またまた二人で泥棒を―ラッフルズとバニー〈2〉
2006年2月1日 読書
E.W.ホーナングの『またまた二人で泥棒を』を読んだ。
ラッフルズとバニーの2冊め。
以下、各話の覚え書き。
第1話「手間のかかる病人」
バニーにうってつけの求人広告。
雇い主の正体はなんと死んだと思われていたラッフルズ。
文字どおり、バニーを呼び寄せるために、バニーにお誂え向きの求人広告を出したのだ。
第2話「女王陛下への贈り物」
黄金の杯を盗み、頭にのせて帽子で隠して持ち去る。
現金化したり金塊にしたりせず、女王陛下にそのまま贈る。
第3話「ファウスティーナの運命」
ラッフルズかつてのロマンス譚。
彼女は、無惨にも殺されてしまう。
犯罪組織カモーラのコルブッチ伯爵登場。
第4話「最後の笑い」
コルブッチ伯爵に捕らえられて、時限装置で命を狙われるラッフルズ。
必死で駆け付けるバニー、間に合うか!
ラッフルズが「せめて道連れに」と考えて用意した毒酒を取り上げて、勝手に飲んで自滅するコルブッチ伯爵。
第5話「泥棒が泥棒を捕まえる」
ティアラ連続盗難事件。
盗賊アーネスト・ベルヴィル伯爵との対決。
銃で追い詰められたラッフルズ。
そのとき雷が!
第6話「焼けぼっくいに−」
かつて関係のあった女性がラッフルズを追ってくる。
偽装で死亡し、難を逃れるラッフルズ。
第7話「間違えた家」
ラッフルズがドジを踏み、破った扉越しに腕をつかまれ、身動きとれなくなる。
家を間違えて、中にいたのは元気な学生たちだったのだ。
盗賊捕縛に加勢するとみせかけて、バニーが助ける。
第8話「神々の膝に」
ボ−ア戦争に兵士として志願したラッフルズ。
裏切り者の上官を断罪する。
この2冊めでは、ラッフルズが華麗な泥棒っぷりを示さず、けっこう失敗したりして、ぱっとしない。
命のやりとりもあるので、後発の怪盗たちが、「盗みはするが、殺しはしない」というスマートなイメージとはちょっと違っている。
でも、ドジなところがとぼけた味をだしていて、最後には戦争に行ってしまうところで、僕はなぜか「のらくろ」を連想した。
「のらくろ」はふだん軍隊におり、戦争がきびしくなってきた頃には大陸に渡っているので、ちょうど逆のパターンなのだが。
ラッフルズとバニーの2冊め。
以下、各話の覚え書き。
第1話「手間のかかる病人」
バニーにうってつけの求人広告。
雇い主の正体はなんと死んだと思われていたラッフルズ。
文字どおり、バニーを呼び寄せるために、バニーにお誂え向きの求人広告を出したのだ。
第2話「女王陛下への贈り物」
黄金の杯を盗み、頭にのせて帽子で隠して持ち去る。
現金化したり金塊にしたりせず、女王陛下にそのまま贈る。
第3話「ファウスティーナの運命」
ラッフルズかつてのロマンス譚。
彼女は、無惨にも殺されてしまう。
犯罪組織カモーラのコルブッチ伯爵登場。
第4話「最後の笑い」
コルブッチ伯爵に捕らえられて、時限装置で命を狙われるラッフルズ。
必死で駆け付けるバニー、間に合うか!
ラッフルズが「せめて道連れに」と考えて用意した毒酒を取り上げて、勝手に飲んで自滅するコルブッチ伯爵。
第5話「泥棒が泥棒を捕まえる」
ティアラ連続盗難事件。
盗賊アーネスト・ベルヴィル伯爵との対決。
銃で追い詰められたラッフルズ。
そのとき雷が!
第6話「焼けぼっくいに−」
かつて関係のあった女性がラッフルズを追ってくる。
偽装で死亡し、難を逃れるラッフルズ。
第7話「間違えた家」
ラッフルズがドジを踏み、破った扉越しに腕をつかまれ、身動きとれなくなる。
家を間違えて、中にいたのは元気な学生たちだったのだ。
盗賊捕縛に加勢するとみせかけて、バニーが助ける。
第8話「神々の膝に」
ボ−ア戦争に兵士として志願したラッフルズ。
裏切り者の上官を断罪する。
この2冊めでは、ラッフルズが華麗な泥棒っぷりを示さず、けっこう失敗したりして、ぱっとしない。
命のやりとりもあるので、後発の怪盗たちが、「盗みはするが、殺しはしない」というスマートなイメージとはちょっと違っている。
でも、ドジなところがとぼけた味をだしていて、最後には戦争に行ってしまうところで、僕はなぜか「のらくろ」を連想した。
「のらくろ」はふだん軍隊におり、戦争がきびしくなってきた頃には大陸に渡っているので、ちょうど逆のパターンなのだが。
森博嗣の『探偵伯爵と僕』を読んだ。
これで3日連続で講談社ミステリーランドの本を読んだことになる。
このシリーズは、装幀や挿し絵に凝っているのがうれしい。
装丁はコズフィッシュで、祖父江さんとはモダンチョキチョキズのアルバムなどで、あるいはプライベートでもたいへんお世話になった、とても面白い人なのだ。
イラストは、先日読んだ『ラインの虜囚』は鶴田謙二。(アベノ橋魔法☆商店街)
『ぼくと未来屋の夏』は長野ともこ。
『闇のなかの赤い馬』はスズキコージ。
この『探偵伯爵と僕』は山田章博がてがけている。
さて、この作品、例によってネタバレするので、注意。
少年は探偵伯爵と名乗る男と出会う。
で、友人が行方不明になった事件を解明するのだ。
これが、特に理由もなく少年を連続で殺すという救いのない事件だったことが判明。
考えうるかぎり最悪の結果だし、犯人を導き出す伏線もない。
おまけに、犯人は我が子をも手にかけていた、という不必要な意外性をつけくわえている。
作者は何を考えているのだろうか。
ミステリーとしては謎がないし、少年向けの物語としては希望がない。はやみねかおるの傑作を読んだあとでは、それがはっきりとわかる。
また、この作品、削れば半分以下の分量になると思われる。無駄な文章が多すぎる。僕みたいな素人がネット小説書いているわけではなく、プロの作家なのだから、自分の欲望へのリゴリズムを貫いてほしい。
また、屁理屈が連発する。
「何か、人に言えない秘密があるんだね?」
「あのね、」歩いていたチャフラさんは、立ち止まって、短い溜息をついた。
「秘密っていうのは、普通、人に言えないものなの。人に言える秘密なんてないの。わかった?」
こんなふうな、一般的に使われている言葉のおかしい点を、ことあるごとにつく。
僕たちは、普通、人に言える秘密を持っているのにだ。
また、「探偵伯爵」とか、先に出た「チャフラさん」とかいうセンスはいかがなものか。
はやみねかおるの「未来屋」に感心した2日後だけに、そのセンスの無さが痛々しい。「チャフラさん」は、茶原さやかという名前をチャフラフスカともじっているのだそうだが、これも首をかしげざるをえない。往年の女子体操選手のことを言っているのなら、それはチャスラフスカだ。作者はこのチャスラフスカをチャフラフスカだと勘違いして、こんな名前の付け方をしているのだろうか。わざとだとしたら、いたいけな少年少女たちは間違った名前を覚えてしまうことになる。
ただし、この本、冒頭に探偵伯爵が出すクイズは面白い。
金庫破りで、大量の金塊が持ち出された。
犯人は地下にトンネルを掘っていたのだ。
ところが、そのトンネルで大量の金塊を運び出すには、どう計算しても、時間が足りないのだ。
さて。
探偵伯爵が出す答は、「最初から金塊はありませんでした」というもの。
いくらでも別の回答を思い付くケースだが、こういう推理クイズは面白い。
ツカミはオッケー。
でも、ツカミだけだった。
もう1つ出されるクイズは、密室問題。部屋の中には縛られた被害者がいるだけ。
機械的トリックで糸などを使うにも、その糸が通るような隙間はないのだ。
さて、答えは、密室を構成したのは縛られていた人物。中華テーブルを回転させて、ひもをひっぱって密室を構成したのだ。
これ、作品のラストにまでひっぱるネタか?
あと、気になったのが、語尾の長音の省略についてだ。
この本では「ハムスター」は「ハムスタ」と書かれている。
かつては、「データ」のことを「データー」と書いたり、「コンピュータ」を「コンピューター」なんて書いていたもんだ。その流れでいくと、「ハムスタ」でもよさそうなものだが、どうもひっかかる。隠語にも似た、神経症的青臭さを感じるのだ。
同様の使い方をしていたのは、
「オーバだなあ」(大葉ではない。オーバーだ。ゲームオーバ、とか書くのだろうか。どうにも違和感がある)
「カッタナイフ」(買ったナイフ?)
「ハンバーガ」
ただし、「ミニカー」「カバー」「コーヒー」など、語尾を伸ばして表記しているものもあった。ううむ。法則がわからん。
これって一般的なんだろうか。
なお、この作品、ラストになって、全体が少年の書いた小説だったことが判明し、現実とは性別が逆であったことがわかる。
どんなどんでん返しや!
これで3日連続で講談社ミステリーランドの本を読んだことになる。
このシリーズは、装幀や挿し絵に凝っているのがうれしい。
装丁はコズフィッシュで、祖父江さんとはモダンチョキチョキズのアルバムなどで、あるいはプライベートでもたいへんお世話になった、とても面白い人なのだ。
イラストは、先日読んだ『ラインの虜囚』は鶴田謙二。(アベノ橋魔法☆商店街)
『ぼくと未来屋の夏』は長野ともこ。
『闇のなかの赤い馬』はスズキコージ。
この『探偵伯爵と僕』は山田章博がてがけている。
さて、この作品、例によってネタバレするので、注意。
少年は探偵伯爵と名乗る男と出会う。
で、友人が行方不明になった事件を解明するのだ。
これが、特に理由もなく少年を連続で殺すという救いのない事件だったことが判明。
考えうるかぎり最悪の結果だし、犯人を導き出す伏線もない。
おまけに、犯人は我が子をも手にかけていた、という不必要な意外性をつけくわえている。
作者は何を考えているのだろうか。
ミステリーとしては謎がないし、少年向けの物語としては希望がない。はやみねかおるの傑作を読んだあとでは、それがはっきりとわかる。
また、この作品、削れば半分以下の分量になると思われる。無駄な文章が多すぎる。僕みたいな素人がネット小説書いているわけではなく、プロの作家なのだから、自分の欲望へのリゴリズムを貫いてほしい。
また、屁理屈が連発する。
「何か、人に言えない秘密があるんだね?」
「あのね、」歩いていたチャフラさんは、立ち止まって、短い溜息をついた。
「秘密っていうのは、普通、人に言えないものなの。人に言える秘密なんてないの。わかった?」
こんなふうな、一般的に使われている言葉のおかしい点を、ことあるごとにつく。
僕たちは、普通、人に言える秘密を持っているのにだ。
また、「探偵伯爵」とか、先に出た「チャフラさん」とかいうセンスはいかがなものか。
はやみねかおるの「未来屋」に感心した2日後だけに、そのセンスの無さが痛々しい。「チャフラさん」は、茶原さやかという名前をチャフラフスカともじっているのだそうだが、これも首をかしげざるをえない。往年の女子体操選手のことを言っているのなら、それはチャスラフスカだ。作者はこのチャスラフスカをチャフラフスカだと勘違いして、こんな名前の付け方をしているのだろうか。わざとだとしたら、いたいけな少年少女たちは間違った名前を覚えてしまうことになる。
ただし、この本、冒頭に探偵伯爵が出すクイズは面白い。
金庫破りで、大量の金塊が持ち出された。
犯人は地下にトンネルを掘っていたのだ。
ところが、そのトンネルで大量の金塊を運び出すには、どう計算しても、時間が足りないのだ。
さて。
探偵伯爵が出す答は、「最初から金塊はありませんでした」というもの。
いくらでも別の回答を思い付くケースだが、こういう推理クイズは面白い。
ツカミはオッケー。
でも、ツカミだけだった。
もう1つ出されるクイズは、密室問題。部屋の中には縛られた被害者がいるだけ。
機械的トリックで糸などを使うにも、その糸が通るような隙間はないのだ。
さて、答えは、密室を構成したのは縛られていた人物。中華テーブルを回転させて、ひもをひっぱって密室を構成したのだ。
これ、作品のラストにまでひっぱるネタか?
あと、気になったのが、語尾の長音の省略についてだ。
この本では「ハムスター」は「ハムスタ」と書かれている。
かつては、「データ」のことを「データー」と書いたり、「コンピュータ」を「コンピューター」なんて書いていたもんだ。その流れでいくと、「ハムスタ」でもよさそうなものだが、どうもひっかかる。隠語にも似た、神経症的青臭さを感じるのだ。
同様の使い方をしていたのは、
「オーバだなあ」(大葉ではない。オーバーだ。ゲームオーバ、とか書くのだろうか。どうにも違和感がある)
「カッタナイフ」(買ったナイフ?)
「ハンバーガ」
ただし、「ミニカー」「カバー」「コーヒー」など、語尾を伸ばして表記しているものもあった。ううむ。法則がわからん。
これって一般的なんだろうか。
なお、この作品、ラストになって、全体が少年の書いた小説だったことが判明し、現実とは性別が逆であったことがわかる。
どんなどんでん返しや!
