忠臣蔵、ウォルター少年と夏の休日
2004年12月10日 映画
BSで「忠臣蔵」を見る。長谷川一夫他豪華キャストによる娯楽大作。
ある程度忠臣蔵の本などを読むと、こういう大衆娯楽時代劇が史実とはかけ離れたものであることがわかる。夜の討ち入りシーンなのに建物の隅まで明るくなっているなど、歴史とは無関係なおかしな点もある。蝋燭に火をつけて廊下の要所要所に並べた義士は、その気配りをほめたたえられている。最初から明るければ、その義士の手柄を横取りしたことにはならないか。で、いろいろツッコミどころがあるからと言って、映画の面白さを損なっていないのが、映画の面白さだ。「こんなもの、事実ではない」とか「現実的ではない」という感想ほどつまらないものはない。
交通科学博物館にティム・マッキャンリ−ズ監督の「ウォルター少年と夏の休日」を見に行った。
少年はハーレイ・ジョエル・オスメント。2人の変人のおじさんのところに夏のあいだあずけられる。おじさんの話はアラビアンナイトめいて空想的だ。少年の母親はいたってダメな現実的女性。仕事に夢を持てず、伯父が隠しもっていると推測する大金をかすめ取ろうとし、とにかく自分を養ってくれそうな男を探すためだけに奔走している。
おじさんが少年に語る言葉に、「それが真実かどうかにかかわらず、信じておいた方がいいことってのがある」というのがある。人間は本来、善なのだ、とか、頑張れば必ず報われるとか、「そんな甘いこと」とシニカルに言うよりも、信じる方がいいのだ。
「そんなのは事実ではない」とか「現実的ではない」という判断ほどつまらないものはない。
ある程度忠臣蔵の本などを読むと、こういう大衆娯楽時代劇が史実とはかけ離れたものであることがわかる。夜の討ち入りシーンなのに建物の隅まで明るくなっているなど、歴史とは無関係なおかしな点もある。蝋燭に火をつけて廊下の要所要所に並べた義士は、その気配りをほめたたえられている。最初から明るければ、その義士の手柄を横取りしたことにはならないか。で、いろいろツッコミどころがあるからと言って、映画の面白さを損なっていないのが、映画の面白さだ。「こんなもの、事実ではない」とか「現実的ではない」という感想ほどつまらないものはない。
交通科学博物館にティム・マッキャンリ−ズ監督の「ウォルター少年と夏の休日」を見に行った。
少年はハーレイ・ジョエル・オスメント。2人の変人のおじさんのところに夏のあいだあずけられる。おじさんの話はアラビアンナイトめいて空想的だ。少年の母親はいたってダメな現実的女性。仕事に夢を持てず、伯父が隠しもっていると推測する大金をかすめ取ろうとし、とにかく自分を養ってくれそうな男を探すためだけに奔走している。
おじさんが少年に語る言葉に、「それが真実かどうかにかかわらず、信じておいた方がいいことってのがある」というのがある。人間は本来、善なのだ、とか、頑張れば必ず報われるとか、「そんな甘いこと」とシニカルに言うよりも、信じる方がいいのだ。
「そんなのは事実ではない」とか「現実的ではない」という判断ほどつまらないものはない。
毛皮を着たヴィーナス
2004年12月9日 読書
ザッヘル=マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』を読んだ。
種村季弘翻訳、金子國義カバーイラストの河出文庫版。
カルパチア山脈の保養地で、大理石のヴィーナス像が生きて動き出したかのような貴婦人に出会った青年は、彼女に魅せられ、自ら奴隷になることを志願する。
クラフト・エヴィング博士によって「マゾヒズム」を命名される「マゾ」の聖書がこれだ。
主人公の青年の説によると、ギリシア人が美しくて、こだわりがなくて、幸福だったのは、奴隷を持っていたからなのだ。そして、青年は「愛に平等はありません」と信じており、支配するか征服されるかの二者択一には、迷わず女の奴隷になることを選ぼうとする。
そこからが縛られたり、鞭うたれたり、無視されたり、食物を与えられなかったり、暖房のない狭い部屋に泊まらされたり、重い荷物を持たされたり、他の男と遊ぶのを嫉妬しながら見ていたり。
僕自身はSMに興味はあるものの、その趣味があるわけでもないし、自分がSなのかMなのか真剣に考えたこともない。支配と征服の二者択一では、断然相手を支配する側が好きだし、痛い目にあうよりも痛めつける方が好きではある。でも、限度をこえて相手を痛めつける傾向があるため、それはむしろ自滅願望があるのではないか、とも思うし。
まあ、そんな中途半端な僕が読んでも、この本はとてもタメになった。
クライマックスで、ヴィーナスが奴隷(青年)を縛って身動きとれなくしておいた上で、男を登場させ、奴隷の目の前でいちゃつき、男が奴隷をむち打つシーンが出てくる。この、後から出てくる男の役を演じたい、と強烈に思った。また、ずっと奴隷で居続けようとする青年に対して男が嫉妬を覚える感情も「よくわかる」と膝を打った。奴隷となり「情けない奴」と罵られながら、結局いい目を見る類いの人間も存在するのだ。僕としては、この世から抹殺したい奴らである。
また、本作の内容は、まさにプレイに次ぐプレイの連続で、読んでいるとついつい想像が働き、いろんなプレイをあの子と演じる自分を妄想したりした。それは本に書かれたプレイそのものではなく、それを種にして自分で開花させたまったく別のプレイだ。ページがいつまでもめくられず、想像ばかりが暴走するものだから、それほど長大な話ではないのに、読むのにかなり時間がかかった。自分が本格的なSMプレイをすることはまず無いだろうが、読んでいる最中に妄想した、きやきやしたお遊びはいずれ実行できることを強く希望している。
種村季弘翻訳、金子國義カバーイラストの河出文庫版。
カルパチア山脈の保養地で、大理石のヴィーナス像が生きて動き出したかのような貴婦人に出会った青年は、彼女に魅せられ、自ら奴隷になることを志願する。
クラフト・エヴィング博士によって「マゾヒズム」を命名される「マゾ」の聖書がこれだ。
主人公の青年の説によると、ギリシア人が美しくて、こだわりがなくて、幸福だったのは、奴隷を持っていたからなのだ。そして、青年は「愛に平等はありません」と信じており、支配するか征服されるかの二者択一には、迷わず女の奴隷になることを選ぼうとする。
そこからが縛られたり、鞭うたれたり、無視されたり、食物を与えられなかったり、暖房のない狭い部屋に泊まらされたり、重い荷物を持たされたり、他の男と遊ぶのを嫉妬しながら見ていたり。
僕自身はSMに興味はあるものの、その趣味があるわけでもないし、自分がSなのかMなのか真剣に考えたこともない。支配と征服の二者択一では、断然相手を支配する側が好きだし、痛い目にあうよりも痛めつける方が好きではある。でも、限度をこえて相手を痛めつける傾向があるため、それはむしろ自滅願望があるのではないか、とも思うし。
まあ、そんな中途半端な僕が読んでも、この本はとてもタメになった。
クライマックスで、ヴィーナスが奴隷(青年)を縛って身動きとれなくしておいた上で、男を登場させ、奴隷の目の前でいちゃつき、男が奴隷をむち打つシーンが出てくる。この、後から出てくる男の役を演じたい、と強烈に思った。また、ずっと奴隷で居続けようとする青年に対して男が嫉妬を覚える感情も「よくわかる」と膝を打った。奴隷となり「情けない奴」と罵られながら、結局いい目を見る類いの人間も存在するのだ。僕としては、この世から抹殺したい奴らである。
また、本作の内容は、まさにプレイに次ぐプレイの連続で、読んでいるとついつい想像が働き、いろんなプレイをあの子と演じる自分を妄想したりした。それは本に書かれたプレイそのものではなく、それを種にして自分で開花させたまったく別のプレイだ。ページがいつまでもめくられず、想像ばかりが暴走するものだから、それほど長大な話ではないのに、読むのにかなり時間がかかった。自分が本格的なSMプレイをすることはまず無いだろうが、読んでいる最中に妄想した、きやきやしたお遊びはいずれ実行できることを強く希望している。
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ロミ&ジャン・フェクサスの『おなら大全』を読んだ。
古代から現代に至る、おならに関する歴史とエピソードを集成している。
古代エジプトではクレピトゥス(音鳴り神)というおならの神様がいた。
キリスト教によって、おならは悪として封じ込まれるに至る。
18世紀はおならの黄金時代で、「自由放屁協会」という秘密結社までできる。
入会儀式もあり、役員まで決められる。楽しいのは、会歌が作られており、そのタイトルは「これでおならの恨みも晴れた」と名付けられた。よっぽど抑圧を受けていたのだろう。
また、『おならの技法』という本も出た。おならの種類とか、おならの定義と論証などが大真面目に語られる。
19世紀には、舞台でおならの芸を見せる「おなら男」が大人気。
これに似た話は平賀源内や弓月光でおなじみだろう。
20世紀は雑多なエピソードの寄せ集め。
最近見た「スパイダーマン」のからみで、キルスティン・ダンストが映画「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」に出たときのインタヴュー記事が興味をひいた。ダンストは、撮影のあいまに他の出演者たちとの「おならコンクール」を楽しんだというのだ。
おならに関するエピソードってどうしてこんなに面白いんだろう。
分厚い本なのに、あっというまに読んでしまった。
新しい人間講座、安斎育郎の「だます心」がわかりやすくて面白い。
小学生向けか、というような入門書的内容だが、今どきオレオレ詐欺にひっかかる奴とか簡単な手品も見抜けない奴とかいるみたいだし、こういうのも必要なのかも。
