麻薬書簡 再現版 (河出文庫 ハ 5-4)
2007年10月25日 読書
ISBN:4309462987 文庫 山形 浩生 河出書房新社 2007/09/04 ¥756
ウィリアム・バロウズとアレン・ギンズバーグによる『麻薬書簡 再現版』を読んだ。
以下目次
ヤーヘを求めて(1953)
七年後(1960)
アレン・ギンズバーグよりウィリアム・バロウズへ
バロウズの返事
エピローグ(1963)
ギンズバーグ「関係者各位」
バロウズ「ぼくは死にかけてるの、だんなさん?」
補遺
補遺1 バロウズの1953年6月「ヤーヘ」原稿より
補遺2 バロウズのギンズバーグ宛書簡、1953年7月9日
補遺3 バロウズの1953年12月「ヤーヘ」原稿より
補遺4 バロウズの1956年1月「ヤーヘ記事」原稿より
補遺5 バロウズの1956年3月「ヤーヘ記事」原稿より
補遺6 ギンズバーグの1960年6月南米日誌より
注
編者解説(オリヴァー・ハリス)
「謎の一部」
「真価がわかるのはおれだ」
「いまだに謎」
「まだ私は何も書いていない」
「最後の物(ブツ)」
編者謝辞
ヤーヘは今ではアヤフアスカという名で知られる蔓植物、向神経薬のこと。
当時はアマゾン流域のインディアンたちに使用されている謎のドラッグで、実態は知られていなかった。
ただ、その効能はこんなふうに伝えられていた。
「トランス状態を引き起こして他人の思考が読めるようになったり、なくし物や盗品も見つかったり、現代科学の技能では手に負えない病気を診断して治療法を出したり、未来を予見したりできるようになる」
さらに、最も驚くべき力は、こんなふう。
「こうした彼方のジャングル地域の土人たちが見たことも聞いたこともないような都市や場所について、詳細な細部に至るまで描写できるようになる」んだって!
バロウズは自ら南米におもむいて、ヤーヘを体験し、その効果を明らかにしようとしたのだ。
さて、このヤーヘ、テレパシンという名で呼ばれることもあり、摂取によりテレパシー能力が開花する、と信じられていたが、結果から言うと、それは確認できなかった。
バロウズによると、効き目は大麻と同じで、ヤーへ液(樹皮を数時間つけた水)を1リットル飲めば、青い閃光、寒気、吐き気、身体のコントロール喪失。煮込んだ調整物を飲めば神経症的な妄想、幻想、ひどい吐き気、寒気、完全な体の自由喪失、ことによると生命を失う場合もあるという。
「2分以内にぞくぞくする波が全身を覆い、小屋がぐるぐる回りだした」
「助手が外にいて明らかに私を殺そうという意図をもって外をうろついている」
「イモムシ状の生き物が青い霞に包まれて目の前を通り過ぎ、それぞれが卑わいでバカにしたような鳴き声をあげる」
ああ、バロウズ、南米まで行って、どんなひどい目にあってるんだ。
本書の中心になる「ヤーヘを求めて」はバロウズがヤーヘを求めて南米パナマ〜ボゴタ〜パスト〜リマからギンズバーグに送った書簡をもとにしている。と、言われてきたが、事情は違ったらしい。編者によると、もともと「ヤーヘを求めて」は『ジャンキー』の一部として構想されていた。ギンズバーグに送られた原稿は書簡形式ではなく、一人称の旅行記だったという。(訳文で『ヤーヘを探して』という翻訳も混在しているが、『ヤーヘを求めて』のことだろう)
麻薬とは直接無関係だが、町の乞食について書かれた文章も刺激的で面白い。
「ライ病者は崩壊する脚にハチミツを塗って毎日一定時間蟻塚の上にすわり」
「他の連中は街角で熱酸による浣腸をやってみせたり、黒く干からびた指や性器を折り取ってみやげものとして売る」
「ある注目すべき乞食は実にひどい吐息をしていて、吐くだけで人が殺せるとして有名」
「最も恐れられている病気は中核病と呼ばれる。巨大なカニやムカデが体内で孵化してやがて肉体を割って出てくる」
「ムカデが皮膚の下でうごめいているのが見える」
強烈!
バロウズがレポートする、これら乞食や土人やひどいドラッグ効果と比べて、ギンズバーグがレポートするドラッグ効果には「神」「宇宙」「偉大な存在」など天上的描写がなされているのが対照的で面白かった。まさに天と地。同じドラッグの話なのか、と疑う。
僕の住む町では、すぐ近くにあいりん地区があり、生活保護費をすぐに覚醒剤購入にあててしまうケースが日常的に見られるらしい。南米か!
ウィリアム・バロウズとアレン・ギンズバーグによる『麻薬書簡 再現版』を読んだ。
以下目次
ヤーヘを求めて(1953)
七年後(1960)
アレン・ギンズバーグよりウィリアム・バロウズへ
バロウズの返事
エピローグ(1963)
ギンズバーグ「関係者各位」
バロウズ「ぼくは死にかけてるの、だんなさん?」
補遺
補遺1 バロウズの1953年6月「ヤーヘ」原稿より
補遺2 バロウズのギンズバーグ宛書簡、1953年7月9日
補遺3 バロウズの1953年12月「ヤーヘ」原稿より
補遺4 バロウズの1956年1月「ヤーヘ記事」原稿より
補遺5 バロウズの1956年3月「ヤーヘ記事」原稿より
補遺6 ギンズバーグの1960年6月南米日誌より
注
編者解説(オリヴァー・ハリス)
「謎の一部」
「真価がわかるのはおれだ」
「いまだに謎」
「まだ私は何も書いていない」
「最後の物(ブツ)」
編者謝辞
ヤーヘは今ではアヤフアスカという名で知られる蔓植物、向神経薬のこと。
当時はアマゾン流域のインディアンたちに使用されている謎のドラッグで、実態は知られていなかった。
ただ、その効能はこんなふうに伝えられていた。
「トランス状態を引き起こして他人の思考が読めるようになったり、なくし物や盗品も見つかったり、現代科学の技能では手に負えない病気を診断して治療法を出したり、未来を予見したりできるようになる」
さらに、最も驚くべき力は、こんなふう。
「こうした彼方のジャングル地域の土人たちが見たことも聞いたこともないような都市や場所について、詳細な細部に至るまで描写できるようになる」んだって!
バロウズは自ら南米におもむいて、ヤーヘを体験し、その効果を明らかにしようとしたのだ。
さて、このヤーヘ、テレパシンという名で呼ばれることもあり、摂取によりテレパシー能力が開花する、と信じられていたが、結果から言うと、それは確認できなかった。
バロウズによると、効き目は大麻と同じで、ヤーへ液(樹皮を数時間つけた水)を1リットル飲めば、青い閃光、寒気、吐き気、身体のコントロール喪失。煮込んだ調整物を飲めば神経症的な妄想、幻想、ひどい吐き気、寒気、完全な体の自由喪失、ことによると生命を失う場合もあるという。
「2分以内にぞくぞくする波が全身を覆い、小屋がぐるぐる回りだした」
「助手が外にいて明らかに私を殺そうという意図をもって外をうろついている」
「イモムシ状の生き物が青い霞に包まれて目の前を通り過ぎ、それぞれが卑わいでバカにしたような鳴き声をあげる」
ああ、バロウズ、南米まで行って、どんなひどい目にあってるんだ。
本書の中心になる「ヤーヘを求めて」はバロウズがヤーヘを求めて南米パナマ〜ボゴタ〜パスト〜リマからギンズバーグに送った書簡をもとにしている。と、言われてきたが、事情は違ったらしい。編者によると、もともと「ヤーヘを求めて」は『ジャンキー』の一部として構想されていた。ギンズバーグに送られた原稿は書簡形式ではなく、一人称の旅行記だったという。(訳文で『ヤーヘを探して』という翻訳も混在しているが、『ヤーヘを求めて』のことだろう)
麻薬とは直接無関係だが、町の乞食について書かれた文章も刺激的で面白い。
「ライ病者は崩壊する脚にハチミツを塗って毎日一定時間蟻塚の上にすわり」
「他の連中は街角で熱酸による浣腸をやってみせたり、黒く干からびた指や性器を折り取ってみやげものとして売る」
「ある注目すべき乞食は実にひどい吐息をしていて、吐くだけで人が殺せるとして有名」
「最も恐れられている病気は中核病と呼ばれる。巨大なカニやムカデが体内で孵化してやがて肉体を割って出てくる」
「ムカデが皮膚の下でうごめいているのが見える」
強烈!
バロウズがレポートする、これら乞食や土人やひどいドラッグ効果と比べて、ギンズバーグがレポートするドラッグ効果には「神」「宇宙」「偉大な存在」など天上的描写がなされているのが対照的で面白かった。まさに天と地。同じドラッグの話なのか、と疑う。
僕の住む町では、すぐ近くにあいりん地区があり、生活保護費をすぐに覚醒剤購入にあててしまうケースが日常的に見られるらしい。南米か!