竹本健治の『闇のなかの赤い馬』を読んだ。
ネタバレ注意。
ミッション系の学校で、ある日、神父が雷に打たれて死ぬ。
それをきっかけに、学園で奇怪な事件が起きる。
別の神父が、サンルーム内で焼け死ぬのだ。
その部屋は密室。
人体自然発火だとか、球電などの仮説が出る。オカルトだ!
主人公の少年は、なぜか、馬の夢をみてうなされる。
これはいったい?
真相ではないが、サンルーム自体が巨大な電子レンジだった、とする仮説がたてられる。
これが一番面白かったが、真相の方もかなりとんでもないことを考えている。
学園内のほとんどが犯人だったのだ。
サンルームにいる神父に大勢の人間がいっせいに鏡で光をあて、その熱で焼き殺してしまうのだ。
大きな鏡を使おうとして、鏡をはずしたら、壁に白い跡がついていた。これじゃ目立つ、と考えた人物が、そこに馬の絵をかけた。主人公は、その馬の絵がもともとあった場所を無意識にインプットしており、その後、馬の絵が移動したことが脳裏にひっかかっており、夢にみたのだ。
昨日読んだ『ぼくと未来屋の夏』でも、オカルトっぽい仮説がまずたてられる。
『ぼくと未来屋の夏』では、雷がなったとたんに犬が消えてしまう謎を、主人公の少年は「宇宙人による拉致だ!キャトルミューティテーションだ!」などと騒ぐ。(真相は、驚いた犬が狭いところにもぐりこんでいただけ)
こどもはこういうオカルトにホイホイととびつく。
ミステリーの作家も読者も、オカルトには興味津々のはずだが、オカルトにたよらずに真相を構築するのが腕のみせどころで、読みどころなのである。そうでないと、オカルト持ち出せば何でもありになってしまう。
この『闇のなかの赤い馬』は、オカルトっぽいけど真相は合理的、という意味で、また、その雰囲気も含めて、「サスペリア2」を思い出した。そう。あの絵の謎がこの作品の真相とよく似ているのだ。
録画したまま見ていなかった「ハッスルマニア」を見た。
空中元禰チョップとやら、試合を通してみるかぎりは、じゅうぶんに説得力があった。
あんなへなちょこチョップでプロレスラーに勝てるのか、なんて言ってたすべてのコメンテイターは、腹を切って詫びるべきだ。あいつら、絶対、チョップの瞬間映像しか見ていないぞ!
ネタバレ注意。
ミッション系の学校で、ある日、神父が雷に打たれて死ぬ。
それをきっかけに、学園で奇怪な事件が起きる。
別の神父が、サンルーム内で焼け死ぬのだ。
その部屋は密室。
人体自然発火だとか、球電などの仮説が出る。オカルトだ!
主人公の少年は、なぜか、馬の夢をみてうなされる。
これはいったい?
真相ではないが、サンルーム自体が巨大な電子レンジだった、とする仮説がたてられる。
これが一番面白かったが、真相の方もかなりとんでもないことを考えている。
学園内のほとんどが犯人だったのだ。
サンルームにいる神父に大勢の人間がいっせいに鏡で光をあて、その熱で焼き殺してしまうのだ。
大きな鏡を使おうとして、鏡をはずしたら、壁に白い跡がついていた。これじゃ目立つ、と考えた人物が、そこに馬の絵をかけた。主人公は、その馬の絵がもともとあった場所を無意識にインプットしており、その後、馬の絵が移動したことが脳裏にひっかかっており、夢にみたのだ。
昨日読んだ『ぼくと未来屋の夏』でも、オカルトっぽい仮説がまずたてられる。
『ぼくと未来屋の夏』では、雷がなったとたんに犬が消えてしまう謎を、主人公の少年は「宇宙人による拉致だ!キャトルミューティテーションだ!」などと騒ぐ。(真相は、驚いた犬が狭いところにもぐりこんでいただけ)
こどもはこういうオカルトにホイホイととびつく。
ミステリーの作家も読者も、オカルトには興味津々のはずだが、オカルトにたよらずに真相を構築するのが腕のみせどころで、読みどころなのである。そうでないと、オカルト持ち出せば何でもありになってしまう。
この『闇のなかの赤い馬』は、オカルトっぽいけど真相は合理的、という意味で、また、その雰囲気も含めて、「サスペリア2」を思い出した。そう。あの絵の謎がこの作品の真相とよく似ているのだ。
録画したまま見ていなかった「ハッスルマニア」を見た。
空中元禰チョップとやら、試合を通してみるかぎりは、じゅうぶんに説得力があった。
あんなへなちょこチョップでプロレスラーに勝てるのか、なんて言ってたすべてのコメンテイターは、腹を切って詫びるべきだ。あいつら、絶対、チョップの瞬間映像しか見ていないぞ!
はやみねかおるの『ぼくと未来屋の夏』を読んだ。
ミステリーで、ネタバレしてるので、注意。
主人公は小学6年の少年。
未来屋と称する猫柳さんと出会ったことからはじまる、夏休み。
未来屋とは、これから何が起こるかを教えてくれる、ということで、おおざっぱに言えば、探偵と言ってもいいだろう。
警官が監視するなか人間が一人消えてしまった校舎の謎とか、碁石で暗号とか、首なしの幽霊とか、ミステリーの面白さが詰まっている。
なかでも感心したのは、神隠しの真相だ。
神隠しの話は、肝試しのなかで校長先生によって語られる。
戦争中の話。酔っぱらって道を歩いていた男が、神社の前で眠ってしまった。
目覚めると、そこは駅前商店街の遊歩道で、アーケードには電気もついている。
不思議なのは、人っこ一人いないのだ。
店はシャッターがあいていて、普通に商品も並んでいる。でも、人間がいない。
食堂に入ると、今まさに用意したばかりのような食事がテーブル上に並んでいる。
男はそれを食べて、寝る。
起きたら、もとの神社だった。
誰もいなかったのは、戦争で全員殺されてしまったんじゃないか、と不安になった男が帰宅すると、いつもと変わらぬ、人々に迎えられた。
男は昨日寝て、今日戻ったふうに思っていたが、なんと、神社の前で寝てから一週間も経過していたのだ。
誰もいない商店街の話をしても、みんなは酔っぱらいの夢としか思ってくれない。
おや?本を読んでいるときには気づかなかったけど、このシチュエーション、推理クイズのQ.E.Dで出題されてて、いろいろ推理考えてたっけ?まあいいや。
さて、真相は、これがびっくり。
町の近くに軍事施設があり、そこで開発されていた細菌兵器の細菌がもれた。
町民は避難したが、ふだんから酔っぱらいの男1人だけが、その避難勧告を知らずに、神社で酔いつぶれてしまった。
町民は、この酔っぱらいをカナリアがわりに使うことにした。
避難して誰もいない商店街に放置し、細菌が完全に駆除されたかどうかテストしたのだ。
食堂に睡眠薬入りの食事を用意し、眠らせて、また神社に戻しておいた。
うーむ。なるほど。
その他、すべての謎やその解決が、戦争と結びついていたり、日常生活と結びついており、謎のための謎がないのが、とても気持いい。
意外な真相がいくつも出て来るが、それらが自然で、微笑ましくもあるのだ。
前述の神隠しの話しには、自分の言ってることをまともに受け取ってもらえなかった酔っぱらいが、その後、酔っぱらいでなくなる、という前向きな続きがある。町民は、彼を実験台にしたことを恥じて、真相を明かせなかったのだ。
ラストで、突然いなくなった猫柳さんが、「なぜ突然いなくなったのか」まで自然にかつほほえましく解明される。
平凡な作家なら、風のようにあらわれ、夏の思い出を残して、風のように去って行く、とかいうありきたりな話にしたり、君はもう僕の手助けがいらなくなった、とかいう別れの展開にしがちだ。
はやみねかおるは、そんなありきたりなことはしない。
猫柳さんが突然消えた理由とは。
好きな女性ができて、その人のところに転がり込んでいたのだ!
なんてハッピーエンド!
ミステリーで、ネタバレしてるので、注意。
主人公は小学6年の少年。
未来屋と称する猫柳さんと出会ったことからはじまる、夏休み。
未来屋とは、これから何が起こるかを教えてくれる、ということで、おおざっぱに言えば、探偵と言ってもいいだろう。
警官が監視するなか人間が一人消えてしまった校舎の謎とか、碁石で暗号とか、首なしの幽霊とか、ミステリーの面白さが詰まっている。
なかでも感心したのは、神隠しの真相だ。
神隠しの話は、肝試しのなかで校長先生によって語られる。
戦争中の話。酔っぱらって道を歩いていた男が、神社の前で眠ってしまった。
目覚めると、そこは駅前商店街の遊歩道で、アーケードには電気もついている。
不思議なのは、人っこ一人いないのだ。
店はシャッターがあいていて、普通に商品も並んでいる。でも、人間がいない。
食堂に入ると、今まさに用意したばかりのような食事がテーブル上に並んでいる。
男はそれを食べて、寝る。
起きたら、もとの神社だった。
誰もいなかったのは、戦争で全員殺されてしまったんじゃないか、と不安になった男が帰宅すると、いつもと変わらぬ、人々に迎えられた。
男は昨日寝て、今日戻ったふうに思っていたが、なんと、神社の前で寝てから一週間も経過していたのだ。
誰もいない商店街の話をしても、みんなは酔っぱらいの夢としか思ってくれない。
おや?本を読んでいるときには気づかなかったけど、このシチュエーション、推理クイズのQ.E.Dで出題されてて、いろいろ推理考えてたっけ?まあいいや。
さて、真相は、これがびっくり。
町の近くに軍事施設があり、そこで開発されていた細菌兵器の細菌がもれた。
町民は避難したが、ふだんから酔っぱらいの男1人だけが、その避難勧告を知らずに、神社で酔いつぶれてしまった。
町民は、この酔っぱらいをカナリアがわりに使うことにした。
避難して誰もいない商店街に放置し、細菌が完全に駆除されたかどうかテストしたのだ。
食堂に睡眠薬入りの食事を用意し、眠らせて、また神社に戻しておいた。
うーむ。なるほど。
その他、すべての謎やその解決が、戦争と結びついていたり、日常生活と結びついており、謎のための謎がないのが、とても気持いい。
意外な真相がいくつも出て来るが、それらが自然で、微笑ましくもあるのだ。
前述の神隠しの話しには、自分の言ってることをまともに受け取ってもらえなかった酔っぱらいが、その後、酔っぱらいでなくなる、という前向きな続きがある。町民は、彼を実験台にしたことを恥じて、真相を明かせなかったのだ。
ラストで、突然いなくなった猫柳さんが、「なぜ突然いなくなったのか」まで自然にかつほほえましく解明される。
平凡な作家なら、風のようにあらわれ、夏の思い出を残して、風のように去って行く、とかいうありきたりな話にしたり、君はもう僕の手助けがいらなくなった、とかいう別れの展開にしがちだ。
はやみねかおるは、そんなありきたりなことはしない。
猫柳さんが突然消えた理由とは。
好きな女性ができて、その人のところに転がり込んでいたのだ!
なんてハッピーエンド!
ドナルド・E・ウェストレイクの『聖なる怪物』を読んだ。
例によって、ネタバレしてるので、要注意。
老優が語る半生記。インタビュアーを前にして、老優は「もやもやドリンク」を飲みながら酩酊(ラリッてる?)状態で語る。
駆け出しの頃、老女優に目をかけてもらい、芽が出る。
ゲイの演出家に身を捧げる。
友人に愛する女を寝盗られる。
宗教に帰依したと思ったら、その神父がくわせものだった。
これら、俳優がたどる陳腐な波乱万丈は、老優本人にもそれと意識されている。
「おれの経歴はがらくただ。おれがそのことを知らないとでも思ってるのかい?通俗的な安っぽい歴史とか、何百本ものもったいぶった映画とか、何度も何度も登場する同じ要素とか。宗教的幕間とか、失敗に終わった両親の和解とか、過去の恐ろしい秘密とか、配役担当者のソファとか、裏切りとか、けばけばしいロケーションとか、魅惑的で病的な結婚生活とか、気分向上薬の問題とか、もろもろのことはがらくただ」
まさにハリウッド・スキャンダル。三面記事。ありふれた、いかにもなキャリア。
こつこつと努力で築き上げる人生とは縁遠い、狂騒的人生が語られる。
痛快な与太話だと思って読んでいたら、中盤で、インタビュアーがこんなことを思う。
「これが取材インタビューであると、この俳優はいつまで信じ続けるんだろう?」
おやっ?これはひょっとして?
そう。そのとおり。
最後に、これが取り調べだということが明かされる。
彼はかつて死人を車に乗せて海に落として葬ったことがある。
その経験を生かして、またもや出た死人を同じように車に乗せて、突き落とそうとしていたのだ。
ところが、老優はもうラリっていて、外になんか出れないし、何が何だかわかっていない。
車ごと海に落としたつもりが、そこは海ではなく、自宅のプールだったのだ。
ぼけとんのか!
ぼけてんねん!
