第16回阪大コレギウム・ムジクムで、特別公演。
巻上公一さんはボイス・パフォーマンス、口琴、尺八、テルミン。
巻上さんとJanmah嶋村さん(ギター)のユニット「真夜中」。
イアン・バラミー(イギリスのサックス奏者)とトーマス・ストレーネン(ノルウェーのドラマー)のユニット「FOOD」、後半は巻上さんや嶋村さんも加わっての演奏。
すごかった!
事前申し込みが必要とか、阪急石橋駅から歩いて15分もかかるへんぴな場所、照明も音響も音楽公演にはまったく向いていない会場、という数多くのマイナス点はあったのだが、ライブそのものは、素晴らしく、同じ場所でまたライブやるとしても、何度でも見に行くだろう。
昨日は心斎橋でライブがあったそうだったので、見に行けばよかった、と思った。将棋竜王戦が意外と早く終わったので、チェックさえしていたら、見にいけたはずなのだ。
最近、チェックもれが多い!
http://21c-kaitokudo.osaka-u.ac.jp/events/2013/ongakugaku/image/image_view_fullscreen
将棋竜王戦第4局、東浩紀対談集『震災ニッポンはどこへいく』
今日は1日、ニコニコ生放送で将棋竜王戦を観戦していた。
羽生さんの解説で、目が離せなかった。

東浩紀対談集『震災ニッポンはどこへいく』を読んだ。
はじめに/東浩紀
第1章 震災から語る
01 福島から考える言葉の力/和合亮一
 福島を言葉で語ること
 「ばらばら」になる人々
 震災を溺れながら経験する
 沈鬱な時間を過ごすこと
 絶望の果ての「連帯」
 日本語を復興する
02 震災・原発・インターネット/津田大介
 3.11とツイッターの役割
 ソーシャルメディアの可能性
 ばらばらになっていく「わたしたち」
 文学者として考える
 目的はなにか
 問われる「国のかたち」
 政治とはなにか
 3.11の前は能天気な時代だった
 自然発生的な公共性
03 「終わりなき日常」のあとの日常/竹熊健太郎
 「終わりなき日常」の終わり
 新しい出版、オルタナティブな流通
 平等幻想からの脱出
 原発事故でわかったこと
 空気の支配する国で
 文化はどう生き残るべきか

第2章 メディアを語る
04 「おもしろい」をセカイに広めるには/川上量生
 『コクリコ坂から』について
 文化の計量化は可能か
 文化を次代へ手渡すために
 辺境としての日本の可能性とは
 開国か鎖国か-これからの政治について
05 「ばらばら」から始まるエクストリーム/宇川直宏
 DOMMUNEと3.11
 エクストリームの条件
 日本を意識すること
 因果鉄道の乗車駅/DOMMUNE FUKUSHIMA!
 「動物意志2.0」ソーシャルメディアとしての猫会議
 「物語」としての福島
 欲望としての日本
 マイノリティの連帯
 猫ダンジョンを超えて
06 『アーキテクチャの生態系』とその後/濱野智史
 『アーキテクチャの生態系』再読
 「2ちゃんねる化する世界」をモデレートする
 尖閣デモと朝日新聞
 ネット民主主義の限界と可能性
 ニコ生の理念とは
 AKB48の政治学
 橋下徹とAKB48
 聖地巡礼を巡って
 希望の場所

第3章 3.11後の哲学、科学、文学
07 3.11後、哲学とはなにか/國分功一郎
 3.11の経験
 哲学で「やってみせる」
 消費社会批判を超えて
 言説のスケール
 『存在論的、郵便的』から『一般意志2.0』へ
 一元論の哲学と二元論の哲学
 ハイデガーを「農夫」から解き放つこと
 「楽しい」の哲学を求めて
08 私たちはどのような科学と生きるのか/菊池誠、八代嘉美
 震災後の科学コミュニケーション
 放射能問題に関するコンセンサス
 補償問題をどうするか
 被災地の瓦礫拡散問題
 被曝者差別と分断する社会
 脱原発の哲学
 見えないものをめぐって
 科学技術とアイデンティティ
09 3.11から文学へ/市川真人、高橋源一郎
 バカバカしくてやってられない
 言葉の機能と教育の失敗
 文学者の本当の仕事

第4章 『日本2.0』から考える
10 新憲法と政治メディア/境真良、津田大介
 「フロー」と「ストック」の新憲法
 二院制の再検討
 グランドデザインを書き換える
 開かれた国のために
 「動員の革命」の先へ
 新しい政治メディアとは!?
11 熟議はどこまで可能か/鈴木寛
 いまの日本が抱えるガバナンスの問題点
 革命後の世界を構想する仕事
 「卒近代」の憲法
 ゲンロン草案のテーマとはなにか
 最善を尽くして勝負する権利
 ゲンロン草案をアップデートするために
12 国をつくる言葉の力/猪瀬直樹
 官僚システムとの戦い
 「僕はマクロは信じないことにしている」
 多様性の擁護
 なぜ寄付金なのか?
 今必要な政治家とは
 シングルマザーを応援する
 歴史の軸を立てる
 「言葉の力」とはなにか


「自転車泥棒」

2013年11月21日 映画
「自転車泥棒」
大阪ヨーロッパ映画祭のイベントとして、阪急うめだホールで上映されたヴィットリオ・デ・シーカ監督の「自転車泥棒」を見てきた。
仕事に必要な自転車が盗まれた!
必死で自転車を探す親子。
この映画、かなり昔に見た記憶はあったのだが、今回見て、自転車探しに東奔西走し、あげくの果てには犯罪までおかしかねない主人公の気持ちが痛いほどよくわかった。
これはつまり、自分が貧乏だ、という証なので、出来ることなら、「こういう気持ち、まったく理解できない」と言いたかった。
「大統領の料理人」「イップ・マン最終章」
「大統領の料理人」「イップ・マン最終章」
クリスチャン・ヴァンサン監督の「大統領の料理人」を見てきた。
カトリーヌ・フロ主演。
食通のミッテラン大統領に2年間仕えたプライベート・シェフの実話をもとにした映画。大統領役で、哲学者のジャン・ドルメッソンが出ている(映画初出演)。
堅苦しさと豪華さと足のひっぱりあいが支配する官邸料理に辟易した大統領がじきじきに指名し、プライベート・シェフに抜擢したのは、フランスの片田舎でレストランを経営するオルタンスだった。
彼女の作る料理は大統領の大のお気に入りになるが、大統領に対する反対勢力と、コスト重視の官吏、堅苦しい栄養士などによって、思い通りの料理が作れなくなる。
彼女は辞表を出して、南極基地の料理人になる。
やめる際に大統領にあてた手紙で、モンテスキューの「行き過ぎた食餌療法は厄介な病気である」みたいな言葉(うろおぼえ)をひいて、「大統領、食餌療法には気をつけて」というようなこと(うろおぼえ)を書いている。
彼女の作る料理はゴージャスではなく、ひたすら美味しさを追求したものだったらしく、その料理が映画のなかで再現されていた。見終わった後に、フランス料理、とくにトリュフを食べたくなったのは言うまでもないが、ちょっとやそっとじゃ手が出ない!
http://daitouryo-chef.gaga.ne.jp/

ハーマン・ヤウ監督の「イップ・マン最終章」を見てきた。
ブルース・リーの師匠としても有名な武術家、イップ・マンの晩年を描く。
ブルース・リーとのこともちらっと出てくるけど、あんまり感心していなかった模様。(ブルース・リーもあんまり似てなかった)
イップ・マンを演じるのは、アンソニー・ウォン。ライバルの白鶴拳の宗主として、エリック・ツァン、イップ・マンの妻役でアニタ・ユン。
手合わせしたい、という武道家(弟子)に対して、折りたたんだ新聞の上に立ち、「これで十分」と相手を翻弄するスゴ技とか、マスコミによって誇張された武勇伝をおおげさに映像化してみせたり、とか、みどころもたんまりあった。
九龍城のボス、鉤爪と足技のドラゴンと、イップ・マンとの戦いもすごかった。
自分を売り込むことを一切せず、赤貧や誤解に甘んじたイップ・マンの生き方が清々しい。
http://www.ipman-final.com/
須川亜紀子の『少女と魔法―ガールヒーローはいかに受容されたのか』を読んだ。
女の子向けの魔女っ子、あるいは魔法少女アニメの受容史。
傾向が読み取りやすい過去の事例に比べて、現代の作品群については、なかなか手ごわそう。
以下、目次。

