佐々木中の『九夏前夜』を読んだ。
三十路の男性が、祖父の残した別荘で夏を過ごす。
と、いう物語だというのが、表向き。
まず、この小説の冒頭部分を、ちょこっとだけ引用してみよう。
なんだ、これは!
すわ、「なぞなぞ小説」か、と僕ひとり色めきたって、読みすすめることにした。
その結果、この物語は、実はこういう話なのではないか、という推論が出た。
主人公はすっかりぼけてしまった老人。
一家を惨殺したあげくに、自分のことを三十路の息子だと思い込んでいる。
おそらく、この本を読んだ人も、似たような結論に到達したんじゃないか、と思う。
こう考えることで、なぜ主人公がひとりぼっちなのかもわかるし、周囲を気にしながら庭に墓穴を掘る理由もわかるのである。
こういう「なぞなぞ小説」だと思ったきっかけは単純で、作中、目立つのが、「主体の混乱」と「記憶のあいまい」なのだ。
名前も氏素性も明らかにされない主人公、というか、話者は、とくに他のだれかと会話するわけでもなく、「私」という人称すらほとんど出てこない。しかも、あろうことか、冒頭の文章を見ればわかるように、話者は「お前」なのである。
これは、クーンツの某作品のように、同一の主体をもつ複数の人物が存在しているのか、あるいは、スレイドの某作品のように、複数の主体をもつ1人の人物がいるだけなのか、という仕掛けがあるものと考えられた。
鏡にうつる自分を、まるで他人のように描写するページが続いたり、記憶がないことをえんえんと語るシーンがある。
ほとんどのエピソードは、それが話者である人物についてのものであるという確証もない。
また、こういう文章もあった。
このシーン自体が、ボケ老人の行動だとも言えるが、パラソルのことを「大日傘」などと言う三十男など、どこに存在するのだろう。これは、話者がかなりの老人であることをあらわしている。話者が文学として文章を書いているのなら話しは別だが、普通の思考として、「大日傘」など、すらっと出てくる三十男はいない。
いや、待てよ。この物語の時代が現代でないとしたらどうだ。
ひょっとしたら、これは19世紀の話なのかもしれない。(あるいは鎌倉時代か、とも疑ったが、作中、唯一出てくる家電製品が冷蔵庫なので、少なくとも冷蔵庫が存在している時代にはちがいない。)
いやいや、作中にピアスやら、カレンダーやら、アスファルトという言葉も出てくる。それらは、すべて、現代のものである・・・・のか?古代から耳に孔をあけて装飾品をつけたり、暦を作ったりしていただろうし、アスファルトだって天然のアスファルトなら、現代の産物を意味しない。うむ。わからなくなってきた。
コンピュータもテレビも携帯電話もエアコンも登場しない物語なので、現代のストーリーである証拠はどこにもない。
さらに言えば、この舞台が地球である証拠もないし、だとすれば「夏」は日本で考える四季のうちの夏とは意味合いが違う可能性もある。
うむ。
こういった推理を重ねながら、もっともありそうな落しどころとして行き着いたのが、先に書いた、ボケ老人が家族を殺して、心から息子になりきっている、という状況なのだ。さもなければ、冒頭の「お前」の意味がわからない。
このように複数の主体が入れ替わっている、という仕掛けがある、と結論づけてみてみると、作者のペンネームに大きなヒントがあったことがわかる。
「佐々木中」は、判じ物としては、「佐々木」の「中」だから、答えは「々」。主人公は単独の三十男なのではなくて、ダブルだったのである。
三十路の男性が、祖父の残した別荘で夏を過ごす。
と、いう物語だというのが、表向き。
まず、この小説の冒頭部分を、ちょこっとだけ引用してみよう。
お前の魂の空白のなかで、にがい錫の月がむごく光る。痛がゆく洽く眩ませる。軋めいて痺れさせる。僅かに摘んだ花々も今は踏みにじられた花綵となって赤ぐろい。
なんだ、これは!
