ラッシュアワー2、メダリオン、HINOKIO、アイス・エイジ
2006年4月10日 映画
今日は仕事もないし、録画しておいた映画などを見て過ごした。
「ラッシュアワー2」(2001)
ジャッキー・チェン、クリス・タッカー主演。ブレット・ラトナー監督。
チャン・ツィイーがクールな悪役で出て来る。(「初恋のきた道」「グリーン・デスティニー」「ヒーローズ」)
大ボスはジョン・ローン。(「アイスマン」「ラスト・ジゴロ」「ラストエンペラー」「モダーンズ」「Mバタフライ」)
香港からラスベガスと、アクション三昧。
ジャッキーが車がビュンビュン行き交う車道をタタタッと無造作に走って渡るシーンは、目立たないけど、すごい技だと思う。「クーロンズアイ」では車にドーンと衝突するけど、何事もなかったように、走り出すシーンもあった。当り屋は、こんなジャッキーと同様の技術を持っているのだろうか。
ところで、クリス・タッカーって、今、何をしているんだろう。この「ラッシュアワー2」以降、映画に出たという話題も特に聞いていないし。
この映画では、コメディ部分をクリス・タッカーが担当しているので、ジャッキーは真面目な性格設定。たまには、こういうのもいいか、と思うけど、やっぱり、ジャッキーのコミカルな演技をもっと見たいなあ、と思った。
「メダリオン」(2003)
ジャッキー・チェン主演、ゴードン・チャン監督。
SFXを使って、ジャッキーアクションをドラゴンボールかと思わせる超絶技巧に仕立て上げている。
メダルの力で、超人になっちゃうのだ。墜落して地面に激突しても、「いてて」程度で回復してしまう。
相棒のリー・エヴァンス(柳沢慎吾似)のコミカル演技は、頑張っているのだが、直前にクリス・タッカーの陽性の演技を見ていたので、地味に見えた。
ただ、ラッシュアワー2とは違って、リー・エヴァンスがお笑いを担当していても、ジャッキーのコミカル演技は健在だった。
ジャッキー映画のアクションにはアイディア満載なので、見ていて本当に面白い。
このとき、ジャッキーは50歳。
いいかげん若い世代でジャッキーを継ぐ人材があらわれればいいのに、と思わないでもない。体術だけを見るとジャッキー以上の人はもちろんいるのだが、サーヴィス精神とか、人なつっこさのようなアイドル性を持っている人を思いつかない。
なぜかジャッキー・チェンの映画をよく放送している時期だったので、自分の中で勝手にジャッキー特集と決めて見ようとしたが、もったいなくて、今日は2本だけ。
ジャッキー映画としては、いろんな要素が加わっていて、純正ジャッキーアクション映画とは言えない2本だが、21世紀になってもジャッキーがアクションを引退できないところに、孤高の天才の孤独を見る。
でもそんなこと、映画見ているあいだはちっとも考えずにすむ肩の凝らない楽しい映画だった。2本ともにね。
「HINOKIO」(2005)
秋山貴彦監督。
小学校に遠隔操作のロボットが登校して、授業とか受ける。
素材の一部に檜を使っているので、ついたあだ名が「ヒノキオ」
主人公のひきこもり少年は本郷奏多。少年の父親は中村雅俊、仕事のアシスタントに牧瀬里穂。少年が憧れる少女は堀北真希。
ニコモの小林涼子が嫉妬の炎を燃やす憎まれ役。
少年を外に引っ張り出す原動力になるヒロインは多部未華子。彼女は最初は男かと間違うような恰好だが、ラスト、中学に進学すると制服を着てすっかり少女になる。その変貌ぶりたるや目をみはるほどで、つくづく、人間、ファッションで様変わりするんだな、と思い知った。
ストーリーは意外と仕掛けがあって、ゲーム世界と現実がリンクしているミステリ的設定。ゲームで起きたことが現実になる現象を逆手にとって、現実でゲームの中のお約束を実行して、魔法的解決をはかろうとする。これはワクワクした。
気になったのは、クラスメイトだったはずのヒノキオが、ヤキモチを焼いたニコモの告発によって、一気に仲間はずれにされるシーン。ニコモはヒノキオが軍事用ロボットだと教室で暴露し、ヒノキオを責める。情報元はネット。
ネットで得た情報を鵜のみにして、ころりと態度を豹変させてしまう子供たちの姿が描かれているのだ。
人間には各自、脳がついているのに、ネットの情報など、あてにならない外部に判断までもゆだねてしまっている。
こいつはどうしたわけだ。
普通、たとえネットで何を言っていようと、本がどう書いていようと、他人が何を思っていようと、判断するのは自分自身ではないのか。
そのとおり。子供はその多くの判断を自分自身で下す環境におかれていないのが現状だ。そして、大人になって、自分で何でも判断してかまわない身分になっても、判断を他にゆだねようとする者が多い。それを大人である証しのように勘違いしているものまでいるので、ことは厄介だ。
突破口はどこに?
「アイス・エイジ」(2002)
クリス・ウェッジ監督の氷河期アニメ。
山寺宏一、太田光、竹中直人が吹き替え版の声をあてている。
人間のこどもを拾ってしまったナマケモノ、サーベルタイガー、マンモスが人間のところに届ける話。(ナマケモノ、サーベルタイガー、マンモスの最初の2文字を拾っていくと、「ナマ・サー・マン」になる。映画見てる最中、彼らを「ユマ・サーマン」と頭の中では変換していた)
最初、善意からなされた行動ではなく、自分の身を守るため、とか、こどもを奪って親分に届けるため、など動機は不純なのだが、共に行動するうちに仲間意識もわいてきて、こどもに対する愛情も湧いて来る。その過程はおしつけの偽善らしさがなくて好感が持てた。
これが、動物と人間を逆転させても成立する話なのかどうか、考えてみた。
氷河期を迎えて、動物たちは一所懸命に生きようとしている。
そんな切羽詰まったときに、人間のこどもは無力すぎる。
動物たちにとって、そんな、群れを離れた幼児は、貴重な餌であるはずだ。
もしも、氷河期を迎える人間たちの中に、鶏がまぎれこんだとしよう。
人間は迷わずに、食糧として鶏を見るはずだ。
反対の立場からは成立しないな、と思った。
マンモスやサーベルタイガーなど、絶滅した種の生物が主人公だというのも面白いな、と思った。そんなお人好しなことしているから、絶滅したんだ、とツッコンだ。
映画のみどころは、スクラットが木の実をどこかに隠そうとするところ。ストーリーとは何の関係もないけど、そこに一番アニメの面白さが出ていたように思う。
スクラット以外は、キャラクターとして、イマイチ面白味に欠けるように思えた。
全部まとめて凍りついてしまっても、何とも感じないくらい。
「ラッシュアワー2」(2001)
ジャッキー・チェン、クリス・タッカー主演。ブレット・ラトナー監督。
チャン・ツィイーがクールな悪役で出て来る。(「初恋のきた道」「グリーン・デスティニー」「ヒーローズ」)
大ボスはジョン・ローン。(「アイスマン」「ラスト・ジゴロ」「ラストエンペラー」「モダーンズ」「Mバタフライ」)
香港からラスベガスと、アクション三昧。
ジャッキーが車がビュンビュン行き交う車道をタタタッと無造作に走って渡るシーンは、目立たないけど、すごい技だと思う。「クーロンズアイ」では車にドーンと衝突するけど、何事もなかったように、走り出すシーンもあった。当り屋は、こんなジャッキーと同様の技術を持っているのだろうか。
ところで、クリス・タッカーって、今、何をしているんだろう。この「ラッシュアワー2」以降、映画に出たという話題も特に聞いていないし。
この映画では、コメディ部分をクリス・タッカーが担当しているので、ジャッキーは真面目な性格設定。たまには、こういうのもいいか、と思うけど、やっぱり、ジャッキーのコミカルな演技をもっと見たいなあ、と思った。
「メダリオン」(2003)
ジャッキー・チェン主演、ゴードン・チャン監督。
SFXを使って、ジャッキーアクションをドラゴンボールかと思わせる超絶技巧に仕立て上げている。
メダルの力で、超人になっちゃうのだ。墜落して地面に激突しても、「いてて」程度で回復してしまう。
相棒のリー・エヴァンス(柳沢慎吾似)のコミカル演技は、頑張っているのだが、直前にクリス・タッカーの陽性の演技を見ていたので、地味に見えた。
ただ、ラッシュアワー2とは違って、リー・エヴァンスがお笑いを担当していても、ジャッキーのコミカル演技は健在だった。
ジャッキー映画のアクションにはアイディア満載なので、見ていて本当に面白い。
このとき、ジャッキーは50歳。
いいかげん若い世代でジャッキーを継ぐ人材があらわれればいいのに、と思わないでもない。体術だけを見るとジャッキー以上の人はもちろんいるのだが、サーヴィス精神とか、人なつっこさのようなアイドル性を持っている人を思いつかない。
なぜかジャッキー・チェンの映画をよく放送している時期だったので、自分の中で勝手にジャッキー特集と決めて見ようとしたが、もったいなくて、今日は2本だけ。
ジャッキー映画としては、いろんな要素が加わっていて、純正ジャッキーアクション映画とは言えない2本だが、21世紀になってもジャッキーがアクションを引退できないところに、孤高の天才の孤独を見る。
でもそんなこと、映画見ているあいだはちっとも考えずにすむ肩の凝らない楽しい映画だった。2本ともにね。
「HINOKIO」(2005)
秋山貴彦監督。
小学校に遠隔操作のロボットが登校して、授業とか受ける。
素材の一部に檜を使っているので、ついたあだ名が「ヒノキオ」
主人公のひきこもり少年は本郷奏多。少年の父親は中村雅俊、仕事のアシスタントに牧瀬里穂。少年が憧れる少女は堀北真希。
ニコモの小林涼子が嫉妬の炎を燃やす憎まれ役。
少年を外に引っ張り出す原動力になるヒロインは多部未華子。彼女は最初は男かと間違うような恰好だが、ラスト、中学に進学すると制服を着てすっかり少女になる。その変貌ぶりたるや目をみはるほどで、つくづく、人間、ファッションで様変わりするんだな、と思い知った。
ストーリーは意外と仕掛けがあって、ゲーム世界と現実がリンクしているミステリ的設定。ゲームで起きたことが現実になる現象を逆手にとって、現実でゲームの中のお約束を実行して、魔法的解決をはかろうとする。これはワクワクした。
気になったのは、クラスメイトだったはずのヒノキオが、ヤキモチを焼いたニコモの告発によって、一気に仲間はずれにされるシーン。ニコモはヒノキオが軍事用ロボットだと教室で暴露し、ヒノキオを責める。情報元はネット。
ネットで得た情報を鵜のみにして、ころりと態度を豹変させてしまう子供たちの姿が描かれているのだ。
人間には各自、脳がついているのに、ネットの情報など、あてにならない外部に判断までもゆだねてしまっている。
こいつはどうしたわけだ。
普通、たとえネットで何を言っていようと、本がどう書いていようと、他人が何を思っていようと、判断するのは自分自身ではないのか。
そのとおり。子供はその多くの判断を自分自身で下す環境におかれていないのが現状だ。そして、大人になって、自分で何でも判断してかまわない身分になっても、判断を他にゆだねようとする者が多い。それを大人である証しのように勘違いしているものまでいるので、ことは厄介だ。
突破口はどこに?
「アイス・エイジ」(2002)
クリス・ウェッジ監督の氷河期アニメ。
山寺宏一、太田光、竹中直人が吹き替え版の声をあてている。
人間のこどもを拾ってしまったナマケモノ、サーベルタイガー、マンモスが人間のところに届ける話。(ナマケモノ、サーベルタイガー、マンモスの最初の2文字を拾っていくと、「ナマ・サー・マン」になる。映画見てる最中、彼らを「ユマ・サーマン」と頭の中では変換していた)
最初、善意からなされた行動ではなく、自分の身を守るため、とか、こどもを奪って親分に届けるため、など動機は不純なのだが、共に行動するうちに仲間意識もわいてきて、こどもに対する愛情も湧いて来る。その過程はおしつけの偽善らしさがなくて好感が持てた。
これが、動物と人間を逆転させても成立する話なのかどうか、考えてみた。
氷河期を迎えて、動物たちは一所懸命に生きようとしている。
そんな切羽詰まったときに、人間のこどもは無力すぎる。
動物たちにとって、そんな、群れを離れた幼児は、貴重な餌であるはずだ。
もしも、氷河期を迎える人間たちの中に、鶏がまぎれこんだとしよう。
人間は迷わずに、食糧として鶏を見るはずだ。
反対の立場からは成立しないな、と思った。
マンモスやサーベルタイガーなど、絶滅した種の生物が主人公だというのも面白いな、と思った。そんなお人好しなことしているから、絶滅したんだ、とツッコンだ。
映画のみどころは、スクラットが木の実をどこかに隠そうとするところ。ストーリーとは何の関係もないけど、そこに一番アニメの面白さが出ていたように思う。
スクラット以外は、キャラクターとして、イマイチ面白味に欠けるように思えた。
全部まとめて凍りついてしまっても、何とも感じないくらい。
ニキ・ド・サンファル展、ダンシングBANANA@ブロッサム
2006年4月9日 アイドル
大丸ミュージアム梅田に「ニキ・ド・サンファル展〜解放された女神たち」を見に行った。
ニキは大好きで、2時間も中にいた。
僕にとってニキの面白い時代は、射撃絵画で既存の美術を撃ち抜いた頃だ。
ニキは精神の病を克服するために芸術に手をそめている。
タロットガーデンを築こうとした衝動もその流れから理解されるものだ。
自分の居場所を確保したいと望む願望は、きわめて精神病的だと思う。
自分が今ここに存在しているだけで、そこが居場所になるはずなのに、お気に入りのものに囲まれて、好きなもので武装しようとする。
帰属感を得たい、と過剰に願うことは、病以外のなにものでもない。
タロットガーデンを構築するために多くの作品を作って売っていた時代の作品は、芸術ではなくて、グッズ(商品)だと思える。グッズとしては、カラフルだし、可愛い。
でも、芸術としては、心を震わせるものに乏しいと言わざるをえない。
シリーズとして作られた「ナナ」も、最初のナナを作ったときは、枠をぶちこわす働きがあったと思うが、シリーズ化することで、見る者に安心感を与えてしまっている。これは芸術家としては失敗と言ってもいいくらいだ。
ニキの活動初期に、パートナーのティンゲリーが「技術なんか問題じゃない。夢がすべてだ」とアドバイスしている。まさしくその通り。その夢は自分の宮殿を築いてひきこもることなんかじゃなかったはずだ。夢は、ここに留まろうとしてもはみ出して行ってしまうものを指しているのだから。
鶴見はなぽーとブロッサムでダンシングBANANA。
まず、午後2時の回。
1.てのひらを太陽に
2.ハッピーメイカー
3.大航海ランドスケープ(初公開、新曲!)
4.ダイビング・トゥ・ラブ
5.ダンデライオン
6.世界中の子供たちが
途中でDVD争奪ジャンケン大会もあった。
ダンデライオンのときなどに、佳代、雅美香、千裕の3人の組み合わせで歌う場面があるが、その声の可愛さったらないのだ。
小さいお友達限定の握手会、グッズ販売では、メンバーが画用紙にイラストとメッセージを色とりどりで描いたものを販売していた。巻き物になっていて、誰の作品があたるやらわからない、トレーディング画用紙。DVDからの写真もついて、千円。高い。でも、これが宍戸留美だったら、迷わず買い占めているかもしれない。
お金のない僕は、買わず。
午後4時の回。
1.スクリーム(ダンスナンバー)
2.イッツオーライト
3.大航海ランドスケープ
4.真実の宝石
5.ダンデライオン
6.軌跡
1回目は全身黄色のバナナファッションで可愛く。
2回目はSWEET.Bのパンツルック(?)でかっこよく。
終了後は帰宅して「現代の音楽」
睡魔おさまらず。
ニキは大好きで、2時間も中にいた。
僕にとってニキの面白い時代は、射撃絵画で既存の美術を撃ち抜いた頃だ。
ニキは精神の病を克服するために芸術に手をそめている。
タロットガーデンを築こうとした衝動もその流れから理解されるものだ。
自分の居場所を確保したいと望む願望は、きわめて精神病的だと思う。
自分が今ここに存在しているだけで、そこが居場所になるはずなのに、お気に入りのものに囲まれて、好きなもので武装しようとする。
帰属感を得たい、と過剰に願うことは、病以外のなにものでもない。
タロットガーデンを構築するために多くの作品を作って売っていた時代の作品は、芸術ではなくて、グッズ(商品)だと思える。グッズとしては、カラフルだし、可愛い。
でも、芸術としては、心を震わせるものに乏しいと言わざるをえない。
シリーズとして作られた「ナナ」も、最初のナナを作ったときは、枠をぶちこわす働きがあったと思うが、シリーズ化することで、見る者に安心感を与えてしまっている。これは芸術家としては失敗と言ってもいいくらいだ。
ニキの活動初期に、パートナーのティンゲリーが「技術なんか問題じゃない。夢がすべてだ」とアドバイスしている。まさしくその通り。その夢は自分の宮殿を築いてひきこもることなんかじゃなかったはずだ。夢は、ここに留まろうとしてもはみ出して行ってしまうものを指しているのだから。
鶴見はなぽーとブロッサムでダンシングBANANA。
まず、午後2時の回。
1.てのひらを太陽に
2.ハッピーメイカー
3.大航海ランドスケープ(初公開、新曲!)
