アートスペース亜蛮人で川溿理恵、萌木ひろみ二人展「少女をかくすなら夢の中」。
この日はライブペインティングもしていた。
「永遠ではない美しさ、瞬く間に過ぎ去る日々。まるで夢のように、少女を隠すなら夢の中」
と、書いてある。
常日ごろから、男性、少なくとも僕の考える「少女」と、女性の思う「少女」とのあいだには大きな違いがある、と思っていた。
そのことについて、けっこう長い文章を書いていたのだが、パソコンがフリーズして、2回書き直して、これが3回め。もう書く気も失せた。
歌川国芳展@大阪市立美術館~横尾美美展@コウイチ・ファインアーツ~風穴もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから@国立国際美術館
大阪市立美術館で、「没後150年 幕末の奇才浮世絵師 歌川国芳展」
史上最大級のうたい文句に間違いはなかった。
5月10日からは後期で作品の入れ替えがあるらしいのだ。
今回、30分もあれば全部見れるだろう、と高をくくっていたのだが、とんでもない。駆け足で見ても2時間くらいはかかった。
館内は、10のテーマで作品が紹介されていた。
武者絵ーみなぎる力と躍動感
説話ー物語とイメージ
役者絵ー人気役者のさまざまな姿
美人画-江戸の粋と団扇絵の美
子ども絵-遊びと学び
風景画-近代的なアングル
摺物と動物画-精緻な彫と摺
戯画-溢れるウィットとユーモア
風俗・娯楽・情報
肉筆・板木・版本ほか

ああ、もっと江戸文化やら古典を勉強しておけばよかった。
描かれている題材に対する知識が乏しすぎた!
たとえば、水滸伝とか。
文覚上人を題材にした絵が何点かあって、文覚上人と言えば滝に打たれる荒行、と決まっていたのか、というような基本的なことを教えられた感じ。
また、雪だるまを作って遊んでいる絵があったが、僕の知るかぎりでは、「雪だるま」といえば、どっちかというと「スノーマン」みたいなもので、大玉の上に小さい玉が乗っていて、それが頭部にあたる、みたいな印象があったが、国芳のは違った。ちゃんと「達磨」になっているのだ。
後期も見に行くか!
http://kuniyoshi.exhn.jp/

コウイチ・ファインアートで横尾美美展。
リキテックスで描いた絵にビーズや貝殻、人形などを直接貼り付ける、立体的な作品が並んでいた。
食卓を描いた作品に、調味料の壜がボンっと貼り付けてあったのには笑った。
横尾美美は、横尾忠則の娘。
横尾美美の作品はあまり知らなくて、作品にラメのようなキラキラがほどこしてあったりするのが、なんだか中年女性の感性みたいでいやだな、と思っていたのだが、実際に作品を見て、そういう思いはなくなった。
たしかに女性としての日常を描いた作品ではあるのだが、美美さんは、僕よりも年下だったし、「中年」というより、「メルヘン」に世界は近いのかもしれないな、と感じられた。
http://www.kouichifinearts.com/info/info_yokoo.html

国立国際美術館で、「風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」
出品作家は、
プレイ
(矢印の舟、落雷観察)
アラヤー・ラートチャムルーンスック
(タイの村人たちが泰西名画を前に井戸端鑑賞)
ディン・Q・レー
(バイク修理の看板、バケツにポンプで泉)
立花文穂
(本、紙束)
島袋道浩
(箱の独白、輪ゴム、カメ先生)
チウ・ジージェ
(賞状、ゴム製の巻尺)
木村友紀
(平面と物質)
ヤン・ヘギュ
(ハンガーにかけた雑多なガラクタと照明)
contact Gonzo
(暴力的な作品と、作品現場)

いやはや、これは面白かった。
「はは~ん」「ほほ~」「あ、なるほど」などなど、
目からウロコが落ちることが多くて、刺激的。

国立国際美術館では、「早川良雄ポスター展」「コレクション4 現代美術の一世紀」も見た。

今日は夜勤明けに、親戚のお見舞いで神戸に行ったり、図書館に本を借りに行ったりした。
最初国芳見たときは、「今日はきっとこれを上回るものは見れないだろうな」と確信していたが、横尾美美見たら、それにも感動し、「風穴」見たら、やっぱりこうじゃなくちゃ!と感心したり、ほんと、いいものをたくさん見た。
『ハルムスの世界』
ダニイル・ハルムスの『ハルムスの世界』を読んだ。
以下、目次。

『出来事』
青いノートNo.10
出来事
落ちて行く老婆たち
ソネット
ペトロフとカマロフ
眼の錯覚
プーシキンとゴーゴリ
指物師クシャコフ
長持
ぺトラコフの身の上に起きた出来事
殴り合いの話

数学者とアンドレイ・セミョーノヴィチ
門番を驚かせた若い男
心の準備のできていない人が突然新しい考えに出会ったときにどうなるかを示す四つの例
失くし物
マカーロフとペーテルセンNo.3
リンチ
出会い
失敗に終わった上演
ポン!
最近、店で売られているもの
マシュキンはコシュキンを殺した
夢が人間をからかう
狩人
歴史上のエピソード
フェージャ・ダヴィドーヴィチ
プーシキンについてのエピソード
とても気持ちのいい夏の日の始まり(交響曲)
パーキンとラクーキン