まえがき
第一章 ガールヒーローとしての「魔法少女」研究――本書の目的と構成
  「魔女」の意味
  「魔女」と「少女」の出会い
  大衆文化における表象とオーディエンスたち
  カルチュラルスタディーズにおけるポストフェミニズムテレビ学
  「ポスト」フェミニズムという用語について
  オーディエンス研究の採用
  オーディエンス研究の方法論
  本書の目的
  本書の構成

第二章 「少女」と魔法と〈フェミニズム〉――「少女」文化における魔女
 1.日本の「少女」文化――「少女」文化、カワイイ、そしてガール・パワー
  「少女」とは何か?
  明治期の少女雑誌と「少女」読者
  「少女」が意味するもの
  少女と女の子
  「少女」文化における「西洋」表象
  1910年代~30年代の少女雑誌における「西洋」表象
  1950年代以降の少女向け大衆メディアにおける「西洋」表象
  「西洋」表象と上流階級の結びつき
  身近な「西洋」、遠い「西洋」

 2.「少女」がまとう「カワイイ」の鎧
  「カワイイ」のポリティクス
  1970年代の「カワイイ」の顕在化
  「カワイイ」玩具とキャラクターグッズ

 3.1960年代から2000年代までの日本の「フェミニズム」の流れ
  子どもを守る母としての立場
  母性愛と利他主義
  普通の年少未婚女性たちの「〈フェミニズム〉のようなもの」
  1980年代後半~2000年代初頭の「ポストフェミニズム」とジェンダー平等

 4.魔女と魔法――少女の魔力の表象の歴史とポリティクス
  キリスト教文化圏の大衆メディアにおける魔女
  魔女の変容-主婦〈家政婦〉魔女
  魔女の変容-「魔法少女」カートゥーンと若者向けドラマ
  フェミニズムの中の魔女

 5.日本における西洋の魔女と魔法の表象
  日本土着の「魔女」(魔力を持つ女性)たち-妖怪
  日本土着の「魔女」(魔力を持つ女性)たち-巫女
  若者向けアニメの中の女妖怪

第三章 女の子向け「魔法少女」テレビアニメの表象分析――サリーからどれみまで(1966年から2003年まで)
 1.ガール・ヒーローの不在から誕生へ
  「魔法少女」アニメに関する先行研究
  テキスト分析
  テレビ放送の開始と初期の子ども番組
  ガールヒーロー誕生への期待
  女の子向け「魔法少女」テレビアニメの登場-定義と特徴
   1、表相性(身体的特徴)
   2、表相性(属性・出自)
   3、機能する家族、長子
   4、経済的安定性
   5、魔法アイテムと呪文
   6、家庭性(ドメスティシティ)

 2.黎明期:正統魔女と世俗魔女サリーとアッコ
  『魔法使いサリー』(1966~68年)
   フェミニニティ、パワー、交渉、折衷
   ジェンダー化された赤色とパワー
   フェミニニティを手放さない、社会的規範への抵抗
   「適切な」フェミニニティと家庭性(ドメスティシティ)
   異化作用としてのサリー
   勤勉性と自己犠牲
   ポニーとサリー
   異化作用から、日本文化との折衷へ
  『ひみつのアッコちゃん』(1969~70年)
   「西洋」表象と文化の融合
   「西洋」イメージの土着化
   1970年代前後の社会状況
   「少女」にとっての変身
   自己肯定のための変身

 3.「女の時代」期:コケティッシュ魔女とアイドル魔女――メグとマミ
  『魔女っ子メグちゃん』(1974~75年)
   昭和50年代の女性たちの変化
   山口百恵と秋川リサ-コケティッシュなアイドルの登場
   コケティッシュなガールヒーロー、メグ
   女性ライバルの競争とファッション、フェミニニティ
   コケティッシュでカワイイことの有効性
  『魔法の天使クリィミーマミ』(1983~84年)
   昭和50年代(1975~84年)の社会文化的コンテキスト
   『魔法の天使クリィミーマミ』の6つのコード
   ニューファミリーと原宿クレープ
   有償労働の顕在化とジェンダー平等
   異性による承認と「適切」なフェミニニティ
   異性愛的希求性-男性による女性の承認-とその有効性の限界
   歪曲した「三角」関係-〈三位一体〉の自己の表象
   「適切」なフェミニニティの肯定と、過剰なセクシュアリティの否定
   フランケンシュタインとドラキュラ-分身テーマの系譜
   異性の他者による、むき出しの自己の肯定へ
   「私は私」-脱-理想化と自己肯定

 4.「ポスト・フェミニズム」期:チームヒロインと母性・ケア――セーラームーンとどれみ
  『美少女戦士セーラームーン』シリーズ(1992~97年)
   『美少女戦士セーラームーン』シリーズの6つのコード
   複数主人公の多様性と統一性
   まこと(セーラージュピター)の魅力-カワイくカッコイイフェミニニティ
   多様性から統一へ-セーラー服コスチュームの機能
   「地球を守る」テーマとパワフルな女性の団結
   ガールパワー-バブル崩壊後のジェンダー戦略
   ファッションと変身を通じた女性の結束
   女性のパワーとしてのフェミニニティの「利用」
   フェミニニティと女性のホモソーシャルコミュニティの拡大
   マザーリング、ケア
   セクシュアリティと生殖のテーマ
   マザーリングと強さを通じての女性同士の団結
   ポストフェミニズム期における母性の復活と女性のパワー
  『おジャ魔女どれみ』シリーズ(1999~2003年)
   2000年代の社会文化的コンテキスト
   『おジャ魔女どれみ』の6つのコード
   どれみの魔女見習い仲間たち
   ファッション、ドレス、身体
   ファッションが媒介する女性の団結
   育児とケア
   「母性」の表象
   パワーとしての母役割とケア

 5.おわりに



第四章 女の子向け「魔法少女」テレビアニメに関する女性オーディエンスの理解

 1.オーディエンス調査方法
 2.1960年代生まれの女性オーディエンス――サリー・アッコ世代
  自己犠牲的行為への称讃と現実
  適切な行為と「恥ずかしさ」
  変身を通じた少女アイデンティティ形成と自己肯定
  魔法のコンパクトと変身ごっこ
  商品としての魔法のコンパクトのインパクト
  変身の妄想と現実認識
  私的空間における秘密のアイデンティティとフェミニンな自己形成
  「西洋」表象と家族との思い出
  類似と相違の間の相互作用
  家庭、家族、家族内の位置の認識
  個人より、関係性への興味
  西洋式一軒家と西洋ライフスタイル
  サリー・アッコ世代の「魔法少女」テレビアニメ理解

 3.1970~80年代前半生まれの女性オーディエンス――メグ・マミ世代
  共鳴とテキスト密猟
  身体とセクシュアリティ
  可変的身体の快楽
  ファッション、スタイル、カワイイ文化
  「西洋」表象とカワイイ
  社会的に期待されるカワイイと関連玩具、グッズの機能
  自己表現としてのカワイイのパフォーマンス
  学校生活(集団調和)の抑圧と「魔法少女」アニメ
  私的閉鎖空間における自己表現・肯定としての変身
  キャラクターの占有化を通しての個の再確認
  メグ・マミ世代の「魔法少女」テレビアニメ理解
  
