メシアン、『タイマ』
2008年12月12日 読書NHK-FMで「鳥」の音楽特集を放送してて、メシアンとか流れてた。
「“鳥たちの深淵”〜“世の終わりのための四重奏曲”から」
メシアン作曲
(7分33秒)
(クラリネット)ポール・メイエ
<DENON COCO−78917>
「鳥の目覚め」 メシアン作曲
(21分40秒)
(ピアノ)イヴォンヌ・ロリオ
(管弦楽)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ヴァーツラ・ノイマン
<SUPRAPHON CO−4498>
「ステンドグラスと鳥たち」 メシアン作曲
(8分28秒)
「異国の鳥たち」 メシアン作曲
(15分26秒)
(ピアノ)イヴォンヌ・ロリオ
(管弦楽)アンサンブル・アンテルコンタンポラン
(指揮)ピエール・ブーレーズ
<DISQUES〜MONTAIGNE NSC 1>
これ、再放送とで2回聞いたのだが、1回目は「メシアンだから何でもいいってわけではないんだな」と軽く失望していたが、2回目聞いたときは、「さすがメシアンは違う」と絶賛したくなった。1日経っただけなのに、この違い!聞く側の体調とか、環境とかで、こうも印象が違ってくるのか、とわれながらあきれた。
嶽本野ばら君の『タイマ』を読んだ。
大麻所持で逮捕されてからの復帰作。
あいかわらずの妄想小説で、健在ぶりを発揮していた。
「妄想小説」っていうのは、「幻想小説」とは意味合いが違っていて、作者の妄想によって小説のアクセルを踏んでいる作品のことで、今、僕が考えた。以前からきっと妄想を主食にして野ばら君は小説書いていたんだと思うけど、この本読んで急に僕がこう思った、っていうのは、本当なら隠しておくべきところを、手の内見せているというわけだ。これを、脇があまくなった、ととるか、新境地を開いた、ととるか。
野ばら君は書きたいものを書いているんだろうが、本当に書きたいものはまだ書いていないような気がしてならない。あるいは、もう本当に書きたいものは書いてしまっていて、次に書きたいものを手探りでさがしているのか。
「“鳥たちの深淵”〜“世の終わりのための四重奏曲”から」
メシアン作曲
(7分33秒)
(クラリネット)ポール・メイエ
<DENON COCO−78917>
「鳥の目覚め」 メシアン作曲
(21分40秒)
(ピアノ)イヴォンヌ・ロリオ
(管弦楽)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ヴァーツラ・ノイマン
<SUPRAPHON CO−4498>
「ステンドグラスと鳥たち」 メシアン作曲
(8分28秒)
「異国の鳥たち」 メシアン作曲
(15分26秒)
(ピアノ)イヴォンヌ・ロリオ
(管弦楽)アンサンブル・アンテルコンタンポラン
(指揮)ピエール・ブーレーズ
<DISQUES〜MONTAIGNE NSC 1>
これ、再放送とで2回聞いたのだが、1回目は「メシアンだから何でもいいってわけではないんだな」と軽く失望していたが、2回目聞いたときは、「さすがメシアンは違う」と絶賛したくなった。1日経っただけなのに、この違い!聞く側の体調とか、環境とかで、こうも印象が違ってくるのか、とわれながらあきれた。
嶽本野ばら君の『タイマ』を読んだ。
大麻所持で逮捕されてからの復帰作。
あいかわらずの妄想小説で、健在ぶりを発揮していた。
「妄想小説」っていうのは、「幻想小説」とは意味合いが違っていて、作者の妄想によって小説のアクセルを踏んでいる作品のことで、今、僕が考えた。以前からきっと妄想を主食にして野ばら君は小説書いていたんだと思うけど、この本読んで急に僕がこう思った、っていうのは、本当なら隠しておくべきところを、手の内見せているというわけだ。これを、脇があまくなった、ととるか、新境地を開いた、ととるか。
野ばら君は書きたいものを書いているんだろうが、本当に書きたいものはまだ書いていないような気がしてならない。あるいは、もう本当に書きたいものは書いてしまっていて、次に書きたいものを手探りでさがしているのか。
『1000の小説とバックベアード』、ウィッテン現代室内音楽祭2008ほか
2008年12月11日 読書将棋竜王戦第6局、今日こそは大盤解説会へ、と思ってたのに、BSの放送見てたら、午後4時過ぎに決着がついてしまった。(解説会は5時から)
これで3勝3敗になった。羽生乱調なのが気になるが、ドラマチックな7番勝負になった!
佐藤友哉の『1000の小説とバックベアード』を読んだ。
以下、目次
第1章 約1万4千冊の本たちから遠く離れて
第2章 ジャポニカ学習帳とトーカイグラフィック学習帳の交換
第3章 バックベアード
第4章 山の上ホテルでの『陵辱作業』(1)
第5章 山の上ホテルでの『陵辱作業』(2)
第6章 90年後の石川啄木
第7章 遅れてきた思春期・テスト・1000の小説・これよりはじまる
第8章 物語追放
第9章 地下
第10章 三つ巴
第1000章 死者たち
主人公の「僕」は片説家。片説家とは「簡単にいうと小説家みたいなものだが、本質はひどく違っている」どう違うかと言えば、片説家は依頼人に向けて物語を制作する職業なのだ。
また、「やみ」と呼ばれる、才能があるのに小説家にならず、執筆依頼を受けて書いた物語を金銭と交換する「犯罪集団」が暗躍。
依頼人がいて物語を書く、という構造は、その依頼の目的とあいまって、ストーリーはハードボイルドめいた展開をみせる。「女をさがせ」だ。
失踪した女性から自分は「日本文学」の秘密基地でくらしている、というメッセージが届いたり、「やみ」が「1000の小説」という計画を立ち上げて毒のある文章を世に流そうとしていると言ってみたり。
実際は、「1000の小説」の正体は、この世に存在する本物の小説1000冊のことであり、この1作は作者が小説を書く上での決意表明みたいなもので、「小説の国のアリス」なのだ。クライマックスはまるで「ニューシネマパラダイス」
NHK-FM今日の現代音楽はウィッテン。声を使った作品が多く、印象に残った。
− 海外の現代音楽 −(3)
〜ウィッテン現代室内音楽祭2008ほか〜
「始まり−エリオット・カーターの100歳の誕生日をたたえて」
ブライアン・ファーニホー作曲
(9分00秒)
(演奏)アルデッティ弦楽四重奏団
「6人の声のための音楽3」 ジェイ・シュワルツ作曲
(11分50秒)
(演奏)スコラ・ハイデルベルク
(指揮)ワルター・ヌスバウム
〜ドイツ・ウィッテン
ルドルフ・シュタイナー・シューレで収録〜
<2008/4/27>
(西部ドイツ放送協会提供)
▽タイム・オブ・ミュージック2007から
「ペトロール」 ジョルジュ・アペルギス作曲
(10分30秒)
「フアン・ゴイティソロの4つの引用」 マヌエル・イダルゴ作曲
(7分40秒)
(演奏)ノイエ・ヴォカリステン
〜フィンランド・ヴィッタサーリ教会で収録〜
<2007/7/7>
(フィンランド放送協会提供)
「彼女はといえば…、彼女は芸術」アディナ・ドゥミトレスク作曲
(8分40秒)
(演奏)アンサンブル・アレフ
〜フィンランド・ヴィッタサーリ パリスホールで収録〜
<2007/7/5>
(フィンランド放送協会提供)
▽アート・オブ・ザ・ステイツ No.121から
「コンポジション304(+91、151、164)」
アンソニー・ブラクストン
(11分20秒)
(サクソフォーン)アンソニー・ブラクストン
(コルネット、トロンボーン)テイラー・ホー・バイナム
(ラジオ・ボストン提供)
▽ユネスコ国際作曲家会議から
「交響曲 第2番」 パヴェウ・ミキエティン作曲
(24分10秒)
(管弦楽)ポーランド放送交響楽団
(指揮)ラインベルト・デ・レーウ
〜ポーランド・ワルシャワ
ナショナル・フィルハーモニック・コンサートホールで収録〜
<2007/9/21>
(ポーランド・ラジオ提供)
*ファーニホーはイギリス生まれ。「始まり」は40の断片からなる作品。
*シュワルツは1965年アメリカ生まれで90年代にドイツに移って活動。
「6人の声のための音楽3」は2008年の作品、エンマ・ハウクがハイデルベルクの精神病院から夫にあてて出した手紙をテクストにしている。(解読不能)
http://www.psychiatrie-erfahrene.de/eigensinn/museumneu/seiteemmahauck.htm
*アペルギスはギリシア生まれ、フランスで活動。本人は画家でもあり、音楽に演劇的要素を盛り込む作風。
「ペトロール」はアールブリュットのアドルフ・ベルフリの作品タイトル。ベルフリの作品の精神分裂的イメージ、その奇妙さ、多様さを作品化している。「ペトロール」も造語で、何を意味しているのやら。
*イダルゴは1953年スペイン生まれ、ドイツでヘルムート・ラッヘンマンの影響を強く受ける。
「フアン・ゴイティソロの4つの引用」は1990年の作品。スペインの実験小説作家ゴイティソロの作品から、作中に引用されたテクストを歌詞にしている。その4つの引用はそれぞれ、イブンハヅムの『鳩の首飾り』(10世紀)、アルフォンゾ・ジュッセの『日記』(13世紀)、ルソーの『孤独な散歩者の夢想』(18世紀)、フローベールの『ブバールとペキシェ』(19世紀)
*ドゥミトレスクは40歳くらいの女性作曲家、詳細不明。
*ブラクストンは1945年生まれ。ジャズと現代音楽の融合に特徴がある。
「コンポジション304(+91、151、164)」は過去の作品と即興のコラージュ作品。
*ミキエティンは第3世代の1人で、過去の音楽様式を自由に使う、典型的なポストモダン作曲家と評されている。
「交響曲 第2番」は2007年作品。ミキエティンによると、本作には2つのクライマックスがあり、黄金比率で全体の中に割り振られている。お互いに関係のない素材が独立で発展していくが、メビウスの環の裏表のように全体として1つの音楽になっている、と。
これで3勝3敗になった。羽生乱調なのが気になるが、ドラマチックな7番勝負になった!
佐藤友哉の『1000の小説とバックベアード』を読んだ。
以下、目次
第1章 約1万4千冊の本たちから遠く離れて
第2章 ジャポニカ学習帳とトーカイグラフィック学習帳の交換
第3章 バックベアード
第4章 山の上ホテルでの『陵辱作業』(1)
第5章 山の上ホテルでの『陵辱作業』(2)
第6章 90年後の石川啄木
第7章 遅れてきた思春期・テスト・1000の小説・これよりはじまる
第8章 物語追放
第9章 地下
第10章 三つ巴
第1000章 死者たち
主人公の「僕」は片説家。片説家とは「簡単にいうと小説家みたいなものだが、本質はひどく違っている」どう違うかと言えば、片説家は依頼人に向けて物語を制作する職業なのだ。
また、「やみ」と呼ばれる、才能があるのに小説家にならず、執筆依頼を受けて書いた物語を金銭と交換する「犯罪集団」が暗躍。
依頼人がいて物語を書く、という構造は、その依頼の目的とあいまって、ストーリーはハードボイルドめいた展開をみせる。「女をさがせ」だ。
失踪した女性から自分は「日本文学」の秘密基地でくらしている、というメッセージが届いたり、「やみ」が「1000の小説」という計画を立ち上げて毒のある文章を世に流そうとしていると言ってみたり。
実際は、「1000の小説」の正体は、この世に存在する本物の小説1000冊のことであり、この1作は作者が小説を書く上での決意表明みたいなもので、「小説の国のアリス」なのだ。クライマックスはまるで「ニューシネマパラダイス」
NHK-FM今日の現代音楽はウィッテン。声を使った作品が多く、印象に残った。
− 海外の現代音楽 −(3)
〜ウィッテン現代室内音楽祭2008ほか〜
「始まり−エリオット・カーターの100歳の誕生日をたたえて」
ブライアン・ファーニホー作曲
(9分00秒)
(演奏)アルデッティ弦楽四重奏団
「6人の声のための音楽3」 ジェイ・シュワルツ作曲
(11分50秒)
(演奏)スコラ・ハイデルベルク
(指揮)ワルター・ヌスバウム
〜ドイツ・ウィッテン
ルドルフ・シュタイナー・シューレで収録〜
<2008/4/27>
(西部ドイツ放送協会提供)
▽タイム・オブ・ミュージック2007から
「ペトロール」 ジョルジュ・アペルギス作曲
(10分30秒)
「フアン・ゴイティソロの4つの引用」 マヌエル・イダルゴ作曲
(7分40秒)
(演奏)ノイエ・ヴォカリステン
〜フィンランド・ヴィッタサーリ教会で収録〜
<2007/7/7>
(フィンランド放送協会提供)
「彼女はといえば…、彼女は芸術」アディナ・ドゥミトレスク作曲
(8分40秒)
(演奏)アンサンブル・アレフ
〜フィンランド・ヴィッタサーリ パリスホールで収録〜
<2007/7/5>
(フィンランド放送協会提供)
▽アート・オブ・ザ・ステイツ No.121から
「コンポジション304(+91、151、164)」
アンソニー・ブラクストン
(11分20秒)
(サクソフォーン)アンソニー・ブラクストン
(コルネット、トロンボーン)テイラー・ホー・バイナム
(ラジオ・ボストン提供)
▽ユネスコ国際作曲家会議から
「交響曲 第2番」 パヴェウ・ミキエティン作曲
(24分10秒)
(管弦楽)ポーランド放送交響楽団
(指揮)ラインベルト・デ・レーウ
〜ポーランド・ワルシャワ
ナショナル・フィルハーモニック・コンサートホールで収録〜
<2007/9/21>
(ポーランド・ラジオ提供)
*ファーニホーはイギリス生まれ。「始まり」は40の断片からなる作品。
*シュワルツは1965年アメリカ生まれで90年代にドイツに移って活動。
「6人の声のための音楽3」は2008年の作品、エンマ・ハウクがハイデルベルクの精神病院から夫にあてて出した手紙をテクストにしている。(解読不能)
http://www.psychiatrie-erfahrene.de/eigensinn/museumneu/seiteemmahauck.htm
*アペルギスはギリシア生まれ、フランスで活動。本人は画家でもあり、音楽に演劇的要素を盛り込む作風。
「ペトロール」はアールブリュットのアドルフ・ベルフリの作品タイトル。ベルフリの作品の精神分裂的イメージ、その奇妙さ、多様さを作品化している。「ペトロール」も造語で、何を意味しているのやら。
*イダルゴは1953年スペイン生まれ、ドイツでヘルムート・ラッヘンマンの影響を強く受ける。
「フアン・ゴイティソロの4つの引用」は1990年の作品。スペインの実験小説作家ゴイティソロの作品から、作中に引用されたテクストを歌詞にしている。その4つの引用はそれぞれ、イブンハヅムの『鳩の首飾り』(10世紀)、アルフォンゾ・ジュッセの『日記』(13世紀)、ルソーの『孤独な散歩者の夢想』(18世紀)、フローベールの『ブバールとペキシェ』(19世紀)
*ドゥミトレスクは40歳くらいの女性作曲家、詳細不明。
*ブラクストンは1945年生まれ。ジャズと現代音楽の融合に特徴がある。
「コンポジション304(+91、151、164)」は過去の作品と即興のコラージュ作品。
*ミキエティンは第3世代の1人で、過去の音楽様式を自由に使う、典型的なポストモダン作曲家と評されている。
「交響曲 第2番」は2007年作品。ミキエティンによると、本作には2つのクライマックスがあり、黄金比率で全体の中に割り振られている。お互いに関係のない素材が独立で発展していくが、メビウスの環の裏表のように全体として1つの音楽になっている、と。
『リアルのゆくえ』、東京行進曲、ドナウエッシンゲン現代音楽祭2007
2008年12月10日 読書大塚英志+東浩紀の『リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか』を読んだ。
以下、目次。
はじめにー世代間闘争について
第1章 2001年−消費の変容
なぜ物語に耐えられないのか
見えない権力システム
誰が作り手か分からない
権力とマーケティングの境界が曖昧に
決定的な世代の違い
「主人と奴隷」の問題
戦後まんが史に見る記号と身体
サブカルチャーの歴史化
第2章 2002年−言論の変容
雑誌は誰でも作れる
論壇誌でいかに語るか
暴走するセキュリティ化
自由のツケをどう考えるのか
非人称化する「権力」を批判する言葉はあるのか
工学化する社会
『ほしのこえ』と「ブロッコリー」
作家性はデータベースを超えるのか
すべてがバーコードなわけじゃない
動物化する言語環境
新しいリアルと新現実
データベース式物語の果てに
第3章 2007年ーおたく/オタクは公的になれるか
メタ化するか、空気を読むか
啓蒙か、ガス抜きか
富の再配分の方法
批評家に責任はあるか
公共性について
富の再配分と教育
国歌とGoogleの公共性
公共性か、システムか
批評家であることとネットの関係
イデオロギー切断と新しい座標軸
変化する知識人の役割
次の社会には何が残るか
言葉は希望か、それとも無力か
終章 2008年−秋葉原事件のあとで
同時代の事件に責任を持つ
彼らは何に怒っているか
サブカルチャーの実存的機能
あとがき 東浩紀
タイトルにある「おたく」と「オタク」の表記の違いは、次のとおり。
大塚「ぼくにとって『おたく』は、ひらがなです。宮崎勤を含むからね。岡田が東大で『オタク』って言葉を使った時点で、『宮崎の問題は置いといて』とされてしまった」
これは世代の問題としてとらえられ、多くの場面で世代の差を中心軸にして討論が開始する。
たとえば、東のこんな発言。
東「大塚さんにとってネットはオプションかもしれないけど、ぼくにとってはそうではないですから。そのダメージが身体的に感覚できるかどうかは、やっぱり世代的なものがあると思います」
さて、この本は後半がほとんど口げんかになっている。
東がたまらず「この議論は続けても仕方ないんじゃないかな。今、大塚さんはぼくの人格を批判しているので、それはやめたほうがよろしいんじゃないかと」なんて言いはじめる。これがまた何回か繰り返される。
ルールあってこそ格闘技は面白いので、喧嘩はあんまり面白くない。気持ちも荒むし。
秋葉原事件後の語り下ろしで、東は同時代の事件に責任を持つ、という表明をしている。
秋葉原事件は正社員と派遣といったレベルの問題でなく、世代間闘争だったのだ、というスタンスは、たしか超左翼マガジン『ロスジェネ』別冊2008「秋葉原無差別テロ事件『敵』は誰だったのか?」でも言ってたかな。
溝口健二監督の「東京行進曲」を見た。1929年、無声映画。
原作は雑誌「キング」連載。
「トテシャンだね」なんて言い方は、近代的ななかにも和風調がある。
NHK-FMの現代音楽番組、第二夜。
近藤 譲
− 海外の現代音楽 −(2)
〜ドナウエッシンゲン現代音楽祭2007ほか〜
「ゴヤ1−私は見た」 ヘルムート・エーリング作曲
(22分40秒)
「平和とは何か?−心の理由に向かって」クラウス・フーバー作曲
(22分50秒)
(ソプラノ)アンヌ・マリー・ジャカン
(メゾ・ソプラノ)ルシー・ラコスト
(カウンター・テノール)セバスティアン・アマデュー
(テノール)フベルト・マイア
(バス)アラン・リエ
(パーカッション)ノラ・ティーレ
(管弦楽)バーデンバーデン・フライブルクSWR交響楽団
(指揮)ルパート・フーバー
〜ドイツ・ドナウエッシンゲン
バール・シュポルトハレで収録〜
<2007/10/19>
(東西ドイツ放送協会提供)
「ロゴス−断片」 ハンス・ツェンダー作曲
(33分20秒)
(合唱)シュツットガルトSWR声楽アンサンブル
(管弦楽)バーデンバーデン・フライブルクSWR交響楽団
(指揮)シルヴァン・カンブルラン
〜ドイツ・ドナウエッシンゲン
バール・シュポルトハレで収録〜
<2007/10/21>
(東西ドイツ放送協会提供)
▽ユネスコ国際作曲家会議から
「すてきなチョコレート店」 マイケ・ナス作曲
(4分40秒)
(演奏)ニェーウ・アンサンブル
(指揮)ルーカス・フィス
〜オランダ・スヘルト・ヘンボス
フェルカーデファブリクで収録〜
<2007/11/7>
(オランダ公共放送提供)
*エーリングは1961年生まれ、東ベルリンで音楽を独学。