ISBN:4879842508 単行本 紀田 順一郎 松籟社 2007/03 ¥2,100
紀田順一郎の『幻想と怪奇の時代』を読んだ。
あとがきに「本書は私が半生にわたって親しんできた幻想怪奇文学に関する回想と、その間に執筆した論考を選択のうえ収録したもので、同じ版元から上梓した『戦後創成期ミステリ日記』(2006)の姉妹編をなすものである」とある。
以下、目次
第1部 幻想書林に分け入って
わが最初の境界
限られたマイナーな領域
『黒魔団』を読む女性
大伴昌司とホラー・セミナー
いまだに忘れない収集の苦心
天のときに恵まれた企画
失敗に終わった雑誌
輝ける邪悪の天球儀
円環を閉じるにあたって
第2部 幻想と怪奇の時代
恐怖小説講義
ゴシックの炎
ゴシック・ロマンスとは何か
ホーレス・ウォルポール−オトラントまたは夢の城
メアリー・シェリー−造物主または闇の力
エドガー・アラン・ポー−神話の創造と崩壊
「もう一つの夜」を求めて
『M・R・ジェイムズ怪談全集』解説
日本怪奇小説の流れ
(付録)密室論
第1部は2005年に行われた同題名の講演をもとに執筆された書き下ろし。
第2部は『出口なき迷宮』や『宝石』に執筆されたもの。
著者は『世界幻想文学体系』を企画しているが、この叢書について、こんなことを言っている。
「(幻想文学は)特定の作家や作風、一定の傾向に好みが偏しがちとなる。私はかねてこの全集をすべて揃える読者が少ないということを感じていた」
お恥ずかしい。
僕も、特に偏した読み方はしていないつもりだったが、全冊読破はしていない。主に、金銭面が原因だ。再読含めて、この全集を完読してみるのも楽しいかもしれない 。
付録の『密室論』では「密室の黄昏」「密室の廃墟」「密室の残骸」「密室の様式」「密室の典型」「現代と密室」「密室の再生」と見出しをつけて1962年に発表されたもの。
「あまりにもキマジメになりすぎた推理小説に、再び軽業的思考を回復してみたいという欲求が」現代の密室の再生をもたらすのではないか、と書いている。
確かに、密室は「軽業」として再生した。
でも、なぜか50年以上昔の推理小説の密室ものを読むときの方が、遥かに面白いと感じるのは、僕が古臭いものが好きだという傾向によるものなのだろうか。
紀田順一郎の『幻想と怪奇の時代』を読んだ。
あとがきに「本書は私が半生にわたって親しんできた幻想怪奇文学に関する回想と、その間に執筆した論考を選択のうえ収録したもので、同じ版元から上梓した『戦後創成期ミステリ日記』(2006)の姉妹編をなすものである」とある。
以下、目次
第1部 幻想書林に分け入って
わが最初の境界
限られたマイナーな領域
『黒魔団』を読む女性
大伴昌司とホラー・セミナー
いまだに忘れない収集の苦心
天のときに恵まれた企画
失敗に終わった雑誌
輝ける邪悪の天球儀
円環を閉じるにあたって
第2部 幻想と怪奇の時代
恐怖小説講義
ゴシックの炎
ゴシック・ロマンスとは何か
ホーレス・ウォルポール−オトラントまたは夢の城
メアリー・シェリー−造物主または闇の力
エドガー・アラン・ポー−神話の創造と崩壊
「もう一つの夜」を求めて
『M・R・ジェイムズ怪談全集』解説
日本怪奇小説の流れ
(付録)密室論
第1部は2005年に行われた同題名の講演をもとに執筆された書き下ろし。
第2部は『出口なき迷宮』や『宝石』に執筆されたもの。
著者は『世界幻想文学体系』を企画しているが、この叢書について、こんなことを言っている。
「(幻想文学は)特定の作家や作風、一定の傾向に好みが偏しがちとなる。私はかねてこの全集をすべて揃える読者が少ないということを感じていた」
お恥ずかしい。
僕も、特に偏した読み方はしていないつもりだったが、全冊読破はしていない。主に、金銭面が原因だ。再読含めて、この全集を完読してみるのも楽しいかもしれない 。
付録の『密室論』では「密室の黄昏」「密室の廃墟」「密室の残骸」「密室の様式」「密室の典型」「現代と密室」「密室の再生」と見出しをつけて1962年に発表されたもの。
「あまりにもキマジメになりすぎた推理小説に、再び軽業的思考を回復してみたいという欲求が」現代の密室の再生をもたらすのではないか、と書いている。
確かに、密室は「軽業」として再生した。
でも、なぜか50年以上昔の推理小説の密室ものを読むときの方が、遥かに面白いと感じるのは、僕が古臭いものが好きだという傾向によるものなのだろうか。
ISBN:4588495054 単行本 青木 隆嘉 法政大学出版局 1999/10 ¥3,465
ギュンター・アンダースの『寓話 塔からの眺め』を読んだ。
1932年から1968年にかけておりにふれて執筆された短い文章を集めてある。
「寓話」と題されているが、明らかにメッセージが読み取れるものはむしろ少なく、読んだあとにいろいろ考えさせられるものが多い。
わかりやすい話を1つ引用してみよう。
『あれかこれか』
「言葉を磨きあげるのは君に任せるよ」と中途半端な哲学者が言った。「私にとって重要なのは真理だけなのだ」
「哀れな男だ!」と哲学者が叫んだ。
「なぜ哀れなのだ?」
「なぜなら、君は2つとも断念しなければならないからだ」
「2つとも?」
「そうだとも。真理もだよ」
「どういう真理だ?」
「真理についての真理だ」
「その内容は?」
「真理は磨かれた窓を通してしか輝かないということだよ」
これ以外にわかりやすいものをあげると、こんな文章がある。
「私は独りでいなければなりません。というのは、2種類の仲間しかいないからです。私のものを剽窃する連中と剽窃しない者たちです。剽窃する連中は退屈です。剽窃しない者たちは今日の問題が分かっていない」(困難な選択)
「モールシアにはひとつの宗派があって、それに所属する者たちは、バンバ神の存在を否定するわけではないにしても、−きわめて冒涜的なことだが−世界がひとりでに湧き出たとき、その発生過程と完全に同調した創造のパントマイムをバンバがやったという説を唱えていた」(バンドマスター)
「M嬢が彼がものを知らないのに驚いて、最近の情報を全然知らないのかと尋ねたとき、ニュートンはこう答えた。『昔、3人の競走者がいました。優れた走者と中くらいの走者と劣った走者です』(中略)『最新情報に一番通じているのは、もちろんあなたです。なぜならあなたは一緒に走らずに、観覧席に坐っているだけだからですよ』彼はそう言って彼女を相手にしなかった」(最新情報に通じているのは)
アイヒマンの息子にあてた書簡の本の感想をまだ書いてなかったな。近々、書きおこそう。
ギュンター・アンダースの『寓話 塔からの眺め』を読んだ。
1932年から1968年にかけておりにふれて執筆された短い文章を集めてある。
「寓話」と題されているが、明らかにメッセージが読み取れるものはむしろ少なく、読んだあとにいろいろ考えさせられるものが多い。
わかりやすい話を1つ引用してみよう。
『あれかこれか』
「言葉を磨きあげるのは君に任せるよ」と中途半端な哲学者が言った。「私にとって重要なのは真理だけなのだ」
「哀れな男だ!」と哲学者が叫んだ。
「なぜ哀れなのだ?」
「なぜなら、君は2つとも断念しなければならないからだ」
「2つとも?」
「そうだとも。真理もだよ」
「どういう真理だ?」
「真理についての真理だ」
「その内容は?」
「真理は磨かれた窓を通してしか輝かないということだよ」
これ以外にわかりやすいものをあげると、こんな文章がある。
「私は独りでいなければなりません。というのは、2種類の仲間しかいないからです。私のものを剽窃する連中と剽窃しない者たちです。剽窃する連中は退屈です。剽窃しない者たちは今日の問題が分かっていない」(困難な選択)
「モールシアにはひとつの宗派があって、それに所属する者たちは、バンバ神の存在を否定するわけではないにしても、−きわめて冒涜的なことだが−世界がひとりでに湧き出たとき、その発生過程と完全に同調した創造のパントマイムをバンバがやったという説を唱えていた」(バンドマスター)
「M嬢が彼がものを知らないのに驚いて、最近の情報を全然知らないのかと尋ねたとき、ニュートンはこう答えた。『昔、3人の競走者がいました。優れた走者と中くらいの走者と劣った走者です』(中略)『最新情報に一番通じているのは、もちろんあなたです。なぜならあなたは一緒に走らずに、観覧席に坐っているだけだからですよ』彼はそう言って彼女を相手にしなかった」(最新情報に通じているのは)
アイヒマンの息子にあてた書簡の本の感想をまだ書いてなかったな。近々、書きおこそう。
四天王寺〜ガラスの大エレベーター
2007年10月22日 読書
ISBN:4566014142 単行本 Quentin Blake 評論社 2005/08 ¥1,260
四天王寺のお太子さんで古い物市。
ちょうど経供養の日でもあり、舞楽を見ることもできた。
入場時に、警備員がピシッと敬礼しているのが、ピーンとはりつけた雰囲気を出していた。
でも、なにごとにも無礼な僕は、「敬礼」なんてものが必要ない世界になるほうがいいな。
ロアルド・ダールの『ガラスの大エレベーター』を読んだ。
『チョコレート工場の秘密』の続編。
ガラスのエレベーターで飛行するうちに、高くあがりすぎて、宇宙に飛び出してしまう。
もはや、普通のエレベーターじゃない!
大エレベーターだ!
そこには宇宙ホテルUSAがあり、ワンカやチャーリーたちは火星人、金星人と間違われたり、宇宙の害獣クニッドに襲われたり。
また、若返りの薬ワンカ=ビタを飲み過ぎて、おじいちゃんが赤ん坊になり、おばあちゃんはマイナス2歳になってしまう。年をとる薬ビタ=ワンカで元通り。
何があってもベッドから出ようとしなかった寝たきりのおじいちゃん、おばあちゃんは、大統領からホワイトハウスへの招待を受けたと知ると、われさきにと走りだす。
言葉遊びも詩もあり、いつもながらの面白い世界が展開される。
心配性の老人たちが、ガラスのエレベーターと宇宙ホテルのドッキング案に対して懸念を表明し、それをワンカがまぜっかえすのが痛快。
「もしも、追ってきたら?」と、バケツ氏が初めて口を開く。
「もしも、捕まったら?」と、バケツ夫人。
「もしも、撃たれたら?」と、ジョージナばあちゃん。
「もしも、わたしのひげが緑色のホウレン草なら?」と、ワンカ氏が声はりあげた。
「口から出まかせはけっこう!そんなふうに、もしも、もしも、ばかり言っていては、どうもなりはしませんぞ」
これって、「〜脅威論」と同じことだと思う。
北朝鮮が日本にミサイルを発射したらどうする?
が典型例。
近所の店にまたワンカのチョコレートが入荷したので、買って来て食べよう。
四天王寺のお太子さんで古い物市。
ちょうど経供養の日でもあり、舞楽を見ることもできた。
入場時に、警備員がピシッと敬礼しているのが、ピーンとはりつけた雰囲気を出していた。
でも、なにごとにも無礼な僕は、「敬礼」なんてものが必要ない世界になるほうがいいな。
ロアルド・ダールの『ガラスの大エレベーター』を読んだ。
『チョコレート工場の秘密』の続編。
ガラスのエレベーターで飛行するうちに、高くあがりすぎて、宇宙に飛び出してしまう。
もはや、普通のエレベーターじゃない!
大エレベーターだ!
そこには宇宙ホテルUSAがあり、ワンカやチャーリーたちは火星人、金星人と間違われたり、宇宙の害獣クニッドに襲われたり。
また、若返りの薬ワンカ=ビタを飲み過ぎて、おじいちゃんが赤ん坊になり、おばあちゃんはマイナス2歳になってしまう。年をとる薬ビタ=ワンカで元通り。
何があってもベッドから出ようとしなかった寝たきりのおじいちゃん、おばあちゃんは、大統領からホワイトハウスへの招待を受けたと知ると、われさきにと走りだす。
言葉遊びも詩もあり、いつもながらの面白い世界が展開される。
心配性の老人たちが、ガラスのエレベーターと宇宙ホテルのドッキング案に対して懸念を表明し、それをワンカがまぜっかえすのが痛快。
「もしも、追ってきたら?」と、バケツ氏が初めて口を開く。
「もしも、捕まったら?」と、バケツ夫人。
「もしも、撃たれたら?」と、ジョージナばあちゃん。
「もしも、わたしのひげが緑色のホウレン草なら?」と、ワンカ氏が声はりあげた。
「口から出まかせはけっこう!そんなふうに、もしも、もしも、ばかり言っていては、どうもなりはしませんぞ」
これって、「〜脅威論」と同じことだと思う。
北朝鮮が日本にミサイルを発射したらどうする?