 4.1997、98年代生まれオーディエンス――セーラームーン・どれみ世代
  ファッション、自己表現、自己肯定
  セーラームーン・どれみ世代にとっての変身
  多様性の尊重と集団結束の快楽
  「カワイイ」と「カッコイイ」フェミニニティ
  カワイイ家事なら受容範囲内
  ヘゲモニックな「西洋」の美への無関心
  家族の記憶と父親表象
  セーラームーン・どれみ世代の「魔法少女」テレビアニメ理解

第五章 2003年以降の女の子向け「魔法少女」テレビアニメ
 1.多様化する「魔法少女」たち
 2.伝統的ヒーローに近づくガールヒーローたち
  物語、オーディエンス、視聴形式、物語構造の多様化
 3.『ふたりはプリキュア』(2004~05年)――バディなふたり
  バディの憂鬱
  変身-メイクアップ、ドレスアップ、パワーアップ
  戦闘と浄化
  ケアとマザーリング
  『ふたりはプリキュア』の提示した葛藤と可能性
 4.『フレッシュプリキュア!』(2009~10年)――育児の困難と贖罪
  無垢なロールモデルとしてのプリキュア-「性の闇」か?
  変身-オーディエンスに背中を向けるプリキュア
  子育て、マザーリングの困難
  子どもの非制御性とケアのパワー
  玩具を通じたマザーリングの実践
  トラウマを持つ少女の意義-東せつな=キュアパッション
  セカンド・チャンス-やり直すという選択
  機械と人間-制御される機械化人間の末路
  少女のトラウマ、癒やし、再生
  『フレッシュプリキュア!』の提示した可能性と限界


 5.『スマイルプリキュア!』(2012~13年)――少女の決断、責任、自信
  変身-メイクアップによる変身の強調
  選び取り、決断する力
  決断、責任感、勝利、自信
  「プリンセス」の意味
  『スマイルプリキュア!』が問いかけるもの
  女の子向け「魔法少女」テレビアニメの展望

第六章 まとめと展望
 本書の目的と研究の展望
 各章のまとめ
 オーディエンス調査における3つのキーファクターのまとめ
  1、「西洋」に関連する表象の機能
  2、魔法、セクシュアリティ、ファッション
  3、女性同士の団結と母性、マザーリング、ケア
 方法論的、理論的結果と今後の課題
 おわりに

あとがき
巻末付録:おもな女の子向け「魔法少女」テレビアニメ
参考文献一覧
索引

「エミちゃん祭り」@ABCホール~「ロスト・イン・北京」「ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅~」「リトルファイター~少女たちの光と影」「ムード・インディゴ~うたかたの日々~」
「エミちゃん祭り」@ABCホール~「ロスト・イン・北京」「ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅~」「リトルファイター~少女たちの光と影」「ムード・インディゴ~うたかたの日々~」
「エミちゃん祭り」@ABCホール~「ロスト・イン・北京」「ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅~」「リトルファイター~少女たちの光と影」「ムード・インディゴ~うたかたの日々~」

牧野エミ追悼1周年イベント「エミちゃん祭り」に行ってきた。ABCホール。
ロビーの1階では、エミちゃんの写真や映像が公開されており、2階ではエミちゃんの私物フリーマーケットなどが開催されていた。
午後5時半から見たトークイベントは、ラジオ、タニマチ金魚、売名行為&MOTHERの3部構成で行われた。
オープニングは、エミちゃんが振付をしたダンスの映像にあわせて、エミちゃんの姪っ子をセンターに、同じ振付でダンス。これは盛り上がった。
ラジオの部では、三代澤康司、松尾貴史、清水興、桂南天の出演でラジオ番組での話題を中心にトーク。エミちゃんの声も流れた。
タニマチ金魚の部では、エミちゃんのエピソードクイズ。
後藤ひろとの司会、出題は川下大洋、エピソードの解説に楠見薫、中道裕子。回答者は、浅野彰一、武内由紀子、土田英生、国木田かっぱ。
これは笑った。
売名行為&MOTHERの部では、升毅司会、コング桑田、立原啓裕、東野ひろあき、関秀人、久野麻子など、劇団と関わりがあった人たちが多数舞台にあがって、演劇の映像を見ながらの思い出話。
エミちゃんへの愛にあふれたイベントだった。
怒涛のくるくるシアターだったか、何かのテレビ番組に僕が出演したとき、リハーサルで、僕がパフォーマンスする前に、つまり、ただ立っていただけなのに、観客席で見ていたエミちゃんは、くすくす笑い出したのだ。
それは失笑だったのかもしれないし、思い出し笑いだったのかもしれないけど、緊張気味だった僕は、エミちゃんのその笑いで、緊張がほぐれて、感謝の念で満たされた。わざわざ語るほどのエピソードじゃないけど、エミちゃんといえば、真っ先にこのときのことを思い出すので、あえて、書き残してみた。
http://www.tanimachikingyo.com/emifes.html


月曜日はメンズデーで映画が安かったので、第七藝術劇場で映画を見てきた。
まず1本めは、リー・ユー監督の「ロスト・イン・北京」
酔っ払って、働いているマッサージ店の店主の部屋で乱れた肢体を晒して寝てしまった女性(ファン・ビンビン)。店主はつい彼女と1度かぎりの関係を持ってしまうが、彼女は店主には隠していたが、夫のいる身だった。彼女が妊娠したと発覚して、金づるが出来たと喜ぶ、彼女の夫。
とにかく、ファン・ビンビンの夫が、最低な人間で、あきれはてた。
店主を脅迫するだけでなく、生れてきた子が自分の子だとわかっても、血液型をいつわって店主の子だということにして、大金をせしめようとする。そして、意外にも店主が子供を大切に扱うのを見て、親心がめばえて、子供を取り返そうとする。
冒頭のシャワー中のセックスシーンから、夫の最低さ、というか、つまらん男ぶりは発揮されていた。なぜシャワー中にセックスしたかというと、「ビデオで見てよさそうだと思った」というのだ!
さらに、この夫、店主の妻とも関係をもつのである。最低!


リー・ユー監督の「ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅~」を見た。
四川大地震で息子を亡くした女性(シルヴィア・チャン)と、彼女の家で間借りする問題児3人の物語。3人の若者は、怪しい仕事などをする生活も情緒も不安定なイケメン(チェン・ボーリン)、デブと言われると怒る太っちょ(フェイ・ロン)、バーでポップソングを歌う女性(ファン・ビンビン)。この歌手は、デコったメガホン使ってアップテンポな曲を歌っていたが、そのメガホンをお客さんの股間にぶつけてしまい、賠償金を請求されてしまうのだった。
大家と、店子の3人は最初はわかりあえない間柄だったが、シルヴィア・チャンの自殺未遂をきっかけに、お互いの心を慮るようになり、後半、観音山に行って地震で倒壊した寺を修復し、仏像に色を塗るにいたり、それぞれの顔に再生の表情があらわれる。
ひとくちで言えば、都会の生活に疲れ果てて、身も心もボロボロになったおばさんと若者が、大自然と宗教に触れて癒され、人生の次のステップを踏み出せるようになる、という物語。
ここでの登場人物は、みんな、加害者であると同時に被害者で、悲しみに覆い尽くされている。
作中、シルヴィア・チャンは、「孤独は永遠じゃない。共にいることが永遠」と言う。このおばさんは、息子の死をひきずって孤独の中で心もこじらせていたものの、若者に対して、「京劇を教えてあげるから、パソコンを教えて」ともちかけたり、若者と一緒にクラブに行って踊ったりするだけ、まだ心の柔軟性が残っていたのが救われた点だろう。
ファン・ビンビンは、この映画で、東京国際映画祭の最優秀女優賞を受賞している


