大阪ヨーロッパ映画祭
2004年11月20日 映画今日から大阪ヨーロッパ映画祭がはじまった。
今回は、全席指定席システムになったが、最前列をねらう人の数は少なく、なんとか今日の3本は一番前で見ることができた。
で、見た3プログラムを順に書き残しておこう。忘れてしまうから。
まず、午後1時30分からクリストフ・バラティエ監督の「コ−ラス」。これはフランスで動員記録1位の大ヒット作らしい。日本では来年公開予定だ。規律の厳しい寄宿舎に新任の舎監がやってきた。彼は問題児だらけで学級崩壊している生徒たちに合唱を教え、交流をはかろうとする。
最初はどうしようもない落ちこぼれたちが、素晴らしいコーラスを披露できるようになる、日本でも受けそうな感動作だ。昔ながらのオーソドックスな学園感動ものなのだが、最近、こんなにも真正面から感動を描く作品は珍しいんじゃないか、と思った。とりあえず、映画が好きな人なら必見だろう。そして、ひねくれた人たちによる本作への批判の言葉が今から楽しみだ。
次は「タンペーレ短編映画特集」フィンランドのタンペーレ国際短編映画祭の受賞作が6本上映された。うち、3本はアニメーションだった。
イメ−ジ優先のアートっぽいのや、アル中の母親を持った娘を描くシリアスなドラマ。
クレイアニメの特徴を最大限に生かしたアニメ、二次元と三次元を融合したアニメなど。
なお、上映作品はスウェーデン、フィンランド、ウクライナの映画だったので、文字が読めず、タイトルをうまく表記できない。1本目のタイトルは「CAVE」(実写。部屋の中でカウボーイのロープ芸してる)、6本めは「Polaris」(人形アニメ)この2本だけはわかったけど、あとの作品は読めもしない。
しかし「タンペーレ」というのは、「短編」映画祭を開くにはもってこいの地名じゃないか、と思った。1回覚えたらなかなか忘れない。
3本めはジャン=フランソワ・アミゲ監督の「雲の南側」スイス映画。いきなりヨーデル唱法のテーマソングが流れてびっくりする。スイスの山奥でひとりで暮らす偏屈な男が仲間と一緒に中国旅行に出かける。仲間は「おいてきた犬が心配だ」とか「心臓病の悪化」とか「旅先でしりあった女性に恋をして、彼女の土地で住む」とかいろいろな事情で離脱していき、ついには偏屈男1人になる。この男、家族には次々と死なれて天涯孤独の身。牛を飼っていたが、狂牛病で全頭処分した直後の旅行だ。頑な心が旅行の中で少しずつ開かれていく。典型的なロードムーヴィーのパターンだが、ハリウッド映画みたいに、感動的な展開にならないのが、いい感じ。タイトルの「雲の南側」は、闘牛見たさに行った「雲南」のこと。
帰宅してからアニマックスで放送していた「広島国際アニメーションフェスティバル」を見た。
放送された受賞作は「ノーティス」「ザ・トラムNo.9ゴーズ・オン」「Loop Pool」「ストーミーナイト」「ガードドッグ」「鬼」「ルイーズ」「サウス・オヴ・ザ・ノース」
このうち「ザ・トラムNo.9ゴーズ・オン」は今日見たヨ−ロッパ映画祭の「タンペーレ短編映画特集」でも上映されたウクライナの作品だった。粘土アニメ。1日に2回も見られるなんて。
僕が一番面白い、と思った作品は「ガードドッグ」だった。馬鹿な犬の話で、なにを見てもご主人様への脅威と解釈して、撃退するのだ。ナンセンスな話ながら、これって、今はやりの北朝鮮バッシングとかイスラムの脅威と同じだなあ、と感じ入ったのだ。
今回は、全席指定席システムになったが、最前列をねらう人の数は少なく、なんとか今日の3本は一番前で見ることができた。
で、見た3プログラムを順に書き残しておこう。忘れてしまうから。
まず、午後1時30分からクリストフ・バラティエ監督の「コ−ラス」。これはフランスで動員記録1位の大ヒット作らしい。日本では来年公開予定だ。規律の厳しい寄宿舎に新任の舎監がやってきた。彼は問題児だらけで学級崩壊している生徒たちに合唱を教え、交流をはかろうとする。
最初はどうしようもない落ちこぼれたちが、素晴らしいコーラスを披露できるようになる、日本でも受けそうな感動作だ。昔ながらのオーソドックスな学園感動ものなのだが、最近、こんなにも真正面から感動を描く作品は珍しいんじゃないか、と思った。とりあえず、映画が好きな人なら必見だろう。そして、ひねくれた人たちによる本作への批判の言葉が今から楽しみだ。
次は「タンペーレ短編映画特集」フィンランドのタンペーレ国際短編映画祭の受賞作が6本上映された。うち、3本はアニメーションだった。
イメ−ジ優先のアートっぽいのや、アル中の母親を持った娘を描くシリアスなドラマ。
クレイアニメの特徴を最大限に生かしたアニメ、二次元と三次元を融合したアニメなど。
なお、上映作品はスウェーデン、フィンランド、ウクライナの映画だったので、文字が読めず、タイトルをうまく表記できない。1本目のタイトルは「CAVE」(実写。部屋の中でカウボーイのロープ芸してる)、6本めは「Polaris」(人形アニメ)この2本だけはわかったけど、あとの作品は読めもしない。
しかし「タンペーレ」というのは、「短編」映画祭を開くにはもってこいの地名じゃないか、と思った。1回覚えたらなかなか忘れない。
3本めはジャン=フランソワ・アミゲ監督の「雲の南側」スイス映画。いきなりヨーデル唱法のテーマソングが流れてびっくりする。スイスの山奥でひとりで暮らす偏屈な男が仲間と一緒に中国旅行に出かける。仲間は「おいてきた犬が心配だ」とか「心臓病の悪化」とか「旅先でしりあった女性に恋をして、彼女の土地で住む」とかいろいろな事情で離脱していき、ついには偏屈男1人になる。この男、家族には次々と死なれて天涯孤独の身。牛を飼っていたが、狂牛病で全頭処分した直後の旅行だ。頑な心が旅行の中で少しずつ開かれていく。典型的なロードムーヴィーのパターンだが、ハリウッド映画みたいに、感動的な展開にならないのが、いい感じ。タイトルの「雲の南側」は、闘牛見たさに行った「雲南」のこと。
帰宅してからアニマックスで放送していた「広島国際アニメーションフェスティバル」を見た。
放送された受賞作は「ノーティス」「ザ・トラムNo.9ゴーズ・オン」「Loop Pool」「ストーミーナイト」「ガードドッグ」「鬼」「ルイーズ」「サウス・オヴ・ザ・ノース」
このうち「ザ・トラムNo.9ゴーズ・オン」は今日見たヨ−ロッパ映画祭の「タンペーレ短編映画特集」でも上映されたウクライナの作品だった。粘土アニメ。1日に2回も見られるなんて。
僕が一番面白い、と思った作品は「ガードドッグ」だった。馬鹿な犬の話で、なにを見てもご主人様への脅威と解釈して、撃退するのだ。ナンセンスな話ながら、これって、今はやりの北朝鮮バッシングとかイスラムの脅威と同じだなあ、と感じ入ったのだ。
さあ、今日は芦原橋でアイドルイベント「HELP!」。
今日は井野雅美(CHAMI)の登場もあり、ジョジョ川も出る、というので、特にテーマを決めず、見たい映像だけを集めて持っていった。草壁、カシワギ両氏がトークにからめて要所要所で映像を見せるのと違って、僕はただ、「これ、面白いから見ようよ」ばっかり。イベントというより、ともだちに自分の好きなビデオを見せているのと同じ。まったりしてて居心地いい、と思うのは僕だけかもしれないので、次からちゃんとします。
19日は今関あきよし監督の誕生日だった。それにからめたイベントをすればよかった、と思うのは、後になって思い付いてしまういつもの悪い癖だ。
次回は12月12日(日)、その前に「ゴールドフィンガー」と題するライブを26日(金)に同じ芦原橋ウィングホールでやる。ライブの出演は自分BOX、ジョジョ川、井野雅美、丼野M美。
今回のイベントでも、開演前の楽屋から打ち上げで朝帰るまで、ずっと楽しかった。
僕の予定では年内に大きな地震があって、「なんじゃそりゃ」というような死に方をすることになっているので、それまでは全速力で走るのだ。一服している暇はない、というか、一生が一服みたいなものかもしれない。
今日は井野雅美(CHAMI)の登場もあり、ジョジョ川も出る、というので、特にテーマを決めず、見たい映像だけを集めて持っていった。草壁、カシワギ両氏がトークにからめて要所要所で映像を見せるのと違って、僕はただ、「これ、面白いから見ようよ」ばっかり。イベントというより、ともだちに自分の好きなビデオを見せているのと同じ。まったりしてて居心地いい、と思うのは僕だけかもしれないので、次からちゃんとします。
19日は今関あきよし監督の誕生日だった。それにからめたイベントをすればよかった、と思うのは、後になって思い付いてしまういつもの悪い癖だ。
次回は12月12日(日)、その前に「ゴールドフィンガー」と題するライブを26日(金)に同じ芦原橋ウィングホールでやる。ライブの出演は自分BOX、ジョジョ川、井野雅美、丼野M美。
今回のイベントでも、開演前の楽屋から打ち上げで朝帰るまで、ずっと楽しかった。
僕の予定では年内に大きな地震があって、「なんじゃそりゃ」というような死に方をすることになっているので、それまでは全速力で走るのだ。一服している暇はない、というか、一生が一服みたいなものかもしれない。
コメントをみる |

思想なんかいらない生活
2004年11月18日 読書
勢古浩爾の『思想なんかいらない生活』を読んだ。哲学や思想書の言い回しがちんぷんかんぷんで、ちっとも大衆に声が届いていないぞ、という内容の本で、日本の現代思想の担い手たちがこきおろされている。たしかに、哲学などを読んでいると、一読、全く何が書いてあるのかわからない文章も読まされることがあるし、また、読んで意味を理解したところで、「だから何?」という感想を抱いてしまうこともある。そこが面白い、という読み方もできるので、なかなか哲学からおさらばできないけど。それより僕が気になったのは、この本が誰に向けて書かれているんあだろう、ということだった。もともとベストセラーしか読まない人にとっては思想なんてはなから関係がない。そして思想書を好んで読む人にとっては、「難解すぎて大衆にはわからない」という批判はこれまた関係がない。じゃあ、この本は何の意味もないのかというと、僕としてはとても面白かったのだ。どう面白かったかというと、本書にどんな反応が寄せられているのか、ということだ。
ネット上では多くの人が読書の感想などをブログで公開している。いくつか本書の感想を読んだが、おおむね、酷評である。著者の哲学的素養の無さを暴露するものだ、と書いてみたり、思想批判もまた思想である、と言ってみたり。
哲学を好きで読んでいる人にとっては、まるで自分がボロクソに言われているように感じるのだろう。感情的に反論する文章にもでくわした。
で、僕はどうかというと、哲学を読んでも、誰が何を言ったか、ということにはそれほど興味はない。と、いうか、覚えていない。僕が感心するのは「へー、こんなことを問題視している人がいるんだ」とか「へー、こんな視点からものを見る方法もあるのか」とか「なるほど、そう言われるとわかる」とか。たとえばカントが何を言った人なのか、などどうでもいい。同じ問題について、自分はどう考えるのか。そのための1つの回答例として本を読んでいる。それが理解できないとか、納得できない場合は、自分で考えればすむ話だ。つくづく記憶力のない人間の発想法だが、しかたない。覚えられないんだもん。自分で一応出した答だって忘れてしまう。かつて出した答が今でも自分にとって正解なのかどうか不明だし、その都度考えればいいのだ。ポイントは、その考えを極力スピーディーにすることだけだ。1つのことを1月以上にわたって考えていると、問題自体が腐ってくる。
本書は「生活する上で思想なんかいらない」という。まさにしかり。でも「思想」に「フィギュア」とか「ガチャガチャ」とか「サンリオ」とかいろんな事柄を代入しても文章は成立する。「思想」を一段高いものとしてとらえる人なんて今どきいないんじゃないか、と思うので、もしも「思想」によって自分がレベルアップすると勘違いしているのなら、この本は役に立つだろう。でも、何度も言いたい。思想がなくても生きていける。と、同時に、思想があっても生きていける。しょせんはそれだけのことだ。「しょせん」は哲学や思想にもかかるし、生活にもかかる。
明日、19日は芦原橋ウィングホールで「HELP!」のイベント。
雨模様だ。お客さん百人集まるかな?
ネット上では多くの人が読書の感想などをブログで公開している。いくつか本書の感想を読んだが、おおむね、酷評である。著者の哲学的素養の無さを暴露するものだ、と書いてみたり、思想批判もまた思想である、と言ってみたり。
哲学を好きで読んでいる人にとっては、まるで自分がボロクソに言われているように感じるのだろう。感情的に反論する文章にもでくわした。
で、僕はどうかというと、哲学を読んでも、誰が何を言ったか、ということにはそれほど興味はない。と、いうか、覚えていない。僕が感心するのは「へー、こんなことを問題視している人がいるんだ」とか「へー、こんな視点からものを見る方法もあるのか」とか「なるほど、そう言われるとわかる」とか。たとえばカントが何を言った人なのか、などどうでもいい。同じ問題について、自分はどう考えるのか。そのための1つの回答例として本を読んでいる。それが理解できないとか、納得できない場合は、自分で考えればすむ話だ。つくづく記憶力のない人間の発想法だが、しかたない。覚えられないんだもん。自分で一応出した答だって忘れてしまう。かつて出した答が今でも自分にとって正解なのかどうか不明だし、その都度考えればいいのだ。ポイントは、その考えを極力スピーディーにすることだけだ。1つのことを1月以上にわたって考えていると、問題自体が腐ってくる。
本書は「生活する上で思想なんかいらない」という。まさにしかり。でも「思想」に「フィギュア」とか「ガチャガチャ」とか「サンリオ」とかいろんな事柄を代入しても文章は成立する。「思想」を一段高いものとしてとらえる人なんて今どきいないんじゃないか、と思うので、もしも「思想」によって自分がレベルアップすると勘違いしているのなら、この本は役に立つだろう。でも、何度も言いたい。思想がなくても生きていける。と、同時に、思想があっても生きていける。しょせんはそれだけのことだ。「しょせん」は哲学や思想にもかかるし、生活にもかかる。
明日、19日は芦原橋ウィングホールで「HELP!」のイベント。
雨模様だ。お客さん百人集まるかな?