が典型例。
近所の店にまたワンカのチョコレートが入荷したので、買って来て食べよう。
午前からユニバーサルスタジオジャパンに行って、ハロウィンを楽しんで来た。
見たいものは全部見た。
で、ギリギリで夜勤に駆け込む。
見たいものは全部見た。
で、ギリギリで夜勤に駆け込む。
marini*monteany〜STSライブ
2007年10月20日 アイドルART HOUSEでmarini*monteanyの「1階と2階」展
ハロウィングッズ入荷を見に、梅田キディランドにも行く。
栞を購入。
STSスタジオライブ。
プログラムはまた後日追記するけど、次回からは関係者、保護者、ファンクラブの会員のみが観覧できる仕組みになる。
毎回超満員だったので、これでちゃんと着席して見ることができる、ということだろう。
ただし、僕はその3つのカテゴリーのどれにも属さないので、スタジオライブは今回が最終回になる。
楽しいライブだっただけに、残念。
ファンクラブ入会には、入会費、会費、そして、簡単な面接があるという。僕にはハードルが高すぎるのだ。
ハロウィングッズ入荷を見に、梅田キディランドにも行く。
栞を購入。
STSスタジオライブ。
プログラムはまた後日追記するけど、次回からは関係者、保護者、ファンクラブの会員のみが観覧できる仕組みになる。
毎回超満員だったので、これでちゃんと着席して見ることができる、ということだろう。
ただし、僕はその3つのカテゴリーのどれにも属さないので、スタジオライブは今回が最終回になる。
楽しいライブだっただけに、残念。
ファンクラブ入会には、入会費、会費、そして、簡単な面接があるという。僕にはハードルが高すぎるのだ。
ISBN:4872339746 単行本 大西 巨人 太田出版 2005/07/26 ¥1,365
大西巨人の『縮図・インコ道理教』を読んだ。
以下、目次。
献題
前書き
一 序曲
1、本体 仮称・地下鉄有毒ガス殺人事件
2、インコ道理教の概要
3、死刑について
二 遠景
1、天皇制のこと
2、新興宗教のことなど
三 中景
1、続 新興宗教のことなど
2、真田宗索筆『新憲法は自前である』
3、真田宗索筆『奇怪な一存在』
4、喫茶店「母子草」にて(その一)
5、喫茶店「母子草」にて(その二)
四 近景
1、一通の書信
2、「近親憎悪」という語
3、二通の書信
4、喫茶店「母子草」にて(その三)
五 現景
1、テロリズムとレジスタンス
2、真田宗索筆『初夏深思』をめぐって
3、喫茶店「母子草」にて(その四)
4、陰画的陥穽
題意
著者の「題意」によると、本書のタイトルは「皇国の縮図・インコ道理教」と本来なるはずのものだったらしい。
作中、問われるのは「インコ道理教にたいする国家権力の出方を、人が『近親憎悪』という言葉で理会するとは、何事を意味するのか」である。
インコ道理教(オウム真理教)も天皇制国家も、いずれも宗教団体・無差別大量殺人組織であるという観点から、縮図、近親憎悪という謎が解けるというわけだ。
これ以外にも、作中では著者の言葉として、あるいは登場人物の口を借りて、いくつかの見解が提示される。
いくつかピックアップしてみよう。
「宣戦布告」のある政治的殺人は、「戦争」と呼ばれ、「宣戦布告」のない政治的殺人は、「人殺し(テロリズム)」と呼ばれる。
(中略)「宣戦布告」の有無にかかわらず、どちらも、それが政治的殺人であることにおいて、一様に「人殺し(テロリズム)」であり、したがって、「人殺し(テロリズム)反対」は、すなわち「戦争反対」でなければならない。
参会者A「天皇制が、あるいは顕然と、あるいは隠然と、約三千年もの長期間存続してきたのは、その卓越性・有意義性・有益性の確乎たる証明ではありますまいか」
大圃講師「べティ・マーティン著『カーヴィルの奇蹟』という書物がありまして、その中に『癩病という問題にたいする底知れぬ無知の四千年、その無知が、訂正されぬ限り、その犠牲者は、肉体的にも精神的にも、正当な扱いを受けることはできないであろう』という指摘が、存在します。
ある状態が長期間存続した、ということは、『その卓越性・有意義性・有益性の証明』ではありません。
天皇制という問題にたいする底知れぬ無知の三千年ないし千数百年ないし百数十年、その無知が訂正されぬ限り、その無慮無数の犠牲者は、肉体的にも精神的にも、正当な扱いを受けることはできないであろう。と私は、考究・確信します」
また、
改憲の俗情をそそりやすい排外民族主義的な論拠の一つは「新憲法が外国からの押しつけ憲法であるから」という点です。
にこたえて、
1、五日市憲法草案の存在により、現行憲法がその根本精神において自前であること。
2、憲法は必ず改定されるべきである。それは、まず第一に第一章天皇全八箇条の全的廃止、人民共和制の確立・その明文化でなければならない。
と、書く。
死刑については、『白痴』より
「殺人罪によって人を死刑にするのは、強盗殺人などよりも遥かに残酷な行ないです」
という言葉をひいている。
これらの考えはおおむね納得でき、誰でもが同意するわかりやすい理屈なのだと思うのだが、大勢はそう考えていない、という傾向に愕然としてしまう。
大西巨人の『縮図・インコ道理教』を読んだ。
以下、目次。
献題
前書き
一 序曲
1、本体 仮称・地下鉄有毒ガス殺人事件
2、インコ道理教の概要
3、死刑について
二 遠景
1、天皇制のこと
2、新興宗教のことなど
三 中景
1、続 新興宗教のことなど
2、真田宗索筆『新憲法は自前である』
3、真田宗索筆『奇怪な一存在』
4、喫茶店「母子草」にて(その一)
5、喫茶店「母子草」にて(その二)
四 近景
1、一通の書信
2、「近親憎悪」という語
3、二通の書信
4、喫茶店「母子草」にて(その三)
五 現景
1、テロリズムとレジスタンス
2、真田宗索筆『初夏深思』をめぐって
3、喫茶店「母子草」にて(その四)
4、陰画的陥穽
題意
著者の「題意」によると、本書のタイトルは「皇国の縮図・インコ道理教」と本来なるはずのものだったらしい。
作中、問われるのは「インコ道理教にたいする国家権力の出方を、人が『近親憎悪』という言葉で理会するとは、何事を意味するのか」である。
インコ道理教(オウム真理教)も天皇制国家も、いずれも宗教団体・無差別大量殺人組織であるという観点から、縮図、近親憎悪という謎が解けるというわけだ。
これ以外にも、作中では著者の言葉として、あるいは登場人物の口を借りて、いくつかの見解が提示される。
いくつかピックアップしてみよう。
「宣戦布告」のある政治的殺人は、「戦争」と呼ばれ、「宣戦布告」のない政治的殺人は、「人殺し(テロリズム)」と呼ばれる。
(中略)「宣戦布告」の有無にかかわらず、どちらも、それが政治的殺人であることにおいて、一様に「人殺し(テロリズム)」であり、したがって、「人殺し(テロリズム)反対」は、すなわち「戦争反対」でなければならない。
参会者A「天皇制が、あるいは顕然と、あるいは隠然と、約三千年もの長期間存続してきたのは、その卓越性・有意義性・有益性の確乎たる証明ではありますまいか」
大圃講師「べティ・マーティン著『カーヴィルの奇蹟』という書物がありまして、その中に『癩病という問題にたいする底知れぬ無知の四千年、その無知が、訂正されぬ限り、その犠牲者は、肉体的にも精神的にも、正当な扱いを受けることはできないであろう』という指摘が、存在します。
ある状態が長期間存続した、ということは、『その卓越性・有意義性・有益性の証明』ではありません。
天皇制という問題にたいする底知れぬ無知の三千年ないし千数百年ないし百数十年、その無知が訂正されぬ限り、その無慮無数の犠牲者は、肉体的にも精神的にも、正当な扱いを受けることはできないであろう。と私は、考究・確信します」
また、
改憲の俗情をそそりやすい排外民族主義的な論拠の一つは「新憲法が外国からの押しつけ憲法であるから」という点です。
にこたえて、
1、五日市憲法草案の存在により、現行憲法がその根本精神において自前であること。
2、憲法は必ず改定されるべきである。それは、まず第一に第一章天皇全八箇条の全的廃止、人民共和制の確立・その明文化でなければならない。
と、書く。
死刑については、『白痴』より
「殺人罪によって人を死刑にするのは、強盗殺人などよりも遥かに残酷な行ないです」
という言葉をひいている。
これらの考えはおおむね納得でき、誰でもが同意するわかりやすい理屈なのだと思うのだが、大勢はそう考えていない、という傾向に愕然としてしまう。
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)
2007年10月18日 読書
ISBN:4829162767 文庫 むー 富士見書房 2004/11 ¥525
桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を読んだ。
自分を人魚だと言い張る少女、海野藻屑と、「さめている」山田なぎさの物語。
なぎさが実弾、藻屑が砂糖菓子の弾丸。
藻屑は虐待を受け、身体障害者であることを、「人魚」の幻想で糊塗する。そうした空想による世界との対し方を砂糖菓子の弾丸、という比喩で表現しているようだ。
一方、現実的な、なぎさの実弾も、ひきこもりで内弁慶な兄に対するブラザーコンプレックスをもっており、実弾としてまだまだ修行が必要だ。
藻屑は結局ストックホルム症候群とやらで、自分に対する虐待を認めず、結局は親にバラバラにされてしまう。
一方、砂糖菓子の弾丸では子供は世界と戦えない、となぎさは悟る。のだが、兄は実弾兄貴として、自衛隊に入隊などしてしまう。ひきこもっていた方が実害がなくてよかったかもしれない。
作中、優れた文章が散見されて、楽しい読書時間を過ごすことができた。
たとえば、こんな言い回し。
山のほうには、あたしが生まれた頃にできた原発がある。ていうか、田舎に作ったほうがいいと都会の人が考えるすべてのものがこの町にある。原発。刑務所。少年院。精神病院。それから自衛隊の駐屯地。
あたしは母がパートしてる近所のスーパーに出かけた。食糧の買いだしだ。お米は重いから今度にしよう、とか、トマトが安いといいなぁ、トマトのサラダって作るの楽だし、とか、生きることにしか関係のないことを考えながらあたしはスーパーの入り口に入ろうとした。
なかなかうまい。また、バラバラ殺人を扱っているせいか、カーの影響も感じられた。
岩塩の弾丸とか、妖魔の森とか出てくる。
本書は富士見ミステリー文庫からライトノベルの体裁で最初、出版された。
最近になって、いかにもなイラストの表紙から一転して顔のない文芸小説っぽい表紙の新版が出た。たしかに、この小説では、イラストで登場人物の見目を限定することは、百害あって一利なし、だ。カーの本にこういうライトノベル風イラストをつけるようなもので、作品世界を誤解しているとしか言い様がない。
ただし、重大な問題は、そんな文学っぽい体裁をとってしまうと、ハードカバーで値段が高くなってしまう。こういう路線も一長一短だ。
まあ、それは直接、作品とは関係ない。
さて、この小説で要となる「当たったらヤバイクイズ」は、こんな問題。
「ある男が死んだ。男には妻と子供がいた。葬式に男の同僚が参列した。同僚と妻はいい雰囲気になった。ところがその夜、なんと男の忘れ形見である子供が殺された。犯人は妻だった。自分の子供をとつぜん殺したんだ。さて、なぜでしょう?」
(ヒント:答えは5文字)
このクイズのどこがヤバイのかというと、この問いは異常犯罪者の青少年の精神鑑定に使われる質問なのだ。これに正解できた人間はわずか5人で、全員猟奇事件の犯人だった。
僕もちょっと考えてみた。
でも、正解したら、精神が異常だと証明されてしまうのだ。
正解は「あいたくて」
妻は、またいい雰囲気になった同僚にあいたくて、我が子を殺した。
葬式になったらまた会えると考えたのだ。
なーるほど。
八百屋お七みたいなものか。
僕は幸いにも正解を出せなかった。バンザイ!
僕の考えた答は、いかにもな新本格的解答だった。
すなわち「寝とられた」
惹かれた同僚と、我が子がセックスしているのを目撃して、殺してしまったのだ。(誤答)
桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を読んだ。
自分を人魚だと言い張る少女、海野藻屑と、「さめている」山田なぎさの物語。
なぎさが実弾、藻屑が砂糖菓子の弾丸。
藻屑は虐待を受け、身体障害者であることを、「人魚」の幻想で糊塗する。そうした空想による世界との対し方を砂糖菓子の弾丸、という比喩で表現しているようだ。
一方、現実的な、なぎさの実弾も、ひきこもりで内弁慶な兄に対するブラザーコンプレックスをもっており、実弾としてまだまだ修行が必要だ。
藻屑は結局ストックホルム症候群とやらで、自分に対する虐待を認めず、結局は親にバラバラにされてしまう。
一方、砂糖菓子の弾丸では子供は世界と戦えない、となぎさは悟る。のだが、兄は実弾兄貴として、自衛隊に入隊などしてしまう。ひきこもっていた方が実害がなくてよかったかもしれない。
作中、優れた文章が散見されて、楽しい読書時間を過ごすことができた。
たとえば、こんな言い回し。
山のほうには、あたしが生まれた頃にできた原発がある。ていうか、田舎に作ったほうがいいと都会の人が考えるすべてのものがこの町にある。原発。刑務所。少年院。精神病院。それから自衛隊の駐屯地。
あたしは母がパートしてる近所のスーパーに出かけた。食糧の買いだしだ。お米は重いから今度にしよう、とか、トマトが安いといいなぁ、トマトのサラダって作るの楽だし、とか、生きることにしか関係のないことを考えながらあたしはスーパーの入り口に入ろうとした。
なかなかうまい。また、バラバラ殺人を扱っているせいか、カーの影響も感じられた。
岩塩の弾丸とか、妖魔の森とか出てくる。
本書は富士見ミステリー文庫からライトノベルの体裁で最初、出版された。
最近になって、いかにもなイラストの表紙から一転して顔のない文芸小説っぽい表紙の新版が出た。たしかに、この小説では、イラストで登場人物の見目を限定することは、百害あって一利なし、だ。カーの本にこういうライトノベル風イラストをつけるようなもので、作品世界を誤解しているとしか言い様がない。
ただし、重大な問題は、そんな文学っぽい体裁をとってしまうと、ハードカバーで値段が高くなってしまう。こういう路線も一長一短だ。
まあ、それは直接、作品とは関係ない。
さて、この小説で要となる「当たったらヤバイクイズ」は、こんな問題。
「ある男が死んだ。男には妻と子供がいた。葬式に男の同僚が参列した。同僚と妻はいい雰囲気になった。ところがその夜、なんと男の忘れ形見である子供が殺された。犯人は妻だった。自分の子供をとつぜん殺したんだ。さて、なぜでしょう?」
(ヒント:答えは5文字)
このクイズのどこがヤバイのかというと、この問いは異常犯罪者の青少年の精神鑑定に使われる質問なのだ。これに正解できた人間はわずか5人で、全員猟奇事件の犯人だった。
僕もちょっと考えてみた。
でも、正解したら、精神が異常だと証明されてしまうのだ。
正解は「あいたくて」
妻は、またいい雰囲気になった同僚にあいたくて、我が子を殺した。
葬式になったらまた会えると考えたのだ。
なーるほど。
八百屋お七みたいなものか。
僕は幸いにも正解を出せなかった。バンザイ!
僕の考えた答は、いかにもな新本格的解答だった。
すなわち「寝とられた」
惹かれた同僚と、我が子がセックスしているのを目撃して、殺してしまったのだ。(誤答)
アメリカン・スプレンダー〜びっくり館の殺人
2007年10月17日 読書
ISBN:4062705796 単行本 綾辻 行人 講談社 2006/03 ¥2,100
シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ監督の「アメリカン・スプレンダー」を見た。(2003年)
アメリカン・コミック『アメリカン・スプレンダー』の原作者ハービー・ピーカーの半生を描いた映画。日常を描いた漫画。ハービーピーカーや、その友人達、同僚、女房など、本人も登場して、その変人ぶりを発揮している。
これは面白い映画だったなあ。
綾辻行人の『びっくり館の殺人』を読んだ。
ネタバレするので、要注意。
謎の建築家、中村青司が建築したのは、びっくり箱を仕込んだ屋敷。
ではあるが、事件の真相とは無関係だった。
事件は密室事件。
死体のそばには、等身大の腹話術人形。
真相は意外にも、本書の装画と口絵にドーンと描かれていた!