これはミステリーとして読めば、おそらく百人中百人が、最後の真相を先に思い付くだろう。
でも、ネタが割れたからと言って、面白さがちっとも減らないのが、ウェストレイクのいいところだ。むしろ、そんなどんでん返しとかいらないから、この老優にもっと語らせろ、と思った。
「聖なる怪物」という言葉は、作中、老優を評する次のようなセンテンスで出て来る。
「いろいろな面であなたは怪物、飽くことのない乳児期の表われよ。それと同時に、神聖な愚者、聖なる怪物、現実のきびしさに影響されない純真な人なの」
最後の「純真」は抜きにして、これは自分のことを言われてるんじゃないか、とドキッとした。
最近の僕の興味は「思春期の現実化」なのだが、僕は「乳児期の表われ」なのだ。
愚者かもしれないが、怪物と呼ばれるにはおこがましい気がするが。
なお、老優の名前は「ジャック・パイン」というのだが、これはジャック・レモンのもじりなんだろうか。レモンよりパインの方が甘かった、とか。
例によって、ネタバレしてるので、要注意。
老優が語る半生記。インタビュアーを前にして、老優は「もやもやドリンク」を飲みながら酩酊(ラリッてる?)状態で語る。
駆け出しの頃、老女優に目をかけてもらい、芽が出る。
ゲイの演出家に身を捧げる。
友人に愛する女を寝盗られる。
宗教に帰依したと思ったら、その神父がくわせものだった。
これら、俳優がたどる陳腐な波乱万丈は、老優本人にもそれと意識されている。
「おれの経歴はがらくただ。おれがそのことを知らないとでも思ってるのかい?通俗的な安っぽい歴史とか、何百本ものもったいぶった映画とか、何度も何度も登場する同じ要素とか。宗教的幕間とか、失敗に終わった両親の和解とか、過去の恐ろしい秘密とか、配役担当者のソファとか、裏切りとか、けばけばしいロケーションとか、魅惑的で病的な結婚生活とか、気分向上薬の問題とか、もろもろのことはがらくただ」
まさにハリウッド・スキャンダル。三面記事。ありふれた、いかにもなキャリア。
こつこつと努力で築き上げる人生とは縁遠い、狂騒的人生が語られる。
痛快な与太話だと思って読んでいたら、中盤で、インタビュアーがこんなことを思う。
「これが取材インタビューであると、この俳優はいつまで信じ続けるんだろう?」
おやっ?これはひょっとして?
そう。そのとおり。
最後に、これが取り調べだということが明かされる。
彼はかつて死人を車に乗せて海に落として葬ったことがある。
その経験を生かして、またもや出た死人を同じように車に乗せて、突き落とそうとしていたのだ。
ところが、老優はもうラリっていて、外になんか出れないし、何が何だかわかっていない。
車ごと海に落としたつもりが、そこは海ではなく、自宅のプールだったのだ。
ぼけとんのか!
ぼけてんねん!
これはミステリーとして読めば、おそらく百人中百人が、最後の真相を先に思い付くだろう。
でも、ネタが割れたからと言って、面白さがちっとも減らないのが、ウェストレイクのいいところだ。むしろ、そんなどんでん返しとかいらないから、この老優にもっと語らせろ、と思った。
「聖なる怪物」という言葉は、作中、老優を評する次のようなセンテンスで出て来る。
「いろいろな面であなたは怪物、飽くことのない乳児期の表われよ。それと同時に、神聖な愚者、聖なる怪物、現実のきびしさに影響されない純真な人なの」
最後の「純真」は抜きにして、これは自分のことを言われてるんじゃないか、とドキッとした。
最近の僕の興味は「思春期の現実化」なのだが、僕は「乳児期の表われ」なのだ。
愚者かもしれないが、怪物と呼ばれるにはおこがましい気がするが。
なお、老優の名前は「ジャック・パイン」というのだが、これはジャック・レモンのもじりなんだろうか。レモンよりパインの方が甘かった、とか。
戸梶圭太の『グルーヴ17』を読んだ。
安くて格好悪い学園青春地獄。
高校生頃の思春期に特有の泥沼のようなどうどうめぐりが描かれている。
小見出しを少し抜粋してみると
「ヤリまくったら死んでもいい」
「こうまでヤな女だと、抜けねえ」
「ムカつくけど、こいつしかいねえんなら」
「ああ、なんでこんなにムカムカすんだろ」
「バレちまったもんはしょうがねえか」
とか、もう焦燥感たっぷり。
思春期は性と死に極端に振り子が左右する。エロスとタナトス、なんてカタカナ使うのももったいない、底の浅いアップアップ状態が続くのだ。
「マジ死のうかな。どうせ卒業してもやることねえし、やりてえこともねえし。取り得もねえし。どうせ皆からバカにされて生きるだけだ。俺なんかいてもいなくてもいい人間なんだ。俺が死んだって、世の中は何一つ変わらねえ。楽に死にてえなあ」
なんて、寝る前に考えたりする。
これがさらにうだうだ続くのだ。
主人公の1人は宅録でテクノ作って悦に入っている。思いがけず、クラブでプレイできると決まったとたんに舞い上がって、もう心はモテモテ状態。
「終わったら一緒に帰れっかな。手ぇ繋げたりして。いやいやキスまでしたりして。マジかよ!俺たち付き合っちゃうのかな。希ちゃん、あのギタリストとあっさり別れて俺と付き合うかも。そうなったらすげえ!希ちゃんと俺で互いに初めてのセックスを!」
そうかと思えば、別の高校生はこんな風になっている。
「ヤリてえ!
今日はヌイてもまだ頭がギラギラしている。あんまりヤリたくて髪の毛の根元がチリチリする。
くそ。マジで女さらおうかな」
「ああ畜生!マンコのことしか考えられねえ、別に他のこと考える必要もねえんだけど」
これらは、まさに、自分の高校時代の日記を見るようで、笑い事ではないのだ。
悶々とした思春期は脳内でへとへとになるまで足掻きつづける。
この作品では、町のチンピラが外部要素として侵入してきて、思春期の悶々が引き返せない現実としてあらわれてしまう。
そのあたりは、先日読んだ『さくらの唄』と同様のテーマになっている。
思春期は妄想の地獄なのだ。
現代は、その地獄が現実に簡単に侵入してくるのが、諸問題の根源なんじゃないか。
「思春期の現実化」こそ、今を考えるのに最も有効なテーマなのだ。
安くて格好悪い学園青春地獄。
高校生頃の思春期に特有の泥沼のようなどうどうめぐりが描かれている。
小見出しを少し抜粋してみると
「ヤリまくったら死んでもいい」
「こうまでヤな女だと、抜けねえ」
「ムカつくけど、こいつしかいねえんなら」
「ああ、なんでこんなにムカムカすんだろ」
「バレちまったもんはしょうがねえか」
とか、もう焦燥感たっぷり。
思春期は性と死に極端に振り子が左右する。エロスとタナトス、なんてカタカナ使うのももったいない、底の浅いアップアップ状態が続くのだ。
「マジ死のうかな。どうせ卒業してもやることねえし、やりてえこともねえし。取り得もねえし。どうせ皆からバカにされて生きるだけだ。俺なんかいてもいなくてもいい人間なんだ。俺が死んだって、世の中は何一つ変わらねえ。楽に死にてえなあ」
なんて、寝る前に考えたりする。
これがさらにうだうだ続くのだ。
主人公の1人は宅録でテクノ作って悦に入っている。思いがけず、クラブでプレイできると決まったとたんに舞い上がって、もう心はモテモテ状態。
「終わったら一緒に帰れっかな。手ぇ繋げたりして。いやいやキスまでしたりして。マジかよ!俺たち付き合っちゃうのかな。希ちゃん、あのギタリストとあっさり別れて俺と付き合うかも。そうなったらすげえ!希ちゃんと俺で互いに初めてのセックスを!」
そうかと思えば、別の高校生はこんな風になっている。
「ヤリてえ!
今日はヌイてもまだ頭がギラギラしている。あんまりヤリたくて髪の毛の根元がチリチリする。
くそ。マジで女さらおうかな」
「ああ畜生!マンコのことしか考えられねえ、別に他のこと考える必要もねえんだけど」
これらは、まさに、自分の高校時代の日記を見るようで、笑い事ではないのだ。
悶々とした思春期は脳内でへとへとになるまで足掻きつづける。
この作品では、町のチンピラが外部要素として侵入してきて、思春期の悶々が引き返せない現実としてあらわれてしまう。
そのあたりは、先日読んだ『さくらの唄』と同様のテーマになっている。
思春期は妄想の地獄なのだ。
現代は、その地獄が現実に簡単に侵入してくるのが、諸問題の根源なんじゃないか。
「思春期の現実化」こそ、今を考えるのに最も有効なテーマなのだ。
ライト・イズ・ライト―Dreaming 80’s、メイドちやじ卒業
2006年1月19日 読書
見沢知廉の『ライト・イズ・ライト』を読んだ。
80年代の右翼(新右翼)、左翼(サヨク)の狂騒を描いている。
論争も、主義も、主張も、アジテーションも、全部が言葉の上だけの存在で、上滑りして、浮ついている。
右と左の男女がくっつき、所属するウィングが違うと評される男が出て来る。
相容れないはずのものが、関係しあっている。
また、時代をあらわす懐かしい言葉が次々と出て来る。
岡安の秘密結社Gとか。
ハンドヘルドコンピュータとか音響カプラという名前を聞いたのは、まさに20年ぶりじゃないか、と思う。
さて、この本を読んで考えたのは、やはり、言葉の問題だ。
右翼には右翼の、左翼には左翼のもつ独特の言い回しや、口調、決まり文句がある。
この小説では、お互い相手が何を言うかを知った者同士にょる討論が描かれる。
それに対する反論も、あらかじめ用意されており、さらに、それへの反論も。
人は、何が正しいかを判断してどちらかの側に属するのではない。
まず、どちらに属するかを決めて、しかるのちに、行動も理論武装も行われるのだ。
どこかに属さずにはいられない人というのが存在している。
そういう人は、帰属感を得たいがために、外部のものにはわからない言葉を使いたがる。
隠語、スラング、略語、専門用語などなど。
最近流行の言葉や、今まで聞いたこともないような言葉を使いたがる人は、それだけ、自分の居場所に不安を抱えているのだ。
これは、一般的に言って、当然のことだ。
判断の前に所属がある、というのは、つまり、自分はこの世界に生まれたくて生まれてきたわけではない、ということの1つのバリエーションだ。
「おまえは、右翼のことを知らないくせに、なぜ、右翼になったんだ」という言葉は
「僕は、地球に生まれたかったんじゃないのに、いきなり地球人なのだ」という事情とどう違うのか。
そして、日本に生まれたかぎりは、好き嫌いを問わず、日本語を学習する。
これは、そのまま「業界人だから、寿司をシースーと呼ぶ」という学習の仕方とどう違うのか。
言語を学習して、コミュニケーションをはかろうとする行為は、そのまま、同じ本を読み、映画を見て、テレビを見ることで、共通言語を得るのと同様である。
みんなの話題についていけないから、と読む本、見るテレビ、遊ぶゲーム、聞く音楽など。
一般的には、何も責められるところのない、普通の行動だ。
ここで「一般的」とか「普通」と書いているのは、僕は違う意見を持っているからだ。
スラング使ったり、略語使ったりして、自分がどこかに属しているという実感を味わいたい、と思っている人もいるが、僕はそうではない。
どこかに属する、ということは、既にある何かの傘の中に入る行為だからだ。
僕がめざすのは、スラングを学習することではなく、自分でスラングを作り出すことだ。
僕がめざすのは、他人とは違う言葉を使って孤高を守ることではなく、他人に僕の言葉を使わせてインフルエンザにかからせることだ。
みんながだれかの真似でない言葉を使って、お互いに交通がはかれれば、理想ではないか。
すべての常識は、僕が書き換える。(つもり)
百科事典も辞書も、僕が全部書き直す。(予定)
既存のものを学習するのは、ヒトラーが政権をとるに至った経緯にならって、無力をかこつことがないように、だ。
つまり、みんなと同様、僕も孤独を避けたい、と思ってる。
でも、何かに属すくらいなら、人を僕に属させたいのだ。
この『ライト・イズ・ライト』に描かれる青春群像が、愛すべきものであると同時に、避けたく思えるのは、彼らが何かに属することに対して無防備すぎるからだ。
右に属すのも左に属すのも、「属する」という一点で同じ穴のムジナなのだ。
属する欲望に負けた人間は、永遠に負け戦をたたかい続けるしかないのだ。
右でも左でもない、方向音痴の翼で自由に動くことこそが、有効な選択だと思う。
今日は、メイドインカフェの名物メイド、上履きメイドの「ちやじ」卒業の日だった。
上履きをやめて、体育館シューズに変えるのか、とかそういうわけではない。
仕事前に寄ってみると、淡々とメイド業にいそしむちやじの姿があった。
メイドにありがちな、内心では何を考えているのかわからない、水商売的トーク、営業トークを、ちやじはしたことがない。
それでいて、当意即妙としか言い様のない、ちやじの受け答えは、メイド喫茶が似而非風俗でしかないんじゃないか、との僕の思い込みを覆すにはじゅうぶんだった。
メイド喫茶をやめても、またどこか面白い店や職場で、「客」としての関係を持つことができるように、祈っている。
ラスト、ちやじはメイド喫茶の入口に、上履きを丁寧にそろえて置いて、メイドとしての仕事を終わらせた。
そして、自分自身に向けてそっと言ったのだ。
「いってらっしゃいませ、ご主人様」
80年代の右翼(新右翼)、左翼(サヨク)の狂騒を描いている。
論争も、主義も、主張も、アジテーションも、全部が言葉の上だけの存在で、上滑りして、浮ついている。