誇りと抵抗―権力政治(パワー・ポリティクス)を葬る道のり
2004年11月17日 読書
鼻血は毎日出ているが、今日は耳からも血が出た。
なんだ、これは。「耳血」で「みみっちい」ということか。みみっちくないぞ!むしろ浪費家だ!出たばっかりの給料はもう全部なくなって、早速借金だぞ!どうだ、まいったか。
アルンダティ・ロイの『誇りと抵抗〜権力政治(パワーポリティクス)を葬る道のり』を読んだ。アルンダティ・ロイはインド生まれの女性作家、僕と同い年だ。
この本にはインドでの権力政治による圧力を中心に、アメリカのグローバリゼーション、チョムスキーについてなど、6編のエッセイが収められている。
本書収録の「チョムスキーの孤独」と題するエッセイで、原爆投下時のチョムスキーの孤独の話が興味深い。アメリカが日本に原爆を落としたというニュースを聞いたとき、アメリカ人はみんな快哉を叫んだ。チョムスキーは「これはえらいことになった」と思ったのか「何をするねん」と思ったのか知らないが、自分の気持ちを共に語る相手がおらず、孤独だったというのだ。確かに原爆で死んだ人々は一般市民だ。世界の脅威でもなんでもない。害虫退治のように大量に人を殺すやり方はアメリカが再三に渡ってとっている。そんな原爆落としたアメリカと同盟組んだ気で腰ぎんちゃくになっている日本とは不思議な国だ。と、ありきたりの感想なども書いておこう。
また、インドの政治についてはあまり知らなかったが、不必要な巨大ダム建設によって追い出されて村が消え、しかも別に住む場所を与えられていない、とか、でっちあげで裁判が行われるとか、まあ、どこの国でも変わらぬ権力による不正が横行しているのがよくわかる。
ハンガーストライキなどの非暴力の抵抗に政府はなかなか耳を貸さない。
やはり暴力など、力の行使のみが有効なのだろうか。
アメリカによるイラク大虐殺の理屈だ。
そこで頭に浮かんだのは、アメリカや日本での政府の決まり文句「テロには屈しない」だ。人質とられても国は助けてはくれない。日本人1人見殺しにしてでもイラク人虐殺に手助けしたいのだ。テロリストたちにとっては朗報ではないだろうか。テロリストたちはとにかく人質さえとれば、もう殺してもいいという承認を得たも同然なのだ。
ブッシュ再選、アラファト死去、台風や地震の災害による復興、北朝鮮など、「どうなるんだろう」と思う問題は山積みになっている。
本書には次のような記述がある。
「わたしたちの世界で起こっていることは、あまりに巨大すぎて、人間の頭では理解できない。だが、それは、とてもとてもひどい事だ。その胴回りを測り、その正体をはっきりさせ、戦いを挑むことを、すべていっぺんにやろうとしても無理な話だ。
それと戦う唯一の方法は、特定の方法で特定の戦争を戦うこと」
ついファウストにならって悪魔に魂売ってでもオールマイティになりたいが、特定の戦いをしていくしか手はないのかもしれない。
とか言って、戦えるのか?
なんだ、これは。「耳血」で「みみっちい」ということか。みみっちくないぞ!むしろ浪費家だ!出たばっかりの給料はもう全部なくなって、早速借金だぞ!どうだ、まいったか。
アルンダティ・ロイの『誇りと抵抗〜権力政治(パワーポリティクス)を葬る道のり』を読んだ。アルンダティ・ロイはインド生まれの女性作家、僕と同い年だ。
この本にはインドでの権力政治による圧力を中心に、アメリカのグローバリゼーション、チョムスキーについてなど、6編のエッセイが収められている。
本書収録の「チョムスキーの孤独」と題するエッセイで、原爆投下時のチョムスキーの孤独の話が興味深い。アメリカが日本に原爆を落としたというニュースを聞いたとき、アメリカ人はみんな快哉を叫んだ。チョムスキーは「これはえらいことになった」と思ったのか「何をするねん」と思ったのか知らないが、自分の気持ちを共に語る相手がおらず、孤独だったというのだ。確かに原爆で死んだ人々は一般市民だ。世界の脅威でもなんでもない。害虫退治のように大量に人を殺すやり方はアメリカが再三に渡ってとっている。そんな原爆落としたアメリカと同盟組んだ気で腰ぎんちゃくになっている日本とは不思議な国だ。と、ありきたりの感想なども書いておこう。
また、インドの政治についてはあまり知らなかったが、不必要な巨大ダム建設によって追い出されて村が消え、しかも別に住む場所を与えられていない、とか、でっちあげで裁判が行われるとか、まあ、どこの国でも変わらぬ権力による不正が横行しているのがよくわかる。
ハンガーストライキなどの非暴力の抵抗に政府はなかなか耳を貸さない。
やはり暴力など、力の行使のみが有効なのだろうか。
アメリカによるイラク大虐殺の理屈だ。
そこで頭に浮かんだのは、アメリカや日本での政府の決まり文句「テロには屈しない」だ。人質とられても国は助けてはくれない。日本人1人見殺しにしてでもイラク人虐殺に手助けしたいのだ。テロリストたちにとっては朗報ではないだろうか。テロリストたちはとにかく人質さえとれば、もう殺してもいいという承認を得たも同然なのだ。
ブッシュ再選、アラファト死去、台風や地震の災害による復興、北朝鮮など、「どうなるんだろう」と思う問題は山積みになっている。
本書には次のような記述がある。
「わたしたちの世界で起こっていることは、あまりに巨大すぎて、人間の頭では理解できない。だが、それは、とてもとてもひどい事だ。その胴回りを測り、その正体をはっきりさせ、戦いを挑むことを、すべていっぺんにやろうとしても無理な話だ。
それと戦う唯一の方法は、特定の方法で特定の戦争を戦うこと」
ついファウストにならって悪魔に魂売ってでもオールマイティになりたいが、特定の戦いをしていくしか手はないのかもしれない。
とか言って、戦えるのか?
餃子大王の森かずお氏の講演を聞きに大正区民ホールに行った。これは「第20回よき日をめざして〜2004たいしょう人権展」の催しの一環として開かれたもので、講演テーマは「こどもと一緒に楽しい学校を作ろう〜小学校・中学校それぞれで感じたこと〜」
最近あまりライブに参加していないのでついつい忘れがちだが、僕も餃子大王にゲリラ的に出演するメンバーのひとりなのだ。自分では「遊撃隊」とか「発作」と自称している。ライブそのものにはあまりかかわらず、前説みたいなスタンスで関わっているのだ。これはモダンチョキチョキズでの僕の当初のスタンスに近いものがある。決め事なしの自由演技というやつだ。
さて、大正区民ホールだ。市バスに乗り間違えて、余裕で間に合うはずが、着いたらもう講演ははじまっていた。でも、心配なし。森先生のことだ。サービスたっぷりに長時間の講演をしてくれていた。
教え子のバンドの映像を上映したり、森先生みずからギターをとって歌ったり、ある意味、餃子大王の入門編にもなっていた。聴衆はシルバー世代が大半で、うっかりすると40代の僕が平均年齢を下げていたんじゃないか、と思えたほどだ。
僕は学校に事務職員として十数年勤務していたときの印象で、学校や教育というものにまったく価値も希望も見い出せなくなっていた。しかし、学生時代、僕は学校が大好きだったのだ。森先生の熱血ぶりを見ていると、その頃の自分を思い出し、学校にも希望を持っていいんじゃないか、と思えてくる。学校にかぎらず、どんな状況のいかなる事柄にも希望を見いだすのは人間の特権だ。何かを見限ってしまうのは敗北主義でつまらない。
読んだ本は小川勝己の『狗』。悪女のバリエーション5編が収録されている。以下、ネタバレ含むので、未読の人は指の間から見るように。
『蝋燭遊戯』臭いから、という理由で女にふられた男。2年後、別の人と結婚することになったが、それを聞き付けた女に結婚披露宴をむちゃくちゃにされる。女の結婚披露宴で仕返ししようとした男にさらなる悲劇が。女の結婚相手は暴力団に関係があったのだ。
『老人と膿』痴呆老人を虐待する一家。徘徊する老人を家に帰してもその家族から冷たく応対されるのだ。キレた主人公は老人に梅毒を仕込んで一家を崩壊させる。
『You裡』キャバクラ(ベイビーキッス!)の女が積極的な営業活動。お金がないから、とか家族がいるから、と断ろうとすると、家に火をつけられて一家焼死。これで家族もいなくなったし、火災保険も入るでしょ。
『代償』生徒の母親と関係を持つ教師。別れ話に脅迫で対抗する女を殺してしまった教師は、物盗りの犯行に見せようとしたが、大きな落とし穴があった。生徒の部屋を物色しなかったことが不自然な思いを抱かせたのだ。
『夢の報酬』バンドでメジャーをめざす若者たち。ライブハウス出演が決まったタイミングでボーカルが殺される。自分を捨てて巣立っていくことを恐れたボーカルの恋人が犯人なのか?いや、すねをかじっていた主人公が一人立ちすることを嫌がった母親のしわざだったのだ。
どう?なんと薄っぺらな人間たちなのか!われわれがふだんの会話でボケるシチュエーションをそのまま小説にしたようなおもむきだ。うすっぺらな人間を描くとき、小川勝己は生き生きとしている。この作品集は悪女カタログと銘打っているが、情けない男のカタログでもある。女に狂わされる人生。それは女が悪いだけではない。しょせんはそれだけの人生なのだ。狂わされただけよかったと思え。
情けない男とどうしようもない女を描いている、という意味で、この本はまさに「狗頭狗肉」の作品集だと言えよう。
気温も低くなってきて、いよいよボンボンの季節になってきた。今日はとりあえず冬の常備チョコレート「バッカス」で至福のひととき。
最近あまりライブに参加していないのでついつい忘れがちだが、僕も餃子大王にゲリラ的に出演するメンバーのひとりなのだ。自分では「遊撃隊」とか「発作」と自称している。ライブそのものにはあまりかかわらず、前説みたいなスタンスで関わっているのだ。これはモダンチョキチョキズでの僕の当初のスタンスに近いものがある。決め事なしの自由演技というやつだ。
さて、大正区民ホールだ。市バスに乗り間違えて、余裕で間に合うはずが、着いたらもう講演ははじまっていた。でも、心配なし。森先生のことだ。サービスたっぷりに長時間の講演をしてくれていた。
教え子のバンドの映像を上映したり、森先生みずからギターをとって歌ったり、ある意味、餃子大王の入門編にもなっていた。聴衆はシルバー世代が大半で、うっかりすると40代の僕が平均年齢を下げていたんじゃないか、と思えたほどだ。
僕は学校に事務職員として十数年勤務していたときの印象で、学校や教育というものにまったく価値も希望も見い出せなくなっていた。しかし、学生時代、僕は学校が大好きだったのだ。森先生の熱血ぶりを見ていると、その頃の自分を思い出し、学校にも希望を持っていいんじゃないか、と思えてくる。学校にかぎらず、どんな状況のいかなる事柄にも希望を見いだすのは人間の特権だ。何かを見限ってしまうのは敗北主義でつまらない。
読んだ本は小川勝己の『狗』。悪女のバリエーション5編が収録されている。以下、ネタバレ含むので、未読の人は指の間から見るように。
『蝋燭遊戯』臭いから、という理由で女にふられた男。2年後、別の人と結婚することになったが、それを聞き付けた女に結婚披露宴をむちゃくちゃにされる。女の結婚披露宴で仕返ししようとした男にさらなる悲劇が。女の結婚相手は暴力団に関係があったのだ。
『老人と膿』痴呆老人を虐待する一家。徘徊する老人を家に帰してもその家族から冷たく応対されるのだ。キレた主人公は老人に梅毒を仕込んで一家を崩壊させる。
『You裡』キャバクラ(ベイビーキッス!)の女が積極的な営業活動。お金がないから、とか家族がいるから、と断ろうとすると、家に火をつけられて一家焼死。これで家族もいなくなったし、火災保険も入るでしょ。
『代償』生徒の母親と関係を持つ教師。別れ話に脅迫で対抗する女を殺してしまった教師は、物盗りの犯行に見せようとしたが、大きな落とし穴があった。生徒の部屋を物色しなかったことが不自然な思いを抱かせたのだ。
『夢の報酬』バンドでメジャーをめざす若者たち。ライブハウス出演が決まったタイミングでボーカルが殺される。自分を捨てて巣立っていくことを恐れたボーカルの恋人が犯人なのか?いや、すねをかじっていた主人公が一人立ちすることを嫌がった母親のしわざだったのだ。
どう?なんと薄っぺらな人間たちなのか!われわれがふだんの会話でボケるシチュエーションをそのまま小説にしたようなおもむきだ。うすっぺらな人間を描くとき、小川勝己は生き生きとしている。この作品集は悪女カタログと銘打っているが、情けない男のカタログでもある。女に狂わされる人生。それは女が悪いだけではない。しょせんはそれだけの人生なのだ。狂わされただけよかったと思え。
情けない男とどうしようもない女を描いている、という意味で、この本はまさに「狗頭狗肉」の作品集だと言えよう。
気温も低くなってきて、いよいよボンボンの季節になってきた。今日はとりあえず冬の常備チョコレート「バッカス」で至福のひととき。
カレル・ゼマン、あずみ、いくつかのテレビ番組
2004年11月15日 映画
朝から天気が怪しい。ちょっと遠出する計画もあったのだが、やめて夕方まで日本橋巡回するだけで帰宅した。昨日の深夜聞いた「ラジオげんしけん」とかテレビの「EZ」の秋葉原特集が頭にあったようで、「ゲーマーズ」と「とらのあな」には行こうと思っていたのだ。テレビでは「コトブキヤ」で「ミント」を買ってたっけ。
上記2店では「げんしけん」「スクールランブル」「みなみけ」オシだった。「みなみけ」はまだ購入もしていないし、読んでいないが、ヤングマガジンでちらちら読んでいるかぎり、魅力がはっきりと伝わらない作品だった。僕はもともと単行本にまとまってから読む方が好きなので、まとめて読めばきっと良さがわかるのだろう。「げんしけん」だって雑誌連載を読んでもあまりいいとは思わないのに、コミックスで読むと無茶苦茶面白かったのだから。
昨日の夜テレビで見た「ミニミニ映像大賞」の中で、ミシェル・ゴンドリーが、自分の作品は幼い頃に見たチェコアニメに影響を受けている、と言っていた。それを思い出して録画しておいた「カレル・ゼマンの世界パート2」を見た。短編「プロコウク氏、映画製作の巻」(1947年)はカメラを向けられるととたんに張り切る人々を諷刺している。ラストに観客にカメラが向けられるアイディアはアングラサブカルチャーの香りがして面白い。もう1本は長篇「鳥の島の財宝」(1952年)海賊の宝を手にいれた島の住人たちは、金持ちになったとばかりに仕事もせずに寝て暮らす。誰も働かないので店も開かず、食べ物をめぐって争いになる。海賊が宝を奪って、島は元通り。幸せに生きるには宝など必要ないという教訓。そうだ。金持ちなんかになると、みんな不幸になり、争いを招き、疑心暗鬼になる。これはアメリカを見ていればよくわかる。この教訓に感銘を受けた人は、貯金なんか全部おろしてしまい、捨てる意味で僕に与えて、幸せな境地に至るべきではないか。
続けて、録画しておいた「あずみ」を見た。最初のうちは上戸彩のスピードの無さがあずみっぽくないなあ、と感じたのだが、いつのまにか「速い!」と思うようになっていた。この映画では美女丸との闘い、加藤清正斬りまでを描いている。ファーストシーンがいきなりラストのクライマックスを思わせるのは漫画と同じ。この映画、クライマックスでの大チャンバラには驚いた。公開時はよく宣伝していたので、こういうシーンがあるとわかっていたのだが、今突然見たりすると、そんな予備知識など忘れているので、純粋にびっくりしたのだ。来年公開予定の第2弾にも期待が持てた。月斎の変な踊りをあずみが真似するシーンがないのが残念だったので、次こそは取り入れてほしい。
映画で見てみて「あずみ」は敵がエキセントリックなんだな、とはじめて感じた。ぼんやり読んでいた証拠だ。思い出してみれば、漫画に出てきた静音双子だってたいがい常軌を逸していた。この漫画、人気があるからいいものの、もしも不人気なら、とんでもないカルト作品に数えられたんじゃないか、と思った。まあ、普通本とか漫画読むとき、いちいち分析したり批評なんかしないしね。今回は敵の印象が強くて、「ああ、こいつら変な奴らだったんだ」とあらためて思った次第。
以下、見たテレビ番組での備忘録。
「忠臣蔵」で薩州浪人の村上鬼剣登場。田崎潤のはまり役だということが逆算して確認できた。たしかにこの役、田崎潤にやらせたいもんなあ。今回の本当の目玉は清水一角登場かな。
「ブラックジャック」はきつい先生と、学校に行きたくない生徒の話。一般的に考えて、社会性に乏しい先生に根性の悪い生徒、無能な職員が学校にはそろっている。これじゃ学校に行く理由なんてないようなものだ。でも、学校なんて問題にするに足りない。嫌がって行かない、というのもつまらないのだ。
「中学生日記」は「おやすみやさん」小林元美の「羊が1匹、羊が2匹」にマジで眠りそうになった。小林の可愛さもあわせて、大傑作とほめてやりたい。名作「わたしたちの名前はどの辞書にも載っていない」の杉浦光季がメール魔で夜中でも人の迷惑考えずにどうでもいいメール送ってくる、という設定も意外だった。
「明石家電視台」のクイズのコーナーにグラビアアイドルの片瀬桃花と大久保麻梨子が出てきた。どちらも馬鹿じゃないので、お笑い番組としてはインパクトを残せなかったようだが、どっちもきれいやねー。
「げんしけん」の予告編のときのナレーションが毎回面白い。オタク初級編というおもむき。今回はレイヤーについて。ラジオげんしけんでも最後のプチネタがオタクの本音っぽくて面白かった。トリビアの泉のオタクネタがオタクにとっては常識以前の問題だということを言っていた。(オバQの劇画バージョンのこと。そりゃ誰でも知ってるでしょ)
「神無月の巫女」はもはやストーリーをおってません。ウテナのパロディーかと思ってしまうシーンなど、この作品はオタク要素のコラージュなんだろうか。
「流星戦隊ムスメット」もコラ−ジュぶりなら負けていない。オタクと声優たちがよってたかって遊んでいる作品なのかなー。その自家中毒っぷりが見ものなのだ。今回はオトメット登場。神経症の人などは、「人の心の中に土足でふみこむ」なんて表現を使いたがるが、そんなことでダメージを受けるのは田舎に住んでいるからなのだ。都会に住んでいれば、土足で入ってこられてもたいして汚れないのだ。道は舗装されてるし、マンションなど入ると足ふきマットが敷いてあるし。空気のいい、自然が豊富な田舎に行けば神経の疲れがとれるなんて嘘っぱちだ。早くそこに気づけ!
