スウィングガールズ、ストリートチュッパ、前衛はアニメで味わえる
2004年11月1日 映画
映画の日だったので、「スウィングガールズ」を見に行った。矢口監督のロングランヒットしている有名な映画。「ウォーターボーイズ」とあまり印象は変わらない。「シコふんじゃった」とも印象は変わらない。周防監督とどこがどう違うのか、素人の僕には区別がつかない。でも、見ていてとても気持ちよかったので、矢口監督でも周防監督でも、また別の監督でも、毎年1本くらいは同傾向の作品を出してほしい。ヒットするよ!
男のシンクロ、相撲に比べて、スウィングジャズというのは、一応「おっさんの趣味」だとしてもハードルが低いのが一長一短なところ。ジャズにはまった後に、失恋を機に「だまってたけど、だまってたけど、だまってたけど、ジャズなんてジャズなんて、ジャズなんてー!おやじの音楽だよー!」と絶叫するような映画が見たい。
面白かったのは、川でルーズソックスを鞭のように使って洗うシーンと、猪に追われるストップモーションのシーン。
ここ1年くらいの僕のヘビーローテーション音楽は、ストリートチュッパの音楽。ファインテック社のチュッパチャプスの自動販売機で鳴る音楽だ。お金をいれずにスタートボタンを押すと、短い曲が流れる。全部で曲は3種類あり、僕が好きなのは「バンザーイ!」ではじまるビートのきいた音楽なのだ。たてつづけに押しても3曲聞けないので、1曲終わったら、しばらく待ってからボタンを押さねばならない。(電光表示のCHUPA-CHUPSが2回表示されるくらいの間隔)店によってはボリュームをしぼってあるところもあるので、要注意だ。この音楽、かなり前からきっと聞いたことがあったのだろうが、ちっとも気にしていなかった。最近は1週間のうち、5日くらいは聞くようになった。ああ、この音楽のCDがほしい。と、言うか、ほとんどCD買ってないことがまるわかりだな、こりゃ。
テレビ「げんしけん」に大野加奈子登場。なぜか丼野とダブるのだ。
「流星戦隊ムスメット」で堂々と「基地外」発言。文字どおりの基地の外だったけど。ストーリーはまあ、無いも同然のような感じ。むちゃくちゃさでは「神無月の巫女」がますますわけがわからない。美少女アニメかと思ったら巨大ロボ出てくるし。でも、そのむちゃくちゃさを楽しめるような雰囲気になってきた。アヴァンギャルドは今、こういうオタク向けのアニメ内アニメに存在しているのかもしれない。
男のシンクロ、相撲に比べて、スウィングジャズというのは、一応「おっさんの趣味」だとしてもハードルが低いのが一長一短なところ。ジャズにはまった後に、失恋を機に「だまってたけど、だまってたけど、だまってたけど、ジャズなんてジャズなんて、ジャズなんてー!おやじの音楽だよー!」と絶叫するような映画が見たい。
面白かったのは、川でルーズソックスを鞭のように使って洗うシーンと、猪に追われるストップモーションのシーン。
ここ1年くらいの僕のヘビーローテーション音楽は、ストリートチュッパの音楽。ファインテック社のチュッパチャプスの自動販売機で鳴る音楽だ。お金をいれずにスタートボタンを押すと、短い曲が流れる。全部で曲は3種類あり、僕が好きなのは「バンザーイ!」ではじまるビートのきいた音楽なのだ。たてつづけに押しても3曲聞けないので、1曲終わったら、しばらく待ってからボタンを押さねばならない。(電光表示のCHUPA-CHUPSが2回表示されるくらいの間隔)店によってはボリュームをしぼってあるところもあるので、要注意だ。この音楽、かなり前からきっと聞いたことがあったのだろうが、ちっとも気にしていなかった。最近は1週間のうち、5日くらいは聞くようになった。ああ、この音楽のCDがほしい。と、言うか、ほとんどCD買ってないことがまるわかりだな、こりゃ。
テレビ「げんしけん」に大野加奈子登場。なぜか丼野とダブるのだ。
「流星戦隊ムスメット」で堂々と「基地外」発言。文字どおりの基地の外だったけど。ストーリーはまあ、無いも同然のような感じ。むちゃくちゃさでは「神無月の巫女」がますますわけがわからない。美少女アニメかと思ったら巨大ロボ出てくるし。でも、そのむちゃくちゃさを楽しめるような雰囲気になってきた。アヴァンギャルドは今、こういうオタク向けのアニメ内アニメに存在しているのかもしれない。
CCOちゃ、ATCハロウィンカーニバル、ラッキー7オーディション
2004年10月31日 アイドル「ボボボーボ・ボーボボ」のアニメって、午前5時2分から放送しているのか。見逃してた!
風邪ひきで鼻をかみすぎるせいか、あまり眠っていないせいか、肩凝りのせいか、目を中心として、頭が半分痛くてたまらない。頭蓋骨にシロアリが巣を作っているのかもしれない。
今日はサブカルチャーノートの草壁くんとメイド喫茶CCOちゃに行った。草壁くんが煙草を吸うので、今日は外のオ−プンカフェっぽい場所に着席。いろいろと楽しく話をした。この店はAV牧場の隣、フォーエバーの裏、というなんだか意味を読み取れそうな位置にある。メイドさんとのコミュニケーションノートを確認すると、前回の書き込みに返事が書き込んであった。これで、また来店の理由ができたってもんだ。
その後、ATCに行き、ハロウィン・カーニバルを見る。ひとくちで言えば仮装大会だ。「正調ハロウィン族」「スーパーユニーク族」「テーマキャラクター族」「パーティおさわがせ族」の4つのジャンルにわけて競った。少女アイドル好きの僕としては、女の子2人組のキャシーキャッツとWが楽しめた。好き放題にふるまう少女たちの姿は、かつてのスーパーボールをほうふつとさせた。
「スーパーユニーク族」で最初に登場したのは、なんと邪王院弘だった!いつものように「ハロウィン、サイコー」とラップしながら狂気のダンス。最高だ!文句なしに「スーパーユニーク」である。しまった、コンタクトとって連絡先を聞いておけばよかった。
さて、このイベントを見にきたのは、創叡のユニットが参加しているからだった。
登場したのはいちごっ娘(黄色と金色のアラビア風)とバリ島選抜(白い天使)の2つ。ダンスは無しで、ステージでファッションを見せて、他の出場者たちと一緒にATCのOZ内をパレードした。観客の中にTOUCHの伊藤貴恵を発見した。これが一番の収穫か。
帰宅して、NHK-FMの「現代の音楽」。シリーズでやっていた現代イギリス作曲家特集の最終週だ。
「平らな地平線にかこまれて」ジョージ・ベンジャミン作曲
「3つの暁の典礼」ジェームズ・マクミラン作曲
「コンチェルト・コンチーゾ」トーマス・アデス作曲
「ブラームス 作品21」トーマス・アデス作曲
以上の4曲がかけられた。大仰な曲調でもどこか余裕がうかがえるのがイギリス音楽の特徴か。「ブラームス作品21」なんて、「ブラームス、ブラームス、ブラームス」とえんえんと歌ったりするのだ。
ジェームズ・マクミランと言えば、前回「イゾベル・ゴーディの告白」をこの日記に書いた。主題になった「イゾベル・ゴーディ」については手持ちの本ではコリン・ウィルソンの『オカルト』くらいしか情報がなくて、詳しいことがよくわからない。コリン・ウィルソンは博覧強記のくせに資料としては使えないほど誤記とか記憶違いが多いらしいのだ。
録画しておいた「ハローモーニング」をチェック。ラッキー7オーディション大阪会場の2次審査通過者が発表されていた。
辻本はるか(17才)滋賀県、恋のから騒ぎ大騒ぎスペシャル女子高生編に出演。
小部家未央(15才)兵庫県
嶋田歩(19才)大阪府、6期オーディション国民投票1位の#2436、『sabra』等雑誌登場もあり。
長谷川里紗(15才)大阪府、ホワイトスプーン(長谷川愛と)から、地方アイドル寄せ集めユニット「ローリングガール」所属。
町田エリカ(17才)兵庫県
吉岡梓(15才)大阪府
泉彩世子(15才)岡山県、岡山会場実施日に自分の体調が崩れていてはいけないので、早い時期のオーディションから参加した、という。
この7人には残れなかったが、2次審査にはESSEアカデミーの黒田真衣(MAI)の姿もあった。里中まいや斎藤みうな、あるいは藤本美貴のような展開でハロプロ入りもあるか?またHOPジュニアの中吉涼子もあややの歌を歌っているところをバッチリ映されていた。このあたりは、テレビ大阪のスタッフが撮影に行っているはずだから、顔とか知っていたのかもしれない。
僕がいいなあ、と思ったのは、待っている最中に英語の試験勉強してた子。
落選してもどこかで浮上してきてほしいなあ。
嘉陽愛子(もはや説明不要!11月には4週連続でシングル発売)とか西田奈津美(5期、6期の美少女。制服コレクション2004)もオーバーグラウンドになったし、5期優勝候補だった木下優樹菜も2003年のレコメンデッド・エッグス発掘オーディションに顔を見せた。(2次審査で落選してしまったが。ちなみにそのときに合格した3人のうちの1人が、この前ヴォーカルクイーンコンテストに出てきた河野真実ちゃん)
プライド武士道をテレビで見る。五味はもっと強い有名選手と闘って、自分の強さをアピールできればいいのに、と思った。
草壁くんの日記がアップされたので読んだら、メイド喫茶行った後で、マンションから飛び下りたそうだ。大丈夫か?
と、思ってたら、草壁くんの飛び下りは昨日の出来事だったようだ。大事に至らずに、まあ、よかった。
風邪ひきで鼻をかみすぎるせいか、あまり眠っていないせいか、肩凝りのせいか、目を中心として、頭が半分痛くてたまらない。頭蓋骨にシロアリが巣を作っているのかもしれない。
今日はサブカルチャーノートの草壁くんとメイド喫茶CCOちゃに行った。草壁くんが煙草を吸うので、今日は外のオ−プンカフェっぽい場所に着席。いろいろと楽しく話をした。この店はAV牧場の隣、フォーエバーの裏、というなんだか意味を読み取れそうな位置にある。メイドさんとのコミュニケーションノートを確認すると、前回の書き込みに返事が書き込んであった。これで、また来店の理由ができたってもんだ。
その後、ATCに行き、ハロウィン・カーニバルを見る。ひとくちで言えば仮装大会だ。「正調ハロウィン族」「スーパーユニーク族」「テーマキャラクター族」「パーティおさわがせ族」の4つのジャンルにわけて競った。少女アイドル好きの僕としては、女の子2人組のキャシーキャッツとWが楽しめた。好き放題にふるまう少女たちの姿は、かつてのスーパーボールをほうふつとさせた。
「スーパーユニーク族」で最初に登場したのは、なんと邪王院弘だった!いつものように「ハロウィン、サイコー」とラップしながら狂気のダンス。最高だ!文句なしに「スーパーユニーク」である。しまった、コンタクトとって連絡先を聞いておけばよかった。
さて、このイベントを見にきたのは、創叡のユニットが参加しているからだった。
登場したのはいちごっ娘(黄色と金色のアラビア風)とバリ島選抜(白い天使)の2つ。ダンスは無しで、ステージでファッションを見せて、他の出場者たちと一緒にATCのOZ内をパレードした。観客の中にTOUCHの伊藤貴恵を発見した。これが一番の収穫か。
帰宅して、NHK-FMの「現代の音楽」。シリーズでやっていた現代イギリス作曲家特集の最終週だ。
「平らな地平線にかこまれて」ジョージ・ベンジャミン作曲
「3つの暁の典礼」ジェームズ・マクミラン作曲
「コンチェルト・コンチーゾ」トーマス・アデス作曲
「ブラームス 作品21」トーマス・アデス作曲
以上の4曲がかけられた。大仰な曲調でもどこか余裕がうかがえるのがイギリス音楽の特徴か。「ブラームス作品21」なんて、「ブラームス、ブラームス、ブラームス」とえんえんと歌ったりするのだ。
ジェームズ・マクミランと言えば、前回「イゾベル・ゴーディの告白」をこの日記に書いた。主題になった「イゾベル・ゴーディ」については手持ちの本ではコリン・ウィルソンの『オカルト』くらいしか情報がなくて、詳しいことがよくわからない。コリン・ウィルソンは博覧強記のくせに資料としては使えないほど誤記とか記憶違いが多いらしいのだ。
録画しておいた「ハローモーニング」をチェック。ラッキー7オーディション大阪会場の2次審査通過者が発表されていた。
辻本はるか(17才)滋賀県、恋のから騒ぎ大騒ぎスペシャル女子高生編に出演。
小部家未央(15才)兵庫県
嶋田歩(19才)大阪府、6期オーディション国民投票1位の#2436、『sabra』等雑誌登場もあり。
長谷川里紗(15才)大阪府、ホワイトスプーン(長谷川愛と)から、地方アイドル寄せ集めユニット「ローリングガール」所属。
町田エリカ(17才)兵庫県
吉岡梓(15才)大阪府
泉彩世子(15才)岡山県、岡山会場実施日に自分の体調が崩れていてはいけないので、早い時期のオーディションから参加した、という。
この7人には残れなかったが、2次審査にはESSEアカデミーの黒田真衣(MAI)の姿もあった。里中まいや斎藤みうな、あるいは藤本美貴のような展開でハロプロ入りもあるか?またHOPジュニアの中吉涼子もあややの歌を歌っているところをバッチリ映されていた。このあたりは、テレビ大阪のスタッフが撮影に行っているはずだから、顔とか知っていたのかもしれない。
僕がいいなあ、と思ったのは、待っている最中に英語の試験勉強してた子。
落選してもどこかで浮上してきてほしいなあ。
嘉陽愛子(もはや説明不要!11月には4週連続でシングル発売)とか西田奈津美(5期、6期の美少女。制服コレクション2004)もオーバーグラウンドになったし、5期優勝候補だった木下優樹菜も2003年のレコメンデッド・エッグス発掘オーディションに顔を見せた。(2次審査で落選してしまったが。ちなみにそのときに合格した3人のうちの1人が、この前ヴォーカルクイーンコンテストに出てきた河野真実ちゃん)
プライド武士道をテレビで見る。五味はもっと強い有名選手と闘って、自分の強さをアピールできればいいのに、と思った。
草壁くんの日記がアップされたので読んだら、メイド喫茶行った後で、マンションから飛び下りたそうだ。大丈夫か?
と、思ってたら、草壁くんの飛び下りは昨日の出来事だったようだ。大事に至らずに、まあ、よかった。
モー娘。「The Best Of Japan」はスーパージャイアンツ
2004年10月30日 アイドル
今日は大阪城ホールでモーニング娘。のコンサート「The Best Of Japan」午後2時開演の回を見に行った。
オープニングムービー(がんばれ日本サッカーファイト)
1、女子かしまし物語
2、ザ☆ピース!
3、そうだ!We’re Alive
ここでメンバー紹介と挨拶を兼ねた各自の語り。
4、恋ING
5、Happy Night
ここで「ゴロッキーズのスタンドアップ大喜利」1問目はいろんな「〜お断り」を考えるというもの。小川は昨日が17才の誕生日だったと言うことをアピールした。会場のお客さんがハッピーバースデーを歌う。でも、これ、大喜利の答えになっていないんだがなあ。道重は「アマゾン川に貼ってありました。森林伐採お断り」というエコモニらしい回答。面白くはないけどね。2問目は牛に乗った人の写真を見てフキダシを考える。回答中、高橋が「阪神タイガーズ」と語尾を濁らせてしまったのには矢口からキツイつっこみが。
6、恋のヌケガラ/美勇伝
7、ドアの向こうでBellが鳴ってた/飯田圭織
8、シャイニング愛しき貴方/カントリー娘。と紺野に藤本(モーニング娘。)
ここで「チャーミーズエンジェル」紺野に囚われたひとみ姫を救うため、お題について4人(石川、藤本、飯田、吉澤)が同じ回答を出さねばならない。「大阪と言えば」の問題は「たこやき」「くいだおれ人形」などバラバラ。「グリコのポーズをしてください」もバラバラ。「世界で一番輝いている女性は」の問いに、全員でしぶしぶ「紺野あさみ」で正解。
9、ハッピーサマーウェディング(矢口、高橋、新垣、小川、田中、亀井、道重の7人バージョン。中澤のせりふは矢口が担当)
10、抱いてHOLD ON ME!(同じく7人バージョン。飯田「ねえ笑って」部分は高橋が担当)
11、サマーナイトタウン(藤本、飯田、吉澤、石川、紺野の5人バージョン)
12、AS FOR ONE DAY
13、ここにいるぜぇ!(辻「自分をぶち破れ!」は道重が担当、加護キックは小川が担当するが低空キック、最後のなっち飛び込んできて鼻で「へへん!」部分はよっしーが担当)
ここで道重司会で大中小3人(吉澤、高橋、矢口)とトーク。このコーナーに限らず、道重の魅力は大爆発。矢口がストロベリーのパフュームを好んでいる話で、道重みたいに女の子らしく、なんて言うと、マジで赤面して喜ぶ。ワンちゃんの話で矢口が道重を犬にみたてると、「飼ってくれますか?」「会場には道重飼いたい人たくさんいるよ」「飼いたーい!(お客さん達)」「えっ、うれしい!」。吉澤が「土星の輪に行きたい」と言うと道重は笑って「ワッカッカー!」まあ、最後のは台本通りか)
14、Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜
15、Hey!未来
16、Memory〜青春の光〜
17、恋愛レボリューション21
18、シャボン玉
19、浪漫〜My Dear Boy〜
20、Go Girl〜恋のヴィクトリー〜
以上、本編終了。以下アンコール。
21、涙が止まらない放課後(ヴォーカルは藤本、石川、紺野、道重の4人のみ。このヴォーカルの持つ意味に僕はタイトル通り、涙が止まらなかった。ソロでメインを張っていた藤本の復権、音痴で多くのメイン曲でもセリフを与えられていた石川、新メンバーとして加入時から補欠扱いされていた紺野のメイン獲り、音痴でしかも最終選考合宿でも「ニヤーオ!」ひとつ満足に言えなかった道重のメインヴォーカル。なんてドラマチックなメイン4人なんだ!)