ゴヤのエッチング集『戦争の惨禍』44枚目の「私は見た」を音楽化したのが本作。ゴヤの「私は見た」はナポレオン戦争下でのスペインの市民の悲劇が描かれている。音楽的には、ゴヤの同時代人であるベートーベンからの引用もある。
*フーバーは1924年スイスの生まれ。キリスト教神秘主義に基づいたメッセージ色強い作品を作っている。
「心の理由に向かって」は2007年の作品で、タイトルはデリダのレクチャーから取ったそうだ。歌詞はオクタビオ・パスとジャック・デリダのテクストを使用している。
*ツェンダーは1936年生まれ、ドイツの作曲家で、指揮者としても有名。
「ロゴス−断片」では古代グノーシス主義のテクストが使われている。今回演奏されたものは「1、ヨハネの福音書」「6、トマスの福音書(ナグハマディ文書)」「5、ヴァレンチヌスのテクスト」
以下、目次。
はじめにー世代間闘争について
第1章 2001年−消費の変容
なぜ物語に耐えられないのか
見えない権力システム
誰が作り手か分からない
権力とマーケティングの境界が曖昧に
決定的な世代の違い
「主人と奴隷」の問題
戦後まんが史に見る記号と身体
サブカルチャーの歴史化
第2章 2002年−言論の変容
雑誌は誰でも作れる
論壇誌でいかに語るか
暴走するセキュリティ化
自由のツケをどう考えるのか
非人称化する「権力」を批判する言葉はあるのか
工学化する社会
『ほしのこえ』と「ブロッコリー」
作家性はデータベースを超えるのか
すべてがバーコードなわけじゃない
動物化する言語環境
新しいリアルと新現実
データベース式物語の果てに
第3章 2007年ーおたく/オタクは公的になれるか
メタ化するか、空気を読むか
啓蒙か、ガス抜きか
富の再配分の方法
批評家に責任はあるか
公共性について
富の再配分と教育
国歌とGoogleの公共性
公共性か、システムか
批評家であることとネットの関係
イデオロギー切断と新しい座標軸
変化する知識人の役割
次の社会には何が残るか
言葉は希望か、それとも無力か
終章 2008年−秋葉原事件のあとで
同時代の事件に責任を持つ
彼らは何に怒っているか
サブカルチャーの実存的機能
あとがき 東浩紀
タイトルにある「おたく」と「オタク」の表記の違いは、次のとおり。
大塚「ぼくにとって『おたく』は、ひらがなです。宮崎勤を含むからね。岡田が東大で『オタク』って言葉を使った時点で、『宮崎の問題は置いといて』とされてしまった」
これは世代の問題としてとらえられ、多くの場面で世代の差を中心軸にして討論が開始する。
たとえば、東のこんな発言。
東「大塚さんにとってネットはオプションかもしれないけど、ぼくにとってはそうではないですから。そのダメージが身体的に感覚できるかどうかは、やっぱり世代的なものがあると思います」
さて、この本は後半がほとんど口げんかになっている。
東がたまらず「この議論は続けても仕方ないんじゃないかな。今、大塚さんはぼくの人格を批判しているので、それはやめたほうがよろしいんじゃないかと」なんて言いはじめる。これがまた何回か繰り返される。
ルールあってこそ格闘技は面白いので、喧嘩はあんまり面白くない。気持ちも荒むし。
秋葉原事件後の語り下ろしで、東は同時代の事件に責任を持つ、という表明をしている。
秋葉原事件は正社員と派遣といったレベルの問題でなく、世代間闘争だったのだ、というスタンスは、たしか超左翼マガジン『ロスジェネ』別冊2008「秋葉原無差別テロ事件『敵』は誰だったのか?」でも言ってたかな。
溝口健二監督の「東京行進曲」を見た。1929年、無声映画。
原作は雑誌「キング」連載。
「トテシャンだね」なんて言い方は、近代的ななかにも和風調がある。
NHK-FMの現代音楽番組、第二夜。
近藤 譲
− 海外の現代音楽 −(2)
〜ドナウエッシンゲン現代音楽祭2007ほか〜
「ゴヤ1−私は見た」 ヘルムート・エーリング作曲
(22分40秒)
「平和とは何か?−心の理由に向かって」クラウス・フーバー作曲
(22分50秒)
(ソプラノ)アンヌ・マリー・ジャカン
(メゾ・ソプラノ)ルシー・ラコスト
(カウンター・テノール)セバスティアン・アマデュー
(テノール)フベルト・マイア
(バス)アラン・リエ
(パーカッション)ノラ・ティーレ
(管弦楽)バーデンバーデン・フライブルクSWR交響楽団
(指揮)ルパート・フーバー
〜ドイツ・ドナウエッシンゲン
バール・シュポルトハレで収録〜
<2007/10/19>
(東西ドイツ放送協会提供)
「ロゴス−断片」 ハンス・ツェンダー作曲
(33分20秒)
(合唱)シュツットガルトSWR声楽アンサンブル
(管弦楽)バーデンバーデン・フライブルクSWR交響楽団
(指揮)シルヴァン・カンブルラン
〜ドイツ・ドナウエッシンゲン
バール・シュポルトハレで収録〜
<2007/10/21>
(東西ドイツ放送協会提供)
▽ユネスコ国際作曲家会議から
「すてきなチョコレート店」 マイケ・ナス作曲
(4分40秒)
(演奏)ニェーウ・アンサンブル
(指揮)ルーカス・フィス
〜オランダ・スヘルト・ヘンボス
フェルカーデファブリクで収録〜
<2007/11/7>
(オランダ公共放送提供)
*エーリングは1961年生まれ、東ベルリンで音楽を独学。
ゴヤのエッチング集『戦争の惨禍』44枚目の「私は見た」を音楽化したのが本作。ゴヤの「私は見た」はナポレオン戦争下でのスペインの市民の悲劇が描かれている。音楽的には、ゴヤの同時代人であるベートーベンからの引用もある。
*フーバーは1924年スイスの生まれ。キリスト教神秘主義に基づいたメッセージ色強い作品を作っている。
「心の理由に向かって」は2007年の作品で、タイトルはデリダのレクチャーから取ったそうだ。歌詞はオクタビオ・パスとジャック・デリダのテクストを使用している。
*ツェンダーは1936年生まれ、ドイツの作曲家で、指揮者としても有名。
「ロゴス−断片」では古代グノーシス主義のテクストが使われている。今回演奏されたものは「1、ヨハネの福音書」「6、トマスの福音書(ナグハマディ文書)」「5、ヴァレンチヌスのテクスト」
『月光果樹園』、ツインズ・エフェクト、ドナウエッシンゲン現代音楽祭2007
2008年12月9日 読書高原英理の『月光果樹園』を読んだ。
以下、目次。
月光果樹園園丁から
第1章 山査子
ロマンティシズムの継承権
遠い記憶として−幻影の性、幻影の同盟
第2章 葡萄
形而上憧憬症候群−女性幻想文学者たち
第3章 檸檬
生涯一憧憬者−岩井俊二の小説
「バガージマヌパナス」ヌパナス−池上永一・栗原まもる
アンドロギュヌス・ロマンティック仕様−松村栄子『紫の砂漠』について
小川洋子の記憶
第4章 巴旦杏
未来基準−稲垣足穂の懐かしさ
足穂と童話
六月の夜の都会の空
第5章 橄欖樹
澁澤=サドの遊戯作法
澁澤龍彦と世紀末
奇獣たちの静かないざない−澁澤龍彦と『高丘親王航海記』
第6章 桜桃
過つ権利−矢川澄子
「父の娘」たちを語ること−『「父の娘」たち』解説
第7章 柘榴
困難な智−中井英夫の幻想小説について
文人と幻想文学者の間
第8章 無花果
横光運命説−横光利一
第9章 棗
無垢を排除せよ−坂口安吾
第10章 茘枝
もの見えず執深く−赤江瀑
攫われてゆくことの歴史とその継承−須永朝彦
半分嬉しく半分悲しく−日影丈吉
憧憬によって書かれたラブレターの数々。
横光利一や坂口安吾についての章は、しっかりと書いているけど、なんだか学生のレポートみたいだな、と思ったら、「早稲田文学」のために書いた文章だった。
この本読んでいると、いろいろと読みたい本が増えて困った。
試しに横光利一の作品をいくつか読んでみたら、「機械」の主人公の人間もどきぶりに今さらながら気づき、これは僕だ、と感じた。
ダンテ・ラム監督の「ツインズ・エフェクト」を見た。2003年。
香港の国民的アイドル、ツインズ主演の映画。
吸血鬼との恋、そして、悪の吸血鬼退治。
イーキン・チェンの他、特別出演のジャッキー・チェンもけっこう長い時間出ている。
いい方の血筋のいい吸血鬼はエディソン・チャンが演じており、今年エッチ写真流出した2人、エディソン・チャンとジリアン・チョン(ツインズのきりっとした方)が共演しているわけだ。
アクションはそりゃ面白いが、役柄のせいか、いまいちツインズの人気の理由がこの映画からは見えなかった。ツインズ出てきてわがまま言ったりドジふんだりするたんびにキーッ、イライライライラ!となってたくらい。容貌が田舎者くさくて、神秘性に欠けるのが僕の好みにあわないだけなんだろうけど。映画の中で、ツインズが「香港の女の子はみんなこうよ!」と開き直るシーンがある。と、いうことは、あえてそういう風に役柄を作っていたのかもしれないが、どうにも納得できない。
ツインズは日本でいうと、クワバタオハラ的人気なんだろうか。少なくとも、かっすんのいるチェリーパイの方が遥かにいいな。
NHK-FMで三夜連続で現代音楽の番組が組まれていた。
近藤 譲
− 海外の現代音楽 −(1)
〜ドナウエッシンゲン現代音楽祭2007から〜
「叫び」 ハンス・トマッラ作曲
(17分20秒)
「“211007”」 ジェームズ・ソーンダーズ作曲
(24分40秒)
「奇妙な儀式」 フィリップ・マヌーリ作曲
(12分30秒)
(演奏)アンサンブル・モデルン
(指揮)ヨハネス・カリツケ
〜ドイツ・ドナウエッシンゲン ドナウハレBで収録〜
<2007/10/21>
(南西ドイツ放送協会提供)
「曲がりくねった小道」 ミヒャエル・ペルツェル作曲
(24分20秒)
(演奏)アンサンブル・ルシェルシュ
〜ドイツ・ドナウエッシンゲン ドナウハレAで収録〜
<2007/10/20>
(南西ドイツ放送協会提供)
*トマッラは1975年ドイツ生まれで渡米。ただし、音楽の発表はヨーロッパでの方が多い。
「叫び」についてのトマッラのプログラムノートにはこんな内容のことが書いてある。「最近の現代音楽というのはいろいろ音の決まり文句が多くて、作曲家はそうした決まり文句を並べて言いたいことを言おうとしているようだが、私はむしろ、1つ1つの音が何を意味するかを考えるということから真剣な作曲がはじまるんじゃないかと思う。叫び(感嘆文)をどういうふうに音楽のなかであらわすことができるか、歴史的にそういう強い感情をあらわすときはどういう音型が使われてきたか、現代ではそれがいかに可能か、驚き、叫びという強い感情をあらわす音楽の開発に関心があって、この曲をつくった。また同時に、叫びは自分自身の内の叫びでもある」
*ソーンダーズは生年が秘密で公表されていないが、おそらくは70年代生まれと近藤譲は推測している。イギリスの作曲家。
「211007」は1回の演奏会ごとに曲が作り直されるプロジェクトの作品で、「不定のもの」と仮にタイトルがつけられている。この演奏会でのタイトルは、2007年10月21
日に演奏されたという日付をあらわしている。
*マヌーリは1952年生まれ、現代フランスを代表する作曲家だが、現在はアメリカで教鞭をとっている。
「奇妙な儀式」は、マヌーリによると、定常的なもの(儀式)が新しいものの侵入によって崩されていき、最後にはアナーキーな状態になることを描いている。
*「曲りくねった小道」は2台のピアノを1/6ずつ調律をずらしてあり、しかもプリペアドピアノ使用。
日本の話芸は桂米丸の「若き日の思い出」
落語ではなく、思い出話をしているのだが、米丸師匠の人が出ていて、面白い。
戦争のときの話もされていた(空襲警報が急に鳴ったため、いつも隠れる防空壕に入れなかったが、なんと爆撃でその防空壕が跡形もなくなった、とか)が、こういう話なら、子供も戦争体験の貴重な話を興味をもって聞くことができるだろう。
つい最近、誰だったか、落語の襲名のご挨拶で米丸師匠のところに行ったとき、お茶でもいかが、と引き止められたので、じゃあ、とお茶をよばれた話をラジオで聞いたばかりだった。お茶を飲みながらも、手持ち無沙汰で何も話すことがない。米丸師匠に「普通は、引き止めても、これから行くところがまだあるから、と断るもんだ」と教えてもらった、とか。米丸師匠が飄々と語っているのが目に浮かぶようだ。
以下、目次。
月光果樹園園丁から
第1章 山査子
ロマンティシズムの継承権
遠い記憶として−幻影の性、幻影の同盟
第2章 葡萄
形而上憧憬症候群−女性幻想文学者たち
第3章 檸檬
生涯一憧憬者−岩井俊二の小説
「バガージマヌパナス」ヌパナス−池上永一・栗原まもる
アンドロギュヌス・ロマンティック仕様−松村栄子『紫の砂漠』について
小川洋子の記憶
第4章 巴旦杏
未来基準−稲垣足穂の懐かしさ
足穂と童話
六月の夜の都会の空
第5章 橄欖樹
澁澤=サドの遊戯作法
澁澤龍彦と世紀末
奇獣たちの静かないざない−澁澤龍彦と『高丘親王航海記』
第6章 桜桃
過つ権利−矢川澄子
「父の娘」たちを語ること−『「父の娘」たち』解説
第7章 柘榴
困難な智−中井英夫の幻想小説について
文人と幻想文学者の間
第8章 無花果
横光運命説−横光利一
第9章 棗
無垢を排除せよ−坂口安吾
第10章 茘枝
もの見えず執深く−赤江瀑
攫われてゆくことの歴史とその継承−須永朝彦
半分嬉しく半分悲しく−日影丈吉
憧憬によって書かれたラブレターの数々。
横光利一や坂口安吾についての章は、しっかりと書いているけど、なんだか学生のレポートみたいだな、と思ったら、「早稲田文学」のために書いた文章だった。
この本読んでいると、いろいろと読みたい本が増えて困った。
試しに横光利一の作品をいくつか読んでみたら、「機械」の主人公の人間もどきぶりに今さらながら気づき、これは僕だ、と感じた。
ダンテ・ラム監督の「ツインズ・エフェクト」を見た。2003年。
香港の国民的アイドル、ツインズ主演の映画。
吸血鬼との恋、そして、悪の吸血鬼退治。
イーキン・チェンの他、特別出演のジャッキー・チェンもけっこう長い時間出ている。
いい方の血筋のいい吸血鬼はエディソン・チャンが演じており、今年エッチ写真流出した2人、エディソン・チャンとジリアン・チョン(ツインズのきりっとした方)が共演しているわけだ。
アクションはそりゃ面白いが、役柄のせいか、いまいちツインズの人気の理由がこの映画からは見えなかった。ツインズ出てきてわがまま言ったりドジふんだりするたんびにキーッ、イライライライラ!となってたくらい。容貌が田舎者くさくて、神秘性に欠けるのが僕の好みにあわないだけなんだろうけど。映画の中で、ツインズが「香港の女の子はみんなこうよ!」と開き直るシーンがある。と、いうことは、あえてそういう風に役柄を作っていたのかもしれないが、どうにも納得できない。
ツインズは日本でいうと、クワバタオハラ的人気なんだろうか。少なくとも、かっすんのいるチェリーパイの方が遥かにいいな。
NHK-FMで三夜連続で現代音楽の番組が組まれていた。
近藤 譲
− 海外の現代音楽 −(1)
〜ドナウエッシンゲン現代音楽祭2007から〜
「叫び」 ハンス・トマッラ作曲
(17分20秒)
「“211007”」 ジェームズ・ソーンダーズ作曲
(24分40秒)
「奇妙な儀式」 フィリップ・マヌーリ作曲
(12分30秒)
(演奏)アンサンブル・モデルン
(指揮)ヨハネス・カリツケ
〜ドイツ・ドナウエッシンゲン ドナウハレBで収録〜
<2007/10/21>
(南西ドイツ放送協会提供)
「曲がりくねった小道」 ミヒャエル・ペルツェル作曲
(24分20秒)
(演奏)アンサンブル・ルシェルシュ
〜ドイツ・ドナウエッシンゲン ドナウハレAで収録〜
<2007/10/20>
(南西ドイツ放送協会提供)
*トマッラは1975年ドイツ生まれで渡米。ただし、音楽の発表はヨーロッパでの方が多い。
「叫び」についてのトマッラのプログラムノートにはこんな内容のことが書いてある。「最近の現代音楽というのはいろいろ音の決まり文句が多くて、作曲家はそうした決まり文句を並べて言いたいことを言おうとしているようだが、私はむしろ、1つ1つの音が何を意味するかを考えるということから真剣な作曲がはじまるんじゃないかと思う。叫び(感嘆文)をどういうふうに音楽のなかであらわすことができるか、歴史的にそういう強い感情をあらわすときはどういう音型が使われてきたか、現代ではそれがいかに可能か、驚き、叫びという強い感情をあらわす音楽の開発に関心があって、この曲をつくった。また同時に、叫びは自分自身の内の叫びでもある」
*ソーンダーズは生年が秘密で公表されていないが、おそらくは70年代生まれと近藤譲は推測している。イギリスの作曲家。
「211007」は1回の演奏会ごとに曲が作り直されるプロジェクトの作品で、「不定のもの」と仮にタイトルがつけられている。この演奏会でのタイトルは、2007年10月21
日に演奏されたという日付をあらわしている。
*マヌーリは1952年生まれ、現代フランスを代表する作曲家だが、現在はアメリカで教鞭をとっている。
「奇妙な儀式」は、マヌーリによると、定常的なもの(儀式)が新しいものの侵入によって崩されていき、最後にはアナーキーな状態になることを描いている。
*「曲りくねった小道」は2台のピアノを1/6ずつ調律をずらしてあり、しかもプリペアドピアノ使用。
日本の話芸は桂米丸の「若き日の思い出」
落語ではなく、思い出話をしているのだが、米丸師匠の人が出ていて、面白い。
戦争のときの話もされていた(空襲警報が急に鳴ったため、いつも隠れる防空壕に入れなかったが、なんと爆撃でその防空壕が跡形もなくなった、とか)が、こういう話なら、子供も戦争体験の貴重な話を興味をもって聞くことができるだろう。
つい最近、誰だったか、落語の襲名のご挨拶で米丸師匠のところに行ったとき、お茶でもいかが、と引き止められたので、じゃあ、とお茶をよばれた話をラジオで聞いたばかりだった。お茶を飲みながらも、手持ち無沙汰で何も話すことがない。米丸師匠に「普通は、引き止めても、これから行くところがまだあるから、と断るもんだ」と教えてもらった、とか。米丸師匠が飄々と語っているのが目に浮かぶようだ。
らくご道@上方亭、『澁澤龍彦との日々』、琴の爪
2008年12月8日 読書詰将棋パラダイスモバイルが7日からスタートした。
携帯電話と縁のない僕にはちょっとどうかな、と思うが、いつでも詰将棋を携帯できるってのはいいかも。毎週読んでる「週刊将棋」だって、詰将棋以外は流し読みしてること多いしね。
http://www.katsuraba.mydns.jp/tumeparamobile/manual.html
午後7時から上方亭で「第45回らくご道」
池田の猪買い/笑福亭生寿
兵庫船/桂こごろう
蛸芝居/笑福亭生喬
対談:夕焼け日記
桂こごろうはwiiのマリオカートwi-fiで世界とつながることなどをマクラに。
笑福亭生喬は披露宴の話など。
中入り後の対談では、着物のことや、筋肉痛のことなど、まるで打ち上げに参加させてもらったかのような親近感の湧くやりとりがなされた。
衛星劇場で放送されてた落語は春風亭ぽっぽの「子ほめ」
若手の落語オンエアもいいが、名人の映像などを本当なら見たいところ。
澁澤龍子の『澁澤龍彦との日々』を読んだ。
以下、目次。
出会いと結婚
執筆の日々
北鎌倉のわが家
パイプ
わが家のオブジェ
宗達の犬と兎のウチャ
澁澤家の食卓
お酒
散歩
喧嘩とお叱り帖
旅と交友
初の外国旅行
三島由紀夫さん
吉行淳之介さん
石川淳さん
埴谷雄高さん
稲垣足穂さん
林達夫さん、大岡昇平さん
吉岡実さん
種村季弘さん
土方巽さん
多田智満子さん
池田満寿夫さん
堀内誠一さん
お正月
発病
全集刊行と没後の日々
澁澤龍子は29歳のとき、1969年に澁澤龍彦(当時41歳)と結婚した。以来、澁澤龍彦が1987年8月5日に亡くなるまで、彼を支え、死後も支えていると言っていいだろう。
本書の冒頭あたりと巻末の言葉をそれぞれ引用すると。
結婚してからわたしを裏切ったり、約束を守らなかったことは一度もありませんでした。おかげで彼との生活のなかで、嫉妬心とか猜疑心という言葉はわたしの辞書からなくなりました。
降り注ぐような愛で、生涯わたしを抱きしめてくれた人。
わたしの思う理想の結婚をプレゼントしてくれた人。
ですから亡くなったことは悲しいし、寂しいことですが、今でもずっとわたしは幸せです。
ワーオ!
