岡本敏子・内藤正敏共編による『岡本太郎 神秘』を読んだ。
岡本太郎が撮影した写真に、岡本太郎の文章を添えたもの。プリントは内藤正敏が行っている。
文章は、岡本太郎の『日本再発見-芸術風土記』『神秘日本』『美の呪力』『沖縄文化論』『岡本太郎の本1 呪術誕生』からとられている。
そして、貴重なのは写真群で、日本再発見のために東北をまわったときなどの記録で、公開するつもりがなかったものが、こうして本になったのだ。
東北や沖縄、といったいかにも「神秘」な土地と並んで、大阪の写真もあった。
住所が、大阪の河原町、とあるから、今だと難波、ミナミあたりだ。
大阪のページにあった『日本再発見』からとった文章を引用しておこう。写真は1957年に撮影されたものだ。
岡本太郎が撮影した写真に、岡本太郎の文章を添えたもの。プリントは内藤正敏が行っている。
文章は、岡本太郎の『日本再発見-芸術風土記』『神秘日本』『美の呪力』『沖縄文化論』『岡本太郎の本1 呪術誕生』からとられている。
そして、貴重なのは写真群で、日本再発見のために東北をまわったときなどの記録で、公開するつもりがなかったものが、こうして本になったのだ。
東北や沖縄、といったいかにも「神秘」な土地と並んで、大阪の写真もあった。
住所が、大阪の河原町、とあるから、今だと難波、ミナミあたりだ。
大阪のページにあった『日本再発見』からとった文章を引用しておこう。写真は1957年に撮影されたものだ。
この町の雰囲気ぐらい非芸術的であり、それが徹底しているところはない。
趣味性なんてものも、どこにあるというのか。
しかしここには、逆にそんなものをふきとばす活気というか、
熱気のようなものがあふれている。
それがこの町特有の雑多な悪趣味からたちのぼってくるのだ
芸術、教養なんて、
おつにすましたものは、鼻もひっかけない。
そういうかっこよさがここにある。
同じ上方文化の中心である京都とは真反対だ
色、匂い、すべてがどぎつく、肌にふれてくる。
トッ拍子もない見当ちがい
だがこれはまた魅力でもある
芸術は芸術から生れない。
非芸術からこそ生れるのだ
『アダムスファミリー全集』
2012年11月28日 読書
H・ケヴィン・ミゼロッキ編によるチャールズ・アダムスの『アダムス・ファミリー全集』を読んだ。
キャラクターの解説と、そのキャラクターが登場する作品を集めたもので、未発表作品も含めて紹介してあり、面白かった。
以下、目次。
まえがき
ファミリー
モーティシア
ゴメス
ウェンズデーと少年パグズリー
執事のラーチ
フランプおばあちゃん
フェスターおじさん
お化け
親戚と家族の友人
超絶にすてきな屋敷
キャラクターの解説と、そのキャラクターが登場する作品を集めたもので、未発表作品も含めて紹介してあり、面白かった。
以下、目次。
まえがき
ファミリー
モーティシア
ゴメス
ウェンズデーと少年パグズリー
執事のラーチ
フランプおばあちゃん
フェスターおじさん
お化け
親戚と家族の友人
超絶にすてきな屋敷
『もうひとつの内藤ルネ』
2012年11月27日 読書
増田セバスチャン監修の『もうひとつの内藤ルネ』を読んだ。
はじめに/増田セバスチャン
アヴァンギャルド
特別対談 宇野亜喜良、増田セバスチャン
ルネの友人たち
ファッショナブル
フェアリーテイル
特別対談 水森亜土 増田セバスチャン
内藤ルネ年譜
セクシャリティ
『もうひとつの内藤ルネ』刊行に寄せて/本間義春
はじめに/増田セバスチャン
アヴァンギャルド
特別対談 宇野亜喜良、増田セバスチャン
ルネの友人たち
ファッショナブル
フェアリーテイル
特別対談 水森亜土 増田セバスチャン
内藤ルネ年譜
セクシャリティ
『もうひとつの内藤ルネ』刊行に寄せて/本間義春
『数学的にありえない』上・下
2012年11月26日 読書
アダム・ファウアーの『数学的にありえない』上・下を読んだ。
ネタバレするので、要注意。
確率論。
主人公は確率を使った能力で危難を乗り越えていく。
作中では、物事が芳しくない方向に進んだときに、「巻戻し」して、やりなおす能力として描かれる。
どういうことか、というと、一言でいえば、リセット能力だ。
ゲームで失敗したときにリセットするように、何度でもやりなおして、うまく行った未来を選び取ることができるのだ。確率がどんなに低い事柄でも、ゼロじゃないかぎり、それは達成されるのである。
また、同じく確率を駆使した力を使うが、それは「風が吹けば桶屋が儲かる」方式だ。
作中では、ラプラスの魔や、不確定性理論などがわかりやすく解説もされている。
一読したとき、まるで漫画みたいだ、と思ったが、これは漫画の快楽、ゲームの快楽を一挙に味わえる、得がたいエンタテインメントだった。
タイトルも記憶に残りやすくて、いい。
ネタバレするので、要注意。
確率論。
主人公は確率を使った能力で危難を乗り越えていく。
作中では、物事が芳しくない方向に進んだときに、「巻戻し」して、やりなおす能力として描かれる。
どういうことか、というと、一言でいえば、リセット能力だ。
ゲームで失敗したときにリセットするように、何度でもやりなおして、うまく行った未来を選び取ることができるのだ。確率がどんなに低い事柄でも、ゼロじゃないかぎり、それは達成されるのである。
また、同じく確率を駆使した力を使うが、それは「風が吹けば桶屋が儲かる」方式だ。
作中では、ラプラスの魔や、不確定性理論などがわかりやすく解説もされている。
一読したとき、まるで漫画みたいだ、と思ったが、これは漫画の快楽、ゲームの快楽を一挙に味わえる、得がたいエンタテインメントだった。
タイトルも記憶に残りやすくて、いい。
山田風太郎少年小説コレクション第二巻『神変不知火城』
2012年11月20日 読書
山田風太郎少年小説コレクション第二巻『神変不知火城』を読んだ。
1巻に続いて、これもまた貴重な作品を、当時の挿絵とともに再現されている。
パート1は現代の推理もの、パート2は時代小説。
以下、目次。
パート1
「七分間の天国」(「The Student Times」1958年4月4日~7月18日)
脱獄の招待状/ハイ・ティーンの紳士/サングラスの踊り子/七分間の天国/闇に消えた男/「赤い花」の娘/盲はどっちだ/ナイフは闇をとんだのか/盲がもらった手紙/死の果物籠/娘探偵団/半子の報告/探偵参謀/敵地に入る/霧子の秘密/葉子の秘密
「誰が犯人か 窓の紅文字の巻」(「平凡」1952年2月号)
「誰が犯人か 殺人病院」(「平凡」1952年8月号)
パート2
「毒虫党御用心」(「中学生の友」1956年5月号)
「地雷火童子」(「少年クラブ1960年1~12月号)
いのししにのる少年/大助と小源太/真田の地雷火/幸村のやくそく/旅だつふたり/てんぐ山伏/だんがいの上/水はりつけ/かたきをうつぞ/京へいく船/淀の水けむり/四条河原/江戸へ/鈴鹿峠のまちぶせ/さがれ役人/船もろともに/てんぐ山伏/火と波のうず/あざわらう立てふだ/おそいくる野武士/剣のうずまき/月絵をさらえ/かべの虫/わなにおちた月絵/あくまの弓/とびちるてんぐ/車をにがせ/奇怪!かっぱ軍/九つのかっぱのお面/共同作戦/はさみうち/地雷火ぐるま/江戸の入り口で/海にしずむたから/地雷火はここだ/てんぐ大笑い
「神変不知火城」(「少年少女譚海」1951年1~5月号)
発端・八万地獄/燃ゆる渦潮の巻/海をわたる猿飛佐助/水牢と山牢/岩窟の姫君/孔雀を御す人
評判作家訪問 竹中顕(「少年少女譚海」1951年お年玉新年号)
作家の「不滅」とは 菊地秀行
編者解題 日下三蔵
「七分間の天国」は青春探偵団シリーズ。タイトルの意味が、まあ、花びら回転タイムみたいなもの。
つづく3編は推理クイズ。
「地雷火童子」は江戸に地雷火を運ぶ話だが、阻止しようとする者たちがいるなかでいかにして運ぶか、地雷火をどこに隠して運ぶか、と、面白みはたっぷり。『いだてん百里』の「地雷火の巻」のジュブナイル。
「神変不知火城」は天草四郎、森宗意軒、由比正雪、豊臣秀頼の娘・百姫、兇盗孔雀組、猿飛佐助、四郎が使う紅い鸚鵡サンタ・ルチア、孔雀組首領が乗って飛ぶ白孔雀。これら絢爛怪異な面々が、原城秘図争奪戦を繰り広げる、伝奇。
前篇終わりの部分にはこうある。
侠雄、神童、美少女、悪人のむれが、砲煙たちこめ、剣光きらめく原城をめぐって、まんじどもえとみだれたたかう波瀾万丈の物語は、いずれ筆をあらためて諸君におつたえすることにしよう。
