午後2時10分から、大阪くらしの今昔館で「祭りだワッショイ!落語だワッショイ!今昔館の町家寄席祭り!」

荒大名の茶の湯/水谷風鱗(水谷ミミ)
蛇含草/桂出丸

水谷ミミはラジオパーソナリティで、「もうすぐ30」のシングル盤買ったりして、馴染みがあった。最近、水谷ミミの本も読んで、講談をじかに聞いてみたいと思っていたのだ。現在水谷ミミも59才。「もうすぐ30」では歌詞の中に「現在29才」とあったから、あれ30年前のレコードだったんだ!
年齢を意識しないことが長生きの秘訣だ、と80代の母親の例をひきながらしゃべるあたりは、ラジオで鍛えられた話術が生きていた。

大阪くらしの今昔館の常設展示(今は夏祭りの飾り)も桂米朝の音声ガイドを聞きながら楽しんだ。屋根の上には猫がおり、館内で夜になったり、朝になったり、天神祭の花火があがったり、雷が鳴ったり、と、これは楽しい町並だった。

午後4時35分から、アリオ八尾でスタジオキャラットスタイルコレクション(こどものファッションショー)と、ライブ。
ライブはまず万葉シャオニャンから。
1.アオニヨシ奈良 ノ都デ てんつくてん!
2.花、咲きますように

続いて、Milky Hat
1.ハットダンス
2.By the way
3.歩いて行こう
4.大航海ランドスケープ
5.グレープフルーツ

この日はファッションショーが3回に渡って行われ、そのたびにステージがあったのだが、僕が見たのは3回目の分だけ。ファッションショーは、約150人のこどもたちによって行われた。1回に50人ずつくらい。ミルキーハットのメンバーがステージ脇でショーを盛り上げていた。
受験モードに入って玲奈が欠席していたようだが、れなのような強い個性のメンバーが不在だと、たちまちMilky Hatも寂しく思えてしまう。普通のユニットになっちゃう、というか。

午後6時から天満天神繁昌亭で「桂枝三郎文月の陣」

道具屋/笑福亭喬介
鏡のない村/桂枝三郎
大師巡り/桂枝三郎
仲入
仔猫/桂枝三郎

「鏡のない村」は「松山鏡」の題名で知っていた話だった。
「大師巡り」は今日が21日だから、ということで。サゲは、どう落ちているのかピンと来なかった。古典の素養のない僕などには、ときどきこんなことがある。
一休さんが書いた『骸骨』に「雨霰雪や氷とへだつれど落つれば同じ谷川の水」という歌があり、それが「御詠歌にもあるように、落つれば同じ谷川の水」とサゲに使われていたのだ。「谷川」と、お茶屋の「たに川」をかけたサゲなのである。つくづく自分の不勉強が骨にしみるのである。(骸骨だけに)

帰宅してからはテレビで格闘技「DREAM」見る。ヨアキム・ハンセンとブラック・マンバのリザーブ戦見て、「これが本当は最強決定戦だな」と思ってたら、本当にそうなった。ちなみに、うちの母親は、「ヨアキム・ハンセン」を「弱気なハンセン」だと勘違いしていて、格闘家のくせに弱そうな名前だな、と思っていたらしい。
ラジオで「ハロプロやねん」昨日見たBerryz工房から徳永、須藤、熊井の3人。ライブのときはあまり注目していなかった3人だが、この放送での須藤は注目に値した。須藤の個性をもっと発揮できる場はないものか。次回は嗣永と夏焼が担当するらしい。
通天閣劇場「TENGEKI」で松竹の演芸を見て来た。正午の回。
ピーマンズスタンダード
トライアングル
浮世亭大吾小吾
シンデレラエキスプレス
ダブルダッチ
海原はるかかなた
ミヤ蝶美蝶子
酒井くにおとおる
笑福亭鉄瓶「田楽食い」
桂壱之輔「ぜんざい公社」
笑福亭喬楽「狸の賽」
桂春若「京の茶漬」

大阪は今、府知事が「とおる」で市長が「くにお」。つまり「くにおとおる」だ、と大阪人は全員面白がっていたのだが、酒井くにおとおる自身が、それをネタにしていた。
桂春若師匠の落語中、私語する者がいた。途中で客席を立つ人がいたり、携帯電話が鳴ったりすると、それにちゃんと反応して笑いにつなげてしまう人もいるが、春若師匠もきっちり反応していて笑いにつなげていた。ただ、明らかに怒っており、客席に一瞬緊張が走った。
STUDIO210は最初予想していたより、広くていい場所だと感じた。ここには実は昨日来る予定をしていた。ところが入場しようとしたら、外で呼び込みしていた人に「満席だ」と言われた。満席なのに何故呼び込みをしているのか。これは世界の七不思議の1つだ!と不審に思っていたが、今日はすんなりと入れてよかった。

ハロープロジェクト2008サマーワンダフルハーツ公演「避暑地でデートいたしまSHOW」を見に行った。午後3時半の回。大阪厚生年金会館大ホール。
MCはまこと、ナビゲイターは稲葉貴子。
1.夏LOVEロマンス(全員)
2.真夏の光線(全員)
3.江戸の手毬歌II / ℃-ute
4.涙の色 / ℃-ute
5.パパンケーキ / 月島きらり
6.アナタボシ / MilkyWay
7.行け行けモンキーダンス / Berryz工房
8.ジンギスカン / Berryz工房、ハロプロエッグ
9.リゾナント ブルー / モーニング娘。
10.みかん / モーニング娘。
MC (まこと、新垣、亀井、道重)エビを食べそこねた光井のエピソード
11.恋ING / 高橋愛、ハロプロエッグ
12.初めて唇を重ねた夜 / 鈴木愛理、リンリン、小川紗季
13.チュッ!夏パ〜ティ / 道重さゆみ、菅谷梨沙子
MC(まこと、萩原、梅田)萩原は夏休みの宿題を早めに済ませると宣言。大阪の写真をもとに風景画を描いて提出するらしい。
14.C/C(シンデレラ/コンプレックス) / High-King
15.記憶の迷路 / High-King
MC(まこと、High-King)「避暑地で何をいたしましょう?」とまことが問い、それにテニスのラケットを握った各メンバーが答えるやりとり。「テニス」(高橋)「そばうち」(田中)「焼肉」(清水)「トライアスロン」(矢島)ときて、前田が「ぐったり」と落す。
16.マノピアノ / 真野恵里菜(弾き語り)
17.常夏娘 / 新垣里沙、亀井絵里、光井愛佳
18.トロピカ〜ル恋して〜る / ジュンジュン、岡井千聖、有原栞菜、萩原舞、熊井友理奈、須藤茉麻、森咲樹、吉川友、仙石みなみ、澤田由梨、能登有沙、北原沙弥香
19.香水 / 田中れいな、梅田えりか、清水佐紀、徳永千奈美、中島早貴
20.ガチンコでいこう! / Buono!
21.KISS!KISS!KISS!/ Buono!
22.笑顔YESヌード / モーニング娘。
23.まっさらブルージーンズ / ℃-ute、Berryz工房
24.スッペシャル ジェネレ〜ション / ℃-ute、Berryz工房
25.ラヴ&ピィ〜ス!HEROがやって来たっ。(全員)
MC夏休み3日間あればどう過ごすか。アンケート田中と矢島の分を読む。
26.雨の降らない星では愛せないだろう?(全員。スタンドマイクで合唱)

道重、光井、萩原、中島、嗣永、菅谷、真野あたりを中心に見ていたが、エッグが出ている場面では、ついついエッグに目が釘付けになった。High-Kingでは前田しか見ていない。
ただ、「チュッ!夏パ〜ティ」での道重は、神がかった可愛さを発揮していた。

帰宅後、NHK-FMで「現代の音楽」
 − 作曲・この半世紀の潮流〜ラッヘンマンの音楽 −(1)
「ヴィーゲンムジーク(1963)」
                ヘルムート・ラッヘンマン作曲
                       (3分43秒)
             (ピアノ)ヘルムート・ラッヘンマン
「ギロ(1970−1988)」 ヘルムート・ラッヘンマン作曲
                       (4分05秒)
             (ピアノ)ヘルムート・ラッヘンマン
「プレッション(1969−70)」
                ヘルムート・ラッヘンマン作曲
                       (9分14秒)
                (チェロ)ルーカス・フェルス
「ダル・ニエンテ(1970)」 ヘルムート・ラッヘンマン作曲
                      (14分05秒)
             (クラリネット)ウーヴェ・メッケル
「トッカティーナ(1986)」 ヘルムート・ラッヘンマン作曲
                       (5分20秒)
             (バイオリン)メリーゼ・メリンガー
 <AUVIDIS MONTAIGNE MO−782075>

たとえば、「ギロ」はピアノをギロとして演奏するのだ。すばらしい!

