『アキハバラ発<00年代>への問い』
2009年11月5日 読書
『アキハバラ発<00年代>への問い』を読んだ。
以下、目次。
はじめに/大澤真幸
I
真夏の秋葉原を歩いて、ここには本質など何もないと気づいた /森達也
「排除」のベルトコンベアとしての派遣労働/竹信三恵子
孤独ということ—秋葉原事件を親子関係から考える/芹沢俊介
若者を匿名化する再帰的コミュニケーション/斎藤環
街路への権利を殺人者としてではなく民衆として要求しなければならない/和田伸一郎
コラム
追い詰められた末の怒りはどこへ向かうのか/雨宮処凛
K容疑者と生活困窮者の間/湯浅 誠
II
◎インタビュー
「私的に公的であること」から言論の場を再構築する/東浩紀
存在論的な不安からの逃走—不本意な自分といかに向き合うか—土井隆義
事件を語る現代—解釈と解釈ゲームの交錯から/佐藤俊樹
無差別の害意とは何か/中西新太郎
極端現象か、場所の不安なのか—秋葉原殺傷事件の社会学的前提を考える—/内田隆三
コラム
劇場型犯罪の果て/速水健朗
主客再逆転の秘義/永井均
III
世界の中心で神を呼ぶ—秋葉原事件をめぐって/大澤真幸
事件を「小さな物語」に封じ込めてはならない/吉岡忍
なぜKは「2ちゃんねる」ではなく「Mega-View」に書き込んだのか?—2000年代のネット文化の変遷と臨界点をめぐって—/濱野智史
孤独であることの二つの位相/浅野智彦
コラム
この20年で私たちが学んだこと/伊藤剛
〈この手の事件〉のたび私が思う漠然としたこと/岡田利規
IV
◎座談会
〈承認〉を渇望する時代の中で/大澤真幸、平野啓一郎、本田由紀
執筆者紹介
この秋葉原無差別テロ事件については、宮崎勤事件やオウム事件にくらべて、あまりにも言及されている本が少なすぎる。
それは、本書で吉岡忍が言うように「この事件には謎がない」と感じられるからだ。宮崎事件のときは、「おたく」について、またオウムについても多くの教典や雑誌、教団の歴史など、参照するものが山ほどあって、それを掘り起こしているだけで興味深い書物が成立した。この事件の犯人、加藤が残したのはネットの書き込みだけ。その書き込みの背景もありきたりなものだった。ただ、吉岡忍は、こう続ける。
「短絡といえば短絡、底の浅い事件である。どこにも謎はない。そう見える。けれども、結果は重大で凄惨だった。このあっけらかんとした短絡、底の浅さにこそ、この事件の現代的意味がある」
いろんな視点から本書は書かれているが、とくに内田隆三の文章は、通り魔と無差別殺人について書かれたもので、不意をつかれて視界がひらかれた思いがした。
あと、浅野智彦の次の文章は、なるほど、そういうことなのか、と腑に落ちた。
「『恋人』や『モテ』について語るものが人を殺し、『戦争』を語るものが幅広い連帯のきっかけを提供する。これは重要な教訓ではあるまいか」
以下、目次。
はじめに/大澤真幸
I
真夏の秋葉原を歩いて、ここには本質など何もないと気づいた /森達也
「排除」のベルトコンベアとしての派遣労働/竹信三恵子
孤独ということ—秋葉原事件を親子関係から考える/芹沢俊介
若者を匿名化する再帰的コミュニケーション/斎藤環
街路への権利を殺人者としてではなく民衆として要求しなければならない/和田伸一郎
コラム
追い詰められた末の怒りはどこへ向かうのか/雨宮処凛
K容疑者と生活困窮者の間/湯浅 誠
II
◎インタビュー
「私的に公的であること」から言論の場を再構築する/東浩紀
存在論的な不安からの逃走—不本意な自分といかに向き合うか—土井隆義
事件を語る現代—解釈と解釈ゲームの交錯から/佐藤俊樹
無差別の害意とは何か/中西新太郎
極端現象か、場所の不安なのか—秋葉原殺傷事件の社会学的前提を考える—/内田隆三
コラム
劇場型犯罪の果て/速水健朗
主客再逆転の秘義/永井均
III
世界の中心で神を呼ぶ—秋葉原事件をめぐって/大澤真幸
事件を「小さな物語」に封じ込めてはならない/吉岡忍
なぜKは「2ちゃんねる」ではなく「Mega-View」に書き込んだのか?—2000年代のネット文化の変遷と臨界点をめぐって—/濱野智史
孤独であることの二つの位相/浅野智彦
コラム
この20年で私たちが学んだこと/伊藤剛
〈この手の事件〉のたび私が思う漠然としたこと/岡田利規
IV
◎座談会
〈承認〉を渇望する時代の中で/大澤真幸、平野啓一郎、本田由紀
執筆者紹介
この秋葉原無差別テロ事件については、宮崎勤事件やオウム事件にくらべて、あまりにも言及されている本が少なすぎる。
それは、本書で吉岡忍が言うように「この事件には謎がない」と感じられるからだ。宮崎事件のときは、「おたく」について、またオウムについても多くの教典や雑誌、教団の歴史など、参照するものが山ほどあって、それを掘り起こしているだけで興味深い書物が成立した。この事件の犯人、加藤が残したのはネットの書き込みだけ。その書き込みの背景もありきたりなものだった。ただ、吉岡忍は、こう続ける。
「短絡といえば短絡、底の浅い事件である。どこにも謎はない。そう見える。けれども、結果は重大で凄惨だった。このあっけらかんとした短絡、底の浅さにこそ、この事件の現代的意味がある」
いろんな視点から本書は書かれているが、とくに内田隆三の文章は、通り魔と無差別殺人について書かれたもので、不意をつかれて視界がひらかれた思いがした。
あと、浅野智彦の次の文章は、なるほど、そういうことなのか、と腑に落ちた。
「『恋人』や『モテ』について語るものが人を殺し、『戦争』を語るものが幅広い連帯のきっかけを提供する。これは重要な教訓ではあるまいか」
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