不条理文学の先駆者ダニイルハルムス
 スターリン時代の不条理な現実
 ハルムス再発見

『ハルムス傑作コレクション』
「ひとりの男がいた」
交響曲第二番
「親愛なるニカンドル・アンドレエヴィチ」
「ひとりのフランス人にソファがプレゼントされた」
プーシキンについて
<コラム>国民のアイドル、プーシキン
四本足のカラス
「眼に小石の刺さった、背の低い紳士が」
現象と存在についてNo.1
現象と存在についてNo.2
「あるエンジニア」
<コラム>壁の建設
スケッチ
講義
「本物の自然愛好家」
通りで起きたこと
レジ係
<コラム>ビッグ・ブラザー
物語
「ひとりの男が干しエンドウばかり食べているのに飽きて」
「みんなお金が好き」

<コラム>実生活でのハルムス
「午後2時にネフスキー大通りで」
騎士
「イヴァン・ヤーコヴレヴィチ・ボーボフ」
<コラム>デフィツィット
おじいさんの死
寓話
邪魔
<コラム>黒いコートを着た男
「公案」
画家と時計
卑しい人物
「私はカプチン会の坊主と呼ばれている」
<コラム>子ども嫌い
「私は塵を舞い上げた」
名誉回復
権力
転落
私の妻に起きたこと
<コラム>椰子の木の下で
多面的な診察
「なぜみんなが私のことを天才だと思うのか」
「私たちは部屋が二つあるアパートに住んでいた」
関係

ハルムスの作品世界ー無意味さの意味

『出来事』全編と、あと、翻訳者のチョイスで訳されたもの、それに加えて、随所にコラムが書かれていて、ハルムスのことを総合的に知るにはうってつけの本。
この本読んで知ったけど、ハルムスはふだんからちょっと変なファッションで町を歩いており、子どもたちにからかわれたりしてたそうだ。
その変な格好とは。
帽子をかぶっていて、派手なジャケットにハイソックス。
親近感わくね~。
今日はなんばBEARSで10minutes後夜祭。
ライブハウス入りする前に銀行に行く用事があったので、外出したついでに、銀行の近くのタワーレコードで洋楽をさんざん試聴する。
ついつい、自分が過去に聞いていた音楽と比べてしまって、「~に似ているな」とか、「音楽はここ10年ほど全然変わっていないな」とありがちな感想を抱いてしまうけど、それはもう音楽のインパクトに正面からぶつかっていないと言う意味だから、要注意なのだ。
その後、ジュンク堂でしばし読書。
大澤真幸と宮台真司の『「正義」について論じます』を途中まで読む。
去年出た本なのに、東日本大地震や石原都知事再選の現状を踏まえたかのような発言が見られて、言論の力を思い知る。
いずれ全部読んだら、また感想書くかな。

さて、ベアーズ。
出演は順に、
丼野M美
早坂くるえ(with虚無子)
天心和風乙女団ver.南乃もも
りあ326
はっち
未緒@1年5組
ちーたん

夢野さくら、野中ひゆも参加してのトーク

ゲストライブは、松前公高。

司会は、保山ひャン、B・カシワギで、ライブの流れを考慮して、今回は控えめに。
出店は銭ゲバフルト。

今回のライブでの見ものは、はっち、未緒@1年5組、ちーたんの共演によるルカルカナイトフィーバーが見れたことで、鳥肌立ちまくりだった。

次回、10minutesは5月20日にシーズン2の初回がはじまり、第2回は7月3日に開催。




朝から投票に。
市議会と府議会、たまたま僕が投票した候補者は当選した。
大勢の市民、府民と意見が一緒だったことに、ちょっと危惧を覚えた。マジョリティの側にいることは、僕にとっては注意信号なのだ。

アリオ八尾でハッピータイム祭り。
午後2時の回。
スコーピオンズ/ダンス
万葉シャオニャン
1.学園天国
2.ずっとそばに
3.風が教えてくれたこと
ハッピーズ(ゆかりん、あすか、あき)
1.切手のない贈り物
2.わたしだけの未来
3.世界中のこどもたちが
ミルキーハット
1.マイレボリューション
2.ダンデライオン
3.未来
4.ミュージックカラー

スコーピオンズは、アリオダンスプロジェクトで準優勝した男子3人組。
自由に踊っているようで、2回目もほとんど同じダンスだった。
万葉シャオニャンは、「万葉」モードをすっかり解除していた。
もっとダンスのうまさが光る歌も見たかったかな。
ミルキーハットは、久々に見たせいなのか、意気込みをすごく感じた。
そして、自分は、はっきりと菊村璃奈推しだと確認した!

午後4時の回。
スコーピオンズ/ダンス
万葉シャオニャン
1.風が教えてくれたこと
2.ずっとそばに
3.鉄腕アトム
ハッピーズ
1.切手のない贈り物
2.わたしだけの未来
3.世界中の子供達が
ミルキーハット
1.ミュージックカラー
2.歩いていこう
3.未来
4.グレープフルーツ

