではなく「Mega-View」に書き込んだのか?—2000年代のネット文化の変遷と臨界点をめぐって—/濱野智史
孤独であることの二つの位相/浅野智彦
 コラム
 この20年で私たちが学んだこと/伊藤剛
 〈この手の事件〉のたび私が思う漠然としたこと/岡田利規
 IV
◎座談会
〈承認〉を渇望する時代の中で/大澤真幸、平野啓一郎、本田由紀
 執筆者紹介

この秋葉原無差別テロ事件については、宮崎勤事件やオウム事件にくらべて、あまりにも言及されている本が少なすぎる。
それは、本書で吉岡忍が言うように「この事件には謎がない」と感じられるからだ。宮崎事件のときは、「おたく」について、またオウムについても多くの教典や雑誌、教団の歴史など、参照するものが山ほどあって、それを掘り起こしているだけで興味深い書物が成立した。この事件の犯人、加藤が残したのはネットの書き込みだけ。その書き込みの背景もありきたりなものだった。ただ、吉岡忍は、こう続ける。
「短絡といえば短絡、底の浅い事件である。どこにも謎はない。そう見える。けれども、結果は重大で凄惨だった。このあっけらかんとした短絡、底の浅さにこそ、この事件の現代的意味がある」
いろんな視点から本書は書かれているが、とくに内田隆三の文章は、通り魔と無差別殺人について書かれたもので、不意をつかれて視界がひらかれた思いがした。
あと、浅野智彦の次の文章は、なるほど、そういうことなのか、と腑に落ちた。
「『恋人』や『モテ』について語るものが人を殺し、『戦争』を語るものが幅広い連帯のきっかけを提供する。これは重要な教訓ではあるまいか」

親指ブレアサム

2009年11月4日 映画
親指ブレアサム
スティーブ・オーデカーク製作総指揮の「親指ブレアサム」を見た。2001年。監督はトッド・ポーチガル。
親指シリーズ。ブレア・ウィッチ・プロジェクトのパロディ。
「バカ式」を読んで「ねじ式」がわかった、という人がいる、と長谷邦夫がどこかで書いていた。その式が今回あてはまり、この「親指ブレアサム」見て、謎だらけの「ブレアウィッチ」もわかったような気になってきた。ほとんど忘れていたうえに、本家の「ブレアウィッチ」の魅力に乗り切れなかった僕にとって、うまいダイジェストになっていた。それに、お笑いのはずなのに、久々に見た親指シリーズは、その不思議な面貌がブレアウィッチに馴染んで、思わぬ怖い映画になっていたのだ。
森の中でジョーズに襲われたり、ラストになぜか親指フランケンが出て来て、殺戮前の最後の晩餐パーティで賑やかに遊んだりして、なるほど、こういう物語だったのか!と誤解しそうになった。撮影機材や墓石など、いろんなところが親指をかたどっていて、笑った。
ところで、この親指シリーズ、きっと日本でも似たようなパクリ映画があるはずなのだが、寡聞にして知らない。と、いうか、今はじめて「これ、誰かやってそうだな」と思ったので調べてもいないのだが。親指のかわりに何を使ってるのかな。性器だったら、まさに世紀の傑作なのに。(きっと性器使ってたら、このオヤジダジャレも使ってるはず)