テレビでは給与明細に唐沢氏。上方演芸ホールで桂こごろう、林家うさぎ。将棋チャンネルで女流VSアマ等々。

読んだ漫画は『定本悪魔くん』水木しげる
悪魔くんも、サタン(ナゾーに似ている)もあっさり死んでしまうんだなあ。
メフィストは出てこないが、容貌はヤモリビトがそれにあたる。
どうでもいいが、帯や巻末解説などで、サブカルミーハー丸出しなのはちょっと気恥ずかしい。
ワッハ上方の上方亭でトクトコ(漫才)と桂三風(落語)。
トクトコは探偵小説ネタ。
桂三風は米揚げ笊。
終演後、米揚げ笊の実物を見せてくれて、しかも、希望者にプレゼントしていた。小学生が「はいっ」と手をあげてもらっていたが、米揚げ笊をどう使うのかは、今後の課題だろう。
ライブラリーも盛況。
映像を見るほどの時間の余裕はなく、サバンナ八木の『ぼくの怪獣大百科(レッド)』を読了。
カラー!

午後6時からは天満天神繁昌亭で「染二百席錬磨〜激突!上方落語面長派!2」これ、チケットぴあで券買ったとき、「染、二百席錬磨」と切りどころを間違えているのが可笑しくて、笑いをこらえるのがたいへんだった。そのときの僕は、さぞかしにこやかで温和な人間に見えていたことだろう。

たぬさい/笑福亭呂竹
壷算/林家染二
猫の忠信/桂九雀
中入り
遊山船/林家染左
土橋万歳/林家染二

会場で、演芸ジャーナリストのやまだりよこさんに久々の再会。
ぷがじゃの頃の話などをした。
なんと、僕が13年間勤務していた大学で非常勤講師をされている。
落語会に頻繁に行くようになったので、またどこかで御会いしそうだ。

ハチワンダイバー最終回。真面目な終わり方だった。とってつけたようなまとめ方だったが、もっともっと御都合主義でアンビリーバブルなハッピーエンドの方が楽しかったのにな、と思った。
第79期将棋棋聖戦五番勝負最終局の大盤解説会に行って来た。関西将棋会館。
午後5時からはじまった解説会は、勝負がついたあと午後7時半頃まで続いた。これがとても刺激的で面白かった。
平日の夕方5時に集まるんだから、そこにいる大半は、老人と子供である。
杖をつかないと満足に歩けない老人、小学校低学年の男子、わずかながら女性の姿もあった。これがまあ、ひとくせもふたくせもありそうな怪人ぞろい。
ハチワンダイバーにはエキセントリックな棋士が登場して笑わせてくれるが、あれって、まんざらフィクションとも言いがたいんじゃないか、と思えるほどだった。
解説会の内容は、初手からの解説つきの手番、次の一手問題で正解者のなかから抽選で記念品。解説者は今回は脇謙二八段。観客から頻繁に繰り出される「この手はどうだ」という質問(けっこう鋭い)を丁寧にひろって検討してくれた。これはわかりやすい。
次は王位戦七番勝負で大盤解説会がある。今から楽しみだ。

石上三登志の『名探偵のユートピア〜黄金期・探偵小説の役割』を読んだ。
以下、目次
1、緋色と赤の距離ーアーサー・コナン・ドイル
2、それぞれなりの「ホームズ」論ーベントリー、ミルン、ノックス他
3、「ファイロ・ヴァンス」殺人事件ーS・S・ヴァン・ダイン
4、「悲劇」を作る四つの方法ーエラリー・クイーン〈レーン四部作〉
5、誰が「駒鳥」を忘れたか?ーイーデン・フィルポッツ/ハリントン・ヘキスト
6、「樽」には何が入っていたのかーF・W・クロフツ
7、「樽」はどこへ行ったのかージョルジュ・シムノン
8、そして誰にも愛された…ーアガサ・クリスティ
9、「ポオ」になろうとした男ージョン・ディクスン・カー
10、俺を「名」探偵と呼ぶなーダシール・ハメット
11、ぬばたまの闇に抱かれしものよーウィリアム・アイリッシュ
12、エリック・アンブラー問答
13、エドガワ・ランポの謎
14、横溝正史の不思議な生活ー続エドガワ・ランポの謎
15、われらの黄金色の夏ーエラリー・クイーン
あとがきーメイキング・オブ『名探偵のユートピア』

これは面白かったなあ!
1、ホームズ長編の二部構成について考えている。
理想的な名探偵ホームズに匹敵する理想の「謎」のために、第二部は必要だったとして、こう言い換えている。
「シャーロック・ホームズであろうとなかろうと、実は『個人』で解決できる『事件』や『犯罪』はたかが知れている。その事件や犯罪の向こう側、裏側にはもっともっと大きな、しかも現実的なそれが広がり、おおむねそれは『組織犯罪』の姿をとる」
これはハードボイルドにつながる道である。緋色の研究と赤い収穫がつながったのだ。

2、『トレント最後の事件』にみるドイルのアメリカ観への共鳴と、名探偵も恋や失敗をするという批評。
『赤い館の秘密』にみるホームズごっこ。
『陸橋殺人事件』にみる、安易なホームズごっことしての探偵小説批判。

3、ヴァン・ダインは「アメリカ嫌い=ヨーロッパ憧憬」からはじまり、人気とともにアメリカ大衆との接近を余儀無くされ、ペダントリーを削らざるをえなくなった。

4、クイーンの悲劇四部作。「X」で変装する探偵という古めかしいタイプを打ち出し、「Y」で犯人を殺してもいいと考える探偵を提示し、「Z」で真の探偵役を登場させた。つまり、4つあわせて、それぞれに伏線があって、最後の事件になだれこむ。

5、フィルポッツは類型的でない人間像を描こうとして探偵小説を書いた。

6、クロフツは警察小説の元祖。アリバイ崩しの作家というのは実情にあわない。

7、シムノンのメグレ物はクロフツの正当な後継。

8、ポワロの正体はハンプティダンプティ。

9、カーにみるヨーロッパ憧憬と大魔術ショー

10、ハメットのハードボイルドと西部劇とのつながり。

11、ウールリッチはニューヨークの闇を描き出す都市小説を書いた。

12、探偵小説は反「戦争」小説。
「戦争へと突入してゆく時代でも、しかし放棄できない、してはいけない理性のその発露は、探偵小説でこそが望ましい」
「現実逃避ともいわれますよね」
「世の中すべてが狂乱へと向かっているとき、逃避といわれようが何だろうが、理性、知性にこだわって何が悪い?いや、これこそそんな時代への個人的な反発、抵抗としての、もっとも望ましい逃避だとは思わないか?」
(中略)
「戦争という大量殺人の中に、個人的な殺人の意味を理性的に探ってみる。ユートピアには違いないけど、現在もこれからも狂乱はある。その中で探偵小説を読む。たぶん最良の、無上の、むしろ誇るべき『逃避』だといいたいね」

13、江戸川乱歩は「知っている」けど「書けない」作家

14、横溝の乱歩のお守→乱歩との惜別

15、シャム双子は知識人クイーンらしい「時代」把握、「社会認識」の産物だったんじゃないか。

以上、各章から適当にみつくろってみた。
あとがきで、著者は、黄金時代の名のみ知る未訳作品が翻訳されるのを読んでみて、こう思ったという。
「おおむねつまらなかった」
「題名の知名度のみに頼り、自分で読んで選んでいるのではないからだ」
なるほど。次々と未訳作品を出してくれるより、入手困難な既訳作品を復刻なり、改訳なりしてもらいたいものだ。
僕はといえば、近々、おじさんマークじゃないクロフツをまとめて読んでみようか、と計画だけはたてているのだが、さて、それに着手する日は来るのか。