トッド・キールシュティン監督のドキュメンタリー映画「リトルファイター~少女たちの光と影」を見た。2012年
8歳のムエタイ選手、スタムとペットの2人を追った作品。
少女選手はタイに3万人いるといわれており、その試合会場は大人たちの賭けの怒号が鳴り響いている。
スタムは小柄だが22キロ級の王者。彼女の勝利がもたらすお金で、新築の家を完成させるが、そのことについてのインタビューに対しても、「お父さんとお母さんと私の3人で稼いだお金で家が完成したのでうれしい」と、どこまでも謙虚。
ペットは心臓に持病があり、全快を祈って願掛けで頭を剃っていたり、ムエタイで体を鍛えようとしている。ペットの父親はひき逃げで片足を怪我しており、バイクを必要とする今の仕事もできない状態になっている。
スタムもペットも、一家の生活のために、試合と練習に励んでいるのだ。
レフェリーの話では、少女たちはまだ骨が弱いので、試合で骨折する子も多いと言う。
タイでは、少女たちにムエタイ選手の生き方が存在しているように、日本では、少女たちに子役やアイドルの道が存在している。どうしても、そのことがオーバーラップして見てしまったが、感じたのは、少女たちの健気さであり、彼女たちの生き方への批判や否定よりも、応援の気持ちだった。
タイでは貧しい家庭に生まれた少女は、ムエタイやるか娼婦になるしか道がない、と言われている。ムエタイで体を張る少女たちへのエールはもちろんだが、売春婦になる少女たちへも、蔑みの目でなく、生き抜け、と思いを伝えたい。
http://www.curiouscope.jp/littlefighter/


ミシェル・ゴンドリー監督の「ムード・インディゴ~うたかたの日々~」を見た。
インターナショナル版。
ボリス・ヴィアン原作。
愛する彼女の肺に睡蓮が咲く病気。
花を身体につければ、その花は枯れ、病状は少し回復する。
このイメージ、バラードの結晶世界にも似たようなのがあったな、とふと思った。バラードのは花でなく、宝石だけど。
彼女の名はクロエ(オドレイ・トトゥ)、生活に不自由なく過ごしていた主人公の名はコラン(ロマン・デュリス)。クロエの睡蓮病で、コランは働きに出なくてはならなくなるが、今まで働いたことがなかったので、ほとんど使い物にならない。
あと、サルトルのパロディーの「パルトル」が出てきて、大人気を博したかと思うと、最後には本を焼かれてしまったりとかさんざんで、笑えた。

病気が出るまでの夢のような生活が、楽しい。
雲の乗り物で空を遊覧したり。
カクテル・オルガンは、オルガンで曲を奏でることによってカクテルを造る機械。原作だと文章だけで想像していたのが、こうして映像化されるのはうれしい。オルガンといえば、ユイスマンスの『さかしま』や小栗虫太郎の『完全犯罪』を連想するけど、それらもミシェル・ゴンドリーに映像化してほしい、と思った。あと、この映画のように夢のようなものが映像化可能なら、レーモン・ルーセルの『ロクス・ソルス』なんか映像化してほしいな、と。
今回見たインターナショナル版よりも36分長いディレクターズ・カット版も上映中なので、見逃さずにいたい。もっと早く見に行っとけばよかった!
http://moodindigo-movie.com/
スマイレージ@千里セルシー~「悪の法則」
スマイレージ@千里セルシー~「悪の法則」
千里セルシーで、スマイレージのライブを見てきた。
新しいシングルの予約イベントで、1回目の午後1時の回だけ見ることができた。
1.ヤッタルチャン
2.良い奴
3.寒いね
4.プリーズミニスカポストウーマン
5.ええか!?
ちなみに新譜は「良い奴/ええか!?」
ライブ中にメンバーがこけたりしたけど、まるで口パクなんじゃないか、と思えるほどの安定した歌唱と歌声で、さすが、プロは違う、と思わせた。

レイトショーでリドリー・スコット監督の「悪の法則」を見てきた。
マイケル・ファスベンダー、ペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルデム、ブラッド・ピット
これら豪華な俳優陣の大半が、悪人。
とにかく情け容赦なく人間が殺されるし、死体の扱いもゴミ同然、人の命がいかに軽いかを思い知らされる、ものすごい映画だった。
殺人、というよりも、狩りに近いのかもしれない。
「いけどりにしろ!」と言ってるのに、平気で頭をピストルで撃ち抜くし、「このへんじゃ、足音がしたら撃ち殺される。撃ち殺してから、誰だったのか、見に出てくる」みたいなセリフがあったり、人が殺されたら、たちまち子供たちがハイエナのように寄ってきて、靴やら時計を奪い去っていくし、衝撃のシーンが続出。
で、映画は、結局、こういう非常の世界を描くだけで、起承転結の「結」がないのである。すごいな。


17日、大阪ヨーロッパ映画祭で、3本だけ見てきた。
まず1本目はフィリップ・クローデル監督の「心の陽だまり」
大学で音楽を教えているアレッサンドロは、最愛の妻を亡くしてから、ずっとそれをひきずっている。思春期の娘と、同居する兄(画家で、反体制主義者)に煩わされるアレッサンドロだったが、本当に問題を解決せねばならないのは、アレッサンドロ自身だった。
アレッサンドロは、入院患者に本を読み聞かせるボランティアをしているのだが、その女性患者の役でアヌク・エーメが出演している。
働かずに、区別のつかない同じような絵を何枚も描き続ける、反体制派の兄は、紙幣をも体制の象徴として、焼き捨てたりしている。彼の生き方は、困ったものなのであるが、それを、困ったもんだ、としか思えなくなりかけていた、自分の心の硬化に気づかされた。この兄さん、郵便配達夫にも影響を与えて、お役所からの督促状を焼き捨てる行動に駆り立てたりする。これも、一方的に、「それはしちゃだめでしょ」で終わらせかねなかった、自分の体制順応ぐあいに、再考させられた。
http://www.oeff.jp/ja/program-jp/special?view=oeff&layout=default_movie&id=37

大阪ヨーロッパ映画祭、2本目はジュディス・カウフマン、ゲオルク・マース監督の「ふたつの人生」
冷戦終結後に明らかになる、家族の秘密。
映画冒頭で明かされるから、言ってしまうと、主人公の女性は東ドイツの諜報員で、名前をかえて西側の家庭に潜り込んで、偽りの家族関係を築いていたのだ。
いや~、これはシリアスな映画だった。北朝鮮がらみの映画でも、同様の緊張感を味わったことがあるけど、ほんと、こういうの、実際にあったことを元にしているだけに、やりきれないものがある。
主人公の母親役でリヴ・ウルマンが出ている。
http://www.oeff.jp/ja/program-jp/premires?view=oeff&layout=default_movie&id=150

大阪ヨーロッパ映画祭、3本めは、アンドレ・ヒューレス監督の「死と乙女という名のダンス」
20年前の政権によって追放された兄と、残ってダンススタジオの経営をつづけた弟の物語。
兄は国外でプロモーターとしてショービジネスの世界で成功をおさめ、20年ぶりに帰国して、兄弟の再会を果たす。
兄は弟のダンスプログラムで世界ツアーをしようと持ちかける。
ショービジネスとダンスについての兄弟の考え方の違いだけでなく、この兄弟、実はいろんな点で確執があることが、徐々に明かされていく。
ハンガリーの民族的なダンスシーンも満載。
なんだか、今日見た3本は全部、体制と反体制の問題が底に流れていたようだ。ヨーロッパ!
http://www.oeff.jp/ja/program-jp/premires?view=oeff&layout=default_movie&id=154
高橋真琴個展「真琴の聖少女たち~天使の夢~」@小さい芽~清水真理人形個展「Labyrinthos~迷宮~」@乙画廊~藤本晶子人形展「眠りの淵で集う場所」@4匹の猫
高橋真琴個展「真琴の聖少女たち~天使の夢~」@小さい芽~清水真理人形個展「Labyrinthos~迷宮~」@乙画廊~藤本晶子人形展「眠りの淵で集う場所」@4匹の猫
高橋真琴個展「真琴の聖少女たち~天使の夢~」@小さい芽~清水真理人形個展「Labyrinthos~迷宮~」@乙画廊~藤本晶子人形展「眠りの淵で集う場所」@4匹の猫
夙川のギャラリー「小さい芽」に行って、高橋真琴個展「真琴の聖少女たち~天使の夢~」を見てきた。
毎年、この時期になると開催されている個展で、高橋真琴先生が在廊されている。
高橋真琴先生の描く動物たちが、みんな楽しそうに笑っているので、僕は大好きなのだ。幸せな気分になれる。
今回の展示で、実際にやってみたら面白いのでは、と思ったのは、「フルーツカチューシャ」だ。文字どおり、りんごやぶどうなど果実をカチューシャに盛り沢山につけたもので、絵のなかの乙女はすずやかな笑みを浮かべているが、実際にやると相当重いんじゃないか、と思えた。でも、やるだけの価値はある!
ちなみに、去年のテーマが「フルーツ・バスケット 果実と花と少女たち」だったから、去年もこの絵、展示されてたのかな。うかつだった。
http://gallery6chiisaime.web.fc2.com/macotomacoto.html