物販や、チャリティ握手会もあったが、時間がなくて、ライブが終わったら、即移動。

なんばハッチで、毛皮のマリーズの「マリーズマニア」ツアー。
午後6時から、という健全な早い時刻からのスタートで、ライブステージも健全、お客さんも健全。
自分がいかにアングラなものにばかり接していたのかを思い知らされた。
さて、毛皮のマリーズ。
そのネーミングから、寺山修司的な世界が多少なりともあるのかな、と思ったが、それはまったく感じられなかった。健全。
CD聞いてるとビートルズだったけど、ライブはジョニー・サンダースだった。
自分が高校生の頃は、こういう音楽ばかり聞いてたな、と思うと、ちょっと懐かしく思えた。
あと、女性ファンばかりが集まっているのかなと思っていたが、意外と男性客も多かった。すごく健全なお客さん。
ここで言う健全っていうのは、たとえて言えば、食事していてソースが服についてしまったときのリアクションの違い。
「あ~あ」と思ったり、洗濯やクリーニングしなくちゃ、と思うのが、「健全」な人たち。
僕のまわりの人たちは、服にソースをつけるためにわざわざソースに突っ込んでいくような人たちなのだ。そもそも服を着ていない可能性がある。
やっぱり、健全なほうが健全だな。

帰宅後はレコ部など。
JR奈良駅から興福寺~若草山へと、白塗りやら異装のものたちが百鬼夜行するイベント、奈良ファッションウォーク。
もともとは東京での原宿ファッションウォークを奈良にも導入して、奈良に活気を与えようというものだったが、集まったのがアングラのにおいのする人が多くて、いきおい、百鬼夜行へ。
しかも、道行く人に「何だアレ?」と後ろ指さされる衝撃を想定していたのに、東日本の震災を受けて、募金活動のデモ行進にシフトチェンジ。
町の人々は、「変な奴らがいる」と思いつつも、募金活動しているのを見て、安心する。また、ぞろぞろ歩くほうも、正当な異装の理由を獲得して、スリリングな非日常とのせめぎあいはなくなってしまった。
すごく楽しかったので、またこういうイベントあったら参加してみたいが、今回の震災を受けての、イベントのありかたについては、2つの思いが交互に出てくる。
文字通りの、妖怪たちが町を行く百鬼夜行でありたかったな、という思いがひとつ。
でも、どんどん、もう一つの思いが強くなってきている。
それは。
募金であれ何であれ、こうしたイベントがやりやすくなるのなら、それはじゃんじゃんやるべきだ!と。
募金活動についてはもとより大賛成だし、それを口実に妖怪たちも百鬼夜行できるのなら、万々歳ではないのか。

午後7時からはスタンダードブックカフェで「思想地図βシンポジウム」
東浩紀、浅子佳英、鈴木謙介、福嶋亮大
震災を受けて、震災後の言論についてなど、興味深い意見が聞かれた。
東浩紀が、「想定外」「風評被害」といった言葉の使われ方に違和感を覚えていることをさらっと語っていて、面白かった。(詳しくは、いずれまとめられて出版されるはず)
ツイッターでのまとめが理解に大きく役立ったのだが、そうしたツイートにつけられるコメントを読むと、やっぱりこういうシンポジウムはちゃんと自分の耳で聞いて、話し手の表情も見ていないと、伝わりにくいんだな、と感じた。
もともといちゃもんをつけるためにツイート読んでるなら別だけど、そんな非生産的な愚行をする人は実在しないはずである。
いやしかし、みんな録音をおこせばそのまま読めるレベルのやりとりをしているのには驚いた。これぞ知の力なのか。

しおんの王

2011年4月8日 将棋
しおんの王
DSゲーム「しおんの王」のストーリーモード、ノーマルをクリアした。
主催者不明の将棋大会に集まった若者たち。
しおんは予選を突破し、決勝で意外な人物と戦い、また主催者の正体を知る。
予選突破、決勝で優勝、という対局の場面は、次の一手を当てる場面になっている。
どういう戦いで、こういう局面になったかの説明もあり、実際に問題として出てくるのは、終盤なので、解いていて面白い。それだけでなく、面白いのは、次の一手を当てたあと、きっちりと指して相手を投了させねばならないのだ。
「負けました」の声や、棋譜読み上げの声も入っていた。
「しおんの王」は漫画をかなり前に読んだきり、どういう設定だったのか忘れかけていたが、このゲームして、またしおん(トラウマから声が出なくなり、筆談でコミュニケーションする)の可愛さを思い出した。苛酷な体験で声を失うほどなのだが、このしおんは、健気で、可愛いのだ。

『枯草熱』

2011年4月5日 読書
スタニスワフ・レムの『枯草熱』を読んだ。1976年。
毎年この季節のなると、この小説を読もう、と思って何年たつやら。
と、いうのは、このタイトル「枯草熱(こそうねつ)」は原題が「カタル」で、その内容は、ズバリ、花粉症なのだ。
主人公の宇宙飛行士は、花粉症ゆえに、補欠にまわされてしまったのだ。火星に花粉なんかないというのに!
他にも、花粉症で苦しんでる時期に読もうと思ってる本があるので、もし読めたらまたアップします。

さて、この作品はミステリーになっている。ネタバレするのでご容赦。
読んでいて、いったい今、何が進行しているのかが明らかになるのが、ほぼ半分読み終わったあたり。
そして、やっとわかるのが、連続怪死事件のミッシングリンクさがし。
狂って死んでしまった被害者たちの共通点を探して、事件の真相をあばこうとする。
主人公は、ある被害者の行動をトレースすることで、死へのトリガーが那辺にあるのかを探ろうとしていたのだ。
共通点はいくつかあって、それは、
硫黄泉で湯治していた。
年齢は50歳前後。
がっしりした体格。
独身。
日光浴。
花粉症(アレルギー)
など。
こういう共通点が人を死なせるのはなぜなのか。
あと、死者はみんなハゲだった、という特徴もある!
なにか陰謀にまきこまれたのではないか、とも思える序盤だったが、ミッシング・リンク探しの話と判明すると、あとは一気呵成。
上にあげた死者の共通点は、次のように解釈される。
死んでいったのは、ホルモン軟膏を使い、リタリンを服用し、硫黄泉にはいり、砂糖をまぶしたナポリ風の炒りアーモンドを好んで食った男だったのである。

