ISBN:415207941X 新書 矢野 徹 早川書房 1995/09 ¥1,121
エリック・フランク・ラッセルの『超生命ヴァイトン』を読んだ。
山田正紀が『神狩り』の先行作品として名前をあげていたもので、SFの古典。
科学者が次々と恐怖にかられて死んで行く冒頭。まるで、リングの出だしを思わせる。科学者たちはある発見をしていたのだ。
地球は目には見えない光球生命体が支配していたのだ。光る球状生命体はヴァイトンと名付けられるが、ここでは「金玉」と呼ぶことにしよう。
金玉を発見する契機は、こんな風。
望遠鏡や顕微鏡が、今まで見えなかった世界を可視化したように、スペクトルの可視部分を赤外線の奥まで伸ばす発見がなされた。(ヨードとか使う)すると、あっちこっちに意識を持って動く火の玉のようなものが見えたのだ。金玉だ!金玉はエネルギー体で、人類の情緒を食べている。人類は、まるで牧場で飼われた牛のように、金玉によって情緒をたかぶらされて、それをしぼりとられていたのだ。人類は家畜だったのだ!戦争などダメだとわかっているのに、人の心に「敵」の概念を植え付けて、戦争を起こしてきたのは、全部、金玉のしわざだったのだ!人類は理性的なのに、国際関係を正しく導けないのは、金玉のせいだった。
「残忍で血なまぐさい戦争の噂、実際の戦争。信仰上の敵や、信仰上の暴動。財政的危機。労働問題。人種問題。イデオロギーの戦い。広汎な宣伝。殺人、虐殺、天災といった情緒を動かす形。革命、そしてまた戦争」
全部、金玉のしわざ!
金玉は人間の中に入って心を読むことができる。金玉の存在に気づいた科学者たちは、金玉にそれと知られて、抹殺されたのだ。
主人公たちは、なんとか世界に金玉の存在を訴えることに成功するが、金玉には読心術以外にも技があった。
金玉は、人間を拉致して、脳に侵入し、どんな命令にもしたがう傀儡にすることができるのだ。
アジアの国々が欧米相手に戦争をしかける。あっちこっちにスパイが跋扈する。核戦争も勃発。
金玉を退治できるのは、ある波長の短波だとわかってくるが、どの波長なのか特定できない。
金玉に脳を支配されてしまった人間は、本書では「気違い」と書かれている。
金玉の手先たる気違いから、最終的に金玉の弱点をさぐるシーンは爆笑ものだ。
世界中の科学者たちが、センチ単位で実験チームにわかれて、金玉の弱点の短波を探っている。1ケ所にかたまっていると危険なので、各地にちらばって、実験をしているのだ。
主人公グレアムは、「気違い」になってしまった同僚に、それと気づかぬふりをして、会話する。
「ぼくらは大勢の科学者グループのあいだで、広い周波帯を分けたんだ」
「あなた、御存知なの、どこにそのグループがいて、それぞれがやっていることを?」
「実験グループはたくさんあるが、ぼくはその場所をぜんぶ知っているんだ。ひとつ残らずね。きみが波長を言ってくれさえすれば、ぼくは、だれがそれを試そうとしているのか言えるよ、どこでということもね」
「0、5センチメートル」
本書は人類家畜テーマのSFなのだが、随所にこうしたユーモアがあふれている。たとえば、主人公のグレアムは、金玉に意識をさぐられても大丈夫なように、必死で女体を想像して意識をそっちに向けて対抗したりする!
今回の大騒動で得をする奴が怪しい、と葬儀屋を疑うジョークをとばしたり。
物語の後半では気違いが大人数になって大騒動になる。後半の気違い騒ぎのくだりでは、文章も気違いめいてくる。
「恐怖にゆがんだ人の顔が、幽霊のような光に鱗のように見え、発光体の進路のまん前に冷汁を流していた」(冷汁!)などなど。
もっと面白い例があったはずなのに、今、いくら探しても見つからなかった。金玉のしわざか?
ストーリーがシンプルで、一直線、しかもどんどんエスカレートしていく狂躁ぶりは、とても面白くて、読みやすかった。
作品の世界は2015年だが、えんえんと紹介される金玉現象の実例が1930年代に集中しているのが可笑しい。作品が書かれた時代では最新の情報なのだろうが、読みようによっては、70年ほどそんな超常現象はなかった、ということにもなるからだ。
また、そんなにも人類が家畜にされることを嫌がるのなら、まず自分たちが家畜たちを解放してやろう、という発想になるはずだが、そんなことはちっとも考えられないようだ。
人類もまた金玉の仲間なのだ。
エリック・フランク・ラッセルの『超生命ヴァイトン』を読んだ。
山田正紀が『神狩り』の先行作品として名前をあげていたもので、SFの古典。
科学者が次々と恐怖にかられて死んで行く冒頭。まるで、リングの出だしを思わせる。科学者たちはある発見をしていたのだ。
地球は目には見えない光球生命体が支配していたのだ。光る球状生命体はヴァイトンと名付けられるが、ここでは「金玉」と呼ぶことにしよう。
金玉を発見する契機は、こんな風。
望遠鏡や顕微鏡が、今まで見えなかった世界を可視化したように、スペクトルの可視部分を赤外線の奥まで伸ばす発見がなされた。(ヨードとか使う)すると、あっちこっちに意識を持って動く火の玉のようなものが見えたのだ。金玉だ!金玉はエネルギー体で、人類の情緒を食べている。人類は、まるで牧場で飼われた牛のように、金玉によって情緒をたかぶらされて、それをしぼりとられていたのだ。人類は家畜だったのだ!戦争などダメだとわかっているのに、人の心に「敵」の概念を植え付けて、戦争を起こしてきたのは、全部、金玉のしわざだったのだ!人類は理性的なのに、国際関係を正しく導けないのは、金玉のせいだった。
「残忍で血なまぐさい戦争の噂、実際の戦争。信仰上の敵や、信仰上の暴動。財政的危機。労働問題。人種問題。イデオロギーの戦い。広汎な宣伝。殺人、虐殺、天災といった情緒を動かす形。革命、そしてまた戦争」
全部、金玉のしわざ!
金玉は人間の中に入って心を読むことができる。金玉の存在に気づいた科学者たちは、金玉にそれと知られて、抹殺されたのだ。
主人公たちは、なんとか世界に金玉の存在を訴えることに成功するが、金玉には読心術以外にも技があった。
金玉は、人間を拉致して、脳に侵入し、どんな命令にもしたがう傀儡にすることができるのだ。
アジアの国々が欧米相手に戦争をしかける。あっちこっちにスパイが跋扈する。核戦争も勃発。
金玉を退治できるのは、ある波長の短波だとわかってくるが、どの波長なのか特定できない。
金玉に脳を支配されてしまった人間は、本書では「気違い」と書かれている。
金玉の手先たる気違いから、最終的に金玉の弱点をさぐるシーンは爆笑ものだ。
世界中の科学者たちが、センチ単位で実験チームにわかれて、金玉の弱点の短波を探っている。1ケ所にかたまっていると危険なので、各地にちらばって、実験をしているのだ。
主人公グレアムは、「気違い」になってしまった同僚に、それと気づかぬふりをして、会話する。
「ぼくらは大勢の科学者グループのあいだで、広い周波帯を分けたんだ」
「あなた、御存知なの、どこにそのグループがいて、それぞれがやっていることを?」
「実験グループはたくさんあるが、ぼくはその場所をぜんぶ知っているんだ。ひとつ残らずね。きみが波長を言ってくれさえすれば、ぼくは、だれがそれを試そうとしているのか言えるよ、どこでということもね」
「0、5センチメートル」
本書は人類家畜テーマのSFなのだが、随所にこうしたユーモアがあふれている。たとえば、主人公のグレアムは、金玉に意識をさぐられても大丈夫なように、必死で女体を想像して意識をそっちに向けて対抗したりする!
今回の大騒動で得をする奴が怪しい、と葬儀屋を疑うジョークをとばしたり。
物語の後半では気違いが大人数になって大騒動になる。後半の気違い騒ぎのくだりでは、文章も気違いめいてくる。
「恐怖にゆがんだ人の顔が、幽霊のような光に鱗のように見え、発光体の進路のまん前に冷汁を流していた」(冷汁!)などなど。
もっと面白い例があったはずなのに、今、いくら探しても見つからなかった。金玉のしわざか?
ストーリーがシンプルで、一直線、しかもどんどんエスカレートしていく狂躁ぶりは、とても面白くて、読みやすかった。
作品の世界は2015年だが、えんえんと紹介される金玉現象の実例が1930年代に集中しているのが可笑しい。作品が書かれた時代では最新の情報なのだろうが、読みようによっては、70年ほどそんな超常現象はなかった、ということにもなるからだ。
また、そんなにも人類が家畜にされることを嫌がるのなら、まず自分たちが家畜たちを解放してやろう、という発想になるはずだが、そんなことはちっとも考えられないようだ。
人類もまた金玉の仲間なのだ。
カレル・チャペックのごあいさつ
2007年6月6日 読書
ISBN:4791761200 単行本 田才 益夫 青土社 2004/05 ¥1,470
『カレル・チャペックのごあいさつ』を読んだ。
チャペックのエッセイ集。
発表した文章に対して読者から抗議の投書などがあることも書かれている。それに対する切り返しもさすが。いつの時代も、わからん奴というのはいるものなのだな。
お母さんの新人たち
縁起かつぎ
夢について
陽気な車掌さん
窓の外
メランコリー
旅先の弱き性
雪
自分の意見
神秘の入口で
美術品あさり
発明
スイッチ
猫
郵便
不器用者万歳
毛皮のなかのシラミ
毛皮をもたないシラミ
文字の秘密
雪崩
ぼやき屋
いくつかの決まり文句
犬と猫
麻薬
趣味
夏休み
おとぎ話と現実
ごあいさつ
身近なところから切り込んでいく短文の面白いこと!
いくつか引用してみる。
「メランコリー」
人生最大の苦痛であるメランコリーは小さな原因に由来する痛みです。英雄的行為を許さないがゆえに最も重症なのです。英雄的憂鬱病患者はいません。憂鬱病はいかなる場合も小さな痛みにたいする弱さです。あるいは、むしろ無防備さです。
「自分の意見」
もし公衆の面前でオナラを放ったら、きっと恥ずかしいでしょう。でも公衆の面前で自分の意見を放っても、このほうがよっぽど悪いにもかかわらず、まるで恥じようともしない
「神秘の入口で」ではいくつかの法則が示される。
意図的行為の法則(今ならマーフィーの法則と呼ばれる事柄)
第三の道の法則(ああなるか、こうなるか、と予想していても、それとは別の結果になる)
連続の法則(1年あわなかった人に1日に7回も会う、とか)
「スイッチ」
ある意味では社会的システムとか世界秩序を変えようとすることよりも、自分の机の上の秩序ないし無秩序を変えることのほうがむずかしいとも言えます。
「郵便」
「どこかから、何かがやってくる」それは神秘的で果てしのない可能性です。この可能性があらゆる経験を越えて毎日郵便の呼び鈴の音で開けるのです。
「不器用者万歳」
でも、本当は、彼ら(不器用者)はちょっと手を触れただけで生命のない物に予想もつかない活力を与える魔術師と言ってもいいのではないでしょうか。
「いくつかの決まり文句」では3つの決まり文句について書かれている。
『そのことは屋根の上の雀たちがしゃべっている』
自分に無関係なことや、ろくに知りもしないことについてペチャクチャやるのは人間たちです。
『どんな子供だって知っている』
子供たちならまだいいのです。だって小さな子供なら、それを私たち他人にひけらかしはしないからです。
『どんな狐も自分の尻尾をほめる』(演説パロディ)
「麻薬」
もちろん、どんな娯楽だってけちをつけられるいわれはないし、誰もが楽しむのは望ましいことです。だが、そうだとしても麻薬は第一に、真の安らぎなどでは絶対にありません。それに心の底から陽気になるためには目を覚ましている必要があります。
「ごあいさつ」はチャペックの絶筆だが、これがまた涙が出そうになるような名エッセイだ。人はいろんな国について何かしらの印象をもっている、というところから書き起こす。イギリス、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア各国について、それぞれ思い出す情景を語る。国どうしが遠く感じられ、敵意や他人行儀が支配したときに、これらの情景が、それを解消してくれる。んだって。そう思うよ!
知識のひけらかしでもなく、妄想を並べたてるのでもなく、印象をだらだら垂れ流すのでもない文章たち。うまいなあ。
『カレル・チャペックのごあいさつ』を読んだ。
チャペックのエッセイ集。
発表した文章に対して読者から抗議の投書などがあることも書かれている。それに対する切り返しもさすが。いつの時代も、わからん奴というのはいるものなのだな。
お母さんの新人たち
縁起かつぎ
夢について
陽気な車掌さん
窓の外
メランコリー
旅先の弱き性
雪
自分の意見
神秘の入口で
美術品あさり
発明
スイッチ
猫
郵便
不器用者万歳
毛皮のなかのシラミ
毛皮をもたないシラミ
文字の秘密
雪崩
ぼやき屋
いくつかの決まり文句
犬と猫
麻薬
趣味
夏休み
おとぎ話と現実
ごあいさつ
身近なところから切り込んでいく短文の面白いこと!
いくつか引用してみる。
「メランコリー」
人生最大の苦痛であるメランコリーは小さな原因に由来する痛みです。英雄的行為を許さないがゆえに最も重症なのです。英雄的憂鬱病患者はいません。憂鬱病はいかなる場合も小さな痛みにたいする弱さです。あるいは、むしろ無防備さです。
「自分の意見」
もし公衆の面前でオナラを放ったら、きっと恥ずかしいでしょう。でも公衆の面前で自分の意見を放っても、このほうがよっぽど悪いにもかかわらず、まるで恥じようともしない
「神秘の入口で」ではいくつかの法則が示される。
意図的行為の法則(今ならマーフィーの法則と呼ばれる事柄)
第三の道の法則(ああなるか、こうなるか、と予想していても、それとは別の結果になる)
連続の法則(1年あわなかった人に1日に7回も会う、とか)
「スイッチ」
ある意味では社会的システムとか世界秩序を変えようとすることよりも、自分の机の上の秩序ないし無秩序を変えることのほうがむずかしいとも言えます。
「郵便」
「どこかから、何かがやってくる」それは神秘的で果てしのない可能性です。この可能性があらゆる経験を越えて毎日郵便の呼び鈴の音で開けるのです。
「不器用者万歳」
でも、本当は、彼ら(不器用者)はちょっと手を触れただけで生命のない物に予想もつかない活力を与える魔術師と言ってもいいのではないでしょうか。
「いくつかの決まり文句」では3つの決まり文句について書かれている。
『そのことは屋根の上の雀たちがしゃべっている』
自分に無関係なことや、ろくに知りもしないことについてペチャクチャやるのは人間たちです。
『どんな子供だって知っている』
子供たちならまだいいのです。だって小さな子供なら、それを私たち他人にひけらかしはしないからです。
『どんな狐も自分の尻尾をほめる』(演説パロディ)
「麻薬」
もちろん、どんな娯楽だってけちをつけられるいわれはないし、誰もが楽しむのは望ましいことです。だが、そうだとしても麻薬は第一に、真の安らぎなどでは絶対にありません。それに心の底から陽気になるためには目を覚ましている必要があります。
「ごあいさつ」はチャペックの絶筆だが、これがまた涙が出そうになるような名エッセイだ。人はいろんな国について何かしらの印象をもっている、というところから書き起こす。イギリス、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア各国について、それぞれ思い出す情景を語る。国どうしが遠く感じられ、敵意や他人行儀が支配したときに、これらの情景が、それを解消してくれる。んだって。そう思うよ!
知識のひけらかしでもなく、妄想を並べたてるのでもなく、印象をだらだら垂れ流すのでもない文章たち。うまいなあ。
ISBN:4309621872 単行本 殊能 将之 河出書房新社 2005/10/26 ¥1,995
アヴラム・デイヴィッドスンの『どんがらがん』を読んだ。
序文/グラニア・デイヴィス
「ゴーレム」
おまえたちを滅ぼしにきた、と宣告するゴーレムを庭の芝刈などこきつかう。
「物は証言できない」
奴隷を物扱いしていた人物が、容疑をかけられる羽目に。目撃者は奴隷ばかりで証言の権利がない。
「さあ、みんなで眠ろう」
お遊びの狩り以外に役に立たなかった遅れた星の下等生物ヤフー。人体実験のかわりにできると知って、ヤフーたちは苛酷な実験生物に格上げ。すべてを見てきた男は、ヤフーたちを安楽死させる。
「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」
あったはずの安全ピンがなかなか見つからないのは何故?いつのまにか針金製のハンガーが増えているのは何故?それは、安全ピンは実は卵で、ハンガ−になるからなのだ。
「ラホール駐屯地での出来事」
お別れの手紙の届き先が違って、刃傷沙汰。
「クィーン・エステル、おうちはどこさ?」
カリブ海出身の下働きの女性。彼女の作るスパイシーな料理や迷信が、奥様は気に入らない。奥様は迷信の魔物ダッピーに襲われる。
「尾をつながれた王族」
尾をつながれて身動きとれない一族のために水を運ぶ「一つ目」
尾を切った母親と外の世界に出かける。
「サシュヴラル」
猿扱いされていたサシュヴラルは、自分が猿だと思わされていた、と言う。でも、サシュヴラルは本当に猿じゃないのか?
「眺めのいい静かな部屋」
老人ホームで若き日の武勇伝を語る老人。その嘘を見抜いた者を殺害。
この話で面白かったのは、ボケた老人が、1つの話題でしゃべっていても、何かきっかけを与えると、すぐにそっちの話題に変わってしまうところ。
たとえば、トルコの風習について語っているとき、誰かが「今日の夕食はチキンか」と言ったら、トルコの話はすっかり忘れられて、夕食のチキンの話になってしまう。
「グーバーども」
子供を脅すための、子取りグーバーが、実際にやってくる。
「パシャルーニー大尉」
突然あらわれた父親が、預けてあった学校にやってきて、過ごす楽しい1日。
実は父親ではなく、その子の母親を愛していた男だった。子供は母親に生き写しだったのだ。
「そして赤い薔薇一輪を忘れずに」
素晴らしい本を売っている店。『仏教の連祷』の値段は「生まれたての赤ん坊と同じ重さの銀の延べ棒」。一番安かったのは、『世にも稀なる秘密の書。ごみと糞と麸からいかに金銀を製するか、またいかに愛情を勝ち得るか、加えて、和合の態位138種と、直立を保つばかりか美味しいこと請けあいの滋養物レシピ60種。ある賢者の書』その値段は、「バビロンのサンダル商人の割れた頭と、その口にはさんだ赤い薔薇一輪」
買えないな、と思ってたら、いつも嫌がらせをする客が、バビロンで靴屋をやってることを知る。
「ナポリ」
旅行者が味わう、自分のもつ常識が何も通用しない文化の違い。
その土地から逃げ出したい若者。
「すべての根っこに宿る力」
発見した死体を見張っていなくてはならないのに、うっかり眠ってしまった。目覚めると、死体がない。言い訳が成立しないので、新しい死体を用意する。
「ナイルの水源」
流行を予言的に先取りする能力をもつ人物。
彼が残した「ナイルの水源」の言葉は!
「どんがらがん」
どけどけ〜!だんじりだ〜!やりまわしだ〜!みんな逃げろ〜!
ボンバボン!
あ〜あ、こわれちゃった。
解説/殊能将之
こいつ、何考えてるんだろう、と思わせる短編集。アイディアだけをとりあげて、「な〜るほど」と膝をたたくような作品ではなく、作者のこの情熱はいったい何に起因しているのか、と不思議に思う作品が多い。
澁澤種村風だという衒学エッセイも読んでみたいし、全然受けなかった絶対の自信作も読んでみたい。この作家、僕の趣味にかなりあいそうなのだ。
それと、彼が代作したというエラリイ・クイーンの『第八の日』も、アヴラム・デイヴィッドスンの手によるものとして、読んでみるか。
アヴラム・デイヴィッドスンの『どんがらがん』を読んだ。
序文/グラニア・デイヴィス
「ゴーレム」
おまえたちを滅ぼしにきた、と宣告するゴーレムを庭の芝刈などこきつかう。
「物は証言できない」
奴隷を物扱いしていた人物が、容疑をかけられる羽目に。目撃者は奴隷ばかりで証言の権利がない。
「さあ、みんなで眠ろう」
お遊びの狩り以外に役に立たなかった遅れた星の下等生物ヤフー。人体実験のかわりにできると知って、ヤフーたちは苛酷な実験生物に格上げ。すべてを見てきた男は、ヤフーたちを安楽死させる。
「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」
あったはずの安全ピンがなかなか見つからないのは何故?いつのまにか針金製のハンガーが増えているのは何故?それは、安全ピンは実は卵で、ハンガ−になるからなのだ。
「ラホール駐屯地での出来事」
お別れの手紙の届き先が違って、刃傷沙汰。
「クィーン・エステル、おうちはどこさ?」
カリブ海出身の下働きの女性。彼女の作るスパイシーな料理や迷信が、奥様は気に入らない。奥様は迷信の魔物ダッピーに襲われる。
「尾をつながれた王族」
尾をつながれて身動きとれない一族のために水を運ぶ「一つ目」
尾を切った母親と外の世界に出かける。
「サシュヴラル」
猿扱いされていたサシュヴラルは、自分が猿だと思わされていた、と言う。でも、サシュヴラルは本当に猿じゃないのか?
「眺めのいい静かな部屋」
老人ホームで若き日の武勇伝を語る老人。その嘘を見抜いた者を殺害。
この話で面白かったのは、ボケた老人が、1つの話題でしゃべっていても、何かきっかけを与えると、すぐにそっちの話題に変わってしまうところ。
たとえば、トルコの風習について語っているとき、誰かが「今日の夕食はチキンか」と言ったら、トルコの話はすっかり忘れられて、夕食のチキンの話になってしまう。
「グーバーども」
子供を脅すための、子取りグーバーが、実際にやってくる。
「パシャルーニー大尉」
突然あらわれた父親が、預けてあった学校にやってきて、過ごす楽しい1日。
実は父親ではなく、その子の母親を愛していた男だった。子供は母親に生き写しだったのだ。
「そして赤い薔薇一輪を忘れずに」
素晴らしい本を売っている店。『仏教の連祷』の値段は「生まれたての赤ん坊と同じ重さの銀の延べ棒」。一番安かったのは、『世にも稀なる秘密の書。ごみと糞と麸からいかに金銀を製するか、またいかに愛情を勝ち得るか、加えて、和合の態位138種と、直立を保つばかりか美味しいこと請けあいの滋養物レシピ60種。ある賢者の書』その値段は、「バビロンのサンダル商人の割れた頭と、その口にはさんだ赤い薔薇一輪」
買えないな、と思ってたら、いつも嫌がらせをする客が、バビロンで靴屋をやってることを知る。
「ナポリ」
旅行者が味わう、自分のもつ常識が何も通用しない文化の違い。
その土地から逃げ出したい若者。
「すべての根っこに宿る力」
発見した死体を見張っていなくてはならないのに、うっかり眠ってしまった。目覚めると、死体がない。言い訳が成立しないので、新しい死体を用意する。
「ナイルの水源」
流行を予言的に先取りする能力をもつ人物。
彼が残した「ナイルの水源」の言葉は!
「どんがらがん」
どけどけ〜!だんじりだ〜!やりまわしだ〜!みんな逃げろ〜!
ボンバボン!