右と左の男女がくっつき、所属するウィングが違うと評される男が出て来る。
相容れないはずのものが、関係しあっている。
また、時代をあらわす懐かしい言葉が次々と出て来る。
岡安の秘密結社Gとか。
ハンドヘルドコンピュータとか音響カプラという名前を聞いたのは、まさに20年ぶりじゃないか、と思う。
さて、この本を読んで考えたのは、やはり、言葉の問題だ。
右翼には右翼の、左翼には左翼のもつ独特の言い回しや、口調、決まり文句がある。
この小説では、お互い相手が何を言うかを知った者同士にょる討論が描かれる。
それに対する反論も、あらかじめ用意されており、さらに、それへの反論も。
人は、何が正しいかを判断してどちらかの側に属するのではない。
まず、どちらに属するかを決めて、しかるのちに、行動も理論武装も行われるのだ。
どこかに属さずにはいられない人というのが存在している。
そういう人は、帰属感を得たいがために、外部のものにはわからない言葉を使いたがる。
隠語、スラング、略語、専門用語などなど。
最近流行の言葉や、今まで聞いたこともないような言葉を使いたがる人は、それだけ、自分の居場所に不安を抱えているのだ。
これは、一般的に言って、当然のことだ。
判断の前に所属がある、というのは、つまり、自分はこの世界に生まれたくて生まれてきたわけではない、ということの1つのバリエーションだ。
「おまえは、右翼のことを知らないくせに、なぜ、右翼になったんだ」という言葉は
「僕は、地球に生まれたかったんじゃないのに、いきなり地球人なのだ」という事情とどう違うのか。
そして、日本に生まれたかぎりは、好き嫌いを問わず、日本語を学習する。
これは、そのまま「業界人だから、寿司をシースーと呼ぶ」という学習の仕方とどう違うのか。
言語を学習して、コミュニケーションをはかろうとする行為は、そのまま、同じ本を読み、映画を見て、テレビを見ることで、共通言語を得るのと同様である。
みんなの話題についていけないから、と読む本、見るテレビ、遊ぶゲーム、聞く音楽など。
一般的には、何も責められるところのない、普通の行動だ。
ここで「一般的」とか「普通」と書いているのは、僕は違う意見を持っているからだ。
スラング使ったり、略語使ったりして、自分がどこかに属しているという実感を味わいたい、と思っている人もいるが、僕はそうではない。
どこかに属する、ということは、既にある何かの傘の中に入る行為だからだ。
僕がめざすのは、スラングを学習することではなく、自分でスラングを作り出すことだ。
僕がめざすのは、他人とは違う言葉を使って孤高を守ることではなく、他人に僕の言葉を使わせてインフルエンザにかからせることだ。
みんながだれかの真似でない言葉を使って、お互いに交通がはかれれば、理想ではないか。
すべての常識は、僕が書き換える。(つもり)
百科事典も辞書も、僕が全部書き直す。(予定)
既存のものを学習するのは、ヒトラーが政権をとるに至った経緯にならって、無力をかこつことがないように、だ。
つまり、みんなと同様、僕も孤独を避けたい、と思ってる。
でも、何かに属すくらいなら、人を僕に属させたいのだ。
この『ライト・イズ・ライト』に描かれる青春群像が、愛すべきものであると同時に、避けたく思えるのは、彼らが何かに属することに対して無防備すぎるからだ。
右に属すのも左に属すのも、「属する」という一点で同じ穴のムジナなのだ。
属する欲望に負けた人間は、永遠に負け戦をたたかい続けるしかないのだ。
右でも左でもない、方向音痴の翼で自由に動くことこそが、有効な選択だと思う。
今日は、メイドインカフェの名物メイド、上履きメイドの「ちやじ」卒業の日だった。
上履きをやめて、体育館シューズに変えるのか、とかそういうわけではない。
仕事前に寄ってみると、淡々とメイド業にいそしむちやじの姿があった。
メイドにありがちな、内心では何を考えているのかわからない、水商売的トーク、営業トークを、ちやじはしたことがない。
それでいて、当意即妙としか言い様のない、ちやじの受け答えは、メイド喫茶が似而非風俗でしかないんじゃないか、との僕の思い込みを覆すにはじゅうぶんだった。
メイド喫茶をやめても、またどこか面白い店や職場で、「客」としての関係を持つことができるように、祈っている。
ラスト、ちやじはメイド喫茶の入口に、上履きを丁寧にそろえて置いて、メイドとしての仕事を終わらせた。
そして、自分自身に向けてそっと言ったのだ。
「いってらっしゃいませ、ご主人様」
僕はジャクソン・ポロックじゃない。
2006年1月18日 読書
ジョン・ハスケルの『僕はジャクソン・ポロックじゃない』を読んだ。
役者でもある作者による短編集。
その作品は、エッセイや評伝と小説を一体にしたような手ざわりで、新鮮だった。
映画スターなどの有名人を主人公にしたエピソードを事実と虚構をおりまぜて作りあげている。突然、無関係なエピソードが語られるかと思えば、それが1つのテーマに収斂されていったり、いかなかったりする。
主に映画のストーリーと、それを演じた俳優のストーリー、そのどちらがより虚構、という階級もなく語られる不思議な世界。
以下、各作品で語られるエピソードのインデックスをメモしておこう。
「僕はジャクソン・ポロックじゃない」
有名になり過ぎたジャクソン・ポロック。
反逆もまたスタイルとして容認されてしまうのだ。
「象の気持ち」
人を死なせてしまい、公衆の面前で感電死させられる象のトプシィ。
見世物として展示されるホッテントットの女性、サァキィ。
「サイコの判断」
映画「サイコ」のジャネット・リー。
トロイア戦争のパリス。
「ジャンヌ・ダルクの顔」
エクソシストの悪魔役、マーセデス・マッケンブリッジ
カール・ドライアー「裁かれるジャンヌ」のルネ・ファルコネッティ(ジャンヌ役)
「サムソンとデリラ」のデリラ役、ヘディ・ラマー
自分なりの人生を送ることにともなう犠牲。
「キャプシーヌ」
57才のときにとびおり自殺を試みるキャプシーヌ。
同い年のノーマン・モリソンは抗議の焼身自殺。
「六つのパートからなるグレン・グールド」
グールドらしいエピソード。実際にあったことかどうかは不明。
「素晴らしい世界」
宇宙に飛んだライカ犬。
井戸の中に落ちた少女。
モーテルの発明について。
「真夜中の犯罪」
オーソン・ウェルズ。「黒い罠」の。「第三の男」の。「フォルスタッフ」の。
この作品に関しては、ほとんど映画の中だけでストーリーが進む。
まるで、役作りのような掘り下げ。
「奥の細道」
芭蕉と曾良。俳句作りと人生には精神集中が大前提と考える芭蕉の前にひろがる、妨害物。
俳句の道は「細道」とならざるをえない。
アーヴィング・ペンと、そのモデル、リサ。
1冊読み終えるのが惜しいくらい楽しく読んだが、ときどき、僕の頭によぎったのは「プロレススーパースター列伝」だった。
なぜ?
せめて「ハリウッドバビロン」であってほしかった。
役者でもある作者による短編集。
その作品は、エッセイや評伝と小説を一体にしたような手ざわりで、新鮮だった。
映画スターなどの有名人を主人公にしたエピソードを事実と虚構をおりまぜて作りあげている。突然、無関係なエピソードが語られるかと思えば、それが1つのテーマに収斂されていったり、いかなかったりする。
主に映画のストーリーと、それを演じた俳優のストーリー、そのどちらがより虚構、という階級もなく語られる不思議な世界。
以下、各作品で語られるエピソードのインデックスをメモしておこう。
「僕はジャクソン・ポロックじゃない」
有名になり過ぎたジャクソン・ポロック。
反逆もまたスタイルとして容認されてしまうのだ。
「象の気持ち」
人を死なせてしまい、公衆の面前で感電死させられる象のトプシィ。
見世物として展示されるホッテントットの女性、サァキィ。
「サイコの判断」
映画「サイコ」のジャネット・リー。
トロイア戦争のパリス。
「ジャンヌ・ダルクの顔」
エクソシストの悪魔役、マーセデス・マッケンブリッジ
カール・ドライアー「裁かれるジャンヌ」のルネ・ファルコネッティ(ジャンヌ役)
「サムソンとデリラ」のデリラ役、ヘディ・ラマー
自分なりの人生を送ることにともなう犠牲。
「キャプシーヌ」
57才のときにとびおり自殺を試みるキャプシーヌ。
同い年のノーマン・モリソンは抗議の焼身自殺。
「六つのパートからなるグレン・グールド」
グールドらしいエピソード。実際にあったことかどうかは不明。
「素晴らしい世界」
宇宙に飛んだライカ犬。
井戸の中に落ちた少女。
モーテルの発明について。
「真夜中の犯罪」
オーソン・ウェルズ。「黒い罠」の。「第三の男」の。「フォルスタッフ」の。
この作品に関しては、ほとんど映画の中だけでストーリーが進む。
まるで、役作りのような掘り下げ。
「奥の細道」
芭蕉と曾良。俳句作りと人生には精神集中が大前提と考える芭蕉の前にひろがる、妨害物。
俳句の道は「細道」とならざるをえない。
アーヴィング・ペンと、そのモデル、リサ。
1冊読み終えるのが惜しいくらい楽しく読んだが、ときどき、僕の頭によぎったのは「プロレススーパースター列伝」だった。
なぜ?
せめて「ハリウッドバビロン」であってほしかった。
山口雅也の『チャット隠れ鬼』を読んだ。
ネット初心者の教師が、生徒たちをネット犯罪の魔の手から守るため、ネット内をパトロールすることになった。繁華街に補導に出るのと同じ感覚。
そうこうするうちに、チャットで少女を狙っているペドの存在に気づいた!
ペドの魔手から少女を救わねば!
でも、その正体をどうやって知ればいいのか。
このミステリーは、チャットをまったく知らない僕みたいな読者にも、丁寧に解説をつけすぎている。作者はこの小説をジュブナイルとして書いたんじゃないか、と思った。
チャットにはまっていく教師の姿も、「あるある」とうなづかせる程度で、エキセントリックな面は皆無だ。
ミステリー的には、本人が目の前にいるのに、チャットで一緒に会話を目撃する、「化人幻戯」的謎が秘かにあらわれる。
そのトリックも、チャットロボットを使う、少年漫画レベルの解決が待っている。
やはり、これは、少年向けの小説なのだ。
少年向け小説を集中的に読んでいる今の僕には、うってつけの作品だった。
山口雅也には、こんな風な、何かの入門編とミステリーをドッキングさせた作品をまた書いてほしいと思う。
チャットを1回もしたことのない僕でも、チャットの魅力を感じたのだから。
ネット初心者の教師が、生徒たちをネット犯罪の魔の手から守るため、ネット内をパトロールすることになった。繁華街に補導に出るのと同じ感覚。
そうこうするうちに、チャットで少女を狙っているペドの存在に気づいた!
ペドの魔手から少女を救わねば!
でも、その正体をどうやって知ればいいのか。
このミステリーは、チャットをまったく知らない僕みたいな読者にも、丁寧に解説をつけすぎている。作者はこの小説をジュブナイルとして書いたんじゃないか、と思った。
チャットにはまっていく教師の姿も、「あるある」とうなづかせる程度で、エキセントリックな面は皆無だ。
ミステリー的には、本人が目の前にいるのに、チャットで一緒に会話を目撃する、「化人幻戯」的謎が秘かにあらわれる。
そのトリックも、チャットロボットを使う、少年漫画レベルの解決が待っている。
やはり、これは、少年向けの小説なのだ。
少年向け小説を集中的に読んでいる今の僕には、うってつけの作品だった。
山口雅也には、こんな風な、何かの入門編とミステリーをドッキングさせた作品をまた書いてほしいと思う。
チャットを1回もしたことのない僕でも、チャットの魅力を感じたのだから。
二人で泥棒を―ラッフルズとバニー
2006年1月12日 読書
E・W・ホーナングの『ラッフルズとバニー〜二人で泥棒を』を読んだ。
1899年に出版されたラッフルズもの第1弾。
ラッフルズは泥棒で、バニーはその相棒。
バニーガールのイメージがあったので、バニーは女だと思ってたら、男だった。
泥棒を主人公にした作品は、ルパンや地下鉄サムや怪盗ニックや隼お秀など多々あるが、このラッフルズがそれらの先駆である。
例によって、ネタバレのオンパレード。
第1話「三月十五日」
ラッフルズが泥棒だということが、バニーにばれる。
2人のチーム結成。
第2話「衣装のおかげ」
変装の名人、ラッフルズ。
秘密のアジトは衣装部屋で、楽屋みたいになっている。
警官に変装して窮地を脱するラッフルズ。
第3話「ジェントルメン対プレイヤーズ」
クリケット選手としても一流のラッフルズ。
第4話「ラッフルズ、最初の事件」
ラッフルズの語り。同名の銀行支店長と間違われて、初の犯罪。
第5話「意図的な殺人」
もっとも偉大なのは殺人を犯した人間だ、という思想のもと、殺人に手をそめようとするラッフルズ。
ターゲットにした悪党は、先客によって殺されていた。
犯人を見事に逃がしてやるラッフルズ。
第6話「合法と非合法の境目」
名画を複製とすりかえるラッフルズ。
それと知らずに、複製の絵を盗むバニー。
バニ−最初の事件?
第7話「リターン・マッチ」
同業の脱獄者をかくまうラッフルズ。
自分で頭を怪我させて、襲われたふりをする。
第8話「皇帝への贈り物」
バニーはラッフルズにふりまわされっぱなし。
女をくどくラッフルズに嫉妬するバニー。
ラッフルズは策略で女に近付いてたのに。
どう?