仕事の行き帰りは徒歩なのだが、ついに心臓の動悸がおかしくて、途中で何分か立ち尽くしていた。身体に力が入らなくて、鞄を持っていられないのだ。坐ったりうずくまったりしたら再起できなさそうなので、かろうじて立っていた。20年以上前にインフルエンザでこんな感じになったことがあるかな。目の前がハレーション!でも、「何分間」程度で回復、というか、無理矢理早足で歩いているうちに治った。
古代から現代に至る、おならに関する歴史とエピソードを集成している。
古代エジプトではクレピトゥス(音鳴り神)というおならの神様がいた。
キリスト教によって、おならは悪として封じ込まれるに至る。
18世紀はおならの黄金時代で、「自由放屁協会」という秘密結社までできる。
入会儀式もあり、役員まで決められる。楽しいのは、会歌が作られており、そのタイトルは「これでおならの恨みも晴れた」と名付けられた。よっぽど抑圧を受けていたのだろう。
また、『おならの技法』という本も出た。おならの種類とか、おならの定義と論証などが大真面目に語られる。
19世紀には、舞台でおならの芸を見せる「おなら男」が大人気。
これに似た話は平賀源内や弓月光でおなじみだろう。
20世紀は雑多なエピソードの寄せ集め。
最近見た「スパイダーマン」のからみで、キルスティン・ダンストが映画「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」に出たときのインタヴュー記事が興味をひいた。ダンストは、撮影のあいまに他の出演者たちとの「おならコンクール」を楽しんだというのだ。
おならに関するエピソードってどうしてこんなに面白いんだろう。
分厚い本なのに、あっというまに読んでしまった。
新しい人間講座、安斎育郎の「だます心」がわかりやすくて面白い。
小学生向けか、というような入門書的内容だが、今どきオレオレ詐欺にひっかかる奴とか簡単な手品も見抜けない奴とかいるみたいだし、こういうのも必要なのかも。
仕事の行き帰りは徒歩なのだが、ついに心臓の動悸がおかしくて、途中で何分か立ち尽くしていた。身体に力が入らなくて、鞄を持っていられないのだ。坐ったりうずくまったりしたら再起できなさそうなので、かろうじて立っていた。20年以上前にインフルエンザでこんな感じになったことがあるかな。目の前がハレーション!でも、「何分間」程度で回復、というか、無理矢理早足で歩いているうちに治った。
末永勝介の『近代日本性豪伝』(番町書房)を読んだ。
明治から昭和にかけて、表の世界でも下半身の世界でも名を馳せた大物たちをとりあげている。大物たちの肖像イラストは生頼範義が描いている。
ラインナップは
初代総理大臣の伊藤博文(ブス専)
宮内大臣の田中光顕(1日23時間ベタベタ)
4代め総理大臣の松方正義(子供の数をそろばんで数える)
落語家の桂春団治(後家殺し)
喜劇の曾我迺家五郎(一夫多妻的セックス)
すきやきチェーン店の木村荘平(チェーンセックス)
大本教の教祖出口王仁三郎(包茎)
電力再編の松永安左衛門(色の道こそ男をつくる)
ガマ将軍の南喜一(魔法の棒)
スケベ作家の梶山季之(性のルポ)
そうそうたるメンバーだが、エピソードもすごい。
木村荘平の子供には有名人もいる。さしえ画家の木村荘八、直木賞作家の木村荘十、映画監督の木村荘十二など。名前を見ておわかりのとおり、男は荘十三までナンバリングされている。女性は十七子までいる。あわせて30人の子供がいたということだ。
木村荘平のすきやきチェーンは「いろは」という店で、2代目がつぶしてしまうまでは大繁盛だったらしい。大阪の宗右衛門町にもかつて「いろは」というすきやき屋があった。きっと木村荘平の「いろは」にあやかったのだろうが、この大阪の方の「いろは」は僕の親戚の店だったのだ。今では観覧車になっている。
また、性豪たちの名言も数々載っていて、感心したり考えさせられたりする。
たとえば、画家の東郷青児の言葉「君たちは女をくどいてものにしようとするが、順序がまちがっている。ものにしてからくどくのがほんとうだ」
たとえば、曾我迺家五郎の言葉「同時に3人か4人の女をケンカさせずに御していく力量がなければ、一国の総理にはなれない」(彼はもともと政治家志望だったのだ)
たとえば出口王仁三郎は新年に「おめでとうございます」と挨拶すると、「おめこ十じゃ」と答えたらしい。これなど、少し前から普及した「あけおめ」のルーツではないか。
たとえば、松永安左衛門は90才になってから年頭に読んだ俳句が「初夢や若き娘に抱きつけり」だったとか。
何年か前に友人のストリッパー嬢のステージを見るためにストリップ劇場に行った際、MCの男優さんは耳にタコができるほど「オメコの力は偉大です」と言っていた。
なんだかそれが実感できるように思った。
何年かぶりで、修羅場を演じそうになった。
3人、4人の女をケンカさせないように御する力量は僕にあるのか?
いやいや、問題はそんなところにはない。
女をとるか、男との友情をとるか、という雰囲気かな?違う?
まあ、修羅場にはならずに丸くおさめてみたけど。
明治から昭和にかけて、表の世界でも下半身の世界でも名を馳せた大物たちをとりあげている。大物たちの肖像イラストは生頼範義が描いている。
ラインナップは
初代総理大臣の伊藤博文(ブス専)
宮内大臣の田中光顕(1日23時間ベタベタ)
4代め総理大臣の松方正義(子供の数をそろばんで数える)
落語家の桂春団治(後家殺し)
喜劇の曾我迺家五郎(一夫多妻的セックス)
すきやきチェーン店の木村荘平(チェーンセックス)
大本教の教祖出口王仁三郎(包茎)
電力再編の松永安左衛門(色の道こそ男をつくる)
ガマ将軍の南喜一(魔法の棒)
スケベ作家の梶山季之(性のルポ)
そうそうたるメンバーだが、エピソードもすごい。
木村荘平の子供には有名人もいる。さしえ画家の木村荘八、直木賞作家の木村荘十、映画監督の木村荘十二など。名前を見ておわかりのとおり、男は荘十三までナンバリングされている。女性は十七子までいる。あわせて30人の子供がいたということだ。
木村荘平のすきやきチェーンは「いろは」という店で、2代目がつぶしてしまうまでは大繁盛だったらしい。大阪の宗右衛門町にもかつて「いろは」というすきやき屋があった。きっと木村荘平の「いろは」にあやかったのだろうが、この大阪の方の「いろは」は僕の親戚の店だったのだ。今では観覧車になっている。
また、性豪たちの名言も数々載っていて、感心したり考えさせられたりする。
たとえば、画家の東郷青児の言葉「君たちは女をくどいてものにしようとするが、順序がまちがっている。ものにしてからくどくのがほんとうだ」
たとえば、曾我迺家五郎の言葉「同時に3人か4人の女をケンカさせずに御していく力量がなければ、一国の総理にはなれない」(彼はもともと政治家志望だったのだ)
たとえば出口王仁三郎は新年に「おめでとうございます」と挨拶すると、「おめこ十じゃ」と答えたらしい。これなど、少し前から普及した「あけおめ」のルーツではないか。
たとえば、松永安左衛門は90才になってから年頭に読んだ俳句が「初夢や若き娘に抱きつけり」だったとか。
何年か前に友人のストリッパー嬢のステージを見るためにストリップ劇場に行った際、MCの男優さんは耳にタコができるほど「オメコの力は偉大です」と言っていた。
なんだかそれが実感できるように思った。
何年かぶりで、修羅場を演じそうになった。
3人、4人の女をケンカさせないように御する力量は僕にあるのか?
いやいや、問題はそんなところにはない。
女をとるか、男との友情をとるか、という雰囲気かな?違う?
まあ、修羅場にはならずに丸くおさめてみたけど。
スパイダーマン、ブラボー火星人2000、廿世紀シネマ、愛のギリシア神話
2004年12月6日 映画 コメント (3)
今日は録画しておいたビデオなどを見ながら過ごした。
うち、映画の分だけ感想らしきものを書いておこう。
サム・ライミ監督の「スパイダーマン」は「2」の方を先に見ており、順番が逆になった。
キルステイン・ダンストの不細工っぷりは見事。
蜘蛛男といえば乱歩の世界では猟奇の怪人だ。趣味もなかなか変態と見た。
次に見たのはドナルド・ペトリ監督の「ブラボー火星人2000」(日本未公開)
TVプロデューサー(ジェフ・ダニエルズ)と地球に不時着した火星人(クリストファー・ロイド)の間に芽生える友情の物語。馬鹿女(エリザベス・ハーレイ)や恋の相手(ダリル・ハンナ)もあわせて名演技が見られる楽しいディズニー映画だった。
廿世紀シネマ・ライブラリーから「風変わり!PR映画」3本。
まず「わたしは女性No.1」は1950年の作品で各方面で活躍する女性を映像として残している。長谷川町子の姿も登場する。僕は「サザエさん」とか「ドラえもん」みたいな家族中心の保守的な漫画は大嫌いなのだが、現代の話としてとらえると嫌悪感が湧くだけで、当時の漫画としては面白いし、じゅうぶんに評価している。つまり、長谷川町子は好きなのだ。いいもん見た。
2本目は「気まぐれ三輪栗毛」柳家金語楼がマツダの三輪トラックで広島から東京まで各地で歓迎されながら走るのを記録している。実況を金語楼自身が担当しており、ギャグ満載だ。これも一種のロードムービーなのか。
3本めは「赤い帽子」赤い毛糸の帽子が好かれながらも次々と持ち主を変えていく映画。この赤い帽子にまつわる話は、みんなハッピーなのだ。まさに、幸せの赤い帽子。
企画は東洋紡績株式会社。そりゃ、幸せになる話を作るわな。
読んだ本は高橋睦郎の『愛のギリシア神話』(1965年)
ギリシア神話の中から愛に関するエピソードを集めて、女性のための愛の学校を開く、という構成の本。
自己愛から兄や父への愛、同性愛、母性愛、さらには嫉妬など愛に関するレクチャーがされる。
エピソード前には高橋睦郎による詩もある。
本書は新書館のフォアレディースのシリーズで番号は4番、かなり初期に出た本だ。
宇野亜喜良によるディレクション、沢渡朔による写真。いかにも新書館!