こんなことを言われてみたいものだ。
面白かったのは、澁澤龍彦がメモ帳に書いた「お叱り帖」。これは「門徒もの知らず帖」とか「龍子バカ帖」と名付けられたもので、内容はたとえばこんなもの。
「ウサギウマはロバのことだよ。何度言っても忘れる」
「柿食えば鐘が鳴る鳴るという(大楠山でまた言った)」
要するに、龍子に対するツッコミが同じ内容で度重なったときに、いちいちツッコムのが面倒になってきて、メモに書いたもの。
これを一冊の本にしてもいいんじゃないか、とも思えた。
本書では、澁澤龍彦の方向音痴ぶりや、最後に見た映画が「ミツバチのささやき」だったことなど、澁澤の日常的な一面が書き記されていて、興味深い。酔っぱらったら手がつけられないこととか。40歳過ぎてから、学生に間違われたことも書いてあったな。好きな童謡は「チュウリップ兵隊」だとか。チョロギが好きとか。甘鯛、おこぜの唐揚げが大好物とか。
また、龍子に向けての澁澤語録とでも言うべきものも、面白い。
独身時代、展覧会に行く約束をしていて、澁澤が寝ていてすっぽかしたときの言葉は
「だって、この宇宙はぼくを中心に回っているから、これからもずっとそうだよ。そんなことで怒るのはおかしいよ」
また、
「おまえと俺の知識の差って1万対1ぐらいじゃないの」とか
「おまえがもっと白痴ならいい」
なんてしゃあしゃあと言ってのけるところが面白い!
堀川弘通監督の「琴の爪」を見た。1957年。
真山青果の『元禄忠臣蔵』「大石最後の一日」より。
討ち入り50日後からの義士たちを描く。
世間では仇討ちが流行していたりする。
沙汰があるまでの揺れる心情と、武士としての矜持がせめぎあう義士たちの葛藤。
「ひょっとしたら命は助かるのでは?」という希望もわくなかで、若き磯貝十郎左衛門(中村扇雀)は、武士としての潔い死を覚悟していた。彼には祝言を控えた、おみの(扇千景。可憐!)という女性がいた。「計略のために偽りの縁を結んだ」と言う磯貝。「一目会って気持ちを知りたい」と男装して磯貝に接触をはかる、おみの。おみのの男装を見抜いて、いったんは磯貝とのコンタクトを拒否した大石だったが、一転、おみのを磯貝に会わせる。
そこでも磯貝は態度を変えない。しかし、実は、というお馴染みのお話。
戦争に参加しておいて、裁かれる段になってまさか死罪にはならないだろう、なんて楽観している「貝になりたい」男などとは大違いだ。
携帯電話と縁のない僕にはちょっとどうかな、と思うが、いつでも詰将棋を携帯できるってのはいいかも。毎週読んでる「週刊将棋」だって、詰将棋以外は流し読みしてること多いしね。
http://www.katsuraba.mydns.jp/tumeparamobile/manual.html
午後7時から上方亭で「第45回らくご道」
池田の猪買い/笑福亭生寿
兵庫船/桂こごろう
蛸芝居/笑福亭生喬
対談:夕焼け日記
桂こごろうはwiiのマリオカートwi-fiで世界とつながることなどをマクラに。
笑福亭生喬は披露宴の話など。
中入り後の対談では、着物のことや、筋肉痛のことなど、まるで打ち上げに参加させてもらったかのような親近感の湧くやりとりがなされた。
衛星劇場で放送されてた落語は春風亭ぽっぽの「子ほめ」
若手の落語オンエアもいいが、名人の映像などを本当なら見たいところ。
澁澤龍子の『澁澤龍彦との日々』を読んだ。
以下、目次。
出会いと結婚
執筆の日々
北鎌倉のわが家
パイプ
わが家のオブジェ
宗達の犬と兎のウチャ
澁澤家の食卓
お酒
散歩
喧嘩とお叱り帖
旅と交友
初の外国旅行
三島由紀夫さん
吉行淳之介さん
石川淳さん
埴谷雄高さん
稲垣足穂さん
林達夫さん、大岡昇平さん
吉岡実さん
種村季弘さん
土方巽さん
多田智満子さん
池田満寿夫さん
堀内誠一さん
お正月
発病
全集刊行と没後の日々
澁澤龍子は29歳のとき、1969年に澁澤龍彦(当時41歳)と結婚した。以来、澁澤龍彦が1987年8月5日に亡くなるまで、彼を支え、死後も支えていると言っていいだろう。
本書の冒頭あたりと巻末の言葉をそれぞれ引用すると。
結婚してからわたしを裏切ったり、約束を守らなかったことは一度もありませんでした。おかげで彼との生活のなかで、嫉妬心とか猜疑心という言葉はわたしの辞書からなくなりました。
降り注ぐような愛で、生涯わたしを抱きしめてくれた人。
わたしの思う理想の結婚をプレゼントしてくれた人。
ですから亡くなったことは悲しいし、寂しいことですが、今でもずっとわたしは幸せです。
ワーオ!
こんなことを言われてみたいものだ。
面白かったのは、澁澤龍彦がメモ帳に書いた「お叱り帖」。これは「門徒もの知らず帖」とか「龍子バカ帖」と名付けられたもので、内容はたとえばこんなもの。
「ウサギウマはロバのことだよ。何度言っても忘れる」
「柿食えば鐘が鳴る鳴るという(大楠山でまた言った)」
要するに、龍子に対するツッコミが同じ内容で度重なったときに、いちいちツッコムのが面倒になってきて、メモに書いたもの。
これを一冊の本にしてもいいんじゃないか、とも思えた。
本書では、澁澤龍彦の方向音痴ぶりや、最後に見た映画が「ミツバチのささやき」だったことなど、澁澤の日常的な一面が書き記されていて、興味深い。酔っぱらったら手がつけられないこととか。40歳過ぎてから、学生に間違われたことも書いてあったな。好きな童謡は「チュウリップ兵隊」だとか。チョロギが好きとか。甘鯛、おこぜの唐揚げが大好物とか。
また、龍子に向けての澁澤語録とでも言うべきものも、面白い。
独身時代、展覧会に行く約束をしていて、澁澤が寝ていてすっぽかしたときの言葉は
「だって、この宇宙はぼくを中心に回っているから、これからもずっとそうだよ。そんなことで怒るのはおかしいよ」
また、
「おまえと俺の知識の差って1万対1ぐらいじゃないの」とか
「おまえがもっと白痴ならいい」
なんてしゃあしゃあと言ってのけるところが面白い!
堀川弘通監督の「琴の爪」を見た。1957年。
真山青果の『元禄忠臣蔵』「大石最後の一日」より。
討ち入り50日後からの義士たちを描く。
世間では仇討ちが流行していたりする。
沙汰があるまでの揺れる心情と、武士としての矜持がせめぎあう義士たちの葛藤。
「ひょっとしたら命は助かるのでは?」という希望もわくなかで、若き磯貝十郎左衛門(中村扇雀)は、武士としての潔い死を覚悟していた。彼には祝言を控えた、おみの(扇千景。可憐!)という女性がいた。「計略のために偽りの縁を結んだ」と言う磯貝。「一目会って気持ちを知りたい」と男装して磯貝に接触をはかる、おみの。おみのの男装を見抜いて、いったんは磯貝とのコンタクトを拒否した大石だったが、一転、おみのを磯貝に会わせる。
そこでも磯貝は態度を変えない。しかし、実は、というお馴染みのお話。
戦争に参加しておいて、裁かれる段になってまさか死罪にはならないだろう、なんて楽観している「貝になりたい」男などとは大違いだ。
「FINAL SPIRITS 2008」@LABI1なんば、ゴーストシップ
2008年12月7日 アイドル日曜日の朝は落語三昧。
テレビで「扇町寄席」
袈裟御前/笑福亭鶴光
サゲは「今朝御膳」と言うわけだが、鶴光の演出なのか、ストーリーにぐいぐいひきこむような話ではなく、ちょっとでも退屈に感じた客を再度噺に引き付けるがごとき小咄が頻繁にはさまれる。バラエティっぽい。
ラジオで「なみはや亭」崇徳院/桂吉弥
「米朝よもやま噺」
夕方からはテレビ番組「らくごくら」で井戸の茶碗/柳家権太楼
権太楼が金語楼に見えてきた。
午後2時半からLABI1なんばで「FINAL SPIRITS 2008」
キッズダンスのコンテスト。
以下、チーム名。ヒアリングが不確かなので、間違いもあるかも。いや、絶対に間違っている!
アンダーキッズダンサー部門
1.candy
2.cheeky
3.cheer
4.J-BOX
5.Snap!
6.DYNASTY
7.チョコ☆ドル
アッパーキッズダンサー部門
8.チームロッカーズ
9.crash
10.force
11.HIP JAGGER
12.in tana
13.Pinkey☆s
14.TEAM RINa
15.zeanith
16.ジュニアファンクスターチームA
17.ダンシングベイビー
ミドルジュニアダンサー部門
18.グロウ
19.PIXIE
20.X.O.POWERS
21.ジュニアファンクスターチームB
以上、全21組。
以下、決勝戦(つまり、再度登場しダンスする2組のうちどちらかが優勝で、もう1つが準優勝)
アンダーキッズダンサー部門
Snap!
チョコ☆ドル
アッパーキッズダンサー部門
in tana
TEAM RINa
審査が長引いたが、入賞結果は次のとおり。
特別賞:ジュニアファンクスターチームB
特別賞:ダンシングベイビー
特別賞:candy
No1ミドルジュニアダンサー:X.O.POWERS
No1アッパーキッズダンサー:TEAM RINa
No1アンダーキッズダンサー:Snap!
いいなあ、と思ったチームが予想通りに受賞していた。
受賞したチームのいくつかは先日見に行ったアリオダンスプロジェクトでは予選落ちしていたチームで、キッズダンスの戦国時代ぶりがわかる。
ラストにアップルミントの「ないすゆにっつ」での映像が流れた。本来はゲストで出るはずが、発表会と重なって出演できなかったのだそうだ。
LABI1はキッズダンサーであふれかえっており、元気にはしゃぐ小学生低学年の女子たちのファッションは、僕の普段の格好とあまり変わらない。ファッションや小物の話題などでは話があうのかもしれない。
終了は午後5時半を過ぎており、あわてて帰宅し、NHK-FM「現代の音楽」
西村 朗
− いずみシンフォニエッタ大阪
第20回定期演奏会から −(1)
「シンフォニア“ドナウ”」 川島素晴・作曲
(13分35秒)
(管弦楽)いずみシンフォニエッタ大阪
(指揮)飯森 範親
「...幻想曲風に...作品27」 ジェルジ・クルターク作曲
(8分48秒)
(管弦楽)いずみシンフォニエッタ大阪
(指揮)飯森 範親
「ISON 1」 シュテファン・ニクレスク作曲
(10分21秒)
(管弦楽)いずみシンフォニエッタ大阪
(指揮)飯森 範親
〜大阪・いずみホールで収録〜
「シンフォニア“ドナウ”」はクラシックちゃんちゃかちゃん「水回りバージョン」だった。
ハンガリーのクルタークはかなり好きなのだが、この番組でしかまだ聞いたことがない。
ルーマニアのニクレスクは今年死去。「イソン」はギリシア語で持続音を意味している。
テレビで映画「ゴーストシップ」を見た。
スティーヴ・ベック監督。製作にロバート・ゼメキスの名前がある。
豪華客船で謎の大量殺人、幽霊船となった船には金のノベボーが満載されていた。
エイリアンよろしく女1人で船の悪意と立ち向かう。
少女の幽霊と、船の悪意と見えたのが実はメンバーに潜むサタンの使者。と、いうわけで、出だし、ワイヤーでダンスホールにいる人々がまるで『地獄風景』のように身体を斬られるシーンで大いに期待を持たせながら、B級以下の展開でまるでテレビムービーを見ているかのような印象しか得られなかった残念な作品。地上波テレビで見ていたせいなのか?お金だして劇場で見ていたらまた感想も違ったのかもしれないが、今日のところは、これはいかにも地上波テレビで見るにふさわしい映画だったと言わざるをえない。登場人物の誰にも感情移入ができなくて、誰が死んでもかまわない、というところと、この映画での唯一の救いになるはずだった少女の幽霊が、そんなに可愛くない、というところが弱点なのだ。
12月に入ってまったく日記を書いていなかったので、一気に書いた。
どうも文章を書く気になれなくて、それは今も続いているのだが、無理やり書いてみた。おかしな文章や、舌足らずな記述ばかりなのは、そういうわけだ。
と、言い訳をしてみた。
テレビで「扇町寄席」
袈裟御前/笑福亭鶴光
サゲは「今朝御膳」と言うわけだが、鶴光の演出なのか、ストーリーにぐいぐいひきこむような話ではなく、ちょっとでも退屈に感じた客を再度噺に引き付けるがごとき小咄が頻繁にはさまれる。バラエティっぽい。
ラジオで「なみはや亭」崇徳院/桂吉弥
「米朝よもやま噺」
夕方からはテレビ番組「らくごくら」で井戸の茶碗/柳家権太楼
権太楼が金語楼に見えてきた。
午後2時半からLABI1なんばで「FINAL SPIRITS 2008」
キッズダンスのコンテスト。
以下、チーム名。ヒアリングが不確かなので、間違いもあるかも。いや、絶対に間違っている!
アンダーキッズダンサー部門
1.candy
2.cheeky
3.cheer
4.J-BOX
5.Snap!
6.DYNASTY
7.チョコ☆ドル
アッパーキッズダンサー部門
8.チームロッカーズ
9.crash
10.force
11.HIP JAGGER
12.in tana
13.Pinkey☆s
14.TEAM RINa
15.zeanith
16.ジュニアファンクスターチームA
17.ダンシングベイビー
ミドルジュニアダンサー部門
18.グロウ
19.PIXIE
20.X.O.POWERS
21.ジュニアファンクスターチームB
以上、全21組。
以下、決勝戦(つまり、再度登場しダンスする2組のうちどちらかが優勝で、もう1つが準優勝)
アンダーキッズダンサー部門
Snap!
チョコ☆ドル
アッパーキッズダンサー部門
in tana
TEAM RINa
審査が長引いたが、入賞結果は次のとおり。
特別賞:ジュニアファンクスターチームB
特別賞:ダンシングベイビー
特別賞:candy
No1ミドルジュニアダンサー:X.O.POWERS
No1アッパーキッズダンサー:TEAM RINa
No1アンダーキッズダンサー:Snap!