「NUDE」の今週登場はBOYSTYLE。当たり前かもしれないけど、デビューの頃から顔が変わったねえ。
何時間テレビ見てるんだ。大相撲も見たしなあ。内Pとか。読書もしてるし、僕の1日はいったい何時間なんだろう。
上記2店では「げんしけん」「スクールランブル」「みなみけ」オシだった。「みなみけ」はまだ購入もしていないし、読んでいないが、ヤングマガジンでちらちら読んでいるかぎり、魅力がはっきりと伝わらない作品だった。僕はもともと単行本にまとまってから読む方が好きなので、まとめて読めばきっと良さがわかるのだろう。「げんしけん」だって雑誌連載を読んでもあまりいいとは思わないのに、コミックスで読むと無茶苦茶面白かったのだから。
昨日の夜テレビで見た「ミニミニ映像大賞」の中で、ミシェル・ゴンドリーが、自分の作品は幼い頃に見たチェコアニメに影響を受けている、と言っていた。それを思い出して録画しておいた「カレル・ゼマンの世界パート2」を見た。短編「プロコウク氏、映画製作の巻」(1947年)はカメラを向けられるととたんに張り切る人々を諷刺している。ラストに観客にカメラが向けられるアイディアはアングラサブカルチャーの香りがして面白い。もう1本は長篇「鳥の島の財宝」(1952年)海賊の宝を手にいれた島の住人たちは、金持ちになったとばかりに仕事もせずに寝て暮らす。誰も働かないので店も開かず、食べ物をめぐって争いになる。海賊が宝を奪って、島は元通り。幸せに生きるには宝など必要ないという教訓。そうだ。金持ちなんかになると、みんな不幸になり、争いを招き、疑心暗鬼になる。これはアメリカを見ていればよくわかる。この教訓に感銘を受けた人は、貯金なんか全部おろしてしまい、捨てる意味で僕に与えて、幸せな境地に至るべきではないか。
続けて、録画しておいた「あずみ」を見た。最初のうちは上戸彩のスピードの無さがあずみっぽくないなあ、と感じたのだが、いつのまにか「速い!」と思うようになっていた。この映画では美女丸との闘い、加藤清正斬りまでを描いている。ファーストシーンがいきなりラストのクライマックスを思わせるのは漫画と同じ。この映画、クライマックスでの大チャンバラには驚いた。公開時はよく宣伝していたので、こういうシーンがあるとわかっていたのだが、今突然見たりすると、そんな予備知識など忘れているので、純粋にびっくりしたのだ。来年公開予定の第2弾にも期待が持てた。月斎の変な踊りをあずみが真似するシーンがないのが残念だったので、次こそは取り入れてほしい。
映画で見てみて「あずみ」は敵がエキセントリックなんだな、とはじめて感じた。ぼんやり読んでいた証拠だ。思い出してみれば、漫画に出てきた静音双子だってたいがい常軌を逸していた。この漫画、人気があるからいいものの、もしも不人気なら、とんでもないカルト作品に数えられたんじゃないか、と思った。まあ、普通本とか漫画読むとき、いちいち分析したり批評なんかしないしね。今回は敵の印象が強くて、「ああ、こいつら変な奴らだったんだ」とあらためて思った次第。
以下、見たテレビ番組での備忘録。
「忠臣蔵」で薩州浪人の村上鬼剣登場。田崎潤のはまり役だということが逆算して確認できた。たしかにこの役、田崎潤にやらせたいもんなあ。今回の本当の目玉は清水一角登場かな。
「ブラックジャック」はきつい先生と、学校に行きたくない生徒の話。一般的に考えて、社会性に乏しい先生に根性の悪い生徒、無能な職員が学校にはそろっている。これじゃ学校に行く理由なんてないようなものだ。でも、学校なんて問題にするに足りない。嫌がって行かない、というのもつまらないのだ。
「中学生日記」は「おやすみやさん」小林元美の「羊が1匹、羊が2匹」にマジで眠りそうになった。小林の可愛さもあわせて、大傑作とほめてやりたい。名作「わたしたちの名前はどの辞書にも載っていない」の杉浦光季がメール魔で夜中でも人の迷惑考えずにどうでもいいメール送ってくる、という設定も意外だった。
「明石家電視台」のクイズのコーナーにグラビアアイドルの片瀬桃花と大久保麻梨子が出てきた。どちらも馬鹿じゃないので、お笑い番組としてはインパクトを残せなかったようだが、どっちもきれいやねー。
「げんしけん」の予告編のときのナレーションが毎回面白い。オタク初級編というおもむき。今回はレイヤーについて。ラジオげんしけんでも最後のプチネタがオタクの本音っぽくて面白かった。トリビアの泉のオタクネタがオタクにとっては常識以前の問題だということを言っていた。(オバQの劇画バージョンのこと。そりゃ誰でも知ってるでしょ)
「神無月の巫女」はもはやストーリーをおってません。ウテナのパロディーかと思ってしまうシーンなど、この作品はオタク要素のコラージュなんだろうか。
「流星戦隊ムスメット」もコラ−ジュぶりなら負けていない。オタクと声優たちがよってたかって遊んでいる作品なのかなー。その自家中毒っぷりが見ものなのだ。今回はオトメット登場。神経症の人などは、「人の心の中に土足でふみこむ」なんて表現を使いたがるが、そんなことでダメージを受けるのは田舎に住んでいるからなのだ。都会に住んでいれば、土足で入ってこられてもたいして汚れないのだ。道は舗装されてるし、マンションなど入ると足ふきマットが敷いてあるし。空気のいい、自然が豊富な田舎に行けば神経の疲れがとれるなんて嘘っぱちだ。早くそこに気づけ!
「NUDE」の今週登場はBOYSTYLE。当たり前かもしれないけど、デビューの頃から顔が変わったねえ。
何時間テレビ見てるんだ。大相撲も見たしなあ。内Pとか。読書もしてるし、僕の1日はいったい何時間なんだろう。
GAMES JAPAN FESTA、田仲容子回顧展
2004年11月14日 ゲーム
マイドームおおさかで開催された「GAMES JAPAN FESTA」に遊びに行った。コンシューマーゲームの新作を無料で体験できる。
ステージではハドソンの高橋名人が年齢を感じさせない風貌で出てきたりした。
ニンテンドーDSをはじめてさわって「ZOO KEEPER」をプレイしてみた。ゲームボーイの進化したもの、というより、携帯電話の流れの変種、という印象を受けた。ゲームは普通に面白かった。話題の「きみのためなら死ねる」には長蛇の列ができていたため避けた。並んで待つのが嫌なのだ。そう。この会場で僕はゲーム三昧だったが、並ぶ人のいないゲームばかりしていたので、超話題作などはプレイしていない。それでもクソゲーばかりというわけではなく、かなり楽しめたのだ。
僕がプレイしたうちで、これは面白い、と感じたのは、「桃太郎電鉄USA」(ボードゲーム)と「すくすく犬福」(クイズ&バラエティ)だった。犬福自身、会場をうろうろと動いていた。キャンペーンガールやメイドさんなども見られた。それ以外にプレイしたのは「レッド・デッド・リボルバー」(ガンアクション)、「ズーキーパー」(パズル)、「Mr.インクレディブル(GBA)」(アクション)、「喧嘩上等!ヤンキー番長〜昭和99年の伝説〜」(アクション)、「ハローキティのピコピコ大作戦!」(3Dアクション)、「川のぬし釣り〜ワンダフルジャーニー〜」(釣りRPG)、「ぷくぷく天然かいらんばん〜ようこそイリュージョンランドへ〜」(動物バラエティ)だったかな。なんとなく予想がつきそうだが、たぶん2度としないであろうゲームも含まれている。
マイドームおおさかから歩いてすぐだということで、マニフェストギャラリーに足をのばした。今日から田仲容子回顧展「見えないモノと見えるモノ」を展示しているのだ。まず隣のThe 14th.MOONに入った。ここには田仲容子さんの作品が展示してあるのだ。店に入るなり、チチ松村さんに久しぶりで会い、挨拶など。ワークルームの塚村さんにも。いろいろしゃべるうちに、昔はっすじの仮装大会でミック宮川と一緒に「タンスと防虫剤」をやったのを思い出した。なんとそのとき出場した「蹴鞠する麿」がそこに実在していたのだ!
田仲容子さんとは以前の日記にも書いたとおり、芸術集団「アケボノ」で一緒に遊んでいた仲間だ。この店で田仲さんの作品を見ていると、その頃の自分にタイムスリップしたかのような血湧き肉躍る芸術的な力がよみがえる。と言っても、僕の場合はよみがえっても「タンスと防虫剤」なので、今と全然変わっていない。
マニフェストギャラリーの方はいろんな人が田仲容子さんに寄せて作品を出している。なかでも懐かしかったのが、藤本由紀夫さんが出した真っ黒のフラワーロック。僕はすっかり忘れていたのだが、この花は、僕が「ボンゲンガンバンガラビンゲーン」とたわごとを叫んでいるテープを再生するのにあわせて、気色悪く踊るアケボノの作品だったのだ。植木鉢にあたる部分にはちゃんと「AKEBONO」の文字があるので間違いない。僕の声のテープはなかった。雰囲気を壊すからだと見た。
今日は情熱大陸で小倉優子がとりあげられ、深夜にはミニミニ映像大賞でもナビゲーターとして小倉優子が出てきた。顎の下の黒点を目にするたびにホッとする。あの黒点は僕の第二のふるさとだ!(根拠なし)
ステージではハドソンの高橋名人が年齢を感じさせない風貌で出てきたりした。
ニンテンドーDSをはじめてさわって「ZOO KEEPER」をプレイしてみた。ゲームボーイの進化したもの、というより、携帯電話の流れの変種、という印象を受けた。ゲームは普通に面白かった。話題の「きみのためなら死ねる」には長蛇の列ができていたため避けた。並んで待つのが嫌なのだ。そう。この会場で僕はゲーム三昧だったが、並ぶ人のいないゲームばかりしていたので、超話題作などはプレイしていない。それでもクソゲーばかりというわけではなく、かなり楽しめたのだ。
僕がプレイしたうちで、これは面白い、と感じたのは、「桃太郎電鉄USA」(ボードゲーム)と「すくすく犬福」(クイズ&バラエティ)だった。犬福自身、会場をうろうろと動いていた。キャンペーンガールやメイドさんなども見られた。それ以外にプレイしたのは「レッド・デッド・リボルバー」(ガンアクション)、「ズーキーパー」(パズル)、「Mr.インクレディブル(GBA)」(アクション)、「喧嘩上等!ヤンキー番長〜昭和99年の伝説〜」(アクション)、「ハローキティのピコピコ大作戦!」(3Dアクション)、「川のぬし釣り〜ワンダフルジャーニー〜」(釣りRPG)、「ぷくぷく天然かいらんばん〜ようこそイリュージョンランドへ〜」(動物バラエティ)だったかな。なんとなく予想がつきそうだが、たぶん2度としないであろうゲームも含まれている。
マイドームおおさかから歩いてすぐだということで、マニフェストギャラリーに足をのばした。今日から田仲容子回顧展「見えないモノと見えるモノ」を展示しているのだ。まず隣のThe 14th.MOONに入った。ここには田仲容子さんの作品が展示してあるのだ。店に入るなり、チチ松村さんに久しぶりで会い、挨拶など。ワークルームの塚村さんにも。いろいろしゃべるうちに、昔はっすじの仮装大会でミック宮川と一緒に「タンスと防虫剤」をやったのを思い出した。なんとそのとき出場した「蹴鞠する麿」がそこに実在していたのだ!