恋愛にあこがれたり、不安を感じたりする乙女のための本なのだが、とても面白い。
僕にとって愛の参考書はロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』だった。恋愛の上で悩んだり、どうしようか迷ったりしたときに、その本を読んで恋愛を客観的に見られるように頑張ったのだ。恋愛中はついつい視野が狭くなってしまい、よそから見れば明らかなことでも見えなかったりするからだ。
でも、その本は愛に悩む乙女にプレゼントした。自分がもはや恋愛指南を必要とすることになろうとは思ってもいなかったからだ。
ところが人生、何が起こるかわからない。この本を読んで、「そうか!」と思うことも多々あったのだから、自分はまだまだ未熟なのだ。
僕には今でも恋愛指南が必要なようだ。
うち、映画の分だけ感想らしきものを書いておこう。
サム・ライミ監督の「スパイダーマン」は「2」の方を先に見ており、順番が逆になった。
キルステイン・ダンストの不細工っぷりは見事。
蜘蛛男といえば乱歩の世界では猟奇の怪人だ。趣味もなかなか変態と見た。
次に見たのはドナルド・ペトリ監督の「ブラボー火星人2000」(日本未公開)
TVプロデューサー(ジェフ・ダニエルズ)と地球に不時着した火星人(クリストファー・ロイド)の間に芽生える友情の物語。馬鹿女(エリザベス・ハーレイ)や恋の相手(ダリル・ハンナ)もあわせて名演技が見られる楽しいディズニー映画だった。
廿世紀シネマ・ライブラリーから「風変わり!PR映画」3本。
まず「わたしは女性No.1」は1950年の作品で各方面で活躍する女性を映像として残している。長谷川町子の姿も登場する。僕は「サザエさん」とか「ドラえもん」みたいな家族中心の保守的な漫画は大嫌いなのだが、現代の話としてとらえると嫌悪感が湧くだけで、当時の漫画としては面白いし、じゅうぶんに評価している。つまり、長谷川町子は好きなのだ。いいもん見た。
2本目は「気まぐれ三輪栗毛」柳家金語楼がマツダの三輪トラックで広島から東京まで各地で歓迎されながら走るのを記録している。実況を金語楼自身が担当しており、ギャグ満載だ。これも一種のロードムービーなのか。
3本めは「赤い帽子」赤い毛糸の帽子が好かれながらも次々と持ち主を変えていく映画。この赤い帽子にまつわる話は、みんなハッピーなのだ。まさに、幸せの赤い帽子。
企画は東洋紡績株式会社。そりゃ、幸せになる話を作るわな。
読んだ本は高橋睦郎の『愛のギリシア神話』(1965年)
ギリシア神話の中から愛に関するエピソードを集めて、女性のための愛の学校を開く、という構成の本。
自己愛から兄や父への愛、同性愛、母性愛、さらには嫉妬など愛に関するレクチャーがされる。
エピソード前には高橋睦郎による詩もある。
本書は新書館のフォアレディースのシリーズで番号は4番、かなり初期に出た本だ。
宇野亜喜良によるディレクション、沢渡朔による写真。いかにも新書館!
恋愛にあこがれたり、不安を感じたりする乙女のための本なのだが、とても面白い。
僕にとって愛の参考書はロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』だった。恋愛の上で悩んだり、どうしようか迷ったりしたときに、その本を読んで恋愛を客観的に見られるように頑張ったのだ。恋愛中はついつい視野が狭くなってしまい、よそから見れば明らかなことでも見えなかったりするからだ。
でも、その本は愛に悩む乙女にプレゼントした。自分がもはや恋愛指南を必要とすることになろうとは思ってもいなかったからだ。
ところが人生、何が起こるかわからない。この本を読んで、「そうか!」と思うことも多々あったのだから、自分はまだまだ未熟なのだ。
僕には今でも恋愛指南が必要なようだ。
STSイギリスフェスティバル
2004年12月5日 アイドル朝潮橋の八幡屋商店街で開催されていた「イギリスフェスティバル」を見に行った。
ステージイベントでSTSユニットライブがあったのだ。
以下、出演ユニットと曲目。
いちごっ娘「UKI UKI BABY」
クランベリーズ「恋してるって感じ」「ファイナルファンボーイ」
ファッションズ「キッズ・クリエーション」
TOUCH「FAR AWAY」「LOVE☆RASPBERRY JUICE」
いちごっ娘「魔法のじゅうたんブットラソ」
ミューズ「ちょっとだけ MY LOVE」「Don’t Need to Say Good-bye」
全ユニット登場で「クリスマスメドレー」
商店街の中の舞台で、ちょっと肌寒かったが、最近アイドルから離れた日々を送っていたので、「あー、やっぱりアイドルはいいなあ」と心から実感した。顔はずっと緩みっぱなし、涙腺まで刺激された。
それはそうと、このところ、丼野の調子がおかしい。
祟られているか、誰かに呪いでもかけられているんじゃないか、と思うほどの不調ぶりだ。
自分以外の魔術的防衛をできるほど僕には知識もないし力もない。
12日の「HELP!」に来てくださるお客さんから元気を分け与えてあげてほしい。
ステージイベントでSTSユニットライブがあったのだ。
以下、出演ユニットと曲目。
いちごっ娘「UKI UKI BABY」
クランベリーズ「恋してるって感じ」「ファイナルファンボーイ」
ファッションズ「キッズ・クリエーション」
TOUCH「FAR AWAY」「LOVE☆RASPBERRY JUICE」
いちごっ娘「魔法のじゅうたんブットラソ」
ミューズ「ちょっとだけ MY LOVE」「Don’t Need to Say Good-bye」
全ユニット登場で「クリスマスメドレー」
商店街の中の舞台で、ちょっと肌寒かったが、最近アイドルから離れた日々を送っていたので、「あー、やっぱりアイドルはいいなあ」と心から実感した。顔はずっと緩みっぱなし、涙腺まで刺激された。
それはそうと、このところ、丼野の調子がおかしい。
祟られているか、誰かに呪いでもかけられているんじゃないか、と思うほどの不調ぶりだ。
自分以外の魔術的防衛をできるほど僕には知識もないし力もない。
12日の「HELP!」に来てくださるお客さんから元気を分け与えてあげてほしい。
フレデリック・ワイズマン「DV」「DV2」
2004年12月3日 映画ドキュメンタリー映画、今日見たのはフレデリック・ワイズマン監督の「DV」と「DV2」。
ドメスティックバイオレンスの映画で、「DV」はDV後の被害者たちの生の言葉が大量にきける。「DV2」は裁判の模様が映し出される。さすがアメリカ。裁判の手際はテキパキとしていて、腕のいい歯医者を見ているかのようだ。
今日は突然、サブカルチャーノートの草壁くんの店でお笑いライブがあるというので、見に行った。打ち合わせも兼ねて。
そのときに出演していた芸人さんたちにはとても好感を持てた。
イベント「HELP!」などにも出てもらいたい。
出演が決まればまた告知します。
また、このイベントは急に聞いたものだから、草壁くんから連絡をもらったときに、ある条件というか、希望を述べて、かなえてもらった。(内容は秘密)
おかげで僕は朝までコース。
ドメスティックバイオレンスの映画で、「DV」はDV後の被害者たちの生の言葉が大量にきける。「DV2」は裁判の模様が映し出される。さすがアメリカ。裁判の手際はテキパキとしていて、腕のいい歯医者を見ているかのようだ。
今日は突然、サブカルチャーノートの草壁くんの店でお笑いライブがあるというので、見に行った。打ち合わせも兼ねて。
そのときに出演していた芸人さんたちにはとても好感を持てた。
イベント「HELP!」などにも出てもらいたい。
出演が決まればまた告知します。
また、このイベントは急に聞いたものだから、草壁くんから連絡をもらったときに、ある条件というか、希望を述べて、かなえてもらった。(内容は秘密)
おかげで僕は朝までコース。
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鉄西区第2部、第3部
2004年12月2日 映画ドキュメンタリー映画、「鉄西区」の第2部「街」第3部「鉄路」を見た。
2本あわせて5時間ほどの大作。先日第1部を見て感心したので、続きを見に行ったのだ。
「街」は活気ある街が、立ち退きでゴーストタウンになってしまうまでを描いている。
第1部「工場」も工場から誰もいなくなってしまっていた。
人がいなくなってしまうのは、寂しい。寂しすぎる。
第3部の「鉄路」はそんな寂寥感をなんとかなだめてくれる。
鉄路は続くよどこまでも、なのだ。
しかし、合計9時間ほどの鉄西区の映画を見ると、もう自分がかつてそこで暮らしていたかのような懐かしさを覚えてしまう。
また上映の機会があれば、鉄西区を訪れるかもしれない。
昨日に続いて、今日も中之島イルミネーションストリート。
ウーン、ロマンチックが止まらない。
2本あわせて5時間ほどの大作。先日第1部を見て感心したので、続きを見に行ったのだ。
「街」は活気ある街が、立ち退きでゴーストタウンになってしまうまでを描いている。
第1部「工場」も工場から誰もいなくなってしまっていた。
人がいなくなってしまうのは、寂しい。寂しすぎる。
第3部の「鉄路」はそんな寂寥感をなんとかなだめてくれる。
鉄路は続くよどこまでも、なのだ。
しかし、合計9時間ほどの鉄西区の映画を見ると、もう自分がかつてそこで暮らしていたかのような懐かしさを覚えてしまう。
また上映の機会があれば、鉄西区を訪れるかもしれない。
昨日に続いて、今日も中之島イルミネーションストリート。
ウーン、ロマンチックが止まらない。
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矢野龍王の『極限推理コロシアム』を読んだ。
閉鎖された空間での殺人推理ゲーム。