いいなあ、と思ったチームが予想通りに受賞していた。
受賞したチームのいくつかは先日見に行ったアリオダンスプロジェクトでは予選落ちしていたチームで、キッズダンスの戦国時代ぶりがわかる。
ラストにアップルミントの「ないすゆにっつ」での映像が流れた。本来はゲストで出るはずが、発表会と重なって出演できなかったのだそうだ。
LABI1はキッズダンサーであふれかえっており、元気にはしゃぐ小学生低学年の女子たちのファッションは、僕の普段の格好とあまり変わらない。ファッションや小物の話題などでは話があうのかもしれない。
終了は午後5時半を過ぎており、あわてて帰宅し、NHK-FM「現代の音楽」
西村 朗
− いずみシンフォニエッタ大阪
第20回定期演奏会から −(1)
「シンフォニア“ドナウ”」 川島素晴・作曲
(13分35秒)
(管弦楽)いずみシンフォニエッタ大阪
(指揮)飯森 範親
「...幻想曲風に...作品27」 ジェルジ・クルターク作曲
(8分48秒)
(管弦楽)いずみシンフォニエッタ大阪
(指揮)飯森 範親
「ISON 1」 シュテファン・ニクレスク作曲
(10分21秒)
(管弦楽)いずみシンフォニエッタ大阪
(指揮)飯森 範親
〜大阪・いずみホールで収録〜
「シンフォニア“ドナウ”」はクラシックちゃんちゃかちゃん「水回りバージョン」だった。
ハンガリーのクルタークはかなり好きなのだが、この番組でしかまだ聞いたことがない。
ルーマニアのニクレスクは今年死去。「イソン」はギリシア語で持続音を意味している。
テレビで映画「ゴーストシップ」を見た。
スティーヴ・ベック監督。製作にロバート・ゼメキスの名前がある。
豪華客船で謎の大量殺人、幽霊船となった船には金のノベボーが満載されていた。
エイリアンよろしく女1人で船の悪意と立ち向かう。
少女の幽霊と、船の悪意と見えたのが実はメンバーに潜むサタンの使者。と、いうわけで、出だし、ワイヤーでダンスホールにいる人々がまるで『地獄風景』のように身体を斬られるシーンで大いに期待を持たせながら、B級以下の展開でまるでテレビムービーを見ているかのような印象しか得られなかった残念な作品。地上波テレビで見ていたせいなのか?お金だして劇場で見ていたらまた感想も違ったのかもしれないが、今日のところは、これはいかにも地上波テレビで見るにふさわしい映画だったと言わざるをえない。登場人物の誰にも感情移入ができなくて、誰が死んでもかまわない、というところと、この映画での唯一の救いになるはずだった少女の幽霊が、そんなに可愛くない、というところが弱点なのだ。
12月に入ってまったく日記を書いていなかったので、一気に書いた。
どうも文章を書く気になれなくて、それは今も続いているのだが、無理やり書いてみた。おかしな文章や、舌足らずな記述ばかりなのは、そういうわけだ。
と、言い訳をしてみた。
K-1テレビで見たが、なんじゃありゃ。
バダ・ハリのためにわざわざセッティングされた場がだいなしだ。と、いうか、これからはバダ・ハリで行こう、という意図がみえみえでちょっと萎えた。今回グランプリ決勝には出てきていないが、依然としてセーム・シュルト最強はゆるがないのではないか。
京都の思文閣美術館で「奇想の編集者 宮武外骨展」を見た。
1、「外骨」誕生
2、奇想の編集者ー『滑稽新聞』から『スコブル』まで
3、大正デモクラシーの時代と外骨
4、明治文化人としてー明治新聞雑誌文庫創設
と題し、全部で350点の出品がされていた。
朝の開館から1時間かけて駆け足で見たが、半日かけても楽しめそうだった。
同時開催中の「モナリザを描く」も駆け足で。
そう言えば、『滑稽新聞』が自殺号を出して廃刊してから今年でちょうど100年なのだそうだ。今は他殺がはやっているようだが。
岸和田カンカンベイサイドモールでSI☆NAのミニライブ。
午後1時からと午後4時から、内容は一緒。
1.Go girl〜恋のビクトリー
2.王子様と雪の夜
3.冬のオペラグラス(阿部)
4.嵐の中で輝いて(須磨)
5.なぜ?の嵐(また嵐か!中山)
6.うわさのセクシーガイ(岩嶋)
7.お願い魅惑のターゲット(須磨)
8.深呼吸して(阿部+中山)
9.エターナルウィンド(岩嶋)
10.檄!帝国華撃団
今回は新衣装で、色違いの上(阿部は黄色がなくて黒だったが、顔は黄色で、と言ってた)、それぞれ違う黒のスカート、各自別々のブーツ。ヘソ出し。阿部はおなかを見せることに抵抗ありそうだったが、中山はへその位置の高さを誇示していた。
今回も物販があり、写真ほしくてたまらなかったが、どうなんだろう。4人それぞれ個性があって、どの子をイチオシにするかいまだに決めかねている。皆かわいいのだが。阿部がなんだかとてもフェミニンな可愛さを見せていたのが意外だった。なぜだか、阿部には毎回新しい発見があって、とても同じ1人の人間とは思えないほどなのだ。須磨の実力、岩嶋の完成度、中山の急所突き、阿部の意外性。うむ。どれをとるか。
バダ・ハリのためにわざわざセッティングされた場がだいなしだ。と、いうか、これからはバダ・ハリで行こう、という意図がみえみえでちょっと萎えた。今回グランプリ決勝には出てきていないが、依然としてセーム・シュルト最強はゆるがないのではないか。
京都の思文閣美術館で「奇想の編集者 宮武外骨展」を見た。
1、「外骨」誕生
2、奇想の編集者ー『滑稽新聞』から『スコブル』まで
3、大正デモクラシーの時代と外骨
4、明治文化人としてー明治新聞雑誌文庫創設
と題し、全部で350点の出品がされていた。
朝の開館から1時間かけて駆け足で見たが、半日かけても楽しめそうだった。
同時開催中の「モナリザを描く」も駆け足で。
そう言えば、『滑稽新聞』が自殺号を出して廃刊してから今年でちょうど100年なのだそうだ。今は他殺がはやっているようだが。
岸和田カンカンベイサイドモールでSI☆NAのミニライブ。
午後1時からと午後4時から、内容は一緒。
1.Go girl〜恋のビクトリー
2.王子様と雪の夜
3.冬のオペラグラス(阿部)
4.嵐の中で輝いて(須磨)
5.なぜ?の嵐(また嵐か!中山)
6.うわさのセクシーガイ(岩嶋)
7.お願い魅惑のターゲット(須磨)
8.深呼吸して(阿部+中山)
9.エターナルウィンド(岩嶋)
10.檄!帝国華撃団
今回は新衣装で、色違いの上(阿部は黄色がなくて黒だったが、顔は黄色で、と言ってた)、それぞれ違う黒のスカート、各自別々のブーツ。ヘソ出し。阿部はおなかを見せることに抵抗ありそうだったが、中山はへその位置の高さを誇示していた。
今回も物販があり、写真ほしくてたまらなかったが、どうなんだろう。4人それぞれ個性があって、どの子をイチオシにするかいまだに決めかねている。皆かわいいのだが。阿部がなんだかとてもフェミニンな可愛さを見せていたのが意外だった。なぜだか、阿部には毎回新しい発見があって、とても同じ1人の人間とは思えないほどなのだ。須磨の実力、岩嶋の完成度、中山の急所突き、阿部の意外性。うむ。どれをとるか。
「フランキー、ブーチャンの殴り込み落下傘部隊」、「底抜け落下傘部隊」
2008年12月5日 映画将棋竜王戦第5局。
今度こそは、解説会に行くぞ、と思ったが、午後4時過ぎにネットで棋符を確認したら、なんと!もう終盤で、大勢は決しているではないか。よほどの大逆転でもないかぎり、終局は近い。天気が悪くて寒いことだし、外出は控えるか、と自分に言い訳しながら、ネットで観戦。
渡辺竜王が2連勝して盛りかえしてきた。これで、次回こそ大盤解説会に行こう、という目標もたったというものだ。
NHKで古典芸能の番組を放送していた。
第一部
藝盡一夜賑 箏曲「八重衣」
狂言「寝音曲」〜大蔵流〜
長唄「吉原雀」
第二部
歌舞伎“心中天網島・河庄”
上方歌舞伎に大蔵流狂言、と関西の芸能がとりあげられていたので、今後見に行くときの参考にもなった。狂言はもちろんだが、歌舞伎のほうも笑う箇所が多かった。
春原政久監督の「フランキー、ブーチャンの殴り込み落下傘部隊」を見た。1958年。
日本に帰国したが、員数外で寝食に困っていたフランキー堺と市村俊平。落下傘部隊に入る。
落下傘でおりるときに高圧線にひっかかって感電するブーチャン。その見舞いにきたフランキーが体に触れるとたちまち感電。
犬に追われて、犬の檻に逃げ込むフランキー。
車の荷台からおりるときに落下傘で着地するときのやりかたでおりる。
などなど、ベタベタなギャグが面白い。
だが、タイトルの「殴り込み」が示すように、この落下傘部隊は切り込み役で、非常に危険な任務をおわされているのだ。特攻と言ってしまってもいい。
1958年の作品なのに、まるで戦時中の映画みたいに、愛国心に富んでいるのがびっくりだった。ラストは爆撃でボロボロになりながら、敵陣に旗をたてている2人。
ノーマン・タウログ監督の「底抜け落下傘部隊」を見た。1952年。
フランキーの作品に比べて6年も前の映画なのに、こっちの方の新しいこと。
パラシュートの紐をハープにして奏でるギャグとか、パラシュートなしで落下してしまうギャグとか。ジェリー・ルイスの本領発揮。そんなに面白いわけでもないギャグが、ジェリー・ルイスがやると滅法面白くなる。
フランキーの作品と比べてみて、落下傘部隊の訓練の方法が似通っているのが面白かった。訓練にまつわるギャグは、やはり底抜けの方がなにかとスケールが大きい。
今度こそは、解説会に行くぞ、と思ったが、午後4時過ぎにネットで棋符を確認したら、なんと!もう終盤で、大勢は決しているではないか。よほどの大逆転でもないかぎり、終局は近い。天気が悪くて寒いことだし、外出は控えるか、と自分に言い訳しながら、ネットで観戦。
渡辺竜王が2連勝して盛りかえしてきた。これで、次回こそ大盤解説会に行こう、という目標もたったというものだ。
NHKで古典芸能の番組を放送していた。
第一部
藝盡一夜賑 箏曲「八重衣」
狂言「寝音曲」〜大蔵流〜
長唄「吉原雀」
第二部
歌舞伎“心中天網島・河庄”
上方歌舞伎に大蔵流狂言、と関西の芸能がとりあげられていたので、今後見に行くときの参考にもなった。狂言はもちろんだが、歌舞伎のほうも笑う箇所が多かった。
春原政久監督の「フランキー、ブーチャンの殴り込み落下傘部隊」を見た。1958年。
日本に帰国したが、員数外で寝食に困っていたフランキー堺と市村俊平。落下傘部隊に入る。
落下傘でおりるときに高圧線にひっかかって感電するブーチャン。その見舞いにきたフランキーが体に触れるとたちまち感電。
犬に追われて、犬の檻に逃げ込むフランキー。
車の荷台からおりるときに落下傘で着地するときのやりかたでおりる。
などなど、ベタベタなギャグが面白い。
だが、タイトルの「殴り込み」が示すように、この落下傘部隊は切り込み役で、非常に危険な任務をおわされているのだ。特攻と言ってしまってもいい。
1958年の作品なのに、まるで戦時中の映画みたいに、愛国心に富んでいるのがびっくりだった。ラストは爆撃でボロボロになりながら、敵陣に旗をたてている2人。
ノーマン・タウログ監督の「底抜け落下傘部隊」を見た。1952年。
フランキーの作品に比べて6年も前の映画なのに、こっちの方の新しいこと。
パラシュートの紐をハープにして奏でるギャグとか、パラシュートなしで落下してしまうギャグとか。ジェリー・ルイスの本領発揮。そんなに面白いわけでもないギャグが、ジェリー・ルイスがやると滅法面白くなる。
フランキーの作品と比べてみて、落下傘部隊の訓練の方法が似通っているのが面白かった。訓練にまつわるギャグは、やはり底抜けの方がなにかとスケールが大きい。
『不気味で素朴な囲われた世界』、「善良な兵士シュヴェイク」
2008年12月4日 読書西尾維新の『不気味で素朴な囲われた世界』を読んだ。
先日読んだ『きみとぼくの壊れた世界』のシリーズ、と言っても、登場人物はほとんど重なっていない。探偵役の苗字が「病院坂」なのが共通で、前作の探偵役の親戚、という設定。
時計塔で起こった殺人。
やはり、トリックは単純で、コナン以下。主眼はそこにないのだから、なんとも批判しようがないが、これは作者の逃げなのかもしれないな、と感じた。
前作では話題だけだった「操り」が本作では導入されている。
前作からの引用で説明すると、
「犯罪に手を染めた実行犯の背後に、彼らを操り、犯行を実行せしめた『真の』犯人がいた」と、いう真相のこと。
これも作者の悪意がガンガン感じられる。なぜなら、操りの部分は「そんなこと言い出したら、何でも言えるじゃないか」と、言いたくなるようなもので、唐突なこじつけとも、蛇足ともとれる内容だったからだ。多くのミステリで操りを導入しているが、それらを嘲笑うかのごとき内容なのだ。
なぜそんな殺人トリックを用いたのか、という説明も人をくっている。それを言い出したら、何でもできるじゃないか、という裏技。かつて高木彬光の長編推理小説で、犯人が明かされ、さて、その殺人の動機は何かという段になって、「犯人は実は殺人狂だったのです」で説明が終わっている作品があった。そのときのガッカリを思い出した。脳みその構造が違うことを根拠に持ち出して説明されるのは、最初から納得させるつもりがない態度だからだ。人間はそう簡単には殺しなどしない、というのがミステリの前提である。たとえば、つまさきを角にぶつけてムシャクシャしてたから人でも殺してスッキリしようとした、なんてことを殺人の動機にされたって、実際にはありえても、ミステリという人間の知性と理性に信頼をおく小説では説明になっていない。本作では、あくまでも本格推理に対するアンチを提示しているので、本格推理の構造を借りて、決して納得できるはずのない解決を示して、本格推理のファンを嘲笑っているのである。
それと、前作も本作も、将棋が作中で象徴的に使われているが、将棋ファンが見たら、首をかしげる場面がある。将棋を会話にからめるやり方があまりにも稚拙で、将棋好きなら絶対にしない間違いもしているのだ。作者は将棋の初心者なのかな、とも思ったが、将棋をちょっと知っている程度で小説に使うほど、作家というのは安易な職業ではないはずだ。作者は将棋を小説内にとりこみながら、その実、将棋のことを嫌い、憎みぬいているにちがいない。やはり、悪意に満ちている。
本格推理と将棋が好きな僕にとっては、大切なものをけなされているような作品なのだが、読んでいて面白いのは否定できないなあ。悪意に満ちている、ということは、本格推理なり将棋なりに対して、無知ではありえない立場だから、まだ自虐の楽しさが残されているのだ。
イジー・トルンカの「善良な兵士シュヴェイク」コニャックの巻、列車騒動の巻、堂々めぐりの巻を見た。
兵隊の動きは人形アニメにはもってこいで、人形アニメにする理由もよくわかる。
一番面白かったのは、方向音痴で道に迷ったシュヴェイクをスパイだと思い込んで厳しい訊問をする「堂々めぐりの巻」で、これは原作を読めばもっと楽しめそうだな、と感じた。中学生の頃から、何度も読むチャンスがあったのに、ぜんぜん読んでいない怠慢がツケとして今めぐってきた。
先日読んだ『きみとぼくの壊れた世界』のシリーズ、と言っても、登場人物はほとんど重なっていない。探偵役の苗字が「病院坂」なのが共通で、前作の探偵役の親戚、という設定。
時計塔で起こった殺人。
やはり、トリックは単純で、コナン以下。主眼はそこにないのだから、なんとも批判しようがないが、これは作者の逃げなのかもしれないな、と感じた。
前作では話題だけだった「操り」が本作では導入されている。
前作からの引用で説明すると、
「犯罪に手を染めた実行犯の背後に、彼らを操り、犯行を実行せしめた『真の』犯人がいた」と、いう真相のこと。
これも作者の悪意がガンガン感じられる。なぜなら、操りの部分は「そんなこと言い出したら、何でも言えるじゃないか」と、言いたくなるようなもので、唐突なこじつけとも、蛇足ともとれる内容だったからだ。多くのミステリで操りを導入しているが、それらを嘲笑うかのごとき内容なのだ。
なぜそんな殺人トリックを用いたのか、という説明も人をくっている。それを言い出したら、何でもできるじゃないか、という裏技。かつて高木彬光の長編推理小説で、犯人が明かされ、さて、その殺人の動機は何かという段になって、「犯人は実は殺人狂だったのです」で説明が終わっている作品があった。そのときのガッカリを思い出した。脳みその構造が違うことを根拠に持ち出して説明されるのは、最初から納得させるつもりがない態度だからだ。人間はそう簡単には殺しなどしない、というのがミステリの前提である。たとえば、つまさきを角にぶつけてムシャクシャしてたから人でも殺してスッキリしようとした、なんてことを殺人の動機にされたって、実際にはありえても、ミステリという人間の知性と理性に信頼をおく小説では説明になっていない。本作では、あくまでも本格推理に対するアンチを提示しているので、本格推理の構造を借りて、決して納得できるはずのない解決を示して、本格推理のファンを嘲笑っているのである。
それと、前作も本作も、将棋が作中で象徴的に使われているが、将棋ファンが見たら、首をかしげる場面がある。将棋を会話にからめるやり方があまりにも稚拙で、将棋好きなら絶対にしない間違いもしているのだ。作者は将棋の初心者なのかな、とも思ったが、将棋をちょっと知っている程度で小説に使うほど、作家というのは安易な職業ではないはずだ。作者は将棋を小説内にとりこみながら、その実、将棋のことを嫌い、憎みぬいているにちがいない。やはり、悪意に満ちている。
本格推理と将棋が好きな僕にとっては、大切なものをけなされているような作品なのだが、読んでいて面白いのは否定できないなあ。悪意に満ちている、ということは、本格推理なり将棋なりに対して、無知ではありえない立場だから、まだ自虐の楽しさが残されているのだ。
イジー・トルンカの「善良な兵士シュヴェイク」コニャックの巻、列車騒動の巻、堂々めぐりの巻を見た。
兵隊の動きは人形アニメにはもってこいで、人形アニメにする理由もよくわかる。
一番面白かったのは、方向音痴で道に迷ったシュヴェイクをスパイだと思い込んで厳しい訊問をする「堂々めぐりの巻」で、これは原作を読めばもっと楽しめそうだな、と感じた。中学生の頃から、何度も読むチャンスがあったのに、ぜんぜん読んでいない怠慢がツケとして今めぐってきた。
北村薫の『野球の国のアリス』を読んだ。
鏡を通って、向こうの世界に入ってしまったアリスが、少年野球に参加する。
向こうの世界では、優勝をめざすトーナメントでなく、負け続けることで次に進出して行く逆の大会が人気だった。エラーや珍プレイばかりに注目が行き、バラエティのようにとらえられているのだ。アリスはそんな弱っちいチームに加入し、強い野球チームと互角に戦えることを証明しようとする。「野球の試合」になるんだ、ということを証明したかったのだ。
アリスをもじった部分もあるけど、トリッキーではなく、ストレートな青春物語になっている。
鏡を通って、向こうの世界に入ってしまったアリスが、少年野球に参加する。
向こうの世界では、優勝をめざすトーナメントでなく、負け続けることで次に進出して行く逆の大会が人気だった。エラーや珍プレイばかりに注目が行き、バラエティのようにとらえられているのだ。アリスはそんな弱っちいチームに加入し、強い野球チームと互角に戦えることを証明しようとする。「野球の試合」になるんだ、ということを証明したかったのだ。
アリスをもじった部分もあるけど、トリッキーではなく、ストレートな青春物語になっている。
薔薇合戦、『きみとぼくの壊れた世界』、『烈剣五郎』
2008年12月2日 読書健康診断。80才くらいの老婆による採血がまさしく恐怖。採血のあと、いつまでも針を抜かずにグリグリするので失神するほど痛かった。1週間たっても内出血のあとは消えない。2度と堺筋本町のあそこでは健康診断を受けない。
成瀬巳喜男監督の「薔薇合戦」を見た。1950年
丹羽文雄原作。
化粧品会社を経営する姉と、2人の妹の話。
化粧品会社が百合化粧品とニゲラ化粧品、と両方が花の名前なのが面白い。それで薔薇合戦なのか。出演しているのが桂木洋子、ときわめて植物的。
ブロバリンを宣伝するアドバルーンがあがっていたりするのが時代を感じさせる。
映画に関する言及も多く、「マイルストン物語」の試写会デートとか、「好きは好きでもシジャン・マレーやシャルル・ボワイエが好きなのと同じ」と言ったり。
クライマックスで、今まで姉のいいなりになっていた妹がこんなことを言う。
「以前の私は姉さんの言い付けどおり、右を向けと言われたら1日中でも右を向いていました。でも今では、どうせ向くとしても自分というものをかわいそうと思うだけ欲がでてきた」
ふむふむ。これとほぼ同じ文句をどこかで聞いたことがあるのだが、思い出せなくて、もどかしい。
西尾維新の『きみとぼくの壊れた世界』加筆修正したというハードカバー版を読んだ。
兄と妹のニア近親相姦。級友殺人。
ミステリ部分で言えば、あまりにも作者が本格推理に興味がないことを露わにしすぎで、困った。殺人らしきものが起こるのだが、死因すらはっきり書いていないのである。また、誰でもが真っ先に考えるトリックがそのまんまトリックとして使われていて逆に驚いた。死んだとたんに、死者は彼らのステージからは退場させられてしまう。かつては死はメッセージであったり、抗議であったり、あてつけだったりすることが出来たが、彼らにとって死は退場でしかないのだ。
こんな文章がある。
世界は問題だらけで、しかも、僕らの周囲にある問題は、消えることも絶えることもないその問題は、いつだって、卑近で、わずらわしいものばかりだ。もっと高尚な問題で悩みたいと思っても、近いところには、卑近で身近な、最近の問題しかないのだった。家族のこと、友達のこと、恋愛のこと、友情のこと、学校のこと。なんて、狭い、世界だろう。そして、そんな狭い世界でも、僕の思いのままにはならない。そこは僕の世界のはずなのに、でもその世界でも、僕は全然神様なんかにはなれないのだ。
どう?
