ガヤトリ・スピヴァクの『スピヴァクみずからを語る−家・サバルタン・知識人』を読んだ。
以下、目次。
家/聞き手:ショポン・チョクロボルティ
抵抗として認識され得ない抵抗/聞き手:スザーナ・ミレフスカ
知識人としてきちんと答えたとは言いがたい回答/聞き手:タニ・E・バーロウ
付録 家−私的な会話

付録は最初の「家」の数日前にかわされた会話で、内容はほとんどメイキング。
先日、バトラーとの対談本で、スピヴァクの「格」みたいなことを感じた旨、書いたが、本書を読んでみて、ちょっと印象が変わった。
「他人が私の論考を正しく読んでいるかどうか判断することには、関わりたくありません。(中略)くわえて、私が読んでいないものはとにかくたくさんあって、私について他の人が書いたものを読んで、それが間違っていると言うのは、、、そんなことはいかにも時間の無駄だと思いませんか」
「私はいつも、書きたくない物を書いています。わかってください。依頼をされて、いろいろと引き受けるんです。ほんとうは社会主義の倫理の可能性について書きたいのです。これについて15年か20年、書きたいと思いつづけてきました。まあでも、おそらくこの本を書かずに死んでしまうでしょうね」
「私の関心はもはや『グローバルな社会運動に携わる知識人』について考察することにはありません。それはかならずしも重要なことではありません。(中略)それをやる人にとってはほんとうに、とても良いことです。やっている人が思うほど効果があるわけでもないのですが。しかも、いまやそれは、無責任な道徳の革新者気取りの人たちのいいようになっています」
「だからこそ私は言うんです。国家の構造を変えたり、あるいは新しい国際的な市民社会のために働いたりといった仕事は、もうしませんと」
以上のように、スピヴァクに抱く近寄りがたさは、彼女の身も蓋もなさにあるんじゃないのか、と感じたのだ。
ちなみに、最後に引用した発言は、自分の仕事がいかに遅くて不確かでも、これ(主体の構造に影響を与える)がなされなければ長続きしない、として、こんなふうに続く。
「私が心から信じ、強く思うのは、国際的な共産主義が失敗した最大の理由の一つは、サバルタンの主体性に関わらなかったからだということです。共産主義がしたのは、サバルタンの動員でした。それは急ぎすぎました」
また、付録でのざっくらばんなスピヴァクは、思わずポロリのこんな発言もする。
「あとそれから、私が答えたら、私が傲慢に聞こえるような質問はしないでください」
これには相手のチョクロボルティも「これは保証できません」と一蹴している。チョクロボルティとはかなり打ち解けて話しているようで、スピヴァクの可愛さ(こんなこと言ったらスピヴァク怒るかもしれんが)も引き出せている。
スピヴァクが「お会いする前、私のことをどう思っていましたか」なんて質問し、チョクロボルティはこう答えている。
「あなたがいつも息せききっている人だということ。あなたの書くものは素晴らしいけれど、あまりに息せききっている。(中略)ときには立ち止まって息をついてほしいな、ということでした」
チョクロボルティはコルカタ(カルカッタ)のジャドプル大学、文化テキスト記録学部、共同学部長兼英文学教授で、日本でもその文章が読める、らしいのだが、探してみるか。
なお、後の聞き手については、ミレフスカはスコピエの「ヨーロッパ−バルカン」ジェンダー研究センターの視覚文化講師。バーロウはフェミニズム、ポストコロニアリティ、アジア史、とくに中国史の研究者、ワシントン大学の歴史学と女性学の教授。

見た映画は2本。
ティム・バートン監督の「スリーピーホロウ」はジョニー・デップ主演のミステリー。
首刈り騎士のホラー要素もあるが、それに隠れて、首なし死体につきもののトリックをうまくカモフラージュしている。
また、誰が魔女なのか、という推理のどんでん返しも面白い。
さらに、なぜジョニー・デップが迷信にとらわれずに科学的捜査法をとろうとしているのか、という説明も素晴らしい。素晴らしい、というのは、きわめてミステリー的だ、という意味だ。
とくに「おおっ」と思ったのは、ジョニー・デップと少年が森を歩いているときに、少年が異変に気づくシーン。こんな会話が交わされる。
「聞いて!」
「何も」
「僕もだ。鳥や虫の声ひとつない。静かすぎる」
これって、ホームズ的推理そのもの!
ジョニー・デップは科学的思考をしているようで、実は臆病だったりして、まあ魅力的に描かれているが、クリスティーナ・リッチがぜんぜん魅力的に描かれておらず、誰でもよかったんじゃないのか、という役割だったのが惜しい。

クリスチャン・カリオン監督の「戦場のアリア」は、決してだじゃれではない。
実話にもとづいているそうだが、クリスマスイブにそれぞれ塹壕でにらみあっている敵軍兵士たちが一時休戦して親交をもつ話。
この物語を甘い、と見るのは悲しい。
パレスチナ人の通行を無慈悲にさえぎり、発砲するイスラエル兵をドキュメンタリーでさんざん見た後なので、今のこの時代でも、この映画にあるような、「大義に反してでも人間として行動する」ようなエピソードが存在する余地があればいいのに、と思った。
広河隆一監督のドキュメンタリー「パレスチナ1948 NAKUBA(ナクバ)」を見た。
イスラエル建国によって発生したパレスチナ難民。着の身着のままで村を追い出されたパレスチナ人だが、その村のあとは、ただ破壊だけがなされており、すっかり荒れ地になっている。使い道ないんだったら、住まわせてやれよ!地上げ後の廃墟か!村には当然、墓地もあったわけだが、無残にも墓石も破壊している。
インティファーダの映像もあり、イスラエル側が発射したガス弾で広河監督がゲホゲホいうのが生々しい。石を投げるパレスチナ人、戦車と銃とガスで殺戮するイスラエル兵。死体があっちこっちで見つかるが、死がすぐ隣にある環境であることがひしひしと伝わる。
世界はちょっとずつでもよくなっているものと信じたい(チョムスキーなんかはそれを強調する)。でも、なんと遅々としか進まないものか。