淀屋橋の乙画廊に行って、清水真理人形個展「Labyrinthos~迷宮~」を見てきた。
今回の個展を見て、「時計」と「体内」が人形、少女の存在を強烈にアピールしているのが興味深かった。
少女の体内の神秘性は、昨日見た「キャリー」の初潮のシーンもそうだったな、とあらためて思った次第。


16日、大阪ヨーロッパ映画祭のあいた時間に行ったのは、高橋真琴個展、清水真理個展と、もうひとつ、ギャラリー4匹の猫での藤本晶子人形展「眠りの淵で集う場所」
四季をあらわす子供など民話のような発想の人形など。アリスもいたけど、全体にぽっちゃりしたリアル子供の体型をしていて、きわめて健全なイメージだった。
http://sdoll.nobody.jp/
第20回大阪ヨーロッパ映画祭、今日は3本だけ見た。
まず1本めは、前回見逃して地団駄ふんだ「ファイナル・カット」
ジョルジュ・パールフィ監督のハンガリー映画(2012年)
古今東西の映画450本を切り貼りして、男女のラブストーリーを描きあげる。
これ、見て、本当によかった。リュミエールの汽車から、アバターまで。また、欧米の映画だけでなく、日本映画やインド映画の部分も使われていた。
三船敏郎とマストロヤンニとリリアン・ギッシュとマリリン・モンローとアラン・ドロンとチャップリンとシャー・ルク・カーンと、あと数え切れない名優が共演する映画なんて想像を絶する。
もとの映画の文脈から離れて、とんでもない場面であるシーンが使われていたり、名優たちの演技合戦が見れたり。映画音楽も多数コラージュされていて、すごかった。
まさに、450倍の素晴らしさ!
http://www.oeff.jp/ja/program-jp/special?view=oeff&layout=default_movie&id=47


大阪ヨーロッパ映画祭、2本目は、ダヴィド・フェンキノス&ステファン・フェンキノス監督の「ナタリー」2011年
オドレイ・トトゥ主演。
最愛の人を亡くして、仕事一途に生きてきた女性と、さえない男性とのラブストーリー。途中、何度も笑わせてもらった。人を勇気付けて、元気づける映画だった。
この映画の監督・脚本は兄弟で行っていたが、映画祭のために、兄のほうが挨拶と上映後の質疑応答に登壇していた。
音楽はエミリー・シモンが担当していたが、この映画の主人公の体験と同様に、2年前に愛するフィアンセを亡くしており、その名前も映画の役名と同じで、運命を感じて音楽をひきうけたという。
途中、さえない男(フランソワ・ダミアン)が、ムードを作るためか、音楽を流すが、その音楽が珍無類。「アバの大ヒットに隠れてしまった曲だけど、大好き」というが、まさに前衛音楽。もちろん、ムード作りにはまったく役立たず、すぐに音楽をとめることになる。質疑応答時に、この音楽のことも話題になった。映画最後のエンドロールを目をこらして見ていたが、その曲が何という曲なのかわからなかったので、大助かり。あの珍無類な歌は、あのシーンのために、監督がこしらえた曲なのだそうだ。クジラの鳴き声と、スウェーデンのおばあちゃんのしゃべりをミックスしたものなんだって!
http://www.oeff.jp/ja/program-jp/premires?view=oeff&layout=default_movie&id=157

大阪ヨーロッパ映画祭、3本めは、ルスダン・チコニア監督の「Keep Smiling」グルジアの映画。
子沢山で低所得者が条件のママコンテスト。
手作り料理や、特技などで競い合って、優勝したら広いアパートと賞金がもらえる。
参加したママたちが、頑張る、という話なら、ユーモアたっぷりで元気な物語になる題材なのだが、この映画は、一風変わっている。
出場するママたちどうしの足の引っ張りあいや、それぞれの抱えた私生活の大問題が噴出して、コンテストそのものがあやうくなる。
外面をつくろうことも出来ず、何かというとすぐに逃げ出してしまうグルジアのママたちの姿は、日本でなぜか流行している「美魔女」とは大違いで面白かった。http://www.oeff.jp/ja/program-jp/premires?view=oeff&layout=default_movie&id=148


16日、大阪ヨーロッパ映画祭の後、味園ビルの「トラリーナンド」で、EIZO SALON vol.3をちらっと見てきた。
高木駿一監督が仕切っているようだ。
「ちらっと」と書いたのは、これが午後5時から明け方まで映像を流すイベントだったからで、僕が見たのは、ほんの一部。
トラリーナンドに顔を出したとき、小池照男さんの上映が終わって、解説を本人がしているところだった。
あと、見た作品は、
横田秀治「テストショット」
吉元隆人「描きました。」
藤本達也&北嶋世輝(endlespss)「縛命」「vacum」「Lingering onward bask」「1mm world」「MANIMAL」
その後、セッティングをかえて、夜通しの「風景」が上映されたのだが、見にいこうとしながら、いったん帰宅して、アルコールを摂取しているうちに、外に出られなくなってしまった。残念。http://torary.com/
「アルカナ」~東清亜紀個展“MUNI”@Artist Space CERO~「ペルシャ猫を誰も知らない」「東京シャッターガール」「キャリー」
「アルカナ」~東清亜紀個展“MUNI”@Artist Space CERO~「ペルシャ猫を誰も知らない」「東京シャッターガール」「キャリー」
15日はリーブルの日、山口義高監督の「アルカナ」を見てきた。
小手川ゆあ原作。
生死の境をさまよった者に出現する「分身」は、本人とは別の意識、人格を持つ存在として、本人の心臓を喰らおうとする。
連続大量殺人の容疑者になった少女の分身。
もはや不死身のゾンビみたいな存在になった分身たちに、警察と、心霊がらみの未解決事件を追う「お宮」係はいかに闘うのか。
と、まあ、設定はそこそこ面白いのだが、ストーリー展開が行き当たりばったりと言うか、一瞬後は何が起こるかわからないので、笑ってしまった。これはカルト映画かも。
たとえば、少女の分身は少女本体の心臓をえぐろうとする。当然、分身は情け容赦なく迫り、本人はこわがって逃げる。ところが、3分後には攻守ところをかえて、本人が「私の心臓をえぐって殺せ」と迫り、分身が「あなたにはお父さんとお母さんがいる。そんなことはできない」と、拒否する。さっきは心臓えぐろうとしておきながら!
また、不死身の分身に対処する奥の手が、なるほど、と思わせるもので、面白かった。http://ameblo.jp/tao-tsuchiya/entry-11490742333.html

北堀江のArtist Space CEROで東清亜紀個展“MUNI”を見てきた。
部屋に入ると、中はムニちゃんの顔また顔、そして顔。
このムニちゃんの顔、幼いときに見た悪夢によく出てきた顔にそっくりなのだが、乳幼児用の玩具の顔だったのかもしれない。
あるいは、今のこの日を幼いときに幻視していたのか!?
http://www.aki-tosei.com/html/information.html