田仲容子さんとは以前の日記にも書いたとおり、芸術集団「アケボノ」で一緒に遊んでいた仲間だ。この店で田仲さんの作品を見ていると、その頃の自分にタイムスリップしたかのような血湧き肉躍る芸術的な力がよみがえる。と言っても、僕の場合はよみがえっても「タンスと防虫剤」なので、今と全然変わっていない。
マニフェストギャラリーの方はいろんな人が田仲容子さんに寄せて作品を出している。なかでも懐かしかったのが、藤本由紀夫さんが出した真っ黒のフラワーロック。僕はすっかり忘れていたのだが、この花は、僕が「ボンゲンガンバンガラビンゲーン」とたわごとを叫んでいるテープを再生するのにあわせて、気色悪く踊るアケボノの作品だったのだ。植木鉢にあたる部分にはちゃんと「AKEBONO」の文字があるので間違いない。僕の声のテープはなかった。雰囲気を壊すからだと見た。
今日は情熱大陸で小倉優子がとりあげられ、深夜にはミニミニ映像大賞でもナビゲーターとして小倉優子が出てきた。顎の下の黒点を目にするたびにホッとする。あの黒点は僕の第二のふるさとだ!(根拠なし)
ドラゴンハート、スタジオSTSライブ
2004年11月13日 アイドル家の前の道路で車が燃えていた。持ち主らしき中年男性は「なんか燃えましてん」と言い訳しながら、ホースで水を車にかけていた。炎がチロチロ見えている。黒い煙が鼻や目を刺激する。車炎上と言えばすぐに「爆発」を連想してしまうが、爆発には至らなかったようだ。用事もあったのでその後のいきさつは知らない。サイレンの音とすれ違ったので、これ以上の大事にはならなかったのだろう。
今朝、というか昨日の深夜のABCラジオ「ハロプロやねん」は、ベリーズ工房から前回の残りの4人(清水、須藤、徳永、熊井)。かかった曲は「恋の呪縛」と「涙が止まらない放課後」(この曲のメインボーカルの4人のラインナップに感動した旨の感想を書いたが、この前テレビで紺野メインは変わらないものの、あとの3人が矢口、吉澤、高橋に変わっていた。きっと他のメンバーのファンが「なぜあの4人だけが歌うんだ」とねじこんだのではないか。せっかくの感動のラインナップがだいなしだ)
ハロプロナンバー1の「メンバ−の中で一番ドジな人」は清水と嗣永の2人に決定。
今日のランチはでんでんタウンの「ドラゴンハート」でとった。メロンブックスのすぐ近く(めろんちゃん募集中らしいよ)。ドラゴンハートは先週から土日の昼間だけカフェ、ランチメニューをおくようになったのだ。来春にはメイドカフェにしようと計画しているらしいが、現在は和服の女給さんが応対してくれる。ここはもともとコスプレバーなのだ。
入口に至る階段のところにはコスプレの写真がいろいろ貼ってある。
店内はかなり広くて、明るく、きれいだ。ソファにすわってランチを頼んだ。食事メニューはカレーライスやスパゲティなどのごく普通の喫茶店メニュー。それにコーヒーか紅茶、スープがついて700円。値段の設定も普通の喫茶店なみだ。ボリュームもごく普通。食べ盛りの学生さんには足りないかもしれないが、もう1つ頼むほどの少量でもない。味の方も悪くない。(チキンライスとキーマカレーしか食べていないけど)
しかし、この店、12時すぎのランチタイムだというのに、ほとんどお客さんがいなかった。先週は女給さんたちがでんでんタウンをビラまきに出動したりしていたが、まだまだ宣伝不足なのか。このままだとメイドカフェの夢もついえるのか!なんとか頑張ってくれ!
午後7時からはスタジオSTSで創叡のライブ。以下、ラインナップ。
1、イントロ(ケミカルブラザーズ)/NAO組
2、Show Me Your Style/タイフーンJr.(メンバーが変わった)
3、Everyday Be With You/ラズベリーズ
4、渚にまつわるエトセトラ/プリティーズ(新ユニット。なぜか衣装はハワイア〜ン)
5、Don’t need to say Good bye/ミューズ(新曲。満里奈堂々のメイン。暖子ちゃんが抜けた穴を元マシェリの谷田が埋める。この曲はライブの最後に歌うために用意されたらしく、アイドルの道を順調に進んでいっているようだ)
6、イントロ/AKI組(AKI&RISAKO、いちごっ娘、プチプリンの子らが集合)
7、ALARM/トレード(これも新曲)
8、いただきッ!キッズ/ プリッツ(衣装が新しくなった!今回のライブでは新衣装で出てきたユニットが多かった)
9、BOYS/ミニバブ(なんだ、なんだ、宮之前のあの挑発するような目は!今もっとも輝いているんじゃないか)
10、U.F.O/AKI & RISAKO
11、魔法のじゅうたんブットラソ/いちごっ娘&ブットラソ選抜
12、ミッキーマウスマーチ/ミニミニclub
13、Dirty〜バイク/Super Bubblez
ここで短い休憩が入った。スタジオライブは毎回満員御礼だ。
14、涙そうそう/紺谷容子
15、1000の言葉/桐生彩加
16、uki uki baby/いちごっ娘(いちごっ娘には珍しい?新曲だ)
17、ラブリーフレンドシップ/ペトラキッズ
18、バトントワリング/三木幸美(前回のアンケートで人気1等賞をとったブラックベリーズは今回出番なし。彼女の運動能力のすごさは特筆にあたいする)
19、キッズクリエイション/ファッションズ(ちびあゆの宮崎里央菜が懐かしい曲をひっさげて帰ってきた。残りのメンバーは井口愛華、有山空、岩永優華、菅杏奈。おや、スリーチックスは解散したのか?)
20、LOVE☆Raspberry Juice/TOUCH
21、IF YOU WERE HERE/TOUCH & Friends(いちごっ娘やAKI & RISAKOたちが一緒に踊る。これはもうひとつのスーパーバブルスだ)
22、Final FunBoy/クランベリーズ
23、ブリトニー・イン・ザ・ゾーン/Super Bubblez
ここでアンコールがかかり、TOUCHが「Far Away」、クランベリーズは「ファイナルファンボーイ」を歌う。
僕はアイドル好きが嵩じてキッズダンスにも顔を出すようになったのだから、創叡のようなアイドル路線は大好きだ。最近ジュニアダンスのコンテストなどをいくつか見たのだが、ダンスとしてストリートやヒッピホップ、レゲエダンスなどはあまり好きな方ではない。今日のライブみたいなのを見ると、心から楽しんでいる自分を発見するのだ。ミューズは明日、東京でライブらしい。今回、アンコールの声がかかったのはTOUCH、クランベリ−ズ以外では、いちごっ娘やラズベリーズ、ミニバブだった。ミューズは氷山の一角でしかない。ミューズにひかれて東京から創叡のライブを見に来た人が、ミュ−ズ以外にも宝がざくざくあることに仰天する姿を早くみたい。
帰宅時、ちょうどメイド喫茶CCOちゃからメイドさんたちが私服に着替えて店から出てくるのに遭遇した。店のオーナーとおぼしき男の人が店の外までメイドさんたちをお見送りしていた。店がもっと繁昌すればいいなあ、と思った。
今朝、というか昨日の深夜のABCラジオ「ハロプロやねん」は、ベリーズ工房から前回の残りの4人(清水、須藤、徳永、熊井)。かかった曲は「恋の呪縛」と「涙が止まらない放課後」(この曲のメインボーカルの4人のラインナップに感動した旨の感想を書いたが、この前テレビで紺野メインは変わらないものの、あとの3人が矢口、吉澤、高橋に変わっていた。きっと他のメンバーのファンが「なぜあの4人だけが歌うんだ」とねじこんだのではないか。せっかくの感動のラインナップがだいなしだ)
ハロプロナンバー1の「メンバ−の中で一番ドジな人」は清水と嗣永の2人に決定。
今日のランチはでんでんタウンの「ドラゴンハート」でとった。メロンブックスのすぐ近く(めろんちゃん募集中らしいよ)。ドラゴンハートは先週から土日の昼間だけカフェ、ランチメニューをおくようになったのだ。来春にはメイドカフェにしようと計画しているらしいが、現在は和服の女給さんが応対してくれる。ここはもともとコスプレバーなのだ。
入口に至る階段のところにはコスプレの写真がいろいろ貼ってある。
店内はかなり広くて、明るく、きれいだ。ソファにすわってランチを頼んだ。食事メニューはカレーライスやスパゲティなどのごく普通の喫茶店メニュー。それにコーヒーか紅茶、スープがついて700円。値段の設定も普通の喫茶店なみだ。ボリュームもごく普通。食べ盛りの学生さんには足りないかもしれないが、もう1つ頼むほどの少量でもない。味の方も悪くない。(チキンライスとキーマカレーしか食べていないけど)
しかし、この店、12時すぎのランチタイムだというのに、ほとんどお客さんがいなかった。先週は女給さんたちがでんでんタウンをビラまきに出動したりしていたが、まだまだ宣伝不足なのか。このままだとメイドカフェの夢もついえるのか!なんとか頑張ってくれ!
午後7時からはスタジオSTSで創叡のライブ。以下、ラインナップ。
1、イントロ(ケミカルブラザーズ)/NAO組
2、Show Me Your Style/タイフーンJr.(メンバーが変わった)
3、Everyday Be With You/ラズベリーズ
4、渚にまつわるエトセトラ/プリティーズ(新ユニット。なぜか衣装はハワイア〜ン)
5、Don’t need to say Good bye/ミューズ(新曲。満里奈堂々のメイン。暖子ちゃんが抜けた穴を元マシェリの谷田が埋める。この曲はライブの最後に歌うために用意されたらしく、アイドルの道を順調に進んでいっているようだ)
6、イントロ/AKI組(AKI&RISAKO、いちごっ娘、プチプリンの子らが集合)
7、ALARM/トレード(これも新曲)
8、いただきッ!キッズ/ プリッツ(衣装が新しくなった!今回のライブでは新衣装で出てきたユニットが多かった)
9、BOYS/ミニバブ(なんだ、なんだ、宮之前のあの挑発するような目は!今もっとも輝いているんじゃないか)
10、U.F.O/AKI & RISAKO
11、魔法のじゅうたんブットラソ/いちごっ娘&ブットラソ選抜
12、ミッキーマウスマーチ/ミニミニclub
13、Dirty〜バイク/Super Bubblez
ここで短い休憩が入った。スタジオライブは毎回満員御礼だ。
14、涙そうそう/紺谷容子
15、1000の言葉/桐生彩加
16、uki uki baby/いちごっ娘(いちごっ娘には珍しい?新曲だ)
17、ラブリーフレンドシップ/ペトラキッズ
18、バトントワリング/三木幸美(前回のアンケートで人気1等賞をとったブラックベリーズは今回出番なし。彼女の運動能力のすごさは特筆にあたいする)
19、キッズクリエイション/ファッションズ(ちびあゆの宮崎里央菜が懐かしい曲をひっさげて帰ってきた。残りのメンバーは井口愛華、有山空、岩永優華、菅杏奈。おや、スリーチックスは解散したのか?)
20、LOVE☆Raspberry Juice/TOUCH
21、IF YOU WERE HERE/TOUCH & Friends(いちごっ娘やAKI & RISAKOたちが一緒に踊る。これはもうひとつのスーパーバブルスだ)
22、Final FunBoy/クランベリーズ
23、ブリトニー・イン・ザ・ゾーン/Super Bubblez
ここでアンコールがかかり、TOUCHが「Far Away」、クランベリーズは「ファイナルファンボーイ」を歌う。
僕はアイドル好きが嵩じてキッズダンスにも顔を出すようになったのだから、創叡のようなアイドル路線は大好きだ。最近ジュニアダンスのコンテストなどをいくつか見たのだが、ダンスとしてストリートやヒッピホップ、レゲエダンスなどはあまり好きな方ではない。今日のライブみたいなのを見ると、心から楽しんでいる自分を発見するのだ。ミューズは明日、東京でライブらしい。今回、アンコールの声がかかったのはTOUCH、クランベリ−ズ以外では、いちごっ娘やラズベリーズ、ミニバブだった。ミューズは氷山の一角でしかない。ミューズにひかれて東京から創叡のライブを見に来た人が、ミュ−ズ以外にも宝がざくざくあることに仰天する姿を早くみたい。
帰宅時、ちょうどメイド喫茶CCOちゃからメイドさんたちが私服に着替えて店から出てくるのに遭遇した。店のオーナーとおぼしき男の人が店の外までメイドさんたちをお見送りしていた。店がもっと繁昌すればいいなあ、と思った。
漫画に愛を叫んだ男たち、シュレック
2004年11月12日 読書
長谷邦夫の『漫画に愛を叫んだ男たち』を読んだ。トキワ荘から手塚の死まで、赤塚不二夫のブレーンをつとめた半生をふりかえり、漫画界主に赤塚不二夫周辺を記録している。長谷邦夫は赤塚不二夫にアイディアを提供するだけでなく、ゴーストライターもつとめる。本書を書き下ろし小説と銘打つからには、虚構の部分もあるのだろうか。どこが?
貧乏で思うがままにならない駆け出し時代から、名をあげて人気者になり、体をこわして衰えて行く。人間、世俗的な成功が幸せにつながるとはかぎらない。なんて感想は、普通の漫画家の伝記に対する普通の感想だ。著者の長谷邦夫は漫画家をめざして投稿を繰り返していた青年である。長谷邦夫の『バカ式』や『アホ式』『東海道戦争』などは子供心に赤塚、藤子、手塚、石森、寺田等々のトキワ荘メンバーの漫画に比べて、やはり格下の作品だった。時代を背負うことのできなかった者が時代と人気者を描いた記録。それがこの本だ。著者による何らかのフィルターがかかっていると考えてよかろう。本の最後で長谷は手塚の死をきっかけにして、赤塚に関わらずに自分のまんが道を歩いていこうと決心するのである。遅い!長谷は残念ながら、語るべき自分のまんが道を歩んでこなかったのだ。
長谷の前途は多難だろう。若いときでも作品があまり受け入れられなかったというのに、現代、「ボボボーボ・ボーボボ」と張るようなギャグ作品を書けるのか?あるいは、ニャロメの将棋教室みたいな雰囲気の路線を行くのだろうか。
僕がもしアドバイスできるなら、やっぱり「バカ式」のシリーズしかないんじゃないか、と思う。さっきは「格下」だと言ったが、愛読していたのもまた事実。バカボンのパパのかわりに、メカ沢(クロマティ)とかドンパッチ(ボーボボ)とかキャンチョメ(ガッシュ)とかが登場する新版「バカ式」が読んでみたい。おや、これもドリフ大爆笑の「もしも」シリーズの域を出ていないか?長谷にやらせるんじゃなく、それぞれの作者本人にやらせた方が面白い?
テレビで「シュレック」放送していたので、見た。2001年ドリームワークス作品。アイスクリームの31(Baskin Robbins)のシュレック・アイスがおいしかったなあ、と思い出した。キャンペーンはとうの昔に終わっているが、また食べたい。しかしこの映画、予想をはるかに越えて面白い!個人的には、ちょっとしか出て来なかったピノキオが知り合いの愛ちゃん(女の子)に似ていて面白かった。
貧乏で思うがままにならない駆け出し時代から、名をあげて人気者になり、体をこわして衰えて行く。人間、世俗的な成功が幸せにつながるとはかぎらない。なんて感想は、普通の漫画家の伝記に対する普通の感想だ。著者の長谷邦夫は漫画家をめざして投稿を繰り返していた青年である。長谷邦夫の『バカ式』や『アホ式』『東海道戦争』などは子供心に赤塚、藤子、手塚、石森、寺田等々のトキワ荘メンバーの漫画に比べて、やはり格下の作品だった。時代を背負うことのできなかった者が時代と人気者を描いた記録。それがこの本だ。著者による何らかのフィルターがかかっていると考えてよかろう。本の最後で長谷は手塚の死をきっかけにして、赤塚に関わらずに自分のまんが道を歩いていこうと決心するのである。遅い!長谷は残念ながら、語るべき自分のまんが道を歩んでこなかったのだ。
長谷の前途は多難だろう。若いときでも作品があまり受け入れられなかったというのに、現代、「ボボボーボ・ボーボボ」と張るようなギャグ作品を書けるのか?あるいは、ニャロメの将棋教室みたいな雰囲気の路線を行くのだろうか。
僕がもしアドバイスできるなら、やっぱり「バカ式」のシリーズしかないんじゃないか、と思う。さっきは「格下」だと言ったが、愛読していたのもまた事実。バカボンのパパのかわりに、メカ沢(クロマティ)とかドンパッチ(ボーボボ)とかキャンチョメ(ガッシュ)とかが登場する新版「バカ式」が読んでみたい。おや、これもドリフ大爆笑の「もしも」シリーズの域を出ていないか?長谷にやらせるんじゃなく、それぞれの作者本人にやらせた方が面白い?