読んだ本はスラヴォイ・ジジェクの『ラカンはこう読め!』
以下、目次。
死の前に生はあるか−日本語版への序文
1、空疎な身ぶりと遂行文/CIAの陰謀に立ち向かうラカン
2、相互受動的な主体/マニ車を回すラカン
3、<汝何を欲するか>から幻想へ/『アイズ・ワイド・シャット』を観るラカン
4、<現実界>をめぐる厄介な問題/『エイリアン』を観るラカン
5、自我理想と超自我/『カサブランカ』を観るラカン
6、「神は死んだが、死んだことを知らない」/ボボークと遊ぶラカン
7、政治のひねくれた主体/モハンマド・ボウェイリを読むラカン

「マニ車」は経文を書いた車で、これを回せば、経を読んだことになる。寺にもよくあるし、千日前アムザの近くにもあって、通りかかるたびによく回す。
「ボボーク」はドストエフスキーの短編からとった言葉で、肉体が滅びることをさしている。
「モハンマド・ボウェイリ」はドキュメンタリー映画作家テオ・ヴァン・ゴッホを殺したイスラム過激派の名前。
さて、本書はタイトルこそラカンの入門書っぽいが、内容はあいかわらずのジジェク節だった。目次見ていて思ったけど、このセンスは、物真似芸と似ているかもしれない。
たとえば、誰かが「寿司屋になったアントニオ猪木」という芸を考えたとしよう。そこで演じられるのは、芸人による猪木の応用である。同様に、ジジェクは「つづきましては、カサブランカを観るラカン」と演目を言って、面白く演じるのだ。
それぞれの章で引用される映画、文学の解釈の面白さ、論の進め方の楽しさは訳文の読みやすさも手伝って、これこそジジェクの面白さを誰にでも伝えることのできる1冊になったかもしれない。
ひとつ、共感しきりの部分があったので、引用しておこう。
「双方向性の裏返しが相互受動性である。(たんに受動的にショーを観ている代わりに)能動的に対象に働きかけるという状況を裏返せば、次のような状況が生まれる。すなわち、対象そのものが私から私自身の受動性を奪い取り、その結果、対象そのものが私の代わりにショーを楽しみ、楽しむという義務を肩代わりしてくれる。強迫的に映画を録画しまくるビデオ・マニア(私もそのひとりだ)ならほとんど誰もが知っているはずだ−ビデオデッキを買うと、テレビしかなかった古き良き時代よりも観る映画の本数が減るということを。われわれは忙しくてテレビなど観ている暇がないので、夜の貴重な時間を無駄にしないために、ビデオに録画しておく。後で観るためだ(実際にはほとんど観る治巻はない)。実際には映画を観なくても、大好きな映画が自分のビデオ・ライブラリに入っていると考えるだけで、深い満足感が得られ、時には深くリラックスし、無為という極上の時を過ごすことができる。まるで、ビデオデッキが私のために、私の代わりに、映画を観てくれているかのようだ」
引用が長い!でも、本1冊全部書き写したくなるほど、面白かったんだも〜ん。
イジー・メンツェル監督の「英国王 給仕人に乾杯!」を見た。2007年チェコ映画。
20世紀のチェコの歴史をなぞった軽いタッチの映画。
人間万事塞翁が馬みたいな話だが、その人生の転変は、時代の流れにそのまま乗っていった主人公だからこその起伏なのである。一方、タイトルにある「英国王給仕人」は主人公ではなく、彼が働く「ホテルパリ」の給仕長のことで、この給仕長は時代に流されない誇りを持っている。
ヨーロッパの美女たちの透き通るような裸がごまんと見れる映画でもあるが、罠のように仕掛けられた映像がわんさかとある。
主人公は硬貨をばらまき、偉そうにふんぞりかえっていた人までもが這いつくばってコインを拾おうとする姿を見るのが大好きだ。そして、床一面に敷き詰めた紙幣、有価証券を壁紙のように貼る主人公、空を舞う高価な切手。
価値があるとされる物が空間へ配置されるバリエーションが面白い。
また、主人公は情事の際に、女性の裸を花で飾ってそれを大きな鏡を使って見せるのが大好きだ。体を飾るのは、あるときは花ではなく、紙幣になり、また自分の裸を飾るのは名誉ある印であったりする。
鏡の使われ方で注目すべきは、年老いた主人公が家を鏡でいっぱいにして、その鏡にうつった自分自身を見つめるシーン。これら鏡は、近所では「ドイツ人がうつるから」と使われていなかったものを集めてきている。鏡にうつるのは、過去の時代に無批判に流されてきた自分と、現在の自分。
と、まあ、適当に思い出すままに並べてきたが、とにかく、自分が10代であったら、これら価値ある物と鏡の分析でいかにもな評論を書きたくなるだろう、というような、罠が満載なのだ。こういうメタファーの嵐を感じたのは、「パリ、テキサス」以来だ。こういう寓話的作法は、先日見た「厳重に監視された列車」などにくらべると、あざとい感じすらする。
結局、変わらないのはビールだけ、という結論も面白く、監督のニヤニヤ笑いが見えてくるようだ。

読んだ本はガヤトリ・スピヴァクとジュディス・バトラーによる『国家を歌うのは誰か?』だ。「国歌」じゃないよ。「国家」だよ。
一応、2人の対話、という態で本が書かれているが、前半はバトラーがえんえんとまくしたて、後半に入ってからは質疑応答のような形でスピヴァクがえんえんと答えるもので、討論というような雰囲気ではない。
バトラーはアーレントの「無国籍者」の考察とスペイン語でアメリカ国歌が歌われることについてを中心に。スピヴァクは質問がバラバラなので、一貫した主張らしきものはないか。
ただ、この本読んで感じたのは、バトラーとスピヴァクでは格が違うんだな、ということだった。ひょっとして、僕はバトラーを低く見過ぎてる?
大澤真幸の『帝国的ナショナリズム』を読んだ。
以下、目次。
1、日本の変容
なぜオウムの存在はかくも耐えがたいのか?
少年の殺人と電子メディア
家族の還元
国民への現代的信従
マルチストーリー・マルチエンディング
2、アメリカの変容
司法的精神の逆説−大統領の不倫
寛容と不寛容−コロンバイン高校銃撃事件
集団的否認−チャレンジャー事故
「人種なき人種主義」の回帰
3、現代社会の変容
加速資本主義論−ディズニーランドと世界の内外
エアポート論−「都市」以後の「ネーション」/多木浩二、大澤真幸
4、日本とアメリカの現在
帝国的ナショナリズム