4.ダイビング・トゥ・ラブ
5.ダンデライオン
6.世界中の子供たちが
途中でDVD争奪ジャンケン大会もあった。
ダンデライオンのときなどに、佳代、雅美香、千裕の3人の組み合わせで歌う場面があるが、その声の可愛さったらないのだ。
小さいお友達限定の握手会、グッズ販売では、メンバーが画用紙にイラストとメッセージを色とりどりで描いたものを販売していた。巻き物になっていて、誰の作品があたるやらわからない、トレーディング画用紙。DVDからの写真もついて、千円。高い。でも、これが宍戸留美だったら、迷わず買い占めているかもしれない。
お金のない僕は、買わず。
午後4時の回。
1.スクリーム(ダンスナンバー)
2.イッツオーライト
3.大航海ランドスケープ
4.真実の宝石
5.ダンデライオン
6.軌跡
1回目は全身黄色のバナナファッションで可愛く。
2回目はSWEET.Bのパンツルック(?)でかっこよく。
終了後は帰宅して「現代の音楽」
睡魔おさまらず。
中澤裕子エッセイ『ずっと後ろから見てきた』
2006年4月8日 読書
今日は朝から京都に行く予定だったのだが、花粉症と金欠と睡眠不足という三重苦が災いして、ほとんど外に出ることが出来なかった。情けなさにかなり落ち込む。
そんな僕にでも何らかのコンタクトをとりたいという奇特な人もいたが、いざ会話してみると、その人は僕の人間関係のあり方について苦言を呈するありさま。
挙げ句の果に無理難題をふっかけられて、事実上、一方的に最後通牒をつきつけられた形だ。
厄日だ。
そんな中、読んだ本は中澤裕子の『ずっと後ろから見てきた〜30歳がどないやねーん!!』
元モーニング娘。の中澤裕子のおいたちからモーニング娘。のこと、現在のソロ活動について語った本。
団体行動が嫌いで学校嫌いの中高時代。
平家みちよの圧倒的実力。
モーニング娘。でもトップになれない分をわきまえた行動をとるようになるところ、などなど、いくつかの読みどころはあるが、全体に、平凡な印象はぬぐえない。
とんでもない記述は一つもない。
タイトルだって、控えめでよくない。
ふだん「弱肉強食」をモットーとする中澤なのに、この本の中澤は一歩さがった常識人の域を出ないのだ。
「ずっと後ろから見てきた」なんて僻んだタイトルつけるくらいなら、「わたしはモーニング娘。の背後霊」と開き直るか、「だれよりわたしがイチバン」と前にグイグイ出るタイトルつけたほうが遥かにいい。
中澤のファンでもない僕が、どうしてこの本を読む気になったのかというと、巻頭に中澤の写真が何枚かあって、それに魅せられたからだ。
「お?中澤って綺麗?」と思った。
モーニング娘。はかつての人気こそないが、日本一の美少女軍団であることに疑いをはさむ余地はない。そんな中にあれば、中澤のような十人並みの美人でも目立たなかったのだ。
また、グラビアアイドルが綺麗に見えても、実際に生の彼女たちを見たり、動いている姿を見ると、「なんだ、普通の女の子だ」と幻滅することが多い。中澤は逆のパターンで、生や動く姿を見ていて、それがグラビアのモデルとして目の前に出て来たら、そりゃ、美人だわ。
「めちゃイケスペシャル」で濱口くんがだまされるのを見て大笑いしたり、「ダイヤモンドアイス」見て村主と浅田の美しさに見愡れたりしていたが、一番面白かったのは、ゴリエ杯の決勝直前番組だった。
あいにくとゴリエの登場する番組はちょうど仕事中なので、一度も見たことがない。
ゴリエ杯のことも全然知らなかったが、これはすごい。
全国から集まったチアーダンスの決勝が近々あるというのだ。
どうやら番組では「ガムQ」というチームを優勝候補の筆頭と考えているようだ。
大阪代表の「パワフルエンジェル」は、同名のチームなのかもしれないが、ダンスコンテストなどで見たことのあるチームだ。
大阪予選にはどんなチームが出ていたんだろう、とホームページを調べると、同じようなチーム名がやたら並んでいる。
http://www.fujitv.co.jp/onenight/news/team_kk.html
「チェリーエンジェル」「ブラックベリーズ」という名前も発見したが、僕の知っているチェリーエンジェル、ブラックベリーズなのか不明。ブラックベリーズなんて大阪予選に何組も出ているのだ。
個人的には「キッズハードゲイ」とか「何ゆーてんねん」「ホルスタインとペチャパイズ組」あたりを見たかった。だいたい予想つくけど。
そんな僕にでも何らかのコンタクトをとりたいという奇特な人もいたが、いざ会話してみると、その人は僕の人間関係のあり方について苦言を呈するありさま。
挙げ句の果に無理難題をふっかけられて、事実上、一方的に最後通牒をつきつけられた形だ。
厄日だ。
そんな中、読んだ本は中澤裕子の『ずっと後ろから見てきた〜30歳がどないやねーん!!』
元モーニング娘。の中澤裕子のおいたちからモーニング娘。のこと、現在のソロ活動について語った本。
団体行動が嫌いで学校嫌いの中高時代。
平家みちよの圧倒的実力。
モーニング娘。でもトップになれない分をわきまえた行動をとるようになるところ、などなど、いくつかの読みどころはあるが、全体に、平凡な印象はぬぐえない。
とんでもない記述は一つもない。
タイトルだって、控えめでよくない。
ふだん「弱肉強食」をモットーとする中澤なのに、この本の中澤は一歩さがった常識人の域を出ないのだ。
「ずっと後ろから見てきた」なんて僻んだタイトルつけるくらいなら、「わたしはモーニング娘。の背後霊」と開き直るか、「だれよりわたしがイチバン」と前にグイグイ出るタイトルつけたほうが遥かにいい。
中澤のファンでもない僕が、どうしてこの本を読む気になったのかというと、巻頭に中澤の写真が何枚かあって、それに魅せられたからだ。
「お?中澤って綺麗?」と思った。
モーニング娘。はかつての人気こそないが、日本一の美少女軍団であることに疑いをはさむ余地はない。そんな中にあれば、中澤のような十人並みの美人でも目立たなかったのだ。
また、グラビアアイドルが綺麗に見えても、実際に生の彼女たちを見たり、動いている姿を見ると、「なんだ、普通の女の子だ」と幻滅することが多い。中澤は逆のパターンで、生や動く姿を見ていて、それがグラビアのモデルとして目の前に出て来たら、そりゃ、美人だわ。
「めちゃイケスペシャル」で濱口くんがだまされるのを見て大笑いしたり、「ダイヤモンドアイス」見て村主と浅田の美しさに見愡れたりしていたが、一番面白かったのは、ゴリエ杯の決勝直前番組だった。
あいにくとゴリエの登場する番組はちょうど仕事中なので、一度も見たことがない。
ゴリエ杯のことも全然知らなかったが、これはすごい。
全国から集まったチアーダンスの決勝が近々あるというのだ。
どうやら番組では「ガムQ」というチームを優勝候補の筆頭と考えているようだ。
大阪代表の「パワフルエンジェル」は、同名のチームなのかもしれないが、ダンスコンテストなどで見たことのあるチームだ。
大阪予選にはどんなチームが出ていたんだろう、とホームページを調べると、同じようなチーム名がやたら並んでいる。
http://www.fujitv.co.jp/onenight/news/team_kk.html
「チェリーエンジェル」「ブラックベリーズ」という名前も発見したが、僕の知っているチェリーエンジェル、ブラックベリーズなのか不明。ブラックベリーズなんて大阪予選に何組も出ているのだ。
個人的には「キッズハードゲイ」とか「何ゆーてんねん」「ホルスタインとペチャパイズ組」あたりを見たかった。だいたい予想つくけど。
ナルニア国物語第1章ライオンと魔女、宇都宮泰レクチャー映画の謎解き
2006年4月7日 映画
映画ナルニア国物語第1章「ライオンと魔女」を見に行った。
招待券をありがとう!
原作はかなり前に読んでいて、20年くらい前に作っていたミニコミで、「タンスは異世界へ通じる道である」という趣旨の特集を組んだことがある。(タンス異化物)
タンスに入ってナルニア国に行くことが、テーマの大きな原動力になったことは言うまでもない。
C.S.ルイス原作、アンドリュー・アダムソン監督。
白い魔女によって閉ざされていた世界を、ライオンのアスランと4人のきょうだいが救う冒険ファンタジー。
白い魔女とアスランはそれぞれ悪と善を代表しており、その属性はすべて「悪しきもの」と「善きもの」に色分けされている。
「白い魔女」に対する「アスラン」
「悪」に対する「善」
「女」に対する「雄」(註1)
「冬」に対する「春」
「単色」に対する「カラフル」
「犬」に対する「猫」(註2)
「車に乗るもの」と「自ら走るもの」(註3)
(註1)ちょっとどうかと思う対比だが、白い魔女が女性を強調するようなキャラクターであることは確か。女に代表される「感情」「自己中心」と男に代表される「論理」「社会」を対比させたかったのだろうか。
(註2)白い魔女の軍勢は、犬の眷属を中心にして、豚、牛。アスランはもちろんネコ科、鳥と馬が仲間である。
(註3)白い魔女が乗り物に乗っているのに対して、アスラン軍は、アスラン、ケンタウロスなど、自らの足を使うものが中心になっている。
つまり、暑がりで夏を嫌い、イヌ派で車に乗るのが好きでモノトーンのファッションに身をつつんだ女は、悪しき者の代表だってことになる。
白い魔女役のティルダ・スウィントンはデレク・ジャーマンの映画によく出ていた女優さんだ。今回キャンペーンで来日した際、末成由美が白い魔女に扮しており、それに対抗して、ティルダ・スウィントンが「インガスンガスン」と末成ギャグを言ってたのがすごかった。
午後7時から、新世界BRIDGEで宇都宮泰のレクチャーシリーズ番外編「映画の謎解き〜音楽に秘められたあけっぴろげな真実vol.1」を見に行った。
入場無料で、カンパ制になっている。
入口には、レジュメらしきプリントが置いてあった。
その内容は、エンジンの仕組みの図解と、並列4気筒やらV型8気筒やら星型7気筒など、いろんなエンジンのイラスト(宇都宮氏自筆)。それに「バルブの動かせ方により、SV、OHV、OHC、DOHC等の方式がある」などなど、エンジンに関する記述が並べられている。
まさしく謎の怪文書だ。
レクチャーの内容は、映画音楽の果たす暗示の役割を明らかにすることにある。映画内のエンジンの登場シーンからそれがどういう種類のエンジンであるかを分析し、エンジン音と音楽とのつながりを示す。
例として使われた映画は「紅の豚」「Uボート」「チキチキバンバン」「スタートレック」「新世紀エヴァンゲリオン」など。
映画内のそうした音を採譜して、弦楽四重奏の生演奏も行われた。
聞けば聞くほど、秘儀、錬金術のごとき怪しさが漂う。
ただし、宇都宮氏の論ずるところは、非常にわかりやすい。とくに「Uボート」のエンジン(並列12気筒エンジンが2基)音が、そのまま見事にサウンドトラックの音楽につながる場面は目から鱗が落ちた。あと、「スタートレック」における物語の原型が最初のウェスタンから、シーズンが変わって大航海時代の物語になったことを音楽から例証していた。つまり、エンタープライズ号が宇宙空間で進水式風にボトルを割るシーンで、サウンドトラックは明らかに海を表現し、エンジン音のかけらも聞こえない。これはエンタープライズ号が帆船であることを暗示しているのだ。
次回は日程未定だが、テーマは「アンチキリスト」なのだそうだ。
ジェリー・ゴールドスミスのサウンドトラックを用いてレクチャーをすすめるそうだが、その一端を予告してくれた。
彼の映画音楽は、映画以上に多くを語っているのだそうだ。
そして、その内容は、譜面に起こしてみてはじめて「ええっ、こんなことが!」と驚愕するような暗号なのだという。
映画を見ていただけではわからない。音楽を聞いてもまだわからない。でも、秘められたものは暗示として映画にフィードバックされているのだ。
今回のレクチャーを聞いていて、最初は「サブリミナルのことを言おうとしているんだろうか」と誤解した。しかし、こういう予告を聞くと、やっぱりこりゃオカルトだ、と感じた。もちろん、その方が面白い!
招待券をありがとう!
原作はかなり前に読んでいて、20年くらい前に作っていたミニコミで、「タンスは異世界へ通じる道である」という趣旨の特集を組んだことがある。(タンス異化物)
タンスに入ってナルニア国に行くことが、テーマの大きな原動力になったことは言うまでもない。
C.S.ルイス原作、アンドリュー・アダムソン監督。
白い魔女によって閉ざされていた世界を、ライオンのアスランと4人のきょうだいが救う冒険ファンタジー。
白い魔女とアスランはそれぞれ悪と善を代表しており、その属性はすべて「悪しきもの」と「善きもの」に色分けされている。
「白い魔女」に対する「アスラン」
「悪」に対する「善」
「女」に対する「雄」(註1)
「冬」に対する「春」
「単色」に対する「カラフル」
「犬」に対する「猫」(註2)
「車に乗るもの」と「自ら走るもの」(註3)
(註1)ちょっとどうかと思う対比だが、白い魔女が女性を強調するようなキャラクターであることは確か。女に代表される「感情」「自己中心」と男に代表される「論理」「社会」を対比させたかったのだろうか。
(註2)白い魔女の軍勢は、犬の眷属を中心にして、豚、牛。アスランはもちろんネコ科、鳥と馬が仲間である。
(註3)白い魔女が乗り物に乗っているのに対して、アスラン軍は、アスラン、ケンタウロスなど、自らの足を使うものが中心になっている。
つまり、暑がりで夏を嫌い、イヌ派で車に乗るのが好きでモノトーンのファッションに身をつつんだ女は、悪しき者の代表だってことになる。
白い魔女役のティルダ・スウィントンはデレク・ジャーマンの映画によく出ていた女優さんだ。今回キャンペーンで来日した際、末成由美が白い魔女に扮しており、それに対抗して、ティルダ・スウィントンが「インガスンガスン」と末成ギャグを言ってたのがすごかった。
午後7時から、新世界BRIDGEで宇都宮泰のレクチャーシリーズ番外編「映画の謎解き〜音楽に秘められたあけっぴろげな真実vol.1」を見に行った。
入場無料で、カンパ制になっている。
入口には、レジュメらしきプリントが置いてあった。
その内容は、エンジンの仕組みの図解と、並列4気筒やらV型8気筒やら星型7気筒など、いろんなエンジンのイラスト(宇都宮氏自筆)。それに「バルブの動かせ方により、SV、OHV、OHC、DOHC等の方式がある」などなど、エンジンに関する記述が並べられている。
まさしく謎の怪文書だ。
レクチャーの内容は、映画音楽の果たす暗示の役割を明らかにすることにある。映画内のエンジンの登場シーンからそれがどういう種類のエンジンであるかを分析し、エンジン音と音楽とのつながりを示す。
例として使われた映画は「紅の豚」「Uボート」「チキチキバンバン」「スタートレック」「新世紀エヴァンゲリオン」など。
映画内のそうした音を採譜して、弦楽四重奏の生演奏も行われた。
聞けば聞くほど、秘儀、錬金術のごとき怪しさが漂う。
ただし、宇都宮氏の論ずるところは、非常にわかりやすい。とくに「Uボート」のエンジン(並列12気筒エンジンが2基)音が、そのまま見事にサウンドトラックの音楽につながる場面は目から鱗が落ちた。あと、「スタートレック」における物語の原型が最初のウェスタンから、シーズンが変わって大航海時代の物語になったことを音楽から例証していた。つまり、エンタープライズ号が宇宙空間で進水式風にボトルを割るシーンで、サウンドトラックは明らかに海を表現し、エンジン音のかけらも聞こえない。これはエンタープライズ号が帆船であることを暗示しているのだ。
次回は日程未定だが、テーマは「アンチキリスト」なのだそうだ。
ジェリー・ゴールドスミスのサウンドトラックを用いてレクチャーをすすめるそうだが、その一端を予告してくれた。
彼の映画音楽は、映画以上に多くを語っているのだそうだ。
そして、その内容は、譜面に起こしてみてはじめて「ええっ、こんなことが!」と驚愕するような暗号なのだという。
映画を見ていただけではわからない。音楽を聞いてもまだわからない。でも、秘められたものは暗示として映画にフィードバックされているのだ。
今回のレクチャーを聞いていて、最初は「サブリミナルのことを言おうとしているんだろうか」と誤解した。しかし、こういう予告を聞くと、やっぱりこりゃオカルトだ、と感じた。もちろん、その方が面白い!