第14回宝塚映画祭の最終日。シネ・ピピアで、まずバフマン・ゴディ監督の「ペルシャ猫を誰も知らない」を見た。
西洋ポップミュージックが禁止されているイランで、地下で音楽活動を続けるミュージシャンたちを描く。
今のイランの音楽(古典も含む)が数多く流れる。
音楽をすることが反体制活動にもなるんだ!
その割りに、実際のミュージシャンたちのあっけらかんとした態度はこりゃまた面白い。


宝塚映画祭、もう1本見たのは、「東京シャッターガール」
同名のコミックを3人の監督が映画化したオムニバス。
主人公の女の子、夢路のキャスティングが3通り楽しめる。
手塚眞「わたしは、シャッターガール」は夏目あおい
コバヤシモトユキ「写真って何?」はSuper☆Girlsの田中美麗
寺内康太郎「夢路!お前無茶すんなぁ!」は藤井武美
作品の内容は、ざっと言えば
手塚作品=写真のような映画
コバヤシ作品=写真についての映画
寺内作品=写真家を描いた映画
かな。
それぞれ、全然違うタッチで面白かった。
今関あきよし監督にも撮ってほしかった企画でした。
http://2013.takarazukaeiga.com/program/real-fantasy/shuttergir/

レイトショーでキンバリー・ピアース監督の「キャリー」を見てきた。
キャリーはクロエ・グレース・モレッツ、お母さんはジュリアン・ムーア。
デ・パルマの「キャリー」に比べると、キャリーは綺麗だし、積極的だ。とくに、クライマックスでの大暴れなど、キャリーの「意識」を強く感じる。
思えば、クラスでいじめられるのは、昔は、もっさい変人だったけど、今ではそこそこに可愛い子がいじめられている、という違いなんだろうか。でも、クロエ・グレース・モレッツが「キック・アス」の頃と比べると綺麗になっているし、こっちもあのファニーフェイスを見慣れた、ということもあるのかもしれない。
『コンバ オルタナティヴ・ライフスタイル・マニュアル』
マティルド・セレルの『コンバ オルタナティヴ・ライフスタイル・マニュアル』を読んだ。
パリのFM「ラディオ・ノヴァ」の番組のコーナーをもとにテクスト化された本で、マティルド・セレルは番組のパーソナリティー。
社会問題や政治問題に異議申し立てするアクションの方法が書かれている。そういう問題にコミットしたいけど、特定の団体に入ったりするのは躊躇している人向けに、あなたにも出来るアクション集。
本書の言い方だと、「それぞれの人に、それぞれのミニバスティーユ襲撃」
以下、目次。アクションの数々の詳しい内容は、実際に読んでみるにかぎる!

ミツバチを養子にしよう
大麻の物資援助システムに協力しよう
パレオ式にたらふく食べよう
ヴォキャブラリーを“破格語法”化しよう
フランスにひげを生やそう
核兵器廃絶アクションをしよう
エスカレイターを嫌おう
バイコットしよう
を批判したおそう
バッテリーを交換しよう
声明や要求事項を振り付けにしよう
大義のためにクリックしよう
あなたのVOLの埋め合わせをしよう
巡礼・○○詣でに反対しよう
連帯キセルをしよう
銀行をビシビシ締め上げよう
カミカゼ・ダンサーになろう
人道的な海賊行為を擁護しよう
“分別あるスシ”で昼食をとろう
あなたのプレゼントを非物質化しよう
オフィスの汚染を除去しよう
広告の公共空間への侵略に抗おう
トランスジェンダー的実存主義者になろう
この世からきれいに消えよう
お乳をあげよう
グリーンなナンパをしよう
ニセ新聞を発行しよう
強制国外退去を阻止しよう
目の不自由な人たちのためにXを録音しよう
食虫性になろう
キス=インの練習をしよう
有毛の抵抗に突入しよう
エコ(年)賀状を送ろう
連帯貯蓄をしよう
あなたの消費主義を悪魔払いしよう
あなた自身でやろう
クリスマスに、無防備な子供を守ろう
グラスフェミーしよう
雇用センターを人間的な機関にしよう
心理地理学の基礎を学ぼう
直属の上司をののしろう
グローバルにイこう!
何人かで洗おう
結婚をグリーンに染めよう
ビオナニストなマスターベイションをしよう
フリーなセディーユのために闘おう
あなたの乳房を見せよう
新種のグラフィティを“描こう”
イケア(IKEA)をヤッちゃおう
罪を悔いるために、あなたの体を差し出そう
エコな酔っぱらい方を選ぼう
セクシャル療法を最適化しよう
PARK(ing)DAYをオーガナイズしよう
“性の助手(セクシュアル・アシスタント)”になろう
コンサートのチケット代をヴォランティア活動でまかなおう
電動で漕ごう
ゴミ箱の重さを量ろう
スーパーマーケットの店内でピック=ニックしよう
地球のことを思っておしっこしよう
ゴミ箱に潜ろう
週一菜食主義を実践しよう
国際連帯休暇を取ろう
球根テロを企てよう
CO2の節制に、宗教上の節制を活用しよう
星たちを再び輝かせよう
通りの名前を変えよう
サイクロヌーディスタ(自転車裸族)に加わろう
あなたのショッピング・カートを“GMOフリー”な商品で満たそう
共和国を修繕しよう
山頂を塗り直そう
あなたのキーボードで反乱を起こそう
フライド・ポテトで走ろう
あなたの犬を“犠牲”にしよう
社長を監禁しよう
職場で昼寝しよう
スロウ・カルチャーにしよう
茶色の“砂金採取”を支援しよう
親切になろう!
静寂をストックしよう
エコロ=ジック・ムーヴメントをフォロウしよう
別のサッカーをサポートしよう
山羊で刈ろう
自分をロカヴォアに変えよう
アンプラグしよう
携帯電話の価値を上げよう
あなたのネット・サーフィンを緑色にしよう
グリーンバードの群れで飛ぼう
素っ裸で旅しよう

「バイコット」は、ボイコットのような不買運動ではなく、エコ努力をしている企業の商品を買う、という運動。
「キス=イン」はダイ=インのキスバージョン
「グラスフェミー」は、使用済みガラスびんの分別の細かさ、うっとうしさを解消するため、ガラスをゴミ箱に投げつけて粉砕するやりかた。
「PARK DAY」は、パーキング・メーター式の駐車スペースで、車をとめずに人工芝マットをひいて、ベンチをセットして読書したりする。
「イケアをやっつける」のは、イケアの家具を本来の用途と違う使い方を提案する「マケア」の活動など。
「別のサッカー」は、シチュアシオニストのアスガー・ヨルン(本書では、実際の発音に近いエスカ・ヨーン表記)が考案した「スリーサイデッドフットボール」のこと。3チーム同時に戦い、得点した点数で勝つのではなく、失った点の少ないチームが勝つルール。
「あなたの乳房を見せよう」は、イスラムの導師が女性の肌の露出度と地震を結びつけた発言をしたことへの抗議から出た運動。みんなで集まって乳房を露出し、地震を引き起こそうとするもので、「ブーブクエイク」と呼ばれている。
などなど。
再三にわたって提案されるのが、ユロ・エコロジーで、シャワー中におしっこすることで、水洗トイレの水の量を節約するやりかた。日本人が全員、1日1回これを実行すると、1年で50メートルプール5万杯分の水の節約になるという。
これなら実行可能だ!