22、愛あらばIT’S ALL RIGHT
以上。
客電がついても「愛あらばIT’S ALL RIGHT」のカラオケの残りで踊るアリーナ席。
約2時間のライブだった。かなり満足。ふだんアイドルのイベントによく足を運ぶが、いやはや、レベルが違いすぎて感動してしまった。
帰りに心斎橋に寄り、新しく出来たサンリオギャラリーに行く。店内が狭くて入場制限までしていたが、品揃えは微妙。70年代キティの電卓や、ボトルキャップつきキャンディーなどは揃っているが、地方のキティやキキララグッズは特に置いていない。キティEXのグッズがあったのは収穫か。どちらにしても心斎橋筋に出来た店だけに、ターゲットはあくまでもOLのようだ。ピューロランドの映像が流れていたりするが、はんぎょどんの自販機なんて当然無い。
ハロプロショップにも寄ったが、特に何も購入せず。
帰ってから見た「億万のココロ」にWが出演、エンディングテ−マは「涙が止まらない放課後」
「8時です!みんなのモンダイ」は松浦亜弥目当てで見たが、中でポプラ社が紹介されていた。代表的な出版物の中に児童向けのルパンシリーズが映ったが、これがなんと『ピラミッドの秘密』だった。ポプラ社のルパンシリーズには原作者モ−リス・ルブランによるルパン物以外の作品も翻訳されており、またボアロー&ナルスジャックによるパスティーシュも収録されている。この『ピラミッドの秘密』はルブランの原作が発見されておらず、翻訳者南洋一郎によるパスティーシュではないか、と言われているのだ。あえてこの正体不明の本を出してきたのには何か意味があるのだろうか。
長期中断していた「哲学クロニクル」のメールマガジンが復活した。
刺激される事柄がまた1つ増えた。楽しみ、楽しみ。
今日見た映画は録画しておいた「スーパージャイアンツ/人工衛星と人類の破滅」だ。宇津井健主演、石井輝男監督。ソ連が人工衛星の打ち上げに成功し、宇宙世紀に突入した。でも、それは宇宙から地球を攻撃することを可能にする恐ろしい時代になったことでもあるのだ。ナチスによく似た国が人工衛星をソ連よりも先に成功させており、そこから世界に向けてミサイルを撃ち、世界征服をはかるのを、スーパージャイアンツが防ぐ物語。ナチスドイツ、ソ連への嫌悪感がはっきりと読み取れる。見ていたら、途中で終わってしまった。
「続スーパージャイアンツ/宇宙艇と人工衛星の激突」がその続き、というか完結編だった。こっちも録画していたので、見た。こっちの映画はほとんどが格闘シーンだ。例によって、つっこみどころは満載だ。たとえば、スーパージャイアンツが女の子(三ツ矢歌子)を抱きかかえて、宇宙空間を飛ぶシーンがある。スーパージャイアンツは超人だから何でもありだろうが、三ツ矢歌子は普通の人間だ。顔むきだしのノーヘルで宇宙空間を移動していては身体が持たないんじゃないか。まあ、こんなツッコミは今や野暮の骨頂だと思う。ついつい悪い癖でそんな物の見方もしてしまうけど。「こんなことはあり得ない」とツッコンで笑う前世紀的楽しみよりも、今は「なるほど、こういうこともあるだろう」と乗っていくのが僕にとっては面白い。シャンプーハットみたいなノリかな。「なんでやねん」よりも「なーるほど」、「うそー!」よりも「ほんまー」が心地よいのだ。
オープニングムービー(がんばれ日本サッカーファイト)
1、女子かしまし物語
2、ザ☆ピース!
3、そうだ!We’re Alive
ここでメンバー紹介と挨拶を兼ねた各自の語り。
4、恋ING
5、Happy Night
ここで「ゴロッキーズのスタンドアップ大喜利」1問目はいろんな「〜お断り」を考えるというもの。小川は昨日が17才の誕生日だったと言うことをアピールした。会場のお客さんがハッピーバースデーを歌う。でも、これ、大喜利の答えになっていないんだがなあ。道重は「アマゾン川に貼ってありました。森林伐採お断り」というエコモニらしい回答。面白くはないけどね。2問目は牛に乗った人の写真を見てフキダシを考える。回答中、高橋が「阪神タイガーズ」と語尾を濁らせてしまったのには矢口からキツイつっこみが。
6、恋のヌケガラ/美勇伝
7、ドアの向こうでBellが鳴ってた/飯田圭織
8、シャイニング愛しき貴方/カントリー娘。と紺野に藤本(モーニング娘。)
ここで「チャーミーズエンジェル」紺野に囚われたひとみ姫を救うため、お題について4人(石川、藤本、飯田、吉澤)が同じ回答を出さねばならない。「大阪と言えば」の問題は「たこやき」「くいだおれ人形」などバラバラ。「グリコのポーズをしてください」もバラバラ。「世界で一番輝いている女性は」の問いに、全員でしぶしぶ「紺野あさみ」で正解。
9、ハッピーサマーウェディング(矢口、高橋、新垣、小川、田中、亀井、道重の7人バージョン。中澤のせりふは矢口が担当)
10、抱いてHOLD ON ME!(同じく7人バージョン。飯田「ねえ笑って」部分は高橋が担当)
11、サマーナイトタウン(藤本、飯田、吉澤、石川、紺野の5人バージョン)
12、AS FOR ONE DAY
13、ここにいるぜぇ!(辻「自分をぶち破れ!」は道重が担当、加護キックは小川が担当するが低空キック、最後のなっち飛び込んできて鼻で「へへん!」部分はよっしーが担当)
ここで道重司会で大中小3人(吉澤、高橋、矢口)とトーク。このコーナーに限らず、道重の魅力は大爆発。矢口がストロベリーのパフュームを好んでいる話で、道重みたいに女の子らしく、なんて言うと、マジで赤面して喜ぶ。ワンちゃんの話で矢口が道重を犬にみたてると、「飼ってくれますか?」「会場には道重飼いたい人たくさんいるよ」「飼いたーい!(お客さん達)」「えっ、うれしい!」。吉澤が「土星の輪に行きたい」と言うと道重は笑って「ワッカッカー!」まあ、最後のは台本通りか)
14、Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜
15、Hey!未来
16、Memory〜青春の光〜
17、恋愛レボリューション21
18、シャボン玉
19、浪漫〜My Dear Boy〜
20、Go Girl〜恋のヴィクトリー〜
以上、本編終了。以下アンコール。
21、涙が止まらない放課後(ヴォーカルは藤本、石川、紺野、道重の4人のみ。このヴォーカルの持つ意味に僕はタイトル通り、涙が止まらなかった。ソロでメインを張っていた藤本の復権、音痴で多くのメイン曲でもセリフを与えられていた石川、新メンバーとして加入時から補欠扱いされていた紺野のメイン獲り、音痴でしかも最終選考合宿でも「ニヤーオ!」ひとつ満足に言えなかった道重のメインヴォーカル。なんてドラマチックなメイン4人なんだ!)
22、愛あらばIT’S ALL RIGHT
以上。
客電がついても「愛あらばIT’S ALL RIGHT」のカラオケの残りで踊るアリーナ席。
約2時間のライブだった。かなり満足。ふだんアイドルのイベントによく足を運ぶが、いやはや、レベルが違いすぎて感動してしまった。
帰りに心斎橋に寄り、新しく出来たサンリオギャラリーに行く。店内が狭くて入場制限までしていたが、品揃えは微妙。70年代キティの電卓や、ボトルキャップつきキャンディーなどは揃っているが、地方のキティやキキララグッズは特に置いていない。キティEXのグッズがあったのは収穫か。どちらにしても心斎橋筋に出来た店だけに、ターゲットはあくまでもOLのようだ。ピューロランドの映像が流れていたりするが、はんぎょどんの自販機なんて当然無い。
ハロプロショップにも寄ったが、特に何も購入せず。
帰ってから見た「億万のココロ」にWが出演、エンディングテ−マは「涙が止まらない放課後」
「8時です!みんなのモンダイ」は松浦亜弥目当てで見たが、中でポプラ社が紹介されていた。代表的な出版物の中に児童向けのルパンシリーズが映ったが、これがなんと『ピラミッドの秘密』だった。ポプラ社のルパンシリーズには原作者モ−リス・ルブランによるルパン物以外の作品も翻訳されており、またボアロー&ナルスジャックによるパスティーシュも収録されている。この『ピラミッドの秘密』はルブランの原作が発見されておらず、翻訳者南洋一郎によるパスティーシュではないか、と言われているのだ。あえてこの正体不明の本を出してきたのには何か意味があるのだろうか。
長期中断していた「哲学クロニクル」のメールマガジンが復活した。
刺激される事柄がまた1つ増えた。楽しみ、楽しみ。
今日見た映画は録画しておいた「スーパージャイアンツ/人工衛星と人類の破滅」だ。宇津井健主演、石井輝男監督。ソ連が人工衛星の打ち上げに成功し、宇宙世紀に突入した。でも、それは宇宙から地球を攻撃することを可能にする恐ろしい時代になったことでもあるのだ。ナチスによく似た国が人工衛星をソ連よりも先に成功させており、そこから世界に向けてミサイルを撃ち、世界征服をはかるのを、スーパージャイアンツが防ぐ物語。ナチスドイツ、ソ連への嫌悪感がはっきりと読み取れる。見ていたら、途中で終わってしまった。
「続スーパージャイアンツ/宇宙艇と人工衛星の激突」がその続き、というか完結編だった。こっちも録画していたので、見た。こっちの映画はほとんどが格闘シーンだ。例によって、つっこみどころは満載だ。たとえば、スーパージャイアンツが女の子(三ツ矢歌子)を抱きかかえて、宇宙空間を飛ぶシーンがある。スーパージャイアンツは超人だから何でもありだろうが、三ツ矢歌子は普通の人間だ。顔むきだしのノーヘルで宇宙空間を移動していては身体が持たないんじゃないか。まあ、こんなツッコミは今や野暮の骨頂だと思う。ついつい悪い癖でそんな物の見方もしてしまうけど。「こんなことはあり得ない」とツッコンで笑う前世紀的楽しみよりも、今は「なるほど、こういうこともあるだろう」と乗っていくのが僕にとっては面白い。シャンプーハットみたいなノリかな。「なんでやねん」よりも「なーるほど」、「うそー!」よりも「ほんまー」が心地よいのだ。
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キリストンカフェと降臨の群れ
2004年10月29日 日常
今日は梅田のキリストンカフェでサウンドアーチストの安井献くんの誕生祝い。デザートを3つほど盛り合わせたのを頼むと、店員さんがハッピーバースデーで祝ってくれるのだ。
誕生祝いを用意していなかったので、急遽ゲーマーズで「はじめてのおるすばん」のガチャガチャをして、安井くんにプレゼントすることにした。この「はじめてのおるすばん」は18才未満おことわりのフィギュアで、幼女のHな姿態をかたどった、きわめてマニア向けのものだ。「わたしのおにいちゃん」のエグイバージョンみたいなものと言えばわかりやすいだろうか。日本橋ではイエローサブマリンの店頭に置いてあったのだが、すぐに姿を消したいわくつきのガチャガチャ。ゲーマーズには2台設置してあった。
さて、ここでトラブル。イエローサブマリンでは「100円玉5枚」で購入するタイプだったので、100円硬貨を用意していったのだが、ゲーマーズのは「500円玉1枚」のタイプだった。間違えて100円玉を入れてしまい、「しまった」と思っても後の祭。その100円を回収しようとしてもいっこうにうまくいかない。「はじめてのおるすばん」のガチャガチャの前でえんえんとゴソゴソやっている僕を「幼女マニアがいつまでもガチャガチャの前から離れないぞ」と言う目で見ながら街の人々が何十人も通りすぎていく。10分間ほど奮闘していたが、ついにあきらめて店員さんを呼んだ。店員さんは「幼女マニアの上に100円玉と500円玉の区別もつかないのか、こいつ」と、きっと心の中で思いつつ、なんとか100円玉を回収してくれた。僕は店に入り500円硬貨に両替えしてもらい、きっと「こいつ、今からあの幼女マニアのフィギュアを買うんだな。しかも2つか!」と思われながらやっと購入した。約束の時間を大幅に過ぎていた。
集まったのは僕、安井くんと自分BOXのマイちゃん。安井くんはきっとあのガチャガチャを家の玄関に飾るか、車のエンブレムとして目立つところにつけておいてくれるに違いない。いや、ひょっとすると携帯電話に貼付けて常備するかも。
今日読んだ本は船戸与一の『降臨の群れ』だ。
アメリカによるイラク大虐殺前夜。インドネシアのアンボンではイスラムとプロテスタントの抗戦が続いていた。イラクへの攻撃が開始されればイスラムの怒りが爆発するのは必定、イスラム原理主義やテロ組織などがアンボンで大きな勢力を持ちはじめている。一方、プロテスタントは南マルク独立を目指しつつ、イスラム排除のため内戦を続ける。それらの間で、宗教とは無関係に金目当ての亡者どもが暗躍する。イスラムを殺せば「プロテスタントが殺ったに違いない!」と証拠もなく即決めつけられる情勢なのだ。逆もまたしかり。
また、インドネシア政府としては、原理主義も困るし独立も困る。両方を衝突させて共に滅ぼしてしまおうと、策略が練られる。
この本ではイスラム、プロテスタント両方の側に、単純で「あっちは敵だ」と信じ込んでしまう人物を配して、彼らがゴリゴリの武闘派に変貌していくさまを描いている。一方、どちらの側からも利用される日本人技術者も登場。ヒ−ロ−的活躍はいっさい無く、最後まで陰謀に利用されつくす。
この本ではとにかく人がよく死ぬ。あっさりと死ぬ。
アメリカが虐殺したイラク人は10万人を越えるという。それくらいの命の安さをこの本でも味わえる。
インドネシア情勢を描いた面白い冒険小説だが、誰が正義の側、というわけでもない。
ただ、登場人物が神や金儲けのために、非人間性をあらわにしていく過程が描かれるのだ。
巻き込まれた日本人だけがなんだかのんびりした印象を受ける。宗教と金は人間を非人間にする機械なのである。
こんな宗教内戦の本読んだ日にキリストンカフェに行くとは、えらく宗教づいた1日だ。
誕生祝いを用意していなかったので、急遽ゲーマーズで「はじめてのおるすばん」のガチャガチャをして、安井くんにプレゼントすることにした。この「はじめてのおるすばん」は18才未満おことわりのフィギュアで、幼女のHな姿態をかたどった、きわめてマニア向けのものだ。「わたしのおにいちゃん」のエグイバージョンみたいなものと言えばわかりやすいだろうか。日本橋ではイエローサブマリンの店頭に置いてあったのだが、すぐに姿を消したいわくつきのガチャガチャ。ゲーマーズには2台設置してあった。
さて、ここでトラブル。イエローサブマリンでは「100円玉5枚」で購入するタイプだったので、100円硬貨を用意していったのだが、ゲーマーズのは「500円玉1枚」のタイプだった。間違えて100円玉を入れてしまい、「しまった」と思っても後の祭。その100円を回収しようとしてもいっこうにうまくいかない。「はじめてのおるすばん」のガチャガチャの前でえんえんとゴソゴソやっている僕を「幼女マニアがいつまでもガチャガチャの前から離れないぞ」と言う目で見ながら街の人々が何十人も通りすぎていく。10分間ほど奮闘していたが、ついにあきらめて店員さんを呼んだ。店員さんは「幼女マニアの上に100円玉と500円玉の区別もつかないのか、こいつ」と、きっと心の中で思いつつ、なんとか100円玉を回収してくれた。僕は店に入り500円硬貨に両替えしてもらい、きっと「こいつ、今からあの幼女マニアのフィギュアを買うんだな。しかも2つか!」と思われながらやっと購入した。約束の時間を大幅に過ぎていた。
集まったのは僕、安井くんと自分BOXのマイちゃん。安井くんはきっとあのガチャガチャを家の玄関に飾るか、車のエンブレムとして目立つところにつけておいてくれるに違いない。いや、ひょっとすると携帯電話に貼付けて常備するかも。
今日読んだ本は船戸与一の『降臨の群れ』だ。
アメリカによるイラク大虐殺前夜。インドネシアのアンボンではイスラムとプロテスタントの抗戦が続いていた。イラクへの攻撃が開始されればイスラムの怒りが爆発するのは必定、イスラム原理主義やテロ組織などがアンボンで大きな勢力を持ちはじめている。一方、プロテスタントは南マルク独立を目指しつつ、イスラム排除のため内戦を続ける。それらの間で、宗教とは無関係に金目当ての亡者どもが暗躍する。イスラムを殺せば「プロテスタントが殺ったに違いない!」と証拠もなく即決めつけられる情勢なのだ。逆もまたしかり。
また、インドネシア政府としては、原理主義も困るし独立も困る。両方を衝突させて共に滅ぼしてしまおうと、策略が練られる。
この本ではイスラム、プロテスタント両方の側に、単純で「あっちは敵だ」と信じ込んでしまう人物を配して、彼らがゴリゴリの武闘派に変貌していくさまを描いている。一方、どちらの側からも利用される日本人技術者も登場。ヒ−ロ−的活躍はいっさい無く、最後まで陰謀に利用されつくす。
この本ではとにかく人がよく死ぬ。あっさりと死ぬ。
アメリカが虐殺したイラク人は10万人を越えるという。それくらいの命の安さをこの本でも味わえる。
インドネシア情勢を描いた面白い冒険小説だが、誰が正義の側、というわけでもない。
ただ、登場人物が神や金儲けのために、非人間性をあらわにしていく過程が描かれるのだ。
巻き込まれた日本人だけがなんだかのんびりした印象を受ける。宗教と金は人間を非人間にする機械なのである。
こんな宗教内戦の本読んだ日にキリストンカフェに行くとは、えらく宗教づいた1日だ。
ESSEと歌姫、ご当地、アッコちゃん
2004年10月28日 アイドル弁天町ORC200で毎月開催されている「ボーカルクイーンストリートライブ」に出かけた。
まずはESSEファンキーショータイム。
NANA(森下奈美、寺西真奈美、中村史衣菜、久保弥優、中村芹奈)のダンスではじまり、司会は川上未帆がつとめた。僕はこのミホちゃんのおかげで、ケヅメリクガメが好きになりました。
あとの出演は歌を中心に構成されていた。以下、出演者。間違いがあればごめん!藤田藍、黒田沙耶華、山根若菜、中川茜、直川文果、諸見川優希、吉井香奈恵、森下真帆、バックダンサーとして川上未帆も踊っていた。
歌は1コーラスで次の出演者と交代する、短い時間でたっぷりお得なライブだった。
その後は、いつもの歌姫たちのライブ。
馬場綾乃、S-Key-A(スキアと読むらしい)、河野真実、畠山智早(彼女は今回も安室で歌い踊った。もっとダンスを見てみたい)、大河内美紗、山下昌恵(弟さんとのユニット、フォー・サンシャイン・ラインでもオリジナル曲「ユー」を1曲披露。前回聞いたときはユニット名が最初の「フォー」無しの名前だと思っていた。これは本人からCD買って確かめてみなくてはなるまい)、西川小百合。
それぞれ2曲から3曲歌う。
午後6時過ぎから8時過ぎまで約2時間のイベントだった。