要するに、毒薬というか化学兵器というか、その毒性が致死のレベルに達するには、いくつかの要因が重なって起きる必要があって、それらを満たした者だけが死んでいたのだ。
これは、偶然の悪魔だ。
ラスト近くで、主人公もこの毒にやられて幻覚を見る。
その描写は圧巻。
主人公がいかにして罠の積み重ねを獲得していくかが、面白い。
チェスタトンか泡坂妻夫を見るような。
偶然の積み重ねがとんでもない事態を引き起こすミステリーは、それこそ掃いて捨てるほど存在している。
ひとつひとつの偶然が何だったのかが謎になるミステリー(泡坂とか)、
百万分の一の偶然でとんでもないことが起こるミステリー(小栗とか)
レムのこの作品がそうしたミステリーと違うのは、偶然の積み重ねをあばく快楽に主眼を置かず、今回主人公は毒が発現して幻覚を見るに至ったが、もしも主人公がその罠を逃れたとしても、別の人物が毒を発現させていたはずだ、という確率の問題としてわれわれの前に投げ出したところだ。

暗闇でドッキリ

2011年4月4日 映画
暗闇でドッキリ
ブレイク・エドワーズ監督の「暗闇でドッキリ」を見た。1964年。
ピーター・セラーズ演じるクルーゾー警部もの。
一応、ミステリーになっていて、このブログではオチまで明かしているので、これから見る人は、要注意。

すきあらば攻撃を仕掛けてくるケイトー(カトー)、クルーゾーの一挙一動にストレスを抱えて病的におかしくなってしまうドレフュス(ハーバート・ロム)とか、ピンクパンサーシリーズの設定が楽しめる。
ベタな笑いがひっきりなしに仕掛けてあって、とても楽しい。
また、殺人事件の真相や顛末は、まるで新本格のような意外なものが用意されていた。笑えるんだけどね。そのあたりも新本格チックかな。
容疑を一身に引き受けている女性、マリア・ガンブレリ(エルケ・ソマー)と、真犯人をかばっているやら、かばわれているやら、の主人バロン(ジョージ・サンダース)、どっちが犯人やら、と思っていたら、それ以外がみんな事件に関わっていた、というむちゃくちゃなオチ。その殺人犯と脅迫犯を、一気に爆死させてしまうのが、狂いかけたドレフュス。ほんとはクルーゾーを始末したかったのだ。
ああ、新本格。

今日は、夜からドミューンでアリスセイラーと嶽本野ばら君のトークとライブがUstreamで放送されていて、コメントなどつけながら楽しんだ。
深夜はレコ部。月曜深夜!
大丸心斎橋店で開催中の「キャラクターパーティーfeat.ネオ・コス展」を見に行った。ガイナックスの「パンティ&ストッキングwithガーターベルト展」のところは、トークイベント後のサイン会でごったがえしており、ちゃんと見れなかったので、また10日までに寄れる機会があれば、寄ろうと思う。
真珠子ちゃんの作品があったり、全体に創作意欲を刺激するものが並んでいて、楽しい時間を過ごした。
http://madeingirl.jp/mig/neocos.html
会場で、サマーソニック出演アーチストの佐伯誠之助くんと撮った写真は、下のurlから。
http://yfrog.com/h0yfdtuj

午後6時からはNHK-FMで「現代の音楽」
                        猿谷紀郎
 - 音の現在(いま)~マグヌス・リンドベルイ -(1)     
「クラフト」                リンドベルイ作曲
                      (29分20秒)
               (演奏)トイミー・アンサンブル
              (演奏)スウェーデン放送交響楽団
               (指揮)エサ・ペッカ・サロネン       
「キネティクス」              リンドベルイ作曲
                      (14分40秒)
              (演奏)フィンランド放送交響楽団
               (指揮)エサ・ペッカ・サロネン
<FINLANDIA RECORDS WPCS-6109/10>

日本橋のラブコン・シアターでファンタピースUBUライブ。
14時からの1部
開演前のアナウンスは、梨花、りほの「りんりほ」
1.一緒に
2.オーバー・ザ・リアリティー
自己紹介時のトークのお題は「りんりほのいいところ」
3.ラビリンス(山口、清本、鞠谷、川口)
4.恋愛ライダー(佐藤萌美)
5.ヒマワリと星屑(谷口佳蓮)
6.ミライボウル(山口りほ)
7.気まぐれロマンティック(清本晏名)
新人4人(谷口、松元、佐藤、藤井)によるトークのお題は、好きなラーメンとファンタ。
8.ロンリーオンリー
9.君だけに・・・love you
以下、アンコール
10.ラブラブ・スウィート・バレンタイン
ライブ終了後は、メンバーがステージから降りてきて、全員とハイタッチ。
衣装は前半ラメ、後半制服。