一応、密室殺人が描かれてはいるが、謎に満ちた雰囲気を味わう小説とみた。
真相では虐待のことが漏らされるが、どうにも違和感があった。
老人が少年を腹話術人形(少女)にして遊ぶなんて、甘美なイメージこそあっても、虐待には思えない。少年も喜んで人形役に徹したんじゃないだろうか。何故殺す?
ペットのトカゲを殺されたからか?
動物を殺すのは、少年少女の好むところだと思っていた。
関係者たちがよってたかって真相を隠すように事後工作するというのも、本格としてはあまりにも新本格寄りだ。
事件を実際に見聞きしている当事者にとっては謎でもなんでもないことが、謎になってしまうのが、新本格の特徴の1つだ。
まさしく、世界は言葉で出来ており、言葉を操ることに長けた者によって世界は動かされるのである。
シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ監督の「アメリカン・スプレンダー」を見た。(2003年)
アメリカン・コミック『アメリカン・スプレンダー』の原作者ハービー・ピーカーの半生を描いた映画。日常を描いた漫画。ハービーピーカーや、その友人達、同僚、女房など、本人も登場して、その変人ぶりを発揮している。
これは面白い映画だったなあ。
綾辻行人の『びっくり館の殺人』を読んだ。
ネタバレするので、要注意。
謎の建築家、中村青司が建築したのは、びっくり箱を仕込んだ屋敷。
ではあるが、事件の真相とは無関係だった。
事件は密室事件。
死体のそばには、等身大の腹話術人形。
真相は意外にも、本書の装画と口絵にドーンと描かれていた!
一応、密室殺人が描かれてはいるが、謎に満ちた雰囲気を味わう小説とみた。
真相では虐待のことが漏らされるが、どうにも違和感があった。
老人が少年を腹話術人形(少女)にして遊ぶなんて、甘美なイメージこそあっても、虐待には思えない。少年も喜んで人形役に徹したんじゃないだろうか。何故殺す?
ペットのトカゲを殺されたからか?
動物を殺すのは、少年少女の好むところだと思っていた。
関係者たちがよってたかって真相を隠すように事後工作するというのも、本格としてはあまりにも新本格寄りだ。
事件を実際に見聞きしている当事者にとっては謎でもなんでもないことが、謎になってしまうのが、新本格の特徴の1つだ。
まさしく、世界は言葉で出来ており、言葉を操ることに長けた者によって世界は動かされるのである。
骨まで愛して〜テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ
2007年10月16日 読書
ISBN:4757141297 単行本(ソフトカバー) 伊藤 剛 NTT出版 2005/09/27 ¥2,520
斎藤武市監督の「骨まで愛して」を見た。城卓矢の流行歌を題名に映画化。歌詞の内容と映画のストーリーは、無関係と言っていいだろう。
内容は、北海道を舞台にした日本の西部劇。同工異曲の映画を何本も見た覚えがある。
城卓矢が歌うシーンもあって、そのねちっこい血液ドロドロ風の歌唱を思い出して懐かしかった。
原作の川内康範で連想するのは、その耳毛だ。
先日、御堂筋パレードで、お年寄りの観客を多数見た。
耳からゾロッと、モジャッと、びっしりと毛がのぞいているおじいちゃんと、ライターで焼いたんじゃないかと思わせるような、ツルツルの耳穴をしたおじいちゃんに二分された。
ちゃんと処理しているのだろうか。
伊藤剛の『テヅカ・イズ・デッド』を読んだ。
以下、目次。
第1章 変化するマンガ、機能しないマンガ言説
1-1なぜマンガ言説は、現状に対応できないのか?
1-2「読み」の多様さとシステム論的分析の必要性
1-3マーケット分類とジャンル分類のあいだ
1-4『少年ガンガン』に見る言説の断絶
1-5誰が子供マンガを「殺した」のか
1-6キャラクター表現空間のなかで
第2章 切断線を超えるもの−いがらしみきお『ぼのぼの』の実践
2-1いがらしみきおの認識
2-2『ぼのぼの』と『動物化するポストモダン』
2-3「切断線」としての『ぼのぼの』
2-4「切断線」はどのように見いだされたか−マンガ表現をシステムとして見る
第3章 「キャラクター」とは何か
3-1「キャラ」とリアリティ
3-2『NANA』は「キャラ」は弱いけれど、「キャラクター」は立っている
3-3「キャラ」とは何か
3-4「キャラ」から見るマンガ史
第4章 マンガのリアリティ
4-1マンガにおける近代的リアリズムの獲得
4-2「コマわり」とは何か
4-3『新宝島』と「同一化技法」−竹内オサムが抱えたマンガの「近代」
4-4フレームの不確定性
4-5映画的リアリズム、「同一化技法」ふたたび
4-6少女マンガと「映画的」ではないリアリズム
第5章 テヅカ・イズ・デッド−手塚治虫という「円環」の外で
5-1手塚治虫という円環
5-2より開かれたマンガ表現史へ
あとがき マンガ・イズ・ノット・デッド
本書をもとにして、東浩紀らが「キャラ/キャラクター」について論じている本(『コンテンツの思想』)を先に読んでいたため、比較的、著者のいわんとするニュアンスは予習できていたが、やっぱりピンとこない部分も残る。
本書によると、
「キャラクターは登場人物と等価な意味として扱いうるが、キャラはそうではない」
「キャラとはキャラクターに先立って、何か存在感、生命感のようなものを感じさせるものと考えられる」
「あらためて『キャラ』を定義するとすれば、次のようになる。
多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指されることによって(あるいは、それを期待させることによって)、『人格・のようなもの』としての存在感を感じさせるもの」
著者は手塚治虫の『地底国の怪人』で、耳男が町に出たときに人々が「ウサギのおばけ」「まるで漫画のおばけ」と言われたくだりを例にとり、この「マンガのおばけ」こそ「キャラ」とほぼ同義だと言う。
『NANA』はキャラクターが立っているけど、キャラが弱い、という発言が実感をもってわかりやすいのに、それを一般化するとわかりにくくなってくる。
本書を読んでいて面白かったのは、この「キャラ/キャラクター」の部分以外にあった。
「最近の漫画は面白くない」とする論評、雰囲気に異をとなえる部分だ。
これは手塚治虫の呪縛を解く作業、憑き物落しなのだと思う。新宝島の映画的手法が漫画界初のものだとする定説の間違いをつくのもそれだ。
実際に、現在でも漫画でベストセラーが出ているにもかかわらず、また、面白い漫画が続々と出ているにもかかわらず、「漫画は衰退した」みたいなムードの発言がまかりとおるのは、すべて、手塚治虫と関わっているのだと思う。
正確にいうと、手塚治虫の死が関わっているんじゃないだろうか。
手塚治虫は、漫画の新しい流れを感じ取って、それを取り入れて自分の漫画を変えていった漫画家だ。現代の新しい漫画の流れも、手塚が生きておれば、手塚との距離や、手塚がいかにそれを吸収したかによって位置付けが可能なのだが、手塚亡きあとは、漫画だけが暴走している状況なのだ。これぞ、手塚の呪縛。
現代の漫画の読み手の思いと(面白い漫画がジャンジャン描かれている)、漫画に関する言説(漫画が面白くなくなった)のズレは、手塚の有無によっているんじゃないだろうか。
つまり、漫画に関して何か言う人は、手塚を必ず読んでいて、そこが参照点になる。でも、今の漫画の読み手は、必ずしも手塚を読んでいない。だって、昔の漫画だもん。
斎藤武市監督の「骨まで愛して」を見た。城卓矢の流行歌を題名に映画化。歌詞の内容と映画のストーリーは、無関係と言っていいだろう。
内容は、北海道を舞台にした日本の西部劇。同工異曲の映画を何本も見た覚えがある。
城卓矢が歌うシーンもあって、そのねちっこい血液ドロドロ風の歌唱を思い出して懐かしかった。
原作の川内康範で連想するのは、その耳毛だ。
先日、御堂筋パレードで、お年寄りの観客を多数見た。
耳からゾロッと、モジャッと、びっしりと毛がのぞいているおじいちゃんと、ライターで焼いたんじゃないかと思わせるような、ツルツルの耳穴をしたおじいちゃんに二分された。
ちゃんと処理しているのだろうか。
伊藤剛の『テヅカ・イズ・デッド』を読んだ。
以下、目次。
第1章 変化するマンガ、機能しないマンガ言説
1-1なぜマンガ言説は、現状に対応できないのか?
1-2「読み」の多様さとシステム論的分析の必要性
1-3マーケット分類とジャンル分類のあいだ
1-4『少年ガンガン』に見る言説の断絶
1-5誰が子供マンガを「殺した」のか
1-6キャラクター表現空間のなかで
第2章 切断線を超えるもの−いがらしみきお『ぼのぼの』の実践
2-1いがらしみきおの認識
2-2『ぼのぼの』と『動物化するポストモダン』
2-3「切断線」としての『ぼのぼの』
2-4「切断線」はどのように見いだされたか−マンガ表現をシステムとして見る
第3章 「キャラクター」とは何か
3-1「キャラ」とリアリティ
3-2『NANA』は「キャラ」は弱いけれど、「キャラクター」は立っている
3-3「キャラ」とは何か
3-4「キャラ」から見るマンガ史
第4章 マンガのリアリティ
4-1マンガにおける近代的リアリズムの獲得
4-2「コマわり」とは何か
4-3『新宝島』と「同一化技法」−竹内オサムが抱えたマンガの「近代」
4-4フレームの不確定性
4-5映画的リアリズム、「同一化技法」ふたたび
4-6少女マンガと「映画的」ではないリアリズム
第5章 テヅカ・イズ・デッド−手塚治虫という「円環」の外で
5-1手塚治虫という円環
5-2より開かれたマンガ表現史へ
あとがき マンガ・イズ・ノット・デッド
本書をもとにして、東浩紀らが「キャラ/キャラクター」について論じている本(『コンテンツの思想』)を先に読んでいたため、比較的、著者のいわんとするニュアンスは予習できていたが、やっぱりピンとこない部分も残る。
本書によると、
「キャラクターは登場人物と等価な意味として扱いうるが、キャラはそうではない」
「キャラとはキャラクターに先立って、何か存在感、生命感のようなものを感じさせるものと考えられる」
「あらためて『キャラ』を定義するとすれば、次のようになる。
多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指されることによって(あるいは、それを期待させることによって)、『人格・のようなもの』としての存在感を感じさせるもの」
著者は手塚治虫の『地底国の怪人』で、耳男が町に出たときに人々が「ウサギのおばけ」「まるで漫画のおばけ」と言われたくだりを例にとり、この「マンガのおばけ」こそ「キャラ」とほぼ同義だと言う。
『NANA』はキャラクターが立っているけど、キャラが弱い、という発言が実感をもってわかりやすいのに、それを一般化するとわかりにくくなってくる。
本書を読んでいて面白かったのは、この「キャラ/キャラクター」の部分以外にあった。
「最近の漫画は面白くない」とする論評、雰囲気に異をとなえる部分だ。
これは手塚治虫の呪縛を解く作業、憑き物落しなのだと思う。新宝島の映画的手法が漫画界初のものだとする定説の間違いをつくのもそれだ。
実際に、現在でも漫画でベストセラーが出ているにもかかわらず、また、面白い漫画が続々と出ているにもかかわらず、「漫画は衰退した」みたいなムードの発言がまかりとおるのは、すべて、手塚治虫と関わっているのだと思う。
正確にいうと、手塚治虫の死が関わっているんじゃないだろうか。
手塚治虫は、漫画の新しい流れを感じ取って、それを取り入れて自分の漫画を変えていった漫画家だ。現代の新しい漫画の流れも、手塚が生きておれば、手塚との距離や、手塚がいかにそれを吸収したかによって位置付けが可能なのだが、手塚亡きあとは、漫画だけが暴走している状況なのだ。これぞ、手塚の呪縛。
現代の漫画の読み手の思いと(面白い漫画がジャンジャン描かれている)、漫画に関する言説(漫画が面白くなくなった)のズレは、手塚の有無によっているんじゃないだろうか。
つまり、漫画に関して何か言う人は、手塚を必ず読んでいて、そこが参照点になる。でも、今の漫画の読み手は、必ずしも手塚を読んでいない。だって、昔の漫画だもん。
地獄篇三部作〜フェーンチャンぼくの恋人
2007年10月15日 読書 コメント (1)
ISBN:4334925677 単行本 大西 巨人 光文社 2007/08 ¥1,785
大西巨人の『地獄篇三部作』を読んだ。
第1部 笑熱地獄
第2部 無限地獄
第3部 驚喚地獄
前書きで、本書の成り立ちについて解説がある。
第1部は1948年に執筆されていたが、「掲載、発表することは不可」と連絡があった。当時の文芸ジャーナリズムにとって差し障りのある内容だったからだ。
その後、執筆、発表された「白日の序曲」は連還体長編小説『地獄変相奏鳴曲』の第1楽章として出版されたが、この「白日の序曲」こそ『地獄篇三部作』の第2部「無限地獄」にあたる部分であったのだ。
今回『地獄篇三部作』の出版によって、「白日の序曲」は本来のあるべき場所におさまったわけだ。
こうして三部作になると、1部は作家と文壇、ジャーナリズムの世界を描いてあり、2部ではその作家が書いた小説。3部はその作品に対するジャーナリズムの対応。
メタ小説の体裁をとった、一癖も二癖もある作品に仕上がったのである。
1部、3部は作家や雑誌をもじった固有名詞がとびかう毒のある笑いが横溢していた。
文体の勝利だな、と圧倒された。
でも、こりゃまいった、と思ったのは、第2部の「無限地獄」だ。
ここで描かれるのは、いたいけな少女を誘惑して、夢中にさせておいて、その後つれない態度をとる男だ。
ひどい男で、相手の女性がかわいそうでしかたがない。
この第2部を読んでいるあいだ、胸が痛くていたくて。
ここで描かれているのは、自分のことだ!と言う思いでいっぱいだった。
今までに何回も人と知り合い、仲良くなっては、自分の冷酷な仕打ちで人を傷つけてきた。
その一部始終が告発されている気がしたのだ。
いや、まったくそのとおり。
文芸ジャーナリズムの世界も地獄なら、この男の世界も地獄だ。
そして、これが「無限地獄」と名付けられているように、こうした、人を引き寄せておいては傷つける、という人間関係のありかたは、自分の人生では何度も繰り返されてきたのだ。
今まで出会ってきたすべての人に土下座して謝りたい。
バカバカバカ
はい、自己嫌悪タイム終了(江古田ちゃん)
BSでタイ映画「フェーンチャン〜ぼくの恋人〜」(2003年)を見た。
監督、脚本は365フィルムプロダクションズで、6人のグループで作っている。
脚本にはさらに1人加わって、こりゃ多い。
主人公の少年ジアップ(チャーリー・タライラット)と少女ノイナー(フォーカス・ジラクン)の恋愛以前の淡い思い出が描かれる。
ノスタルジーは毒だ、と思っているが、この映画なんか、まさに毒そのもの。
見た後しばらくは感傷にひたってしまって、現実に戻ってこれない。
聞いたことがないはずの、当時のタイでのヒット曲まで懐かしい。
少年時代の遊びや諍いなど、懐かしさでいっぱいになる。いい映画だ!