すわ、「なぞなぞ小説」か、と僕ひとり色めきたって、読みすすめることにした。
その結果、この物語は、実はこういう話なのではないか、という推論が出た。
主人公はすっかりぼけてしまった老人。
一家を惨殺したあげくに、自分のことを三十路の息子だと思い込んでいる。
おそらく、この本を読んだ人も、似たような結論に到達したんじゃないか、と思う。
こう考えることで、なぜ主人公がひとりぼっちなのかもわかるし、周囲を気にしながら庭に墓穴を掘る理由もわかるのである。
こういう「なぞなぞ小説」だと思ったきっかけは単純で、作中、目立つのが、「主体の混乱」と「記憶のあいまい」なのだ。
名前も氏素性も明らかにされない主人公、というか、話者は、とくに他のだれかと会話するわけでもなく、「私」という人称すらほとんど出てこない。しかも、あろうことか、冒頭の文章を見ればわかるように、話者は「お前」なのである。
これは、クーンツの某作品のように、同一の主体をもつ複数の人物が存在しているのか、あるいは、スレイドの某作品のように、複数の主体をもつ1人の人物がいるだけなのか、という仕掛けがあるものと考えられた。
鏡にうつる自分を、まるで他人のように描写するページが続いたり、記憶がないことをえんえんと語るシーンがある。
ほとんどのエピソードは、それが話者である人物についてのものであるという確証もない。
また、こういう文章もあった。
誰も、誰も居ない、誰一人としてこのおそろしい光から護らぬ無益な大日傘の林立のなかをゆっくりと頼りなく縫うようにして。ぶつかる、またぶつかる、
このシーン自体が、ボケ老人の行動だとも言えるが、パラソルのことを「大日傘」などと言う三十男など、どこに存在するのだろう。これは、話者がかなりの老人であることをあらわしている。話者が文学として文章を書いているのなら話しは別だが、普通の思考として、「大日傘」など、すらっと出てくる三十男はいない。
いや、待てよ。この物語の時代が現代でないとしたらどうだ。
ひょっとしたら、これは19世紀の話なのかもしれない。(あるいは鎌倉時代か、とも疑ったが、作中、唯一出てくる家電製品が冷蔵庫なので、少なくとも冷蔵庫が存在している時代にはちがいない。)
いやいや、作中にピアスやら、カレンダーやら、アスファルトという言葉も出てくる。それらは、すべて、現代のものである・・・・のか?古代から耳に孔をあけて装飾品をつけたり、暦を作ったりしていただろうし、アスファルトだって天然のアスファルトなら、現代の産物を意味しない。うむ。わからなくなってきた。
コンピュータもテレビも携帯電話もエアコンも登場しない物語なので、現代のストーリーである証拠はどこにもない。
さらに言えば、この舞台が地球である証拠もないし、だとすれば「夏」は日本で考える四季のうちの夏とは意味合いが違う可能性もある。
うむ。
こういった推理を重ねながら、もっともありそうな落しどころとして行き着いたのが、先に書いた、ボケ老人が家族を殺して、心から息子になりきっている、という状況なのだ。さもなければ、冒頭の「お前」の意味がわからない。
このように複数の主体が入れ替わっている、という仕掛けがある、と結論づけてみてみると、作者のペンネームに大きなヒントがあったことがわかる。
「佐々木中」は、判じ物としては、「佐々木」の「中」だから、答えは「々」。主人公は単独の三十男なのではなくて、ダブルだったのである。
10minutes
シーズン2第2回予選会
7/3(sun)@BEARS
OP
ねみ
act
モコ
Mirror Lakes
早坂くるえ
野中ひゆ
丼野M美
夢野さくら
刹那
明巳真子
guest live
アイス
SPwkwk
荻野アサミ
花井なお
審査員
安齋レオ(玩具P)
安井麻人(A.C.E)
HEVI(スタジオ モノリス)
maico(自分BOX)
中沢健(作家・映画監督)
司会
保山ひャン
Bカシワギ
フランクフルト
喫茶銭ゲバ
予選通過は、モコさんと、野中ひゆさんでした。
おめでとう!