テレビで「シュレック」放送していたので、見た。2001年ドリームワークス作品。アイスクリームの31(Baskin Robbins)のシュレック・アイスがおいしかったなあ、と思い出した。キャンペーンはとうの昔に終わっているが、また食べたい。しかしこの映画、予想をはるかに越えて面白い!個人的には、ちょっとしか出て来なかったピノキオが知り合いの愛ちゃん(女の子)に似ていて面白かった。
久山秀子探偵小説選〈1〉、愚か者の船
2004年11月11日 読書
シリーズものが苦手だ。前作までのあらすじとか人間関係を記憶しておくだけの力がないのだ。今日は『久山秀子探偵小説選1』を読んだ。女スリ隼お秀のシリーズが集められている。今までにもその短編をいくつかばらばらに読んだことはあったのだが、あまり印象に残っていなかった。今回まとめて読んで、その面白さに開眼した。
本書におさめられた20の短編はすべて1920年代の作品。地下鉄サムの影響が見られることや、浅草などの当時の風俗、推理文壇など、時代背景がうかがえるのも楽しい。
特に驚いたのが、作者の面白反逆精神で、たとえば「娘を守る八人の婿」という作品について雑誌の合評会で甲賀三郎が「僕はこの作者に以後この様な作品を書いて貰いたくない」と酷評すると、さっそく次の作品「代表作家選集?」で甲賀三郎を茶化してみせる。隅田川散歩の「闇に迷く(まごつく)」、鎗先潤一郎の「桜湯の事件」、お先へ捕縛の「人工幽霊」と並んで、興が侍ふの「画伯のポンプ」というファルスを書いているのだ。(それぞれ、江戸川乱歩の「闇に蠢く(うごめく)」、谷崎潤一郎の「柳湯の事件」、小酒井不木の「人工心臓」、甲賀三郎の「琥珀のパイプ」をもじっている)
「画伯のポンプ」では冒頭「諸君よ。これは小説ではない。評論である。論文として「対話(ダイアログ)」の形式を用いた者に古昔既にプラトンあり、ルキアノスあり、エラスムスありーどうだ博学だろう」と皮肉った書き回しで甲賀三郎をあてこする。
また、乱歩の「お勢登場」発表の後に「隼登場」という、最後にかっこよく隼が登場する姿、まさしく「隼登場」を描いただけのような作品を書いてみせたりする。西田政治がこれを「悪ふざけ」と苦言を呈すると、次の「隼の公開状」で自分が書いているのは芸術ではなく大道芸のごとき芸なのだと宣言し、ラストでは「我がおもしろき西田政治さま。シャレたカフェでカクテルの盃でもオナメ遊ばせ。アバヨ。ドンドン」と笑いのめす。自作を一段高い文学と規定し、「推理小説のような大衆娯楽を書いたつもりはない」と言ってのけるどこかの勘違い婆とは大違いだ。
「隼いたちごっこ」では作中の登場人物が見る映画のタイトルが「ボーベラ博士のラメデタ」。「ベラボー」「デタラメ」の言葉遊びだが、人をくった冗談だ。
ちなみにこの久山秀子は、れっきとした男性。女名前のペンネームつけるところも突っ込みどころがあって面白い。
衛星放送で「愚か者の船」を見る。スタンリー・クレイマー監督の1965年作品。小人が観客(ここでは視聴者)に向かって、「この船に乗っているのはみんな愚か者ばかり。私も含めてね」と語りかけて群像劇ははじまる。おまえはチェシャ猫か。航海する船客、船員たちのそれぞれのドラマが演じられるが、愚か者ぞろいの中でもひときわ愚かなのが、「犬好き」だ。食卓に他の客と同様テーブルにつけて、犬と食事をとる夫婦。挙げ句の果てにはこの犬、海に落ちて、助けに飛び込んだ男を溺死させたりする。(犬は助かる)だいたい犬が好きだというのは、支配欲を満たすための人間の醜い欲望をあらわにするものでしかないように思えて、僕は気分が悪いのである。犬に服を着せたりするにいたっては、愚か者ではおさまらず、「こいつ、殺してもいいですか?」と確認したくなるほどの醜悪さである。醜いのは犬じゃなくて、飼い主の方ね。この船にはユダヤ人嫌い、ナチス信奉者、男の下心をもてあそぶ女など、愚か者ばかり乗り込んでいるのだが、犬好きに比べればまだ可愛いものである。ナチスはユダヤ人なんか虐殺せずに、犬好きを虐殺すればよかったのだ。おっと、これは言い過ぎか。
年老いたビビアン・リーの怪演(お高くとまっているのに、いきなりチャールストンを狂ったように踊る)、僕よりも若い役柄の癖にすっかり婆のシモーヌ・シニョレ(60才の京マチ子の方が若く見える)など、老醜も見せつけてくれる。おっと、これも言い過ぎか。
最後に船をおりる客たちにまじって、小人は再び観客に話し掛ける。「だから何?って?別に何も」教訓なんかないよ、あんたには何の関係もないよ、と小人は観客にさらっと言ってのける。どうせこの観客(アメリカ)、自分の愚かさには目をつぶっているのだ。
本書におさめられた20の短編はすべて1920年代の作品。地下鉄サムの影響が見られることや、浅草などの当時の風俗、推理文壇など、時代背景がうかがえるのも楽しい。
特に驚いたのが、作者の面白反逆精神で、たとえば「娘を守る八人の婿」という作品について雑誌の合評会で甲賀三郎が「僕はこの作者に以後この様な作品を書いて貰いたくない」と酷評すると、さっそく次の作品「代表作家選集?」で甲賀三郎を茶化してみせる。隅田川散歩の「闇に迷く(まごつく)」、鎗先潤一郎の「桜湯の事件」、お先へ捕縛の「人工幽霊」と並んで、興が侍ふの「画伯のポンプ」というファルスを書いているのだ。(それぞれ、江戸川乱歩の「闇に蠢く(うごめく)」、谷崎潤一郎の「柳湯の事件」、小酒井不木の「人工心臓」、甲賀三郎の「琥珀のパイプ」をもじっている)
「画伯のポンプ」では冒頭「諸君よ。これは小説ではない。評論である。論文として「対話(ダイアログ)」の形式を用いた者に古昔既にプラトンあり、ルキアノスあり、エラスムスありーどうだ博学だろう」と皮肉った書き回しで甲賀三郎をあてこする。
また、乱歩の「お勢登場」発表の後に「隼登場」という、最後にかっこよく隼が登場する姿、まさしく「隼登場」を描いただけのような作品を書いてみせたりする。西田政治がこれを「悪ふざけ」と苦言を呈すると、次の「隼の公開状」で自分が書いているのは芸術ではなく大道芸のごとき芸なのだと宣言し、ラストでは「我がおもしろき西田政治さま。シャレたカフェでカクテルの盃でもオナメ遊ばせ。アバヨ。ドンドン」と笑いのめす。自作を一段高い文学と規定し、「推理小説のような大衆娯楽を書いたつもりはない」と言ってのけるどこかの勘違い婆とは大違いだ。
「隼いたちごっこ」では作中の登場人物が見る映画のタイトルが「ボーベラ博士のラメデタ」。「ベラボー」「デタラメ」の言葉遊びだが、人をくった冗談だ。
ちなみにこの久山秀子は、れっきとした男性。女名前のペンネームつけるところも突っ込みどころがあって面白い。
衛星放送で「愚か者の船」を見る。スタンリー・クレイマー監督の1965年作品。小人が観客(ここでは視聴者)に向かって、「この船に乗っているのはみんな愚か者ばかり。私も含めてね」と語りかけて群像劇ははじまる。おまえはチェシャ猫か。航海する船客、船員たちのそれぞれのドラマが演じられるが、愚か者ぞろいの中でもひときわ愚かなのが、「犬好き」だ。食卓に他の客と同様テーブルにつけて、犬と食事をとる夫婦。挙げ句の果てにはこの犬、海に落ちて、助けに飛び込んだ男を溺死させたりする。(犬は助かる)だいたい犬が好きだというのは、支配欲を満たすための人間の醜い欲望をあらわにするものでしかないように思えて、僕は気分が悪いのである。犬に服を着せたりするにいたっては、愚か者ではおさまらず、「こいつ、殺してもいいですか?」と確認したくなるほどの醜悪さである。醜いのは犬じゃなくて、飼い主の方ね。この船にはユダヤ人嫌い、ナチス信奉者、男の下心をもてあそぶ女など、愚か者ばかり乗り込んでいるのだが、犬好きに比べればまだ可愛いものである。ナチスはユダヤ人なんか虐殺せずに、犬好きを虐殺すればよかったのだ。おっと、これは言い過ぎか。
年老いたビビアン・リーの怪演(お高くとまっているのに、いきなりチャールストンを狂ったように踊る)、僕よりも若い役柄の癖にすっかり婆のシモーヌ・シニョレ(60才の京マチ子の方が若く見える)など、老醜も見せつけてくれる。おっと、これも言い過ぎか。
最後に船をおりる客たちにまじって、小人は再び観客に話し掛ける。「だから何?って?別に何も」教訓なんかないよ、あんたには何の関係もないよ、と小人は観客にさらっと言ってのける。どうせこの観客(アメリカ)、自分の愚かさには目をつぶっているのだ。
ポケモン七夜の願い星、畸形の神 -あるいは魔術的跛者
2004年11月10日 読書
世はなべて魔術ブームである。
録画しておいた「劇場版ポケモン〜七夜の願い星ジラーチ」(湯山邦彦監督)を見たら、ここでも遊園地内でのバトラーのマジックショーがストーリー上重要な役割をになっていた。
ストーリーはE.T.というか、かぐや姫のバリエーション。家庭的な女性が暴走しがちな男性を引き止めるブレーキ役になるのは、ファミリー映画だから仕方ないとはいえ、「邪魔するな!」と大声で言いたい。埒の内側にとどめようとする小市民的な発想は、生きたまま死なす極意である。生きろ!
魔術つながりというわけではないが、種村季弘の『畸形の神〜あるいは魔術的跛者』を読んだ。ポオの「ちんば蛙」を呼び水に、ギリシア神話のヘパイストスから魔術的跛者の系譜が語られる。ヘパイストスは醜い畸形ゆえに母には海に投げ捨てられ、妻には浮気され、もう1人の妻には失踪される。しかしヘパイストスは人工の美女を作り、自分のまわりにはべらせる。足の畸形とひきかえに彼は工人としての技術を手に入れたのだ。工人とはつまり自然(神)に反逆するものなのだ。
本書でも引かれる三木成夫の考え方によると、胎児は生物が人類に進化するまでの過程を胎内で再現する。ただ、海から陸に上がる進化の過程で、海にいることを選ぼうとする反逆者(胎児)は、その反逆の刻印を畸形として刻まれて産まれ落ちるのだ。
ここでも成り立つ畸形イコール(自然)反逆者の公式は、昔はイコール魔術師、現代ではイコール技術者、芸術家とあてはめることができる。思えばかつて肉体的畸形は芸術的天才の証しでもあった。現在では「肉体的」の部分が「精神的」にとってかわられる。逆算して、自らの芸術家としての証拠をあとづけするために、神経症やエキセントリックさを演出する輩もいるくらいだ。
この本は今夏逝去した種村季弘のおそらくは遺作であろう。
本書は最後の作品らしく、カーテンコールよろしくおなじみの種村ワールドの面々がとりあげられている。
ノア、ファウスト(メフィストフェレス)、ユング、メルヴィル、ダイダロス、ユリシーズ、グラディーヴァ、ヴィーラント、パニッツァ、ピロクテテス、サトゥルヌス、パラケルスス、オイディプス、薔薇十字団、錬金術、ホーフマンスタール、コクトー、カルデロン、カスパール・ハウザー、荘子、上田秋成、エトセトラ、エトセトラ。
見事なフィナーレというべきか。
録画しておいた「劇場版ポケモン〜七夜の願い星ジラーチ」(湯山邦彦監督)を見たら、ここでも遊園地内でのバトラーのマジックショーがストーリー上重要な役割をになっていた。
ストーリーはE.T.というか、かぐや姫のバリエーション。家庭的な女性が暴走しがちな男性を引き止めるブレーキ役になるのは、ファミリー映画だから仕方ないとはいえ、「邪魔するな!」と大声で言いたい。埒の内側にとどめようとする小市民的な発想は、生きたまま死なす極意である。生きろ!