若い人たちは、こんなうだうだとした言い訳を読んで共感しているのかと思うと、情けなくなる。作者の狙いはそこにある。上に引用したような、作者が「ほら、ほら、ここですよ、ここ読まなくちゃ。試験に出ますよ」的注意の喚起で、読者に「きみとぼく」の「世界」の情けなさを提示してみせるのだ。
小沢さとるの『烈剣五郎』全4巻を読んだ。
「冒険王」昭和37年4月〜38年8月号
少年烈風隊の活躍を描く漫画。隊員は、
吹雪五郎(烈剣白吹雪)
草間一平
かげろう藤太
鳥さしの三次
つぶての小源太
かえで(源氏久郎の孫)
三吉
の面々。
話は三部にわかれている。
1部:大砲の図面争奪戦
2部:豊臣家の血筋をひく盲目剣士、烏丸信秀
3部:軍用金のありかを書いた絵図面争奪戦
第1部途中のあらすじをそのまんま引用すると、こんな具合。
吹雪五郎を隊長とする少年烈風隊の5人は、白覆面の忍者の一団「白柄組」のたすけがあって、少年烈風隊の敵、海坊主の源造一味を、やっつけることができた。
だが、味方と思った白柄組は、隊員草間一平の父のつくった大砲の図面をねらう、忍者の一団だったのだ。
江戸にいく少年烈風隊には、白柄組の者がつけていた。隊員の忍者藤太は、尾行者をつぎつぎとたおしていくのだが。
結局、1部では、落雷で絵図面もろとも敵が全滅して終わり。
2部はめくら剣士が死んでしまう。
3部はあっさりと終わり。
「日本の話芸」で藁人形/桂歌丸
江戸落語。鍋の中を見ちゃいけない、と釘をさされるシーンにはぞくっときた。釘はさせない、という噺なんだが。
成瀬巳喜男監督の「薔薇合戦」を見た。1950年
丹羽文雄原作。
化粧品会社を経営する姉と、2人の妹の話。
化粧品会社が百合化粧品とニゲラ化粧品、と両方が花の名前なのが面白い。それで薔薇合戦なのか。出演しているのが桂木洋子、ときわめて植物的。
ブロバリンを宣伝するアドバルーンがあがっていたりするのが時代を感じさせる。
映画に関する言及も多く、「マイルストン物語」の試写会デートとか、「好きは好きでもシジャン・マレーやシャルル・ボワイエが好きなのと同じ」と言ったり。
クライマックスで、今まで姉のいいなりになっていた妹がこんなことを言う。
「以前の私は姉さんの言い付けどおり、右を向けと言われたら1日中でも右を向いていました。でも今では、どうせ向くとしても自分というものをかわいそうと思うだけ欲がでてきた」
ふむふむ。これとほぼ同じ文句をどこかで聞いたことがあるのだが、思い出せなくて、もどかしい。
西尾維新の『きみとぼくの壊れた世界』加筆修正したというハードカバー版を読んだ。
兄と妹のニア近親相姦。級友殺人。
ミステリ部分で言えば、あまりにも作者が本格推理に興味がないことを露わにしすぎで、困った。殺人らしきものが起こるのだが、死因すらはっきり書いていないのである。また、誰でもが真っ先に考えるトリックがそのまんまトリックとして使われていて逆に驚いた。死んだとたんに、死者は彼らのステージからは退場させられてしまう。かつては死はメッセージであったり、抗議であったり、あてつけだったりすることが出来たが、彼らにとって死は退場でしかないのだ。
こんな文章がある。
世界は問題だらけで、しかも、僕らの周囲にある問題は、消えることも絶えることもないその問題は、いつだって、卑近で、わずらわしいものばかりだ。もっと高尚な問題で悩みたいと思っても、近いところには、卑近で身近な、最近の問題しかないのだった。家族のこと、友達のこと、恋愛のこと、友情のこと、学校のこと。なんて、狭い、世界だろう。そして、そんな狭い世界でも、僕の思いのままにはならない。そこは僕の世界のはずなのに、でもその世界でも、僕は全然神様なんかにはなれないのだ。
どう?
若い人たちは、こんなうだうだとした言い訳を読んで共感しているのかと思うと、情けなくなる。作者の狙いはそこにある。上に引用したような、作者が「ほら、ほら、ここですよ、ここ読まなくちゃ。試験に出ますよ」的注意の喚起で、読者に「きみとぼく」の「世界」の情けなさを提示してみせるのだ。
小沢さとるの『烈剣五郎』全4巻を読んだ。
「冒険王」昭和37年4月〜38年8月号
少年烈風隊の活躍を描く漫画。隊員は、
吹雪五郎(烈剣白吹雪)
草間一平
かげろう藤太
鳥さしの三次
つぶての小源太
かえで(源氏久郎の孫)
三吉
の面々。
話は三部にわかれている。
1部:大砲の図面争奪戦
2部:豊臣家の血筋をひく盲目剣士、烏丸信秀
3部:軍用金のありかを書いた絵図面争奪戦
第1部途中のあらすじをそのまんま引用すると、こんな具合。
吹雪五郎を隊長とする少年烈風隊の5人は、白覆面の忍者の一団「白柄組」のたすけがあって、少年烈風隊の敵、海坊主の源造一味を、やっつけることができた。
だが、味方と思った白柄組は、隊員草間一平の父のつくった大砲の図面をねらう、忍者の一団だったのだ。
江戸にいく少年烈風隊には、白柄組の者がつけていた。隊員の忍者藤太は、尾行者をつぎつぎとたおしていくのだが。
結局、1部では、落雷で絵図面もろとも敵が全滅して終わり。
2部はめくら剣士が死んでしまう。
3部はあっさりと終わり。
「日本の話芸」で藁人形/桂歌丸
江戸落語。鍋の中を見ちゃいけない、と釘をさされるシーンにはぞくっときた。釘はさせない、という噺なんだが。
映画の日。中原俊監督の「櫻の園」を見に行く。
前の映画とは別物。
女の子が大挙出演しているのが眼福。
まあ、ストーリーはなんだかんだ言って、女子校につきものの伝統が人間性を著しく損なっているな、というくらいの印象しか湧かなかった。学校込みで魅力を発揮する人間の個性って、なんて思うのだ。組織込み、所属する団体込みで評価される人間なんて、と思うわけだが、その「込み」の呪縛からはなかなか抜けだせない。「込み」にはそれだけの魅力があるのだ。脱却すべき目標であることには変わりないけど。
僕がいいな、と思ったのは、ロパーヒン役の寺島咲と、フィールス役の潘めぐみだった。なんだかんだ言って、古風な女子が好きなんじゃないか。つまり、伝統とか家族とか、そういった前時代的なしがらみで葛藤する少女が僕は好きなんだろう。常々、乙女の可愛さは乙女であることから脱却しようとしている葛藤の内にある、と思っているが、それが如実にあらわれた結果になった。
午後7時から上方亭に、こふんよ講談会あらため「大好きなえいがのおはなし」を見に行った。
「映画予告編講談」旭堂南陽(トロピックサンダーのさわり)
「映画を100倍(?)楽しむ講談」旭堂小二三(トロピックサンダーのカメオ出演について。マシュー・マコノヒーとかジョン・ボイトなど)
「濱口さんの新コーナー&今月のベスト3!」濱口秀二(タカラ・ヅカオのひとり芝居。その後のベスト3のコーナーでは、ひとり舞台)
「古典講談」旭堂南陽(直助の恩返し)
いつもは火曜日に開催されているので、見に行くことができなかった会だが、今回は月曜日に開催とあって、見に行くことができた。トロピックサンダー、面白そうだな、と思っただけでも来たかいがある。
雨宮処凛の『右翼と左翼はどうちがう?』を読んだ。
marini*monteanyの表紙。
以下、目次。
第1章 右翼と左翼と私
右翼と左翼の大きな違い
価値観を変えたオウム事件
ショックを受けた、テレビの中の悲惨な戦争
『ゴーマニズム宣言』との出会いから、右翼で活動を
居心地の悪い日本の右傾化
左翼になったの?と言われる理由
両方経験したから書けること
第2章 右翼って何?
世界はこんなに矛盾しているのに、無力な自分が耐えられない
戦争で死んだ人たちへの想い
敵はアメリカと資本主義
当時の気分でアジってみます
パンクバンドで右翼活動
「玄洋社」からはじまる右翼の歴史
アメリカが好きか、嫌いか
17歳のテロリスト
新右翼、誕生の息吹き
三島由紀夫、衝撃の切腹
空虚な時代の訪れ
第3章 左翼って何?
小説の中の左翼
リアル左翼への大きすぎた幻想
元赤軍派議長と北朝鮮へ
自由民権運動からはじまる社会運動
全国で盛り上がる安保への反対
ベトナム戦争を機に広がる運動
激しくなる全共闘運動
めざすは世界同時革命。赤軍の登場
自傷行為という名の仲間殺し
世間を驚かせた企業爆破事件
迷走する左翼
若者たちによる新しい動き
生きづらさの中で
第4章 両方の活動家に話を聞こう
(右翼)木村三浩さん(一水会代表)
(右翼)針谷大輔さん(統一戦線義勇軍議長)
(右翼)古澤俊一さん
(左翼)太田昌国さん(編集者・民族問題研究家)
(左翼)足立正生さん(映画監督)
(左翼)日野直近さん(仮名)
第5章 矛盾だらけの世の中で
正しいのはどっち?
やっぱり世界は矛盾に満ちている
知らないことの怖さ
声をあげる勇気を
著者も、インタビューにこたえる活動家たちも、ネット右翼に対しては違和感を表明している。僕が思うに、ネット右翼って実在しないんじゃないか。
雨宮処凛を知ったのは10年くらい前にみたドキュメンタリー映画「新しい神様」によってだった。そのときから、彼女は右翼っぽくないな、と感じていたが、この本を読んでみると、当時は右翼の真只中にあったようだ。でも、世の中に疑問を抱いたりする知性のあり方は右翼とはちょっと違うような気がしていたのだ。
最終章で雨宮処凛はこう書いている。
「ひと口に右翼、左翼と言ってもその考えはあまりにも幅広い。右翼や左翼に分類されず、自分の意見を言い合うことができる世界の方が、ずっと居心地がいいと思うのだ。だから私は、どちらにも分類されたくない。右翼、左翼というレッテルがついてしまった時点で、自分の考えもしばられる気がするからだ」
自分の立場を決めてしまうことで、考えや行動は単純化されて、動きやすく、考えやすくなるが、そのぶん、多くの事柄が見えなくなってしまうことにもなる。だからと言って、常にちゅうぶらりんで意見を持たない、というのもどうか、と思う。難しいところだ。君子豹変す、で行くべきなんだろうな。多くの考えに耳を傾けることがなによりも大切なのだ。
小沢さとるの『二つ伊賀』を読んだ。全2巻。
「まんが王」昭和38年9月号〜39年5月号まで連載された漫画。
伊賀忍者と甲賀忍者が七人ずつ選抜メンバーを出して闘う。
その闘いは木下藤吉郎によって仕組まれたもので、忍者どうし仲間割れさせて弱体化を狙ったものに、まんまと乗せられているのだ。
七人のメンバーは次のとおり。
伊賀
法因坊、五里、三里、七里、小兵太、伊賀七、伊賀八。
甲賀
八ツ風、七法師、鎌之助、猿の佐助、霧の才蔵、地蔵の土鬼、裏の五寸。
伊賀忍者の小兵太の使う忍法「紙千枚三色」と、甲賀忍者の八ツ風の忍法「白雪の舞」は伊賀の影丸の使いそうな忍法で、紙が舞うやら雪が舞うやら。しびれ薬は基本だ。
面白い忍法は、七法師の使う「ペケニョ」。ふところに隠したピラニアを水中戦で放して、相手に襲わせる。(結局、自分自身がピラニアの餌になってしまう最期を迎える)
忍術合戦の結末がどうなったのかというと、お互い何人も死んでしまったので、こんな闘いはむなしい、と今さらながらに気づいてやめてしまう。おいおい。
2巻の方には読みきりの短編が3つ収録されていた。
「甲賀しぐれ」『まんが王』昭和38年夏の増刊号。
忍術「甲賀しぐれ」は飼いならした鷹を使って上空から硫化水を撒く忍法。
「伊賀あらし」『冒険王』昭和39年正月増刊号。
天狗登場。
「忍者風丸」『別冊少年サンデー』昭和38年正月号。
服部半蔵が情けをかけて風丸の命を助ける。
衛星劇場で落語「餅屋問答」桂都んぼ
こんにゃく問答と同じネタ。よくこのネタ聞いているわりに、無言の行と解釈する前からの問答の内容を十全に理解できていないのが、片手落ちだった。今度聞いたときにはしっかり覚えておいて、内容を理解せねば。
前の映画とは別物。
女の子が大挙出演しているのが眼福。
まあ、ストーリーはなんだかんだ言って、女子校につきものの伝統が人間性を著しく損なっているな、というくらいの印象しか湧かなかった。学校込みで魅力を発揮する人間の個性って、なんて思うのだ。組織込み、所属する団体込みで評価される人間なんて、と思うわけだが、その「込み」の呪縛からはなかなか抜けだせない。「込み」にはそれだけの魅力があるのだ。脱却すべき目標であることには変わりないけど。
僕がいいな、と思ったのは、ロパーヒン役の寺島咲と、フィールス役の潘めぐみだった。なんだかんだ言って、古風な女子が好きなんじゃないか。つまり、伝統とか家族とか、そういった前時代的なしがらみで葛藤する少女が僕は好きなんだろう。常々、乙女の可愛さは乙女であることから脱却しようとしている葛藤の内にある、と思っているが、それが如実にあらわれた結果になった。
午後7時から上方亭に、こふんよ講談会あらため「大好きなえいがのおはなし」を見に行った。
「映画予告編講談」旭堂南陽(トロピックサンダーのさわり)
「映画を100倍(?)楽しむ講談」旭堂小二三(トロピックサンダーのカメオ出演について。マシュー・マコノヒーとかジョン・ボイトなど)
「濱口さんの新コーナー&今月のベスト3!」濱口秀二(タカラ・ヅカオのひとり芝居。その後のベスト3のコーナーでは、ひとり舞台)
「古典講談」旭堂南陽(直助の恩返し)
いつもは火曜日に開催されているので、見に行くことができなかった会だが、今回は月曜日に開催とあって、見に行くことができた。トロピックサンダー、面白そうだな、と思っただけでも来たかいがある。
雨宮処凛の『右翼と左翼はどうちがう?』を読んだ。
marini*monteanyの表紙。
以下、目次。
第1章 右翼と左翼と私
右翼と左翼の大きな違い
価値観を変えたオウム事件
ショックを受けた、テレビの中の悲惨な戦争
『ゴーマニズム宣言』との出会いから、右翼で活動を
居心地の悪い日本の右傾化
左翼になったの?と言われる理由
両方経験したから書けること
第2章 右翼って何?
世界はこんなに矛盾しているのに、無力な自分が耐えられない
戦争で死んだ人たちへの想い
敵はアメリカと資本主義
当時の気分でアジってみます
パンクバンドで右翼活動
「玄洋社」からはじまる右翼の歴史
アメリカが好きか、嫌いか
17歳のテロリスト
新右翼、誕生の息吹き
三島由紀夫、衝撃の切腹
空虚な時代の訪れ
第3章 左翼って何?
小説の中の左翼
リアル左翼への大きすぎた幻想
元赤軍派議長と北朝鮮へ
自由民権運動からはじまる社会運動
全国で盛り上がる安保への反対
ベトナム戦争を機に広がる運動
激しくなる全共闘運動
めざすは世界同時革命。赤軍の登場
自傷行為という名の仲間殺し
世間を驚かせた企業爆破事件
迷走する左翼
若者たちによる新しい動き
生きづらさの中で
第4章 両方の活動家に話を聞こう
(右翼)木村三浩さん(一水会代表)
(右翼)針谷大輔さん(統一戦線義勇軍議長)
(右翼)古澤俊一さん
(左翼)太田昌国さん(編集者・民族問題研究家)
(左翼)足立正生さん(映画監督)
(左翼)日野直近さん(仮名)
第5章 矛盾だらけの世の中で
正しいのはどっち?