桂米朝座談2

2008年7月17日 読書
『桂米朝座談2』を読んだ。
1、対談 桂米朝、その仕事/大西信行・桂米朝
2、日本の笑いと芸能
3、東西落語の交流
 鼎談 寄席の想い出、忘れじの芸/暉峻康隆・柳家小さん・桂米朝
 友・古今亭志ん朝を語るー同じ使命感を彼からは感じましたー
4、わが交友を語る
 対談 言葉の色気 街の粋/茂山千之丞・桂米朝
 対談 古典落語は、SF小説の大先輩/小松左京・桂米朝
 座談会 吉村雄輝さんを語る/「上方風流」同人 中村鴈治郎・山村楽正・権藤芳一・桂米朝
 大阪落語復興記ー松鶴と円都/肥田晧三とは誰かー「肥田せんせぃのなにわ学展」に寄せて/中井吉太郎さん、お元気でー「上方落語乃会・お名残り東西名人落語会」ー/旭堂南陵さんを悼む/露の五郎改め二世露の五郎兵衛襲名に寄せて/いとし・こいしの漫才
5、江戸荒物・眼鏡屋盗人
6、自主公演 演目一覧

とりあえず、名前がいろいろ出てくるので、簡単に解説。
大西信行(正岡容門下で米朝の弟弟子にあたる。劇作家、放送作家)
鶯春亭梅橋(古今亭志ん生に入門。正岡容門下で米朝の兄弟子。都筑道夫の実兄)
吉村雄輝(上方舞舞踊家、人間国宝)
肥田晧三(書誌学。文学博士)
中井吉太郎(上方落語乃会代表世話人。京都落語)
第2章で、笑いが一段落しめて見られた歴史について語っているのが、印象的だった。笑いよりも、涙が混じった深刻なものの方が一段上であると見つづけられてきた歴史。最後は「笑いが抑圧された時代は、平和に危機が来るような時代である」という台詞を出してしめくくっているが、それを「お定まりのセリフ」とあえて言っているところが興味深い。落語は「自分で築き上げた世界をサゲでぶちこわすことによって噺家は伝統を守ってきた」とするが、自身の講座おいてはそういうわけにはいかない、というところか。
第3章の鼎談で、こんなやりとりがある。
寄席の定席が少なくて、ホール落語も減ってきた、という対話のあとで。

暉峻「露の五郎さんに時々会うんだけど、国立大阪演芸場を作るって一所懸命にやってる」
米朝「一所懸命になってんのやけどね、私はむしろ反対ですわ」
暉峻「どうしてですか」
米朝「『誰が出るんや』って考えるんですよ。作ってもろたら、あと経営していかんならんでしょ」
暉峻「そうなんだ。つまり、それをうめる芸人がいなければ」
米朝「いないんですよ」
暉峻「いない、困ったなあ」
米朝「芸人はおりますよ。でもね。客を呼べる芸人が出てこな困るでしょ。それが問題でね」
暉峻「そこだ。それでもなあ、私も国立演芸場の委員だから援助しますよって、時々あの人に言ってるけど、あなたの話を聞けば無理もないなあ」
米朝「うめられない」
暉峻「国立演芸場を大阪に作っても、それを維持していくために、客を呼ぶ芸人をそろえないと無理ですなあ」
米朝「吉本はたぶん協力はしませんからね。大阪には落語を中心にした定席はとうにないんですよ」
(中略)
米朝「今度五郎君が言うたら、『誰が出るんや』と。彼も年中『そこへ出え』と言われたらきっと断りますよ。それだけのギャラが出ないもの」
暉峻「そうですよなあ。そりゃそうだ」
米朝「やっぱり人気者が出ないとね」

これは平成11年12月の対談だ。さて、現在、状況は変わったと言えるのか?

大山康晴の晩節

2008年7月16日 読書
河口俊彦の『大山康晴の晩節』を読んだ。
以下、目次
序章
 甦った大山将棋
 人間的な威圧感
1章 ガンとの闘い
 六十三歳の名人挑戦者
 熾烈な生存競争
 棋界政治と大山会長
 しのびよる衰え
 晩年の驚異的な粘り
2章 生い立ちから名人まで
 十二歳で木見八段門へ
 名人への道ー昭和二十年代の実力者たち
3章 大山将棋の強さ
 ナンバー2を叩け
 強すぎて、面白くない
4章 早逝した天才棋士との闘い
 若き山田道美の自負と懊悩
 大山は催眠術を使う?
 大山VS山田ー大山奇勝を博す
 絶局は大山戦だっt
5章 追われる身に耐えて
 升田の引導を渡す
 中原に名人位を奪われた七局
6章 会長就任と永世名人
 名人戦と三大新聞社の抗争
 五十歳以後の勝星がすごい!
7章 ガン再発後の粘り
 手術直前の対局ー対有吉・小林戦
 A級残留への執念ー対高橋・米長戦
 大スターの残光ー対谷川・高橋戦
終章ーまだ引退できないのか

圧倒された。中学時代におじいちゃんに連れられて行った将棋タイトルの就任式などで姿を見て、また、本を何冊も読み、倉敷の記念館にまで行った、あの大山康晴の人間像がこんなにも迫力あるものだったとは!
本書は大山のデータ的な栄光よりも、人間関係や、感情などにスポットをあてており、どろどろしていたり嫉妬やプライドが剥き出しになったりしていて、衝撃的だ。大山はまさしく怪物だったのだ、と知れる。
大山康晴の将棋は、本書ではいろんな表現であらわされている。
「優勢になっても勝ちを急がずに、ゆっくりと、一つ一つ相手の狙い筋を潰し、すこしずつ有利さを拡大していった」
「大山に急ぐ気配はまったくなく、コトコトとスープを煮るような指し方をつづけた。その間、森だけがもがきまくっていた」
派手じゃない、平凡な指し方で、徹底的に受けきり、じわじわと攻めて、相手はたまらずに負けてしまうのだ。大山が明らかに悪い手を指しても、まるで催眠術のように、局面はいつのまにか大山有利に傾いていくのだ。
ドカベン並に常勝の大棋士だったのだが、面白味がない。
「名人でいる間は、大山は悪役だった」
セーム・シュルト、朝青竜、あるいは巨人など。
そうそう、この本を読んで、ちょっと前に読んだ加藤一二三の本に書いてあったいくつかの事柄が氷解した。
大山は将棋の本を自分では書いていなかったそうなのだ。解説はしているが、ライターが全部文章にしていた。(原稿料もそのライターがもらっていた)
加藤があえて「自分の本は自分自身で書いている」と断ったのは、大山批判の一つでもあったのだ。
また、大山が威厳によって自分のわがままを通そうとしたことも、本書で書いてあった。一種のパワーハラスメントか。本書では食事の前に温泉に入るかどうか、というような些細なことで、中原誠が一矢報いたエピソードが語られていた。大山が、「風呂に入らずに食事する」と言えば、みんなは風呂に入りたい、と思っていても大山にさからって「私は風呂に入る」と言い出せなかったのだ。そこに中原がふらっと入ってきて、「温泉に入らない手はないでしょう」とさらっと言って、温泉に行ったのだった。みんなもホッとして風呂に行けた。ああ、些細なこと!でも、かつてサラリーマンだった頃のことを思い返すと、みんな上司の意向をびくびくしながらうかがって、それに波風たてないように従っていた。あのときの同僚のみなさん、いかがお過ごしでしょう?
加藤の本でも、タイトル戦で大山が食事休憩のことで規定を破って、融通を通そうとしたが、加藤はガンとしてゆずらなかったと書いてあった。さすが、加藤。
本書では、大山が自分の長期政権を磐石のものにするため、ナンバー2につけてくる棋士を芽のうちにコテンパンに倒して、「大山には勝てない」と刷り込んでおいた、というようなことが書かれていた。加藤などは、二上と並んでそのナンバー2の最たる棋士で、大山にとって加藤はずっとカモだった。
加藤としてもそれに内心忸怩たるものがあったのだろう。今考えてみれば『一二三の玉手箱』は大山批判が含まれていて、人間関係の面白さも読み取れる本だったんだな、と思う。
また、本書では、大山の凄みとともに、山田道美の面白さもクローズアップされていた。
僕が中学のときに将棋をよく指していた頃、既に山田道美は馴染みの薄い棋士だった。山田研究によって、また将棋には新しい風が吹くのかもしれない。
将棋の中井広恵六段の講演「勝負の世界に生きる」を聞きに行った。
ホテルリッツカールトン。
中井六段は日本女子プロ将棋協会の理事で、公式戦でプロ男性棋士からはじめて勝利をあげた女流棋士。
内容は、将棋界に関する全般について。プロになるためのシステムとか、卑近なところでは年間の収入のこととか、おもに、将棋の普及を意図されているようなスタンスだった。
女性の将棋人口は少ない理由なども。
将棋をしていると、実際はそうでもないのに、頭がいいように思われる特典がある、と謙遜されていた。また、娘さんにも将棋を仕込んだが、興味が持続しないようで、末っ子だけが将来棋士になると決め込んでいるようだ。だが娘さんはまだ幼くて、棋士は世襲制だと思いこんでいるふしがある、とか。
http://www.joshi-shogi.com/