まるでライトノベル。
ホームズとワトソン的関係の2人だというのも、ライトノベルだし、2人の間柄が同性愛をにおわすところもライトノベル。
この本がもっと読まれるようになれば、コミケで「ラッフルズとバニー」ものがジャンルとして確立するかもしれない。
御手洗と石岡とか、京極と関口とか、ホームズとワトソンみたいに、バニーはどんくさくて愛すべきキャラクターで、右往左往しまくりだし、ラッフルズは格好いいし。
夜中に放送している萌えアニメでも通用しそうだ。
このシリーズは、あと2冊翻訳されているので、機会があれば読んでみよう。
1899年に出版されたラッフルズもの第1弾。
ラッフルズは泥棒で、バニーはその相棒。
バニーガールのイメージがあったので、バニーは女だと思ってたら、男だった。
泥棒を主人公にした作品は、ルパンや地下鉄サムや怪盗ニックや隼お秀など多々あるが、このラッフルズがそれらの先駆である。
例によって、ネタバレのオンパレード。
第1話「三月十五日」
ラッフルズが泥棒だということが、バニーにばれる。
2人のチーム結成。
第2話「衣装のおかげ」
変装の名人、ラッフルズ。
秘密のアジトは衣装部屋で、楽屋みたいになっている。
警官に変装して窮地を脱するラッフルズ。
第3話「ジェントルメン対プレイヤーズ」
クリケット選手としても一流のラッフルズ。
第4話「ラッフルズ、最初の事件」
ラッフルズの語り。同名の銀行支店長と間違われて、初の犯罪。
第5話「意図的な殺人」
もっとも偉大なのは殺人を犯した人間だ、という思想のもと、殺人に手をそめようとするラッフルズ。
ターゲットにした悪党は、先客によって殺されていた。
犯人を見事に逃がしてやるラッフルズ。
第6話「合法と非合法の境目」
名画を複製とすりかえるラッフルズ。
それと知らずに、複製の絵を盗むバニー。
バニ−最初の事件?
第7話「リターン・マッチ」
同業の脱獄者をかくまうラッフルズ。
自分で頭を怪我させて、襲われたふりをする。
第8話「皇帝への贈り物」
バニーはラッフルズにふりまわされっぱなし。
女をくどくラッフルズに嫉妬するバニー。
ラッフルズは策略で女に近付いてたのに。
どう?
まるでライトノベル。
ホームズとワトソン的関係の2人だというのも、ライトノベルだし、2人の間柄が同性愛をにおわすところもライトノベル。
この本がもっと読まれるようになれば、コミケで「ラッフルズとバニー」ものがジャンルとして確立するかもしれない。
御手洗と石岡とか、京極と関口とか、ホームズとワトソンみたいに、バニーはどんくさくて愛すべきキャラクターで、右往左往しまくりだし、ラッフルズは格好いいし。
夜中に放送している萌えアニメでも通用しそうだ。
このシリーズは、あと2冊翻訳されているので、機会があれば読んでみよう。
シオドア・スタージョンの短編集『時間のかかる彫刻』を読んだ。
サンリオSF文庫で『スタージョンは健在なり』のタイトルで出ていた本。
これもなかなか面白かった。
SFというジャンルが苦手なので遠ざけていた作家だったが、意外にも人間臭くて、普通小説に近い。
僕にでも読めるほどなのだ。面白くて、読みやすい。
さて、あとで思い出すためのメモなので、ネタバレしている。
読む人は要注意。
「はじめに」
スタージョンの序文。SFに対する偏見があった時代を反映してる。
「ここに、そしてイーゼルに」
絵を描かねばならないのに、『狂えるオルランド』の冒険世界に想像の翼をはばたかせて、いつになっても創作活動ができない。
美しいものを描きたいのに、美しいものを見出せないのだ。
でも、主人公は気づく。万人はそれぞれ違った美意識と世界をもっているが、それと同時に、万人が美への渇望をかかえている。美しいものはあふれている。人生を費やしても足りないくらいだ!
これは自分の活動にも照らしあわせて、思うことが多かった。
ステージに立つかぎりは、今までにしたことのない面白いことをしたい。でも、あえて人さまにお見せするような、面白いことなんて、そうそう思い付かない。でも、違うのだ。面白いことは世の中にあふれかえっている。毎日ステージに立ってもやり足りないくらいだ。
「時間のかかる彫刻」
時間のかかる彫刻とは、盆栽のこと。時間をかけて、手間ひまかけて、枝っぷりなどをととのえていく。
主人公は、気づかされる。人間関係もそうだ。手間ひまかけて、なかなか思い通りにならない関係を、良好なものに作り上げていくのだ。
孤独にひきこもって作業していた芸術家は、人とのコミュニケーションの第一歩を踏み出す。
君の名前は?と。
「きみなんだ!」
愛がさめていく。
女は挽回するために、男の好きなものに興味をもち、変えるべきところは変える、と決心する。
それでも男の心は変わらない。
そんな努力をいくらしたって無理なんだ。だって、問題はそんなことじゃなく、きみなんだ!
うひゃー、ひとごとじゃない。恋愛が終わるときって、覆水盆にかえらず、てことになってしまってたなあ。
「ジョーイの面倒をみて」
責められて当然の奴を常にかばい続ける男。
男はそいつをかつてボコボコにして、内蔵に後遺症を残すまでにしていたのだ。
奴が何かの拍子に死んだりしたら、さあ、たいへん。
ボコボコにされてなかったら助かっていたと判断され、間接的な殺人者になってしまうのだ。
こいうのってあるな。
1回ひとを傷つけてしまったら、そのひとがどんなにひどいことしても、自分が傷つけたことに原因があるかも、って怒れなくなってしまう。
「箱」
保護監察官がこどもたちに指令を与える。
箱を無事に届けなさい、と。
多くの困難をクリアしながら、箱を届けたこどもたち。
箱の中味は、たいしたものではなかった。
でも、箱を届けるという1つの目的を共有したこどもたちは、一丸となって困難に立ち向かうことができたのだ。
目的と結果は、あとでわかることがある。
そうであるなら、目的と結果について思い悩むことなど、皆無のはずだ。
ふむ。たしかに、皆無だ。
「人の心が見抜けた女」
愛する女が、愛犬を残して死んでしまった。
男は、犬を売り、この町でもいいことなかったな、と思う。
薄情!だが、愛してるときは本気!
『きみなんだ!』にも似た、ひどい話。
「ジョリー、食い違う」
ぐれかけていた少女が、改心しようと一大決心した。
でも、親は聞く耳もたない。
少女は転落の道に自ら進んで行く。
親が人間を駄目にする好例。
「『ない』のだった−本当だ!』
トイレットペーパーがミシン目のところで切れないことに着目した男。
つまり、穴があいて何もない部分をもつことで、そこは強化されたのだ。
なにもない100%で盾ができあがる!
これと同じ発想の創作落語を聞いたことがある。桂三枝のネタで、飛行機作るのに、事故が起こらないように、翼にミシン目をいれておくのだ。こうすれば、翼は折れない、と。
きっと、三枝はこの作品を読んで、落語を作ったのだと思う。
スタージョンはさらに着想を発展させて、SFそのものの世界を作っている。
「茶色の靴」
理想の世界を作るため、あえて権力を手にした男。
でも、女はそんなことを理解しない。
これもまたペシミスティックな話。
好きな音楽を多くの人に聞かせたいために、あえて売れ筋の曲を作って名前をあげたら、あいつは魂を売った、とか非難されたりする。
まあ、話はちょっと違うかもしれないが、こういうことはよくあることだ。
「フレミス伯父さん」
ラジオをたたいて故障をなおすように、人間をたたいて何でもなおしてしまう伯父さん。
うわー、これ面白い。
「統率者ドーンの『型』」
不死身になる方法。
コピーをコピーしていくと、どんどん劣化していく。
これが老化だ。
じゃあ、若いときのオリジナルDNAをサンプルとしてとっておき、常にそれをコピーすれば、劣化はしない。不死身だ。
部分的に実現すればいいなあ。
「自殺」
飛び下りたあと、死にきれず、必死でよじのぼる男。
上まで到達したときには、すでにリセットされていて、自殺衝動も消えていた。
死ぬ気でやればなんでもできる、なんて簡単にいうけど、本当に死の近くまで行かないと、なかなかそんなことはできないのだ。
サンリオSF文庫で『スタージョンは健在なり』のタイトルで出ていた本。
これもなかなか面白かった。
SFというジャンルが苦手なので遠ざけていた作家だったが、意外にも人間臭くて、普通小説に近い。
僕にでも読めるほどなのだ。面白くて、読みやすい。
さて、あとで思い出すためのメモなので、ネタバレしている。
読む人は要注意。
「はじめに」
スタージョンの序文。SFに対する偏見があった時代を反映してる。
「ここに、そしてイーゼルに」
絵を描かねばならないのに、『狂えるオルランド』の冒険世界に想像の翼をはばたかせて、いつになっても創作活動ができない。
美しいものを描きたいのに、美しいものを見出せないのだ。
でも、主人公は気づく。万人はそれぞれ違った美意識と世界をもっているが、それと同時に、万人が美への渇望をかかえている。美しいものはあふれている。人生を費やしても足りないくらいだ!
これは自分の活動にも照らしあわせて、思うことが多かった。
ステージに立つかぎりは、今までにしたことのない面白いことをしたい。でも、あえて人さまにお見せするような、面白いことなんて、そうそう思い付かない。でも、違うのだ。面白いことは世の中にあふれかえっている。毎日ステージに立ってもやり足りないくらいだ。
「時間のかかる彫刻」
時間のかかる彫刻とは、盆栽のこと。時間をかけて、手間ひまかけて、枝っぷりなどをととのえていく。
主人公は、気づかされる。人間関係もそうだ。手間ひまかけて、なかなか思い通りにならない関係を、良好なものに作り上げていくのだ。
孤独にひきこもって作業していた芸術家は、人とのコミュニケーションの第一歩を踏み出す。
君の名前は?と。
「きみなんだ!」
愛がさめていく。
女は挽回するために、男の好きなものに興味をもち、変えるべきところは変える、と決心する。
それでも男の心は変わらない。
そんな努力をいくらしたって無理なんだ。だって、問題はそんなことじゃなく、きみなんだ!
うひゃー、ひとごとじゃない。恋愛が終わるときって、覆水盆にかえらず、てことになってしまってたなあ。
「ジョーイの面倒をみて」
責められて当然の奴を常にかばい続ける男。
男はそいつをかつてボコボコにして、内蔵に後遺症を残すまでにしていたのだ。
奴が何かの拍子に死んだりしたら、さあ、たいへん。
ボコボコにされてなかったら助かっていたと判断され、間接的な殺人者になってしまうのだ。
こいうのってあるな。
1回ひとを傷つけてしまったら、そのひとがどんなにひどいことしても、自分が傷つけたことに原因があるかも、って怒れなくなってしまう。
「箱」
保護監察官がこどもたちに指令を与える。
箱を無事に届けなさい、と。
多くの困難をクリアしながら、箱を届けたこどもたち。
箱の中味は、たいしたものではなかった。
でも、箱を届けるという1つの目的を共有したこどもたちは、一丸となって困難に立ち向かうことができたのだ。
目的と結果は、あとでわかることがある。
そうであるなら、目的と結果について思い悩むことなど、皆無のはずだ。
ふむ。たしかに、皆無だ。
「人の心が見抜けた女」
愛する女が、愛犬を残して死んでしまった。
男は、犬を売り、この町でもいいことなかったな、と思う。
薄情!だが、愛してるときは本気!
『きみなんだ!』にも似た、ひどい話。
「ジョリー、食い違う」
ぐれかけていた少女が、改心しようと一大決心した。
でも、親は聞く耳もたない。
少女は転落の道に自ら進んで行く。
親が人間を駄目にする好例。
「『ない』のだった−本当だ!』
トイレットペーパーがミシン目のところで切れないことに着目した男。
つまり、穴があいて何もない部分をもつことで、そこは強化されたのだ。
なにもない100%で盾ができあがる!
これと同じ発想の創作落語を聞いたことがある。桂三枝のネタで、飛行機作るのに、事故が起こらないように、翼にミシン目をいれておくのだ。こうすれば、翼は折れない、と。
きっと、三枝はこの作品を読んで、落語を作ったのだと思う。
スタージョンはさらに着想を発展させて、SFそのものの世界を作っている。
「茶色の靴」
理想の世界を作るため、あえて権力を手にした男。
でも、女はそんなことを理解しない。
これもまたペシミスティックな話。
好きな音楽を多くの人に聞かせたいために、あえて売れ筋の曲を作って名前をあげたら、あいつは魂を売った、とか非難されたりする。
まあ、話はちょっと違うかもしれないが、こういうことはよくあることだ。
「フレミス伯父さん」
ラジオをたたいて故障をなおすように、人間をたたいて何でもなおしてしまう伯父さん。
うわー、これ面白い。
「統率者ドーンの『型』」
不死身になる方法。
コピーをコピーしていくと、どんどん劣化していく。
これが老化だ。
じゃあ、若いときのオリジナルDNAをサンプルとしてとっておき、常にそれをコピーすれば、劣化はしない。不死身だ。
部分的に実現すればいいなあ。
「自殺」
飛び下りたあと、死にきれず、必死でよじのぼる男。
上まで到達したときには、すでにリセットされていて、自殺衝動も消えていた。
死ぬ気でやればなんでもできる、なんて簡単にいうけど、本当に死の近くまで行かないと、なかなかそんなことはできないのだ。
田中芳樹の『ラインの虜囚』を読んだ。
ネタバレなど平気でしているので、読みたい人はパスしてください。
1830年のフランス。ライン川東岸に建つ「双角獣の塔」に幽閉されている人物の正体を探るため、16才の少女、コリンヌは冒険をはじめる。
ナポレオン生存説がおおいにありうる時代、鉄仮面やカスパール・ハウザー、海賊の時代。
コリンヌの冒険を妨害するのは、「暁の四人組」
コリンヌをサポ−トするのは、なんとなんと、若き文豪アレクサンドル・デュマ、海賊ジャン・ラフィット、勇将エティエンヌ・ジェラール!
