『おろちー楳図かずおの世界』
『おろち-楳図かずおの世界』を読んだ。
映画「おろち」公開に際しての豪華なパンフレット。
実は、この映画、未見なのだが、女優さんや監督、脚本、美術、音楽などの人のインタビューを読んでいると、がぜん見たくなってきた。
後半の楳図かずおの「おろち全作品解説」や、カラーのイラストレーションには堪能させられた。
決して大部ではないのだが、いい感じ。
国立国際美術館で第2回中之島映像劇場。昨日の22日と今日の2日間のプログラム。1980年代の日本のビデオアートを特集している。
Bプログラム
寺井弘典「I SAY…」
寺井弘典「1・1/2」
出光真子「グレート・マザー幸子」
出光真子「洋二、どうしたの?」
出光真子「清子の場合」
Aプログラム
解説
斎藤信「Frame by Frame DO-OR」「Frame by Frame TO-W-ER」
斎藤信「Locus」
ビジュアル・ブレインズ(風間正+大津はつね)「One Two 3 Times 3」
ビジュアル・ブレインズ(風間正+大津はつね)「Rec Zone」
ビジュアル・ブレインズ(風間正+大津はつね)「De-Sign 1(訓練)」
伊奈新祐「FLOW(2)」
伊奈新祐「Sha」
島野義孝「カメラと、私のカメラ」
島野義孝「ころがすこと」
島野義孝「テレビドラマ」

日本のビデオアートを特集する企画そのものがあまりないとのことだ。
ビデオというものが持つ可能性を、面白がりながら実験していくような作品が多くて、これはかつて映画というものを獲得したときになされた初期の活動に似たパワーを感じることができた。ビデオの場合は、もっと安価で、若い才能が参入する余地があっただけに、さらに若さを感じることができた。


帰宅後、NHK-FMで「現代の音楽」
                          猿谷紀郎
 - 国際作曲委嘱シリーズ~ジュリアン・ユー -(2)   
                              
「閃光 第2番」            ジュリアン・ユー作曲
                       (8分07秒)
      (打楽器、ピアノ)東京シンフォニエッタのメンバー
                              
「組曲“展覧会の絵”」                   
          ムソルグスキー作曲、ジュリアン・ユー編曲
                      (36分05秒)
               (管弦楽)東京シンフォニエッタ
                      (指揮)板倉康明
  ~東京・サントリーホールで収録~            
                   <2011/8/30>

太陽娘と海、他
太陽娘と海、他
太陽娘と海、他
10minutesのイベントにも出ていただいた縁もあり、今関あきよし監督の作品を集中的に見直している。
「アイコ16歳」
「すももももも」
「りぼん」
「ツルモク独身寮」
「てんしのたまご」
「タイムリープ」
「グリーンレクイエム」
「16歳のマリンブルー」
などなど。
なかでも、興味深かったのは、モーニング娘。と平家みちよ、柳原尋美(カントリー娘)らが出ている「太陽娘と海」だった。
テレビ番組として放送されたドラマを1本にまとめたもので、メイキングがついているのとついていないのを両方バージョン見た。
「注意一秒、ケガ一生、合点承知のマリンFM」
は、耳に残る言葉になった。
20世紀の作品であるが、10年や20年のことなんて、自分の脳の中で並び替えが出来ているのか、すべての経験が等距離にある。
今朝の出来事と、90年代の出来事が同じ手ざわりで脳内でよみがえるのだ。
僕の中では「太陽娘と海」は、ついこの前の世界なのだ。

あと、こうしてまとめて見ると、今関監督らしさが存分に出ている作品と、一般的によく出来た面白い作品とで、自分の中でものさしが2つあるように思えてきた。
一般的に面白いと思う作品が、あんまり今関監督らしさが出ていなくて不満があったり、またその逆だったり。
まあ、そういう場合は、楽しく見られるものさしのほうで見ることにしている。
で、新作の「カリーナの林檎」はどうなのか、というと、久々の新作だっただけに、今関監督らしさのものさしで見てしまい、主人公のカリーナを演じたナスチャ・セリギョナの可愛さにすっかりやられてしまっているのである。
また大阪で上映される際に、自分がどう思うのか、確認してみようっと。