後篇が書かれることはなかったが、風呂敷広げて、途中で終わってしまうのは、伝奇ものの醍醐味でもある。
1巻に続いて、これもまた貴重な作品を、当時の挿絵とともに再現されている。
パート1は現代の推理もの、パート2は時代小説。
以下、目次。
パート1
「七分間の天国」(「The Student Times」1958年4月4日~7月18日)
脱獄の招待状/ハイ・ティーンの紳士/サングラスの踊り子/七分間の天国/闇に消えた男/「赤い花」の娘/盲はどっちだ/ナイフは闇をとんだのか/盲がもらった手紙/死の果物籠/娘探偵団/半子の報告/探偵参謀/敵地に入る/霧子の秘密/葉子の秘密
「誰が犯人か 窓の紅文字の巻」(「平凡」1952年2月号)
「誰が犯人か 殺人病院」(「平凡」1952年8月号)
パート2
「毒虫党御用心」(「中学生の友」1956年5月号)
「地雷火童子」(「少年クラブ1960年1~12月号)
いのししにのる少年/大助と小源太/真田の地雷火/幸村のやくそく/旅だつふたり/てんぐ山伏/だんがいの上/水はりつけ/かたきをうつぞ/京へいく船/淀の水けむり/四条河原/江戸へ/鈴鹿峠のまちぶせ/さがれ役人/船もろともに/てんぐ山伏/火と波のうず/あざわらう立てふだ/おそいくる野武士/剣のうずまき/月絵をさらえ/かべの虫/わなにおちた月絵/あくまの弓/とびちるてんぐ/車をにがせ/奇怪!かっぱ軍/九つのかっぱのお面/共同作戦/はさみうち/地雷火ぐるま/江戸の入り口で/海にしずむたから/地雷火はここだ/てんぐ大笑い
「神変不知火城」(「少年少女譚海」1951年1~5月号)
発端・八万地獄/燃ゆる渦潮の巻/海をわたる猿飛佐助/水牢と山牢/岩窟の姫君/孔雀を御す人
評判作家訪問 竹中顕(「少年少女譚海」1951年お年玉新年号)
作家の「不滅」とは 菊地秀行
編者解題 日下三蔵
「七分間の天国」は青春探偵団シリーズ。タイトルの意味が、まあ、花びら回転タイムみたいなもの。
つづく3編は推理クイズ。
「地雷火童子」は江戸に地雷火を運ぶ話だが、阻止しようとする者たちがいるなかでいかにして運ぶか、地雷火をどこに隠して運ぶか、と、面白みはたっぷり。『いだてん百里』の「地雷火の巻」のジュブナイル。
「神変不知火城」は天草四郎、森宗意軒、由比正雪、豊臣秀頼の娘・百姫、兇盗孔雀組、猿飛佐助、四郎が使う紅い鸚鵡サンタ・ルチア、孔雀組首領が乗って飛ぶ白孔雀。これら絢爛怪異な面々が、原城秘図争奪戦を繰り広げる、伝奇。
前篇終わりの部分にはこうある。
侠雄、神童、美少女、悪人のむれが、砲煙たちこめ、剣光きらめく原城をめぐって、まんじどもえとみだれたたかう波瀾万丈の物語は、いずれ筆をあらためて諸君におつたえすることにしよう。
後篇が書かれることはなかったが、風呂敷広げて、途中で終わってしまうのは、伝奇ものの醍醐味でもある。
『アルカード城の殺人』
2012年11月15日 読書
ドナルド&アビー・ウェストレイクの『アルカード城の殺人』を読んだ。
これは、最近ではよく日本でも開催されるようになった、推理ゲームの記録である。
小説化されたものと、イベントの写真など。
事件が起こり、その謎を解くために、参加者は登場人物に質問したり、現場を調べたりする。
この回では、「アルカード城の殺人」というタイトルでわかるように、ドラキュラを思わせる城主のいる古城での事件が扱われる。
演者にスティーヴン・キングの姿もあって、すごく楽しそう。
推理パズルとしては、とくに新味があるわけでもないが、尋問、調査、推理をすることそのものに楽しさがあるようだ。
僕は、こういうイベントにまだ参加したことがないけれど、いらぬ推理の袋小路に進んで入ってしまいそうである。
これは、最近ではよく日本でも開催されるようになった、推理ゲームの記録である。
小説化されたものと、イベントの写真など。
事件が起こり、その謎を解くために、参加者は登場人物に質問したり、現場を調べたりする。
この回では、「アルカード城の殺人」というタイトルでわかるように、ドラキュラを思わせる城主のいる古城での事件が扱われる。
演者にスティーヴン・キングの姿もあって、すごく楽しそう。
推理パズルとしては、とくに新味があるわけでもないが、尋問、調査、推理をすることそのものに楽しさがあるようだ。
僕は、こういうイベントにまだ参加したことがないけれど、いらぬ推理の袋小路に進んで入ってしまいそうである。
スティーヴ・ハミルトンの『解錠師』を読んだ。
若き金庫破りの青春!
金庫破りなんだから、犯罪者で、作品の最初から既に逮捕されている。しかし、本人は悪人というわけではなく、周囲の状況で犯罪に手を染めていくせつない物語が語られる。
投獄されるに至る犯罪の顛末と、金庫破りとして一人前になるまでの育成物語が交互に語られる。
金庫破りの描写がくわしく、繊細で面白い。
作中でも言われてたように、方法はわかっていても、一生金庫破りになれない人間、というのもいて、自分のような鈍感な人間はさしずめ、そっち側なのかな、と思った。
若き金庫破りの青春!
金庫破りなんだから、犯罪者で、作品の最初から既に逮捕されている。しかし、本人は悪人というわけではなく、周囲の状況で犯罪に手を染めていくせつない物語が語られる。
投獄されるに至る犯罪の顛末と、金庫破りとして一人前になるまでの育成物語が交互に語られる。
金庫破りの描写がくわしく、繊細で面白い。
作中でも言われてたように、方法はわかっていても、一生金庫破りになれない人間、というのもいて、自分のような鈍感な人間はさしずめ、そっち側なのかな、と思った。
『映画を見に行く普通の男』
2012年11月12日 読書
ジャン・ルイ・シェフェールの『映画を見に行く普通の男』を読んだ。
映画作品や監督などの解説、評論ではなく、あくまでも、映画館体験といったものをなんとかして言おうとしている書。
そんなことができるのか、といえば、やはりどうしても、もどかしくなってしまうので、たまに翻訳者が訳注でツッコミをいれる。
以下、目次。
イントロダクション
神々
悪魔の人形/ミイラの幽霊/侏儒の嫉妬/失はれた地平線/人でなしの女――誰もいない/電話をするメイド/職業――ブヴァールとペキュシェ/ローレルとハーディー/兄弟にして姉妹/ヘラクレイトス的道化/白いオルギア/黒いオルギア(奴隷達とタ ブロー)/オブジェ/屍衣‐聖骸布/腸詰め/鶏/人間そっくり――ルサンブランス/バーレスクの身体/ネロの死/ネロの死、 傍らに誰か/蓄音機/理想化された存在は罪ある者の眼にしか見えない/悪魔の書/バーレスク 2/劇場のデブ/航路地図/ ナナ/煙/影/家の前/部屋/ベルリン型馬車、葉脈
犯罪的人生(フィルム)
犯罪的人生/暗闇の聖務/イマージュ群の回転/回転/人間の顔
図版一覧
訳者あとがき
映画作品や監督などの解説、評論ではなく、あくまでも、映画館体験といったものをなんとかして言おうとしている書。
そんなことができるのか、といえば、やはりどうしても、もどかしくなってしまうので、たまに翻訳者が訳注でツッコミをいれる。
以下、目次。
イントロダクション
神々
悪魔の人形/ミイラの幽霊/侏儒の嫉妬/失はれた地平線/人でなしの女――誰もいない/電話をするメイド/職業――ブヴァールとペキュシェ/ローレルとハーディー/兄弟にして姉妹/ヘラクレイトス的道化/白いオルギア/黒いオルギア(奴隷達とタ ブロー)/オブジェ/屍衣‐聖骸布/腸詰め/鶏/人間そっくり――ルサンブランス/バーレスクの身体/ネロの死/ネロの死、 傍らに誰か/蓄音機/理想化された存在は罪ある者の眼にしか見えない/悪魔の書/バーレスク 2/劇場のデブ/航路地図/ ナナ/煙/影/家の前/部屋/ベルリン型馬車、葉脈
犯罪的人生(フィルム)
犯罪的人生/暗闇の聖務/イマージュ群の回転/回転/人間の顔
図版一覧
訳者あとがき
レーモン・クノーの『棒・数字・文字』を読んだ。
いろんな文章を寄せ集めたような本であるが、これ、クノーのなかでも必読の1冊では、と思わされた。とくに、最後のウリポに関する文章など、最高に貴重だろう。僕は数学がからっきし苦手なので、四苦八苦なところもあったけど。
以下、目次。
前置きの部
1937年の論考
小説の技法
ジョルジュ・リーブモン=デセーニュとの対話
アカデミーの言語
人はしゃべる
チヌーク語をご存知か?