『迷宮としての世界−マニエリスム美術』
『迷宮としての世界−マニエリスム美術』
グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界−マニエリスム美術』を読んだ。(1957年)
「意識的に反−古典的な表現形式」としてのマニエリスムを、その誕生の16世紀から現代に至るまで論じた書。中世後期の16世紀〜17世紀がマニエリスム時代だとされるが、ドヴォルシャックがマニエリスムに「全新時代にたいする建設的な意義」を見い出したように、ホッケはマニエリスムを「古典様式以前であると、古典様式以後であると、なんらかの古典様式と同時にあるとを問わず、古典様式に対立する」ヨーロッパのあらゆる芸術的文学的傾向へと拡張して考える。16世紀から20世紀を行ったり来たりしながら、本書ではおりにふれて、マニエリスムと古典様式との違いをわかりやすくまとめてくれる。
たとえば、「序」では、こうだ。
「古典様式は神秘という<秘匿されたもの>を、<悟性的な>たんに<昇華された>自然において描きだそうとし、マニエリスムは<秘匿されたもの>を、<寓意的な><イデア>のうちに往々にして<デフォルメされた>自然において力を発顕せしめようとする。」
たとえば、15章では、こうだ。
「好奇心はあらゆるマニエリストのもっとも強烈な内容衝動の一つである。<古典的>流儀はこれを嫌った。古典的流儀は<瑣事><どちらともつかぬもの>を賞賛した。」
19章では19世紀の理想主義者から、20世紀の独裁者における捉え方がこう要約される。
「古典様式=秩序、威厳、権力。マニエリスム=無秩序、下品、崩壊」
ここから、現代のアメリカでは単純に、「<古典主義者>であれば<画一主義的>であり、マニエリストであれば革命的である、とされるまでになっている」
26章では、
「マニエリスムの神話的祖先はマルシュアースであり、威厳と光輝に溢れるとは言い条、今ではいささか退屈な存在と化した古典主義の先祖は、すなわちアポロンである」とし、次のようにまとめる。「マニエリスムは<永遠に女性的>であり、古典主義は<永遠に男性的>である」
27章では、こう語られる。
「古典的身振りは本能の直截性をあらわし、マニエリスム的なそれは本能の屈折性をあらわす」
29章でのウァイシェーデルによるハイデッガー解釈からの見解はこうだ。
「明るみ=古典様式、秘匿=マニエリスム!」
「古典様式は神秘という秘匿されたものを悟性的<自然>において実現させ、マニエリスムは<秘匿されたもの><それ自身>を<イデア>において実現させようとするのである」
30章では、こう書かれている。
「<古典主義者>は神をその本質において描き、<マニエリスト>は神をその実存において描くのである」
 以下、目次にそって、思いつくままにメモ。
序−ヨーロッパ芸術におけるマニエリスム

緒言
 鏡の魔術
 ヨーロッパ的現象
 革命家の祖系
  本書では「当時のマニエリスムと二十世紀の芸術ないしは文学との間に生じる芸術上の<親和力>が、かなり詳細にわたって記述され、論証される」。テサウロの『神聖なるアリストテレスの原則によって解説せられたる…アリストテレスの望遠鏡、あるいは機智鋭い文章作法の理念』(1654年)では、真の詩人とは<最もかけはなれた関係にあるものをたがいに結びつける>才のあるものである、と書かれている。これら記述がホッケによってロートレアモン、ブルトン、ボードレール、ランボーに接続され、松岡正剛や高山宏に大きく影響を与えてるんだな、とあらためて気づかされる。本書では「不一致の一致」がくり返し語られることになる。
 新しい視覚
1 最初の衝撃
 サトゥルヌスの憂鬱(ポントルモ)
 新たなものの誕生でもあるルネッサンス(カスティリォーネ)
  「ヨーロッパにおける最初の反古典主義的(激動)は、さしあたり芸術と社交界にその痕跡を探ってみたかぎりでは、二つの極にはっきりあらわれた」とする二つの極が、「十字架降下」「アレッサンドロ・メディチの像」などの作品を残したヤコポ・ダ・ポントルモと、『廷臣論』を著したバルダッサーレ・カスティリォーネ。
  サトゥルヌス(土星)的なタイプとは、マルシリオ・フィチーノの『三重の生について』によると「性格運命ともに凡庸であることは稀で、余人とは異なり、神的であるか動物的であるか、いずれかであるような人、幸運に恵まれているか、もっとも深い禍にうちのめされているかであるような人」。一般には独創性のシンボルで、同時に精神錯乱や気ふさぎ、犯罪のシンボルでもある。ポントルモは気難しい厭世家で、アトリエに入るときも梯子を使って入り、誰も中に入ってこないように梯子を引き上げていたという。澁澤はじめ、ポントルモを紹介する際には必ずひきあいに出されるエピソードだ。ヴァザーリの列伝からの逸話なので、乱歩の土蔵に蝋燭、っていうのと同じレベルのエピソードなのかもしれないが、ポントルモがどういう人だと思われていたかを知るにはうまい逸話だ。
2 優美と秘密
 浮遊する世界(パルミジァニーノ)
 偏窟な気質
3 蛇状曲線的−痙攣的
 空間−物体の相対関係(レオナルド『絵画論』の「運動中の手の例」と、パルミジァーノ自画像の巨大な手)
 ロッソの<デフォルマシオン>
 現代の眼で見る
 対比と逆説
 フィレンツェにおける精神的転回
  ここで言う精神的転回とは、自然科学の発見や反スコラ哲学と連関して成立した新しい人間学によってしだいに鮮明に定義されはじめる主観性についての近代的概念にかかわっている。
4 <イデア>と魔術的自然
 <地上の神>もしくは人間の無力
 世界の驚異のなかを休みなく彷徨う
  タイトルはL・フォン・レンテ・フィンクの『現実性−問題の精神史的起源に関する研究』(1933)から。「生は、世界の驚異のなか、事物の変化のなかを休みなく彷徨うことだった」とある。
 世界の象形文様
 自然魔術
 <イデア>教説
 主体の神格化
5 綺想異風派
 ツッカーリの芸術理論
 幻想の極端な表現
 イデア−教説=近代性の美学
6 没落のヴィジョン
 画時代的危機の意識化