魔術つながりというわけではないが、種村季弘の『畸形の神〜あるいは魔術的跛者』を読んだ。ポオの「ちんば蛙」を呼び水に、ギリシア神話のヘパイストスから魔術的跛者の系譜が語られる。ヘパイストスは醜い畸形ゆえに母には海に投げ捨てられ、妻には浮気され、もう1人の妻には失踪される。しかしヘパイストスは人工の美女を作り、自分のまわりにはべらせる。足の畸形とひきかえに彼は工人としての技術を手に入れたのだ。工人とはつまり自然(神)に反逆するものなのだ。
本書でも引かれる三木成夫の考え方によると、胎児は生物が人類に進化するまでの過程を胎内で再現する。ただ、海から陸に上がる進化の過程で、海にいることを選ぼうとする反逆者(胎児)は、その反逆の刻印を畸形として刻まれて産まれ落ちるのだ。
ここでも成り立つ畸形イコール(自然)反逆者の公式は、昔はイコール魔術師、現代ではイコール技術者、芸術家とあてはめることができる。思えばかつて肉体的畸形は芸術的天才の証しでもあった。現在では「肉体的」の部分が「精神的」にとってかわられる。逆算して、自らの芸術家としての証拠をあとづけするために、神経症やエキセントリックさを演出する輩もいるくらいだ。
この本は今夏逝去した種村季弘のおそらくは遺作であろう。
本書は最後の作品らしく、カーテンコールよろしくおなじみの種村ワールドの面々がとりあげられている。
ノア、ファウスト(メフィストフェレス)、ユング、メルヴィル、ダイダロス、ユリシーズ、グラディーヴァ、ヴィーラント、パニッツァ、ピロクテテス、サトゥルヌス、パラケルスス、オイディプス、薔薇十字団、錬金術、ホーフマンスタール、コクトー、カルデロン、カスパール・ハウザー、荘子、上田秋成、エトセトラ、エトセトラ。
見事なフィナーレというべきか。
二次元美少女論―オタクの女神創造史
2004年11月9日 読書
吉田正高の『二次元美少女論』を読んだ。サブタイトルは「オタクの女神創造史」。本書では「甲冑・パワードスーツ・触手」「メカ美少女」「美少女パイロット」「格闘美少女」「ヴァーチャル・アイドル」「ゲーセンの美少女」の6項目に分けて、漫画、アニメ、ゲーム等から論じている。著者いわく「美少女を学べば、戦後日本文化の特質が理解できる」などと、それらしいことを書いているが、たぶん、著者にとっても読者にとってもそんなことどうでもいいことなのだ。
この本の特徴は、膨大な資料、特に同人誌をひきあいに出しているところにある。僕などは、その多くの作品例の羅列が気持ちよくて、中で何を分析しているのかなんてどうでもよくなってしまった。著者は「二次元美少女」というテーマで、自分が執筆可能な項目を30に絞り、さらにその中から本書の6項目に絞り込んだという。本書であえてとりあげなかったという「ネコ耳、水色髪、眼鏡っ子、巨乳、つるぺた」などが、たぶん出版されるであろう続編に持ち越されているのだろう。
僕が一番興味を持ったのは、この本に対するオタクたちの反応である。おそらくは「この作品は何故とりあげないのか」とか「この作品に対する考察が浅すぎる」とか「ここではむしろ、この作品を例に出すべきだ」などなど、本書の分析の甘さと、さらに濃い作例を指摘することで、批評を加えるであろうと思われる。
楽しそうだなあ。
こういう時、自分がオタクでないことがとてももったいなく思う。
ちなみにこの本を読んで、興味を持ったのは
「甲冑・パワードスーツ・触手」では「魔女っ子クラブ四人組 A空間からのエイリアンX」
「メカ美少女」では「とわにみるゆめ」
「美少女パイロット」では「超ど級合体ノイタミナ」
「格闘美少女」では「ぷるるん三銃士パイレンジャー コスプレ美少女図鑑」
「ヴァーチャル・アイドル」では「田中ようこ写真集HIGH!」
「ゲーセンの美少女」では「エスプレイド」
さらに本書で再三にわたって絶賛される、ことぶきつかさの「いけ!いけ!ぼくらのVガンダム!」
何となく知っているのもあるが、ほぼ未踏の荒野である。
日本橋に住んでいるので、簡単に入手できそうな気もするが、今年の作品は『とわにみるゆめ』(三浦靖冬のコミック)だけで、あとは何年も昔のものだ。ついつい新しいものに目移りしてしまいそうだ。
きっとオタク界隈では有名なものばかりだと思うので、誰か所有している方、貸してください。
この本の特徴は、膨大な資料、特に同人誌をひきあいに出しているところにある。僕などは、その多くの作品例の羅列が気持ちよくて、中で何を分析しているのかなんてどうでもよくなってしまった。著者は「二次元美少女」というテーマで、自分が執筆可能な項目を30に絞り、さらにその中から本書の6項目に絞り込んだという。本書であえてとりあげなかったという「ネコ耳、水色髪、眼鏡っ子、巨乳、つるぺた」などが、たぶん出版されるであろう続編に持ち越されているのだろう。
僕が一番興味を持ったのは、この本に対するオタクたちの反応である。おそらくは「この作品は何故とりあげないのか」とか「この作品に対する考察が浅すぎる」とか「ここではむしろ、この作品を例に出すべきだ」などなど、本書の分析の甘さと、さらに濃い作例を指摘することで、批評を加えるであろうと思われる。
楽しそうだなあ。
こういう時、自分がオタクでないことがとてももったいなく思う。
ちなみにこの本を読んで、興味を持ったのは
「甲冑・パワードスーツ・触手」では「魔女っ子クラブ四人組 A空間からのエイリアンX」
「メカ美少女」では「とわにみるゆめ」
「美少女パイロット」では「超ど級合体ノイタミナ」
「格闘美少女」では「ぷるるん三銃士パイレンジャー コスプレ美少女図鑑」
「ヴァーチャル・アイドル」では「田中ようこ写真集HIGH!」
「ゲーセンの美少女」では「エスプレイド」
さらに本書で再三にわたって絶賛される、ことぶきつかさの「いけ!いけ!ぼくらのVガンダム!」
何となく知っているのもあるが、ほぼ未踏の荒野である。
日本橋に住んでいるので、簡単に入手できそうな気もするが、今年の作品は『とわにみるゆめ』(三浦靖冬のコミック)だけで、あとは何年も昔のものだ。ついつい新しいものに目移りしてしまいそうだ。
きっとオタク界隈では有名なものばかりだと思うので、誰か所有している方、貸してください。
デビルマン、お宝ビデオ自慢鑑賞会
2004年11月8日 映画
那須博之監督那須真知子脚本の「デビルマン」を見てきた。噂にたがわぬおそろしい映画だった。主役の伊崎央登、右典、酒井彩名の「デビルマン」話は、はっきり言ってつまらない。それどころではない。その部分はこの映画にはまったく不必要だった。みどころは渋谷飛鳥の可愛さと冨永愛(シレーヌ)のきれいさ。そしてそれ以上に、無意味に出てくるゲストの「無演技」ぶりだ。鳥肌実などはちょっと演技過剰だ。小錦も演技しすぎ。新聞をただ黙って読んでる永井豪とか、電車で顔がアップになるだけの嶋田久作くらいがすごい。ボブ・サップの映るたびに変わっているネクタイなどは「ここにツッコメ」という罠だから、あえて触れない。いっそのこと、画面を2つに分けて、デビルマンパートと、それ以外にわけてくれてもよかったんじゃないかと思った。だって、デビルマンは日本にも世界にも人類にも関係のないところで勝手に闘ったりキスしたりしているだけなのだ。
原作のデビルマンに近いシーンも出てくるのだが、ストーリーが違うので、無意味なシーンになってしまっているのがとても面白い。
結局、善と悪の戦いなど関係なく、デビルマンがサタンと戦う理由もなく、その戦いによって何かが変わるわけでもない。それなのに、デビルマンはサタンと戦おうとする。なぜ戦うのか理解できない。理解できない戦いは、仕掛けた方(デビルマン)が悪いと決まっている。それでなくても不動明を応援するいわれはどこにもないのだ。
物語にとってまったく無駄な「デビルマン」パートを面白いものにするためには、キャストを変えるしかあるまい。僕の提案は、デビルマン(不動明)を演ずるのは温水洋一がちょうどいいんじゃないか、と思える。無意味なキスシ−ンも温水なら意味を持つのだ。
変身してからのデビルマンとサタンの闘いは、まるでゲームを見ているようだった。攻撃がヒットするたびにポイントが減って行くのがわかったら、なおよかったんじゃないか。
なんばベアーズで開かれた「お宝ビデオ自慢鑑賞会」に急遽参加して、例によってアイドル映像を流した。
他の人々が流したのはインディーズロックの秘蔵映像の数々。懐かしいだけではない、じゅうぶんに楽しい。もう見られなくなったバンドが多いのが残念なだけだ。
さて、今活躍しているバンドのどれが数年後に「お宝」として「うわー、これ、よかったよねー!」と語られるのだろう。
僕などは、いつまでたっても語られることのない存在なのだろうが、「お宝」として語られないように生涯現役でいるつもりなので、結果は一緒ということか。
原作のデビルマンに近いシーンも出てくるのだが、ストーリーが違うので、無意味なシーンになってしまっているのがとても面白い。
結局、善と悪の戦いなど関係なく、デビルマンがサタンと戦う理由もなく、その戦いによって何かが変わるわけでもない。それなのに、デビルマンはサタンと戦おうとする。なぜ戦うのか理解できない。理解できない戦いは、仕掛けた方(デビルマン)が悪いと決まっている。それでなくても不動明を応援するいわれはどこにもないのだ。
物語にとってまったく無駄な「デビルマン」パートを面白いものにするためには、キャストを変えるしかあるまい。僕の提案は、デビルマン(不動明)を演ずるのは温水洋一がちょうどいいんじゃないか、と思える。無意味なキスシ−ンも温水なら意味を持つのだ。
変身してからのデビルマンとサタンの闘いは、まるでゲームを見ているようだった。攻撃がヒットするたびにポイントが減って行くのがわかったら、なおよかったんじゃないか。
なんばベアーズで開かれた「お宝ビデオ自慢鑑賞会」に急遽参加して、例によってアイドル映像を流した。
他の人々が流したのはインディーズロックの秘蔵映像の数々。懐かしいだけではない、じゅうぶんに楽しい。もう見られなくなったバンドが多いのが残念なだけだ。
さて、今活躍しているバンドのどれが数年後に「お宝」として「うわー、これ、よかったよねー!」と語られるのだろう。
僕などは、いつまでたっても語られることのない存在なのだろうが、「お宝」として語られないように生涯現役でいるつもりなので、結果は一緒ということか。
ATCジュニアダンス決勝、ものしりソクラ50問
2004年11月7日 アイドル
今日はATCのジュニアダンスコンテストの決勝。エントリーは。
1、ペパーミント
2、スペクタクル
3、チーム・リナ
4、リアル
5、パワフルエンジェル
6、ザ☆インパクト
7、DNA
8、エアーギャング
9、エイム
10、リカ
11、凸凹
12、プチ・ディーバ
13、エアーストーム
14、ホライズン
15、エアーウェイブ
16、ぷりぷりぺっさ
17、キューブリック
18、フリークス
19、ファンキー?ベイビー
20、ビー・マイ・フェイバリット
21、釈花莉希
22、ミグ
23、スターエッグ
24、アインスクリーム
25、御箸
26、ビーナス
27、ピース
28、オッドロッズ
29、バイオン
30、ゲイル
31、プリンチペッサ
32、スクラッチ
33、大仏
34、ミントティー
35、スマッシュ
36、マユカ
37、サウスブロンクス42ndストリート
38、ラッシュボール
39、鹿
例によって、ヒアリングは不確か。でも今日は比較的司会の人の声がちゃんと聞こえた。
審査中には以前グランプリをとった「G-WAVE」のダンス。これがすごくて、やっぱりグランプリって違うな、と感心した。
以下、受賞チーム。
7位 ゲイル(唯一の男性チーム)
6位 エアーギャング
5位 ラッシュボール
4位 釈花莉希
プリティ賞 パワフルエンジェル(曲芸か!)
ラブラブダンス賞 エアーウェイブ
審査員特別賞 スペクタクル
3位 ミントティー
準優勝 プリンチペッサ
優勝 御箸
「御箸」がグランプリとりそうだな、というのは、僕でも予想がついた。他チームとは次元が違ったのだ。これで無冠の帝王「御箸」がはじめて正当な評価を得たことになるのか。この子たち(二人組)はきっと踊りの天才なんだろうな、と思った。天才は遅れて評価されるものと相場が決まっているが、今回のダンスはまさに芸術。文句無しのグランプリだ。グランプリをとれなくて不服そうな顔をするチームもあったが、自分たちが「御箸」に遠く及んでいないことも判断できない眼力では今後の成長も難しいのではなかろうか。
あと、入賞しなかったが、よかったと思ったのはエアストーム(心地よいディスコ!)とバイオン(キレのいいダンス)、マユカ(装着物切り離し連続の孤高のソロダンス)だった。踊り出した瞬間は滅茶苦茶いいのに、途中で息切れするというか、ラストまでその感動を維持できなかったのが敗因だろう。あんなにキレのいいラッシュボールでも、今日はなんだか鈍いように感じた。
この冬に上位入賞者チームのダンスイベントがあるらしいので、また会える。
古本市で購入した『なぜなぜロンちゃん ものしりソクラ50問 1』を読んだ。
TBS系テレビの番組「なぜなぜロンちゃん」と「ものしりソクラくん」の本で、「ヒヨコは黄色いのになぜニワトリは白いの」とか「勉強するときにねむくなるのはなぜ」「6年生になったら母がやさしくなったのはなぜ」など、こどもたちが寄せてきた50問にロンちゃんとソクラ大博士が対話によって答えている。短いページ数で無難な答えを出さねばならないので、真相は概して肩すかしなものが多い。これはまあ、しかたがない。
巻末には番組でかかっていたと思しき「ふしぎ節」の歌詞(1番と3番)が書いてある。作詞は伊井田朗、作編曲は馬飼野康二。1977年にビクターからレコードが出ていたようだ。あいにくと僕はこの番組を見た記憶がない。18才の頃、大阪で放送されていたのかどうか。番組の性質上、短い番組だったんじゃないか、しかもこども向けだから朝とか夕方に放送していたのか。ならばそんな時間にテレビを見ていなくても不思議ではない。
ふしぎ節の歌い出しは「となりのうちのニワトリは毎朝決まって5時に鳴く」だ。やはり記憶にない。
この本でソクラは、どんな質問でも「カニタリブー」と呪文をとなえて、答えてくれる。
「カニタリブー」とは何か?この本はTBSブリタニカから出版されている。「ブリタニカ」を逆さに読むと「カニタリブ」になるのだ。
1、ペパーミント
2、スペクタクル
3、チーム・リナ
4、リアル
5、パワフルエンジェル
6、ザ☆インパクト
7、DNA
8、エアーギャング
9、エイム
10、リカ
11、凸凹
12、プチ・ディーバ
13、エアーストーム
14、ホライズン
15、エアーウェイブ
16、ぷりぷりぺっさ
17、キューブリック
18、フリークス
19、ファンキー?ベイビー
20、ビー・マイ・フェイバリット
21、釈花莉希
22、ミグ
23、スターエッグ
24、アインスクリーム
25、御箸
26、ビーナス
27、ピース
28、オッドロッズ
29、バイオン
30、ゲイル
31、プリンチペッサ
32、スクラッチ
33、大仏
34、ミントティー
35、スマッシュ
36、マユカ
37、サウスブロンクス42ndストリート
38、ラッシュボール
39、鹿
例によって、ヒアリングは不確か。でも今日は比較的司会の人の声がちゃんと聞こえた。
審査中には以前グランプリをとった「G-WAVE」のダンス。これがすごくて、やっぱりグランプリって違うな、と感心した。
以下、受賞チーム。
7位 ゲイル(唯一の男性チーム)
6位 エアーギャング
5位 ラッシュボール
4位 釈花莉希
プリティ賞 パワフルエンジェル(曲芸か!)
ラブラブダンス賞 エアーウェイブ
審査員特別賞 スペクタクル
3位 ミントティー
準優勝 プリンチペッサ
優勝 御箸
「御箸」がグランプリとりそうだな、というのは、僕でも予想がついた。他チームとは次元が違ったのだ。これで無冠の帝王「御箸」がはじめて正当な評価を得たことになるのか。この子たち(二人組)はきっと踊りの天才なんだろうな、と思った。天才は遅れて評価されるものと相場が決まっているが、今回のダンスはまさに芸術。文句無しのグランプリだ。グランプリをとれなくて不服そうな顔をするチームもあったが、自分たちが「御箸」に遠く及んでいないことも判断できない眼力では今後の成長も難しいのではなかろうか。
あと、入賞しなかったが、よかったと思ったのはエアストーム(心地よいディスコ!)とバイオン(キレのいいダンス)、マユカ(装着物切り離し連続の孤高のソロダンス)だった。踊り出した瞬間は滅茶苦茶いいのに、途中で息切れするというか、ラストまでその感動を維持できなかったのが敗因だろう。あんなにキレのいいラッシュボールでも、今日はなんだか鈍いように感じた。
この冬に上位入賞者チームのダンスイベントがあるらしいので、また会える。
古本市で購入した『なぜなぜロンちゃん ものしりソクラ50問 1』を読んだ。
TBS系テレビの番組「なぜなぜロンちゃん」と「ものしりソクラくん」の本で、「ヒヨコは黄色いのになぜニワトリは白いの」とか「勉強するときにねむくなるのはなぜ」「6年生になったら母がやさしくなったのはなぜ」など、こどもたちが寄せてきた50問にロンちゃんとソクラ大博士が対話によって答えている。短いページ数で無難な答えを出さねばならないので、真相は概して肩すかしなものが多い。これはまあ、しかたがない。
巻末には番組でかかっていたと思しき「ふしぎ節」の歌詞(1番と3番)が書いてある。作詞は伊井田朗、作編曲は馬飼野康二。1977年にビクターからレコードが出ていたようだ。あいにくと僕はこの番組を見た記憶がない。18才の頃、大阪で放送されていたのかどうか。番組の性質上、短い番組だったんじゃないか、しかもこども向けだから朝とか夕方に放送していたのか。ならばそんな時間にテレビを見ていなくても不思議ではない。
ふしぎ節の歌い出しは「となりのうちのニワトリは毎朝決まって5時に鳴く」だ。やはり記憶にない。
この本でソクラは、どんな質問でも「カニタリブー」と呪文をとなえて、答えてくれる。
「カニタリブー」とは何か?この本はTBSブリタニカから出版されている。「ブリタニカ」を逆さに読むと「カニタリブ」になるのだ。
11月6日は宍戸留美ちゃんの誕生日です!