僕はその後、早足で夜勤に向かった。
イベントに行く前。
テレビ「2時ワクッ!」がご当地アイドルの特集をしており、りんご娘、SHIP、Negicco、ココナッツJr.、ダンシングBANANAがとりあげられていた。大阪の番組なので、ダンシングBANANAはハッピータイムの小川加奈美先生のインタビューも収録されていた。
「地方発」と言ったり「ロコドル」と言ったり「ご当地」と言ったり、名称が一定しないが、どれにも定着しないままにブーム(?)は去ってしまうんじゃないか、と一抹の不安が。東京などでは、各地のアイドルを集めてライブイベントしたりしているが、予算的にそれは難しくても、大阪だけで、創叡やキャレスやリトルキャットやESSEなど、多くのスクールがユニットとしてアイドル活動しているのを、集めて見てみたいと思う。怖い気もするが。それより、客席は親族一同で大入り満員だろうなあ。
録画しておいた「サウンドルネッサンス」で矢野顕子のコンサートを見た。なんだかんだ言ってもアンコールの「ひとつだけ」が一番いいように思うのは、僕の成長の無さを暴露するものか。
この番組を見て思ったのは、矢野顕子はそれほどでもないのに、客の老けっぷりったらないなあ、ということだ。おとなしすぎるし、落ち着きすぎている。シックな装いなんかしているんじゃないか。僕が矢野顕子にはまったのは十代の頃だ。おそらくその頃か、もうちょっと後の新人類台頭時代に矢野顕子にはまった人々が、きっとまだ矢野顕子の主要な客なような気がする。進歩がないにも程がある。今、僕が十代だったら、今の矢野顕子にはまるだろうか。十代の頃には、きわめて新しくて面白い音楽として矢野顕子を聞いていたのだが、そのようなアプローチで今も音楽を聞けているだろうか。誰か、新しくて面白い音楽を紹介してください。「この番組をチェックしておけば大丈夫」とか「この店に行けば最新の面白いのが揃っている」というような情報が僕には欠けているのです。
まずはESSEファンキーショータイム。
NANA(森下奈美、寺西真奈美、中村史衣菜、久保弥優、中村芹奈)のダンスではじまり、司会は川上未帆がつとめた。僕はこのミホちゃんのおかげで、ケヅメリクガメが好きになりました。
あとの出演は歌を中心に構成されていた。以下、出演者。間違いがあればごめん!藤田藍、黒田沙耶華、山根若菜、中川茜、直川文果、諸見川優希、吉井香奈恵、森下真帆、バックダンサーとして川上未帆も踊っていた。
歌は1コーラスで次の出演者と交代する、短い時間でたっぷりお得なライブだった。
その後は、いつもの歌姫たちのライブ。
馬場綾乃、S-Key-A(スキアと読むらしい)、河野真実、畠山智早(彼女は今回も安室で歌い踊った。もっとダンスを見てみたい)、大河内美紗、山下昌恵(弟さんとのユニット、フォー・サンシャイン・ラインでもオリジナル曲「ユー」を1曲披露。前回聞いたときはユニット名が最初の「フォー」無しの名前だと思っていた。これは本人からCD買って確かめてみなくてはなるまい)、西川小百合。
それぞれ2曲から3曲歌う。
午後6時過ぎから8時過ぎまで約2時間のイベントだった。
僕はその後、早足で夜勤に向かった。
イベントに行く前。
テレビ「2時ワクッ!」がご当地アイドルの特集をしており、りんご娘、SHIP、Negicco、ココナッツJr.、ダンシングBANANAがとりあげられていた。大阪の番組なので、ダンシングBANANAはハッピータイムの小川加奈美先生のインタビューも収録されていた。
「地方発」と言ったり「ロコドル」と言ったり「ご当地」と言ったり、名称が一定しないが、どれにも定着しないままにブーム(?)は去ってしまうんじゃないか、と一抹の不安が。東京などでは、各地のアイドルを集めてライブイベントしたりしているが、予算的にそれは難しくても、大阪だけで、創叡やキャレスやリトルキャットやESSEなど、多くのスクールがユニットとしてアイドル活動しているのを、集めて見てみたいと思う。怖い気もするが。それより、客席は親族一同で大入り満員だろうなあ。
録画しておいた「サウンドルネッサンス」で矢野顕子のコンサートを見た。なんだかんだ言ってもアンコールの「ひとつだけ」が一番いいように思うのは、僕の成長の無さを暴露するものか。
この番組を見て思ったのは、矢野顕子はそれほどでもないのに、客の老けっぷりったらないなあ、ということだ。おとなしすぎるし、落ち着きすぎている。シックな装いなんかしているんじゃないか。僕が矢野顕子にはまったのは十代の頃だ。おそらくその頃か、もうちょっと後の新人類台頭時代に矢野顕子にはまった人々が、きっとまだ矢野顕子の主要な客なような気がする。進歩がないにも程がある。今、僕が十代だったら、今の矢野顕子にはまるだろうか。十代の頃には、きわめて新しくて面白い音楽として矢野顕子を聞いていたのだが、そのようなアプローチで今も音楽を聞けているだろうか。誰か、新しくて面白い音楽を紹介してください。「この番組をチェックしておけば大丈夫」とか「この店に行けば最新の面白いのが揃っている」というような情報が僕には欠けているのです。
アッカンベーする「ひらちれ」を見た。
あっ間違えた。ジョルジョ・アガンベンの『開かれ』を読んだ。サブタイトルに「人間と動物」とある。
本書ではまず13世紀のヘブライ語聖書の中にある「エゼキエルの幻視」と名付けられた細密画から話がはじまる。そこには最後の審判の日における義人たちの宴が描かれているのだが、その義人の姿を見ると、動物の顔をしていたりするのである。義人というのは人間としての完全体なのに、なぜ半人半獣の姿なのか。
本書は人間と動物の違いについて、生物学的な見地や哲学的な見方で探究していく。人間を動物と分かつものとして使われるのが、フリオ・イエージが用いた「人類学機械」という考え方だ。
人間を動物や非人間と区別して、人間を製造する装置を人類学機械と名付けたのだ。たとえば、人間中心主義などはりっぱな人類学機械に入る。
また、人間を動物や非人間と峻別する操作は、同時に生の問題にもかかわってくる。「生とは何か」は「人間とは何か」と密接に結びついているのだ。
アリストテレスは『魂について』で栄養の能力による植物的生を生の範疇におさめた。この「植物的生」の考え方は、18世紀フランスのビシャによる「器質的な生」「動物的な生」の区別にも応用される。器質的生は血液や呼吸などによる循環で、動物的生は外部世界との関係を意味する。
そこでふりかえってみると、エコロジスト、ベジタリアンは肉を嫌って植物を食べる。動物は生きているが、植物は生きていないというのだろうか。少し前に読んだ『十人の戒められた奇妙な人々』の中でも、「殺すなかれ」の戒律を守るためにアスパラガスばかり食べる人の物語があった。植物的生を生の領域に含まないとしたら、植物人間は生きていないということにならないだろうか。あるいは、脳死状態の身体(これを「新死体」と呼ぶそうだ)はその別名どおり、死体なのか。
「生きている人間」を掘り出して定義することで、切り捨てられる部分は無視されていく。人類学機械によって、植物人間、新死体、イスラム、ユダヤ人、狂人、ひきこもりなどは非人間の領域に遺棄されるのではないか。
江戸時代は家康の言葉「生きぬ(生かさぬ)ように殺さぬように」の体制で農民は支配された。近代は人間の生を政治で支配しようとする。このフーコーの生政治学はアガンベンがもっとも注目する視点なのだ。
「開かれ」はもともとはリルケが『ドゥイノの悲歌』で森の中をさまよう人が突然ぽっかりと開いた空間に出くわしたときに使った用語だそうだ。本書ではその後にハイデガーが現存在が世界に開かれているあり方について使った用法で「開かれ」を使っている。
ハイデガーによると、「石は世界を持たない」「動物は世界貧乏だ(世界でなく、環境世界を持つ)」「人間は世界を形成する」の3組セットで、非生物、動物、人間と世界との関わりを示している。(環境世界、というのは生物学者ユクスキュルの用語で、環境一般なんてものはなくて、その一部の有意味の部分だけで生きる、みたいなこと。たとえば、ダニにとっては他のいっさいの部分を感知せず、ただ動物の体温のみによって反応する、とか)動物は言わば環境によって閉ざされているが、人間にとっては世界は自由に開かれているのだ。
冒頭に戻って、人間の完全体が人間でも動物でもない姿をしている意味は、近代特有の人類学機械なんか止めてしまって、人間とそれ以外を分ける境界線そのもの(チェズーラ)に目を向けることを提唱しているのだ。
この本は「開かれ」、「人間と動物」等のテーマについて、散弾銃のように述べられている。それぞれの章で書かれていることを1本の線でつなぐのは相当の力技を要すると思う。
拾いそこねた話題を挙げて行けば、それだけで1冊の本が出来、それならば最初からこの『開かれ』を読め、という結論になるのだ。
ユクスキュルの環境世界の話を誤用(?)すれば、僕はこの本を読んで、自分にとって有意味な部分だけ読み取っているダニみたいなもんだ。ユクスキュルを使わずとも、昔から「猫に小判」という言葉もある。人類学機械で人間から排除されても仕方ないなー、と思った。この本読んだ結論がそれか?
それにしても、思想の世界では、ダジャレが横行している。
このアガンベンでも「開かれ」(リヒトゥンク)は「無化」(ニヒトゥンク)されていたのだ、なんて平然と書いていたりする。
ラカンの本なんてダジャレで成り立っているようなもんだ。
翻訳者によってもっと面白くなる可能性もある。
でも、そんなダジャレに足をすくわれることなく読めたのもよかったのかもしれない。
2日ほど前から、また風邪をひいてしまったようだ。
気温が下がれば風邪をひく、ああ、ベタな風邪のひき方!
しかも、家族がそんなベタな風邪のひき方をしたのをうつされる、というベタの上にもベタを重ねた風邪のひき方だ。
風邪をひいて嫌なのは何よりも眠くなってしまうところだ。
鼻がつまって呼吸がしづらいので、仕事中も足をあげて腹筋運動することで、かろうじて鼻を通している。ああ、めんどうくさい。
あっ間違えた。ジョルジョ・アガンベンの『開かれ』を読んだ。サブタイトルに「人間と動物」とある。
本書ではまず13世紀のヘブライ語聖書の中にある「エゼキエルの幻視」と名付けられた細密画から話がはじまる。そこには最後の審判の日における義人たちの宴が描かれているのだが、その義人の姿を見ると、動物の顔をしていたりするのである。義人というのは人間としての完全体なのに、なぜ半人半獣の姿なのか。
本書は人間と動物の違いについて、生物学的な見地や哲学的な見方で探究していく。人間を動物と分かつものとして使われるのが、フリオ・イエージが用いた「人類学機械」という考え方だ。
人間を動物や非人間と区別して、人間を製造する装置を人類学機械と名付けたのだ。たとえば、人間中心主義などはりっぱな人類学機械に入る。
また、人間を動物や非人間と峻別する操作は、同時に生の問題にもかかわってくる。「生とは何か」は「人間とは何か」と密接に結びついているのだ。
アリストテレスは『魂について』で栄養の能力による植物的生を生の範疇におさめた。この「植物的生」の考え方は、18世紀フランスのビシャによる「器質的な生」「動物的な生」の区別にも応用される。器質的生は血液や呼吸などによる循環で、動物的生は外部世界との関係を意味する。
そこでふりかえってみると、エコロジスト、ベジタリアンは肉を嫌って植物を食べる。動物は生きているが、植物は生きていないというのだろうか。少し前に読んだ『十人の戒められた奇妙な人々』の中でも、「殺すなかれ」の戒律を守るためにアスパラガスばかり食べる人の物語があった。植物的生を生の領域に含まないとしたら、植物人間は生きていないということにならないだろうか。あるいは、脳死状態の身体(これを「新死体」と呼ぶそうだ)はその別名どおり、死体なのか。
「生きている人間」を掘り出して定義することで、切り捨てられる部分は無視されていく。人類学機械によって、植物人間、新死体、イスラム、ユダヤ人、狂人、ひきこもりなどは非人間の領域に遺棄されるのではないか。
江戸時代は家康の言葉「生きぬ(生かさぬ)ように殺さぬように」の体制で農民は支配された。近代は人間の生を政治で支配しようとする。このフーコーの生政治学はアガンベンがもっとも注目する視点なのだ。
「開かれ」はもともとはリルケが『ドゥイノの悲歌』で森の中をさまよう人が突然ぽっかりと開いた空間に出くわしたときに使った用語だそうだ。本書ではその後にハイデガーが現存在が世界に開かれているあり方について使った用法で「開かれ」を使っている。
ハイデガーによると、「石は世界を持たない」「動物は世界貧乏だ(世界でなく、環境世界を持つ)」「人間は世界を形成する」の3組セットで、非生物、動物、人間と世界との関わりを示している。(環境世界、というのは生物学者ユクスキュルの用語で、環境一般なんてものはなくて、その一部の有意味の部分だけで生きる、みたいなこと。たとえば、ダニにとっては他のいっさいの部分を感知せず、ただ動物の体温のみによって反応する、とか)動物は言わば環境によって閉ざされているが、人間にとっては世界は自由に開かれているのだ。
冒頭に戻って、人間の完全体が人間でも動物でもない姿をしている意味は、近代特有の人類学機械なんか止めてしまって、人間とそれ以外を分ける境界線そのもの(チェズーラ)に目を向けることを提唱しているのだ。
この本は「開かれ」、「人間と動物」等のテーマについて、散弾銃のように述べられている。それぞれの章で書かれていることを1本の線でつなぐのは相当の力技を要すると思う。
拾いそこねた話題を挙げて行けば、それだけで1冊の本が出来、それならば最初からこの『開かれ』を読め、という結論になるのだ。
ユクスキュルの環境世界の話を誤用(?)すれば、僕はこの本を読んで、自分にとって有意味な部分だけ読み取っているダニみたいなもんだ。ユクスキュルを使わずとも、昔から「猫に小判」という言葉もある。人類学機械で人間から排除されても仕方ないなー、と思った。この本読んだ結論がそれか?
それにしても、思想の世界では、ダジャレが横行している。
このアガンベンでも「開かれ」(リヒトゥンク)は「無化」(ニヒトゥンク)されていたのだ、なんて平然と書いていたりする。
ラカンの本なんてダジャレで成り立っているようなもんだ。
翻訳者によってもっと面白くなる可能性もある。
でも、そんなダジャレに足をすくわれることなく読めたのもよかったのかもしれない。
2日ほど前から、また風邪をひいてしまったようだ。
気温が下がれば風邪をひく、ああ、ベタな風邪のひき方!
しかも、家族がそんなベタな風邪のひき方をしたのをうつされる、というベタの上にもベタを重ねた風邪のひき方だ。
風邪をひいて嫌なのは何よりも眠くなってしまうところだ。
鼻がつまって呼吸がしづらいので、仕事中も足をあげて腹筋運動することで、かろうじて鼻を通している。ああ、めんどうくさい。
アニメ「焼きたて!ジャぱん」が面白い。
この面白さは原作ゆずりなのだが、アニメになったことでまた違う面白さが出てきたようだ。前回、主人公の少年がカレーライスは日本料理だと言い張るシーンが出てきた。原作では、「だってカレーはハウスって言うじゃないか。ハウスは日本の企業だ」と明解な論理を述べる。アニメでは「辛れえからカレーって言うんだ」と変えられていた。トホホなだじゃれだが、「ほー、日本料理だと言い張るシチュエーションは残したんだな」と感心した。
ま、どうでもいいことだ。えっ、どうでもいいの?
畠中恵の『百万の手』を読んだ。ネタバレ注意。
中学生の少年が主人公。親友の家が放火され、一家全員焼け死んだ。少年の携帯には既に死んでいる親友が宿り、一緒に事件の真相を探ることになる。なぜかこのファンタジックな設定は、半分も読まないうちに携帯が火事で焼けてしまい、唐突に終わってしまう。これを最後まで貫けば、まあ、ライトノベルの読者やオタクたちは喜ぶのだろう。作中、親友は「電話器でもなければ、電脳空間のキャラクターでもない」と明言される。この本は中学生の少年の成長物語でもあるので、そんなオタク的停滞ストーリーとは相容れなかったのだろう。じゃあ、最初からそんな設定にするな、という話だが、まあ、これは「つかみはオーケー」みたいな世界だろう。
後半は過干渉の母親、ホストあがりの新しい父親をめぐる家族関係をベースに、少年が実父のクローンであることが明かされるにいたり、病院内でのクローン是非論とそれにまつわる犯罪が描かれる。
母親の過干渉は少年が父親のクローンだったからなのだ。また、犯罪はクローン否定論の院長が、クローンとして生まれた存在を抹殺するために企てられたのだ。クローンの成功例を自分の手柄として横取りしたい医者を手先に使い、放火や殺人を行っていたのだ。
タイトルの「百万の手」は、クローンの技術、成功例に関するデータを欲しがる人が山ほどいることをあらわしている。データをおさめたDVDを百万の手がのびてきて「クレクレー」とせがむのだ。
で、僕自身がクローンについてどう考えているかと言うと、作中の院長が言うような、人類の遺伝子に災いをもたらす可能性があるとか言う意味で否定する気はまったく無い。遺伝子組み換え食品や、BSEのおそれのあるアメリカ牛肉、農薬を使った野菜とか、僕は大歓迎なのだ。僕が気にするのは、それが軍事に応用されるんじゃないか、ということだけなのだ。クローンそのものに否定的感情はいっさいない。クローンに反対する暇があったら、すべての兵器開発や軍事技術に反対しろと言いたい。抑止力としても核を持たない世界にするよう運動すべきだ。それを「現実的でない」とする臆病で卑怯な戦争礼讃者に説得されているようではだめだ。現実を変えようともしない敗北主義者の「現実」と同居してはいけない。兵器や武器の1つも廃絶できずに「人間の命の尊厳」とか「人類の遺伝子」などちゃんちゃらおかしいのだ。クローンも軍事に応用される技術の1つなのだろうが、過剰なまでにある軍事技術に付け加わるだけの話だ。滅亡したい奴は勝手に滅亡しとけ。こっちはこっちでバラ色の人生を送ってやる。
この面白さは原作ゆずりなのだが、アニメになったことでまた違う面白さが出てきたようだ。前回、主人公の少年がカレーライスは日本料理だと言い張るシーンが出てきた。原作では、「だってカレーはハウスって言うじゃないか。ハウスは日本の企業だ」と明解な論理を述べる。アニメでは「辛れえからカレーって言うんだ」と変えられていた。トホホなだじゃれだが、「ほー、日本料理だと言い張るシチュエーションは残したんだな」と感心した。
ま、どうでもいいことだ。えっ、どうでもいいの?