これはまさに人を食った小説だった。普通、タイトルに「極限推理」なんて書いてあったら、事件が起こればあーでもないこーでもないと推理や捜査がはじまると思うではないか。ところが、本書では推理らしき推理はほとんどない。連続殺人で人数が減っていき、「俺は自分で犯人でないとわかっているから、残ったおまえが犯人だ」的な推理しか出てこないのだ。しかも、この自明とも言える推理が「自分勝手な推理」として、却下されたりする。
その他、まるで小学生が書いたかのような下手な文章で、登場人物が不自然な行動をとり、その心理も不可解以外なにものでもなく、謎の解明に至っても、ピンとこない。作者は自信満々に「解決編こそ真骨頂」と書いているにもかかわらず、それも味わえない。
この本は読者を怒らせる意図をもって書かれた駄文の集まりだと、最初は思ったほどだ。
しかし、作者の狙いは深かった。
1ページに必ずいくつか出てくるツッコミポイントを楽しむ、これは世界最初の「純本格ツッコミ小説」なのだ。
作者自身の言葉を援用すると、「極限ボケ」小説なのだ。
推理小説の読者は、まず作者によって翻弄される「ボケ」としてはじまり、すれっからしの読者による「ツッコミ」への道をたどる。
この本はツッコミどころだけで小説を書いた、マニア好みの1冊なのだ。
今日からOSAKA光のルネサンスのイベントとして、中之島イルミネーションストリートがはじまった。音楽にあわせてイルミネーションが光のダンスを見せる。
僕は図書館に本を返却するために、この場にいた。このあたりは市役所とか合同庁舎など、お堅いイメージが先行する場所なのだ。
それが、思いもよらぬロマンチックさを奏でている。
男ひとりで見るには残念だ。
あの子を誘って見にこようかなあ。
閉鎖された空間での殺人推理ゲーム。
これはまさに人を食った小説だった。普通、タイトルに「極限推理」なんて書いてあったら、事件が起こればあーでもないこーでもないと推理や捜査がはじまると思うではないか。ところが、本書では推理らしき推理はほとんどない。連続殺人で人数が減っていき、「俺は自分で犯人でないとわかっているから、残ったおまえが犯人だ」的な推理しか出てこないのだ。しかも、この自明とも言える推理が「自分勝手な推理」として、却下されたりする。
その他、まるで小学生が書いたかのような下手な文章で、登場人物が不自然な行動をとり、その心理も不可解以外なにものでもなく、謎の解明に至っても、ピンとこない。作者は自信満々に「解決編こそ真骨頂」と書いているにもかかわらず、それも味わえない。
この本は読者を怒らせる意図をもって書かれた駄文の集まりだと、最初は思ったほどだ。
しかし、作者の狙いは深かった。
1ページに必ずいくつか出てくるツッコミポイントを楽しむ、これは世界最初の「純本格ツッコミ小説」なのだ。
作者自身の言葉を援用すると、「極限ボケ」小説なのだ。
推理小説の読者は、まず作者によって翻弄される「ボケ」としてはじまり、すれっからしの読者による「ツッコミ」への道をたどる。
この本はツッコミどころだけで小説を書いた、マニア好みの1冊なのだ。
今日からOSAKA光のルネサンスのイベントとして、中之島イルミネーションストリートがはじまった。音楽にあわせてイルミネーションが光のダンスを見せる。
僕は図書館に本を返却するために、この場にいた。このあたりは市役所とか合同庁舎など、お堅いイメージが先行する場所なのだ。
それが、思いもよらぬロマンチックさを奏でている。
男ひとりで見るには残念だ。
あの子を誘って見にこようかなあ。
パラダイス・ゴー!ゴー!、イラクと日本
2004年11月30日 読書
日本橋のディスクピアでパラダイス・ゴー!ゴー!が来店して、新譜の即売会。前回にものぞいてみたが、お客さんとの距離も近く、歌も握手も特にないのだが、充分に楽しい。何よりも、メンバーの数だけ一挙に7枚買っていくお客さんの姿がかっこいい。
宮田律の『イラクと日本』を読んだ。
今年出た本だけに、アメリカによるイラク虐殺後、日本に何ができるかを考察している。
イラクの簡略な歴史もまとめられている。
イラクと日本がいかに友好的な国交を結んでいたかを思うと、てのひらを返したかのごとき最近の対イラク外交は、あまりにも卑怯で、土下座ものである。
本の感想はこれぐらいで。
最近、このブログが滞っていたのは、僕がちょっとした興奮状態にあったからで、体調を崩したりしたわけではない。なぜ僕が興奮しているのかは、まだ秘密だ。
宮田律の『イラクと日本』を読んだ。
今年出た本だけに、アメリカによるイラク虐殺後、日本に何ができるかを考察している。
イラクの簡略な歴史もまとめられている。
イラクと日本がいかに友好的な国交を結んでいたかを思うと、てのひらを返したかのごとき最近の対イラク外交は、あまりにも卑怯で、土下座ものである。
本の感想はこれぐらいで。
最近、このブログが滞っていたのは、僕がちょっとした興奮状態にあったからで、体調を崩したりしたわけではない。なぜ僕が興奮しているのかは、まだ秘密だ。
ドキュメンタリー映画三昧
2004年11月29日 映画シネ・ヌーヴォでドキュメンタリー映画を見てきた。
リン・タイジョウ監督の台湾映画「集集大怪獣」
1999年、台湾を襲った921地震。建物は破壊されまくってるし、死者2100人、負傷者8000人を数える大災害だ。こどもたちは地震による被害を怪獣によるものととらえていた。
簡単にトラウマなんて言葉使うな、とふだんから思っている。人が死んでるんだぞ。しかし、たしかにトラウマはあるのだ。僕も特に意識はしないが、今日心臓が不規則に打つものだから苦しくてしかたがなかった。地震のニュースが影響しているに違い無い。僕が言いたいのは、トラウマは存在する。でもトラウマを言い訳に使うな、ということだ。この映画では、幼いこどもたちが何の言い訳にも利用せず、トラウマをストレートにあらわしているのが、痛々しい。
ラケッシュ・シャルマ監督のインド映画「余震ー村は何処へ行くのか」
インドを襲った地震の後、これ幸いとその土地を買収しようとする企業。発電所建設にもってこいの場所だったのだ。国や企業は災害を何か利益をもたらすチャンスとしか考えていないのだ。あるいは、年来の問題を排除してしまう絶好の機会としか見ていない。阪神大震災で僕たちはそれを充分に学んだのではなかったか。
バトゥール・ムクティアール監督のインド映画「150秒前」
グジャラート大地震後のインドの人々を追う。
ベタな印象なので今まで避けていたが、インド映画見ると、動物が神々しい聖なる存在に見えてくる。少なくともひとの顔してるしなあ。
以上、3本は全部地震をテーマにしている。
今朝方、北海道でも地震があったし、僕は年内の地震でこの世からおさらばするスケジュールをたてているので、まさにタイムリーな映画だった。
もう1本。
ヘルツ・フランク監督のラトヴィア映画「フラッシュバック」
75才の監督の自伝的作品。過去の映像作品からの引用もあり、また、解剖シーン、出産シーン、割礼シーン、心臓手術シーンなど、注射シーンだけでも身体がギューッとかたくなってしまう僕には衝撃の映像が盛り沢山だ。注射シーンももちろんあったし!
日本橋に「道楽」とかいう中古激安ビデオショップができた。
大量のビデオだ。
今日は30分かけて1階の5分の1くらいチェックした。だいたい100円か200円だという値段もうれしい。明日もチェックの続きに行くか。
テレビは午後7時台の「ブラックジャック」とか「中学生日記」「忠臣蔵」全部録画しそこねた。深夜の「げんしけん」「オトメット」も途中から。いやはや。「流星戦隊ムスメット」は作中の戦いに負けて、タイトルが「流星戦隊オトメット」になってたよ。オタクには評判悪いけど、これは歴史に残るアニメなんじゃないか。悪ノリの。
リン・タイジョウ監督の台湾映画「集集大怪獣」
1999年、台湾を襲った921地震。建物は破壊されまくってるし、死者2100人、負傷者8000人を数える大災害だ。こどもたちは地震による被害を怪獣によるものととらえていた。
簡単にトラウマなんて言葉使うな、とふだんから思っている。人が死んでるんだぞ。しかし、たしかにトラウマはあるのだ。僕も特に意識はしないが、今日心臓が不規則に打つものだから苦しくてしかたがなかった。地震のニュースが影響しているに違い無い。僕が言いたいのは、トラウマは存在する。でもトラウマを言い訳に使うな、ということだ。この映画では、幼いこどもたちが何の言い訳にも利用せず、トラウマをストレートにあらわしているのが、痛々しい。
ラケッシュ・シャルマ監督のインド映画「余震ー村は何処へ行くのか」
インドを襲った地震の後、これ幸いとその土地を買収しようとする企業。発電所建設にもってこいの場所だったのだ。国や企業は災害を何か利益をもたらすチャンスとしか考えていないのだ。あるいは、年来の問題を排除してしまう絶好の機会としか見ていない。阪神大震災で僕たちはそれを充分に学んだのではなかったか。
バトゥール・ムクティアール監督のインド映画「150秒前」
グジャラート大地震後のインドの人々を追う。
ベタな印象なので今まで避けていたが、インド映画見ると、動物が神々しい聖なる存在に見えてくる。少なくともひとの顔してるしなあ。
以上、3本は全部地震をテーマにしている。
今朝方、北海道でも地震があったし、僕は年内の地震でこの世からおさらばするスケジュールをたてているので、まさにタイムリーな映画だった。
もう1本。
ヘルツ・フランク監督のラトヴィア映画「フラッシュバック」
75才の監督の自伝的作品。過去の映像作品からの引用もあり、また、解剖シーン、出産シーン、割礼シーン、心臓手術シーンなど、注射シーンだけでも身体がギューッとかたくなってしまう僕には衝撃の映像が盛り沢山だ。注射シーンももちろんあったし!
