パレスチナのハート展から楳図かずおの世界
2004年7月4日 日常ミナミのOSプラザの空き店鋪で、「パレスチナのハート アートプロジェクトの画家たち展」を開催していたので見に行った。ここは正真正銘の空き店鋪で、コンクリートだの破片だのケーブルなどが剥き出しの状態で、そこに作品が展示してある。月に2日だけしか開かないので、タイミングを今まではずしっぱなしで、やっと入ることができた。瓦礫の中に展示された作品が、テーマの「パレスチナ」と見事にマッチしている。
展示されていた作品は上條陽子の「2004記録」、村秋木綿の「パレスチナで創った作品」「街」、西元利子の「環境問題 壊」「環境問題 生命の樹」、中村安子の「屍は山野に満ち、血は河となって流れる」「平和な村に降りはじめたのはデイジーカッター?それともクラスター?」、中田千郷の「穴の砦」、山下裕子の「飛べない天使」
中田千郷、中村安子の作品はインパクト大だった。
この展示は8月の7、8日にも開かれ、アフリカンパーカッションライブもあるそうなので、今度はその演奏も聞きたい。と、思ってたが、その頃、僕は東京で「地方発アイドル大集合」を見ているはずだ。残念。
今日の買い物は、6月30日から発売されたカ−ドダス「実写版セーラームーン2」で、プリンセスセーラームーンがうまく出たので、1回で満足した。
また、7月5日から東日本で発売の20世紀漫画家コレクション8「楳図かずおの世界」。ラインナップはノーマル9種類のうち3つが「漂流教室」からで、妙な偏りがある。あとは「へび少女」「笑い仮面」「赤ん坊少女」「アゲイン」「洗礼」「おろち」からそれぞれ1種類。シークレットまで「漂流教室」だ。僕が買った分は、一番欲しかった「洗礼」の上原さくらのシーンだったので、1回で満足した。
その他、ティンティンタウンのトレーディングカードで「ののぽん」のカードを買う。結局ティンティンタウンは大阪では放送されなかったので、2回しか見たことがなかったが、ののぽんは大阪のコンサートにも出て来て驚いたことがある。
先日ロプノールと称した怪し気なゲームショップが営業再開していた。とりあえず今日はゲームソフトのチェックだけで買わず。
「アイドルをさがせ」に寄ったら、かなり商品が整理されていた。欲しいものがないわけではないが、今日は一通りチェックだけ。値段が若干下がってきているようだ。最近は亀井人気が急騰中らしい。
テレビ「ハローモーニング」で体力測定と心理テスト。道重は特に目立ったところなし。辻はさすがにいいとこどりだった。
続く「ニコモノ」のドラマは虎南ちゃんと未来帆ちゃんの三角関係が実は周囲の勘違いだったことが判明し、今は恋愛よりも友情、っていう無難な結論に落ち着いた。本当にその価値観を持ち続ける女の子であってほしいと思った。なんと、Sweetsも出演し、新曲のプロモが流れた。見るたびにSweetsは印象が変わる。あまり見なれないからに違いない。
昨日放送していた番組「落語蔵」の録画を見た。創作落語を集めたもので、面白い。落語は今、僕の中では結構旬なのだが、あの落語家独特の言い回しはなんとかならないのだろうか。しゃべり方で「あっ、落研だ」とわかるようなあの言い回し。
「大阪ほんわかテレビ」で餃子の店「純陀」が紹介されていた。さらっと紹介しすぎで、あまり心に止まらない感じだが、とてもおいしい店だ。
ウィンブルドンでマリア・シャラポワが優勝した。グラフ、ヒンギスに次ぐ僕のヒロインになるか?
とかいろいろチェックしていたつもりだったが、ちょっと前の「ヴァンパイア・ホスト」最終回を録画しそこねたし、今朝からはじまった「マリア様が見てる〜春」も見逃したし、今晩の「現代の音楽」も聞き逃した。ボケボケだ。せめて7日からはじまる「ギャラクシーエンジェル」くらいはチェック忘れないようにしよう。
展示されていた作品は上條陽子の「2004記録」、村秋木綿の「パレスチナで創った作品」「街」、西元利子の「環境問題 壊」「環境問題 生命の樹」、中村安子の「屍は山野に満ち、血は河となって流れる」「平和な村に降りはじめたのはデイジーカッター?それともクラスター?」、中田千郷の「穴の砦」、山下裕子の「飛べない天使」
中田千郷、中村安子の作品はインパクト大だった。
この展示は8月の7、8日にも開かれ、アフリカンパーカッションライブもあるそうなので、今度はその演奏も聞きたい。と、思ってたが、その頃、僕は東京で「地方発アイドル大集合」を見ているはずだ。残念。
今日の買い物は、6月30日から発売されたカ−ドダス「実写版セーラームーン2」で、プリンセスセーラームーンがうまく出たので、1回で満足した。
また、7月5日から東日本で発売の20世紀漫画家コレクション8「楳図かずおの世界」。ラインナップはノーマル9種類のうち3つが「漂流教室」からで、妙な偏りがある。あとは「へび少女」「笑い仮面」「赤ん坊少女」「アゲイン」「洗礼」「おろち」からそれぞれ1種類。シークレットまで「漂流教室」だ。僕が買った分は、一番欲しかった「洗礼」の上原さくらのシーンだったので、1回で満足した。
その他、ティンティンタウンのトレーディングカードで「ののぽん」のカードを買う。結局ティンティンタウンは大阪では放送されなかったので、2回しか見たことがなかったが、ののぽんは大阪のコンサートにも出て来て驚いたことがある。
先日ロプノールと称した怪し気なゲームショップが営業再開していた。とりあえず今日はゲームソフトのチェックだけで買わず。
「アイドルをさがせ」に寄ったら、かなり商品が整理されていた。欲しいものがないわけではないが、今日は一通りチェックだけ。値段が若干下がってきているようだ。最近は亀井人気が急騰中らしい。
テレビ「ハローモーニング」で体力測定と心理テスト。道重は特に目立ったところなし。辻はさすがにいいとこどりだった。
続く「ニコモノ」のドラマは虎南ちゃんと未来帆ちゃんの三角関係が実は周囲の勘違いだったことが判明し、今は恋愛よりも友情、っていう無難な結論に落ち着いた。本当にその価値観を持ち続ける女の子であってほしいと思った。なんと、Sweetsも出演し、新曲のプロモが流れた。見るたびにSweetsは印象が変わる。あまり見なれないからに違いない。
昨日放送していた番組「落語蔵」の録画を見た。創作落語を集めたもので、面白い。落語は今、僕の中では結構旬なのだが、あの落語家独特の言い回しはなんとかならないのだろうか。しゃべり方で「あっ、落研だ」とわかるようなあの言い回し。
「大阪ほんわかテレビ」で餃子の店「純陀」が紹介されていた。さらっと紹介しすぎで、あまり心に止まらない感じだが、とてもおいしい店だ。
ウィンブルドンでマリア・シャラポワが優勝した。グラフ、ヒンギスに次ぐ僕のヒロインになるか?
とかいろいろチェックしていたつもりだったが、ちょっと前の「ヴァンパイア・ホスト」最終回を録画しそこねたし、今朝からはじまった「マリア様が見てる〜春」も見逃したし、今晩の「現代の音楽」も聞き逃した。ボケボケだ。せめて7日からはじまる「ギャラクシーエンジェル」くらいはチェック忘れないようにしよう。
明和電機から童貞しゃべり場
2004年7月3日 日常暑い!こんな日は外出するにかぎる!というわけで、IMPホールで開催された「知的財産ふれあいフェスタ」に行ってきた。日本弁理士会の主催で、見たかったのはプログラム中の「明和電機会社説明会」だ。午後2時30分からはじまり、約1時間半にわたって映像やライブも含みながら、明和電機の成り立ちから最新ライブまで、総集編みたいに体験できた。やっぱり初期の方がわかりやすくて好きだなあ、と思った。ライブよりも商品説明会を見たいのだから。このイベントは無料だったが、明和電機目当ての人がどれだけいたのか不明。客席には堅い雰囲気のネクタイ族が多かったが、ぐいぐいと明和電機のペースに巻き込んだのはさすがだと思った。
隣のツイン21ギャラリーでも同イベントを開催しており、受け付けロボット等のデモンストレーションや、クイズラリーなどをやっていた。弁理士会のマスコット「はっぴょん」グッズなどを山ほどもらった。
テレビ「ナンボDEなんぼ」に村上三奈ちゃんが出演していた。サウナで服を着込んで我慢大会していた。
案外リタイヤが早かった。リタイヤの理由は「むらむら」してきたからだと言う。
芦原橋のウィングエンターテインメントの「真剣二十代童貞しゃべり場」に行く。
童貞たちが真剣にトークショーしていた。本家のNHKの番組は腹のたつ事が多いが、このイベントは面白かった。
童貞のひけめやうしろめたさ、開き直り、美点など縦横に語られる。
童貞たちの創作した詩も発表されたが、なかなかの文才ぞろいだった。
イベント後、すっと帰ろうと思っていたが、打ち上げに参加することにした。さらに、ひょんなことから二次会にも参加して、家に帰ったのは朝の8時半だった。
いつもの打ち上げとは違って、普通の打ち上げだったが、いろいろと面白かった。
帰宅後、録画しておいた「めちゃイケ」でWのリアクション芸を堪能した。
隣のツイン21ギャラリーでも同イベントを開催しており、受け付けロボット等のデモンストレーションや、クイズラリーなどをやっていた。弁理士会のマスコット「はっぴょん」グッズなどを山ほどもらった。
テレビ「ナンボDEなんぼ」に村上三奈ちゃんが出演していた。サウナで服を着込んで我慢大会していた。
案外リタイヤが早かった。リタイヤの理由は「むらむら」してきたからだと言う。
芦原橋のウィングエンターテインメントの「真剣二十代童貞しゃべり場」に行く。
童貞たちが真剣にトークショーしていた。本家のNHKの番組は腹のたつ事が多いが、このイベントは面白かった。
童貞のひけめやうしろめたさ、開き直り、美点など縦横に語られる。
童貞たちの創作した詩も発表されたが、なかなかの文才ぞろいだった。
イベント後、すっと帰ろうと思っていたが、打ち上げに参加することにした。さらに、ひょんなことから二次会にも参加して、家に帰ったのは朝の8時半だった。
いつもの打ち上げとは違って、普通の打ち上げだったが、いろいろと面白かった。
帰宅後、録画しておいた「めちゃイケ」でWのリアクション芸を堪能した。
草間彌生、澤田知子、レイザーラモン
2004年7月2日 趣味夜勤が明けて電車で家に帰る。いつもならFMを聞きながら1時間歩くのだが、今日はノーマイカーデイ。600円で地下鉄乗り放題なのだ。
まずは着替えや入浴、朝食などの日常的なことをすませ、録画してあった「トゥームレイダー」を見た。サスケに出たらきっとアンジェリーナ・ジョリーは優勝だろう。
メールチェックやその他録画しておいた番組(「おはスタ」とか)を見てから、いよいよ外出。ハロプロショップで今日発売の道重さゆみのバースデイカード買ったり、その他ショッピングの後、地下鉄駆使モードに入る。
スタジオJの「草間彌生展」に行く。ぶつぶつてんてんが鏤められているが、人間の姿がたまに描かれていて、その可愛いらしさったらない。「こんにちは」という作品ではぶつぶつてんてんのカボチャの中から少女があいさつをしている。
他の作品では、ぶつぶつてんてんとひび割れで埋め尽くされた世界の下に、街並と人間がシルエットで描かれている版画があった。この作品での人間の姿も可愛い。
草間彌生の作品に可愛さや少女趣味を特に感じていなかった不明を恥じる思いだ。
サードギャラリーAyaで澤田知子の「ID400」展。400人に変装して撮った身分証明写真が展示してある。怪人400面相だ。これだけいろいろ変装できるなら、オウムの走る爆弾娘が捕まらないのも仕方がないように思えた。ふと気付いたが、頭を刈り込んだ写真も1種類だけあったが、この400種類の変装の数々の中に、男性に変装した写真はなかった。変装や身分証明の多様性は女性の特権だからなのか。女性は化けるけど、男性は自分を変えずに影武者を作ることを好むのか。じゃあ、男性的視点で「ID400」の第2弾を作るとしたら、400人の人に、僕そっくりに変装してもらう作品など面白いのではないか。
日本橋ジャングルでレイザーラモンのソロイベント「悲しみの豆板醤」
鉄棒1本ですべてを表現するコントとか、時事的なネタを叫びながらプロレスするコント(総理大臣VS国民)、カクテルを口の中で作るコント(ヒッピーヒッピーシェイク)、デビュー以来今までのネタをすべて解説したり(悲ストリー・オブ・レイザーラモン)。ビデオ映像では、リック・アストレーの「Never gonna give you up」のビデオを真似ながら豆板醤を目にすりこんだエピソードを歌いまくったり(これはよく出来ていた)、ハードゲイの格好で町なかでパフォーマンスしたり、今までのレイザーラモンのテレビ出演の軌跡がまとめられていたりした。特筆すべきは、オンエアバトルで玉が6個しか入らなかった衝撃の映像だ。そんなお笑い見たことない。
クライマックスは「ふたり」「M」と題した2本のドラマで、1本めはゲイ、2本めはマゾをテーマにしていた。
お客さんも満員御礼、レイザーラモンの本気がひしひしと伝わってくるイベントで、レイザーラモンって、こんなに面白かったんだ!と思い知らされた。最後のドラマでは、本来爆笑すべきシーンなのに、泣きそうになるのをこらえねばならなかった。レイザーラモンの芸には「悲しみ」のスパイスがきいている。でも、それは最近のお笑いブームの中で見られる「自虐」とは全然ベクトルが違うのだ。このなんとも言えぬスパイスの正体は何なんだろう。豆板醤?