〔無題〕
1955年の論考
序文集
ギュスターヴ・フロベールの『ブヴァールとペキュシェ』
ウィリアム・フォークナーの『蚊』
ヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』
ジャン・クヴァルの『7月のランデヴー』
ある戦線のための読書案内
オマージュ集
終わりなきシンフォニー
すばらしい不意の贈り物
ジョイス語訳の一例
ジャック・プレヴェール 守り神
ファントマ
ドフォントネー
書記法さまざま
絵文字
活版印刷が生む妄想
何たる人生!
ミロあるいは先史時代の詩人
潜在文学
註記
初出一覧
57ページにつけ加えるスターリンに関連する註記
179ページにつけ加えるアンドレ・ブルトンに関連する註記
137ページにつけ加える幼形成熟に関連する註記
訳者解説
目次中の「ある戦線のための読書案内」というのは、フランス共産党機関紙「国民戦線」のために1944~1945に書かれたもので、おおざっぱに、何を書いていたかを記しておくと。
本の擁護、作家という職業、作家と人生経験、『春の情熱』アンドレ・ルッソー、言語と国際関係、哲学者の倫理、ファシストとハドリー・チェイスの小説、歴史書を好む大衆、すべては現在見られるような状態でずっと存在してきたのだと思ってしまうこと、詩の神秘と法則、後世に名を残すことと『即興詩人』、詩と破壊(『見えない証人』ジャン・タルデュー)、『エンリコ』ムールージ、シャルル・ペギー、『現代詩と聖なるもの』ジュール・モヌロ、『あわれな道化』アースキン・コールドウェル、『フランス映画の映像』ニコール・ヴドレス、『ヴァイマールのロッテ』トーマス・マン、残虐行為、『良い宿の人々』ヴォドリ、黒いユーモア、歴史的事件と表現、小説と歴史、『正義か慈悲か?1825年から1845年の社会におけるドラマとその証人』ジョセフ・エイナール、イギリスとアメリカの推理小説、『ビザンチン風フランス、あるいはマラルメ、ジッド、ヴァレリー、アラン、ジロドゥ、シュアレス、シュルレアリストら純文学の勝利-文学者の本源的心理学の試み』ジュリアン・バンダ、『ブーローニュの森の貴婦人たちをめぐって』ポール・ギュット、『無も同然』ドニ・マリオン、『ローマの偉大な神話』ジャン・ユボーと世紀、『ジャン・マデックの死』ブリス・パラン、ナチスと知識人、『バッタの生活』L・ショパール
と、まあ、こんな感じ。
いろんな文章を寄せ集めたような本であるが、これ、クノーのなかでも必読の1冊では、と思わされた。とくに、最後のウリポに関する文章など、最高に貴重だろう。僕は数学がからっきし苦手なので、四苦八苦なところもあったけど。
以下、目次。
前置きの部
1937年の論考
小説の技法
ジョルジュ・リーブモン=デセーニュとの対話
アカデミーの言語
人はしゃべる
チヌーク語をご存知か?
〔無題〕
1955年の論考
序文集
ギュスターヴ・フロベールの『ブヴァールとペキュシェ』
ウィリアム・フォークナーの『蚊』
ヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』
ジャン・クヴァルの『7月のランデヴー』
ある戦線のための読書案内
オマージュ集
終わりなきシンフォニー
すばらしい不意の贈り物
ジョイス語訳の一例
ジャック・プレヴェール 守り神
ファントマ
ドフォントネー
書記法さまざま
絵文字
活版印刷が生む妄想
何たる人生!
ミロあるいは先史時代の詩人
潜在文学
註記
初出一覧
57ページにつけ加えるスターリンに関連する註記
179ページにつけ加えるアンドレ・ブルトンに関連する註記
137ページにつけ加える幼形成熟に関連する註記
訳者解説
目次中の「ある戦線のための読書案内」というのは、フランス共産党機関紙「国民戦線」のために1944~1945に書かれたもので、おおざっぱに、何を書いていたかを記しておくと。
本の擁護、作家という職業、作家と人生経験、『春の情熱』アンドレ・ルッソー、言語と国際関係、哲学者の倫理、ファシストとハドリー・チェイスの小説、歴史書を好む大衆、すべては現在見られるような状態でずっと存在してきたのだと思ってしまうこと、詩の神秘と法則、後世に名を残すことと『即興詩人』、詩と破壊(『見えない証人』ジャン・タルデュー)、『エンリコ』ムールージ、シャルル・ペギー、『現代詩と聖なるもの』ジュール・モヌロ、『あわれな道化』アースキン・コールドウェル、『フランス映画の映像』ニコール・ヴドレス、『ヴァイマールのロッテ』トーマス・マン、残虐行為、『良い宿の人々』ヴォドリ、黒いユーモア、歴史的事件と表現、小説と歴史、『正義か慈悲か?1825年から1845年の社会におけるドラマとその証人』ジョセフ・エイナール、イギリスとアメリカの推理小説、『ビザンチン風フランス、あるいはマラルメ、ジッド、ヴァレリー、アラン、ジロドゥ、シュアレス、シュルレアリストら純文学の勝利-文学者の本源的心理学の試み』ジュリアン・バンダ、『ブーローニュの森の貴婦人たちをめぐって』ポール・ギュット、『無も同然』ドニ・マリオン、『ローマの偉大な神話』ジャン・ユボーと世紀、『ジャン・マデックの死』ブリス・パラン、ナチスと知識人、『バッタの生活』L・ショパール
と、まあ、こんな感じ。
『意識と社会 ヨーロッパ社会思想1890‐1930 』
2012年10月30日 読書
スチュアート・ヒューズの『意識と社会 ヨーロッパ社会思想1890‐1930 』を読んだ。
以下、目次
第1章 いくつかの予備的考察
第2章 1890年代―実証主義への反逆
第3章 マルクス主義批判
1.デュルケームと道徳的情熱としてのマルクス主義
2.パレートとエリート主義
3.クローチェと歴史解釈の規準としての史的唯物論
4.ソレルと「社会詩」としてのマルクス主義
補遺 グラムシとマルクス主義ヒューマニズム
第4章 無意識の発見
1.哲学的・科学的背景
2.ベルグソンと直観の使用
3.ジークムント・フロイト-認識論と形而上学
4.ジークムント・フロイト-社会哲学
5.ユングと「集合的無意識」
第5章 ジョルジュ・ソレルの現実探究
第6章 新理想主義の歴史観
1.ドイツ理想主義の伝統
2.ディルタイと「文化科学」の定義
3.ベネデット・クローチェ-『第一論文集』から『歴史叙述の理論および歴史』まで
4.ベネデット・クローチェ-倫理・政治史の概念
5.トレルチュ、マイネッケとドイツ的価値の危機
第7章 マキアヴェルリの後裔―パレート、モスカ、ミヘルス
補遺 アランとラディカリズムの再宣言
第8章 マックス・ヴェーバー―実証主義と観念論の克服
序説 デュルケームと実証主義の残滓
1.ヴェーバーの知的起源と初期の労作
2.方法論的局面
3.宗教研究
4.社会学と歴史
第9章 ヨーロッパの想像力と第一次世界大戦
1.1905年の世代
2.ペギーとアラン・フルニエ
3.小説家とブルジョワ的世界-ジードとマン
4.第一次世界大戦の道徳的遺産-シュペングラーと「先輩たち」
5.戦後の時代の文学的センセーション-ヘッセ、プルースト、ピランデルロ
第10章 1920年代の十年―裂け目に立つ知識人
1.新しい哲学的関心
2.社会問題
3.知識人の役割-マン、バンダ、マンハイム
4.一世代の回顧
文献に関するノート
バッサバッサと明快に切りまくる痛快な社会思想史だが、ときどき、「そんなに単純なのかな」と心配になってきたりする。ただ、面白いのは確かで、これはいわば、大胆に断言しても許される居酒屋談義の延長なんだろうな、と思うことにした。
以下、目次
第1章 いくつかの予備的考察
第2章 1890年代―実証主義への反逆
第3章 マルクス主義批判
1.デュルケームと道徳的情熱としてのマルクス主義
2.パレートとエリート主義
3.クローチェと歴史解釈の規準としての史的唯物論
