ナンシー・ローハン監督の「ファミリー・ゲーム/双子の天使」を見た。1998年。
これもまた「ふたりのロッテ」。
キャンプで出逢った瓜二つの少女。
双子の姉妹だということが判明し、入れ替わって写真でしか知らない親に会いにいく2人。
父親側には財産目当ての悪女。
離婚した両親をまたくっつけようとする双子。
ものわかりのいい祖父と執事と家政婦。
と、体言止めの羅列。
この映画での双子は、リンゼイ・ローハンが二役を演じている。
昨日見た「ひとりっ娘2」では実際に双子が演じていたけど、こっちは特撮で1人を同じ画面に出現させている。のだが、まったく違和感がなくて、特撮技術の進化と、それ以上にリンゼイ・ローハンの演技力が光っていた。「晴子の応援団長」とは、時代も技術も演技力も違う、という感じがした。
この映画のみどころは、1にも2にもリンゼイ・ローハンの可愛さにある。
とくに、リンゼイ・ローハンどうしのフェンシングシーン!
当時11歳だか12歳だかの彼女はほんとに魅力的だ。
その後、彼女は歌手として全米デビューしたり、パーティーに入り浸りだったり、太ったり激やせしたり、ハリウッド女優の激動人生を送っているようだ。
まだ20歳そこそこのうちに人生を消尽してしまわないように祈るのみだ。
これもまた「ふたりのロッテ」。
キャンプで出逢った瓜二つの少女。
双子の姉妹だということが判明し、入れ替わって写真でしか知らない親に会いにいく2人。
父親側には財産目当ての悪女。
離婚した両親をまたくっつけようとする双子。
ものわかりのいい祖父と執事と家政婦。
と、体言止めの羅列。
この映画での双子は、リンゼイ・ローハンが二役を演じている。
昨日見た「ひとりっ娘2」では実際に双子が演じていたけど、こっちは特撮で1人を同じ画面に出現させている。のだが、まったく違和感がなくて、特撮技術の進化と、それ以上にリンゼイ・ローハンの演技力が光っていた。「晴子の応援団長」とは、時代も技術も演技力も違う、という感じがした。
この映画のみどころは、1にも2にもリンゼイ・ローハンの可愛さにある。
とくに、リンゼイ・ローハンどうしのフェンシングシーン!
当時11歳だか12歳だかの彼女はほんとに魅力的だ。
その後、彼女は歌手として全米デビューしたり、パーティーに入り浸りだったり、太ったり激やせしたり、ハリウッド女優の激動人生を送っているようだ。
まだ20歳そこそこのうちに人生を消尽してしまわないように祈るのみだ。
アンディ・テナント監督の「ひとりっ娘2」(ひとりっ娘の二乗=事情と読む)を見た。1995年。
境遇の違う瓜二つの少女が入れ替わって、親を幸せにする話。
9才の少女アマンダは孤児。引き取り先が決まったかと思ったら、これがバットキス家という見るからに怪しそうな家。いっぱい孤児をひきとって、後に判明するけど、強制労働させていたのだ。
一方、アリッサは大金持ちの娘で、ピアノのコンクールで優勝したりしている、上品な娘。
アリッサの父親ロジャーは妻を亡くしており、新しく継母として来る女性クラリスは、財産目当ての悪女で、子供嫌い。
アマンダとアリッサは血のつながりはないが、まったく瓜二つ。
アマンダがアリッサの家にピンポンダッシュしようとして、執事に人間違いされ、家に招き入れられ、一方、アリッサは継母嫌さに家出したら、孤児たちを引率するソーシャルワーカーのダイアンに人間違いされてキャンプに。
この2人が出逢って、結託してクラリスとロジャーの結婚を阻止し、ロジャーとダイアンをくっつけようとする。
この瓜二つの少女を、メアリー・ケイト・オルセンとアシュレー・オルセンの双生児が演じている。「フルハウス」でさらに幼い姿が見れるが、この「ひとりっ娘2」から10年以上たって、この2人はすっかり成熟した女性になっているようだ。
さて、この映画はエーリッヒ・ケストナーの「ふたりのロッテ」のバリエーションで、なんといっても愉快なのは、作品中にいたずらが満載なところ。
クラリスが結婚式をぶちこわされ、挙げ句の果には少女にウェディングドレスのすそを踏まれて下着姿になってしまうくだりでは、かわいそうに思ってしまうほどだった。
僕のなかでは、双子はいたずら好きだという固定観念があるが、こういう映画のなせるわざなのだろうか。
そして、執事がものわかりのいい役なのは、これもまた、ハイジのセバスチャン以来の、僕のなかでの固定観念そのものである。
なお、この映画で、少年ナイフの歌声が聞けて、こりゃいいなあ、と思ってたけど、少年ナイフは世界的にメジャーだから、当たり前と言えば当たり前か。
境遇の違う瓜二つの少女が入れ替わって、親を幸せにする話。
9才の少女アマンダは孤児。引き取り先が決まったかと思ったら、これがバットキス家という見るからに怪しそうな家。いっぱい孤児をひきとって、後に判明するけど、強制労働させていたのだ。
一方、アリッサは大金持ちの娘で、ピアノのコンクールで優勝したりしている、上品な娘。
アリッサの父親ロジャーは妻を亡くしており、新しく継母として来る女性クラリスは、財産目当ての悪女で、子供嫌い。
アマンダとアリッサは血のつながりはないが、まったく瓜二つ。
アマンダがアリッサの家にピンポンダッシュしようとして、執事に人間違いされ、家に招き入れられ、一方、アリッサは継母嫌さに家出したら、孤児たちを引率するソーシャルワーカーのダイアンに人間違いされてキャンプに。
この2人が出逢って、結託してクラリスとロジャーの結婚を阻止し、ロジャーとダイアンをくっつけようとする。
この瓜二つの少女を、メアリー・ケイト・オルセンとアシュレー・オルセンの双生児が演じている。「フルハウス」でさらに幼い姿が見れるが、この「ひとりっ娘2」から10年以上たって、この2人はすっかり成熟した女性になっているようだ。
さて、この映画はエーリッヒ・ケストナーの「ふたりのロッテ」のバリエーションで、なんといっても愉快なのは、作品中にいたずらが満載なところ。
クラリスが結婚式をぶちこわされ、挙げ句の果には少女にウェディングドレスのすそを踏まれて下着姿になってしまうくだりでは、かわいそうに思ってしまうほどだった。
僕のなかでは、双子はいたずら好きだという固定観念があるが、こういう映画のなせるわざなのだろうか。
そして、執事がものわかりのいい役なのは、これもまた、ハイジのセバスチャン以来の、僕のなかでの固定観念そのものである。
なお、この映画で、少年ナイフの歌声が聞けて、こりゃいいなあ、と思ってたけど、少年ナイフは世界的にメジャーだから、当たり前と言えば当たり前か。
制服向上委員会「真夏の祭典・50曲LIVE」
2006年8月20日 アイドル コメント (3)
名古屋ボトムラインで制服向上委員会ライブ「06真夏の祭典・50曲LIVE」。
前日にはストリートライブもし、ファンクラブイベントもライブの前後にある、というハードなスケジュールだが、僕が見たのは、この「制服の日」ライブのみ。
50曲ライブなんて、普通のアイドルのコンサートと比べると、2倍か3倍の分量になる。
でも、この制服向上委員会では「101曲ライブ」なども決行しちゃうのだ。
不可能を可能にするアイドルが、制服向上委員会なのだ。
午後1時30分開演。
購入したチケットには「1時30分開場、2時開演」と印刷されており、開場の時間にあわせて行ったからよかったものの、危なく30分も見逃してしまうところだった。
今回のライブは、(美香、真冬、りりか、妃奈子、帆奈美、祐奈、けいこ)の7人で行われた。
以下、曲順と、括弧内はメインボーカル。いくつかのテーマで曲を集めてあったので、それもあわせて。
Tシャツにジーンズの格好。
1.出逢い
〜26thアルバム「まぁまぁ」より〜
2.あいうえお
3.ひとりぼっち(りりか)
4.まぁまぁ
〜27thアルバム「日本を元気にした歌」より〜
5.風(ひな)
6.いつまでも、いつまでも(美香)
7.バラが咲いた(りりか)
8.想い出の渚(ひな)
〜珍曲〜
9.楽しいバスツアー
10.オー、イエス
11.コンプレックス
12.低血圧のブルース(ひな)
13.寿司屋のマスター(ひな、けいこ)
〜ユニット珍曲〜
14.15秒の愛(ひな)
15.寄り道(真冬)
16.夢を喰べ過ぎた(けいこ)
17.ですます小唄(真冬、ひな)
18.らしくらしく
(全部、寿隊の歌!)
〜ソロ曲〜
19.初恋の並木道(ひな)
20.いえない気持ち(真冬)
21.いつでもここで(りりか)
22.私生活(美香)
ここでプレゼントコーナー。3人のメンバーが出すクイズに正解した人にそれぞれサイン色紙が賞品として与えられる。
ほなみ「私は今朝、何時に起きたでしょう?」正解は6時半。
けいこ「鶴舞公園での1回目の撮影会で、私が着ていた服の色は?」正解はピンク。
ゆうな「私の好きな飲み物は何でしょう?」正解は日本茶。お客さんは「1番のビール!」とか「4番のミルク!」とボケまくる。
〜アコースティック〜
23.アメイジング・グレイス(美香、アカペラで歌う)
24.ザ・ウォーター・イズ・ワイド(美香)
〜ビートルズメドレー〜
以前、名古屋松坂屋のビートルズ展でコピーバンド「ルシスカ」で出演した思い出を語る美香ちゃん。
25.プリーズ・ミスター・ポストマン(この曲のみ英語の歌詞)
26.オクトパス・ガーデン
27.オブラディ・オブラダ
28.オール・マイ・ラビング
〜新曲コーナー〜
レパートリー1000曲に向けて、今回も新曲発表。
29.生きるために(真冬。作曲:橋本美香、作詞:松尾真冬)
30.テレビなんて(ひな。B・スプリングスティーンの曲に歌詞をつけた。「スプリングスティーン」を噛むひなっち)
31.やさしくしてあげて
32.誰に聞いたの(ひな。この歌、最高!心ない噂をたてられて傷つく心情を歌っている)
33.思い(美香。恋愛の歌にみせかけて、skiプロデューサーにメッセージをぶつけている歌とみた!)
〜アコースティック〜
34.For a Life(PANTA&中川五郎with skiの持ち歌のskiバージョン)
35.アメリカ
36.雨上がりの景色
37.もっともっと
〜制服向上委員会ライブ〜
ワンピースタイプの制服に着替えて、ここからが本番
38.ノスタルジア(ほなみ)
39.something(りりか)
40.悲しみを風にのせて(ひな)
41.恋のエンジェル(りりか)
42.Sleeping(りりか)
43.罰せられた放蕩者
44.恋をしようよ
45.恋人たちの歌
46.BEST FRIEND(ひな)
47.恋にアレルギー(りりか)
48.知識のハーモニー(真冬)
49.Dancing with Devil(真冬。お手本は、ひなっち)
50.Volunteer Spirit
〜おまけ〜
51.時代はサーカスの象にのって
52.sky(美香)
53.天使の翼(真冬)
54.skiのテーマ(真冬)
終了は午後5時。
久々に制服向上委員会ライブを見たことになるが、そのメッセージ性の強さには圧倒された。社会的なメッセージは言うに及ばず、ラブソングであっても、聞く者の心にずしんと衝撃を与えずにはおれない力がある。多少稚拙でも、彼女たちは等身大でバーリトゥードを仕掛けてくるのだ。生半可な気持で聞いていると、大ケガをする。
「ちょっと背伸びして大人の女性の気持を歌う」なんてことを彼女たちはしない。今の自分が伝えられることを最大限に伝えようとしている。
このライブでは、メンバーが最初から涙をおさえるシーンが見られた。制服向上委員会はファンクラブイベントを除けば、9月に解散することになっている。
残されたわずかな時間をいとおしむ気持がビシビシ伝わってくる、珠玉のライブだった。
前日にはストリートライブもし、ファンクラブイベントもライブの前後にある、というハードなスケジュールだが、僕が見たのは、この「制服の日」ライブのみ。
50曲ライブなんて、普通のアイドルのコンサートと比べると、2倍か3倍の分量になる。
でも、この制服向上委員会では「101曲ライブ」なども決行しちゃうのだ。
不可能を可能にするアイドルが、制服向上委員会なのだ。
午後1時30分開演。
購入したチケットには「1時30分開場、2時開演」と印刷されており、開場の時間にあわせて行ったからよかったものの、危なく30分も見逃してしまうところだった。
今回のライブは、(美香、真冬、りりか、妃奈子、帆奈美、祐奈、けいこ)の7人で行われた。
以下、曲順と、括弧内はメインボーカル。いくつかのテーマで曲を集めてあったので、それもあわせて。
Tシャツにジーンズの格好。
1.出逢い
〜26thアルバム「まぁまぁ」より〜
2.あいうえお
3.ひとりぼっち(りりか)
4.まぁまぁ
〜27thアルバム「日本を元気にした歌」より〜
5.風(ひな)
6.いつまでも、いつまでも(美香)
7.バラが咲いた(りりか)
8.想い出の渚(ひな)
〜珍曲〜
9.楽しいバスツアー
10.オー、イエス
11.コンプレックス
12.低血圧のブルース(ひな)
13.寿司屋のマスター(ひな、けいこ)
〜ユニット珍曲〜
14.15秒の愛(ひな)
15.寄り道(真冬)
16.夢を喰べ過ぎた(けいこ)
17.ですます小唄(真冬、ひな)
18.らしくらしく
(全部、寿隊の歌!)