あ〜あ、こわれちゃった。
解説/殊能将之
こいつ、何考えてるんだろう、と思わせる短編集。アイディアだけをとりあげて、「な〜るほど」と膝をたたくような作品ではなく、作者のこの情熱はいったい何に起因しているのか、と不思議に思う作品が多い。
澁澤種村風だという衒学エッセイも読んでみたいし、全然受けなかった絶対の自信作も読んでみたい。この作家、僕の趣味にかなりあいそうなのだ。
それと、彼が代作したというエラリイ・クイーンの『第八の日』も、アヴラム・デイヴィッドスンの手によるものとして、読んでみるか。
猫目小僧〜黒猫・白猫〜ねえ!キスしてよ
2007年6月4日 映画 コメント (1)
DVD パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン 2004/09/17 ¥4,179
今日はペロペロキャンディーズ単独ライブのDVDを見たり、格闘技のダイナマイトUSAやボクシングのイーグル防衛戦などを見て過ごした。
卒業したリーダーのなおが、あゆのことを「白くて真面目」と言ってた。僕がペロペロキャンディーズのメンバーそれぞれを注目しだしたのはつい最近のことなので、参考になった。
それ以外では、外出時に「ガネーシュ」あらため「ガネーシャ」にはじめて行ってランチを食べたり。マンゴーシャワーカフェの割引券をもらったので、やはり、その系列になったのだな、と確認した。
あと、いくつか録画しておいた映画を見た。
楳図かずおの漫画を実写映画化した「猫目小僧」。井口昇監督、2005年。
民俗学がそのまま生きていそうな田舎の物語。
顔のアザで少女(石田未来)が差別されたり、顔に3つめの目玉のあるギョロリ(竹中直人)が自らを醜いと称したり、まあ、現代の都会ではありえない。
物語は肉玉の話で、ゾンビのように肉玉たちが迫ってくる。
井口昇監督は「まだらの少女」で楳図かずおの世界を面白いほど再現してみせたが、本作では、それほど「再現」はされていない。怖い話なのに、どこかユーモラスなところが、楳図テイストなのかもしれないが。
あと、猫目小僧を演ずる役者(だれ?)の独特の体型が全然「小僧」じゃなくて、艶のあるパンパンに張った顔をしているのが、ショタコンには物足りないところだ。あれじゃ猫目おやじだ。
全体にスカトロ風味であり、猫目小僧が吐き出した唾が薬になるところや、肉玉が女性の口の中にムリムリと入っていくシーンはゾクゾクする。
僕はショタコンでもスカトロでもないのに。
猫目小僧がギョロリに「なぜおまえは村びとの味方をする?」と聞かれて「たまたま」だと答えるのが、深い。
エミール・クストリッツァ監督の「黒猫・白猫」を見た。1998年
おわかりのとおり、昨日の「ドラえもん」から、猫映画を続けて見ているのだ。
「猫目小僧」の音楽を担当していた浅草ジンタにつながるような音楽がこの「黒猫・白猫」でも流れ続ける。
スカトロ風味も共通している。
この映画は過剰なエネルギーが雑然と噴出していて、その力の波に翻弄されるのが心地良い。銃とか発砲しまくり。
ゴッドファーザーの老人が車から放り出されてジェリー・ルイスよろしく道を滑走するシーン。
ストーリーには無関係に、豚が車を食べ続けるシーン。
小柄(身長1メートル)な女性「テントウムシ」が怒り狂うのを、井戸で水ぜめにして黙らせるシーン。
便所にはまって糞尿まみれになった男が、生きた鵞鳥をタオルがわりに使うシーン。
手榴弾をお手玉していて、1つ落して爆発させてしまうシーン。
テントウムシが結婚式から逃げるのに、プレゼント箱や切り株をかぶって移動するシーン。
結婚式をしようとしたら人が死んで、延期するかと思ったら、その事実を隠してお祭り騒ぎの結婚式を続けるシチュエーションが繰り返されるところ。
さらに、死んだと思っていた人物が、全員生き返ってしまうところ。
テントウムシと運転手がそれぞれ運命の相手をさがしており、出会ったときに、お互いがその運命の人だとわかるシーン。
だれが正しいとか、いい悪いとか、生死とか、何もかもがどうでもよくなってしまうパワーに、ちまちまと明日の心配をして生きている自分が恥ずかしくなってくる。
してはならないと言われることを何一つ守ろうとしない人々。
僕が実践できているのは、宵越しの銭は持たないってところくらいか。
なにがなんだかむちゃくちゃなのに、最後に「ハッピーエンド」が堂々と出てくるのが痛快だ。
ビリー・ワイルダー監督の「ねえ!キスしてよ」を見た。1964年。
これは猫映画ではない。先に見た映画でジェリー・ルイスのギャグを思い出したので、底抜けシリーズのディーン・マーティン出演の映画を見たくなったのだ。
たまたま町に立ち寄った歌手のディノ(ディーン・マーティン)を作曲家(レイ・ウォルストン)は自宅に引き止めて、曲を売り込もうとする。だが、ディノは女に目がなく、作曲家は重度のやきもち焼きだった。妻(フェリシア・ファー)の身を案じて、妻を怒らせて実家に帰らせ、そのかわりに娼婦のピストル・ポリー(キム・ノヴァク)を1日妻にした。にせ妻をディノにあてがって、曲の売り込みを成功させようというもくろみでもある。
この映画もギャグ満載の喜劇で、楽しく見れた。
ガソリンスタンドでライターにだけ給油する客。
歯科医で笑気ガスのかわりにジョークで治療をほどこすシーン。
牛乳屋への注文を浮気の手紙だと勘違い。
ベートーヴェンのセーターを作曲家は着ているが、タンスをあけたらバッハなどのバージョンがずらりとかかっている。
妻を怒らせようとして、さんざん妻の母親の悪口を言うが、妻はそれを全部同意してしまう。(ゴジラ呼ばわり)
などなど。
音楽ネタではこんなものが。
ガソリンスタンド店長クリフ・オズモンド(こいつが騒動の元凶)が作詞した歌は「僕は落し卵」
僕はトーストなしの落し卵
ステーキなしのポテトサラダ
エサなしのねずみとり
ウィ−ン人のいないウィーン
みたいなクリープをいれないコーヒーネタが続いて、最終的に「君なしの僕」としめるのである。
また、作曲家が盗作されたと言い張る曲は「思い出のサンディエゴ」(元ネタは思い出のサンフランシスコ)で、楽譜に書かれたタイトルなどからひろってみると、彼の他のレパートリーには次のようなものがあるようだ。
月影のプレッツェル
ラストボサノバはわたしと
恋の泉(two coins in the fountain/twoをthreeにすると「愛の泉」)
母の日には優しく
ピカルディーに猫柳咲くころ
パーティにはツイストの得意なママと
それ以外にも、歌手の名前がふんだんに出てくる。
有名歌手ディノの相手をすると知ったときに、キム・ノヴァクが「アンディ・ウィリアムズの方がよかったわ」と言ったり。
ディノが「俺とフランク・シナトラとビング・クロスビーとサミー・デイビス・ジュニアとで仕事をした。若草物語だ」とジョークとばしたり(この3人だったと思う)。
作曲家の妻はかつてディノの熱狂的なファンだったが、友人は途中でミッチ・ミラーのファンに鞍替えした、とか。
さて、映画のストーリーに戻ると。
キム・ノヴァクは好きで身を売っているのではなく、本職はマニキュア師なのに、この町では需要がなかっただけなのだ。作曲家はにせの夫婦を演じるうちに、彼女のことを理解していく。作曲家はディノを追い出し、彼女を妻として遇する。
また、はからずも大ファンのディノと遭遇した妻は、夫の歌の売り込みに成功するのである。(ディノは女なしでは翌日頭痛がする、と言ってたのに、元気そうに帰る。妻の枕もとにはお金が)
ディノは作曲家の妻を悪場所「へそ」のホステスだと勘違いしていた。一方、作曲家はキム・ノヴァクとともに寝室に入る。夫婦は違う相手とそれぞれ1夜を過ごしたのだ。
結局、この映画もハッピーエンドに終わる。夫婦愛は以前よりも深まり、ディノは全国番組で作曲家の歌を披露し、作詞したガソリンスタンド店長は早くも自分と作曲家のセーターを作って着ている。キム・ノヴァクもトレーラーを引っ張って町を出て行く。
作曲家は、どういう経緯でディノが作曲家の歌をうたうことになったか不審に思うが、妻はこういうのだ。
「おばかさん、ねえ、キスしてよ」
今日はペロペロキャンディーズ単独ライブのDVDを見たり、格闘技のダイナマイトUSAやボクシングのイーグル防衛戦などを見て過ごした。
卒業したリーダーのなおが、あゆのことを「白くて真面目」と言ってた。僕がペロペロキャンディーズのメンバーそれぞれを注目しだしたのはつい最近のことなので、参考になった。
それ以外では、外出時に「ガネーシュ」あらため「ガネーシャ」にはじめて行ってランチを食べたり。マンゴーシャワーカフェの割引券をもらったので、やはり、その系列になったのだな、と確認した。
あと、いくつか録画しておいた映画を見た。
楳図かずおの漫画を実写映画化した「猫目小僧」。井口昇監督、2005年。
民俗学がそのまま生きていそうな田舎の物語。
顔のアザで少女(石田未来)が差別されたり、顔に3つめの目玉のあるギョロリ(竹中直人)が自らを醜いと称したり、まあ、現代の都会ではありえない。
物語は肉玉の話で、ゾンビのように肉玉たちが迫ってくる。
井口昇監督は「まだらの少女」で楳図かずおの世界を面白いほど再現してみせたが、本作では、それほど「再現」はされていない。怖い話なのに、どこかユーモラスなところが、楳図テイストなのかもしれないが。
あと、猫目小僧を演ずる役者(だれ?)の独特の体型が全然「小僧」じゃなくて、艶のあるパンパンに張った顔をしているのが、ショタコンには物足りないところだ。あれじゃ猫目おやじだ。
全体にスカトロ風味であり、猫目小僧が吐き出した唾が薬になるところや、肉玉が女性の口の中にムリムリと入っていくシーンはゾクゾクする。
僕はショタコンでもスカトロでもないのに。
猫目小僧がギョロリに「なぜおまえは村びとの味方をする?」と聞かれて「たまたま」だと答えるのが、深い。
エミール・クストリッツァ監督の「黒猫・白猫」を見た。1998年
おわかりのとおり、昨日の「ドラえもん」から、猫映画を続けて見ているのだ。
「猫目小僧」の音楽を担当していた浅草ジンタにつながるような音楽がこの「黒猫・白猫」でも流れ続ける。
スカトロ風味も共通している。
この映画は過剰なエネルギーが雑然と噴出していて、その力の波に翻弄されるのが心地良い。銃とか発砲しまくり。
ゴッドファーザーの老人が車から放り出されてジェリー・ルイスよろしく道を滑走するシーン。
ストーリーには無関係に、豚が車を食べ続けるシーン。
小柄(身長1メートル)な女性「テントウムシ」が怒り狂うのを、井戸で水ぜめにして黙らせるシーン。
便所にはまって糞尿まみれになった男が、生きた鵞鳥をタオルがわりに使うシーン。
手榴弾をお手玉していて、1つ落して爆発させてしまうシーン。
テントウムシが結婚式から逃げるのに、プレゼント箱や切り株をかぶって移動するシーン。
結婚式をしようとしたら人が死んで、延期するかと思ったら、その事実を隠してお祭り騒ぎの結婚式を続けるシチュエーションが繰り返されるところ。
さらに、死んだと思っていた人物が、全員生き返ってしまうところ。
テントウムシと運転手がそれぞれ運命の相手をさがしており、出会ったときに、お互いがその運命の人だとわかるシーン。
だれが正しいとか、いい悪いとか、生死とか、何もかもがどうでもよくなってしまうパワーに、ちまちまと明日の心配をして生きている自分が恥ずかしくなってくる。
してはならないと言われることを何一つ守ろうとしない人々。
僕が実践できているのは、宵越しの銭は持たないってところくらいか。
なにがなんだかむちゃくちゃなのに、最後に「ハッピーエンド」が堂々と出てくるのが痛快だ。
ビリー・ワイルダー監督の「ねえ!キスしてよ」を見た。1964年。
これは猫映画ではない。先に見た映画でジェリー・ルイスのギャグを思い出したので、底抜けシリーズのディーン・マーティン出演の映画を見たくなったのだ。
たまたま町に立ち寄った歌手のディノ(ディーン・マーティン)を作曲家(レイ・ウォルストン)は自宅に引き止めて、曲を売り込もうとする。だが、ディノは女に目がなく、作曲家は重度のやきもち焼きだった。妻(フェリシア・ファー)の身を案じて、妻を怒らせて実家に帰らせ、そのかわりに娼婦のピストル・ポリー(キム・ノヴァク)を1日妻にした。にせ妻をディノにあてがって、曲の売り込みを成功させようというもくろみでもある。
この映画もギャグ満載の喜劇で、楽しく見れた。
ガソリンスタンドでライターにだけ給油する客。
歯科医で笑気ガスのかわりにジョークで治療をほどこすシーン。
牛乳屋への注文を浮気の手紙だと勘違い。
ベートーヴェンのセーターを作曲家は着ているが、タンスをあけたらバッハなどのバージョンがずらりとかかっている。
妻を怒らせようとして、さんざん妻の母親の悪口を言うが、妻はそれを全部同意してしまう。(ゴジラ呼ばわり)
などなど。
音楽ネタではこんなものが。
ガソリンスタンド店長クリフ・オズモンド(こいつが騒動の元凶)が作詞した歌は「僕は落し卵」
僕はトーストなしの落し卵
ステーキなしのポテトサラダ
エサなしのねずみとり
ウィ−ン人のいないウィーン
みたいなクリープをいれないコーヒーネタが続いて、最終的に「君なしの僕」としめるのである。
また、作曲家が盗作されたと言い張る曲は「思い出のサンディエゴ」(元ネタは思い出のサンフランシスコ)で、楽譜に書かれたタイトルなどからひろってみると、彼の他のレパートリーには次のようなものがあるようだ。
月影のプレッツェル
ラストボサノバはわたしと
恋の泉(two coins in the fountain/twoをthreeにすると「愛の泉」)
母の日には優しく
ピカルディーに猫柳咲くころ
パーティにはツイストの得意なママと
それ以外にも、歌手の名前がふんだんに出てくる。
有名歌手ディノの相手をすると知ったときに、キム・ノヴァクが「アンディ・ウィリアムズの方がよかったわ」と言ったり。
ディノが「俺とフランク・シナトラとビング・クロスビーとサミー・デイビス・ジュニアとで仕事をした。若草物語だ」とジョークとばしたり(この3人だったと思う)。
作曲家の妻はかつてディノの熱狂的なファンだったが、友人は途中でミッチ・ミラーのファンに鞍替えした、とか。
さて、映画のストーリーに戻ると。
キム・ノヴァクは好きで身を売っているのではなく、本職はマニキュア師なのに、この町では需要がなかっただけなのだ。作曲家はにせの夫婦を演じるうちに、彼女のことを理解していく。作曲家はディノを追い出し、彼女を妻として遇する。
また、はからずも大ファンのディノと遭遇した妻は、夫の歌の売り込みに成功するのである。(ディノは女なしでは翌日頭痛がする、と言ってたのに、元気そうに帰る。妻の枕もとにはお金が)
ディノは作曲家の妻を悪場所「へそ」のホステスだと勘違いしていた。一方、作曲家はキム・ノヴァクとともに寝室に入る。夫婦は違う相手とそれぞれ1夜を過ごしたのだ。
結局、この映画もハッピーエンドに終わる。夫婦愛は以前よりも深まり、ディノは全国番組で作曲家の歌を披露し、作詞したガソリンスタンド店長は早くも自分と作曲家のセーターを作って着ている。キム・ノヴァクもトレーラーを引っ張って町を出て行く。
作曲家は、どういう経緯でディノが作曲家の歌をうたうことになったか不審に思うが、妻はこういうのだ。
「おばかさん、ねえ、キスしてよ」
DVD ポニーキャニオン 2001/11/07 ¥3,990
午前11時30分から心斎橋FANJで「Girls Pnic」
出演順に。
TOUCH
1.ラブ・ライク・キャンディフロス
2.クインシー
3.ラブ・ラズベリー・ジュース
4.タイムリミット
MCでは、TOUCHで行ったボウリング大会の話など。
ゆうちゃんが最下位だというのが、萌えてしまうのは何故だ。
TOUCHのダンスはやっぱりいいなあ。
でも、このFANJはステージが狭くて、TOUCHが存分に踊れたとは言い難く、それが残念だ。
ちゃーみー☆くぃ〜ん
1.彼女はゴキゲンナナメ
2.コスメチックコスメチック
3.モバイルラブ
4.友情
「いつもぐだぐだ」と言うが、わりとタイトなライブになったと思う。
でも、曲がはじまる直前に2人で何やらマイクを通さずにしゃべっている光景は、マイペースさを感じさせて、よかった。
appeal
1.サンシャイン
2.マイオンリーダーリン
3.ラブ&スマイル
4.スタート
今日はオリジナル曲でかためた!
途中でハート型の風船を客席に飛ばすのが、とてもいい演出で、盛り上がった。
アピ−ル見たら無条件で楽しく元気になるが、3人の持つ要素がうまく調合されて、薬のように作用してるんじゃないか、と思う。
ミューズ
1.ちょっとだけMY LOVE
2.瞳は元気なブルースカイ
3.kitto…
4.二人だけのディスタンス
5.好きと言いなさい
6.満月の夜に迎えにきて
今回のライブイベントで、一番実力を見せつけたのは、このミューズだろう。
歌もダンスもルックスも衣装も満足。歌は楽曲のよさと、歌唱力両方とも及第点だった。
オリジナルがあんまりないのがミューズのネックでもあるのだが、いずれそれは解消されていくことだろう。
いきなりキャッチーな「ちょっとだけMY LOVE」ではじまり、しおりメインの「kitto…」りゆ&しおりメインの「二人だけのディスタンス」を経て、本田美奈子の「満月の夜に迎えにきて」でしめくくる構成は、まるでリサイタルを見ているかのごとき陶酔を呼び起こした。ワンマンライブを見たい。
あと、まりながトーク中に紹介した言葉がよかった。
「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分」だって!
僕は逃げないぞ!
ペロペロキャンディーズ
1.Pa-La-La
2.あんぶれら
3.スマイル:)
4.キラキラ
5,ねぇ、わかんない?
昨日のミミガーはやっぱりカナが食べたようだ。
あゆ俄然イチオシで見たライブは、やっぱりあゆが光って見えた。
あと、あすかの性格の良さみたいなものを強く感じた。
騙されてる?
騙されてナンボでしょ!
H@chi
1.レッツ・パーティ
2.ココロのちず
3.ロマンティック浮かれモード
4.ビリーブ
5.スターウェイブ
(アンコール)
6.ココロのちず
さすがに盛り上げる。「おとろしや」を見ているかのようだ。
H@chiは正統派アイドルというよりは、いわゆる「若者のアイドル」(aka壁の穴)というやつで、ターゲットはオタクとは微妙にずれているように思う。
その大きなあらわれが、衣装に関する無頓着さだ。
今回のライブでは、お茶の間に進出するappealの「可愛い私服」も含めて、各ユニットのコスチュームは、ライブならではの非現実感があった。簡単に言えば、それは「ステージ衣装」ということになるのだが、H@chiには、この「ステージ衣装」感が極端に乏しいのである。それはアイドルと客との異様なまでの距離の近さでも見てとれる。H@chiが目指すものは何なんだろう。それとも、近日中に迫ったメジャーデビュー以降、H@chiは変化するのか?
今日は夕方からチェックしていたイベントが4つほどあって、どれにしようか、と悩んだあげく、イベントに行かずにNHK-FM「現代の音楽」を聞くことにした。一番興味があったのだ。これは安上がり。
今年5月27日に東京オペラシティ・コンサートホールで行われた「武満徹作曲賞 本選演奏会」からの3曲。案内の西村朗が審査員をつとめた。日本人としては湯浅譲二に次ぐ2人目になるという。
音楽研究家の白石美雪をゲストに迎えての番組。
いずれの演奏も岩村力指揮、東京フィルハーモニー交響楽団
1曲めは「アクア〜武満徹の追憶に」ファン・マン作曲 (12分30秒)
中国の女性作曲家ファン・マンの2003年作品。
「晩年の武満徹をほうふつとさせる」(西村)
と、いうわけで、西村朗審査では第3位。
2曲目は「夢の回想」ウー・イーミン作曲 (9分22秒)
1983年7月生まれの中国の作曲家。今回はじめて国外に出たと言う。これもまた武満サウンドを思わせる作品。
西村審査ではこれも第3位。この選考会では、1位が出ないこともあれば、3位が複数出る場合もあるそうだ。ただし、西村朗はあくまでも1位、2位あっての3位という評価の仕方をしていると言ってた。
3曲目は「戦場に美しき蝶が舞いのぼる」 ヨーナス・ヴァルフリードソン作曲 (9分41秒)
27才のスウェーデン作曲家。これを1位だと感じた人も多かったが、西村審査は第3位。
オーケストラを使って自分の必要な音だけを書いて表現しているところはすごいが、音楽を作るにあたってのモチベーションを強く感じられなかったことが、第1位にならなかったポイントだと言う。若い作曲家に求められる、破綻や危険、こわさがなかったとも。
白石美雪は、今日の3曲のなかではこの「戦場に美しき蝶が舞いのぼる」が最も印象に残ったと言ってた。
僕自身も、1、2曲目に比べて、このヨーナス・ヴァルフリードソンの作品をこそ、もっと聞きたくなった。
次回放送では、西村朗が1位、2位に選んだ作品が聞けるはずだ。
午後6時は自宅に釘付け。
「ドラえもんのび太の魔界大冒険」を見た。1984年。芝山努監督。
新版も見て、最近大長編のコミックスも再読したところなので、ストーリーが頭に入っており、そのせいか、シンプルな物語のように見えた。
80年代といえば、バリバリ現代のはずなのに、この映画で描かれているのび太の日常世界は、ノスタルジーを引き起こすもので、生活のテンポものんびりしている。
「ドラえもん」だから仕方ないのか。「サザエさん」みたいなものなのか。
この映画を今見ても、ドラえもんや、しずかちゃんの声は老婆の声にしか聞こえなかった。
また、のび太の無能っぷりは非常にイライラするもので、激昂する気持をおさえるのがたいへんだった。
しかし、物語そのものはとても面白かった。
なんでもこの映画ではドラミが登場して窮地を救うところが、御都合主義だというような批判もあるらしい。そんな意見が出ることが僕には不可解でならない。そんなことを言い出せば、まず、のび太がいじめの対象になって自殺していないという設定を御都合主義だと主張することだってできる。あんなに子供のことを理解していない母親を、のび太が殺害していないことを御都合主義だということだってできる。空き地に自由に出入りできる、ということも不自然だ。ドラえもんが見世物にされていないことを御都合主義だと言ってもいい。
さらに言えば、「御都合主義」がまるで欠点でもあるかのような言い方にも違和感がある。
ドラミがデウスエクスマキナであっていけない法はあるまい。
少なくとも、僕はドラミが出てきてホッとした。
少年探偵団の物語で明智が出てきたときや、ルブランの物語でルパンが出てきたときのような、安心感が得られた。
もしもドラミの登場に違和感を覚えた子供がいるのなら、それは不幸な子供だと言わざるをえない。その子供はすべてのおとぎ話、いや、ありとあらゆるフィクションに突っ込みをいれてしまう哀しい人生を送るに違いないからだ。突っ込みには高度の芸が必要で、それ抜きでは単なる揚げ足とり、クレーマーでしかないのだ。
今考えると、新版はこの旧作に対する批判などをクリアするような形で、書き換えが行われているようだ。
でも、最後に大魔王の心臓(星)に銀の矢を投げたのが、新版だとのび太で、旧作ではジャイアンだったところは、旧作の方が自然だろうと思った。
本作で、投げた瞬間にのび太がジャイアンに「名投手!」と声をかけるシーンにしびれたからだ。のび太を何が何でも主人公に据えなければならない、という不自然さがなく、適材適所、得意なところは得意な者が担当すればいいのだ。
そう言えば、人魚の歌声に誘われるのび太たちを、ジャイアンの音痴な歌声が救うシーンも、新版ではカットされていた。
そんなにもジャイアンに手柄をわけるのが嫌なのか、新しいのび太は!
ますますのび太が嫌いになった。
午前11時30分から心斎橋FANJで「Girls Pnic」
出演順に。
TOUCH
1.ラブ・ライク・キャンディフロス
2.クインシー
3.ラブ・ラズベリー・ジュース
4.タイムリミット
MCでは、TOUCHで行ったボウリング大会の話など。
ゆうちゃんが最下位だというのが、萌えてしまうのは何故だ。
TOUCHのダンスはやっぱりいいなあ。
でも、このFANJはステージが狭くて、TOUCHが存分に踊れたとは言い難く、それが残念だ。
ちゃーみー☆くぃ〜ん
1.彼女はゴキゲンナナメ
2.コスメチックコスメチック
3.モバイルラブ
4.友情
「いつもぐだぐだ」と言うが、わりとタイトなライブになったと思う。
でも、曲がはじまる直前に2人で何やらマイクを通さずにしゃべっている光景は、マイペースさを感じさせて、よかった。
appeal
1.サンシャイン
2.マイオンリーダーリン
3.ラブ&スマイル
4.スタート
今日はオリジナル曲でかためた!