4.ソレルと「社会詩」としてのマルクス主義
補遺 グラムシとマルクス主義ヒューマニズム
第4章 無意識の発見
1.哲学的・科学的背景
2.ベルグソンと直観の使用
3.ジークムント・フロイト-認識論と形而上学
4.ジークムント・フロイト-社会哲学
5.ユングと「集合的無意識」
第5章 ジョルジュ・ソレルの現実探究
第6章 新理想主義の歴史観
1.ドイツ理想主義の伝統
2.ディルタイと「文化科学」の定義
3.ベネデット・クローチェ-『第一論文集』から『歴史叙述の理論および歴史』まで
4.ベネデット・クローチェ-倫理・政治史の概念
5.トレルチュ、マイネッケとドイツ的価値の危機
第7章 マキアヴェルリの後裔―パレート、モスカ、ミヘルス
補遺 アランとラディカリズムの再宣言
第8章 マックス・ヴェーバー―実証主義と観念論の克服
序説 デュルケームと実証主義の残滓
1.ヴェーバーの知的起源と初期の労作
2.方法論的局面
3.宗教研究
4.社会学と歴史
第9章 ヨーロッパの想像力と第一次世界大戦
1.1905年の世代
2.ペギーとアラン・フルニエ
3.小説家とブルジョワ的世界-ジードとマン
4.第一次世界大戦の道徳的遺産-シュペングラーと「先輩たち」
5.戦後の時代の文学的センセーション-ヘッセ、プルースト、ピランデルロ
第10章 1920年代の十年―裂け目に立つ知識人
1.新しい哲学的関心
2.社会問題
3.知識人の役割-マン、バンダ、マンハイム
4.一世代の回顧
文献に関するノート
バッサバッサと明快に切りまくる痛快な社会思想史だが、ときどき、「そんなに単純なのかな」と心配になってきたりする。ただ、面白いのは確かで、これはいわば、大胆に断言しても許される居酒屋談義の延長なんだろうな、と思うことにした。
『春のめざめ-子供たちの悲劇』
2012年10月25日 読書
フランク・ヴェデキントの『春のめざめ-子供たちの悲劇』を読んだ。
性教育を受けずに抑圧ばかり受けていると、ろくなことにならない。
これは思春期の人に対しての性教育だけでなく、知ること全般にも拡大して言えることなのではないだろうか。寝た子を起こすな、という言葉は、既に起きている大人から発せられている、勝手な言葉だと思う。
この「春のめざめ」では、性教育以前のこどもたちの悲劇を描いているが、先生たちの名前が、サルシ・バイ、メタ・ボリク、ハラ・ガナル、ホネオ・リゾン、シタタ・ラズ、ハエ・キラーと、言葉遊びで出来ているのも面白い。悲劇一辺倒ではない、というところが楽しい作品に仕上がっているゆえんだ。
性教育を受けずに抑圧ばかり受けていると、ろくなことにならない。
これは思春期の人に対しての性教育だけでなく、知ること全般にも拡大して言えることなのではないだろうか。寝た子を起こすな、という言葉は、既に起きている大人から発せられている、勝手な言葉だと思う。
この「春のめざめ」では、性教育以前のこどもたちの悲劇を描いているが、先生たちの名前が、サルシ・バイ、メタ・ボリク、ハラ・ガナル、ホネオ・リゾン、シタタ・ラズ、ハエ・キラーと、言葉遊びで出来ているのも面白い。悲劇一辺倒ではない、というところが楽しい作品に仕上がっているゆえんだ。
『画家たちの二十歳の原点』
2012年10月23日 読書
『画家たちの二十歳の原点』を読んだ。
2011年に平塚市美術館、下関市立美術館、碧南市藤井達吉現代美術館、足利市立美術館を巡回した「画家たちの二十歳の原点」展の公式図録兼書籍。
必ずしもジャスト二十歳とはかぎらないが、その頃の文章や、回想によって、二十歳の頃の画家たちの作品と、文章が集められている。思春期の15歳頃は、明らかに熱に浮かされたような特異な時期なのであるが、20歳ははたしてどうなのだろう。「今も昔も、二十歳と言えば」というようなくくりは効かないように思える。成人、という区切りについても無自覚になってきつつある現在と、過去の芸術家たちの20歳との違いが、はっきりと見えるように思えた。
あと、純粋に、画集としても面白く読めた。
以下、目次
1.作品と言葉
金盥を叩くような、-槐多と私の「二十歳」/窪島誠一郎、
ぼくが二十歳のとき/野見山暁治、
あの頃ぼくはデザイナーの卵だった/横尾忠則、
二十歳の原点あるいは、表現の純粋衝動/森村泰昌、
路地裏の厚紙男/大竹伸明、
二十歳前の自画像について/O JUN、
二十歳の頃の糞作品/会田誠、
免罪符みた様なものが…/山口晃
書下ろしエッセイ収録。
◇掲載作家 黒田清輝 熊谷守一 青木繁 坂本繁二郎 萬鐡五郎 中村彜 安井曾太郎 梅原龍三郎 島野十郎 岸田劉生 恩地孝四郎 藤森静雄 田中恭吉 牧島如鳩 木村荘八 中川一政 河野通勢 林倭衛 村山槐多 佐伯祐三 関根正二 柳瀬正夢 尾形亀之助 猪熊弦一郎 三岸好太郎 海老原喜之助 長谷川二郎 吉原治良 三岸節子 靉光 筧忠治 桜井浜江 佐藤哲三 藤牧義夫 松本竣介 オノサト・トシノブ 桂ゆき 加藤太郎 野見山暁治 鴨居玲 草間彌生 靉嘔 池田満寿夫 横尾忠則 神田日勝 難波田史男 高畑正 森村泰昌 大竹伸明 O JUN 野村昭嘉 会田誠 山口晃 石田徹也
2、作品と略歴
3、テキスト
大正期の美術 そして村山槐多・関根正二/土方明司
青春の自画像/木本文平
明日の考察/江尻潔
2011年に平塚市美術館、下関市立美術館、碧南市藤井達吉現代美術館、足利市立美術館を巡回した「画家たちの二十歳の原点」展の公式図録兼書籍。
必ずしもジャスト二十歳とはかぎらないが、その頃の文章や、回想によって、二十歳の頃の画家たちの作品と、文章が集められている。思春期の15歳頃は、明らかに熱に浮かされたような特異な時期なのであるが、20歳ははたしてどうなのだろう。「今も昔も、二十歳と言えば」というようなくくりは効かないように思える。成人、という区切りについても無自覚になってきつつある現在と、過去の芸術家たちの20歳との違いが、はっきりと見えるように思えた。
あと、純粋に、画集としても面白く読めた。
以下、目次
1.作品と言葉
金盥を叩くような、-槐多と私の「二十歳」/窪島誠一郎、
ぼくが二十歳のとき/野見山暁治、
あの頃ぼくはデザイナーの卵だった/横尾忠則、
二十歳の原点あるいは、表現の純粋衝動/森村泰昌、
路地裏の厚紙男/大竹伸明、
二十歳前の自画像について/O JUN、
二十歳の頃の糞作品/会田誠、
免罪符みた様なものが…/山口晃
書下ろしエッセイ収録。
◇掲載作家 黒田清輝 熊谷守一 青木繁 坂本繁二郎 萬鐡五郎 中村彜 安井曾太郎 梅原龍三郎 島野十郎 岸田劉生 恩地孝四郎 藤森静雄 田中恭吉 牧島如鳩 木村荘八 中川一政 河野通勢 林倭衛 村山槐多 佐伯祐三 関根正二 柳瀬正夢 尾形亀之助 猪熊弦一郎 三岸好太郎 海老原喜之助 長谷川二郎 吉原治良 三岸節子 靉光 筧忠治 桜井浜江 佐藤哲三 藤牧義夫 松本竣介 オノサト・トシノブ 桂ゆき 加藤太郎 野見山暁治 鴨居玲 草間彌生 靉嘔 池田満寿夫 横尾忠則 神田日勝 難波田史男 高畑正 森村泰昌 大竹伸明 O JUN 野村昭嘉 会田誠 山口晃 石田徹也
2、作品と略歴
3、テキスト
大正期の美術 そして村山槐多・関根正二/土方明司
青春の自画像/木本文平
明日の考察/江尻潔
『江戸川乱歩作品論 一人二役の世界』
2012年10月18日 読書
宮本和歌子の『江戸川乱歩作品論 一人二役の世界』を読んだ。
江戸川乱歩の作品の元ネタを探る評論。
また、多くの作品に通底する一人二役を暴く試み。
江戸川乱歩というと、既にイメージが固まってしまっている域に達しているが、ここで展開されているのは、新たなアプローチで、面白く読めた。
以下、目次。
江戸川乱歩研究の新しい地平 紀田順一郎
はじめに
第一章 『ぺてん師と空気男』論