今回は、ベアーズのエアコンが故障していて、とにかく、蒸し暑かった!
熱いライブ!
ダイエットに最適!
きっと、お客さんも出演者も、老廃物を全部デトックスして、健康になって帰宅されたものと信じたいです。
シーズン2第2回予選会
7/3(sun)@BEARS
OP
ねみ
act
モコ
Mirror Lakes
早坂くるえ
野中ひゆ
丼野M美
夢野さくら
刹那
明巳真子
guest live
アイス
SPwkwk
荻野アサミ
花井なお
審査員
安齋レオ(玩具P)
安井麻人(A.C.E)
HEVI(スタジオ モノリス)
maico(自分BOX)
中沢健(作家・映画監督)
司会
保山ひャン
Bカシワギ
フランクフルト
喫茶銭ゲバ
予選通過は、モコさんと、野中ひゆさんでした。
おめでとう!
今回は、ベアーズのエアコンが故障していて、とにかく、蒸し暑かった!
熱いライブ!
ダイエットに最適!
きっと、お客さんも出演者も、老廃物を全部デトックスして、健康になって帰宅されたものと信じたいです。
『夜と死の群像 黒い報告書より』
2011年7月2日 読書松本孝の『夜と死の群像 黒い報告書より』を読んだ。1963年。
「週刊新潮」に掲載された事件小説をおさめてある。と、言っても、50年ほど前の事件で、とくに日本犯罪史に残るような事件ではないため、知っている事件はこれと言って見つからなかった。男と女の犯罪かわらばん、といった趣がある。どれもこれも、安い犯罪なのである。
以下の12編が収録されている。
不倫の女
愛欲の果て
情婦の役割
二千万円の女
転落する花
雪の中の二人の女
好色社長死す
その株に手を出すな
五年目の来訪者
暗い億万長者
父の女の酒場
事件後の事件
引用するのもわびしくて悲しい、当時の世相と、庶民の犯罪の一端をほとんどランダムにちょこっと、書き留めておこう。
「週刊新潮」に掲載された事件小説をおさめてある。と、言っても、50年ほど前の事件で、とくに日本犯罪史に残るような事件ではないため、知っている事件はこれと言って見つからなかった。男と女の犯罪かわらばん、といった趣がある。どれもこれも、安い犯罪なのである。
以下の12編が収録されている。
不倫の女
愛欲の果て
情婦の役割
二千万円の女
転落する花
雪の中の二人の女
好色社長死す
その株に手を出すな
五年目の来訪者
暗い億万長者
父の女の酒場
事件後の事件
引用するのもわびしくて悲しい、当時の世相と、庶民の犯罪の一端をほとんどランダムにちょこっと、書き留めておこう。
彼女は、ふかい関係にこそおちいらなかったが、かなりの人数の男と、つきあっていた。だが、最近では、その男たちも、遠のいてゆくようだった。金ばなれの悪くなった、疲労のかげのこい人妻など、彼らにとって、用のない存在であるのは、あたりまえである。(「不倫の女」)
彼女にとって、自分の家は負担でしかなかった。彼女はわかい、イキのいい女だった。おそくなれば説教され、」外泊すればカンカンになっておこられる家など、チャンスがあれば、いつでもでてしまいたかった。
関西出身のある女デザイナーが、思いきったデザインのブラジャーや、コルセットを発表し、世間をアッといわせたいきおいに乗じて、東京に進出してきた。彼女にあたえられた仕事は、それだったのである。(「愛欲の果て」)
尻のわれ目まで見える「Uパッチ」とか、「ひらめスリップ」「骨盤ガーター」「桜貝キャミター」などという、刺戟的な婦人下着専門の、そのデザイナーについては、中央のジャーナリズムも、いっせいにとりあげていた。