スタンリイ・エリンの『最後の一壜』を読んだ。
スタンリイ・エリン3冊めにして最後の短編集。
アイディアや梗概では伝え切れぬ、小説の面白さが存分に堪能できた。
書き飛ばし無しの文章の心地よさはまさに至福。
と、いうわけで、『最後の一壜』、各話のメモ。
僕が後で思い出すための覚え書きなので、モロにネタバレ。
「エゼキエレ・コーエンの犯罪」
ナチスに仲間を売った咎で殺された父親。
その濡れ衣を晴らそうとする娘。
「人を支えるのは大多数の支持票ではない。それにはたった一人の大理石のような固い信念が必要なのだ」
「拳銃よりも強い武器」
悪党に屋敷を売り渡すように圧力をかけられた老女は、ゲームにすべてを賭けようとする。
悪党が用意した10万ドルと、老女の所有する屋敷。勝った者がすべてを得るのだ。
現金に目がくらみ、悪党はその賭けに乗ってしまう。
「127番地の雪どけ」
アパートの住人たちは、凍えるような毎日を過ごしていた。
大家がボイラーをほとんど使わせてくれないのだ。
あまりの寒さに住人たちは実力行使でボイラーを使う。
まっ先に燃やされたのは、もちろん、大家。
「古風な女の死」
裸婦の絵の前で女は死んでいた。
死んだ女は画家の妻。絵に描かれた裸婦は画家の先妻。
女は恋愛小説とメロドラマ漬けで、時代遅れで月並みな発想しかできなかった。
夫が先妻の絵ばかり描いているアトリエに踏み込んだとき、お決まりの行動をとる女。
「侮辱を受けたヒロインが憎いライバルの描かれたキャンヴァスを真っ二つに切り裂くのは、いわばメロドラマの定石である。ところが彼女は無知だった。悲劇的なほど無知だった」
「12番目の彫像」
映画プロデューサーが消えた。
小道具として作られた彫像。
ひょっとして、彫像の中に死体が?
真相を最後まで守りぬいた男の強い意志が明かされる。
本格推理的ストーリーなのだが、読後に残るのは、男の強烈な意志だっていうのが面白い。
「最後の一壜」
伝説のワインをめぐって、復讐劇が演じられる。
目の前でそのワインをどぼどぼと床にこぼす。
見ていた男は、持病の心臓を悪化させてくたばる。
ワインの魅力をたっぷり書かれていて、すぐにでもワインを飲みたくなった。僕の飲むのはコンビニで売ってるような安ワインだけど。
「贋金づくり」
贋金の取引の際に起こる殺人。
買物の最中に、ささっと殺人。
「画商の女」
若手芸術家を搾取していた女画商へのしっぺ返し。
画商をモデルにしたヌードの絵を、画商と同じやり方で売る芸術家。
売りと買いのかけひきが面白い。
「清算」
手際のいい殺人。
その裏には、冗談ともとれるような些細な賭けが。
「壁の向こう側」
精神分析の対話の結果、殺人をおかす男。
対話なんてとんでもない。
自問自答だったのだ。
これなんか、1972年の作品だけど、日本の新本格あたりが題材にしそうな話だ。
「警官アヴァカディアンの不正」
医師が拉致される事件が起こった。
往診してくれない医師を急患のもとに連れていって治療してもらうのが目的。
「天国の片隅で」
アパートの新しい住人は、夜中に騒音など迷惑をかける人物だった。
植物の手入れで害虫を駆除するがごとく、その住人を退治する。
「世代の断絶」
無軌道な遊びをする少女をヒッチハイクで乗せてくれたのは初老の男だった。
男は自分の娘を殺されており、少女に教訓を与えようとしたのだが、少女はまったく聞く耳持たず。
この作品、うまいなあ、と感心した。
男が具体的にどんな経験をしたのか、はっきり書かずにそれとわからせ、少女の心に言葉が1つも届いていないさまも見事に書いている。
「内輪」
遺産相続を狙う2人の姉。
親の面倒をみる弟は、金目当てだと罵られる。
親が死んだとき、2人の姉は弟をほめる。
「とうとうやってくれたのね」
「不可解な理由」
リストラのつらさを吹き込まれていた男は、上司に呼び出されたとき、ショットガン持参で行く。
スタンリイ・エリンもそれほどきっちり読んでいるわけではない作家なので、近いうちに読んでみよう。宿題が多い!
スタンリイ・エリン3冊めにして最後の短編集。
アイディアや梗概では伝え切れぬ、小説の面白さが存分に堪能できた。
書き飛ばし無しの文章の心地よさはまさに至福。
と、いうわけで、『最後の一壜』、各話のメモ。
僕が後で思い出すための覚え書きなので、モロにネタバレ。
「エゼキエレ・コーエンの犯罪」
ナチスに仲間を売った咎で殺された父親。
その濡れ衣を晴らそうとする娘。
「人を支えるのは大多数の支持票ではない。それにはたった一人の大理石のような固い信念が必要なのだ」
「拳銃よりも強い武器」
悪党に屋敷を売り渡すように圧力をかけられた老女は、ゲームにすべてを賭けようとする。
悪党が用意した10万ドルと、老女の所有する屋敷。勝った者がすべてを得るのだ。
現金に目がくらみ、悪党はその賭けに乗ってしまう。
「127番地の雪どけ」
アパートの住人たちは、凍えるような毎日を過ごしていた。
大家がボイラーをほとんど使わせてくれないのだ。
あまりの寒さに住人たちは実力行使でボイラーを使う。
まっ先に燃やされたのは、もちろん、大家。
「古風な女の死」
裸婦の絵の前で女は死んでいた。
死んだ女は画家の妻。絵に描かれた裸婦は画家の先妻。
女は恋愛小説とメロドラマ漬けで、時代遅れで月並みな発想しかできなかった。
夫が先妻の絵ばかり描いているアトリエに踏み込んだとき、お決まりの行動をとる女。
「侮辱を受けたヒロインが憎いライバルの描かれたキャンヴァスを真っ二つに切り裂くのは、いわばメロドラマの定石である。ところが彼女は無知だった。悲劇的なほど無知だった」
「12番目の彫像」
映画プロデューサーが消えた。
小道具として作られた彫像。
ひょっとして、彫像の中に死体が?
真相を最後まで守りぬいた男の強い意志が明かされる。
本格推理的ストーリーなのだが、読後に残るのは、男の強烈な意志だっていうのが面白い。
「最後の一壜」
伝説のワインをめぐって、復讐劇が演じられる。
目の前でそのワインをどぼどぼと床にこぼす。
見ていた男は、持病の心臓を悪化させてくたばる。
ワインの魅力をたっぷり書かれていて、すぐにでもワインを飲みたくなった。僕の飲むのはコンビニで売ってるような安ワインだけど。
「贋金づくり」
贋金の取引の際に起こる殺人。
買物の最中に、ささっと殺人。
「画商の女」
若手芸術家を搾取していた女画商へのしっぺ返し。
画商をモデルにしたヌードの絵を、画商と同じやり方で売る芸術家。
売りと買いのかけひきが面白い。
「清算」
手際のいい殺人。
その裏には、冗談ともとれるような些細な賭けが。
「壁の向こう側」
精神分析の対話の結果、殺人をおかす男。
対話なんてとんでもない。
自問自答だったのだ。
これなんか、1972年の作品だけど、日本の新本格あたりが題材にしそうな話だ。
「警官アヴァカディアンの不正」
医師が拉致される事件が起こった。
往診してくれない医師を急患のもとに連れていって治療してもらうのが目的。
「天国の片隅で」
アパートの新しい住人は、夜中に騒音など迷惑をかける人物だった。
植物の手入れで害虫を駆除するがごとく、その住人を退治する。
「世代の断絶」
無軌道な遊びをする少女をヒッチハイクで乗せてくれたのは初老の男だった。
男は自分の娘を殺されており、少女に教訓を与えようとしたのだが、少女はまったく聞く耳持たず。
この作品、うまいなあ、と感心した。
男が具体的にどんな経験をしたのか、はっきり書かずにそれとわからせ、少女の心に言葉が1つも届いていないさまも見事に書いている。
「内輪」
遺産相続を狙う2人の姉。
親の面倒をみる弟は、金目当てだと罵られる。
親が死んだとき、2人の姉は弟をほめる。
「とうとうやってくれたのね」
「不可解な理由」
リストラのつらさを吹き込まれていた男は、上司に呼び出されたとき、ショットガン持参で行く。
スタンリイ・エリンもそれほどきっちり読んでいるわけではない作家なので、近いうちに読んでみよう。宿題が多い!
タイムスリップ釈迦如来
2006年4月5日 読書
鯨統一郎の『タイムスリップ釈迦如来』を読んだ。
大傑作だ。天下の奇書だ。オールタイムベストの有力候補だ。
仏教に詳しい先生と、ごく普通の女子高生が古代インドにタイムスリップした。
そこで2人はブッダに出会う。
ブッダの説く仏教はまだマイナーな宗教。
2人は元の世界に戻るため、仏教を世界的にひろめていこうと決心する。
と、あらすじを書けば、ごく普通のSFに聞こえる。
ところが、ブッダがオカマだったとしたらどうか。
しかも、オカマだったと信ずる理由、推理もちゃんとあるのだ。
小説の大半は、ブッダと世界の論敵との論争で占められている。
神通第一の目連との論争。
目連はサンジャヤの懐疑論を信奉しており「この世はすべて苦だ」とするブッダの教えに反論する。
「すべての執着を捨ててしまったら、人間らしい喜びなんて感じられないぞ」
「なぜこの世はすべて苦なのだ?俺は毎日が楽しいぞ」
さ〜て、この反論に2人はどう答えるのか。
智恵第一と呼ばれるシャーリープトラは、難題を出す。答えられたら弟子になってやるという。
「蠍座の赤い星、アンタレスがどんな物質で出来ているのか」
教師は現代の知識で、炭でできていると答えるが、
「口で言うだけならなんとでも言える。でも、それを証明できますか?」
さあ、アンタレスが炭素でできていることをいかにして証明するのか?
頭陀第一の摩訶迦葉との「悟り」についての問答。
上記3人は、後にブッダの十大弟子に数えられる者たちだ。
ブッダは、仏教をひろめるため、中国にわたり、老子とたたかう。
まず、老子に会うためには「木の実から出た乳で作った菓子を三日以内にもってこい」の難題をクリアしなければならない。
中国のどこを探しても、ココナッツはない。さて、どうする。
老子は宇宙の果てについて問い、それにきっちり答えられれば弟子になってやろう、と言う。
さあ、宇宙の果てについて老子を納得させられる答えを出せるのか?
ギリシヤに渡って、ソクラテスと対決。
ここでの問答のスリリングさったらない!
ソクラテスは「世界は何でできているか」「心は何でできているか」などで追い詰め、いよいよブッダとソクラテスの最大の違いについて問いかける。
ソクラテスは輪廻を信じており、魂は永遠だと説く。前世の記憶を思い出すことが教育や啓発の本質だとする「産婆術」を提唱する。
一方、ブッダは、人は輪廻の鎖を断ち切らねばならない、と説く。
最後はソクラテスとブッダの演劇対戦になる。
「ソッケン産婆」で踊るソクラテス。
シェイクスピアのエッセンスをごちゃまぜにした演劇をするブッダ。
この作品は宗教的、哲学的問答と論争で満ちており、『ドグラマグラ』を軽く超え、『死霊』をも蹴散らすほどの内容をもっている。
ブッダが老子やソクラテスと論争する設定は、まるで空海の『三教指帰』をほうふつとさせる。
ただし、鯨統一郎の作品なのだ。ダジャレやお笑いで全体にナンセンスなものに仕上がっている。軽い読み物として、笑って読み捨てる人が大半だろう。でも、たいした思想もないくせにもったいぶった長い作品を書く作家よりも、僕は、深遠なテーマを笑いのめして軽く短く仕上げる鯨統一郎を断然支持したい。
大傑作だ。天下の奇書だ。オールタイムベストの有力候補だ。
仏教に詳しい先生と、ごく普通の女子高生が古代インドにタイムスリップした。
そこで2人はブッダに出会う。
ブッダの説く仏教はまだマイナーな宗教。
2人は元の世界に戻るため、仏教を世界的にひろめていこうと決心する。
と、あらすじを書けば、ごく普通のSFに聞こえる。
ところが、ブッダがオカマだったとしたらどうか。
しかも、オカマだったと信ずる理由、推理もちゃんとあるのだ。
小説の大半は、ブッダと世界の論敵との論争で占められている。
神通第一の目連との論争。
目連はサンジャヤの懐疑論を信奉しており「この世はすべて苦だ」とするブッダの教えに反論する。
「すべての執着を捨ててしまったら、人間らしい喜びなんて感じられないぞ」
「なぜこの世はすべて苦なのだ?俺は毎日が楽しいぞ」
さ〜て、この反論に2人はどう答えるのか。
智恵第一と呼ばれるシャーリープトラは、難題を出す。答えられたら弟子になってやるという。
「蠍座の赤い星、アンタレスがどんな物質で出来ているのか」
教師は現代の知識で、炭でできていると答えるが、
「口で言うだけならなんとでも言える。でも、それを証明できますか?」
さあ、アンタレスが炭素でできていることをいかにして証明するのか?
頭陀第一の摩訶迦葉との「悟り」についての問答。
上記3人は、後にブッダの十大弟子に数えられる者たちだ。
ブッダは、仏教をひろめるため、中国にわたり、老子とたたかう。
まず、老子に会うためには「木の実から出た乳で作った菓子を三日以内にもってこい」の難題をクリアしなければならない。
中国のどこを探しても、ココナッツはない。さて、どうする。
老子は宇宙の果てについて問い、それにきっちり答えられれば弟子になってやろう、と言う。
さあ、宇宙の果てについて老子を納得させられる答えを出せるのか?
ギリシヤに渡って、ソクラテスと対決。
ここでの問答のスリリングさったらない!
ソクラテスは「世界は何でできているか」「心は何でできているか」などで追い詰め、いよいよブッダとソクラテスの最大の違いについて問いかける。
ソクラテスは輪廻を信じており、魂は永遠だと説く。前世の記憶を思い出すことが教育や啓発の本質だとする「産婆術」を提唱する。
一方、ブッダは、人は輪廻の鎖を断ち切らねばならない、と説く。
最後はソクラテスとブッダの演劇対戦になる。
「ソッケン産婆」で踊るソクラテス。
シェイクスピアのエッセンスをごちゃまぜにした演劇をするブッダ。
この作品は宗教的、哲学的問答と論争で満ちており、『ドグラマグラ』を軽く超え、『死霊』をも蹴散らすほどの内容をもっている。
ブッダが老子やソクラテスと論争する設定は、まるで空海の『三教指帰』をほうふつとさせる。
ただし、鯨統一郎の作品なのだ。ダジャレやお笑いで全体にナンセンスなものに仕上がっている。軽い読み物として、笑って読み捨てる人が大半だろう。でも、たいした思想もないくせにもったいぶった長い作品を書く作家よりも、僕は、深遠なテーマを笑いのめして軽く短く仕上げる鯨統一郎を断然支持したい。
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古川日出男の『gift』を読んだ。
短い話が収められた1冊だが、1つ1つの話はスケールが大きかったり、深かったりする。平凡な作家なら、古川日出男が10ページで語った本書の物語1つで500ページの長編を書くだろう。さらに才能のない作家なら、その長編をシリーズ化してしまうはずだ。もっとひどいのになると、番外編をいくつも書いてその場しのぎをするに違いない。
以下、各話の覚え書き。
ネタバレしているので、古川日出男ワールドを味わいたい人は、現物にあたって味わった方がいいだろう。
「ラブ1からラブ3」
砂山を築いておくと、妖精が足跡を残していくことがある。
ベランダに作った砂山に小さな足跡が残っていた!
ビデオをセットしておくと、猫がチョイチョイと足跡みたいなのを爪で作っていた。
な〜んだ、と思っていると、猫が妖精に変化して、飛び立つ!
「あたしはあたしの映像のなかにいる」
餓死しようと決断した少女は、廃墟の中で死を待つ。
その場所は映画撮影のために作られたセットだった。
衣装も脚本も残っている。
映画セットの中で幾日か過ごした後、少女は死なずに外に出て行く。
自分が映っている世界が必ずあるはずだ、との確信のもと。
「静かな歌」
奄美ひとり旅からの手紙。
出さないと決めた手紙をやっぱり出すことにしよう。
「おれはおまえとやり直したい」って。
手紙は自分よりも遅れて、そっちに届く。
そのとき、2人は元気であればいいなあ。
手紙の最初にも書いたけど、もう一度繰り返そう。
「元気ですか?」
「オトヤ君」
早熟な天才児は、世界を救う叡智を有していながら、こどもだという理由で何もさせてもらえない。
世界から疎外されたまま、絶望して4歳で死亡。
「夏が、空に、泳いで」
学校の貯水槽で熱帯魚を飼育する少年。
卒業にあたり、アクアリウムの世界を守るために共闘を誓った男女に生まれたのは、愛か。
「台場国、建つ」
天変地異で大観覧車に閉じ込められた乗客たち。
回り続ける観覧車を1つの世界として、やがて言葉が発生し、1つの国ができあがる。
「低い世界」
13才になった少女は、今まで属していた「低い者」の世界の住人ではなくなった。
低い者たちは、低い世界を知る彼女をハイジョしようと追い詰める。
大人たちは、こどもたちは純粋だと思い込んでいて、助けてくれない。
「ショッパーズあるいはホッパーズあるいはきみのレプリカ」
モデルガンを用意して、コンビニへ。
強盗するのではない。
コンビニで働くのだ。
コンビニ強盗が来た際、そのモデルガンを出して言うのだ。
「やっと使える。これなら正当防衛だ」
「ちいさな光の場所」
悪路をきりひらいてたどりついた素晴らしい場所。
再度行ってみると、反対方向から簡単にいける道を発見した。
しかし、その場所の価値は変わらない。
「鳥男の恐怖」
赤チームと青チームにわかれて、街を別の街にするゲームをする中学生。
ポストを次々と青く塗っていく青チーム。
それを阻止し、あるいは赤く塗り直す赤チーム。
そこに、どちらのチームでもない「鳥男」があらわれた。
学生たちによって変えられた街には、違う住人がいたのだ。
「光の速度で祈っている」
叔父夫婦が猫を生んだ。
猫の寿命は人間よりも短い。
こどもに先立たれる悲しみを感じる叔父夫婦。
だが、叔父夫婦は急死し、猫が残される。
猫は叔父夫婦の死を悲しむ様子もなく、生き続ける。
人間として生まれなかったおかげで生き延びる猫と、こどもに先立たれずに愛を注いだまま死んで行った叔父夫婦。
だれも不幸にならなかった。
「アルパカ計画」
アルパカをコンテナで大量に飼育する計画。
そのコンテナを船に乗せて、いよいよ大平洋航路に、
と、いう物語を書いていたら、不意の来客。
客はすぐに帰ったが、物語の続きを忘れてしまった。
アルパカは大平洋に旅立ったまま、今、どこに?