まずは着替えや入浴、朝食などの日常的なことをすませ、録画してあった「トゥームレイダー」を見た。サスケに出たらきっとアンジェリーナ・ジョリーは優勝だろう。
メールチェックやその他録画しておいた番組(「おはスタ」とか)を見てから、いよいよ外出。ハロプロショップで今日発売の道重さゆみのバースデイカード買ったり、その他ショッピングの後、地下鉄駆使モードに入る。
スタジオJの「草間彌生展」に行く。ぶつぶつてんてんが鏤められているが、人間の姿がたまに描かれていて、その可愛いらしさったらない。「こんにちは」という作品ではぶつぶつてんてんのカボチャの中から少女があいさつをしている。
他の作品では、ぶつぶつてんてんとひび割れで埋め尽くされた世界の下に、街並と人間がシルエットで描かれている版画があった。この作品での人間の姿も可愛い。
草間彌生の作品に可愛さや少女趣味を特に感じていなかった不明を恥じる思いだ。
サードギャラリーAyaで澤田知子の「ID400」展。400人に変装して撮った身分証明写真が展示してある。怪人400面相だ。これだけいろいろ変装できるなら、オウムの走る爆弾娘が捕まらないのも仕方がないように思えた。ふと気付いたが、頭を刈り込んだ写真も1種類だけあったが、この400種類の変装の数々の中に、男性に変装した写真はなかった。変装や身分証明の多様性は女性の特権だからなのか。女性は化けるけど、男性は自分を変えずに影武者を作ることを好むのか。じゃあ、男性的視点で「ID400」の第2弾を作るとしたら、400人の人に、僕そっくりに変装してもらう作品など面白いのではないか。
日本橋ジャングルでレイザーラモンのソロイベント「悲しみの豆板醤」
鉄棒1本ですべてを表現するコントとか、時事的なネタを叫びながらプロレスするコント(総理大臣VS国民)、カクテルを口の中で作るコント(ヒッピーヒッピーシェイク)、デビュー以来今までのネタをすべて解説したり(悲ストリー・オブ・レイザーラモン)。ビデオ映像では、リック・アストレーの「Never gonna give you up」のビデオを真似ながら豆板醤を目にすりこんだエピソードを歌いまくったり(これはよく出来ていた)、ハードゲイの格好で町なかでパフォーマンスしたり、今までのレイザーラモンのテレビ出演の軌跡がまとめられていたりした。特筆すべきは、オンエアバトルで玉が6個しか入らなかった衝撃の映像だ。そんなお笑い見たことない。
クライマックスは「ふたり」「M」と題した2本のドラマで、1本めはゲイ、2本めはマゾをテーマにしていた。
お客さんも満員御礼、レイザーラモンの本気がひしひしと伝わってくるイベントで、レイザーラモンって、こんなに面白かったんだ!と思い知らされた。最後のドラマでは、本来爆笑すべきシーンなのに、泣きそうになるのをこらえねばならなかった。レイザーラモンの芸には「悲しみ」のスパイスがきいている。でも、それは最近のお笑いブームの中で見られる「自虐」とは全然ベクトルが違うのだ。このなんとも言えぬスパイスの正体は何なんだろう。豆板醤?
おまえに「読め」と薦める前に言っておきたいことがある。
かなりきびしい話もするが俺の本音を聞いておけ。
真理と言っても4種類ある。
科学、芸術、政治、愛
これら真理を同じ土俵に乗せる作業が哲学だ。
4つの真理は哲学の条件でもある。
ときどき哲学はそれらとジョイントする。
政治と哲学だとマルクス主義で
詩とジョイントしたのがニーチェ、ハイデガー。
セッションすれば自由は減るが、だけど思わぬ展開もする。
ラクー=ラバルト、デリダが近年、詩人に関わったのもそのせいだ。
忘れてくれるな ナチスのホロコーストで、哲学まで死んだと思うな
主体も死んだわけじゃない
忘れてくれるな 存在は「一」でなく「多」だから、真理も「多」であると思え
真理とは出来事のあとづけ。
俺は誤読はしない たぶんしないと思う しないんじゃないかな
ま、ちょっと覚悟をしておけ
アラン・バディウの『哲学宣言』を読んで、とっさに作った歌だ。
恥ずかしいタイトルなので、「関白宣言」のメロディにのせてみました。
バディウは哲学の諸条件を「数学素、詩、政治的創意、愛」の4つにまとめており、その論理展開は、主著『存在と出来事』で詳しくなされているそうだ。ところが、この『存在と出来事』はまだ翻訳されていない。最近では珍しく体系を組み立てる哲学者なので、かなり分厚い本なのだそうだ。
この『哲学宣言』では、『存在と出来事』の成果をふまえて、哲学の終焉や主体の解体と言った問題を扱い、哲学の可能性をさぐっている。先に読んだ『倫理』も『存在と出来事』の成果の上に立った仕事のようだ。早く翻訳してくれ。
今日は梅田のギャレにペー様(林家ペー)が来場するので、午後5時の回に間に合うように行こうと予定していた。ついでに映画の日なので何か1本映画を見よう。そうそう、図書館に本を返しに行かなくてはならないから、そのついでに図書館近くのギャラリーにも寄ろう。と、予定をたてたのはいいが、この予定を実行するには、睡眠時間を1時間以内におさえねばならない。結局、図書館にだけ行くことになった。
人間、睡眠は大事ですからね!でも、眠らずにすむのなら、どれだけ有効に時間を使えることか!って、漫画読んだりテレビ見たりするだけだろうけど。
テレビで思い出した。
「農ドル」に出ているMACHI(マキ)って子はスズキオフィス所属なのですが、この子のメールマガジンに入っていて、よくメールが来ます。テレビでは「お嬢様系アイドル」と紹介していたけど、メールを読むかぎり、けっこう頭の回転の早い面白い子だと評価している。まだメールに返事したことないけど。
ドンキーコンガ2のコマーシャルで大塚愛を歌いながらコンガを叩いているムチャチータの上野紗也加ちゃんが可愛くて、8月東京で開催のミュージカル「ココスマイル3」に行ってしまいそうだ。ちょうど、みちよ(平家みちよ)のライブもあるし、青春18切符駆使か。
問題は「ココスマイル3」はダブルキャストで、上野紗也加ちゃんの出ていない方では「U15F」の竹田真恋人ちゃんとか出ていて、これも見たい。こんなことでいろいろやりくり考えるなんて、まさに無駄。
かなりきびしい話もするが俺の本音を聞いておけ。
真理と言っても4種類ある。
科学、芸術、政治、愛
これら真理を同じ土俵に乗せる作業が哲学だ。
4つの真理は哲学の条件でもある。
ときどき哲学はそれらとジョイントする。
政治と哲学だとマルクス主義で
詩とジョイントしたのがニーチェ、ハイデガー。
セッションすれば自由は減るが、だけど思わぬ展開もする。
ラクー=ラバルト、デリダが近年、詩人に関わったのもそのせいだ。
忘れてくれるな ナチスのホロコーストで、哲学まで死んだと思うな
主体も死んだわけじゃない
忘れてくれるな 存在は「一」でなく「多」だから、真理も「多」であると思え
真理とは出来事のあとづけ。
俺は誤読はしない たぶんしないと思う しないんじゃないかな
ま、ちょっと覚悟をしておけ
アラン・バディウの『哲学宣言』を読んで、とっさに作った歌だ。
恥ずかしいタイトルなので、「関白宣言」のメロディにのせてみました。
バディウは哲学の諸条件を「数学素、詩、政治的創意、愛」の4つにまとめており、その論理展開は、主著『存在と出来事』で詳しくなされているそうだ。ところが、この『存在と出来事』はまだ翻訳されていない。最近では珍しく体系を組み立てる哲学者なので、かなり分厚い本なのだそうだ。
この『哲学宣言』では、『存在と出来事』の成果をふまえて、哲学の終焉や主体の解体と言った問題を扱い、哲学の可能性をさぐっている。先に読んだ『倫理』も『存在と出来事』の成果の上に立った仕事のようだ。早く翻訳してくれ。
今日は梅田のギャレにペー様(林家ペー)が来場するので、午後5時の回に間に合うように行こうと予定していた。ついでに映画の日なので何か1本映画を見よう。そうそう、図書館に本を返しに行かなくてはならないから、そのついでに図書館近くのギャラリーにも寄ろう。と、予定をたてたのはいいが、この予定を実行するには、睡眠時間を1時間以内におさえねばならない。結局、図書館にだけ行くことになった。
人間、睡眠は大事ですからね!でも、眠らずにすむのなら、どれだけ有効に時間を使えることか!って、漫画読んだりテレビ見たりするだけだろうけど。
テレビで思い出した。
「農ドル」に出ているMACHI(マキ)って子はスズキオフィス所属なのですが、この子のメールマガジンに入っていて、よくメールが来ます。テレビでは「お嬢様系アイドル」と紹介していたけど、メールを読むかぎり、けっこう頭の回転の早い面白い子だと評価している。まだメールに返事したことないけど。
ドンキーコンガ2のコマーシャルで大塚愛を歌いながらコンガを叩いているムチャチータの上野紗也加ちゃんが可愛くて、8月東京で開催のミュージカル「ココスマイル3」に行ってしまいそうだ。ちょうど、みちよ(平家みちよ)のライブもあるし、青春18切符駆使か。
問題は「ココスマイル3」はダブルキャストで、上野紗也加ちゃんの出ていない方では「U15F」の竹田真恋人ちゃんとか出ていて、これも見たい。こんなことでいろいろやりくり考えるなんて、まさに無駄。
ひさしぶりに劇場で映画を見た。
ティント・ブラスの「桃色画報」
「サロンキティ」のティント・ブラスも70才だ。6つの好色なエピソードが綴られているが、その天真爛漫というかおおっぴらさには感心する。セックスにつきものの苦悶の表情など無縁だ。みんな陽気でにこやかで楽しげなのだ。1つ1つのエピソードはこれと言ったオチもなく、古典の「デカメロン」「カンタベリ−物語」ほどの趣向も文学性もないのだが、見ていてかなりパワーが湧いて来た。好色パワーはあなどれない。この手のHな物語では、「イク」ことを至上としているものが見られるが、そんなのはつまらないのだ。シチュエーションやプロセスに味わいがあって楽しくなってくる。出演している女性は年齢高めで身体の形もくずれている人も多いが、それがまたいいのだ。お尻が特に魅力的に撮られていた。
あだち充の実兄、あだち勉の訃報を新聞で見たあと、「おはスタ」でサンデーの石井さんが「タッチ」の歌を歌いながらレオタードでリボンをくるくる回していた。合掌。
テレビで楳図かずお、篠原ともえを見た。
元気そうでなにより。
『倫理21』柄谷行人著を読んだ。
親の責任を問う日本の特殊性から説きはじめて、カントの倫理学を援用しながら戦争責任の問題までを考える本だ。
倫理学というと、アリストテレスあたりでは何が善で何が悪かを解明していく思考がなされたが、バディウではそんな倫理一般はないのだと喝破する。柄谷行人は倫理を責任の問題としてとらえる。それは自由について思考することなのだ。
柄谷の言う「自由」とは純粋に自発的な行為であることをさす。
やりたいことをやりたいようにしていても、自由ではないのだ。
餃子のたれを作るとき、酢と醤油の割合は「自由」のはずだが、それは実は自由ではない。味覚に縛られているからだ。
共同体の規範に従ったり、欲望の命令に従っているかぎり、それは自律的とは言えないのだ。
スピノザは、人間は自然(情念)に複雑に規定されて生きており、そこには自由意思などないと言った。自由意思がないのなら、そもそも犯罪すら成立しないことになる。柄谷は自由意思などないことをいったんは認めたうえで、それでも「自由であれ」の命令にしたがおうとするところに人間としての特質を見る。
この本は柄谷の本にしては異様なほど読みやすいので、詳しい内容については読んで確かめていただきたい。人間個人の倫理について思考する部分は「なるほど」と思わせるものがあるが、国家、戦争責任の話になると、乱暴というか、荒っぽく(粗っぽく)なってくる。それは国家に倫理なんて当てはめようとするのが無茶だからなのかもしれない。「ならず者国家」とは「ならず者=国家」というのが一般的な真理なのかもしれない。
読んでいて考えたことを少し書いておくと。