途中でハート型の風船を客席に飛ばすのが、とてもいい演出で、盛り上がった。
アピ−ル見たら無条件で楽しく元気になるが、3人の持つ要素がうまく調合されて、薬のように作用してるんじゃないか、と思う。
ミューズ
1.ちょっとだけMY LOVE
2.瞳は元気なブルースカイ
3.kitto…
4.二人だけのディスタンス
5.好きと言いなさい
6.満月の夜に迎えにきて
今回のライブイベントで、一番実力を見せつけたのは、このミューズだろう。
歌もダンスもルックスも衣装も満足。歌は楽曲のよさと、歌唱力両方とも及第点だった。
オリジナルがあんまりないのがミューズのネックでもあるのだが、いずれそれは解消されていくことだろう。
いきなりキャッチーな「ちょっとだけMY LOVE」ではじまり、しおりメインの「kitto…」りゆ&しおりメインの「二人だけのディスタンス」を経て、本田美奈子の「満月の夜に迎えにきて」でしめくくる構成は、まるでリサイタルを見ているかのごとき陶酔を呼び起こした。ワンマンライブを見たい。
あと、まりながトーク中に紹介した言葉がよかった。
「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分」だって!
僕は逃げないぞ!
ペロペロキャンディーズ
1.Pa-La-La
2.あんぶれら
3.スマイル:)
4.キラキラ
5,ねぇ、わかんない?
昨日のミミガーはやっぱりカナが食べたようだ。
あゆ俄然イチオシで見たライブは、やっぱりあゆが光って見えた。
あと、あすかの性格の良さみたいなものを強く感じた。
騙されてる?
騙されてナンボでしょ!
H@chi
1.レッツ・パーティ
2.ココロのちず
3.ロマンティック浮かれモード
4.ビリーブ
5.スターウェイブ
(アンコール)
6.ココロのちず
さすがに盛り上げる。「おとろしや」を見ているかのようだ。
H@chiは正統派アイドルというよりは、いわゆる「若者のアイドル」(aka壁の穴)というやつで、ターゲットはオタクとは微妙にずれているように思う。
その大きなあらわれが、衣装に関する無頓着さだ。
今回のライブでは、お茶の間に進出するappealの「可愛い私服」も含めて、各ユニットのコスチュームは、ライブならではの非現実感があった。簡単に言えば、それは「ステージ衣装」ということになるのだが、H@chiには、この「ステージ衣装」感が極端に乏しいのである。それはアイドルと客との異様なまでの距離の近さでも見てとれる。H@chiが目指すものは何なんだろう。それとも、近日中に迫ったメジャーデビュー以降、H@chiは変化するのか?
今日は夕方からチェックしていたイベントが4つほどあって、どれにしようか、と悩んだあげく、イベントに行かずにNHK-FM「現代の音楽」を聞くことにした。一番興味があったのだ。これは安上がり。
今年5月27日に東京オペラシティ・コンサートホールで行われた「武満徹作曲賞 本選演奏会」からの3曲。案内の西村朗が審査員をつとめた。日本人としては湯浅譲二に次ぐ2人目になるという。
音楽研究家の白石美雪をゲストに迎えての番組。
いずれの演奏も岩村力指揮、東京フィルハーモニー交響楽団
1曲めは「アクア〜武満徹の追憶に」ファン・マン作曲 (12分30秒)
中国の女性作曲家ファン・マンの2003年作品。
「晩年の武満徹をほうふつとさせる」(西村)
と、いうわけで、西村朗審査では第3位。
2曲目は「夢の回想」ウー・イーミン作曲 (9分22秒)
1983年7月生まれの中国の作曲家。今回はじめて国外に出たと言う。これもまた武満サウンドを思わせる作品。
西村審査ではこれも第3位。この選考会では、1位が出ないこともあれば、3位が複数出る場合もあるそうだ。ただし、西村朗はあくまでも1位、2位あっての3位という評価の仕方をしていると言ってた。
3曲目は「戦場に美しき蝶が舞いのぼる」 ヨーナス・ヴァルフリードソン作曲 (9分41秒)
27才のスウェーデン作曲家。これを1位だと感じた人も多かったが、西村審査は第3位。
オーケストラを使って自分の必要な音だけを書いて表現しているところはすごいが、音楽を作るにあたってのモチベーションを強く感じられなかったことが、第1位にならなかったポイントだと言う。若い作曲家に求められる、破綻や危険、こわさがなかったとも。
白石美雪は、今日の3曲のなかではこの「戦場に美しき蝶が舞いのぼる」が最も印象に残ったと言ってた。
僕自身も、1、2曲目に比べて、このヨーナス・ヴァルフリードソンの作品をこそ、もっと聞きたくなった。
次回放送では、西村朗が1位、2位に選んだ作品が聞けるはずだ。
午後6時は自宅に釘付け。
「ドラえもんのび太の魔界大冒険」を見た。1984年。芝山努監督。
新版も見て、最近大長編のコミックスも再読したところなので、ストーリーが頭に入っており、そのせいか、シンプルな物語のように見えた。
80年代といえば、バリバリ現代のはずなのに、この映画で描かれているのび太の日常世界は、ノスタルジーを引き起こすもので、生活のテンポものんびりしている。
「ドラえもん」だから仕方ないのか。「サザエさん」みたいなものなのか。
この映画を今見ても、ドラえもんや、しずかちゃんの声は老婆の声にしか聞こえなかった。
また、のび太の無能っぷりは非常にイライラするもので、激昂する気持をおさえるのがたいへんだった。
しかし、物語そのものはとても面白かった。
なんでもこの映画ではドラミが登場して窮地を救うところが、御都合主義だというような批判もあるらしい。そんな意見が出ることが僕には不可解でならない。そんなことを言い出せば、まず、のび太がいじめの対象になって自殺していないという設定を御都合主義だと主張することだってできる。あんなに子供のことを理解していない母親を、のび太が殺害していないことを御都合主義だということだってできる。空き地に自由に出入りできる、ということも不自然だ。ドラえもんが見世物にされていないことを御都合主義だと言ってもいい。
さらに言えば、「御都合主義」がまるで欠点でもあるかのような言い方にも違和感がある。
ドラミがデウスエクスマキナであっていけない法はあるまい。
少なくとも、僕はドラミが出てきてホッとした。
少年探偵団の物語で明智が出てきたときや、ルブランの物語でルパンが出てきたときのような、安心感が得られた。
もしもドラミの登場に違和感を覚えた子供がいるのなら、それは不幸な子供だと言わざるをえない。その子供はすべてのおとぎ話、いや、ありとあらゆるフィクションに突っ込みをいれてしまう哀しい人生を送るに違いないからだ。突っ込みには高度の芸が必要で、それ抜きでは単なる揚げ足とり、クレーマーでしかないのだ。
今考えると、新版はこの旧作に対する批判などをクリアするような形で、書き換えが行われているようだ。
でも、最後に大魔王の心臓(星)に銀の矢を投げたのが、新版だとのび太で、旧作ではジャイアンだったところは、旧作の方が自然だろうと思った。
本作で、投げた瞬間にのび太がジャイアンに「名投手!」と声をかけるシーンにしびれたからだ。のび太を何が何でも主人公に据えなければならない、という不自然さがなく、適材適所、得意なところは得意な者が担当すればいいのだ。
そう言えば、人魚の歌声に誘われるのび太たちを、ジャイアンの音痴な歌声が救うシーンも、新版ではカットされていた。
そんなにもジャイアンに手柄をわけるのが嫌なのか、新しいのび太は!
ますますのび太が嫌いになった。
もっとペロキャン!ワンコインぷちライブvol.3〜STSライブ57th
2007年6月2日 アイドル
信長書店日本橋店で午後3時から「もっとペロキャン!ワンコインぷちライブvol.3」
今回の衣装は、あゆ、あすぴがウェイトレス、カナ吉、あかりんソが袴だったが、一応「メイド」という括りだったようだ。
開演前の諸注意をメンバーが分担して影マイクで放送した。
誰だ!「紛失」を「そんしつ」と読み間違えたのは!
1.Pa-La-La
2.あんぶれら
3.キラキラ
自己紹介をはさんでの3曲のあとは、ゲームコーナー。
「正直者はだれだゲーム」マイ帽子をかぶっているのは1人だけで、誰が正直に帽子についてのエピソードを語っているかを、お客さんが判定する。
伊東明日香が正直者で、自分が買った帽子をかぶっていた。
お客さんを多くだませたメンバーには、ミミガー進呈、というルールで、見事みんなを騙したのは、森浦あゆ子だった。
でも、このルールだと、正直者はミミガーもらえないのでは。
撮影タイム3分間。
そして、最後の曲は
4.ねぇ、わかんない?
イベント終了後、物販タイムになった。
ステージで森浦あゆ子と伊東明日香の2人が、物販についての説明。
購入したものにサインするとか、ぷちライブシリーズのシールラリーのこととか。(1〜5をコンプリートすると、好きなメンバーから暑中見舞いが届く)
ここでの見ものは、あすぴが脇に引っ込んで、あゆが1人になって時間をつながなくてはならなくなったときの、あゆのパフォーマンスだ。頭上で手拍子して回るとか、ケチャとか、いわゆるオタ芸ってやつを楽しそうにしていた。
惜しくも持病のために卒業したリーダーなおの影に隠れてよくわからなかったのだが、この森浦あゆ子の求心力、ファンに対する絶妙な接し方に感心した。
今までに何回もペロペロキャンディーズのライブは見てきたが、ここにきて、急に、森浦あゆ子が気になってきた。
俄然、イチオシである。
こういうアイドルのイベントで友人に会うことはまずないのだが、今日は悪魔ダイコン君に会えた。
天保山で開催中の「カップアイス甲子園」に行き、「馬刺しアイス」を食べた。
マロンアイスか、あるいは、駄菓子のタラを混ぜ込んだアイスを食べているような感触だ。おいしかったが、300円もするので、もう食べない。アイス食べたあとに、つまようじがほしくなる、という不思議な体験。
「親子丼アイス」や「きしめんアイス」「いぐさアイス」など気になるものがいっぱいあったので、また行くかも。
海遊館の土曜日なので、人が多く、ドンドルマやジェラテリアアンティカに行列が出来ていた。そんなに珍しいか?と僕はひたすらカップアイスあさり。
午後7時からSTSライブ57th。
第1部
1.Open Your Mind/ジュニアスペシャルダンスチーム
2.Possesion/トレード
3.THE美学/チックス
4.COLOR OF SOUL/アーミーズ
5.A Perfect Sky/キューティーミニ
6.SHOW TIME/ステッパーズ
7.Tic Toc/ジュニアダンスチーム2
8.CRAZY ABOUT YOU/ペトラキッズ
9.TOXIC/スーパーバブルズ
第2部
1.桜援歌(オウエンカ)/忍者選抜
2.ミッキーマウスマーチ/ミニミニclub
3.A Street Story/タイフーンJr.&ラズベリーズ
4.COLOR OF SEASON/Twinkle☆Petal
5.満月の夜に迎えに来て/ミューズ
6.Breakin’ out to the Morning/プリッツ
7.sexy,naughty,bitchy/ブラックベリーズ
8.Garnet Moon/ブラックベリーズ
前回の人気投票でもブラックベリーズが1位で、TOUCHが次いだ。
Twinkle(星)Petalのデビューは見逃していたが、今回は3人新メンバーが増えて、総勢5人になった。
新しく入った3人は、橋本なつみ、加治木みゆき、東理菜。
これでフレーズの再登場はとうぶん無いな、と思わせるメンバーだが、それよりも、レパートリーの「.COLOR OF SEASON」にはぶったまげた。これはいちごっ娘の持ち歌だった曲で、曲間に、ついつい「いちごっこ〜!」と声援してしまいそうになった。
あと、今回のライブで気になったのは、チックスの立石瑞貴(たていしみずき)ちゃん。1997年12月2日生まれ。
彼女のダンスは独特の間があって、とても面白いことに気づいた。
どんなに難しいダンスでも、汗ひとつかかずにさらっと踊ってみせそうなクールさを感じたのだ。今後、要チェック。
さて、今回の僕のベスト3は、そんなわけで、
1.プリッツ
2.Twinkle Petal
3.チックス
になった。
プリッツはなんだか踊りがバラバラのように見えて、「どうしたんだ?」と一瞬思ったのだが、プリッツの持つ最大の魅力である「パワー」がそんな疑問を吹き飛ばした。
体内で打ち上げ花火を爆発させたような魅力が、プリッツにはある。
今回の衣装は、あゆ、あすぴがウェイトレス、カナ吉、あかりんソが袴だったが、一応「メイド」という括りだったようだ。
開演前の諸注意をメンバーが分担して影マイクで放送した。
誰だ!「紛失」を「そんしつ」と読み間違えたのは!
1.Pa-La-La
2.あんぶれら
3.キラキラ
自己紹介をはさんでの3曲のあとは、ゲームコーナー。
「正直者はだれだゲーム」マイ帽子をかぶっているのは1人だけで、誰が正直に帽子についてのエピソードを語っているかを、お客さんが判定する。
伊東明日香が正直者で、自分が買った帽子をかぶっていた。
お客さんを多くだませたメンバーには、ミミガー進呈、というルールで、見事みんなを騙したのは、森浦あゆ子だった。
でも、このルールだと、正直者はミミガーもらえないのでは。
撮影タイム3分間。
そして、最後の曲は
4.ねぇ、わかんない?
イベント終了後、物販タイムになった。
ステージで森浦あゆ子と伊東明日香の2人が、物販についての説明。
購入したものにサインするとか、ぷちライブシリーズのシールラリーのこととか。(1〜5をコンプリートすると、好きなメンバーから暑中見舞いが届く)
ここでの見ものは、あすぴが脇に引っ込んで、あゆが1人になって時間をつながなくてはならなくなったときの、あゆのパフォーマンスだ。頭上で手拍子して回るとか、ケチャとか、いわゆるオタ芸ってやつを楽しそうにしていた。
惜しくも持病のために卒業したリーダーなおの影に隠れてよくわからなかったのだが、この森浦あゆ子の求心力、ファンに対する絶妙な接し方に感心した。
今までに何回もペロペロキャンディーズのライブは見てきたが、ここにきて、急に、森浦あゆ子が気になってきた。
俄然、イチオシである。
こういうアイドルのイベントで友人に会うことはまずないのだが、今日は悪魔ダイコン君に会えた。
天保山で開催中の「カップアイス甲子園」に行き、「馬刺しアイス」を食べた。
マロンアイスか、あるいは、駄菓子のタラを混ぜ込んだアイスを食べているような感触だ。おいしかったが、300円もするので、もう食べない。アイス食べたあとに、つまようじがほしくなる、という不思議な体験。
「親子丼アイス」や「きしめんアイス」「いぐさアイス」など気になるものがいっぱいあったので、また行くかも。
海遊館の土曜日なので、人が多く、ドンドルマやジェラテリアアンティカに行列が出来ていた。そんなに珍しいか?と僕はひたすらカップアイスあさり。
午後7時からSTSライブ57th。
第1部
1.Open Your Mind/ジュニアスペシャルダンスチーム
2.Possesion/トレード
3.THE美学/チックス
4.COLOR OF SOUL/アーミーズ
5.A Perfect Sky/キューティーミニ
6.SHOW TIME/ステッパーズ
7.Tic Toc/ジュニアダンスチーム2
8.CRAZY ABOUT YOU/ペトラキッズ
9.TOXIC/スーパーバブルズ
第2部
1.桜援歌(オウエンカ)/忍者選抜
2.ミッキーマウスマーチ/ミニミニclub
3.A Street Story/タイフーンJr.&ラズベリーズ
4.COLOR OF SEASON/Twinkle☆Petal
5.満月の夜に迎えに来て/ミューズ
6.Breakin’ out to the Morning/プリッツ
7.sexy,naughty,bitchy/ブラックベリーズ
8.Garnet Moon/ブラックベリーズ
前回の人気投票でもブラックベリーズが1位で、TOUCHが次いだ。
Twinkle(星)Petalのデビューは見逃していたが、今回は3人新メンバーが増えて、総勢5人になった。
新しく入った3人は、橋本なつみ、加治木みゆき、東理菜。
これでフレーズの再登場はとうぶん無いな、と思わせるメンバーだが、それよりも、レパートリーの「.COLOR OF SEASON」にはぶったまげた。これはいちごっ娘の持ち歌だった曲で、曲間に、ついつい「いちごっこ〜!」と声援してしまいそうになった。
あと、今回のライブで気になったのは、チックスの立石瑞貴(たていしみずき)ちゃん。1997年12月2日生まれ。
彼女のダンスは独特の間があって、とても面白いことに気づいた。
どんなに難しいダンスでも、汗ひとつかかずにさらっと踊ってみせそうなクールさを感じたのだ。今後、要チェック。
さて、今回の僕のベスト3は、そんなわけで、
1.プリッツ
2.Twinkle Petal
3.チックス
になった。
プリッツはなんだか踊りがバラバラのように見えて、「どうしたんだ?」と一瞬思ったのだが、プリッツの持つ最大の魅力である「パワー」がそんな疑問を吹き飛ばした。
体内で打ち上げ花火を爆発させたような魅力が、プリッツにはある。
夜勤明けに聞いたNHK-FMは、ジョナサン・ノット指揮のリゲティだった。
「アトモスフェール〜管弦楽のための」(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮)ジョナサン・ノット
<TELDEC WPCS−11281>
「レクイエム〜ソプラノ、メゾ・ソプラノ、混声合唱とオーケストラのための」リゲティ作曲(ソプラノ)カロリーネ・シュタイン(メゾ・ソプラノ)マルグリート・ファン・レイセン(混声合唱)ロンドン・ヴォイセズ(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮)ジョナサン・ノット
<TELDEC WPCS−11592>
朝から俄然テンションアゲアゲだ。
映画の日だったので、久々に映画を見た。
サントーシュ・シヴァン監督の「ナヴァラサ」2005年、インド。
少女シュエータは、女装する叔父ガウタムを追って、クーヴァガムの祭に行く。
ガウタム(今後、宇梶と表記することにしよう)は、その祭で、マハーバーラタのエピソードに出てくるアラヴァンと結婚し、女として生きていこうとしているのだ。
シュエータ(今後、宝生と表記することにしよう)は、宇梶を連れて帰り、医者にみせようとしている。
途中で、同じく性同一性障害のボビー(今後、マエケンと表記することにしよう)と同行し、美人コンテストなどを経て、クーヴァガムの祭へ。
クーヴァガムの祭で、巨大なアラヴァンの山車が出、泥道を祈りながら転がる信者がいたり、騒然とした雰囲気は、実際の祭を記録しているようだ。
映画の前半はフィクションなのだが、途中から、美人コンテストの模様や、クーヴァガムの祭、弁論大会出場者による主張など、ドキュメンタリー的要素が侵食していく。
美人コンテストで、マエケンが実際に出場し、なんと優勝してしまったり。(たしかに、他の出場者に比べたら、マエケンを美人に選びたくなる気持はよくわかる)
マエケンが語って泣いてしまうトランスジェンダーの体験談が本人の実話だったり。
映画は宝生の不思議の国のアリス風に展開していく。
宇梶に会えた宝生は、宇梶を家に連れてかえる。
そして、宝生は家族の理解を得ようとするのだが。
宇梶はとうてい受け入れられないものと思って、家を出ようとし、家族は「世間に顔向けできない。これで娘の縁談も来ない」と嘆く。女装している、と聞いただけで、ベルトで鞭打とうとまでするのだ。
現実は、実際、そんなところなのだろう。
しかし、宝生には偏見はなく、次の世代には宇梶のような存在も認められるんではないか、と予感させて、この映画は終わっている。
アリスがその冒険後にも変化しないのと同様、この映画でも宝生はクーヴァガムの祭や性同一性障害の世界を通って帰ってきても、彼女自身に変化はない。
当たり前のように宇梶を受け入れる世界に、既に宝生は住んでいるのだ。
宝生の客観性は、まるで「だけじゃないテイジン!」みたいな透徹ぶりだ。
あと、面白かったのは、いろんな何でもないシーンが、まるでホラー映画のような驚かしをすることだ。
いやでも高まる緊張感と、別世界感。
重いテーマのはずなのに、深刻ぶってない面白さ。
こういう、マイノリティーへの偏見などをテーマにした映画を見たあとは、どことなく、自分自身が他の客に認めてもらえたような気分になるから不思議だ。
「アトモスフェール〜管弦楽のための」(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮)ジョナサン・ノット
<TELDEC WPCS−11281>
「レクイエム〜ソプラノ、メゾ・ソプラノ、混声合唱とオーケストラのための」リゲティ作曲(ソプラノ)カロリーネ・シュタイン(メゾ・ソプラノ)マルグリート・ファン・レイセン(混声合唱)ロンドン・ヴォイセズ(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮)ジョナサン・ノット
<TELDEC WPCS−11592>
朝から俄然テンションアゲアゲだ。
映画の日だったので、久々に映画を見た。
サントーシュ・シヴァン監督の「ナヴァラサ」2005年、インド。
少女シュエータは、女装する叔父ガウタムを追って、クーヴァガムの祭に行く。
ガウタム(今後、宇梶と表記することにしよう)は、その祭で、マハーバーラタのエピソードに出てくるアラヴァンと結婚し、女として生きていこうとしているのだ。
シュエータ(今後、宝生と表記することにしよう)は、宇梶を連れて帰り、医者にみせようとしている。
途中で、同じく性同一性障害のボビー(今後、マエケンと表記することにしよう)と同行し、美人コンテストなどを経て、クーヴァガムの祭へ。
クーヴァガムの祭で、巨大なアラヴァンの山車が出、泥道を祈りながら転がる信者がいたり、騒然とした雰囲気は、実際の祭を記録しているようだ。
映画の前半はフィクションなのだが、途中から、美人コンテストの模様や、クーヴァガムの祭、弁論大会出場者による主張など、ドキュメンタリー的要素が侵食していく。
美人コンテストで、マエケンが実際に出場し、なんと優勝してしまったり。(たしかに、他の出場者に比べたら、マエケンを美人に選びたくなる気持はよくわかる)
マエケンが語って泣いてしまうトランスジェンダーの体験談が本人の実話だったり。
映画は宝生の不思議の国のアリス風に展開していく。
宇梶に会えた宝生は、宇梶を家に連れてかえる。
そして、宝生は家族の理解を得ようとするのだが。
宇梶はとうてい受け入れられないものと思って、家を出ようとし、家族は「世間に顔向けできない。これで娘の縁談も来ない」と嘆く。女装している、と聞いただけで、ベルトで鞭打とうとまでするのだ。
現実は、実際、そんなところなのだろう。
しかし、宝生には偏見はなく、次の世代には宇梶のような存在も認められるんではないか、と予感させて、この映画は終わっている。
アリスがその冒険後にも変化しないのと同様、この映画でも宝生はクーヴァガムの祭や性同一性障害の世界を通って帰ってきても、彼女自身に変化はない。
当たり前のように宇梶を受け入れる世界に、既に宝生は住んでいるのだ。
宝生の客観性は、まるで「だけじゃないテイジン!」みたいな透徹ぶりだ。
あと、面白かったのは、いろんな何でもないシーンが、まるでホラー映画のような驚かしをすることだ。
いやでも高まる緊張感と、別世界感。
重いテーマのはずなのに、深刻ぶってない面白さ。
こういう、マイノリティーへの偏見などをテーマにした映画を見たあとは、どことなく、自分自身が他の客に認めてもらえたような気分になるから不思議だ。
地球人のお荷物―ホーカ・シリーズ
2007年5月31日 読書
ISBN:4150115761 文庫 伊藤 典夫 早川書房 2006/08 ¥756
ポール・アンダースン&ゴードン・R・ディクスンの『地球人のお荷物』を読んだ。
惑星トーカに不時着したアレックス。
トーカに住んでいるホーカ族がどんな宇宙生物なのかと言うと、
(外見編)
身の丈1メートルそこそこ、ずんぐりむっくりした全身に黄金色の柔毛が生え、ぶったぎったような丸い顔に、小さい黒い眼。ずんぐりと指の太い手をのぞけば、その風貌は巨大なテディベア以外のなにものでもなかった。
(性格編)
ホーカは、従属的な立場に肚をたてるどころか、人なつっこく、手助けをおしまず、そう、唯一の欠点はそれ、物事にむやみに熱しやすいことなのだ。想像力がたくましすぎ、新しい概念に出会うとすぐ夢中になり、虚構と事実を区別する能力にとぼしい。
テディベアそっくりの宇宙人種たちが、地球の文化にかぶれて、物真似を真剣にやっているのだ。
最初の物語では、西部劇を見たホーカ族が、西部劇にかぶれてしまう。
「熱狂し、完全に酔ってしまい、神とあおぐ地球人をあらゆる点でまねることにした。映画の言葉つきをまねて英語をしゃべり、地球人の名前をつけ、地球人の服装をし、地球人の習俗を模し、ふるい種族形態をやめて、それを牧場や町で置き換える」
ホーカにもブームの流行りすたりみたいなものがあって、そのときどきでいろんな地球文化に染まっては、ドタバタを演じる。
作品と、何のブームにはまっているかを並べてみると。
ガルチ渓谷の対決/西部劇
ドン・ジョーンズ/ドンジュアン
進め、宇宙パトロール!/スペースオペラ
バスカヴィル家の宇宙犬/シャーロックホームズ
ヨー・ホー・ホーカ!/海賊
諸君、突撃だ!/ 外人部隊
たぶん、ぬいぐるみが人格を持ったりするユーモアSFは山ほどあるのだろうが、このホーカシリーズを越えるものがあるんだろうか。
設定もうまく生かしてあるし、どれもこれも面白い。
4話めの「バスカヴィル家の宇宙犬」にはミステリーファンが大喜びするようなギャグが詰まっている。
たとえば、シャーロック・ホームズになりきっているホーカ(見た目はテディベアだよ!)が、ジェフリイという麻薬Gメンとする会話は、こんな風。
「この事件には興味深い点がいくつかありますね。正直いって「犬」のことをどう解釈していいかわからない」
「だが、犬の話なんか、わたしはしませんよ」ジェフリイがポカンとしていった。
「だから、どう解釈していいかわからないのです」
ホームズを読んだことのある人なら、大喜びのギャグなのだ。
シュロック・ホームズに匹敵、あるいは、それを越えたパロディになっていると思う。
麻薬を取り締まるためにやってきたジェフリイの前で、ホームズを気取るホーカはコカインを注射する真似をしたりする。(からだにあわないので、蒸留水で代用)
また、ホームズ物でお馴染みの「未発表の事件」が、ここでもパロディであらわれる。
「僧正バラバラ事件」「はねる芋虫事件」「スコッチ箱の奇妙な事件」「大猟奇事件」「二枚のたまご焼き事件」
うむうむ!読みたいような、どうでもいいような!