「雨」
雨のリズムが身体に満ちて、踊り出す少女。
建築現場の高い場所へと上がっていく少女。
a girlが上が〜る。
「アンケート」
無人島に持って行く3つのもの。
サンドバッグ、パンチンググローブ、応急手当てセット。
鍛えて強くなり、海賊や船の乗客が来たら、蹴散らすのだ。
いつか敗北する日まで、そうやって無人島にいる。
「ベイビーバスト、ベイビーブーム 悪いシミュレーション」
早婚がブームになり、多子化社会が実現する。
出産した十代女性は高校を中退し、女性の社会進出は激減し、養育費がかさむので大学生もほとんどいなくなった。
高齢者福祉の予算は多子世帯の生活保護にまわされ、高齢者の自殺が激増。
失業者はあふれ、治安が悪化。住む土地は不足して、大陸侵略のため戦争が起きる。
多子化社会になったら、こうなる、という悪い見本。
「天使編」
砂漠の孤立した街を女は車で逃走する。
人質にした未熟児の天使。
世界はもうすぐ彼女を中心に回りはじめる。
「さよなら神さま」
男は車のトランクをあけて、中に入り、内側からふたをしめた。
いつになっても出て来ない。
じっと見ていると、今度は女がトランクをあけて中に入り、ふたをしめた。
いつになっても出て来ない。
私も我慢できなくなって、トランクに入る。
「ぼくは音楽を聞きながら死ぬ」
大量のCDを密林の中で発見。
再生はできないが、ライナーノーツを読み、音楽を想像しながら、死んでいくことになるだろう。
幻聴が音楽を脳に届ける。
肉体は衰弱しきっているが、今日は死なないだろう。今日は生きる。
「生春巻占い」
ベトナムの生春巻を食べた夜は、夢に猫が出て来て、会話することができる。
猫にとって有益な情報を神託のように伝えることができるのだ。
いつものベトナム料理店が閉店してから、いろいろ生春巻を食べたが、なかなか猫の夢を見るにいたらない。何かが違うのだ。
しかし、今食べている生春巻は、いい感じ。
さあ、今日は猫に神託を授けることができるのか?
短い話が収められた1冊だが、1つ1つの話はスケールが大きかったり、深かったりする。平凡な作家なら、古川日出男が10ページで語った本書の物語1つで500ページの長編を書くだろう。さらに才能のない作家なら、その長編をシリーズ化してしまうはずだ。もっとひどいのになると、番外編をいくつも書いてその場しのぎをするに違いない。
以下、各話の覚え書き。
ネタバレしているので、古川日出男ワールドを味わいたい人は、現物にあたって味わった方がいいだろう。
「ラブ1からラブ3」
砂山を築いておくと、妖精が足跡を残していくことがある。
ベランダに作った砂山に小さな足跡が残っていた!
ビデオをセットしておくと、猫がチョイチョイと足跡みたいなのを爪で作っていた。
な〜んだ、と思っていると、猫が妖精に変化して、飛び立つ!
「あたしはあたしの映像のなかにいる」
餓死しようと決断した少女は、廃墟の中で死を待つ。
その場所は映画撮影のために作られたセットだった。
衣装も脚本も残っている。
映画セットの中で幾日か過ごした後、少女は死なずに外に出て行く。
自分が映っている世界が必ずあるはずだ、との確信のもと。
「静かな歌」
奄美ひとり旅からの手紙。
出さないと決めた手紙をやっぱり出すことにしよう。
「おれはおまえとやり直したい」って。
手紙は自分よりも遅れて、そっちに届く。
そのとき、2人は元気であればいいなあ。
手紙の最初にも書いたけど、もう一度繰り返そう。
「元気ですか?」
「オトヤ君」
早熟な天才児は、世界を救う叡智を有していながら、こどもだという理由で何もさせてもらえない。
世界から疎外されたまま、絶望して4歳で死亡。
「夏が、空に、泳いで」
学校の貯水槽で熱帯魚を飼育する少年。
卒業にあたり、アクアリウムの世界を守るために共闘を誓った男女に生まれたのは、愛か。
「台場国、建つ」
天変地異で大観覧車に閉じ込められた乗客たち。
回り続ける観覧車を1つの世界として、やがて言葉が発生し、1つの国ができあがる。
「低い世界」
13才になった少女は、今まで属していた「低い者」の世界の住人ではなくなった。
低い者たちは、低い世界を知る彼女をハイジョしようと追い詰める。
大人たちは、こどもたちは純粋だと思い込んでいて、助けてくれない。
「ショッパーズあるいはホッパーズあるいはきみのレプリカ」
モデルガンを用意して、コンビニへ。
強盗するのではない。
コンビニで働くのだ。
コンビニ強盗が来た際、そのモデルガンを出して言うのだ。
「やっと使える。これなら正当防衛だ」
「ちいさな光の場所」
悪路をきりひらいてたどりついた素晴らしい場所。
再度行ってみると、反対方向から簡単にいける道を発見した。
しかし、その場所の価値は変わらない。
「鳥男の恐怖」
赤チームと青チームにわかれて、街を別の街にするゲームをする中学生。
ポストを次々と青く塗っていく青チーム。
それを阻止し、あるいは赤く塗り直す赤チーム。
そこに、どちらのチームでもない「鳥男」があらわれた。
学生たちによって変えられた街には、違う住人がいたのだ。
「光の速度で祈っている」
叔父夫婦が猫を生んだ。
猫の寿命は人間よりも短い。
こどもに先立たれる悲しみを感じる叔父夫婦。
だが、叔父夫婦は急死し、猫が残される。
猫は叔父夫婦の死を悲しむ様子もなく、生き続ける。
人間として生まれなかったおかげで生き延びる猫と、こどもに先立たれずに愛を注いだまま死んで行った叔父夫婦。
だれも不幸にならなかった。
「アルパカ計画」
アルパカをコンテナで大量に飼育する計画。
そのコンテナを船に乗せて、いよいよ大平洋航路に、
と、いう物語を書いていたら、不意の来客。
客はすぐに帰ったが、物語の続きを忘れてしまった。
アルパカは大平洋に旅立ったまま、今、どこに?
「雨」
雨のリズムが身体に満ちて、踊り出す少女。
建築現場の高い場所へと上がっていく少女。
a girlが上が〜る。
「アンケート」
無人島に持って行く3つのもの。
サンドバッグ、パンチンググローブ、応急手当てセット。
鍛えて強くなり、海賊や船の乗客が来たら、蹴散らすのだ。
いつか敗北する日まで、そうやって無人島にいる。
「ベイビーバスト、ベイビーブーム 悪いシミュレーション」
早婚がブームになり、多子化社会が実現する。
出産した十代女性は高校を中退し、女性の社会進出は激減し、養育費がかさむので大学生もほとんどいなくなった。
高齢者福祉の予算は多子世帯の生活保護にまわされ、高齢者の自殺が激増。
失業者はあふれ、治安が悪化。住む土地は不足して、大陸侵略のため戦争が起きる。
多子化社会になったら、こうなる、という悪い見本。
「天使編」
砂漠の孤立した街を女は車で逃走する。
人質にした未熟児の天使。
世界はもうすぐ彼女を中心に回りはじめる。
「さよなら神さま」
男は車のトランクをあけて、中に入り、内側からふたをしめた。
いつになっても出て来ない。
じっと見ていると、今度は女がトランクをあけて中に入り、ふたをしめた。
いつになっても出て来ない。
私も我慢できなくなって、トランクに入る。
「ぼくは音楽を聞きながら死ぬ」
大量のCDを密林の中で発見。
再生はできないが、ライナーノーツを読み、音楽を想像しながら、死んでいくことになるだろう。
幻聴が音楽を脳に届ける。
肉体は衰弱しきっているが、今日は死なないだろう。今日は生きる。
「生春巻占い」
ベトナムの生春巻を食べた夜は、夢に猫が出て来て、会話することができる。
猫にとって有益な情報を神託のように伝えることができるのだ。
いつものベトナム料理店が閉店してから、いろいろ生春巻を食べたが、なかなか猫の夢を見るにいたらない。何かが違うのだ。
しかし、今食べている生春巻は、いい感じ。
さあ、今日は猫に神託を授けることができるのか?
なみだ特捜班におまかせ!―サイコセラピスト探偵 波田煌子
2006年4月3日 読書 コメント (1)
鯨統一郎の『なみだ特捜班におまかせ!』を読んだ。
サイコセラピスト探偵・波田煌子(なみだ・きらこ)シリーズの連作集第2弾。
迷宮入りした事件を、犯罪心理分析官の波田煌子がバッサバッサと解いていく。
ただし、プロファイルのイロハも知らず、世間を騒がせた猟奇事件をちっとも覚えておらず、本職のサイコセラピーの基礎もあやうい彼女なのだ。
彼女の推理は大胆すぎる決めつけでしかないのだが、それでも犯人がなぜ猟奇的行為に走ったのかを言い当ててしまうのだ。
事件の謎を解く以上に、読者は波田煌子の思考回路の謎を解くことで、自ずと事件の真相を手にすることになる。
以下、各作品の覚え書き。
ネタバレしているので、要注意。
「涙の赤い薔薇」
犯人は、なぜ死体の口と陰部に花を挿していたのか。
犯人は理科の先生だった。
実験後、アルコールランプのふたを必ずしめるのが習い性になっており、あいたものがあると、ふたをせずにはおれないのだ。
犯行はたまたま入浴時に起こって、裸だったが、口と陰部にふたをしたのだ。
「涙の冷蔵庫殺人」
犯人はなぜ死体をバラバラにしたのか。
犯人は、新しいものを所有すると、ついつい試してみずにはおられない性格だった。
新しい包丁の切れ味を試すために、身体をバラバラにしたのだ。
「涙の海岸物語」
犯人はなぜ生首を人の多い海岸に置いておいたのか。
犯人は、いじめを受けており、教室でも孤独だった。
その状況を再現するため、人の多い場所に首だけ置いておいたのだ。
「涙のエレベーターガール」
死体は首を植木用のハサミで切られていた。
なぜ?
犯人は仕事で毎日手紙を開封していた。
赤いエレベーターの中に白い制服を着たエレベーターガールを見て、ポストの中の手紙を連想し、ふだんの癖が出て、うっかり首を切ってしまったのだ。
「涙の少女人形」
タレントのそっくり人形の首が、本人の生首とすりかわっていた。
なぜ?
犯人はフィギュアオタクだった。
あまりにもタレントそっくりの人形を見て、ほしくなったのだ。
人形の首を盗むとすぐにバレてしまうので、人形そっくりの本物の首を据えておいたのだ。
「涙のクニタチーゼ」
死体は両腕を切断され、左右逆に並べてあった。
犯人は植木職人で、人を木にみたてて、枝の部分として両腕を切った。
切断後に屍姦するため、胴体だけ向きを変えたので、腕の左右が逆転したのだ。
「涙のサヨナラホームラン」
元野球選手が殺され、彼の皮膚や毛を使って、本人のミニチュア人形が作られていた。
犯人(野球の監督)は、記念品が大好きで、使わなくなったランドセルをミニチュアにして記念に持っておくように、選手をミニチュアにして記念に持っておこうとしたのだ。
どう。あいた口がふさがらない、とはこのこと。
推理が論理的になされるわけでもなく、ひらめきと当てずっぽうでいつも迷宮入り事件を解決してしまう。
読者は、猟奇犯罪のシチュエーションに、いかに奇想をもって解決されるのかを素直に楽しめばいい。
波田煌子の傍若無人な発言は、「そんな奴、おらんやろ」とツッコミしたくなるし、笑える短編集になっている。
面白い。
テレビで名探偵コナンの映画を放送していたので途中まで見ていたが、花粉症の疲れのため、肝心のストーリー後半眠ってしまった。
ああ、ちょっと面白そうだったのに、睡魔は敵だ!
サイコセラピスト探偵・波田煌子(なみだ・きらこ)シリーズの連作集第2弾。
迷宮入りした事件を、犯罪心理分析官の波田煌子がバッサバッサと解いていく。
ただし、プロファイルのイロハも知らず、世間を騒がせた猟奇事件をちっとも覚えておらず、本職のサイコセラピーの基礎もあやうい彼女なのだ。
彼女の推理は大胆すぎる決めつけでしかないのだが、それでも犯人がなぜ猟奇的行為に走ったのかを言い当ててしまうのだ。
事件の謎を解く以上に、読者は波田煌子の思考回路の謎を解くことで、自ずと事件の真相を手にすることになる。
以下、各作品の覚え書き。
ネタバレしているので、要注意。
「涙の赤い薔薇」
犯人は、なぜ死体の口と陰部に花を挿していたのか。
犯人は理科の先生だった。
実験後、アルコールランプのふたを必ずしめるのが習い性になっており、あいたものがあると、ふたをせずにはおれないのだ。
犯行はたまたま入浴時に起こって、裸だったが、口と陰部にふたをしたのだ。
「涙の冷蔵庫殺人」
犯人はなぜ死体をバラバラにしたのか。
犯人は、新しいものを所有すると、ついつい試してみずにはおられない性格だった。
新しい包丁の切れ味を試すために、身体をバラバラにしたのだ。
「涙の海岸物語」
犯人はなぜ生首を人の多い海岸に置いておいたのか。
犯人は、いじめを受けており、教室でも孤独だった。
その状況を再現するため、人の多い場所に首だけ置いておいたのだ。
「涙のエレベーターガール」
死体は首を植木用のハサミで切られていた。
なぜ?
犯人は仕事で毎日手紙を開封していた。
赤いエレベーターの中に白い制服を着たエレベーターガールを見て、ポストの中の手紙を連想し、ふだんの癖が出て、うっかり首を切ってしまったのだ。
「涙の少女人形」
タレントのそっくり人形の首が、本人の生首とすりかわっていた。
なぜ?
犯人はフィギュアオタクだった。
あまりにもタレントそっくりの人形を見て、ほしくなったのだ。
人形の首を盗むとすぐにバレてしまうので、人形そっくりの本物の首を据えておいたのだ。
「涙のクニタチーゼ」
死体は両腕を切断され、左右逆に並べてあった。
犯人は植木職人で、人を木にみたてて、枝の部分として両腕を切った。
切断後に屍姦するため、胴体だけ向きを変えたので、腕の左右が逆転したのだ。
「涙のサヨナラホームラン」
元野球選手が殺され、彼の皮膚や毛を使って、本人のミニチュア人形が作られていた。
犯人(野球の監督)は、記念品が大好きで、使わなくなったランドセルをミニチュアにして記念に持っておくように、選手をミニチュアにして記念に持っておこうとしたのだ。
どう。あいた口がふさがらない、とはこのこと。
推理が論理的になされるわけでもなく、ひらめきと当てずっぽうでいつも迷宮入り事件を解決してしまう。
読者は、猟奇犯罪のシチュエーションに、いかに奇想をもって解決されるのかを素直に楽しめばいい。
波田煌子の傍若無人な発言は、「そんな奴、おらんやろ」とツッコミしたくなるし、笑える短編集になっている。
面白い。
テレビで名探偵コナンの映画を放送していたので途中まで見ていたが、花粉症の疲れのため、肝心のストーリー後半眠ってしまった。
ああ、ちょっと面白そうだったのに、睡魔は敵だ!