一、『ぺてん師と空気男』に対する評価
二、The Compleat Practical Jokerと『ぺてん師と空気男』
1.何も書いていない本を面白そうに読むジョーク
2.口から伸びる紐のジョーク
3.死後に遺族を驚かせた金持ちのジョーク
4.金物屋で本を買おうとするジョーク
5.寺院の鐘を13回鳴らすジョーク
6.理髪店に入り、巻尺や図面を広げるジョーク
7.喧嘩を始めようとした相手が幼なじみであったというジョーク
8.測量の手伝いを依頼するふりをして通行人に巻尺を持たせるジョーク
9.民間人宅周辺を混雑させ困らせるジョーク
10.バーで勘定をごまかすジョーク
11.探偵小説本の最初に犯人の名前を書き込んでおくジョーク
12.自前のベンチを公園に置き窃盗と勘違いさせるジョーク
三、探偵小説と落語
四、乱歩のジョーカー精神
五、Jokerと一人二役
六、『ぺてん師と空気男』論まとめ
第二章 「猟奇の果」論
一、「猟奇の果」について
二、宇野浩二「二人の青木愛三郎」と「猟奇の果」
三、村松梢風「談話売買処から買つた話」
1.中心人物が、働く必要のない一種の高等遊民であること
2.本人と生き写しの男、または本人を発見する場面が、クリスマス商戦で賑わう大きな店内であること
3.銀座のカフェへ立ち寄るさまと、カフェからたどり着いた中流住宅
4.主人公は美しい妻を持ちながら倦怠期にあり、浮気したこともあること
5.偽者が妻を奪うという構想
6.生き写しの人間の存在について、我々の常識では想像できないことがある、とすること。
四、「談話売買処から買つた話」と「猟奇の果」
五、「人間改造術」の着想
六、乱歩文学における「猟奇の果」の位置
第三章 「二人の探偵小説家」論
一、「二人の探偵小説家」について
二、名前の交換とアイデンティティーの融合
三、空気男の誕生
四、乱歩文学における「二人の探偵小説家」
第四章 「闇に蠢く」論
一、「闇に蠢く」執筆の事情
二、野崎三郎と籾山ホテル主人、えびす神
三、食人というテーマ
四、「闇に蠢く」の連載中絶
五、「闇に蠢く」論まとめ
第五章 「人でなしの恋」論
一、「人でなしの恋」のテーマ
二、門野の人物像と人形の描写
三、人形と京子
四、「人でなし」の恋
おわりに
あとがき
江戸川乱歩の作品の元ネタを探る評論。
また、多くの作品に通底する一人二役を暴く試み。
江戸川乱歩というと、既にイメージが固まってしまっている域に達しているが、ここで展開されているのは、新たなアプローチで、面白く読めた。
以下、目次。
江戸川乱歩研究の新しい地平 紀田順一郎
はじめに
第一章 『ぺてん師と空気男』論
一、『ぺてん師と空気男』に対する評価
二、The Compleat Practical Jokerと『ぺてん師と空気男』
1.何も書いていない本を面白そうに読むジョーク
2.口から伸びる紐のジョーク
3.死後に遺族を驚かせた金持ちのジョーク
4.金物屋で本を買おうとするジョーク
5.寺院の鐘を13回鳴らすジョーク
6.理髪店に入り、巻尺や図面を広げるジョーク
7.喧嘩を始めようとした相手が幼なじみであったというジョーク
8.測量の手伝いを依頼するふりをして通行人に巻尺を持たせるジョーク
9.民間人宅周辺を混雑させ困らせるジョーク
10.バーで勘定をごまかすジョーク
11.探偵小説本の最初に犯人の名前を書き込んでおくジョーク
12.自前のベンチを公園に置き窃盗と勘違いさせるジョーク
三、探偵小説と落語
四、乱歩のジョーカー精神
五、Jokerと一人二役
六、『ぺてん師と空気男』論まとめ
第二章 「猟奇の果」論
一、「猟奇の果」について
二、宇野浩二「二人の青木愛三郎」と「猟奇の果」
三、村松梢風「談話売買処から買つた話」
1.中心人物が、働く必要のない一種の高等遊民であること
2.本人と生き写しの男、または本人を発見する場面が、クリスマス商戦で賑わう大きな店内であること
3.銀座のカフェへ立ち寄るさまと、カフェからたどり着いた中流住宅
4.主人公は美しい妻を持ちながら倦怠期にあり、浮気したこともあること
5.偽者が妻を奪うという構想
6.生き写しの人間の存在について、我々の常識では想像できないことがある、とすること。
四、「談話売買処から買つた話」と「猟奇の果」
五、「人間改造術」の着想
六、乱歩文学における「猟奇の果」の位置
第三章 「二人の探偵小説家」論
一、「二人の探偵小説家」について
二、名前の交換とアイデンティティーの融合
三、空気男の誕生
四、乱歩文学における「二人の探偵小説家」
第四章 「闇に蠢く」論
一、「闇に蠢く」執筆の事情
二、野崎三郎と籾山ホテル主人、えびす神
三、食人というテーマ
四、「闇に蠢く」の連載中絶
五、「闇に蠢く」論まとめ
第五章 「人でなしの恋」論
一、「人でなしの恋」のテーマ
二、門野の人物像と人形の描写
三、人形と京子
四、「人でなし」の恋
おわりに
あとがき
『魂の詩人パゾリーニ』
2012年10月16日 読書
ニコ・ナルディーニの『魂の詩人パゾリーニ』を読んだ。
以下、目次。
序文
1.詩人それとも船乗り
2.いちばん美しい夏
3.農民の神秘
4.無教養な者たちの教師
5.弟グイドの死
6.フェリブリージュ派
7.あることの夢
8.スキャンダルの中で失われた愛人
9.将来の冒険
10.『生命ある若者』から『激しい生』まで
11.英雄の堕落
12.口先のうまい共産主義者
13.『アッカトーネ』から『奇蹟の丘』まで
14.他の映画と新たな論争
15.マリア・カラス
16.生の三部作
17.黙示録の怒り
18.アフリカ、唯一の選択肢
19.八十件の裁判
20.PCI(イタリア共産党)への要求
21.学生諸君、僕は君たちを憎む
22.新たな小説
23.沈黙は金
24.海賊作家
25.意味のない瓦礫の山
26.最後の夏
27.ああ、この世は何と美しい
訳者あとがき
パゾリーニの映画作品
年譜
ニコ・ナルディーニは、パゾリーニの親戚で、幼い頃の想い出など、親戚でないと書けない描写もあるのはいいのだが、本文を読んでいると、著者とパゾリーニとの、あるいはパゾリーニ家との関わりが、良好であったとはいえないような表現が出てきて、おやおや、と思った。著者はパゾリーニにとって、どういう人だったのだろう。
本書での中心的な主張は、パゾリーニの死について、しきりに陰謀説がささやかれているが、そんな陰謀などなかった、というものだ。妙な神話化がいやなのかもしれないし、親戚だから、もうパゾリーニの死についてはそっとしといてほしい、というようにもとれるが、なにぶん、著者がどういう人なのかわからないので、即断しかねるのである。ただ、パゾリーニの従兄弟である著者が「あれはやっぱり陰謀だった」と声高に主張するよりは、素直に聞ける内容ではあった。
以下、目次。
序文
1.詩人それとも船乗り
2.いちばん美しい夏
3.農民の神秘
4.無教養な者たちの教師
5.弟グイドの死
6.フェリブリージュ派
7.あることの夢
8.スキャンダルの中で失われた愛人
9.将来の冒険
10.『生命ある若者』から『激しい生』まで
11.英雄の堕落
12.口先のうまい共産主義者
13.『アッカトーネ』から『奇蹟の丘』まで
14.他の映画と新たな論争
15.マリア・カラス
16.生の三部作
17.黙示録の怒り
18.アフリカ、唯一の選択肢
19.八十件の裁判
20.PCI(イタリア共産党)への要求
21.学生諸君、僕は君たちを憎む
22.新たな小説
23.沈黙は金
24.海賊作家
25.意味のない瓦礫の山
26.最後の夏
27.ああ、この世は何と美しい
訳者あとがき
パゾリーニの映画作品
年譜