〜ソロ曲〜
19.初恋の並木道(ひな)
20.いえない気持ち(真冬)
21.いつでもここで(りりか)
22.私生活(美香)
ここでプレゼントコーナー。3人のメンバーが出すクイズに正解した人にそれぞれサイン色紙が賞品として与えられる。
ほなみ「私は今朝、何時に起きたでしょう?」正解は6時半。
けいこ「鶴舞公園での1回目の撮影会で、私が着ていた服の色は?」正解はピンク。
ゆうな「私の好きな飲み物は何でしょう?」正解は日本茶。お客さんは「1番のビール!」とか「4番のミルク!」とボケまくる。
〜アコースティック〜
23.アメイジング・グレイス(美香、アカペラで歌う)
24.ザ・ウォーター・イズ・ワイド(美香)
〜ビートルズメドレー〜
以前、名古屋松坂屋のビートルズ展でコピーバンド「ルシスカ」で出演した思い出を語る美香ちゃん。
25.プリーズ・ミスター・ポストマン(この曲のみ英語の歌詞)
26.オクトパス・ガーデン
27.オブラディ・オブラダ
28.オール・マイ・ラビング
〜新曲コーナー〜
レパートリー1000曲に向けて、今回も新曲発表。
29.生きるために(真冬。作曲:橋本美香、作詞:松尾真冬)
30.テレビなんて(ひな。B・スプリングスティーンの曲に歌詞をつけた。「スプリングスティーン」を噛むひなっち)
31.やさしくしてあげて
32.誰に聞いたの(ひな。この歌、最高!心ない噂をたてられて傷つく心情を歌っている)
33.思い(美香。恋愛の歌にみせかけて、skiプロデューサーにメッセージをぶつけている歌とみた!)
〜アコースティック〜
34.For a Life(PANTA&中川五郎with skiの持ち歌のskiバージョン)
35.アメリカ
36.雨上がりの景色
37.もっともっと
〜制服向上委員会ライブ〜
ワンピースタイプの制服に着替えて、ここからが本番
38.ノスタルジア(ほなみ)
39.something(りりか)
40.悲しみを風にのせて(ひな)
41.恋のエンジェル(りりか)
42.Sleeping(りりか)
43.罰せられた放蕩者
44.恋をしようよ
45.恋人たちの歌
46.BEST FRIEND(ひな)
47.恋にアレルギー(りりか)
48.知識のハーモニー(真冬)
49.Dancing with Devil(真冬。お手本は、ひなっち)
50.Volunteer Spirit
〜おまけ〜
51.時代はサーカスの象にのって
52.sky(美香)
53.天使の翼(真冬)
54.skiのテーマ(真冬)
終了は午後5時。
久々に制服向上委員会ライブを見たことになるが、そのメッセージ性の強さには圧倒された。社会的なメッセージは言うに及ばず、ラブソングであっても、聞く者の心にずしんと衝撃を与えずにはおれない力がある。多少稚拙でも、彼女たちは等身大でバーリトゥードを仕掛けてくるのだ。生半可な気持で聞いていると、大ケガをする。
「ちょっと背伸びして大人の女性の気持を歌う」なんてことを彼女たちはしない。今の自分が伝えられることを最大限に伝えようとしている。
このライブでは、メンバーが最初から涙をおさえるシーンが見られた。制服向上委員会はファンクラブイベントを除けば、9月に解散することになっている。
残されたわずかな時間をいとおしむ気持がビシビシ伝わってくる、珠玉のライブだった。
Perfume 中田ヤスタカ 木の子 CD 徳間ジャパンコミュニケーションズ 2006/08/02 ¥3,000パーフェクトスター・パーフェクトスタイル
リニアモーターガール
コンピューターシティ
エレクトロ・ワールド
引力
モノクロームエフェクト
ビタミンドロップ
スウィートドーナッツ
ファンデーション
コンピューター ドライビング
Perfume
wonder2
疲れた。
あとで書きます。
リニアモーターガール
コンピューターシティ
エレクトロ・ワールド
引力
モノクロームエフェクト
ビタミンドロップ
スウィートドーナッツ
ファンデーション
コンピューター ドライビング
Perfume
wonder2
疲れた。
あとで書きます。
ジョジョの奇妙な冒険 第5部
2006年8月18日 アニメ・マンガ
ちょっと興味の湧く事情があって、荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』第5部を読み返した。その事情については、いずれ明かしましょう。第5部というと、イタリアを舞台にした、ジョルノ・ジョバァーナ(ジョジョ)編。コミックスでいうと、第46巻最後から第63巻にあたる。
今さらながらだけど、ジョルノは15歳で、大活躍するチームのボス、ブチャラティが20歳。一方、敵のボス、ディアボロは33歳。若者たちが、三十路のボスを倒す物語だったんだなあ、と再確認。そう考えて読むと、だいたい、若い者が年長の者を倒す話になっているなあ、と思った。唯一、ストーリーの最後の方で、第3部に登場してきたキャラクター(ポルナレフ)が重要な役どころで再登場する。味方側では彼だけが年をくっているか。まあ、第3部に関して言えば、年よりのジョセフ・ジョースターが出てきていたが。
さて、第5部。
はっきり言って、最初読んだとき、最終決戦のあたりの攻防が僕にはあんまりついていけなくて、何がどうなってこうなったのかちゃんと理解できていなかった。
そもそも、ボス、ディアボロのスタンド「キング・クリムゾン」の能力が、「時間をすっとばして、その結果だけが実現する。とばした時間内は、ボスだけが動くことができる」というもので、ややこしい。未来を予知することができ、まさに無敵。時間に関するスタンド能力を持っていたかつての強敵、ディオに匹敵するか。
こういうスタンドの戦いは、山田風太郎の忍法帖シリーズを現代に甦らせているので、僕のようなオールドファンにも血湧き肉躍るものがあるのだ。
ジョジョ第5部では、さらに「レクイエム」というスタンドがあらわれて、まったくわけがわからない不思議な状況になる。
魂が入れ替わって、おれがあいつであいつがおれになるのだ。
このレクイエムが持っている矢を奪おうとディアボロもジョジョ側も競うのだが、これがまた難問。レクイエムは矢を守るために特化した能力を発揮しており、うっかり矢を奪おうとしたら、奪おうとした本人のスタンドが自分自身を攻撃して、矢を守るのだ。
このレクイエムの正体を影の動きから見抜く際のディアボロの推理は、まさに鳥肌もので、感心した。
感心した、ということは、以前読んだときのことを、まったく覚えていなかった、ということだ。
まるで、僕自身がスタンド攻撃を受けているかのようであった。
今さらながらだけど、ジョルノは15歳で、大活躍するチームのボス、ブチャラティが20歳。一方、敵のボス、ディアボロは33歳。若者たちが、三十路のボスを倒す物語だったんだなあ、と再確認。そう考えて読むと、だいたい、若い者が年長の者を倒す話になっているなあ、と思った。唯一、ストーリーの最後の方で、第3部に登場してきたキャラクター(ポルナレフ)が重要な役どころで再登場する。味方側では彼だけが年をくっているか。まあ、第3部に関して言えば、年よりのジョセフ・ジョースターが出てきていたが。
さて、第5部。
はっきり言って、最初読んだとき、最終決戦のあたりの攻防が僕にはあんまりついていけなくて、何がどうなってこうなったのかちゃんと理解できていなかった。
そもそも、ボス、ディアボロのスタンド「キング・クリムゾン」の能力が、「時間をすっとばして、その結果だけが実現する。とばした時間内は、ボスだけが動くことができる」というもので、ややこしい。未来を予知することができ、まさに無敵。時間に関するスタンド能力を持っていたかつての強敵、ディオに匹敵するか。
こういうスタンドの戦いは、山田風太郎の忍法帖シリーズを現代に甦らせているので、僕のようなオールドファンにも血湧き肉躍るものがあるのだ。
ジョジョ第5部では、さらに「レクイエム」というスタンドがあらわれて、まったくわけがわからない不思議な状況になる。
魂が入れ替わって、おれがあいつであいつがおれになるのだ。
このレクイエムが持っている矢を奪おうとディアボロもジョジョ側も競うのだが、これがまた難問。レクイエムは矢を守るために特化した能力を発揮しており、うっかり矢を奪おうとしたら、奪おうとした本人のスタンドが自分自身を攻撃して、矢を守るのだ。
このレクイエムの正体を影の動きから見抜く際のディアボロの推理は、まさに鳥肌もので、感心した。
感心した、ということは、以前読んだときのことを、まったく覚えていなかった、ということだ。
まるで、僕自身がスタンド攻撃を受けているかのようであった。
吾妻ひでおの『失踪日記』を読んだ。
漫画家吾妻ひでおが仕事を放り出しての日々。
自殺未遂編(死ぬ理由なし!)
ホームレス編(自宅があるのに!)
配管工編(漫画家という職があるのに!)
漫画家生活編(今はどうなんだ?)
アル中編(これはまあ、しかたがない)
普通考えたら、必死で漫画描いていてもどこからも注文がない漫画家だってごまんといるはずだ。
その原稿をほうりだして失踪するとはぜいたくな話だ。
また、月々の家賃に四苦八苦している人も、その日暮らしの人もおり、そういう状況から脱却したくてたまらない人がいるなか、あえて路上生活をするのも、ぜいたく。
つまり、この本は吾妻ひでおの情けなさを告白したものにほかならない。
でも、これが面白くてたまらない。
アル中体験を綴ったり、ホームレス生活を書き留めたりする本は数々あるが、内容も装幀も真面目くさっていてつまらない。この本はエンタテインメントとしてきっちり成立しているのが、素晴らしいのだ。
と、ほめておいて何なのだが、こういう体験を本にした漫画よりも、僕は実話じゃないSFパロディとかギャグ漫画をもっと描いてほしいし、読みたい。本人はギャグはやめた、とか言ってるらしいけど、個性というのはおさえようとしてもにじみでてきてしまうもの。そのつもりなくても、ギャグ漫画になってしまうと思うので、とにかく、フィクションをもっと描いてほしいな、と思う。
間違っても、ぐだぐだで、アル中で、うつと不安に襲われて、失踪して、という体験を正当化しては駄目なのだ。
この本のなかで、漫画家生活をふりかえるくだりでは、作者が自作にどういう思いを抱いているかが書かれていて、興味深かった。『ふたりと5人』はたしかに連載当時、読み飛ばしていたけど、『やけくそ天使』は面白かった。作者のやけくそぶりが伝わってきたからだろう。自由演技というか。
とりあえず、10月に出るという『便利屋みみちゃん』に期待しよう。
漫画家吾妻ひでおが仕事を放り出しての日々。
自殺未遂編(死ぬ理由なし!)