エリザベス・フェラーズの『猿来たりなば』を読んだ。
トビーとジョージシリーズ。
今回の事件は、なんとサルの殺害事件を扱う。
チンパンジーが殺された。動機は?
本書はトビーによる一人称の作品になっていて、トビーの推理の過程が読者にもわかるようになっている。でも、本当の名探偵はいつものごとくジョージの方で、ダイレクトに真相に迫っているんだけど。
曲者だったのは、謹厳な老婦人ローザ・マイアルに関する推理。

P230
彼(ジョージ)は列車の往復切符の半券を指差した。
「あれを見て、ぴんとこないか、トビー」
さっきも言った通り、その切符は先週の月曜日にビュール駅で購入されている。ロンドンのウォータールー駅から、ビュール駅に戻る切符だ。パンチ穴は開いているが、到着駅で回収されていない。ということは、誰だか知らないが、これを買った婦人は、ウォータールー駅の改札を通ったものの、気が変わり、ふたたびプラットフォームの外に出て、列車以外の交通手段で、ビュール駅に戻ってきたことになる。
ロンドン。月曜日。
突然、それらの事実が、わたしの頭の中で、音をたてて合わさった。
「ローザ・マイアル!」

P250〜
「彼女(ローザ・マイアル)はイースト・リートに戻ってきたーバッグがそれを証明しているーしかし、汽車では戻ってこなかった。」
(中略)
「おそらくミス・マイアルは、昨日ナトリン男爵に会ったーそして最後の直談判をした。しかし、文字通り最後だと思い知らされただけだった」
(中略)
「彼女はウォータールー駅にむかった。憤怒と絶望で眼がくらんでいただろう。改札で切符にパンチを入れられ、プラットフォームに出た。希望を失い、面目も失い、しかもヴィラグとの約束を撤回するつもりはないから、大金まで失うことになった」
(中略)
「普段の彼女ならそこまで追いこまれなかっただろうが、この時は、頭の中で何かがはじけた」
(中略)
「もし汽車を使えば、村のみんなに、自分が戻ったことを知られると気づいた。ビュール駅に着くと、バスかタクシーを使わなければならないから、すぐに彼女が帰ったとばれてしまう。それじゃ目的にあわない。だから、駅を出たんだ。どんな方法でイースト・リートに来たのかは知らないが、たぶん車を借りたんじゃないか」

以上のトビーの推理、ラストに至って、あれはいったい何だったんだ?と呆れ果てることになる。
読者は読み終えた後に、やおら冒頭のページを確認し、1ページめからヒントがあったことに唖然とするのだ。
チンパンジーを殺した動機(人間じゃなかったから殺された)などは簡単なものだが、このあえてとる回り道、遠回りの悪意には驚いた。
だいたい、今まで読んだフェラーズの作品から考えると、いやな奴がいっぱい出て来て、ストーリー展開は邪魔がよく入る、メロドラマが多いように思う。女性に人気があるのは、こういうところにあるのか。
なお、順番に読んで来たなかでは、これが一番面白かった。
夜勤明けの朝食はシリアルにヨーグルト。(玄米フレーク)
昼食は掌(たなごころ)心斎橋店でランチ。(パスタランチでサラダバイキング)
3時のおやつは、Delices du palaisでアップルマンゴーのタルト、ブレンドコーヒーと。
いろんなブログ読んでたら、食事について書いてあるのが多いので、試しに書いてみた。メタボ健診に対応しなくては、と考えているわりに、食べたい放題の食生活だ。

夜からはワッハ上方の小演芸場で「第2回 男前寄席」
第1回はバレンタインチョコ持参で割り引きがあったそうだが、今回は、受付で「三四郎と南青って男前ですね」と告げれば割引。言おうとしたら、いやいや、言っていただかなくて結構です、と割引料金で入れた。男に言われてもね、ということか?

子ほめ/桂三四郎
将棋大名/旭堂南青
奇跡のラッキーカムカム/月亭遊方
中入り
那須余一/旭堂南青
がまの油/桂三四郎

遊方さんの落語を聞くのは久しぶりだったのだが、大爆笑させてもらった。最近落語を集中的に聞くようにしているが、その中でも一番の爆笑だったと思う。次の機会にでも、御挨拶にうかがうとするか。

帰宅して、河崎実監督の映画「ヅラ刑事」を見た。2006年。
モト冬樹主演。鬘をアイスラッガーのように飛ばす。
デブ刑事、ウガンダの生前の勇姿が見れた。
デカチン刑事が出てきたり、チビ刑事が出てきたり、必殺のレーザー光線をハゲで反射したり、と、センスはまるっきり少年ギャグ漫画の世界。それも、コロコロくらいかな。面白い!
アリオ八尾で小学生ダンスのコンテスト、アリオダンスプロジェクト第1回予選。今日は6組が出場した。以下、登場順に。メンバー名はダンスプロジェクトのサイトから引っ張って来たが、当日欠席などのチェックはできていない。
ゲストは井口ファミリー。
http://www.ario-yao-f.jp/index.html
As’ Flapper(アズフラッパー)
(北垣 彩乃、金子 莉帆、池田 あすか、山本 せりな、山本 あいな)
きらりすと
(坪内 あゆみ、前田 陽子、豊坂 百音、佐合 紀香、今山 晴、岸本 知波、浜松 美希、紀野 斐順、高橋 沙羅)
LEGO☆7
(小倉 紫織、上山 あかり、古口 莉子、木下 結賀、土岐 萌香、田中 玲央奈、山田 白波)
DANCE NUTS
(今井 梨穂、森口 真帆、森 香歩、田村 望、森口 華帆、山田 亜佑美)
ちびちいず
(福嶋 唯、大野 菜摘、坂本 七海、本馬 希望、佐薙 れいか、橋本 純花、榎本 ゆみか、羽當 亜美、池田 麻衣、餝谷 理奈、丸山 未夢、吉野 志涼、東尾 実梨、坂本 七星)
Tiny(ティニー)
(平井 もも、安藤 美優、塩田 さき)
この6組のうち、2組が決勝に進む。web投票では、As’ Flapper(アズフラッパー)、LEGO☆7、Tiny(ティニー)の3組がデッドヒートを繰り広げていた。確かに、この3組はどんなダンスコンテストに出ても決勝を競いそうなFree Styleのキレのあるうまいダンスだった。その分、コンテスト仕様という趣きもある。
僕が決勝を選ぶとしても、上の3組から選ぶだろうけど、個人的に大好きだったのは、大人数でちびまる子ちゃんの歌で踊り、ピリピリしたコンテストのムードを一気に学校の運動会的空気に一変させた「ちびちいず」だ。メンバー名の順番が何で決まったのかは知らないが、ちびちいずの福嶋唯ちゃんの大ファンになってしまった。勝手にこの「ちびちいず」のリーダー的存在なんじゃないか、と思ったくらいしっかりしていて、しかも楽しく踊っていた。ちびちいずには、何よりも楽しさがダイレクトに伝わってくる力を感じたのだ。いろんな場所でステージに出てきてほしいチームだ。

帰宅後、夜勤までの時間にNHK-FMで「現代の音楽」
2008年度武満徹作曲賞 本選演奏会からの2回め。今回は2位の作品と1位の作品が放送された。
「ラ・ノーチェ・デ・タケミツ」    トマース・バレイロ作曲
                      (16分58秒)
                (演奏)アンサンブル・ノマド
                     (指揮)中川 賢一
「広島・長崎の原爆投下についてどう思いますか?」
                       松本祐一・作曲
                      (16分33秒)
                (演奏)アンサンブル・ノマド
                     (指揮)中川 賢一
  〜東京オペラシティ・コンサートホールで収録〜
        <“タケミツメモリアル”2008/5/25>
1位はアンケートアートの「広島・長崎の原爆投下についてどう思いますか?」だった。番組中で西村朗も言うように、問題作だ。
先週はライヒのコメントをテープおこしして載せたが、下のサイトに全部掲載されていた。
http://www.operacity.jp/concert/topics/080525.php
club vijonでアイドル発掘イベント「BUG」
まんだらけのTOY祭りに寄っていたりして、到着したのが、ちょうどFLCのはじまる直前だった。
見た順に
FLC(新曲はなんと夏期限定でTUBE!メンバーと一緒に写った写真立てをいただく!これは家宝だ)
ましゅまろチェリーバーガー(ハロプロ好きには最高のプレゼント)
ライチ(安室!)
chii(関西のPerfumeを自称。聞いた感じは、渋谷系っぽい)
あず(おなじみ。さくらんぼなどで観客をのせまくる)
マリードール(DVD発売決定とか、加護亜依ライブのオープニングアクトつとめたり、FMレギュラー持ったり、最近進境著しい。ライブはいつものとおり、ファンとのコミュニケーション重視)