創叡キッズキッズダンス、茨姫はたたかう
2006年4月2日 アイドル コメント (1)
第23回全国都市緑化おおさかフェア「花・彩・祭おおさか2006」に行ってきた。
西の丸ゲートから入った花彩祭ステージでの創叡キッズキッズダンスが目当て。
入場するなり、写真を撮られた。帰りに写真が展示してあり、1枚千円で買えるのだ。
自分以外の写真を買いたくなったが、千円なんて、法外な金額は出せません。
ちなみに、「花彩祭」は「はなさいさい」と読むらしい。「かさいまつり」ではない。
ステージは屋外だが、屋根があり、観客席の方も、運動会の本部程度の規模で屋根がついていた。今日は雨だったので、イベントが中止なのかと危ぶんでいたのだが、これなら、雨天決行だろう。
以下、登場したユニットと、演目。
1.ジュニアスペシャルダンスチーム/オープニング
2.フレーズ/No.1
3.ラズベリーズ/キープ・ザ・フェイス
4.リサコ&レイナ/ギブ・ミー・アップ
5.ヨサコイ選抜/ヨサコイソーラン
6.ミューズ/エニバディズ・ゲーム
7.ミニミニクラブ/ジェラシー
8.ファッションズ/ハピネス
9.いちごっ娘/ユア・ソング
10.プリッツ/キング&クイーン
11.タッチ/ラブ・ライク・キャンディフロス
12.スーパーバブルズ/パンプ・イット
ステージが広くて、最後のユニット紹介のとき、ミニミニクラブも出てくればいいのに、と思った。
創叡のプログラムの前は、なるこ踊りだった。
ここでも小学生たちがいっぱい出ており、創叡のダンス、特にヨサコイを見て、「すごい!」と感動していた。同じジャンルの踊りを見てはじめて、そのダンスのスキルが実感できるのだろう。
ユニット名が紹介されるたびに「ミューズやて!」「プリッツやて〜!」「いちごっ娘!」などいちいち過剰に反応するのが、おかしくてならなかった。
近藤史恵の『茨姫はたたかう』を読んだ。
余儀無くひとり暮らしをする羽目に陥った久住梨花子は、ストーカーの影におびえていた。
誰かが郵便受けの手紙を開封しているようなのだ。
つけたはずの数字錠はいつのまにやらはずされており、「やましいことがないのなら、なぜ隠すの?」と書いた紙が入っていた。
レディースマンションの両隣の住人も、かたや香水の匂いがきつい水商売の女、かたや歯に衣着せずに物を言う漫画オタク。管理人の男性もアイドルオタクだ。
久住梨花子は、「最悪!」と思う。
さてさて、この小説、読んでわかるように、ストーカーにおびえる女性の方に、対人関係上の問題がある。
書店勤務の彼女は、同僚の暗いオタクに愛の告白されるが、けんもほろろに扱い、それ以来、彼をキモくてこわい存在として認知する。
信頼されているブロック長に他の書店員の問題を報告して、店長とのあいだもギクシャクする。
でも、彼女は、自分が悪いわけではない、報告されて困るようなことをする方が悪い、と思い、人間関係をどんどん悪化させていく。
ストーカー事件と彼女の心をなおすのは、変人整体師、合田力だ。
変人整体師は、彼女を施術しながら、ズバズバと彼女をいやしていく。
ギックリ腰ではじめて彼女を施術するとき、変人整体師は言う。
「自分、ずいぶん臆病やな」
つづけて、
「誤解すんなや。臆病なこと自体は決して悪いことやないで。少なくとも、自分、臆病でいたおかげで、今までそれほど傷つかんですんだやろ」
久住が「じゃあ、何が悪いんですか」と問うと、
「自分の身を守るために、臆病でおるのは悪いことやない。それはただ、そういう生き方や。平凡でなだらかなな。だが、悪いのは、臆病でおれば、だれかが守ってくれる、と思いこむことや」
まさに御明察。久住は「そんなことない!」と激昂するが、変人整体師は言葉を続ける。
「臆病であろうが、無鉄砲であろうが、世界が守ってくれることは絶対ないんや。他人も少しは守ってくれるかもしれんが、結局大したことはでけへん。でもな、特に女の中には、それに気づいてへんやつがたまにいるんや。臆病でいれば、世界が守ってくれる。なんかそういう幻想に囚われている人間がたまにおるんや」
久住は「これ以上聞いてはいけない」と頭の中で警報を鳴らすが、変人整体師は言葉を続ける。この後のみごとなセラピーっぷりは圧巻だ。暴言のように思える言葉が、すーっとしみこんでくる。
この臆病な久住ストーカー事件と同時に語られているのが、変人整体師の助手、歩と、小松崎という青年との関わり。歩は摂食障害で、小松崎との関係もうまくいかない。
「愛する人に嘘はつけない」と小松崎が歩の聞きたくないことでも正直に言ってしまったりして。
変人整体師は、小松崎に語る。
「歩はな、たぶん、人から女として愛されることが、とても恐ろしくて、そうして、とても羨ましいんやと思うんや。そのふたつの相反する感情を、自分でどうすることもでけへんで、立ちつくしているんやと思うんや」
「なあ、小松崎。おれは愛情なんてもんは、そんな大層なもんやないと思っている。しょうもない、エゴだらけの、いやらしいもんや。でも、人間って、それがないと生きられへんみたいやなあ」
甘いと笑わばわらえ。でも、こういう言葉ひとつで人は救われたりするのだ。
変人整体師は、歩に「食べない理由を見つけてくるのはやめろ」以下のセラピーをしたあと、小松崎にしみじみと言う。
「要するに、恋愛って、心を無理に軋ませて寄り添うことなんやろうな」
「そうやって、心を軋ませても、そばにいたい、と思うことなんやろうなあ」
おやおや、ミステリーのネタバレをちっともしてない。
作中、「ストーカーと白馬の王子様はどこが違うの」という問題提起がなされる。
眠る白雪姫は、王子様が一方的にキスをして目覚める。それが王子様だったからよかったけど、キモい奴だったら、ホラーになってしまう。その差は?
茨姫も眠っているだけなのに、通りかかった王子様が勝手にキスをする。むかつかないのは何故?
シンデレラを靴ひとつで探しまわる王子様は、ストーカーとどこが違う?権力使ってるぶん、たちが悪いとは言えないか?
久住は、自分を白馬に乗った王子様だと思い込んでいるストーカーを前にして、キスをして目ざめさせてくれた自称王子様も、しょせんはこの程度、ストーカーと変わりがない、と結論づける。
もちろん、それだけではない機微がいろいろあって、1冊まるまる心を癒される作品になっていた。
近藤史恵は面白い。大阪芸術大学が生んだ最高の逸材なのではなかろうか。
西の丸ゲートから入った花彩祭ステージでの創叡キッズキッズダンスが目当て。
入場するなり、写真を撮られた。帰りに写真が展示してあり、1枚千円で買えるのだ。
自分以外の写真を買いたくなったが、千円なんて、法外な金額は出せません。
ちなみに、「花彩祭」は「はなさいさい」と読むらしい。「かさいまつり」ではない。
ステージは屋外だが、屋根があり、観客席の方も、運動会の本部程度の規模で屋根がついていた。今日は雨だったので、イベントが中止なのかと危ぶんでいたのだが、これなら、雨天決行だろう。
以下、登場したユニットと、演目。
1.ジュニアスペシャルダンスチーム/オープニング
2.フレーズ/No.1
3.ラズベリーズ/キープ・ザ・フェイス
4.リサコ&レイナ/ギブ・ミー・アップ
5.ヨサコイ選抜/ヨサコイソーラン
6.ミューズ/エニバディズ・ゲーム
7.ミニミニクラブ/ジェラシー
8.ファッションズ/ハピネス
9.いちごっ娘/ユア・ソング
10.プリッツ/キング&クイーン
11.タッチ/ラブ・ライク・キャンディフロス
12.スーパーバブルズ/パンプ・イット
ステージが広くて、最後のユニット紹介のとき、ミニミニクラブも出てくればいいのに、と思った。
創叡のプログラムの前は、なるこ踊りだった。
ここでも小学生たちがいっぱい出ており、創叡のダンス、特にヨサコイを見て、「すごい!」と感動していた。同じジャンルの踊りを見てはじめて、そのダンスのスキルが実感できるのだろう。
ユニット名が紹介されるたびに「ミューズやて!」「プリッツやて〜!」「いちごっ娘!」などいちいち過剰に反応するのが、おかしくてならなかった。
近藤史恵の『茨姫はたたかう』を読んだ。
余儀無くひとり暮らしをする羽目に陥った久住梨花子は、ストーカーの影におびえていた。
誰かが郵便受けの手紙を開封しているようなのだ。
つけたはずの数字錠はいつのまにやらはずされており、「やましいことがないのなら、なぜ隠すの?」と書いた紙が入っていた。
レディースマンションの両隣の住人も、かたや香水の匂いがきつい水商売の女、かたや歯に衣着せずに物を言う漫画オタク。管理人の男性もアイドルオタクだ。
久住梨花子は、「最悪!」と思う。
さてさて、この小説、読んでわかるように、ストーカーにおびえる女性の方に、対人関係上の問題がある。
書店勤務の彼女は、同僚の暗いオタクに愛の告白されるが、けんもほろろに扱い、それ以来、彼をキモくてこわい存在として認知する。
信頼されているブロック長に他の書店員の問題を報告して、店長とのあいだもギクシャクする。
でも、彼女は、自分が悪いわけではない、報告されて困るようなことをする方が悪い、と思い、人間関係をどんどん悪化させていく。
ストーカー事件と彼女の心をなおすのは、変人整体師、合田力だ。
変人整体師は、彼女を施術しながら、ズバズバと彼女をいやしていく。
ギックリ腰ではじめて彼女を施術するとき、変人整体師は言う。
「自分、ずいぶん臆病やな」
つづけて、
「誤解すんなや。臆病なこと自体は決して悪いことやないで。少なくとも、自分、臆病でいたおかげで、今までそれほど傷つかんですんだやろ」
久住が「じゃあ、何が悪いんですか」と問うと、
「自分の身を守るために、臆病でおるのは悪いことやない。それはただ、そういう生き方や。平凡でなだらかなな。だが、悪いのは、臆病でおれば、だれかが守ってくれる、と思いこむことや」
まさに御明察。久住は「そんなことない!」と激昂するが、変人整体師は言葉を続ける。
「臆病であろうが、無鉄砲であろうが、世界が守ってくれることは絶対ないんや。他人も少しは守ってくれるかもしれんが、結局大したことはでけへん。でもな、特に女の中には、それに気づいてへんやつがたまにいるんや。臆病でいれば、世界が守ってくれる。なんかそういう幻想に囚われている人間がたまにおるんや」
久住は「これ以上聞いてはいけない」と頭の中で警報を鳴らすが、変人整体師は言葉を続ける。この後のみごとなセラピーっぷりは圧巻だ。暴言のように思える言葉が、すーっとしみこんでくる。
この臆病な久住ストーカー事件と同時に語られているのが、変人整体師の助手、歩と、小松崎という青年との関わり。歩は摂食障害で、小松崎との関係もうまくいかない。
「愛する人に嘘はつけない」と小松崎が歩の聞きたくないことでも正直に言ってしまったりして。
変人整体師は、小松崎に語る。
「歩はな、たぶん、人から女として愛されることが、とても恐ろしくて、そうして、とても羨ましいんやと思うんや。そのふたつの相反する感情を、自分でどうすることもでけへんで、立ちつくしているんやと思うんや」
「なあ、小松崎。おれは愛情なんてもんは、そんな大層なもんやないと思っている。しょうもない、エゴだらけの、いやらしいもんや。でも、人間って、それがないと生きられへんみたいやなあ」
甘いと笑わばわらえ。でも、こういう言葉ひとつで人は救われたりするのだ。
変人整体師は、歩に「食べない理由を見つけてくるのはやめろ」以下のセラピーをしたあと、小松崎にしみじみと言う。
「要するに、恋愛って、心を無理に軋ませて寄り添うことなんやろうな」
「そうやって、心を軋ませても、そばにいたい、と思うことなんやろうなあ」
おやおや、ミステリーのネタバレをちっともしてない。
作中、「ストーカーと白馬の王子様はどこが違うの」という問題提起がなされる。
眠る白雪姫は、王子様が一方的にキスをして目覚める。それが王子様だったからよかったけど、キモい奴だったら、ホラーになってしまう。その差は?
茨姫も眠っているだけなのに、通りかかった王子様が勝手にキスをする。むかつかないのは何故?
シンデレラを靴ひとつで探しまわる王子様は、ストーカーとどこが違う?権力使ってるぶん、たちが悪いとは言えないか?
久住は、自分を白馬に乗った王子様だと思い込んでいるストーカーを前にして、キスをして目ざめさせてくれた自称王子様も、しょせんはこの程度、ストーカーと変わりがない、と結論づける。
もちろん、それだけではない機微がいろいろあって、1冊まるまる心を癒される作品になっていた。
近藤史恵は面白い。大阪芸術大学が生んだ最高の逸材なのではなかろうか。
おかめふく路上、四月は霧の00(ラブラブ)密室―私立霧舎学園ミステリ白書
2006年4月1日 アイドル
今日は梅田阪急東通で、おかめふくの路上ライブ。
ハッピーラッキーデイ
いいお天気
青春時代
ココロビーダマ
ホウキ雲
おかめふくソング
以上6曲。
少ないようだが、今日もなんだか寒い日で、夜遅くからは雨が降るかもというコンディション。いたしかたあるまい。
おかめふくはMTMの人気投票で今期3位をマークし、新たにはじまったランキングにもエントリーしている。
投票時に、その応援コメントを読むと、同じ人物がまったく同じ内容のコメントをコピーして、1日に何十回も何百回も投票しているようだ。
こんなので、ランキングがはかれるのだろうか。
ファンが1人でも、そのファンが1日中投票ばっかりして過ごすような人物であれば、ランキングは上位になってしまう。このランキングは、アーティストがどれだけ多くの人に支持されているかをはかるためのものであって、決してファンの資質を占うためのものではないはずだ。
たとえば、大金持ちがアーティストのCDを100万枚買い上げれば、たちまちそれはミリオンセラーになる。でも、そんなことに、何の意味があるのか。
ところが、これ、そんなことでも、意味がありそうなのである。
資本主義っていや〜ねえ。
霧舎巧の『四月は霧の00(ラブラブ)密室』を読んだ。
私立霧舎学園ミステリ白書の1冊め。
ネタを身もふたもなくバラす。
人工的に霧をたちこめさせた校庭での殺人。
一応、密室になっている。
そのトリックは、チアーガールのバスケットトスよろしく、人間の体を校舎から投げて、受け止める。
一応、見えない犯人トリックになっている。
テニス部の練習試合で「応援団含めて20人くらい」って言えば、さあ、どう思う?
作中の人物は、試合するテニス部の部員と、今回は試合しないテニス部員、って勘違いするが、本当は、「応援団」は文字どおり応援団で、女子校だから、つまりチアーガール。
チア−ガールの衣装はテニスウェアに似ているので、盲点になった。
テニス部以外に、学校に来ていた者がいたのだ、と。
また、被害者は教師であることを利用して、教え子と肉体関係もったりする悪いやつで、生徒たちは一丸となって犯人をかばうために、チアーガールトリックを決行した。
作者は、コナンとか金田一少年のような、漫画、アニメでしかミステリーを体験してこなかった読者を、推理小説の世界に触れてもらうために書いた、と創作意図を明らかにしている。
その志やよし。
でも、コナンとか金田一少年の方が面白いぞ。
それに、あとがきで霧舎巧が、自作を「新本格」と書いているが、どうなんだろう。
僕と霧舎巧とでは、「新本格」の定義が違う、と思えた。
と、いうか、新本格の弱点だけを継承したような感じ。
僕は今回、はじめて霧舎巧の本を読んだ。これはこれで慣れれば一種の芸にも思えてくるのかもしれない。
とりあえず、あと何冊か読んでみよう。
この1冊を読んだだけの感想は、「漫画やライトノベルに負けている」
ただし、トリックメイカーとして面白いことを考えてくれる可能性はあるな、と思えたので、その才能を発揮した作品を読んでみたい。
ハッピーラッキーデイ
いいお天気
青春時代
ココロビーダマ
ホウキ雲
おかめふくソング
以上6曲。
少ないようだが、今日もなんだか寒い日で、夜遅くからは雨が降るかもというコンディション。いたしかたあるまい。
おかめふくはMTMの人気投票で今期3位をマークし、新たにはじまったランキングにもエントリーしている。
投票時に、その応援コメントを読むと、同じ人物がまったく同じ内容のコメントをコピーして、1日に何十回も何百回も投票しているようだ。
こんなので、ランキングがはかれるのだろうか。
ファンが1人でも、そのファンが1日中投票ばっかりして過ごすような人物であれば、ランキングは上位になってしまう。このランキングは、アーティストがどれだけ多くの人に支持されているかをはかるためのものであって、決してファンの資質を占うためのものではないはずだ。
たとえば、大金持ちがアーティストのCDを100万枚買い上げれば、たちまちそれはミリオンセラーになる。でも、そんなことに、何の意味があるのか。
ところが、これ、そんなことでも、意味がありそうなのである。
資本主義っていや〜ねえ。
霧舎巧の『四月は霧の00(ラブラブ)密室』を読んだ。
私立霧舎学園ミステリ白書の1冊め。
ネタを身もふたもなくバラす。
人工的に霧をたちこめさせた校庭での殺人。
一応、密室になっている。
そのトリックは、チアーガールのバスケットトスよろしく、人間の体を校舎から投げて、受け止める。
一応、見えない犯人トリックになっている。
テニス部の練習試合で「応援団含めて20人くらい」って言えば、さあ、どう思う?