血湧き、肉躍るとはこのこと。
凡百の作家なら、シリーズ化して、えんえんと話を続けたくなるだけの魅力あるキャラクターたち。謎ときの妙味。
ここでいう謎とは、この冒険そのものが持つ意味。
コリンヌはこの冒険を祖父からの指令により、自分が本当の孫であることを証明するために決行したのだ。
だが、この冒険と、孫である証明はまったく無関係だ。
真相は逆。
祖父の方がにせもので、コリンヌを孫として認めたくない、コリンヌを遠ざけたい、コリンヌの存在を消すために冒険が企てられたのだ。
ああ、面白い!
かなり前に、僕は安井くんに1冊の本を借りていて、それを早く読みたくてたまらないのだが、活字を集中して読めなくなっていて、ずっとリハビリで本を読んでいる。
この日記で感想を書くタイミングは、読了した日に決めている。
たいていの本は2日も3日もかけて読んでいるのだ。
でも、この本だけは、一気に読めた。
中学生の頃に、夢中になって冒険物語を読んでいたときの感触がよみがえってきたのだ。
ネタバレなど平気でしているので、読みたい人はパスしてください。
1830年のフランス。ライン川東岸に建つ「双角獣の塔」に幽閉されている人物の正体を探るため、16才の少女、コリンヌは冒険をはじめる。
ナポレオン生存説がおおいにありうる時代、鉄仮面やカスパール・ハウザー、海賊の時代。
コリンヌの冒険を妨害するのは、「暁の四人組」
コリンヌをサポ−トするのは、なんとなんと、若き文豪アレクサンドル・デュマ、海賊ジャン・ラフィット、勇将エティエンヌ・ジェラール!
血湧き、肉躍るとはこのこと。
凡百の作家なら、シリーズ化して、えんえんと話を続けたくなるだけの魅力あるキャラクターたち。謎ときの妙味。
ここでいう謎とは、この冒険そのものが持つ意味。
コリンヌはこの冒険を祖父からの指令により、自分が本当の孫であることを証明するために決行したのだ。
だが、この冒険と、孫である証明はまったく無関係だ。
真相は逆。
祖父の方がにせもので、コリンヌを孫として認めたくない、コリンヌを遠ざけたい、コリンヌの存在を消すために冒険が企てられたのだ。
ああ、面白い!
かなり前に、僕は安井くんに1冊の本を借りていて、それを早く読みたくてたまらないのだが、活字を集中して読めなくなっていて、ずっとリハビリで本を読んでいる。
この日記で感想を書くタイミングは、読了した日に決めている。
たいていの本は2日も3日もかけて読んでいるのだ。
でも、この本だけは、一気に読めた。
中学生の頃に、夢中になって冒険物語を読んでいたときの感触がよみがえってきたのだ。
シオドア・スタージョンの『海を失った男』を読んだ。略して『ウミウシ』
日本で独自に編まれた短編集。
スタ−ジョンは『不思議のひと触れ』と『盤面の敵』しか読んでなくて、どういう作家なのか、印象が一定していなかった。今回、この本を読んで、1つのイメージを得ることができたように思う。もっちゃりとした人間関係を書くのが得意な作家だということだ。名前はなんだかキラキラしたSFのイメージがあるのに、作風はぜんぜん違った。
以下、各作品のメモを残しておくので、未読の人は要注意。
「ミュージック」この作品は、僕には残念ながら何のことやらさっぱりわからなかった。病院の地縛霊と化した入院患者の幽体離脱にも似た共感力のことか、とも思ったが、それにしては、煙草を吸ったりしているし、猫が出入りしている。つまり、ここは病院ではありえない。すると、自分の引きこもった世界を病院であらわしているのかとも思えるが、そんな感じではなくて、自由に浮遊しているイメージが強いのだ。意味などにとらわれず、詩として味わうのかとも思ったが、そんな文体でもなかった。
「ビアンカの手」人体に寄生する両手。これは面白い!
「成熟」オールマイティ!何をやっても超一流。さて、成熟とはいったい何なのか。答えは出ない。本書の中で一番面白かった。
「シジジイじゃない」自分の恋愛が脳内恋愛だったことに気づく男。しかも、妄想によって作られた夢人間は、自分の方だったのだ。この「シジジイ」が僕の読んだ初版では、ページの上に記された作品名では「ジジジイ」に誤植されていた。「ジ、ジジイじゃない」って、どういうことだ!爺いじゃないぞ!この「シジジイ」は2つの有機体が1つの細胞核を共有することで、この作品の内容からすると、「恣似自慰」と当て字したくなる。
「三の法則」宇宙人が地球人に寄生して、地球を滅ぼすべきか、見守るべきか、なんて決める。宇宙人は3分割して寄生し、3人が融合することで元の宇宙人に戻ることができるのだが、地球人は一夫一婦の呪縛に囚われていて、3人で1つの関係をなかなかとらない。
3の法則は、その設定からは手塚治虫の「W3」みたいだし、3人による愛の形を描くのに、宇宙人なんて出してきたもんだから、滑稽なストーリーになってしまった。現代なら、3人で1つの恋愛関係なんて、ごく普通のように思える。
「そして私のおそれはつのる」東洋の神秘を体現するババアが少年を導こうとする。ところがこのババアが全然達観してなくて、嫉妬したりする。少年はババアは尊敬しながらも、少女に愛情を注ぐのだ。少女はババアよりも強かった。ババアのはえせ東洋の神秘だったが、少女はマジ超能力者だったのだ。少女は全能だしなあ。
「墓読み」象形文字を解読するように、秘密のアルファベットを発見して、墓そのものを読む。墓を読むことで、死者が語る言葉を解読することができるのだ。必死で頭を悩ませて、やっと解読できるようになった男は、その墓碑銘にこう刻む。「安らかに眠れ」それは、墓から男へのメッセージだったのだ。
「海を失った男」海の恐怖と崇高さを思い出しながら、男は砂に埋もれている。男は海を失った。だって、火星に遭難して埋もれているんだも〜ん。
日本で独自に編まれた短編集。
スタ−ジョンは『不思議のひと触れ』と『盤面の敵』しか読んでなくて、どういう作家なのか、印象が一定していなかった。今回、この本を読んで、1つのイメージを得ることができたように思う。もっちゃりとした人間関係を書くのが得意な作家だということだ。名前はなんだかキラキラしたSFのイメージがあるのに、作風はぜんぜん違った。
以下、各作品のメモを残しておくので、未読の人は要注意。
「ミュージック」この作品は、僕には残念ながら何のことやらさっぱりわからなかった。病院の地縛霊と化した入院患者の幽体離脱にも似た共感力のことか、とも思ったが、それにしては、煙草を吸ったりしているし、猫が出入りしている。つまり、ここは病院ではありえない。すると、自分の引きこもった世界を病院であらわしているのかとも思えるが、そんな感じではなくて、自由に浮遊しているイメージが強いのだ。意味などにとらわれず、詩として味わうのかとも思ったが、そんな文体でもなかった。
「ビアンカの手」人体に寄生する両手。これは面白い!
「成熟」オールマイティ!何をやっても超一流。さて、成熟とはいったい何なのか。答えは出ない。本書の中で一番面白かった。
「シジジイじゃない」自分の恋愛が脳内恋愛だったことに気づく男。しかも、妄想によって作られた夢人間は、自分の方だったのだ。この「シジジイ」が僕の読んだ初版では、ページの上に記された作品名では「ジジジイ」に誤植されていた。「ジ、ジジイじゃない」って、どういうことだ!爺いじゃないぞ!この「シジジイ」は2つの有機体が1つの細胞核を共有することで、この作品の内容からすると、「恣似自慰」と当て字したくなる。
「三の法則」宇宙人が地球人に寄生して、地球を滅ぼすべきか、見守るべきか、なんて決める。宇宙人は3分割して寄生し、3人が融合することで元の宇宙人に戻ることができるのだが、地球人は一夫一婦の呪縛に囚われていて、3人で1つの関係をなかなかとらない。
3の法則は、その設定からは手塚治虫の「W3」みたいだし、3人による愛の形を描くのに、宇宙人なんて出してきたもんだから、滑稽なストーリーになってしまった。現代なら、3人で1つの恋愛関係なんて、ごく普通のように思える。
「そして私のおそれはつのる」東洋の神秘を体現するババアが少年を導こうとする。ところがこのババアが全然達観してなくて、嫉妬したりする。少年はババアは尊敬しながらも、少女に愛情を注ぐのだ。少女はババアよりも強かった。ババアのはえせ東洋の神秘だったが、少女はマジ超能力者だったのだ。少女は全能だしなあ。
「墓読み」象形文字を解読するように、秘密のアルファベットを発見して、墓そのものを読む。墓を読むことで、死者が語る言葉を解読することができるのだ。必死で頭を悩ませて、やっと解読できるようになった男は、その墓碑銘にこう刻む。「安らかに眠れ」それは、墓から男へのメッセージだったのだ。
「海を失った男」海の恐怖と崇高さを思い出しながら、男は砂に埋もれている。男は海を失った。だって、火星に遭難して埋もれているんだも〜ん。
A・H・Z・カーの短編集『誰でもない男の裁判』を読んだ。
以前にいくつかの短編と、長篇は読んだことがあったが、これといった印象もない作家だったが、これは面白かった。ほとんどが高校生のときに読んだので、作品の味がわからなかったと思われる。
以下、それぞれの覚え書き。未読の人は注意。
「黒い小猫」娘の可愛がっている小猫を踏み殺してしまった牧師。苦しむ猫にとどめを刺す瞬間を娘に目撃された牧師。トラウマ必至!牧師は、娘を支えるために担任の女教師を呼び、新しい小猫を飼ってやることにし、自分の説教原稿を破り捨てる。罪を自分の外側にある遠いものとして語っていることに気づいたのだ。
ありがちな展開に思えるだろうが、これ、読むと迫真のストーリーなのだ。
「虎よ!虎よ!」タイトルはブレイクの詩の一節。被害者は肉を食べているときに殺された。給仕が肉に刺さっていた串で殺したのだ。主人公は思う。正当防衛で人を殺すのと、復讐で人を殺すのと、どこに違いがあるのか。いずれも同じ虎ではないか。
詩からインスピレーションを得て事件を解決する。この味わいが、高校時代の僕にはさっぱり理解できなかったのだ。
「誰でもない男の裁判」無神論を演説する男。「牧師さんたちに言わせると、わたしは神をけがす不埒な男だということになっています。よろしい、もし神というものがどこかにいるならば、即座にわたしを滅ぼしてしかるべきだ!」そのとき一発の銃弾。男を殺したのは、自分の過去を一切思い出せない男。これは神の命令によって行われた殺人なのか?
証人台に立つ神父は、ジャンヌ・ダルクの例などをひきながら、神が下した鉄槌であることを語ろうとするが、ギリギリで、男がインチキであることを知る。証人台で、逆に男を非難する神父。「殺された男は無神論者だったが、男らしくそのことを公言しました。その男を殺した下手人が、人々の信仰を求める心につけこんだ悪事の方が遥かに害悪だ!」指さしてドーン!なんと、インチキ男は心臓マヒで死んでしまう。人々は大騒ぎ。「今度こそ本当の奇蹟だ!」「ちゃう、ちゃう、心臓が弱かったんや!」「神父が神の罰を下した!」「ちゃう、言うてるやろ!」
本書の中で一番印象に残った。信仰とか宗教とか善悪とか、そんなテーマがこの作家の持ち味だということが、やっと理解できた。
「猫探し」サーカスで芸を見せていた猫が誘拐された。猫の芸を見せていた男の恋人に横恋慕した男のしわざだった。奇術のネタで猫をさらったのだが、奈落に落ちていたはずの猫はどこかに逃げ出していた。ここから本当の猫探しがはじまる。
お年頃の猫が行くところは1つ。猫のたまり場でやっと見つけるが、猫は恋に夢中で芸をする気など失せていた。芸人として金を稼げなくなったが、猫も戻り、無事結婚した2人。
ところが、その猫が産んだ子猫たちが、芸達者で、大成功をおさめるのだった。
ハートウォーミングな話。誰も死なないし。
「市庁舎の殺人」人工的に雨を降らせる男が殺された。さて、その動機は?