日本橋に「道楽」とかいう中古激安ビデオショップができた。
大量のビデオだ。
今日は30分かけて1階の5分の1くらいチェックした。だいたい100円か200円だという値段もうれしい。明日もチェックの続きに行くか。
テレビは午後7時台の「ブラックジャック」とか「中学生日記」「忠臣蔵」全部録画しそこねた。深夜の「げんしけん」「オトメット」も途中から。いやはや。「流星戦隊ムスメット」は作中の戦いに負けて、タイトルが「流星戦隊オトメット」になってたよ。オタクには評判悪いけど、これは歴史に残るアニメなんじゃないか。悪ノリの。
今日は1本だけ映画を見てきた。ドキュメンタリー・ドリーム・ショーから王兵(ワン・ビン)監督の「鉄西区第1部」だ。中国の鉄西区を「工場」「街」「鉄路」の3部構成で映画を撮っており、今日見たのは「工場」の部分だ。工場で働く人々をカメラにおさめたあと、何年か後に倒産して荒れ果てた工場をじっくりと見せてくれる。
4時間の映画なので、途中で休憩が入った。
今までにも何度か上映されているのだが、スケジュールがあわなかったり、全部で9時間以上もある映画を見るだけの体力がなかったりで、見逃していたのだ。でも、1部の4時間があっと言う間だったので、残りの5時間強も大丈夫そうだ。
これは2部、3部も見ずにはおくまい。
イベント「HELP!」のヘルプガール、ジョジョ川ちゃんの影響で、今、ジョジョの奇妙な冒険を読み返している。新刊が出るたびに買って読んでいたのに、引っ越しの際に1冊2円くらいで売ってしまった。残念!今は第4部あたりを読んでいる。めちゃくちゃ面白いなー。すっかり忘れているようでも、読むと思い出す。
今日もNHK-FMの「現代の音楽」を聞く。現代ドイツの作曲家特集。
シュトックハウゼンの「“ヘリコプター弦楽四重奏曲”から」
ヘンツェの「“エル・シマロンのメモリア”から“世界”“領主の館”」
ディ−タ−・シュネーベルの「“マウルヴェルケ”から」
ラッヘンマンの「歌劇“マッチ売りの少女”から“スケルツォ 第1部、第2部”」
ハンス・ ツェンダーの「無字の経」
4時間の映画なので、途中で休憩が入った。
今までにも何度か上映されているのだが、スケジュールがあわなかったり、全部で9時間以上もある映画を見るだけの体力がなかったりで、見逃していたのだ。でも、1部の4時間があっと言う間だったので、残りの5時間強も大丈夫そうだ。
これは2部、3部も見ずにはおくまい。
イベント「HELP!」のヘルプガール、ジョジョ川ちゃんの影響で、今、ジョジョの奇妙な冒険を読み返している。新刊が出るたびに買って読んでいたのに、引っ越しの際に1冊2円くらいで売ってしまった。残念!今は第4部あたりを読んでいる。めちゃくちゃ面白いなー。すっかり忘れているようでも、読むと思い出す。
今日もNHK-FMの「現代の音楽」を聞く。現代ドイツの作曲家特集。
シュトックハウゼンの「“ヘリコプター弦楽四重奏曲”から」
ヘンツェの「“エル・シマロンのメモリア”から“世界”“領主の館”」
ディ−タ−・シュネーベルの「“マウルヴェルケ”から」
ラッヘンマンの「歌劇“マッチ売りの少女”から“スケルツォ 第1部、第2部”」
ハンス・ ツェンダーの「無字の経」
恋の呪縛、CLUB D’Cオープニングパーティ
2004年11月27日 音楽
千里セルシーでベリーズ工房の新曲キャンペーン。
新曲の「恋の呪縛」をオープニングとエンディングに歌い、「ハピネス幸福歓迎」とトークをはさむ。
今日は茉麻が学校行事で欠席。
僕はベリ−ズ工房の中では須藤、夏焼、嗣永の順でオシているので、ちょっと残念ではあった。客の集まり具合はかなり満員。
来年にはりさこ以外はみんな中学生になるんだ。大きくなったねー。
今日はいつもの新撰組のカレが来ていなかったので、茉麻と並んで主戦力2人を欠いたイベントではあった。
夜からクラブD’Cのオープニングパーティに行く。完全会員制のハプニングバー。特別に招待状をいただいたので、道重さゆみ似の女の子(僕はひそかに「さゆ」と呼んでいるのだ)と待ちあわせして出かけた。入るなりマダムの篠宮紫穂さんに店内を案内していただき、不馴れな僕たちは大助かりだった。ショータイムのプログラムがかなりレベルが高くて大拍手。ショーに出ていた「みっき」ちゃんの招待で入らせてもらったのだ。いい時間を過ごさせてくれてありがとう。
普段とは違う「みっき」ちゃんの姿も見ることが出来、いや、満喫させてもらい、店内で合流した友達と異常に楽しい時間を過ごすことができた。
帰宅したのは朝の8時過ぎ。クラブに行ったのが午後8時前だったので、12時間以上遊んでいたということか。そりゃ楽しいはずだ。
新曲の「恋の呪縛」をオープニングとエンディングに歌い、「ハピネス幸福歓迎」とトークをはさむ。
今日は茉麻が学校行事で欠席。
僕はベリ−ズ工房の中では須藤、夏焼、嗣永の順でオシているので、ちょっと残念ではあった。客の集まり具合はかなり満員。
来年にはりさこ以外はみんな中学生になるんだ。大きくなったねー。
今日はいつもの新撰組のカレが来ていなかったので、茉麻と並んで主戦力2人を欠いたイベントではあった。
夜からクラブD’Cのオープニングパーティに行く。完全会員制のハプニングバー。特別に招待状をいただいたので、道重さゆみ似の女の子(僕はひそかに「さゆ」と呼んでいるのだ)と待ちあわせして出かけた。入るなりマダムの篠宮紫穂さんに店内を案内していただき、不馴れな僕たちは大助かりだった。ショータイムのプログラムがかなりレベルが高くて大拍手。ショーに出ていた「みっき」ちゃんの招待で入らせてもらったのだ。いい時間を過ごさせてくれてありがとう。
普段とは違う「みっき」ちゃんの姿も見ることが出来、いや、満喫させてもらい、店内で合流した友達と異常に楽しい時間を過ごすことができた。
帰宅したのは朝の8時過ぎ。クラブに行ったのが午後8時前だったので、12時間以上遊んでいたということか。そりゃ楽しいはずだ。
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オルフェウスのダンジョン、ゴールドフィンガー
2004年11月26日 ライブ大阪6地下街ミステリー劇場と題して、犯人当ての小説が地下街で配られていた。作者は乱歩賞作家の石井敏弘。タイトルは『オルフェウスのダンジョン』。被害者は作家で、ホワイティとかなんなんタウンとか、大阪の6つの地下街をボイスレコーダー片手にまわっていた。それを原稿に起こしたものが、どうやらダイイングメッセージらしいのだ。いや、死体はなぜかモデルガンのウージーを持っていた。これもヒントか?
この冊子は数日前に入手したものだが、冊子とは別に謎を解く鍵が期間限定で置かれているので、そのヒントを手に入れてから、やっと本編を読みはじめた。
で、どうやらマシンガンは地下街の形をあらわしているようであり、起こした原稿を400字詰めの原稿用紙に書き写せば、大きなヒントになるであろうことはわかった。
だが、なんということか。原稿用紙に文章を書き写すことすら、めんどうくさくてできない。そんなのは、推理力ではなく、単なる作業ではないか。
いや、賞品が当たるのだ、と思い直して、原稿用紙に書き写そうとしたが、3行ほどで飽きた。締めきりまでにやる気は起こるだろうか。
今日は芦原橋のウィングエンタテインメントホールでガーリーライブイベント「ゴールドフィンガー」だ。僕は司会で出ることにした。
ヘルプガールのジョジョ川はセーラー服と体操服のコスプレでアニメ曲などを歌い、アイドルマニアを大いに喜ばせる。
自分BOXはいわばアウェーでの戦いではあるのだが、いいものはいい。お客さんの心をズギューンと射抜く。アウェーでの自分BOXほど強いものはない。
丼野M美はボーボボのキャラクター、ところ天の助グッズをなぜか身につけて、創叡のブンブン隊のダンスをコピーしたり、制服向上委員会のコピーをしたり。
CHAMIはマイクを使わず、メガホンで留美ちゃんの歌などを歌い、途中、お客さんからのアンケートをディスクジョッキ−風に読んだりする。
いやあ、楽しいイベントだった。
打ち上げで夜中までワイワイと。テンションの高さをこんなにも維持できる雰囲気は、ある意味異常である。
またライブイベントをここでやりたい。
この冊子は数日前に入手したものだが、冊子とは別に謎を解く鍵が期間限定で置かれているので、そのヒントを手に入れてから、やっと本編を読みはじめた。
で、どうやらマシンガンは地下街の形をあらわしているようであり、起こした原稿を400字詰めの原稿用紙に書き写せば、大きなヒントになるであろうことはわかった。
だが、なんということか。原稿用紙に文章を書き写すことすら、めんどうくさくてできない。そんなのは、推理力ではなく、単なる作業ではないか。
いや、賞品が当たるのだ、と思い直して、原稿用紙に書き写そうとしたが、3行ほどで飽きた。締めきりまでにやる気は起こるだろうか。
今日は芦原橋のウィングエンタテインメントホールでガーリーライブイベント「ゴールドフィンガー」だ。僕は司会で出ることにした。
ヘルプガールのジョジョ川はセーラー服と体操服のコスプレでアニメ曲などを歌い、アイドルマニアを大いに喜ばせる。
自分BOXはいわばアウェーでの戦いではあるのだが、いいものはいい。お客さんの心をズギューンと射抜く。アウェーでの自分BOXほど強いものはない。
丼野M美はボーボボのキャラクター、ところ天の助グッズをなぜか身につけて、創叡のブンブン隊のダンスをコピーしたり、制服向上委員会のコピーをしたり。
CHAMIはマイクを使わず、メガホンで留美ちゃんの歌などを歌い、途中、お客さんからのアンケートをディスクジョッキ−風に読んだりする。
いやあ、楽しいイベントだった。
打ち上げで夜中までワイワイと。テンションの高さをこんなにも維持できる雰囲気は、ある意味異常である。
またライブイベントをここでやりたい。
ボディ・アンド・ソウル
2004年11月25日 読書