ホームレス編(自宅があるのに!)
配管工編(漫画家という職があるのに!)
漫画家生活編(今はどうなんだ?)
アル中編(これはまあ、しかたがない)
普通考えたら、必死で漫画描いていてもどこからも注文がない漫画家だってごまんといるはずだ。
その原稿をほうりだして失踪するとはぜいたくな話だ。
また、月々の家賃に四苦八苦している人も、その日暮らしの人もおり、そういう状況から脱却したくてたまらない人がいるなか、あえて路上生活をするのも、ぜいたく。
つまり、この本は吾妻ひでおの情けなさを告白したものにほかならない。
でも、これが面白くてたまらない。
アル中体験を綴ったり、ホームレス生活を書き留めたりする本は数々あるが、内容も装幀も真面目くさっていてつまらない。この本はエンタテインメントとしてきっちり成立しているのが、素晴らしいのだ。
と、ほめておいて何なのだが、こういう体験を本にした漫画よりも、僕は実話じゃないSFパロディとかギャグ漫画をもっと描いてほしいし、読みたい。本人はギャグはやめた、とか言ってるらしいけど、個性というのはおさえようとしてもにじみでてきてしまうもの。そのつもりなくても、ギャグ漫画になってしまうと思うので、とにかく、フィクションをもっと描いてほしいな、と思う。
間違っても、ぐだぐだで、アル中で、うつと不安に襲われて、失踪して、という体験を正当化しては駄目なのだ。
この本のなかで、漫画家生活をふりかえるくだりでは、作者が自作にどういう思いを抱いているかが書かれていて、興味深かった。『ふたりと5人』はたしかに連載当時、読み飛ばしていたけど、『やけくそ天使』は面白かった。作者のやけくそぶりが伝わってきたからだろう。自由演技というか。
とりあえず、10月に出るという『便利屋みみちゃん』に期待しよう。
なぞなぞおばけ2年生
2006年8月16日 読書
ポプラ社の「ともだちにはないしょだよ」シリーズ16『なぞなぞおばけ2年生』を読んだ。作:政宗秀明、絵:村井香葉
この本は行きつけのトイショップ店頭の「ご自由にお持ち帰りください」コーナーからもらってきた本だ。
なぞなぞが山ほど載せられているが、このシリーズ自体、65冊出ており、これを全部制覇するには、かなりの時間と脳力を費やすことになる。でも、男たるもの、挑戦する価値ありと見た!
ただし、90年代の出版で、多くは品切れ、重版未定。全部を目にすることも簡単には叶いそうにないのが残念だ。
『ノストラダムスのさいごのなぞなぞ』とか『なぞなぞ三国志』なんて、読んでみたいけどなあ。
順番に解いていったなかで、答えを間違えたものを、復習の意味で、書いておこう。
1.「ろうかをつかって絵のてんらん会をはじめたけど、ろうかの、右がわと左がわ、どちらに絵をかけたかわかるかな?」
2.「かぜもひいていないのに、いつでもはなをたらしているのは、だあれ?」
3.「夜ねるときは元気なのに、朝おきたらくたくたになっているもの、なあに?」
4.「こんがり日やけした体にベトベトあぶらをぬりつけるもの、なあに?」
5.「よこにきるよりも、たてにきったほうが大きくなるものって、なあに?」
6.「かけたりひいたりすることはできるのに、わることだけできないものって、なあに?」
7.「学校のまえを一日に10回もとおるものって、なあに?」
8.「ふるければふるいほどわかいものって、なあに?」
9.「ピアノのなかにはいっている食べものっていったい、なあに?」
答えあわせ
1.左がわ
2.ぞう
3.シーツ
4.パン
5.8
6.ふとん
7.車
8.写真
9.みそ
この本は行きつけのトイショップ店頭の「ご自由にお持ち帰りください」コーナーからもらってきた本だ。
なぞなぞが山ほど載せられているが、このシリーズ自体、65冊出ており、これを全部制覇するには、かなりの時間と脳力を費やすことになる。でも、男たるもの、挑戦する価値ありと見た!
ただし、90年代の出版で、多くは品切れ、重版未定。全部を目にすることも簡単には叶いそうにないのが残念だ。
『ノストラダムスのさいごのなぞなぞ』とか『なぞなぞ三国志』なんて、読んでみたいけどなあ。
順番に解いていったなかで、答えを間違えたものを、復習の意味で、書いておこう。
1.「ろうかをつかって絵のてんらん会をはじめたけど、ろうかの、右がわと左がわ、どちらに絵をかけたかわかるかな?」
2.「かぜもひいていないのに、いつでもはなをたらしているのは、だあれ?」
3.「夜ねるときは元気なのに、朝おきたらくたくたになっているもの、なあに?」
4.「こんがり日やけした体にベトベトあぶらをぬりつけるもの、なあに?」
5.「よこにきるよりも、たてにきったほうが大きくなるものって、なあに?」
6.「かけたりひいたりすることはできるのに、わることだけできないものって、なあに?」
7.「学校のまえを一日に10回もとおるものって、なあに?」
8.「ふるければふるいほどわかいものって、なあに?」
9.「ピアノのなかにはいっている食べものっていったい、なあに?」
答えあわせ
1.左がわ
2.ぞう
3.シーツ
4.パン
5.8
6.ふとん
7.車
8.写真
9.みそ
鈴木清順監督の「春婦伝」を見た。1965年。
田村泰次郎原作。谷口千吉の「暁の脱走」も同原作を映画化したものらしいが、そっちを見ていないので、比較できなくて残念。
舞台は第二次世界大戦。主人公、野川由美子は激情の売春婦で、従軍慰安婦になる。
ストーリー上、自暴自棄で従軍し、体をはった設定になっているだけじゃない。
野川由美子の熱演たるや鬼気迫るものがあり、生傷もヌードも辞さぬ女優魂を見せつけられる。
彼女はうぶな兵隊、川地民夫に恋をする。
この兵隊が軍隊とか天皇とか日本に一度も疑いを持ったことがない、完全に洗脳された日本人であり、また、要領よく立ち回ったり、女や酒に溺れたり、気晴らししたりもしないタイプの人間なのだ。
官能の海の住人が、そういう奥手な異性に魅力を感じるのは世の常で、これは女性が「ワル」に魅力を覚えるのと同様に、まったく僕には理解できない心の動きだ。
彼女はこの青瓢箪に命がけの恋を捧げる。
最初はかたくなに彼女を拒んでいたこのもやし野郎が、彼女の体当たりの恋に揺れ動きはじめる。
だがしかし、結局は「天皇陛下、バンザイ!」と死んでいくのだ。
同じく慰安婦として従軍していた朝鮮人が「日本人はすぐに命を捨てる」と嘆く。日本人慰安婦よりも値段安くコキ使われる朝鮮人慰安婦がなんとしてでも生きようとしているのを尻目に、兵隊は簡単に犬死にしていくのだ。
野川由美子がもやし兵を助けようとして、爆撃の嵐の中を走るカラックス的場面(この映画で一番感動したシーン!)では、無駄死にしようとするヒョロヒョロ兵の命を救おうとする感情があらわになるが、命を救おうとする目的が命がけの自暴自棄な行動でしかあらわせないもどかしさがある。
ところが、いざ中国の軍隊につかまってしまうと、理不尽に命を奪う鬼畜でもなんでもなく、きわめて人間的なのだ。
見栄のために同じ日本人の兵隊を殺してしまおうとする日本軍、実利をとって無駄に日本人を殺しはしない中国人、命を粗末にするな、という朝鮮人。
戦争だの軍隊だの国だのにこだわる愚かさが伝わる。
だがしかし、こういう非日常的な激動のシチュエーションだからこそ燃える恋ってのもあるわけで、野川由美子とヒョロヒョロ兵との恋もそうして生まれたんじゃないか、と思う。
そういう恋をひとつ生み出すためになら、国のひとつもつぶしていいか。
戦争の利点は、それ以外にない、と思われる。
田村泰次郎原作。谷口千吉の「暁の脱走」も同原作を映画化したものらしいが、そっちを見ていないので、比較できなくて残念。
舞台は第二次世界大戦。主人公、野川由美子は激情の売春婦で、従軍慰安婦になる。
ストーリー上、自暴自棄で従軍し、体をはった設定になっているだけじゃない。
野川由美子の熱演たるや鬼気迫るものがあり、生傷もヌードも辞さぬ女優魂を見せつけられる。
彼女はうぶな兵隊、川地民夫に恋をする。
この兵隊が軍隊とか天皇とか日本に一度も疑いを持ったことがない、完全に洗脳された日本人であり、また、要領よく立ち回ったり、女や酒に溺れたり、気晴らししたりもしないタイプの人間なのだ。
官能の海の住人が、そういう奥手な異性に魅力を感じるのは世の常で、これは女性が「ワル」に魅力を覚えるのと同様に、まったく僕には理解できない心の動きだ。
彼女はこの青瓢箪に命がけの恋を捧げる。
最初はかたくなに彼女を拒んでいたこのもやし野郎が、彼女の体当たりの恋に揺れ動きはじめる。
だがしかし、結局は「天皇陛下、バンザイ!」と死んでいくのだ。
同じく慰安婦として従軍していた朝鮮人が「日本人はすぐに命を捨てる」と嘆く。日本人慰安婦よりも値段安くコキ使われる朝鮮人慰安婦がなんとしてでも生きようとしているのを尻目に、兵隊は簡単に犬死にしていくのだ。
野川由美子がもやし兵を助けようとして、爆撃の嵐の中を走るカラックス的場面(この映画で一番感動したシーン!)では、無駄死にしようとするヒョロヒョロ兵の命を救おうとする感情があらわになるが、命を救おうとする目的が命がけの自暴自棄な行動でしかあらわせないもどかしさがある。
ところが、いざ中国の軍隊につかまってしまうと、理不尽に命を奪う鬼畜でもなんでもなく、きわめて人間的なのだ。
見栄のために同じ日本人の兵隊を殺してしまおうとする日本軍、実利をとって無駄に日本人を殺しはしない中国人、命を粗末にするな、という朝鮮人。
戦争だの軍隊だの国だのにこだわる愚かさが伝わる。
だがしかし、こういう非日常的な激動のシチュエーションだからこそ燃える恋ってのもあるわけで、野川由美子とヒョロヒョロ兵との恋もそうして生まれたんじゃないか、と思う。
そういう恋をひとつ生み出すためになら、国のひとつもつぶしていいか。
戦争の利点は、それ以外にない、と思われる。
南港ATCの「BONダンス」イベントで、ジュニアダンスの入賞チームらが出るというので、見に行った。
全部で6組が出て、その素晴らしいダンスを披露したが、6組では少なすぎる!
午後5時から30分間のイベント。
1組めはコンビニで買物をしていたため、ダンスは見たけど、名前を聞き逃した。
2組めからあとは、ヒアリングが不確かだが、次のとおり。
MIKI
シャムロック
ストレートライン
舞姫
フリーファイバー
と、いうことはつまり、MIKIがグランプリをとった、ということなのかな?
あとで調べてみよう。
cool mintをおさえて優勝するにはよほどのチームじゃないと不可能だと思ってたけど、MIKIなら可能だ。
全部で6組が出て、その素晴らしいダンスを披露したが、6組では少なすぎる!
午後5時から30分間のイベント。
1組めはコンビニで買物をしていたため、ダンスは見たけど、名前を聞き逃した。
2組めからあとは、ヒアリングが不確かだが、次のとおり。
MIKI
シャムロック
ストレートライン
舞姫
フリーファイバー
と、いうことはつまり、MIKIがグランプリをとった、ということなのかな?