『味写入門』

2011年10月21日 読書
『味写入門』

『パゾリーニルネサンス』

『あることの夢』

2011年10月19日 読書
パゾリーニの『あることの夢』を読んだ。
『T・E・ロレンス』
『T・E・ロレンス』を読んだ。
力作だし、めちゃくちゃ面白かった。
アラビアのロレンスで名を知られる実在の男性の生涯を追ったフィクション。
アラブの戦争とか、国際情勢とか、けっこう硬い内容なのに、どうして人気あるのか、と読む前には思っていたが、読んでみて、ちょっと納得した。
僕の印象では、ロレンスの世界は男の世界そのものなのだが、この漫画では、ロレンスが同性愛者で、マゾヒストである、という描写をときおりまぜることで、女性読者のハートをつかんだのだろう。
どういうわけか、その手の性愛描写になると、(ヘテロであっても)、時間のむだみたいに思えて、とばし読みしてしまうのだが、この漫画の程度なら、なんとか大丈夫。それでも、ときどきロレンスが男同士の性愛場面に至ると、これって必要なのか、と思ってしまった。
最近の少年漫画にみられる、頭の中が性愛しかないような内容に比べると、断然いいけど!
たぶん、僕は、性愛は自分が体験するときにこそ楽しいのであって、他人や虚構の性愛などつまらない、と思っているのだ。

『劇画暮らし』

2011年10月17日 読書
『劇画暮らし』
子供の頃愛読していたのは、「少年サンデー」でもなく「少年マガジン」「少年ジャンプ」でもなく、「影」だった。
「影」について書かれた本が非常に限られているので、この本は楽しかった。
道頓堀川で、日韓のイベントがあり、そこにOSAKA BB WAVEが登場。
まず、12時30分の回。
1、キ-プ・オン・スマイリング
2、パワー・トゥ・ザ・ピープル
3、グッド・ラッキー(ジュニアメンバー)
4、ラブ&スマイル
5、とんぼりブギーガール
午後3時15分の回も、セットリストは一緒。

ユニバーサル・シティ・ウォークでライブイベント。
到着時には、まりえがももクロの真っ最中。
まりえ
L.u.v
ポンバシwktkメイツ
bond
Mari7

途中からはじまったNHK-FM「現代の音楽」を録音しながら、Mari7のライブの後に聞く。

                        猿谷紀郎
 - 国際作曲委嘱シリーズ~ジュリアン・ユー -(1)   
                              
「ビーバーによるパッサカリア」     ジュリアン・ユー作曲
                      (14分33秒)
                 (バイオリン独奏)山本千鶴
                              
「チャコンニッシマ」          ジュリアン・ユー作曲
                      (16分38秒)
      (打楽器、ピアノ)東京シンフォニエッタのメンバー
                              
「フィロペンタトニア」         ジュリアン・ユー作曲
                      (10分25秒)
               (管弦楽)東京シンフォニエッタ
                      (指揮)板倉康明
  ~東京・サントリーホールで収録~            
                   <2011/8/30>

午後1時、3時の回。

くわしくは、また。
乙画廊で、踏子展「しつしつ」

ギャラリーノマルで、三宅砂織展

どちらの画廊でも、声をかけていただいたり、お話したり。
自分の素性を人に伝えるとき、便利な言葉として「芸術家」を名乗っている。しかし、こうした芸術の本家本元では、化けの皮がはがれるので、それも名乗れず、まったくの正体不明の存在になってしまうのだが、おしゃべりさせていただくと、なんとなく、アートに接する、縁のある人物になったような気がして、非常におさまりがいいのである。

日本橋UPsで、午後7時から
“FRIDAY LIVE”
今回は3曲ずつ。

仲村コニー
YouKa
ARiSA
Ayaka
MiSAKi
福野みはる
葉月
Mari7
最後にはアンコールも。
セットリスト等はまた。

もう毎週同じことを書くのはつまらないので、極力省きたいと思っているが、金曜日は、夜勤明けで、夜にもなると、睡眠不足がたたってきて、早めに帰宅してしまう傾向にある。
眠ったりしても、心身の疲れが癒えるだけで、あと何もいいことがないので、寝ずに過ごせたら、こんなにいいことはない、と思っているのだが、なかなか。
『パゾリーニ詩集』