畠中恵の『百万の手』を読んだ。ネタバレ注意。
中学生の少年が主人公。親友の家が放火され、一家全員焼け死んだ。少年の携帯には既に死んでいる親友が宿り、一緒に事件の真相を探ることになる。なぜかこのファンタジックな設定は、半分も読まないうちに携帯が火事で焼けてしまい、唐突に終わってしまう。これを最後まで貫けば、まあ、ライトノベルの読者やオタクたちは喜ぶのだろう。作中、親友は「電話器でもなければ、電脳空間のキャラクターでもない」と明言される。この本は中学生の少年の成長物語でもあるので、そんなオタク的停滞ストーリーとは相容れなかったのだろう。じゃあ、最初からそんな設定にするな、という話だが、まあ、これは「つかみはオーケー」みたいな世界だろう。
後半は過干渉の母親、ホストあがりの新しい父親をめぐる家族関係をベースに、少年が実父のクローンであることが明かされるにいたり、病院内でのクローン是非論とそれにまつわる犯罪が描かれる。
母親の過干渉は少年が父親のクローンだったからなのだ。また、犯罪はクローン否定論の院長が、クローンとして生まれた存在を抹殺するために企てられたのだ。クローンの成功例を自分の手柄として横取りしたい医者を手先に使い、放火や殺人を行っていたのだ。
タイトルの「百万の手」は、クローンの技術、成功例に関するデータを欲しがる人が山ほどいることをあらわしている。データをおさめたDVDを百万の手がのびてきて「クレクレー」とせがむのだ。
で、僕自身がクローンについてどう考えているかと言うと、作中の院長が言うような、人類の遺伝子に災いをもたらす可能性があるとか言う意味で否定する気はまったく無い。遺伝子組み換え食品や、BSEのおそれのあるアメリカ牛肉、農薬を使った野菜とか、僕は大歓迎なのだ。僕が気にするのは、それが軍事に応用されるんじゃないか、ということだけなのだ。クローンそのものに否定的感情はいっさいない。クローンに反対する暇があったら、すべての兵器開発や軍事技術に反対しろと言いたい。抑止力としても核を持たない世界にするよう運動すべきだ。それを「現実的でない」とする臆病で卑怯な戦争礼讃者に説得されているようではだめだ。現実を変えようともしない敗北主義者の「現実」と同居してはいけない。兵器や武器の1つも廃絶できずに「人間の命の尊厳」とか「人類の遺伝子」などちゃんちゃらおかしいのだ。クローンも軍事に応用される技術の1つなのだろうが、過剰なまでにある軍事技術に付け加わるだけの話だ。滅亡したい奴は勝手に滅亡しとけ。こっちはこっちでバラ色の人生を送ってやる。
メイド喫茶CCOちゃ、十人の戒められた奇妙な人々
2004年10月25日 読書
日本橋に新しく出来たメイド喫茶「CCOちゃ」に行った。「こっちゃ」と読むんだろうか。
ジャングルカフェもDOきゃらっともメイド喫茶をやめてしまったので、今のところ家の近くではここだけがメイド喫茶だと思う。コスプレ焼肉とかはあるけどね。
行ってみると、メイドさん達が「お帰りなさいませ」でお出迎えしてくれる。椅子をひいてくれて席につく。僕はメイドケーキセットを注文した。あたたかいカフェオレには砂糖の数を聞き、入れてスプーンでかきまぜてくれる。ケーキは「悪魔の媚薬」というのを選んだ。メイドケーキというのはホ−ムメイドケ−キ、というのとかけているのではないか、という予感は適中した。あたたかいチョコレートケーキで、バニラアイスが上に乗り、周囲には生クリームとナッツ。フォンダンショコラの生チョコ抜き、みたいな出来上がりだ。セットで800円。安い店ばかり行っていると値段高めに思うが、喫茶店としては普通の価格だ。コーヒー1杯千円なんてざらにあるし。
注文した後に、壁に貼ってある「赤い彗星はじめました」を見つけた。メニューにトマトジュースがすでにあったので、何かのトマトジュース割りなんだろうか。
メイドさん各自のコミュニケーションノートがあり、感想などを残すことができる。今日行ったときは、1人のメイドさんが自分のコミュニケーションノートを読んで、返事を書き込んでいた。メイドさんの質はきわめて良好だと思った。スカートの長さなどがそれぞれバラバラなので、制服があるのか、各自自由なのか判断はできない。階級別に衣服が違う可能性もあるのだ。ただ、「委員長」と書いた腕章をつけた眼鏡っ子がいたので、きっと彼女がリーダーなのだろう。
開店してから1週間ほどなので、まだまだ改善の余地があるとは思ったが、トホホ感はなかった。これならまた行こうかという気になった。ただ、日本橋でメイド喫茶が根付くかどうか、という話になると、相当苦戦を強いられるんじゃないかと思うので、ぜひとも頑張ってほしいものだ。とりあえず、僕はお金に余裕があれば何度か行ってみようかと思っている。メイドさんと仲良くなりたい、とかの「抜かない風俗」「キャバクラまがい」なことは考えていない。そういう意味ではメイド喫茶なんか根付く必要などないようなものだが、どんな店でもすぐに閉店しちゃうのは寂しくて嫌なのだ。
支払いはテーブルにて、メイドさんが道重の鏡なみに大きな電卓で計算してくれる。
帰りは店の出口まで「行ってらっしゃいませ」でお見送り。
どこに行くのかと言えば、サイケデリアとかまんだらけとか信長書店とか、いつもの巡回。
倉阪鬼一郎の『十人の戒められた奇妙な人々』を読んだ。日々の生活にストレスを感じ、鬱屈した人が、「第十宗教哲学」と称する宗教団体に入信することで一見救われたかに思えるが、ただ1つ守ればいいだけの戒めに足をとられて、悲惨な結末に至る。黒いせぇるすまん、みたいな設定だ。この連作短編集には10の物語が収録されており、10の戒めはそのままモーセの十戒を使っている。
たとえば「殺してはならない」という戒めを守るよう言われた人は、動物性の食物を食べてもいけないのだ、と解釈し、やせほそって死んでしまう。とか。
それぞれの登場人物がそもそも鬱屈する経緯、社会的にうまく生きて行けないダメっぷりを読むと、「こんな奴はひどい目にあって死んでも当たり前だ」という感想を持ってしまう。強迫観念にとらわれていたり、頭が堅かったりするのだ。そして、宗教にはまってからの行動は行き過ぎだと思えるが、それは洗脳されているから、という説明が与えられる。ますます、こんな奴はどうとでもなれ、と思う。行動が極端な分、全体に寓話の味わいがあって、面白かった。
最終話で、十戒を守っても不幸になるだけだ、ということを証明したくて第十宗教哲学はこんなことを続けていたと判明するのだが、だいたいこいつらは最初から不幸で、不幸になるべくしてなったのだ、と思えるのである。
宗教ごときで幸せになれる安い人生なら、信心もまたよし、と思う。
でも、そんな安い人生しか送れないなら、生きる価値もないんじゃないか、と僕なんかは思ってしまう。
他人に帰依して生きる奴隷人生に何の面白みがあるんだろう。
ジャングルカフェもDOきゃらっともメイド喫茶をやめてしまったので、今のところ家の近くではここだけがメイド喫茶だと思う。コスプレ焼肉とかはあるけどね。
行ってみると、メイドさん達が「お帰りなさいませ」でお出迎えしてくれる。椅子をひいてくれて席につく。僕はメイドケーキセットを注文した。あたたかいカフェオレには砂糖の数を聞き、入れてスプーンでかきまぜてくれる。ケーキは「悪魔の媚薬」というのを選んだ。メイドケーキというのはホ−ムメイドケ−キ、というのとかけているのではないか、という予感は適中した。あたたかいチョコレートケーキで、バニラアイスが上に乗り、周囲には生クリームとナッツ。フォンダンショコラの生チョコ抜き、みたいな出来上がりだ。セットで800円。安い店ばかり行っていると値段高めに思うが、喫茶店としては普通の価格だ。コーヒー1杯千円なんてざらにあるし。
注文した後に、壁に貼ってある「赤い彗星はじめました」を見つけた。メニューにトマトジュースがすでにあったので、何かのトマトジュース割りなんだろうか。
メイドさん各自のコミュニケーションノートがあり、感想などを残すことができる。今日行ったときは、1人のメイドさんが自分のコミュニケーションノートを読んで、返事を書き込んでいた。メイドさんの質はきわめて良好だと思った。スカートの長さなどがそれぞれバラバラなので、制服があるのか、各自自由なのか判断はできない。階級別に衣服が違う可能性もあるのだ。ただ、「委員長」と書いた腕章をつけた眼鏡っ子がいたので、きっと彼女がリーダーなのだろう。
開店してから1週間ほどなので、まだまだ改善の余地があるとは思ったが、トホホ感はなかった。これならまた行こうかという気になった。ただ、日本橋でメイド喫茶が根付くかどうか、という話になると、相当苦戦を強いられるんじゃないかと思うので、ぜひとも頑張ってほしいものだ。とりあえず、僕はお金に余裕があれば何度か行ってみようかと思っている。メイドさんと仲良くなりたい、とかの「抜かない風俗」「キャバクラまがい」なことは考えていない。そういう意味ではメイド喫茶なんか根付く必要などないようなものだが、どんな店でもすぐに閉店しちゃうのは寂しくて嫌なのだ。
支払いはテーブルにて、メイドさんが道重の鏡なみに大きな電卓で計算してくれる。
帰りは店の出口まで「行ってらっしゃいませ」でお見送り。
どこに行くのかと言えば、サイケデリアとかまんだらけとか信長書店とか、いつもの巡回。
倉阪鬼一郎の『十人の戒められた奇妙な人々』を読んだ。日々の生活にストレスを感じ、鬱屈した人が、「第十宗教哲学」と称する宗教団体に入信することで一見救われたかに思えるが、ただ1つ守ればいいだけの戒めに足をとられて、悲惨な結末に至る。黒いせぇるすまん、みたいな設定だ。この連作短編集には10の物語が収録されており、10の戒めはそのままモーセの十戒を使っている。
たとえば「殺してはならない」という戒めを守るよう言われた人は、動物性の食物を食べてもいけないのだ、と解釈し、やせほそって死んでしまう。とか。
それぞれの登場人物がそもそも鬱屈する経緯、社会的にうまく生きて行けないダメっぷりを読むと、「こんな奴はひどい目にあって死んでも当たり前だ」という感想を持ってしまう。強迫観念にとらわれていたり、頭が堅かったりするのだ。そして、宗教にはまってからの行動は行き過ぎだと思えるが、それは洗脳されているから、という説明が与えられる。ますます、こんな奴はどうとでもなれ、と思う。行動が極端な分、全体に寓話の味わいがあって、面白かった。
最終話で、十戒を守っても不幸になるだけだ、ということを証明したくて第十宗教哲学はこんなことを続けていたと判明するのだが、だいたいこいつらは最初から不幸で、不幸になるべくしてなったのだ、と思えるのである。
宗教ごときで幸せになれる安い人生なら、信心もまたよし、と思う。
でも、そんな安い人生しか送れないなら、生きる価値もないんじゃないか、と僕なんかは思ってしまう。
他人に帰依して生きる奴隷人生に何の面白みがあるんだろう。
キッズカーニバル、ポエトリーリーディング
2004年10月24日 ライブ
鶴見はなぽーとブロッサムの「キッズカーニバル」を見に行った。
昨日はキッズファッションショー、今日はキッズダンスコンテスト。
26組のユニットが2部に分けてダンスした。踊る前に、あらかじめ用意してあるPRポイントが司会者によって読み上げられ、1チーム終わるごとに、自己紹介と、審査員からのコメントがある。これはダンスするこども達にとってはうれしい構成なのではなかろうか。
1つ1つのユニットを紹介したいのだが、どうにもヒヤリングが下手で、なんというユニット名なのか、断言できないのが多くて資料としては使えない。今回もピースクラブの3強が出場しており、たまたま名前を知っていたからそれが「プリンチペッサ」「ぷりぷりぺっさ」「凸凹」だとわかるが、これがヒヤリングだけでは「プリン・ザ・ペース」「プリティ・ベーサー」「猫ロボ」なんてことになりそうだ。最近耳の調子が悪いので余計にひどい。それをふまえた上での全出場チームは、順に
第1部、オアシス、スノウブーン、ぷりぷりぺっさ、プリンプリン、ティーキッズ(これが怪しい)、プリーズ(これも怪しい)、ゲーム、ジャイブ、クーエンジェルズ(怪しい)、ラッシュボール、サンバティックキッズ(めちゃくちゃ怪しい)、プリンチペッサ、プリームス(ぐちゃぐちゃ怪しい)
第2部、ベイリーズ、ザ・ドゥードゥー、フェアリーキッズ、NTY、ファンケル(怪。そんな名前のわけない、と思う)、凸凹、ブランド嗜好(怪。こんな名前はあり得ない。聞き取れなかったと言うより、自分の字が読めない)、あーむ、リルビーラブスター(怪)、クリスタル、ミニポリン(怪)MRN、キャンディー
以上26組。特筆すべきは次の通り。
ゲームはATCで入賞の実績あり。
ザ・ドゥードゥーはヒヤリングが怪しかったが、「The DooDoo」と書いたオリジナルのTシャツをみんな着ていたので、わかった。これはアリスのドードー鳥か、バンロッホの象の名前か。そうそう、『バンロッホのはちみつ』という絵本はとても面白い。最近のキャラクターものの絵本は相田みつお風の心をくすぐる処方箋的なものが多いが(『リラックマ生活〜だらだらまいにちのすすめ』みたいな感じ)、この『バンロッホのはちみつ』はそんな上からものを見下ろして「こうしなさい」「こうすれば」みたいな説教くさい体裁をとりながら、実はもっとノンセンスな話になっているのだ。新作の『バンロッホのチューリップ』はノンセンス味は薄くなって単なる可愛くて優しくてちょっと真理に触れた気にさせる、ありきたりの絵本に近付いているような気がする。
閑話休題。ユニットの話に戻ろう。
あーむは「天夢」と書いて「あーむ」と読ませる。ハッピータイムからの参戦だ。リーダーはダンシングBANANAの長谷川唯。ダンシングBANANA新メンバーの渡辺千裕が可愛い。
フェアリーキッズは愛知県からの参加。
ジャイブは「フィーメールトラブル」の特別賞受賞チーム。
ATCのジュニアダンスコンテストにも参加し、決勝進出しているチームもいくつかある。
結果発表の前に、希望したキッズ20人によるダンスバトルと審査員もつとめたダンサーたちによる「サクラスーパーライブ」
受賞チームは次のとおり。
ベストキュート賞「ミニポリン」(怪)
ベストアート賞「フェアリーキッズ」
ベストエンターテインメント賞「ジャイブ」
審査員特別賞「ぷりぷりぺっさ」
グランプリ「ラッシュボール」
僕が見た範囲では、ぷりぷりぺっさがかなり迫ってはいたものの、グランプリがラッシュボールになるだろう、ということは一目瞭然だった。昨年のミニボックスに迫るかという勢いのキレのいい素晴らしいダンスだったのだ。このままではATCのジュニアダンスコンテストもラッシュボールの勝利に終わるかもしれない。彼女らのダンスに勝てるのは、猫ひろしのダンスくらいしかないのではないか。
ダンスコンテストは午前11時から午後4時半頃まで行われていた。
今日は梅田の兎我野町ストローハットで「死を美化する為だけのブロック、そして僕は学校に爆弾を仕掛けた」と題するポエトリーディングのイベントに参加する。
司会はギリギリアウトのジャック山田氏、サブカルチャーノ−トの草壁コウジ氏、写真家の椿嬢。椿さんは和服のいでたちで雰囲気をかもしだす。
オープニングトークはこの3人のそれぞれの爆弾が爆発。死屍累々の中でイベントがはじまった。
自ら笑い転げて続きが読めない破壊的朗読を披露するネイク内氣、ポエトリーリーディングのお手本を示す純情ポエマーぶっちょカシワギ、脱臼パンクのがんぼ、エアギターを弾きまくる超絶テク野田真悟、魂のロッカー夜士郎(以上、敬称略)
多彩な人々にまじって、僕も手紙形式の詩を読む。内容は今日1日で書いたもので、言葉に特別こだわったものではない。むしろ、詩的言語を避けるように心掛けた。演出がすべてを握っているパフォーマンスをしたのだが、僕としてはけっこう満足の出来だった。当初演技でつらそうな表情や仕種をしながら読もうと思っていたが、マジで自分の書いた手紙がつらくて泣き出してしまった。演技不要だった。ありふれた内容と言葉だったが、それは手紙という形式をとったときに妙にリアリティーがあったのだ。
きっと自画自賛しないと誰もほめてくれないので、あえて書けば、すごいなー、僕って詩の天才だ、と思った。あいもかわらず、イベント後は落ち込むのだが、自分でやっていることのテイストは、とても僕好みなのだ。
絵がないと寂しいので、脱線した話に出てきたバンロッホをビジュアルとして使おう。そのために無理矢理話を脱線させたという気もするが。
昨日はキッズファッションショー、今日はキッズダンスコンテスト。
26組のユニットが2部に分けてダンスした。踊る前に、あらかじめ用意してあるPRポイントが司会者によって読み上げられ、1チーム終わるごとに、自己紹介と、審査員からのコメントがある。これはダンスするこども達にとってはうれしい構成なのではなかろうか。
1つ1つのユニットを紹介したいのだが、どうにもヒヤリングが下手で、なんというユニット名なのか、断言できないのが多くて資料としては使えない。今回もピースクラブの3強が出場しており、たまたま名前を知っていたからそれが「プリンチペッサ」「ぷりぷりぺっさ」「凸凹」だとわかるが、これがヒヤリングだけでは「プリン・ザ・ペース」「プリティ・ベーサー」「猫ロボ」なんてことになりそうだ。最近耳の調子が悪いので余計にひどい。それをふまえた上での全出場チームは、順に
第1部、オアシス、スノウブーン、ぷりぷりぺっさ、プリンプリン、ティーキッズ(これが怪しい)、プリーズ(これも怪しい)、ゲーム、ジャイブ、クーエンジェルズ(怪しい)、ラッシュボール、サンバティックキッズ(めちゃくちゃ怪しい)、プリンチペッサ、プリームス(ぐちゃぐちゃ怪しい)
第2部、ベイリーズ、ザ・ドゥードゥー、フェアリーキッズ、NTY、ファンケル(怪。そんな名前のわけない、と思う)、凸凹、ブランド嗜好(怪。こんな名前はあり得ない。聞き取れなかったと言うより、自分の字が読めない)、あーむ、リルビーラブスター(怪)、クリスタル、ミニポリン(怪)MRN、キャンディー
以上26組。特筆すべきは次の通り。
ゲームはATCで入賞の実績あり。
ザ・ドゥードゥーはヒヤリングが怪しかったが、「The DooDoo」と書いたオリジナルのTシャツをみんな着ていたので、わかった。これはアリスのドードー鳥か、バンロッホの象の名前か。そうそう、『バンロッホのはちみつ』という絵本はとても面白い。最近のキャラクターものの絵本は相田みつお風の心をくすぐる処方箋的なものが多いが(『リラックマ生活〜だらだらまいにちのすすめ』みたいな感じ)、この『バンロッホのはちみつ』はそんな上からものを見下ろして「こうしなさい」「こうすれば」みたいな説教くさい体裁をとりながら、実はもっとノンセンスな話になっているのだ。新作の『バンロッホのチューリップ』はノンセンス味は薄くなって単なる可愛くて優しくてちょっと真理に触れた気にさせる、ありきたりの絵本に近付いているような気がする。
閑話休題。ユニットの話に戻ろう。
あーむは「天夢」と書いて「あーむ」と読ませる。ハッピータイムからの参戦だ。リーダーはダンシングBANANAの長谷川唯。ダンシングBANANA新メンバーの渡辺千裕が可愛い。
フェアリーキッズは愛知県からの参加。
ジャイブは「フィーメールトラブル」の特別賞受賞チーム。
ATCのジュニアダンスコンテストにも参加し、決勝進出しているチームもいくつかある。
結果発表の前に、希望したキッズ20人によるダンスバトルと審査員もつとめたダンサーたちによる「サクラスーパーライブ」
受賞チームは次のとおり。
ベストキュート賞「ミニポリン」(怪)
ベストアート賞「フェアリーキッズ」
ベストエンターテインメント賞「ジャイブ」
審査員特別賞「ぷりぷりぺっさ」
グランプリ「ラッシュボール」
僕が見た範囲では、ぷりぷりぺっさがかなり迫ってはいたものの、グランプリがラッシュボールになるだろう、ということは一目瞭然だった。昨年のミニボックスに迫るかという勢いのキレのいい素晴らしいダンスだったのだ。このままではATCのジュニアダンスコンテストもラッシュボールの勝利に終わるかもしれない。彼女らのダンスに勝てるのは、猫ひろしのダンスくらいしかないのではないか。
ダンスコンテストは午前11時から午後4時半頃まで行われていた。
今日は梅田の兎我野町ストローハットで「死を美化する為だけのブロック、そして僕は学校に爆弾を仕掛けた」と題するポエトリーディングのイベントに参加する。
司会はギリギリアウトのジャック山田氏、サブカルチャーノ−トの草壁コウジ氏、写真家の椿嬢。椿さんは和服のいでたちで雰囲気をかもしだす。
オープニングトークはこの3人のそれぞれの爆弾が爆発。死屍累々の中でイベントがはじまった。
自ら笑い転げて続きが読めない破壊的朗読を披露するネイク内氣、ポエトリーリーディングのお手本を示す純情ポエマーぶっちょカシワギ、脱臼パンクのがんぼ、エアギターを弾きまくる超絶テク野田真悟、魂のロッカー夜士郎(以上、敬称略)
多彩な人々にまじって、僕も手紙形式の詩を読む。内容は今日1日で書いたもので、言葉に特別こだわったものではない。むしろ、詩的言語を避けるように心掛けた。演出がすべてを握っているパフォーマンスをしたのだが、僕としてはけっこう満足の出来だった。当初演技でつらそうな表情や仕種をしながら読もうと思っていたが、マジで自分の書いた手紙がつらくて泣き出してしまった。演技不要だった。ありふれた内容と言葉だったが、それは手紙という形式をとったときに妙にリアリティーがあったのだ。
きっと自画自賛しないと誰もほめてくれないので、あえて書けば、すごいなー、僕って詩の天才だ、と思った。あいもかわらず、イベント後は落ち込むのだが、自分でやっていることのテイストは、とても僕好みなのだ。
絵がないと寂しいので、脱線した話に出てきたバンロッホをビジュアルとして使おう。そのために無理矢理話を脱線させたという気もするが。
万国博覧会の美術、キッズモデル、ATCジュニアダンスコンテスト予選
2004年10月23日 アイドル大阪市立美術館に「万国博覧会の美術」を見に行った。
第1部「万国博覧会と日本工芸」第1章「万国博覧会 東西が出会った」第2章「工芸を『ART』に〜20世紀工芸への道」、第2部「万国博覧会の中の西洋美術」の構成で展示されている。
日本からは1867年パリ万博(この時は薩摩藩、佐賀藩として出品)にはじめて参加しているが、その後ジャポニズムの大流行で、日本の美術、主に工芸が脚光を浴びた。
僕は最初、展示されている作品のタイトルを見て、前売り券を買ったのは間違いだったかと不安になった。「漆塗見本額」「釉下彩切子形花瓶」「山水蒔絵鏡箱」とか、漢字ばっかりで、しかも、こんなのは物をそのまま説明しているだけで、タイトルでも何でもない。これは、とんでもなく老人趣味の退屈な展覧会なのではないか、と。
ところが実際に見てみたら、面白くて時間が足りなかった。
美術の教科書などで見知っていた高村光雲の「老猿」を恥ずかしながら初めて実際に見た。その猿の大きさにびっくりした。
いや、そんなことよりもっと驚いたのが、展示されている工芸品の数々は、とんでもない悪趣味なのだ。シカゴ・コロンブス世界博覧会会場の写真など見ると、うれしくなってくる。ジャポニズムのウルトラバロックで電波が出まくっている。宮川香山の「褐釉蟹貼付台付鉢」は重要文化財だが、鉢にリアルなでかい蟹が貼り付いているのだ。何のために?