あとで調べてみよう。
cool mintをおさえて優勝するにはよほどのチームじゃないと不可能だと思ってたけど、MIKIなら可能だ。
今日は銭ゲバで「HELP!」
アイドルイベントで、今回のテーマは「コミケ」
出演したアイドルは、3人。
丼野M美(自主製作でビデオやカセットテープ、グッズなどを量産しつづけるアイドル)、
野中ひゆ(写真モデル、映画出演以外に、特殊メイクやオブジェ作成もするアイドル)、
ちやじ(メイド喫茶のカリスマから、アートアニメ製作もするアイドル)。
この日、昼間には日本橋で野中ひゆちゃんが「姫」のニックネームを持つ塩田千晶ちゃんと路上ライブもしていた。
その路上ライブのセットリスト。
1.SHE・KNOW・BE〜恋の秘密〜/野中ひゆ
2.禁じられた遊び/塩田千晶
3.さみしくないもん/野中ひゆ
4.聖少女領域/塩田千晶
1人が歌っているあいだに、もう1人がフライヤーを配るローテーション。
この路上ライブの模様を取材しにスカパーが入っていた。
歌っているマイクをよく見ると、ねこにゃん棒!
さて、HELP!。
部屋が手狭になって処分しようと考えていた同人誌を100冊以上持っていき、テーブルにおいて、お客さんに好きに持って帰ってもらうことにした。
デスノートだのテニスの王子様だの、あと、美少女ゲームものとか。
今回のテーマにそって、アイドルちゃんたちがそれぞれ同人誌を作ってきた。
丼野は『エスパーM美』という高畑さんと丼野のラブストーリー。
ひゆちゃんは、グロカワ眼球イラスト集。
ちやじは、エロの惑星での陵辱本で、お客さんのリクエストにより、好きな年齢層の少女を主人公にして、後日郵送される、受注生産もの。
イベントの内容は、アイドルちゃんによる美少年エロエロ漫画の朗読や、コミケをテーマにした大喜利など。
だが、この日のメーンイベントは、その後の撮影会にあった。
それぞれ丼野(プリキュア制服)、ひゆ(セーラー服メガネ)、ちやじ(メイド)とコスプレをしていたが、撮影タイムがほぼ無制限であったため、リクエストにこたえての生着替えで、いつのまにやらブルマ撮影大会。
ローアングルとはこういうことをいうのか!と感心させられた。
9月にもまた開催予定。
アイドルイベントで、今回のテーマは「コミケ」
出演したアイドルは、3人。
丼野M美(自主製作でビデオやカセットテープ、グッズなどを量産しつづけるアイドル)、
野中ひゆ(写真モデル、映画出演以外に、特殊メイクやオブジェ作成もするアイドル)、
ちやじ(メイド喫茶のカリスマから、アートアニメ製作もするアイドル)。
この日、昼間には日本橋で野中ひゆちゃんが「姫」のニックネームを持つ塩田千晶ちゃんと路上ライブもしていた。
その路上ライブのセットリスト。
1.SHE・KNOW・BE〜恋の秘密〜/野中ひゆ
2.禁じられた遊び/塩田千晶
3.さみしくないもん/野中ひゆ
4.聖少女領域/塩田千晶
1人が歌っているあいだに、もう1人がフライヤーを配るローテーション。
この路上ライブの模様を取材しにスカパーが入っていた。
歌っているマイクをよく見ると、ねこにゃん棒!
さて、HELP!。
部屋が手狭になって処分しようと考えていた同人誌を100冊以上持っていき、テーブルにおいて、お客さんに好きに持って帰ってもらうことにした。
デスノートだのテニスの王子様だの、あと、美少女ゲームものとか。
今回のテーマにそって、アイドルちゃんたちがそれぞれ同人誌を作ってきた。
丼野は『エスパーM美』という高畑さんと丼野のラブストーリー。
ひゆちゃんは、グロカワ眼球イラスト集。
ちやじは、エロの惑星での陵辱本で、お客さんのリクエストにより、好きな年齢層の少女を主人公にして、後日郵送される、受注生産もの。
イベントの内容は、アイドルちゃんによる美少年エロエロ漫画の朗読や、コミケをテーマにした大喜利など。
だが、この日のメーンイベントは、その後の撮影会にあった。
それぞれ丼野(プリキュア制服)、ひゆ(セーラー服メガネ)、ちやじ(メイド)とコスプレをしていたが、撮影タイムがほぼ無制限であったため、リクエストにこたえての生着替えで、いつのまにやらブルマ撮影大会。
ローアングルとはこういうことをいうのか!と感心させられた。
9月にもまた開催予定。
STSライブ2006。
ライブの前に氏衛社長の挨拶あり。
この挨拶が何かと楽しかった。
「よかったユニットベスト3」のアンケートについて、御意見の欄をなくしたのは、心ない意見を書く人がいて読んでいて嫌な気分になるから。
アンコールをやめたのは、どのユニットをアンコールで出すか最初から決まってるんじゃないかと心ないことを言う人がいたから。
ユニットの人気投票ではメンバーの数が多いユニットの方が有利だと心ないことを言う人がいるが、もっと気楽に考えてほしい。
要するに、ギスギスせずに、ライブを楽しみましょう、ということで、これは大賛成。
人気投票ナンバー1のユニットがトリをとって2曲できる、というシステム以外にも、アンコールが駄目なら、「今月のピックアップ」みたいなコーナーを作って、各ユニットをもっと深く知ってもらったり、何曲か演じてもらうのもいいかな、と思った。
社長の挨拶後半は、すっかり漫談だった。
韓国語で「お風呂」のことを「ノボセヨ」という、とか。
さて、本編。
第1部
1.オープニング/ジュニアスペシャルダンスチーム
2.浪漫/プリティーズ
3.NO MORE CRY/タイフーンJr.
4.口笛/AKI組
5.恋のビクトリー/チックス
6.めざせポケモンマスター/ポケモン選抜
7.プリティ・ヴォイス/トレード
8.オトメロディー/ミニミニclub
9.PUMP IT/Super Bubblez
第2部
1.SENSEI/ミュージカル選抜
2.チャ・チャ・チャ・ラブソング/AREA.(今月28日にCD発売されるんだって!元アーミーズの梅原のあちゃんだよ!)
3.Just Lovin’ You/桐生彩加
4.COLOR OF SOUL/アーミーズ(新曲。新メンバー加治木みゆき、鎌倉由佳梨)
5.CLUB ZIPANG/PHRASE
6.Your Song/いちごっ娘
7.タイムリミット/TOUCH(新曲はオリジナル!CDデビューを狙ってるのかな?)
8.満月の夜に迎えに来て/ミューズ(他のユニットとはオーラが違ってた。デビューしてレベルアップしたのか!)
9.don’t you wanna see me (oh) tonight/ブラックベリーズ(前回の人気投票1位。不動のトップか!)
10.sexy,naughty,bitchy/ブラックベリーズ
来月は9日。これだけは、はずせない。
ライブの前に氏衛社長の挨拶あり。
この挨拶が何かと楽しかった。
「よかったユニットベスト3」のアンケートについて、御意見の欄をなくしたのは、心ない意見を書く人がいて読んでいて嫌な気分になるから。
アンコールをやめたのは、どのユニットをアンコールで出すか最初から決まってるんじゃないかと心ないことを言う人がいたから。
ユニットの人気投票ではメンバーの数が多いユニットの方が有利だと心ないことを言う人がいるが、もっと気楽に考えてほしい。
要するに、ギスギスせずに、ライブを楽しみましょう、ということで、これは大賛成。
人気投票ナンバー1のユニットがトリをとって2曲できる、というシステム以外にも、アンコールが駄目なら、「今月のピックアップ」みたいなコーナーを作って、各ユニットをもっと深く知ってもらったり、何曲か演じてもらうのもいいかな、と思った。
社長の挨拶後半は、すっかり漫談だった。
韓国語で「お風呂」のことを「ノボセヨ」という、とか。
さて、本編。
第1部
1.オープニング/ジュニアスペシャルダンスチーム
2.浪漫/プリティーズ
3.NO MORE CRY/タイフーンJr.
4.口笛/AKI組
5.恋のビクトリー/チックス
6.めざせポケモンマスター/ポケモン選抜
7.プリティ・ヴォイス/トレード
8.オトメロディー/ミニミニclub
9.PUMP IT/Super Bubblez
第2部
1.SENSEI/ミュージカル選抜
2.チャ・チャ・チャ・ラブソング/AREA.(今月28日にCD発売されるんだって!元アーミーズの梅原のあちゃんだよ!)
3.Just Lovin’ You/桐生彩加
4.COLOR OF SOUL/アーミーズ(新曲。新メンバー加治木みゆき、鎌倉由佳梨)
5.CLUB ZIPANG/PHRASE
6.Your Song/いちごっ娘
7.タイムリミット/TOUCH(新曲はオリジナル!CDデビューを狙ってるのかな?)
8.満月の夜に迎えに来て/ミューズ(他のユニットとはオーラが違ってた。デビューしてレベルアップしたのか!)
9.don’t you wanna see me (oh) tonight/ブラックベリーズ(前回の人気投票1位。不動のトップか!)
10.sexy,naughty,bitchy/ブラックベリーズ
来月は9日。これだけは、はずせない。
梅田阪急イングス正面で、GALAPAのキッズダンスイベント。
BEARSに行く途中にあるスクールで、たまに練習しているのが外から見えたりしていたが、イベントを見るのははじめて。
もともとは少女だけのスクールだったけど、今回見に行って、男の子の姿も確認できた。。
午後2時30分と4時30分の2回公演。
それぞれ出演のユニットを書き出してみるが、ヒアリングが確かじゃないので、間違っていたらご容赦。
午後2時30分
クーラン
ピンキーファンキー
フィールグッド(平均9才でレディマーマレードやってた!セクシー!)
ジャムジャム
グ−フィ−(平均11歳)
コジャブー(平均9歳)
キーロックス
ハウスキッズ
ミッシェリー
G-MIX
午後4時30分
ミニミニチーズ(4人、平均5歳、アメリカンガール)
メイクメリー(9人、平均9歳、オールザットジャズ)
スーパースター(7人、スーパースター)
デルタ(3人、天地神明)
ジェミニスト(6人、ジャストフォーユー)
ジーフルアルファ(13人、ルーズコントロール)
ネクストエイジーンズ(キューティーハニー)
チップスター(タッチ)
Gコレクション
エミコ先生とアヤカ(アクロバット)
G-MIX(風)
総勢50人ほど出演したが、ユニットを掛け持ちする子が多く、ユニットというよりも、それぞれの演目でメンバーが決められている感じだった。
たどたどしいダンスから、コンテスト入賞レベルの素晴らしいダンスまで、色とりどり。
全体に楽しさが伝わってきたのが収穫だった。
僕の目をひいたのは、なんといっても籠本毬沙ちゃん(9歳)で、G-MIXや、主要なプログラムで、楽しく上手いダンスを披露していた。
どこかでまた見られたらいいなあ。
BEARSに行く途中にあるスクールで、たまに練習しているのが外から見えたりしていたが、イベントを見るのははじめて。
もともとは少女だけのスクールだったけど、今回見に行って、男の子の姿も確認できた。。
午後2時30分と4時30分の2回公演。
それぞれ出演のユニットを書き出してみるが、ヒアリングが確かじゃないので、間違っていたらご容赦。
午後2時30分
クーラン
ピンキーファンキー
フィールグッド(平均9才でレディマーマレードやってた!セクシー!)
ジャムジャム
グ−フィ−(平均11歳)
コジャブー(平均9歳)
キーロックス
ハウスキッズ
ミッシェリー
G-MIX
午後4時30分
ミニミニチーズ(4人、平均5歳、アメリカンガール)
メイクメリー(9人、平均9歳、オールザットジャズ)
スーパースター(7人、スーパースター)
デルタ(3人、天地神明)
ジェミニスト(6人、ジャストフォーユー)
ジーフルアルファ(13人、ルーズコントロール)
ネクストエイジーンズ(キューティーハニー)
チップスター(タッチ)
Gコレクション
エミコ先生とアヤカ(アクロバット)
G-MIX(風)
総勢50人ほど出演したが、ユニットを掛け持ちする子が多く、ユニットというよりも、それぞれの演目でメンバーが決められている感じだった。
たどたどしいダンスから、コンテスト入賞レベルの素晴らしいダンスまで、色とりどり。
全体に楽しさが伝わってきたのが収穫だった。
僕の目をひいたのは、なんといっても籠本毬沙ちゃん(9歳)で、G-MIXや、主要なプログラムで、楽しく上手いダンスを披露していた。
どこかでまた見られたらいいなあ。
ヴィンセント・ミネリ監督のミュージカル映画「キスメット」を見た。1955年。
キスメットとは「運命」の意味。
アニメで「ムスメット」だの「オトメット」だのに慣れ親しんでいた僕には、この映画が兜でもかぶる騎士の物語なんじゃないか、と勝手に考えていた。それは「キャメロット」では!