ニコ・ナルディーニは、パゾリーニの親戚で、幼い頃の想い出など、親戚でないと書けない描写もあるのはいいのだが、本文を読んでいると、著者とパゾリーニとの、あるいはパゾリーニ家との関わりが、良好であったとはいえないような表現が出てきて、おやおや、と思った。著者はパゾリーニにとって、どういう人だったのだろう。
本書での中心的な主張は、パゾリーニの死について、しきりに陰謀説がささやかれているが、そんな陰謀などなかった、というものだ。妙な神話化がいやなのかもしれないし、親戚だから、もうパゾリーニの死についてはそっとしといてほしい、というようにもとれるが、なにぶん、著者がどういう人なのかわからないので、即断しかねるのである。ただ、パゾリーニの従兄弟である著者が「あれはやっぱり陰謀だった」と声高に主張するよりは、素直に聞ける内容ではあった。
アラン・バディウの『愛の世紀』を読んだ。
2008年アヴィニョンのフェスティバルにおいて行われた、ジャーナリスト、ニコラ・トリュオングとの対談を基にしている。
以下、各章に、印象的だった文章を抜粋してみた。
第1章 脅かされる愛
愛を脅かす二つの敵「保険契約による安全と、制限された快楽のもたらす快適さ」
第2章 哲学者と愛
同一性ではなく、差異を受け入れることから検討され、実践され、生きられる世界とは何か、という問題
第3章 愛の構築
愛は構築であり、出会いに還元されるわけではありません。愛の思考の持つ謎とは、愛を完遂するこの持続に関する問いです。
第4章 愛の真理
偶然は定着されねばならない。
第5章 愛と政治
愛において目的とは、差異の観点からひとつひとつ「点」をたどりつつ世界を経験することであり、種の保存を確実にすることではありません。
愛にとっての敵とは、エゴイズムであり、恋敵ではありません。
第6章 愛と芸術
愛とは、最小限の「コミュニズム」である
結論
愛は常に歴史的出来事に結ばれていた。
反動の時代においては、人はアイデンティティの名において差異に嫌疑をかけます。
訳者解説
束縛(独占欲)や嫉妬によってだいなしになってしまう愛とは違う世界がここにはある。
2008年アヴィニョンのフェスティバルにおいて行われた、ジャーナリスト、ニコラ・トリュオングとの対談を基にしている。
以下、各章に、印象的だった文章を抜粋してみた。
第1章 脅かされる愛
愛を脅かす二つの敵「保険契約による安全と、制限された快楽のもたらす快適さ」
第2章 哲学者と愛
同一性ではなく、差異を受け入れることから検討され、実践され、生きられる世界とは何か、という問題
第3章 愛の構築
愛は構築であり、出会いに還元されるわけではありません。愛の思考の持つ謎とは、愛を完遂するこの持続に関する問いです。
第4章 愛の真理
偶然は定着されねばならない。
第5章 愛と政治
愛において目的とは、差異の観点からひとつひとつ「点」をたどりつつ世界を経験することであり、種の保存を確実にすることではありません。
愛にとっての敵とは、エゴイズムであり、恋敵ではありません。
第6章 愛と芸術
愛とは、最小限の「コミュニズム」である
結論
愛は常に歴史的出来事に結ばれていた。
反動の時代においては、人はアイデンティティの名において差異に嫌疑をかけます。
訳者解説
束縛(独占欲)や嫉妬によってだいなしになってしまう愛とは違う世界がここにはある。
『FBI vs ジーン・セバーグ―消されたヒロイン 』
2012年10月10日 読書
ジーン・ラッセル ラーソン、ギャリー マッギーの『FBI vs ジーン・セバーグ―消されたヒロイン 』を読んだ。
「勝手にしやがれ」などで有名な女優、ジーン・セバーグは、純粋に人種問題への思いから、ブラックパンサーに資金援助などをする。
これがFBIに目をつけられることになり、あの手この手でジーン・セバーグは社会的に抹殺されていく。
挙げ句の果てに、ジーン・セバーグは謎の死をとげる。FBIの関与はなかったのか。
以下、目次。
イントロダクション
第1章 ジーン・セバーグという神秘
第2章 ブラックパンサー
第3章 フーヴァー、FBI、コインテルプロ
第4章 セバーグ、一九六八年‐一九六九年
第5章 セバーグ、一九七〇年一月‐八月
第6章 セバーグ、一九七〇年八月‐十二月
第7章 セバーグ、一九七一年‐一九八〇年
第8章 ハリウッド、メディア、そしてFBI
エピローグ
付録1 AIM(アキュラシー・イン・メディア)報告
(AIMは右派系団体であり、この報告の内容は、「「ジーン・セバーグを殺したのはFBIではない」というもの。この報告に対して、著者はたんねんに反論を加えている)
付録2 FBIへのインタビュー
付録3 FBI文書
本書でのキーワード「コインテルプロ」の説明は次のとおり。
本書ではいくつかのコインテルプロが暴露されているが、その最も争点となったのは、次のようなものだった。
「パリにいるセバーグ氏が出産を予定しているが、子どもの父親が黒人過激派グループのメンバーである」
もちろん、根も葉もないでっちあげである。
権力はこういう手を使ってくるのか、こわいこわい、と言うよりも、こういうスキャンダルをあっさり信じて評価を変えてしまう一般大衆こそが、こわい、と言いたい。
「勝手にしやがれ」などで有名な女優、ジーン・セバーグは、純粋に人種問題への思いから、ブラックパンサーに資金援助などをする。
これがFBIに目をつけられることになり、あの手この手でジーン・セバーグは社会的に抹殺されていく。
挙げ句の果てに、ジーン・セバーグは謎の死をとげる。FBIの関与はなかったのか。
以下、目次。
イントロダクション
第1章 ジーン・セバーグという神秘
第2章 ブラックパンサー
第3章 フーヴァー、FBI、コインテルプロ
第4章 セバーグ、一九六八年‐一九六九年
第5章 セバーグ、一九七〇年一月‐八月
第6章 セバーグ、一九七〇年八月‐十二月
第7章 セバーグ、一九七一年‐一九八〇年
第8章 ハリウッド、メディア、そしてFBI
エピローグ
付録1 AIM(アキュラシー・イン・メディア)報告
(AIMは右派系団体であり、この報告の内容は、「「ジーン・セバーグを殺したのはFBIではない」というもの。この報告に対して、著者はたんねんに反論を加えている)
付録2 FBIへのインタビュー
付録3 FBI文書
本書でのキーワード「コインテルプロ」の説明は次のとおり。
1956年のFBI内の討議で持ち上がったのが「コインテルプロ」という名称で知られる対諜報活動プログラムである。その目的はアメリカ共産党を無力化することであるが、党や党員に関する流言を広めるといった「汚い目的」で党を機能不全にするなど、強引なやり口が特徴だった。
本書ではいくつかのコインテルプロが暴露されているが、その最も争点となったのは、次のようなものだった。
「パリにいるセバーグ氏が出産を予定しているが、子どもの父親が黒人過激派グループのメンバーである」
もちろん、根も葉もないでっちあげである。
権力はこういう手を使ってくるのか、こわいこわい、と言うよりも、こういうスキャンダルをあっさり信じて評価を変えてしまう一般大衆こそが、こわい、と言いたい。
「天神さんの古本まつり」@大阪天満宮~「四天王寺べんてんさん大古本祭」@四天王寺~「演芸情報フリーペーパー『よせぴっ』まだまだ、つづいて7年目!突入記念展」@ワッハ上方、『ミネハハ』
2012年10月9日 読書
大阪天満宮の「天神さんの古本まつり」で古書を物色。
結局、水上勉の推理小説を1冊だけ買う。
四天王寺の「四天王寺べんてんさん大古本祭」で古書を物色。
貸本漫画数冊と、ライヒやら出口裕弘やら買う。
ワッハ上方で「演芸情報フリーペーパー『よせぴっ』まだまだ、つづいて7年目!突入記念展」最終日すべりこみで見る。
座談会のときに、「よせぴっ」を「よせっぴ」と間違えて記憶している落語家さんがいる、と言ってたので、それをお祝いの色紙で確認。たしかに、2人、間違えてた~!