これは日本文化に詳しいワビサビ爺やカルチャー婆あの領分じゃない、サブカルチャーや鬼畜にきわめて近い美意識だ、と飲み込んでからは、もう、何を見ても面白い。
身長より背の高い花瓶を見れば「ここに何を生けろというのか」と笑い、竜や唐獅子がくっついた器を見ても今で言うキャラクター商品にしか見えず、竜の置き物の足や首が自在に動くのを見て、「可動式だ!」とフィギュアと同じ見方をしたり。
ただ、そんなスケールの大きな悪趣味は江戸時代、明治時代初期のものが多く、時代が新しくなってくると、カルチャー婆あや蘊蓄爺の領域に接近してくる。
江戸時代って、詳しく調べてみるともっと面白いのかもしれない。
大阪万博のコーナーもあり、これはリアルタイムで見に行っているだけに、懐かしくて面白かった。坂本九の「世界の国からこんにちは」のカップリングが奥村チヨの「堂島」という歌で、これは堂島地下センターの歌なのだ。聞きたい!(そのレコードが展示されていたのだ)
あべの近鉄に行って、キッズモデル握手会&撮影会を見学する。参加できるのは女の子だけだったので、横から見ただけだが、その可愛さは眼福に値した。来場したのは佐久間信子、有紗、森絵梨佳、今井春奈、倉田夏実。有紗はマクドナルドのハッピーセット、エンジェルブルーの玩具がついたときのコマーシャルに店員役で出ていた子。てれび戦士とか、セーラームーンの黒木ミオ(悪役だった)。そして、なんとお客さまモデルで、ピチレモンの読者モデルオーディションで準グランプリをとった高野瞳ちゃんも、お客さんとして参加し、モデルの子たちと一緒に写真を撮ってもらっていた。高野瞳ちゃんは今日来たモデルさんたちと比べても遜色ないくらいに可愛いのだ。かかっていた曲はピポ☆エンジェル。
あと、出来たばっかりのコスメティックパーラーとか、いろいろキュートな商品を見て回る。明日もキッズイベントとして、ミニKやメゾピアノのキャラクターのぬいぐるみと写真撮影とか、フーセンウサギのラビンちゃんが風船配ったりしているそうだ。日参したいが、別件もある。さて。
ATCのジュニアダンスコンテストの予選2日めを見に行く。今日の出場は48組。多い!
決勝は11月なので、ユニット紹介などの詳しい情報はそっちに譲って、今日は目についたことを書いておこう。
審査員が、アップフロントの人だった。ハロプロ関係のライブやイベントでよく見かける村野武範似の人だ。
48組中、予選を通過し、決勝に駒を進めたのは半分の24組。
キューブリックはESSEの子たち。少年CPにも出ていた。これは順当なところ。
アインスクリームはwestのユニットでこれも何度も入賞している実力派。
スペクタクルはひらパーでのダンスコンテストで準グランプリをとっている。
パワフルエンジェルも同コンテストでESSE賞をとったユニット。
釈迦莉希もアピ−ル賞をとっていた。
ぷりぷりぺっさ、凸凹、プリンチペッサの3組はピースクラブの3強。みんな決勝に残った。
うむむ、決勝は天下一武道会の様相を呈してきたぞ。
明日も鶴見はなぽーとブロッサムでキッズダンスコンテストなのだ。
そうそう、兎我野町のストローハットでポエトリーリーディングだった。
詩を書いていると、せつなくなってくる。
それより、ここずっと鼻血がよく出るのだが、どういうことだ。寝て起きたら鼻の中に血のかたまりがあることなど、毎日だ。鼻血を見ない1日など考えられない。大量には出ていないのでいいか。
第1部「万国博覧会と日本工芸」第1章「万国博覧会 東西が出会った」第2章「工芸を『ART』に〜20世紀工芸への道」、第2部「万国博覧会の中の西洋美術」の構成で展示されている。
日本からは1867年パリ万博(この時は薩摩藩、佐賀藩として出品)にはじめて参加しているが、その後ジャポニズムの大流行で、日本の美術、主に工芸が脚光を浴びた。
僕は最初、展示されている作品のタイトルを見て、前売り券を買ったのは間違いだったかと不安になった。「漆塗見本額」「釉下彩切子形花瓶」「山水蒔絵鏡箱」とか、漢字ばっかりで、しかも、こんなのは物をそのまま説明しているだけで、タイトルでも何でもない。これは、とんでもなく老人趣味の退屈な展覧会なのではないか、と。
ところが実際に見てみたら、面白くて時間が足りなかった。
美術の教科書などで見知っていた高村光雲の「老猿」を恥ずかしながら初めて実際に見た。その猿の大きさにびっくりした。
いや、そんなことよりもっと驚いたのが、展示されている工芸品の数々は、とんでもない悪趣味なのだ。シカゴ・コロンブス世界博覧会会場の写真など見ると、うれしくなってくる。ジャポニズムのウルトラバロックで電波が出まくっている。宮川香山の「褐釉蟹貼付台付鉢」は重要文化財だが、鉢にリアルなでかい蟹が貼り付いているのだ。何のために?
これは日本文化に詳しいワビサビ爺やカルチャー婆あの領分じゃない、サブカルチャーや鬼畜にきわめて近い美意識だ、と飲み込んでからは、もう、何を見ても面白い。
身長より背の高い花瓶を見れば「ここに何を生けろというのか」と笑い、竜や唐獅子がくっついた器を見ても今で言うキャラクター商品にしか見えず、竜の置き物の足や首が自在に動くのを見て、「可動式だ!」とフィギュアと同じ見方をしたり。
ただ、そんなスケールの大きな悪趣味は江戸時代、明治時代初期のものが多く、時代が新しくなってくると、カルチャー婆あや蘊蓄爺の領域に接近してくる。
江戸時代って、詳しく調べてみるともっと面白いのかもしれない。
大阪万博のコーナーもあり、これはリアルタイムで見に行っているだけに、懐かしくて面白かった。坂本九の「世界の国からこんにちは」のカップリングが奥村チヨの「堂島」という歌で、これは堂島地下センターの歌なのだ。聞きたい!(そのレコードが展示されていたのだ)
あべの近鉄に行って、キッズモデル握手会&撮影会を見学する。参加できるのは女の子だけだったので、横から見ただけだが、その可愛さは眼福に値した。来場したのは佐久間信子、有紗、森絵梨佳、今井春奈、倉田夏実。有紗はマクドナルドのハッピーセット、エンジェルブルーの玩具がついたときのコマーシャルに店員役で出ていた子。てれび戦士とか、セーラームーンの黒木ミオ(悪役だった)。そして、なんとお客さまモデルで、ピチレモンの読者モデルオーディションで準グランプリをとった高野瞳ちゃんも、お客さんとして参加し、モデルの子たちと一緒に写真を撮ってもらっていた。高野瞳ちゃんは今日来たモデルさんたちと比べても遜色ないくらいに可愛いのだ。かかっていた曲はピポ☆エンジェル。
あと、出来たばっかりのコスメティックパーラーとか、いろいろキュートな商品を見て回る。明日もキッズイベントとして、ミニKやメゾピアノのキャラクターのぬいぐるみと写真撮影とか、フーセンウサギのラビンちゃんが風船配ったりしているそうだ。日参したいが、別件もある。さて。
ATCのジュニアダンスコンテストの予選2日めを見に行く。今日の出場は48組。多い!
決勝は11月なので、ユニット紹介などの詳しい情報はそっちに譲って、今日は目についたことを書いておこう。
審査員が、アップフロントの人だった。ハロプロ関係のライブやイベントでよく見かける村野武範似の人だ。
48組中、予選を通過し、決勝に駒を進めたのは半分の24組。
キューブリックはESSEの子たち。少年CPにも出ていた。これは順当なところ。
アインスクリームはwestのユニットでこれも何度も入賞している実力派。
スペクタクルはひらパーでのダンスコンテストで準グランプリをとっている。
パワフルエンジェルも同コンテストでESSE賞をとったユニット。
釈迦莉希もアピ−ル賞をとっていた。
ぷりぷりぺっさ、凸凹、プリンチペッサの3組はピースクラブの3強。みんな決勝に残った。
うむむ、決勝は天下一武道会の様相を呈してきたぞ。
明日も鶴見はなぽーとブロッサムでキッズダンスコンテストなのだ。
そうそう、兎我野町のストローハットでポエトリーリーディングだった。
詩を書いていると、せつなくなってくる。
それより、ここずっと鼻血がよく出るのだが、どういうことだ。寝て起きたら鼻の中に血のかたまりがあることなど、毎日だ。鼻血を見ない1日など考えられない。大量には出ていないのでいいか。
ホーンテッドマンション、日本橋の憂鬱
2004年10月22日 映画
交通科学博物館で月に2回ほど映画を上映している。今日はエディ・マーフィー主演の「ホーンテッド・マンション」を上映していたので見に行った。「スチュアート・リトル」のロブ・ミンコフ監督。テレンス・スタンプが無気味な執事をお手本のように演じている。
これはディズニーランドのアトラクションをもとにした映画で、ホーンテッド・マンションに入ったことのある人なら、「あっ、あの幽霊が出ている」とかおなじみのシーン、シチュエーションがいっぱい出てくる。ストーリーはありがちだが、ディズニーのアトラクションものだから、最初からファミリー向けだと割り切って見るので、ストーリーなんかなくてもいいくらいなのだ。ただ、どうでもいいと言いながら、ハリウッド映画って、どうして仕事に生きる人の邪魔をして、家族サービスさせたがるのだろう、といらいらした。仕事や革命などに命をかけようとする人生を、家族は破壊しようと手ぐすねひいているのだ。アメリカは家族の絆を重視して、異物を排除するような映画ばかり撮らず、たまにはイスラムなど異文化にも理解を示すような内容で映画を作ればいいのに。インディアン殺して国を作ったような輩には無理か。
それはさておき、この映画見ていると、ディズニ−ランドに行きたくなってきた。今度ディズニ−ランドに行ったら、親近感の湧いた水晶の玉に会いたい。ディズニ−ランドというと、知識人には妙に敵対視されている。それがおかしくて、僕はあえてディズニーをファッションのどこかに取り入れようと心がけている。世界のディズニ−ランド化とか、マクドナルド化、なんて言う言葉を聞くと、ディズニ−ランドに行き、マクドナルドに毎日通いたくなってくる。スローフードなんて糞くらえだ。
深夜にラジオ「ハロプロやねん」メロン記念日の進行。
まずみんなの着信音、まさおと瞳はメロン記念日の曲。村田めぐみはチャゲアス、柴田は村田めぐみの声。「電話だヨー」と調子っぱずれの声で。
かかった曲は「シャンパンの恋」とカップリングの「恋の仕組み」
ハロプロナンバ−ワンは「一番寝相が悪そうな人」。大谷雅恵もそうとうだが、一番は藤本美貴に決定した。
24日に兎我野町でポエトリーリーディングのイベントに参加する。
詩をいくつか用意しようと思っているが、間に合うかどうか。
ボードレールの『巴里の憂鬱』を読んで、それを自分の住んでいる街にあてはめてみようか、とする試みにとりかかっている。それぞれの題名をそのまま残して、今の日本橋を描くのだ。
「異人さん」はわかりやすい。日本橋にはアジアの人々が住人としても客としても多数いるのだ。僕の住んでいるマンションの前など、アジアからの団体さんのバスの発着場所になっているくらいだ。それについての思いもある。
「老婆の絶望」は予約録画もろくに出来ない老人と電気屋街の対比で描ける。これも、ふだんからよく思っていることだ。
「芸術家の告白」は食うために芸術を捨てたり歪めたりするアーチストを描く。道ばたでギャラリーの絵葉書を配る人には要注意。えんえんとギャラリーに入れ、あげくのはてには絵を買えと押し付けてくる。幸いにも、僕は普段の格好が格好のせいか、あまり絵葉書を手渡されることはない。いや、絵葉書もらって、相手の手にギリギリまで乗ってみたいので、不幸にも、と言うのが正解か。
「剽軽者」は着ぐるみの中の悪意。パンダの着ぐるみが店頭で楽しそうにこどもとジャンケンしている姿をよく見るが、本当は何を考えているのか。パンダは可愛いとか言われているが、猛獣だ。着ぐるみのパンダだって猛獣じゃないのか。
うむ。日本橋を舞台にして、ふだんから自分が思っていたことを表現することができる。
ただ問題は『巴里の憂鬱』を下敷きにしていることを明らかにした上ではじめて面白みの出る詩群なので、ポエトリーリーディングには不向きな着想だということだ。
まあ、こっちの作業は徐々に進めるとして、24日は別の詩を読むことにしよう。
これはディズニーランドのアトラクションをもとにした映画で、ホーンテッド・マンションに入ったことのある人なら、「あっ、あの幽霊が出ている」とかおなじみのシーン、シチュエーションがいっぱい出てくる。ストーリーはありがちだが、ディズニーのアトラクションものだから、最初からファミリー向けだと割り切って見るので、ストーリーなんかなくてもいいくらいなのだ。ただ、どうでもいいと言いながら、ハリウッド映画って、どうして仕事に生きる人の邪魔をして、家族サービスさせたがるのだろう、といらいらした。仕事や革命などに命をかけようとする人生を、家族は破壊しようと手ぐすねひいているのだ。アメリカは家族の絆を重視して、異物を排除するような映画ばかり撮らず、たまにはイスラムなど異文化にも理解を示すような内容で映画を作ればいいのに。インディアン殺して国を作ったような輩には無理か。
それはさておき、この映画見ていると、ディズニ−ランドに行きたくなってきた。今度ディズニ−ランドに行ったら、親近感の湧いた水晶の玉に会いたい。ディズニ−ランドというと、知識人には妙に敵対視されている。それがおかしくて、僕はあえてディズニーをファッションのどこかに取り入れようと心がけている。世界のディズニ−ランド化とか、マクドナルド化、なんて言う言葉を聞くと、ディズニ−ランドに行き、マクドナルドに毎日通いたくなってくる。スローフードなんて糞くらえだ。
深夜にラジオ「ハロプロやねん」メロン記念日の進行。
まずみんなの着信音、まさおと瞳はメロン記念日の曲。村田めぐみはチャゲアス、柴田は村田めぐみの声。「電話だヨー」と調子っぱずれの声で。
かかった曲は「シャンパンの恋」とカップリングの「恋の仕組み」
ハロプロナンバ−ワンは「一番寝相が悪そうな人」。大谷雅恵もそうとうだが、一番は藤本美貴に決定した。
24日に兎我野町でポエトリーリーディングのイベントに参加する。
詩をいくつか用意しようと思っているが、間に合うかどうか。
ボードレールの『巴里の憂鬱』を読んで、それを自分の住んでいる街にあてはめてみようか、とする試みにとりかかっている。それぞれの題名をそのまま残して、今の日本橋を描くのだ。
「異人さん」はわかりやすい。日本橋にはアジアの人々が住人としても客としても多数いるのだ。僕の住んでいるマンションの前など、アジアからの団体さんのバスの発着場所になっているくらいだ。それについての思いもある。
「老婆の絶望」は予約録画もろくに出来ない老人と電気屋街の対比で描ける。これも、ふだんからよく思っていることだ。
「芸術家の告白」は食うために芸術を捨てたり歪めたりするアーチストを描く。道ばたでギャラリーの絵葉書を配る人には要注意。えんえんとギャラリーに入れ、あげくのはてには絵を買えと押し付けてくる。幸いにも、僕は普段の格好が格好のせいか、あまり絵葉書を手渡されることはない。いや、絵葉書もらって、相手の手にギリギリまで乗ってみたいので、不幸にも、と言うのが正解か。
「剽軽者」は着ぐるみの中の悪意。パンダの着ぐるみが店頭で楽しそうにこどもとジャンケンしている姿をよく見るが、本当は何を考えているのか。パンダは可愛いとか言われているが、猛獣だ。着ぐるみのパンダだって猛獣じゃないのか。
うむ。日本橋を舞台にして、ふだんから自分が思っていたことを表現することができる。
ただ問題は『巴里の憂鬱』を下敷きにしていることを明らかにした上ではじめて面白みの出る詩群なので、ポエトリーリーディングには不向きな着想だということだ。
まあ、こっちの作業は徐々に進めるとして、24日は別の詩を読むことにしよう。
リチャード・ヘルの『GO NOW』を読んだ。
あのニューヨーク・パンクのリチャード・ヘルだ。
ブランク・ジェネレーションのリチャード・ヘルだ。
CBGBで人気を博した、ヴォイドイズのリチャード・ヘルだ。
CBGBって、「カントリー、ブルーグラス、ブルース」の頭文字をとって店名にしたところなのに、あんなパンクで大人気を得るって、すごい。
この本は自伝的な小説で、ヘロイン中毒の伝説的パンクロッカーが『アメリカぶらり旅』(かってに今考えた)を執筆するために出かけた旅日記の体裁をとっている。
主人公の男は、作中の言葉を使うと「ヘロインを止めようともがくジャンキー、飲んだくれの能なし、子どもっぽい自己食い人種、プロの神経破壊者、糞ったれ、錆びついた自転車」いかに表現を変えようと、要するに人間の屑だ。貧乏で、金を借りてはドラッグに費やしてしまうし、女と見るとすぐに手を出す。あげくのはてには親戚のおばさんにまで手を出し、彼女に見つかり愛想をつかされる。彼の無茶苦茶な生き方と自己嫌悪と禁断症状が描かれる。彼の行く道には光は見えない。
でも、このての自分を制御できない物語を好む読者もいるのだろう。
いったいどうなっているのか。
自己について思うことができるのを動物と峻別する人間の特徴とした場合、この主人公のような自己憎悪と自己憐憫と後悔に満ちた毎日は地獄だろう。この本の主人公のような人間なら動物の方が存在として良さそうに思うが、どうだろう。ハイデガーによると動物に固有の存在様式は「放心」なのだそうだ。さんざん悩んだり修行したりして得られた悟りの境地が、たとえば動物のように何も考えずに生きることだったとして、じゃあ、動物は悟りの境地にあるすぐれた存在なのかと言うと、それは違う。動物には悟りもへったくれもないのだ。とか、今読んでいる本に影響された感想を書いてしまった。
この『GO NOW』はとことん情けない話だが、面白い文章が多数含まれている。いくつか抜粋しておこう。
(観客評)
「観客ほど俺を狼狽させる存在はない。固定ファン以外の層にウケ出してからずっと俺は困惑していた。なぜ奴らがそこにいるのか、全然分からなかった。その疑念を音楽に生かすことも考えたが、俺には、連中を嘲笑し、貶めてやることぐらいしか想いつかなかった。要するに奴らは馬鹿だし、くだらない。・・・じゃあ、俺はどうすればいいわけ?心を入れ替えて連中の比較的まともな層に訴える努力を続けていくのか。あるいは迎合してポン引きロッカーに身をやつし、一緒に馬鹿になるのか」
(ボードレール評)
「醜く、ひねくれている。しかもかなり絶望的に。おまけにバイタリティに欠けていたから、いつも打ちひしがれ、世に送り出した作品は未完成か、ボードレールのアイドルだったポーとかの不器用な模倣でしかなかった。だが、彼は自分自身には決して嘘をつかなかった。頭も良かったし意志力もあったから、その哀れな脆弱さを美徳として詩人としての評価を得た。その弱点を目標とアイデンティティーにできた」