4章の「帝国的ナショナリズム」は先般刊行された大著の露払い的書き下ろし。
最初のオウム論は興味深く読んだ。
「オウムがわれわれにとって脅威なのは、オウムがわれわれと大きく異なるからではなく、逆にわれわれと同じだから、われわれ自身だからである」と書いている。
「オウムをこの社会において完全に乗り越えるためには、オウムを排斥して撲滅するのではなく、オウムと共存してみせなくてはならないのだ」と。


珈琲舎アラビクで「人形がたり〜たまさか人形堂より〜」。
「人と人形(ヒトガタ)/混乱する主従関係」と題されている。
最終日にやっと覗く事が出来た。入ってすぐの所に並ぶ古書は昨日来たときにひととおり見ていた。ラインナップは素晴らしいが、あいにくと僕の探している本はなかった。
靴を脱いであがり、鞄をあずけて展示を見る。
山吉由利子、きんすなご、トサカネコ舎、佐藤珠子、山田恵子、てらなおみ、田沼佐和子、山本じん、相場るい児、井桁裕子、四谷シモンらによる作品を堪能する。
相場るい児さんの「人形愛」の根付シリーズが興味をひいた。

夜、銭ゲバに行ってみると、カナリヤちゃんが焼いた赤子クッキーがあった。
赤子の人形をクッキーの中に一緒に焼きこんだ菓子で、昼間に見た「人形がたり」の続きがここでも催されているかのようだった。

読んだ本はミシェル・オンフレの『哲学者、怒りに炎上す。』
以下、目次。

長椅子の下に憲兵がいたら?
ありえない共同体
生きた矛盾形容詞
第三の性道徳革命−同性愛の婚姻
アッラーは(あまりに)偉大なり
たくさんのお仲間たちと物書きたち−マガリ・コモー=ドニに捧げる
食人種を飼い慣らす方法
聖水を身に振りまいて
反ユダヤ主義が来たぞと叫ぶ!
狼話の後日談…
ありそうにないアメリカの理性
病人とロクデナシたち
ユダの原理
牛の鼻先でバカ騒ぎ
通信の衛生学
バカモノどものヨーロッパ
テレビ宗教の篤信家たち
ワラジムシの生
友情にともなう義務
不埒な裏切り者世代−ピエール・オルソニへ
ペダルをこぐジャン=ポール・サルトル
近所のパン屋を襲撃する
ケルヒャー掃除機の不毛な議論
哲学的脳天気
ネズミの権利
フランス人は死者がお好き
これは戯画ではない
アンネ(フランク)とヨーゼフ(ラッツィンガー)
メディア受けする哲学のつくり方
娘に語るジャーナリズム

情報誌『コルシカ』に掲載された時評をまとめたもの。
これが面白い!
例えば、アガンベンが「強制収容所」の類推でなんでも考えようとしているのを指して、こう言う。
「たとえば列車だって潜在的には殺人兵器だと決めつけることになる」と。
また、同じ種族のフェロモンによってのみ動かされているような人を「ワラジムシ」と呼ぶ。
リュック・フェリーのベストセラーが、今まで目のかたきにしてきたデリダとヴァネジェイムの本のタイトルを流用して付けられていることを暴露したり。
カトリックやイスラムにも歯に衣着せぬ言い方で挑発する。
欧州憲法条約の国民投票で反対票を投じようとする連中をこう評する。
「それは、バカモノどもだ。何も考えず、愚かしく、無教養な輩。乏しい購買力、乏しい頭脳、乏しい思考力、乏しい感性。学業の修了証もなく、自宅に本もなく、教養もなく、知性もない。彼らは田舎に、地方に暮らしている。農民、それもどん百姓、ヤボったい田舎っぺ。歴史というものの意味もわからず、政治的なグランドデザインがどんなものなのか想像もつかない。進歩の大きな息吹にもとんと無縁で、心は恐れで張り裂けんばかり」
さらに続く。
「反対派の連中は ポピュリスト、デマゴーグ、過激派、不満うずまく反動主義者。恨みを抱く人の典型だ」
反対が過半数をしめそうだという予測のもとでの記事にちがいないが、ここまで言うとすっきりする。
逆に賛成派をどう賛美しているかは、本書でのお楽しみ。

K1ワールドマックス。
自演乙とひなたの試合が見たかった。
今回はこの2人に尽きるでしょう。


今日は中崎町の天人でスズラン商店設立記念パーティ「華の宴」
僕は総合司会とパフォーマンス。
ちょっと来るのが早過ぎたので、中崎町界隈を散策。
いくつも店をのぞいてみた。今度ゆっくりとまわってみたい。

ONE PLUS ONE ギャラリーでニシオケイスケ写真展「色〜SHIKI〜」
亀甲縛りのトルソが画廊の入口に看板のようにたたずんでいる。
写真は外光の変化で見え方が違う作品とか、見せ方に工夫されたものが並んでいた。

さて、「華の宴」
僕の歌の後は、音楽的にも優れたメニューが用意されていた。
加藤吉樹&そうたろう(そうたろう少年による日本昔話。不思議なおとぎ話が語られる)
石田アキラ監督映像「クロネコのタンゴ」「美しき狼たち」(ひろたはなちゃんがヒロイン。「クロネコ」はせつなく、「狼たち」は笑わせるアクション)
加藤吉樹、岡崎俊介、カジュタータ、can(笑)、ひろたはなのライブ(加藤さんはウード、岡崎さんはホーミー、canは詩の朗読、はなちゃんは歌。「君をのせて」「荒城の月」「遠くへ行きたい」「四季の歌」が歌われる)
岡崎俊介&カジュタータによる口琴演奏。
音の力を感じさせる、いいイベントでした。
僕のような全方位音痴の人間を仲間に入れてくれて、ありがとう!と感謝感激雨あられ、という気持が、この日の雨を呼んだのであろうか。
僕の音痴を天は勘違いして、雨乞いだと思ったのかもしれない。
今日は浪速人権文化センター小ホールで「ガザ この現実『たたかうジャーナリスト』志葉玲・緊急報告会」
停戦後のガザに入って取材してきた志葉氏による写真とトークによる報告会。
2時からはじまり、休憩をはさんで、午後4時30分まで。
イスラエル軍の兵士が民家に押し入り、問答無用で殺戮を行い、壁に「おまえらみんな皆殺し」「逃げてもムダ」みたいな落書きを残したり、パレスチナ人ここに眠る、みたいな墓を描いていたりする写真は、考えさせられた。目の前で両親を虐殺された子どもたちが、どう育っていくのか。日本でも何か天災や事件があった後、児童の心のケアが取り沙汰されるようになってきた。毎日銃声と爆音を聞き、友人や血縁の者が簡単に殺されていく日々を過ごす子どもにそのケアが不要なはずがない。
質疑応答では、パレスチナ問題に関する誰もが抱いている疑問がなされた。いくぶんでも実情を知る志葉氏に意見をきいてみた、というスタンスだろう。考え方に極端な偏りがないため、非常にクリアな報告と質疑応答になり、志葉氏の意見に信頼性を感じとれた。何を信じればいいのか、というような甘いことは言っていられない。とりあえず、あきらめない。
http://reishiva.jp/
余談だが、ワイドショー見ていると、死刑問題に関して、よく言われるのは、「命を奪ったものは命をもって償うしかない」ということだ。当然、死刑賛成論になるだろう。殺人事件があれば大衆は極刑を望み、無期懲役にでもなろうものなら、コメンテーターは眉をひそめる。日本でこういうものの考え方が支配しているのなら、ガザで1300人もの人間の命を奪ったイスラエル人は、もちろん、それと同等の命をもって償うしかない、ということになろう。それでいいのか?日本は原爆で死んだ人数と同等の人殺しをアメリカに要求するべきなのではないか?イラクやアフガンは同数のアメリカ人を殺す権利があるんじゃないか?少なくとも、同程度のインフラの破壊をしてもいいのではないか?一方的に人を殺して平気な国が、死刑制度を温存させている矛盾を感じる。いや、矛盾はないのか。アメリカ人や日本人の命と、アラブ人の命は同等ではない、という考え方か。虫を殺すたびに人間の命とひきかえになってはたまらない、という感覚なのかな。