自由とは自分が今から何をするか等、自分がなにものであるかを自分で決めることができることだと思う。そして、その決めたことにもとらわれないのだ。「自分の売り」とか「自分の長所」「得意分野」「自分らしさ」なんてものが、自分を縛り付けていないかどうか。「自分にはそれは似合わない」とか「自分にはそれはできない」なんて考えるのは不自由だ。自分はオールマイティなのだ。なぜなら、それは自分だから。
ティント・ブラスの「桃色画報」
「サロンキティ」のティント・ブラスも70才だ。6つの好色なエピソードが綴られているが、その天真爛漫というかおおっぴらさには感心する。セックスにつきものの苦悶の表情など無縁だ。みんな陽気でにこやかで楽しげなのだ。1つ1つのエピソードはこれと言ったオチもなく、古典の「デカメロン」「カンタベリ−物語」ほどの趣向も文学性もないのだが、見ていてかなりパワーが湧いて来た。好色パワーはあなどれない。この手のHな物語では、「イク」ことを至上としているものが見られるが、そんなのはつまらないのだ。シチュエーションやプロセスに味わいがあって楽しくなってくる。出演している女性は年齢高めで身体の形もくずれている人も多いが、それがまたいいのだ。お尻が特に魅力的に撮られていた。
あだち充の実兄、あだち勉の訃報を新聞で見たあと、「おはスタ」でサンデーの石井さんが「タッチ」の歌を歌いながらレオタードでリボンをくるくる回していた。合掌。
テレビで楳図かずお、篠原ともえを見た。
元気そうでなにより。
『倫理21』柄谷行人著を読んだ。
親の責任を問う日本の特殊性から説きはじめて、カントの倫理学を援用しながら戦争責任の問題までを考える本だ。
倫理学というと、アリストテレスあたりでは何が善で何が悪かを解明していく思考がなされたが、バディウではそんな倫理一般はないのだと喝破する。柄谷行人は倫理を責任の問題としてとらえる。それは自由について思考することなのだ。
柄谷の言う「自由」とは純粋に自発的な行為であることをさす。
やりたいことをやりたいようにしていても、自由ではないのだ。
餃子のたれを作るとき、酢と醤油の割合は「自由」のはずだが、それは実は自由ではない。味覚に縛られているからだ。
共同体の規範に従ったり、欲望の命令に従っているかぎり、それは自律的とは言えないのだ。
スピノザは、人間は自然(情念)に複雑に規定されて生きており、そこには自由意思などないと言った。自由意思がないのなら、そもそも犯罪すら成立しないことになる。柄谷は自由意思などないことをいったんは認めたうえで、それでも「自由であれ」の命令にしたがおうとするところに人間としての特質を見る。
この本は柄谷の本にしては異様なほど読みやすいので、詳しい内容については読んで確かめていただきたい。人間個人の倫理について思考する部分は「なるほど」と思わせるものがあるが、国家、戦争責任の話になると、乱暴というか、荒っぽく(粗っぽく)なってくる。それは国家に倫理なんて当てはめようとするのが無茶だからなのかもしれない。「ならず者国家」とは「ならず者=国家」というのが一般的な真理なのかもしれない。
読んでいて考えたことを少し書いておくと。
自由とは自分が今から何をするか等、自分がなにものであるかを自分で決めることができることだと思う。そして、その決めたことにもとらわれないのだ。「自分の売り」とか「自分の長所」「得意分野」「自分らしさ」なんてものが、自分を縛り付けていないかどうか。「自分にはそれは似合わない」とか「自分にはそれはできない」なんて考えるのは不自由だ。自分はオールマイティなのだ。なぜなら、それは自分だから。
ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート
2004年6月29日 ゲーム コメント (1)
先日来、熱中していたゲームが、これ。
とりあえず、エンディングを迎えて、スタッフロールを見た。
このゲームは怪しい中古屋で買ったので、箱も取扱い説明書もなくて、攻略本なんかも全然見なかった。だから最後のロールのときにはじめて鳥山明のキャラクターが絵で出て来て、「ああ、こんな奴らと今まで冒険していたんだ」と感動した。
「とりあえず」エンディングというのは、ストーリーが終わってからも続きがあって、へたをすれば半永久的に遊ぶことができそうなのだ。
いったん終わってからもゲームを続けることができるシステムは、僕が体験したかぎりでは、「チョコボの不思議なダンジョン」がはじめてで、そのときは大感動したものだ。
この「キャラバンハート」だとさらにゲームの続き感が強くて、いったい何のためにエンディングがあったのかわからないほど、目的がはっきりした冒険を続けることができる。
でも、これの前に熱狂して遊んだ「マルタのふしぎな鍵」の方が没頭度は高かった。モンスターをむちゃくちゃ強く育てていく楽しさが、「マルタ」の方がはっきりしていたように思う。
さて、次は何で遊ぼうかと選んでいるところだが、ショックなことが判明した。例の怪しいゲーム屋がいつのまにかなくなっていたのだ。店ができたのも急で、しかもわかりにくい場所、なくなるのも急。まるで移動する湖、ロプノールだ。ゲーム屋をさがす行為そのものがロールプレイングの冒険みたいだ。
これもまた、半永久的に続く旅か。
とりあえず、エンディングを迎えて、スタッフロールを見た。
このゲームは怪しい中古屋で買ったので、箱も取扱い説明書もなくて、攻略本なんかも全然見なかった。だから最後のロールのときにはじめて鳥山明のキャラクターが絵で出て来て、「ああ、こんな奴らと今まで冒険していたんだ」と感動した。
「とりあえず」エンディングというのは、ストーリーが終わってからも続きがあって、へたをすれば半永久的に遊ぶことができそうなのだ。
いったん終わってからもゲームを続けることができるシステムは、僕が体験したかぎりでは、「チョコボの不思議なダンジョン」がはじめてで、そのときは大感動したものだ。
この「キャラバンハート」だとさらにゲームの続き感が強くて、いったい何のためにエンディングがあったのかわからないほど、目的がはっきりした冒険を続けることができる。
でも、これの前に熱狂して遊んだ「マルタのふしぎな鍵」の方が没頭度は高かった。モンスターをむちゃくちゃ強く育てていく楽しさが、「マルタ」の方がはっきりしていたように思う。
さて、次は何で遊ぼうかと選んでいるところだが、ショックなことが判明した。例の怪しいゲーム屋がいつのまにかなくなっていたのだ。店ができたのも急で、しかもわかりにくい場所、なくなるのも急。まるで移動する湖、ロプノールだ。ゲーム屋をさがす行為そのものがロールプレイングの冒険みたいだ。
これもまた、半永久的に続く旅か。
竹谷郁夫個展から万祝
2004年6月28日 読書
複眼ギャラリーに竹谷郁夫氏の個展を見に行った。
竹谷氏はハナタラシのメンバーだった人だ。
この個展は明日までの開催で、明日はライブもあるそうなのだが、あいにくと仕事で行けない。
70年代から現在までの作品が展示されている。鉛筆書きのものや、ノートに描かれた作品などもある。
見ていると、周囲の物事すべてが襲いかかってくるかのような印象の初期作品が、宗教やオカルト的モチーフを通過して、対象がひとつの大きな塊に凝縮していくさまが感じられる。
関西アンダーグラウンドの人たちは、アイちゃんにしてもアリスセーラーにしても山本精一にしても津山篤にしても、それ以外の多くの人々にしても、伝説だなんて言う言葉の定義を書き換えかねないほど、現役で活動している。
誰だったか忘れたが、格闘技の人が、こんなことを言っていた。試合で何度負けても、そんなものは負けじゃない、勝負が決まるのはたとえ老衰ででも、死んだ方が負けなのだ。
この意見はなんだかよく納得できない面もあるのだが、アーチスト活動については、「ここがロドスだ、ここで飛べ」が当てはまるように思う。表現活動をしている行為そのものがアートなのだから、かつて何をしたか、なんてどうでもいいのだ。そんなのは「俺を昔はワルだった」と自慢する卑怯ものと変わりがない。
僕は、こんな「過去自慢」と「友人自慢」が大嫌いで、「あなたは今どうなのか」を重視したいのだ。自分自身もついついその罠にはまりそうなので、なおさら自戒の意味もこめて書いておこう。
日記なので、そのほかの話題も書いておこう。
ハロプロショップでエコモニやW、道重の写真を買う。
道重ってほくろが多いなあ。ほくろ取らずにいてほしい。
「純陀(ちゅんだ)」でランチ。餃子がおいしい。つい先日「笑いの金メダル」で優勝したサバンナのお得意のネタでは、酢と醤油の割合は「フリーダム」のはずだが、この店ではおっちゃんがお客さん1人1人に「酢6醤油4の割合で食べて下さい」とアドバイスして回る。それがうるさいのだが、味のおいしさに負けて、たまにこの店に来てしまう。
「赤い鳥」でココアとパンプディング。夏のせいか、平日の昼間だったせいか、客は少ない。もともと落ち着く雰囲気のお店なので、すっかり和んで長居してしまった。
TSUTAYAでドリームだのフォルダー5だの、アイロウ&タカの「スッパイマンのうた」のアルバムだのさんざん試聴して、結局Wの「デュオU&U」をひと通り聞いたあと借りた。
ちなみに アイロウ&タカはミスチルみたいでけっこう聞き込んでしまった。いいアルバムだと思う。
漫画で読んで面白かったのは『万祝』第3巻。いよいよ出船だ。主人公の純粋で無鉄砲なキュートさはとてもリアリティがあって好きだ。このキャラクター造型、設定はアニメ内アニメで育った作家には望んでも得られない、独特のものだと思う。次の巻は秋に出るらしい。雑誌で連載しているので、ちょこっと先に読んだりもしているが、早くコミックスで読みたい。
テレビではボクシング。日本人と外国人が闘うと、あからさまな日本人びいきの実況がされるので、不愉快このうえない。しかし、川嶋、強かった。
「中学生日記」はナルシシストの少年が井戸にはまって、バレーボールのサーブの要領で自分の服を井戸の外に飛ばして助けられる。自分以外に好きな女の子ができて、ナルシス卒業、という内容なのだが、えらい周到なダブルミーニングが仕掛けられていた。
ナルシスが井戸にはまってバレーのサーブで助かる、というのは、「イド」にはまったナルシスが外見(服)を露見(バレ)で供与(サーブ)して助かるという図式そのものなのだ。
僕はどうやら外見にこだわらなさすぎる傾向があるらしい。
だから、外見にこだわる人を見ると、そんなことにお金や時間を使うくらいなら、それを本なり映画なり、思考なりにあてればいいのに、と思ってしまう。
自分のイメージというものを持っていたり、ブランドにこだわったり、女性が化粧するなどの、ごく普通のことでも、「それは神経症だ」と思ってしまうのだ。「不自由だなあ」と思ってしまうのだ。自分がなにものであるかを規定した段階で自由はなくなる。
自由については、今読んでいる本がちょうどそれをテーマにしているので、読み終わったら、ここにも紹介しよう。
テレビで最近よくあるクイズ番組、知識を競うのではなく、なぞなぞに毛がはえたような分、出題後に即、答えが思い付くのは、幼い頃からなぞなぞ好きで鍛えてあるせいか。
今日の「サルヂエ」は特に簡単な問題が多くて、物足りなかった。
そんなこんなのありきたりの日常。
竹谷氏はハナタラシのメンバーだった人だ。
この個展は明日までの開催で、明日はライブもあるそうなのだが、あいにくと仕事で行けない。
70年代から現在までの作品が展示されている。鉛筆書きのものや、ノートに描かれた作品などもある。
見ていると、周囲の物事すべてが襲いかかってくるかのような印象の初期作品が、宗教やオカルト的モチーフを通過して、対象がひとつの大きな塊に凝縮していくさまが感じられる。
関西アンダーグラウンドの人たちは、アイちゃんにしてもアリスセーラーにしても山本精一にしても津山篤にしても、それ以外の多くの人々にしても、伝説だなんて言う言葉の定義を書き換えかねないほど、現役で活動している。
誰だったか忘れたが、格闘技の人が、こんなことを言っていた。試合で何度負けても、そんなものは負けじゃない、勝負が決まるのはたとえ老衰ででも、死んだ方が負けなのだ。