7 美と恐怖
 死と炎とのあわい
 失われた楽園をもとめて
8 不安と好奇
 死=<抽象的な>美
 死が<秘密社会>を形成する
9 天使城
 近代の開始
 歴史の<超現実主義的物体>
 非現実的幻想
 グロテスク模様
 怪物性と虚飾
 <手品>
10 時間の眼としての時計
 マニエリスム的技巧
 驚異−時計
 「猶予の時」
11 人工の自然
 ボマルツォの<聖なる森>
 怪物
 理性の眠り
12 奇妙な神話
 ラオコオン原像
 トロイアの馬
 変則の神話

13 迷宮としての世界
 神秘の地図
 迂回路が中心点に通ずる
14 抽象的隠喩法
 天上的存在の徴
 かくある存在と存在は別物である
 フラグメンタリスムス
15 キュービズムの先達と後裔
 幾何学的フォルムの網
 実験はしだいに自己目的へ
  デューラー、エハルト・シェーン、カンビアーソのキュビスム的箱人間は、僕も「カラモン」のステージ衣裳で応用させてもらいました。
 ルーカ・カンビアーソ
 ブラチェルリのロボット
16 イメージ機械
 極度に精巧なものの器具
 <人間の顔を歪曲する>
17 古今の構成主義
 入れ替えの技術
 流行としての<畸形>
  先日「だまし絵」展で見たエハルト・シェーンの「判じ絵」が紹介されている。この手のアナモルフォーズをはじめて見たのは、小学生のときに読んだ『頭の体操』だったか。
 悟性の限界
18 円と楕円
 マニエリスム的<秩序>について
 手法と偏執
  ヨーロッパ芸術における手法(マニエラ)と偏執(マニー)、というのが本書のほんとの副題。
 神秘な卵
 過渡期のゼロ点状況?

19 ルドルフ二世時代のプラーハ
 玉座のうえの偏窟者
  ホッケは「もしもヨーロッパに、国家的地方的独自性によって化学的に精製されたマニエリスムの百科全書的環境が、かつて一度でも存在したとすれば、それはルドルフ二世時代のプラーハにおいてであった」と言う。この章ではヨーロッパ精神についてのホッケの見解が一部語られる。「ヨーロッパ精神は、その創造的な時代には、独白的でもなければ、対話的でもなかった。それは、選択と決定とのまったき自由における、もろもろの価値の強固な多元主義の表現」である。
 権力と反権力
20 アルチンボルドとアルチンボルド派
 <奇妙な>帝国伯爵
 統一物の不統一
  冒頭のテサウロの言葉どおり、マニエリストは「一致する不一致」を見ようとする。ここでは「不一致なる一致」が語られる。「<一致する不一致>を求める努力は、魔術的な自然哲学や魔術的な占星学の影響の下に、<不一致なる一致>は秘教的なピュタゴラス主義の影響下にある。このピュタゴラス主義はネオ・プラトニズムと混り合い、またアリストテレス主義とも混り合っている」
不一致なる一致の信奉者(マリノ)は「かけはなれたもの、<錯綜した>分裂状態にあるものの統一」をめざし、アルチンボルドは一致する不一致を求める。このあたりのくだりは、実際に本書を読んでみないと論旨がつかみにくいか。
 アレゴリー的な隠喩法
21 擬人化された風景と二重の顔
 さかさまの世界
 ヤヌスと<第二の自我>
22 夢の世界
 <イデア>の新たな変形
 デジデリオ・モンスの秘密
 無意識の<衝迫>
23 装飾癖
 コスモポリタニズム
 形式感覚の癲癇
24 狂気
 過激主義の苦悶
 <妄想狂的な>美学とその系譜
  ここで引用されたブルトンの『第二宣言』の言葉にちょっと眼から鱗が落ちた。シュルレアリスムは「新しい芸術流派ではなくて、むしろそれは<総体的な不服従、整然たるサボタージュを目ざし、なかんずく暴力以外の何物をも意図していない>と。さらにブルトンの言うところでは、<家族、国家、宗教という観念を死滅させるためにすべてのことが起こらねばならない>」
 <原子>−の比喩