16時から第2部。
開演前のアナウンスは、あんこ、のりたま。
1.一緒に
2.ずっと見ていて☆
自己紹介時のトークのお題は、ほめられて伸びるタイプか、くやしい思いで伸びるタイプか。
3.カップル・オブ・シャドー(山口、清本、鞠谷、川口)
4.大好きになれっ(松元瑠菜)
5.さくらんぼ(藤井えりさ)
6.ラブマシーン(鞠谷ふうか)
7.ライオン(川口梨花)
新人4人によるトークは、好きなハイチュウの味、お茶の種類。るなは「バブ」キャラ。
8.その未来(さき)へ
9.ハッピーアワー
以下、アンコール。
10.ラブラブ・スウィート・バレンタイン
衣装は前半大リボン、後半赤ブレザー。
2ショットチェキはりほホンとあんこ。
さて、今回は2部ともにライブを見たのだが、りほホンのももクロと、かれん(ぐっちゃん)の東京女子流、りんかーんのライオン、など大好きな歌を見事に歌ってくれていて、盛り上がった。この3人はソロでワンマンライブしても、いいステージを作り上げるんだろうな、と期待させる。
さらに、今回爆発的な魅力を発揮したのが、佐藤萌美(もえぴー)だった。
本来、自分の魅力を最大限にアピールすべき自己紹介の場で、なぜかまわりに助けられながら行う、という場面を見た。これは、メンバーであっても、もえぴーをかまってやりたい、という欲望に屈してしまった証である。
萌えのツボがあるとすれば、今、ファンタピースでは、それはもえぴーがほぼ独占していると言ってもいいんじゃないだろうか。
そんなに絶賛するなら、2ショットチェキとか、サインとかもらえばよかったじゃないか、と今になって思う。その日は、あまりの衝撃のために、シビレてしまっていたのだ。
レ・ファニュの『女吸血鬼カルミラ』を読んだ。榎林哲訳。
以下、目次。
こわい夢
月夜のできごと
美しいお客さま
かわったくせ
とがった歯
なぞの肖像画
真夜中の怪物
地獄への道
夢遊病
青いあざ
将軍のいかり
仮面舞踏会
ふしぎなたのみ
あれはてた屋敷のあと
カルミラの正体
吸血鬼のさいご
むすび

本書ではカーミラでなくカルミラと名前を訳したために、名前を変えたキャラクターが「マーカラ」「ミラーカ」とかじゃなくて「ミルカラ」「ミラルカ」になっている。
こうして、何冊か「カーミラ」を読んでいると、1回目にはさらっと流していたことが妙に気になってくる。
馬車に乗ってたターバン巻いた悪相の黒人とか。
せむしの旅芸人が魔除けのお守りを売りにきたとき、真っ先にカーミラが購入するが、お守りはまったく吸血鬼に効果はなかったのか、とか。(カーミラにすすめられてローラは枕にお守りをつけて寝る。その晩は快眠できるのだ)
『吸血鬼カーミラ』
レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』を読んだ。百々佑利子訳。
以下、目次
おそろしいできごとのはじまり
お客さま
二人のゆうれい
カーミラ
月夜
おそろしいゆめ
のどのきず
シュピルスドルフ将軍
吸血鬼
吸血鬼の最期

本書は児童向けの本で、ページを開けば挿絵があって、読んでいて楽しかった。
巻末には小学生の感想文もついていたが、本文と感想を読んで思ったのは、女性が寄せるカーミラへの共感のようなものだ。
吸血鬼になったカーミラ、退治されるカーミラに同情を寄せ、女性同士の性愛への甘美な憧れ、と言った感情が強く感じられる。これは平井訳にはあまりなかったもので、女性の翻訳者をまって如実に表に出てきたものだ。つまり、百合小説としての読みが前面に出てきているのだ。
『女吸血鬼カーミラ』
レ・ファニュの『女吸血鬼カーミラ』を読んだ。中尾明訳。
以下、目次。
第1章 馬車できた少女
 こどもべやの幽霊
 いやな思い出
 将軍の手紙
 旅行馬車
 黒い服の貴婦人
 神経質な客
 人相の悪い従者
 十二年まえの顔
 美しい少女
第2章 熱病の流行
 運命の糸
 少女のくせ
 讃美歌のひびき
 背なかのまがった旅芸人
 魔物のうわさ
第3章 ま夜中の怪物
 伯爵夫人の肖像画
 青ざめた顔
 わたしの警告
 愛と犠牲
 ゆめの悪霊
 おまもり札
第4章 青いあざ
 あたたかいくちびる
 血まみれのねまき
 カーミラのゆくえ
 睡眠歩行
 針のきずあと
 馬車で遠足
第5章 さびれた城あと
 古城へむかって・・・
 仮面の女
 まいご
 美しい客
 しげみの中の礼拝堂
 木こりの老人
第6章 吸血鬼のさいご
 町の医者
 ミラーカとカーミラ
 伯爵夫人の墓
 生きている死体
 吸血鬼のひみつ
 マーカラの恋人

この翻訳では、今までになかった部分が付加されていた。
まず、カーミラが葬送の讃美歌を聞いて、「耳が痛い!」と嫌がるシーンがあるが、そのときの讃美歌の歌詞が書いてある。
「世を さる ともをば かなしむ まじ
死こそ かみに ゆく かどで なり けれ