(抱きたくない女)
「彼女は体臭がきつくて、しかもそれを隠そうと香水をつけるからよけいに臭かった。で、あっちの方はというと、がっしりとした恥骨の下のマンコはゆるゆるで、小便とカビの臭いがした。大きなおっぱいはトウモロコシ粥のようにどろどろで、平べったい茶色の乳首から2、3本長い堅い毛が突き出ている。正直なところ、静電気の固まりとセックスしているようだった」
(ドラッグの真実)
「私が我慢ならないのは、ヘロイン常用が、あなたが自分自身を嫌いになるように仕向けることなの」
「ドラッグのオーバードーズが怖いのは、この世界に意味深さ、読み解くべきメッセージを与えてしまうことなんだ」
あのニューヨーク・パンクのリチャード・ヘルだ。
ブランク・ジェネレーションのリチャード・ヘルだ。
CBGBで人気を博した、ヴォイドイズのリチャード・ヘルだ。
CBGBって、「カントリー、ブルーグラス、ブルース」の頭文字をとって店名にしたところなのに、あんなパンクで大人気を得るって、すごい。
この本は自伝的な小説で、ヘロイン中毒の伝説的パンクロッカーが『アメリカぶらり旅』(かってに今考えた)を執筆するために出かけた旅日記の体裁をとっている。
主人公の男は、作中の言葉を使うと「ヘロインを止めようともがくジャンキー、飲んだくれの能なし、子どもっぽい自己食い人種、プロの神経破壊者、糞ったれ、錆びついた自転車」いかに表現を変えようと、要するに人間の屑だ。貧乏で、金を借りてはドラッグに費やしてしまうし、女と見るとすぐに手を出す。あげくのはてには親戚のおばさんにまで手を出し、彼女に見つかり愛想をつかされる。彼の無茶苦茶な生き方と自己嫌悪と禁断症状が描かれる。彼の行く道には光は見えない。
でも、このての自分を制御できない物語を好む読者もいるのだろう。
いったいどうなっているのか。
自己について思うことができるのを動物と峻別する人間の特徴とした場合、この主人公のような自己憎悪と自己憐憫と後悔に満ちた毎日は地獄だろう。この本の主人公のような人間なら動物の方が存在として良さそうに思うが、どうだろう。ハイデガーによると動物に固有の存在様式は「放心」なのだそうだ。さんざん悩んだり修行したりして得られた悟りの境地が、たとえば動物のように何も考えずに生きることだったとして、じゃあ、動物は悟りの境地にあるすぐれた存在なのかと言うと、それは違う。動物には悟りもへったくれもないのだ。とか、今読んでいる本に影響された感想を書いてしまった。
この『GO NOW』はとことん情けない話だが、面白い文章が多数含まれている。いくつか抜粋しておこう。
(観客評)
「観客ほど俺を狼狽させる存在はない。固定ファン以外の層にウケ出してからずっと俺は困惑していた。なぜ奴らがそこにいるのか、全然分からなかった。その疑念を音楽に生かすことも考えたが、俺には、連中を嘲笑し、貶めてやることぐらいしか想いつかなかった。要するに奴らは馬鹿だし、くだらない。・・・じゃあ、俺はどうすればいいわけ?心を入れ替えて連中の比較的まともな層に訴える努力を続けていくのか。あるいは迎合してポン引きロッカーに身をやつし、一緒に馬鹿になるのか」
(ボードレール評)
「醜く、ひねくれている。しかもかなり絶望的に。おまけにバイタリティに欠けていたから、いつも打ちひしがれ、世に送り出した作品は未完成か、ボードレールのアイドルだったポーとかの不器用な模倣でしかなかった。だが、彼は自分自身には決して嘘をつかなかった。頭も良かったし意志力もあったから、その哀れな脆弱さを美徳として詩人としての評価を得た。その弱点を目標とアイデンティティーにできた」
(抱きたくない女)
「彼女は体臭がきつくて、しかもそれを隠そうと香水をつけるからよけいに臭かった。で、あっちの方はというと、がっしりとした恥骨の下のマンコはゆるゆるで、小便とカビの臭いがした。大きなおっぱいはトウモロコシ粥のようにどろどろで、平べったい茶色の乳首から2、3本長い堅い毛が突き出ている。正直なところ、静電気の固まりとセックスしているようだった」
(ドラッグの真実)
「私が我慢ならないのは、ヘロイン常用が、あなたが自分自身を嫌いになるように仕向けることなの」
「ドラッグのオーバードーズが怖いのは、この世界に意味深さ、読み解くべきメッセージを与えてしまうことなんだ」
近藤史恵の『二人道成寺』を読んだ。歌舞伎の世界を舞台にして起こる謎解き物語。
と、言っても殺人事件が起こって密室の謎を解く、という類いのものではなく、男女の愛憎の不思議を解くのだ。文章はわかりやすく、感情の動きも自然なので、とても読みやすかった。ネタバレするので、未読の人は要注意。
歌舞伎役者の妻が火事で意識不明になる。歌舞伎役者とそのライバルがからんで、実は妻はライバルと不倫していて、それが原因で役者が妻を亡きものにしようとしたのではないか、と疑念が湧く。その後、役者がゲイであることが判明し、憶測は錯綜する。
役者同士の感情の機微、男女の恋愛の機微をやさしくていねいに解きあかしていく文章は、読んでいて心地よい。
結局、妻は女性を愛せない役者を、それでも愛してしまう、不可能な愛に生きたことが判明する。特別に悪意をもった人間がからんだ犯罪劇ではなかったのだ。
近藤史恵は巻末のインタビューによると、関西で月蝕歌劇団に在籍していたそうだ。ということは、僕は舞台上の近藤史恵を見ていることになる。かつては月蝕歌劇団も大阪でも公演があり、必ず見に行っていたし、役者さんと知り合いでもあった。そう言えば、彼女も能楽をたしなむ人だ。第一生命のリボンの騎士風田中麗奈をコマーシャルで見るたびに、彼女のことを思い出す。ちょうど役柄もそんな感じのを見たのだ。
録画しておいたパンクラス10月12日後楽園ホールを見た。打撃なしのキャッチレスリングルールで、矢野卓見(エセ骨法と書いたパンツをはいている)の闘いぶりには大爆笑した。実況アナウンスでも「なんじゃこりゃ?」と大声をあげていた。ゴロンと寝転んで相手に自由に攻めさせるのだ。そんな異次元戦法で勝ってしまうので、矢野の試合は見逃せない。
と、言っても殺人事件が起こって密室の謎を解く、という類いのものではなく、男女の愛憎の不思議を解くのだ。文章はわかりやすく、感情の動きも自然なので、とても読みやすかった。ネタバレするので、未読の人は要注意。
歌舞伎役者の妻が火事で意識不明になる。歌舞伎役者とそのライバルがからんで、実は妻はライバルと不倫していて、それが原因で役者が妻を亡きものにしようとしたのではないか、と疑念が湧く。その後、役者がゲイであることが判明し、憶測は錯綜する。
役者同士の感情の機微、男女の恋愛の機微をやさしくていねいに解きあかしていく文章は、読んでいて心地よい。
結局、妻は女性を愛せない役者を、それでも愛してしまう、不可能な愛に生きたことが判明する。特別に悪意をもった人間がからんだ犯罪劇ではなかったのだ。
近藤史恵は巻末のインタビューによると、関西で月蝕歌劇団に在籍していたそうだ。ということは、僕は舞台上の近藤史恵を見ていることになる。かつては月蝕歌劇団も大阪でも公演があり、必ず見に行っていたし、役者さんと知り合いでもあった。そう言えば、彼女も能楽をたしなむ人だ。第一生命のリボンの騎士風田中麗奈をコマーシャルで見るたびに、彼女のことを思い出す。ちょうど役柄もそんな感じのを見たのだ。
録画しておいたパンクラス10月12日後楽園ホールを見た。打撃なしのキャッチレスリングルールで、矢野卓見(エセ骨法と書いたパンツをはいている)の闘いぶりには大爆笑した。実況アナウンスでも「なんじゃこりゃ?」と大声をあげていた。ゴロンと寝転んで相手に自由に攻めさせるのだ。そんな異次元戦法で勝ってしまうので、矢野の試合は見逃せない。
42.195〜すべては始めから不可能だった
2004年10月19日 読書
倉阪鬼一郎の『42.195〜すべては始めから不可能だった』を読んだ。
無名のマラソン選手の子供が誘拐される。犯人の要求はマラソン大会で2時間12分以内にゴールすること。
誘拐犯人の謎の目的、警察の対応、サスペンスあふれる(でも、ごくありふれた)推理小説のように一見、思える。
僕などは、これは読者参加のリアルタイム小説で、2時間12分以内に読まねばならないのか、と一瞬ヒヤリとした。筒井康隆の『虚人たち』に似た試みなのか、と。新幹線の東京、大阪間で読み切るようなくらいのノベルスの薄さなのだ。でも僕の読書力では2時間12分では半分も読めない。まいりました、と降参しかけたら、マラソンは無事に70ページほどで終わった。
そして誘拐がからむ第二のマラソンがはじまった。犯人の要求は、高価なイヤリングをつけて走ること。競技の途中で犯人からの要求が次々とランナーに告げられる。
誘拐サスペンスの優れた(でも、ごくありふれた)推理小説のように一見、思える。
しかし、この小説は一筋縄ではいかなかった。
途中、「給水ポイント」と称して、作者からのヒントが与えられる。
「マラソンに参加している選手は犯人ではないので容疑からはずしてもよい」とか、「警察関係者は犯人ではない」とか「ヒントは既に出ている」みたいなことをいろいろ教えてくれる。
この趣向は、カーが『九つの答』や『読者よ欺かるるなかれ』でとった手法で、これは何か期待させる。昨日読んだ西澤保彦があとがきで論理のアクロバットの例として挙げていた都筑道夫の『七十五羽の烏』でも、この趣向を使っていた。
で、読後、「うわー、これはまさにカーだ!」と叫ぶことになる。
まさに人をくった趣向がなされていた。いかにも読者が注意を向けそうな怪しい行動が、じつは何でもない描写だと判明したり、なんじゃこりゃ、な真相が待っていたり。誘拐とマラソン、といういかにも中堅推理小説っぽいお膳立てから、こんな突拍子もない結末を誰が予想できるだろう。
サブタイトルの「すべては始めから不可能だった」は、読者の叫びだったのか、とわかる。
作者としてはフェアにすべてヒントを書いているのだが、ここは素直に騙されるのが楽しい。今年屈指の問題作だろう。
そうそう、昨日書き忘れたこと。『パズラー』の解説を貫井徳郎が執筆しているが、ほめ過ぎだ。むしろ悪意すら感じるほめっぷりに読んでいて笑ってしまった。作品以上に必読かも。
今日は行きたい場所が2つほどあったのだが、台風接近で雨がふっているので、延期した。外出しての会話は主にイベント後の自殺について。
録画しておいたアニメ「げんしけん」や「ムスメット」などを見ると、オタクって面白そうだな、と思う。オタクの人々はこれらのアニメをどう評価しているのだろう。
無名のマラソン選手の子供が誘拐される。犯人の要求はマラソン大会で2時間12分以内にゴールすること。
誘拐犯人の謎の目的、警察の対応、サスペンスあふれる(でも、ごくありふれた)推理小説のように一見、思える。
僕などは、これは読者参加のリアルタイム小説で、2時間12分以内に読まねばならないのか、と一瞬ヒヤリとした。筒井康隆の『虚人たち』に似た試みなのか、と。新幹線の東京、大阪間で読み切るようなくらいのノベルスの薄さなのだ。でも僕の読書力では2時間12分では半分も読めない。まいりました、と降参しかけたら、マラソンは無事に70ページほどで終わった。
そして誘拐がからむ第二のマラソンがはじまった。犯人の要求は、高価なイヤリングをつけて走ること。競技の途中で犯人からの要求が次々とランナーに告げられる。
誘拐サスペンスの優れた(でも、ごくありふれた)推理小説のように一見、思える。
しかし、この小説は一筋縄ではいかなかった。
途中、「給水ポイント」と称して、作者からのヒントが与えられる。
「マラソンに参加している選手は犯人ではないので容疑からはずしてもよい」とか、「警察関係者は犯人ではない」とか「ヒントは既に出ている」みたいなことをいろいろ教えてくれる。
この趣向は、カーが『九つの答』や『読者よ欺かるるなかれ』でとった手法で、これは何か期待させる。昨日読んだ西澤保彦があとがきで論理のアクロバットの例として挙げていた都筑道夫の『七十五羽の烏』でも、この趣向を使っていた。
で、読後、「うわー、これはまさにカーだ!」と叫ぶことになる。
まさに人をくった趣向がなされていた。いかにも読者が注意を向けそうな怪しい行動が、じつは何でもない描写だと判明したり、なんじゃこりゃ、な真相が待っていたり。誘拐とマラソン、といういかにも中堅推理小説っぽいお膳立てから、こんな突拍子もない結末を誰が予想できるだろう。
サブタイトルの「すべては始めから不可能だった」は、読者の叫びだったのか、とわかる。
作者としてはフェアにすべてヒントを書いているのだが、ここは素直に騙されるのが楽しい。今年屈指の問題作だろう。
そうそう、昨日書き忘れたこと。『パズラー』の解説を貫井徳郎が執筆しているが、ほめ過ぎだ。むしろ悪意すら感じるほめっぷりに読んでいて笑ってしまった。作品以上に必読かも。
今日は行きたい場所が2つほどあったのだが、台風接近で雨がふっているので、延期した。外出しての会話は主にイベント後の自殺について。
録画しておいたアニメ「げんしけん」や「ムスメット」などを見ると、オタクって面白そうだな、と思う。オタクの人々はこれらのアニメをどう評価しているのだろう。
あン時ゃどしゃ降り、男のブルース、パズラー 謎と論理のエンタテインメント
2004年10月18日 映画
HELP!のイベントで育成するアイドルのために、PV作りを考えている。
その参考になれば、と思って、歌謡曲をテーマにした映画を見ることにした。
園まりの「夢は夜ひらく」を見たのに影響されているようだ。
まずは森永健次郎監督の「あン時ゃどしゃ降り」(1958年)を見た。春日八郎の同名曲をテーマにした映画だ。
主人公の青山恭二は前科者だが、今は更生してタクシー運転手として働いている。好きになった女性がなんと彼に手錠をかけた刑事の娘だったところから、葛藤が生まれる。春日八郎は主人公の同僚として、兄貴役を見事に演じている。主人公が女性とはじめて会うのがどしゃ降りの日で、最後にハッピーエンドを迎えるのもどしゃ降りの日。歌とストーリーがちゃんとリンクしているのが、PVっぽい。
なお、この映画には「千葉麗子」という女優さんが出演しているが、チバレイとは同名異人だろう。(言うまでもない!)
次に見たのが、同じく森永監督の「男のブルース」これも1958年の作品。
なんと主人公はまたしても青山恭二。三船浩の曲をテーマにしている。三船浩ももちろん出演しているが、特に重要ではない役どころだった。春日八郎とは違って演技は苦手のようだ。ただ、柔道をするシーンは堂に入っており、受け身もほれぼれとするうまさだった。当時の男子はたいてい柔道や剣道はできたものだと思うが、それにしても、お見事だった。
この映画では海の男、密漁が描かれており、犯罪を防ぎ、あばいてめでたしめでたしとなるのは同じパターン。
森永健次郎監督は「月がとっても青いから」とか「君恋し」「恋人をさがそう」など、歌謡映画を多数撮っている。今で言うMTVの売れっ子監督なのか。
さて、2本映画見たところでアイドルのPVに何か参考になったかと言うと、よくわからない。映画は楽しかったけど、PVとは関係なかったな、と思った。
西澤保彦の『パズラー 謎と論理のエンタテインメント』を読んだ。
いろんなところに掲載された短編を集めたもの。二転三転する推理。
西澤作品は一般に「妄想推理系」と呼ばれているらしい。わずかなデータから推理を展開していくところから、そう言われているのだろう。僕が名付けるなら、「推理小説」ならぬ「憶測小説」だ。データが少ない分、それをとんでもない真相に結び付けたり、推理の可能性の膨大な提示による眩暈を現出することが可能だ。しかし、西澤は、そんな読者に媚びた作品を書いていない。妄想推理と銘打つなら、一見して思い付く解釈、逆転推理、突拍子もない無理筋、意外で論理的な真相の少なくとも4つを提示しなくてはならない。西澤はそんなことにはおかまいなく、ほぼ同列の推理を複数提示し、最後にそれらとは違う視点の推理を出してきて、それを真相として話を終えてしまう。
本書の「アリバイ・ジ・アンビバレンス」を例にとると、自首した女性はアリバイがあるので犯人ではない。なぜ自首したのか、という謎に、主人公たちは「誰かを庇っているからだ」とまず決めつける。そしてだれを庇っているかについて、父親説をえんえんと展開したあとで、「わかった、父親じゃなくて彼氏を庇っているんだ」と、今度は恋人説を展開する。最後に、誰かを庇っていたわけではない推理が出されて幕になる。読者としては、最初から「それは違うだろう」とわかりきっている推理をいくつか読まされて、真相に至るので、「遠回り小説」と言ってもいいだろう。二転三転する推理もそれぞれがほぼ等価で、他の可能性を消去するわけでもない。
あとがきで西澤は「論理のアクロバットを狙った」と言っているが、タイトルも含めて、これは何かの皮肉か叙述のトリックではないか、と感じた。西澤作品に論理はないのだ。本書は推理井戸端会議とでも言うべき「憶測小説」の醍醐味を存分に味わえる格好のサンプルだ。本当に意外な真相はまた別にある、問題編として読むことも可能だと思う。
今日から「忠臣蔵」がはじまった。第1回を見て、やっぱり吉良にキレたのは浅野の浅さだと思った。あの程度のことでキレるようではダメだ。と、いうことは赤穂浪士の討ち入りは単なる逆恨みだという暫定的な結論なのだが、それが今後の展開で、いかに吉良を憎い相手として描くことができるか、楽しみだ。
「ブラックジャック」第2回、手塚眞が監督なので、1回目のスペシャルも見たかったのだが、長距離バスの車中だったので見逃している。ごく普通に面白かったので、今後も見ることにしよう。手塚治虫だと言うだけで自動的に見ることに決めているわけだが。
その参考になれば、と思って、歌謡曲をテーマにした映画を見ることにした。
園まりの「夢は夜ひらく」を見たのに影響されているようだ。
まずは森永健次郎監督の「あン時ゃどしゃ降り」(1958年)を見た。春日八郎の同名曲をテーマにした映画だ。
主人公の青山恭二は前科者だが、今は更生してタクシー運転手として働いている。好きになった女性がなんと彼に手錠をかけた刑事の娘だったところから、葛藤が生まれる。春日八郎は主人公の同僚として、兄貴役を見事に演じている。主人公が女性とはじめて会うのがどしゃ降りの日で、最後にハッピーエンドを迎えるのもどしゃ降りの日。歌とストーリーがちゃんとリンクしているのが、PVっぽい。
なお、この映画には「千葉麗子」という女優さんが出演しているが、チバレイとは同名異人だろう。(言うまでもない!)