『完全恋愛』

2011年10月12日 読書
『完全恋愛』
力作。
なのだが、これが本格推理の賞をもらった、といういらぬ事前情報を仕入れていたので、かまえて読んでしまった。
おそらく、この「完全恋愛」の仕掛けは、推理小説のファンであれば、だれでもが見抜くことができて、そして感心するものだと思う。
ここが、一般小説の読み手が推理小説を読むときとの違いだと思う。
推理小説のファンは、ことの真相、犯人やトリックが解決以前にわかったとしても、それで評価を下げることはない。だから、「あの推理小説、解決の前に真相がわかってしまったので、つまらない」とか言う人がいたら、それは疑いもなく、推理小説のドシロウトなのである。推理小説のファンは、その作品がいかにうまく作られているかを話題にすることはあっても、読者である自分の手柄話をすることはないのだ。
と、いらぬ話題を書いてみた。
いずれ、この項、書き直します。
『女脳~ひらめきと勝負強さの秘密』、『女流名人・倉敷藤花 里見香奈 好きな道なら楽しく歩け』
『女脳~ひらめきと勝負強さの秘密』、『女流名人・倉敷藤花 里見香奈 好きな道なら楽しく歩け』
ふむ。女脳というよりも、将棋脳の記述が多いかな。

矢内女王(当時)のストイックな発言とは対照的な里見女流名人の自然体のたたずまい。

シンセサイザー・フェスタ2011@ヒューマンアカデミー大阪校B1ホール~大怪獣Cafe星光子トークショー@プラネットEartH~メルヘソ@hillsパン工場

午後5時から、同志社大学寒梅館クローバーホールで、「アクスマティック・コンサート~関西電子音楽の現在形」

檜垣智也
1、船上のプレリュード(出演:石上和也、炭鎌悠、檜垣智也・・・声)
2、インコーポレアル(出演:炭鎌悠・・・声、檜垣智也・・・心臓音)

石上和也
淤母陀琉神への奉納曲
(この作品は当初「和顔施」をテーマにしていたとか)

清水慶彦(チェロ演奏:大西泰徳)
白傘蓋陀羅尼によるインヴェンション(増補改訂版)
(黛敏郎の電子音楽全曲上演会のために制作されたものの改訂版)

RAKASU PROJECT(落晃子)
1、無題
2、みかか
3、見えない音
ラップトップコンピュータ内臓の光センサ、加速度センサを使ったライブ、シンセサイザー等の生演奏との演奏など、ライブ感覚にあふれたパフォーマンス。

葛西聖憲(演奏:石上和也)
1、Etude des sons homogenes 1999同質の響きのエチュード(1999)
2、Etude 2006
1曲目はフルートの音、2曲目はバイオリンの音を素材としている。

成田和子
MUSICORAMA2011 ミュジコラマ2011
(1.ペタンク、2.ひよこ、3.ジャディエル、4.路面電車、5.バラフォン、6.ダイナモ、7.祈り。今回は、内、2、5、6、7が演奏された)


約2時間のコンサート。
2011/10/7/FRI@日本橋UPs
“FRIDAY LiVE”
OPEN 18:30 START 19:00
ARiSA
 チャンスの順番とか、有頂天LOVE
仲村コニー
 ボーイ・ミーツ・ガールとか
MiSAKi
 恋の呪縛とか、フラワー、まじでスカスカとか
lily
 福野みはると忘れじのポンバシサマーとか
AYAKA
 I wanna see youとか
福野みはる
 lilyと地下アイドルなんて
Mari7
 ドリームハートとかビューティフル・ラブとか
葉月
 ブラック・ロック・シューターとかキル・ミー・アゲインとか
『チェルノブイリ原発事故』
クリスタ・ヴォルフの『チェルノブイリ原発事故』を読んだ。1987年。
ドキュメンタリーやルポルタージュではなく、小説。
サブタイトルに「ある一日の報告」とある。
本書には、この小説と、「わたしのクリスタ・ヴォルフ論」として、3人の人が文章を寄せている。
深い霧の中で-ヴォルフ『チェルノブイリ原発事故』を読む/高木仁三郎
生命懸けの怠慢/鎌田慧
メクレンブルクの青い空/藤井啓司

さて、本編。
チェルノブイリでの原発事故後の日々の生活にしのびよる不安。
惨状を描くのではなく、事故は遠い場所で起こっていて、しかし放射能の脅威が確実に日々の生活をおかしていく、漠然とした不安が描かれる。
福島以来の日本の現実を描いているかのようなリアリティーがある。
と、いうことは、チェルノブイリ以降、この小説が書かれてからも人々はまったく同じことを繰り返しているわけだ。
予想どおり、世論は二派に分かれ、そのどちらに属するかによって、専門家の意見もちがってきています。オプチミスト側の専門家は、まさか、炉心溶融はないですよと言いましたが、ペシミスト側の専門家は、いや、いや、どういたしまして、それだって無視することはできませんと主張しました。