古川日出男の『ボディ・アンド・ソウル』を読んだ。饒舌に語られる作家フルカワヒデオの身辺雑記、物語のアイディアの数々。その疾走感が気持ちよくて、グイグイと読めてしまう。ところが、本書では冒頭に、自分は死んだ、という記述が出てくる。ソウル(魂)は天上に召されたけれど、死体(ボディ)は地上に残されたままだ。この本は残ったボディによる物語である。したがって、精神の持つ悩みや深い洞察などは二の次にして、快感優先で話がどんどん進んで行くのだ。いきなり「リボルティング・コックス」なんてうれしい名前が出てきて、まさにボディによるストーリー!ところが(2度めの「ところが」)、どうやら著者の妻、チエが死んだことに話が触れると、暴走がストップして、静かな瞬間がもたらされる。このスピ−ド感は、死んだ妻という現実から逃げるための逃走だったのではないか、と思われる。ところが(3度め!)、クライマックスに至っては、フルカワヒデオはなぜ物語り続けるのかという問いが投げかけられ、さらには、この物語を書いているのはいったい誰なのか、という展開になってくる。
身辺雑記を面白おかしく書きとばしているだけかと思っていたのが、いつのまにか、全体が大がかりなフィクションの世界だったことがあらわになってくるのだ。
油断ならない本だ。
いやー、物語って本当素晴らしいですね。ではまたみなさんとご一緒に楽しみましょう。
夜勤への通勤時に聞いたのはNHK-FM3夜連続での「海外の現代音楽祭」から、「ウィッテン現代音楽祭」
細川俊夫の「マリンバと合唱のための“わが心、深き底あり”」
グオ・ウェンジンの「中国のシンバルと声のためのトリオ“ドラマ”作品23」
ナターリャ・ガビオラの「打楽器四重奏のための“スエロ・インチェルト(測りえぬ大地)”」
以上、ウィッテン劇場ホールで収録
ウォルフガング・リームの「アコーディオンと弦楽四重奏のための“フェッツェン(切れ端)”」
以上、ウィッテン ルドルフ・シュタイナー・シューレで収録
徒歩で約1時間の途上なので、まだプログラムは続いたが、ここまで。
お国柄の民族音楽っぽい展開を盛り込んで特徴を出そうとするのは、まあ、わからないではないが、僕はちょっと違和感を覚える。たとえば日本の作曲家が日本の精神をあえて盛り込むのは、ほとんど観光みやげみたいなもんじゃないのか。観光みやげが悪いわけではない。どうせ観光みやげ音楽を発表するなら、徹底的にやれ、と思うのだ。何を格好つけてるんだ。演奏者はみんなゲイシャガールズの格好でもすればいいのだ。
明日は芦原橋ウィングホールでライブイベント「ゴールドフィンガー」を開催する。
僕の見たい人ばかりを集めたガーリーなライブイベントだ。
面白くないなんて言わせない。
身辺雑記を面白おかしく書きとばしているだけかと思っていたのが、いつのまにか、全体が大がかりなフィクションの世界だったことがあらわになってくるのだ。
油断ならない本だ。
いやー、物語って本当素晴らしいですね。ではまたみなさんとご一緒に楽しみましょう。
夜勤への通勤時に聞いたのはNHK-FM3夜連続での「海外の現代音楽祭」から、「ウィッテン現代音楽祭」
細川俊夫の「マリンバと合唱のための“わが心、深き底あり”」
グオ・ウェンジンの「中国のシンバルと声のためのトリオ“ドラマ”作品23」
ナターリャ・ガビオラの「打楽器四重奏のための“スエロ・インチェルト(測りえぬ大地)”」
以上、ウィッテン劇場ホールで収録
ウォルフガング・リームの「アコーディオンと弦楽四重奏のための“フェッツェン(切れ端)”」
以上、ウィッテン ルドルフ・シュタイナー・シューレで収録
徒歩で約1時間の途上なので、まだプログラムは続いたが、ここまで。
お国柄の民族音楽っぽい展開を盛り込んで特徴を出そうとするのは、まあ、わからないではないが、僕はちょっと違和感を覚える。たとえば日本の作曲家が日本の精神をあえて盛り込むのは、ほとんど観光みやげみたいなもんじゃないのか。観光みやげが悪いわけではない。どうせ観光みやげ音楽を発表するなら、徹底的にやれ、と思うのだ。何を格好つけてるんだ。演奏者はみんなゲイシャガールズの格好でもすればいいのだ。
明日は芦原橋ウィングホールでライブイベント「ゴールドフィンガー」を開催する。
僕の見たい人ばかりを集めたガーリーなライブイベントだ。
面白くないなんて言わせない。
数字のどこをみてるんだ!
2004年11月24日 読書
『数字のどこをみてるんだ!』を読んだ。どうかと思うタイトルだ。著者は「数字で日本を暴く会」。ますますうさんくさい。出版社は宝島社。あやしい。監修は和田秀樹。さあ、どうなんだろう。
この本では、一般の思い込みが実際の数字から見ると、誤解や偏見にすぎないことを教えてくれる。数字のでどころは各省庁が出しているものが多く、このデータをあてにできないと言い出せば、何もあてに出来ないことになる。
本書は今年の1月に出ており、1年か2年前の数字が扱われている。
どんなことが書かれているかを抜き出してみよう。
「少年犯罪は減少傾向にある」(80年代から見て検挙人数が10万人近く減っている。2002年の数字は16万人強。犯罪の内容が凶悪化したわけでもない)
「受験戦争を回避するために、ゆとり教育をとりいれてから、子供の自殺が急増」
「アメリカの景気に日本の景気は左右されない」
「日本の防衛費は世界第2位だが、その使い道は45パーセントが人件費と食費」
「日本人の1日あたりの労働時間は世界的にみて非常に短い」
「国内での外国人労働者の割合は1%」(日本はちっとも国際化されていない)
「国内の外国人のうち英米人は4%未満」(英語よりも中国語やスペイン語が必要)
「かつて検挙率70%を誇った日本の警察も21世紀に入ってからは20%」(日本の治安は悪い)
「子供の成績は親の学歴と収入にほぼ比例する」
他にもいろいろと数字から導き出されたことが並べてある。
これを見ると、マスコミ、特にワイドショーで出されるコメントが単なるデマだということがよくわかる。
テレビや新聞の偏った報道で何かを知ったつもりでいると、えらい見落としがある。アメリカというお手本のような反面教師がいるのだから、もっと世論が違うように動いてもいいんじゃないか。
この本では、一般の思い込みが実際の数字から見ると、誤解や偏見にすぎないことを教えてくれる。数字のでどころは各省庁が出しているものが多く、このデータをあてにできないと言い出せば、何もあてに出来ないことになる。
本書は今年の1月に出ており、1年か2年前の数字が扱われている。
どんなことが書かれているかを抜き出してみよう。
「少年犯罪は減少傾向にある」(80年代から見て検挙人数が10万人近く減っている。2002年の数字は16万人強。犯罪の内容が凶悪化したわけでもない)
「受験戦争を回避するために、ゆとり教育をとりいれてから、子供の自殺が急増」
「アメリカの景気に日本の景気は左右されない」
「日本の防衛費は世界第2位だが、その使い道は45パーセントが人件費と食費」
「日本人の1日あたりの労働時間は世界的にみて非常に短い」
「国内での外国人労働者の割合は1%」(日本はちっとも国際化されていない)
「国内の外国人のうち英米人は4%未満」(英語よりも中国語やスペイン語が必要)
「かつて検挙率70%を誇った日本の警察も21世紀に入ってからは20%」(日本の治安は悪い)
「子供の成績は親の学歴と収入にほぼ比例する」
他にもいろいろと数字から導き出されたことが並べてある。
これを見ると、マスコミ、特にワイドショーで出されるコメントが単なるデマだということがよくわかる。
テレビや新聞の偏った報道で何かを知ったつもりでいると、えらい見落としがある。アメリカというお手本のような反面教師がいるのだから、もっと世論が違うように動いてもいいんじゃないか。
ヨーロッパ映画祭3日目
2004年11月23日 映画ヨーロッパ映画祭の最終日。
1本目はユクセル・ヤヴズ監督のドイツ映画「僕の居場所」
主人公は不法入国者のクルド人の若者。同じく不法入国者で麻薬の売人に身を持ち崩すホモの黒人と友情を深めたり、主人公の両親を密告して殺した男と再会し、その情けなさと卑怯さにやりきれない気持ちになったり。リアルと言えばリアル。でも、こんな人生ちっとも楽しくないのだ。心の休まらない日常のあまりの息苦しさに、このときばかりはハリウッド映画のような、非現実的なハッピーエンドの魔法がほしい、と思った。
2本目はエリック・ヴァン・ルイ監督のベルギー・オランダ映画「アルツハイマー・ケース」これは滅法面白かった。
ヤン・デクレール演ずる殺し屋は、標的が12才の少女だと知り、殺すのを拒否する。権力の座にある依頼人は彼を消そうと刺客をよこす。一方、少女売春を捜査していた警察も彼を追い掛ける。窮地に陥ったかと思いきや、この殺し屋、経験豊富なのか頭がいいのか、依頼人も警察も翻弄してうまく逃げまわる。ところが、である。彼はアルツハイマーで、自分が何をしなければならないか、ホテルのどの部屋に宿泊しているのかなど、腕に書いておかねばならない状態だった。誰かが殺されても、自分の仕業かどうかわからないのだ。
殺し屋の抜け目のない行動もスリリングで面白いし、謎ときも面白い。上映後にヤン・デクレールが語ったように、その謎ときが英語とフランス語の言葉遊びがヒントになっていたのが、日本語の翻訳ではピンとこない部分ではあったが、それでも面白い。エラリイ・クイーンのダイイングメッセージものでそんな経験は山と積んでいるのだ。アルツハイマーゆえのクライマックスでの逆転もある。いやあ、すごい映画だった。
3本目はパブロ・ベルヘール監督のスペイン・デンマーク映画「トレモリノス73」
生殖をテーマにした週刊百科事典の材料として、自らの夫婦の営みをフィルムでおさめる販売員。彼はベルイマン監督の難解な映画に心酔し、ついには妻を主役にした映画をとるに至る。映画はポルノ映画館で上映され、妻はポルノスターになる。
これは去年、「バスク・フィルム・フェスティバル」で上映された作品だが、僕は初見。セックスにまつわる愉快なエピソード満載で、70年代の雰囲気も出ており、渋谷などで上映したらかなり集客力ありそうな感じだ。
相手がおらずに獣姦ばかり撮っている男とか、妻が次々とコスプレしてセックスするのを撮ったあとで、夫が「どれもみんな同じだ」とマンネリに悩んだりするシーンとか、ベルイマンもどきの映像を撮るところとか、軽いみどころが多々ある。
映画見た後に夜勤で仕事に入らねばならなかった僕にとっては、軽いコメディで救われた、という感じだ。