チャンバラで遊ぶシーンでは、特撮カンフーが見れる。
少年ジアップは1軒おいた隣同士の少女ノイナーといつも一緒に遊んでいる。
男の子どうしの遊びに加わりたいジアップは、ガキ大将に「おまえが男だという証拠を見せろ」と試練を課す。男の証明として出された課題は「手放しで自転車に乗る」「橋から飛び下りる」ここまではクリア。しかし、最後の「女の子が遊んでいるゴム飛びのゴムを切れ」ではクリアしたものの、ノイナーを悲しませてしまう。
ちゃんと仲直りできないままノイナーは引っ越ししてしまう。
うっかり寝坊して、お別れの挨拶もできなかったジアップ。
ガキ大将たちの手助けで、必死でおいかけるが、結局追いつかず。
それから十数年たち、ノイナーの結婚式に招待されたジアップ。
ノイナーは昔の少女のままの面影を残していた。
話が終わったあとの映像では、本編では語られなかったエピソードが映されて、謎解きや裏話が明かされる。
ジアップが手渡した花をノイナーが押し花にしていたこと。
水中で長く息をとめる競争で、ノイナーがズルしてたこと。など。
この映画で描かれた少年時代は、ドラえもんの世界っぽく、登場人物もドラえもんのTシャツ着ていたり、ドラえもんの新刊を読ませろと、ジャイアンっぽいガキ大将がすごむシーンもある。
今のこどもたちにも、こういう思い出して懐かしむ少年時代があるんだろうか。
よけいなお世話か!
http://www.excite.co.jp/cinema/special/fanchan/
大西巨人の『地獄篇三部作』を読んだ。
第1部 笑熱地獄
第2部 無限地獄
第3部 驚喚地獄
前書きで、本書の成り立ちについて解説がある。
第1部は1948年に執筆されていたが、「掲載、発表することは不可」と連絡があった。当時の文芸ジャーナリズムにとって差し障りのある内容だったからだ。
その後、執筆、発表された「白日の序曲」は連還体長編小説『地獄変相奏鳴曲』の第1楽章として出版されたが、この「白日の序曲」こそ『地獄篇三部作』の第2部「無限地獄」にあたる部分であったのだ。
今回『地獄篇三部作』の出版によって、「白日の序曲」は本来のあるべき場所におさまったわけだ。
こうして三部作になると、1部は作家と文壇、ジャーナリズムの世界を描いてあり、2部ではその作家が書いた小説。3部はその作品に対するジャーナリズムの対応。
メタ小説の体裁をとった、一癖も二癖もある作品に仕上がったのである。
1部、3部は作家や雑誌をもじった固有名詞がとびかう毒のある笑いが横溢していた。
文体の勝利だな、と圧倒された。
でも、こりゃまいった、と思ったのは、第2部の「無限地獄」だ。
ここで描かれるのは、いたいけな少女を誘惑して、夢中にさせておいて、その後つれない態度をとる男だ。
ひどい男で、相手の女性がかわいそうでしかたがない。
この第2部を読んでいるあいだ、胸が痛くていたくて。
ここで描かれているのは、自分のことだ!と言う思いでいっぱいだった。
今までに何回も人と知り合い、仲良くなっては、自分の冷酷な仕打ちで人を傷つけてきた。
その一部始終が告発されている気がしたのだ。
いや、まったくそのとおり。
文芸ジャーナリズムの世界も地獄なら、この男の世界も地獄だ。
そして、これが「無限地獄」と名付けられているように、こうした、人を引き寄せておいては傷つける、という人間関係のありかたは、自分の人生では何度も繰り返されてきたのだ。
今まで出会ってきたすべての人に土下座して謝りたい。
バカバカバカ
はい、自己嫌悪タイム終了(江古田ちゃん)
BSでタイ映画「フェーンチャン〜ぼくの恋人〜」(2003年)を見た。
監督、脚本は365フィルムプロダクションズで、6人のグループで作っている。
脚本にはさらに1人加わって、こりゃ多い。
主人公の少年ジアップ(チャーリー・タライラット)と少女ノイナー(フォーカス・ジラクン)の恋愛以前の淡い思い出が描かれる。
ノスタルジーは毒だ、と思っているが、この映画なんか、まさに毒そのもの。
見た後しばらくは感傷にひたってしまって、現実に戻ってこれない。
聞いたことがないはずの、当時のタイでのヒット曲まで懐かしい。
少年時代の遊びや諍いなど、懐かしさでいっぱいになる。いい映画だ!
チャンバラで遊ぶシーンでは、特撮カンフーが見れる。
少年ジアップは1軒おいた隣同士の少女ノイナーといつも一緒に遊んでいる。
男の子どうしの遊びに加わりたいジアップは、ガキ大将に「おまえが男だという証拠を見せろ」と試練を課す。男の証明として出された課題は「手放しで自転車に乗る」「橋から飛び下りる」ここまではクリア。しかし、最後の「女の子が遊んでいるゴム飛びのゴムを切れ」ではクリアしたものの、ノイナーを悲しませてしまう。
ちゃんと仲直りできないままノイナーは引っ越ししてしまう。
うっかり寝坊して、お別れの挨拶もできなかったジアップ。
ガキ大将たちの手助けで、必死でおいかけるが、結局追いつかず。
それから十数年たち、ノイナーの結婚式に招待されたジアップ。
ノイナーは昔の少女のままの面影を残していた。
話が終わったあとの映像では、本編では語られなかったエピソードが映されて、謎解きや裏話が明かされる。
ジアップが手渡した花をノイナーが押し花にしていたこと。
水中で長く息をとめる競争で、ノイナーがズルしてたこと。など。
この映画で描かれた少年時代は、ドラえもんの世界っぽく、登場人物もドラえもんのTシャツ着ていたり、ドラえもんの新刊を読ませろと、ジャイアンっぽいガキ大将がすごむシーンもある。
今のこどもたちにも、こういう思い出して懐かしむ少年時代があるんだろうか。
よけいなお世話か!
http://www.excite.co.jp/cinema/special/fanchan/
御堂筋パレード〜もっとペロキャン!ワンコインぷちライブ〜江村哲二〜大祓
2007年10月14日 読書
ISBN:4879956430 単行本 岩原 康夫 書肆山田 2005/08 ¥3,570
夜勤明けにうっかり1時間半も眠ってしまい、御堂筋パレードに出遅れる。
1時5分からの「ピンクチャイルド桃組」を見逃す。
いや、それだけでなく、あらかじめチェックしておいたステージのうちで、見ることができたのは1時35分からの「わんず組」だけだった。
わんず組はこどもたちによるファンタジーキッズミュージカル「子供達の夢〜不思議の国のアリスより〜」を上演していた。
で、その後はパレードを追いかけて見た。
お目当ては、御堂筋メドレー号でミルキーハット、万葉シャオニャン。
サントリーでSTSダンススタジオ。
パレードなのでメンバーの半分しか確認できず、向こう側に渡らないと残り半分が見えない。
ミルキーハットは、レナ、サヤカ、ユイ、チヒロのサイド。
STSは、高い場所に貴恵発見。君こそトップだ!
道路上でダンスする中には見知った顔が多々。
ほとんど走って追いかけながらだったので、基本、後頭部を見ることになったのは、残念。脚力を鍛えて、再挑戦したい。
その後、信長書店に駆け付ける。
「もっとペロキャン!ワンコインぷちライブvol.12」
午後4時開演だったが、遅れてしまい、歌の真っ最中に入場。
見たところからあとを残しておこう。
・桜チラリ
・スマイル:)
以心伝心ゲーム
あすぴが司会で、あかりんソ、カナ吉でお題の回答が一致すればOKなゲーム。
「お寿司のネタ」では「えび」「まぐろ」と分かれたが、「おつまみ」では「茎わかめ」、「まず起きてすること」では「携帯チェック」と一致。
3分間の撮影タイム。
・Pa-La-La
・スカートひらり
チラリにはじまり、ひらりに終わる。
まあ、最初から見ていたお客さんには、「桜チラリ」の前にも曲があったかもしれないけど!
帰宅して、NHK-FM「現代の音楽」
第17回芥川作曲賞選考演奏会からの2回目。
「アントモフォニー6」斉木由美・作曲
虫の声をモチーフにしている。今回は蝉。
東京・サントリーホールで収録。
残り2曲は、江村哲二の音楽。
江村哲二は芥川賞の審査員だったが、今年、本選を待たずして47歳の若さで亡くなった。
「バイオリン協奏曲 第2番“インテクステリア”」江村哲二・作曲
これは第4回芥川賞受賞作。
「地平線のクオリア」江村哲二・作曲
武満徹の「地平線のドーリア」を意識して作られている。
読んだ本はエズラ・パウンドの『大祓』
詩集『大祓』と中国詩翻訳を中心とした『キャセイ』から成っている。
今から90年ほど前の作品になるが、既に20世紀になっている。
現代的と評するには、20世紀はあまりにも現代だ。
こんな詩が面白い。
「ディヴェスに」
おお、ディヴェス、きみを非難するぼくは一体何者なのだ、
きみがむだな財産をかかえて辛い思いをしているように、
貧乏をかかえて
辛い思いをしているこのぼくは?
(大祓より)
「フォルミアナスの若い女友達に(ヴァレリウス・カトゥールス流に)」
ようこそ!小さめだとはとても言えない
鼻をしたお嬢さんよ、
足は美しいとは言いかねるし、
瞳は黒くない、
指は長くないし、口は乾くことがない、
言葉もエレガンスだとはとても言いかねるな。
きみは化粧品売りのフォルミアナスの友達で、
このあたりでは美人だという評判で、
あのレスビアにさえ比べられているけど。
ああ、なんとも不幸な時代だ!