やっぱり世界は矛盾に満ちている
知らないことの怖さ
声をあげる勇気を
著者も、インタビューにこたえる活動家たちも、ネット右翼に対しては違和感を表明している。僕が思うに、ネット右翼って実在しないんじゃないか。
雨宮処凛を知ったのは10年くらい前にみたドキュメンタリー映画「新しい神様」によってだった。そのときから、彼女は右翼っぽくないな、と感じていたが、この本を読んでみると、当時は右翼の真只中にあったようだ。でも、世の中に疑問を抱いたりする知性のあり方は右翼とはちょっと違うような気がしていたのだ。
最終章で雨宮処凛はこう書いている。
「ひと口に右翼、左翼と言ってもその考えはあまりにも幅広い。右翼や左翼に分類されず、自分の意見を言い合うことができる世界の方が、ずっと居心地がいいと思うのだ。だから私は、どちらにも分類されたくない。右翼、左翼というレッテルがついてしまった時点で、自分の考えもしばられる気がするからだ」
自分の立場を決めてしまうことで、考えや行動は単純化されて、動きやすく、考えやすくなるが、そのぶん、多くの事柄が見えなくなってしまうことにもなる。だからと言って、常にちゅうぶらりんで意見を持たない、というのもどうか、と思う。難しいところだ。君子豹変す、で行くべきなんだろうな。多くの考えに耳を傾けることがなによりも大切なのだ。
小沢さとるの『二つ伊賀』を読んだ。全2巻。
「まんが王」昭和38年9月号〜39年5月号まで連載された漫画。
伊賀忍者と甲賀忍者が七人ずつ選抜メンバーを出して闘う。
その闘いは木下藤吉郎によって仕組まれたもので、忍者どうし仲間割れさせて弱体化を狙ったものに、まんまと乗せられているのだ。
七人のメンバーは次のとおり。
伊賀
法因坊、五里、三里、七里、小兵太、伊賀七、伊賀八。
甲賀
八ツ風、七法師、鎌之助、猿の佐助、霧の才蔵、地蔵の土鬼、裏の五寸。
伊賀忍者の小兵太の使う忍法「紙千枚三色」と、甲賀忍者の八ツ風の忍法「白雪の舞」は伊賀の影丸の使いそうな忍法で、紙が舞うやら雪が舞うやら。しびれ薬は基本だ。
面白い忍法は、七法師の使う「ペケニョ」。ふところに隠したピラニアを水中戦で放して、相手に襲わせる。(結局、自分自身がピラニアの餌になってしまう最期を迎える)
忍術合戦の結末がどうなったのかというと、お互い何人も死んでしまったので、こんな闘いはむなしい、と今さらながらに気づいてやめてしまう。おいおい。
2巻の方には読みきりの短編が3つ収録されていた。
「甲賀しぐれ」『まんが王』昭和38年夏の増刊号。
忍術「甲賀しぐれ」は飼いならした鷹を使って上空から硫化水を撒く忍法。
「伊賀あらし」『冒険王』昭和39年正月増刊号。
天狗登場。
「忍者風丸」『別冊少年サンデー』昭和38年正月号。
服部半蔵が情けをかけて風丸の命を助ける。
衛星劇場で落語「餅屋問答」桂都んぼ
こんにゃく問答と同じネタ。よくこのネタ聞いているわりに、無言の行と解釈する前からの問答の内容を十全に理解できていないのが、片手落ちだった。今度聞いたときにはしっかり覚えておいて、内容を理解せねば。
リゾナントLIVE@梅田芸術劇場
2008年11月30日 アイドル午前8時半からラジオ「なみはや亭」で笑福亭鶴光の「掛川の宿」
これ、テレビでかかってた分だな。小咄その1、とか今でもやってくれればいいのに。実際、小咄をいくつかしてからネタに入ったし。
9時から「米朝よもやま噺」
浪曲の話が続いており、俄然、浪曲に対する興味が湧いてきた。
こういうのを見に行くと、お客さんがほとんど老人ばかりで「ありゃ?」と思うことが多い。落語だって最近若い人のあいだでもブームだとは言え、まだまだ老人の割合が多い。老人に独占させておいていいのか?ヒップホップよりも講談とか浪曲の方がいいぞ。
午後2時30分から梅田芸術劇場で、モーニング娘。「リゾナントLIVE」
オープニングアクトとして、マノエリが1曲弾き語り。
昨日お好み焼きを食べに行ったとき、隣に坐ったリンリンが、マノエリの手の上に坐ったと思い込んでしきりに謝ったエピソード。リンリンは自分のバッグの上に腰掛けていたのであった。
ラッキーオーラ/真野恵里菜
歌い終わり、挨拶して引っ込んだあと、まもなく、ライブ開始。
以下、わかる範囲でセットリスト。道重中心のメモも。道重は頭に花が咲き誇っていたのでわかりやすかった。2階席最前列でステージに近く、顔の表情までちゃんと見えたし。今回は天井からのカメラもあったが、あまり意味はなかったような。
1.その場面でビビっちゃいけないじゃん!(黄色衣装。リゾナントブルーのカップリング曲)
2.みかん
MC(自己紹介。青色衣装)
3.ペッパー警部(ラビバナナ級に素晴らしい!ラストの「ペッパー警部よ」はせつない表情の道重で)
オープニング映像
4.TOP!(パープルラメにグリーンの衣装。亀井のソロダンスがセクシー)
5.YAH!愛したい!(「リリパット王国」テーマ曲)
MC(道重が新垣のネイルアートをほめたエピソード。新垣はそのとき、爪を折ってしまっていたのだ。新垣に「適当がなおってない」と突っ込まれ、しゃがんだり、髪の毛かき回したりモジモジする道重の可愛さは、神の域に達した)
6.インスピレーション!(恋愛レボリューション21カップリング曲)
7.Ambitious!野心的でいいじゃん
8.パープルウインド / 高橋、新垣、久住、光井、ジュンジュン、リンリン
9.レモン色とミルクティー/ 道重、亀井、田中(れいながメインボーカル。ニッカボッカ)
MC道重、亀井、田中(田中が「大阪で有名な人形は何でしょう」とクイズ。「くいだおれ人形」「ですが、その名前は何でしょう」と進行するはずが、亀井も道重も「くいだおれ人形」すらなかなか出てこない。「くいだおれ、ともだおれ」「くいだおれ中村」など本気でわからない道重。あげくのはてには手塚治虫に似ているとか言い出す。似てるけど)
10.タンタンターン / 久住(ミルキーウェイあとの2人は映像のみ)
11.私の魅力に気付かない鈍感な人 / 光井(熊のような可愛さ!)
12.グルグルJUMP / 久住、ジュンジュン、リンリン
13.INDIGO BLUE LOVE / 新垣
14.Take off is now / 高橋、新垣、田中(ガキさん引っ込んだかと思ったら早変わり!)
MC 久住、光井、ジュンジュン、リンリン(自己紹介時のキャッチフレーズで、久住とジュンジュンが対抗。「中国が生んだ美少女」「新潟が生んだミラクル米」「中国5千年が生んだ美少女」「新潟が生んだミラクルレボリューション」ほとんど口げんかのやりとりは、もう、どうにも止まらない)
15.どうにもとまらない
16.恋のダイヤル6700(「ハローダーリン」「ハロー」は道重)
MC 高橋、新垣(ガキさんがリーダーほめまくり。愛ちゃんカラーでメンバー全員がのびのびと好き勝手してるとか)
17.そうだ!We’re ALIVE(クライマックスの「いくつになっても」は道重)
18.女に幸あれ(SI☆NAの「女に幸あれ」に感動していた僕だが、本家のパフォーマンスを見て、あまりの凄さにひっくりかえった。これからもSI☆NAのよき目標であってくれ!)
19.浪漫
20.ここにいるぜぇ!(道重のおなかアップ!、プルルルルルは道重)
MC
21.リゾナントブルー
以下、アンコール
22.雨の降らない星では愛せないだろう(青コート、白入り)
MC(ラストの挨拶。道重は、みんなの笑顔を見て安心したと言った。そして、最後には「あなただけの道重さゆみでした!」ええっ、なんだって!僕だけの道重!?!ホンマかー!)
23.青空がいつまでも続くような未来であれ!(上は青、ミニスカートはギラギラレインボー)
と、いうわけで、約2時間のライブ終了。
大満足である。
あらためてモーニング娘。が美少女ぞろいであることも思い知らされたし、歌もダンスもレベルの高いこと高いこと。本物は違う!との思いを強くした。
何曲か歌い踊った直後のトークでも誰ひとりとして息を切らしていない。途中で水分補給などもしない。
プロである。
また、客も当然のことながら、mixやオタ芸を打たない。暴れない。きっと同じ人が場所によって楽しみ方を変えているのだろうが、この違いは何に起因するのか。
帰宅して、NHK-FMで「現代の音楽」
− 作曲・この半世紀の潮流〜ハリソンの音楽 −
「スレンドロ協奏曲」 ルー・ハリソン作曲
(10分06秒)
(バイオリン)マリア・バックマン
(演奏)カリフォルニア・シンフォニーのメンバー
(指揮)バリー・ジェコフスキー
<argo POCL−8017>
「ピアノ協奏曲」 ルー・ハリソン作曲
(32分44秒)
(ピアノ)キース・ジャレット
(管弦楽)新日本フィルハーモニー交響楽団
(指揮)大友 直人
<NEW WORLD NW366−2>
今日のはなんだかイージーリスニングっぽくて好みにあわなかったな。
既存のものに頼ってる感じ。
録画しておいた将棋の日のイベント番組を見る。
外国人棋士と女流棋士のペアで将棋、羽生VS佐藤の次の一手名人戦。
山形の天童市で開催されたイベントだが、楽しそうだったな。
行けたら行きたかったな。
これ、テレビでかかってた分だな。小咄その1、とか今でもやってくれればいいのに。実際、小咄をいくつかしてからネタに入ったし。
9時から「米朝よもやま噺」
浪曲の話が続いており、俄然、浪曲に対する興味が湧いてきた。
こういうのを見に行くと、お客さんがほとんど老人ばかりで「ありゃ?」と思うことが多い。落語だって最近若い人のあいだでもブームだとは言え、まだまだ老人の割合が多い。老人に独占させておいていいのか?ヒップホップよりも講談とか浪曲の方がいいぞ。
午後2時30分から梅田芸術劇場で、モーニング娘。「リゾナントLIVE」
オープニングアクトとして、マノエリが1曲弾き語り。
昨日お好み焼きを食べに行ったとき、隣に坐ったリンリンが、マノエリの手の上に坐ったと思い込んでしきりに謝ったエピソード。リンリンは自分のバッグの上に腰掛けていたのであった。
ラッキーオーラ/真野恵里菜
歌い終わり、挨拶して引っ込んだあと、まもなく、ライブ開始。
以下、わかる範囲でセットリスト。道重中心のメモも。道重は頭に花が咲き誇っていたのでわかりやすかった。2階席最前列でステージに近く、顔の表情までちゃんと見えたし。今回は天井からのカメラもあったが、あまり意味はなかったような。
1.その場面でビビっちゃいけないじゃん!(黄色衣装。リゾナントブルーのカップリング曲)
2.みかん
MC(自己紹介。青色衣装)
3.ペッパー警部(ラビバナナ級に素晴らしい!ラストの「ペッパー警部よ」はせつない表情の道重で)
オープニング映像
4.TOP!(パープルラメにグリーンの衣装。亀井のソロダンスがセクシー)
5.YAH!愛したい!(「リリパット王国」テーマ曲)
MC(道重が新垣のネイルアートをほめたエピソード。新垣はそのとき、爪を折ってしまっていたのだ。新垣に「適当がなおってない」と突っ込まれ、しゃがんだり、髪の毛かき回したりモジモジする道重の可愛さは、神の域に達した)
6.インスピレーション!(恋愛レボリューション21カップリング曲)
7.Ambitious!野心的でいいじゃん
8.パープルウインド / 高橋、新垣、久住、光井、ジュンジュン、リンリン
9.レモン色とミルクティー/ 道重、亀井、田中(れいながメインボーカル。ニッカボッカ)
MC道重、亀井、田中(田中が「大阪で有名な人形は何でしょう」とクイズ。「くいだおれ人形」「ですが、その名前は何でしょう」と進行するはずが、亀井も道重も「くいだおれ人形」すらなかなか出てこない。「くいだおれ、ともだおれ」「くいだおれ中村」など本気でわからない道重。あげくのはてには手塚治虫に似ているとか言い出す。似てるけど)
10.タンタンターン / 久住(ミルキーウェイあとの2人は映像のみ)
11.私の魅力に気付かない鈍感な人 / 光井(熊のような可愛さ!)
12.グルグルJUMP / 久住、ジュンジュン、リンリン
13.INDIGO BLUE LOVE / 新垣
14.Take off is now / 高橋、新垣、田中(ガキさん引っ込んだかと思ったら早変わり!)
MC 久住、光井、ジュンジュン、リンリン(自己紹介時のキャッチフレーズで、久住とジュンジュンが対抗。「中国が生んだ美少女」「新潟が生んだミラクル米」「中国5千年が生んだ美少女」「新潟が生んだミラクルレボリューション」ほとんど口げんかのやりとりは、もう、どうにも止まらない)
15.どうにもとまらない
16.恋のダイヤル6700(「ハローダーリン」「ハロー」は道重)
MC 高橋、新垣(ガキさんがリーダーほめまくり。愛ちゃんカラーでメンバー全員がのびのびと好き勝手してるとか)
17.そうだ!We’re ALIVE(クライマックスの「いくつになっても」は道重)
18.女に幸あれ(SI☆NAの「女に幸あれ」に感動していた僕だが、本家のパフォーマンスを見て、あまりの凄さにひっくりかえった。これからもSI☆NAのよき目標であってくれ!)
19.浪漫
20.ここにいるぜぇ!(道重のおなかアップ!、プルルルルルは道重)
MC
21.リゾナントブルー
以下、アンコール
22.雨の降らない星では愛せないだろう(青コート、白入り)
MC(ラストの挨拶。道重は、みんなの笑顔を見て安心したと言った。そして、最後には「あなただけの道重さゆみでした!」ええっ、なんだって!僕だけの道重!?!ホンマかー!)
23.青空がいつまでも続くような未来であれ!(上は青、ミニスカートはギラギラレインボー)
と、いうわけで、約2時間のライブ終了。
大満足である。
あらためてモーニング娘。が美少女ぞろいであることも思い知らされたし、歌もダンスもレベルの高いこと高いこと。本物は違う!との思いを強くした。
何曲か歌い踊った直後のトークでも誰ひとりとして息を切らしていない。途中で水分補給などもしない。
プロである。
また、客も当然のことながら、mixやオタ芸を打たない。暴れない。きっと同じ人が場所によって楽しみ方を変えているのだろうが、この違いは何に起因するのか。
帰宅して、NHK-FMで「現代の音楽」
− 作曲・この半世紀の潮流〜ハリソンの音楽 −
「スレンドロ協奏曲」 ルー・ハリソン作曲
(10分06秒)
(バイオリン)マリア・バックマン
(演奏)カリフォルニア・シンフォニーのメンバー
(指揮)バリー・ジェコフスキー
<argo POCL−8017>
「ピアノ協奏曲」 ルー・ハリソン作曲
(32分44秒)
(ピアノ)キース・ジャレット
(管弦楽)新日本フィルハーモニー交響楽団
(指揮)大友 直人
<NEW WORLD NW366−2>
今日のはなんだかイージーリスニングっぽくて好みにあわなかったな。
既存のものに頼ってる感じ。
録画しておいた将棋の日のイベント番組を見る。
外国人棋士と女流棋士のペアで将棋、羽生VS佐藤の次の一手名人戦。
山形の天童市で開催されたイベントだが、楽しそうだったな。
行けたら行きたかったな。
PONBASHI DAYS Vol.13@ディスクピア日本橋〜上方亭講談ライブ〜Saori@destiny@ディスクピア日本橋、スティル・クレイジー、ソウ2、シティ・オブ・ゴッド、「め〜てるの気持ち」
2008年11月29日 読書午後1時からディスクピア日本橋でPONBASHI DAYS Vol.13。
宝城里音
1.MIRAI
2.愛の奇跡
りおん公爵、もっと痛々しいキャラかと思ってたけど、えらくまっとうだった。
M/W
1.ひとさしゆびロマンス
2.ミッドナイトワンダーランド
3.落書き帖
4.最強ヒロイン瞬殺スマイル
「らんらんムー」ってのがいつ見ても面白いな。
MaryDoll
1.渚のシンドバッド
2.tell me
3.baby star
4.ハニーチューン
白の衣装バッチリ。
アイドルは衣装が半分だから、カジュアルな格好だと興趣が殺がれること夥しいのである。
午後2時30分から上方亭で講談。
山内一豊と千代/旭堂南海
妻・千代が手鏡の中に隠しておいた十両で名馬を購入、夫・一豊は流鏑馬の腕前で織田信長に認められる、というお馴染みのエピソード。馬の「あお」が大阪弁でしゃべるのも愉快。
かつては「見てきたような嘘」で本当と嘘の割合が4:6だったのが、歴史の研究が一般にも普及し、師匠の南陵から「史実に忠実に」と言われ、6:4の割合で本当のことを言うようになった、とか。
情け相撲/旭堂南鱗
横綱・谷風の物語。今なら八百長相撲だと騒がれるような内容だが、昔の人は見るところ、感じるところが違っていたんだなあ、と思わせる。僕は横綱審議会とか、八百長を弾劾する立場には、非常に違和感を覚えており、こういう講談の世界での感じ方に近い。ギャーギャーわめきたてる人を見ると、この人たちは本当に相撲が好きなんだろうか、と疑ってしまう。なお、マクラは横綱輪島の伝説について。(ガッツ伝説みたいなもの)
ワッハ上方ライブラリーで桂枝雀のDVD見る。
舟弁慶
かぜうどん
たまに見ると、その面白さに唖然とする。
このときの枝雀を越える落語家が今、いるのかと言われると、首をひねってしまうわけだ。
午後5時30分からディスクピア日本橋でSaori@destinyのインストアライブ。
アルバム「JAPANESE CHAOS」から。10曲入りのアルバムの半分を聞いたことになる。
セットリストはちょっとわからなかったが、こんな感じだったか
シャングリラ、パーフェクトワンダーガール、sakura、ヒカリシンドローム、あと1曲くらい。
エレクトロポップはボーカルの声を変えているため、多くが口パクになる。ならば、歌は本人が歌っていなくても成立するんじゃないか、と思われる。表舞台に立つ人間はステージや雑誌のインタビューなどをこなし、歌担当の人間はえんえんとレコーディングすることも可能なのだ。こういう2人1役って、実際にありそうだ。最近読んだ『キャラクターズ』みたい。
夜からいくつか見に行きたいイベントもあったが、ちょっと節約。
テレビで映画「スティルクレイジー」ブライアン・ギブソン監督。1998年
70年代ロックバンドの再結成ストーリー。70年代ロックが好きな僕にはツボ。
パンクファッションの観客から嘲笑されるグラムなステージが面白い。こういうのは笑おうと思えば笑えるし、すごいと賞賛しようと思えば賞賛できる。きわめて恣意的なものなのだ。
無茶してた全盛時にくらべ、年をとり、時代もかわって、健康志向になり、また、保守的になっていたメンバーたち。そんな彼らにハッパをかける言葉が、タイトルになっている「今でもハジケてるか?」だ。
ボーカルが50才の誕生日を祝うケーキを壁に投げ付けるシーンには考えさせられた。年老いることに苛ついているのだが、実年齢など早く60にでも70にでもなって、想像上の老人を裏切ればいいのに、と僕なら思うな。もうすぐ50才の誕生日を迎える僕は、早く来い来い誕生日、なのだ。
「ソウ2」ダーレン・リン・バウズマン監督。2005年
死を前にしたジグソウが生を粗末に生きている輩に生命の尊さを教えるために死のゲームをしかける「ソウ」。こういう設定は、あってもなくてもいいようなもので、真面目にこの設定を考えると、余計なお世話でしかなく、殺人ゲームの仕掛人が単なるおせっかい野郎に堕してしまう。と、思いつつも、やっぱりジグソウのやってることには違和感ばかりが先立つ。そんな「ソウ」シリーズの第2弾。面白くてグイグイ引き込まれた。
このシリーズの面白さは後ろで糸をひいているのは誰なのか、ということだ。それはジグソウだ、と答えは最初から出ているようなものだが、彼がどこにいるのか、というのが第1弾の眼目で、この第2弾でも、ジグソウの後継者が実は潜んでいた、という真相が明かされる。と、いうことはミステリーで言う「フーダニット」になるわけだが、もちろん、そういう目で見ると、あまりにも穴が多過ぎて、話にならない。単なる謎を解くための殺しあいのゲームだと思ってたら、こいつが犯人だったのか、という意外性がすべてだ。ホラーだと思ってたら、推理小説的結末が用意されていた、という。これが第3弾、第4弾になると、見る方もこの中に映像に示された以外の行動をとっている人間がいるはずだ、という先入観をもって見ることになる。近いうちに「ソウ3」も見る予定だが、そうした期待を上回ることができるかどうかが今から楽しみだ。
「ソウ2」に関して言えば、あまりにも死んでもかまわない登場人物ばかりで、恐怖感が味わえなかった。助かってほしい人物が存在しない。謎を解いて脱出するゲームのはずなのに、みんなバカすぎるのだ。おまけに、謎解きも不十分だ。次の作品で積み残された謎が解明される、ってのが僕の一番嫌いなタイプなのだ。どうせ自分で作った謎を自分で解ききれなかっただけなのだろう、と思ってしまう。
「シティ・オブ・ゴッド」フェルナンド・メイレレス監督。2002年、ブラジル映画。
金と暴力が支配する町。1960年代からのスラムの年代記。
町を牛耳るのが若者と子供だ、というのが悲しい。教育をきちんと受けていなくて文盲が多く、考え方の幼稚さと言ったらない。そんな人間たちばかりだからこそ、金と暴力が蔓延するのだ。
視点のさだまらないカメラに、すぐに命のやりとりをして、コロコロと登場人物が入れ替わる過激さが反映する。
なんとこれが事実に基づいた話だと言うから驚きだ。
金と暴力と薬と煙草と酒。子供と大人の差は、これをおおっぴらにするか隠れてするか、という程の違いなんだろう。
強烈な映画で、これは見てよかった!