一刻も早く地球に帰りたいアレックスなのだが、植民地の惑星トーカを管理、指導する役職につかされてしまい、なかなか帰れない。発展途上の惑星を導く、という設定が、「地球人のお荷物」というタイトルの意味だ。
各短編の終わりには、早く地球に転勤したいアレックスの嘆願と、それが結局通らずにトーカから離れられないオチがついている。
最後の方では(本書収録作品以降にもホーカのシリーズはあるそうなのだが)、アレックスも「まあ、ここもいいところだな」というように思いはじめる。
ほのぼのしたなあ。
ポール・アンダースン&ゴードン・R・ディクスンの『地球人のお荷物』を読んだ。
惑星トーカに不時着したアレックス。
トーカに住んでいるホーカ族がどんな宇宙生物なのかと言うと、
(外見編)
身の丈1メートルそこそこ、ずんぐりむっくりした全身に黄金色の柔毛が生え、ぶったぎったような丸い顔に、小さい黒い眼。ずんぐりと指の太い手をのぞけば、その風貌は巨大なテディベア以外のなにものでもなかった。
(性格編)
ホーカは、従属的な立場に肚をたてるどころか、人なつっこく、手助けをおしまず、そう、唯一の欠点はそれ、物事にむやみに熱しやすいことなのだ。想像力がたくましすぎ、新しい概念に出会うとすぐ夢中になり、虚構と事実を区別する能力にとぼしい。
テディベアそっくりの宇宙人種たちが、地球の文化にかぶれて、物真似を真剣にやっているのだ。
最初の物語では、西部劇を見たホーカ族が、西部劇にかぶれてしまう。
「熱狂し、完全に酔ってしまい、神とあおぐ地球人をあらゆる点でまねることにした。映画の言葉つきをまねて英語をしゃべり、地球人の名前をつけ、地球人の服装をし、地球人の習俗を模し、ふるい種族形態をやめて、それを牧場や町で置き換える」
ホーカにもブームの流行りすたりみたいなものがあって、そのときどきでいろんな地球文化に染まっては、ドタバタを演じる。
作品と、何のブームにはまっているかを並べてみると。
ガルチ渓谷の対決/西部劇
ドン・ジョーンズ/ドンジュアン
進め、宇宙パトロール!/スペースオペラ
バスカヴィル家の宇宙犬/シャーロックホームズ
ヨー・ホー・ホーカ!/海賊
諸君、突撃だ!/ 外人部隊
たぶん、ぬいぐるみが人格を持ったりするユーモアSFは山ほどあるのだろうが、このホーカシリーズを越えるものがあるんだろうか。
設定もうまく生かしてあるし、どれもこれも面白い。
4話めの「バスカヴィル家の宇宙犬」にはミステリーファンが大喜びするようなギャグが詰まっている。
たとえば、シャーロック・ホームズになりきっているホーカ(見た目はテディベアだよ!)が、ジェフリイという麻薬Gメンとする会話は、こんな風。
「この事件には興味深い点がいくつかありますね。正直いって「犬」のことをどう解釈していいかわからない」
「だが、犬の話なんか、わたしはしませんよ」ジェフリイがポカンとしていった。
「だから、どう解釈していいかわからないのです」
ホームズを読んだことのある人なら、大喜びのギャグなのだ。
シュロック・ホームズに匹敵、あるいは、それを越えたパロディになっていると思う。
麻薬を取り締まるためにやってきたジェフリイの前で、ホームズを気取るホーカはコカインを注射する真似をしたりする。(からだにあわないので、蒸留水で代用)
また、ホームズ物でお馴染みの「未発表の事件」が、ここでもパロディであらわれる。
「僧正バラバラ事件」「はねる芋虫事件」「スコッチ箱の奇妙な事件」「大猟奇事件」「二枚のたまご焼き事件」
うむうむ!読みたいような、どうでもいいような!
一刻も早く地球に帰りたいアレックスなのだが、植民地の惑星トーカを管理、指導する役職につかされてしまい、なかなか帰れない。発展途上の惑星を導く、という設定が、「地球人のお荷物」というタイトルの意味だ。
各短編の終わりには、早く地球に転勤したいアレックスの嘆願と、それが結局通らずにトーカから離れられないオチがついている。
最後の方では(本書収録作品以降にもホーカのシリーズはあるそうなのだが)、アレックスも「まあ、ここもいいところだな」というように思いはじめる。
ほのぼのしたなあ。
こまった人たち―チャペック小品集
2007年5月30日 読書
ISBN:4582765386 単行本 飯島 周 平凡社 2005/05 ¥1,155
カレル・チャペックの『こまった人たち』を読んだ。
1、ポケット短編集(括弧内は、簡単なメモ)
法律事件(事故で死人を生き返らせてしまった男が、莫大な請求をされる)
フォアグラのパテ(高価なパテを猫に全部毒見させてしまう)
発明家(汚し機で、こどもが服を汚す手間を省く、などなど)
サッカー場の奇蹟(ルールをたたきこんだ瞬間から勝てなくなる)
組織を作ろう(雀にエサをやってたら、「雀にえさをやるクラブ」ですかと聞かれる)
引っ越しビジネス(いろんな時代に引っ越し)
一番客(ぎこちない当惑を覚える一番客を派遣するビジネス)
ある提案(税金がどこにどう使われるかをすべて明らかに)
ビハーリ男爵の債権者クラブ(債権者たちが作ったクラブは男爵をいとおしく思う)
トンダ(豚に名前をつけたら屠殺しにくくなった。世界中の人が名前で話しかけることができたら、戦争はなくなるのでは)
旅行について(女の見栄と気まぐれで旅行先がころころ変わる)
光輪(天使の輪が頭上に出現。悪口を無理やり考えて、輪を消して平穏を得る)
空を翔べた男(空を飛べる男が、科学者たちに飛び方を指南されて飛べなくなる)
匿名者(悪意ある中傷を書き送ってくる人を見つけたが普通の人)
インタヴュー(インタヴューと記事がまったく違う)
10センターヴォ玉(情勢の変化で糾弾の対象になった男、コイン落したとき、みんなで親切に拾ってくれた)
2、遺稿(年代不詳)から
エジプトのヨゼフ−またはフロイト流の夢の解釈について(植物の固い茎の夢を見た娘を罰し、扉をあけて入ってくる夢を見た息子を殺そうとする)
空想について(人はすべての人を第2の自分と想像することができるはず)
馬子にも衣装(制服脱ぐとおひとよしになる警官、いい服を着ると物乞いできなくなる乞食)
歯が痛む時(歯痛のとき、自我は歯と歯周辺のことだけになる)
小さな灯(自分の道しか照らさない人は星を見ていた)
3、寓話集
ピレモン、または園芸について
園芸家イソップ
未来からの寓話
国内戦争についての寓話
この時代
断片1、2
寓話1〜14
寓話集からは、いくつかを引用しよう。
「国民」
国民とはただ、われらの命令に服して戦う者のみをいう。
「ニュース」
わが空軍は敵勢力への爆撃において著しい成果を収めた。敵の兵士1名、女性70名、子供100名が殺されたのである。
「ニュース」
敵は卑劣にも、敵の都市に対して穏便に爆弾を投下しようとしたわが飛行機に、砲撃をしかけた。
「断片」
政治家たちの努力のおかげで、世界の不安定が維持された。
「断片」
平和のためという名目で、かれらはあらゆるエネルギーを用いて被害者を抑圧した。
「狐」
すべての生き物は三種類に分けられる。敵と、競争相手と、餌食とに。
「死刑執行人」
わかるだろう、われわれにも感情はある。ただではそんな仕事はしないだろう。
「精神分析」
昨夜、わたしは亡くなった母の夢を見ました。これは近親相姦でしょうか、死姦でしょうか。
「カタツムリ」
たとえば直線は正しくはない、なぜなら、直線は螺旋状になっていないから。
「鯉」
どんな生き物も、空気中では生きられない。
「蟻」
わたし個人は戦争してませんよ。戦争しているのは蟻塚です。
「鏡」
人間とは、わたしの投影にすぎない。
「外交術」
われわれは暴力を非難する、しかしながら武器を供給することにはやぶさかではない。
「帝国主義者」
勢力の均衡、それはわれわれが優位に立っている場合のことだ。
「軍神マース」
攻撃的戦争禁止だって?まあいいや、防衛的戦争と懲罰十字軍が残ってさえいれば!
「国際的権利」
合法的にうまく行かぬものは、国家の威信という名目でなされる。
いっぱい引用したように見えるけど、膨大ななかのごく一部にすぎない。
カレルチャペックは1890年生まれ、1938年没。享年が今の僕の年齢。
多くの文章は、今書かれたんじゃないか、と思わせるほど、人間ってのは変わっていないのがよくわかる。
チャペックのファンは「チャペコマニア」と言うらしい。
僕もチャペコマニアになるか!
カレル・チャペックの『こまった人たち』を読んだ。
1、ポケット短編集(括弧内は、簡単なメモ)
法律事件(事故で死人を生き返らせてしまった男が、莫大な請求をされる)
フォアグラのパテ(高価なパテを猫に全部毒見させてしまう)
発明家(汚し機で、こどもが服を汚す手間を省く、などなど)
サッカー場の奇蹟(ルールをたたきこんだ瞬間から勝てなくなる)
組織を作ろう(雀にエサをやってたら、「雀にえさをやるクラブ」ですかと聞かれる)
引っ越しビジネス(いろんな時代に引っ越し)
一番客(ぎこちない当惑を覚える一番客を派遣するビジネス)
ある提案(税金がどこにどう使われるかをすべて明らかに)
ビハーリ男爵の債権者クラブ(債権者たちが作ったクラブは男爵をいとおしく思う)
トンダ(豚に名前をつけたら屠殺しにくくなった。世界中の人が名前で話しかけることができたら、戦争はなくなるのでは)
旅行について(女の見栄と気まぐれで旅行先がころころ変わる)
光輪(天使の輪が頭上に出現。悪口を無理やり考えて、輪を消して平穏を得る)
空を翔べた男(空を飛べる男が、科学者たちに飛び方を指南されて飛べなくなる)
匿名者(悪意ある中傷を書き送ってくる人を見つけたが普通の人)
インタヴュー(インタヴューと記事がまったく違う)
10センターヴォ玉(情勢の変化で糾弾の対象になった男、コイン落したとき、みんなで親切に拾ってくれた)
2、遺稿(年代不詳)から
エジプトのヨゼフ−またはフロイト流の夢の解釈について(植物の固い茎の夢を見た娘を罰し、扉をあけて入ってくる夢を見た息子を殺そうとする)
空想について(人はすべての人を第2の自分と想像することができるはず)
馬子にも衣装(制服脱ぐとおひとよしになる警官、いい服を着ると物乞いできなくなる乞食)
歯が痛む時(歯痛のとき、自我は歯と歯周辺のことだけになる)
小さな灯(自分の道しか照らさない人は星を見ていた)
3、寓話集
ピレモン、または園芸について
園芸家イソップ
未来からの寓話
国内戦争についての寓話
この時代
断片1、2
寓話1〜14
寓話集からは、いくつかを引用しよう。
「国民」
国民とはただ、われらの命令に服して戦う者のみをいう。
「ニュース」
わが空軍は敵勢力への爆撃において著しい成果を収めた。敵の兵士1名、女性70名、子供100名が殺されたのである。
「ニュース」
敵は卑劣にも、敵の都市に対して穏便に爆弾を投下しようとしたわが飛行機に、砲撃をしかけた。
「断片」
政治家たちの努力のおかげで、世界の不安定が維持された。
「断片」
平和のためという名目で、かれらはあらゆるエネルギーを用いて被害者を抑圧した。
「狐」
すべての生き物は三種類に分けられる。敵と、競争相手と、餌食とに。
「死刑執行人」
わかるだろう、われわれにも感情はある。ただではそんな仕事はしないだろう。
「精神分析」
昨夜、わたしは亡くなった母の夢を見ました。これは近親相姦でしょうか、死姦でしょうか。
「カタツムリ」
たとえば直線は正しくはない、なぜなら、直線は螺旋状になっていないから。
「鯉」
どんな生き物も、空気中では生きられない。
「蟻」
わたし個人は戦争してませんよ。戦争しているのは蟻塚です。
「鏡」
人間とは、わたしの投影にすぎない。
「外交術」
われわれは暴力を非難する、しかしながら武器を供給することにはやぶさかではない。
「帝国主義者」
勢力の均衡、それはわれわれが優位に立っている場合のことだ。
「軍神マース」
攻撃的戦争禁止だって?まあいいや、防衛的戦争と懲罰十字軍が残ってさえいれば!
「国際的権利」
合法的にうまく行かぬものは、国家の威信という名目でなされる。
いっぱい引用したように見えるけど、膨大ななかのごく一部にすぎない。
カレルチャペックは1890年生まれ、1938年没。享年が今の僕の年齢。
多くの文章は、今書かれたんじゃないか、と思わせるほど、人間ってのは変わっていないのがよくわかる。
チャペックのファンは「チャペコマニア」と言うらしい。
僕もチャペコマニアになるか!
ISBN:4621042246 単行本 高橋 昌一郎 丸善 1995/04 ¥2,940
スマリヤンの『哲学ファンタジー』を読んだ。
第1部 あなたはなぜ正直なのか
第1章 あなたはなぜ正直なのか
第2章 あるパズル
第2部 一般的な概念
第3章 さまざまな断片
第4章 ある論争
第3部 三つのファンタジー
第5章 シンプリカスと木−郊外でのシンポジウム
第6章 認識論的な悪夢
第7章 心身問題のファンタジー
第4部 生きるべきか死すべきか
第8章 生きるべきか死すべきか
第9章 生と死の禅
第10章 そこに何があるのか
第5部 結末のファンタジー
第11章 夢か現実か
第12章 悟りを開いた唯我論
第13章 紀元前5千年
おわりに
いくつかのコメント
人は哲学に何を求めることができるか
いくつかのメモ。
第1章 「あなたはなぜ正直なのか」に答える人々。
「道徳の観点から」「聖書がどうの」「社会的に有益」というわかりやすい回答から、「嘘をついてひどい目にあったから」という利己的な動機や、偶然嘘をつかずに過ごしてこれた、という回答、快楽だの気分だの道徳家が納得できない回答が続く。あげくのはてには、質問に対して「なぜ木は育つのですか?」と質問で返すものまで。
僕も考えてみた。僕はなぜ正直なのか。
答えが簡単にでてきた。
僕の発言にあわせて世界が変わるので、何をしゃべってもそれは真実になってしまうのだ。
第2章 正直者と嘘つきの双子のパズル。
こういう論理パズルはとても面白いけど、日本語の場合だけなのか、実際には通用しないと思う。たとえば、何が真で何が偽であるのかは、絶対的じゃないのだから。「あなたは正しいことを信じる正直者ですか?」と質問しても、人間の範囲をどこに定めるかで話は変わってくる。皮膚で囲まれた部分で1人の人間だと決めたところで、その定義を守らねばならない理由はない。じゃあ、真偽の追求はさておいてそういう定義を守るもの、と決めたうえで何かを考えるとしてみよう。すると、そういう決め事を作ってもいいのなら、最初から自分がしゃべっている相手を正直者だと定義してしまってもいいんじゃないか?
言語は論理的ではない?!
第3章 以前読んだ自叙伝との重複が多い。そのときに読んで、今回も面白かったもののひとつに、「自滅文」というのがある。
「話しはじめる前には、何か話したいことがあった」とか。
第4章 生まれつき思いやりのある人間と、自制してそういう行動をとるものとでは、どちらが善なのか。
僕に善行を施してくれるのなら、どっちでもいいな。
第5章 木を見て楽しんでいる人に対して、みんながツッコミを入れまくる。
それは木を楽しんでいるんじゃなくて、光を楽しんでいるんだ。いや、網膜上の映像を楽しんでいるんだ。いや、脳と視神経が生み出す生理現象を楽しんでいるんだ。いや、精神が木の観念を楽しんでいるんだ。いや、普遍的かつ絶対的意識こそが観念の一つである木を楽しんでいるんだ。などなど、などなど!
第6章 「これは何色ですか?」という問いにうっかり「僕は赤色に見えます」と答えてしまったがために巻き起こる一見不条理な会話。上の回答に対する返事は「ちがう!」なのだ。
この章では脳を読み取る機械があらわれ、全ての認識を機械を経てから決定するドタバタが演じられる。
第7章 全く同じ形の物体が常に同じ色の世界があるとしよう。そのとき、形と色は別の概念になるのか?
形と色との話で言いたいのは、心身の事柄。
第8章 悲観主義、楽観主義について書かれている。この章でハルトマンの哲学の要約が書かれていて、それがとても興味をひいた。
宇宙が進化する真の目的は、宇宙的無意識が充分な知識を蓄え、意識を持つことである。そして最終的には、自分自身が2度と同じことを繰り返さなくてもよいように、絶対的に自己を絶滅させる方法を見つけることである。だって!
第9章 不死や輪廻について考察が進む。
面白いのはバラモン教の考え方。
「私は既に輪廻転生している」
これは、「おまえはもう死んでいる」への切り返しとして使えるな。
第10章 存在論についての考察。
中世哲学から多くの思想が紹介される。それぞれの結論は、単なる「考え」ではなくて、ちゃんとそれを証明しちゃってるのがいちいちすごい。
ヴァン・ドラルド「唯一の神が存在する」
アルフォンソ・G「存在、非存在にかかわらず、悪魔はいない」
M・アスカナス「任意の不完全Aが与えられた場合、属性Aもまた不完全である」
チャンドラ博士「実体はある。唯一の問題は、実体が実在するかどうかということである」
さらにすごいのは、これら存在論について語る哲学者が全部、スマリヤンが作り出した架空の人物だ、ということだ。
第11章 懐疑主義者が聞く。「あなたは椅子を見ているとおっしゃるわけですが、あなたが椅子を見ていることをいったいどのようにして知ることができるのですか?」
それに対する回答「椅子を見ている、と言っただけで、椅子を見ていることを知っているとは言っていない」から紛糾する問答。
本章では夢と現実の区別について語られる。もしも睡眠と同時に別の星で目覚める自分がいるとした場合でも、どちらが本当か、という議論は成立するのか、とか。
第12章 超自己中心主義、超唯我論が語られる。
百万の、一兆の心が存在して、しかもそれらはすべて僕の心と同一なのだ。
なんだか『死霊』でも読んでるんじゃないか、と錯覚した。
第13章 なぜ地球はここから下に落ちないのか、という古代からの疑問。
タイムスリップで現代にやってきた古代人は疑問を解決する。
問題は「なぜ」にはなかった。「ここ」が確定できないのだから質問は無効だったのだ、と。
「おわりに」 ここでのスマリヤンの言葉にうんうんと納得した。
スマリヤンが提案している哲学の方法は、原理として述べると次のようになる。
「論敵の間違いを証明しようとするよりも、どのような意味で彼が正しいのかを見つける努力をせよ」
感動!
スマリヤンの『哲学ファンタジー』を読んだ。
第1部 あなたはなぜ正直なのか
第1章 あなたはなぜ正直なのか
第2章 あるパズル
第2部 一般的な概念
第3章 さまざまな断片
第4章 ある論争
第3部 三つのファンタジー
第5章 シンプリカスと木−郊外でのシンポジウム
第6章 認識論的な悪夢
第7章 心身問題のファンタジー
第4部 生きるべきか死すべきか
第8章 生きるべきか死すべきか
第9章 生と死の禅
第10章 そこに何があるのか
第5部 結末のファンタジー
第11章 夢か現実か
第12章 悟りを開いた唯我論
第13章 紀元前5千年
おわりに
いくつかのコメント
人は哲学に何を求めることができるか
いくつかのメモ。
第1章 「あなたはなぜ正直なのか」に答える人々。
「道徳の観点から」「聖書がどうの」「社会的に有益」というわかりやすい回答から、「嘘をついてひどい目にあったから」という利己的な動機や、偶然嘘をつかずに過ごしてこれた、という回答、快楽だの気分だの道徳家が納得できない回答が続く。あげくのはてには、質問に対して「なぜ木は育つのですか?」と質問で返すものまで。
僕も考えてみた。僕はなぜ正直なのか。
答えが簡単にでてきた。
僕の発言にあわせて世界が変わるので、何をしゃべってもそれは真実になってしまうのだ。
第2章 正直者と嘘つきの双子のパズル。
こういう論理パズルはとても面白いけど、日本語の場合だけなのか、実際には通用しないと思う。たとえば、何が真で何が偽であるのかは、絶対的じゃないのだから。「あなたは正しいことを信じる正直者ですか?」と質問しても、人間の範囲をどこに定めるかで話は変わってくる。皮膚で囲まれた部分で1人の人間だと決めたところで、その定義を守らねばならない理由はない。じゃあ、真偽の追求はさておいてそういう定義を守るもの、と決めたうえで何かを考えるとしてみよう。すると、そういう決め事を作ってもいいのなら、最初から自分がしゃべっている相手を正直者だと定義してしまってもいいんじゃないか?
言語は論理的ではない?!