「サプライズ」

2013年11月14日 映画
「サプライズ」
アダム・ウィンガード監督の「サプライズ」を見てきた。
人里離れた一軒家に、家族10人が揃った。
その一家団欒を襲う、ヒツジ、トラ、キツネの仮面の者たち。
ホラースリラー映画なのだが、愉快痛快な筋立てで楽しめた。
恐ろしい状況なのに笑える部分も多かった。ある被害者はボウガンで撃たれるが、致命傷でなくて、背中に矢が刺さったままで、うろうろと行動したりする。昔、矢鴨っていたな、と思い出した。
たとえば、ある被害者は刃物で腹を刺されても、すぐには死ななくて、何本も刃物を刺されて、まだ死なず、加害者に「早く死んでくれ」と懇願されたりとか。昔、ラスプーチンっていたな、と思い出した。
前半はホラーで、後半はワクワク。
リピートで流れるドゥワイト・トゥイリー・バンドの曲がイカしてる。
「ときめきに死す」「アーサーと魔王マルタザールの逆襲」「さや侍」「巌流島前夜」「石合戦」
「ときめきに死す」「アーサーと魔王マルタザールの逆襲」「さや侍」「巌流島前夜」「石合戦」
「ときめきに死す」「アーサーと魔王マルタザールの逆襲」「さや侍」「巌流島前夜」「石合戦」
今日のホームシアター。

森田芳光監督の「ときめきに死す」1984年
沢田研二主演。
新宗教の村にやってきた寡黙な男、沢田研二。
彼は謎の組織によって派遣された殺し屋。
謎の組織による謎のコンピュータプログラムによって、彼が抹殺するターゲットが割り出された。
映画は、沢田研二と、その世話役、杉浦直樹、樋口可南子の三人の生活が中心に描かれる。
この映画は、「千夜千冊」の「リア王」によると、松岡正剛と谷川浩司のキャスティングが予定されていた、という。それぞれ、新宗教教祖の幹部と、コンピュータを扱う少年、だったんだろうか。それは見たかった!

リュック・ベッソン監督の「アーサーと魔王マルタザールの逆襲」
CGアニメーションと実写の合体。
フレディ・ハイモア主演、ミア・ファーロー。
マルタザールの声を先日逝去したルー・リードが担当している。
木、岩、動物との同化のイニシエーションを経たアーサー、蜘蛛が運んできた米粒の「HELP」のメッセージを受けて、満月の夜、身長2ミリの地下王国を再訪する。
前半は、実写での、殺虫剤持った親をかわしていかに地下王国にいけるかが描かれ、後半はマルタザールのたくらみが明らかになるストーリー。
マルタザールの計画が成功したかに見えるところで、「つづく」になっている。

松本人志監督の「さや侍」
30日と期限を切られた「笑わん姫」みたいな話。
ごっちんや、おはガールではなく、笑わせねばならないのは、母親をなくしてふさいでいる少年。
ラストは映画としてのカタルシスが用意してあり、ちゃんと泣ける映画として成立しているのだが、きっと監督は、そうやっておさまってしまったのがいやで、「R100」とか撮ったのかもしれないな、と思った。
「未公開の業」もあわせて見たけど、蛇結びのロングバージョンには興奮した!

大曽根辰保監督の「巌流島前夜」1959年
森美樹演じる宮本武蔵と、近衛十四郎演じる玄蕃との物語。
お互いに武士として敬意をもって接していたふたりだが、お殿様の短慮によって、二人は果し合いを強制される。それを避けて道場を去った武蔵だが、玄蕃が金や色仕掛けで試合を回避したと受け取られ、切腹を申し付けられる。
その後、玄蕃は佐々木小次郎の燕返しの攻略法を身を捨てて武蔵に伝授するにいたる。
切腹を免れたのは、決して、誰かを笑わせた褒美ではない。

若杉光夫監督の「石合戦」1955年
山田五十鈴、浜田光夫、小沢栄太郎。
子供たちが川をはさんで石をぶつけあう石合戦。
大人たちは市町村合併をめぐって醜く無様な姿をさらす。
村八分とか、権力者にさからえない大人たちとか、封建的な家父長制とか、この時代に乗り越えねばならないことが山積み。
主人公の少年(浜田光夫)は、あまりのことに、神社の息子なのに、「神様のバカ~!」と暴れることになる。
原作は上司小剣(かみづかさ・しょうけん)。
上司小剣の作品は、「新夫婦善哉」関連で、「鱧の皮」くらいしか読んでないのが、なんともうかつなところ。
山田五十鈴が、「汚い」という意味で「ばばい」という言葉を使ってたのが、懐かしい。
少年たち(大半がふんどし姿)が、先生の一喝でおしりをキュッとひきしめて緊張するシーンがおかしい。
「危険なささやき」「九十九人目の花嫁」「若い季節」「ハイウェイの王様」「大当り百発百中」
「危険なささやき」「九十九人目の花嫁」「若い季節」「ハイウェイの王様」「大当り百発百中」
「危険なささやき」「九十九人目の花嫁」「若い季節」「ハイウェイの王様」「大当り百発百中」
録画しておいた映画を数本見た。

アラン・ドロン監督、主演の「危険なささやき」1981年
一瞬ジェーン・バーキンかな、と思わせたアンヌ・パリローが出てる。
J=P・マンシェット原作のミステリーで、盲目の娘の行方を捜す探偵がアラン・ドロン。腕折ったり、鼻折ったり、ハードボイルド!

佐藤武監督の「九十九人目の花嫁」1947年
榎本健一主演。エノケンは誠実だがどもりで、何回もお見合いを失敗している。
彼の良さを見抜いた女性との恋愛。
エノケン二役でピストル強盗があらわれ、人違いされての、警察とエノケンとピストル強盗の追いかけあい。
エノケン同士の鏡のギャグもあった。

古澤憲吾監督の「若い季節」1962年
クレージーキャッツ、坂本九、ジェリー藤尾、淡路恵子。
化粧品会社の産業スパイをめぐる歌とダンス満載のコメディ。
「飲む白粉」「液体口紅」など新商品開発で、ライバル会社に先回りされてしまう、スパイが社内にいるのか?
植木等と坂本九が、それぞれのレパートリーを横取りして歌うシーンもあり。

市村泰一監督の「ハイウェイの王様」1965年
坂本九主演。
白バイ警官(坂本九)と写真家(香山美子)のラブストーリー。白バイエピソードも多数。
九重佑三子が本人役で登場、女優役で加賀まりこ、写真家の秋山庄太郎と原作者の阿川弘之がちらっと出演、柴田錬三郎のパロディみたいな作家(神山繁)も登場する。
歌も多く、坂本九の魅力満載。

春原政久監督の「大当り百発百中」1961年
小沢昭一主演、松原智恵子。
作詞家の小沢昭一は、競馬の予想が趣味で、自分では馬券買わないけど、百発百中のインスピレーションを誇る。
彼を監禁して、当たり馬券の情報を独占しようとする悪い奴らと、逃げる小沢昭一のギャグ満載の追いかけっこが面白い。

『水玉の履歴書』

2013年11月11日 読書
『水玉の履歴書』
草間彌生の『水玉の履歴書』を読んだ。
2012年の草間彌生へのインタビューと、文献からの引用などからまとめられた1冊。
以下、目次

はじめに
第1章 芸術
 コラム 21世紀の草間芸術
  見る人を作品世界に没入させるアーティスト
  果てしなく変化し続けるアーティスト
第2章 闘い
 コラム アート・マーケットにおける草間
  世界中に広がり続けるマーケット
  コレクターから見た草間アートの魅力
第3章 人生
 コラム 文筆家としての草間彌生
第4章 社会
 コラム パブリックアートとしての草間作品
第5章 生・死・愛
草間彌生 闘いの記録/鈴木布美子
 「世界のクサマ」へ
 画家を志す
 国内から海外へ
 アメリカでの草間
 センセーショナルだった「ハプニング」
 日本に戻ってきてからの活動
 再評価の動き
 草間アートの真骨頂
主要引用・参考文献一覧