作中の人物は、試合するテニス部の部員と、今回は試合しないテニス部員、って勘違いするが、本当は、「応援団」は文字どおり応援団で、女子校だから、つまりチアーガール。
チア−ガールの衣装はテニスウェアに似ているので、盲点になった。
テニス部以外に、学校に来ていた者がいたのだ、と。
また、被害者は教師であることを利用して、教え子と肉体関係もったりする悪いやつで、生徒たちは一丸となって犯人をかばうために、チアーガールトリックを決行した。
作者は、コナンとか金田一少年のような、漫画、アニメでしかミステリーを体験してこなかった読者を、推理小説の世界に触れてもらうために書いた、と創作意図を明らかにしている。
その志やよし。
でも、コナンとか金田一少年の方が面白いぞ。
それに、あとがきで霧舎巧が、自作を「新本格」と書いているが、どうなんだろう。
僕と霧舎巧とでは、「新本格」の定義が違う、と思えた。
と、いうか、新本格の弱点だけを継承したような感じ。
僕は今回、はじめて霧舎巧の本を読んだ。これはこれで慣れれば一種の芸にも思えてくるのかもしれない。
とりあえず、あと何冊か読んでみよう。
この1冊を読んだだけの感想は、「漫画やライトノベルに負けている」
ただし、トリックメイカーとして面白いことを考えてくれる可能性はあるな、と思えたので、その才能を発揮した作品を読んでみたい。
あたしは天使じゃない、ラスト・デイト
2006年3月31日 演劇
鈴木いづみコレクション第2巻『あたしは天使じゃない』を読んだ。
「あたしは天使じゃない」という作品があるのかと思ったが、なかった。天使じゃない、ってあえて言わなくても、鈴木いづみのことを天使だなんて思ってないよ!
収録されているのは、SFを除く短編が中心。
「夜の終わりに」
「声のない日々」
「悲しき願い」
「渇きの海」
「血いろの太陽」
「九月の子供たち」
「歩く人」
「郷愁の60年代グラフィティ 勝手にしやがれ!」
「なつ子」
の9編。
「悲しき願い」のように、ミステリーとしての結構をそなえている作品もあるが、だいたいにおいて男女のことが書かれており、セックス&ドラッグ&アルコール&バイオレンスにどっぷり漬かって抜けだせない話が多い。
と、いうか、誰も抜け出そうとしてないし。
鈴木いづみ描くところの不良たちは、まったく「勝手にしやがれ」と突き放してしかるべきだし、言われなくても、既に勝手にしやがっている。
暴力とクスリ、アルコールなんていう、精神の弱い人間の三種の神器を手放せない男女。。
相手が熱くなるととたんに冷めてしまうとか、幼稚園レベルの感情をそのまま恋愛だとぬかす奴らが大挙して出て来る。
男女のこととか、恋愛のことが中心にない僕のような男性にしてみれば、恋愛ごときで命のやりとりするような無鉄砲さは、憧れでもある。
でも、これは恋愛の相手が誰であるか、によって大きく変わってくるものなのかもしれない。
以前、恋愛をすべての中心にすえたつきあい方をしようと決心したことがある。でも、そのときの相手が「そりゃ困る」みたいな反応で、尻すぼみになってしまった。
これは相撲で立ち会いの呼吸があわなくて「待った」をかけられるようなものだ。相撲と違って、恋愛は「仕切りなおし」というのがなかなか難しそうだ。こっちは、いくらでも仕切りなおすつもりがあるのに、相手の座右の銘は「覆水、盆にかえらず」だったりするのだ。ちぇっ。
鈴木いづみ描く男女の恋愛は、決して幸せなものではない。でも、安全地帯に身をおいて常に傷付かない傍観者でいようとする一般的恋愛よりは、その強烈さに魅かれるところが多い。
僕は、感情なんてコントロールしてなんぼ、的な考えの持ち主だが、感情に身をまかせるドラッグ的快感もまたこれまた捨てがたい。
僕も「感情のなせるわざだから、どうしようもない」なんて言いわけしてみたいものだ。感情ほど、自分の思いどおりになるものはないっていうのに。
と、いうわけで、京都アートコンプレックスに行って、戸川純と奇異保の2人芝居「ラスト・デイト」を見て来た。
ヘルプアイドルの野中ひゆちゃんのお誘い。プロデュースの西尾友里さんのご厚意により、招待いただいたのだ。フィネガンズウェイクつながり。
戸川純は鈴木いづみを演じ、奇異保はその夫、阿部薫。
不可聴の音を聞く阿部薫と、不在の阿部薫を顕然せしめる鈴木いづみ。
音楽=時間=速度の世界で、そこにない音を聞き取る阿部薫と、エクリチュール=空間=場所の世界から、そこにいない阿部薫を召喚する鈴木いづみ。
2人の住む世界はもともと違う。
70年代を生きる希望のアナーキストと、80年代まで生きてしまった絶望の作家。
阿部薫は80年代を体験せずにいなくなる、引き際を知った者だ。
鈴木いづみは、常に敗北する人で、それゆえに80年代まで生き延びねばならなかった。
2人の出会いは、その最初からラストデイトであったに違いない。
鈴木いづみは、長い長いデイトを首吊りによって終わらせたのだ。
戸川純が鈴木いづみを演じるのは、ちょっと面白いなあ、と思った。戸川純はきっと鈴木いづみが好きなんだろうが、2人は大きく違っている。
一生のうち、鈴木いづみが生きた女の時間を差し引いた部分が、戸川純の生きている領分だと思うのだ。
つまり、戸川純はデビューの頃から、少女であると同時に老女だったのだ。少女と老女のあいだを埋める形で、鈴木いづみの時間は流れている。
しかも、少女と老女はともに永遠を約束されているが、鈴木いづみときたら、死者なのだ。
作、演出の岩崎正裕の描く鈴木いづみは、僕が考えていた鈴木いづみよりも、随分と俗っぽい。いや、俗っぽいというより、他の誰かと代替可能なありきたりな感じがする。俗っぽいのも、ありきたりなのも、鈴木いづみの特徴なのだが、どこか違う。
女の生きざまを描くのに、それをストレートに出しすぎているような気がした。
だからと言って、演劇がつまらなかったわけではない。
書いた日記をいつも半分くらいの分量に削ってから送信している僕が、このぐだぐだと長ったらしい駄文(しかも的を射ていない)をこのまま送ろうとするほどに、刺激され、興奮しているのだ。
さあ、今、送るぞ。
「あたしは天使じゃない」という作品があるのかと思ったが、なかった。天使じゃない、ってあえて言わなくても、鈴木いづみのことを天使だなんて思ってないよ!
収録されているのは、SFを除く短編が中心。
「夜の終わりに」
「声のない日々」
「悲しき願い」
「渇きの海」
「血いろの太陽」
「九月の子供たち」
「歩く人」
「郷愁の60年代グラフィティ 勝手にしやがれ!」
「なつ子」
の9編。
「悲しき願い」のように、ミステリーとしての結構をそなえている作品もあるが、だいたいにおいて男女のことが書かれており、セックス&ドラッグ&アルコール&バイオレンスにどっぷり漬かって抜けだせない話が多い。
と、いうか、誰も抜け出そうとしてないし。
鈴木いづみ描くところの不良たちは、まったく「勝手にしやがれ」と突き放してしかるべきだし、言われなくても、既に勝手にしやがっている。
暴力とクスリ、アルコールなんていう、精神の弱い人間の三種の神器を手放せない男女。。
相手が熱くなるととたんに冷めてしまうとか、幼稚園レベルの感情をそのまま恋愛だとぬかす奴らが大挙して出て来る。
男女のこととか、恋愛のことが中心にない僕のような男性にしてみれば、恋愛ごときで命のやりとりするような無鉄砲さは、憧れでもある。
でも、これは恋愛の相手が誰であるか、によって大きく変わってくるものなのかもしれない。
以前、恋愛をすべての中心にすえたつきあい方をしようと決心したことがある。でも、そのときの相手が「そりゃ困る」みたいな反応で、尻すぼみになってしまった。
これは相撲で立ち会いの呼吸があわなくて「待った」をかけられるようなものだ。相撲と違って、恋愛は「仕切りなおし」というのがなかなか難しそうだ。こっちは、いくらでも仕切りなおすつもりがあるのに、相手の座右の銘は「覆水、盆にかえらず」だったりするのだ。ちぇっ。
鈴木いづみ描く男女の恋愛は、決して幸せなものではない。でも、安全地帯に身をおいて常に傷付かない傍観者でいようとする一般的恋愛よりは、その強烈さに魅かれるところが多い。
僕は、感情なんてコントロールしてなんぼ、的な考えの持ち主だが、感情に身をまかせるドラッグ的快感もまたこれまた捨てがたい。
僕も「感情のなせるわざだから、どうしようもない」なんて言いわけしてみたいものだ。感情ほど、自分の思いどおりになるものはないっていうのに。
と、いうわけで、京都アートコンプレックスに行って、戸川純と奇異保の2人芝居「ラスト・デイト」を見て来た。
ヘルプアイドルの野中ひゆちゃんのお誘い。プロデュースの西尾友里さんのご厚意により、招待いただいたのだ。フィネガンズウェイクつながり。
戸川純は鈴木いづみを演じ、奇異保はその夫、阿部薫。
不可聴の音を聞く阿部薫と、不在の阿部薫を顕然せしめる鈴木いづみ。
音楽=時間=速度の世界で、そこにない音を聞き取る阿部薫と、エクリチュール=空間=場所の世界から、そこにいない阿部薫を召喚する鈴木いづみ。
2人の住む世界はもともと違う。
70年代を生きる希望のアナーキストと、80年代まで生きてしまった絶望の作家。
阿部薫は80年代を体験せずにいなくなる、引き際を知った者だ。
鈴木いづみは、常に敗北する人で、それゆえに80年代まで生き延びねばならなかった。
2人の出会いは、その最初からラストデイトであったに違いない。
鈴木いづみは、長い長いデイトを首吊りによって終わらせたのだ。
戸川純が鈴木いづみを演じるのは、ちょっと面白いなあ、と思った。戸川純はきっと鈴木いづみが好きなんだろうが、2人は大きく違っている。
一生のうち、鈴木いづみが生きた女の時間を差し引いた部分が、戸川純の生きている領分だと思うのだ。
つまり、戸川純はデビューの頃から、少女であると同時に老女だったのだ。少女と老女のあいだを埋める形で、鈴木いづみの時間は流れている。
しかも、少女と老女はともに永遠を約束されているが、鈴木いづみときたら、死者なのだ。
作、演出の岩崎正裕の描く鈴木いづみは、僕が考えていた鈴木いづみよりも、随分と俗っぽい。いや、俗っぽいというより、他の誰かと代替可能なありきたりな感じがする。俗っぽいのも、ありきたりなのも、鈴木いづみの特徴なのだが、どこか違う。
女の生きざまを描くのに、それをストレートに出しすぎているような気がした。
だからと言って、演劇がつまらなかったわけではない。
書いた日記をいつも半分くらいの分量に削ってから送信している僕が、このぐだぐだと長ったらしい駄文(しかも的を射ていない)をこのまま送ろうとするほどに、刺激され、興奮しているのだ。
さあ、今、送るぞ。
ポイントブランク―女王陛下の少年スパイ!アレックス
2006年3月30日 読書
アレックスのシリーズ第2弾『ポイントブランク』を読んだ。
今回は雪のアルプスで『女王陛下のoo7』そこのけのアクションを繰り広げる。
大金持ちや政治家の息子は、スポイルされた問題児がゴロゴロ。そんな彼らを預かって、りっぱな少年へと矯正する学校、それがポイントブランク校なのだ。「わたしがなおす!」
さ〜て、どうやってなおすかというと、クローン人間を整形して、本人とすりかえる荒技。
世界の権力と金を自由にできる立場の彼らが、徐々に、たった1人の狂った博士のクローンで占められていく。
前作と同様、本家oo7映画に出て来るジョーズみたいな悪役は、「ミス・ゴリラ」めちゃくちゃ腕力のある女性。
これまた生粋の白人ではないのである。
『ロシアより愛をこめて』などを思い出せばいいかも。
アクションは前作以上にハチャメチャになっている。
たとえば、冒頭のツカミでは、麻薬密売人のアジトが舟だとつきとめると、クレーンゲームみたいに工事現場のクレーンを操縦して舟ごと持ち上げ、警察まで運ぶ。
なんぼなんでも、こりゃ無茶だ。
でも、クローンで世界征服の話になると、最初は学校のやりくちに批判的だった生徒が、ひそかにクローンと入れ替わると、とたんに従順に、ル−ル遵守の性格になっていく下りなど、寒気するほどこわい設定だな、と思った。
秘密の道具もまた新たに開発されている。
このシリーズ、面白いなあ。
映画化されたら、oo7というより、スパイキッズみたいなのになるのかなあ。
あいかわらず荒木飛呂彦の表紙絵、イラストは、「この手の角度はいったいどうなってるんだ」と真似したくなるような恰好で、これは望月三起也かイギー・ポップかデヴィッド・ボウイか、と思わせる。
アレックスがMI6にSOSを出しても「あと1日待ってから出動しよう」ってのは、そりゃないぜ!と思った。
アレックス、半殺し。
タップしてから、ひと呼吸おいて確実に自分の勝利を確信してから手を緩めるようなものかな。
スキージャンプ台を使ったミサイル攻撃は、最初から読めるが、これはこれで、きっちりとやってもらわないと、物足りないし、よかった。
今回は雪のアルプスで『女王陛下のoo7』そこのけのアクションを繰り広げる。
大金持ちや政治家の息子は、スポイルされた問題児がゴロゴロ。そんな彼らを預かって、りっぱな少年へと矯正する学校、それがポイントブランク校なのだ。「わたしがなおす!」
さ〜て、どうやってなおすかというと、クローン人間を整形して、本人とすりかえる荒技。
世界の権力と金を自由にできる立場の彼らが、徐々に、たった1人の狂った博士のクローンで占められていく。
前作と同様、本家oo7映画に出て来るジョーズみたいな悪役は、「ミス・ゴリラ」めちゃくちゃ腕力のある女性。
これまた生粋の白人ではないのである。
『ロシアより愛をこめて』などを思い出せばいいかも。
アクションは前作以上にハチャメチャになっている。
たとえば、冒頭のツカミでは、麻薬密売人のアジトが舟だとつきとめると、クレーンゲームみたいに工事現場のクレーンを操縦して舟ごと持ち上げ、警察まで運ぶ。
なんぼなんでも、こりゃ無茶だ。
でも、クローンで世界征服の話になると、最初は学校のやりくちに批判的だった生徒が、ひそかにクローンと入れ替わると、とたんに従順に、ル−ル遵守の性格になっていく下りなど、寒気するほどこわい設定だな、と思った。
秘密の道具もまた新たに開発されている。
このシリーズ、面白いなあ。
映画化されたら、oo7というより、スパイキッズみたいなのになるのかなあ。
あいかわらず荒木飛呂彦の表紙絵、イラストは、「この手の角度はいったいどうなってるんだ」と真似したくなるような恰好で、これは望月三起也かイギー・ポップかデヴィッド・ボウイか、と思わせる。
アレックスがMI6にSOSを出しても「あと1日待ってから出動しよう」ってのは、そりゃないぜ!と思った。
アレックス、半殺し。
タップしてから、ひと呼吸おいて確実に自分の勝利を確信してから手を緩めるようなものかな。
スキージャンプ台を使ったミサイル攻撃は、最初から読めるが、これはこれで、きっちりとやってもらわないと、物足りないし、よかった。
モップの精は深夜に現れる
2006年3月29日 読書
近藤史恵の『モップの精は深夜に現れる』を読んだ。
『天使はモップを持って』に続く、清掃作業員キリコのミステリー連作集。
以下、各作品を思い出すためのインデックス。
ネタバレなので、要注意。
「悪い芽」
更衣室においてある『超初心者のためのインターネット』
羽振りのいい新入社員
裏紙利用推奨
以上の3つの要因は何を意味しているのか。
上司が、社外秘情報を持ち出すやすい環境をわざとととのえて、その誘惑に乗る人間をつきとめ、早いうちに処分しようとしていたのだ。
「鍵のない扉」
被害者が『葉隠』に関する本を持ち帰ったと思わせたかった犯人。
ところが、それは『忍者と忍術の本』だった。
『葉隠』のことをよく知っている者、全然知らなくていちいち調べなければならない者は除外され、半可通の人間が犯人だとわかる。
「オーバー・ザ・レインボウ」
モデル事務所での嫌がらせの犯人は、マネージャー。
マネージャーがみんなにすすめた歯科医がとんでもない薮で、その無茶苦茶な治療でモデルたちは体調を崩す。
今さら自分がすすめた歯科医のせいだと言えず、歯科医に通っているモデルをそれとなくやめさせるように仕向けた。
「きみに会いたいと思うこと」
キリコが仕事を休み、夫と母親を置いて1ヶ月の旅に出た。
いったいどういう目的で?