第3章 以前読んだ自叙伝との重複が多い。そのときに読んで、今回も面白かったもののひとつに、「自滅文」というのがある。
「話しはじめる前には、何か話したいことがあった」とか。
第4章 生まれつき思いやりのある人間と、自制してそういう行動をとるものとでは、どちらが善なのか。
僕に善行を施してくれるのなら、どっちでもいいな。
第5章 木を見て楽しんでいる人に対して、みんながツッコミを入れまくる。
それは木を楽しんでいるんじゃなくて、光を楽しんでいるんだ。いや、網膜上の映像を楽しんでいるんだ。いや、脳と視神経が生み出す生理現象を楽しんでいるんだ。いや、精神が木の観念を楽しんでいるんだ。いや、普遍的かつ絶対的意識こそが観念の一つである木を楽しんでいるんだ。などなど、などなど!
第6章 「これは何色ですか?」という問いにうっかり「僕は赤色に見えます」と答えてしまったがために巻き起こる一見不条理な会話。上の回答に対する返事は「ちがう!」なのだ。
この章では脳を読み取る機械があらわれ、全ての認識を機械を経てから決定するドタバタが演じられる。
第7章 全く同じ形の物体が常に同じ色の世界があるとしよう。そのとき、形と色は別の概念になるのか?
形と色との話で言いたいのは、心身の事柄。
第8章 悲観主義、楽観主義について書かれている。この章でハルトマンの哲学の要約が書かれていて、それがとても興味をひいた。
宇宙が進化する真の目的は、宇宙的無意識が充分な知識を蓄え、意識を持つことである。そして最終的には、自分自身が2度と同じことを繰り返さなくてもよいように、絶対的に自己を絶滅させる方法を見つけることである。だって!
第9章 不死や輪廻について考察が進む。
面白いのはバラモン教の考え方。
「私は既に輪廻転生している」
これは、「おまえはもう死んでいる」への切り返しとして使えるな。
第10章 存在論についての考察。
中世哲学から多くの思想が紹介される。それぞれの結論は、単なる「考え」ではなくて、ちゃんとそれを証明しちゃってるのがいちいちすごい。
ヴァン・ドラルド「唯一の神が存在する」
アルフォンソ・G「存在、非存在にかかわらず、悪魔はいない」
M・アスカナス「任意の不完全Aが与えられた場合、属性Aもまた不完全である」
チャンドラ博士「実体はある。唯一の問題は、実体が実在するかどうかということである」
さらにすごいのは、これら存在論について語る哲学者が全部、スマリヤンが作り出した架空の人物だ、ということだ。
第11章 懐疑主義者が聞く。「あなたは椅子を見ているとおっしゃるわけですが、あなたが椅子を見ていることをいったいどのようにして知ることができるのですか?」
それに対する回答「椅子を見ている、と言っただけで、椅子を見ていることを知っているとは言っていない」から紛糾する問答。
本章では夢と現実の区別について語られる。もしも睡眠と同時に別の星で目覚める自分がいるとした場合でも、どちらが本当か、という議論は成立するのか、とか。
第12章 超自己中心主義、超唯我論が語られる。
百万の、一兆の心が存在して、しかもそれらはすべて僕の心と同一なのだ。
なんだか『死霊』でも読んでるんじゃないか、と錯覚した。
第13章 なぜ地球はここから下に落ちないのか、という古代からの疑問。
タイムスリップで現代にやってきた古代人は疑問を解決する。
問題は「なぜ」にはなかった。「ここ」が確定できないのだから質問は無効だったのだ、と。
「おわりに」 ここでのスマリヤンの言葉にうんうんと納得した。
スマリヤンが提案している哲学の方法は、原理として述べると次のようになる。
「論敵の間違いを証明しようとするよりも、どのような意味で彼が正しいのかを見つける努力をせよ」
感動!
吉田達也たたきっぱなし@BEARS
2007年5月28日 ライブ
BEARSで「吉田達也たたきっぱなし」ライブを見てきた。(敬称略)
ドラムセットがステージの前面にセットしてあり、吉田達也が客に背中を向けるかっこうでドラムを叩きまくる。
ソロドラムのあと、ゲストの石橋英子(PANIC SMILE)を迎えて6曲ライブ。
Classic Medleyにはじまり、Sanctuaryやソフトマシーンのカバーなど、6月20日発売のアルバム「slip beneath the distant tree」(石橋英子+吉田達也)からの曲を中心に。
ここまでを第1部とすると、第2部はACID MOTHERS TEMPLE SWR編のライブになった。
SWRは河端一、津山篤とのセッション。
プログレだアヴァンギャルドだインプロビゼーションだ。
こりゃすごい!&楽しい!
また、ゲストの山本精一とのライブも面白かった。
山本精一のドラム!吉田達也のキーボード!
すごい音楽なのに、笑えてしまう!
吉田達也はここでもキーボード叩きっぱなし。
アンコールがかかり、吉田達也ドラムたたきまくり!
ダブルアンコールでは他のゲストメンバーも出てきて、セッション。
石橋英子はキーボードだけでなく、フルートも使っていた。
こりゃすごい&楽しい!
このライブに行く直前に、シェーキーズの食べ放題で満腹にしておいた。
食べ放題〜たたきっぱなし、という順路がちょうど無制限な1日を特徴づけるかと思われたのだ。
次にブリッヂ(6月3日)で「ひろいところせまいところ」のライブを見に行けば、このライブのテーマ「ブリッヂ使い倒し」によって、食べ放題〜たたきっぱなし〜使い倒し、と無制限がシリーズ化するわけだ。
あいにくと3日にブリッヂに行けるかどうかは微妙なのが、ちょっと惜しい。
ドラムセットがステージの前面にセットしてあり、吉田達也が客に背中を向けるかっこうでドラムを叩きまくる。
ソロドラムのあと、ゲストの石橋英子(PANIC SMILE)を迎えて6曲ライブ。
Classic Medleyにはじまり、Sanctuaryやソフトマシーンのカバーなど、6月20日発売のアルバム「slip beneath the distant tree」(石橋英子+吉田達也)からの曲を中心に。
ここまでを第1部とすると、第2部はACID MOTHERS TEMPLE SWR編のライブになった。
SWRは河端一、津山篤とのセッション。
プログレだアヴァンギャルドだインプロビゼーションだ。
こりゃすごい!&楽しい!
また、ゲストの山本精一とのライブも面白かった。
山本精一のドラム!吉田達也のキーボード!
すごい音楽なのに、笑えてしまう!
吉田達也はここでもキーボード叩きっぱなし。
アンコールがかかり、吉田達也ドラムたたきまくり!
ダブルアンコールでは他のゲストメンバーも出てきて、セッション。
石橋英子はキーボードだけでなく、フルートも使っていた。
こりゃすごい&楽しい!
このライブに行く直前に、シェーキーズの食べ放題で満腹にしておいた。
食べ放題〜たたきっぱなし、という順路がちょうど無制限な1日を特徴づけるかと思われたのだ。
次にブリッヂ(6月3日)で「ひろいところせまいところ」のライブを見に行けば、このライブのテーマ「ブリッヂ使い倒し」によって、食べ放題〜たたきっぱなし〜使い倒し、と無制限がシリーズ化するわけだ。
あいにくと3日にブリッヂに行けるかどうかは微妙なのが、ちょっと惜しい。
地方発アイドルoh!阪大集GO!!2007
2007年5月27日 アイドル
アメリカ村FANJ-twiceで「地方発アイドルoh!阪大集GO!!2007」
12時30分から開演だったが、うっかりテレビ「横丁へよ〜こちょ!」で徳井の留学生ネタを見ているうちに、出るのが遅れた。
ついたら、オープニングアクトの「Team RYO」は既に終わっており、あろうことか、coco’s(コニーズ)もはじまっていた!不覚!切腹!
とにかく、見たところからナンバーをふってみる。
coco’sは、徳島県代表。ゆいぴょん(鎌田祐衣)と、きはちゃん(田所幹葉)の2人組。
1.「ジャングルジムのてっぺんで」(作詞:きは、作曲:ゆいぴょん)
曲終わりで、「くるみっきぃ〜」登場。今川久瑠美と山田美槻の2人組。
くるみっきぃ〜はこのライブが正式なデビューステージになる。
coco’sとくるみっきぃ〜とで、お客さん全員に、「おなら体操」を念入りに振り付け練習をほどこし、いよいよ本番は
2.「ラジオ体操第一」
えっ?おなら体操じゃないの?何のために練習をさせたのか!
次は、くるみっきぃ〜によるピアノ連弾&歌で
3.「猫文明堂」
ヤン坊マー坊天気予報の替え歌くるみっきぃ〜バージョン〜ねこふんじゃった〜トルコ行進曲〜文明堂CMソング〜オーミ住宅CMソング
次はcoco’sとくるみっきぃ〜で、あいうえお作文「たこやき」うろ覚えで再現してみると、こんな作文になった。
「た」楽しく明るく元気良く
「こ」コニーズとくるみっきぃ〜が
「や」やってきました、大阪の
「き」喜連瓜破
4.私をのせて(ココナッツJr.の曲)
最後は、大阪でのライブだということで、この歌
5.中之島ブルース(きはちゃんボーカル。あとの3人はコーラス)
退場の際はウルトラマンの歌で、最後ピシッとスペシウム光線でしめた。
きっと出場時は「帰ってきたコニーズ」ではじまったに違いない。
いや〜、とにかく、素晴らしい。
coco’sのライブは全ジャンルのライブステージ中、最高と断言していいだろう。
2番目に登場は愛知県代表、st.Doll
坂田知美、伊藤麻耶、徳田愛子の3人。
1.ココロのちず
2.バースデイ・イブ
3.恋心
4.恋しちゃった(新曲)
5.プチソレイユ
安心できるアイドルライブだった。
3番目はココロコロン、長野県代表。
1.夢を叶えよう
2.明日に向かって行こう!
3.サマーバケーション
4.真夏のアイランド
5.青い果実
6.パラダイス
前日のブロッサムライブとは「平成ラブロマンス」が「青い果実」に入れ替え。
トークの時間も多少あって、魅力が倍増していた。
トリはミルキーハット(大阪代表)
1.HIP HOP MIX
2.軌跡(ニューバージョン)
3.真実の宝石
ここまでノンストップ。軌跡の終わりで、ポーズが真実の宝石になった瞬間、客席がどよめいた。
4.歩いて行こう
5.Diving to Love
6.大航海ランドスケープ
さすがライブハウスだけのことはある。音も照明も満足できるもので、ライブの盛り上がりは尋常じゃなかった。ミルキーハットのパフォーマンス自体もよかったし、トークもこなれていた。
みどころは、メンバー紹介の際に、全員が動物の物真似をしたところ。
ちぃ:牛(ミルキーハットからミルク、牛、と連想したらしい)
ゆい:ワニ(ワニワニパニックの!「イテ、イテ」)
まみか:羊(メ〜。可愛い)
れな:猫(裏でネコが喧嘩しているところだって!)
かよ:ハムスター(の、動作物真似!)
ともみ:熊(のプーさん)
スタッフ(ステージ脇で待機していたスタッフもむりやり引っ張り出される):犬(一番うまかった)
さやか:キリン(「麒麟です」)
よくぞ、これだけバラエティに富んだネタをそろえた!
ライブ終了後は、ロビーで各ユニットが物販をする。
ファンは、このときぞとばかりにガッツイて、アイドルちゃんと会話したりサインもらったり握手してもらったり写真撮ったりするのである。
そういうことにテレてしまう僕は、ついつい遠巻きに見ているだけだったのだが、ミルキーハットのKayoが僕を見つけてにっこりしてくれて、誘蛾灯にふらふらと近寄っていく虫のように近付いたが、特になにも買えなかった。そのとき、ふとcoco’sを完全な形で見られなかったのがとても悔しく思ったことがよみがえった。ついお金もないくせに「コニーズ登場」というDVDを買ってしまった。
2年前に同じFANJ-twiceでライブしたときの映像がおさめられている。もちろん、家でしっかりと全部見た。悔しい思いは霧消した。また次の機会があれば、ちゃんとした形で見よう。
帰宅後はNHK-FM「現代の音楽」作曲家佐藤眞氏を招いての番組。
「管弦楽のための変奏曲」
「バイオリンとオーケストラのための協奏曲」
「バイオリン、オルガン、笙、竿、打楽器、具体音及び それらの電子変調による変奏曲 SS52」
最後にかかった「SS52」は佐藤眞氏にとって唯一の電子音楽作品で、「佐藤眞52才」のことらしい。本当は「SS51」の予定だったが、完成に時間がかかって52になったという。
12時30分から開演だったが、うっかりテレビ「横丁へよ〜こちょ!」で徳井の留学生ネタを見ているうちに、出るのが遅れた。
ついたら、オープニングアクトの「Team RYO」は既に終わっており、あろうことか、coco’s(コニーズ)もはじまっていた!不覚!切腹!
とにかく、見たところからナンバーをふってみる。
coco’sは、徳島県代表。ゆいぴょん(鎌田祐衣)と、きはちゃん(田所幹葉)の2人組。
1.「ジャングルジムのてっぺんで」(作詞:きは、作曲:ゆいぴょん)
曲終わりで、「くるみっきぃ〜」登場。今川久瑠美と山田美槻の2人組。
くるみっきぃ〜はこのライブが正式なデビューステージになる。
coco’sとくるみっきぃ〜とで、お客さん全員に、「おなら体操」を念入りに振り付け練習をほどこし、いよいよ本番は
2.「ラジオ体操第一」
えっ?おなら体操じゃないの?何のために練習をさせたのか!
次は、くるみっきぃ〜によるピアノ連弾&歌で
3.「猫文明堂」
ヤン坊マー坊天気予報の替え歌くるみっきぃ〜バージョン〜ねこふんじゃった〜トルコ行進曲〜文明堂CMソング〜オーミ住宅CMソング
次はcoco’sとくるみっきぃ〜で、あいうえお作文「たこやき」うろ覚えで再現してみると、こんな作文になった。
「た」楽しく明るく元気良く
「こ」コニーズとくるみっきぃ〜が
「や」やってきました、大阪の
「き」喜連瓜破
4.私をのせて(ココナッツJr.の曲)
最後は、大阪でのライブだということで、この歌
5.中之島ブルース(きはちゃんボーカル。あとの3人はコーラス)
退場の際はウルトラマンの歌で、最後ピシッとスペシウム光線でしめた。
きっと出場時は「帰ってきたコニーズ」ではじまったに違いない。
いや〜、とにかく、素晴らしい。
coco’sのライブは全ジャンルのライブステージ中、最高と断言していいだろう。
2番目に登場は愛知県代表、st.Doll
坂田知美、伊藤麻耶、徳田愛子の3人。
1.ココロのちず
2.バースデイ・イブ
3.恋心
4.恋しちゃった(新曲)
5.プチソレイユ
安心できるアイドルライブだった。
3番目はココロコロン、長野県代表。
1.夢を叶えよう
2.明日に向かって行こう!
3.サマーバケーション
4.真夏のアイランド
5.青い果実
6.パラダイス
前日のブロッサムライブとは「平成ラブロマンス」が「青い果実」に入れ替え。
トークの時間も多少あって、魅力が倍増していた。
トリはミルキーハット(大阪代表)
1.HIP HOP MIX
2.軌跡(ニューバージョン)
3.真実の宝石
ここまでノンストップ。軌跡の終わりで、ポーズが真実の宝石になった瞬間、客席がどよめいた。
4.歩いて行こう
5.Diving to Love
6.大航海ランドスケープ
さすがライブハウスだけのことはある。音も照明も満足できるもので、ライブの盛り上がりは尋常じゃなかった。ミルキーハットのパフォーマンス自体もよかったし、トークもこなれていた。
みどころは、メンバー紹介の際に、全員が動物の物真似をしたところ。
ちぃ:牛(ミルキーハットからミルク、牛、と連想したらしい)
ゆい:ワニ(ワニワニパニックの!「イテ、イテ」)
まみか:羊(メ〜。可愛い)
れな:猫(裏でネコが喧嘩しているところだって!)
かよ:ハムスター(の、動作物真似!)
ともみ:熊(のプーさん)
スタッフ(ステージ脇で待機していたスタッフもむりやり引っ張り出される):犬(一番うまかった)
さやか:キリン(「麒麟です」)
よくぞ、これだけバラエティに富んだネタをそろえた!
ライブ終了後は、ロビーで各ユニットが物販をする。
ファンは、このときぞとばかりにガッツイて、アイドルちゃんと会話したりサインもらったり握手してもらったり写真撮ったりするのである。
そういうことにテレてしまう僕は、ついつい遠巻きに見ているだけだったのだが、ミルキーハットのKayoが僕を見つけてにっこりしてくれて、誘蛾灯にふらふらと近寄っていく虫のように近付いたが、特になにも買えなかった。そのとき、ふとcoco’sを完全な形で見られなかったのがとても悔しく思ったことがよみがえった。ついお金もないくせに「コニーズ登場」というDVDを買ってしまった。
2年前に同じFANJ-twiceでライブしたときの映像がおさめられている。もちろん、家でしっかりと全部見た。悔しい思いは霧消した。また次の機会があれば、ちゃんとした形で見よう。
帰宅後はNHK-FM「現代の音楽」作曲家佐藤眞氏を招いての番組。
「管弦楽のための変奏曲」
「バイオリンとオーケストラのための協奏曲」
「バイオリン、オルガン、笙、竿、打楽器、具体音及び それらの電子変調による変奏曲 SS52」
最後にかかった「SS52」は佐藤眞氏にとって唯一の電子音楽作品で、「佐藤眞52才」のことらしい。本当は「SS51」の予定だったが、完成に時間がかかって52になったという。
ミルキーハット、ココロコロン@ブロッサム〜マゾンナ@BEARS
2007年5月26日 アイドル
マゾンナ CD インディペンデントレーベル 2002/10/25 ¥2,500
鶴見はなぽーとブロッサムで、アイドルイベント。
午後1時からはミルキーハット。
1.We love sweets
2.Diving to love
3.ダンデライオン
4.ハッピーメイカー
5.大航海ランドスケープ
1曲目は全国お菓子博覧会2008、姫路菓子博のイメージソングで、それにあわせた衣装で登場した。小さなハットにスカート。とてもメルヘンチックな可愛いコスチュームだ。
午後2時半からはココロコロン
1.夢を叶えよう
2.平成ラブロマンス
3.サマーバケーション
4.真夏のアイランド
5.パラダイス
6.明日に向かって行こう!
(アンコール)
7.夢を叶えよう
ココロコロンの面白さは大きく2つある。
トークが冴えていることと、とにかく曲をたくさん歌ってくれることだ。
時間制限のあるなかで、その2つを両立することはできない。今回は曲を多く歌い、トークがあんまり聞けなかった。
しかし、「パラダイス」は名曲だなあ。
午後4時からミルキーハットの2回目。
1.Hip Hop Mix
2.大航海ランドスケープ
3.歩いていこう
4.Diving to Love
5.ダンデライオン
6.軌跡(ニューバージョン)
(アンコール)
7.大航海ランドスケープ
2回目のステージはタンクトップにアーミールックで、一転してかっこいいイメージ。
今日はお客さんも多くて、盛り上がるライブになった。
ライブ後、物販の時間に、メンバーのKayoから明日のライブのチケットを買う。
その際に、Kayoは僕に何か話しかけてくれたのだが、緊張のあまり、ちゃんと受け答えできなかった。ああ、恥ずかしい!
午後8時から、なんばBEARSでマゾンナのワンマンライブ。
これはマゾンナ、BEARS20周年記念のノイズ・メイデイ・スペシャルライブになる。
会場は人でびっしり。
開場後の1分1秒がものすごい緊張感を呼び起こす。
それは期待感、何かをやってくれる、というワクワクした気持であった。
前売り予約特典は、マゾンナスペシャルグッズ。ノイズの音具のミニチュアだ。
面白い!
開演前に会場に流れる曲が1曲終わるたびに、「いよいよはじまるか?」と観客の視線はステージにロックオンされる。
会場に来ていた山本精一くんとしゃべって、11月11日ビッグキャットでのライブイベント(BEARSとファンダンゴの共同企画らしい)への出演を打診される。僕はいつものように、一も二もなく、「出るよ!」と即答。
会場の照明が落ちた。
いよいよライブだ!
山崎マゾ登場!
なぜだ!お立ち台が用意してある!
ノイズの嵐!
あっというまにライブは終わった。
ライブの時間はおよそ5分程度であったろうか。
誰もいなくなったステージには、いまだに熱気だけが渦巻いていた。
天井を見ると、照明が打ち砕かれており、ステージ上には整然と並べられたエフェクターの列と、破壊された鍵盤が見てとれた。
ライブ中の光景はほとんど網膜に映像を結んでいない。
本体のない周辺を掻き集めて、マゾンナのライブを再構築する作業が続く。
意外と端正なノイズだったように聞こえた。
いくつかのフィルタリングを経て脳で作り上げたノイズだったからかもしれない。
観客は上気した顔つきで帰っていった。
僕は熱を冷ますために、ライブを見に来ていたマイちゃん、オッチー、そして仕事を終えて駆け付けた安井くんとお茶を飲み、つい先程帰宅。
いまだに、「なんだったんだ、あれは?」と自らに問いかける衝動から自由にはなれない。
鶴見はなぽーとブロッサムで、アイドルイベント。
午後1時からはミルキーハット。
1.We love sweets
2.Diving to love
3.ダンデライオン
4.ハッピーメイカー
5.大航海ランドスケープ
1曲目は全国お菓子博覧会2008、姫路菓子博のイメージソングで、それにあわせた衣装で登場した。小さなハットにスカート。とてもメルヘンチックな可愛いコスチュームだ。
午後2時半からはココロコロン
1.夢を叶えよう
2.平成ラブロマンス
3.サマーバケーション
4.真夏のアイランド
5.パラダイス
6.明日に向かって行こう!
(アンコール)
7.夢を叶えよう
ココロコロンの面白さは大きく2つある。
トークが冴えていることと、とにかく曲をたくさん歌ってくれることだ。
時間制限のあるなかで、その2つを両立することはできない。今回は曲を多く歌い、トークがあんまり聞けなかった。
しかし、「パラダイス」は名曲だなあ。
午後4時からミルキーハットの2回目。
1.Hip Hop Mix
2.大航海ランドスケープ
3.歩いていこう
4.Diving to Love
5.ダンデライオン
6.軌跡(ニューバージョン)
(アンコール)
7.大航海ランドスケープ
2回目のステージはタンクトップにアーミールックで、一転してかっこいいイメージ。
今日はお客さんも多くて、盛り上がるライブになった。
ライブ後、物販の時間に、メンバーのKayoから明日のライブのチケットを買う。
その際に、Kayoは僕に何か話しかけてくれたのだが、緊張のあまり、ちゃんと受け答えできなかった。ああ、恥ずかしい!
午後8時から、なんばBEARSでマゾンナのワンマンライブ。
これはマゾンナ、BEARS20周年記念のノイズ・メイデイ・スペシャルライブになる。
会場は人でびっしり。
開場後の1分1秒がものすごい緊張感を呼び起こす。
それは期待感、何かをやってくれる、というワクワクした気持であった。
前売り予約特典は、マゾンナスペシャルグッズ。ノイズの音具のミニチュアだ。
面白い!
開演前に会場に流れる曲が1曲終わるたびに、「いよいよはじまるか?」と観客の視線はステージにロックオンされる。
会場に来ていた山本精一くんとしゃべって、11月11日ビッグキャットでのライブイベント(BEARSとファンダンゴの共同企画らしい)への出演を打診される。僕はいつものように、一も二もなく、「出るよ!」と即答。
会場の照明が落ちた。
いよいよライブだ!
山崎マゾ登場!
なぜだ!お立ち台が用意してある!
ノイズの嵐!