ART HOUSE行ったり、ブックオフ行ったりした後、夜からはライブ。
心斎橋クラブクアトロで少年ナイフ「712DAY PARTY Tour 2008」
出演順に
転校生(今の音!かっこいい)
DRAWERS(嶽本野ばらバンド。パンク人形浄瑠璃。野ばら君、やりたい放題で気持よさそう)
少年ナイフ(圧倒!サービス満点。今夏レコーディングし、秋にはアルバムを出すという。最後の晩餐ならぬ、最後のライブというものがあるなら、僕は少年ナイフのライブ見て一生を締めくくりたいな)
挨拶がてら楽屋をのぞいたときの、アットホームな雰囲気がよかった。
冒険王・横尾忠則展@兵庫県立美術館〜上方VS江戸@天満天神繁昌亭、チェルフィッチュ(芸術劇場)
兵庫県立美術館で「冒険王・横尾忠則」を見た。
60年代未公開作品から最新絵画まで、膨大な数の作品が展示してあった。(絵画等約170点、グラフィック原画が数百点!)
90年代から現在に至る絵画作品がすごくいい。
どの時代の作品もよくて目を離せないのはもちろんなのだが、かつては天井桟敷の頃のイラストレーションがいい、と思っていたり、コラージュ作品がいい、と思っていた時期がある。今は、なんといっても、ここ20年ほどの絵画がググッとくる。
横尾忠則が少年時代に熱中した物事が、作品にドーンと表現されている。それは、今回のタイトル「冒険王」に示されているように、南洋一郎と江戸川乱歩による「少年向け冒険」の世界なのだ。これが、僕にとってもドンピシャリのストライクなのだ。
これらに匹敵するのは、手塚治虫と月光仮面くらいしか思い浮かばない。あっ、プロレスもあったかな。ジャイアント馬場がジン・キニスキーやボボ・ブラジルと戦っていた頃。
とにかく、作品展示数が多くて、流れ込むイメージの総量といったらない。
じっくり見ていてはいくら時間があっても足りないので、ひととおり見た後、図録を買って、おりにふれて眺めることにした。図録がまた安い!(でも、美術館で見るのとは感動が全然違うので、図録で飽き足らなくなったら、また行くかも。そう考えてくると、画集でしか知らない絵画も、美術館に足を運んでみると、感動が違ってくるんだろうな、と推測される。困った)
さらに、アニメーションも上映されており、トークショーや公開制作まである。
やはり、もう1回くらい行くことになるか?
締めきりに間に合わなかったが、横尾忠則とプリンセス天効の講演会が気になる。トークショーの模様がどこかで上映されればいいのに。

夜は天満天神繁昌亭で「上方VS江戸」
時うどん/桂三四郎
お見立て/桂平治
遊山舟/桂福楽
妾馬/桂平治
中入り
仔猫/桂福楽
「上方の笑い、江戸の粋」とサブタイトルがついていた。
「時うどん」はみんなが知っているネタながら、いろんなバージョンや工夫があって、飽きない。
平治は江戸落語をきっちり聞かせてくれて、すごく面白かった。普段は上方落語の方が笑わせてくれるので好きだ、と断言できるのだが、うまい江戸落語を聞くと、こっちの方が格は上か、と心がゆらいだりする。別物、と考えた方がいいんだろうけど。
福楽は上方落語の特徴、はめものの落語を選んで、はなしてくれた。
「仔猫」はテレビでしか聞いたことがなかったので、実際に聞いてみて、鳥肌がたった。
ビデオやラジオで落語をよく聞いているが、落語会に出かけていって聞いてみないと面白さは半分も味わえないんだな、とか思うと、これまた、困った。時間とお金は有限なのだ。とくに、貧乏な僕にとっては、大文字の「有限」だ。困ったものだ。

帰宅したら、ちょうどアニメ「RD潜脳調査室」に間に合った。
「仮面のメイドガイ」も「図書館戦争」も「スポンジボブ」も終わってしまった今、見ているアニメで毎週楽しみなのは、この「RD」と「ポルフィの長い旅」「銀魂」「ソウルイーター」「ぷるるんしずくちゃんあはっ」「コードギアスR2」くらいか。夏の新作アニメ、何か面白いのあるかな?
その後、芸術劇場でチェルフィッチュ見る。
せりふがリアルだというだけでなく、同じ話題がループしたり、話者が変転するところも、リアル。あまりにもリアルすぎて、はたしてこれが「演劇」たりうるのか、とも考えてしまう。演劇的世界に浸った観客の殻を破ることはできるが、そうでない一般の人(僕も含む)にとっては、再現されたリアルでしかない。大阪の人間のリアルなら、「そんなアホな」という非日常が常にセットされているが、岡田氏は関西人ではない。放送された「フリータイム」に関して言えば、せいぜいがアフロに関するくだりで笑いが起こる程度で、演劇という特殊空間でなければ笑いにもつながらないだろう。ほとんどの台詞が、どこかで聞いたことのあるような日常の会話で、その場かぎりで忘れてしまうような内容である。関西人なら、時間を埋めるためであっても口に出さないような内容だ。(つまり、これは実現しないリアル。チェルフィッチュでは実現しないリアルが再現されている、ということ)ドキュメンタリーであっても視点の選択などで、作家の誘導はなされるが、チェルフィッチュはそうした誘導を排しようとしているように思えた。要するに、これはわれわれがいかにリアルに耐えうるか、という問題なのだろう。ところが、われわれは普段、リアルに耐え得ている。どうやって耐えているかと言えば、リアルを演出によって外すことによって、だ。そうでないと、リアルそのものはあまりにも退屈すぎるから。チェルフィッチュを面白いな、と思った瞬間に、われわれは既にその罠にはまっているのかもしれない。二重否定は肯定ですよ、マイナスかけるマイナスはプラスですよ、裏の裏をかくのは鵜のみと見た目は一緒ですよ、というような堂々回りの陥穽が待ち受けているように思える。恐怖の演劇を見に来るお客さんがいる、ということは、その演劇から逃げなかった事実をもって、既に恐怖は失敗している、というようなジレンマ。チェルフィッチュがリアルならば、なぜそれを金出して見に行くのか、というジレンマ。まとまらないままに、ずらずら書いてみた。チェルフィッチュが新しいことは間違いない。こんなにいろいろ考えたんだから。
「フリータイム」の後の大江健三郎との対談では、大江健三郎の面白さがきわだっていた。このおっさん、まだまだおもろいことをやってくれそうだ、という雰囲気がビンビンと伝わってきた。
保山ひャンプレゼンツ「フニャーマーケット」
年に1度の大バザール、お宝ザックザク!
7/25(金)開場:午後6時半/開演:午後7時
@なんばBEARS
http://home.att.ne.jp/orange/bears/ 電話06-6649-5564 
556-0001 大阪市浪速区難波中3-14-5新日本難波ビルB1F
http://home.att.ne.jp/orange/bears/access.html
前売扱い:1500円/当日:2000円
出演:
●ALCO DEATH
 http://mmtkm.hp.infoseek.co.jp/
 http://www.myspace.com/alcodeath
●めばちっ娘クラブ
●学園催
http://gakuenpsy.org/
●No.305
 http://sound.jp/305/
 Muzie(MP3)
 http://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a034516
 Myspace
 http://www.myspace.com/no305
 ライブ映像
 http://www.youtube.com/results?search_query=no.305
 http://www.nicovideo.jp/search/No.305
●館林見晴ソロ(No.305)
●amU 
 http://acomeruamu.bufsiz.jp/
 http://ameblo.jp/acomeru/
●野中ひゆ
 http://hiyu-nonaka.jugem.jp/
●金輪斎ちやじと三才山トンネル
●昆虫皇子
●村橋茎(ムラハシステム)
●空門(カラモン)