沢島忠監督の「冒険大活劇 黄金の盗賊」を見た。1966年。
松方弘樹と大瀬康一は盗みの罪で牢屋に入れられていたが、幻の豊臣軍用金300万両を探す任務を与えられ、冒険に駆り出される。
誰が敵やら味方やら。登場人物たちの正体もひとすじなわではいかない。
音楽を原信夫とシャープス&フラットが担当しており、時代劇ながら、モダンな音楽が使われている。007シリーズっぽい曲もあり、雰囲気としては、ルパン3世に似ている。目黒祐樹がルパン3世やってたつながりでそう感じたのかもしれないけど。そう言えば、エロいおかみの春川ますみに殺されてしまうけど、次元役の田中邦衛も出てた。
特撮も使われており、妙な薬を飲まされた主人公がバッドトリップを起こす幻想シーンは素敵だった。
大瀬康一が隠密と名乗って宿屋にとまるが、主人(藤山寛美)に「あれは隠密を騙っているだけの詐欺師だ」と言われるのも面白い。
ラストは、20年後に、取り損ねた軍用金を盗むため、江戸城に忍び込むシーンで終わる。
「冒険大活劇」と謳うだけあって、書き割りに特撮、漫画的展開が非常に軽くて明るい。
ワークルームで開催される「ロウソクの科学 薄暗がりで見る楽しみ」のプレイベント「ロウソク談話室」に行ってきた。
出品者の吉田稔美、藤本由紀夫、細馬宏通のトークと、マジックランタンの投影など。
トーク後は展示会場で、出品物を解説つきで観覧。
ロウソクの炎で見る透かし絵葉書や、立体写真、ピープショー。
それぞれが「スペクタクル」とは言い難い、ちょっとした快楽をひきおこすものだが、それこそ、それは心地よく秘密めいているのである。

ひととおり観覧後、銭ゲバで3月27日開催の「HELP!」の打ち合わせ。
と言いながら、店内でブルーレイが出たばかりの「AKIRA」を見て、『AKIRA』の第6巻を読んで、さらに「ダークナイト」を見たり、と、まるで家にいるかのようなくつろぎかた。
銭ゲバには友人たちが集まっていた。ここでは書けないような情報をしこたま仕入れる。
羽生王将1勝、深浦王位2勝で迎えた第4局。
両者の対戦成績は50戦で25勝25敗!
大盤解説は順位戦B級2組昇級を決めた安用寺五段。
将棋は羽生の圧勝ながら、深浦の受け方にも見るべきところあり。
早く終了したため、安用寺五段と塚田九段による順位戦の棋符から大盤解説のおまけつき。
それにしても、「次の一手」は当たったためしがないなあ。
僕のヘボさと運の無さには恐れ入るのである。

解説会後に、夜勤。

イジー・メンツェル監督のチェコ映画「厳重に監視された列車」を見た。1966年。
ボフミル・フラバル原作。
ナチスドイツ占領下のチェコが舞台。
童貞の少年をめぐる物語!
彼女との初体験がうまくいかず、自殺未遂する少年。
ナチスの軍用列車爆破に絡んで、大人になり、また射殺もされる少年。
音楽やせりふを抑えたモノクロームの画面は、全編実写なのに、不思議なムードを醸し出し、まるでチェコアニメを見ているかのよう。
これは面白かった。
でも、今日は日記が冴えないので、また後日全面的に書き直すか。今日はここまで。
トニー・ロビンソン&デイヴィッド・ウィルコック著の『図説「最悪」の仕事の歴史』を読んだ。
ローマ時代から中世、チューダー王朝時代、スチュアート王朝時代、ジョージ王朝時代、ヴィクトリア時代へとイングランドの歴史を追うなかで登場した最悪な仕事の数々。
「最悪」というのは、「きつい」「きたない」「危険」「低収入」「退屈」の5つの基準から選ばれている。
たしかに、最悪の仕事が並べられているが、実際に働きはじめると、マヒして毎日働いてしまうんだろうな、と思った。
きついに違いないと思って読んだ『原発ジプシー』では、きつさよりも、鈍い痛みのようなものを感じたが、この本で紹介されている仕事の多くも、そんな印象だった。
さて、内容については、また後日。
とにかく、この本も面白かった。