母親のかわりに「舞踏会の手帖」よろしく、昔の知人をたずねてまわっていたのだ。
以上、ミステリーとしてのネタを書いておいたが、この連作集のよさは、ミステリーとしてのこういうネタ以外にある。
仕事するにあたってのストレスや、夫婦のあいだの愛情など、日常のもやもやを、解消させてくれるのが、この本のよさだと思う。
仕事や家事のストレスを描く表現も、みごとのひとことで、「だから、普通の会社勤めはいやなんだ」とか「家事に縛られるのはいや」と実感もって思えるほどだ。
それを「いや」のレベルで終わらせず、出口はこちら、と示してくれる。
近藤史恵の本には、こういう「あっ、そういう考え方があるんだ」と、日常の鬱屈をすっと軽くしてくれるようなセラピー的効果がある。
たとえば
「どうせさ。わたしレベルのモデルなんて、いくらでも代わりがいるの。わたしがいなくても、別の子で埋められる穴なんだもの。頑張ったって仕方ないよ」
こんな愚痴に、キリコはこう答える。
「そりゃあ、そうでしょ。どんな仕事をしてたって、代わりの人はいるよ。だって、いなくちゃ困るじゃない。自分が本当に大変で休まなければならなくなったとき、だれも代わってくれないなんて困るよ。本当に困る。代わりがいないのは、友達とか家族とか恋人とか、それだけでいいじゃない」
こんなことを即答してくれる友人を持った人は、本当に幸せだろう。
愚痴に対して、一緒に泣いたり悔しがったりして、愚痴る人間のものの見方をちっとも変えない友人は、それが大多数なのだろうが、何の解決ももたらさない。その場の気は晴れても、まさに、その場かぎりだ。
『天使はモップを持って』に続く、清掃作業員キリコのミステリー連作集。
以下、各作品を思い出すためのインデックス。
ネタバレなので、要注意。
「悪い芽」
更衣室においてある『超初心者のためのインターネット』
羽振りのいい新入社員
裏紙利用推奨
以上の3つの要因は何を意味しているのか。
上司が、社外秘情報を持ち出すやすい環境をわざとととのえて、その誘惑に乗る人間をつきとめ、早いうちに処分しようとしていたのだ。
「鍵のない扉」
被害者が『葉隠』に関する本を持ち帰ったと思わせたかった犯人。
ところが、それは『忍者と忍術の本』だった。
『葉隠』のことをよく知っている者、全然知らなくていちいち調べなければならない者は除外され、半可通の人間が犯人だとわかる。
「オーバー・ザ・レインボウ」
モデル事務所での嫌がらせの犯人は、マネージャー。
マネージャーがみんなにすすめた歯科医がとんでもない薮で、その無茶苦茶な治療でモデルたちは体調を崩す。
今さら自分がすすめた歯科医のせいだと言えず、歯科医に通っているモデルをそれとなくやめさせるように仕向けた。
「きみに会いたいと思うこと」
キリコが仕事を休み、夫と母親を置いて1ヶ月の旅に出た。
いったいどういう目的で?
母親のかわりに「舞踏会の手帖」よろしく、昔の知人をたずねてまわっていたのだ。
以上、ミステリーとしてのネタを書いておいたが、この連作集のよさは、ミステリーとしてのこういうネタ以外にある。
仕事するにあたってのストレスや、夫婦のあいだの愛情など、日常のもやもやを、解消させてくれるのが、この本のよさだと思う。
仕事や家事のストレスを描く表現も、みごとのひとことで、「だから、普通の会社勤めはいやなんだ」とか「家事に縛られるのはいや」と実感もって思えるほどだ。
それを「いや」のレベルで終わらせず、出口はこちら、と示してくれる。
近藤史恵の本には、こういう「あっ、そういう考え方があるんだ」と、日常の鬱屈をすっと軽くしてくれるようなセラピー的効果がある。
たとえば
「どうせさ。わたしレベルのモデルなんて、いくらでも代わりがいるの。わたしがいなくても、別の子で埋められる穴なんだもの。頑張ったって仕方ないよ」
こんな愚痴に、キリコはこう答える。
「そりゃあ、そうでしょ。どんな仕事をしてたって、代わりの人はいるよ。だって、いなくちゃ困るじゃない。自分が本当に大変で休まなければならなくなったとき、だれも代わってくれないなんて困るよ。本当に困る。代わりがいないのは、友達とか家族とか恋人とか、それだけでいいじゃない」
こんなことを即答してくれる友人を持った人は、本当に幸せだろう。
愚痴に対して、一緒に泣いたり悔しがったりして、愚痴る人間のものの見方をちっとも変えない友人は、それが大多数なのだろうが、何の解決ももたらさない。その場の気は晴れても、まさに、その場かぎりだ。
ファイナル・デスティネーション
2006年3月28日 映画
ジェームズ・ウォン監督の「ファイナル・デスティネーション」を見た。
本来、飛行機事故で死ぬはずだった学生たちを、死が追いかけてくる。
風がふけば桶屋が儲かる式、ピタゴラスイッチ式の死の訪れ方は、まるで詰め将棋を見るかのようだ。
浴室で足をすべらせて、ワイヤーを首にまきつけて、首吊り状態。バスタブの中にこぼれた液体でつるつるすべって立つことができず、そのまま死んでしまう、とか。
第2弾の「デッドコースター」が面白かったので、早く見たいと思いながら、後回しになってた映画。やっぱり面白かった。
飛行機の引火爆発の位置の座席にいた者の順に死ぬとか、その死を阻止すると、順番は1つとぶとか、ルールを見破るくだりは、まさにゲーム。
自主制作のレベルでも作れそうなプロットなのが、「自分でも考えてみよう」という意欲をそそる。
本来、飛行機事故で死ぬはずだった学生たちを、死が追いかけてくる。
風がふけば桶屋が儲かる式、ピタゴラスイッチ式の死の訪れ方は、まるで詰め将棋を見るかのようだ。
浴室で足をすべらせて、ワイヤーを首にまきつけて、首吊り状態。バスタブの中にこぼれた液体でつるつるすべって立つことができず、そのまま死んでしまう、とか。
第2弾の「デッドコースター」が面白かったので、早く見たいと思いながら、後回しになってた映画。やっぱり面白かった。
飛行機の引火爆発の位置の座席にいた者の順に死ぬとか、その死を阻止すると、順番は1つとぶとか、ルールを見破るくだりは、まさにゲーム。
自主制作のレベルでも作れそうなプロットなのが、「自分でも考えてみよう」という意欲をそそる。
スティーブン・スピルバーグ監督の「A.I.」を見た。
ブライアン・オールディスの原作を読んでいないので、同じく原作者の1人、イアン・ワトソンがどのあたりを担当しているのか、よくわからない。
だが、この映画、長編でありながら、3つくらい話をくっつけたオムニバスめいた印象がある。
楽しい小道具や演出など、娯楽大作の名に恥じない出来にはなっている。
面白かったのは、最初の話。
こどもの代替物として家族の一員になったこども型ロボット。
こどもが一家に戻ってくることで、人間のこどもと、こども型ロボットとのあいだに軋轢が生じる。
って、鉄腕アトムまんまでは!
でも、その部分が一番面白かった。
古臭い感じもしたけど。
結末あたりに至っては、ちょっとどうかと思った。
人類滅亡後に未来人によってパワーONされたこどもロボットが、母親の髪の毛のDNAから1夜だけ母親をよみがえらせてもらう。夢にまでみた、母親とのべったり生活を満喫するのだ。
母親が1日しか生きていない、という設定なんか、「さあ、ここで泣いてください」というための発想でしかない。
1日だけでも、母親とべたべたの親子愛の交流をもててよかったね、と観客が思うとでも考えているのか?
でも、スピルバーグの映画には、この手の全力ベタなメロドラマが多いので、それを喜ぶ人もいるんだろう。
理解しがたい。
こどもが親とべったりすることが幸せだなんて、とことんつまらない価値観だと思う。
元来、成長することのないこども型ロボットだから、これでいいのか。もしも人間で、こんな望みを抱いている奴がいるとしたら、それは病気である。
主役のハーレイ・ジョエル・オスメントは欧米では「可愛い」ともてはやされる顔なのかもしれないが、僕の目から見ると、明らかに「異常性愛者」「変態」である。しかるがゆえに「可愛い」という見方もできるが。つまり、最後のこども型ロボットと母親との愛情は、僕には「近親相姦」に見えたのだ。
ブライアン・オールディスの原作を読んでいないので、同じく原作者の1人、イアン・ワトソンがどのあたりを担当しているのか、よくわからない。
だが、この映画、長編でありながら、3つくらい話をくっつけたオムニバスめいた印象がある。
楽しい小道具や演出など、娯楽大作の名に恥じない出来にはなっている。
面白かったのは、最初の話。
こどもの代替物として家族の一員になったこども型ロボット。
こどもが一家に戻ってくることで、人間のこどもと、こども型ロボットとのあいだに軋轢が生じる。
って、鉄腕アトムまんまでは!
でも、その部分が一番面白かった。
古臭い感じもしたけど。
結末あたりに至っては、ちょっとどうかと思った。
人類滅亡後に未来人によってパワーONされたこどもロボットが、母親の髪の毛のDNAから1夜だけ母親をよみがえらせてもらう。夢にまでみた、母親とのべったり生活を満喫するのだ。
母親が1日しか生きていない、という設定なんか、「さあ、ここで泣いてください」というための発想でしかない。
1日だけでも、母親とべたべたの親子愛の交流をもててよかったね、と観客が思うとでも考えているのか?
でも、スピルバーグの映画には、この手の全力ベタなメロドラマが多いので、それを喜ぶ人もいるんだろう。
理解しがたい。
こどもが親とべったりすることが幸せだなんて、とことんつまらない価値観だと思う。
元来、成長することのないこども型ロボットだから、これでいいのか。もしも人間で、こんな望みを抱いている奴がいるとしたら、それは病気である。
主役のハーレイ・ジョエル・オスメントは欧米では「可愛い」ともてはやされる顔なのかもしれないが、僕の目から見ると、明らかに「異常性愛者」「変態」である。しかるがゆえに「可愛い」という見方もできるが。つまり、最後のこども型ロボットと母親との愛情は、僕には「近親相姦」に見えたのだ。
ペイトン・リード監督の「チアーズ!」を見た。
学園スポーツ映画で、明るいのがいい。
主演のキルスティン・ダンストは「スパイダーマン」で思わぬ不細工ぶりを発揮したが、この映画での彼女は、魅力的に見える。
主役だからなのか?
と、すれば、「スパイダーマン」の正体がキルスティン・ダンストであれば、チャーミングに見えたにちがいない。
ストーリーは、黒人チームの振り付けをパクっていたことがバレた白人チームが、独自の振り付けに変更することに決定。ところがなんとまあ、振り付け師がくわせもので、同じ振り付けを複数の学校に売っていた。これも使えない。で、マーシャルアーツとかいろんなダンスのエッセンスを加えて独自のチアーダンスを作り、コンテストに出場する、というもの。
このいろんな要素をとりいれたチアーダンスが、本当にいいのかどうか微妙なところだった。
結果は黒人チームの優勝、白人チームの付け焼き刃的ダンスは2位にとどまる。そりゃそうだろう。
でも、チアーダンスは楽しく、さわやかだった。
そうそう。
キルスティン・ダンストが誰かに似ているなあ、と、この映画見ているあいだずっと思っていたが、やっとわかった。
ガチャスタのちひろだ!
学園スポーツ映画で、明るいのがいい。
主演のキルスティン・ダンストは「スパイダーマン」で思わぬ不細工ぶりを発揮したが、この映画での彼女は、魅力的に見える。
主役だからなのか?
と、すれば、「スパイダーマン」の正体がキルスティン・ダンストであれば、チャーミングに見えたにちがいない。
ストーリーは、黒人チームの振り付けをパクっていたことがバレた白人チームが、独自の振り付けに変更することに決定。ところがなんとまあ、振り付け師がくわせもので、同じ振り付けを複数の学校に売っていた。これも使えない。で、マーシャルアーツとかいろんなダンスのエッセンスを加えて独自のチアーダンスを作り、コンテストに出場する、というもの。
このいろんな要素をとりいれたチアーダンスが、本当にいいのかどうか微妙なところだった。
結果は黒人チームの優勝、白人チームの付け焼き刃的ダンスは2位にとどまる。そりゃそうだろう。
でも、チアーダンスは楽しく、さわやかだった。
そうそう。
キルスティン・ダンストが誰かに似ているなあ、と、この映画見ているあいだずっと思っていたが、やっとわかった。
ガチャスタのちひろだ!
ヤマダ電機LABIゲートで聖(hijiri)のミニライブがあった。
ヤマダ電機のテレビコマーシャルに音楽が起用され、本人も出演している。
ライブは4曲。
1.女神
2.朝顔
3.ナイトクルージング
4.Passion
3月22日に出たCDは、Passionと女神のカップリングで、Passionは「およげ!たいやき君」を作った人の曲で、コマーシャルでかかっているのはこれ。
聖自身作った曲もあった。
実家は福島区のレコード店。
この聖は、創叡のスクール出身で、バブルズの一員だった。(向瀬奈津子)
バブルズといえば、きっちりダンスしているイメージがあるので、できれば、ダンスも見たかった。
ライブの4曲のうち、聞いていて楽しかったのは、やはりアップテンポなPassion。
司会のおねえさんの空回りが最初はうっとうしかったが、10分、20分と聞いているうちにすっかり慣れて、どんどん面白くなって来た。
ヤマダ電機ははじめて行ったが、広くて見やすく、こりゃいいや!と思った。
と、いうわけで、今日の日記はここまで。
花粉症シーズンは睡眠時間がのびてしまい、きっちり日記も書けない。
しばらくは省エネモードでいこう。
ヤマダ電機のテレビコマーシャルに音楽が起用され、本人も出演している。
ライブは4曲。
1.女神
2.朝顔
3.ナイトクルージング
4.Passion
3月22日に出たCDは、Passionと女神のカップリングで、Passionは「およげ!たいやき君」を作った人の曲で、コマーシャルでかかっているのはこれ。
聖自身作った曲もあった。
実家は福島区のレコード店。
この聖は、創叡のスクール出身で、バブルズの一員だった。(向瀬奈津子)
バブルズといえば、きっちりダンスしているイメージがあるので、できれば、ダンスも見たかった。
ライブの4曲のうち、聞いていて楽しかったのは、やはりアップテンポなPassion。
司会のおねえさんの空回りが最初はうっとうしかったが、10分、20分と聞いているうちにすっかり慣れて、どんどん面白くなって来た。
ヤマダ電機ははじめて行ったが、広くて見やすく、こりゃいいや!と思った。
と、いうわけで、今日の日記はここまで。
花粉症シーズンは睡眠時間がのびてしまい、きっちり日記も書けない。
しばらくは省エネモードでいこう。
ストームブレイカー―女王陛下の少年スパイ!アレックス
2006年3月24日 読書
アンソニー・ホロヴィッツの『ストームブレイカー』を読んだ。
少年スパイ、アレックス・ライダーシリーズの第1弾。
Macをも凌駕するデザインと機能を持つパソコン、ストームブレイカーを小中学校に寄贈する異民族の成功者。
ところが、このパソコン、起動すると強力な天然痘ウィルスが飛び出して、こどもたちは一夜にして全滅してしまう生物兵器だったのだ。
イギリスでの学校生活で、民族が違う、言葉が違う、ということで彼はひどいイジメにあったのだ。
なかでも一番あくどいイジメをしたのが、現首相。
実業家として成功し、ストームブレイカーを開発した彼は、それを寄贈するセレモニーで、首相もろとも全国の学生たちを全滅させようと企てたのだ!
表紙、挿し絵を荒木飛呂彦が担当している。
この小説、まるでoo7シリーズ!
冒険アクションのエピソードの積み重ね方がそっくり。
悪者(外国人のコンピュータ王)には、強い側近(ミスターグリン)がおり、そこに至るまでに、身近な敵がいる。
ミスターグリンはサーカスのナイフ芸人だったが、失敗して口を裂いたような顔、常に笑っている顔になってしまった。
笑う肉仮面だ!
下も切断してしまったので、ふだんこいつは
「ガガガガガ」とか
「グググ」としかしゃべれない。
悪者はめちゃくちゃ大きな毒くらげ飼ってたり、お膳立てはバッチリ。
映像的でスピーディー。こりゃ面白いわ!
でも、この生物兵器を作るのに中国の影をちらつかせたり、悪者が有色人種なのは、どうなんだろう。
イギリス人にとっての敵は、やっぱり有色人種だってことか。
いまどき共産主義を悪の黒幕に設定したり、アラブのテロリストを持ち出したりするような、「おいおい、まだそんなこと言ってるのか」的設定はむしろ可愛く思えてくる。
日本で言えば、北朝鮮を敵国扱いするような幼さがあるのだ。
そういうツッコミどころも楽しみのひとつ。
oo7での「Q」みたいな人物が出て来て、秘密兵器を用意してくれたりもするのだ。
花粉症のシーズンは、ふだんの約2倍の時間、睡眠をとってしまう。
心身ともに元気になるにはゴールデンウィーク以降か。
少年スパイ、アレックス・ライダーシリーズの第1弾。
Macをも凌駕するデザインと機能を持つパソコン、ストームブレイカーを小中学校に寄贈する異民族の成功者。
ところが、このパソコン、起動すると強力な天然痘ウィルスが飛び出して、こどもたちは一夜にして全滅してしまう生物兵器だったのだ。
イギリスでの学校生活で、民族が違う、言葉が違う、ということで彼はひどいイジメにあったのだ。
なかでも一番あくどいイジメをしたのが、現首相。
実業家として成功し、ストームブレイカーを開発した彼は、それを寄贈するセレモニーで、首相もろとも全国の学生たちを全滅させようと企てたのだ!
表紙、挿し絵を荒木飛呂彦が担当している。
この小説、まるでoo7シリーズ!
冒険アクションのエピソードの積み重ね方がそっくり。
悪者(外国人のコンピュータ王)には、強い側近(ミスターグリン)がおり、そこに至るまでに、身近な敵がいる。
ミスターグリンはサーカスのナイフ芸人だったが、失敗して口を裂いたような顔、常に笑っている顔になってしまった。
笑う肉仮面だ!
下も切断してしまったので、ふだんこいつは
「ガガガガガ」とか
「グググ」としかしゃべれない。
悪者はめちゃくちゃ大きな毒くらげ飼ってたり、お膳立てはバッチリ。
映像的でスピーディー。こりゃ面白いわ!