殺人の動機として、「その日、雨が降られて困るのはいったい誰なのか?」という観点から考えるのは、とても面白い。遊園地の経営者とか、投票率を上げないと当選できない市長など、容疑者が浮かぶ。
「ジメルマンのソース」無銭飲食して、その代価として秘伝のレシピを伝授する男。実際にその通り作ってみて、酷い味だとバレるまでのインチキ。
話術に金を払うってこともあるので、これはあり得るお話か。
「ティモシー・マークルの選択」正義にもとづいて悪事をあばくべきか、しかし、そうすると自分の一家が路頭に迷ってしまう。なにせ、悪事は同い年の高校生がおかしており、密告しても罪は軽く済んでしまう。その親が自分の親の仕事の関係者なのだ。
僕なら迷うことなく悪事をあばくな。要領よく生きるのは、精神のない犬畜生にまかせておけばいいのだ。
「姓名判断殺人事件」アナグラムで解ける1人2役、3役。
1950年代、1960年代の作品で、エラリークイーンズミステリマガジン臭がぷんぷんと漂うのが、自分の高校時代を思い出させた。あの頃は、1年365日、1日24時間ミステリにどっぷりつかっていたのだ。
以前にいくつかの短編と、長篇は読んだことがあったが、これといった印象もない作家だったが、これは面白かった。ほとんどが高校生のときに読んだので、作品の味がわからなかったと思われる。
以下、それぞれの覚え書き。未読の人は注意。
「黒い小猫」娘の可愛がっている小猫を踏み殺してしまった牧師。苦しむ猫にとどめを刺す瞬間を娘に目撃された牧師。トラウマ必至!牧師は、娘を支えるために担任の女教師を呼び、新しい小猫を飼ってやることにし、自分の説教原稿を破り捨てる。罪を自分の外側にある遠いものとして語っていることに気づいたのだ。
ありがちな展開に思えるだろうが、これ、読むと迫真のストーリーなのだ。
「虎よ!虎よ!」タイトルはブレイクの詩の一節。被害者は肉を食べているときに殺された。給仕が肉に刺さっていた串で殺したのだ。主人公は思う。正当防衛で人を殺すのと、復讐で人を殺すのと、どこに違いがあるのか。いずれも同じ虎ではないか。
詩からインスピレーションを得て事件を解決する。この味わいが、高校時代の僕にはさっぱり理解できなかったのだ。
「誰でもない男の裁判」無神論を演説する男。「牧師さんたちに言わせると、わたしは神をけがす不埒な男だということになっています。よろしい、もし神というものがどこかにいるならば、即座にわたしを滅ぼしてしかるべきだ!」そのとき一発の銃弾。男を殺したのは、自分の過去を一切思い出せない男。これは神の命令によって行われた殺人なのか?
証人台に立つ神父は、ジャンヌ・ダルクの例などをひきながら、神が下した鉄槌であることを語ろうとするが、ギリギリで、男がインチキであることを知る。証人台で、逆に男を非難する神父。「殺された男は無神論者だったが、男らしくそのことを公言しました。その男を殺した下手人が、人々の信仰を求める心につけこんだ悪事の方が遥かに害悪だ!」指さしてドーン!なんと、インチキ男は心臓マヒで死んでしまう。人々は大騒ぎ。「今度こそ本当の奇蹟だ!」「ちゃう、ちゃう、心臓が弱かったんや!」「神父が神の罰を下した!」「ちゃう、言うてるやろ!」
本書の中で一番印象に残った。信仰とか宗教とか善悪とか、そんなテーマがこの作家の持ち味だということが、やっと理解できた。
「猫探し」サーカスで芸を見せていた猫が誘拐された。猫の芸を見せていた男の恋人に横恋慕した男のしわざだった。奇術のネタで猫をさらったのだが、奈落に落ちていたはずの猫はどこかに逃げ出していた。ここから本当の猫探しがはじまる。
お年頃の猫が行くところは1つ。猫のたまり場でやっと見つけるが、猫は恋に夢中で芸をする気など失せていた。芸人として金を稼げなくなったが、猫も戻り、無事結婚した2人。
ところが、その猫が産んだ子猫たちが、芸達者で、大成功をおさめるのだった。
ハートウォーミングな話。誰も死なないし。
「市庁舎の殺人」人工的に雨を降らせる男が殺された。さて、その動機は?
殺人の動機として、「その日、雨が降られて困るのはいったい誰なのか?」という観点から考えるのは、とても面白い。遊園地の経営者とか、投票率を上げないと当選できない市長など、容疑者が浮かぶ。
「ジメルマンのソース」無銭飲食して、その代価として秘伝のレシピを伝授する男。実際にその通り作ってみて、酷い味だとバレるまでのインチキ。
話術に金を払うってこともあるので、これはあり得るお話か。
「ティモシー・マークルの選択」正義にもとづいて悪事をあばくべきか、しかし、そうすると自分の一家が路頭に迷ってしまう。なにせ、悪事は同い年の高校生がおかしており、密告しても罪は軽く済んでしまう。その親が自分の親の仕事の関係者なのだ。
僕なら迷うことなく悪事をあばくな。要領よく生きるのは、精神のない犬畜生にまかせておけばいいのだ。
「姓名判断殺人事件」アナグラムで解ける1人2役、3役。
1950年代、1960年代の作品で、エラリークイーンズミステリマガジン臭がぷんぷんと漂うのが、自分の高校時代を思い出させた。あの頃は、1年365日、1日24時間ミステリにどっぷりつかっていたのだ。
ホイスト・ゲームのカードの裏側
2005年12月26日 読書 コメント (2)
バルベー・ドールヴィイの『ホイスト・ゲームのカードの裏側』を読んだ。
小説「ホイスト・ゲームのカードの裏側』と、訳者渡邉義愛による評論「『ホイスト・ゲームのカードの裏側』を読む」、付論「ブロワからバルベーへ」「宿命の女とダンディ」が収録されている。
小説の内容は、ホイストに興じる上流階級の人々の前にあらわれた、連戦連勝の男。
男に惚れる母娘。男が去った後に発見される嬰児の死骸。
渡邉義愛はバルベー・ドールヴィイの他作品から、この死子を母が生み落としたものとするパターンと、娘が産んだとするパターン両方を考察している。
こどもを作ってポイ捨てするストーリーなら、「ポイステ・ゲームのカードの裏側」なのか。
渡邉義愛の訳文は面白味に欠けるが、その分丁寧で、意味を取り違えるおそれは少なそうだ。
バルベー・ドールヴィイは19世紀のロマン派文学者で、僕はブランメルの伝記を書いた人物としてまず知ったため、ダンディズムのお手本だと思っている。
本書でも、バルベー・ドールヴィイの奇矯ないでたちについて語られている。
ダンディズムは「紳士」で連想されるような、個を埋没させる目立たないものではなく、すれ違う人が「えっ?」と振り向くような、驚かせることをモットーとしたものだったのだ。
「凡庸、これこそバルベーが最も忌み嫌うものであった」(生田耕筰『ダンディズム』)
母親不明のこどもの死骸、それにまつわる確執など、詳しくは明かされずに物語は終わる。
僕などは、「母か娘か」という二者択一が与えられれば、第3の回答を考えてしまう。
凡庸を嫌ったバルベーが用意して明かさなかった真相は何なのか。
連戦連勝の勝負師が実は女だったのではないか、とか、僕は推理したりしているのだが。
小説「ホイスト・ゲームのカードの裏側』と、訳者渡邉義愛による評論「『ホイスト・ゲームのカードの裏側』を読む」、付論「ブロワからバルベーへ」「宿命の女とダンディ」が収録されている。
小説の内容は、ホイストに興じる上流階級の人々の前にあらわれた、連戦連勝の男。
男に惚れる母娘。男が去った後に発見される嬰児の死骸。
渡邉義愛はバルベー・ドールヴィイの他作品から、この死子を母が生み落としたものとするパターンと、娘が産んだとするパターン両方を考察している。
こどもを作ってポイ捨てするストーリーなら、「ポイステ・ゲームのカードの裏側」なのか。
渡邉義愛の訳文は面白味に欠けるが、その分丁寧で、意味を取り違えるおそれは少なそうだ。
バルベー・ドールヴィイは19世紀のロマン派文学者で、僕はブランメルの伝記を書いた人物としてまず知ったため、ダンディズムのお手本だと思っている。
本書でも、バルベー・ドールヴィイの奇矯ないでたちについて語られている。
ダンディズムは「紳士」で連想されるような、個を埋没させる目立たないものではなく、すれ違う人が「えっ?」と振り向くような、驚かせることをモットーとしたものだったのだ。
「凡庸、これこそバルベーが最も忌み嫌うものであった」(生田耕筰『ダンディズム』)
母親不明のこどもの死骸、それにまつわる確執など、詳しくは明かされずに物語は終わる。
僕などは、「母か娘か」という二者択一が与えられれば、第3の回答を考えてしまう。
凡庸を嫌ったバルベーが用意して明かさなかった真相は何なのか。
連戦連勝の勝負師が実は女だったのではないか、とか、僕は推理したりしているのだが。
小松崎茂 昭和の東京
2005年12月24日 読書
小松崎茂の『昭和の東京』を読んだ。
少年向けのSF絵物語などで知られる著者だが、この本は、浅草や銀座、丸の内など、戦前からの東京の風景スケッチを集めたもの。
大阪に生まれ育った僕には、なじみのない場所なのだが、映画などでたまに大阪が舞台になっているのを見ると、現在の風景と比べて、懐かしくなったり、嘆いたり、いろんな感情が沸き上がってくる。往時を知る東京在住の人には、たまらないスケッチ集なんだろうな、という類推は大いに可能だ。たまたま見た成瀬巳喜男監督の「限りなき舗道」(1934年)に登場人物が明治製菓の板チョコを食べるシーンがあり、そのパッケージデザインを見ただけで、なんだか心に去来するものがあった。風景となるとなおさらだろう。
往年の東京の風景を見ていて、「これはなんだ」と食い付いた部分が2つあった。
1つは、銀座の駅におりる階段のところにあった、地下鉄の惹句。
「地上より22度暖かい」
真冬で地上の気温が氷点下であっても、地下鉄だと20度くらいの暖かさは保てているということなのだろう。
しかし、それを売りにするか?
もう1つは、東京駅の売店のスケッチにあった「鉄道パン」
これは今でも鉄道の日などに200円程度で販売されているパンなのだが、僕はまだ食べたことがない。
昭和19年に食堂車が廃止されたとき、その代わりに車内で販売されたのが最初らしいのだが、小松崎茂がスケッチした頃は、ごく普通に売店に置いていたようだ。見たところ、ソフトなフランスパンみたいで、いかにも食事パンなのだが、1度食べてみたい。
今日はクリスマスイブ。このところの寒さで、町なかでもホワイトクリスマスが実現しそうな雰囲気だ。でも、僕には、小松崎茂が描いた、活気のある浅草の風景の方が、何倍も魅力的に思えた。だって、雪なんか1回見たら、あとは寒いだけの代物なんだも〜ん。
少年向けのSF絵物語などで知られる著者だが、この本は、浅草や銀座、丸の内など、戦前からの東京の風景スケッチを集めたもの。
大阪に生まれ育った僕には、なじみのない場所なのだが、映画などでたまに大阪が舞台になっているのを見ると、現在の風景と比べて、懐かしくなったり、嘆いたり、いろんな感情が沸き上がってくる。往時を知る東京在住の人には、たまらないスケッチ集なんだろうな、という類推は大いに可能だ。たまたま見た成瀬巳喜男監督の「限りなき舗道」(1934年)に登場人物が明治製菓の板チョコを食べるシーンがあり、そのパッケージデザインを見ただけで、なんだか心に去来するものがあった。風景となるとなおさらだろう。
往年の東京の風景を見ていて、「これはなんだ」と食い付いた部分が2つあった。
1つは、銀座の駅におりる階段のところにあった、地下鉄の惹句。
「地上より22度暖かい」
真冬で地上の気温が氷点下であっても、地下鉄だと20度くらいの暖かさは保てているということなのだろう。
しかし、それを売りにするか?
もう1つは、東京駅の売店のスケッチにあった「鉄道パン」
これは今でも鉄道の日などに200円程度で販売されているパンなのだが、僕はまだ食べたことがない。
昭和19年に食堂車が廃止されたとき、その代わりに車内で販売されたのが最初らしいのだが、小松崎茂がスケッチした頃は、ごく普通に売店に置いていたようだ。見たところ、ソフトなフランスパンみたいで、いかにも食事パンなのだが、1度食べてみたい。
今日はクリスマスイブ。このところの寒さで、町なかでもホワイトクリスマスが実現しそうな雰囲気だ。でも、僕には、小松崎茂が描いた、活気のある浅草の風景の方が、何倍も魅力的に思えた。だって、雪なんか1回見たら、あとは寒いだけの代物なんだも〜ん。
清水崑画 吉田茂諷刺漫画集
2005年12月22日 読書
清水崑画『吉田茂諷刺漫画集』を読んだ。
朝日新聞に掲載された清水崑の一齣漫画を中心に、年代順に吉田茂が描かれた作品が載せてあり、それに柴田紳一助教授が解説をつけている。未掲載分も巻末に載っている。
発行は財団法人吉田茂国際基金であり、吉田茂の偉業を記念する事業の一環として、この本が出版された。
当然、政治の諷刺漫画なのだから、吉田茂を持ち上げる内容にはならないのだが、たとえば子が父親に感ずる愛情みたいなものが、漂ってくるのはいったいどうしたわけか。
時代は昭和20年代、もう50年以上前のことになるが、たとえば行政改革の問題など、現在とほとんど変わっていない部分も多く見受けられた。
ダイエットにリバウンドがつきもののように、政治的な改革も揺り戻しがあって、変革はまさに一進一退なのか。
朝日新聞に掲載された清水崑の一齣漫画を中心に、年代順に吉田茂が描かれた作品が載せてあり、それに柴田紳一助教授が解説をつけている。未掲載分も巻末に載っている。
発行は財団法人吉田茂国際基金であり、吉田茂の偉業を記念する事業の一環として、この本が出版された。
当然、政治の諷刺漫画なのだから、吉田茂を持ち上げる内容にはならないのだが、たとえば子が父親に感ずる愛情みたいなものが、漂ってくるのはいったいどうしたわけか。
時代は昭和20年代、もう50年以上前のことになるが、たとえば行政改革の問題など、現在とほとんど変わっていない部分も多く見受けられた。
ダイエットにリバウンドがつきもののように、政治的な改革も揺り戻しがあって、変革はまさに一進一退なのか。
スフィンクス・ステーキ―ミュノーナ短篇集
2005年12月20日 読書
ミュノーナの『スフィンクス・ステーキ』を読んだ。
ミュノーナは1871年生まれの哲学者ザロモ・フリートレンダーのペンネーム。
匿名(Anonym)を逆読みして名付けられている。
ダダイストのハウスマンらと雑誌『地上1915年』を計画したり、マックス・シュティルナーの個人主義を旗印にした雑誌『唯一者』を刊行したりしている。
著書には『不合理な悲観主義試論』『創造的中立』などなど。
ミュノーナ名義では、哲学とダダの渾然一体となった奇妙な作品を書いているようだ。
この『スフィンクス・ステーキ』はミュノーナ自身が「グロテスク」と呼ぶ短編がセレクトされて収録されている。
この1冊、最初は稲垣足穂かレーモン・ルーセルか、はたまたジャリか、なんて探りながら読んでいたのだが、書かれた時期は20世紀初頭。どれかの影響を受けたというよりも、ミュノーナはミュノーナで、独自だと思った。それだけ強烈な面白さ満ちていた。
ダダ!アヴァンギャルド!奇想!珍説!