ローラーコースター・ラブ
録画、録音しておいた番組を中心に過ごす、のどかな(寒かったけど!)1日。
日曜落語なみはや亭は桂文枝の「たちぎれ」
ぐいぐい引き込まれた。
米朝よもやま噺は女道楽。「たちぎれ」に続いて三味線もの。いつもは日曜朝の落語と米朝は聞いたあとにはテープを重ね録りするけど、この1時間は永久保存版だな!
現代の音楽はカーゲル。
                         西村  朗
 − 作曲・この半世紀の潮流〜カーゲルの音楽 −
「ヘテロフォニー」         マウリシオ・カーゲル作曲
                      (34分05秒)
            (管弦楽)フランクフルト放送交響楽団
                (指揮)ミヒャエル・ギーレン
                   <WER−66452>
「パン」              マウリシオ・カーゲル作曲
                       (4分50秒)
           (ピッコロ)ディートマー・ウィーズナー
             (演奏)アルディッティ弦楽四重奏団
                    <MO782129>
以上、ラジオ。
四大陸フィギュアスケートのエキシビジョン。
優勝したから当たり前なんだろうけど、キム・ヨナってすごいな。ぞくぞくした。
上方演芸ホールは林家花丸の「厩火事」と桂梅團治の「八五郎坊主」
あと、「知るを楽しむ」の横尾忠則とか、三上夏輝ちゃんの出ている「美女裁判」とか、chamiの出ている「フジヤマスタア」とか、アニメいろいろ。
明石家電視台の松竹芸人との1時間スペシャルも面白かった。筒のぞきが見れたし。

見た映画はマノージ・アガルワール監督のインド映画「ローラーコースターラブ」(原題:HADH KAR DI AAPNE)2000年。(Agrawal監督はアグラワルと読みそうなのだが、アガルワールと表記があったので、それに従った)
浮気の現場をおさえようと奔走する夫婦。
妻はヨーロッパ旅行に出かける、とウソをつき、同姓同名の友人をかわりにヨーロッパに行かせる。ひとりになった夫はきっと別の女のところに行くに違いない、と踏んで。
一方、夫の方は妻が旅先で別の男と浮気するものと思い込み、探偵をヨーロッパ旅行の団体ツアーの中に潜入させる。
この影武者の女性と探偵が恋に落ちてしまう、歌とダンス、ギャグ満載の映画。
映画はじまってすぐ、バナナの皮を踏んですべるギャグが出て来る。ベタベタ!
全体をとおして、人の取り違えとか、誤解が生むギャグがこれでもかと出て来る。
主人公の探偵はゴーヴィンダーが演じており、この探偵の家族は全員がゴーヴィンダーがメイクや服装で演じわけている。早い話が、エディ・マーフィーのインド版だ。
部屋に侵入した探偵が、テレビに身を隠し、テレビ番組の登場人物のふりをして、歌を歌ったりするシーンはあまりのばかばかしさに大爆笑した。ドリフか!
ゴーヴィンダーと恋に落ち、紆余曲折を経て結ばれるヒロインはラーニー・ムケルジーが演じている。彼女もラストシーンでは男装して出て来る。その過剰で無駄なパワーには脱帽する。
インド映画は久しぶりに見たが、好色エネルギーとも呼べる力強さには驚かされた。
ヨーロッパ旅行での顛末が描かれているため、海外ロケでインド人が歌い踊るシーンが再三出て来る。スイスでのダンスシーンはいいとして、なぜ、バスでのヨーロッパ旅行なのにオーストラリアで歌い踊りまくっているのか、このあたり、むちゃくちゃなパワーだ。

今日は、あと映画1本見ようとしたけど、途中で力つきたり、フォーエヴァーレコードで『ハードスタッフ』12号買ったけど、全然読み切れなかったり。
日本橋PLATZで午後2時からポンバシデイズ。
以下、出演順にかんたんなメモ。

南あすか
現役女子高生。「暗い曲ばっかりですみません」と言ってた。
なんと初ライブらしい。

小岩井ことり
1.恋カナ
2.ゴッドノウズ(今日はこの後、何回もこの曲を聞くことになる)
3.ハッピーマテリアル
4.もっと派手にね
5.ロストマイミュージック
緊張しいだと自己紹介する。
大きなボタンとファスナーのついた可愛い衣装。
MBSのワールドコレクション見ると、彼女の声が聞けるらしい。

優恵
ニャンパラの予定が、優恵さまソロで。
走ってきたばかりだと言って、やたら暑がる。ここのステージはめちゃくちゃ暑いようで、この後、多くの出演者が「暑い」と連発する。
ゴッドノウズもやりました。

私立梅っ子学園
1.ハッピーマテリアル
2.梅流HAPPY
3.フレンズ(新曲!)
4.初恋色
5.AQUA SKY
開演前に物販しており、ライブは出番後に速攻バスで東京に帰ったらしい。
ケチャは鈴音りかちゃんがもっぱら担当していた。

うみこ。
マクロスFの「トライアングラー」にはじまり「ノーザンクロス」に終わる。
ノーザンクロスではお客さんに十字を切らせる。

Shino
和歌山限定のCM曲を歌ったり、タッチの歌、空色デイズなど。
フルコーラス歌わずに終わる曲も多くて、面白い。
さらにトークが面白い。
メルマガでも書いていた20才の女性の夢のない発言についてのトーク時、突然話題を変えねばならないことになって、持参の「そば茶」の宣伝をはじめたのには笑った。

アズ
アストロゲーション、いちごコンプリートなど。
しめくくりはいつものナイト。

ましゅまろチェリーBURGER
首や腰に獣がくっついていて、身体はさながら野獣の王国。
1.大声ダイヤモンド
2.ジリリキテル
3.都会っ子純情
4.乙女のポリシー
5.空色デイズ
6.スッペシャルジェネレ〜ション
7.アクエリオン
8.ゴッドノウズ
曲数も多く、ダンスも迫力あって、客席は大盛り上がり。

★SAKUR∀ん☆
ナルトっぽい恰好で出てきただけでなく、「ジャンプ見せられたらたかまる!」と言い、「ライブ中だけど、ジャンプ読んでいいですか」なんて言って笑わせる。
曲もワンピースの歌とか歌ってた。
男女の歌いわけも2曲あり。
「最後の曲になりました」「え〜〜〜、今来たばっかり」「ウソツキー」を「名古屋コール」として定着させようとしてた。

星崎なみ
1.ひとつ星
2.遠くへ
3.インザダーク
4.I wish
5.Together
6.フォーエヴァーウィズユー
アニメの主題歌&主演を目指しているとか。
この子の歌には癒される。

Mari7
この人はルックスもスタイルも音楽センスも歌唱力も秀でている。
彼女がアイドルイベントに降臨してくれる幸せを、我々はもっとありがたく享受すべきじゃないか、と思っている。
This is 運命では会場がハリケーンに荒らされたかのごとき盛り上がりになる。
ラストはいつものインスピレーション。

M/W
久しぶりのW。
1.ひとさし指ロマンス
2.ミッドナイトワンダーランド
3.サマーナイトタウン
4.オーバーザフューチャー
5.最強ヒロイン瞬殺スマイル
サイリウムと花束も!