この意見はなんだかよく納得できない面もあるのだが、アーチスト活動については、「ここがロドスだ、ここで飛べ」が当てはまるように思う。表現活動をしている行為そのものがアートなのだから、かつて何をしたか、なんてどうでもいいのだ。そんなのは「俺を昔はワルだった」と自慢する卑怯ものと変わりがない。
僕は、こんな「過去自慢」と「友人自慢」が大嫌いで、「あなたは今どうなのか」を重視したいのだ。自分自身もついついその罠にはまりそうなので、なおさら自戒の意味もこめて書いておこう。
日記なので、そのほかの話題も書いておこう。
ハロプロショップでエコモニやW、道重の写真を買う。
道重ってほくろが多いなあ。ほくろ取らずにいてほしい。
「純陀(ちゅんだ)」でランチ。餃子がおいしい。つい先日「笑いの金メダル」で優勝したサバンナのお得意のネタでは、酢と醤油の割合は「フリーダム」のはずだが、この店ではおっちゃんがお客さん1人1人に「酢6醤油4の割合で食べて下さい」とアドバイスして回る。それがうるさいのだが、味のおいしさに負けて、たまにこの店に来てしまう。
「赤い鳥」でココアとパンプディング。夏のせいか、平日の昼間だったせいか、客は少ない。もともと落ち着く雰囲気のお店なので、すっかり和んで長居してしまった。
TSUTAYAでドリームだのフォルダー5だの、アイロウ&タカの「スッパイマンのうた」のアルバムだのさんざん試聴して、結局Wの「デュオU&U」をひと通り聞いたあと借りた。
ちなみに アイロウ&タカはミスチルみたいでけっこう聞き込んでしまった。いいアルバムだと思う。
漫画で読んで面白かったのは『万祝』第3巻。いよいよ出船だ。主人公の純粋で無鉄砲なキュートさはとてもリアリティがあって好きだ。このキャラクター造型、設定はアニメ内アニメで育った作家には望んでも得られない、独特のものだと思う。次の巻は秋に出るらしい。雑誌で連載しているので、ちょこっと先に読んだりもしているが、早くコミックスで読みたい。
テレビではボクシング。日本人と外国人が闘うと、あからさまな日本人びいきの実況がされるので、不愉快このうえない。しかし、川嶋、強かった。
「中学生日記」はナルシシストの少年が井戸にはまって、バレーボールのサーブの要領で自分の服を井戸の外に飛ばして助けられる。自分以外に好きな女の子ができて、ナルシス卒業、という内容なのだが、えらい周到なダブルミーニングが仕掛けられていた。
ナルシスが井戸にはまってバレーのサーブで助かる、というのは、「イド」にはまったナルシスが外見(服)を露見(バレ)で供与(サーブ)して助かるという図式そのものなのだ。
僕はどうやら外見にこだわらなさすぎる傾向があるらしい。
だから、外見にこだわる人を見ると、そんなことにお金や時間を使うくらいなら、それを本なり映画なり、思考なりにあてればいいのに、と思ってしまう。
自分のイメージというものを持っていたり、ブランドにこだわったり、女性が化粧するなどの、ごく普通のことでも、「それは神経症だ」と思ってしまうのだ。「不自由だなあ」と思ってしまうのだ。自分がなにものであるかを規定した段階で自由はなくなる。
自由については、今読んでいる本がちょうどそれをテーマにしているので、読み終わったら、ここにも紹介しよう。
テレビで最近よくあるクイズ番組、知識を競うのではなく、なぞなぞに毛がはえたような分、出題後に即、答えが思い付くのは、幼い頃からなぞなぞ好きで鍛えてあるせいか。
今日の「サルヂエ」は特に簡単な問題が多くて、物足りなかった。
そんなこんなのありきたりの日常。
原田桜怜から田名網敬一
2004年6月27日 趣味
ライブの打ち上げ後、K1の録画などを見た後、睡眠をとって、信長書店で、原田桜怜と別符かおりのイベントに行った。
DVDを買った人はもれなく参加できるイベントで、直筆サイン入りの写真とポスターがもらえる。
参加人員は約40人。ふだんこういうグラビア系のイベントに参加しないので、多いのか少ないのかよくわからない。でも、以前行ってたファジーファンクションくらいの人数かな。
トークはDVDのみどころとか、休日の過ごし方、等々。
僕の目当ては原田桜怜だったので、彼女のことについて書くと、休みの日は一人暮らしの自宅で大音量で音楽かけて歌いまくっているらしい。松浦亜弥をよく歌う。健康の秘訣はカスピ海ヨーグルト。これは制服向上委員会在籍当時からそう言ってたので、ずっと続けているということなのだ。えらい!ちなみに、制服向上委員会当時、彼女は洋楽をよく聞いていると言っていた。まあ、ブリトニーとかアブリル・ラヴィーンとか、洋楽を聞くのも自然な話だ。
そうそう、桜怜ちゃんはアンナミラーズ風のコスチュームだったので、Jカップの巨乳が強調されて、「ひゃー」という感じだった。
写真撮影タイムと、じゃんけんで私物のプレゼント。僕は全敗。
最後は握手で終了だった。午後3時にはじまって、4時過ぎに終了。
原田桜怜をこれからも応援します。
今日は午後1時から岸和田でいちご姫のライブがあったので、それと掛け持ちするかどうか、さんざん考えた。しかし、岸和田から難波に戻ってくる時間がどうもあやふやだったので、パスすることにした。
で、肥後橋まで歩いて、graf media gmで田名網敬一の「昇天する家具」展を見てきた。家具、つまり椅子などが展示してあったので、遠慮なく坐らせてもらった。1時間ほど歩いたあとだったので、そこはまるでオアシスだった。
サイケでぐにゃぐにゃしていて、ブラックライトな家具たちの中で、ほっとひといき。
その頃、NHK-FMの現代の音楽が今まさに放送中だと気付くが、どうしようもない。聞き逃した分をどこかで取り返せばいいのだ。
DVDを買った人はもれなく参加できるイベントで、直筆サイン入りの写真とポスターがもらえる。
参加人員は約40人。ふだんこういうグラビア系のイベントに参加しないので、多いのか少ないのかよくわからない。でも、以前行ってたファジーファンクションくらいの人数かな。
トークはDVDのみどころとか、休日の過ごし方、等々。
僕の目当ては原田桜怜だったので、彼女のことについて書くと、休みの日は一人暮らしの自宅で大音量で音楽かけて歌いまくっているらしい。松浦亜弥をよく歌う。健康の秘訣はカスピ海ヨーグルト。これは制服向上委員会在籍当時からそう言ってたので、ずっと続けているということなのだ。えらい!ちなみに、制服向上委員会当時、彼女は洋楽をよく聞いていると言っていた。まあ、ブリトニーとかアブリル・ラヴィーンとか、洋楽を聞くのも自然な話だ。
そうそう、桜怜ちゃんはアンナミラーズ風のコスチュームだったので、Jカップの巨乳が強調されて、「ひゃー」という感じだった。
写真撮影タイムと、じゃんけんで私物のプレゼント。僕は全敗。
最後は握手で終了だった。午後3時にはじまって、4時過ぎに終了。
原田桜怜をこれからも応援します。
今日は午後1時から岸和田でいちご姫のライブがあったので、それと掛け持ちするかどうか、さんざん考えた。しかし、岸和田から難波に戻ってくる時間がどうもあやふやだったので、パスすることにした。
で、肥後橋まで歩いて、graf media gmで田名網敬一の「昇天する家具」展を見てきた。家具、つまり椅子などが展示してあったので、遠慮なく坐らせてもらった。1時間ほど歩いたあとだったので、そこはまるでオアシスだった。
サイケでぐにゃぐにゃしていて、ブラックライトな家具たちの中で、ほっとひといき。
その頃、NHK-FMの現代の音楽が今まさに放送中だと気付くが、どうしようもない。聞き逃した分をどこかで取り返せばいいのだ。
This is 宇宙
2004年6月26日 音楽今日はなんばBEARSで「This is 宇宙」。僕の企画するライブだ。
丼野雅美、保山宗明玉、どりぃむらんど、ヘルメッツ、ミハルヤンヤン、さくりん、Y’s、自分BOX、BOBO69、佐伯誠之助、めがねっ娘クラブが出演した。
予定されていた「くさったしたい」は、最初から呼んでおらず、そもそもそんな奴知らない、ということで、お詫びして出演できない旨をお客さんに説明した。
いつものように、次から次へと現われる奇想の数々。
過剰な標本箱を見ているようだ。
思うに、1人のシンガーが1時間以上お客さんを飽きさせずにステージをつとめるのは、よほどの天才(つまり、いろんな面を見せることができる人物)でないと、無理だし、そもそも非常に偏ったものになる。保守的な人にはそれでいいのかもしれないが、保守的というのは人間をやめるのと同義だ。僕は人間を相手にしているのだ。そもそも物事を偏った一部しか見ないことのつまらなさったらないと思う。そうした視野狭窄が神経症をひきおこし、問題化して悩みになったりするのだ。森羅万象に目を配っていればすべての問題は解決する。我々は一国の主張にだけ耳を傾けていては真実をつかめないし、1人の言うことだけを聞いていては、事実の認定もできない。1アーチストにこだわれば、音楽を見失うだろう。同じ作者の本を読みつづけるのは、文学を捨てるということになる。
大宇宙の中に住む人間が偏った嗜好で小宇宙を崩壊させていくのを看過するよりは、宇宙とは何であるかをショーケースとして提示していく試みが必要であろう。
僕のイベントはそういう意味で、BEARSに宇宙を現出させる試みだった。
何かに悩んでいたり、世界に憂えている人がいるなら、このイベントに来ればいい。ここにはすべてがある。ここは宇宙なのだ。
つじつまあわせはこれくらいにしておこう。
ライブ終演後の打ち上げはいつものように朝の5時まで、休むことのない脳ミソのレクリエーションが繰り広げられる。
打ち上げだけでも金のとれる面白さがある。
うつうつとした下らないトークショーも多々存在するのだ。そんなものに金を出すくらいなら、我々の打ち上げに金を出してくれ!
次は9月24日(金)、なんばBEARSで「丼ちゃん騒ぎ」だ。
丼野雅美あらため丼野M美(どんのまさみ、と読み方は変わらず)のリサイタル、あるいはファンのつどいという態だが、内容は今回同様、多くのアーチストたちによってBEARSに宇宙が現出する。
丼野雅美、保山宗明玉、どりぃむらんど、ヘルメッツ、ミハルヤンヤン、さくりん、Y’s、自分BOX、BOBO69、佐伯誠之助、めがねっ娘クラブが出演した。
予定されていた「くさったしたい」は、最初から呼んでおらず、そもそもそんな奴知らない、ということで、お詫びして出演できない旨をお客さんに説明した。
いつものように、次から次へと現われる奇想の数々。
過剰な標本箱を見ているようだ。
思うに、1人のシンガーが1時間以上お客さんを飽きさせずにステージをつとめるのは、よほどの天才(つまり、いろんな面を見せることができる人物)でないと、無理だし、そもそも非常に偏ったものになる。保守的な人にはそれでいいのかもしれないが、保守的というのは人間をやめるのと同義だ。僕は人間を相手にしているのだ。そもそも物事を偏った一部しか見ないことのつまらなさったらないと思う。そうした視野狭窄が神経症をひきおこし、問題化して悩みになったりするのだ。森羅万象に目を配っていればすべての問題は解決する。我々は一国の主張にだけ耳を傾けていては真実をつかめないし、1人の言うことだけを聞いていては、事実の認定もできない。1アーチストにこだわれば、音楽を見失うだろう。同じ作者の本を読みつづけるのは、文学を捨てるということになる。
大宇宙の中に住む人間が偏った嗜好で小宇宙を崩壊させていくのを看過するよりは、宇宙とは何であるかをショーケースとして提示していく試みが必要であろう。
僕のイベントはそういう意味で、BEARSに宇宙を現出させる試みだった。
何かに悩んでいたり、世界に憂えている人がいるなら、このイベントに来ればいい。ここにはすべてがある。ここは宇宙なのだ。
つじつまあわせはこれくらいにしておこう。
ライブ終演後の打ち上げはいつものように朝の5時まで、休むことのない脳ミソのレクリエーションが繰り広げられる。
打ち上げだけでも金のとれる面白さがある。
うつうつとした下らないトークショーも多々存在するのだ。そんなものに金を出すくらいなら、我々の打ち上げに金を出してくれ!