本書のインタビューで、草間彌生は「私は日本で生まれ、育ちましたが、日本の文化、伝統からは影響を受けていません。むしろ、自分の心の中から湧いてくる創造力を武器に古い習慣や芸術と闘ってきたのです」と言っている。
また、「みんなが同じような服を着るのは封建的です。私はうんと変わった服を着たいと思ってきました」とも言っている。
草間彌生はすっかり世間に認知され、一般のお客さんが多数支持する存在になったが、彼女の闘いを彼女だけのものにせず、自分自身闘わないと意味がないと思う。
草間彌生展を見に行ったときに、お客さんが誰からも後ろ指さされない普通のファッションの人ばっかりだったのに、がっかりしたことがある。
草間彌生の闘いは、まだまだはじまったばかりなのだ。
ユーストリーム番組「Salon the Art Room」第3回。
午後2時から、一応4時までの予定だけど、毎回、5時くらいまで伸びてしまう。
http://www.ustream.tv/channel/salontheartroom
秋山衣梨佳、大阪ひとみ、安斎レオ、僕。(敬称略)
CMで栗田ゆうき。
ゲストは、りなんなん。
DVDの紹介で杉下淳生監督、川柳モンパルナスのコーナーでは、川柳マガジン発行人の松岡恭子さんが出演してくださった。
ブック・レビューでは、安斎さんが『イエスタデイをうたって』冬目景さんの漫画を紹介。
僕は風濤社の「シュルレアリスムの本棚」の2冊、ルネ・ドーマル『大いなる酒宴』とバンジャマン・ペレ『サン=ジェルマン大通り125番地で』をとりあげた。前日に聞いたばっかりの巌谷國士トークを導入に使って(後のほうでも、調子にのって、受け売りでしゃべったりした。お恥ずかしい)、やっぱりまとまりのないご紹介。
随所に間違いがあったけど、まあ、誤差のうち。
りなんなんは数曲ライブ。
インタビューも。
川柳モンパルナスでは、「メール」「赤」「マイク」をお題に川柳を発表、今日の課題として、「恋」「愛」で発表し、松岡恭子さんに天地人を決定していただいた。
最後は、18日が誕生日の秋山衣梨佳ちゃんのバースデイをお祝いして、おめでたい雰囲気で終了。
次回は12月1日の予定。
特別展「〈遊ぶ〉シュルレアリスムとは何か」巌谷國士講演@ギャルリー宮脇
ギャルリー宮脇に行って、特別展「〈遊ぶ〉シュルレアリスムとは何か」を見てきた。巌谷國士氏の『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』と『シュルレアリスムとは何か』をくっつけたタイトルでわかるように、巌谷國士監修の「〈遊ぶ〉シュルレアリスム展」の画廊篇として企画されたもの。
ギャルリー宮脇らしく、アールブリュットの作品とシュルレアリスムの作品をあわせて展示していた。
マグリット、エルンスト、マッソン、デュビュッフェ、ミロ、ダリ、モリニエ、デルヴォー、マン・レイ、ハンス・ベルメール、デ・キリコ、トワイヤン、フィニィ、マッタ、マッジ・ギル、ハンス・クルージー、ミシェル・ネジャー、ジャン=ピエール・ナドー、オディ・サバン、イグナシオ・カルレス=トルラ、ゲルト・マロン、フィリップ・ザクサー、エドモン・アンジェル、エンリコ・バイ、ヴィフレド・ラム、ヤン・フォス、アントニ・クラーヴェ、ガストン・トゥシェール、クリス・ヒップキス、ヘイター。
え~っと、全部書いたかな?
入ってすぐに、シュルレアリストたちが作ったトランプ(ユビュ王がジョーカー)が展示してあった。
これだけのラインナップ、なかなか出来ない。
今日は、午後3時から巌谷國士氏の講演もあった。
講演は、「アウトサイダー・アート」ではなくギャルリー宮脇が「アールブリュット」の呼び方をする意味合いからはじめられ、シュルレアリスムが主義や流派、様式ではないこと、シュルレアリスムはブリコラージュでありエンジニアリングとは対極にあることなどなど、自由闊達かつ、明晰なものだった。
途中、「あまちゃん」の「地元に帰りたい」を歌いだす一幕も。
講演終了後、持参した『シュルレアリスムとは何か』にサインもいただいた。

「新少林寺」「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」「怪談海女幽霊」「マッチポイント」
「新少林寺」「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」「怪談海女幽霊」「マッチポイント」
「新少林寺」「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」「怪談海女幽霊」「マッチポイント」
今週見た、録画しておいた映画。
ベニー・チャン監督の「新少林寺」(2011年)
アンディ・ラウ主演。
悪役でニコラス・ツェーが出ており、アンディ・ラウ対ニコラス・ツェーがラストのクライマックス。
少林寺が大砲などを使った軍の攻撃で破壊されてしまう話なので、全体に哀切ムードただよっているが、クライマックスは爆薬ドカンドカン。
ジャッキー・チェンは武道のたしなみはないのに、料理の手さばきの応用で戦う、コミカルな役割で、唯一肩の力を抜けるところ。

森一生監督の「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」(1952年)
黒澤明脚本、三船敏郎主演。
三十六人斬りで有名な話だが、実際に荒木又右衛門が斬ったのは二人だけだという史実(?)に基づいて描かれた、鍵屋の辻の待ち伏せの物語。
華やかなチャンバラとは正反対の、人が人を殺すことの無様な必死さ、仇がやってくるまでのジリジリした緊迫感、仇討ちのため敵味方にわかれざるをえない武士同士の友情、などなど、全身に力が入った。

加戸野五郎監督の「怪談海女幽霊」(1960年)
新東宝。明智十三郎主演。
海にひきずりこまれて殺される!
死んだ奴らは、みんな悪い奴!
と、いうことは、誰かの復讐か!
と、いうお決まりのパターンの怪談もので、最後に犯人が幽霊の面を落すシーンのあまりにも面のちゃちさも含めて、安心して見れる怪談。
と、いうか、これはかつての「プレイガール」みたいに、怪談というより、海女の泳ぐ姿のエロチシズムを楽しむ映画のようだ。

ウディ・アレン監督の「マッチポイント」(2005年)
元プロテニスプレイヤーの第二の人生で、女を利用してのしあがっていくが、運命の女との情事から、ついには犯罪に至る。
映画冒頭で、テニスのコードボールが映り、ネットインするかどうかの運についてナレーションが入る。
映画のなかでも小道具として使われるが、この映画はウディ・アレン版『罪と罰』とも言えるもので、クライマックスで冒頭のコードボールに似た状況が映り、運がすべてを左右することが証明される。
その顛末は、なんとも皮肉なもの!面白い!
「大宮エリー展」@dddギャラリー~ハラチグサ展「水中ゴーグル」@アートスペース亜蛮人
「大宮エリー展」@dddギャラリー~ハラチグサ展「水中ゴーグル」@アートスペース亜蛮人
南堀江のdddギャラリーに行って「大宮エリー展」を見てきた。
大宮エリーがどんな人なのかと言うと、「映画監督、脚本家、作家、演出家、CMディレクター/プランナー、そしてテレビでの音楽番組MCにラジオパーソナリティー、近年では1万2千人を動員し話題となった、言葉と造形によるインスタレーションの体験型個展が記憶に新しい」と、あるように、多岐にわたっている。
箱に手を入れて楽しんだり、いろんな道を歩く体験型の個展も面白いし、彼女が関わったCMもドラマも面白い。
この展覧会では、無料の音声ガイドが貸与され、各コーナーで大宮エリー自身が作品について語っているのが聞けた。(音声ガイドをひととおり聞くだけでたぶん2時間くらいかかると思う)
随所にモニターがあって、作品が流れている。吉本映画の「桜と印籠」とか、CMの数々などを見た。
また、作品の数々をiPADで見るコーナーもあり、「おじいさん先生」とか「エル・ポポラッチがゆく!」「亀の恩返し」などを見た。
思いもよらず、半日使ってどっぷりと大宮エリーの世界にひたって、なんだか元気になった。
http://ellie-office.com/index.html

アートスペース亜蛮人に行って、ハラチグサ展「水中ゴーグル」を見てきた。
これは楽しい、体験型の展示。
亜蛮人内を改装工事しての仕掛けが面白い。ヒントはタイトルに。
作品の値段も300円から、と可愛い。
http://www.aband.jp/exhibition.html

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