海遊館の天保山マーケットプレースでは今、シュークリーム博覧会を開催している。東京でナムコでやってたのに行き損なっているので、ヨーロッパ映画祭中は毎回のぞいた。今日は天使のシューを食べた。天使の羽根はもっちりした食感のホワイトチョコレートでシューの上にのっている。
前のアイスクリーム博覧会でも感じたことだが、ナンジャタウンに比べてあまりにもスペースが狭すぎて、よく博覧会なんて名のれたもんだ、と、その勇気に驚嘆した。
シュークリームは大好きなんだけど。
1本目はユクセル・ヤヴズ監督のドイツ映画「僕の居場所」
主人公は不法入国者のクルド人の若者。同じく不法入国者で麻薬の売人に身を持ち崩すホモの黒人と友情を深めたり、主人公の両親を密告して殺した男と再会し、その情けなさと卑怯さにやりきれない気持ちになったり。リアルと言えばリアル。でも、こんな人生ちっとも楽しくないのだ。心の休まらない日常のあまりの息苦しさに、このときばかりはハリウッド映画のような、非現実的なハッピーエンドの魔法がほしい、と思った。
2本目はエリック・ヴァン・ルイ監督のベルギー・オランダ映画「アルツハイマー・ケース」これは滅法面白かった。
ヤン・デクレール演ずる殺し屋は、標的が12才の少女だと知り、殺すのを拒否する。権力の座にある依頼人は彼を消そうと刺客をよこす。一方、少女売春を捜査していた警察も彼を追い掛ける。窮地に陥ったかと思いきや、この殺し屋、経験豊富なのか頭がいいのか、依頼人も警察も翻弄してうまく逃げまわる。ところが、である。彼はアルツハイマーで、自分が何をしなければならないか、ホテルのどの部屋に宿泊しているのかなど、腕に書いておかねばならない状態だった。誰かが殺されても、自分の仕業かどうかわからないのだ。
殺し屋の抜け目のない行動もスリリングで面白いし、謎ときも面白い。上映後にヤン・デクレールが語ったように、その謎ときが英語とフランス語の言葉遊びがヒントになっていたのが、日本語の翻訳ではピンとこない部分ではあったが、それでも面白い。エラリイ・クイーンのダイイングメッセージものでそんな経験は山と積んでいるのだ。アルツハイマーゆえのクライマックスでの逆転もある。いやあ、すごい映画だった。
3本目はパブロ・ベルヘール監督のスペイン・デンマーク映画「トレモリノス73」
生殖をテーマにした週刊百科事典の材料として、自らの夫婦の営みをフィルムでおさめる販売員。彼はベルイマン監督の難解な映画に心酔し、ついには妻を主役にした映画をとるに至る。映画はポルノ映画館で上映され、妻はポルノスターになる。
これは去年、「バスク・フィルム・フェスティバル」で上映された作品だが、僕は初見。セックスにまつわる愉快なエピソード満載で、70年代の雰囲気も出ており、渋谷などで上映したらかなり集客力ありそうな感じだ。
相手がおらずに獣姦ばかり撮っている男とか、妻が次々とコスプレしてセックスするのを撮ったあとで、夫が「どれもみんな同じだ」とマンネリに悩んだりするシーンとか、ベルイマンもどきの映像を撮るところとか、軽いみどころが多々ある。
映画見た後に夜勤で仕事に入らねばならなかった僕にとっては、軽いコメディで救われた、という感じだ。
海遊館の天保山マーケットプレースでは今、シュークリーム博覧会を開催している。東京でナムコでやってたのに行き損なっているので、ヨーロッパ映画祭中は毎回のぞいた。今日は天使のシューを食べた。天使の羽根はもっちりした食感のホワイトチョコレートでシューの上にのっている。
前のアイスクリーム博覧会でも感じたことだが、ナンジャタウンに比べてあまりにもスペースが狭すぎて、よく博覧会なんて名のれたもんだ、と、その勇気に驚嘆した。
シュークリームは大好きなんだけど。
高橋真琴個展、ドキュメンタリー・ドリーム・ショー、帝国アメリカと日本
2004年11月22日 映画
夙川のギャラリー「小さい芽」で開催中の高橋真琴個展「花の舞踏会」に行った。今回は「踊る少女たち」をモチーフにした作品を中心に展示されていた。グッズも販売されており、動物を焼き絵で描いた壁かけやブローチがとても可愛いかった。
ギャラリーは安藤忠雄氏の設計で平べったくて細長いスペースをうまく使っている。ギャラリーに入ると、高橋真琴氏がにこにこと来訪者と語り合っているのどかな光景がとびこんできた。今日くらい野ばら君でも顔を出してるんじゃないか、と踏んでいたが、やっぱり来ていなかった。昔の作品よりも最近の方が、眼球度が高くなっており、表情が完全に人形と化しているのが面白い。12月には野ばら君とのコラボレーションで絵本も出るので、要チェックだ。
九条のシネ・ヌーヴォで開催中の「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー」から「ショート・ジャーニー」と「350元の子」の2本立てを見に行った。ヨーロッパ映画祭と時期が重なっていて、やっと見に行くことができた。全部見ると57作品になるが、スケジュールもあわないし、お金もないので頭を悩ませてチョイスして見なくてはならない。
で、まず「ショート・ジャーニー」はタノン・サッタル−チャウォン監督によるタイ映画。5分の短い作品だが、衝撃力抜群だった。貧乏で親子で路上生活する家族。ソーシャルワーカーが子供を学校に行かせようとする。父親は酔っぱらっていてほとんど会話が成立しないが「おまえが行きたいのなら、行けばいい」と言う。子供は「お父さんが嫌がっているからいかない」などと親思いのところを見せる。後日、子供が泣きながら逃げている。父親が大声で「行きたいならどこへでも行ってしまえ!」と怒りながら追い掛ける。手には棍棒。追いついた父親は棍棒を子供めがけて思いっきり振りおろす。
「350元の子」はリー・リン監督による中国、アメリカ映画。中国の成安で泥棒と麻薬に明け暮れるストリートチルドレン。監督は子供たちをなんとか救おうと奔走する。北京の施設で麻薬を克服させ、広い世界を見せて「もう麻薬はしない。ちゃんと生きる」と決断させるのだ。しかし、子供たちの親(保護したれよ!)と制度上の問題が壁になり、結局元の生活に逆戻りする。
汚れた注射器で麻薬を注射するシーンが何度も映し出され、イヤリングを盗んで逃げる泥棒のシーン、禁断症状で苦しむシーンなど、目を覆いたくなるような光景が続出する。自警団みたいなアーペイという職柄の人間(岡っぴきみたいな警察の下部組織だが、逮捕したり警察そのものの仕事はできない)が、子供たちを搾取しており、盗品を半分まきあげ、女の子は肉体を求められれば逆らえない。暴力は日常茶飯事、新しい麻薬が入荷したら重度の中毒者を実験台にする。これは「死の注射」と呼ばれており、針を刺しただけで即、死に至るケースもあるという。麻薬とアーペイが町の至るところにあるのだが、子供たちはこの町から逃げることもできない。警察もこの状況を改善する意志などまったくない。見ていてどうしようもない無力感にとらわれてしまうが、今までこういう惨状が存在していることすら知らなかったのだ。知ることは力、であると信じたい。
中国やタイだけではない。日本でも、もっと知らねばならない問題が山積みのはずだ。
チャルマーズ・ジョンソンの『帝国アメリカと日本〜武力依存の構造』を読んだ。アメリカの国際政治学者による本だ。
この本に収められた「アメリカ軍国主義とブロ−バック」「三つの冷戦」「武力は過ちを犯す」の3編のエッセイは、アメリカの外交政策の失敗、特に東アジアに対する軽視、アメリカ軍国主義を解説している。
アメリカの軍国主義と日本の関係、特に沖縄についての記述には、記憶しておきたい文章がいっぱい出てくる。
クリントン政権時の国防次官補代理のカート・キャンベルはこう言っている。
「アメリカの安全保障機構としては、過去も現在も、基地を提供しホスト国として気前よくわれわれをもてなし、それでもいちいち説明を求めない同盟国ほど都合のいいものはない」
アメリカは沖縄をアメリカの州の1つだと思っているのだろう。
日米の関係を著者は「時代錯誤」と切り捨て、「軍事拡張主義とは一線を画す外交政策によって平和を生み出す努力が必要」だ、と、一見当たり前なことを主張している。これが「当たり前」のことではないのは、今なお北朝鮮の脅威とかテロ撲滅なんて言いたてる輩が存在することによってわかる。
アメリカ人によってこの本が書かれたのは、「このままではアメリカは滅んでしまう」という危機感によるものだが、ちゃんと愛国馬鹿でないバランスのとれた主張ができているのに希望を持つことができた。
アメリカ国内でも目がさめている人はいるのだ。
ギャラリーは安藤忠雄氏の設計で平べったくて細長いスペースをうまく使っている。ギャラリーに入ると、高橋真琴氏がにこにこと来訪者と語り合っているのどかな光景がとびこんできた。今日くらい野ばら君でも顔を出してるんじゃないか、と踏んでいたが、やっぱり来ていなかった。昔の作品よりも最近の方が、眼球度が高くなっており、表情が完全に人形と化しているのが面白い。12月には野ばら君とのコラボレーションで絵本も出るので、要チェックだ。
九条のシネ・ヌーヴォで開催中の「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー」から「ショート・ジャーニー」と「350元の子」の2本立てを見に行った。ヨーロッパ映画祭と時期が重なっていて、やっと見に行くことができた。全部見ると57作品になるが、スケジュールもあわないし、お金もないので頭を悩ませてチョイスして見なくてはならない。
で、まず「ショート・ジャーニー」はタノン・サッタル−チャウォン監督によるタイ映画。5分の短い作品だが、衝撃力抜群だった。貧乏で親子で路上生活する家族。ソーシャルワーカーが子供を学校に行かせようとする。父親は酔っぱらっていてほとんど会話が成立しないが「おまえが行きたいのなら、行けばいい」と言う。子供は「お父さんが嫌がっているからいかない」などと親思いのところを見せる。後日、子供が泣きながら逃げている。父親が大声で「行きたいならどこへでも行ってしまえ!」と怒りながら追い掛ける。手には棍棒。追いついた父親は棍棒を子供めがけて思いっきり振りおろす。