「溝口は、敏腕なデカだった。<原爆刑事>というあだ名がついていたくらいだった」(「情婦の役割」)
老いるにしたがって意地わるさをます姑。そうした姑に一言もたてつくことのできない、まじめだが気弱な夫。そのあいだにはさまって、信子はしだいに不幸になっていった。そしてついに、キャンデーを盗む悲劇をおこしてしまったのであった。(「二千万円の女」)
しかし、和枝の乱脈ぶりは、いっこうにあらたまらなかった。麻薬患者がヤクをもとめるように、彼女はやみくもに男をあさった。(「転落する花」)
「黄色いヘルメットをかぶった、泥だらけの人相のわるい男までひっぱりこんでますね」
ちょうど、地方でマンボが全盛のころであった。(「雪の中の二人の女」)
小諸駅のちかくに、トンネルがある。それをくぐった少し先の一軒家が、ダンスホールになっていた。
木、土の週2回ひらくだけの、安っぽい卓球場みたいな、十畳ばかりのホールだったが、小諸市内や近在のちょっとイカれた連中で、いつも満員だった。
後楽園。この一劃は、野球場を中心としてここ数年のうちに急速に発展し、おびただしい娯楽施設を備えた一大レジャー・センターと化している。(「好色社長死す」)
プール。ローラー・スケート場。競輪場。遊園地・・・。夜、これらの各設備が放つ色とりどりのネオンは目くるめくほど強烈だった。
「何さ。ひとの金で女を抱かせてもらってるくせに、デカいツラするんじゃあないよ。支那人め、顔を見りゃ、すぐわかるんだから」(「五年目の来訪者」)
「ばかやろう。おれは、韓国だ!」
「どっちだって、おんなじだよ」
そのことばをきくと、安斗昌は、逆上した。彼はものも言わず、女をなぐりつけた。女はベッドからおち、ぶざまにはだかの股をひろげて、ころがった。
(日本の白豚め!)安は、酔いがいっぺんにふきとぶのをかんじた。
安斗昌が、少年のころ、彼の父は神楽坂で、靴なおしをやっていた。小学校にあがると、同級生は彼をかこんで、彼のちょっとした言葉づかいなどをとらえては、はやしたてた。それは、グサリと少年の胸を刺すような、冷酷なからかいだった。
血もこおるような、あの屈辱を、安斗昌はけっしてわすれない。中学を出ると彼は一直線に無法者の世界に、とびこんだ。それが、彼にとって、せめてもの反抗の形式だったのだ。
いまのおれには、何もない。希望も、情熱も、何ひとつありはしない。・・・おれは、いろんなものに、熱中した。電気機関車の模型に熱中し、ラジオに熱中し、レコードに熱中し、喫茶店の経営に熱中し、競輪に熱中した。しかし、結局、どれもこれも趣味でしかなかった。だから、ある期間が過ぎると、みんな冷めてしまい、あとには、何ものこらなかった。しかも、もう三十三にもなっちまったというのに・・・(「暗い億万長者」)
バス代を払ってしまうと、百円札が4枚にあとは10円玉が3つしか残らなかった。400円やそこらの持ち金では、女に逢いにゆけるものではない。(「父の女の酒場」)
腕っぷしがつよく、エネルギーに満ちた、明朗な明。皮ジャンバーに、白いマフラーをまき、半長靴をはいて単車をとばす明。それは、近所の娘たちの眼に、さっそうと映った。「イカす青年」だったわけだ。(「事件後の事件」)
ダーレン・アロノフスキー監督の「ブラックスワン」を見に行った。
ナタリー・ポートマン主演。
新振り付けのバレエ「白鳥の湖」をめぐる物語。
プリマに選ばれたナタリー・ポートマンが、黒鳥の役柄を会得するまでの紆余曲折と努力と不安をホラー・タッチで描く。
と、いうことはやたら怖がらせる演出はあるものの、それらはすべてプリマになるための生みの苦しみみたいなもので、何か実際に恐ろしいことが起こっているわけではないのである。