城奈菜美
1.デイブレイク
2.ブロークンハート
3.哀戦士
4.DESIRE
5.オーバーロード
なんだか、格上のオーラが出てきました。

Marrydoll
ラブ&ジョイ(ウキウキウキウキDVD)のあとは、ノンストップでラストまで!ベイビースターからここにいるぜぇまで。何曲やったのかな。
アンコールでハニーチューン。
会場内の大暴れはもはやギリギリか。見ていて、伝統的な田舎の裸祭りみたいな印象も受けた。ライブ前には暴れてステージにあがったり、水をまいたりする行為を禁止する注意もされていたが、まるでテポドンのようにぶきみなペットボトルがあらわれ、みさなどは本気で怒ってた。(ように見えた。悲しそうだった)

ライブ終了後は物販タイム。あいもかわらず人が多くて、横目で見ただけで何も買わず。
午後8時を過ぎており、空腹もあって、こっこママとちょっと会話してすぐ帰宅。
録画しておいたR1サバイバルステージ見る。
ナオユキ師匠、惜しかった!でも見てて、ナオユキさんでも緊張するんだな、と思った。

JK21のイベント整理券を取りに扇町行く。ライブは午後5時からだが、整理券配付は午前10時から。でも、あわてる必要はなかった模様。

シネヌーヴォーXで古居みずえ監督のドキュメンタリー「ガーダ−パレスチナの詩」を見る。
ガザで生まれ育った女性ガーダを追った映画。
結婚に関して伝統にしばられずに自分の意見を極力通すガーダ。
そして平和になっていくはずのガザが一転してインティファーダ。
この映画は2005年の作品であるが、今のパレスチナ情勢を見ると、この映画に出てきた多くの人はイスラエル軍によって殺されているのかもしれない。
日常的にイスラエルからの攻撃や道路封鎖が行われているガザの映像を見ると、自分も何かできることはないか、と苛立ちにも似た気分にとらわれる。
ガーダは映画の終わりに、それに対するひとつの回答を寄せている。
闘うこと。必ずしも銃を持つことではなく、それぞれできることで闘う。
たとえば、ガーダの祖母は歌うことで闘う。
ガーダは本を書くことで闘おうとしている。
僕にできることは何なのか。

午後3時から心斎橋FAN-Jでオーディエンス参加型のライブ審査会「トビラボ」
ライブは全部で8組が出場したらしいが、時間の都合で、見たのは3人。
nana(15才/大阪)
1.hold on to a dream
2.デスペラード
服装にも「77」の数字が。洋楽大好きと言っており、センスの良さがうかがえる。
竹井彩夏(15才/大阪)
1.ひとりじゃないよ
2.言葉
2曲ともオリジナルの弾き語り。いや、これ、素晴らしいんじゃないかい?
SHIMA(21才/大阪)
1曲目のみ聞く。友だちのために作った曲を弾き語りしたが、内容から見て、誕生祝いの歌。こんなりっぱな歌を誕生祝いに歌われたら、てれくさくて穴を掘って隠れたくなりそう。
審査結果まで残れなかったが、どうなったのか気になるところ。

日本橋オタロードでのう☆かののストリートやってるかな、と思って寄ったが、遅れて決行だったらしく、今回は見れず。
http://analogsiztan.blog50.fc2.com/

扇町に戻って、午後5時から関西テレビなんでもアリーナでJK21バレンタインライブ。
司会は高見こころちゃん。
1.win winタイガース
2.花吹雪ハニーチップス
3.キラキラ乙女心めっちゃラブハッピー
4.もっともっと
5.フットマン
6.win win タイガース
途中、何回も衣装チェンジあり。どれもステージ衣装の華やかさには欠けるが、これはAKBの影響なのか。
21人のメンバー自己紹介もあり、以前からおしている紗知代とクランベリーズのリノを中心に見ていたが、今回、テコンドーが得意だという子がいて、ちょっと気になった。
ライブ終了後は、メンバー全員と握手して、しかもメンバーのサイン入りチョコレートがもらえた。入場無料のライブなのに、素晴らしい。
チョコレートはなんと紗知代のサインが入っており、それを本人からもらえた。
めっちゃラブハッピー!
テコンドーの子は握手するときの握力が弱くて、ちょっと肩すかし。僕はあまり握手会には参加しないのだが、ぎゅっと握手してくれると、好感度がグググンとアップする。今までアイドルの握手会で感動したのは、美勇伝の岡田唯の握手だった。まさしく「手を握る」握手だった。
さて、今回のライブで目立ったのは誰かというと、文句なしにリノだったろう。
テレビ出ていたり作詞したりする子もいるし、ダンスがうまい子もいる。
でも、リノが強烈に印象に残った。
特技として片眉をあげる、というおもろさをアピールできたのもその一つだが、ほとんど反則とも言えるアピールをやってのけたのだ。
「キラキラ乙女心めっちゃラブハッピー」で、1人間違えて歌い踊ったのだ!JK21は基本的に口パクなんだと思っていたが、この歌に関してはリノの暴走がマイクを通して聞き取れ、1人だけ違う振付けで一瞬踊っていた。
さらに、「もっともっと」では衣装を裏返しに着用して出て来るという大技に出た!
これらは、失敗と言ってしまえばそれまでなのだが、リノを強烈に印象づけ、しかも魅力倍増だった。「あいつ、おもろい!」最強の天然ではないか!素晴らしい!JK21は紗知代、リノ、テコンドーの3人をこれからも要チェックだ。
それと、MCの高見こころちゃんも、ステージ袖から「もっとのばしてのばして」の合図にきっちりこたえて場をつないでいたのが素晴らしかった。

難波に戻り、今日はTOHOシネマズで映画が千円で見れる日だったので、2本だけ見た。
「マンマミーア」
アバの曲を使ったミュージカル。
自分の父親候補の3人を結婚式に招いた娘。
このシチュエーションの面白さは、クィネルほど生かされてはいなかった。
中高年の男女が踊りまくる、ある意味、馬鹿映画。
ただ、最後にABBAの中で1、2を争う大好きな歌「サンキューフォーザミュージック」を主人公の娘役の子が歌ってくれたのがうれしくて、涙が出た。
デビッド・フィンチャー監督の「ベンジャミン・バトン数奇な人生」
スコット・フィッツジェラルド原作。
ブラッド・ピットの老けメイクはまあ予想どおりだが、若く見せるハリウッドマジックには驚かされた。
見た目はこども中身は老人が朝食をまだ食べていないと言い張るあたり、可笑しい。
ベンジャミンはどんどん若返るという前代未聞の体験をしているし、戦争に参加したり、印度行ったりして、それだけ見ると波乱万丈の人生を送っているはずなのに、映画のタッチは非常にさらっとしていて、ごくごく普通の人生を送ったようにしか思えない。これは狙いか?失敗か?