奥浩哉の『め〜てるの気持ち』を読んだ。全3巻。
ひきこもりの男が若い義母とセックスして立ち直る物語で、このあらすじだけではまったくの幻想ファンタジーである。こんなバカな話があってたまるか、と思う。義母とセックスするときだけ、情けないひきこもり男がキリッとした好男子になるとか、完全にギャグ漫画なんじゃないだろうか。今夏のコミケで販売された同人誌『ソシオクリティーク/ナツカレ!2008』の記事「ひきこもり作品メッタ斬り!」で斎藤環が「ホントにやったら2度と立ち直れそうにない仕打ち(笑)」とか「はるかアフターケアなさすぎ」と一応発言しているが、それほど辛口では批評していない。やっぱりギャグ漫画だったのか。
宝城里音
1.MIRAI
2.愛の奇跡
りおん公爵、もっと痛々しいキャラかと思ってたけど、えらくまっとうだった。
M/W
1.ひとさしゆびロマンス
2.ミッドナイトワンダーランド
3.落書き帖
4.最強ヒロイン瞬殺スマイル
「らんらんムー」ってのがいつ見ても面白いな。
MaryDoll
1.渚のシンドバッド
2.tell me
3.baby star
4.ハニーチューン
白の衣装バッチリ。
アイドルは衣装が半分だから、カジュアルな格好だと興趣が殺がれること夥しいのである。
午後2時30分から上方亭で講談。
山内一豊と千代/旭堂南海
妻・千代が手鏡の中に隠しておいた十両で名馬を購入、夫・一豊は流鏑馬の腕前で織田信長に認められる、というお馴染みのエピソード。馬の「あお」が大阪弁でしゃべるのも愉快。
かつては「見てきたような嘘」で本当と嘘の割合が4:6だったのが、歴史の研究が一般にも普及し、師匠の南陵から「史実に忠実に」と言われ、6:4の割合で本当のことを言うようになった、とか。
情け相撲/旭堂南鱗
横綱・谷風の物語。今なら八百長相撲だと騒がれるような内容だが、昔の人は見るところ、感じるところが違っていたんだなあ、と思わせる。僕は横綱審議会とか、八百長を弾劾する立場には、非常に違和感を覚えており、こういう講談の世界での感じ方に近い。ギャーギャーわめきたてる人を見ると、この人たちは本当に相撲が好きなんだろうか、と疑ってしまう。なお、マクラは横綱輪島の伝説について。(ガッツ伝説みたいなもの)
ワッハ上方ライブラリーで桂枝雀のDVD見る。
舟弁慶
かぜうどん
たまに見ると、その面白さに唖然とする。
このときの枝雀を越える落語家が今、いるのかと言われると、首をひねってしまうわけだ。
午後5時30分からディスクピア日本橋でSaori@destinyのインストアライブ。
アルバム「JAPANESE CHAOS」から。10曲入りのアルバムの半分を聞いたことになる。
セットリストはちょっとわからなかったが、こんな感じだったか
シャングリラ、パーフェクトワンダーガール、sakura、ヒカリシンドローム、あと1曲くらい。
エレクトロポップはボーカルの声を変えているため、多くが口パクになる。ならば、歌は本人が歌っていなくても成立するんじゃないか、と思われる。表舞台に立つ人間はステージや雑誌のインタビューなどをこなし、歌担当の人間はえんえんとレコーディングすることも可能なのだ。こういう2人1役って、実際にありそうだ。最近読んだ『キャラクターズ』みたい。
夜からいくつか見に行きたいイベントもあったが、ちょっと節約。
テレビで映画「スティルクレイジー」ブライアン・ギブソン監督。1998年
70年代ロックバンドの再結成ストーリー。70年代ロックが好きな僕にはツボ。
パンクファッションの観客から嘲笑されるグラムなステージが面白い。こういうのは笑おうと思えば笑えるし、すごいと賞賛しようと思えば賞賛できる。きわめて恣意的なものなのだ。
無茶してた全盛時にくらべ、年をとり、時代もかわって、健康志向になり、また、保守的になっていたメンバーたち。そんな彼らにハッパをかける言葉が、タイトルになっている「今でもハジケてるか?」だ。
ボーカルが50才の誕生日を祝うケーキを壁に投げ付けるシーンには考えさせられた。年老いることに苛ついているのだが、実年齢など早く60にでも70にでもなって、想像上の老人を裏切ればいいのに、と僕なら思うな。もうすぐ50才の誕生日を迎える僕は、早く来い来い誕生日、なのだ。
「ソウ2」ダーレン・リン・バウズマン監督。2005年
死を前にしたジグソウが生を粗末に生きている輩に生命の尊さを教えるために死のゲームをしかける「ソウ」。こういう設定は、あってもなくてもいいようなもので、真面目にこの設定を考えると、余計なお世話でしかなく、殺人ゲームの仕掛人が単なるおせっかい野郎に堕してしまう。と、思いつつも、やっぱりジグソウのやってることには違和感ばかりが先立つ。そんな「ソウ」シリーズの第2弾。面白くてグイグイ引き込まれた。
このシリーズの面白さは後ろで糸をひいているのは誰なのか、ということだ。それはジグソウだ、と答えは最初から出ているようなものだが、彼がどこにいるのか、というのが第1弾の眼目で、この第2弾でも、ジグソウの後継者が実は潜んでいた、という真相が明かされる。と、いうことはミステリーで言う「フーダニット」になるわけだが、もちろん、そういう目で見ると、あまりにも穴が多過ぎて、話にならない。単なる謎を解くための殺しあいのゲームだと思ってたら、こいつが犯人だったのか、という意外性がすべてだ。ホラーだと思ってたら、推理小説的結末が用意されていた、という。これが第3弾、第4弾になると、見る方もこの中に映像に示された以外の行動をとっている人間がいるはずだ、という先入観をもって見ることになる。近いうちに「ソウ3」も見る予定だが、そうした期待を上回ることができるかどうかが今から楽しみだ。
「ソウ2」に関して言えば、あまりにも死んでもかまわない登場人物ばかりで、恐怖感が味わえなかった。助かってほしい人物が存在しない。謎を解いて脱出するゲームのはずなのに、みんなバカすぎるのだ。おまけに、謎解きも不十分だ。次の作品で積み残された謎が解明される、ってのが僕の一番嫌いなタイプなのだ。どうせ自分で作った謎を自分で解ききれなかっただけなのだろう、と思ってしまう。
「シティ・オブ・ゴッド」フェルナンド・メイレレス監督。2002年、ブラジル映画。
金と暴力が支配する町。1960年代からのスラムの年代記。
町を牛耳るのが若者と子供だ、というのが悲しい。教育をきちんと受けていなくて文盲が多く、考え方の幼稚さと言ったらない。そんな人間たちばかりだからこそ、金と暴力が蔓延するのだ。
視点のさだまらないカメラに、すぐに命のやりとりをして、コロコロと登場人物が入れ替わる過激さが反映する。
なんとこれが事実に基づいた話だと言うから驚きだ。
金と暴力と薬と煙草と酒。子供と大人の差は、これをおおっぴらにするか隠れてするか、という程の違いなんだろう。
強烈な映画で、これは見てよかった!
奥浩哉の『め〜てるの気持ち』を読んだ。全3巻。
ひきこもりの男が若い義母とセックスして立ち直る物語で、このあらすじだけではまったくの幻想ファンタジーである。こんなバカな話があってたまるか、と思う。義母とセックスするときだけ、情けないひきこもり男がキリッとした好男子になるとか、完全にギャグ漫画なんじゃないだろうか。今夏のコミケで販売された同人誌『ソシオクリティーク/ナツカレ!2008』の記事「ひきこもり作品メッタ斬り!」で斎藤環が「ホントにやったら2度と立ち直れそうにない仕打ち(笑)」とか「はるかアフターケアなさすぎ」と一応発言しているが、それほど辛口では批評していない。やっぱりギャグ漫画だったのか。
東西狂言会@東大阪市民会館、『人工庭園』
2008年11月28日 読書
午後6時から東大阪市民会館で東西狂言会。
その前に、ワッハ上方のライブラリーで桂雀々のDVDを見る。
田楽喰い
不動坊
さくらんぼ
「さくらんぼ」は「頭山」面白くない、と言うけれど、面白いよ!
で、東西狂言会。
主催はわが母校(?)、大阪樟蔭女子大学。
以下、番組。
解説「東西狂言会20年の足跡」木村要客員教授
大蔵流狂言「末広かり」茂山千之丞、茂山あきら、木村正雄
和泉流狂言「清水」野村萬、野村万蔵
大蔵流狂言「貰婿」茂山千五郎、茂山千作、茂山千三郎
満員!入場無料とは言え、東大阪市民中心に、狂言を見ようと足を運び、場内が笑いで包まれるというのが素晴らしい。文化力を感じた。
茂山千作(1919年生まれ)、野村萬(1930年生まれ)、両名は人間国宝である。千作の方は立ち上がる際に後見の助けを借りねばならない身体ではあったが、声も通り、衰えは見せない。
なお、今回の番組は、第5回と同じ演目であり、あえて5回めと同じ演目、同じ演者でやってみようという目論みがあったらしい。(演者は同じにならなかった)
読んだ本は横尾忠則の『人工庭園』
横尾の絵画、イラストレーション等作品と、エッセイ。新聞連載のもので、1つ1つが短いので、非常に読みやすい。
以下、目次。
弥勒モーツァルト
宝塚ミューズ神
猫と弥勒菩薩
死の世から生を
米同時多発テロ
突然やってきた雌猫
赤いパワーに興奮
マグリットの謎
自作の複製
死者と蛾
三島由紀夫へ
Y字路
銀幕のスター
画家宣言取り消し宣言
模写こそ絵画創造の原点
富士山は美の化身
描き忘れた「弓張月」
想像の現実化
駅伝と解放感
肯定VS否定
文楽は生命の表現
悪夢とおさらば
魂むしばむ戦争
既成狂言を破った挑戦
不眠解消と意識
限界のない世界
本からの自由
憧れの職業
社会的礼節
京都にひかれる
魂の輝き
心が作った病気
甘党の悦楽
アウトサイダー・アーティスト
「目垢」がついたもの
「複数」の自己
肉体中心の時代
芸術と散歩
能鑑賞は創造行為
源内はバサラ的人間
愛情のこもった装丁
嘘も方便
夏目漱石と偽り
うれしい名作連載
日記の目的は?
創作は真夏に限る
大リーグ開幕戦
歴史的行為の延長戦
60年代の空気
模倣すなわち歴史の継承
死の見えない日常
絵の極意
こころと芸術作品
ぼくの「レジャー」
盆の墓参り
アテネ五輪二題
誠意か義理立てか
出会いを待つ
結婚は天国と地獄
芸術は難しい
あと三日
内なる少年と再会
病気は自己超克の機会
シンドイ世の中
宝塚の舞台芸術
「休養」は難しい
眠りっぱなしのわが家の猫
熊本ブエノスアイレス化計画
こだわりの今昔物語
走るアート
時代に逆行恐れるな
ミスジャッジ
禁を破って制作再開
未完成品
ほとんどが未完成
無常の眼
美とは何か
死を想う習性
ストイックになるな
美術館「冬の時代」
老境からが勝負
子供に帰る
顔音痴
美術の知識
恐怖の爆笑
ミステリーサークル
年を取ること
常識からの脱却
非文明人
旅をするなら
パリにて
久世光彦さん
温泉の効果絶大
自分を信じる
絵葉書供養
持病と向き合う
ピサロとセザンヌ
作品の思想
職業と道楽
自然の中で
読書の記憶
古希を迎えて
大きなテーマ
終わり
全部で105。
石田えりに、何度会っても誰だかわからない(顔音痴)とか、鯛焼きは尻尾まであんこが入っているのはいやだ(甘党の悦楽)とか、鼻毛が気になる(社会的礼節)とか、いろいろ面白い記述があるが、ニューオリンズで開いた個展のときに講演を行い大爆笑をとった話(恐怖の爆笑)はオチも決まって、なかなかうまい。
その前に、ワッハ上方のライブラリーで桂雀々のDVDを見る。
田楽喰い
不動坊
さくらんぼ
「さくらんぼ」は「頭山」面白くない、と言うけれど、面白いよ!
で、東西狂言会。
主催はわが母校(?)、大阪樟蔭女子大学。
以下、番組。
解説「東西狂言会20年の足跡」木村要客員教授
大蔵流狂言「末広かり」茂山千之丞、茂山あきら、木村正雄
和泉流狂言「清水」野村萬、野村万蔵
大蔵流狂言「貰婿」茂山千五郎、茂山千作、茂山千三郎
満員!入場無料とは言え、東大阪市民中心に、狂言を見ようと足を運び、場内が笑いで包まれるというのが素晴らしい。文化力を感じた。
茂山千作(1919年生まれ)、野村萬(1930年生まれ)、両名は人間国宝である。千作の方は立ち上がる際に後見の助けを借りねばならない身体ではあったが、声も通り、衰えは見せない。
なお、今回の番組は、第5回と同じ演目であり、あえて5回めと同じ演目、同じ演者でやってみようという目論みがあったらしい。(演者は同じにならなかった)
読んだ本は横尾忠則の『人工庭園』
横尾の絵画、イラストレーション等作品と、エッセイ。新聞連載のもので、1つ1つが短いので、非常に読みやすい。
以下、目次。
弥勒モーツァルト
宝塚ミューズ神
猫と弥勒菩薩
死の世から生を
米同時多発テロ
突然やってきた雌猫
赤いパワーに興奮
マグリットの謎
自作の複製
死者と蛾
三島由紀夫へ
Y字路
銀幕のスター
画家宣言取り消し宣言
模写こそ絵画創造の原点
富士山は美の化身
描き忘れた「弓張月」
想像の現実化
駅伝と解放感
肯定VS否定
文楽は生命の表現
悪夢とおさらば
魂むしばむ戦争
既成狂言を破った挑戦
不眠解消と意識
限界のない世界
本からの自由
憧れの職業
社会的礼節
京都にひかれる
魂の輝き
心が作った病気
甘党の悦楽
アウトサイダー・アーティスト
「目垢」がついたもの
「複数」の自己
肉体中心の時代
芸術と散歩
能鑑賞は創造行為
源内はバサラ的人間
愛情のこもった装丁
嘘も方便
夏目漱石と偽り
うれしい名作連載
日記の目的は?