あっというまにライブは終わった。
ライブの時間はおよそ5分程度であったろうか。
誰もいなくなったステージには、いまだに熱気だけが渦巻いていた。
天井を見ると、照明が打ち砕かれており、ステージ上には整然と並べられたエフェクターの列と、破壊された鍵盤が見てとれた。
ライブ中の光景はほとんど網膜に映像を結んでいない。
本体のない周辺を掻き集めて、マゾンナのライブを再構築する作業が続く。
意外と端正なノイズだったように聞こえた。
いくつかのフィルタリングを経て脳で作り上げたノイズだったからかもしれない。
観客は上気した顔つきで帰っていった。
僕は熱を冷ますために、ライブを見に来ていたマイちゃん、オッチー、そして仕事を終えて駆け付けた安井くんとお茶を飲み、つい先程帰宅。
いまだに、「なんだったんだ、あれは?」と自らに問いかける衝動から自由にはなれない。
ヴォーカルクイーンストリートライブ〜ササグさんとお茶を〜メルヘソ
2007年5月25日 ライブ
今日はフリーペーパー「実験アキレス」のイベント 「TEA TIME A GO! GO! 〜ササグさんとお茶を」に出演する。
「実験アキレス」には僕も原稿を書かせてもらっている。編集長は現在ではマスコミ業界でバリバリ働いている才媛だが、彼女が中学生の頃からよく知っている友人なのだ。
リハーサルの入り時間まで、弁天町ORC200での歌姫ストリートライブに行く。
午後6時スタートなので、約1時間楽しむことができる計算だ。
馬場綾乃:日焼けサロンに通ってるらしい!Can You Celebrate?など2曲。
大河内美紗:浅倉大介のライブツアーではコーラスをつとめたそうだ。ホワイトメモリーなど2曲。
渡辺安那:ストリートライブ初登場。コンテストには出場してたな。今日が15歳の誕生日らしい。オリジナル曲「I’ll」など2曲。
吉富静香:彼女もストリートライブ初登場。三日月など2曲。
田頭沙希:彼女の2曲目「カブトムシ」を聞きながら、リハーサルに向かう。田頭沙希の歌はダンスを伴っていて、見ていてとても楽しい。自分自身のライブへの行進曲として、彼女の歌をチョイスできたのを喜ぶ。
この後のラインナップはDive Twin Stares、城ゆかり、黒田真衣&黒田沙耶華、河野真実、松永奈央、佐藤昌子、Baby Black。正直、リハーサルなどキャンセルして、このまま聞いていたい顔ぶれだ。でも、自分もアーティストのはしくれとして、そういうわけにもいかない。
実験アキレスイベントの詳細は次のとおり。
開演:夜9時
トーク:ササグ(サウンドアーティスト)
勝由子(実験アキレス編集発行)
アニワギはかせ(化学者)
三宅慶徳(音楽愛好家)
ライブ:保山宗明玉(芸術家)
ガンジー石原(音楽ライター)
イベント内容
「フリーペーパー実験アキレスに好評連載中のコーナー『TEA TIME A GO! GO!〜ササグさんとお茶を』の公開イベント。
ササグさんと実験アキレス執筆陣によるゲストが楽しくもおとぼけたトークを繰り広げます。また、ライブ&パフォーマンスも。
我楽茶堂の美味しいお茶やお食事も、一緒にお楽しみ下さい。
併せて、実験アキレスのバックナンバーも展示開催します。」
会場
我楽茶堂(ガラクチャドウ)
この店にははじめて入ったのだが、チャイ〜ミントチャイ〜マサラチャイと3杯もあたたかいチャイを飲んでしまった。とてもおいしかったのだ。
さて、肝心のライブだが、僕は「実験アキレス」第12号に載せた自分の原稿「混線ラップ」を曲に乗せてラップして、お茶を濁した。とても楽しくライブできた。
他の出演者の方々のトークもガンジーのライブも面白くて、ゆったりした雰囲気のイベントではあったが、大成功だったんじゃないか、と思う。
イベント終了後、アメリカ村トライアングルに行って、オールナイトイベント「メルヘソ」をのぞく。
ドレミ+Baby Pink Parfait+poupee主催の、 1stANNIVERSARYイベント。
開場時間直後に現地に到着したら、お客さんのあまりの長蛇の列におそれをなして、いったんは帰宅して寝てしまおうか、とも考えた。夜勤明けだったのだ。
午前2時頃に再度トライアングルに行き、入ってみたら案外と会場が広くて、余裕を持ってみることができた。こんなことなら最初から入っておけばよかった。
そんなわけで、ファッションショーと、spaghetti vabune! 、エイプリルズ 、ポニメリのライブは見逃してしまった。
入店すると、シュクレットがライブの準備をしていた。
僕が見たライブは次の順で。
シュクレット
http://www.sucrette-web.com/
ヘーゼルナッツチョコレート
http://www002.upp.so-net.ne.jp/yuppa/hena/
EeL
ロマンスティックカルツオーネラヴ(ロマカル)
http://www.doremifasorasi.com/romacal/prof.html
この4つともに、とても楽しくて、見逃してしまったライブもきっと面白かったであろうことが推測でき、地団駄踏んだ。
シュクレットの究極ウィスパーボイス、ヘーゼルナッツチョコレートの臨機応変ポップ、EeLの誕生日お祝ライブ、どれもこれも素晴らしい。ヘーゼルナッツチョコレートは「ヘナチョコ」と略す。すっかりファンになってしまった。
ラストのロマカルはVJにジュリちゃんを迎えて、しっかりとトリをつとめた。
ああ、こんなに楽しいイベントがこの世に存在していたなんて!
shop
・Teamメルヘソ (ドレミ・プウペ・ベビィピンクパフェ合同)
・Pop Soda http://www.popsoda.jp/
・EMELAM http://www.emelam.com/
・to P http://top07.exblog.jp/
・黒猫喫茶(雑貨)
・ドレミパンカフェ(飲食物)
・ポストカード(町田レトロ…他)
[FLOOR DJ]
ZOE(Trick Monstar)/nobu(sealed office/Baby Pink Parfait)
すっかり朝になり、深夜喫茶「銭ゲバ」に寄って、くつろいだ後、帰宅。やっと眠れる。
「実験アキレス」には僕も原稿を書かせてもらっている。編集長は現在ではマスコミ業界でバリバリ働いている才媛だが、彼女が中学生の頃からよく知っている友人なのだ。
リハーサルの入り時間まで、弁天町ORC200での歌姫ストリートライブに行く。
午後6時スタートなので、約1時間楽しむことができる計算だ。
馬場綾乃:日焼けサロンに通ってるらしい!Can You Celebrate?など2曲。
大河内美紗:浅倉大介のライブツアーではコーラスをつとめたそうだ。ホワイトメモリーなど2曲。
渡辺安那:ストリートライブ初登場。コンテストには出場してたな。今日が15歳の誕生日らしい。オリジナル曲「I’ll」など2曲。
吉富静香:彼女もストリートライブ初登場。三日月など2曲。
田頭沙希:彼女の2曲目「カブトムシ」を聞きながら、リハーサルに向かう。田頭沙希の歌はダンスを伴っていて、見ていてとても楽しい。自分自身のライブへの行進曲として、彼女の歌をチョイスできたのを喜ぶ。
この後のラインナップはDive Twin Stares、城ゆかり、黒田真衣&黒田沙耶華、河野真実、松永奈央、佐藤昌子、Baby Black。正直、リハーサルなどキャンセルして、このまま聞いていたい顔ぶれだ。でも、自分もアーティストのはしくれとして、そういうわけにもいかない。
実験アキレスイベントの詳細は次のとおり。
開演:夜9時
トーク:ササグ(サウンドアーティスト)
勝由子(実験アキレス編集発行)
アニワギはかせ(化学者)
三宅慶徳(音楽愛好家)
ライブ:保山宗明玉(芸術家)
ガンジー石原(音楽ライター)
イベント内容
「フリーペーパー実験アキレスに好評連載中のコーナー『TEA TIME A GO! GO!〜ササグさんとお茶を』の公開イベント。
ササグさんと実験アキレス執筆陣によるゲストが楽しくもおとぼけたトークを繰り広げます。また、ライブ&パフォーマンスも。
我楽茶堂の美味しいお茶やお食事も、一緒にお楽しみ下さい。
併せて、実験アキレスのバックナンバーも展示開催します。」
会場
我楽茶堂(ガラクチャドウ)
この店にははじめて入ったのだが、チャイ〜ミントチャイ〜マサラチャイと3杯もあたたかいチャイを飲んでしまった。とてもおいしかったのだ。
さて、肝心のライブだが、僕は「実験アキレス」第12号に載せた自分の原稿「混線ラップ」を曲に乗せてラップして、お茶を濁した。とても楽しくライブできた。
他の出演者の方々のトークもガンジーのライブも面白くて、ゆったりした雰囲気のイベントではあったが、大成功だったんじゃないか、と思う。
イベント終了後、アメリカ村トライアングルに行って、オールナイトイベント「メルヘソ」をのぞく。
ドレミ+Baby Pink Parfait+poupee主催の、 1stANNIVERSARYイベント。
開場時間直後に現地に到着したら、お客さんのあまりの長蛇の列におそれをなして、いったんは帰宅して寝てしまおうか、とも考えた。夜勤明けだったのだ。
午前2時頃に再度トライアングルに行き、入ってみたら案外と会場が広くて、余裕を持ってみることができた。こんなことなら最初から入っておけばよかった。
そんなわけで、ファッションショーと、spaghetti vabune! 、エイプリルズ 、ポニメリのライブは見逃してしまった。
入店すると、シュクレットがライブの準備をしていた。
僕が見たライブは次の順で。
シュクレット
http://www.sucrette-web.com/
ヘーゼルナッツチョコレート
http://www002.upp.so-net.ne.jp/yuppa/hena/
EeL
ロマンスティックカルツオーネラヴ(ロマカル)
http://www.doremifasorasi.com/romacal/prof.html
この4つともに、とても楽しくて、見逃してしまったライブもきっと面白かったであろうことが推測でき、地団駄踏んだ。
シュクレットの究極ウィスパーボイス、ヘーゼルナッツチョコレートの臨機応変ポップ、EeLの誕生日お祝ライブ、どれもこれも素晴らしい。ヘーゼルナッツチョコレートは「ヘナチョコ」と略す。すっかりファンになってしまった。
ラストのロマカルはVJにジュリちゃんを迎えて、しっかりとトリをつとめた。
ああ、こんなに楽しいイベントがこの世に存在していたなんて!
shop
・Teamメルヘソ (ドレミ・プウペ・ベビィピンクパフェ合同)
・Pop Soda http://www.popsoda.jp/
・EMELAM http://www.emelam.com/
・to P http://top07.exblog.jp/
・黒猫喫茶(雑貨)
・ドレミパンカフェ(飲食物)
・ポストカード(町田レトロ…他)
[FLOOR DJ]
ZOE(Trick Monstar)/nobu(sealed office/Baby Pink Parfait)
すっかり朝になり、深夜喫茶「銭ゲバ」に寄って、くつろいだ後、帰宅。やっと眠れる。
ISBN:4594053106 単行本(ソフトカバー) 桃井 はるこ 扶桑社 2007/01/25 ¥1,575
桃井はるこの『アキハバLOVE〜秋葉原と一緒に大人になった〜』を読んだ。
第1章 想い出と、思うこと
1
アレルギー
音楽教室
ブラッククリスマス
レンタルビデオ
秋葉原でバイトその1
秋葉原でバイトその2
ダメおたく少女が開眼したとき
2
小麦ちゃんとわたし
病院
UNDER17
レコーディングの夜
フレンドシップ
3
モモーイの成分○○パーセントは…。
旅行
中野とアキバ
ネットと秋葉原
ラジオライフとバッ活
目のふた
美少女ゲームに被害者はいない
ジャパニメーション
負けるが勝ち
4
夢
ワンダーモモーイ
「はるこ☆UP DATE」
萌えはロックだ!
変な夢
第2章 インターネット日記
1、「バーチャリアンコ☆日記」1996〜
2、「モモイハルコ秘密の日記」1998〜
第3章 モモーイon column
桃井はるこの移動式女子大生(モバイルプレス)1997〜1998
vol.1「モバイルなお年頃、ピチピチ19歳!の巻」これはパソコンをブームで終わらせないのは女の子、というお話だよ
vol.4「20世紀も残りあと3年」ということで98年始、桃井が抱く「複雑な心境」の巻
vol.5「任天堂スペースワールドにて」ポケモン少年たちはみんな天才モバイリストだ!の巻
vol.6「半期に1度開催される、なんでもありの『コミックマーケット』」”ヲタクの祭典”とインターネット、コンピュータ時代のあやしい関係?
vol.8「GBポケットカメラ」ゲームボーイの液晶越しに見る現実の世界は?
vol.10「いつもがんばってくれてるマシンにありがとう。」これからもよろしくね。コンピュータへの愛着のおはなし。
vol.11「デジタル交換日記をはじめよう」ビジネスだけじゃもったいない!電子メールのお話。
vol.14「もうすっかり秋ですね。」桃井のパソコンとお肌は、涼しいほうが調子いいみたい。
桃井はるこ新聞(月刊アスキー)1998〜2002
ドンキとわたし/わたしはドリキャスを買う!/アキバはカッコイイのだ/チェーンメール撲滅委員会発足!/ヴェルニとiMacの不思議なカンケイ/がんばれ!CGアイドル/「リニアは、もう現在だ。」/”濁った水槽”を飛び出そう!/チョコレートはメールに添付できないけれど。/ゲームボーイが好き。ノイズが好き。/他
ほっとマーク(朝日新聞)2001〜2002
1.ネットはわたしの翼か剣だ
2.インパクも構造改革を
3.自分の日記がHPに
4.自宅で街頭ウォッチング
5.みんなの検索の不思議
6.Tシャツで日本再発見
7.わたしを昔に連れてって!
8.「関心空間」で自分発見
桃井はるこのモモイズム?萌えイズム(電撃萌王)2002〜2006
1.(タイトルなし)
2.美少女ゲームソングをキワメるぞ!!UNDER17
3.日本の夏、コミケの夏
4.モモーイのルーツミュージック…なぜか’82年は萌えソングの当たり年!!
5.モモーイ流作詞作曲のレシピ…いやーん、はずかスー。
6.ちっちゃくてリアル。ドールとフィギュアと盆栽と(?)
7.アイドルって凄い!!
8.「うしろゆびさされ組」でいいじゃないかー!!
9.「萌え」ってオープン!!
10.モモーイただいま修業中!
11.昔話の中にだって萌えは生きている!!
12.モモーイの、ひと夏の経験inアキバ…。私小説でっす!!
13.モモーイは台湾式家庭料理が大好き!!ウマーでした。
14.最近、「萌えって何なんですか?」とよく聞かれるけど…
15.これは「萌え以上」だ(感涙)。「アキハバラブ振り付けビデオ」裏話…。
16.モモーイの「萌えイズム」とは何なのか。ちょっとあぶない最終回でっす♪
放課後、アキバ通い(ゲームジャパン)2006
モモーイのヲタ川柳に萌え〜っ(サンケイスポーツ)2005〜2006
桃井はるこの今さら人にきけないヲタんご辞典(サンケイスポーツ)2006
桃井はるこのアキバヲタんご辞典(サンケイスポーツ)2006
ディスコグラフィ
あとがき
桃井はるこはロフトプラス1でイベントしているころから名前だけはよく聞いていた。(青木光恵ちゃんのイベントで予定されてたゲストが来なかった、ってエピソードには笑った。僕もまったく同じ状況で、急遽出演したことがある。青木光恵ちゃんのもつ不思議な磁場がそういう状況をよびこむのか?)
UNDER17のライブも見に行ったことがあり、桃井はるこのラジオも聞いていたが、特に追いかけていたわけでもないので、第2章、第3章の記事は今回はじめて読んだ。
ここ10年くらいの文章なのに、中でとりあげられているものの懐かしいことと言ったら!
ここには「青春」なんて言葉がしっくり来るような、甘酸っぱいものが詰まっている。
一方、第1章の新しく書かれた文章は、本人が意識してかどうかは知らないけど、不思議なユーモアに満ちている。
たとえば、女の子が集まってのクリスマスパーティにレアなミニ四駆をプレゼントとして持っていき、ドン引きされる文章。
これは、普通ならツッコミが入って当然のギャグであろう。
僕が誰かの誕生祝いに、本人が絶対好きではない美少女フィギュアをあげたり、名前も知らないアイドルグッズをあげたりして、ツッコミを誘発させようとするのと同じ行為だ。
ところが、桃井はるこは、その内容の文章に「ブラッククリスマス」とタイトルをつけて、幼い頃の悲しい記憶的エッセイにしあげてしまうのだ。
極上のユーモアなのだが、読者のなかにはそれを文字通り哀しいエピソードとして受け止めてしまう人もいるんじゃないか、という懸念がある。
で、案外と桃井はるこをカリスマとして支持する人のなかには、これらをギャグとして処理できない人が多いんじゃないか、と思っている。ちがうかな?
でも、この本読んで、桃井はるこがおたく女子にとって先達であり、味方であることがあらためてよくわかった。
で、とても真面目で一生懸命で向上心があることも。
それを痛切に感じたのは、桃井はるこがいろんなことを「卒業」しているという文章にあたったときだ。
アイドルイベントの客になるのを卒業、プレアイドル活動を卒業、大学を卒業(中途退学)、UNDER17を卒業(解散)。
僕なら、何かに別れを告げて次に進む、という道を選ばず、全部ひきずったまま新しい展開をはかろうとするところだ。それは展開でもないのかもしれないし、「進む」ことでもないのかもしれない。そのおかげで、いつまでもステップアップしない、という現状があるのだが、ステップアップにあんまり意義を感じないんだから、しかたない。
本書のサブタイトルの「秋葉原と一緒に大人になった」にもそれは如実にあらわれている。
「大人になった」と言ってしまうのがそれだ。僕ならどこをどう探ってもこういうタイトルは出てきそうにない。「秋葉原の申し子」ってのがせいぜいか。
思うに、桃井はるこはアイドルでいるには自意識が確立しすぎているんじゃないか、と思った。アイドルであることや、おたくであることや、人生そのものでさえ、すべてはフェイクで演劇なんだ、と思っている僕とは対照的に、しっかりと地に足をつけて歩いていそうだ。
桃井はることはあいにくと面識がないのだが、もしも知り合ったら、僕のあまりにも野方図な「なんでもあり」な性格にカツをいれられるんだろうなあ。
桃井はるこの『アキハバLOVE〜秋葉原と一緒に大人になった〜』を読んだ。
第1章 想い出と、思うこと
1
アレルギー
音楽教室
ブラッククリスマス
レンタルビデオ
秋葉原でバイトその1
秋葉原でバイトその2
ダメおたく少女が開眼したとき
2
小麦ちゃんとわたし
病院
UNDER17
レコーディングの夜
フレンドシップ
3
モモーイの成分○○パーセントは…。
旅行
中野とアキバ
ネットと秋葉原
ラジオライフとバッ活
目のふた
美少女ゲームに被害者はいない
ジャパニメーション
負けるが勝ち
4
夢
ワンダーモモーイ
「はるこ☆UP DATE」
萌えはロックだ!
変な夢
第2章 インターネット日記
1、「バーチャリアンコ☆日記」1996〜
2、「モモイハルコ秘密の日記」1998〜
第3章 モモーイon column
桃井はるこの移動式女子大生(モバイルプレス)1997〜1998
vol.1「モバイルなお年頃、ピチピチ19歳!の巻」これはパソコンをブームで終わらせないのは女の子、というお話だよ
vol.4「20世紀も残りあと3年」ということで98年始、桃井が抱く「複雑な心境」の巻
vol.5「任天堂スペースワールドにて」ポケモン少年たちはみんな天才モバイリストだ!の巻
vol.6「半期に1度開催される、なんでもありの『コミックマーケット』」”ヲタクの祭典”とインターネット、コンピュータ時代のあやしい関係?
vol.8「GBポケットカメラ」ゲームボーイの液晶越しに見る現実の世界は?
vol.10「いつもがんばってくれてるマシンにありがとう。」これからもよろしくね。コンピュータへの愛着のおはなし。
vol.11「デジタル交換日記をはじめよう」ビジネスだけじゃもったいない!電子メールのお話。
vol.14「もうすっかり秋ですね。」桃井のパソコンとお肌は、涼しいほうが調子いいみたい。
桃井はるこ新聞(月刊アスキー)1998〜2002
ドンキとわたし/わたしはドリキャスを買う!/アキバはカッコイイのだ/チェーンメール撲滅委員会発足!/ヴェルニとiMacの不思議なカンケイ/がんばれ!CGアイドル/「リニアは、もう現在だ。」/”濁った水槽”を飛び出そう!/チョコレートはメールに添付できないけれど。/ゲームボーイが好き。ノイズが好き。/他
ほっとマーク(朝日新聞)2001〜2002
1.ネットはわたしの翼か剣だ
2.インパクも構造改革を
3.自分の日記がHPに
4.自宅で街頭ウォッチング
5.みんなの検索の不思議
6.Tシャツで日本再発見
7.わたしを昔に連れてって!
8.「関心空間」で自分発見
桃井はるこのモモイズム?萌えイズム(電撃萌王)2002〜2006
1.(タイトルなし)
2.美少女ゲームソングをキワメるぞ!!UNDER17
3.日本の夏、コミケの夏
4.モモーイのルーツミュージック…なぜか’82年は萌えソングの当たり年!!
5.モモーイ流作詞作曲のレシピ…いやーん、はずかスー。
6.ちっちゃくてリアル。ドールとフィギュアと盆栽と(?)
7.アイドルって凄い!!
8.「うしろゆびさされ組」でいいじゃないかー!!
9.「萌え」ってオープン!!
10.モモーイただいま修業中!
11.昔話の中にだって萌えは生きている!!
12.モモーイの、ひと夏の経験inアキバ…。私小説でっす!!
13.モモーイは台湾式家庭料理が大好き!!ウマーでした。
14.最近、「萌えって何なんですか?」とよく聞かれるけど…
15.これは「萌え以上」だ(感涙)。「アキハバラブ振り付けビデオ」裏話…。
16.モモーイの「萌えイズム」とは何なのか。ちょっとあぶない最終回でっす♪
放課後、アキバ通い(ゲームジャパン)2006
モモーイのヲタ川柳に萌え〜っ(サンケイスポーツ)2005〜2006
桃井はるこの今さら人にきけないヲタんご辞典(サンケイスポーツ)2006
桃井はるこのアキバヲタんご辞典(サンケイスポーツ)2006
ディスコグラフィ
あとがき
桃井はるこはロフトプラス1でイベントしているころから名前だけはよく聞いていた。(青木光恵ちゃんのイベントで予定されてたゲストが来なかった、ってエピソードには笑った。僕もまったく同じ状況で、急遽出演したことがある。青木光恵ちゃんのもつ不思議な磁場がそういう状況をよびこむのか?)
UNDER17のライブも見に行ったことがあり、桃井はるこのラジオも聞いていたが、特に追いかけていたわけでもないので、第2章、第3章の記事は今回はじめて読んだ。
ここ10年くらいの文章なのに、中でとりあげられているものの懐かしいことと言ったら!
ここには「青春」なんて言葉がしっくり来るような、甘酸っぱいものが詰まっている。
一方、第1章の新しく書かれた文章は、本人が意識してかどうかは知らないけど、不思議なユーモアに満ちている。
たとえば、女の子が集まってのクリスマスパーティにレアなミニ四駆をプレゼントとして持っていき、ドン引きされる文章。
これは、普通ならツッコミが入って当然のギャグであろう。
僕が誰かの誕生祝いに、本人が絶対好きではない美少女フィギュアをあげたり、名前も知らないアイドルグッズをあげたりして、ツッコミを誘発させようとするのと同じ行為だ。
ところが、桃井はるこは、その内容の文章に「ブラッククリスマス」とタイトルをつけて、幼い頃の悲しい記憶的エッセイにしあげてしまうのだ。
極上のユーモアなのだが、読者のなかにはそれを文字通り哀しいエピソードとして受け止めてしまう人もいるんじゃないか、という懸念がある。
で、案外と桃井はるこをカリスマとして支持する人のなかには、これらをギャグとして処理できない人が多いんじゃないか、と思っている。ちがうかな?