次は9月24日(金)、なんばBEARSで「丼ちゃん騒ぎ」だ。
丼野雅美あらため丼野M美(どんのまさみ、と読み方は変わらず)のリサイタル、あるいはファンのつどいという態だが、内容は今回同様、多くのアーチストたちによってBEARSに宇宙が現出する。
雨。
フェスティバルゲートでODAカーニバルの西村夏帆、夢乃のライブを見に行った。
前回も雨にたたられたイベントだが、今回は馬場綾乃、谷口晴菜の実力派シンガーがORC200のイベントに出演しており、フェスティバルゲートには欠席だった。そのせいで、いつも来ているカメラ部隊が全員ORC200に集合してしまった。さらに、ステージ前には椅子も並んでおらず、イベントの宣伝のアナウンスも看板も目立たない。もともとフェスティバルゲートに来ているお客さんが少ない。
考えられるかぎり最悪の環境と言ってもいいだろう。
スタッフ以外のお客さんは10人もいなかったと思う。
5人もいなかった、と言ってもいいかも。
西村夏帆がそれでも2曲をこなした。
僕の注目は夢乃にあった。
夢乃は自分の持っているレパートリー、「学園天国」と「フォーチュン・ラブ&ドリーム」の2曲を歌った。
よく頑張った、とほめてあげたい。
もともと愛乃&夢乃のユニットで歌っており、ふだんからソロで活躍している子ではない。今日は支えてくれるパートナーがいない。それに、司会のおねえさんは「ゆきのちゃん」と紹介したように聞こえた。だれだ、ユキノって?そういうことを抜きにしても、客のいない雨の舞台に、11才の女の子が1人で歌っているのだ。
しっとりした歌ならともかく、「学園天国」だ。「アーユーレディ?」に答える者はだれもいない、「ヘーイヘイヘイヘーイヘーイ」がコール&レスポンスにはならず、がらんとした雨の遊園地にこだまするだけ。
「フォーチュン・ラブ&ドリーム」に至っては、さすがに夢乃も精神的にまいったのか、ダンスなしで歌った。
いっそのこと練習のつもりで開き直って、思いきり踊りまくって歌えばよかったのだが、そんなこと期待する方が酷というものだ。
よくやった、夢乃!
廃虚に響いた君の歌声は、天使のささやきだった。
世界が滅亡して、人類がいなくなっても、君の歌声は虚空に残って、宇宙を慰撫するだろう。
フェスティバルゲートでODAカーニバルの西村夏帆、夢乃のライブを見に行った。
前回も雨にたたられたイベントだが、今回は馬場綾乃、谷口晴菜の実力派シンガーがORC200のイベントに出演しており、フェスティバルゲートには欠席だった。そのせいで、いつも来ているカメラ部隊が全員ORC200に集合してしまった。さらに、ステージ前には椅子も並んでおらず、イベントの宣伝のアナウンスも看板も目立たない。もともとフェスティバルゲートに来ているお客さんが少ない。
考えられるかぎり最悪の環境と言ってもいいだろう。
スタッフ以外のお客さんは10人もいなかったと思う。
5人もいなかった、と言ってもいいかも。
西村夏帆がそれでも2曲をこなした。
僕の注目は夢乃にあった。
夢乃は自分の持っているレパートリー、「学園天国」と「フォーチュン・ラブ&ドリーム」の2曲を歌った。
よく頑張った、とほめてあげたい。
もともと愛乃&夢乃のユニットで歌っており、ふだんからソロで活躍している子ではない。今日は支えてくれるパートナーがいない。それに、司会のおねえさんは「ゆきのちゃん」と紹介したように聞こえた。だれだ、ユキノって?そういうことを抜きにしても、客のいない雨の舞台に、11才の女の子が1人で歌っているのだ。
しっとりした歌ならともかく、「学園天国」だ。「アーユーレディ?」に答える者はだれもいない、「ヘーイヘイヘイヘーイヘーイ」がコール&レスポンスにはならず、がらんとした雨の遊園地にこだまするだけ。
「フォーチュン・ラブ&ドリーム」に至っては、さすがに夢乃も精神的にまいったのか、ダンスなしで歌った。
いっそのこと練習のつもりで開き直って、思いきり踊りまくって歌えばよかったのだが、そんなこと期待する方が酷というものだ。
よくやった、夢乃!
廃虚に響いた君の歌声は、天使のささやきだった。
世界が滅亡して、人類がいなくなっても、君の歌声は虚空に残って、宇宙を慰撫するだろう。
この日は日記をつけ忘れていて、何があったのか覚えていない。
仕事とその準備で15時間と睡眠時間をひいた時間でしたことなんて、たぶん、たいしたことじゃないはずだ。せいぜいが、読書の続きとゲームの続きと録画しておいたテレビ番組を見たり、つまり、なにか「やり終えた」ことではないことを平行してしていたはずだ。
そこで、最近の日記で書き漏らしていたことなどを今のうちに書き留めておこう。
『日本終末宣言』では食物の中に含まれた水銀が、体温計の水銀が温度の上昇とともに上がっていくように、体内を上がっていき、ついには脳に達する「脳水銀」について再三書かれている。
最近の若い世代の人が理解できない行動をとるのは、この脳水銀のせいだ、と言う。そして、体内の水銀を排出する方法として出産があげられている。赤ちゃんは親の水銀を体内にいっぱい含んで生まれるのだ。こんにゃくの砂おろしが頭に浮かんだ。最初に生んだ子ほど多くの水銀を含んでいるので、長子は脳水銀になる可能性が高い。総領の甚六という言葉には意味があったのだ。
少子化した現代では、世の中は脳水銀の長子の割合が高くなっているから、未来の展望は暗いのだ。
出産以外に水銀を排出するのは、髪の毛によってである。
そう言えば、髪の毛で水銀含有量をはかる記事を見たことがあるので、髪の毛を多く、長くもっている人ほど、水銀は排出されているのだ。スキンヘッドの人は脳を救う道を閉ざしているのだ。
『倫理』を読んで気になったこと。
訳者の長原豊は、サイードの『フロイトと非ヨ−ロッパ人』も翻訳した人だ。この人の文章はとても読みにくい。
そして、「すべからく」の誤用が目立つ。
「すべからく」は「みんな」「すべて」という言葉を重々しく言い換えるための言葉ではないのだ。「すべからく」のような基本的な言葉を堂々と誤用する人の文章を四苦八苦しながら読み解いていると、「ひょっとしたら、もっとわかりやすい文章にできるのに、あえて難解な用語を選んでいるのではないか」「しかも、その言葉の選択は間違っているかもしれない」という疑問が湧いて来たりする。
この本の後半に掲載された対談で、長原氏が翻訳にあたって、ある用語を「忠実」と訳したことについて、自嘲的に「ベタだなと思う」と語っている。ベタを価値の低いものとして見ているのだ。
わかりやすい文章を書くのが嫌なのだろうか。
ベタなことをいかにしてその後のフォローで面白いものにするか、というのは、最近ブームのお笑いでも見て勉強していただきたい。
1つ1つのコントの内容は非常にくだらなくても、その後に決まり文句を入れてみたり、コメントを入れてみたり、つまり、メタ「お笑い」というか、メタ「ネタ」の部分でお笑いは面白さの道を開いているのだ。
安田大サーカスもマイケルもギター侍もネゴシックスも、すべて参考になる。
長原豊はこれらお笑いを見に行ったり、番組を見たりしているだろうか。見ていないとしたら、見てほしい。会話の際に文末についている(笑)がいかに今のお笑いのレベルから見てお笑い草なのかがわかるだろう。
と、言いながらも、くだらないことをした後に「だから何?」とメタネタぶる僕の芸風は、実に効果的じゃないなあ、もっと練らないとな、と思った。僕はお笑いじゃないのに。
仕事とその準備で15時間と睡眠時間をひいた時間でしたことなんて、たぶん、たいしたことじゃないはずだ。せいぜいが、読書の続きとゲームの続きと録画しておいたテレビ番組を見たり、つまり、なにか「やり終えた」ことではないことを平行してしていたはずだ。
そこで、最近の日記で書き漏らしていたことなどを今のうちに書き留めておこう。
『日本終末宣言』では食物の中に含まれた水銀が、体温計の水銀が温度の上昇とともに上がっていくように、体内を上がっていき、ついには脳に達する「脳水銀」について再三書かれている。
最近の若い世代の人が理解できない行動をとるのは、この脳水銀のせいだ、と言う。そして、体内の水銀を排出する方法として出産があげられている。赤ちゃんは親の水銀を体内にいっぱい含んで生まれるのだ。こんにゃくの砂おろしが頭に浮かんだ。最初に生んだ子ほど多くの水銀を含んでいるので、長子は脳水銀になる可能性が高い。総領の甚六という言葉には意味があったのだ。
少子化した現代では、世の中は脳水銀の長子の割合が高くなっているから、未来の展望は暗いのだ。
出産以外に水銀を排出するのは、髪の毛によってである。
そう言えば、髪の毛で水銀含有量をはかる記事を見たことがあるので、髪の毛を多く、長くもっている人ほど、水銀は排出されているのだ。スキンヘッドの人は脳を救う道を閉ざしているのだ。
『倫理』を読んで気になったこと。
訳者の長原豊は、サイードの『フロイトと非ヨ−ロッパ人』も翻訳した人だ。この人の文章はとても読みにくい。
そして、「すべからく」の誤用が目立つ。
「すべからく」は「みんな」「すべて」という言葉を重々しく言い換えるための言葉ではないのだ。「すべからく」のような基本的な言葉を堂々と誤用する人の文章を四苦八苦しながら読み解いていると、「ひょっとしたら、もっとわかりやすい文章にできるのに、あえて難解な用語を選んでいるのではないか」「しかも、その言葉の選択は間違っているかもしれない」という疑問が湧いて来たりする。
この本の後半に掲載された対談で、長原氏が翻訳にあたって、ある用語を「忠実」と訳したことについて、自嘲的に「ベタだなと思う」と語っている。ベタを価値の低いものとして見ているのだ。
わかりやすい文章を書くのが嫌なのだろうか。
ベタなことをいかにしてその後のフォローで面白いものにするか、というのは、最近ブームのお笑いでも見て勉強していただきたい。
1つ1つのコントの内容は非常にくだらなくても、その後に決まり文句を入れてみたり、コメントを入れてみたり、つまり、メタ「お笑い」というか、メタ「ネタ」の部分でお笑いは面白さの道を開いているのだ。
安田大サーカスもマイケルもギター侍もネゴシックスも、すべて参考になる。
長原豊はこれらお笑いを見に行ったり、番組を見たりしているだろうか。見ていないとしたら、見てほしい。会話の際に文末についている(笑)がいかに今のお笑いのレベルから見てお笑い草なのかがわかるだろう。
と、言いながらも、くだらないことをした後に「だから何?」とメタネタぶる僕の芸風は、実に効果的じゃないなあ、もっと練らないとな、と思った。僕はお笑いじゃないのに。
倫理 悪の意識についての試論
2004年6月23日 読書
アラン・バディウの『倫理 悪の意識についての試論』を読んだ。
倫理が同時多発テロ以来の大問題だというのは、一般的な認識なのだろう。
もともとへそまがりな僕は、一般に「悪」とされる事柄に対して、「何が悪い」と開き直る傾向があった。アニメ「ウラシマン」では物語のクライマックスあたりで、悪人が「悪がなぜ悪い!」と同語反復的な問いかけをするシーンがある。ドストエフスキーなどを読んでみたが、文学的に沈潜してしまい、結局は悪魔主義とか、ゴシックみたいな雰囲気に流されるのがオチだ。
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』を、自分の子供にはこんなふうに育ってもらいたい、という観点から書いた。きわめて実践的な、今でいうハウツー本みたいなものだ。倫理の本を読んで、あまりにも難解で、いったい何をどうすればいいのかわからないようであれば、それは役立たずな、非倫理的な書物だということになる。
さて、バディウだ。
この本を読んで、倫理や悪についていろいろとはっきりしてきた。
倫理一般なんてものはない。いろんな場合について、「それについての倫理」という観点があるだけだ。つまり、「その都度考えろ!」ということなのだ。バディウの言葉を引けば「継続せよ!」と言うことなのだ。「それが善なのか悪なのかなんて、どこにも書いてないぞ」と言ってるのだ。
で、悪とは何かを3つにまとめてみると。
1、偽者への追随
2、自分の利害を優先して真理を裏切る
3、真理は複数なのに、唯一で全体的なものとする
うーむ、わかりやすい。
もっとわかりやすい言葉が本書中には散見できる。