まことの やすみは あめに あれば
死の とく きたるを われ いとわじ

なきがら おくるを なげき なせそ
さきだち ゆきにし 主を おもいて

主は よみがえりて さかえを 受く
われらも すえの日 はかをぞ いでん

わかるる ともをば み手に ゆだね
死の ねむり さます みこえを またん」

また、ラストあたりで、今までの翻訳になかった部分として、吸血鬼に関する情報が載せてある。鏡にうつらないとか、サンザシやニンニクに弱いとか、銀の弾丸で退治されるケースもある、とか。こういう内容のことを、解説では書かず、本文のほうに書いているのである。
なるほど、いろんな翻訳があるものだ。


4つの賛美

2011年3月30日 現代音楽
今日、NHK-FM「ベスト・オブ・クラシック」で聞いたのは、
イリア・グリンゴルツ バイオリン・リサイタル
「4つの賛美」     エリオット・カーター作曲(12分55秒)
東京・浜離宮朝日ホールで収録 <2010/3/16>

これはちょっと余裕もって聞けた。
アッバス・キアロスタミ監督の「トスカーナの贋作」を見に行った。2010年。
ジュリエット・ビノシュは本作でカンヌの主演女優賞を受賞している。
ジュリエット・ビノシュとウィリアム・シメルが、夫婦と誤解されたところから、夫婦ごっこをはじめる。
偽者の夫婦を演じているうちに、なんだか本物の夫婦愛とか、確執までもなぞるようになってくる。だが、それが演技なのかどうかも、ラストにいたるまで不明、さらにこれが映画なのだから、虚構であるに決まっているのだが、それすらも、本当はどうなの?と思わされてしまう不思議な映画。
ひとくちで言えば、新本格みたいな映画。
こういうニセモノが本物かどうかわからなくなってしまう話は、たいていの場合は、最初はニセモノだったけど、徐々に本物になっていく、という結末を庶民は喜ぶものだ。この手の話でパッと頭に思い浮かぶTVドラマ「ニセモノご両親」や、ガロの歌「姫鏡台」も、そういう経過をたどる。だが、この映画は違う。ほんとに、どっちかわからないのだ。
でも、夫婦や恋人などという関係は、そもそもそういうものなんじゃないだろうか。
『吸血鬼カーミラ』
レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』を読んだ。清水みち、鈴木万里の翻訳に、徳吉久の写真がふんだんに使われている。写真はストーリーに沿った挿絵ではなく、雰囲気を作るためのもの。本文は横書き。
以下、目次
プロローグ
1.記憶
2.訪問者
3.驚愕
4.奇癖
5.肖像画
6.闇
7.悪夢
8.失踪
9.疫病
10.復讐
11.回顧
12.令嬢
13.礼拝堂
14.変貌
15.棺
16.伝説

平井呈一の古めかしい翻訳でなく、どの言葉もわかりやすい、読みやすいカーミラ。その分、雰囲気が損なわれてもいるが、そこはまあ、一長一短といったところか。
翻訳が違えば、なんとなく印象に残るシーンも違ってくるのが不思議だ。
平井版では、カーミラの同性愛的描写に息詰まる迫力を感じたものだが、この現代版では、わりとあっさりしているように思えた。
翻訳によって、なるほど、と思わされる部分もあった。
たとえば、第6章のある文章を、平井版と並べてみよう。
平井呈一訳
ちょうどそれは、そこから地獄(アヴェルナス)へ下りてまいる曲がり目に近いような感じでございました。


清水みち、鈴木万里訳
今にして思えば、冥府の入り口、アヴェルノ湖へ向かって下る最初の曲がり角のようなものだったのでしょうか。

このあたりなどは、平井版の註釈として、清水、鈴木版を読むことだって出来そうだ。

さて、平井版と雰囲気が違う、というところを、ひとつ例に挙げておこう。
第4章に出てくる、せむしの旅芸人の口上。
まず、現代的な清水、鈴木訳から。
「聞けば、この森には狼のような化物がいるとか、お嬢様方、魔除けのお守りはいかがかな」旅芸人は敷石の上に帽子を投げるとこう言いました。「あっちもこっちも死人だらけだ。だが、この霊験あらたかなお守りさえ枕につけておけば、化物が出ようと何のその」

つづいて、平井訳。
「さあてご婦人がたよ、魔除けのお守りはお求めないかな。世の噂に聞くならば、ご当所の森のうちには、人の生き血を吸う魔物めが、狼のようにウロチョロ、ウロチョロしておるそうじゃ。あちらでもこちらでも、魔性のものにかかってコロリコロリと死ぬものが多いによって、それここに、この魔除けのお札がある。これをもっておれば大丈夫、金の脇差じゃ。これなる守り札を、ちょいとこうして枕に針でとめておく。ただのこれだけで、魔性のやつが来ても大の安心、カンラカンラと笑ってやれるのじゃ」

同じ原文から訳したとは思えない違いだ!