こればかりは、僕のだらだらした日常の記録とは別にして、お祝いしなくちゃね!
いつまでも魅力がおとろえない、奇跡の人です。
おジャ魔女のゲ−ムとか、マック使いの僕には遊べないので、とてもくやしい。
こればかりは、僕のだらだらした日常の記録とは別にして、お祝いしなくちゃね!
いつまでも魅力がおとろえない、奇跡の人です。
おジャ魔女のゲ−ムとか、マック使いの僕には遊べないので、とてもくやしい。
コメントをみる |

ローゼンメイデン、テイルズ・オブ・ファンタジア、トップをねらえ2
2004年11月6日 アニメ・マンガ
今日はディスクピア日本橋で、アニメの上映会があった。もうすぐ発売の作品を集めて見せてくれる、貴重なイベントだ。家で見ていると何かとよそ見したり邪魔が入るので、こういうイベントで見るのが集中できてありがたい。今日は3本立て。
1本目は「ローゼンメイデン」第1話「薔薇乙女」
主題歌はアリプロジェクト。TBS系でもうすぐ放送開始。
引きこもりの少年「ジュン」と生きているアンティーク風人形「真紅」の物語で、人形たちの闘いを描いている。ジュンは通信販売で呪いグッズを買い集めたり、ギリギリでクーリングオフばかり繰り返しており、「学校」という単語を聞いただけで機嫌を損ねて姉に悪態をつくようなどうしようもない奴なので、人形に殺されようが悲劇でもなんでもないように思うのだが、今後「ジュン」がどう変わっていくのか、あるいは変わらないのかが楽しみ。「真紅」は人形のくせにいきなり命令口調で、相手がマゾでもないかぎり、5秒後にはバラバラにされて踏み付けられているような高飛車で嫌な奴だ。それらしくいいことも言うのだが、人形のおまえに言われたくない、と思った。しかし、これも話が進むにつれて違和感がなくなっていくのだろう。
2本目は「テイルズ・オブ・ファンタジア」第1話。
キャラクター原案藤島康介(逮捕しちゃうぞ)のナムコのゲームのオリジナルビデオアニメ。
ダオスの封印が解かれ、クレスとミントが強力な魔法使いを探しに百年前の世界に飛ぶ。チェスターがダオスに立ち向かって時間を稼ぐ、とか張り切っているが、大丈夫か。百年前の世界はヴァルハラ戦役の真っ最中で、戦力となる魔法使いを手放したくはないという。クレスとミントはヴァルハラ戦役終結までこの地にとどまり、共に闘うことにした。と、いうところまで。
ゲームボーイアドバンスで同ゲームが出ているので、買って続きをやりたくなってきた。アドバンスでは新シナリオ、新キャラクターの追加もあるそうで、安い中古を探すつもりだ。
3本目は「トップをねらえ!2」第1話「お姉さまと呼ばせてください!」
ガイナックス20周年記念作品。
まずは、1988年に出たオリジナルの「トップをねらえ!」の方から。たまたま今日ケーブルテレビで全6話一挙放送をしていたので、見てみた。宇宙で闘うパイロットもので、最初はドジで泣いてばかりいる主人公タカヤノリコが成長していく物語。根性ものの体裁をとっているが、マニアたちにとってツッコミたくなる箇所やうんちくをたれたくなる箇所が随所に罠として仕掛けられている。発売以来十数年にわたって、オタクたちはこのビデオを見て、「なんでここでクレクレタコラが出てくんねん」とか「テレホンカードって!」なんていちいち突っこんできたに違いない。僕もひとつ。ツッコミじゃないが、最終話で、最近見たばかりの「スーパージャイアンツ・人工衛星と人類の破滅」のポスターが部屋にはってあった。マニアだねえ。楽屋落ちやマスターベーション、パロディに終わっていないので、僕のようなオタク外の一般人でも充分感動できた。大傑作だ。
で、「トップをねらえ!2」だ。
こっちも宇宙怪獣と闘うパイロットになろうとする女の子の物語。皿を洗えば必ず割ってしまうクラッシャーだ。ここではパイロットを「トップレス」と呼んでいた。「1」の最終話で見られた胸の部分を破って文字通りトップレスになるシーンもサービスで出てきた。ガンバスターのアイキャッチも健在。「1」は大映テレビの乗りをパロディとして使っていたが、今回の「2」はさすがにそんな古臭いことはしていない。りっぱに今のアニメになっている。僕の好みから言えば、あんなに「1」に感動したのに、「2」の脳天気さにはるかに期待をかけたい気分だ。泣いてばかりいた「1」の主人公の一見マジメぶった物語、という皮を脱いで、はなっから「何でもあり」世界のアニメになっている。これは潔い。なによりも、主人公の女の子の名前が「ノノ」だというのが泣かせるではないか。
主人公の声は福井裕佳梨、キャラクターデザインは貞本義行(エヴァンゲリオン)主題歌は永井ルイが作曲している。
今日は「攻殻機動隊スタンドアローンコンプレックス」の地上波カットのエピソード「偽装網に抱かれて」とか、その次の「消された薬」(ここから本シリーズはクライマックスだ!)見たり、ガンダムSEEDの再放送とデスティニー見たり(戦いたくないのに戦わざるを得なくなる、という話、そろそろやめにしませんか)、ジパングの1話、2話見たり(2話使ってまだ物語は動いていない。さて、どうなるか)、「月詠」見たり(フルフルフルムーン)、「ニニンがシノブ伝」見たり(毎日放送で第7回。はじめて見たけど、これ滅茶苦茶面白いじゃないか。シリーズ半分見逃したので再放送する日を要注意だ)、「魔法少女リリカルなのは」見たり(説明的セリフが気になるが、それなしでは何の話だかわからない、というのも情けない)、アニメばかり見ていたかのようだ。
外出時にいろいろ寄った店で、面白いものをいっぱい見つけたので、もしも入手したり、イベント行ったりしたらまた日記に書くことにしよう。
1本目は「ローゼンメイデン」第1話「薔薇乙女」
主題歌はアリプロジェクト。TBS系でもうすぐ放送開始。
引きこもりの少年「ジュン」と生きているアンティーク風人形「真紅」の物語で、人形たちの闘いを描いている。ジュンは通信販売で呪いグッズを買い集めたり、ギリギリでクーリングオフばかり繰り返しており、「学校」という単語を聞いただけで機嫌を損ねて姉に悪態をつくようなどうしようもない奴なので、人形に殺されようが悲劇でもなんでもないように思うのだが、今後「ジュン」がどう変わっていくのか、あるいは変わらないのかが楽しみ。「真紅」は人形のくせにいきなり命令口調で、相手がマゾでもないかぎり、5秒後にはバラバラにされて踏み付けられているような高飛車で嫌な奴だ。それらしくいいことも言うのだが、人形のおまえに言われたくない、と思った。しかし、これも話が進むにつれて違和感がなくなっていくのだろう。
2本目は「テイルズ・オブ・ファンタジア」第1話。
キャラクター原案藤島康介(逮捕しちゃうぞ)のナムコのゲームのオリジナルビデオアニメ。
ダオスの封印が解かれ、クレスとミントが強力な魔法使いを探しに百年前の世界に飛ぶ。チェスターがダオスに立ち向かって時間を稼ぐ、とか張り切っているが、大丈夫か。百年前の世界はヴァルハラ戦役の真っ最中で、戦力となる魔法使いを手放したくはないという。クレスとミントはヴァルハラ戦役終結までこの地にとどまり、共に闘うことにした。と、いうところまで。
ゲームボーイアドバンスで同ゲームが出ているので、買って続きをやりたくなってきた。アドバンスでは新シナリオ、新キャラクターの追加もあるそうで、安い中古を探すつもりだ。
3本目は「トップをねらえ!2」第1話「お姉さまと呼ばせてください!」
ガイナックス20周年記念作品。
まずは、1988年に出たオリジナルの「トップをねらえ!」の方から。たまたま今日ケーブルテレビで全6話一挙放送をしていたので、見てみた。宇宙で闘うパイロットもので、最初はドジで泣いてばかりいる主人公タカヤノリコが成長していく物語。根性ものの体裁をとっているが、マニアたちにとってツッコミたくなる箇所やうんちくをたれたくなる箇所が随所に罠として仕掛けられている。発売以来十数年にわたって、オタクたちはこのビデオを見て、「なんでここでクレクレタコラが出てくんねん」とか「テレホンカードって!」なんていちいち突っこんできたに違いない。僕もひとつ。ツッコミじゃないが、最終話で、最近見たばかりの「スーパージャイアンツ・人工衛星と人類の破滅」のポスターが部屋にはってあった。マニアだねえ。楽屋落ちやマスターベーション、パロディに終わっていないので、僕のようなオタク外の一般人でも充分感動できた。大傑作だ。
で、「トップをねらえ!2」だ。
こっちも宇宙怪獣と闘うパイロットになろうとする女の子の物語。皿を洗えば必ず割ってしまうクラッシャーだ。ここではパイロットを「トップレス」と呼んでいた。「1」の最終話で見られた胸の部分を破って文字通りトップレスになるシーンもサービスで出てきた。ガンバスターのアイキャッチも健在。「1」は大映テレビの乗りをパロディとして使っていたが、今回の「2」はさすがにそんな古臭いことはしていない。りっぱに今のアニメになっている。僕の好みから言えば、あんなに「1」に感動したのに、「2」の脳天気さにはるかに期待をかけたい気分だ。泣いてばかりいた「1」の主人公の一見マジメぶった物語、という皮を脱いで、はなっから「何でもあり」世界のアニメになっている。これは潔い。なによりも、主人公の女の子の名前が「ノノ」だというのが泣かせるではないか。
主人公の声は福井裕佳梨、キャラクターデザインは貞本義行(エヴァンゲリオン)主題歌は永井ルイが作曲している。
今日は「攻殻機動隊スタンドアローンコンプレックス」の地上波カットのエピソード「偽装網に抱かれて」とか、その次の「消された薬」(ここから本シリーズはクライマックスだ!)見たり、ガンダムSEEDの再放送とデスティニー見たり(戦いたくないのに戦わざるを得なくなる、という話、そろそろやめにしませんか)、ジパングの1話、2話見たり(2話使ってまだ物語は動いていない。さて、どうなるか)、「月詠」見たり(フルフルフルムーン)、「ニニンがシノブ伝」見たり(毎日放送で第7回。はじめて見たけど、これ滅茶苦茶面白いじゃないか。シリーズ半分見逃したので再放送する日を要注意だ)、「魔法少女リリカルなのは」見たり(説明的セリフが気になるが、それなしでは何の話だかわからない、というのも情けない)、アニメばかり見ていたかのようだ。
外出時にいろいろ寄った店で、面白いものをいっぱい見つけたので、もしも入手したり、イベント行ったりしたらまた日記に書くことにしよう。
スーパージャイアンツ、トロイのヘレン、魔法の線路
2004年11月5日 映画
アメリカ大統領選は、ブッシュが再選された。
アメリカは数の多いマイノリティーなのか。それとも、あまりにも新しい価値観を提示するオーバーロードなのだろうか。
ブッシュと言えばテキサス、テキサスと言えばジェ−ムズ・ディーンの「ジャイアンツ」。この「ジャイアンツ」に勝つには、「スーパー・ジャイアンツ」しかない。
と、いうわけで、スーパージャイアンツの録画を見た。
三輪彰監督「スーパジャイアンツ/宇宙怪人出現」(1958年)シリーズ7作めで、これが三輪監督の初監督作品。石井輝男が途中降板して、助監督の三輪彰が完成させたものらしい。三輪監督の作品には1961年に「胎動期 私たちは天使じゃない」というどこかで聞いたような題名の映画もある。1963年の「熱いうめき」(タイトルどおりのお色気映画らしい)までの数本しかメガホンをとっていない。
内容は、世界暗黒党が宇宙怪人を利用して日本を征服しようとする。「世界」「宇宙」「日本」とスケールがバラバラな陰謀である。この陰謀をスーパージャイアンツが阻止する、というもの。ヒットした映画だが、それも納得できる娯楽映画だ。
赤坂長義監督「続スーパージャイアンツ/悪魔の化身」(1959年)シリーズ8作め。
この赤坂監督の作品は他に「角帽と女子大三人娘」とか「スター毒殺事件」などあるらしいが、未見。脚本では「十代の性典」「娘十六ジャズ祭」など。娯楽要素をドチャッと盛り込むのが作風のようだ。
この作品では、背広姿の宇津井がボ−ルをとってあげるためにお堂の屋根までトンだり、楽器(オルガン)をとっさに弾きこなし、医学の心得もある。なんでもできるんだ!いきなり現われて「わたしを雇ってください」と明るく言い放ち、返事も聞かずに「ハハハ」と建物の中に入って行くマイペースの暴走も気持ちいい。
事件は、人類を滅亡させる毒を開発したマッドサイエンチストが死んだ娘を魔女としてよみがえらせる。この魔女、爪が長く、口は耳までさけており、しぐさなどを見るとどう考えても化け猫。なのだが、世界滅亡の毒の話と、化け猫の話が別々の物語のように思えてしかたがない。どうつながっているのか説明しづらい。いろんな要素を盛り込んではいるが、有機的にからんでいないのだ。でも、その分、みどころは多くて面白いのである。
ロバート・ワイズ監督の「トロイのヘレン」(1955年)を見た。
トロイのパリス王子とスパルタのヘレンの恋、トロイの木馬、というホメロスのおなじみの物語を映画化したもの。この物語は実話らしいのだが、トロイの木馬、本当に実話だとすると、トロイは滅ぼされるべくして滅ぼされた間抜け野郎のように思える。
なんといっても僕はギリシアやホメロスについて詳しく読んだことがなくて、十全に楽しめないのが残念だ。こんなところで教養の無さがバレてしまう。
「きかんしゃトーマス 魔法の線路」(2000年)を見た。テレビシリーズのブリット・オールクロフトが脚本、監督をしている。
注目はキャストで、「ザ・ワイルド」のアレック・ボールドウィン、「イージーライダー」のピーター・フォンダと、ファミリー向け映画らしからぬ俳優を使っている、と思うのは何かの先入観なのか。トーマスはもうひとつの世界(ソドー島)に住むものであり、人間界(シャイニングタイム)とは魔法の線路でつながっている。魔法を実現させるために必要なのが魔法の粉。アレック・ボールドウィンは笛に仕込んでおいた魔法の粉を使いきって、魔法が使えなくなってしまう。この魔法の粉は英語では「ゴールドダスト」と称されており、WWEのレスラーを思い出した。かつらとガウンを撮るとけっこう実力派の怪奇レスラーだ。ファンタジーと現実との掛け橋がここにもある。
ピーター・フォンダはソドー島で「レディー」という名の機関車を洞くつ内に隠している。以前、乱暴なディーゼルにおカマほられて、それからもディーゼルは「レディー」を探しているのだ。
「レディー」が走り出してからは本編のクライマックスで、世界は極彩色になるし、魔法の粉がいっぱい出てくるし、橋が落ちてディーゼルは落ちてしまうし。