でも、この生物兵器を作るのに中国の影をちらつかせたり、悪者が有色人種なのは、どうなんだろう。
イギリス人にとっての敵は、やっぱり有色人種だってことか。
いまどき共産主義を悪の黒幕に設定したり、アラブのテロリストを持ち出したりするような、「おいおい、まだそんなこと言ってるのか」的設定はむしろ可愛く思えてくる。
日本で言えば、北朝鮮を敵国扱いするような幼さがあるのだ。
そういうツッコミどころも楽しみのひとつ。
oo7での「Q」みたいな人物が出て来て、秘密兵器を用意してくれたりもするのだ。
花粉症のシーズンは、ふだんの約2倍の時間、睡眠をとってしまう。
心身ともに元気になるにはゴールデンウィーク以降か。
鯨統一郎の『新・世界の七不思議』を読んだ。
歴史上の謎を推理する短編集。
登場人物は4人。
古代史の世界的権威、ハートマン歴史学教授。
歴史学の才媛、早乙女静香。
デニケンやチャーチワードなどオカルト寄りの歴史好きのバーテンダー、松永。
歴史のことにはとんと疎い宮田。
はじめてその謎を聞いたばっかりの宮田が、次々と歴史の謎を解いて行く。
まったくそれら世界の歴史を知らなくても、ちゃんとわかりやすく解説してくれているので、じゅうぶんに娯楽作品として成立している。
以下、それぞれの謎と、推理。ネタバレ。
「アトランティス大陸の不思議」
アトランティスはどこにあったのか。
アトランティスはすべてプラトンの創作だった。
アトランティスとはソクラテスのことであった。
謂れなき罪で一夜で刑死したソクラテスの思い出を、一夜で消えた伝説の理想郷に託したのだ。
アテナイのソクラテス、すなわち、アトランティス。
印象的な部分は、代田という地名が「ダイダラボッチ」から来ており、サンドウィッチ諸島がサンドウィッチ伯爵から来ている例から、人名を地名と結び付けるところ。
「ストーンヘンジの不思議」
ストーンヘンジは何のために作られたのか。
空が落ちて来るのを支えるため、ストーンヘンジは作られた。
ストーンヘンジの中心の三石塔(トリリトン)は日本に伝わり、鳥居(トリイ)になった。
印象的だったのは、マンハッタンがネイティブアメリカンの言葉で泥酔を意味するってとこ。作品と全然関係ないけど。
「ピラミッドの不思議」
ピラミッドは何のために作られたのか。
ナイル川の水の制御装置として作られた。
水はすべて山からきており、山を模するために巨大な建造物が必要とされた。
日本にも「山が水を制御する仕組み」は伝わっている。
山の形に盛られた塩が水商売を制御しているのだ。
印象的な推理は、スネフェルという王がピラミッドを3つ作っているところから、ピラミッド王墓説を否定するくだり。
「ノアの方舟の不思議」
ノアの方舟伝説の真相は。
洪水に追い立てられて、ノアの一族(民族)はアララト山に登った。洪水を逃れて動物たちも偶然アララト山に登ってきた。
そのときに先住民族を追い出したのが、鬼を退治した伝説などになった。
印象的なのは、モーゼがイスラエル人ではなく、エジプト人(アラブ人)だと推理するところ。
「始皇帝の不思議」
秦の始皇帝は本当に暴君だったのか。
始皇帝は合理的な考えをする名君だった。
兵馬傭は殉死の回避と、異民族登用をあらわしている。
万里の長城建設は雇用対策であった。
焚書坑儒は司馬遷による創作である。
また、始皇帝は徐福と名乗って、不老不死を求めて東方、つまり日本までやってきた。
印象的な推理は、始皇帝はちゃんと中国に墓がある、と反論する静香に対して、宮田が不老不死を願う始皇帝が墓を作るのはおかしい、と論破するところ。
「ナスカの地上絵の不思議」
ナスカの地上絵は何のために描かれたのか。
天にのぼった霊魂が地上に戻ってくるときの目印として描かれた。
日本でもお盆には動物をかたどったオブジェを作る。
精霊馬(しょうりょううま)という、ナスに割り箸を刺して牛に見立てたものだ。
ナスカの地上絵が、日本ではナス。
印象的な推理は、静香が述べる、ナスカ地上絵盆踊りのコース説。
「モアイ像の不思議」
モアイは何を意味しているのか。
イースター島は島流しのためにあった島だった。
故郷に帰りたい思いが像になった。
印象的なのは、日本人と同様に崇拝する対象を巨大化しようとする性質を述べたくだり。モアイ像が作られたのが8世紀から13世紀までであり、それは奈良の大仏(8世紀)から鎌倉の大仏(13世紀)の時代とぴったりあうのだ。
なお、この最後の作品で、今までの七不思議で、世界の謎が日本にも伝わってきているとするオチが多かったが、逆に日本から世界に伝播していったんじゃないか、というドンデン返しもある。
さて、この作品は、日本の歴史の謎を解いた『邪馬台国はどこですか?』の続編になっている。『邪馬台国』の方は鯨統一郎のまぎれもない代表作であり、それとくらべると、この『新・世界の七不思議』は軽い読み物に思える。
ただし、これらの世界の謎について、この鯨統一郎が解き明かしてみせた推理以上に面白い推理を展開できなかった者に、この作品を批判する資格はないはずだ。
鯨統一郎も、我々読者と同じスタートラインから出発して、世界の謎を解いているのだから。
『新世界の七不思議』なら僕にも書けるかもしれないな。
通天閣あたりの七不思議。
歴史上の謎を推理する短編集。
登場人物は4人。
古代史の世界的権威、ハートマン歴史学教授。
歴史学の才媛、早乙女静香。
デニケンやチャーチワードなどオカルト寄りの歴史好きのバーテンダー、松永。
歴史のことにはとんと疎い宮田。
はじめてその謎を聞いたばっかりの宮田が、次々と歴史の謎を解いて行く。
まったくそれら世界の歴史を知らなくても、ちゃんとわかりやすく解説してくれているので、じゅうぶんに娯楽作品として成立している。
以下、それぞれの謎と、推理。ネタバレ。
「アトランティス大陸の不思議」
アトランティスはどこにあったのか。
アトランティスはすべてプラトンの創作だった。
アトランティスとはソクラテスのことであった。
謂れなき罪で一夜で刑死したソクラテスの思い出を、一夜で消えた伝説の理想郷に託したのだ。
アテナイのソクラテス、すなわち、アトランティス。
印象的な部分は、代田という地名が「ダイダラボッチ」から来ており、サンドウィッチ諸島がサンドウィッチ伯爵から来ている例から、人名を地名と結び付けるところ。
「ストーンヘンジの不思議」
ストーンヘンジは何のために作られたのか。
空が落ちて来るのを支えるため、ストーンヘンジは作られた。
ストーンヘンジの中心の三石塔(トリリトン)は日本に伝わり、鳥居(トリイ)になった。
印象的だったのは、マンハッタンがネイティブアメリカンの言葉で泥酔を意味するってとこ。作品と全然関係ないけど。
「ピラミッドの不思議」
ピラミッドは何のために作られたのか。
ナイル川の水の制御装置として作られた。
水はすべて山からきており、山を模するために巨大な建造物が必要とされた。
日本にも「山が水を制御する仕組み」は伝わっている。
山の形に盛られた塩が水商売を制御しているのだ。
印象的な推理は、スネフェルという王がピラミッドを3つ作っているところから、ピラミッド王墓説を否定するくだり。
「ノアの方舟の不思議」
ノアの方舟伝説の真相は。
洪水に追い立てられて、ノアの一族(民族)はアララト山に登った。洪水を逃れて動物たちも偶然アララト山に登ってきた。
そのときに先住民族を追い出したのが、鬼を退治した伝説などになった。
印象的なのは、モーゼがイスラエル人ではなく、エジプト人(アラブ人)だと推理するところ。
「始皇帝の不思議」
秦の始皇帝は本当に暴君だったのか。
始皇帝は合理的な考えをする名君だった。
兵馬傭は殉死の回避と、異民族登用をあらわしている。
万里の長城建設は雇用対策であった。
焚書坑儒は司馬遷による創作である。
また、始皇帝は徐福と名乗って、不老不死を求めて東方、つまり日本までやってきた。
印象的な推理は、始皇帝はちゃんと中国に墓がある、と反論する静香に対して、宮田が不老不死を願う始皇帝が墓を作るのはおかしい、と論破するところ。
「ナスカの地上絵の不思議」
ナスカの地上絵は何のために描かれたのか。
天にのぼった霊魂が地上に戻ってくるときの目印として描かれた。
日本でもお盆には動物をかたどったオブジェを作る。
精霊馬(しょうりょううま)という、ナスに割り箸を刺して牛に見立てたものだ。
ナスカの地上絵が、日本ではナス。
印象的な推理は、静香が述べる、ナスカ地上絵盆踊りのコース説。
「モアイ像の不思議」
モアイは何を意味しているのか。
イースター島は島流しのためにあった島だった。
故郷に帰りたい思いが像になった。
印象的なのは、日本人と同様に崇拝する対象を巨大化しようとする性質を述べたくだり。モアイ像が作られたのが8世紀から13世紀までであり、それは奈良の大仏(8世紀)から鎌倉の大仏(13世紀)の時代とぴったりあうのだ。
なお、この最後の作品で、今までの七不思議で、世界の謎が日本にも伝わってきているとするオチが多かったが、逆に日本から世界に伝播していったんじゃないか、というドンデン返しもある。
さて、この作品は、日本の歴史の謎を解いた『邪馬台国はどこですか?』の続編になっている。『邪馬台国』の方は鯨統一郎のまぎれもない代表作であり、それとくらべると、この『新・世界の七不思議』は軽い読み物に思える。
ただし、これらの世界の謎について、この鯨統一郎が解き明かしてみせた推理以上に面白い推理を展開できなかった者に、この作品を批判する資格はないはずだ。
鯨統一郎も、我々読者と同じスタートラインから出発して、世界の謎を解いているのだから。
『新世界の七不思議』なら僕にも書けるかもしれないな。
通天閣あたりの七不思議。
マヂック・オペラ --二・二六殺人事件
2006年3月22日 読書
山田正紀の『マヂック・オペラ』を読んだ。
昭和史を探偵小説で読み解く「オペラ」三部作の第二弾。
本作では、二・二六事件の真相を解いている。
ネタバレですよ。
章立てが江戸川乱歩に関連しているのが、目をひく。
「押絵と旅する男・考」「N坂の殺人事件」「天井裏の捜査者」「狂気の果て」など。
目羅博士や空気男、青銅の魔人、パノラマ島、魔術師を思わせる記述も出て来る。
作者が昭和版の山田風太郎明治ミステリを目指したと自負するだけあって、芥川龍之介「歯車」、萩原朔太郎「猫町」萩原恭次郎、阿部定など多くの事物、人物が入り乱れる。
二・二六事件の真相というのは、てっとり早く言ってしまうと、二十面相の暗躍でひき起こされた、というものだ。
これだけ書くと、荒唐無稽もいいところで、どんなライトノベルか、と勘違いしてしまうだろう。それが、なかなかの読みごたえなのだ。
青年将校たちの決起と同時に捜査されるのは、乃木坂の殺人事件。
現場の向かいの床屋で、女が襲撃される瞬間を目撃、すぐに駆け付けるが、現場は密室なのだ。
こちらの事件の真相は、襲撃の瞬間以前に殺人は行われており、密室は開かないふりをしていた、というもので、トリックとして目新しくはないが、ストーリーにしっくり沿っているため、自然に読める。二階で殺されたと思われていたが、本当は1階の浴室で殺人は起こっており、死体を二階に運んだのだ。裏庭で、死体を二階まで吊るし、二階に上がって窓ごしに死体を部屋に入れたのだ。
犯行現場を間違えたのは、床屋にふだんかかっていた看板が取り除かれており、いつもとは違う風景まで見えるようになっていた。いつもなら二階しか見えないので、血を流す顔を見たとき、てっきり二階での出来事だと思い込んだのだ。
さて、密室トリックは、この作品でも特に重きを置いて書かれていない。
問題は、何者かの手によって、事件そのものの存在を揉み消されている、ということだ。
単なる市井の殺人事件だ。なぜ、権力を使って揉み消す?
青年将校の決起は戦車の出動を必要とした。
戦車が町のなかを走るには、その道を確保しておかないといけない。
そのルートは、陰陽五行にのっとり、不動の北極星を天子の宮城とし、北斗七星に乗って移動するコースをとった。
青山から乃木坂、赤坂見附、三宅坂にいたる地を天子が北斗七星に乗ってめぐる聖地としたのだ。
北斗七星がまわる軌道の内側(内裏)には歩兵連隊、秩父宮邸、三笠宮邸、青山御所、陸軍省、海軍省、陸軍大学、司法省、警視庁があり、まさに天を律するすべてが揃っている。
戦車の通り道を確保するため、床屋の看板もはずされることになり、思わぬ密室事件が成立してしまった。
二十面相(遠藤平吉)の変装能力によって、青年将校の決起は準備されたが、聖なる内裏において、普通の人間の愛憎にまつわる殺人事件などがあっては、聖域が汚れてしまう。それだけで、陰陽五行に裏打ちされた決起は中止されてしまうのだ。
こうして、乃木坂の殺人事件は揉み消されたのである。
ふむふむ。
この大長篇小説には、もっとミステリー的要素も、読みどころもいっぱいあるが、覚え書きとしては、こんなもんかな。
貴族の子弟によって構成された憲兵隊の「機動非常駐特別班」、略称「狐」(機動の「キ」と常駐の「ツネ」)の出て来るアクションシーンなんて、アニメファンあたりが大喝采して読みそうだ。
このオペラ三部作、1作めの『ミステリ・オペラ』は未読。読めば面白いに決まっているので、もったいなくて後回しにしていたのだ。そろそろ読もう。
昭和史を探偵小説で読み解く「オペラ」三部作の第二弾。
本作では、二・二六事件の真相を解いている。
ネタバレですよ。
章立てが江戸川乱歩に関連しているのが、目をひく。
「押絵と旅する男・考」「N坂の殺人事件」「天井裏の捜査者」「狂気の果て」など。
目羅博士や空気男、青銅の魔人、パノラマ島、魔術師を思わせる記述も出て来る。
作者が昭和版の山田風太郎明治ミステリを目指したと自負するだけあって、芥川龍之介「歯車」、萩原朔太郎「猫町」萩原恭次郎、阿部定など多くの事物、人物が入り乱れる。
二・二六事件の真相というのは、てっとり早く言ってしまうと、二十面相の暗躍でひき起こされた、というものだ。
これだけ書くと、荒唐無稽もいいところで、どんなライトノベルか、と勘違いしてしまうだろう。それが、なかなかの読みごたえなのだ。
青年将校たちの決起と同時に捜査されるのは、乃木坂の殺人事件。
現場の向かいの床屋で、女が襲撃される瞬間を目撃、すぐに駆け付けるが、現場は密室なのだ。
こちらの事件の真相は、襲撃の瞬間以前に殺人は行われており、密室は開かないふりをしていた、というもので、トリックとして目新しくはないが、ストーリーにしっくり沿っているため、自然に読める。二階で殺されたと思われていたが、本当は1階の浴室で殺人は起こっており、死体を二階に運んだのだ。裏庭で、死体を二階まで吊るし、二階に上がって窓ごしに死体を部屋に入れたのだ。
犯行現場を間違えたのは、床屋にふだんかかっていた看板が取り除かれており、いつもとは違う風景まで見えるようになっていた。いつもなら二階しか見えないので、血を流す顔を見たとき、てっきり二階での出来事だと思い込んだのだ。
さて、密室トリックは、この作品でも特に重きを置いて書かれていない。
問題は、何者かの手によって、事件そのものの存在を揉み消されている、ということだ。
単なる市井の殺人事件だ。なぜ、権力を使って揉み消す?
青年将校の決起は戦車の出動を必要とした。
戦車が町のなかを走るには、その道を確保しておかないといけない。
そのルートは、陰陽五行にのっとり、不動の北極星を天子の宮城とし、北斗七星に乗って移動するコースをとった。
青山から乃木坂、赤坂見附、三宅坂にいたる地を天子が北斗七星に乗ってめぐる聖地としたのだ。
北斗七星がまわる軌道の内側(内裏)には歩兵連隊、秩父宮邸、三笠宮邸、青山御所、陸軍省、海軍省、陸軍大学、司法省、警視庁があり、まさに天を律するすべてが揃っている。
戦車の通り道を確保するため、床屋の看板もはずされることになり、思わぬ密室事件が成立してしまった。
二十面相(遠藤平吉)の変装能力によって、青年将校の決起は準備されたが、聖なる内裏において、普通の人間の愛憎にまつわる殺人事件などがあっては、聖域が汚れてしまう。それだけで、陰陽五行に裏打ちされた決起は中止されてしまうのだ。
こうして、乃木坂の殺人事件は揉み消されたのである。
ふむふむ。
この大長篇小説には、もっとミステリー的要素も、読みどころもいっぱいあるが、覚え書きとしては、こんなもんかな。
貴族の子弟によって構成された憲兵隊の「機動非常駐特別班」、略称「狐」(機動の「キ」と常駐の「ツネ」)の出て来るアクションシーンなんて、アニメファンあたりが大喝采して読みそうだ。
このオペラ三部作、1作めの『ミステリ・オペラ』は未読。読めば面白いに決まっているので、もったいなくて後回しにしていたのだ。そろそろ読もう。