(大祓より)
やつあたりで、あてこすり、言いたい放題。
諷刺というよりも、悪口に近い。
李白の漢詩を訳したという『キャセイ』の詩にしても、忠実な翻訳ではなく、パウンドの作品と読んでもおかしくないほどの違いがあるという。
ノンセンスな作品の奔放な翻訳であれば訳者の個性で1個の作品になったのだが、漢詩やギリシア詩の翻訳では、「誤訳だ!」と糾弾されてもしかたがない。これは選んだ対象が悪いのである。(奔放云々は、アルトーあたりを頭に描いている)
ただ、賛否両論は作品の力あってこそのものだから、注目に値するものであることは疑いない。
夜勤明けにうっかり1時間半も眠ってしまい、御堂筋パレードに出遅れる。
1時5分からの「ピンクチャイルド桃組」を見逃す。
いや、それだけでなく、あらかじめチェックしておいたステージのうちで、見ることができたのは1時35分からの「わんず組」だけだった。
わんず組はこどもたちによるファンタジーキッズミュージカル「子供達の夢〜不思議の国のアリスより〜」を上演していた。
で、その後はパレードを追いかけて見た。
お目当ては、御堂筋メドレー号でミルキーハット、万葉シャオニャン。
サントリーでSTSダンススタジオ。
パレードなのでメンバーの半分しか確認できず、向こう側に渡らないと残り半分が見えない。
ミルキーハットは、レナ、サヤカ、ユイ、チヒロのサイド。
STSは、高い場所に貴恵発見。君こそトップだ!
道路上でダンスする中には見知った顔が多々。
ほとんど走って追いかけながらだったので、基本、後頭部を見ることになったのは、残念。脚力を鍛えて、再挑戦したい。
その後、信長書店に駆け付ける。
「もっとペロキャン!ワンコインぷちライブvol.12」
午後4時開演だったが、遅れてしまい、歌の真っ最中に入場。
見たところからあとを残しておこう。
・桜チラリ
・スマイル:)
以心伝心ゲーム
あすぴが司会で、あかりんソ、カナ吉でお題の回答が一致すればOKなゲーム。
「お寿司のネタ」では「えび」「まぐろ」と分かれたが、「おつまみ」では「茎わかめ」、「まず起きてすること」では「携帯チェック」と一致。
3分間の撮影タイム。
・Pa-La-La
・スカートひらり
チラリにはじまり、ひらりに終わる。
まあ、最初から見ていたお客さんには、「桜チラリ」の前にも曲があったかもしれないけど!
帰宅して、NHK-FM「現代の音楽」
第17回芥川作曲賞選考演奏会からの2回目。
「アントモフォニー6」斉木由美・作曲
虫の声をモチーフにしている。今回は蝉。
東京・サントリーホールで収録。
残り2曲は、江村哲二の音楽。
江村哲二は芥川賞の審査員だったが、今年、本選を待たずして47歳の若さで亡くなった。
「バイオリン協奏曲 第2番“インテクステリア”」江村哲二・作曲
これは第4回芥川賞受賞作。
「地平線のクオリア」江村哲二・作曲
武満徹の「地平線のドーリア」を意識して作られている。
読んだ本はエズラ・パウンドの『大祓』
詩集『大祓』と中国詩翻訳を中心とした『キャセイ』から成っている。
今から90年ほど前の作品になるが、既に20世紀になっている。
現代的と評するには、20世紀はあまりにも現代だ。
こんな詩が面白い。
「ディヴェスに」
おお、ディヴェス、きみを非難するぼくは一体何者なのだ、
きみがむだな財産をかかえて辛い思いをしているように、
貧乏をかかえて
辛い思いをしているこのぼくは?
(大祓より)
「フォルミアナスの若い女友達に(ヴァレリウス・カトゥールス流に)」
ようこそ!小さめだとはとても言えない
鼻をしたお嬢さんよ、
足は美しいとは言いかねるし、
瞳は黒くない、
指は長くないし、口は乾くことがない、
言葉もエレガンスだとはとても言いかねるな。
きみは化粧品売りのフォルミアナスの友達で、
このあたりでは美人だという評判で、
あのレスビアにさえ比べられているけど。
ああ、なんとも不幸な時代だ!
(大祓より)
やつあたりで、あてこすり、言いたい放題。
諷刺というよりも、悪口に近い。
李白の漢詩を訳したという『キャセイ』の詩にしても、忠実な翻訳ではなく、パウンドの作品と読んでもおかしくないほどの違いがあるという。
ノンセンスな作品の奔放な翻訳であれば訳者の個性で1個の作品になったのだが、漢詩やギリシア詩の翻訳では、「誤訳だ!」と糾弾されてもしかたがない。これは選んだ対象が悪いのである。(奔放云々は、アルトーあたりを頭に描いている)
ただ、賛否両論は作品の力あってこそのものだから、注目に値するものであることは疑いない。
告知HELP!〜病み上がりバンザイ!〜
2007年10月14日 ライブおかしなおかしなアイドルイベント
10月29日(月)はなんばBEARSで
「HELP!〜病み上がりバンザイ!」
午後6時30分開場、午後7時開演
前売り1500円、当日2000円
難波BEARS
大阪市浪速区難波中3-14-5新日本難波ビルB1
06-6649-5564
http://home.att.ne.jp/orange/bears/access.html
丼野M美
野中ひゆ
おとぎの夢GARDEN★
荻野アサミ
婀生守て乃
きら
aco
メル
満腹ミキティ
and more
(進行)
保山宗明玉、ぶっちょカシワギ、草壁コウジ
ぜひとも、おこしを
10月29日(月)はなんばBEARSで
「HELP!〜病み上がりバンザイ!」
午後6時30分開場、午後7時開演
前売り1500円、当日2000円
難波BEARS
大阪市浪速区難波中3-14-5新日本難波ビルB1
06-6649-5564
http://home.att.ne.jp/orange/bears/access.html
丼野M美
野中ひゆ
おとぎの夢GARDEN★
荻野アサミ
婀生守て乃
きら
aco
メル
満腹ミキティ
and more
(進行)
保山宗明玉、ぶっちょカシワギ、草壁コウジ
ぜひとも、おこしを
ボン、キュッ!ボン、キュッ!BOMB〜中川貴雄、potof、山本めぐみ展
2007年10月13日 アイドル
モーニング娘。コンサートツアー2007秋「ボン、キュッ!ボン、キュッ!BOMB」
大阪厚生年金会館大ホール午後3時30分の回を見て来た。
以下、曲目。特に表記がないものは、モーニング娘。全員で歌っている。
開演前の音楽は「女に幸あれ」をアレンジしたもの。
1.ボン、キュッ!ボン、キュッ!BOMB!ガール
2.SEXY BOY 〜そよ風に寄り添って〜
3.Hand made CITY(曲中に、メンバー紹介映像)
メンバー挨拶
4.カッチョイイゼ! JAPAN(美勇伝、モーニング娘。)
5.Please! 自由の扉
6.悲しみトワイライト
道重さゆみの皆さんのいいところを引き出そうコーナー(道重、亀井、田中、ジュンジュン、リンリン)
「秋、と言えば」のお題に亀井「読書」ジュンジュン「運動」田中「文化祭」リンリン「食欲」、道重の正解は「道重さゆみ!」
道重「シャラ〜ップ!」ってのが連発される。
7.チャンス(月島きらり) 口パク?衣装の早替わりにビックリ。
8.好きな先輩(ジュンジュン、リンリン)
9.シャニムニパラダイス(高橋、新垣、亀井、田中)
10.いきまっしょい!
トーク(新垣、高橋)新垣「ひざの調子回復」高橋「ゲホン!(咳)」漫才っぽいトーク
11.じゃじゃ馬パラダイス(美勇伝)
12.美〜Hit Parade〜(美勇伝)
13.恋するエンジェルハート(美勇伝)
14.男友達(光井、コーラスに美勇伝)
人形劇映像(美勇伝、光井、高橋)これ、相当面白かった。
「光井キーック」「岡田サイクロン」「三好サウナ」バスタオル姿の高橋、楳図タッチで驚く三好、微妙な変顔の高橋
15.WASSUP?遠慮がテーマ (高橋メイン、道重、久住)
16.HOW DO YOU LIKE JAPAN?〜日本はどんな感じでっか?〜
17.シャボン玉
18.NATURE IS GOOD!
19.Ambitious!野心的でいいじゃん
20.Go Girl〜恋のヴィクトリー〜
21.ラヴ&ピィ〜ス!HEROがやって来たっ。(全員)
アンコール
22.HELLO TO YOU(全員)
23.女に幸あれ
24.ボン、キュッ!ボン、キュッ!BOMBガール
先般、モーニング娘。10年を寿ぐイベントなどがあったが、今回のライブは、現在のモーニング娘。を知るにはかっこうのステージだったと思う。
新曲と、5期メンバー加入以降の曲を中心に構成されており、昔のヒットパレードなどなかった。考えてみれば、「LOVEマシーン」のジャケットに映っているメンバーは現メンバーの中にはいない。それ以降のメガヒットを聞いて育った世代が、現在のメンバーなのだ。最近の曲は、一般の音楽リスナーに十全に届いているとは言いがたいが、それはモーニング娘。の衰退ではなく、本来あるべきポジションに戻っただけなのだ。音楽は、意識して耳を傾けなくては、聞けない。少なくとも、新しい扉は開かない。だって、今、普通に生活してて、レゲエの新しい流れとか、現代音楽の新曲なんてまったくわからないもん。アイドルの世界ではメジャーだったperfumeがやっと一般に認知されたくらいに、意識するしないでは大きなギャップが出る。ショップで販売されていないCDも山ほどあるのだ。
と、いうわけで、このライブ、僕は大いに満足して帰った。
歌も踊りも半端じゃない完成度だ。
僕の大好きな道重さゆみがちょっと疲れ気味に見えたのは残念だったが。(思いきりダンスしているのだが、いつも見られる過剰さが影をひそめていたのだ)
また、美勇伝が、出て来てちょっと喋っただけで、美勇伝ワールドを現出させるパワーにもおそれいった。ラジオ「ハロプロやねん」に美勇伝が出たとき(番組名がそのときだけ「美勇伝やねん」になる)にも感じたけど、この3人のしゃべりは独特の魅力がある。
コンサートの前後に、近くのギャラリーも回った。
ART HOUSE1階では中川貴雄個展「井ノ中ノカワズ」
いろんな分野に応用がききそうなイラストは、職業としてのイラストレイターのお手本なんじゃないか、と思った。個性をちゃんと発揮しながら、どこに配置しても邪魔しない。
まだお若いのに、既に老成!
2階では、potof(いとうひろみ、かもうゆきよ、なかのあゆみ、にべみほこ)による「まるいものなぁに?」
それぞれのふんわりした作品と、各人が作った絵本。なるほど。絵本を作るってのはいいアイディアだな、と思った。
Erioで山本めぐみクレイクラフト展「12☆Girls」
星座をテーマに女の子の人形を作ってあった。あと、童話をモチーフにした人形など。
リアルに友達でこんな子いるよな、と思わせるような女の子たちだった。
と、まあ、それなりに充実した1日だったが、夜勤もある。僕の長い1日ははじまったばっかりなのだ。
大阪厚生年金会館大ホール午後3時30分の回を見て来た。
以下、曲目。特に表記がないものは、モーニング娘。全員で歌っている。
開演前の音楽は「女に幸あれ」をアレンジしたもの。
1.ボン、キュッ!ボン、キュッ!BOMB!ガール
2.SEXY BOY 〜そよ風に寄り添って〜
3.Hand made CITY(曲中に、メンバー紹介映像)
メンバー挨拶
4.カッチョイイゼ! JAPAN(美勇伝、モーニング娘。)
5.Please! 自由の扉
6.悲しみトワイライト
道重さゆみの皆さんのいいところを引き出そうコーナー(道重、亀井、田中、ジュンジュン、リンリン)
「秋、と言えば」のお題に亀井「読書」ジュンジュン「運動」田中「文化祭」リンリン「食欲」、道重の正解は「道重さゆみ!」
道重「シャラ〜ップ!」ってのが連発される。
7.チャンス(月島きらり) 口パク?衣装の早替わりにビックリ。
8.好きな先輩(ジュンジュン、リンリン)
9.シャニムニパラダイス(高橋、新垣、亀井、田中)
10.いきまっしょい!