「(現代で倫理と呼ばれているものは)実は、いわゆる『西欧』による『西欧』が所有しているものの保全なのだ」
そんな倫理なら廃れてしまえ、と思うが、バディウの言う倫理ならおおいに賛成だ。
倫理が同時多発テロ以来の大問題だというのは、一般的な認識なのだろう。
もともとへそまがりな僕は、一般に「悪」とされる事柄に対して、「何が悪い」と開き直る傾向があった。アニメ「ウラシマン」では物語のクライマックスあたりで、悪人が「悪がなぜ悪い!」と同語反復的な問いかけをするシーンがある。ドストエフスキーなどを読んでみたが、文学的に沈潜してしまい、結局は悪魔主義とか、ゴシックみたいな雰囲気に流されるのがオチだ。
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』を、自分の子供にはこんなふうに育ってもらいたい、という観点から書いた。きわめて実践的な、今でいうハウツー本みたいなものだ。倫理の本を読んで、あまりにも難解で、いったい何をどうすればいいのかわからないようであれば、それは役立たずな、非倫理的な書物だということになる。
さて、バディウだ。
この本を読んで、倫理や悪についていろいろとはっきりしてきた。
倫理一般なんてものはない。いろんな場合について、「それについての倫理」という観点があるだけだ。つまり、「その都度考えろ!」ということなのだ。バディウの言葉を引けば「継続せよ!」と言うことなのだ。「それが善なのか悪なのかなんて、どこにも書いてないぞ」と言ってるのだ。
で、悪とは何かを3つにまとめてみると。
1、偽者への追随
2、自分の利害を優先して真理を裏切る
3、真理は複数なのに、唯一で全体的なものとする
うーむ、わかりやすい。
もっとわかりやすい言葉が本書中には散見できる。
「(現代で倫理と呼ばれているものは)実は、いわゆる『西欧』による『西欧』が所有しているものの保全なのだ」
そんな倫理なら廃れてしまえ、と思うが、バディウの言う倫理ならおおいに賛成だ。
八切止夫の『日本終末宣言』を読んだ。
73年、八切氏みずからおこした日本シェル出版から出た本で、人生相談に答える体裁をとっている。
冒頭に週刊読売掲載の伊丹十三、西丸震哉(農林省食品総合研究所室長)、高橋晄正(東京大学講師・物療内科)による座談会を再録している。その対談によると、食物に含まれたPCBや水銀によって、20世紀中に1億の人口は半分に減ってしまい、遠からず3千万人だけが生き残ると予測している。終末を迎える日本において、読者から寄せられた相談は、「処女は守れといいますが、終末の日まで守るべきでしょうか」とか「孤独でやりきれない。終末の日までに自分にもやらせてくれる相手を紹介してほしい」とか「人づきあいが悪くてどこに勤めても長続きしません」「鼻を高くしたいのですが整形は大丈夫ですか」とか、「飛び降り自殺を考えてますが、何メートルの高さからがいいですか」とか、終末と直接関係無さそうなテーマまで全般にわたる。八切氏はその相談に答えるというより、その内容をテーマにして言いたい放題展開し、極論や、ミもフタもない議論で、抱えていた悩みが馬鹿馬鹿しくなってしまう不思議な作りになっている。
八切氏は戦国時代や幕末などの本を多数書いた作家だが、あまりちゃんと読んだことがなかった。この本はえらく面白かったので、意識して読んでいこうかと思う。
この本の中で「ほほー」と思ったところは多々あるが、さわりだけでも書き留めておこう。
魔女裁判以降、女性は常日頃から「愛の確認」をするようになったと言う。愛されているということが、自分が焼き殺されないための保険になるからだ。
また、日本人の登山好き、山岳信仰は、いずれ日本が海に沈没するので、そのときの予行演習として山を登っているのだそうだ。
八切氏の本の面白さは珍説だけではない。巻末には、20冊本を注文したら、土地を無料でくれる特典が書いてあったりする。本の宣伝文句もまるで香具師だ。今回の「ズバリ相談」シリーズも『日本人民全滅』『日本埋没』『日本飢餓地帯』『日本人民共和国』等あるらしい。よ、読みたい。
書店に行くと、八切氏の再評価はまさに今はじまったところのようだ。この調子で、日本史もの以外のこんな本も再刊してほしいなあ。
73年、八切氏みずからおこした日本シェル出版から出た本で、人生相談に答える体裁をとっている。
冒頭に週刊読売掲載の伊丹十三、西丸震哉(農林省食品総合研究所室長)、高橋晄正(東京大学講師・物療内科)による座談会を再録している。その対談によると、食物に含まれたPCBや水銀によって、20世紀中に1億の人口は半分に減ってしまい、遠からず3千万人だけが生き残ると予測している。終末を迎える日本において、読者から寄せられた相談は、「処女は守れといいますが、終末の日まで守るべきでしょうか」とか「孤独でやりきれない。終末の日までに自分にもやらせてくれる相手を紹介してほしい」とか「人づきあいが悪くてどこに勤めても長続きしません」「鼻を高くしたいのですが整形は大丈夫ですか」とか、「飛び降り自殺を考えてますが、何メートルの高さからがいいですか」とか、終末と直接関係無さそうなテーマまで全般にわたる。八切氏はその相談に答えるというより、その内容をテーマにして言いたい放題展開し、極論や、ミもフタもない議論で、抱えていた悩みが馬鹿馬鹿しくなってしまう不思議な作りになっている。
八切氏は戦国時代や幕末などの本を多数書いた作家だが、あまりちゃんと読んだことがなかった。この本はえらく面白かったので、意識して読んでいこうかと思う。
この本の中で「ほほー」と思ったところは多々あるが、さわりだけでも書き留めておこう。
魔女裁判以降、女性は常日頃から「愛の確認」をするようになったと言う。愛されているということが、自分が焼き殺されないための保険になるからだ。
また、日本人の登山好き、山岳信仰は、いずれ日本が海に沈没するので、そのときの予行演習として山を登っているのだそうだ。
八切氏の本の面白さは珍説だけではない。巻末には、20冊本を注文したら、土地を無料でくれる特典が書いてあったりする。本の宣伝文句もまるで香具師だ。今回の「ズバリ相談」シリーズも『日本人民全滅』『日本埋没』『日本飢餓地帯』『日本人民共和国』等あるらしい。よ、読みたい。
書店に行くと、八切氏の再評価はまさに今はじまったところのようだ。この調子で、日本史もの以外のこんな本も再刊してほしいなあ。
からゆきさん おキクの生涯
2004年6月21日 読書 コメント (1)
『からゆきさんおキクの生涯』大場昇著を読んだ。
先日、今村昌平監督のドキュメンタリー「からゆきさん」を見たが、そのときに取り上げられていたのが、この「おキク」こと善道キクヨである。
貧乏な家では、口べらしの為に娘を売りとばすことが日常茶飯事だったが、東南アジアに連れていかれ、そこで売春を強要されるのが、「からゆきさん」だ。
東南アジアまではもちろん密航で、何の設備もない檻のようなところに閉じ込められ、入浴もできず、糞尿にまみれながら、外国人船員にとっかえひっかえ強姦されながらも、エサとして与えられるひからびたおむすびを食べて生にかじりつくのだ。
密航中、あるいは娼館に買われていってから、自殺したり、病死する娘も続出する。
うっかり病気になろうものなら、使い物にならないので、ワニのエサとして生きたまま転売される娘もいる。
まさに地獄だが、借金を返して自由の身になったおキクは日本に帰らない。なぜなら、おキクは部落民だったのだ。売春を続けてでも、日本には帰らない。地獄はむしろ日本国内にあった。
からゆきさんの悲劇は、日本国にいいように利用されたあげく、見捨てられたところにある。74才になって帰国したおキクは日本人として認められなかっただけでなく、日本に帰化してからも、年金も与えられず、何の援助も考えられていなかった。
この本は、おキクの生涯を描くとともに、被差別部落民の問題、現在も残るネパールの「インドゆきさん」の問題も扱う。部落差別や人身売買なんて、過去のことだと思ってしまうが、そうではないのだ。
貧乏のために人身売買で売られていく娘の問題は、家族の絆の問題でもある。
家族の絆が大切だというのではない。逆に、家族の絆が娘を縛り付けているのだ。
国家は家族愛をとことんまで利用する。
家族愛をよいものとして讃えることの罠を我々は見抜くべきである。
先日、今村昌平監督のドキュメンタリー「からゆきさん」を見たが、そのときに取り上げられていたのが、この「おキク」こと善道キクヨである。
貧乏な家では、口べらしの為に娘を売りとばすことが日常茶飯事だったが、東南アジアに連れていかれ、そこで売春を強要されるのが、「からゆきさん」だ。
東南アジアまではもちろん密航で、何の設備もない檻のようなところに閉じ込められ、入浴もできず、糞尿にまみれながら、外国人船員にとっかえひっかえ強姦されながらも、エサとして与えられるひからびたおむすびを食べて生にかじりつくのだ。
密航中、あるいは娼館に買われていってから、自殺したり、病死する娘も続出する。
うっかり病気になろうものなら、使い物にならないので、ワニのエサとして生きたまま転売される娘もいる。
まさに地獄だが、借金を返して自由の身になったおキクは日本に帰らない。なぜなら、おキクは部落民だったのだ。売春を続けてでも、日本には帰らない。地獄はむしろ日本国内にあった。
からゆきさんの悲劇は、日本国にいいように利用されたあげく、見捨てられたところにある。74才になって帰国したおキクは日本人として認められなかっただけでなく、日本に帰化してからも、年金も与えられず、何の援助も考えられていなかった。
この本は、おキクの生涯を描くとともに、被差別部落民の問題、現在も残るネパールの「インドゆきさん」の問題も扱う。部落差別や人身売買なんて、過去のことだと思ってしまうが、そうではないのだ。
貧乏のために人身売買で売られていく娘の問題は、家族の絆の問題でもある。
家族の絆が大切だというのではない。逆に、家族の絆が娘を縛り付けているのだ。
国家は家族愛をとことんまで利用する。
家族愛をよいものとして讃えることの罠を我々は見抜くべきである。
dreamからSweetS、ダンシングBANANA
2004年6月20日 音楽
今日は台風がくるかと思いきや、暑い晴天。
午後1時からなんばパークスで開催されたdreamのイベントに行く。
Bフレッツのキャンペーンで、イベント内容はaネーションのライブ映像を見ながらdreamのトーク、その後ビンゴ大会。僕にパークスの2万円分の商品券が当たるはずだったが、リーチにもいたらず。
ライブなどはなかったが、ステージと客席が近くて、楽しく見れた。
元ブラックベリーズの彩ちゃんを応援すべきなんだろうが、目が行くのは麻未(アミ)ちゃん。面白い。
午後4時の回もあったが、別件があってパス。
別件とは。
千里セルシーでSweetS。これは午後2時と4時の2回。うまく時間があえば2回とも見られるはずだったが、1回めの途中でセルシーに到着した。
SweetSは歌のあとのトーク中で、最後に「Love like candy floss」を歌って1回目終了。このイベントはニューシングルのキャンペーンだったので、購入者にはポスターと握手会参加の特典があった。僕は買っていないので、握手する人々をぼけーっと見ていた。
dreamを見た後だと、SweetSはなおさら幼く見える。12才と13才ばかりだし。
客の数は少なく、余裕で前の方の席に坐って見ることができる。
午後4時からの2回目のイベント内容は。
1、Never ending story
2、暑中お見舞い申し上げます
トーク(この夏何をするか、とか)
3、Love like candy floss
アンコ−ルで、Grow into shinin’stars
「暑中お見舞い申し上げます」はキャンディーズのカバー。振り付けも一部取り入れている。しかし、この子ら、ダンスも歌もうまいわ。
SweetSにも関西出身の子がいる。以前見たときは、そんなこと関係なく、「みおり」がいいなあ、と思っていた。だが、今回見て、関西のアキが いいなあと思った。
dreamのアミにしろSweetSのアキにしろ、しゃべりが面白くて心に余裕があるような感じがしたのだ。
この後、東大阪市民会館でハッピ−タイム発表会。
当日券を買いに受付に行ったら、昔からの友人がそこにいた!