「350元の子」はリー・リン監督による中国、アメリカ映画。中国の成安で泥棒と麻薬に明け暮れるストリートチルドレン。監督は子供たちをなんとか救おうと奔走する。北京の施設で麻薬を克服させ、広い世界を見せて「もう麻薬はしない。ちゃんと生きる」と決断させるのだ。しかし、子供たちの親(保護したれよ!)と制度上の問題が壁になり、結局元の生活に逆戻りする。
汚れた注射器で麻薬を注射するシーンが何度も映し出され、イヤリングを盗んで逃げる泥棒のシーン、禁断症状で苦しむシーンなど、目を覆いたくなるような光景が続出する。自警団みたいなアーペイという職柄の人間(岡っぴきみたいな警察の下部組織だが、逮捕したり警察そのものの仕事はできない)が、子供たちを搾取しており、盗品を半分まきあげ、女の子は肉体を求められれば逆らえない。暴力は日常茶飯事、新しい麻薬が入荷したら重度の中毒者を実験台にする。これは「死の注射」と呼ばれており、針を刺しただけで即、死に至るケースもあるという。麻薬とアーペイが町の至るところにあるのだが、子供たちはこの町から逃げることもできない。警察もこの状況を改善する意志などまったくない。見ていてどうしようもない無力感にとらわれてしまうが、今までこういう惨状が存在していることすら知らなかったのだ。知ることは力、であると信じたい。
中国やタイだけではない。日本でも、もっと知らねばならない問題が山積みのはずだ。
チャルマーズ・ジョンソンの『帝国アメリカと日本〜武力依存の構造』を読んだ。アメリカの国際政治学者による本だ。
この本に収められた「アメリカ軍国主義とブロ−バック」「三つの冷戦」「武力は過ちを犯す」の3編のエッセイは、アメリカの外交政策の失敗、特に東アジアに対する軽視、アメリカ軍国主義を解説している。
アメリカの軍国主義と日本の関係、特に沖縄についての記述には、記憶しておきたい文章がいっぱい出てくる。
クリントン政権時の国防次官補代理のカート・キャンベルはこう言っている。
「アメリカの安全保障機構としては、過去も現在も、基地を提供しホスト国として気前よくわれわれをもてなし、それでもいちいち説明を求めない同盟国ほど都合のいいものはない」
アメリカは沖縄をアメリカの州の1つだと思っているのだろう。
日米の関係を著者は「時代錯誤」と切り捨て、「軍事拡張主義とは一線を画す外交政策によって平和を生み出す努力が必要」だ、と、一見当たり前なことを主張している。これが「当たり前」のことではないのは、今なお北朝鮮の脅威とかテロ撲滅なんて言いたてる輩が存在することによってわかる。
アメリカ人によってこの本が書かれたのは、「このままではアメリカは滅んでしまう」という危機感によるものだが、ちゃんと愛国馬鹿でないバランスのとれた主張ができているのに希望を持つことができた。
アメリカ国内でも目がさめている人はいるのだ。
ヨーロッパ映画祭2日め
2004年11月21日 映画大阪ヨーロッパ映画祭の2日め。日曜に海遊館に遊びに来た家族連れと、ヨーロッパ映画祭に並ぶ外人さんたちで大にぎわいだ。
1本めはロネ・シェルフィグ監督の「ウィルバー」。デンマークとイギリス、スウェーデン、フランスの映画。デンマークでテレビの仕事を主にしてきた女性監督なので、デンマーク色が強い。スタッフロールには控えめにラース・フォン・トリアーの名前もあった。
ウィルバーは自殺未遂常習者。その兄が癌におかされたことをきっかけにウィルバーも成長する。
ウィルバ−役のジェイミー・サイヴが上映後のディスカッションで、「自殺がテーマだというわけではない。一方に、何か(この映画の場合は自殺)をやり遂げようとして結局全然できない人がおり、また一方では運命によってやりたくなくても遂行してしまう人がいるということを描いている」なんて言っていた。不意打ちされたような意見だ。
重いテーマだが、暗くはない。笑うシーンもふんだんにあるし、何より、子供によって救われている。そう言えば、昨日のタンペ−レ短編映画の中に、アルコ−ル依存症の母親と暮らす2人姉妹の話があった。日本語字幕で「弱点」とタイトルがつけられていた映画だが、この映画に出てきた姉妹の幼い方が、真っ暗になりがちな映画に明るさをもたらしていた。姉の方は万引きした品物を売り捌いたりしてリンチされたりするが、妹は一番大人で余裕すら感じられた。
2本目はエジディオ・エロニコ監督の「MY FATHER」これは迫力のある映画だった。アウシュビッツで人体実験を行なっていたメンゲレとその息子の物語。中南米に逃げて一生を終え、墓があばかれてやっと白骨死体としてメンゲレは発見された。逃避行中にメンゲレとその息子が会い、息子による父親の所行に対する告発と、劣等人種を抹殺する事の意義をとうとうと論じたてる父親の対決。父親が潜伏していることを警察に届けるべきかどうかで葛藤する息子。さらには、白骨は本当にメンゲレなのか。熱にうかされたような息詰まる展開。
このメンゲレ(役名では単なる「父」なのだが、エロニコ監督みずから「メンゲレ」とディスカッションのときに言ってたので、明らかにメンゲレだ)を演ずるのは、「ボウリング・フォー・コロンバイン」で悪役の地位を確保したチャールトン・ヘストン。まさに適役。
アンケートが配られ、邦題のアイディアを書く欄があったので、いくつか書いたが、その一つは「メンゲレの気持ち」
3本目はリチャード・ジョブソン監督の「希望の色」。リチャ−ド・ジョブソンはパンクバンド、スキッズだった。(スキッズにはラスティ・イーガン(VISAGE)とかスチュワート・アダムソン(ビッグカントリー)などが参加していた)解散後はクレプスキュールでポエトリーリーディングのアルバム「AN AFTERNOON IN COMPANY」とか出したり、アーモリーショーというグループ作ったりしていたが、映画の製作(「チューブテイルズ」とか)に携わるようになり、この「希望の色」が初監督作。
音楽がいい!ロキシーミュージックの「恋はドラッグ」がめちゃくちゃかっこいい!イギーポップの「ロウ・パワー」でブルース・リーごっこしてる!レコード屋ではヴェルベット・アンダーグラウンドがかかってる!スレイドとモット・ザ・フープルをクソミソにけなしてる!
しかしながら、ストーリーは、過去を捨てようとして捨てられない男の話。犯罪ものや、やくざ映画によくあるような、足を洗ってかたぎになろうとしているのに、昔の仲間が見つけて寄ってきてトラブル起こす的な。ハッピーエンドにはなりようがない。
ところどころ、詩人としてのリチャード・ジョブソンが垣間見えるところがあり、これも面白かった。
なお、この映画のために来日したのは、主人公の恋人役、スーザン・リンチ。映画で見るより実物が大きくて別人かと思った。
あっ、ラジオげんしけん聞くの忘れた。
1本めはロネ・シェルフィグ監督の「ウィルバー」。デンマークとイギリス、スウェーデン、フランスの映画。デンマークでテレビの仕事を主にしてきた女性監督なので、デンマーク色が強い。スタッフロールには控えめにラース・フォン・トリアーの名前もあった。
ウィルバーは自殺未遂常習者。その兄が癌におかされたことをきっかけにウィルバーも成長する。
ウィルバ−役のジェイミー・サイヴが上映後のディスカッションで、「自殺がテーマだというわけではない。一方に、何か(この映画の場合は自殺)をやり遂げようとして結局全然できない人がおり、また一方では運命によってやりたくなくても遂行してしまう人がいるということを描いている」なんて言っていた。不意打ちされたような意見だ。
重いテーマだが、暗くはない。笑うシーンもふんだんにあるし、何より、子供によって救われている。そう言えば、昨日のタンペ−レ短編映画の中に、アルコ−ル依存症の母親と暮らす2人姉妹の話があった。日本語字幕で「弱点」とタイトルがつけられていた映画だが、この映画に出てきた姉妹の幼い方が、真っ暗になりがちな映画に明るさをもたらしていた。姉の方は万引きした品物を売り捌いたりしてリンチされたりするが、妹は一番大人で余裕すら感じられた。
2本目はエジディオ・エロニコ監督の「MY FATHER」これは迫力のある映画だった。アウシュビッツで人体実験を行なっていたメンゲレとその息子の物語。中南米に逃げて一生を終え、墓があばかれてやっと白骨死体としてメンゲレは発見された。逃避行中にメンゲレとその息子が会い、息子による父親の所行に対する告発と、劣等人種を抹殺する事の意義をとうとうと論じたてる父親の対決。父親が潜伏していることを警察に届けるべきかどうかで葛藤する息子。さらには、白骨は本当にメンゲレなのか。熱にうかされたような息詰まる展開。
このメンゲレ(役名では単なる「父」なのだが、エロニコ監督みずから「メンゲレ」とディスカッションのときに言ってたので、明らかにメンゲレだ)を演ずるのは、「ボウリング・フォー・コロンバイン」で悪役の地位を確保したチャールトン・ヘストン。まさに適役。
アンケートが配られ、邦題のアイディアを書く欄があったので、いくつか書いたが、その一つは「メンゲレの気持ち」
3本目はリチャード・ジョブソン監督の「希望の色」。リチャ−ド・ジョブソンはパンクバンド、スキッズだった。(スキッズにはラスティ・イーガン(VISAGE)とかスチュワート・アダムソン(ビッグカントリー)などが参加していた)解散後はクレプスキュールでポエトリーリーディングのアルバム「AN AFTERNOON IN COMPANY」とか出したり、アーモリーショーというグループ作ったりしていたが、映画の製作(「チューブテイルズ」とか)に携わるようになり、この「希望の色」が初監督作。
音楽がいい!ロキシーミュージックの「恋はドラッグ」がめちゃくちゃかっこいい!イギーポップの「ロウ・パワー」でブルース・リーごっこしてる!レコード屋ではヴェルベット・アンダーグラウンドがかかってる!スレイドとモット・ザ・フープルをクソミソにけなしてる!
しかしながら、ストーリーは、過去を捨てようとして捨てられない男の話。犯罪ものや、やくざ映画によくあるような、足を洗ってかたぎになろうとしているのに、昔の仲間が見つけて寄ってきてトラブル起こす的な。ハッピーエンドにはなりようがない。
ところどころ、詩人としてのリチャード・ジョブソンが垣間見えるところがあり、これも面白かった。
なお、この映画のために来日したのは、主人公の恋人役、スーザン・リンチ。映画で見るより実物が大きくて別人かと思った。
あっ、ラジオげんしけん聞くの忘れた。