フランク・ヴェデキントの『ミネハハ』を読んだ。
映画「エコール」「ミネハハ 秘密の森の少女たち」の原作でもある。翻訳は市川実和子。
副題に「女子の身体的な教育について」とある。
つまさき歩行、ダンス、楽器演奏、逆立ち、水浴び、疲れ、眠り、老いたものや醜いものへの嫌悪、選抜、庭園、箱の中の裸の少女。
これら少女的なもので満ち満ちた作品。
女教師が自殺したことが巻頭明かされるが、ここで描かれる女子教育は、改善されるべきものであると同時に、そこには官能と美も見いだされるのである。
結局、水上勉の推理小説を1冊だけ買う。
四天王寺の「四天王寺べんてんさん大古本祭」で古書を物色。
貸本漫画数冊と、ライヒやら出口裕弘やら買う。
ワッハ上方で「演芸情報フリーペーパー『よせぴっ』まだまだ、つづいて7年目!突入記念展」最終日すべりこみで見る。
座談会のときに、「よせぴっ」を「よせっぴ」と間違えて記憶している落語家さんがいる、と言ってたので、それをお祝いの色紙で確認。たしかに、2人、間違えてた~!
フランク・ヴェデキントの『ミネハハ』を読んだ。
映画「エコール」「ミネハハ 秘密の森の少女たち」の原作でもある。翻訳は市川実和子。
副題に「女子の身体的な教育について」とある。
つまさき歩行、ダンス、楽器演奏、逆立ち、水浴び、疲れ、眠り、老いたものや醜いものへの嫌悪、選抜、庭園、箱の中の裸の少女。
これら少女的なもので満ち満ちた作品。
女教師が自殺したことが巻頭明かされるが、ここで描かれる女子教育は、改善されるべきものであると同時に、そこには官能と美も見いだされるのである。
『デ・トゥーシュの騎士』
2012年10月4日 読書
バルベー・ドールヴィイの『デ・トゥーシュの騎士』を読んだ。
ふくろう党のデ・トゥーシュ奪還の物語。
歴史冒険物語であるが、今までに読んだドールヴィイらしさも垣間見える。たとえば、作中人物が、こんなことを言う。
「妹よ、お前の話は<迂回>が多すぎる。ふくろう党の昔からの戦術だ!骨の髄までふくろう党の女だな…話までその戦略を採用するとは」
そして、ラスト近くになっての展開は、「すわ、ロートレック荘!」と探偵小説好きを色めきたたせる瞬間も用意している。
また、最後に明かされる、ある女性が顔を赤らめる理由にいたっては、叙述のトリックが使われているのである。
以下、目次。
第1章 一隅の三世紀
第2章 ヘレネーとパリス
第3章 老いたる老人のなかの若き老嬢
第4章 十二人組物語
第5章 最初の遠征
第6章 ふたつの遠征間の休止
第7章 第二の遠征
第8章 青の風車
第9章 ある紅潮の来歴
ふくろう党のデ・トゥーシュ奪還の物語。
歴史冒険物語であるが、今までに読んだドールヴィイらしさも垣間見える。たとえば、作中人物が、こんなことを言う。
「妹よ、お前の話は<迂回>が多すぎる。ふくろう党の昔からの戦術だ!骨の髄までふくろう党の女だな…話までその戦略を採用するとは」
そして、ラスト近くになっての展開は、「すわ、ロートレック荘!」と探偵小説好きを色めきたたせる瞬間も用意している。
また、最後に明かされる、ある女性が顔を赤らめる理由にいたっては、叙述のトリックが使われているのである。
以下、目次。
第1章 一隅の三世紀
第2章 ヘレネーとパリス
第3章 老いたる老人のなかの若き老嬢
第4章 十二人組物語
第5章 最初の遠征
第6章 ふたつの遠征間の休止
第7章 第二の遠征
第8章 青の風車
第9章 ある紅潮の来歴
『99999(ナインズ)』
2012年10月3日 読書
デイヴィッド・ベニオフの『99999(ナインズ)』を読んだ。
先日読んだベニオフの『卵をめぐる祖父の戦争』が滅法面白かったので、手にとってみた短編集。期待は裏切られなかった。
多くの作品が、死や、もっと言えば死者が重要な役割を果たす作品が多かった。一見、死と無関係の「99999」も、パンクス・ノット・デッドが結末の意味だとすれば、死と関連づく。これを牽強付会という。
以下、目次
「99999(ナインズ)」
パンクバンドのドラマーのフォード・ギャラクシーの走行距離計は99999.9.。距離計が回る瞬間を心待ちにしている。一方、そのバンドのボーカルの女性は引き抜きの契約にあって、ギャラは0がいくつも並ぶ。
バンマスでもあるドラマーは、言う。
「あいつにはおまえなんか要らなかった。バンドはおれのだったけど、スターはあいつだった。それでおれはよかったんだ。別に信じなくたっていい。おれはただあいつのうしろに坐って、ビートを刻んで、あいつを見てられりゃよかったんだよ。おまえはあいつをくそドラム・マシンみたいな音を出す野郎とスタジオに押し込んで、歌わせる気なんだろ?なあ、なんでだ?おれは欲深な男じゃない。ただ生活できりゃいい。贅沢しようとは思わない。なのになんでだ?おれじゃ力不足なのか?そういうことなのか?おれ程度のドラムじゃ物足りないってのか?」
ああ、悲痛!
ひとりスターダムにのしあがっていく女性ボーカルが、かつてのバンマスドラマーに思うことは、「あなたはあなたのままでいてくださいそのままで」的な世界。
「悪魔がオレホヴォにやってくる」
チェチェンの戦場で、新入りの兵卒が、敵の老婆を処分しろと命令を受ける。
揺れ動く若年兵。
「レクシはこれまで誰かを侮辱したこともなければ、友達のガールフレンドとセックスしたこともなかった。金を盗んだことも、誰かの車に自分の車をぶつけたこともなかった。それでも、ここにいる男たちは-ここにそういうやつらがいるとすれば-彼を殺そうとするだろう。そのことがレクシにはなんとも奇怪なことに思えた。見知らぬ人間が彼を殺そうとすることが。彼のことを知りもしないのに。それでも、彼らは彼を殺そうとするのだ。彼のしてきたことにはまったくなんの意味もないかのように。」
ああ、悲痛!