そうそう。今日はバレンタインだったのだ。
チョコの数に一喜一憂する時代はとうに過ぎ去ってしまったが、調子にのって、今日はチョコを食べすぎた。

『鉄板病』

2009年2月13日 読書
おちまさとの『鉄板病』を読んだ。
社会批評の本を続けて読めば読むほど、現代に住む一般大衆は愚民以外のなにものでもない、と感想を抱かざるをえない。
現代を嘆くだけでは、なんにもならないのに。
これも詳しくはまた後日。
岡田斗司夫の『オタクはすでに死んでいる』を読んだ。
慎重な書きようはしているが、どうしても世代論のアプローチが必要になり、読後はその印象が強く残る。
「オタク」にしろ、「デブ」にしろ、自意識過剰なネーミングについては、ピンとこないところがある。所与の部分が違うのだろう。
でも、腐女子みたいに、差異に拘泥しているつもりもないのだが。
とか、内容詳しくはまた後日。

天才てれび君MAXにPerfume出てた。
しかし、みどころはそこにはなく、ことりとメロディのデュエットにあった。
中嶋聡の『「心の傷」は言ったもん勝ち』を読んだ。
昨日読んだ『ブルマーはなぜ消えたのか』の延長線上にある論旨だが、編集との話し合いがあたのか、前作よりは言いたい放題ではなく、逆の立場への配慮もした記述になったいた。
以下、目次。
第1章 朝青龍問題と「心の病」
朝青龍はサボったのか/疾病利得とヒステリー/解離する意識/「心の病」の大膨張/新顔の「PTSD」/世の中のものさし/「心の傷」は大問題なのか/朝青龍の責任能力
第2章 軽症ヒステリーの時代
病名が患者を増やす?/「しっかりしろ」は禁句か/軽症ヒステリー患者たち/「適応障害」は後づけ/「心療内科」への誤解/「ギャンブル依存症」は存在しない/自助を助ける
第3章 セクハラは犯罪だろうか
セクハラに関する疑問/息苦しい論理/増殖する「ハラ」/相手が嫌なら「セクハラ」か/被害者がすべてを決める/ふざけてはいけないのか/単純化する思考
第4章 理不尽な医療訴訟
医療訴訟の問題/医師の説明責任をめぐって/治療の押し売りはできない/医師の裁量が認められない/患者と司法が医師を殺す
第5章 被害者帝国主義
「でっちあげ」の恐怖/「傷ついた」の万能性/「被害者帝国主義」の誕生/被害者の圧倒的有利
第6章 「辺縁」を生かす
ナースキャップが消えた/消された理由/本当に不要だったのか/消え行く名称/賭け麻雀は違法か/「辺縁」を考える/「お」が付くか/裁量を許す社会/患者様
第7章 精神力を鍛えよう
強い個人になるために/西本育夫君の話/「にもかかかわらず」の能力/精神力を鍛える七つのポイント

最後の「精神力を鍛える七つのポイント」は、
1、何事も人のせいにしない
2、おおざっぱでよいとする
3、忘れる」能力を身につける
4、辛いときでも相手の立場に立つ
5、不可能と決めつけない
6、自分を超える価値のために生きる
7、時にあって、全力を尽くす

前作では「ブルマー」本書では「ナースキャップ」
いやしかし、「被害者帝国主義」をここでも展開するとは。
僕自身は「加害者の人権ばかりが守られている」なんていう発言にはまったく賛成できないのだが、「被害者帝国主義」もちょっとどうか。
本書も懲りないおやじたちが「そう、そうだ、まったくだ」と同意するために書かれたもののようだ。
ただ、こういう意見が根強いことも認識しておかねばバランスを欠く、というものだ。