さて、この「キスメット」はバグダッドを舞台にアラビアンナイトの世界が展開されるミュージカルの映画化で、同名の映画がいくつもある。
エドワード・ノブロック原作
貧しいが口先がうまい詩人(ハワ−ド・キール)と、その娘マーシナ(アン・ブライス)の物語。
詩人は魔術師と間違われるが、はったりと偶然で次々と難局をクリア。
娘は、おしのびで街に出て来ていたカリフ(ヴィック・デイモン)に見そめられる。
それを阻止しようとする人物もいるが、これがまた間抜けでまんまと詩人の口車にのってしまい、失敗に終わる。
植木等の「日本一」シリーズのバグダッド版みたいなもので、嘘のように調子よくトントン拍子に展開していくコメディなのだが、ハリウッドが考える、いかにもなオリエンタリズムがキッチュで愉快。泥棒で口がうまくて嘘つきで要領がいい。
また、カリフの妃候補として出てくる身長低めのアバブの3人の姫が見事で、ジャズでインド舞踊をパキパキ踊るのだ。
このダンスがただものじゃなくて、感心してしまった。
アメリカはバグダッドには魔法とかファンタジーのような夢を見てしまう性癖があるようだ。幻のオリエンタリズムといったものだが、最近でも、アメリカはバグダッドに眠る幻の核兵器や生物兵器を夢みていたばっかりだ。
必死で探して盗掘したが、そんな宝はどこにもなかった。
でも、アメリカは、それを魔法によって隠したと思い込んでおり、秘密の合言葉さえあれば発見できるものと信じているようである。
キスメットとは「運命」の意味。
アニメで「ムスメット」だの「オトメット」だのに慣れ親しんでいた僕には、この映画が兜でもかぶる騎士の物語なんじゃないか、と勝手に考えていた。それは「キャメロット」では!
さて、この「キスメット」はバグダッドを舞台にアラビアンナイトの世界が展開されるミュージカルの映画化で、同名の映画がいくつもある。
エドワード・ノブロック原作
貧しいが口先がうまい詩人(ハワ−ド・キール)と、その娘マーシナ(アン・ブライス)の物語。
詩人は魔術師と間違われるが、はったりと偶然で次々と難局をクリア。
娘は、おしのびで街に出て来ていたカリフ(ヴィック・デイモン)に見そめられる。
それを阻止しようとする人物もいるが、これがまた間抜けでまんまと詩人の口車にのってしまい、失敗に終わる。
植木等の「日本一」シリーズのバグダッド版みたいなもので、嘘のように調子よくトントン拍子に展開していくコメディなのだが、ハリウッドが考える、いかにもなオリエンタリズムがキッチュで愉快。泥棒で口がうまくて嘘つきで要領がいい。
また、カリフの妃候補として出てくる身長低めのアバブの3人の姫が見事で、ジャズでインド舞踊をパキパキ踊るのだ。
このダンスがただものじゃなくて、感心してしまった。
アメリカはバグダッドには魔法とかファンタジーのような夢を見てしまう性癖があるようだ。幻のオリエンタリズムといったものだが、最近でも、アメリカはバグダッドに眠る幻の核兵器や生物兵器を夢みていたばっかりだ。
必死で探して盗掘したが、そんな宝はどこにもなかった。
でも、アメリカは、それを魔法によって隠したと思い込んでおり、秘密の合言葉さえあれば発見できるものと信じているようである。
宮崎勤の『夢のなか、いまも』を読んだ。
創出版社とかわした手紙と、公判の模様などで構成されている。
口絵に宮崎勤の描いた多面体が使われている。
その多面体の名は「カトシン・ベース・ルビー」だの「ハマアユ・ベース・サッカーボール多面体」「タッキー・ベース・ハンドボール多面体」「シイリン・ベース・ルビー」などなど。どこかで聞いたようなネーミングで、たとえば「シイリン」は「椎名林檎」からとったそうだ。さらに「ビント・アブドゥル・サファイア」には「宝石とくれば王族である。この絵をサウジアラビア王国の国王の妻全員にささげます」と注釈がつけてある。
精神鑑定するまでもなく、狂ってる。
不思議なやりとりが本書では数々展開されている。
「日ごろ、子供の肉体が落っこちてないかな、落っこってたらひんやりした肉物体に解剖行為ができるんだがなと思っていました」
なぜ子供に限定するかと言うと、
「子供以外の肉物体は、胸が膨らんでいてうざったいなとか、膨らみがじゃまでちっとも解剖的じゃなくて嫌だな」
女児にかぎるのは
「女性の性器はまっすぐな線でできていて、既に解剖のメスが入っているようで解剖的でいいと思いました」
宮崎勤のセックス観はどうなのかというと、セックスもマスターベーションも射精も勃起も
「一度もしたことがありません」
「どうしてそんなことをやるのかなと、分からないなと思っています」
佐世保小の女児がクラスメートをカッターで刺した事件について
「かわいらしい事件ですね」
と感想を述べている。これは宅間守の事件に関しても同じ感想で、なぜ可愛いのかというと
「事件に子供がかかわるのがかわいらしいことです」
名言!
こういう物の見方はしたことがなくて、目がさめるような思いだ。
また、宮崎勤は今田勇子の犯行声明について、こんな感想を述べている。
「うわっ、字がいっぺえ書いてある。気持ちわりい」
「私にはそんな字ばっかいっぱいのものなど胃が痛くて死んでも書けませんよ」
「今田さん早く自首して下さい!
そうしないとあなたのせいで困る人間がいるのです!
早くして下さい!」
本気っぽい。今田勇子は別人なのだ。きっとそうだ。そうに違いない。
宮崎勤を「狂ってる」で済ませるわけにはいかない、と言いたくなる気持はわかる。
でも、彼は単なる狂人であって、時代を代表させるほどじゃない、とも思えてきた。
犯行に際して、自分以外の「もうひとりの自分」が手を下し、その前には「えたいの知れないもの」としてネズミ人間があらわれる。
古典的な精神異常と、どこが違うのだろう。
宮崎勤は常に幻聴に悩まされているそうだ。
「目を針で刺すのは私にやらせろ」
「耳をそぎおとすのは私にやらせろ」
「鼻の穴を針で刺すのは私にやらせろ」
「歯をますいなしで抜くのは私にやらせろ」
「爪をはがすのは私にやらせろ」
「指の骨をおるのは私にやらせろ」
こればっかりは、幻聴でもなんでもなく、精神異常の症状でもない。
世間一般のリンチ願望を敏感に察知しただけだ。
多面体ばっかり描いてタレントの名前を冠すことに関しては、はっきり「狂ってる」と断言できるが、それ以外の部分では、臆病な普通の「バカ」だ。
女児を殺したことについても、「バカ」なだけで、狂ってはいない。
ここを間違えてはいけないと思う。
創出版社とかわした手紙と、公判の模様などで構成されている。
口絵に宮崎勤の描いた多面体が使われている。
その多面体の名は「カトシン・ベース・ルビー」だの「ハマアユ・ベース・サッカーボール多面体」「タッキー・ベース・ハンドボール多面体」「シイリン・ベース・ルビー」などなど。どこかで聞いたようなネーミングで、たとえば「シイリン」は「椎名林檎」からとったそうだ。さらに「ビント・アブドゥル・サファイア」には「宝石とくれば王族である。この絵をサウジアラビア王国の国王の妻全員にささげます」と注釈がつけてある。
精神鑑定するまでもなく、狂ってる。
不思議なやりとりが本書では数々展開されている。
「日ごろ、子供の肉体が落っこちてないかな、落っこってたらひんやりした肉物体に解剖行為ができるんだがなと思っていました」
なぜ子供に限定するかと言うと、
「子供以外の肉物体は、胸が膨らんでいてうざったいなとか、膨らみがじゃまでちっとも解剖的じゃなくて嫌だな」
女児にかぎるのは
「女性の性器はまっすぐな線でできていて、既に解剖のメスが入っているようで解剖的でいいと思いました」
宮崎勤のセックス観はどうなのかというと、セックスもマスターベーションも射精も勃起も
「一度もしたことがありません」
「どうしてそんなことをやるのかなと、分からないなと思っています」
佐世保小の女児がクラスメートをカッターで刺した事件について
「かわいらしい事件ですね」
と感想を述べている。これは宅間守の事件に関しても同じ感想で、なぜ可愛いのかというと
「事件に子供がかかわるのがかわいらしいことです」
名言!
こういう物の見方はしたことがなくて、目がさめるような思いだ。
また、宮崎勤は今田勇子の犯行声明について、こんな感想を述べている。
「うわっ、字がいっぺえ書いてある。気持ちわりい」
「私にはそんな字ばっかいっぱいのものなど胃が痛くて死んでも書けませんよ」
「今田さん早く自首して下さい!
そうしないとあなたのせいで困る人間がいるのです!