「獣化妄想」
逃げ出したライオンを射殺するエキスパートを父にもった息子は、美術館で聖フランチェスコの絵画の前で長時間過ごすのを日課にしていた。聖フランチェスコは、動物と心を通わせることができるのだ。そんなある日、彼は美術館でライオンに遭遇する。ライオンは、彼にウインクしてみせる。
「幸せの裸足の少女」
友達のキャディラックを盗んで、たまたま通りかかった少女と1日遊んだ16歳の少年。14年後、ふと思い立って、その少女を探して会いに行こうとする。
遊びに行った場所のひとつにハーシーのテーマパークがあり、これ、日本にも出来ないのかな、と思った。
「分・解」
シェルターの中で暮らす男。
正気を保つために毎日つづるブログがウィルスにおかされてしまう。
これ、男が徐々に壊れていくのと、ウィルスが進行して文章として体裁を失っていくのがあいまって、筒井康隆を読んでいるみたいな面白さがあった。
「ノーの庭」
何度オーディション受けても「ノー」しかもらえなかった女優が、ひょんなことから、成功の道をつかむ。そうした中で、自分のほうから「ノー」と「イエス」を発する事態を経験する。
「ネヴァーシンク貯水池」
遺骨を貯水池に散骨してほしい。別れた彼女の父親の遺志は、そんな無茶なものだった。彼女の部屋に合鍵で忍び込み、骨壷を持ち出して、貯水池に向かう男。彼は、その父親にどこかひかれていたのだ。
「ぼくたちは九ヶ月一緒にいて、そのあとはもう一緒でなくなった。昨日までぼくはきみの「可愛い人」で、今日からは「今でも最高の友」ということになった」
せつない!
「幸運の排泄物」
エイズを患うカップル。1人は助かり、1人は死ぬ。
シェーヴィング・パーティーっての、参加はともかく、見てみたい。
先日読んだベニオフの『卵をめぐる祖父の戦争』が滅法面白かったので、手にとってみた短編集。期待は裏切られなかった。
多くの作品が、死や、もっと言えば死者が重要な役割を果たす作品が多かった。一見、死と無関係の「99999」も、パンクス・ノット・デッドが結末の意味だとすれば、死と関連づく。これを牽強付会という。
以下、目次
「99999(ナインズ)」
パンクバンドのドラマーのフォード・ギャラクシーの走行距離計は99999.9.。距離計が回る瞬間を心待ちにしている。一方、そのバンドのボーカルの女性は引き抜きの契約にあって、ギャラは0がいくつも並ぶ。
バンマスでもあるドラマーは、言う。
「あいつにはおまえなんか要らなかった。バンドはおれのだったけど、スターはあいつだった。それでおれはよかったんだ。別に信じなくたっていい。おれはただあいつのうしろに坐って、ビートを刻んで、あいつを見てられりゃよかったんだよ。おまえはあいつをくそドラム・マシンみたいな音を出す野郎とスタジオに押し込んで、歌わせる気なんだろ?なあ、なんでだ?おれは欲深な男じゃない。ただ生活できりゃいい。贅沢しようとは思わない。なのになんでだ?おれじゃ力不足なのか?そういうことなのか?おれ程度のドラムじゃ物足りないってのか?」
ああ、悲痛!
ひとりスターダムにのしあがっていく女性ボーカルが、かつてのバンマスドラマーに思うことは、「あなたはあなたのままでいてくださいそのままで」的な世界。
「悪魔がオレホヴォにやってくる」
チェチェンの戦場で、新入りの兵卒が、敵の老婆を処分しろと命令を受ける。
揺れ動く若年兵。
「レクシはこれまで誰かを侮辱したこともなければ、友達のガールフレンドとセックスしたこともなかった。金を盗んだことも、誰かの車に自分の車をぶつけたこともなかった。それでも、ここにいる男たちは-ここにそういうやつらがいるとすれば-彼を殺そうとするだろう。そのことがレクシにはなんとも奇怪なことに思えた。見知らぬ人間が彼を殺そうとすることが。彼のことを知りもしないのに。それでも、彼らは彼を殺そうとするのだ。彼のしてきたことにはまったくなんの意味もないかのように。」
ああ、悲痛!
「獣化妄想」
逃げ出したライオンを射殺するエキスパートを父にもった息子は、美術館で聖フランチェスコの絵画の前で長時間過ごすのを日課にしていた。聖フランチェスコは、動物と心を通わせることができるのだ。そんなある日、彼は美術館でライオンに遭遇する。ライオンは、彼にウインクしてみせる。
「幸せの裸足の少女」
友達のキャディラックを盗んで、たまたま通りかかった少女と1日遊んだ16歳の少年。14年後、ふと思い立って、その少女を探して会いに行こうとする。
遊びに行った場所のひとつにハーシーのテーマパークがあり、これ、日本にも出来ないのかな、と思った。
「分・解」
シェルターの中で暮らす男。
正気を保つために毎日つづるブログがウィルスにおかされてしまう。
これ、男が徐々に壊れていくのと、ウィルスが進行して文章として体裁を失っていくのがあいまって、筒井康隆を読んでいるみたいな面白さがあった。
「ノーの庭」
何度オーディション受けても「ノー」しかもらえなかった女優が、ひょんなことから、成功の道をつかむ。そうした中で、自分のほうから「ノー」と「イエス」を発する事態を経験する。
「ネヴァーシンク貯水池」
遺骨を貯水池に散骨してほしい。別れた彼女の父親の遺志は、そんな無茶なものだった。彼女の部屋に合鍵で忍び込み、骨壷を持ち出して、貯水池に向かう男。彼は、その父親にどこかひかれていたのだ。
「ぼくたちは九ヶ月一緒にいて、そのあとはもう一緒でなくなった。昨日までぼくはきみの「可愛い人」で、今日からは「今でも最高の友」ということになった」
せつない!
「幸運の排泄物」
エイズを患うカップル。1人は助かり、1人は死ぬ。
シェーヴィング・パーティーっての、参加はともかく、見てみたい。
セサル・アイラの『わたしの物語』を読んだ。
余は如何にして修道女となりし乎、という物語のはずなのだが。
まるで、あだち充の「いつも美空」なみに、いつになったら、そういう話になるんだろう、と迂回しまくる。
読者は、読んですぐに、どう考えてもこの主人公が修道女になんかなれっこないことがわかるが、ならば、どうやって修道女になれたというのか、聞いてみようじゃないか、と待ち構えるのである。そして、その期待は、裏切られ続ける。
全体として、虚言癖のある人物が妄想をもとにえんえんと言い訳を繰り広げる内容がそのまま小説になったような作品で、これはもう他では得がたい読書体験というか、面白くて面白くて仕方がなかった。
本書の原題はCómo me hice monjaで、表紙の写真は、桃色のもんじゃ。原題に「monja」があるから、それを「もんじゃ」と読んだのか、ぶっとんでるな~、と思ったら、表紙のピンク色のは、「もんじゃ」ではなく、いちごのアイスクリームだった。物語は、いちごのアイスクリームをどうしても食べたくなくて泣いている主人公のシーンではじまるのだ。この「アイスクリーム」がなぜか重要なキーワードになっているのは、読後気づかされる。
この本は、「創造するラテンアメリカ」のシリーズで、いわゆるラテンアメリカ5人衆の持つ味わいとは全然違う世界があって、楽しめた。必読!
余は如何にして修道女となりし乎、という物語のはずなのだが。
まるで、あだち充の「いつも美空」なみに、いつになったら、そういう話になるんだろう、と迂回しまくる。
読者は、読んですぐに、どう考えてもこの主人公が修道女になんかなれっこないことがわかるが、ならば、どうやって修道女になれたというのか、聞いてみようじゃないか、と待ち構えるのである。そして、その期待は、裏切られ続ける。
全体として、虚言癖のある人物が妄想をもとにえんえんと言い訳を繰り広げる内容がそのまま小説になったような作品で、これはもう他では得がたい読書体験というか、面白くて面白くて仕方がなかった。
本書の原題はCómo me hice monjaで、表紙の写真は、桃色のもんじゃ。原題に「monja」があるから、それを「もんじゃ」と読んだのか、ぶっとんでるな~、と思ったら、表紙のピンク色のは、「もんじゃ」ではなく、いちごのアイスクリームだった。物語は、いちごのアイスクリームをどうしても食べたくなくて泣いている主人公のシーンではじまるのだ。この「アイスクリーム」がなぜか重要なキーワードになっているのは、読後気づかされる。
この本は、「創造するラテンアメリカ」のシリーズで、いわゆるラテンアメリカ5人衆の持つ味わいとは全然違う世界があって、楽しめた。必読!