そのおかげか、最前列の中央という最高の席(全席指定席だったのだ)で見ることができた。「遠慮してちょっとうしろの席がいい」なんて考えを僕がしないことをよく理解しているのだ。
プログラムを見ると2部構成で、1部20曲、2部23曲。これは長丁場になるわい、と覚悟。基本的にダンスやボーカルのそれぞれのクラス別で演じられる。
1部から曲目だけを並べておく。司会はHappy’s(西室田亜紀、吉岡由佳梨、水野亜寿華、桜小路ひかる)Happy’sは「ミッフィーファミリーミュージカル」とか「パルケキッズショー」などで出演中。
「よさこい&HIP-HOP ORIGINAL MIX」
「R&B JUNKIE」
「Nahmeanu Heard」
「いくつかの空」(ダンシングBANANAの小畑智美のソロ)
「妖怪人間べム」
「ハナミズキ」(ダンシングBANANAの北千種のソロ)
「I LOVE YOU SMILE」
「小さな世界」
「The Love You Save」
「No.1」
「Original Mix」
「The Jump Off」
「エースをねらえ」(ダンシングBANANAの長谷川唯のソロ)
「Walk This Way」
「青のかなたへ」
「Theme of Rio」
「Colors」
「Ugly Ducking」
「My Friend」
「Help」(ミュージカル仕立て。ゴスロリメイドや看護婦や尼僧やバドガールっぽいのや、制服コスプレのオンパレード)
1部と2部の間にプログラムには載っていないダンシングBANANAのスペシャルステージがあった。長谷川愛ちゃんの卒業式が本来ならあるべきところだが、スケジュールの都合で来れず、ヴォイスレターだけ。新メンバーのチヒロとカヨの紹介。
ダンシングBANANAの演目は
「元気メドレー」(勇気100%、YUME日和、負けないで、TOMORROW、勇気100%)
「スクリーム」(これはダンスナンバー)
ダンシングBANANAはさすがにうまい。長谷川唯の実力もよくわかった。あとは華だ。
2部までの休憩時間は5分。これはトイレにも行けない。
「よさこい&HIP-HOP ORIGINAL MIX」
「Deck The House」
「Starlight」
「Don’t Stop」
「Original Mix」
「YUME日和」
「Check The Rhyme」
「Magic in your Eyes」
「Janet」
「Good Bye 夏男」
「Dick」
「青空の果て」
「Hey! MaMa」
「After The Rain」
「ロコモーション」
「BELIEVE」(花野紗南。ビートたけしの映画「血と骨」でたけしの娘役で出演。7才)
「Boom Boom」
「Private Laughter」(ダンシングBANANAの田口彩花のソロ)
「Jump」
「I Will」
「My Funny Valentine」
「愛あらばIt’s Allright」
「すべてが僕の力になる」(出演者全員、スクールの先生も登場してのエンディング)
曲目でだいたいの雰囲気はつかめただろうか。
帰宅後、プライドを見る。ファイナルの組み合わせが気になるところ。
「うるぐす」のエンディングでまたもやSweetSを聞いたりする。
午後1時からなんばパークスで開催されたdreamのイベントに行く。
Bフレッツのキャンペーンで、イベント内容はaネーションのライブ映像を見ながらdreamのトーク、その後ビンゴ大会。僕にパークスの2万円分の商品券が当たるはずだったが、リーチにもいたらず。
ライブなどはなかったが、ステージと客席が近くて、楽しく見れた。
元ブラックベリーズの彩ちゃんを応援すべきなんだろうが、目が行くのは麻未(アミ)ちゃん。面白い。
午後4時の回もあったが、別件があってパス。
別件とは。
千里セルシーでSweetS。これは午後2時と4時の2回。うまく時間があえば2回とも見られるはずだったが、1回めの途中でセルシーに到着した。
SweetSは歌のあとのトーク中で、最後に「Love like candy floss」を歌って1回目終了。このイベントはニューシングルのキャンペーンだったので、購入者にはポスターと握手会参加の特典があった。僕は買っていないので、握手する人々をぼけーっと見ていた。
dreamを見た後だと、SweetSはなおさら幼く見える。12才と13才ばかりだし。
客の数は少なく、余裕で前の方の席に坐って見ることができる。
午後4時からの2回目のイベント内容は。
1、Never ending story
2、暑中お見舞い申し上げます
トーク(この夏何をするか、とか)
3、Love like candy floss
アンコ−ルで、Grow into shinin’stars
「暑中お見舞い申し上げます」はキャンディーズのカバー。振り付けも一部取り入れている。しかし、この子ら、ダンスも歌もうまいわ。
SweetSにも関西出身の子がいる。以前見たときは、そんなこと関係なく、「みおり」がいいなあ、と思っていた。だが、今回見て、関西のアキが いいなあと思った。
dreamのアミにしろSweetSのアキにしろ、しゃべりが面白くて心に余裕があるような感じがしたのだ。
この後、東大阪市民会館でハッピ−タイム発表会。
当日券を買いに受付に行ったら、昔からの友人がそこにいた!
そのおかげか、最前列の中央という最高の席(全席指定席だったのだ)で見ることができた。「遠慮してちょっとうしろの席がいい」なんて考えを僕がしないことをよく理解しているのだ。
プログラムを見ると2部構成で、1部20曲、2部23曲。これは長丁場になるわい、と覚悟。基本的にダンスやボーカルのそれぞれのクラス別で演じられる。
1部から曲目だけを並べておく。司会はHappy’s(西室田亜紀、吉岡由佳梨、水野亜寿華、桜小路ひかる)Happy’sは「ミッフィーファミリーミュージカル」とか「パルケキッズショー」などで出演中。
「よさこい&HIP-HOP ORIGINAL MIX」
「R&B JUNKIE」
「Nahmeanu Heard」
「いくつかの空」(ダンシングBANANAの小畑智美のソロ)
「妖怪人間べム」
「ハナミズキ」(ダンシングBANANAの北千種のソロ)
「I LOVE YOU SMILE」
「小さな世界」
「The Love You Save」
「No.1」
「Original Mix」
「The Jump Off」
「エースをねらえ」(ダンシングBANANAの長谷川唯のソロ)
「Walk This Way」
「青のかなたへ」
「Theme of Rio」
「Colors」
「Ugly Ducking」
「My Friend」
「Help」(ミュージカル仕立て。ゴスロリメイドや看護婦や尼僧やバドガールっぽいのや、制服コスプレのオンパレード)
1部と2部の間にプログラムには載っていないダンシングBANANAのスペシャルステージがあった。長谷川愛ちゃんの卒業式が本来ならあるべきところだが、スケジュールの都合で来れず、ヴォイスレターだけ。新メンバーのチヒロとカヨの紹介。
ダンシングBANANAの演目は
「元気メドレー」(勇気100%、YUME日和、負けないで、TOMORROW、勇気100%)
「スクリーム」(これはダンスナンバー)
ダンシングBANANAはさすがにうまい。長谷川唯の実力もよくわかった。あとは華だ。
2部までの休憩時間は5分。これはトイレにも行けない。
「よさこい&HIP-HOP ORIGINAL MIX」
「Deck The House」
「Starlight」
「Don’t Stop」
「Original Mix」
「YUME日和」
「Check The Rhyme」
「Magic in your Eyes」
「Janet」
「Good Bye 夏男」
「Dick」
「青空の果て」
「Hey! MaMa」
「After The Rain」
「ロコモーション」
「BELIEVE」(花野紗南。ビートたけしの映画「血と骨」でたけしの娘役で出演。7才)
「Boom Boom」
「Private Laughter」(ダンシングBANANAの田口彩花のソロ)
「Jump」
「I Will」
「My Funny Valentine」
「愛あらばIt’s Allright」
「すべてが僕の力になる」(出演者全員、スクールの先生も登場してのエンディング)
曲目でだいたいの雰囲気はつかめただろうか。
帰宅後、プライドを見る。ファイナルの組み合わせが気になるところ。
「うるぐす」のエンディングでまたもやSweetSを聞いたりする。
エセテロリストとボンクラ学園
2004年6月19日 日常7月9日の京都メトロでの「カモロック」に司会として出演する。
今日はそのときに流す映像の撮影を補助。(見てるだけ)
佐伯誠之助と丼野雅美が出演する。セーラー服に衣裳替えした丼野となんばパークスでいると、気功を勉強しているという男女が寄ってきて、体の不調な部分を気功でなおすと言う。まあ、それは快くやってもらった(肩のこりをとってもらった)のだが、なぜそんな提案をしたのかと言うと、「僕達がとても浮いていたから」って、言うじゃなーい。丼野は撮影用に衣裳を着ていたから納得できるが、僕は普段着ですから!残念!保山宗明玉斬り!
撮影はなんばパークスの警備員が「やめろ」と妨害したため、別の場所で撮影を続けた。
警備員たち(数人!)は集まり、お互いに連絡をとりあい、我々がパークスを完全に去るまで、曲り角ごとに複数の人間を配備して、監視を続けた。
テロ対策か?
BEARSで今日はACE、ソープ嬢変死、グラインドオーケストラ、ロケットSON、DJオカノのライブだった。あいにくと別件があったので、リハーサルだけ見に行った。
リハだけでかなりおなかいっぱいだ。
山本精一くんに久しぶりに会った。
で、別件で見に行ったのは、うめだ花月での「国立大阪ボンクラ学園」。2年前にも見に行ったが、今回も中川家、月亭八方、吉村智樹、杉作J太郎の出演で、うだうだとおしゃべり。一応テーマは「男気」に決めてあったのはJ太郎になんとか加わってもらおうとする意図だろう。関西勢のおしゃべりの達者さの前では、J太郎はほとんど聞き役だ。いつものように、吉村くんの「男気」をテーマにした看板写真でかろうじてテーマの一貫性を保った感じ。全体にぬるーい感じが気持ち良い。
今日会ったのは佐伯くん、山本くん、DJオカノ、ボンクラ学園勢、駅でばったり会ったチャンキーと、やたら男くさい。僕はふだん女性とばかり遊んでいる「嘘ハーレム」状態なので、こんな日は珍しい、と思った。
今日はそのときに流す映像の撮影を補助。(見てるだけ)
佐伯誠之助と丼野雅美が出演する。セーラー服に衣裳替えした丼野となんばパークスでいると、気功を勉強しているという男女が寄ってきて、体の不調な部分を気功でなおすと言う。まあ、それは快くやってもらった(肩のこりをとってもらった)のだが、なぜそんな提案をしたのかと言うと、「僕達がとても浮いていたから」って、言うじゃなーい。丼野は撮影用に衣裳を着ていたから納得できるが、僕は普段着ですから!残念!保山宗明玉斬り!
撮影はなんばパークスの警備員が「やめろ」と妨害したため、別の場所で撮影を続けた。
警備員たち(数人!)は集まり、お互いに連絡をとりあい、我々がパークスを完全に去るまで、曲り角ごとに複数の人間を配備して、監視を続けた。
テロ対策か?