でも、この本読んで、桃井はるこがおたく女子にとって先達であり、味方であることがあらためてよくわかった。
で、とても真面目で一生懸命で向上心があることも。
それを痛切に感じたのは、桃井はるこがいろんなことを「卒業」しているという文章にあたったときだ。
アイドルイベントの客になるのを卒業、プレアイドル活動を卒業、大学を卒業(中途退学)、UNDER17を卒業(解散)。
僕なら、何かに別れを告げて次に進む、という道を選ばず、全部ひきずったまま新しい展開をはかろうとするところだ。それは展開でもないのかもしれないし、「進む」ことでもないのかもしれない。そのおかげで、いつまでもステップアップしない、という現状があるのだが、ステップアップにあんまり意義を感じないんだから、しかたない。
本書のサブタイトルの「秋葉原と一緒に大人になった」にもそれは如実にあらわれている。
「大人になった」と言ってしまうのがそれだ。僕ならどこをどう探ってもこういうタイトルは出てきそうにない。「秋葉原の申し子」ってのがせいぜいか。
思うに、桃井はるこはアイドルでいるには自意識が確立しすぎているんじゃないか、と思った。アイドルであることや、おたくであることや、人生そのものでさえ、すべてはフェイクで演劇なんだ、と思っている僕とは対照的に、しっかりと地に足をつけて歩いていそうだ。
桃井はることはあいにくと面識がないのだが、もしも知り合ったら、僕のあまりにも野方図な「なんでもあり」な性格にカツをいれられるんだろうなあ。
ISBN:4480860525 単行本 管 啓次郎 筑摩書房 1999/05 ¥2,730
スプートニク協会+ジョアン・フォンクベルタの『スプートニク』を読んだ。
目次。
ごあいさつ/ジョアン・フォンクベルタ(スプートニク協会特派員)
日本のみなさんへ/オリガ・コンダコワ(スプートニク協会特派員)
イワン・イストチニコフの足跡を追って/マイクル・アレーナ
宇宙にささげられた一生涯のいくつかの挿話/ピョートル・ムラヴェイニク
帝国の逆襲/マイクル・アレーナ
帰還なき旅にむかって/マイクル・アレーナ
星間チェス/ピョートル・ムラヴェイニク
無意識の徴候/ピョートル・ムラヴェイニク
宇宙犬誕生/ピョートル・ムラヴェイニク
隕石の謎/サルマン・ザグデーエフ
小惑星の分析/サルマン・ザグデーエフ
交信記録
ベレゴヴォイの報告書/マイクル・アレーナ+ピョートル・ムラヴェイニク
解説/荒俣宏
1968年10月25日、ソユーズ2号は宇宙飛行士イワン・イストチニコフ大佐をパイロットとして打ち上げられた。おともは犬のクローカ。
ついでゲオルギー・ベレゴヴォイ中佐が乗るソユーズ3号が追いかけ、軌道上で2つのカプセルのドッキングを試みる計画だ。
当時はアメリカとロシアが月面一番乗りをかけてしのぎを削っている時代だった。
人間と犬(動物)の共同宇宙飛行と動物のEVA(宇宙遊泳)はともに初の試みであり、これが成功すればロシアはアメリカに一歩先んじることができるのだ。
だが、ドッキングは失敗し、再度両者が接近した際、ソユーズ2号のイストチニコフ大佐と犬の姿はなく、モジュールには小惑星が激突した痕が見られた。彼らはどこに消えたのか。
当局はソユーズ2号は無人で打ち上げられたものと発表し、イストチニコフ大佐は最初から存在しない人物とされた。
これらの事実が明らかになったのは、ペレストロイカ以降、サザビーズでロシアの宇宙計画に使われた品物の競売で売られた写真がきっかけである。
本書は、膨大な図版とともに宇宙計画史をたどりながら、歴史から抹殺されたイストチニコフ大佐の謎をたどるドキュメントだ。
その全貌はいまだに謎に包まれたままだが、真相に迫って行く過程はスリリングで、その行き着く先は感動的でさえある。
宇宙開発の裏側のエピソードもふんだんに盛り込まれてある。
たとえば、1957年に宇宙に飛ばされたライカ犬は、地球に帰ってきたとき、すっかり黒焦げになっており、よく似た犬が記者のカメラの前に姿を見せた、とか。
ガガーリンは事故死したとされているが、精神病院に幽閉されたのだとする噂など。(ガガーリンは絶大な人気があり、彼が党内で権力をもつのをおそれた結果だという)
入念な調査により、イストチニコフ大佐とインド洋赤道上の駆逐艦との交信記録や、周回中に地上と交わされたチェスの棋譜だとか、イストチニコフ大佐のノート、写真などが発掘されて、本書に載せられている。
なによりも面白くて興奮したのは、次の部分。
ソユーズ3号に乗り込んでいたベレゴヴォイの報告書で、イストチニコフ大佐との通信がとれなくなり、ソユーズ2号に再接近した際、輝く飛行物体を発見する。
その飛行物体の正体を知ると、私は呆然とした。それはミーシン主任技師が愛飲していたウォッカの瓶だったのだ。ズヴェズドニー・ゴロドークでは、新米宇宙飛行士相手に、伝統的におこなわれる悪ふざけがある。教官が大まじめな顔で、問題が生じたら瓶にSOSのメッセージを入れて真空に向かって投げ、それから宇宙遭難救助隊がやってくるのをじっと待つべし、と教えるのだ。新人たちの困惑した顔が、ベテランたちに大笑いさせるのだった。打ち上げ前イワンは、EVA実行の際に瓶を投げられるよう準備がしてある、と私にいっていた。根っからの悪童である彼は、ついにあの罪のないいたずらを決行してみせたのだ。だが、どんなメッセージが書かれているのか?おそらく決定的な鍵が、そこにあるのではないか。しかし、どうあがいても、それを回収する術はなかった。
結局、ベレゴヴォイは本件を調査するジョアン・フォンクベルタとのインタビューを受ける前に死んでしまい、新しい証言は得られないのである。
ん?
ジョアン・フォンクベルタ?
これは、いったい!
スプートニク協会+ジョアン・フォンクベルタの『スプートニク』を読んだ。
目次。
ごあいさつ/ジョアン・フォンクベルタ(スプートニク協会特派員)
日本のみなさんへ/オリガ・コンダコワ(スプートニク協会特派員)
イワン・イストチニコフの足跡を追って/マイクル・アレーナ
宇宙にささげられた一生涯のいくつかの挿話/ピョートル・ムラヴェイニク
帝国の逆襲/マイクル・アレーナ
帰還なき旅にむかって/マイクル・アレーナ
星間チェス/ピョートル・ムラヴェイニク
無意識の徴候/ピョートル・ムラヴェイニク
宇宙犬誕生/ピョートル・ムラヴェイニク
隕石の謎/サルマン・ザグデーエフ
小惑星の分析/サルマン・ザグデーエフ
交信記録
ベレゴヴォイの報告書/マイクル・アレーナ+ピョートル・ムラヴェイニク
解説/荒俣宏
1968年10月25日、ソユーズ2号は宇宙飛行士イワン・イストチニコフ大佐をパイロットとして打ち上げられた。おともは犬のクローカ。
ついでゲオルギー・ベレゴヴォイ中佐が乗るソユーズ3号が追いかけ、軌道上で2つのカプセルのドッキングを試みる計画だ。
当時はアメリカとロシアが月面一番乗りをかけてしのぎを削っている時代だった。
人間と犬(動物)の共同宇宙飛行と動物のEVA(宇宙遊泳)はともに初の試みであり、これが成功すればロシアはアメリカに一歩先んじることができるのだ。
だが、ドッキングは失敗し、再度両者が接近した際、ソユーズ2号のイストチニコフ大佐と犬の姿はなく、モジュールには小惑星が激突した痕が見られた。彼らはどこに消えたのか。
当局はソユーズ2号は無人で打ち上げられたものと発表し、イストチニコフ大佐は最初から存在しない人物とされた。
これらの事実が明らかになったのは、ペレストロイカ以降、サザビーズでロシアの宇宙計画に使われた品物の競売で売られた写真がきっかけである。
本書は、膨大な図版とともに宇宙計画史をたどりながら、歴史から抹殺されたイストチニコフ大佐の謎をたどるドキュメントだ。
その全貌はいまだに謎に包まれたままだが、真相に迫って行く過程はスリリングで、その行き着く先は感動的でさえある。
宇宙開発の裏側のエピソードもふんだんに盛り込まれてある。
たとえば、1957年に宇宙に飛ばされたライカ犬は、地球に帰ってきたとき、すっかり黒焦げになっており、よく似た犬が記者のカメラの前に姿を見せた、とか。
ガガーリンは事故死したとされているが、精神病院に幽閉されたのだとする噂など。(ガガーリンは絶大な人気があり、彼が党内で権力をもつのをおそれた結果だという)
入念な調査により、イストチニコフ大佐とインド洋赤道上の駆逐艦との交信記録や、周回中に地上と交わされたチェスの棋譜だとか、イストチニコフ大佐のノート、写真などが発掘されて、本書に載せられている。
なによりも面白くて興奮したのは、次の部分。
ソユーズ3号に乗り込んでいたベレゴヴォイの報告書で、イストチニコフ大佐との通信がとれなくなり、ソユーズ2号に再接近した際、輝く飛行物体を発見する。
その飛行物体の正体を知ると、私は呆然とした。それはミーシン主任技師が愛飲していたウォッカの瓶だったのだ。ズヴェズドニー・ゴロドークでは、新米宇宙飛行士相手に、伝統的におこなわれる悪ふざけがある。教官が大まじめな顔で、問題が生じたら瓶にSOSのメッセージを入れて真空に向かって投げ、それから宇宙遭難救助隊がやってくるのをじっと待つべし、と教えるのだ。新人たちの困惑した顔が、ベテランたちに大笑いさせるのだった。打ち上げ前イワンは、EVA実行の際に瓶を投げられるよう準備がしてある、と私にいっていた。根っからの悪童である彼は、ついにあの罪のないいたずらを決行してみせたのだ。だが、どんなメッセージが書かれているのか?おそらく決定的な鍵が、そこにあるのではないか。しかし、どうあがいても、それを回収する術はなかった。
結局、ベレゴヴォイは本件を調査するジョアン・フォンクベルタとのインタビューを受ける前に死んでしまい、新しい証言は得られないのである。
ん?
ジョアン・フォンクベルタ?
これは、いったい!
光の雅歌―西村朗の音楽
2007年5月22日 読書
ISBN:4393934733 単行本 西村 朗; 沼野 雄司 春秋社 2005/05/01 ¥3,150
『光の雅歌〜西村朗の音楽』を読んだ。
以下、目次
序:振動と渦の音楽−西村朗の創造精神/沼野雄司
Part1 対話:西村朗+沼野雄司
プロロ−グ 精神のゲートとしての音楽
第1章 目覚め
第2章 アカデミズムのなかで
第3章 模索
第4章 ヘテロフォニー
第5章 『太陽の臍』の誕生
第6章 オーケストレーション
インテルメッツォ ある体験
第7章 転回
第8章 アジアへの視座
第9章 絶えざる前進
第10章 ゾーン 生と死のパースペクティブ
エピローグ ひとつの旅の終わり
Part2 自作解題
Part3 作品誕生のダイナミズムを聞く/西村朗+杉浦康平
年譜
作品表
跋
NHK-FM「現代の音楽」でおなじみの西村朗。
生い立ちから、西村朗氏の懐の広いユーモア、興味深い自作解題など、この本から得るものは多かった。
その音楽は、本書での彼自身の言葉を引用して集めていくと、次のような味わいが得られる。
「ロシア兼中近東みたいな感じ」
「共感を持てるのはヒンドゥー教的世界とか。そうですね。宇宙のざわめきに満ちたヒンドゥー教的世界が大きいですね」
「最近僕が、ことさらにイメージしているのはゲート、門です。一つ一つのゲート、精神のゲート。これを一つ一つ通っていくというような音楽をつくりたいと思っているんです」
「初めに光りありきだとすると、どういう音がそれを表現し得るか」
「ピュアなんだけども、同時に何か森羅万象が蠢いているというような音響を、どうつくるか」
「微妙な音程差やゆれによってモワレを引き起こして背景をつくりたいわけですよ」
「何か非常に変なというか、持続のしつこさというか、その中で起こっている合体効果みたいなのが執拗に現れて、辟易する人もいるんじゃないですか(笑)」
「内的世界の中に一体何があるのか、よくわからない。よくわからないけど、何か得体の知れないものがいるわけですね。それが出たがっている、というふうにしか言えない」
「僕の音楽は始まりがあって、ちゃんと終わりに向かう音楽だと思うんですよ」
「音楽だからこそできる、あるいは作り出せる想念・思念というものがあると思うんですよ。文学でも無理だし、何となく詩のような世界では可能なような部分はあるけれど、もっと直接的に人間に働きかけるものとして、音楽というのはある力を持っている」
「僕はどうスタンスをとればいいかというときに、一つのゾーンについて考えたんです。つまり帯ですね、ある帯域。そのゾーンというのは、生と死の間のゾーンのことです。そのゾーンから生の側を見る。あるいは死の側を見る」
引用しすぎ?
音楽が力をもっている、という関連でいうと、西村氏は、こんなエピソードを紹介してくれる。
ISCM音楽祭の1990年のコンサートで、演奏後、客席から「ブラボー」の声もなく、5秒くらいの沈黙、その後、おお騒ぎになった。客席を見ると、何ケ所かで嘔吐したあとが。
すごい!音楽で人を吐かせるなんて。
「鳥のヘテロフォニー」をレコーディングした際にも、録音終了後、マエストロは胃から出血したという。
杉浦康平との対談でも、こんなエピソードを紹介してくれる。
「演奏中に気持悪くなって、帰っちゃった演奏家なんかいましたけどね(笑)」
そして、こう付け加える。
「やっぱり聴く側の肺活量も必要ですよ」
西村朗氏の作品をまだちょっとしか聴いたことがなく、これから僕自身を音楽がいかに影響を与えるかという人体実験の場にしてみたい、と思う。でも、主に人体に影響があるのは、西洋人らしいのだが。
あと、杉浦康平氏との対談でこう語られていたのが、印象的だった。
西村「実験精神を失ってはいけないと思いますからね」
杉浦「しかも、ものすごく旺盛に」
西村「でも、なかなか維持するのは難しいような気がしていますよ。だんだんまとまりのいいもの、まとまりのいいものと考えてしまいますから」
先週見たイメージフォーラムフェスティバルの特集、「グッドバイ、スタイリッシュ」にも通じるテーマがここでも反復された。僕自身、大いに勇気づけられる発言だった。
『光の雅歌〜西村朗の音楽』を読んだ。
以下、目次
序:振動と渦の音楽−西村朗の創造精神/沼野雄司
Part1 対話:西村朗+沼野雄司
プロロ−グ 精神のゲートとしての音楽
第1章 目覚め
第2章 アカデミズムのなかで
第3章 模索
第4章 ヘテロフォニー
第5章 『太陽の臍』の誕生
第6章 オーケストレーション
インテルメッツォ ある体験
第7章 転回
第8章 アジアへの視座
第9章 絶えざる前進
第10章 ゾーン 生と死のパースペクティブ
エピローグ ひとつの旅の終わり
Part2 自作解題
Part3 作品誕生のダイナミズムを聞く/西村朗+杉浦康平
年譜
作品表
跋
NHK-FM「現代の音楽」でおなじみの西村朗。
生い立ちから、西村朗氏の懐の広いユーモア、興味深い自作解題など、この本から得るものは多かった。
その音楽は、本書での彼自身の言葉を引用して集めていくと、次のような味わいが得られる。
「ロシア兼中近東みたいな感じ」
「共感を持てるのはヒンドゥー教的世界とか。そうですね。宇宙のざわめきに満ちたヒンドゥー教的世界が大きいですね」
「最近僕が、ことさらにイメージしているのはゲート、門です。一つ一つのゲート、精神のゲート。これを一つ一つ通っていくというような音楽をつくりたいと思っているんです」
「初めに光りありきだとすると、どういう音がそれを表現し得るか」
「ピュアなんだけども、同時に何か森羅万象が蠢いているというような音響を、どうつくるか」
「微妙な音程差やゆれによってモワレを引き起こして背景をつくりたいわけですよ」
「何か非常に変なというか、持続のしつこさというか、その中で起こっている合体効果みたいなのが執拗に現れて、辟易する人もいるんじゃないですか(笑)」
「内的世界の中に一体何があるのか、よくわからない。よくわからないけど、何か得体の知れないものがいるわけですね。それが出たがっている、というふうにしか言えない」
「僕の音楽は始まりがあって、ちゃんと終わりに向かう音楽だと思うんですよ」
「音楽だからこそできる、あるいは作り出せる想念・思念というものがあると思うんですよ。文学でも無理だし、何となく詩のような世界では可能なような部分はあるけれど、もっと直接的に人間に働きかけるものとして、音楽というのはある力を持っている」
「僕はどうスタンスをとればいいかというときに、一つのゾーンについて考えたんです。つまり帯ですね、ある帯域。そのゾーンというのは、生と死の間のゾーンのことです。そのゾーンから生の側を見る。あるいは死の側を見る」
引用しすぎ?
音楽が力をもっている、という関連でいうと、西村氏は、こんなエピソードを紹介してくれる。
ISCM音楽祭の1990年のコンサートで、演奏後、客席から「ブラボー」の声もなく、5秒くらいの沈黙、その後、おお騒ぎになった。客席を見ると、何ケ所かで嘔吐したあとが。
すごい!音楽で人を吐かせるなんて。
「鳥のヘテロフォニー」をレコーディングした際にも、録音終了後、マエストロは胃から出血したという。
杉浦康平との対談でも、こんなエピソードを紹介してくれる。
「演奏中に気持悪くなって、帰っちゃった演奏家なんかいましたけどね(笑)」
そして、こう付け加える。
「やっぱり聴く側の肺活量も必要ですよ」
西村朗氏の作品をまだちょっとしか聴いたことがなく、これから僕自身を音楽がいかに影響を与えるかという人体実験の場にしてみたい、と思う。でも、主に人体に影響があるのは、西洋人らしいのだが。
あと、杉浦康平氏との対談でこう語られていたのが、印象的だった。
西村「実験精神を失ってはいけないと思いますからね」
杉浦「しかも、ものすごく旺盛に」
西村「でも、なかなか維持するのは難しいような気がしていますよ。だんだんまとまりのいいもの、まとまりのいいものと考えてしまいますから」
先週見たイメージフォーラムフェスティバルの特集、「グッドバイ、スタイリッシュ」にも通じるテーマがここでも反復された。僕自身、大いに勇気づけられる発言だった。
出家日記―ある「おたく」の生涯
2007年5月21日 読書
ISBN:4048839322 単行本 蛭児神 建(元) 角川書店 2005/11 ¥1,575
蛭児神建(元)の『出家日記』を読んだ。
サブタイトルに「ある『おたく』の生涯」とある。
前書き
第1章「蛭児神建」の誕生
アダルト・チルドレンだった私
湯船に沈んだ父
犯してくれる相手を探して
ロリータ・コンプレックスの芽生え
『少女アリス』を買った日
「私はロリコンです」
初のロリコン文芸誌「愛栗鼠」
吾妻ひでおとの出会い
少女ポルノの氾濫
変質者「蛭児神建」現る
そしてロリコン・ブーム到来
第2章ロリコンの神様への道
変質者スタイルで歩く
プロのエロ・ライターに
カオスのようなロリコン・ブーム時代
変態として崇拝される
「ペピ」と「ペペ」
ついにロリコンの「権威」に
私色の本「プチ・パンドラ」
増殖するロリコン雑誌
かがみあきらの死
「蛭児神建」を殺す
初めての本気の恋
二度目はめがねっ娘の中学生
失われた楽園
第3章そして出家へ
運命の人との出会い
インチキ寺に入る
手塚治虫の十三番目の弟子
童貞喪失
僧侶資格を得る修行
壊れ始めた妻
霊が見えるようになる
多重人格と一人ハーレム
生活保護受給者へ
澄んだ波動の世界
今、私は幸せだ
蛭児神建氏のこと/吾妻ひでお(漫画)
ロリコンブームの中心人物で、後に出家した蛭児神建の自叙伝。
ロリコン・ブームの貴重な証言、熱い青春時代のレポート、という側面もあり、楽しく読むことができた。その一方で、全体に自虐と、他者への攻撃がみてとれる。
全体のトーンがわかる部分を前書きからひろってみると。
「ほんの数年前であれば、自分のこんなミジメな状況を昔の知人に知られるのを恥と思い、屈辱に感じただろう。しかし、そんな事はどうでもいいという境地になっていた。嘲笑うなら笑え、私はお前らより何百倍も清廉で懸命に生きている」
「自己の正当化や美化は極力避け、可能な限り赤裸裸に書いたつもりである。しかし他人の悪口は、かなりセーブしてある。あの当時、彼らから言われ書かれた大嘘悪口の千分の一も書いていない」
本編では、今のコミケに関する不満や、メイド喫茶への違和感、トンデモ本への疑問などが語られており、ああ、蛭児神建はもう現役じゃないんだなあという思いを抱かせて、寂しい。
何度も出てくる「U・T」「破李拳竜の取り巻き」(彼らが大嘘悪口を言いふらしたのだそうだ)が、誰のことで、それがどんな悪口だったのか、知りたいところだ。僕はロリコンブームにかなり早い時期から乗っかっていて、当時はちっとも後追いではなく、最先端を走っていると思いこんでいた。ポルノに比重がかかりはじめてからは、下品さが嫌で離れてしまったのだが。そんな渦中の僕でも、蛭児神建の悪口というのはあまり記憶に残っていない。そもそも誰かの悪口や噂には興味がない、僕の性格にもよるのかもしれない。蛭児神建はそういうところに敏感だったように感じる。
実は、1週間ほど前に、某テレビ番組の取材を受けた。
内容はジュニアイドルについて、であった。
僕はダンススクールのイベントに行ったり、アイドルを追いかけたりしていて、それを聞き付けて取材に来てくれたのだ。だが、やはり一般の視線というのは、Tバック小学生とか、児童ポルノすれすれのDVDがブームになっているところに向いていることを思い知らされた。僕は、そういうのに興味がないわけではないが、下品なのは嫌なのだ。性欲の直接の対象になったこともない。
アイドル好きは、アイドルを穢そうとはしないものだ。
アイドルを賞味期限のある商品ととらえたり、性欲の対象にする、なんて発想は、一般人の者であって、アイドルファンの発想ではない。
アイドルファンでない人は、そのあたりを全くといって理解していないが、あえて一般の期待どおりにリアクションしてみせる諧謔もあって、事情は誤解されたままだ。誤解されたい、という変な欲望もある。
本書でも蛭児神建につきまとうイメージの一人歩きが語られる部分がある。僕自身はおたくではないが、そういうところは共感を覚えた。
蛭児神建(元)の『出家日記』を読んだ。
サブタイトルに「ある『おたく』の生涯」とある。
前書き
第1章「蛭児神建」の誕生
アダルト・チルドレンだった私
湯船に沈んだ父
犯してくれる相手を探して
ロリータ・コンプレックスの芽生え
『少女アリス』を買った日
「私はロリコンです」
初のロリコン文芸誌「愛栗鼠」
吾妻ひでおとの出会い
少女ポルノの氾濫
変質者「蛭児神建」現る
そしてロリコン・ブーム到来
第2章ロリコンの神様への道
変質者スタイルで歩く
プロのエロ・ライターに
カオスのようなロリコン・ブーム時代
変態として崇拝される
「ペピ」と「ペペ」
ついにロリコンの「権威」に
私色の本「プチ・パンドラ」
増殖するロリコン雑誌
かがみあきらの死
「蛭児神建」を殺す
初めての本気の恋
二度目はめがねっ娘の中学生
失われた楽園
第3章そして出家へ
運命の人との出会い
インチキ寺に入る
手塚治虫の十三番目の弟子
童貞喪失
僧侶資格を得る修行
壊れ始めた妻
霊が見えるようになる
多重人格と一人ハーレム
生活保護受給者へ
澄んだ波動の世界
今、私は幸せだ
蛭児神建氏のこと/吾妻ひでお(漫画)
ロリコンブームの中心人物で、後に出家した蛭児神建の自叙伝。
ロリコン・ブームの貴重な証言、熱い青春時代のレポート、という側面もあり、楽しく読むことができた。その一方で、全体に自虐と、他者への攻撃がみてとれる。
全体のトーンがわかる部分を前書きからひろってみると。
「ほんの数年前であれば、自分のこんなミジメな状況を昔の知人に知られるのを恥と思い、屈辱に感じただろう。しかし、そんな事はどうでもいいという境地になっていた。嘲笑うなら笑え、私はお前らより何百倍も清廉で懸命に生きている」
「自己の正当化や美化は極力避け、可能な限り赤裸裸に書いたつもりである。しかし他人の悪口は、かなりセーブしてある。あの当時、彼らから言われ書かれた大嘘悪口の千分の一も書いていない」
本編では、今のコミケに関する不満や、メイド喫茶への違和感、トンデモ本への疑問などが語られており、ああ、蛭児神建はもう現役じゃないんだなあという思いを抱かせて、寂しい。
何度も出てくる「U・T」「破李拳竜の取り巻き」(彼らが大嘘悪口を言いふらしたのだそうだ)が、誰のことで、それがどんな悪口だったのか、知りたいところだ。僕はロリコンブームにかなり早い時期から乗っかっていて、当時はちっとも後追いではなく、最先端を走っていると思いこんでいた。ポルノに比重がかかりはじめてからは、下品さが嫌で離れてしまったのだが。そんな渦中の僕でも、蛭児神建の悪口というのはあまり記憶に残っていない。そもそも誰かの悪口や噂には興味がない、僕の性格にもよるのかもしれない。蛭児神建はそういうところに敏感だったように感じる。
実は、1週間ほど前に、某テレビ番組の取材を受けた。
内容はジュニアイドルについて、であった。
僕はダンススクールのイベントに行ったり、アイドルを追いかけたりしていて、それを聞き付けて取材に来てくれたのだ。だが、やはり一般の視線というのは、Tバック小学生とか、児童ポルノすれすれのDVDがブームになっているところに向いていることを思い知らされた。僕は、そういうのに興味がないわけではないが、下品なのは嫌なのだ。性欲の直接の対象になったこともない。
アイドル好きは、アイドルを穢そうとはしないものだ。
アイドルを賞味期限のある商品ととらえたり、性欲の対象にする、なんて発想は、一般人の者であって、アイドルファンの発想ではない。
アイドルファンでない人は、そのあたりを全くといって理解していないが、あえて一般の期待どおりにリアクションしてみせる諧謔もあって、事情は誤解されたままだ。誤解されたい、という変な欲望もある。
本書でも蛭児神建につきまとうイメージの一人歩きが語られる部分がある。僕自身はおたくではないが、そういうところは共感を覚えた。
イメージ・フォーラム・フェスティバル最終日(アブラモビッチ)
2007年5月20日 映画
イメージ・フォーラム・フェスティバル最終日。今日は3プログラム見た。
日本2 日本招待部門 + 一般公募部門 /5作品93分
「Kaizer」 田中廣太郎/ビデオ/11分/2006 一般公募部門奨励賞
「空の箱」 祢津悠紀/ビデオ/38分/2006 一般公募部門奨励賞
「生態系15− 秤動」 小池照男/ビデオ/17 分/2006
「絵馬・絵巻2」 石田尚志/16ミリ/7 分/2006
「蛆虫の飛ぶとき」 村上康人/ビデオ/20分/2007 一般公募部門大賞
「空の箱〜empty box」の祢津悠紀監督と、「生態系15− 秤動」の小池照男監督が来場されていて、コメント。
「Kaizer」は公園の風景を360度撮影しているように見えて、時間も位置もコラージュされている不思議な作品。
「空の箱」はドラマチックじゃない普通の日常がたんたんと映される。監督によると、自分の日常を再現して撮った作品で、何度も撮り直したという。遊びにも出かけず、テレビも漫画も読書もゲームも電話もネットも友人との会話もない日々を過ごすなんて地獄以外のなにものでもない、と思うが、それが映画の撮影としてのドラマだとしたらどうだ。日常を演じる、というのは新しい視点に思えるが、実はみんなそう演じてるんじゃないか、とも思える、なんとも不思議な作品。
「生態系15− 秤動」の「秤動」は月の首振り運動のこと。バベルやポケモンで体調を崩した人向けのさらなる応用問題。会場の若き映像作家の卵たちに、作品を作り続け、それを発表する場を開拓するようにエールを送られた。
「絵馬・絵巻2」は絵画とそれにつけられた音楽を、複数重ね合わせて作り出す作品。映像版のラジオカセッツだ。
「蛆虫の飛ぶとき」は面白かった。映像でやりたい放題にしているように見えるが、表現とは何なのか、という問題にぶつかってのあがきだということがわかる。あがきをそのまま作品にしたもので、「表現って何なんだ」と泣くシーンには大笑いした。ラストでは表現の爆発なのか煩悶なのか、全裸で外を走る。これにも笑った。表現に困ったら、まず裸、というのは定番だからだ。
日本6 日本招待部門+一般公募部門 /4作品103分
「タネ」 大力拓哉+三浦崇志/ビデオ/50分/2007 一般公募部門入選
「グージョネットと風車小屋の魔女」 福井琢也/ビデオ/24分/2006 一般公募部門入選
「ポストの話」 萩原朔美/ビデオ/15分/2007
「十七個の空間と一匹のウジ虫で構成された作品」 平林勇/ビデオ/14分/2007
「タネ」の大力拓哉、三浦崇志監督が来場されてコメントされていた。
棺桶くらいの箱を運んで山を登る男たち。映像だけを見ていたらシリアスなのに、そこで交わされる会話は関西弁丸出しのとぼけたやりとりで、笑わせる。
「グージョネットと風車小屋の魔女」は恋人を亡くしてひきこもっている女性と、心配して料理の食材を持ってきた友人の物語。映像とは無関係に、民話がずっと語られており、ときおり内容が近接する。最終的には、民話と現実がオカルト的なシンクロを果たし、女性は立ち直るきっかけを得る。2人が外出して出かけた場所は、民話と現実化した場所でもあった。主人公の女性が藤本美貴似で可愛い。ミキティよりも演技力ありそうだ。
「ポストの話」萩原朔美らしい映像エッセイ。窓について語り、今の住宅では窓は郵便受けの部分しか開いていない、と。窓を外に運んで風景を窓ごしに見る、寺山的展開もみせる。
「十七個の空間と一匹のウジ虫で構成された作品」では、本物のウジ虫が大活躍。
特集3 :セブン・イージー・ピーセズ /1作品93分(アメリカ)
7時間連続、7つの演目を7日間に渡り演じきったマリナ・アブラモビッチの「セブン・ イージー・ピーセズ」。亡きスーザン・ソンタグに捧ぐ伝説的パフォーマンスを、余すところなくフィルムに収めた渾身のドキュメント。
マリナ・アブラモビッチのセブン・イージー・ピーセズ バベット・マンゴルト/ビデオ/93 分/2007/アメリカ
第一日 ブルース・ナウマン「ボディー・プレッシャー」
第二日 ヴィト・アコンチ「シードベッド」
第三日 ヴァリー・エクスポート「アクション・パンツ:性器パニック」
第四日 ジーナ・ペイン「条件付け、セルフポートレート(たち)の最初のアクション」
第五日 ヨーゼフ・ボイス「死んだ野うさぎに絵を説明する方法」
第六日 マリナ・アブラモビッチ「トマスの唇」
第七日 マリナ・アブラモビッチ「向こう側への侵入」
これはすごかった。7時間パフォーマンスするってだけですごい。
このプログラム見ただけでも、イメージフォーラムフェスティバルに来た価値はあったというものだ!