25 汎性愛主義
 <恐ろしく>も<甘美な>
 地獄のパラダイス
 神秘学と性愛術
26 倒錯と歪曲
 固有の<表象力>における<充足>
 美青年とレスボス
27 一角獣・レダ・ナルシス
 デフォルメされた神話
 男根−象徴
 仮面の剥奪
 性的孤独
 <すべてを語る>という問題
28 ヘルマフロディトゥス
 両性具有者
 <芸術的なセックス>
29 マニエリスムと衒気性
 <秘匿>の中の<明るみ>
 硬化と解体
 <鉄の網>
 手法と様式
30 神の隠喩
 二通りの絶対
 本質としての神か、はたらきとしての神か
 美学的原対立
 古典様式とマニエリスム
  最終的に、古典様式とマニエリスムの対立の番いがここでまとめられる。
「古典様式とマニエリスム=構造−形象、男性的−女性的、ロゴス−秘密、<イデア>−自然、自然的−技巧的、難攻不落−支離滅裂、昇華−暴露、平衡−不安定、一体性−分裂、総合−分解、硬化−解体、性格−個性、アニムス−アニマ、形態−歪曲、威厳−自由、秩序−反抗、円−楕円、慣習−人工性、神学−魔術、教養学−神秘学、明るみ−秘匿、などなど」そして、オームの法則「磁力流は磁力モーターの力と磁気抵抗の商にひとしい」を援用して、次のようにきれいにまとめる。
「古典様式は、硬化しまいとすれば、マニエリスムの<磁力モーターの力>を必要とし、マニエリスムは、解体しまいとする以上、古典様式の<抵抗>を必要とする。マニエリスムなき古典様式は擬古典主義に堕し、古典様式なきマニエリスムは衒気性に堕するのだ」
あとがき
 批評の問題
 総合とは?

読んでいて面白かったのは、断然16〜17世紀のマニエリスムの部分で、それとくらべると、20世紀の超現実主義のくだりは、軽い、というか、駆け足のように思えた。僕自身がシュルレアリスムの記述を駆け足で読んだせいかもしれないのだが。
大阪市立大学の銀杏祭。
Pixy Chicks
 DREAM BELIEVER、ワンフォーオール、girl stuffなど。
 HOPCLUBのHARUNA、TERU、MINA、QOOの4人組。
 HOPの実はる那は以前からよく見に行ってたし、前川美奈はテレビでもおなじみだというのに、ちょっと遠目で全員キャップかぶってたりしたら、誰が誰だか判別しにくかった。
http://www.horiproosaka.com/event/pixy_event.html

オレンチェ
 タッチ、年下の男の子、HELP、ヤーレコのSAY!、なんちゃってLOVE SONG、できそこないの天使とか。
 後列のスタンドマイクの使い方がかっこいい。
http://www.prejia.co.jp/oranche/

SKETCH
 カモン(スペシャルバージョン)、さくらんぼ、未来の地図、My Star、ここにいるぜぇなど(さあ、何が抜けてるでしょう)。
 うむ。アイドルライブ、堂々の中堅という感じ。
http://ameblo.jp/kidcompany/

Mari7
 ステップバイステップではじまる。途中からミサトも登場!新曲も!
 このあたりから風も強くなって、今年最高の寒さ!
http://ameblo.jp/mari777lpm/

姫☆DAN
 ダンスではじまり、オーバーザフューチャー、学園天国、夢のかけら、恋の運動会、ココロのちずなど(さあ、何が抜けてるでしょう)。
 ステージ最前列で楽しむ。手を伸ばせば届く距離で観覧するのが、アイドルを見るときは一番面白いんだな、と毎回思うのではあるが。
http://ameblo.jp/himedan/

メアリーエンジェル
 スーパーアクション、Movin’on、ブランニューワールド、ミラーボールナイト、エンジェルウィング、まじかるスターとか(さあ何が抜けてるでしょう)。アンコールでミラーボールナイトとまじかるスター。
いや〜、楽しい!今日はなんだか身体が軽い。
http://maryangel.net/

メアリーエンジェルは銀杏祭3年連続で出演している。このアイドルステージの大学祭での位置づけは、ちょっと特殊で、それぞれのアイドルのファンのためのステージであるだけでなく、いや、それ以上に、学生たちがアイドルオタクの行動を見て笑うイベントになっている。市大の学生たちはステージよりも主に客を見ており、オタクを珍獣扱いするのである。
そんな扱いをされればされるほど、悪のりするのが、オタクの心強いところだ。珍獣けっこう!珍獣上等!