早くして下さい!」
本気っぽい。今田勇子は別人なのだ。きっとそうだ。そうに違いない。
宮崎勤を「狂ってる」で済ませるわけにはいかない、と言いたくなる気持はわかる。
でも、彼は単なる狂人であって、時代を代表させるほどじゃない、とも思えてきた。
犯行に際して、自分以外の「もうひとりの自分」が手を下し、その前には「えたいの知れないもの」としてネズミ人間があらわれる。
古典的な精神異常と、どこが違うのだろう。
宮崎勤は常に幻聴に悩まされているそうだ。
「目を針で刺すのは私にやらせろ」
「耳をそぎおとすのは私にやらせろ」
「鼻の穴を針で刺すのは私にやらせろ」
「歯をますいなしで抜くのは私にやらせろ」
「爪をはがすのは私にやらせろ」
「指の骨をおるのは私にやらせろ」
こればっかりは、幻聴でもなんでもなく、精神異常の症状でもない。
世間一般のリンチ願望を敏感に察知しただけだ。
多面体ばっかり描いてタレントの名前を冠すことに関しては、はっきり「狂ってる」と断言できるが、それ以外の部分では、臆病な普通の「バカ」だ。
女児を殺したことについても、「バカ」なだけで、狂ってはいない。
ここを間違えてはいけないと思う。
バロン、耳をすませば、幸せな時間、ユメノ街
2006年8月8日 アニメ・マンガ
柊あおいの『バロン-猫の男爵』『耳をすませば』『耳をすませば-幸せな時間』『ユメノ街-猫の男爵』を読んだ。「猫の恩返し」の原作と、そのシリーズもの。
シリーズというのは、「耳をすませば」の月島雫(きらりんレボリューションじゃないよ!)のシリーズではなくて、地球屋の猫の男爵、フンベルト・フォン・ジッキンゲンのシリーズ。
『バロン』は映画とほぼ同じ流れだが、迷路を抜けるアイディアは、映画版の方が間抜けでわかりやすかった。
『耳をすませば』は図書室の貸し出しカードで、常に見る名前からはじまる恋物語で、最近の図書室だと、きっとコンピュータ化されていて、こんなロマンスも生まれないのかと思うと、夢がなくなったなあ、と思った。
『幸せな時間』はその2人の後日談。卒業してお互いの進路が違ってしまったら、恋愛も終わってしまうんじゃないか、とかいう学生ならではの問題に答えを出している。
と、いうか、進路が違う、つまり同じ場所にいなくなると恋愛は終わる、という発想が僕には不思議でならない。遠距離恋愛は無理、とか。
確かにセックスフレンドならば離れていては成立しないけど、恋愛はじゅうぶん成立するんじゃないのか。
『ユメノ街』は一転して、ファンタジー。運命の2人が出会って恋愛を成就させる、というお決まりのパターンかと思わせておいて、けっこう怖い話を書いている。
世界から犬が絶滅し、今、犬に見えているのは、心を失った人なのだ、とかいう話。
こうしてシリーズをまとめて読んでみると、主人公の未熟な少女を、バロンが導く、というお話なのだ、とわかる。「猫の恩返し」見たとき、バロンの存在理由がよくわからなかったけど、今なら明らかだ。これら作品に出てくる少女は、自分の力だけでは成長できなかったのだ。バロンがいたからといって、成長したわけでもない主人公もいるが、少なくとも、悪い方向にはいかなかったのだから、よしとするか。
で、一番面白かったのは『耳をすませば』だった。
童話好きの男の子と女の子が、お互いに好きになっておさまるべきところにおさまる話。
この2人がイマイチ冴えないのが、いい。
最初から好き同士の2人が両思いになるのは微笑ましいが、別にうらやましくもなく、勝手に2人くっついとけば、というスタンスでおれるのだ。
そして、図書館に行って、アーサー・ランサムでも借りて読みたくなってきたのが、収穫。
こっちはウサギ号じゃなくて、ツバメ号だけど。
シリーズというのは、「耳をすませば」の月島雫(きらりんレボリューションじゃないよ!)のシリーズではなくて、地球屋の猫の男爵、フンベルト・フォン・ジッキンゲンのシリーズ。
『バロン』は映画とほぼ同じ流れだが、迷路を抜けるアイディアは、映画版の方が間抜けでわかりやすかった。
『耳をすませば』は図書室の貸し出しカードで、常に見る名前からはじまる恋物語で、最近の図書室だと、きっとコンピュータ化されていて、こんなロマンスも生まれないのかと思うと、夢がなくなったなあ、と思った。
『幸せな時間』はその2人の後日談。卒業してお互いの進路が違ってしまったら、恋愛も終わってしまうんじゃないか、とかいう学生ならではの問題に答えを出している。
と、いうか、進路が違う、つまり同じ場所にいなくなると恋愛は終わる、という発想が僕には不思議でならない。遠距離恋愛は無理、とか。
確かにセックスフレンドならば離れていては成立しないけど、恋愛はじゅうぶん成立するんじゃないのか。
『ユメノ街』は一転して、ファンタジー。運命の2人が出会って恋愛を成就させる、というお決まりのパターンかと思わせておいて、けっこう怖い話を書いている。
世界から犬が絶滅し、今、犬に見えているのは、心を失った人なのだ、とかいう話。
こうしてシリーズをまとめて読んでみると、主人公の未熟な少女を、バロンが導く、というお話なのだ、とわかる。「猫の恩返し」見たとき、バロンの存在理由がよくわからなかったけど、今なら明らかだ。これら作品に出てくる少女は、自分の力だけでは成長できなかったのだ。バロンがいたからといって、成長したわけでもない主人公もいるが、少なくとも、悪い方向にはいかなかったのだから、よしとするか。
で、一番面白かったのは『耳をすませば』だった。
童話好きの男の子と女の子が、お互いに好きになっておさまるべきところにおさまる話。
この2人がイマイチ冴えないのが、いい。
最初から好き同士の2人が両思いになるのは微笑ましいが、別にうらやましくもなく、勝手に2人くっついとけば、というスタンスでおれるのだ。
そして、図書館に行って、アーサー・ランサムでも借りて読みたくなってきたのが、収穫。
こっちはウサギ号じゃなくて、ツバメ号だけど。
映画ドラえもん のび太のワンニャン時空伝
2006年8月7日 アニメ・マンガ コメント (4)
芝山努監督の「ドラえもん〜のび太のワンニャン時空伝」を見た。2004年
(追記)
この映画を好きな人が見たら、僕のこの日記の内容に怒る、と指摘いただきました。詳しくはコメント欄を読んでいただけるといいのですが、そういうわけで、この映画のファンの方は、この先、読まないようにしてください。
これもテレビ放送の録画分を発掘してきて見たもので、CMに入る前に声優陣が思い出などを語っている。ちょうど声優が若い人たちに一新される直前に作られた映画だったのだ。旧声優陣の顔を見ていると、こりゃ、どう転んでも子供たちの声を担わせるわけにはいかない、という気がしてくる。僕にとって大山のぶ代はその代表格で、あの老婆の声をどうやってドラえもんの声だと信じ、ありがたがる人がいるのか、理解に苦しむ。すこし不思議だ。ドラえもんがヨーダのごとき姿形であれば違和感もなかったろうが。
さて、ストーリー。
捨て犬イチを飼いきれなくなったのび太がタイムマシンで、人間のいない大昔にイチを連れていく。ペットを捨てる人間の身勝手さにすりかえているが、要するにのび太が責任をもって飼えなかったのがすべての悲劇のはじまりだったのだ。
ここまでの所業でも、のび太の愚かさはきわだっているのだが、まだまだだ。
無料フード製造機をちゃんと操作させるために、進化退化光線銃でイチを進化させ、二本足で直立し、脳を発達させる。
のび太は翌日もイチのめんどうを見に行こうとするが、タイムマシンの具合によって、犬猫が人間並みに進化し文明を発達させた時代にたどりつく。
その後は、地球に巨大隕石が衝突する話になり、最終的にのび太とイチの別れ。
直立してしゃべり、文化を持つ犬を現代日本に存在させることは歴史が許さないのだ。
そんなことは、最初からわかっていた。
文化を持つ犬が現代に存在していない以上、それは過去において全滅したか地球から去って行ったに決まっているのだ。
のび太の愚かさが、いらぬ悲劇を呼んだ。
犬は犬として生きていくのがよかったのではないのか。進化、つまり人間化することが幸せだと思い込んだ人間至上主義の傲慢な思想の持ち主、のび太は責められるべき愚者だ。ペットを捨てる人間よりも罪は深い。
ドラえもんは、未来のテクノロジーでのび太を助けたりせず、むしろ、ターミネーターとしてのび太を殺戮し、その情けなくも大馬鹿な遺伝子を未来に蔓延させる危険を回避すべきではなかったか。
この映画に流れる「のび太中心主義」は醜悪だが、ドラえもんが出してくるひみつ道具は面白い。名刀電光丸など、よそ見していても勝手にチャンバラをしてくれるすぐれものだ。つい最近、それを持つ人間の技倆でなく、剣そのものの力で戦うシーンを見た気がしたが、何だったかなあ。忘れた!
(追記)
この映画を好きな人が見たら、僕のこの日記の内容に怒る、と指摘いただきました。詳しくはコメント欄を読んでいただけるといいのですが、そういうわけで、この映画のファンの方は、この先、読まないようにしてください。
これもテレビ放送の録画分を発掘してきて見たもので、CMに入る前に声優陣が思い出などを語っている。ちょうど声優が若い人たちに一新される直前に作られた映画だったのだ。旧声優陣の顔を見ていると、こりゃ、どう転んでも子供たちの声を担わせるわけにはいかない、という気がしてくる。僕にとって大山のぶ代はその代表格で、あの老婆の声をどうやってドラえもんの声だと信じ、ありがたがる人がいるのか、理解に苦しむ。すこし不思議だ。ドラえもんがヨーダのごとき姿形であれば違和感もなかったろうが。
さて、ストーリー。
捨て犬イチを飼いきれなくなったのび太がタイムマシンで、人間のいない大昔にイチを連れていく。ペットを捨てる人間の身勝手さにすりかえているが、要するにのび太が責任をもって飼えなかったのがすべての悲劇のはじまりだったのだ。
ここまでの所業でも、のび太の愚かさはきわだっているのだが、まだまだだ。
無料フード製造機をちゃんと操作させるために、進化退化光線銃でイチを進化させ、二本足で直立し、脳を発達させる。
のび太は翌日もイチのめんどうを見に行こうとするが、タイムマシンの具合によって、犬猫が人間並みに進化し文明を発達させた時代にたどりつく。
その後は、地球に巨大隕石が衝突する話になり、最終的にのび太とイチの別れ。
直立してしゃべり、文化を持つ犬を現代日本に存在させることは歴史が許さないのだ。
そんなことは、最初からわかっていた。
文化を持つ犬が現代に存在していない以上、それは過去において全滅したか地球から去って行ったに決まっているのだ。
のび太の愚かさが、いらぬ悲劇を呼んだ。
犬は犬として生きていくのがよかったのではないのか。進化、つまり人間化することが幸せだと思い込んだ人間至上主義の傲慢な思想の持ち主、のび太は責められるべき愚者だ。ペットを捨てる人間よりも罪は深い。
ドラえもんは、未来のテクノロジーでのび太を助けたりせず、むしろ、ターミネーターとしてのび太を殺戮し、その情けなくも大馬鹿な遺伝子を未来に蔓延させる危険を回避すべきではなかったか。
この映画に流れる「のび太中心主義」は醜悪だが、ドラえもんが出してくるひみつ道具は面白い。名刀電光丸など、よそ見していても勝手にチャンバラをしてくれるすぐれものだ。つい最近、それを持つ人間の技倆でなく、剣そのものの力で戦うシーンを見た気がしたが、何だったかなあ。忘れた!