次に見たのが、同じく森永監督の「男のブルース」これも1958年の作品。
なんと主人公はまたしても青山恭二。三船浩の曲をテーマにしている。三船浩ももちろん出演しているが、特に重要ではない役どころだった。春日八郎とは違って演技は苦手のようだ。ただ、柔道をするシーンは堂に入っており、受け身もほれぼれとするうまさだった。当時の男子はたいてい柔道や剣道はできたものだと思うが、それにしても、お見事だった。
この映画では海の男、密漁が描かれており、犯罪を防ぎ、あばいてめでたしめでたしとなるのは同じパターン。
森永健次郎監督は「月がとっても青いから」とか「君恋し」「恋人をさがそう」など、歌謡映画を多数撮っている。今で言うMTVの売れっ子監督なのか。
さて、2本映画見たところでアイドルのPVに何か参考になったかと言うと、よくわからない。映画は楽しかったけど、PVとは関係なかったな、と思った。
西澤保彦の『パズラー 謎と論理のエンタテインメント』を読んだ。
いろんなところに掲載された短編を集めたもの。二転三転する推理。
西澤作品は一般に「妄想推理系」と呼ばれているらしい。わずかなデータから推理を展開していくところから、そう言われているのだろう。僕が名付けるなら、「推理小説」ならぬ「憶測小説」だ。データが少ない分、それをとんでもない真相に結び付けたり、推理の可能性の膨大な提示による眩暈を現出することが可能だ。しかし、西澤は、そんな読者に媚びた作品を書いていない。妄想推理と銘打つなら、一見して思い付く解釈、逆転推理、突拍子もない無理筋、意外で論理的な真相の少なくとも4つを提示しなくてはならない。西澤はそんなことにはおかまいなく、ほぼ同列の推理を複数提示し、最後にそれらとは違う視点の推理を出してきて、それを真相として話を終えてしまう。
本書の「アリバイ・ジ・アンビバレンス」を例にとると、自首した女性はアリバイがあるので犯人ではない。なぜ自首したのか、という謎に、主人公たちは「誰かを庇っているからだ」とまず決めつける。そしてだれを庇っているかについて、父親説をえんえんと展開したあとで、「わかった、父親じゃなくて彼氏を庇っているんだ」と、今度は恋人説を展開する。最後に、誰かを庇っていたわけではない推理が出されて幕になる。読者としては、最初から「それは違うだろう」とわかりきっている推理をいくつか読まされて、真相に至るので、「遠回り小説」と言ってもいいだろう。二転三転する推理もそれぞれがほぼ等価で、他の可能性を消去するわけでもない。
あとがきで西澤は「論理のアクロバットを狙った」と言っているが、タイトルも含めて、これは何かの皮肉か叙述のトリックではないか、と感じた。西澤作品に論理はないのだ。本書は推理井戸端会議とでも言うべき「憶測小説」の醍醐味を存分に味わえる格好のサンプルだ。本当に意外な真相はまた別にある、問題編として読むことも可能だと思う。
今日から「忠臣蔵」がはじまった。第1回を見て、やっぱり吉良にキレたのは浅野の浅さだと思った。あの程度のことでキレるようではダメだ。と、いうことは赤穂浪士の討ち入りは単なる逆恨みだという暫定的な結論なのだが、それが今後の展開で、いかに吉良を憎い相手として描くことができるか、楽しみだ。
「ブラックジャック」第2回、手塚眞が監督なので、1回目のスペシャルも見たかったのだが、長距離バスの車中だったので見逃している。ごく普通に面白かったので、今後も見ることにしよう。手塚治虫だと言うだけで自動的に見ることに決めているわけだが。
創叡ライブ、動物園、アペルギスの暗合
2004年10月17日 アイドル
創叡のライブがあるので天王寺公園に出かけた。途中、アニメイトで「すたちゃまにあ」の秋号を入手した。小倉優子のインタビューが載っているのだ。
さて、STSライブ、場所を天王寺動物園だと思い込んでいたので、動物園にいったん入ったが、公園だと判明し、再入場の手続きして出る。同じ時間帯、動物園ではどこかの幼稚園だか保育園のお遊戯があったので、そっちを見る方がマニアックな選択かな、と少し迷った。でも、僕は全然幼児性愛の趣味はないのだ。あえて変態の道を選ぶこともあるまい。
ライブはまずミューズから。
ミューズ「ちょっとだけMY LOVE」
ミューズ「アイドルメドレー」(年下の男の子、としごろ、狼なんか怖くない、17才、わたしの青い鳥、ひなげしの花、ひまわり娘、赤い風船、まちぶせ、ひとりじゃないの、わたしの彼は左きき、だったと思う。抜けてるのがあるかも)
ペトラキッズ「ラブリー・フレンドシップ」
MAY BE MAX「熱い予感〜クリムゾンスター」
MAY BE MAX「わたしの阪神タイガース」
2曲目はボーカル3人娘は参加せず、ダンシング4人娘が歌い踊った。(呼称はかってに僕がつけた)
TOUCH「FAR AWAY」
TOUCH「IF YOU WERE HERE」
ラズベリーズ「リトルバード」
ラズベリーズ「エブリデイ・ビー・ウィズ・ユー」
メンバー紹介のとき、あかりのマイクが入ってなかった。ステージ上でのトラブルは、以前は若菜が一手に引き受けていたのだが、若菜が抜けた今、あかりにその役回りがきたのか。
ミューズ「瞳は元気なブルースカイ」
ミューズ「ニセモノダイヤモンド」
MAY BE MAXは京都のイベントに移動しておりいなかったが最後はユニットが全部登場しての「ショータイム」
このメンバーでの「ショータイム」のダンスは見ごたえがあった。ミューズの満里奈、ラズベリーズのあかり、TOUCHの貴恵が縦に並んで一度に見られるなんて、しかも同じダンスを踊っているなんて、最高じゃないか。
動物園に戻り、日曜の午後を楽しむ。天王寺動物園は1日中過ごしても楽しいような工夫がしてある。
アフリカサバンナ、アジアの熱帯雨林などのテーマパークっぽいものもあるし、野外ステージでは手品や人形劇などをやっている。僕の好きな夜行性動物舎、爬虫類生態館「アイファー」も充実している。まあ、普通にコアラとかレッサーパンダも可愛いけど。
急いで帰宅し、NHK-FMの「現代の音楽」を聞く。
今日は「ジョルジュ・アペルギス室内楽作品集」と題して、今年7月末に東京の白寿ホールで開催された「フランス音楽の今を聴く」のシリーズからの収録。
アペルギスはギリシアのアテネ出身だが、1963年以降はパリで活動しているので、「フランス音楽」の括りに入るのだろう。
まず、「ひとりの打楽器奏者とザルブの音のための『格闘』」の第2部から一部分を。
アペルギスの作品は声や身振りと楽器が絡む、演劇的なものが多い。その典型的な例。
ザラブはゴブレット型のイランの打楽器で、フランソワーズ・リヴァランが独奏、マシンガントークと見事なコラボ。
次は「バス・クラリネットのための『シミュラークル4』」
「ソプラノとアコーディオン、打楽器奏者のための『ティンゲル・タンゲル』」
声と楽器の使われ方は、たまたま今日テレビで見たライプチヒ・バッハ音楽祭とはまったく違う。僕はクラシックには不案内で小学生ほどの知識もないのだが、今日のアペルギスなんか聞いてしまうと、現代音楽の方が遥かに性に合っているなあ、と実感する。
それはそうと、今日はなんだか偶然の一致というか、暗合みたいな経験をした。
まず、創叡のライブで「ペトラキッズ」という平均年齢7才のユニットが出てきたが、この「ペトラ」というのは、ヨルダンのペトラ遺跡から名前をとっているのだが、今日の「新日曜美術館」でまさにそのヨルダン美術を特集しており、ペトラ遺跡が紹介されていたのだ。そのテレビ番組によると、ペトラ遺跡は岩山に刻まれた建物群であり、モーゼが開いたと言われる岩山にはさまれた狭い道(シーク)を抜けると、壮大なエル・ハズネ(宝物殿という意味だが、王の霊廟として建てられたという説もある)と呼ばれる建物に到着する。
広大な岩山を掘って作られた王の墳墓は約500もあるらしい。
「ペトラ」は「岩」という意味なのだ。
そこで思い出すのが、昨日の「HELP!」でカシワギ君が報告した改名の法則。岩槻千夏が若槻千夏に改名して成功したのは、「岩」ではアイドルとして武骨すぎるという内容だったと思う。打ち上げの席で、僕は「星井七瀬」はアイドルだが、じゃあ、「岩井七瀬」は将来はないのか?と言ったが、それに加えて、「ペトラキッズ」もアイドルらしからぬ名前をつけちゃったんだなあ、と思った。
以上が1つめの暗合。
もう1つ。今日の帰り道、ワゴン車と自転車が接触事故を起こしたのを見た。自転車が信号無視で走りまくり、ワゴン車はへたな運転だったので、あやうく接触しかけた、というのが正しいのだが、ギリギリで事故を回避できた後がいけない。自転車に乗った眼鏡の大学生(高校生かも)がキレたのだ。サイドミラーを鞄の一撃で破壊してしまった。自転車は逃走、助手席に乗っていたおっさんは血相変えて飛び出し、自転車を追い掛ける。「待たんかいこら!」日本橋は騒然とした。
で、帰ってみて聞いた「現代の音楽」の1曲めの「格闘」は、カーレースの実況みたいなマシンガントークに打楽器が乗るのだが、そのカーレースは、タイトルどおり、車のレースそっちのけで格闘がはじまってしまうのだ。こんな車による格闘と興奮状態は、ついさっき見てきたばっかりだ。
不思議な暗合もあるものだ。
夜になり、ハロモニの録画見たり、ラジオげんしけん聞いたり。
さて、STSライブ、場所を天王寺動物園だと思い込んでいたので、動物園にいったん入ったが、公園だと判明し、再入場の手続きして出る。同じ時間帯、動物園ではどこかの幼稚園だか保育園のお遊戯があったので、そっちを見る方がマニアックな選択かな、と少し迷った。でも、僕は全然幼児性愛の趣味はないのだ。あえて変態の道を選ぶこともあるまい。
ライブはまずミューズから。
ミューズ「ちょっとだけMY LOVE」
ミューズ「アイドルメドレー」(年下の男の子、としごろ、狼なんか怖くない、17才、わたしの青い鳥、ひなげしの花、ひまわり娘、赤い風船、まちぶせ、ひとりじゃないの、わたしの彼は左きき、だったと思う。抜けてるのがあるかも)
ペトラキッズ「ラブリー・フレンドシップ」
MAY BE MAX「熱い予感〜クリムゾンスター」
MAY BE MAX「わたしの阪神タイガース」
2曲目はボーカル3人娘は参加せず、ダンシング4人娘が歌い踊った。(呼称はかってに僕がつけた)
TOUCH「FAR AWAY」
TOUCH「IF YOU WERE HERE」
ラズベリーズ「リトルバード」
ラズベリーズ「エブリデイ・ビー・ウィズ・ユー」
メンバー紹介のとき、あかりのマイクが入ってなかった。ステージ上でのトラブルは、以前は若菜が一手に引き受けていたのだが、若菜が抜けた今、あかりにその役回りがきたのか。
ミューズ「瞳は元気なブルースカイ」
ミューズ「ニセモノダイヤモンド」
MAY BE MAXは京都のイベントに移動しておりいなかったが最後はユニットが全部登場しての「ショータイム」
このメンバーでの「ショータイム」のダンスは見ごたえがあった。ミューズの満里奈、ラズベリーズのあかり、TOUCHの貴恵が縦に並んで一度に見られるなんて、しかも同じダンスを踊っているなんて、最高じゃないか。
動物園に戻り、日曜の午後を楽しむ。天王寺動物園は1日中過ごしても楽しいような工夫がしてある。
アフリカサバンナ、アジアの熱帯雨林などのテーマパークっぽいものもあるし、野外ステージでは手品や人形劇などをやっている。僕の好きな夜行性動物舎、爬虫類生態館「アイファー」も充実している。まあ、普通にコアラとかレッサーパンダも可愛いけど。
急いで帰宅し、NHK-FMの「現代の音楽」を聞く。
今日は「ジョルジュ・アペルギス室内楽作品集」と題して、今年7月末に東京の白寿ホールで開催された「フランス音楽の今を聴く」のシリーズからの収録。
アペルギスはギリシアのアテネ出身だが、1963年以降はパリで活動しているので、「フランス音楽」の括りに入るのだろう。
まず、「ひとりの打楽器奏者とザルブの音のための『格闘』」の第2部から一部分を。
アペルギスの作品は声や身振りと楽器が絡む、演劇的なものが多い。その典型的な例。
ザラブはゴブレット型のイランの打楽器で、フランソワーズ・リヴァランが独奏、マシンガントークと見事なコラボ。
次は「バス・クラリネットのための『シミュラークル4』」
「ソプラノとアコーディオン、打楽器奏者のための『ティンゲル・タンゲル』」
声と楽器の使われ方は、たまたま今日テレビで見たライプチヒ・バッハ音楽祭とはまったく違う。僕はクラシックには不案内で小学生ほどの知識もないのだが、今日のアペルギスなんか聞いてしまうと、現代音楽の方が遥かに性に合っているなあ、と実感する。
それはそうと、今日はなんだか偶然の一致というか、暗合みたいな経験をした。
まず、創叡のライブで「ペトラキッズ」という平均年齢7才のユニットが出てきたが、この「ペトラ」というのは、ヨルダンのペトラ遺跡から名前をとっているのだが、今日の「新日曜美術館」でまさにそのヨルダン美術を特集しており、ペトラ遺跡が紹介されていたのだ。そのテレビ番組によると、ペトラ遺跡は岩山に刻まれた建物群であり、モーゼが開いたと言われる岩山にはさまれた狭い道(シーク)を抜けると、壮大なエル・ハズネ(宝物殿という意味だが、王の霊廟として建てられたという説もある)と呼ばれる建物に到着する。
広大な岩山を掘って作られた王の墳墓は約500もあるらしい。
「ペトラ」は「岩」という意味なのだ。
そこで思い出すのが、昨日の「HELP!」でカシワギ君が報告した改名の法則。岩槻千夏が若槻千夏に改名して成功したのは、「岩」ではアイドルとして武骨すぎるという内容だったと思う。打ち上げの席で、僕は「星井七瀬」はアイドルだが、じゃあ、「岩井七瀬」は将来はないのか?と言ったが、それに加えて、「ペトラキッズ」もアイドルらしからぬ名前をつけちゃったんだなあ、と思った。
以上が1つめの暗合。
もう1つ。今日の帰り道、ワゴン車と自転車が接触事故を起こしたのを見た。自転車が信号無視で走りまくり、ワゴン車はへたな運転だったので、あやうく接触しかけた、というのが正しいのだが、ギリギリで事故を回避できた後がいけない。自転車に乗った眼鏡の大学生(高校生かも)がキレたのだ。サイドミラーを鞄の一撃で破壊してしまった。自転車は逃走、助手席に乗っていたおっさんは血相変えて飛び出し、自転車を追い掛ける。「待たんかいこら!」日本橋は騒然とした。
で、帰ってみて聞いた「現代の音楽」の1曲めの「格闘」は、カーレースの実況みたいなマシンガントークに打楽器が乗るのだが、そのカーレースは、タイトルどおり、車のレースそっちのけで格闘がはじまってしまうのだ。こんな車による格闘と興奮状態は、ついさっき見てきたばっかりだ。
不思議な暗合もあるものだ。
夜になり、ハロモニの録画見たり、ラジオげんしけん聞いたり。
キティ・エックスからHELP!
2004年10月16日 ライブ
今日はイベント「HELP!」だ。
その前に、大丸梅田店に行き、「キティ・エックス」展を見る。
キティちゃんをモチーフに、いろんなアーチストが作品を作ったり、映像作ったり、ファッションにとりいれたりしている。似たようなコンセプトでミッキーマウスとかいろんなキャラクターが展覧会開いているが、キティの次はなんだろう、と予想をたててみたくなる。
「ごきげんよう」のコロぞうかな?「sakusaku」のジゴロウかな?
さて、本展覧会、これのどこがキティなのか、と腹立たしく思う作品も多い。はっきり言うと、キティを題材にしているが、全然愛を感じないのだ。本当にキティが好きなら、あんな作品作るわけない、と思うものがある。あんたのことだ、立花ハジメ!それと、どう考えても勘違いとしか思えない、見当はずれの愛情を注ぎ込むカステルバジャック!ちょっと面白かったので許してやる。
この展覧会中、一番いいなあ、と思ったのは、手塚治虫のヒョウタンツギキティだった。もちろん本人はとっくに死んでいるので、生前雑誌「リリカ」にお遊びで描いたカットを使って、ぬいぐるみを作ったりしていた。これはすごい。サンリオのギフトゲートで販売されているどのキティよりも可愛い。近年のキティは日焼けしてサーファーやヤンキー仕様になっていたりして、つまらない。茶髪でデブのおばさんたち向けだ。1970年代のキティのなんと可愛いことか。CGっぽく立体風になっているのも、頭が悪そうで嫌だ。
あと、NIKEエア・プレストのキティ・エックスバージョンがカッコよかった。販売の予定はないらしいが、くだらんデザインの靴は平気で販売するのに、この素敵な靴を売らないとはいったいどういう心得違いをしているのだろう。
さて、いよいよ芦原橋ウィングホールで「HELP!」
まずは、僕のゴスロリユニット「バッハ」がライブし、秘蔵映像トークショーに突入。
今回はHELPガールのミッキーちゃんが登場し、ステージで体操服、ブルマに生着替え。彼女をアイドルに仕立てて行くというコンセプトで、今後展開していくことになった。
ミッキーちゃんの芸名は、苗字はほぼ「ジョジョ川」に決定。「ジョジョ」の部分にどういう漢字をあてるかは考え中。
このジョジョちゃん、アイドルの素質じゅうぶんで、性格もよさそうだし、将来有望である。僕も含めてスタッフ側からも好評で、イベントやお客さんのことなど二の次で「可愛い過ぎるのでイベントに出すのはもったいない!俺がつきあう!」などとたわけた声まで複数聞こえてきた。頭をひやせ!でも、それだけの魅力ある女の子だったことは確かだ。気持ちはよくわかる。次回もちゃんとジョジョちゃん出るので、ご安心を。
イベントの後、打ち上げは午前4時過ぎまで。
とても楽しかった。イベントも打ち上げもめちゃくちゃ面白かった。
ただ、これだけの内容のイベントに、客の数があれだけ、というのは残念だ。
この面白いイベントに悪いところがあるとすれば、きっと僕自身だ。
僕がすべての癌なのではないか。
僕はもう出ませんから、みなさん来てください、とお願いすれば、みんな来てくれるんだろうか。だって、本当に面白いんだから。
次回HELP!は11月19日(金)、その次は12月12日(日)
ジョジョちゃんのアイドルとしてのステージを設定するため、11月26日(金)を仮におさえて、その日はライブイベントすることにした。
みなさん、とにかく、ジョジョちゃんに逢いに来て下さい。
秘蔵映像ももちろん、継続して上映します。
僕が出るのが気に食わないのなら、出番減らすなり、僕は出て来なかったりするのも考慮中です。
その前に、大丸梅田店に行き、「キティ・エックス」展を見る。
キティちゃんをモチーフに、いろんなアーチストが作品を作ったり、映像作ったり、ファッションにとりいれたりしている。似たようなコンセプトでミッキーマウスとかいろんなキャラクターが展覧会開いているが、キティの次はなんだろう、と予想をたててみたくなる。
「ごきげんよう」のコロぞうかな?「sakusaku」のジゴロウかな?