別々の局に合わせてある小型ラジオも大型ラジオも、時報ごとに声を合わせて、生野菜は食べるな、子供に新しい牛乳を与えるな、と言い続けていますし、ヨウ素131という新しい危険物の名前が広まっています。わたしたちの身体で、放射性ヨウ素の蓄積にもっとも敏感に反応する器官の一つが、甲状腺であることがわかったのです。中には先ゆきとんでもないことを考える人もいるもので、ある放送局のある町では、きのうのうちに、町じゅうの薬局のヨウ素錠剤の在庫がすっかり買い占められたそうです。わたしの聞いたところでは、ヨウ素錠剤は飲む必要もないし、飲んでもむだだそうです。

母親たちはラジオの前に座って、新しい言葉を憶えようと努力します。ベクレル。そして-自然の結合の深奥を認識し、しかもそれを利用しようとする畏れを知らぬ科学者たちの-それに対する解説。半減期。母親たちはきょう、学んでいます。ヨウ素131。セシウム。そして、先の科学者たちとは意見を異にするほかの科学者たちの、それにたいする解説。彼らは怒り狂い、途方にくれています。これから、これらすべてがわれわれの頭上に降ってくるのです、と彼らは述べています。放射性物質を含んだもの、たとえば雨などといっしょに-

平和に安らっている原子を追い立てた男たちは、たしかに、みんなのために永遠に十分なエネルギーを、というユートピアにみちびかれていたのです。彼らには、手遅れにならないうちに、ほかの考え方に切り換えることはできなかったのでしょうか?彼らと反対の意見を持つ人びととわたしが初めて関わりをもったのは、いつだったでしょう?ちょっと待って。そう、70年代の初めでした。発電所の名前はヴュールといい、結局それは建設されませんでした。わたしたちの手に、原子エネルギーの「平和」利用の危険について訴える最初の資料を押し込んだ若い人びとは、嘲笑され、取り締まられ、処罰されました。自分たちの仕事を、希望的に言えば自分たちのユートピアを弁護する科学者たちも、彼らを笑いました。まさに「怪物」ですね?


この小説は、原発事故後の日常と並行して、脳外科手術を受ける弟の経過も追っている。単純に図式化すれば、人間と科学のありようを2つの側面から見、また、分割できないものとされてきた「自己」と「原子」の分裂を絡ませて物語を編んでいる。
ラストでは、今まで日常を比較的淡々と描いてきた著者の思いが爆発する。
深夜、泣き声がしました。わたしはびっくりして、とび起きました。完全な怪物だ!と叫んでいます。その声は、ずっと前からしていたのでした。しばらくたってから、ようやく気づきました。それはわたしの声でした。わたしはベッドに座って大声で泣きました。わたしの顔は、涙でくしゃくしゃになっていました。わたしは夢を見ていたのです。夢の中では、ちょうど目の前に迫るほど巨大な月が不気味な形にくずれて、あっというまに地平線の彼方に沈み、そのあとの暗黒の夜空に、死んだ母の大きな写真が張りつけられていました。わたしは大声で叫びました。
この地球に別れを告げることになるのでしょうか?そうなったら、あなた、さぞ、つらいことでしょうね。


本書の原題は「故障」という単語らしい。大惨事に至ってもそれを「故障」と称する科学者やマスコミを告発するような意図を持ったタイトルだ。
本書で描かれるように、ひとたび大惨事が起こってしまっても、人びとの日々の生活や、悩み、苦しみは、ちっともリセットされない。自分の苦境を打破するために、大惨事を希望しても、苦境は残ったままで、大惨事だけが追加されてしまうのだ。
そういえば、そんなことが描かれた映画、最近、見たな、と思い出した。
今関あきよし監督の「カリーナの林檎」だ。
カリーナの林檎もチェルノブイリをテーマにしているが、大惨事を描くのではなく、既に以前から存在していた家族的な問題をひきずったままで、それにチェルノブイリが加算されるのだ。
もうどうにも突破口がない八方ふさがりの状況に立ち向かうにあたって、少女カリーナは、実名ではない「カリーナ」の名前を得て、物語のフィールドで戦おうとする。
結局、少女の戦いが、刀折れ矢尽きたのかどうかは、人びとの物語力によっているのである。
ヴォルフのこの小説でも、それが最初に「登場人物は、いずれも実在の人物ではない。すべて作者の創作である」と断っており、読者の物語力に訴えかけようとしている。
同じ過ちを繰り返して平然としている現実を打破するためには、物語こそが有効なのである。

人生ここにあり

2011年10月5日 映画
人生ここにあり

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