公式長編記録映画 日本万国博
2006年8月6日 映画
谷口千吉総監督の「日本万国博」を見た。1971年。
先日来、連載が終了したという噂を聞き付けて、やっとのことで浦沢直樹の『二十世紀少年』を読み出した。
少年時代の逆襲というようなテーマで、秘密基地だのカセットテープへのこだわりだの、正義の味方だの、きわめてノスタルジックな、したがって頭がおかしくなりそうなストーリーが展開されている。第21巻まで読んだのだが、ちょっと伸ばし過ぎたか、という印象だ。
きっちりオトシマエがつくタイミングを逃したか、と思っているが、これにどう決着をつけるのか、お手並み拝見。
で、この漫画では1970年の大阪万博がモチーフとして扱われているのだ。
大阪万博は、僕が小学5年生のときに開催されており、もちろん、大阪に住んでいた僕はごく普通に万博に行っていた。せいぜいがユニバーサルスタジオジャパンに行くような感覚で、『20世紀少年』に描かれたような特別視はなかった。関西以外の地域では、捉え方が違ったのかもしれない。
また、太陽の塔についても、大人はあれを見て笑い、子供は親近感の湧くキャラクターとして一緒に遊んでいたと思う。今の岡本太郎ブームは、妙に毒の抜けた形で偉人に仕立て上げていて、つまらない。マスコミが噛んでくると、つまらなくなってしまういい例だと思う。また、万博で一番印象に残ったのは、月の石でも、宇宙船でもなく、三菱未来館の「動く歩道」だった。今なら、どこにでもあるものだけど、と、いうことは、万博で描かれたいろんな未来像のうち、ちゃんと未来を予知し、実現したのはこの「動く歩道」くらいなのかもしれない。
さて、映画である。
おおむね、僕の記憶、印象をなぞる形で脳内で再現されていったが、当時は小学生だったこともあって、今はじめてわかったことが多々ある。
ディズニーランドなどでは比較できない36年前の熱狂がそこにはあった。1日に83万人以上の入場者って、狂ってる。
そして、「人類の進歩と調和」のテーマから想像されるような、未来への楽天的な信頼があったわけでもないことがわかった。パビリオンの数々が展示するのは、スペクタクルと物産展、学習用立体図鑑の趣きがあった。でも、それだけではない。ベトナム戦争だの原爆だの水俣病だの公害だの失われた人間性だの、現代のかかえる諸問題をつきつけていた。監督の意図がそこにあったのかもしれないが、そういうネガティブな要素を切り捨てていたかのような感想は、これもまた偏った見方だったんだな、と思った。
エコロジーや地球温暖化のような、一見前向きな正義の見方っぽい思想が、途上国の産業発展に足枷をはめるための策略でしかないことを思えば、「愛地球博」よりもまっとうな博覧会だったと思われる。
ただ、こんなふうに大阪万博を見ることができるのは、時が経ったからなのかもしれない。
映画のラストで、小学6年生の作文が、「祭りの後の寂しさ」みたいなレベルにとどまっていたが、世間一般の感想も似たりよったりだったんじゃないか、と思う。
「人類の進歩と調和」とあれほどお題目をとなえていたのに、未来につながらない一時のお祭りとしかとらえていなかったのだ。
万博の頃から、人類はちっとも進歩せず、調和もしていない。
20世紀は継続中なのだ。
先日来、連載が終了したという噂を聞き付けて、やっとのことで浦沢直樹の『二十世紀少年』を読み出した。
少年時代の逆襲というようなテーマで、秘密基地だのカセットテープへのこだわりだの、正義の味方だの、きわめてノスタルジックな、したがって頭がおかしくなりそうなストーリーが展開されている。第21巻まで読んだのだが、ちょっと伸ばし過ぎたか、という印象だ。
きっちりオトシマエがつくタイミングを逃したか、と思っているが、これにどう決着をつけるのか、お手並み拝見。
で、この漫画では1970年の大阪万博がモチーフとして扱われているのだ。
大阪万博は、僕が小学5年生のときに開催されており、もちろん、大阪に住んでいた僕はごく普通に万博に行っていた。せいぜいがユニバーサルスタジオジャパンに行くような感覚で、『20世紀少年』に描かれたような特別視はなかった。関西以外の地域では、捉え方が違ったのかもしれない。
また、太陽の塔についても、大人はあれを見て笑い、子供は親近感の湧くキャラクターとして一緒に遊んでいたと思う。今の岡本太郎ブームは、妙に毒の抜けた形で偉人に仕立て上げていて、つまらない。マスコミが噛んでくると、つまらなくなってしまういい例だと思う。また、万博で一番印象に残ったのは、月の石でも、宇宙船でもなく、三菱未来館の「動く歩道」だった。今なら、どこにでもあるものだけど、と、いうことは、万博で描かれたいろんな未来像のうち、ちゃんと未来を予知し、実現したのはこの「動く歩道」くらいなのかもしれない。
さて、映画である。
おおむね、僕の記憶、印象をなぞる形で脳内で再現されていったが、当時は小学生だったこともあって、今はじめてわかったことが多々ある。
ディズニーランドなどでは比較できない36年前の熱狂がそこにはあった。1日に83万人以上の入場者って、狂ってる。
そして、「人類の進歩と調和」のテーマから想像されるような、未来への楽天的な信頼があったわけでもないことがわかった。パビリオンの数々が展示するのは、スペクタクルと物産展、学習用立体図鑑の趣きがあった。でも、それだけではない。ベトナム戦争だの原爆だの水俣病だの公害だの失われた人間性だの、現代のかかえる諸問題をつきつけていた。監督の意図がそこにあったのかもしれないが、そういうネガティブな要素を切り捨てていたかのような感想は、これもまた偏った見方だったんだな、と思った。
エコロジーや地球温暖化のような、一見前向きな正義の見方っぽい思想が、途上国の産業発展に足枷をはめるための策略でしかないことを思えば、「愛地球博」よりもまっとうな博覧会だったと思われる。
ただ、こんなふうに大阪万博を見ることができるのは、時が経ったからなのかもしれない。
映画のラストで、小学6年生の作文が、「祭りの後の寂しさ」みたいなレベルにとどまっていたが、世間一般の感想も似たりよったりだったんじゃないか、と思う。
「人類の進歩と調和」とあれほどお題目をとなえていたのに、未来につながらない一時のお祭りとしかとらえていなかったのだ。
万博の頃から、人類はちっとも進歩せず、調和もしていない。
20世紀は継続中なのだ。
福田沙紀ミニライブ、サクラ大戦活動写真
2006年8月5日 アイドル
午後2時からダイヤモンド・シティ・プラウ1階ノースコートで福田沙紀のCD、写真集発売記念イベント。
CDは「グッド・バイ・マイ・ラブ」、写真集は『Little wing』
福田沙紀がギターを抱えて演奏、「はるもっこ」の2人がバック演奏をつとめる。はるもっこは千葉で路上ライブなどしているらしい。
1.グッド・バイ・マイ・ラブ
2.春夏秋冬
3.翼をください
4.グッド・バイ・マイ・ラブ
もろフォークソングのミニライブだった。
アタックNo1のときとか、「ガールズアゴーゴー」で見る元気で活発な女の子、というイメージとはちょっと違っていたが、しっかり者、強気の少女である片鱗はトークのはしばしににじみ出ていた。
トークでは、福田沙紀の雨女ぶりを語っていた。写真集の撮影時に雨にたたられていたらしいのだ。この日はいやになるほどカンカン照りだったが。
福田沙紀は大阪に来たのだから、たこせんと551の豚まんを食べるって言ってた。大阪にいるとありがたみがわからないけど、この前、ハローモーニングで紺野あさ美も「551の豚まんがおいしくて、大阪行ったときはお土産に買って帰りたいといつも思ってた」とか言ってた。551の豚まんは、「皮好き」の福田沙紀にアピールするらしい。
(雨に)濡れたり、(豚まんの)皮が好きだったり、妙にエロチックなトークだった。
帰宅後、見たのはやっぱりアニメ映画。
本郷みつる監督の「サクラ大戦活動写真」を見た。2001年。スチームパンクのアニメ。
「大正」ならぬ「太正」15年。帝都を守る「帝国華撃団」花組に元星組隊長のラチェット・アルタイルが入ってきた。ラチェット綺麗!ラチェット強い!でもチームワークはダメダメ。口癖は「効率」。米田の言葉によると、星組は「個々の戦闘能力は高かったが、集団としては実にもろかった」のだ。
敵はアメリカのダグラス・スチュワート社の社長、ブレント・ファーロング。ヤフキエルという霊力なしで動く兵器を導入しようとしている。アメリカ軍需産業が日本を支配下に置こうとしているのは、今の日本の姿そのものである。
サクラ大戦は最近PSPでゲームが出ているが、敵がDS社だというくすぐりが面白い。
ブレントの手下で怪しい魔力を使うパトリック、というキャラが出てくる。
ここずっとNHK衛星の朝の番組で「スポンジ・ボブ」を放送しており、その登場キャラクターにひとでの「パトリック」というのがいるので、「おお、パトリック、変わり果てた姿に!」と嘆いた。
怪物と闘うはずのヤフキエルと、花組は闘うことになる。
このヤフキエル、頭の部分に「Z」の文字を書くと崩れてしまうが、これはまさにゴーレム。
DSは霊力のこもった弾丸や、いきなり白馬の王子よろしく飛来した大神隊長などで退治される。
クライマックスはレビューシーン。
ラチェットがアドリブで自分の思いをぶちまける。DSとつるんでたことの懺悔とか、効率重視の自分の生き方をチームワーク重視の花組によって否定されたことへの苛立ちなどが、彼女の心を乱していたのだ。ラチェットは、さくらを斬って流血させる。だが、さくらは「私はあなたが大好きです」とか言うし、花組の面々はラチェットに対して、「憎しみからは何も生まれない。許します」の大合唱。あげくのはてには、さくらに「私が流した血はあなたの血です」とまで言われる。
いやー、事件の容疑者に対して死刑を強く訴えるお調子者たちに爪の垢でも煎じて飲ませたい。
とは言え、個人の天才的能力が、集団による仲間意識とかチームワークに劣るものだとでも言い兼ねないこの思想は、つまらない。ラチェットのことをみんなが仲間だと思っていたとしても、さくらが血を流して倒れているのに「許します」は無いだろう、と思う。
ところが、このエピソード、実にアメリカ的でよく考えてあるのだ。
ラチェットはアメリカ華撃団の設立にも関わっている。つまり、ラチェットはブレントと並んで、アメリカの代表としての位置付けをもっている。そのラチェットが、正直に自分のしたことを告白しながら、「さくら」を切ったのだ。アメリカの代表が正直で、さくらを切った場合、許されるのがワシントン以来の決まりきった結末なのである。
CDは「グッド・バイ・マイ・ラブ」、写真集は『Little wing』
福田沙紀がギターを抱えて演奏、「はるもっこ」の2人がバック演奏をつとめる。はるもっこは千葉で路上ライブなどしているらしい。
1.グッド・バイ・マイ・ラブ
2.春夏秋冬
3.翼をください
4.グッド・バイ・マイ・ラブ
もろフォークソングのミニライブだった。
アタックNo1のときとか、「ガールズアゴーゴー」で見る元気で活発な女の子、というイメージとはちょっと違っていたが、しっかり者、強気の少女である片鱗はトークのはしばしににじみ出ていた。
トークでは、福田沙紀の雨女ぶりを語っていた。写真集の撮影時に雨にたたられていたらしいのだ。この日はいやになるほどカンカン照りだったが。
福田沙紀は大阪に来たのだから、たこせんと551の豚まんを食べるって言ってた。大阪にいるとありがたみがわからないけど、この前、ハローモーニングで紺野あさ美も「551の豚まんがおいしくて、大阪行ったときはお土産に買って帰りたいといつも思ってた」とか言ってた。551の豚まんは、「皮好き」の福田沙紀にアピールするらしい。
(雨に)濡れたり、(豚まんの)皮が好きだったり、妙にエロチックなトークだった。
帰宅後、見たのはやっぱりアニメ映画。
本郷みつる監督の「サクラ大戦活動写真」を見た。2001年。スチームパンクのアニメ。
「大正」ならぬ「太正」15年。帝都を守る「帝国華撃団」花組に元星組隊長のラチェット・アルタイルが入ってきた。ラチェット綺麗!ラチェット強い!でもチームワークはダメダメ。口癖は「効率」。米田の言葉によると、星組は「個々の戦闘能力は高かったが、集団としては実にもろかった」のだ。
敵はアメリカのダグラス・スチュワート社の社長、ブレント・ファーロング。ヤフキエルという霊力なしで動く兵器を導入しようとしている。アメリカ軍需産業が日本を支配下に置こうとしているのは、今の日本の姿そのものである。
サクラ大戦は最近PSPでゲームが出ているが、敵がDS社だというくすぐりが面白い。
ブレントの手下で怪しい魔力を使うパトリック、というキャラが出てくる。
ここずっとNHK衛星の朝の番組で「スポンジ・ボブ」を放送しており、その登場キャラクターにひとでの「パトリック」というのがいるので、「おお、パトリック、変わり果てた姿に!」と嘆いた。
怪物と闘うはずのヤフキエルと、花組は闘うことになる。
このヤフキエル、頭の部分に「Z」の文字を書くと崩れてしまうが、これはまさにゴーレム。
DSは霊力のこもった弾丸や、いきなり白馬の王子よろしく飛来した大神隊長などで退治される。
クライマックスはレビューシーン。
ラチェットがアドリブで自分の思いをぶちまける。DSとつるんでたことの懺悔とか、効率重視の自分の生き方をチームワーク重視の花組によって否定されたことへの苛立ちなどが、彼女の心を乱していたのだ。ラチェットは、さくらを斬って流血させる。だが、さくらは「私はあなたが大好きです」とか言うし、花組の面々はラチェットに対して、「憎しみからは何も生まれない。許します」の大合唱。あげくのはてには、さくらに「私が流した血はあなたの血です」とまで言われる。
いやー、事件の容疑者に対して死刑を強く訴えるお調子者たちに爪の垢でも煎じて飲ませたい。
とは言え、個人の天才的能力が、集団による仲間意識とかチームワークに劣るものだとでも言い兼ねないこの思想は、つまらない。ラチェットのことをみんなが仲間だと思っていたとしても、さくらが血を流して倒れているのに「許します」は無いだろう、と思う。
ところが、このエピソード、実にアメリカ的でよく考えてあるのだ。
ラチェットはアメリカ華撃団の設立にも関わっている。つまり、ラチェットはブレントと並んで、アメリカの代表としての位置付けをもっている。そのラチェットが、正直に自分のしたことを告白しながら、「さくら」を切ったのだ。アメリカの代表が正直で、さくらを切った場合、許されるのがワシントン以来の決まりきった結末なのである。
森田宏幸監督の「猫の恩返し」を見た。スタジオジブリ。2002年
これもまたテレビ放送の録画を見つけて見たもので、まず、石川梨華と田中れいながナビゲーションで出て来た。ジブリ作品で声をあてている我修院達也も。
まず、スタジオジブリの短編作品が放送された。
「そらいろのたね」全3話。1992年。絵本
「なんだろう」1992年。日本テレビのキャラクター
「On Your Mark」1995年。チャゲ&飛鳥
さて、本編。
これもまた、少女が猫の国という異界に行って、戻ってくる話。
狸御殿みたいな話なのだが、なぜ狸でなく猫なのか、に答える必然性は1ケ所。猫王の行列で二本足で立ち、前足を曲げる猫の姿は狸では出せない可愛さがあった、と思う。それだけ?それで十分!