簡単に何をしたかを書いておく。
「ボディー・プレッシャー」ガラスの壁に顔が歪むほど体を押し付ける。押し付け続ける。
「シードベッド」美術館の床下で7時間に渡ってオナニーする。音声は場内にスピーカーで流れている。
「アクション・パンツ:性器パニック」マシンガンを構えて客を監視し続ける。黒のレザーパンツは局部だけが切り取られていて、さらけだされている。
「条件付け、セルフポートレート(たち)の最初のアクション」何本もの蝋燭の火にあぶられる堅いベッドの上で横たわる。
「死んだ野うさぎに絵を説明する方法」うさぎの死骸を抱いて、それに話しかけたり、ステッキで床をガタガタ鳴らしたり。顔は金箔で覆われており、片足は鉄板を履いている。
「トマスの唇」全裸で登場。蜂蜜なめる〜カミソリで腹部の星形をなぞり、出血させる〜軍靴と軍帽をつけ、血をふいた旗を高く掲げる。スラブ民謡が流れ、アブラモビッチは涙を流す。〜氷で作られた十字架に寝る〜自らを鞭打つ。これをえんえんと繰り返す。終わったとき、ステージ上に置かれたカミソリは8枚だった。星印は二重に血の痕を描いていた。
「向こう側への侵入」小林幸子か!山のごとき巨大ドレスのてっぺんで優雅に踊るアブラモビッチ。肉体をいじめ続けるパフォーマンスのあとでは、なんだかホッとするようなフィナーレにふさわしいパフォーマンスに思えた。
このアブラモビッチの映像も特集「グッドバイ・スタイリッシュ」のプログラムで、どれも僕の趣味嗜好にぴったり合ったものだった。いい特集だった!
日本2 日本招待部門 + 一般公募部門 /5作品93分
「Kaizer」 田中廣太郎/ビデオ/11分/2006 一般公募部門奨励賞
「空の箱」 祢津悠紀/ビデオ/38分/2006 一般公募部門奨励賞
「生態系15− 秤動」 小池照男/ビデオ/17 分/2006
「絵馬・絵巻2」 石田尚志/16ミリ/7 分/2006
「蛆虫の飛ぶとき」 村上康人/ビデオ/20分/2007 一般公募部門大賞
「空の箱〜empty box」の祢津悠紀監督と、「生態系15− 秤動」の小池照男監督が来場されていて、コメント。
「Kaizer」は公園の風景を360度撮影しているように見えて、時間も位置もコラージュされている不思議な作品。
「空の箱」はドラマチックじゃない普通の日常がたんたんと映される。監督によると、自分の日常を再現して撮った作品で、何度も撮り直したという。遊びにも出かけず、テレビも漫画も読書もゲームも電話もネットも友人との会話もない日々を過ごすなんて地獄以外のなにものでもない、と思うが、それが映画の撮影としてのドラマだとしたらどうだ。日常を演じる、というのは新しい視点に思えるが、実はみんなそう演じてるんじゃないか、とも思える、なんとも不思議な作品。
「生態系15− 秤動」の「秤動」は月の首振り運動のこと。バベルやポケモンで体調を崩した人向けのさらなる応用問題。会場の若き映像作家の卵たちに、作品を作り続け、それを発表する場を開拓するようにエールを送られた。
「絵馬・絵巻2」は絵画とそれにつけられた音楽を、複数重ね合わせて作り出す作品。映像版のラジオカセッツだ。
「蛆虫の飛ぶとき」は面白かった。映像でやりたい放題にしているように見えるが、表現とは何なのか、という問題にぶつかってのあがきだということがわかる。あがきをそのまま作品にしたもので、「表現って何なんだ」と泣くシーンには大笑いした。ラストでは表現の爆発なのか煩悶なのか、全裸で外を走る。これにも笑った。表現に困ったら、まず裸、というのは定番だからだ。
日本6 日本招待部門+一般公募部門 /4作品103分
「タネ」 大力拓哉+三浦崇志/ビデオ/50分/2007 一般公募部門入選
「グージョネットと風車小屋の魔女」 福井琢也/ビデオ/24分/2006 一般公募部門入選
「ポストの話」 萩原朔美/ビデオ/15分/2007
「十七個の空間と一匹のウジ虫で構成された作品」 平林勇/ビデオ/14分/2007
「タネ」の大力拓哉、三浦崇志監督が来場されてコメントされていた。
棺桶くらいの箱を運んで山を登る男たち。映像だけを見ていたらシリアスなのに、そこで交わされる会話は関西弁丸出しのとぼけたやりとりで、笑わせる。
「グージョネットと風車小屋の魔女」は恋人を亡くしてひきこもっている女性と、心配して料理の食材を持ってきた友人の物語。映像とは無関係に、民話がずっと語られており、ときおり内容が近接する。最終的には、民話と現実がオカルト的なシンクロを果たし、女性は立ち直るきっかけを得る。2人が外出して出かけた場所は、民話と現実化した場所でもあった。主人公の女性が藤本美貴似で可愛い。ミキティよりも演技力ありそうだ。
「ポストの話」萩原朔美らしい映像エッセイ。窓について語り、今の住宅では窓は郵便受けの部分しか開いていない、と。窓を外に運んで風景を窓ごしに見る、寺山的展開もみせる。
「十七個の空間と一匹のウジ虫で構成された作品」では、本物のウジ虫が大活躍。
特集3 :セブン・イージー・ピーセズ /1作品93分(アメリカ)
7時間連続、7つの演目を7日間に渡り演じきったマリナ・アブラモビッチの「セブン・ イージー・ピーセズ」。亡きスーザン・ソンタグに捧ぐ伝説的パフォーマンスを、余すところなくフィルムに収めた渾身のドキュメント。
マリナ・アブラモビッチのセブン・イージー・ピーセズ バベット・マンゴルト/ビデオ/93 分/2007/アメリカ
第一日 ブルース・ナウマン「ボディー・プレッシャー」
第二日 ヴィト・アコンチ「シードベッド」
第三日 ヴァリー・エクスポート「アクション・パンツ:性器パニック」
第四日 ジーナ・ペイン「条件付け、セルフポートレート(たち)の最初のアクション」
第五日 ヨーゼフ・ボイス「死んだ野うさぎに絵を説明する方法」
第六日 マリナ・アブラモビッチ「トマスの唇」
第七日 マリナ・アブラモビッチ「向こう側への侵入」
これはすごかった。7時間パフォーマンスするってだけですごい。
このプログラム見ただけでも、イメージフォーラムフェスティバルに来た価値はあったというものだ!
簡単に何をしたかを書いておく。
「ボディー・プレッシャー」ガラスの壁に顔が歪むほど体を押し付ける。押し付け続ける。
「シードベッド」美術館の床下で7時間に渡ってオナニーする。音声は場内にスピーカーで流れている。
「アクション・パンツ:性器パニック」マシンガンを構えて客を監視し続ける。黒のレザーパンツは局部だけが切り取られていて、さらけだされている。
「条件付け、セルフポートレート(たち)の最初のアクション」何本もの蝋燭の火にあぶられる堅いベッドの上で横たわる。
「死んだ野うさぎに絵を説明する方法」うさぎの死骸を抱いて、それに話しかけたり、ステッキで床をガタガタ鳴らしたり。顔は金箔で覆われており、片足は鉄板を履いている。
「トマスの唇」全裸で登場。蜂蜜なめる〜カミソリで腹部の星形をなぞり、出血させる〜軍靴と軍帽をつけ、血をふいた旗を高く掲げる。スラブ民謡が流れ、アブラモビッチは涙を流す。〜氷で作られた十字架に寝る〜自らを鞭打つ。これをえんえんと繰り返す。終わったとき、ステージ上に置かれたカミソリは8枚だった。星印は二重に血の痕を描いていた。
「向こう側への侵入」小林幸子か!山のごとき巨大ドレスのてっぺんで優雅に踊るアブラモビッチ。肉体をいじめ続けるパフォーマンスのあとでは、なんだかホッとするようなフィナーレにふさわしいパフォーマンスに思えた。
このアブラモビッチの映像も特集「グッドバイ・スタイリッシュ」のプログラムで、どれも僕の趣味嗜好にぴったり合ったものだった。いい特集だった!
HACO&松井智恵ミニライブ&トーク〜イメージフォーラムフェスティバル
2007年5月19日 ライブ
HACO CD ディウレコード 2007/04/13 ¥2,940
午後7時からremoでHACO×松井智恵によるミニライブ、トーク。
松井智恵映像作品の上映会がremoでは開催中で、その松井智恵さんがHACOちゃんのニューアルバム「RISKA」のジャケットを手がけたご縁でのイベントになった。
早めに会場に入り、あちこちのモニタやスクリーンで松井智恵さんの映像を見る。
上映されているのは次の作品。括弧内は簡単な内容を勝手に僕が書いてみた。
1.She dissolves/2000(床の下は何じゃいな)
2.She reaches/2000(二口女は枝をひきずる)
3.KOJIMA/2002(小島限定世界一周)
4.KOSO-DORO/2003(扉の向こうでマニキュア)
5.HIMARAYA/2003(階段ずるずるヘビ女)
6.HEIDI 44/2004(梁ポッター)
7.HEIDI 44-2/2005(未見。木造の建物で撮影された作品らしい)
8.HEIDI 44-3/2005(食欲)
9.HEIDI 45/2005(港のハイジ横浜どこスか?)
10.HEIDI 46-1"brick house"/2006(ヴァイオリン劇)
11.HEIDI 46-2"hair"/2006(ノコ!イノコ!)
12.HEIDI 47-1"horse shoe"/2007(爪先立ちで蹄の音)
13.HEIDI 47-2"FISH"/2007(藻になった髪)
「HEIDI」は「ハイジ」のこと。「ヘイジ」と読んで、銭形平次を連想するのは間違いである。
ライブは「RISKA」からの曲を中心に、ラップトップとヴォーカル。
とてもシックで大人な曲調に驚く。
トークでHACOちゃんが語っていたように、これは自分の部屋で1人で聞くのに最適な非常にパーソナルな音楽だと感じた。
あと、トークでは2人の出会いから「RISKA」制作に関わる裏話を中心に。
ジャケットを描くのに空白の1ヶ月があったことなど。
松井さんがHACOちゃんのことを自分より3つ年上だと思いこんでいたことが暴露された。松井さんの年齢は、「HEIDI」シリーズの数字参照。
トークショー終了後はパーティ状態になって、HACOちゃんに挨拶だけでもしておきたかったが、時間がなくて、早々に帰路についた。
昼間は京都でイメージ・フォーラム・フェスティバル。今日は2プログラム。
日本5 日本招待部門 + 一般公募部門 /6作品91分
「映画 来るべきもの」 黒川芳朱/ビデオ/15 分/2007
「版#26−29」 伊藤隆介/16ミリ/8 分/2007
「LOTUS」 相原信洋/16ミリ/7分/2007
「INCLINED HORISON」 太田曜/16ミリ/8分/2007
「No is E」 牧野貴/8ミリ→ビデオ/23分/2006 一般公募部門寺山修司賞 音楽:ジム・オルーク
「タガ・クロス・イズ・アライブ」 万城目純/8ミリ/30分/2007 ライブ・パフォーマンス上映。小池照男(笛)、万城目純(影)
なんだか観念的な映画を見た、という印象。
「No is E」は光の粒の乱舞がきれいだったし、「LOTUS」はまるで呼吸するかのように自然に吐き出される相原節で、楽しかったのだが。
ブリティッシュ・アニメーション・リンク /8作品66分(イギリス)
雑誌の切り抜きから DCGまで。不思議なケモノのパーティーから“広告の国のアリス”まで 現在最も多様でパワフルなイギリスの最新アニメーション作品集。
「愛はすべてを越えて」 セミコンダクター/ビデオ/5分/2006
「積層」 ヴィッキー・スミス/16ミリ(ビデオ版)/7分/2006
「近接」 インガー・リーゼ・ハンセン/ビデオ/4分/2006
「鼻から口へ」 コヤマ・ジョージ/ビデオ/19 分/2006
「一直線に」 カロリーナ・メリス & スザンヌ・フレンダー/ビデオ/5分/2005
「僕らはハッピーエンドを信じてる」 モニカ・フォースベルグ+ ビデオ/5分/2006
「フライト」 ドライデン・グッドウィン/ビデオ/8 分/2006
「インターステラ・ステラ」 AL + AL/ビデオ/13 分/2006
「インターステラ・ステラ」がまるでゲームの世界に入ったかのようで、魅力的だった。これはもう1回見たい。
ところで、このブリティッシュアニメーションリンクの作品はanimate!からのものだが、「アニメイト」って、あのアニメ店長がいるアニメイトなのか!と錯覚しそうになった。
(追記)
HACOちゃんと松井智恵さんのトークのあとで、HEIDIシリーズの「piano」が一部上映された。
ピアノをひいて、階段を背中でズルズルおりる松井さん。
本人は「ホラー」と言ってた。
午後7時からremoでHACO×松井智恵によるミニライブ、トーク。
松井智恵映像作品の上映会がremoでは開催中で、その松井智恵さんがHACOちゃんのニューアルバム「RISKA」のジャケットを手がけたご縁でのイベントになった。
早めに会場に入り、あちこちのモニタやスクリーンで松井智恵さんの映像を見る。
上映されているのは次の作品。括弧内は簡単な内容を勝手に僕が書いてみた。
1.She dissolves/2000(床の下は何じゃいな)
2.She reaches/2000(二口女は枝をひきずる)
3.KOJIMA/2002(小島限定世界一周)
4.KOSO-DORO/2003(扉の向こうでマニキュア)
5.HIMARAYA/2003(階段ずるずるヘビ女)
6.HEIDI 44/2004(梁ポッター)
7.HEIDI 44-2/2005(未見。木造の建物で撮影された作品らしい)
8.HEIDI 44-3/2005(食欲)
9.HEIDI 45/2005(港のハイジ横浜どこスか?)
10.HEIDI 46-1"brick house"/2006(ヴァイオリン劇)
11.HEIDI 46-2"hair"/2006(ノコ!イノコ!)
12.HEIDI 47-1"horse shoe"/2007(爪先立ちで蹄の音)
13.HEIDI 47-2"FISH"/2007(藻になった髪)
「HEIDI」は「ハイジ」のこと。「ヘイジ」と読んで、銭形平次を連想するのは間違いである。
ライブは「RISKA」からの曲を中心に、ラップトップとヴォーカル。
とてもシックで大人な曲調に驚く。
トークでHACOちゃんが語っていたように、これは自分の部屋で1人で聞くのに最適な非常にパーソナルな音楽だと感じた。
あと、トークでは2人の出会いから「RISKA」制作に関わる裏話を中心に。
ジャケットを描くのに空白の1ヶ月があったことなど。
松井さんがHACOちゃんのことを自分より3つ年上だと思いこんでいたことが暴露された。松井さんの年齢は、「HEIDI」シリーズの数字参照。
トークショー終了後はパーティ状態になって、HACOちゃんに挨拶だけでもしておきたかったが、時間がなくて、早々に帰路についた。
昼間は京都でイメージ・フォーラム・フェスティバル。今日は2プログラム。
日本5 日本招待部門 + 一般公募部門 /6作品91分
「映画 来るべきもの」 黒川芳朱/ビデオ/15 分/2007
「版#26−29」 伊藤隆介/16ミリ/8 分/2007
「LOTUS」 相原信洋/16ミリ/7分/2007
「INCLINED HORISON」 太田曜/16ミリ/8分/2007
「No is E」 牧野貴/8ミリ→ビデオ/23分/2006 一般公募部門寺山修司賞 音楽:ジム・オルーク
「タガ・クロス・イズ・アライブ」 万城目純/8ミリ/30分/2007 ライブ・パフォーマンス上映。小池照男(笛)、万城目純(影)
なんだか観念的な映画を見た、という印象。
「No is E」は光の粒の乱舞がきれいだったし、「LOTUS」はまるで呼吸するかのように自然に吐き出される相原節で、楽しかったのだが。
ブリティッシュ・アニメーション・リンク /8作品66分(イギリス)
雑誌の切り抜きから DCGまで。不思議なケモノのパーティーから“広告の国のアリス”まで 現在最も多様でパワフルなイギリスの最新アニメーション作品集。
「愛はすべてを越えて」 セミコンダクター/ビデオ/5分/2006
「積層」 ヴィッキー・スミス/16ミリ(ビデオ版)/7分/2006
「近接」 インガー・リーゼ・ハンセン/ビデオ/4分/2006
「鼻から口へ」 コヤマ・ジョージ/ビデオ/19 分/2006
「一直線に」 カロリーナ・メリス & スザンヌ・フレンダー/ビデオ/5分/2005
「僕らはハッピーエンドを信じてる」 モニカ・フォースベルグ+ ビデオ/5分/2006
「フライト」 ドライデン・グッドウィン/ビデオ/8 分/2006
「インターステラ・ステラ」 AL + AL/ビデオ/13 分/2006
「インターステラ・ステラ」がまるでゲームの世界に入ったかのようで、魅力的だった。これはもう1回見たい。
ところで、このブリティッシュアニメーションリンクの作品はanimate!からのものだが、「アニメイト」って、あのアニメ店長がいるアニメイトなのか!と錯覚しそうになった。
(追記)
HACOちゃんと松井智恵さんのトークのあとで、HEIDIシリーズの「piano」が一部上映された。
ピアノをひいて、階段を背中でズルズルおりる松井さん。
本人は「ホラー」と言ってた。