トーク(新垣、高橋)新垣「ひざの調子回復」高橋「ゲホン!(咳)」漫才っぽいトーク
11.じゃじゃ馬パラダイス(美勇伝)
12.美〜Hit Parade〜(美勇伝)
13.恋するエンジェルハート(美勇伝)
14.男友達(光井、コーラスに美勇伝)
人形劇映像(美勇伝、光井、高橋)これ、相当面白かった。
「光井キーック」「岡田サイクロン」「三好サウナ」バスタオル姿の高橋、楳図タッチで驚く三好、微妙な変顔の高橋
15.WASSUP?遠慮がテーマ (高橋メイン、道重、久住)
16.HOW DO YOU LIKE JAPAN?〜日本はどんな感じでっか?〜
17.シャボン玉
18.NATURE IS GOOD!
19.Ambitious!野心的でいいじゃん
20.Go Girl〜恋のヴィクトリー〜
21.ラヴ&ピィ〜ス!HEROがやって来たっ。(全員)
アンコール
22.HELLO TO YOU(全員)
23.女に幸あれ
24.ボン、キュッ!ボン、キュッ!BOMBガール
先般、モーニング娘。10年を寿ぐイベントなどがあったが、今回のライブは、現在のモーニング娘。を知るにはかっこうのステージだったと思う。
新曲と、5期メンバー加入以降の曲を中心に構成されており、昔のヒットパレードなどなかった。考えてみれば、「LOVEマシーン」のジャケットに映っているメンバーは現メンバーの中にはいない。それ以降のメガヒットを聞いて育った世代が、現在のメンバーなのだ。最近の曲は、一般の音楽リスナーに十全に届いているとは言いがたいが、それはモーニング娘。の衰退ではなく、本来あるべきポジションに戻っただけなのだ。音楽は、意識して耳を傾けなくては、聞けない。少なくとも、新しい扉は開かない。だって、今、普通に生活してて、レゲエの新しい流れとか、現代音楽の新曲なんてまったくわからないもん。アイドルの世界ではメジャーだったperfumeがやっと一般に認知されたくらいに、意識するしないでは大きなギャップが出る。ショップで販売されていないCDも山ほどあるのだ。
と、いうわけで、このライブ、僕は大いに満足して帰った。
歌も踊りも半端じゃない完成度だ。
僕の大好きな道重さゆみがちょっと疲れ気味に見えたのは残念だったが。(思いきりダンスしているのだが、いつも見られる過剰さが影をひそめていたのだ)
また、美勇伝が、出て来てちょっと喋っただけで、美勇伝ワールドを現出させるパワーにもおそれいった。ラジオ「ハロプロやねん」に美勇伝が出たとき(番組名がそのときだけ「美勇伝やねん」になる)にも感じたけど、この3人のしゃべりは独特の魅力がある。
コンサートの前後に、近くのギャラリーも回った。
ART HOUSE1階では中川貴雄個展「井ノ中ノカワズ」
いろんな分野に応用がききそうなイラストは、職業としてのイラストレイターのお手本なんじゃないか、と思った。個性をちゃんと発揮しながら、どこに配置しても邪魔しない。
まだお若いのに、既に老成!
2階では、potof(いとうひろみ、かもうゆきよ、なかのあゆみ、にべみほこ)による「まるいものなぁに?」
それぞれのふんわりした作品と、各人が作った絵本。なるほど。絵本を作るってのはいいアイディアだな、と思った。
Erioで山本めぐみクレイクラフト展「12☆Girls」
星座をテーマに女の子の人形を作ってあった。あと、童話をモチーフにした人形など。
リアルに友達でこんな子いるよな、と思わせるような女の子たちだった。
と、まあ、それなりに充実した1日だったが、夜勤もある。僕の長い1日ははじまったばっかりなのだ。
ダールさんってどんな人? (ロアルド・ダールコレクション 別巻1)
2007年10月11日 読書ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル リング・オブ・フェイト
2007年10月9日 ゲーム
Video Game スクウェア・エニックス 2007/08/23 ¥5,040
FFリング・オブ・フェイト終了。
マルチモードでやるのが楽しいらしいのだが、ゲーム友達がいるわけでもなく、シングルモードのみ。
1回目が終了して、2回目に突入したとき、持ち物や力がそのままで、最初からストーリーを反復できるのには驚いた。
このゲームでは、装備を変えると、キャラクターが実際に装備を変えて動き出す。
2回目では、いきなり登場人物がギラギラ光る鎧兜に身を固めていて笑った。
さて、このファイナルファンタジー、リング・オブ・フェイトでは、最終的に、敵はどんなに追い込まれてもやりなおす力を獲得する。これはすごい。負けた、と思っても一からやりなおすことができる。過去に戻って、間違えた選択を選びなおすことができるのだ。すべての可能性分、やりなおしがきく!
これは、ゲームにおけるリセットと同じ意味をもっている。
闘いに負けても、リセットすれば、その負けはチャラになるのだ。
そんな敵にいかにして勝利することができるのか!?
この難問に、解答が出て、ストーリーは終了するのだ。
ひとことで言えば、敵は永劫回帰の地獄から抜けだせなくなるのである。
リセットせずに負けを認めてしまえば、その地獄から抜けだせるのだが、敵はどうしてもリセットをしてしまう。これぞ地獄。
このゲーム、アクションRPGだと知らずに買ってしまい、ゲームを開始してすぐに後悔した。僕はアクションが苦手なのだ。
でも、頑張ってもクリアできない難度のアクションではなく、何回かチャレンジするうちに、ストーリーを先に進めることができた。
難易度は低めだったのだろうが、僕にはぴったりで、面白くてしかたがなかった。
さて、次は何のゲームをしようかな。
FFリング・オブ・フェイト終了。
マルチモードでやるのが楽しいらしいのだが、ゲーム友達がいるわけでもなく、シングルモードのみ。
1回目が終了して、2回目に突入したとき、持ち物や力がそのままで、最初からストーリーを反復できるのには驚いた。
このゲームでは、装備を変えると、キャラクターが実際に装備を変えて動き出す。
2回目では、いきなり登場人物がギラギラ光る鎧兜に身を固めていて笑った。
さて、このファイナルファンタジー、リング・オブ・フェイトでは、最終的に、敵はどんなに追い込まれてもやりなおす力を獲得する。これはすごい。負けた、と思っても一からやりなおすことができる。過去に戻って、間違えた選択を選びなおすことができるのだ。すべての可能性分、やりなおしがきく!
これは、ゲームにおけるリセットと同じ意味をもっている。
闘いに負けても、リセットすれば、その負けはチャラになるのだ。
そんな敵にいかにして勝利することができるのか!?
この難問に、解答が出て、ストーリーは終了するのだ。
ひとことで言えば、敵は永劫回帰の地獄から抜けだせなくなるのである。
リセットせずに負けを認めてしまえば、その地獄から抜けだせるのだが、敵はどうしてもリセットをしてしまう。これぞ地獄。
このゲーム、アクションRPGだと知らずに買ってしまい、ゲームを開始してすぐに後悔した。僕はアクションが苦手なのだ。
でも、頑張ってもクリアできない難度のアクションではなく、何回かチャレンジするうちに、ストーリーを先に進めることができた。
難易度は低めだったのだろうが、僕にはぴったりで、面白くてしかたがなかった。
さて、次は何のゲームをしようかな。
天保山スーパーキッズダンスショー〜ホゼー・トレス、ホゼー・トーレスPart2
2007年10月8日 映画 コメント (2)
DVD パイオニアLDC 2002/04/14 ¥18,900
天保山マーケットプレース中央のロタンダステージで「天保山スーパーキッズダンスショー」
5月に開催された「天保山キッズ・ダンス・コンペティション」で優勝した「スパイラルミント」を中心に、コルシカンミント、クールミント、あと、ミント勢による30分間のステージ。
曲と曲は全部つながり、次から次へとメンバーが入れ替わってダンスや歌を披露する。
最初はスパイラルミントではじまり、最後はクールミントとスパイラルミントという夢のコラボレーションで見事なダンスを見せた。
今日は朝から雨模様で、ATCでのダンスコンテストはおそらく順延しているだろう、と踏んで、こっちを見に来た。
体調がボロボロなので、石山でのアイドルイベントなどもってのほかだ。
このスパイラルミントのイベントは、館内で行われるため、雨でも行われる。到着時には雨もあがっており、むしろ暑いくらいの陽気だった。
しかし、午後2時からの回を見るのがせいいっぱいで、午後4時の回まで粘る体力もなく、帰宅。
録画しておいたシュートボクシングの放送を見た。
シュートボクシングとキックボクシングの3対3の対抗戦。
宍戸がTATSUJIに判定勝ちしてやっとのことでスランプ脱出。
とは言え、2回急所攻撃を受けて、TATSUJIが満足なファイトができなかったため、宍戸の本領は次の闘いに持ち越されたと言ってもいいだろう。
勅使河原宏監督による「ホゼー・トレス」を見た。1959年。
現代では「ホセ・トーレス」と表記されるのが一般的な、ボクサーのドキュメンタリー。
タイトルは粟津潔、音楽は武満徹。
当時、ホゼー・トレスは22才で無敗。
ナレーションはおさえられ、たんたんとボクサーを追う。
最近、格闘技の番組を見ると、片方の選手に肩入れした解説や、「守るべきものがある」「家族のために」なんていう演出がとても鬱陶しくて、まともに見ていられない。
この「ホゼー・トレス」で描かれるのは、ボクサーの孤独だ。
ラストシーンは、だれもいないリング。
しかし、計量のとき、ボクサーが全員全裸なのには驚いた。
続いて、「ホゼー・トーレスPart2」を見る。
音楽は武満徹。
1965年に行われたホゼー・トーレスと王者ウィリー・パストラーノの世界選手権試合を中心に描かれている。
このとき、ホゼー・トーレス34勝1敗1分。
彼にとって初の世界選手権試合だ。
パート2では「ホゼー・トレス」が「ホゼー・トーレス」と表記が変わり、トレーナーの「クス・ダマト」は「カス・ダマト」と発音されるようになった。
このPart2は、一転して、いろんな裏のドラマが語られる。
試合でプエルトリコの国歌が流れないと知って、ホゼー・トーレスは試合をしない、と告げ、なんとかプエルトリコの国歌が流れるようにしたこと。
下馬評ではパストラーノが6:4で勝つものと予想されており、ジムで恐怖心と闘うホゼー・トーレス。
キャンプにもしばしばあらわれて、応援するノーマン・メイラー。
面白いのは、敵のチャンピオンの名をつけたウィリーという人形。
神経系統の最も傷付きやすい部分に数字をふって、それを的にパンチを入れる。
1、2は顎、4は心臓、5は肝臓、6は腎臓。
これをホゼー・トーレスは2/5秒で6発殴る。そのシーンは見ていて小気味がいい。
いじわるな記者が「人形相手にしてるが、チャンピオンは動いているんですよ」と言うと、トレーナーのカス・ダマトはこう答える。
「チャンピオンでも試合の中で1秒止まっている瞬間があるはずだ。ホゼー・トーレスにはその1秒があればじゅうぶん」
ホゼー・トーレスはカス・ダマト考案によるピーカブースタイルで、顔面と脇のガードをしっかりとかためた構えをとる。「はじめの一歩」でおなじみの戦法だ。こうまでガチガチに固めると、パンチを出すのが難しくなる。それを克服したものだけが、この戦法で勝利をおさめることができるのだ。
また、頑固一徹なカス・ダマトはニューヨークのギャングと折り合いが悪く、ホゼートーレスはギャングに呼び出されて、「マジソン・スクエア・ガーデンで世界選手権試合したいなら、カス・ダマトと手を切れ」と脅す。
ホゼー・トーレスはもちろん、ギャングの申し出をはねのけようとするが、カス・ダマトに諭される。「どんなに悪条件でも試合しろ。試合さえすれば、おまえはチャンピオンになれる」
こうして、ホゼー・トーレスはカス・ダマトと手を切る。
映像は、セコンドにつけずに客席で声援を送るカス・ダマトの姿を映し出す。
このあたり、まるで、娯楽映画そのものだ。
試合は、ホゼー・トーレスの圧力とクレバーな闘い方が目立ち、パストラーノはレバーへの一撃で人生初のダウンを喫する。
その後は、なんとか立って闘うが、もはや闘争心はチャンピオンから消えていた。レフェリーストップで試合はホゼー・トーレスの勝利で終わる。
彼がカスダマトのもとに駆け付けて、ともに喜びを分かち合う映像には感動する。
と、いうか、僕も感動のあまり、えんえんと映画の内容をダラダラ再現してしまった。反省。
天保山マーケットプレース中央のロタンダステージで「天保山スーパーキッズダンスショー」