一方、猫が軍隊みたいなのを組織したりするのは、イメージにあわなかった。ああいう主従関係とか支配関係はイヌ族にまかせておけばいいのだ。猫が恩返しする、という発想も違和感があった。猫は恩知らずで、そこが魅力なのに。はっきり言って、こいつら、猫じゃない。猫をかぶった別の生物だ。そうか。どこかで見たことある、と思ってたら、これ「耳をすませば」のバロンだったのか!それで猫なのか。「耳をすませば」は10年以上前に劇場で見ただけなので、ストーリーとか全然覚えていなかった。でも、この「猫の恩返し」では、バロン別に出て来なくてもよかったのにな、と思った。特別出演扱いですか。そうですか。
楽しかったシーンは、ラストで上空高くから落下し、鳥の大群が作ったらせん階段をおりるところ。これが爽快。
昨日見た「千と千尋の神隠し」にくらべると、異界を通過して戻ってきた少女が、大きな変化をしていないのがよかった。少女にとって、猫の国での冒険は、ひと夏のエピソード程度の重みしかないようで、それでこそ少女じゃないか、と共感したのだ。
なお、この映画、猫のナトルの声を濱田マリちゃんがあてている。
マリちゃんが声をやっている、とまったく意識せずに見終わってから、巻き戻して聞き直し、「あっ、本当にマリちゃんだ!」とわかった次第。あんなに声に特徴あるのに、役柄になりきっていて、マリちゃんを感じさせなかったのは、さすがのひとこと。
これもまたテレビ放送の録画を見つけて見たもので、まず、石川梨華と田中れいながナビゲーションで出て来た。ジブリ作品で声をあてている我修院達也も。
まず、スタジオジブリの短編作品が放送された。
「そらいろのたね」全3話。1992年。絵本
「なんだろう」1992年。日本テレビのキャラクター
「On Your Mark」1995年。チャゲ&飛鳥
さて、本編。
これもまた、少女が猫の国という異界に行って、戻ってくる話。
狸御殿みたいな話なのだが、なぜ狸でなく猫なのか、に答える必然性は1ケ所。猫王の行列で二本足で立ち、前足を曲げる猫の姿は狸では出せない可愛さがあった、と思う。それだけ?それで十分!
一方、猫が軍隊みたいなのを組織したりするのは、イメージにあわなかった。ああいう主従関係とか支配関係はイヌ族にまかせておけばいいのだ。猫が恩返しする、という発想も違和感があった。猫は恩知らずで、そこが魅力なのに。はっきり言って、こいつら、猫じゃない。猫をかぶった別の生物だ。そうか。どこかで見たことある、と思ってたら、これ「耳をすませば」のバロンだったのか!それで猫なのか。「耳をすませば」は10年以上前に劇場で見ただけなので、ストーリーとか全然覚えていなかった。でも、この「猫の恩返し」では、バロン別に出て来なくてもよかったのにな、と思った。特別出演扱いですか。そうですか。
楽しかったシーンは、ラストで上空高くから落下し、鳥の大群が作ったらせん階段をおりるところ。これが爽快。
昨日見た「千と千尋の神隠し」にくらべると、異界を通過して戻ってきた少女が、大きな変化をしていないのがよかった。少女にとって、猫の国での冒険は、ひと夏のエピソード程度の重みしかないようで、それでこそ少女じゃないか、と共感したのだ。
なお、この映画、猫のナトルの声を濱田マリちゃんがあてている。
マリちゃんが声をやっている、とまったく意識せずに見終わってから、巻き戻して聞き直し、「あっ、本当にマリちゃんだ!」とわかった次第。あんなに声に特徴あるのに、役柄になりきっていて、マリちゃんを感じさせなかったのは、さすがのひとこと。
ジャパニメーションがどうたら本の影響で、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」を見た。2001年。宮崎駿が原作、脚本も兼ねている。以前テレビ放送してたのを録画していたのを、やっと探し当てて見たものだ。本編に入る前に、「ハウルの動く城」の原作者が出てきて、ハウルのテーマは「愛情こそ魔法」だとか、年をとっているからこそできることがあるとか、言っていた。「ハウルの動く城」を見たときに感じた「戦争が愛だの恋だので丸くおさまってしまう」「老いは呪いなのか」という疑問は、これで解消したと言える。愛によって戦争が終わってもそれは魔法だからであり、老いは呪いではなかったのだ。荒れ地の魔女が、老いによって愛だの恋だのの世界から引退させようとした策略は、魔女の浅はかな考えから来たものだったのだ。浅はかな考えとは、愛だの恋だのに必要な要素は若さだ、という思い込み。若さは愛だの恋だのの結果として来るもので、それ自身を武器にすることは出来ない。
さて、本編。スタッフ、あらすじについては有名らしいので、どこかで参照してもらうとして、感想だけ記しておこう。
この映画に批判的な人もいるらしいが、じゃあ、なぜ見たんだろう、と疑問に思う。世の中にはいっぱい映画があって、見切れないのだ。最初から見なければよかったんじゃないのか。それに、たかが宮崎アニメに対して、いったい何を期待していたのか、と要求水準を疑いたくもなる。
面白かった!
なにより、湯屋の物語ゆえ、見ているだけで気持良い。くされ神に湯をかけてどろどろを洗い流すシーンは最高!
同様に、カオナシがゲロゲロ吐いてすっきりするシーンも気持良い。
千尋の両親が勝手に食事をはじめて豚に変えられてしまうシーンとあわせて、大食の罪、なんてことまで考えた。
カオナシの姿はマヤ・デレンの「午後の網目」を思い出させた。
こうしたキャラクターの面白さ以外に気になったのは、随所に見られる説教臭さ。
少女が異界を通過(儀礼)することで成長する話なので、しかたないとは言え、どうにかならなかったのか。ルイス・キャロルのアリスは不思議の国や鏡の国を通過しても、ちっとも変わらない。それこそが少女のリアルってもんじゃないのか。
他のアニメに比べて、少女の体型など、リアルな少女っぽくて好感が持てただけに、成長したりしっかりしたり向上することを良いことだと思い込むありきたりの大人に仕立て上げようとする陰謀にあっさりと乗ってほしくなかった、と思う。
湯屋で働くことになった千尋が、名前を奪われて「千」と呼ばれるようになる。
支配されるということは、名前を奪われるということなのだ。
人間性を剥奪して、支配する際に名前を奪って番号でおきかえられるのは、囚人、軍人、学生を考えれば一目瞭然だろう。
「ちひろ」という名は「千」という数字、番号に置き換えられたのだ。
千尋は名前を取り戻すことで人間性剥奪の異界から抜け出すことが出来るが、抜け出した先が「一人前の大人」への道だとしたら、これはまたつまらないのである。
勝手に店のものを食べるような両親の「狭さ」が彼らを豚に変える原因だった。
千尋は両親と再会したときに「あなたたちのような大人にはならない」とでも言ってやればよかったのだ。両親を捨てて、ハク(白竜)といた方がよかったんじゃないのか?
クライマックスで湯婆婆が多くの豚を並べて、「この中から両親を間違えずに選べ」と謎をかける。
千尋が出した正解は「この中には両親はいない」だった。
これは、湯婆婆の策略を読んだせいでもなく、親子の情によって見分けがついたのでもない。
豚に変えられるようなぶざまで醜い奴は両親でも何でもない、ということなのだ。
どれかを選んで、豚から変身するような親などほしくない、ということなのではなかろうか。
少女にとっては親は倒して否定すべき存在であって、間違っても救出すべきものではない。
これは千尋ひとりに限らず、すべての「親子」を名乗る人々にとって事情は同じだろう。
だから「この中に」だけでなく、人間にとって「親」を名乗る資格を持つものはどこにもいない、という少女なりの洞察だったのではないか。
あと、海を走る電車のシーンはとても良くて、いい気分だった。
この気持良さがどこから来るのか、考えてみたが、そのひとつが、電車がすいていて、すぐに坐ることが出来たことにも由っている、と思った。そんな些細なことで!
さて、本編。スタッフ、あらすじについては有名らしいので、どこかで参照してもらうとして、感想だけ記しておこう。
この映画に批判的な人もいるらしいが、じゃあ、なぜ見たんだろう、と疑問に思う。世の中にはいっぱい映画があって、見切れないのだ。最初から見なければよかったんじゃないのか。それに、たかが宮崎アニメに対して、いったい何を期待していたのか、と要求水準を疑いたくもなる。
面白かった!
なにより、湯屋の物語ゆえ、見ているだけで気持良い。くされ神に湯をかけてどろどろを洗い流すシーンは最高!
同様に、カオナシがゲロゲロ吐いてすっきりするシーンも気持良い。
千尋の両親が勝手に食事をはじめて豚に変えられてしまうシーンとあわせて、大食の罪、なんてことまで考えた。
カオナシの姿はマヤ・デレンの「午後の網目」を思い出させた。
こうしたキャラクターの面白さ以外に気になったのは、随所に見られる説教臭さ。
少女が異界を通過(儀礼)することで成長する話なので、しかたないとは言え、どうにかならなかったのか。ルイス・キャロルのアリスは不思議の国や鏡の国を通過しても、ちっとも変わらない。それこそが少女のリアルってもんじゃないのか。
他のアニメに比べて、少女の体型など、リアルな少女っぽくて好感が持てただけに、成長したりしっかりしたり向上することを良いことだと思い込むありきたりの大人に仕立て上げようとする陰謀にあっさりと乗ってほしくなかった、と思う。
湯屋で働くことになった千尋が、名前を奪われて「千」と呼ばれるようになる。
支配されるということは、名前を奪われるということなのだ。
人間性を剥奪して、支配する際に名前を奪って番号でおきかえられるのは、囚人、軍人、学生を考えれば一目瞭然だろう。
「ちひろ」という名は「千」という数字、番号に置き換えられたのだ。
千尋は名前を取り戻すことで人間性剥奪の異界から抜け出すことが出来るが、抜け出した先が「一人前の大人」への道だとしたら、これはまたつまらないのである。
勝手に店のものを食べるような両親の「狭さ」が彼らを豚に変える原因だった。
千尋は両親と再会したときに「あなたたちのような大人にはならない」とでも言ってやればよかったのだ。両親を捨てて、ハク(白竜)といた方がよかったんじゃないのか?
クライマックスで湯婆婆が多くの豚を並べて、「この中から両親を間違えずに選べ」と謎をかける。
千尋が出した正解は「この中には両親はいない」だった。
これは、湯婆婆の策略を読んだせいでもなく、親子の情によって見分けがついたのでもない。
豚に変えられるようなぶざまで醜い奴は両親でも何でもない、ということなのだ。
どれかを選んで、豚から変身するような親などほしくない、ということなのではなかろうか。
少女にとっては親は倒して否定すべき存在であって、間違っても救出すべきものではない。
これは千尋ひとりに限らず、すべての「親子」を名乗る人々にとって事情は同じだろう。
だから「この中に」だけでなく、人間にとって「親」を名乗る資格を持つものはどこにもいない、という少女なりの洞察だったのではないか。
あと、海を走る電車のシーンはとても良くて、いい気分だった。
この気持良さがどこから来るのか、考えてみたが、そのひとつが、電車がすいていて、すぐに坐ることが出来たことにも由っている、と思った。そんな些細なことで!