中嶋聡の『ブルマーはなぜ消えたのか〜セクハラと心の傷の文化を問う〜』を読んだ。
中嶋氏は1955年京都生まれの精神科医。
以下、目次。
第1部 ブルマーの消滅という出来事
1、なぜブルマーなのか
ときめきの青春時代
 ブルマーがある風景/幸せと喜びの源/消滅の兆し/全国を訪ねまわって絶望にいたる/清純派ブルマーファンは「アダルト」が嫌い
その後の私−絶望から開き直りまで
 失われる健康なエロス/避けられる苦しさと危険/のっぺらぼうになる名称/構想への踏みだし
本書のプログラム
2、ブルマーの消滅
まえおき
 ブルマーはいかがわしいのか?
ブルマーの歴史ー誕生から消滅まで
 セーラー服とセットだった/日本のブルマー発展史/ちょうちんからぴったり化繊へ/ブルマー消滅の過程
ブルマーを滅ぼしたものーその力学の分析
 形を変えていった要因は?/ブルマーをとりまく二つの力/規範と教育/人権とジェンダー/規範VS人権・ジェンダー
第2部 人権・ジェンダーから辺縁へ
3、人権と偏見について
急浮上する人権
 ある違和感/信念はそんなに急に変わるのか?
本性としての偏見
 分裂病者とは?/普通の人でなければいけない?/克服への道
4、性同一性障害をめぐって
それは突然現われた
ジェンダーについて
 なにも言えなくなる社会
性同一性障害は本当に疾患か
 性と感覚、どちらを信ずべき?
聖書的考察
 性とは神から与えられた限界である/違和感へのすりかえ
「性同一性障害」の患者にどう向き合えばよいか
 外科的手術は是か否か?
5、「辺縁」という概念
消えていった多くの事柄
 ブルマーが醸し出してくれた甘酸っぱさ/市電と蒸気機関車のある風景/「さん」づけの不自然さ/ジェンダー・フリーはここがおかしい/体罰か、指導か?/体育会系の伝統/伝統がつくりあげた緩衝地帯
「辺縁」について
 中心から外れたところに味わいがある/場としての辺縁と意味としての辺縁/さまざまな辺縁/類縁概念との関係
第3部 辺縁の社会精神病理
6、セクハラ
三つの問題点
嫌がらせは犯罪か
相手がセクハラと感じたらセクハラなのか
 傷ついた人のためにみんな犠牲になれ/接待・宴会・社員旅行がもつ力/パブリックとプライベートのあいだにある遊びの空間/セクハラがもたらす味気なさ/自分自身で決断する
なぜ「セク」ハラなのか
セクハラと辺縁の倫理
7、タバコと禁煙運動
ヒステリックな状況
なんのために吸うのか
 健康第一という強迫/この瞬間を味わうために/アイ・マスト・スモーク!!/志高性⊂辺縁
タバコの社会的効果
 唯一の楽しみとしての喫煙/タバコは交流をひろげてくれる/病棟禁煙化という逆風/大部屋なしの病院ドラマなどありえない
8、インフォームド・コンセント
決めるのはだれか
 説明しないのにはわけがある/パイロットと乗客のような関係
責任の所在をめぐって
 患者の構えを見てとる/重大な副作用から説明するわけではない/自己決定の問題点/選択できない患者
お任せという考え方
第4部 辺縁とこれからの社会
9、「傷つく」現代人と被害者帝国主義
嫌な思いをしたではなく、傷ついた
 少女よりおじさんの方が感じやすい/ストレスはあるのが当然である/強靱な精神をもつ
被害者帝国主義の台頭
 肉体の傷と精神の傷の違い/加害者と被害者の立場の違い/解決の方法は?/泣く子と地頭にはやはり勝てない/被害者が審判になる/配慮を求めるのでなく、乗り越える
10、辺縁を楽しむ社会へ 「生」の復権のために
個人的な楽しみ・意味を削ぎ落とす社会
 被害者帝国の出現/安全・安心のなかにひきこもる/ほどほどのエロスがなければ生きていけない/生の現実が遠ざかる/プロレスラーがその妻に負ける世の中/大人と子ども・専門家と素人のあいだに生まれる馬鹿馬鹿しさ
それぞれの欲望と楽しみを生かす社会
 辺縁と「タテ社会」との関係/辺縁がもたらすもの/だれもが嫌がらない楽しみなどない/禁止の法ではなく、認め合うマナーや節度を/一人でも喜ぶ人がいるならやろう/独自性を尊重する社会に向けて

目次を見てわかるように、ブルマーの消滅を足がかりにして、社会の話にひろがっていくが、読んでいる側としては、「いつになったら話がブルマーに戻ってくるんだろう」と待ち遠しくてならなかった。
著者の言う「辺縁」は難しそうな言い回しだが、まあ「風情」とか「趣き」みたいなものと考えていいだろう。主張はかなり本音を語ったもので、読んでいて痛快な部分もあるが、総じて保守的な意見が多くて、反論したいことが多かった。これが読書の醍醐味でもある。

思想地図vol.1

2009年2月9日 読書
書店では既に2号が並んで久しいが、『思想地図』vol.1をやっと読んだ。
以下、目次。

創刊に寄せて/東浩紀+北田暁大
[共同討議]「国家・暴力・ナショナリズム」/東浩紀+萱野稔人+北田暁大+白井聡+中島岳志
〜特集・日本〜
1、歴史のなかの「ナショナリズム」
日本右翼再考ーその思想と系譜をめぐって/中島岳志
日韓のナショナリズムとラディカリズムの交錯ー韓国の進歩イデオロギーと日本のアジア観を事例として/高原基彰
2、ニッポンのイマーゴポリティクス
マンガのグローバリゼーションー日本マンガ「浸透」後の世界/伊藤剛
データベース、パクリ、初音ミク/増田聡
物語の見る夢ー華文世界の文化資本/福嶋亮大
中国における日本のサブカルチャーとジェンダーー「80後」世代中国人若者の日本観/呉咏梅
[鼎談]日本論とナショナリズム/東浩紀+萱野稔人+北田暁大
ブックガイド「日本論」斎藤哲也
3、問題としての日本社会
「まつろわぬもの」としての宗教ー現代日本の「宗教」の位相/川瀬貴也
<生への配慮>が枯渇した社会/芹沢一也
社会的関係と身体的コミュニケーションー朝鮮学校のケンカ文化から/韓東賢
4、共和主義の再発明
共和制は可能か?/白田秀彰
死者への気づき/黒宮一太
[公募論文]キャラクターが、見ているーアニメ表現論序説/黒瀬陽平

予想以上に、現状報告というか、情報、知識をまとめた箇所が多かった。
知らないことだらけだったので、それはそれで楽しかったのだが、「へ〜、そうなんだ」といろいろ知るよりは、手持ちの情報からどんな思想を編み出してくれるか、という方に期待していただけに、ちょっと意外だった。
と、いうわけで、この一冊のなかで一番面白かったのは、公募論文の「キャラクターが、見ている」だった。各章前に、編集者からのガイダンスが書かれており、この「キャラクターが見てる」ではアニメ「あずまんが大王」「らきすた」「ぱにぽにだっしゅ」などを、『思想地図』の読者はあまり見ていないんじゃないか、と想定している文章が載っていた。逆な気がする。
野村佐紀子写真展@アセンス美術〜日本一亭南陵会@上方亭
心斎橋のアセンス美術で「黒闇」「夜間飛行」出版記念 野村佐紀子写真展
暗闇の中にほの見える写真。
この感覚って、よく体験したことがある、と思って、記憶をさぐってみた。
すると、わかった。
どこか遠くに出かけて宿泊したとき、室内の電灯を消して窓から入って来る明かりで物を見たときの気分に似ていたのだ。
少なくとも、自宅や自分のテリトリーにいるあいだには決して味わえない物の見え方だった。
なるほど、それで「夜間飛行」なのか、と妙に納得。

午後7時から上方亭で「日本一亭南陵会」
宇治川の一番渡り/旭堂美空
太閤と白猿/旭堂みなみ
利休と手取り釜/旭堂南洛
六州沖のコンスコン/旭堂南半球
雁風呂/旭堂南陵
お話のおねえさん風から、ガンダム講談までバラエティに富んだ講談会だった。
南半球さん、やりたい放題。これは面白い!
「雁風呂」はCMの「日本人って不思議だな」のエピソードから。南陵さん、落語との違いを随所でチクリチクリとアピール。

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