ブリテン

2011年3月29日 現代音楽
夜のNHK-FM「ベスト・オブ・クラシック」聞いてたら、思いがけず、現代音楽がかかった。
ジャン・ギアン・ケラス&アレクサンドル・タロー演奏会
「チェロ・ソナタ ハ長調 作品65」      ブリテン作曲
                      (19分21秒)
 ~東京・王子ホールで収録~               
                   <2011/1/21>

外でラジオを聴いていて、屋内に入ると電波がとぎれるため、寒いなかをずっと立って聞いてた。
あやしい。
『吸血鬼カーミラ』
レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』を読んだ。平井呈一訳。
7編の中短編が収録されている。
レ・ファニュは19世紀のアイルランドの怪奇小説家で、この短編集読んでるかぎりは、非常に薄気味悪い。
で、各編の、薄気味悪かった部分をとりあげていこうかと思う。

「白い手の怪」
ものの5分もたたないうちに、病児はキャーッと声をたてて、火のつくように泣きだしました。と、その瞬間です。乳母はその時はじめて、子供の病気の真因をさぐりあてたのでした。夫人も、乳母の目の行くほうをともに追って、その時はっきりそれを目に見たのです。
二人は、枕元にある戸棚の戸のすきまからスルリとすべり出て、垂れ幕のかげにひそみこんだ、例の白いブヨブヨした手を、はっきりとその時見たのでした。


「墓掘りクルックの死」
客は馬のそばへ引きかえした。すると、死んだ墓掘り男の死骸の置いてある馬車小屋のとびらが、ひとりでにギーとあいたようであった。客は、そのまま戸口から中へはいった。


「シャルケン画伯」
三人とも、今夜の客に妙なくせが二つあったことを見のがすほど、おちつきを失っていたわけではなかった。それは、座にいる間、客のまぶたが一ども閉じなかったこと-つまり、まばたきを一ぺんもしなかったことと、それから呼吸をするたびに胸が波を打たないために、からだ全体が死人のようにじっと静止していることと、この二つであった。


「大地主トビーの遺言」
犬は、ややしばらく、倒れた木の幹のあいだへしきりと頭をつっこんでいたが、そのうちにだんだん首が長く伸びてきて、胴体が白い大きなトカゲみたいによじれ、なおも懸命にもぐりこもうとして、目をすえ、ウーウーうなりながら、柵にのみこまれるように身をもんでいた。


「仇魔」
1.足音
2.監視者
3.公告
4.バートン氏、牧師と語る
5.バートン氏おのれの病歴を語る
6.再会
7.逃亡
8.小康
9.冥福
あとを尾けられているのかな。・・・こういう疑念は、どんな時だって、あんまりいい気持のものではありません。ことに、そんな寂しい道では、なおさらのことです。あんまり気になるから、バートン氏は、ひとつあとから来るやつと顔を見合わせてやろうと思って、いきなりクルリとうしろをふり向きました。ところが、見わたす往来には、月かげがしらじらとさしているばかりで、人の影、犬の子いっぴき見えません。


「判事ハーボットル氏」
1.判事の家
2.ピーターズ氏
3.ルイズ・パインウェック
4.妨害
5.捜索者
6.逮捕
7.裁判長トゥーフォールド
8.だれか屋敷へはいったものがある
9.判事、屋敷を去る
老判事がギョッと驚いたことには、ルイズ・パインウェックの姿をそこに見つけたのです。パインウェックは例のごとく薄い唇にニヤリと笑みをうかべながら、青白い顎をグイとあげ、人目に立つのも知らぬげに、細い首巻を曲がった指で気にしてひろげては、あっちこっち見まわしています。首をまわすたびに、麻縄の食いこんだ跡らしい、紫色に腫れ上がった傷あとが、首のまわりにはっきりとみえました。


「吸血鬼カーミラ」
1.子供のころの恐怖
2.客
3.意見の交換
4.彼女の性癖
5.ふしぎな相似
6.ふしぎな苦悶
7.地獄への道
8.捜索
9.医師
10.子に先立たれて
11.ものがたり
12.懇願
13.木こり
14.めぐりあい
15.試練と処刑
16.むすび

カーミラだけは、その後の女吸血鬼もののお手本みたいなもので、薄気味悪さよりも、ストーリーのうまさが光っていた。
何より驚いたのは、現代に通じるところが多々あるところだ。
まず、カーミラがどんな女性であったかという描写を見ると、
朝起きてくるのが遅いのなんの、だいたい午後の1時ごろにならなければ寝室から降りてまいりません。そしてチョコレートを一杯飲むだけで、なにも食べません。それからわたくしと散歩に出ます。と申しても、ほんのそこらをぶらつくだけでございますが、見ているとどうやら疲れてしまうようすで、いくらも歩かないうちにお城へもどるか、木立のあいだにところどころ置いてあるベンチに休むかいたします。これはからだが疲れるのであって、心はそれに同調しているのではないのでございます。その証拠には、いつでもおしゃべりは元気にいたして、またたいそう話上手でございました。

わ。こんな女の子、山ほど知ってる!
また、結局吸血鬼は棺で血に浸されて寝ているところを突き止められると、杭を打たれて首をはねられて、あっさりと死んでしまうのだが、これは現代のインターネットの世界で、その実名や職業、住所をつきとめられると大ダメージを負ってしまうのと同工異曲ではないか。
そして、吸血鬼は、自殺したものがなる、と書いてあり、日本での自殺者の増加を考えあわせると、なるほど、カーミラみたいな人物をざらに見かけるのは、むべなるかな、とも思えてくるのである。
京都芸術劇場春秋座で、ジャン・ジュネ生誕百周年記念シンポジウム「変貌するジュネ」
午前10時30分からはじまるというので、8時30分には家を出たのだが、微妙に間に合わなくて、パネラーの紹介中に会場に入れた。
駅からの道がわからなくて困ったが、方向音痴の僕にしては奇跡的にまったく道を引き返すことなく、ちゃんと行けた。40分くらいかかったけど、道を知っていても、それくらいはかかる、ていうことなのだ。
昨日は1部、2部で主に詩人、小説家としてのジュネが取り上げられたようだ。
今日はその続き。