BEARSで今日はACE、ソープ嬢変死、グラインドオーケストラ、ロケットSON、DJオカノのライブだった。あいにくと別件があったので、リハーサルだけ見に行った。
リハだけでかなりおなかいっぱいだ。
山本精一くんに久しぶりに会った。
で、別件で見に行ったのは、うめだ花月での「国立大阪ボンクラ学園」。2年前にも見に行ったが、今回も中川家、月亭八方、吉村智樹、杉作J太郎の出演で、うだうだとおしゃべり。一応テーマは「男気」に決めてあったのはJ太郎になんとか加わってもらおうとする意図だろう。関西勢のおしゃべりの達者さの前では、J太郎はほとんど聞き役だ。いつものように、吉村くんの「男気」をテーマにした看板写真でかろうじてテーマの一貫性を保った感じ。全体にぬるーい感じが気持ち良い。
今日会ったのは佐伯くん、山本くん、DJオカノ、ボンクラ学園勢、駅でばったり会ったチャンキーと、やたら男くさい。僕はふだん女性とばかり遊んでいる「嘘ハーレム」状態なので、こんな日は珍しい、と思った。
「ならずもの国家」異論
2004年6月18日 読書
『「ならずもの国家」異論』吉本隆明著を読んだ。
最近の吉本氏の本は語ったものを文章化したものが多く、内容や文体がゆるくなりがちだ。
この本も半分くらいまで読んだところでは「やっぱりゆるいなあ」と思っていた。フッサールとかアリストテレスを読んだ直後だったこともあろう。
でも、読みすすめるうちに、印象は変わった。
この本は悔しいことに刺激的だ。
目次にしたがって、要約ではないが一部抜き出してみると
「拉致」異論(ラジカルな人ほど、ほかの分野の人に対して自分を押し付けがちだ)
「金正日」異論(金正日は現人神になりたいのだが、実現できていない)
「アメリカ」異論(アメリカは昔から人道に反することでも徹底的に実行してきた。ただし、日本のように国論が統一されたりしないのが美点である)
「石油問題」異論(イラク戦争はアメリカの面白半分のいじめだ。フランスは「分け隔てしない」ことを意識すらしない自由が美点である)
「軍事力」異論(日本は無条件にイラク戦争を支持したのだから、便乗して、アメリカに流れる利得の分け前をぶんどるくらいでないといけない)
「不況」異論(不況を改善するのは、個人消費の増大と第3次産業への強力な援助である)
「景況判断」異論(大企業や大銀行の動向で景気を判断するのではなく個人消費と生活実感で判断すべきである)
「国家と個人」異論(国家は幻想の共同体だ。自分がどう感じ、どう判断するかによって行動すべきだ)
全体を通して、言ってることは別に異論ではない。
でも、ワイドショーで見られるような、一種類しか考え方を示さない現実追認の思考とは明らかに違う。
吉本氏はこの本の中で、「個人」に重きを置く発言を繰り返す。そして、同じく何度も繰り返すのが、「そんなこと、夢みたいなことだと言われるかもしれない。でも、夢みたいなことでもいいから言ってみることが大切です」という意味の言葉だ。
「言ったからといって別にどうにもならないかもしれませんが、言っておいたほうがいいのです」
これが80才の吉本氏の言葉なのだ。若い人は随分勇気づけられるんじゃないだろうか。(僕も)
最近の吉本氏の本は語ったものを文章化したものが多く、内容や文体がゆるくなりがちだ。
この本も半分くらいまで読んだところでは「やっぱりゆるいなあ」と思っていた。フッサールとかアリストテレスを読んだ直後だったこともあろう。
でも、読みすすめるうちに、印象は変わった。
この本は悔しいことに刺激的だ。
目次にしたがって、要約ではないが一部抜き出してみると
「拉致」異論(ラジカルな人ほど、ほかの分野の人に対して自分を押し付けがちだ)
「金正日」異論(金正日は現人神になりたいのだが、実現できていない)
「アメリカ」異論(アメリカは昔から人道に反することでも徹底的に実行してきた。ただし、日本のように国論が統一されたりしないのが美点である)
「石油問題」異論(イラク戦争はアメリカの面白半分のいじめだ。フランスは「分け隔てしない」ことを意識すらしない自由が美点である)
「軍事力」異論(日本は無条件にイラク戦争を支持したのだから、便乗して、アメリカに流れる利得の分け前をぶんどるくらいでないといけない)
「不況」異論(不況を改善するのは、個人消費の増大と第3次産業への強力な援助である)
「景況判断」異論(大企業や大銀行の動向で景気を判断するのではなく個人消費と生活実感で判断すべきである)
「国家と個人」異論(国家は幻想の共同体だ。自分がどう感じ、どう判断するかによって行動すべきだ)
全体を通して、言ってることは別に異論ではない。
でも、ワイドショーで見られるような、一種類しか考え方を示さない現実追認の思考とは明らかに違う。
吉本氏はこの本の中で、「個人」に重きを置く発言を繰り返す。そして、同じく何度も繰り返すのが、「そんなこと、夢みたいなことだと言われるかもしれない。でも、夢みたいなことでもいいから言ってみることが大切です」という意味の言葉だ。
「言ったからといって別にどうにもならないかもしれませんが、言っておいたほうがいいのです」
これが80才の吉本氏の言葉なのだ。若い人は随分勇気づけられるんじゃないだろうか。(僕も)
フッサールの『ブリタニカ草稿』を読んだ。
ブリタニカ百科事典の「現象学」の項目に載せるため、フッサールが書いた草稿を集めたものだ。一部ハイデガーとの共同作業もあり、結局第4草稿を決定稿として出す。(分量オーバーの為、当百科事典には編者による短縮版が掲載された。この短縮版は現象学の核心をついていなくて評判が悪いらしい)最初の草稿からの変更の軌跡や、ハイデガーとの確執など、現象学のポイント以外にも読みどころがある。
現象学はヨーロッパ近代学問の成立基盤が危うくなってきた(と思われた)戦前の思想状況にこたえる形で登場したものだ。そんな成立基盤なんかどうなってもいいじゃないか、と思うが、何かにつけて学問は危機に瀕して、「死んだ」とか言われるのだ。ナチスによって、オウムによって、イラク戦争によって、哲学は「何も出来ず」、「有効性を失い」、「死に絶えた」とされる。いいかげんにしてほしい。現実がむちゃくちゃに荒廃し、無秩序が支配し、確かなものがどこにも存在しなくなったときこそ、哲学の出番じゃないのか。別に哲学である必要もないけど、世界を再構成するのに哲学は非常に有効なのだと思う。
閑話休題。
この本は現象学の入門書としても使えると思う、何せ百科事典に載るはずだった原稿だ。わかりやすく書かれていなければプロ失格のはずだ。と、四苦八苦して読んだ僕の無知ぶりをフッサールに責任転嫁してあてこすっておこう。
訳者によるわかりやすい解説はたいへん役に立った。この解説無しには、本文は1ページたりとも読みすすめなかったと思われる。
録画しておいた「鉄人28号」(超人間ケリーの最後)を見たら、なんとバックに流れているのはデヴィッド・ボウイじゃないか。感動してしまった。
なお、今日は辻希美ちゃんの17才の誕生日です。
ハロプロショップにバースデイカードを投函してきたよ!
ブリタニカ百科事典の「現象学」の項目に載せるため、フッサールが書いた草稿を集めたものだ。一部ハイデガーとの共同作業もあり、結局第4草稿を決定稿として出す。(分量オーバーの為、当百科事典には編者による短縮版が掲載された。この短縮版は現象学の核心をついていなくて評判が悪いらしい)最初の草稿からの変更の軌跡や、ハイデガーとの確執など、現象学のポイント以外にも読みどころがある。
現象学はヨーロッパ近代学問の成立基盤が危うくなってきた(と思われた)戦前の思想状況にこたえる形で登場したものだ。そんな成立基盤なんかどうなってもいいじゃないか、と思うが、何かにつけて学問は危機に瀕して、「死んだ」とか言われるのだ。ナチスによって、オウムによって、イラク戦争によって、哲学は「何も出来ず」、「有効性を失い」、「死に絶えた」とされる。いいかげんにしてほしい。現実がむちゃくちゃに荒廃し、無秩序が支配し、確かなものがどこにも存在しなくなったときこそ、哲学の出番じゃないのか。別に哲学である必要もないけど、世界を再構成するのに哲学は非常に有効なのだと思う。
閑話休題。
この本は現象学の入門書としても使えると思う、何せ百科事典に載るはずだった原稿だ。わかりやすく書かれていなければプロ失格のはずだ。と、四苦八苦して読んだ僕の無知ぶりをフッサールに責任転嫁してあてこすっておこう。
訳者によるわかりやすい解説はたいへん役に立った。この解説無しには、本文は1ページたりとも読みすすめなかったと思われる。
録画しておいた「鉄人28号」(超人間ケリーの最後)を見たら、なんとバックに流れているのはデヴィッド・ボウイじゃないか。感動してしまった。
なお、今日は辻希美ちゃんの17才の誕生日です。
ハロプロショップにバースデイカードを投函してきたよ!
今日はかなりしんどい。睡眠不足と疲労が蓄積している。肩や背中、腰がバキバキにこっている。おなかもこわしている。腕はきっと疲労骨折(憶測)、手は腱鞘炎(推測)、足は肉ばなれ(妄想)、目は疲れ目(普通)、腹は中年太り(開き直り)、頭脳は明晰(希望)。
こんな日は外出するにかぎる、と、夜勤明けに映画を見に行くことにした。
電車賃がないので、会社から映画館までは歩いた。映画がはじまるまで2時間の余裕があったので、なんとか間に合うくらいだ。
見た映画は「ミトン」
10分のアニメ−ション3本立て。チェブラーシカを作った人の作品だ。
3本めの「ママ」が面白かった。ママが買い物に行って、こどもは1人でお留守番。そのこどもの身の上に次々と起こる大ピンチの数々。
母親が熊のぬいぐるみを倒れないようにバランスとってすわらせるシーンとか、直接ストーリーと関係無さそうな場面が、実にいい。母と子の愛情を感じさせるのだ。
さて、なぜ3本目の「ママ」だけを解説したかというと、疲れのあまり、1、2本めは途中で意識がとんでしまったのだ。完全に見ることができたのがこの「ママ」だけだったので、感想を書いてみた。この「ママ」がかなり良かったので、きっと残りの2本もよかったにちがいない。最初から疲れ果てていたので、こうなることは目に見えていたのだ。むしろ、自分自身に地団駄ふませて発奮する目的もあったので、予定通りの行動だったと言える。おかげで発奮した。「ミトン」もリベンジのリストに加わった。
徒歩で移動中に、創叡の人々を見かけた。ひょっとして、バリに出発するところだったのか。
帰宅後、テレビで「死亡遊戯」を見た。
ブルース・リーの吹き替えで今一番旬なユン・ピョウも出ているが、ブルース・リーが1人ずつ敵を倒して上に登って行くおなじみのシーンがやはり見どころ。この映画はもう何回か見たことがあるが、あいかわらず、ブル−ス・リーのそっくりさんが吹き替えしているシーンや、何の魅力もないストーリーには、失笑した。
この後、読書とゲームでついに限界。
ばったり倒れて2時間寝てからまた仕事の用意。
体じゅう湿布はりまくって仕事に出かけた。
こんな日は外出するにかぎる、と、夜勤明けに映画を見に行くことにした。
電車賃がないので、会社から映画館までは歩いた。映画がはじまるまで2時間の余裕があったので、なんとか間に合うくらいだ。
見た映画は「ミトン」
10分のアニメ−ション3本立て。チェブラーシカを作った人の作品だ。
3本めの「ママ」が面白かった。ママが買い物に行って、こどもは1人でお留守番。そのこどもの身の上に次々と起こる大ピンチの数々。
母親が熊のぬいぐるみを倒れないようにバランスとってすわらせるシーンとか、直接ストーリーと関係無さそうな場面が、実にいい。母と子の愛情を感じさせるのだ。
さて、なぜ3本目の「ママ」だけを解説したかというと、疲れのあまり、1、2本めは途中で意識がとんでしまったのだ。完全に見ることができたのがこの「ママ」だけだったので、感想を書いてみた。この「ママ」がかなり良かったので、きっと残りの2本もよかったにちがいない。最初から疲れ果てていたので、こうなることは目に見えていたのだ。むしろ、自分自身に地団駄ふませて発奮する目的もあったので、予定通りの行動だったと言える。おかげで発奮した。「ミトン」もリベンジのリストに加わった。
徒歩で移動中に、創叡の人々を見かけた。ひょっとして、バリに出発するところだったのか。
帰宅後、テレビで「死亡遊戯」を見た。
ブルース・リーの吹き替えで今一番旬なユン・ピョウも出ているが、ブルース・リーが1人ずつ敵を倒して上に登って行くおなじみのシーンがやはり見どころ。この映画はもう何回か見たことがあるが、あいかわらず、ブル−ス・リーのそっくりさんが吹き替えしているシーンや、何の魅力もないストーリーには、失笑した。
この後、読書とゲームでついに限界。
ばったり倒れて2時間寝てからまた仕事の用意。
体じゅう湿布はりまくって仕事に出かけた。
アリストテレス倫理学入門
2004年6月15日 読書
J・O・アームソンの『アリストテレス倫理学入門』を読んだ。
先日読了した『ニコマコス倫理学』の解説書だ。1988年に書かれており、翻訳は1998年に出ている。
理解を促す為に添えられた具体例が、アリストテレスのような古代ギリシア人でなく、現代のイギリス人によって書かれているのだから、とてもわかりやすい。
アリストテレスの快楽論では、五感のうち、味覚も触覚と同様に触れないと味わえない快楽としてあげられている。そして、この食・飲・性の快楽は節制が必要な、劣った快楽なのだ。たとえば良い音楽を聞く快楽(聴覚)では、聞き過ぎるなんてことはありえない。好きなだけ聞けばいいのだ。グルメとセックスに明け暮れるなんて、快楽としては下の下なのだ。なんだか勇気づけられる考えじゃないか?おい!
また、快楽は「妨げられずに行う活動」で、「過程」ではない、という。
例えば、絵画を見て楽しむのはまさに今楽しんでいる「活動」で、快楽だ。でも絵画を描くのは「過程」なのだ。それ自身を楽しめる場合でないと、それは快楽ではない。
活動と過程は、そこに時間の経過があるかないかで区別されるのだ。
これなんかも、努力や練習が嫌いな僕には(曲解だったとしても)うってつけの考えじゃないか。この本によると、この「活動」と「過程」論には古来さまざまな反論や批判があるらしいが、知ったことか。
先日読了した『ニコマコス倫理学』の解説書だ。1988年に書かれており、翻訳は1998年に出ている。
理解を促す為に添えられた具体例が、アリストテレスのような古代ギリシア人でなく、現代のイギリス人によって書かれているのだから、とてもわかりやすい。
アリストテレスの快楽論では、五感のうち、味覚も触覚と同様に触れないと味わえない快楽としてあげられている。そして、この食・飲・性の快楽は節制が必要な、劣った快楽なのだ。たとえば良い音楽を聞く快楽(聴覚)では、聞き過ぎるなんてことはありえない。好きなだけ聞けばいいのだ。グルメとセックスに明け暮れるなんて、快楽としては下の下なのだ。なんだか勇気づけられる考えじゃないか?おい!
また、快楽は「妨げられずに行う活動」で、「過程」ではない、という。
例えば、絵画を見て楽しむのはまさに今楽しんでいる「活動」で、快楽だ。でも絵画を描くのは「過程」なのだ。それ自身を楽しめる場合でないと、それは快楽ではない。
活動と過程は、そこに時間の経過があるかないかで区別されるのだ。
これなんかも、努力や練習が嫌いな僕には(曲解だったとしても)うってつけの考えじゃないか。この本によると、この「活動」と「過程」論には古来さまざまな反論や批判があるらしいが、知ったことか。