今日のラジオ「ハロプロやねん」はベリーズ工房から嗣永桃子、夏焼雅、菅谷梨沙子、石村舞波の4人が担当。ABCのアナウンサーがついて進行。松浦亜弥のメッセージもあった。ハロプロナンバー1で「給食で一番遅い人」は桃子の名前があがる。
今は全然達成できないが、1日を自分の使いたいように使えたらどんなにいいだろう、と毎日のように思っている。たとえば、疲れ果てるまで映画を見て過ごすとか。さっぱり集中できなくなるまで本を読んですごすとか。
アメリカは数の多いマイノリティーなのか。それとも、あまりにも新しい価値観を提示するオーバーロードなのだろうか。
ブッシュと言えばテキサス、テキサスと言えばジェ−ムズ・ディーンの「ジャイアンツ」。この「ジャイアンツ」に勝つには、「スーパー・ジャイアンツ」しかない。
と、いうわけで、スーパージャイアンツの録画を見た。
三輪彰監督「スーパジャイアンツ/宇宙怪人出現」(1958年)シリーズ7作めで、これが三輪監督の初監督作品。石井輝男が途中降板して、助監督の三輪彰が完成させたものらしい。三輪監督の作品には1961年に「胎動期 私たちは天使じゃない」というどこかで聞いたような題名の映画もある。1963年の「熱いうめき」(タイトルどおりのお色気映画らしい)までの数本しかメガホンをとっていない。
内容は、世界暗黒党が宇宙怪人を利用して日本を征服しようとする。「世界」「宇宙」「日本」とスケールがバラバラな陰謀である。この陰謀をスーパージャイアンツが阻止する、というもの。ヒットした映画だが、それも納得できる娯楽映画だ。
赤坂長義監督「続スーパージャイアンツ/悪魔の化身」(1959年)シリーズ8作め。
この赤坂監督の作品は他に「角帽と女子大三人娘」とか「スター毒殺事件」などあるらしいが、未見。脚本では「十代の性典」「娘十六ジャズ祭」など。娯楽要素をドチャッと盛り込むのが作風のようだ。
この作品では、背広姿の宇津井がボ−ルをとってあげるためにお堂の屋根までトンだり、楽器(オルガン)をとっさに弾きこなし、医学の心得もある。なんでもできるんだ!いきなり現われて「わたしを雇ってください」と明るく言い放ち、返事も聞かずに「ハハハ」と建物の中に入って行くマイペースの暴走も気持ちいい。
事件は、人類を滅亡させる毒を開発したマッドサイエンチストが死んだ娘を魔女としてよみがえらせる。この魔女、爪が長く、口は耳までさけており、しぐさなどを見るとどう考えても化け猫。なのだが、世界滅亡の毒の話と、化け猫の話が別々の物語のように思えてしかたがない。どうつながっているのか説明しづらい。いろんな要素を盛り込んではいるが、有機的にからんでいないのだ。でも、その分、みどころは多くて面白いのである。
ロバート・ワイズ監督の「トロイのヘレン」(1955年)を見た。
トロイのパリス王子とスパルタのヘレンの恋、トロイの木馬、というホメロスのおなじみの物語を映画化したもの。この物語は実話らしいのだが、トロイの木馬、本当に実話だとすると、トロイは滅ぼされるべくして滅ぼされた間抜け野郎のように思える。
なんといっても僕はギリシアやホメロスについて詳しく読んだことがなくて、十全に楽しめないのが残念だ。こんなところで教養の無さがバレてしまう。
「きかんしゃトーマス 魔法の線路」(2000年)を見た。テレビシリーズのブリット・オールクロフトが脚本、監督をしている。
注目はキャストで、「ザ・ワイルド」のアレック・ボールドウィン、「イージーライダー」のピーター・フォンダと、ファミリー向け映画らしからぬ俳優を使っている、と思うのは何かの先入観なのか。トーマスはもうひとつの世界(ソドー島)に住むものであり、人間界(シャイニングタイム)とは魔法の線路でつながっている。魔法を実現させるために必要なのが魔法の粉。アレック・ボールドウィンは笛に仕込んでおいた魔法の粉を使いきって、魔法が使えなくなってしまう。この魔法の粉は英語では「ゴールドダスト」と称されており、WWEのレスラーを思い出した。かつらとガウンを撮るとけっこう実力派の怪奇レスラーだ。ファンタジーと現実との掛け橋がここにもある。
ピーター・フォンダはソドー島で「レディー」という名の機関車を洞くつ内に隠している。以前、乱暴なディーゼルにおカマほられて、それからもディーゼルは「レディー」を探しているのだ。
「レディー」が走り出してからは本編のクライマックスで、世界は極彩色になるし、魔法の粉がいっぱい出てくるし、橋が落ちてディーゼルは落ちてしまうし。
今日のラジオ「ハロプロやねん」はベリーズ工房から嗣永桃子、夏焼雅、菅谷梨沙子、石村舞波の4人が担当。ABCのアナウンサーがついて進行。松浦亜弥のメッセージもあった。ハロプロナンバー1で「給食で一番遅い人」は桃子の名前があがる。
今は全然達成できないが、1日を自分の使いたいように使えたらどんなにいいだろう、と毎日のように思っている。たとえば、疲れ果てるまで映画を見て過ごすとか。さっぱり集中できなくなるまで本を読んですごすとか。
富江〜最終章〜と奇術師
2004年11月4日 読書
中原俊監督の「富江〜最終章〜」(2002年)を見た。「イヴちゃんの花びら」や「櫻の園」の中原俊だ。安藤希と宮崎あおいが百合っぽいムードをかもし出す。スプラッターは控えめ。えぐい描写のかわりにエロチックな描写が加味されている。たった2年前の映画だが、この頃の宮崎あおいは可愛いかったなあ、と思った。
クリストファー・プリーストの『奇術師』を読んだ。
19世紀末、瞬間移動術を得意とする2人の奇術師の確執。その確執はなんと百年後の子孫にまで影響を与えていた。
2人の奇術師の手記という形態で物語は語られる。お互いのステージを妨害しあったり、相手の奇術に感動したり、ネタを知りたがったり。それぞれの手記は途中で破られていたり、誰に向けて書かれたものか不明であったり、お互いの記述が噛み合わなかったり、語りは騙りだという言い方が当てはまるような、油断ならない手記になっている。これでは「奇術師」ではなく、「記述師」じゃないか、というくらい。
また、重要な役どころでニコラ・テスラも登場する。2人の瞬間移動術のネタは別々のもので、「そりゃないよー」というようなネタなのだ、どっちも。最終章はなんだかとても怖い雰囲気が漂って、うわわわわ、何なんだ、誰なんだ、と割り切れない余りみたいな読後感をいだいてしまう。しかし、読んでいるときの楽しさ、面白さと言ったらまさに絶品で、今年読んだ本の中でもかなり上位の面白さだった。
クリストファー・プリーストの『奇術師』を読んだ。
19世紀末、瞬間移動術を得意とする2人の奇術師の確執。その確執はなんと百年後の子孫にまで影響を与えていた。
2人の奇術師の手記という形態で物語は語られる。お互いのステージを妨害しあったり、相手の奇術に感動したり、ネタを知りたがったり。それぞれの手記は途中で破られていたり、誰に向けて書かれたものか不明であったり、お互いの記述が噛み合わなかったり、語りは騙りだという言い方が当てはまるような、油断ならない手記になっている。これでは「奇術師」ではなく、「記述師」じゃないか、というくらい。
また、重要な役どころでニコラ・テスラも登場する。2人の瞬間移動術のネタは別々のもので、「そりゃないよー」というようなネタなのだ、どっちも。最終章はなんだかとても怖い雰囲気が漂って、うわわわわ、何なんだ、誰なんだ、と割り切れない余りみたいな読後感をいだいてしまう。しかし、読んでいるときの楽しさ、面白さと言ったらまさに絶品で、今年読んだ本の中でもかなり上位の面白さだった。
カレル・ゼマンの世界
2004年11月3日 映画
今日は11月3日、まんがの日だそうだ。世間では祝日だが、僕は夜勤明けと夜勤のあいだの短い1日でしかない。そんな1日でも、行きたいイベントは3つほどあって、予定ではその3つとも消化するつもりだった。睡眠時間ゼロのまま、また仕事に行くのだ。ところが、頭蓋骨の中に巣食うクモの巣状のひび割れが痛み、鼻からはその膿みが出てくる。目は眼球をズンと突かれたみたいに重い痛みが続いている。行きたいイベントすべてキャンセルしてしまった。
家で録画したプライドなど見る。ジョシュ・バーネットは何しに出てきたんだ。おまえはもう死んでいたのか。
録画しておいた「カレル・ゼマンの世界」を見た。短い人形アニメ4本立て。
「クリスマスの夢」(1945年)はカレル・ゼマンの処女作。新しい人形をプレゼントしてもらい、いらなくなった古い玩具が夢の中で踊る。これは「トイストーリー」じゃないか。
「ハムスター」(1946年)は自分1人だけの利益に執着した者が滅びる話。これを見て教訓を得た人は、ぜひとも貧乏であえいでいる僕にポンと寄付でもしてください。
「水玉の幻想」(1948年)雨が作る窓の水滴を見てひろがる幻想世界。僕が窓の水滴を見ても連想するのはチェスタトンの短編くらいか。自分を神格化してしまう話だったように記憶している。
「王様の耳はロバの耳」(1950年)ロバミミモードではさすがに萌えないのか、散髪屋は次々と死刑にされる。でも、最後には王様のロバ耳をみんなが讃えるのだ。王様がロバミミモードなだけに「あたしのしもべー」はまさに文字通り。
ズデニェク・リシュカの音楽もいい。
ほとんどせりふはないが、わずかに出てきたチェコ語を翻訳していたのはペトル・ホリーで、彼はカレル大学卒なのだ。これ、ホント。
ハイデガーは「石には世界がない」と喝破したが、カレル・ゼマンの作品を見て思うのは、「人は石に世界を与える」ということだ。
家で録画したプライドなど見る。ジョシュ・バーネットは何しに出てきたんだ。おまえはもう死んでいたのか。
録画しておいた「カレル・ゼマンの世界」を見た。短い人形アニメ4本立て。
「クリスマスの夢」(1945年)はカレル・ゼマンの処女作。新しい人形をプレゼントしてもらい、いらなくなった古い玩具が夢の中で踊る。これは「トイストーリー」じゃないか。
「ハムスター」(1946年)は自分1人だけの利益に執着した者が滅びる話。これを見て教訓を得た人は、ぜひとも貧乏であえいでいる僕にポンと寄付でもしてください。
「水玉の幻想」(1948年)雨が作る窓の水滴を見てひろがる幻想世界。僕が窓の水滴を見ても連想するのはチェスタトンの短編くらいか。自分を神格化してしまう話だったように記憶している。
「王様の耳はロバの耳」(1950年)ロバミミモードではさすがに萌えないのか、散髪屋は次々と死刑にされる。でも、最後には王様のロバ耳をみんなが讃えるのだ。王様がロバミミモードなだけに「あたしのしもべー」はまさに文字通り。
ズデニェク・リシュカの音楽もいい。
ほとんどせりふはないが、わずかに出てきたチェコ語を翻訳していたのはペトル・ホリーで、彼はカレル大学卒なのだ。これ、ホント。
ハイデガーは「石には世界がない」と喝破したが、カレル・ゼマンの作品を見て思うのは、「人は石に世界を与える」ということだ。
機動捜査班/秘密会員章、いつか、ふたりは二匹
2004年11月2日 読書
小杉勇監督の「機動捜査班・秘密会員章」(1961年)を見た。青山恭二主演のシリーズ3作目。地下賭博組織を捜査するはずの刑事(青山恭二)が警察手帳と銃をとられ、それと引き換えに証拠物件を悪人に返したりして、ずるずると悪の道に引きずり込まれていく。早くも3作めで青山恭二も悪人になって、主役交代か?とマジに思ったほど、悪の世界にはまっていくときの演技はシリアスだ。最後に、あれは演技で囮だったんですよハハハ、と言うのは、最初から予想していたとは言え、ギャップに驚く。
あと驚いたのは、格闘シーンなどリアルで、かなり役者さんにキツそうだったことだ。
賭博がひらかれるキャバレーで、女性がセクシーなダンスを踊るシーンが出てくる。1961年の日本人の体型がうかがい知れて興味深い。
西澤保彦の『いつか、ふたりは二匹』を読んだ。幽体離脱して猫に乗り移ることができる少年が、なかよしのセントバーナード犬と共に通り魔事件の真相を追求する。犬と猫の名前はポール・ギャリコの『ジェニイ』からとっている。名前だけでなく、設定も。一応、通り魔のしわざに見せかけた事件があったりして、ミステリーとしての面白さも含まれている。鍵をつけたままの車を見つけた少女が、それを運転し、思いっきりぶつけて車をこわし、「通り魔がいきなり車で突っ込んできた」と嘘をつこうとする。事件をでっちあげて心配してほしい人がいたわけだ。しかし、車から飛び下りたときに漫画みたいにうまく行かず、大怪我してしまったのだ。
さて、この本は読みやすいことが取り柄だが、ポール・ギャリコなんておこがましい。設定をもっとうまく生かせなかったのか、作者の手抜きの手段でしかないんじゃないか、と思った。
月刊「オーディション」の12月号でDIGICCOのメンバーを募集していた。最初のデジッ娘は3年続いたが、今のDIGICCOはあまり見に行けないうちに1年で交代なのか。残念。あんまり大阪に来てくれなかったもんなあ。
今日は頭が痛くて、ほとんど休んだ状態だった。頭蓋骨を休めないと。
あと驚いたのは、格闘シーンなどリアルで、かなり役者さんにキツそうだったことだ。
賭博がひらかれるキャバレーで、女性がセクシーなダンスを踊るシーンが出てくる。1961年の日本人の体型がうかがい知れて興味深い。
西澤保彦の『いつか、ふたりは二匹』を読んだ。幽体離脱して猫に乗り移ることができる少年が、なかよしのセントバーナード犬と共に通り魔事件の真相を追求する。犬と猫の名前はポール・ギャリコの『ジェニイ』からとっている。名前だけでなく、設定も。一応、通り魔のしわざに見せかけた事件があったりして、ミステリーとしての面白さも含まれている。鍵をつけたままの車を見つけた少女が、それを運転し、思いっきりぶつけて車をこわし、「通り魔がいきなり車で突っ込んできた」と嘘をつこうとする。事件をでっちあげて心配してほしい人がいたわけだ。しかし、車から飛び下りたときに漫画みたいにうまく行かず、大怪我してしまったのだ。
さて、この本は読みやすいことが取り柄だが、ポール・ギャリコなんておこがましい。設定をもっとうまく生かせなかったのか、作者の手抜きの手段でしかないんじゃないか、と思った。
月刊「オーディション」の12月号でDIGICCOのメンバーを募集していた。最初のデジッ娘は3年続いたが、今のDIGICCOはあまり見に行けないうちに1年で交代なのか。残念。あんまり大阪に来てくれなかったもんなあ。
今日は頭が痛くて、ほとんど休んだ状態だった。頭蓋骨を休めないと。