さて、本展覧会、これのどこがキティなのか、と腹立たしく思う作品も多い。はっきり言うと、キティを題材にしているが、全然愛を感じないのだ。本当にキティが好きなら、あんな作品作るわけない、と思うものがある。あんたのことだ、立花ハジメ!それと、どう考えても勘違いとしか思えない、見当はずれの愛情を注ぎ込むカステルバジャック!ちょっと面白かったので許してやる。
この展覧会中、一番いいなあ、と思ったのは、手塚治虫のヒョウタンツギキティだった。もちろん本人はとっくに死んでいるので、生前雑誌「リリカ」にお遊びで描いたカットを使って、ぬいぐるみを作ったりしていた。これはすごい。サンリオのギフトゲートで販売されているどのキティよりも可愛い。近年のキティは日焼けしてサーファーやヤンキー仕様になっていたりして、つまらない。茶髪でデブのおばさんたち向けだ。1970年代のキティのなんと可愛いことか。CGっぽく立体風になっているのも、頭が悪そうで嫌だ。
あと、NIKEエア・プレストのキティ・エックスバージョンがカッコよかった。販売の予定はないらしいが、くだらんデザインの靴は平気で販売するのに、この素敵な靴を売らないとはいったいどういう心得違いをしているのだろう。
さて、いよいよ芦原橋ウィングホールで「HELP!」
まずは、僕のゴスロリユニット「バッハ」がライブし、秘蔵映像トークショーに突入。
今回はHELPガールのミッキーちゃんが登場し、ステージで体操服、ブルマに生着替え。彼女をアイドルに仕立てて行くというコンセプトで、今後展開していくことになった。
ミッキーちゃんの芸名は、苗字はほぼ「ジョジョ川」に決定。「ジョジョ」の部分にどういう漢字をあてるかは考え中。
このジョジョちゃん、アイドルの素質じゅうぶんで、性格もよさそうだし、将来有望である。僕も含めてスタッフ側からも好評で、イベントやお客さんのことなど二の次で「可愛い過ぎるのでイベントに出すのはもったいない!俺がつきあう!」などとたわけた声まで複数聞こえてきた。頭をひやせ!でも、それだけの魅力ある女の子だったことは確かだ。気持ちはよくわかる。次回もちゃんとジョジョちゃん出るので、ご安心を。
イベントの後、打ち上げは午前4時過ぎまで。
とても楽しかった。イベントも打ち上げもめちゃくちゃ面白かった。
ただ、これだけの内容のイベントに、客の数があれだけ、というのは残念だ。
この面白いイベントに悪いところがあるとすれば、きっと僕自身だ。
僕がすべての癌なのではないか。
僕はもう出ませんから、みなさん来てください、とお願いすれば、みんな来てくれるんだろうか。だって、本当に面白いんだから。
次回HELP!は11月19日(金)、その次は12月12日(日)
ジョジョちゃんのアイドルとしてのステージを設定するため、11月26日(金)を仮におさえて、その日はライブイベントすることにした。
みなさん、とにかく、ジョジョちゃんに逢いに来て下さい。
秘蔵映像ももちろん、継続して上映します。
僕が出るのが気に食わないのなら、出番減らすなり、僕は出て来なかったりするのも考慮中です。
夢は夜ひらく、ハロプロやねん
2004年10月15日 映画 コメント (2)
今日も引き続き、明日の「HELP!」のための映像探し。
掘り出したビデオの面白さにしばし時を忘れて見てしまうのは、いつも通りのことだ。
今回は、同ホールで30日に竹内義和氏がアイドル秘蔵映像上映イベントをするらしいので、それを参考にさせてもらうことにした。
かかる映像の予告として小倉優子の名前があったので、早速小倉優子のまあまあ珍しい映像を掘り出した。これを当日、「告知にもあったとおり、小倉優子の謎のパフォーマ−の映像をおかけします」とか言って、日にちを勘違いしてかけることにするのだ。
あと、失神バンド、オックスや園まりの名前があった。
僕にはまったく興味の湧かない名前なので、録画した映像など何もない。これはパスするか、と、思っていたら、園まり主演の映画を1本録画していたのを思い出した。早速、見た。
1967年の「夢は夜ひらく」だ。園まりは同名の歌を歌ってヒットさせたが、その後、藤圭子などによって何度もリバイバルヒットしている。園まりバージョンでは「15、16、17と」のおなじみの歌詞は出て来ない。「嘘と知りつつ好きでした」と、映画のストーリーにも重ねあわさるようなしっとりした大人の歌詞が歌われる。映画の内容はと言うと、園まりと高橋英樹のかなわぬ恋物語で、日活映画らしく犯罪もからんでいる。悪者が名古屋章で、その手下として使われるのがドリフターズ、どうも抜けた悪者たちだ。ギャグも盛り込みながらドジでコミカルな演技をする悪者たちと、とことんシリアスな高橋英樹の演技はまるで別の映画を見ているかのようだった。歌謡映画だけに、園まりだけでなく、布施明や奥村チヨの歌も聞ける。僕はやっぱりこの映画では園まりに萌えることができず、脇役の奥村チヨの方が何倍もいいような気がした。
と、いうわけで、園まりの映像は無し。
今日はラジオで「ハロプロやねん」10月担当のメロン記念日による進行、しばたの声は回復していた。トークはファンクラブツアーでのことを中心に。台風でファンたちは疲れ果てて到着、メロンがビラまきでひそかに現われても、気づかないファンがいたとか。ファンの人たちが食事しているところに突入したのが面白かったとか、いろいろ。
かかった曲は「シャンパンの恋」と、そのカップリング曲「恋の仕組み」
ハロプロナンバーワンは「もし自分が男だったらハロプロメンバーの誰と結婚したいか」
4人の挙げた名前は稲葉、ゆきどん、ケメコで、これはあっさり稲葉貴子に決定。一緒に長年暮らすにあたって、稲葉のようにいつまでも若くて面白いキャラクターが最適なのだそうだ。
毎回ゲストが誰かを当てる「メロンの部屋」というクイズをしているのだが、今回のゲストはなんと建物。333メートルで東京のシンボルだそうだ。正解を送ると抽選でプレゼントあり。
さあ、明日、イベント人が集まってくれるだろうか。
かける映像は文句なく面白いので、これで人が来ないとなると、その映像を紹介して、トークするのが僕だから誰も来ないのだ、という結論を出さざるを得ない。
僕はあまりガーンと押し出すタイプじゃないので、みんな僕のことは後回しにするのだろう。何か違う用事や気分によって、僕はまず選択の対象からはずされてしまうのだ。僕がいつも同じようなことをコンスタントに行なっているから、まあいいだろうとでも考えているんだろう。でも、僕はイベント1つ終わるたびに集客力の低さやもっとうまく出来なかったのか、なんてことを考えて、自殺を1回は頭に思い浮かべる。イベントがいつまでも続くと思ったら大間違いだ。あの人はなぜ、今日、僕に会いに来なかったんだろう、きっと僕がやるイベントなんてつまらないと思ってるに違いない、僕がこの世からいなくなってもなんとも思わないんだろう、たしかにイベントに来てくれたお客さんは「面白かった」と言ってくれるけど、その裏には僕のイベントなど行く必要なしと切り捨てた何人もの人がいるのだ、僕のイベントはいわば僕が不特定多数の人に向けて発信したデートの申し込みみたいなものじゃないか、僕をその都度無視してふっていればいい、僕みたいな奴には会いたくもないんだろう、来てくれるお客さんにもこれ以上僕の道楽につきあってもらうのは悪いので、もうイベントなんてやめよう、イベントなんてやめて普通に仕事だけして生きよう、でもそれでは生きていてもしかたないので、死んだ方がましだ。
とか、イベントの前後には考える。
僕は父親の年齢よりも長く生きている。
いつ死んでも「まだ足りない」とは言えないのだ。
掘り出したビデオの面白さにしばし時を忘れて見てしまうのは、いつも通りのことだ。
今回は、同ホールで30日に竹内義和氏がアイドル秘蔵映像上映イベントをするらしいので、それを参考にさせてもらうことにした。
かかる映像の予告として小倉優子の名前があったので、早速小倉優子のまあまあ珍しい映像を掘り出した。これを当日、「告知にもあったとおり、小倉優子の謎のパフォーマ−の映像をおかけします」とか言って、日にちを勘違いしてかけることにするのだ。
あと、失神バンド、オックスや園まりの名前があった。
僕にはまったく興味の湧かない名前なので、録画した映像など何もない。これはパスするか、と、思っていたら、園まり主演の映画を1本録画していたのを思い出した。早速、見た。
1967年の「夢は夜ひらく」だ。園まりは同名の歌を歌ってヒットさせたが、その後、藤圭子などによって何度もリバイバルヒットしている。園まりバージョンでは「15、16、17と」のおなじみの歌詞は出て来ない。「嘘と知りつつ好きでした」と、映画のストーリーにも重ねあわさるようなしっとりした大人の歌詞が歌われる。映画の内容はと言うと、園まりと高橋英樹のかなわぬ恋物語で、日活映画らしく犯罪もからんでいる。悪者が名古屋章で、その手下として使われるのがドリフターズ、どうも抜けた悪者たちだ。ギャグも盛り込みながらドジでコミカルな演技をする悪者たちと、とことんシリアスな高橋英樹の演技はまるで別の映画を見ているかのようだった。歌謡映画だけに、園まりだけでなく、布施明や奥村チヨの歌も聞ける。僕はやっぱりこの映画では園まりに萌えることができず、脇役の奥村チヨの方が何倍もいいような気がした。
と、いうわけで、園まりの映像は無し。
今日はラジオで「ハロプロやねん」10月担当のメロン記念日による進行、しばたの声は回復していた。トークはファンクラブツアーでのことを中心に。台風でファンたちは疲れ果てて到着、メロンがビラまきでひそかに現われても、気づかないファンがいたとか。ファンの人たちが食事しているところに突入したのが面白かったとか、いろいろ。
かかった曲は「シャンパンの恋」と、そのカップリング曲「恋の仕組み」
ハロプロナンバーワンは「もし自分が男だったらハロプロメンバーの誰と結婚したいか」
4人の挙げた名前は稲葉、ゆきどん、ケメコで、これはあっさり稲葉貴子に決定。一緒に長年暮らすにあたって、稲葉のようにいつまでも若くて面白いキャラクターが最適なのだそうだ。
毎回ゲストが誰かを当てる「メロンの部屋」というクイズをしているのだが、今回のゲストはなんと建物。333メートルで東京のシンボルだそうだ。正解を送ると抽選でプレゼントあり。
さあ、明日、イベント人が集まってくれるだろうか。
かける映像は文句なく面白いので、これで人が来ないとなると、その映像を紹介して、トークするのが僕だから誰も来ないのだ、という結論を出さざるを得ない。
僕はあまりガーンと押し出すタイプじゃないので、みんな僕のことは後回しにするのだろう。何か違う用事や気分によって、僕はまず選択の対象からはずされてしまうのだ。僕がいつも同じようなことをコンスタントに行なっているから、まあいいだろうとでも考えているんだろう。でも、僕はイベント1つ終わるたびに集客力の低さやもっとうまく出来なかったのか、なんてことを考えて、自殺を1回は頭に思い浮かべる。イベントがいつまでも続くと思ったら大間違いだ。あの人はなぜ、今日、僕に会いに来なかったんだろう、きっと僕がやるイベントなんてつまらないと思ってるに違いない、僕がこの世からいなくなってもなんとも思わないんだろう、たしかにイベントに来てくれたお客さんは「面白かった」と言ってくれるけど、その裏には僕のイベントなど行く必要なしと切り捨てた何人もの人がいるのだ、僕のイベントはいわば僕が不特定多数の人に向けて発信したデートの申し込みみたいなものじゃないか、僕をその都度無視してふっていればいい、僕みたいな奴には会いたくもないんだろう、来てくれるお客さんにもこれ以上僕の道楽につきあってもらうのは悪いので、もうイベントなんてやめよう、イベントなんてやめて普通に仕事だけして生きよう、でもそれでは生きていてもしかたないので、死んだ方がましだ。
とか、イベントの前後には考える。
僕は父親の年齢よりも長く生きている。
いつ死んでも「まだ足りない」とは言えないのだ。
小酒井不木探偵小説選
2004年10月14日 読書
『小酒井不木探偵小説選』を読んだ。この本は小酒井不木が少年向けに書いた探偵小説「少年科学探偵」シリーズを中心に収められている。「科学」を銘打っているが、作品が1920年代に書かれたもので、人力車は走ってるし、朝鮮浪人が跋扈し、支那街の阿片窟なんて怪し気なものが存在している日本だ。少年探偵の主人公が挙げる犯人も我が国の毒ガス技術を盗もうとする売国奴だったりする。その時代の科学だから、ロンブローゾを持ち出して、身体的特徴から犯罪者だと決めつけたりするし、結局証拠がなくて罠をかけたり囮を使って犯人が尻尾を出すのを待ったりする。
その抜け具合が、少年向けっぽく明るくていい。
大人向けの悲惨な話や、どろどろした恋愛はどうも殺伐としていけない。
悲しい話は読みたくないなあ。
16日に芦原橋ウィングホールでやる秘蔵映像イベントのためにビデオのチェックばかりしている。
ついついビデオ、ずーっと見てしまうんだなあ。
だって、面白いんだもーん。
その抜け具合が、少年向けっぽく明るくていい。
大人向けの悲惨な話や、どろどろした恋愛はどうも殺伐としていけない。
悲しい話は読みたくないなあ。
16日に芦原橋ウィングホールでやる秘蔵映像イベントのためにビデオのチェックばかりしている。
ついついビデオ、ずーっと見てしまうんだなあ。
だって、面白いんだもーん。
カーター・ディクスンの『殺人者と恐喝者』を読んだ。長年絶版になっていた小説の新訳だ。1941年の作品で、カーとしては中期の充実した頃の作品。たしかに、小説として面白いので、すらすらと読める。名探偵ヘンリー・メリヴェール卿が自叙伝を口述筆記する、という本筋とは無関係の大サービスがある。この結局は完成されなかった自叙伝こそ読んでみたいと思った。
さて、事件はというと、大勢が見守る中で、ゴムで出来たはずの短剣が本物と摺り替えられて、殺人が行われる。また、グレープフルーツに毒が盛られ、殺人未遂。いつどこで誰が短剣をすり替えたのか、いつどこで誰が毒を盛ったのか、不可思議な状況の事件。
さて、例によって、ネタバレするので、ここから後は未読の人は覚悟せよ。
これら一見不可能っぽい事件の真相は、もしも真剣に作者に対して挑戦意識を持って読む人がいたとしたら、あまりにもあっけない解決が待っている。手品のミスディレクションをそのまま応用しているのだ。右に注意をひきつけておいて、左でネタを仕込む、というアレだ。ナイフのすり替えは、他に注意をひきつけられる瞬間を狙って、マジックハンド(宅八郎が使っていたのとは少し違う)を使って行われる。グレープフルーツへの毒もそのまんま、右手に注意をひきつけておいて、左手で毒を盛る。ただ、それだけ。
ただ、この作品には叙述のトリックがあり、当時アントニー・バウチャーがカーにあてて「この作品は、疑うことを知らない一般大衆に対してなされたもののなかでも、曖昧な言葉を使った最低のいかさまです」と抗議の手紙を書いている。その糞飯物のトリックとは、冒頭、「アーサーはポリーを殺した。それは認められた事実である」と書いてある部分で、こう書かれると、アーサーはポリーを殺したんだな、と普通は考える。しかし、実際は違い、特定の人物が真犯人に違う事実をふきこまれていただけで、その特定の人物によって「認められた事実」だったというのだ。登場人物の中に、殺人者と、その殺しをネタにゆする恐喝者がいたのだが、真実と思い込みとではその役割が反対だったのだ。
60年前なら怒りの手紙を書きたくなったかもしれないが、新本格の作品によってもっと卑怯でもっと稚拙な叙述のトリックを多数体験した後では、カーのこの程度のトリックは、トリックのうちにも入らない印象だ。アントニー・バウチャーの言うような「疑うことを知らない一般大衆」なんて読者はもはや存在しないのだ。
K1、日本人をひきたたせる為に弱い外人ばかり当てすぎだ。アルバート・クラウスはたしかにかつてチャンピオンだったが、この前のS-CUPでも決勝に進めず、体に故障が残ったままの参戦だったし。
ようやく鼻炎もおさまってきた。このまま全快すればいいのに。薬飲んでも飲まなくても、頭が重くて眠くなってしまうのが厄介なのだ。不眠症なんてものに悩む人がうらやましい。眠らずにすめば、どんなに楽しいか。不眠症のつらさは、眠れないことにあるんじゃなくて、起きていても何にも集中できないところにあるんでは、と思っている。じゃあ、それは「不眠症」ではなくて「注意散漫症」なのではないか。
さて、事件はというと、大勢が見守る中で、ゴムで出来たはずの短剣が本物と摺り替えられて、殺人が行われる。また、グレープフルーツに毒が盛られ、殺人未遂。いつどこで誰が短剣をすり替えたのか、いつどこで誰が毒を盛ったのか、不可思議な状況の事件。
さて、例によって、ネタバレするので、ここから後は未読の人は覚悟せよ。
これら一見不可能っぽい事件の真相は、もしも真剣に作者に対して挑戦意識を持って読む人がいたとしたら、あまりにもあっけない解決が待っている。手品のミスディレクションをそのまま応用しているのだ。右に注意をひきつけておいて、左でネタを仕込む、というアレだ。ナイフのすり替えは、他に注意をひきつけられる瞬間を狙って、マジックハンド(宅八郎が使っていたのとは少し違う)を使って行われる。グレープフルーツへの毒もそのまんま、右手に注意をひきつけておいて、左手で毒を盛る。ただ、それだけ。
ただ、この作品には叙述のトリックがあり、当時アントニー・バウチャーがカーにあてて「この作品は、疑うことを知らない一般大衆に対してなされたもののなかでも、曖昧な言葉を使った最低のいかさまです」と抗議の手紙を書いている。その糞飯物のトリックとは、冒頭、「アーサーはポリーを殺した。それは認められた事実である」と書いてある部分で、こう書かれると、アーサーはポリーを殺したんだな、と普通は考える。しかし、実際は違い、特定の人物が真犯人に違う事実をふきこまれていただけで、その特定の人物によって「認められた事実」だったというのだ。登場人物の中に、殺人者と、その殺しをネタにゆする恐喝者がいたのだが、真実と思い込みとではその役割が反対だったのだ。
60年前なら怒りの手紙を書きたくなったかもしれないが、新本格の作品によってもっと卑怯でもっと稚拙な叙述のトリックを多数体験した後では、カーのこの程度のトリックは、トリックのうちにも入らない印象だ。アントニー・バウチャーの言うような「疑うことを知らない一般大衆」なんて読者はもはや存在しないのだ。
K1、日本人をひきたたせる為に弱い外人ばかり当てすぎだ。アルバート・クラウスはたしかにかつてチャンピオンだったが、この前のS-CUPでも決勝に進めず、体に故障が残ったままの参戦だったし。
ようやく鼻炎もおさまってきた。このまま全快すればいいのに。薬飲んでも飲まなくても、頭が重くて眠くなってしまうのが厄介なのだ。不眠症なんてものに悩む人がうらやましい。眠らずにすめば、どんなに楽しいか。不眠症のつらさは、眠れないことにあるんじゃなくて、起きていても何にも集中できないところにあるんでは、と思っている。じゃあ、それは「不眠症」ではなくて「注意散漫症」なのではないか。