第三部 「劇場のジュネI:ダンス・プロジェクト『恋する虜』をめぐって」
映像上映とディスカッション
10:30-12:15
ダンスプロジェクト『恋する虜』記録映像より
(企画・構成:山田せつ子、京都造形芸術大学舞台芸術研究センター製作、2006/08年)
パネル・ディスカッション
パネリスト:鵜飼哲、宇野邦一、根岸徹郎、八角聡仁、山田せつ子、森山直人(司会)

第四部 「劇場のジュネII:ジュネを演出するということ」
13:40
講演「ジュネを演出するということ」 渡邊守章
パネル・ディスカッション
パネリスト:浅田彰、根岸徹郎、渡邊守章、森山直人(司会)

第五部 「ジュネにおける〈政治的なもの〉」
15:40
パネル・ディスカッション
鵜飼哲、宇野邦一、浅田彰(司会)
質疑応答

総括(渡邊守章も加わり)
終了したのは午後5時半頃だったかな。

「詩人、小説家、劇作家、エッセイスト、政治運動家としてのジャン・ジュネの、活動の多面性と受容の多様性を、時間軸と空間軸をあわせて検証し、作家ジャン・ジュネの言説の現代的意味を問い直す」とプログラムに書いてある。「変貌」はジュネ自身の変貌のみならず、受容の変貌も視野にいれている、ということだろう。
ジュネと言えば、ゲイで泥棒で云々、という決まり文句のような捉え方が、一面的に過ぎるものであることが、再三にわたって繰り返された。
第4部では「バルコン」のダイジェスト映像、第5部では「アンジェラ・デイヴィスはおまえたちの手中にある」の声明文を読み上げるジュネの映像が流れた。貴重。
渡邊守章がジュネに会ったときのエピソードが面白い。
どの写真を見てもいい顔で写っているのに、実際に見たときの表情は「ふにゃっ」としていて失望したとか。
渡邊守章のズバズバと断言する口調にユーモアがたっぷり含まれているのには感心した。「せりふは演技の譜面だ」という主張や、ジュネの演劇と複数の言語態の問題などなど。
あと、総括などに発揮された浅田彰の論点整理能力には舌を巻いた。
そして、宇野邦一の発言がひとつひとつ重い斧で振り下ろすような迫力があるのには驚いた。翻訳に際してのアルファベットの軽みと漢字の重みのこととか。
これらの経緯は、いずれ『舞台芸術』誌に収録されるそうなので、楽しみに待つことにしよう。

(こっそり追記)
浅田彰はコンパクトにまとめる達人で、そこまでわかりやすくしていいのか、と目からウロコが落ちる。おそらく、このシンポジウムは浅田彰の掌の上で開かれているようなもので、すべての経過は、先刻考慮済み、みたいな見通しのすごさを感じた。
鵜飼哲は明快な語り口だけど、その内容は難解なところを含んでいて、なにより、発言自体が予想の倍くらい長いので、論旨を追うのに疲れてしまうところがあった。これは僕の体力不足だ。
宇野邦一は、上記2人がズバズバ切ってしまって、漏らしてしまった部分にこだわり、なるほど、そう言われてみればそうだ、と振り返って考えなおす力を持っている。一番深いところを突いているんじゃないか、と思わせる。
渡邊守章は、ちょっと別格。好き嫌い、主観でものを言っていることを隠さないのだが、いちいちその断言が面白くて、鋭い。おそらくは正しいのだろう、と思わせる説得力がある。
な~んて、無責任に感想を書いてみました。

春秋座から出町柳駅までの徒歩(約30分)をゆっくりゆっくり歩きながら、午後6時からNHK-FM「現代の音楽」を聴いた。
                          猿谷紀郎
 - “四人組とその仲間たち”室内楽コンサートから -(2)
                              
「ソナタ チェロとピアノのために」      新実徳英・作曲
                      (27分50秒)
                       (チェロ)堤剛
                      (ピアノ)若林顕
                              
「ストラータ8 バイオリンとチェロのために」池辺晋一郎・作曲
                       (9分10秒)
                   (バイオリン)亀井庸州
                     (チェロ)多井智紀
  ~東京・津田ホールで収録~               
                   <2010/12/3>
                              
「クインクバランス バイオリン、ビオラ、チェロ、      
       コントラバスとピアノのために」池辺晋一郎・作曲
                       (7分50秒)
                   (バイオリン)久保田巧
                 (ビオラ)セルジュ・コロー
                     (チェロ)苅田雅冶
                  (コントラバス)永島義男
                    (ピアノ)向井山朋子
                     (指揮)池辺晋一郎
        <カメラータ・トウキョウ 32CM-270>
先週は「今日は一日~三昧」だったし、その前は震災のため特別番組になっていたのだが、番組開口一番「今回は、前回に引き続き、四人組とその仲間たちの室内楽コンサートからお送りします」と言ったのにはずっこけた。
歩きながらラジオを聴いていたが、クリアにはあまり聞けず、雑音の彼方に不穏なムードの現代音楽が聞こえるのは非常に不気味だった。ほとんど見知らぬ古い都の町並みをそんな音楽をBGMにして彷徨うと、ミステリーゾーンに迷い込んだような気分になる。
と、いうわけで、時間が間に合えば日本橋ラブコンシアターでファンタピース見ようかと思っていたが、ぜんぜん間に合わなかった。

帰宅後、深夜のレコ部。


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