ライブ終了後、アメリカ村で関西アンダーグラウンド総決起集会。
出演である。
18:30 RED STORM(烈火)
18:50 菅崎樹里
19:10 めぃぷるMAIDEN
19:30 保山宗明玉
19:50 TORA
20:10 松前公高
20:40 にょロボてぃくす
21:00 ゆき☆まろ
21:20 丼野M美
21:40 @ペペ
http://www.moedge.net/
今日のライブは、ロボットがいるかと思えばピカチュウもいて、すっかりSFだ。
僕は、13日の宣伝に、とルバイヤートに日付だけ書いたものをまきながらライブ。
今日はアイドル中心のイベントだったが、なぜかホークローズの曲で唄った。
ばってんロボ丸のてれび絵本も小道具として使う。
ライブ終了は午後10時を過ぎていた。

三角公園近くのトライアングルで「shooting! vol.2」
オールナイトのクラブイベントだったが、チームメルヘソのDJで踊りまくった後に、帰宅。
布施駅前リージョンセンター多目的ホールで「夢広場ヤングフェスタ」
見たのは午後2時頃からの樟蔭中学、高校バトントワリング部の演技から。
1.刹那
2.SHINE(と、言っても3曲メドレー)
3.everybody dance now(3曲メドレー)
4.Infinity
僕が樟蔭にいた頃、バトントワリング部の活躍はあまり聞かなかったので、それ以後に躍進したのだろう。先日、須磨愛ちゃんらがバトントワリングの特訓受けててたいへんそうだったのを見たばっかりなので、さぞかし練習もきついんだろうな、と思いながら見ていた。
その後は、ハッピータイム(ダンス&ヴォーカル)の演技。
1.まいなな/オリジナルMIX(万葉シャオニャンの小川舞奈、南口奈々)
2.KAITO/オリジナルMIX(牧魁斗)
3.スコーピオンズ/オリジナルMIX
4.YU-TO/オリジナルMIX(田中悠斗)
5.万葉シャオニャン/アオニヨシ奈良ノ都デてんつくてん(矢野紗由美、小川舞奈、南口奈々、八木杏菜)
6.ハッピーズ/(水野亜寿華、吉岡由佳梨、市川右子、小畑智美)
 学園天国
 ドレミファだいじょうぶ
 アニメソングメドレー(忍たま〜サザエさん〜Dr.スランプ〜ポニョ)
 遊ぼ遊ぼゲーム(おちたおちたゲームの東大阪版。図書館、ラグビー場、公園などで)
 切手のない贈り物(手話)
 ぼよよん行進曲
 風になりたい
7.万葉シャオニャン
 風が教えてくれたこと
 花咲きますように
 鉄腕アトム
杏菜ちゃんが加入してからの万葉シャオニャンをはじめて見る。いいんじゃないの、これ!さなちゃんも見に来てた。最年長の紗由美ちゃんのトークが面白くて、こんなに面白い子だったとは、と見直した。
ハッピーズには今回、ミルキーハットの智美が参加していたが、いつもと違う衣裳の雰囲気で、お人形さんみたいだった。

NHK-FMで「現代の音楽」
                         猿谷 紀郎
 − 音の現在(いま)〜トマス・アデス −(1)
「リビング・トイズ 作品9(1993)」 トマス・アデス作曲
                      (19分06秒)
            (管弦楽)ロンドン・シンフォニエッタ
                (指揮)マルクス・シュテンツ
「ハープの起源 作品13(1994)」  トマス・アデス作曲
                       (9分13秒)
             (ビオラ)ジュディス・バスブリッジ
                 (ビオラ)スーザン・ナイト
                (ビオラ)ジェームズ・ボイド
             (クラリネット)リンゼイ・マーシュ
            (クラリネット)バーナビー・ロブソン
             (クラリネット)ポール・リチャーズ
                (チェロ)ルイズ・ホプキンズ
                (チェロ)ポール・ワトキンズ
                (チェロ)ジョナサン・タネル
      (パーカッション)リチャード・ベンジャフィールド
                   (指揮)トマス・アデス
   <東芝EMI  EMI CLASSICS
                    TOCE−9696>
「ピアノと室内アンサンブルのための コンチェルト・コンシーゾ
        作品18(1997/8)」トマス・アデス作曲
                       (9分25秒)
   (アンサンブル)バーミンガム・コンテンポラリー・
                   ミュージック・グループ
               (ピアノ、指揮)トマス・アデス
   <EMI CLASSICS 50999−5
                     03404 22>
「我を救い給え 作品3b(1990)」  トマス・アデス作曲
                       (3分49秒)
      (男声合唱)ケンブリッジ・キングズカレッジ合唱団
              (オルガン)ロバート・クインニー
    <東芝EMI CLASSICS TOCE−9696>

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