一二三の玉手箱

2008年7月9日 読書
将棋棋士加藤一二三九段の『一二三の玉手箱』を読んだ。
加藤一二三は「神武以来の天才」と呼ばれた異能の棋士で、現在もなお現役バリバリ。
そんな加藤九段の書いた本。
以下、目次

巻頭特集 ザ・加藤一二三伝説
第1章 加藤一二三の名局
第2章 加藤一二三のエッセイ
第3章 加藤一二三の熱闘譜

本文中に、自分の本は正真正銘、自分で執筆している、とあえて断っている箇所がある。インタビューなどで聞き書きしたものを、ライターが書くケースがあるからなのだろうが、この本を読めば、一目瞭然、「こんな文章、天才の加藤九段以外に書ける人はいない!」と思い知らされる。
第1章の「名局」では、多くの棋戦から、ポイントの部分をとりあげて、わかりやすく解説している。第2章の「エッセイ」にも共通するが、加藤九段はクリスチャンなので、筆はしばしばキリスト教に関する内容にシフトしていく。また、モーツァルトの話にも。
「記録と著作権」というエッセーでは、「モーツァルトの作品は楽譜が残っていないものが多い」→「私も将棋まつりの席上対局などは棋譜が残っていない」とモーツァルトと自分を対比させる。この後も「モーツァルトは、レッスンをしたこともある。私もある時期、定期的にアマチュアに将棋を教えている」など、対比が続く。天才は天才を知るというべきか。
さて、巻頭の「伝説」では、加藤一二三に関する伝説をあげて、本人がそれらについて答えている。以下の通りのコンテンツ。
1、対局中に滝を止めさせた伝説
気が散るから、と、加藤九段、滝を止めさせる。
2、勝手に電気ストーブ伝説
対局中に勝手にストーブを持ってきた。相手の顔にストーブの風を当てて「やめてください」と拒否されたことも。
3、食事は必ずうな重伝説
対局中は、昼も夜もうな重。
4、「あと何分?」伝説
対局中に頻繁に「あと何分?」と聞く。1分将棋でも聞く。
5、長いネクタイ伝説
対局中は、ふだんよりネクタイが20センチほどのびる。
6、対局中に聖歌伝説
廊下で歌声が聞こえるな、と思ったら、対局中のはずの加藤九段が聖歌を歌っていた。
7、板チョコ大好き伝説
おやつで数枚板チョコをバリボリ。
8、一手に7時間伝説
長考で有名な加藤九段。最長はなんと一手に7時間。
9、棒銀大好き伝説
あまりやる人のいない棒銀戦法にこだわる。
10、将棋盤の位置にはこだわる伝説
対局場に入るやいなや、勝手に自分好みの位置に将棋盤を動かす。
11、空ぜき伝説
対局中にはいつもゴホゴホ!
12、加藤一二三こそが真の伝説
以上の伝説、多少はデマや誇張があるのかと思いきや、本人の証言では全部「そうです。何か?」という感じだった。
将棋の解説などで、加藤九段が出てくると、一気にはなやかになる。うるさくなる、というか。にぎやかになる、というか。暴走気味の解説が聞いている方としては、実際の対局よりも面白かったりするのだ。まさしく、天才。
オディロン・ルドン夢のなかで
『オディロン・ルドン[自作を語る画文集]夢のなかで』を読んだ。
ルドンの絵に、書簡、『芸術家のうちあけ話』、自伝的エッセイ『私自身に』から引用された文章がつけられている。
ユイスマンスが『さかしま』の中で紹介した「笑う蜘蛛」や、「赤死病の仮面」「秘密を漏らす心」(告げ口心臓)、「ベレニスの歯」などポーの小説に想をとった作品などの「ルドンの黒」と呼ばれるモノクローム作品が前半部。
ルドンは黒色について、こう書いている。
「黒は本質的な色だ。黒はとりわけその高揚感と生命力を、あえて言うなら、健全さの深い隠れた源泉からくみ取っている。黒の生命の内にこもった熱は、正しい食事療法と休息、いわば力の充溢にかかっているのだ」(『私自身に』)
ルドンの黒は魅力的なのだが、虚弱体質ゆえの黒だったのか、ということを思わせる文章だ。
「黒は眼を楽しませてくれるわけではないし、肉感性を目覚めさせてくれるものでもない。黒は、パレットやプリズムの美しい色以上に精神の活動家なのだ」
とも書いている。
なんとストイックな!と思っていたら、ルドンはある時期からモノクローム作品をそんなに描かなくなり、かわって色彩豊かなパステル作品が中心になっていく。
作品としてつまらなくなったかと言えば、そういうわけでもない。
ルドンは書簡でこうしたためている。
「私が少しずつ黒色を遠ざけているのは本当だ。ここだけの話だが、黒は私をひどく疲れさせる」「この頃は、パステル画を描いている。それから赤色石版画も。その柔らかな素材は私をくつろがせ、喜ばせてくれるのだ」
ルドン55歳のときの手紙だ。肩の力が抜けて、39歳のときに出した初のリトグラフ集『夢のなかで』を援用すれば、年齢をかさねてルドンは目がさめたのかもしれない。
岡鹿之助は「顔料自体の持つ美しさや特質を生かしきった驚くべき才能が、黒の世界にとどまって、長いこと動かなかったという事実は、ルドンの芸術に心をよせる人なら、誰しも抱かざるを得ない疑問だろう。どうして、色が、もっと早く、彼を喚びさまさなかったのだろうか」と書いている。
ルドンが『芸術家のうちあけ話』で書くように「私は自分の内側だけで生きていた。肉体的な努力は、どんなことでも嫌だったのだ」つまり、年齢によってルドンは殻を破ったんじゃないか、と思う。内側も外側もないノーガード戦法をとれるようになったのだ。
関東のダシの黒いうどんは、みたらしだんごみたいで特殊なおいしさはあるが、うどんのおいしさとは違うもんだ。そんなことを思いながら、黒のルドンについて考えてみた。
本町のミリバールギャラリーで「チャンキー松本といぬんこ青空亭十年分の引き札展」を見て来た。
チラシにDM、グッズなど、青空亭の索引ともいうべき回顧展、いや、財産目録か。
どれもこれも1度は見たことのあるものだが、まとまると、面白い。
作品を見ていると、回顧と呼ぶのはあたらなくて、いぬんこが展開するレトロ印刷のまさに中間報告のような気がしてきた。

中村登監督の「春の鼓笛」を見た。1953年。富田常雄原作。
主人公の青年(川喜多雄二)は女中の子!花売りの少女(紙京子)は事故で右手がカタワに!金で何でも解決しようとする一家!銀座のボスと結託してそんな一家に復讐する女給(高峰三枝子)!
兄(佐田啓二)から「優等生」と呼ばれる青年は、金でなんでも決着つけようとする家族に対して「大人であることを口実にして自分の良心をごまかそうとしているんだ!」と青臭いことを吐く。家を出て、自分の力でどれだけのことがやれるか、と肉体労働に励む青年。
彼の青臭さというのは、友人からも指摘され、「センチメンタル」と評される。
この友人の発言がこの作品の良心を代表していて、たとえば東京のことを「野心と虚栄と生活苦の街、東京!」と言い放ち、国会議事堂を「居眠りと乱闘の名所」、宮城広場を「昼間は火炎瓶が乱れ飛び、夜は恋人たちのオアシス」と評したりする。良心というか、作者による「地の文」に近いか。
クライマックスは新作バレエ「春の鼓笛」のステージ。青年による作曲で、元いいなづけが踊る。音楽は黛敏郎、バレエは貝谷八百子バレエ団(作中では淡谷百合子バレエ団)。
青年とカタワ娘は結ばれ、ふられたバレエダンサーは、青年の友人といい感じになる。復讐に燃える女給は、佐田啓二がナイフで刺されて死んでしまって、復讐をとげたことになるが、大後悔ランドスケープするのだ。
なお、事故で入院する花売り娘の病室で、復讐女給が謝る佐田啓二に言い放つ言葉がすばらしい。
「自家用車なんか乗りまわしているからよ!」
マイカーを忌むべき存在として断罪しているのだ。こういう啖呵が有効であった時代がうらやましい。