この本、今年読んだ本のなかでもダントツで面白い。
もっとミュノーナ、そしてフリートレンダーの本を読みたい!と渇望している。
以下、各作品のあらすじとか、メモなどを残しておくので、未読の人は、注意。
「やさしい巨人」(巨人はうっかり人を踏みつぶしてしまう。謝る言葉は地上に大風を巻き起こし、流す涙で洪水が起こる等々、やさしさゆえに巨人は残虐な結果をもたらす)
「へべれけ花と幽体離脱したオットカール」(「リクと呼んで。理屈のリクなんだけど、ツは省略してね)
「肺のパラダイス」(空気を清浄したことで、今までの世界で健康に生きてた人が逆に死んで行く)
「雲が雨を上方に降らせるとき」(雲が地上の牧歌的雰囲気を見て思う。わたしだけが邪魔者なのね!)
「息子」(誰かを愛すると、その人を全力で殺すことに励む息子)
「老いた未亡人」(いきなり求婚して、ショックで狂い死にした男と結婚生活を送る老女)
「老いた俳優ミドリギさんのクリスマス」(真夏にクリスマスを祝う老俳優)
「性格音楽−毛のお話」(人体の毛のはえ方をそのままオルゴール筒に移して、その人特有の音楽を奏でる試み)
「ローザ、警官の美しい妻」(警官の制服萌えの女)
「ゲーテ蓄音機−ある愛の物語」(ゲーテの声帯を復元して、一種の笛を作る。ゲーテが暮らした部屋の空気に残るゲーテの音声波を吹き込んで、ゲーテの発言を再生)
「不思議な卵」(卵のもつエネルギーで地球は豊穣に)
「鼻持ちならない鼻」(口ほどにものを言う鼻)
「道しるべのネグリジェ」(副官が夜道でネグリジェに当たって気絶する。そのネグリジェは姫のものだった!謎はすべて読者の解釈にまかされる)
「アモールの新床」(結婚式直後に、不吉なことが多発する。それは新婦による最終チェックで、うまくこなせなかった夫は離婚される)
「スフィンクス・ステーキ」(石に有機物の形姿を与えたら、本当に有機物になるという説。砂漠で一行はスフィンクスをけずってステーキにして食べる)
「謎の一団」(まったく同じ名前で、同じ行動をとる40人の集団。夜になると、集団で犯罪をおかし、紳士服売り場のマネキンに化けて逃れる)
「誘拐」(身分や階級を解消するため、爵位にある男が誘拐されて、種牛の役目をになう)
「合体」(実体と鏡像との双方向的かかわり。外界を脳が感受するのと同様、逆に脳で考えたことが外界にあらわれる)
「永遠に美しく…」(美しいままのミイラ化。冒頭の文章が面白い。「わが家は全焼、火災保険には入っていませんでした。銀行へ行くと、私の代わりに誰かが私の全財産を引き出したあとでした」さらに、親友が死に、遺産相続権を失い、許嫁が急死、借金取りに追い回される。こりゃ、若くして死んで剥製になってもいいや、と思うか)
「うちのパパとオルレアンの乙女」(彫像どうしの片思い)
「ミュノ−ナ百歳の誕生日」(ミュノーナの誕生日挨拶。銅像も立たず、「ミュノーナ広場」や「ミュノーナ通り」もないことを嘆き、自著『子供たちのためのカント』を「世界最高の名著」とほめあげる。おまけに、このとき、ミュノーナはまだ57才)
ミュノーナは1871年生まれの哲学者ザロモ・フリートレンダーのペンネーム。
匿名(Anonym)を逆読みして名付けられている。
ダダイストのハウスマンらと雑誌『地上1915年』を計画したり、マックス・シュティルナーの個人主義を旗印にした雑誌『唯一者』を刊行したりしている。
著書には『不合理な悲観主義試論』『創造的中立』などなど。
ミュノーナ名義では、哲学とダダの渾然一体となった奇妙な作品を書いているようだ。
この『スフィンクス・ステーキ』はミュノーナ自身が「グロテスク」と呼ぶ短編がセレクトされて収録されている。
この1冊、最初は稲垣足穂かレーモン・ルーセルか、はたまたジャリか、なんて探りながら読んでいたのだが、書かれた時期は20世紀初頭。どれかの影響を受けたというよりも、ミュノーナはミュノーナで、独自だと思った。それだけ強烈な面白さ満ちていた。
ダダ!アヴァンギャルド!奇想!珍説!
この本、今年読んだ本のなかでもダントツで面白い。
もっとミュノーナ、そしてフリートレンダーの本を読みたい!と渇望している。
以下、各作品のあらすじとか、メモなどを残しておくので、未読の人は、注意。
「やさしい巨人」(巨人はうっかり人を踏みつぶしてしまう。謝る言葉は地上に大風を巻き起こし、流す涙で洪水が起こる等々、やさしさゆえに巨人は残虐な結果をもたらす)
「へべれけ花と幽体離脱したオットカール」(「リクと呼んで。理屈のリクなんだけど、ツは省略してね)
「肺のパラダイス」(空気を清浄したことで、今までの世界で健康に生きてた人が逆に死んで行く)
「雲が雨を上方に降らせるとき」(雲が地上の牧歌的雰囲気を見て思う。わたしだけが邪魔者なのね!)
「息子」(誰かを愛すると、その人を全力で殺すことに励む息子)
「老いた未亡人」(いきなり求婚して、ショックで狂い死にした男と結婚生活を送る老女)
「老いた俳優ミドリギさんのクリスマス」(真夏にクリスマスを祝う老俳優)
「性格音楽−毛のお話」(人体の毛のはえ方をそのままオルゴール筒に移して、その人特有の音楽を奏でる試み)
「ローザ、警官の美しい妻」(警官の制服萌えの女)
「ゲーテ蓄音機−ある愛の物語」(ゲーテの声帯を復元して、一種の笛を作る。ゲーテが暮らした部屋の空気に残るゲーテの音声波を吹き込んで、ゲーテの発言を再生)
「不思議な卵」(卵のもつエネルギーで地球は豊穣に)
「鼻持ちならない鼻」(口ほどにものを言う鼻)
「道しるべのネグリジェ」(副官が夜道でネグリジェに当たって気絶する。そのネグリジェは姫のものだった!謎はすべて読者の解釈にまかされる)
「アモールの新床」(結婚式直後に、不吉なことが多発する。それは新婦による最終チェックで、うまくこなせなかった夫は離婚される)
「スフィンクス・ステーキ」(石に有機物の形姿を与えたら、本当に有機物になるという説。砂漠で一行はスフィンクスをけずってステーキにして食べる)
「謎の一団」(まったく同じ名前で、同じ行動をとる40人の集団。夜になると、集団で犯罪をおかし、紳士服売り場のマネキンに化けて逃れる)
「誘拐」(身分や階級を解消するため、爵位にある男が誘拐されて、種牛の役目をになう)
「合体」(実体と鏡像との双方向的かかわり。外界を脳が感受するのと同様、逆に脳で考えたことが外界にあらわれる)
「永遠に美しく…」(美しいままのミイラ化。冒頭の文章が面白い。「わが家は全焼、火災保険には入っていませんでした。銀行へ行くと、私の代わりに誰かが私の全財産を引き出したあとでした」さらに、親友が死に、遺産相続権を失い、許嫁が急死、借金取りに追い回される。こりゃ、若くして死んで剥製になってもいいや、と思うか)
「うちのパパとオルレアンの乙女」(彫像どうしの片思い)
「ミュノ−ナ百歳の誕生日」(ミュノーナの誕生日挨拶。銅像も立たず、「ミュノーナ広場」や「ミュノーナ通り」もないことを嘆き、自著『子供たちのためのカント』を「世界最高の名著」とほめあげる。おまけに、このとき、ミュノーナはまだ57才)
本田透の『萌える男』を読んだ。
主に二次元キャラクターに萌える男について書かれている、オタク擁護論。
著者自身が本書に書かれている内容の要約を載せている。
1、「萌えの正当性と必然性」
萌えの流行には社会的な原因があり、オタク男個人を道徳的に責めるのは間違いである。
2、「萌えには効能がある」
萌えの機能論的解説。萌えによって数々の心理的・社会的効能がもたらされる。
3、「萌えの可能性と重要性」
萌えは恋愛および家族を復権させようとする精神運動であり、萌えが挫折すれば家族も滅びる。
僕はこの本田透の本を読みたくてたまらないのだが、いろんな事情で(金欠)全然読めていない。やっと1冊読めた。
「萌え」とは「脳内恋愛」のことで、恋愛至上主義(著者の言葉を使うと恋愛資本主義)にどっぷり漬かっている生き方以外の道があるのだ。
むしろ、恋愛なんかより、脳内恋愛の方がいい、とまで言っているような気がする。
でも、未読ながら、この主張は、著者の前作までの主張の繰り返しで、主張する内容を簡単に紹介したものにすぎないようだ。
この本は新書での出版で、オタク層以外の人間に、萌えについて理解を求めるところに目的があるようだ。
オタクだの萌えだのアキバ系だの、もてはやされているようでも、低くみられたり、差別されている現状は否めない。その蔑視がいかに根拠のないものかが、本書で語ろうとしていることだ。そういう観点からみると、本書の弱点と思える、繰り返しが多すぎるところとか、被害者の立場にたちすぎているところ等が、全部許容できてしまうのが、不思議だ。
電車男について批判的なのも共感できる。
ひるがえって、自分のことを考えてみると、どうか。
僕はマック使いのせいか、パソコンの美少女ゲームをほとんど遊んでいない。
萌えアニメも熱中して見ていないので、二次元キャラクターにはあまり萌えていないようだ。
それどころか、AVもほとんど見ないので、つまるところ、バーチャルなものに対する愉しみを満喫していない。これは人生、半分損をしているんじゃないか。
セックスとオナニーが違うように、恋愛と脳内恋愛も違うもので、両立できるはずだ。
これって、たとえば、実際に戦争して戦略をたてながら、シミュレーションゲームにも没頭しているようなものか。両立できるはず。
問題は、僕の体力なのか。
主に二次元キャラクターに萌える男について書かれている、オタク擁護論。
著者自身が本書に書かれている内容の要約を載せている。
1、「萌えの正当性と必然性」
萌えの流行には社会的な原因があり、オタク男個人を道徳的に責めるのは間違いである。
2、「萌えには効能がある」
萌えの機能論的解説。萌えによって数々の心理的・社会的効能がもたらされる。
3、「萌えの可能性と重要性」
萌えは恋愛および家族を復権させようとする精神運動であり、萌えが挫折すれば家族も滅びる。
僕はこの本田透の本を読みたくてたまらないのだが、いろんな事情で(金欠)全然読めていない。やっと1冊読めた。
「萌え」とは「脳内恋愛」のことで、恋愛至上主義(著者の言葉を使うと恋愛資本主義)にどっぷり漬かっている生き方以外の道があるのだ。
むしろ、恋愛なんかより、脳内恋愛の方がいい、とまで言っているような気がする。
でも、未読ながら、この主張は、著者の前作までの主張の繰り返しで、主張する内容を簡単に紹介したものにすぎないようだ。
この本は新書での出版で、オタク層以外の人間に、萌えについて理解を求めるところに目的があるようだ。
オタクだの萌えだのアキバ系だの、もてはやされているようでも、低くみられたり、差別されている現状は否めない。その蔑視がいかに根拠のないものかが、本書で語ろうとしていることだ。そういう観点からみると、本書の弱点と思える、繰り返しが多すぎるところとか、被害者の立場にたちすぎているところ等が、全部許容できてしまうのが、不思議だ。
電車男について批判的なのも共感できる。
ひるがえって、自分のことを考えてみると、どうか。
僕はマック使いのせいか、パソコンの美少女ゲームをほとんど遊んでいない。
萌えアニメも熱中して見ていないので、二次元キャラクターにはあまり萌えていないようだ。
それどころか、AVもほとんど見ないので、つまるところ、バーチャルなものに対する愉しみを満喫していない。これは人生、半分損をしているんじゃないか。
セックスとオナニーが違うように、恋愛と脳内恋愛も違うもので、両立できるはずだ。
これって、たとえば、実際に戦争して戦略をたてながら、シミュレーションゲームにも没頭しているようなものか。両立できるはず。
問題は、僕の体力なのか。