創作は真夏に限る
大リーグ開幕戦
歴史的行為の延長戦
60年代の空気
模倣すなわち歴史の継承
死の見えない日常
絵の極意
こころと芸術作品
ぼくの「レジャー」
盆の墓参り
アテネ五輪二題
誠意か義理立てか
出会いを待つ
結婚は天国と地獄
芸術は難しい
あと三日
内なる少年と再会
病気は自己超克の機会
シンドイ世の中
宝塚の舞台芸術
「休養」は難しい
眠りっぱなしのわが家の猫
熊本ブエノスアイレス化計画
こだわりの今昔物語
走るアート
時代に逆行恐れるな
ミスジャッジ
禁を破って制作再開
未完成品
ほとんどが未完成
無常の眼
美とは何か
死を想う習性
ストイックになるな
美術館「冬の時代」
老境からが勝負
子供に帰る
顔音痴
美術の知識
恐怖の爆笑
ミステリーサークル
年を取ること
常識からの脱却
非文明人
旅をするなら
パリにて
久世光彦さん
温泉の効果絶大
自分を信じる
絵葉書供養
持病と向き合う
ピサロとセザンヌ
作品の思想
職業と道楽
自然の中で
読書の記憶
古希を迎えて
大きなテーマ
終わり
全部で105。
石田えりに、何度会っても誰だかわからない(顔音痴)とか、鯛焼きは尻尾まであんこが入っているのはいやだ(甘党の悦楽)とか、鼻毛が気になる(社会的礼節)とか、いろいろ面白い記述があるが、ニューオリンズで開いた個展のときに講演を行い大爆笑をとった話(恐怖の爆笑)はオチも決まって、なかなかうまい。
将棋竜王戦第4局。三連勝している羽生名人がこのままストレートで決めれば、羽生の永世竜王が決定する。なんとしても将棋会館の大盤解説会に行かねば、と思っていたが、NHK衛星の番組で深浦王位が「あと1時間以内に決着がつくでしょう」なんて午後6時前に言ったので、到着時にはもう終わってるか、と判断して、行かず。午後5時から解説会は行われているのだが、番組が4時からの2時間番組だったので、ついついそっちを見てしまったのだ。
実際には形勢が混沌としていたため、見に行っていてもきっと面白かっただろう。
ただ、番組での深浦VS山崎の解説が滅法面白かったので、見逃す手はなかった。
結果は、渡辺竜王が一矢を報いた。
次の解説会には足を運ぶか。
読んだ本は東浩紀と桜坂洋の合作『キャラクターズ』
東浩紀が主人公の小説で、もともとは桜坂が小説を書き、東が評論、という分担だった(という設定)がどんどん崩れて、お互いが主導権をとろうとして話は混沌とし、東のキャラクターはラカン的に3人に分裂する。
結局、なぜか朝日新聞社を焼き、2ちゃんねるのひろゆきを殺しに行くことになる。
むちゃくちゃである。
ラスト近く、東は思う。
「ぼくには同志もいなければ、味方もいない。この身からあふれる言葉たちがあるだけだ」
それは最初からわかっている出発点のはずなのに、ラスト近くにいたって念をおすようなこの述懐。同志や仲間や味方や敵、なんてものが存在している、という夢をみた、というのがこの小説の中身だから、これってつまるところ、夢オチ?
実際には形勢が混沌としていたため、見に行っていてもきっと面白かっただろう。
ただ、番組での深浦VS山崎の解説が滅法面白かったので、見逃す手はなかった。
結果は、渡辺竜王が一矢を報いた。
次の解説会には足を運ぶか。
読んだ本は東浩紀と桜坂洋の合作『キャラクターズ』
東浩紀が主人公の小説で、もともとは桜坂が小説を書き、東が評論、という分担だった(という設定)がどんどん崩れて、お互いが主導権をとろうとして話は混沌とし、東のキャラクターはラカン的に3人に分裂する。
結局、なぜか朝日新聞社を焼き、2ちゃんねるのひろゆきを殺しに行くことになる。
むちゃくちゃである。
ラスト近く、東は思う。
「ぼくには同志もいなければ、味方もいない。この身からあふれる言葉たちがあるだけだ」
それは最初からわかっている出発点のはずなのに、ラスト近くにいたって念をおすようなこの述懐。同志や仲間や味方や敵、なんてものが存在している、という夢をみた、というのがこの小説の中身だから、これってつまるところ、夢オチ?
ハッピータイム祭り@アリオ八尾
2008年11月26日 アイドルアリオ八尾でハッピータイム祭り。
夜勤明けで、いったん帰宅し、2時間睡眠をとってから出かけたため、午後3時の回から見ることになった。
奈良ノ都デテンツクテン/万葉シャオニャン
ソロダンス/唯(ミルキーハット)
小さな世界/ハッピーズ
アイアイ/ハッピーズ
世界にひとつだけの花/ハッピーズ
ペッパー警部/ラビバナナ
おじゃまDEダンス/ラビバナナ
Give me up/ラビバナナ
ラビバナナ、やっぱり、いいなあ。
ハッピーズはバルーンショー。
僕もふだんから風船もって歩きたい、と思っているが、子供は素直だ。「あれ、ほしい!」と必死で親に訴える姿に、ああ、自分も子供のように欲望に素直でなければなあ、と目をひらかされた。
午後4時の回(3時の回が終わってからそれほどたっていない!)
ホワイトラブ/万葉シャオニャン
花咲きますように/万葉シャオニャン
ハットダンス/ミルキーハット
バイザウェイ/ミルキーハット
歩いて行こう/ミルキーハット
軌跡/ミルキーハット
ヒットソングメドレー/ミルキーハット
大航海ランドスケープ/ミルキーハット
6時からは点灯式があったのだが、図書館行って、そのまま夜勤に突入するので、見れず。
夜勤明けで、いったん帰宅し、2時間睡眠をとってから出かけたため、午後3時の回から見ることになった。
奈良ノ都デテンツクテン/万葉シャオニャン
ソロダンス/唯(ミルキーハット)
小さな世界/ハッピーズ
アイアイ/ハッピーズ
世界にひとつだけの花/ハッピーズ
ペッパー警部/ラビバナナ
おじゃまDEダンス/ラビバナナ
Give me up/ラビバナナ
ラビバナナ、やっぱり、いいなあ。
ハッピーズはバルーンショー。
僕もふだんから風船もって歩きたい、と思っているが、子供は素直だ。「あれ、ほしい!」と必死で親に訴える姿に、ああ、自分も子供のように欲望に素直でなければなあ、と目をひらかされた。
午後4時の回(3時の回が終わってからそれほどたっていない!)
ホワイトラブ/万葉シャオニャン
花咲きますように/万葉シャオニャン
ハットダンス/ミルキーハット
バイザウェイ/ミルキーハット
歩いて行こう/ミルキーハット
軌跡/ミルキーハット
ヒットソングメドレー/ミルキーハット
大航海ランドスケープ/ミルキーハット
6時からは点灯式があったのだが、図書館行って、そのまま夜勤に突入するので、見れず。
鯨統一郎の『異譚・千早振る』を読んだ。
落語のネタにカデンツァつけたような作品群。
以下、目次。
第1部 殿の熊
異譚・粗忽長屋
異譚・千早振る
異譚・湯屋番
第2部 陰の符合
異譚・長屋の花見
異譚・まんじゅう怖い
異譚・道具屋
異譚・目黒のさんま
異譚・時そば
落語の部分はほとんどが落語通り。だが、その裏には徳川幕府が倒壊し、明治維新への道を歩むきっかけが隠されていたのだ。
たとえば。
井伊直弼を大老に推すかどうかの判断で、推さないとの決断を告げる伝言が「酒に茶柱が立っていたら推すことにする」つまり、そんなことはまずないから、推さない、というメッセージになるはずだったのが、「長屋の花見」をしたがために、酒に茶柱が立つ、異常事態が実現してしまったのだ。そのせいで井伊は大老になり、結果として徳川幕府に対する反感を煽ってしまった。
また、平将門の呪いを解く呪文「お茶がこわい」は、そんなことを言う状況などありえない、と思って考えられたはずなのに、「まんじゅう怖い」のおかげで、呪いが解かれてしまう。
皇女和宮の降嫁をきめるメッセージを「窓の値をきく者がおれば、降嫁」と決め、そんな取り決めを知らない人間によって「道具屋」で窓の値をきくことになる。
などなど。
落語のサゲの部分を、歴史の転換のきっかけとなった隠密への伝言間違いとする趣向。
小手先の技術で書かれた作品としか言い様がないのだが、こういうのが、けっこう好きなのだ。
落語のネタにカデンツァつけたような作品群。
以下、目次。
第1部 殿の熊
異譚・粗忽長屋
異譚・千早振る
異譚・湯屋番
第2部 陰の符合
異譚・長屋の花見
異譚・まんじゅう怖い
異譚・道具屋
異譚・目黒のさんま
異譚・時そば
落語の部分はほとんどが落語通り。だが、その裏には徳川幕府が倒壊し、明治維新への道を歩むきっかけが隠されていたのだ。
たとえば。
井伊直弼を大老に推すかどうかの判断で、推さないとの決断を告げる伝言が「酒に茶柱が立っていたら推すことにする」つまり、そんなことはまずないから、推さない、というメッセージになるはずだったのが、「長屋の花見」をしたがために、酒に茶柱が立つ、異常事態が実現してしまったのだ。そのせいで井伊は大老になり、結果として徳川幕府に対する反感を煽ってしまった。
また、平将門の呪いを解く呪文「お茶がこわい」は、そんなことを言う状況などありえない、と思って考えられたはずなのに、「まんじゅう怖い」のおかげで、呪いが解かれてしまう。
皇女和宮の降嫁をきめるメッセージを「窓の値をきく者がおれば、降嫁」と決め、そんな取り決めを知らない人間によって「道具屋」で窓の値をきくことになる。
などなど。
落語のサゲの部分を、歴史の転換のきっかけとなった隠密への伝言間違いとする趣向。
小手先の技術で書かれた作品としか言い様がないのだが、こういうのが、けっこう好きなのだ。
午前11時15分からFANJでSony Music presents iDream☆オーディション。
の、はずが、間違えてFANJtwice(アメリカ村)に行ってしまい、あわてて東心斎橋に移動。到着したら、既にエントリーNo5のタジママリンちゃんの出番だった。
以下、資料がないので、出た順にカタカナで表記。ヒアリング間違いはご容赦。簡単なメモがついた子もある。
タジママリン
ハヤシダエリカ
ヤマダマナ
タニグチハルナ
タナベミオ(小さい子が出てくると高まる)
ニッタマユコ(手拍子出た!)
ホリウチミユ
キドフウカ
ムラタヒロナ(ダンスと歌のレベル高し)
ニノミヤリナ(この子もダンスなかなか)
ヤナセアイコ
シモハラユウキ
カリヤセイラ
エンドウサキ(恋カナ歌う。終わったあと、客席でみかけるのは、ORCと一緒で楽しい)
シラハセミチ
チマキ(メイドさん!)
ニシデマユ
タカハシマナ(キーボード弾き語り。小さなトラブル続出!)
カナモリリカ
カワモトルリ
シライメイ
ホソカワミサト
タケモトマムカ(ウルトラリラックスを歌い踊る)
フクハラマイ(ライブだった)
以上。
エントリーナンバーは歯抜けの状態だったが、本来正午に終わる予定が、20分以上延びていた。優秀者には後日連絡があるらしい。僕に選ばせてくれるなら、きっと全員小学生になってしまうので、偏ること夥しい。ムラタヒロナ、ニノミヤリナ、タケモトマムカあたり。ダンススクールっぽすぎるかな?
アリオ八尾で午後1時と4時にSI☆NAのミニライブ。内容は同じ。
1.女に幸あれ
2.赤いフリージア(阿部)
3.フリーバルーン(中山)
4.禁断のテレパシー(須磨)
5.水の星へ愛をこめて(岩嶋)
6.LULULU(須磨&中山)
7.不思議な手品のように(阿部)
8.永遠の扉(岩嶋)
9.ザピ〜ス
岩嶋のトークはいつも拍手のタイミングがはかれないのが不思議。kissFMの番組、大阪単独ライブ(ゲストあり)の宣伝も行っていた。ハロープロジェクト云々といった言葉はいっさい出て来なかった。
今回のライブは岩嶋のかっこよさと、須磨の「禁断のテレパシー」での後ろにひょいひょい行ったかと思ったらまたひょいひょい前進するステップの面白さがみどころだった。
いいライブだったのだが、はじめて見た人にアピールできたかどうかは微妙。
僕は2階から見ていたが、親子連れが「何がはじまるの?ウルトラマン?ウルトラマン?」と期待しながら待っていた。こういう現場ではもはや定番となった光景だが、一般のお客さんの目はステージのSI☆NAに向かず、オタ芸打っている客席側に集中していた。それほどキツイオタ芸うっていないのに、である。こういう場でmixとかオタ芸を禁止するアイドルが出てくるのも無理がない状況だ。
午後6時15分から大阪ヨーロッパ映画祭で「ザ・ウェーブ」(仮題)
デニス・ガンゼル監督は事情があって来日できず。アメリカで起こった実話をもとにした映画で、学校の実習で「独裁」をテーマにした授業から、実際に教師を総統とする独裁集団ができあがってしまう物語。最初のうちは制服として白シャツとジーンズをみんな着るように決めたり、集団の名前を「ウェーブ」と決めたり、ロゴ決めたり、ホームページ作ったり、と楽しく実習は進むのだが、町中にロゴのステッカー貼ったりペンキで描いたり、白シャツとそれ以外の差別をはじめたり、敬礼を決めたり、暴走をはじめる。実話ではナチス化をすすめたそうだが、ドイツの映画なので、そこは違うものにさしかえられていた。
使われている音楽もなかなかで、最初に「ロックンロールハイスクール」がかかる。ドイツ音楽もよい。
また、ウェーブの行き過ぎを告発するビラをまく女生徒(恋人におまえは白バラか、とツッコミいれられる)の自宅のパソコンのネットがうまくつながらなくて、本来生徒全員にメール送ればいいものを、ビラになったという経緯が面白い。実際には、これが起こったのが60年代だったため、インターネットや電子メールはなかったわけだ。
(追記)
昨日放送されていたNHK-FM「現代の音楽」、イベントに行ってて聞けなかったので、録音したのを、1日遅れで聞いた。
【ゲスト】近藤 譲
− 日本の作曲家・近藤譲 −(2)
「梔子〜バイオリン、クラリネット、ヴィブラフォン、
ピアノのための〜」近藤 譲・作曲
(9分43秒)
(演奏)アンサンブル・ノマド
(指揮)佐藤 紀雄
<ALCD−47>
「彼此〜チェロとピアノのための〜」 近藤 譲・作曲
(9分28秒)
(チェロ)ゾーエ・マートリュー
(ピアノ)アリソン・プロクター
<ALCD−45>
「等高線〜6楽器のための〜」 近藤 譲・作曲
(9分02秒)
(演奏)アンサンブル・ノマド
(指揮)佐藤 紀雄
<ALCD−57>
「夏の小舞曲〜ピアノのための〜」 近藤 譲・作曲
(5分56秒)
(ピアノ)井上 郷子
<hat ART−135>
の、はずが、間違えてFANJtwice(アメリカ村)に行ってしまい、あわてて東心斎橋に移動。到着したら、既にエントリーNo5のタジママリンちゃんの出番だった。
以下、資料がないので、出た順にカタカナで表記。ヒアリング間違いはご容赦。簡単なメモがついた子もある。
タジママリン
ハヤシダエリカ
ヤマダマナ
タニグチハルナ
タナベミオ(小さい子が出てくると高まる)
ニッタマユコ(手拍子出た!)
ホリウチミユ
キドフウカ
ムラタヒロナ(ダンスと歌のレベル高し)
ニノミヤリナ(この子もダンスなかなか)
ヤナセアイコ
シモハラユウキ
カリヤセイラ
エンドウサキ(恋カナ歌う。終わったあと、客席でみかけるのは、ORCと一緒で楽しい)
シラハセミチ
チマキ(メイドさん!)
ニシデマユ
タカハシマナ(キーボード弾き語り。小さなトラブル続出!)
カナモリリカ
カワモトルリ
シライメイ
ホソカワミサト
タケモトマムカ(ウルトラリラックスを歌い踊る)
フクハラマイ(ライブだった)
以上。
エントリーナンバーは歯抜けの状態だったが、本来正午に終わる予定が、20分以上延びていた。優秀者には後日連絡があるらしい。僕に選ばせてくれるなら、きっと全員小学生になってしまうので、偏ること夥しい。ムラタヒロナ、ニノミヤリナ、タケモトマムカあたり。ダンススクールっぽすぎるかな?
アリオ八尾で午後1時と4時にSI☆NAのミニライブ。内容は同じ。
1.女に幸あれ
2.赤いフリージア(阿部)
3.フリーバルーン(中山)
4.禁断のテレパシー(須磨)
5.水の星へ愛をこめて(岩嶋)
6.LULULU(須磨&中山)
7.不思議な手品のように(阿部)
8.永遠の扉(岩嶋)
9.ザピ〜ス
岩嶋のトークはいつも拍手のタイミングがはかれないのが不思議。kissFMの番組、大阪単独ライブ(ゲストあり)の宣伝も行っていた。ハロープロジェクト云々といった言葉はいっさい出て来なかった。
今回のライブは岩嶋のかっこよさと、須磨の「禁断のテレパシー」での後ろにひょいひょい行ったかと思ったらまたひょいひょい前進するステップの面白さがみどころだった。
いいライブだったのだが、はじめて見た人にアピールできたかどうかは微妙。
僕は2階から見ていたが、親子連れが「何がはじまるの?ウルトラマン?ウルトラマン?」と期待しながら待っていた。こういう現場ではもはや定番となった光景だが、一般のお客さんの目はステージのSI☆NAに向かず、オタ芸打っている客席側に集中していた。それほどキツイオタ芸うっていないのに、である。こういう場でmixとかオタ芸を禁止するアイドルが出てくるのも無理がない状況だ。
午後6時15分から大阪ヨーロッパ映画祭で「ザ・ウェーブ」(仮題)
デニス・ガンゼル監督は事情があって来日できず。アメリカで起こった実話をもとにした映画で、学校の実習で「独裁」をテーマにした授業から、実際に教師を総統とする独裁集団ができあがってしまう物語。最初のうちは制服として白シャツとジーンズをみんな着るように決めたり、集団の名前を「ウェーブ」と決めたり、ロゴ決めたり、ホームページ作ったり、と楽しく実習は進むのだが、町中にロゴのステッカー貼ったりペンキで描いたり、白シャツとそれ以外の差別をはじめたり、敬礼を決めたり、暴走をはじめる。実話ではナチス化をすすめたそうだが、ドイツの映画なので、そこは違うものにさしかえられていた。
使われている音楽もなかなかで、最初に「ロックンロールハイスクール」がかかる。ドイツ音楽もよい。
また、ウェーブの行き過ぎを告発するビラをまく女生徒(恋人におまえは白バラか、とツッコミいれられる)の自宅のパソコンのネットがうまくつながらなくて、本来生徒全員にメール送ればいいものを、ビラになったという経緯が面白い。実際には、これが起こったのが60年代だったため、インターネットや電子メールはなかったわけだ。
(追記)
昨日放送されていたNHK-FM「現代の音楽」、イベントに行ってて聞けなかったので、録音したのを、1日遅れで聞いた。
【ゲスト】近藤 譲
− 日本の作曲家・近藤譲 −(2)
「梔子〜バイオリン、クラリネット、ヴィブラフォン、
ピアノのための〜」近藤 譲・作曲
(9分43秒)
(演奏)アンサンブル・ノマド
(指揮)佐藤 紀雄
<ALCD−47>
「彼此〜チェロとピアノのための〜」 近藤 譲・作曲
(9分28秒)
(チェロ)ゾーエ・マートリュー
(ピアノ)アリソン・プロクター
<ALCD−45>
「等高線〜6楽器のための〜」 近藤 譲・作曲
(9分02秒)
(演奏)アンサンブル・ノマド
(指揮)佐藤 紀雄
<ALCD−57>
「夏の小舞曲〜ピアノのための〜」 近藤 譲・作曲
(5分56秒)
(ピアノ)井上 郷子
<hat ART−135>