矢倉茂雄監督の「絹の泥靴」を見た。1935年。佐藤紅録原作。
病弱な夫と妹のためにカフェーの女給となって働く女性の転落と再帰。
最初はやむなく働いていたのに、毎日男をだましては金をせびりとる女になっていく。
カフェーで女給さんがやることは、コーヒーを注文したお客さんには砂糖まで入れてやり、しばし会話の相手をつとめる、といったホステス業。「あ〜ら、○○さん、おみかぎりねえ」などと言う。うちの近くのメイド喫茶とたいして変わらない。夫も妹も、そして本人も女給という仕事をよくないものとして受け取っていて、これは70年前とでは大きく価値観が変わっているなあ、と実感した。
堕落した女性のシンボルとして喫煙があり、虚飾のシンボルとして毛皮が描写されていた。これは今でも通用しそうだ。
最後は、貧乏暮らしの辛さは忘れていないが、幸せは金では買えない、とまっとうな生活に戻るように改心するのだ。なんだ。普通じゃん。
この映画に出ている人でなじみのある顔は、紙芝居屋の六さんを演じた藤原釜足くらい。

ディーン・パリソット監督の「ギャラクシー・クエスト」を見た。1999年。
SFマニアが窮地を抜け出すナビをするところがもっとも興奮した!
痛快な作品。

NHK-FM「現代の音楽」昨日放送分の録音を聞く。
− 2008年度 武満徹作曲賞 本選演奏会から −(1)
「ゴッド・イン・ザ・マシーン」   ダミアン・バーベラー作曲
                      (14分36秒)
                (演奏)アンサンブル・ノマド
                     (指揮)中川 賢一
「16_1/32_1」            中谷 通・作曲
                      (24分46秒)
                (演奏)アンサンブル・ノマド
                     (指揮)中川 賢一
   〜東京オペラシティ・コンサートホールで収録〜
        <“タケミツメモリアル”2008/5/25>
今回の武満賞の審査員はスティーブ・ライヒ。
エレクトロニクスを用いたアンサンブル作品を募集した。
27の国から76作の応募があり、本選では4作品が演奏された。
今回の放送はそのうち第3位になった2作品。
ダミアンはオーストラリアの作曲家で1972年生れ。
モンテベルディのオペラからの引用があり、マシンスネアを用いて人間には作り出せないリズムを出して超自然の存在を暗示しているという。
審査員スティーブライヒのコメント。

サンプリングをお使いになっているわけですけれども、私の心にある一番世界でサンプリングされたミュージシャンというのはソウルミュージックのジェームズ・ブラウンではないかと思うのですけれどもなんとバーベラーさんはモンテベルディの音楽を何百年もあとに甦らせた。まるでこのホールの中にモンテベルディの幽霊が漂っているような感触があった。その感触があるのもなぜかと言うと非常にバーベラーさんが繊細な耳をお持ちでご自身の音楽とそしてモンテベルディの音楽を高度な形で合致させた、融合させたからだと思います。したがってハイファイがあからさまに訴えかけてくるのではなく、自分の背後からそれがじわっと迫ってくるような印象を受けました。

中谷通作品はチューニングと周期に工夫がある。
中谷通作品についてのライヒのコメント。

中谷さんはチューニング(調律)ということに注目されて、皆さんもお聞きになったようにそれはよくやるドレミファソラの「ラ」の音のチューニングではないわけです。非常に普通ではないチューニングを使っている。ピアノの音などのチューニングとは違うということが一聴しておわかりになったかと思います。ただし日本という国のチューニングについてここで言及すれば、雅楽の音のチューニングはピアノで再現することはできないわけです。笙や尺八では可能かもしれません。しかしピアノではできない。これはもともとのスケール観というか調律そのものが違うわけです。ところが現代の楽器であるエレクトロニックなものを使えば、前もって異なるチューニングに楽器自体をセットすることができるわけです。電子的に。それでピアノの鍵盤であればピアノと同じようにひいても、出てくるチューニングはおのずと変わるものになる。これにあわせて今度は金管楽器であるとか弦楽器を調弦していけばよい。昔よりもこういったことがやりやすくなっています。ジョン・ケージがプリペアド・ピアノで道を開いたことだと思いますけれども、現代においてはもっとやりやすくなっているのではないでしょうか。
今朝のABCラジオ「なみはや亭」で、桂吉の丞の「時うどん」を放送していた。昨日見たばっかりだったので、汗をふきながら「う〜寒い」と身をすくめてお客さんに想像力を要求する笑いが、目に見えるようだった。なみはや亭のもう1本は笑福亭智之介の「桃太郎」だった。

まんだらけグランドカオスの漫画祭り、今日までなので、もう1回行って、また漫画買う。
ベルセルクの32巻が70円で買えるなんて!
通天閣に出来た松竹の「TENGEKI」行こうかな、と思ってたけど、漫画を抱えていてはやはり間に合わず。もうちょっと日にちをおいて行った方が、ゆっくり見れるかもしれない。

録画しておいた映画「ゲゲゲの鬼太郎」を見る。
鬼太郎と人間の少女との淡い恋が、とってつけた感じで浮いていた。あと、死んだ父親と息子とのキャッチボール、という中途半端なお涙ちょうだいが、これまた浮いている。でも、無理矢理にでも恋と涙を入れてしまうあたりが、ファミリー向け映画らしくてほほえましい。

午後5時30分から、天満天神繁昌亭で「仁福・都二人会」
寄合酒/笑福亭呂竹
青菜/露の都
住吉駕篭/笑福亭仁福
中入り
対談/仁福+都
眼鏡屋盗人/露の都
猿後家/笑福亭仁福

落語のネタより、プライベートな話で盛り上がる。
仁福さんは、今までは繁昌亭の人気で人を呼べていたけど、ばれてしもた、と情けなくぼやいて笑いを誘う。会場はあいにくと満席にならなかったのだ。
都さんは吉永小百合で大サービス。
まんだらけグランドカオスで漫画祭り。難ありコミックスが3冊210円。「読めればいいや」の僕は、それでじゅうぶん。
読みたかったマンガを適当にみつくろって購入。

午後7時からワッハ上方レッスンルームで「竹丸よ、ワッハを救え!」
結構な客入り。今日の上方亭ライブは、あの小さなところにお客さんが百人も入って新記録だったらしい。上方亭ライブは最初、行く予定にしていたのだが、漫画が重くていったん家に置きに帰っていると間に合わなくなってしまったのだ。見に行ってたらたいへんだったろうな。
さて、番組は竹丸と、本日の出演者とのトークがまずあってから、本番。
時うどん/桂吉の丞
米朝の弟子の吉朝の弟子の吉の丞。吉朝の弟子なので「吉」の字をもらうのだが、芸名の候補として他に「吉外」もあったという。ホントかね?
今朝の「ケロロ軍曹」は、タイムリーにも「時うどん」ネタの応用だった。発射する弾丸の数を数えるのに、途中、時間をたずねて、1発誤解させるのだ。それ以外にも「寿限無」ネタのバリエーションもやってたな。「ジュテーム、ジュテーム、五劫のシルブプレ」とか言ってた。
代り目/林家竹丸
おでんを買いに行ったはずの女房が、旦那のひとりごとを聞くくだりまで。
高峰秀子主演の「銀座カンカン娘」で、志ん生が最後にいきなり落語をはじめて、そのまま映画も終わってしまうが、そのときのネタが、これ。
寝床/桂三弥
このネタは昨日読んだ『名人』で志ん生が得意にしていたと書かれていた。もちろん、骨子は同じでもかなり違うもので、義太夫嫌さに番頭が土蔵に逃げ込んだら、旦那は土蔵の戸の隙間から義太夫を語り込む「義太夫が土蔵の中で、グワーッと渦を巻いちゃった」という展開にはならないし、サゲの「いま、あの人はドイツにいる」もない。誰の「寝床」だったか忘れたけど、「今、あの人は〜にいる」というサゲを上方落語でも聞いたことがあるので、東西の相違、というわけでもないのかもしれない。(〜の部分の国名は、ドイツではなく、中東のどこかの国だったと記憶している)
中入りをはさんで、トリは竹丸。
瓦版事始(狐狸窟彦兵衛・作)/林家竹丸
瓦版のニュースとして、先に演じた「代り目」のネタを出してくる、など、きわめて斬新。