5月に開催された「天保山キッズ・ダンス・コンペティション」で優勝した「スパイラルミント」を中心に、コルシカンミント、クールミント、あと、ミント勢による30分間のステージ。
曲と曲は全部つながり、次から次へとメンバーが入れ替わってダンスや歌を披露する。
最初はスパイラルミントではじまり、最後はクールミントとスパイラルミントという夢のコラボレーションで見事なダンスを見せた。
今日は朝から雨模様で、ATCでのダンスコンテストはおそらく順延しているだろう、と踏んで、こっちを見に来た。
体調がボロボロなので、石山でのアイドルイベントなどもってのほかだ。
このスパイラルミントのイベントは、館内で行われるため、雨でも行われる。到着時には雨もあがっており、むしろ暑いくらいの陽気だった。
しかし、午後2時からの回を見るのがせいいっぱいで、午後4時の回まで粘る体力もなく、帰宅。
録画しておいたシュートボクシングの放送を見た。
シュートボクシングとキックボクシングの3対3の対抗戦。
宍戸がTATSUJIに判定勝ちしてやっとのことでスランプ脱出。
とは言え、2回急所攻撃を受けて、TATSUJIが満足なファイトができなかったため、宍戸の本領は次の闘いに持ち越されたと言ってもいいだろう。
勅使河原宏監督による「ホゼー・トレス」を見た。1959年。
現代では「ホセ・トーレス」と表記されるのが一般的な、ボクサーのドキュメンタリー。
タイトルは粟津潔、音楽は武満徹。
当時、ホゼー・トレスは22才で無敗。
ナレーションはおさえられ、たんたんとボクサーを追う。
最近、格闘技の番組を見ると、片方の選手に肩入れした解説や、「守るべきものがある」「家族のために」なんていう演出がとても鬱陶しくて、まともに見ていられない。
この「ホゼー・トレス」で描かれるのは、ボクサーの孤独だ。
ラストシーンは、だれもいないリング。
しかし、計量のとき、ボクサーが全員全裸なのには驚いた。
続いて、「ホゼー・トーレスPart2」を見る。
音楽は武満徹。
1965年に行われたホゼー・トーレスと王者ウィリー・パストラーノの世界選手権試合を中心に描かれている。
このとき、ホゼー・トーレス34勝1敗1分。
彼にとって初の世界選手権試合だ。
パート2では「ホゼー・トレス」が「ホゼー・トーレス」と表記が変わり、トレーナーの「クス・ダマト」は「カス・ダマト」と発音されるようになった。
このPart2は、一転して、いろんな裏のドラマが語られる。
試合でプエルトリコの国歌が流れないと知って、ホゼー・トーレスは試合をしない、と告げ、なんとかプエルトリコの国歌が流れるようにしたこと。
下馬評ではパストラーノが6:4で勝つものと予想されており、ジムで恐怖心と闘うホゼー・トーレス。
キャンプにもしばしばあらわれて、応援するノーマン・メイラー。
面白いのは、敵のチャンピオンの名をつけたウィリーという人形。
神経系統の最も傷付きやすい部分に数字をふって、それを的にパンチを入れる。
1、2は顎、4は心臓、5は肝臓、6は腎臓。
これをホゼー・トーレスは2/5秒で6発殴る。そのシーンは見ていて小気味がいい。
いじわるな記者が「人形相手にしてるが、チャンピオンは動いているんですよ」と言うと、トレーナーのカス・ダマトはこう答える。
「チャンピオンでも試合の中で1秒止まっている瞬間があるはずだ。ホゼー・トーレスにはその1秒があればじゅうぶん」
ホゼー・トーレスはカス・ダマト考案によるピーカブースタイルで、顔面と脇のガードをしっかりとかためた構えをとる。「はじめの一歩」でおなじみの戦法だ。こうまでガチガチに固めると、パンチを出すのが難しくなる。それを克服したものだけが、この戦法で勝利をおさめることができるのだ。
また、頑固一徹なカス・ダマトはニューヨークのギャングと折り合いが悪く、ホゼートーレスはギャングに呼び出されて、「マジソン・スクエア・ガーデンで世界選手権試合したいなら、カス・ダマトと手を切れ」と脅す。
ホゼー・トーレスはもちろん、ギャングの申し出をはねのけようとするが、カス・ダマトに諭される。「どんなに悪条件でも試合しろ。試合さえすれば、おまえはチャンピオンになれる」
こうして、ホゼー・トーレスはカス・ダマトと手を切る。
映像は、セコンドにつけずに客席で声援を送るカス・ダマトの姿を映し出す。
このあたり、まるで、娯楽映画そのものだ。
試合は、ホゼー・トーレスの圧力とクレバーな闘い方が目立ち、パストラーノはレバーへの一撃で人生初のダウンを喫する。
その後は、なんとか立って闘うが、もはや闘争心はチャンピオンから消えていた。レフェリーストップで試合はホゼー・トーレスの勝利で終わる。
彼がカスダマトのもとに駆け付けて、ともに喜びを分かち合う映像には感動する。
と、いうか、僕も感動のあまり、えんえんと映画の内容をダラダラ再現してしまった。反省。
Girl’s Panic@FANJ
2007年10月7日 アイドル東心斎橋FANJで「Girl’s Panic」
メアリーエンジェル
1.ここにいるぜぇ
2.カマピー&チックル
3.リアリティー
4.エンジェルウィング
5.会いたかった
ペロペロキャンディーズ
1.ズッコケ男道
2.Pa-La-La
3.キラキラ
4.スカートひらり(あゆ欠)
5.ねぇ、わかんない?
衣装はペロキャン Tシャツ(あすぴ赤、あゆ青、あかり黄緑、かな茶)に短パン。
10月6日に18才になったあすぴをお祝いして、ケーキと寄せ書きが贈られる。
あすぴはメンバー内だけでなく、関西のアイドルのなかでもプロポーションの良さはピカイチだな、と今さらながら思った。普通なら、知り合うこともなく別々の人生を送っていたに違いないが、ちょっとした気まぐれでアイドルの世界に降臨した天使(小悪魔?)という風情がある。
M/W
1.One Side Love
2.Go My Way!
3.メロディーズ
4.最強ヒロイン!瞬殺スマイル
5.シャボン玉
マミとワカコでM/W(ムウ)。
演劇やっているせいか、舞台度胸は一流。
前回見たときはアイドル色が薄いように思ったが、勉強したのか、今回はじゅうぶんアイドルしてた。
雅千夏
1.(忘れた!)
2.オーバーシャイン
3.ラブリーキャッツアイ
4.てのひら
5.ハッピーパラソル
雅千夏は関西テレビ「はらぺこ亭」のグーグーの一員でもある。
途中で、鉄拳ネタ「こんなクレーンゲームはいやだ」を披露。
3日間徹夜して描いたスケッチブックネタらしい。
今回のステージで、トークやネタを見ると、頭の回転の早い子なんだな、と関心した。
歌も安定した実力があると見た。
http://ameblo.jp/miyabichinatu/
H@chi
1.ココロノチズ
2.笑顔の元気
3.ハッピーハッチドライブ
4.ドリームスカイ
5.スターウェイブ
アンコール:ココロノチズ(H@chi &メアリーエンジェル)
H@chiがはじまると、椅子がざざざっと前に詰める。
普通のライブなら、オールスタンディングで前に押し寄せるところだが、そうすると後ろの方で見ている人(親御さん含む)が見られなくなる。それを考慮して、みんな着席したままで前に押し寄せているのだ。それは気配りがきいていて、素晴らしい。
途中のトークコーナーでは、衣装についてしゃべってた。
メンバーは全員「楽だから」という理由で、ツナギが好きらしい。
今回の衣装は、ポスターにもなったセーラーにミニスカート。
僕にとっては今回の衣装こそドンピシャで、ツナギとか、ガテン系の衣装はヤンキーチックでやめてもらいたい、と思った。
今日はちぃの声が、カゼでもひいたのか、かすれ気味だった。本人曰く「レアなちぃ」だとか。レアチーズか。おいしそうだ。
ちぃの頼り無さが、とても可愛く見える。
でも、僕も風邪をひいたのか、とても体調が悪くて、物販に残ったり他のイベントに行くのをあきらめて、帰宅した。
帰宅後、NHK-FMで「現代の音楽」
第17回芥川作曲賞選考演奏会から
「波 跡」土井智恵子・作曲
「水玉コレクション〜ピアノと管弦楽のための」山根明季子・作曲
「ケセランパサラン」小出稚子・作曲
どれも女性作曲家による作品。
山根明季子の作品聞いたときは、斬新さに驚いて、これぞ入賞!と思ったが、次のケセランパサラン聞いたら、「ああ、やっぱり天才には叶わない」と脱帽した。
案の定、小出稚子の「ケセランパサラン」が芥川作曲賞を受賞した。
芥川賞は前年に初演された作品を対象にした新進作曲家のための賞。
選考委員は池辺晋一郎、一柳慧、原田敬子(1次選考会時は江村哲二だったが、6月に急逝された)の3人で、公開選考会により、受賞作が決まる。選考会を生で見れるなんてすごい。
http://www.suntory.co.jp/news/2007/9903.html
メアリーエンジェル
1.ここにいるぜぇ
2.カマピー&チックル
3.リアリティー
4.エンジェルウィング
5.会いたかった
ペロペロキャンディーズ
1.ズッコケ男道
2.Pa-La-La
3.キラキラ
4.スカートひらり(あゆ欠)
5.ねぇ、わかんない?
衣装はペロキャン Tシャツ(あすぴ赤、あゆ青、あかり黄緑、かな茶)に短パン。
10月6日に18才になったあすぴをお祝いして、ケーキと寄せ書きが贈られる。
あすぴはメンバー内だけでなく、関西のアイドルのなかでもプロポーションの良さはピカイチだな、と今さらながら思った。普通なら、知り合うこともなく別々の人生を送っていたに違いないが、ちょっとした気まぐれでアイドルの世界に降臨した天使(小悪魔?)という風情がある。
M/W
1.One Side Love
2.Go My Way!
3.メロディーズ
4.最強ヒロイン!瞬殺スマイル
5.シャボン玉
マミとワカコでM/W(ムウ)。
演劇やっているせいか、舞台度胸は一流。
前回見たときはアイドル色が薄いように思ったが、勉強したのか、今回はじゅうぶんアイドルしてた。
雅千夏
1.(忘れた!)
2.オーバーシャイン
3.ラブリーキャッツアイ
4.てのひら
5.ハッピーパラソル
雅千夏は関西テレビ「はらぺこ亭」のグーグーの一員でもある。
途中で、鉄拳ネタ「こんなクレーンゲームはいやだ」を披露。
3日間徹夜して描いたスケッチブックネタらしい。
今回のステージで、トークやネタを見ると、頭の回転の早い子なんだな、と関心した。
歌も安定した実力があると見た。
http://ameblo.jp/miyabichinatu/
H@chi
1.ココロノチズ
2.笑顔の元気
3.ハッピーハッチドライブ
4.ドリームスカイ
5.スターウェイブ
アンコール:ココロノチズ(H@chi &メアリーエンジェル)
H@chiがはじまると、椅子がざざざっと前に詰める。
普通のライブなら、オールスタンディングで前に押し寄せるところだが、そうすると後ろの方で見ている人(親御さん含む)が見られなくなる。それを考慮して、みんな着席したままで前に押し寄せているのだ。それは気配りがきいていて、素晴らしい。
途中のトークコーナーでは、衣装についてしゃべってた。
メンバーは全員「楽だから」という理由で、ツナギが好きらしい。
今回の衣装は、ポスターにもなったセーラーにミニスカート。
僕にとっては今回の衣装こそドンピシャで、ツナギとか、ガテン系の衣装はヤンキーチックでやめてもらいたい、と思った。
今日はちぃの声が、カゼでもひいたのか、かすれ気味だった。本人曰く「レアなちぃ」だとか。レアチーズか。おいしそうだ。
ちぃの頼り無さが、とても可愛く見える。
でも、僕も風邪をひいたのか、とても体調が悪くて、物販に残ったり他のイベントに行くのをあきらめて、帰宅した。
帰宅後、NHK-FMで「現代の音楽」
第17回芥川作曲賞選考演奏会から
「波 跡」土井智恵子・作曲
「水玉コレクション〜ピアノと管弦楽のための」山根明季子・作曲
「ケセランパサラン」小出稚子・作曲
どれも女性作曲家による作品。
山根明季子の作品聞いたときは、斬新さに驚いて、これぞ入賞!と思ったが、次のケセランパサラン聞いたら、「ああ、やっぱり天才には叶わない」と脱帽した。
案の定、小出稚子の「ケセランパサラン」が芥川作曲賞を受賞した。
芥川賞は前年に初演された作品を対象にした新進作曲家のための賞。
選考委員は池辺晋一郎、一柳慧、原田敬子(1次選考会時は江村哲二だったが、6月に急逝された)の3人で、公開選考会により、受賞作が決まる。選考会を生で見れるなんてすごい。
http://www.suntory.co.jp/news/2007/9903.html