この落語聞きにいくときに、道でばったりとamUの2人に会い、短く立ち話した。アイドルイベント帰りかと尋ねられた。最近のアイドルイベント乱立は、ありがたいことなのだが、有料イベントの高額ぶりにちょっとついていけないところもあるので、あえて控えめにしているのだ。(たとえば、僕が企画するライブは1500円なのだが、アイドルイベントはその倍以上するのが相場なのだ。納得いかん)
てぬぐい展@ART HOUSE〜08TDC展@dddギャラリー〜枝雀寄席@ワッハ上方、スティーブライヒ、『名人 志ん生、そして志ん朝
ART HOUSEで「てぬぐい展」
多くのアーティストによるイラストレーションをてぬぐいにした作品が展示、販売されていた。
以前グループ展で御一緒させていただいたMILさんのキュートなてぬぐいがやはり、可愛い。
昨日からは七夕の笹も飾られていたので、2つほど短冊に願い事を書いておいた。
本来願い事は1つであるべきところだが(ファイテンションTVで、願い事を山ほど書いて顰蹙を買う話をやってた)、願い事を書こうと思ったら、ビリッと短冊が破れてしまったので、急遽「ちゃんと破れずに願い事を書けますように」を追加した次第。

dddギャラリー企画展「Tokyo Type Directors Club Exhibition 2008〜08TDC展」を見に行く。
祖父江慎さんの案内文につられて行ったのだが、これがすごく面白かった。
文字と本が遊びほうけている。
ほうけていても、文字と本のことだから充分に知的な雰囲気はあるのだ。

ワッハ上方のライブラリーで「枝雀寄席」の録画を見る。
ネタは「仔猫」
ゲストとの対談は、曾我廼家桃蝶。対談当時は79歳だというから、この番組、僕が大学生の頃に放送されていたものだと知れる。毎回欠かさず見ていたはずだが、あいにくと、何一つ覚えていなかった。写真は桃蝶の若き日のもの。
曾我廼家五郎劇団の女形、桃蝶の舞台はあいにくとまだ見たことがない。フィルムでも残っていないだろうか。

帰宅して睡眠。
夜更けて起床後、録画しておいたスティーブ・ライヒを見た。芸術劇場。
日本初演の「ダニエル・バリエーションズ」
「18人の音楽家のための音楽」
何度も聞いた音楽だったが、演奏風景を見て、圧倒された。
これは面白い!
演奏を見ているだけで、なんだかどこかに連れていかれてしまう。
演奏者がバトンタッチするところなんて、レコードじゃわからないしね。
「ディファレント・トレインズ」

あと、録画分のアニメやら落語などを見る。
桂雀々の「へっつい盗人」では、昼間に見た枝雀が手の指を数えるギャグ(片手の指を往復して数えて9本しかない、親指と人さし指の間が広くて、ここに1本あったはずだ、という奴)を、使っていた。昔からあるギャグなのだが、落語に使ったのは枝雀からなのかどうか、よくわからない。

読んだ本は小林信彦の『名人 志ん生、そして志ん朝』
第1章 古今亭志ん朝
古今亭志ん朝の死
志ん朝日和(1981年〜2001年)
 志ん朝さんとの一夜/江戸前のさりげなさ/五代目古今亭志ん生/気むずかしさのすすめ/花冷えの夜の落語/志ん朝七夜/もう一つの「寝床」/志ん朝の三夜連続1995/築地での志ん朝独演会/志ん朝の三夜連続1998/梅雨の前の志ん朝独演会/志ん朝の三夜独演会終了1999/志ん朝の死、江戸落語の終り
第2章 古今亭志ん生
ある落語家の戦後
志ん生幻想
第3章 志ん生、そして志ん朝
1、「路地」の消滅
2、志ん生、大ブレイク
3、志ん生、倒れる
4、志ん朝、登場
5、志ん朝のいる「空間」
6、円熟期から「粋」の消滅へ
第4章 落語・言葉・漱石
『落語鑑賞』と下町言葉
夏目漱石と落語
 『吾輩は猫である』と落語の世界/『吾輩は猫である』と自由な小説/『吾輩は猫である』と乾いたユーモア
やや長めのあとがき

江戸落語に関してまったく暗い僕にとっては目からウロコの文章が多かった。
「苦い顔をして、さりげなく、おかしなことを呟くのは、江戸落語の伝統」
別の箇所では、こう書いている。
「江戸落語は、歯切れのいい江戸弁と、容子の良さ(着物がぴったり似合うこと)から成り立っていると、ぼくは独りで決めている」
なるほど。僕が幼い頃から慣れ親しんでいる上方落語とは大違いだ。
「古今亭志ん朝が東京で独演会をやらないのはお客が固定してしまうからだと、噂できいた(本当かどうかは知りませんよ)志ん朝さんの場合、〈志ん朝おたく〉というような人たちがいて、独演会を占拠してしまう。それだけならまだしも、ぼくが感想文の一つも書こうものなら、全部見ていない(聞いていない)おまえが志ん朝を云々するのはけしからん、といったオドカシの手紙がきたりする。〈おたく〉というのはそういうものなのだが、気分が良くはない」
別の箇所で「似合いもしない和服を着た若者」とか「ノートをとったりするイナカモノ」などきびしい意見を書いている著者にして、これだ。
落語は面白いものなのに、なぜかくもしかつめらしい顔で聞く人がいるのか、いまだに不思議でならないが、上方と江戸の違いだけではない、おかしな虚栄心みたいなものがあるんじゃないか、と思えてならない。大阪にだって「御通家」と呼ばれるうるさがたはいるはずだ。後ろ指さされるくらいで、人間ちょうどなのである。堂々と文化だの伝統だのとふりかざすのは、正当性をうしろだてに強弁する輩と一緒で、どうにも度しがたく思える。まあ、自分がそれだけの権威を持てない僻だという気もしてきた。

頭脳勝負

2008年7月3日 読書
頭脳勝負
渡辺明竜王の『頭脳勝負』を読んだ。
将棋の初心者にも読みやすいように、棋譜の研究は控えめで、ポイントと、将棋に関するエッセイで構成されていた。
巻末にはルール解説があり、王手がかかっているのにそれに対処しないと反則負けになる、というルールがあるのをはじめて知った。自分の玉に王手がかかるように駒を動かすことも反則なのだ。いや、つまり、それでどっちみち負けにはなるのだが、「反則負け」という判定になるということを知らなかったのだ。まあ、最後の1手が相手の玉をとる手で終わる、なんて棋譜はありえないので、考えてみれば当然なんですけど。
また、詰め将棋(山田康平作)も巻末にあった。「シ」「ヨ」「ウ」「ギ」の形に並んだ駒の配置からはじまる4問。3手詰めなのでわかりやすい。
将棋のプロは、強くて対局に勝つだけでなく、将棋普及に尽力した人も、もっと評価されてもいいんじゃないか、とか、女流のこと、アマとプロのこと、コンピュータ将棋のことなど、若い世代ならではの、言いたいことを言っているところがあって、頼もしかった。
羽生名人を紹介する文章では、2003年王座戦5番勝負最終局で、勝利を決定づける手を指すときに、手が震えたことを書いていた。今年の名人戦でも羽生の手が震えて駒を飛ばしてしまったことが話題になったが、5年前も同じようなことがあったのだ。毎回手が震えていたら、あえて話題にもならないのだから、よほどの精神的緊張を強いられた対局のときだけ手が震えるのだろう。
5年に1度の大一番だったのだ。
(追記:5日(土)の衛星第2「森内VS羽生、勝敗の1手」という番組でも、王座戦でのことがちらりと話題になった。渡辺竜王戦以外で目立った前例はない、ということなのだろう)
升田幸三の魅力に触れる文章もあった。升田幸三の棋書をよく読んでいた中学生の頃を思い出した。僕の棋力は中学生のときがピークで、あとはヘボまっしぐらである。30年くらい対局もしていない。
自殺の殺人(ネタバレ)
エリザベス・フェラーズの『自殺の殺人』を読んだ。1941年
トビーとジョージシリーズ。
自殺だと思われていた事件が、手がかりから考えると、自殺とみせかけた他殺だと判明した。
ところが、さらに調べていくと、自殺と見せかけた他殺とみせかけた自殺だという線が濃厚になっていく。
ところが真相は、自殺とみせかけた他殺とみせかけた自殺とみせかけた他殺!
どこまで続く!
フェラーズの作品はとても面白いのだが、たまにそのストーリー展開上で、イライラするところがある。それは作者の狙いでもあるのだが、重要なことを語ろうとした瞬間にジャマが入ることが多いのだ。常套手段とは言え、ヤキモキする〜。

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