これは、実際にステージに立つ者なら、誰でもが共感できる作品になっていたと思う。
本番までの緊張や不安、さらにはそれにまつわる嫉妬や恐怖など、こればっかりは何回ステージに立ってもなくならないのである。楽しさも大きいが、覚悟も必要な世界なのである。
ナタリー・ポートマン主演。
新振り付けのバレエ「白鳥の湖」をめぐる物語。
プリマに選ばれたナタリー・ポートマンが、黒鳥の役柄を会得するまでの紆余曲折と努力と不安をホラー・タッチで描く。
と、いうことはやたら怖がらせる演出はあるものの、それらはすべてプリマになるための生みの苦しみみたいなもので、何か実際に恐ろしいことが起こっているわけではないのである。
これは、実際にステージに立つ者なら、誰でもが共感できる作品になっていたと思う。
本番までの緊張や不安、さらにはそれにまつわる嫉妬や恐怖など、こればっかりは何回ステージに立ってもなくならないのである。楽しさも大きいが、覚悟も必要な世界なのである。
『メディア・アート創世記 科学と芸術の出会い』
2011年6月30日 読書
坂根巌夫の『メディア・アート創世記 科学と芸術の出会い』を読んだ。
以下、目次。
はじめに
[I] 私、そして境界領域を訪ね歩いた半世紀
中国・青島(チンタオ)生まれ、京都・丹後育ち
科学者、レオナルド・ダ・ヴィンチを知る
「関係は存在に優位する」の思想に惹かれる
新聞社勤務は、佐賀支局から
世界デザイン会議を取材して
多彩なクリエーターたちとの出会い
企画提案と初めての海外取材
モントリオール万博での発見
日本のアート・アンド・テクノロジーへの取組み
大阪万博EXPO70が始まる
EATグループの世界的デビュー/日本人作家グループの活躍/万国博の大いなる役割
アメリカ留学中の体験
ジョルジ・ケペッシュが説く新しい表現/ソフトウエア展ほか触発されどおしの日々/M・C・エッシャーに会う
「遊び」や「科学と芸術のあいだ」を考察
動きはじめた「メディア・アート」を追って
新聞社を退職して教育の場へ
[II] 科学と芸術の相克を超える思索と試み
J・ブロノフスキー『人類の上昇』の発想
科学の発見と技術がアート表現を呼び覚ます
台頭するアート・アンド・テクノロジー運動
境界領域をつなごうとしたサイエンティストたち
「新しい科学博物館」を提案したF・オッペンハイマー
「サイエンス・アート」と呼ぶべきなのか・・・
日本のキーパーソン、伏見康治
万博、ベニス・ビエンナーレ、ドクメンタが果たしたこと
日本のアート・アンド・テクノロジー運動
ミュージアム、画廊、メディア・センターの拡大
シーグラフとアルス・エレクトロニカの隆盛
境界領域のアートを促す各国のイベント
未来のイメージ展、IMAGINA/DEAF/ISEA/韓国のメディア・アート/ユネスコ
メディア・アートの主な教育機関:海外の例
MIT、メディア・ラボ/ニューヨーク大学ITP/RCA/パリ第八大学/モントリオール大学/UCLA/USC/U.C.サンディエゴ/U.C.バークレー/ZKM/ヘルシンキ芸術デザイン大学
メディア・アートの主な教育機関:国内の例
九州芸術工科大学/筑波大学/神戸芸術工科大学/東京芸術大学、同大学大学院映像研究科/東京大学大学院情報学環/多摩美術大学/武蔵野美術大学
【III】境界領域のアート1 「動」と「光」の饗宴
キネテック・アートとその先駆者たち
フランク・マリーナと機関誌「レオナルド」/シェフェールのサイバネティック・アート/動く彫刻「モビール」の作者、カルダー/タキス、アガム、ティンゲリーの動く作品/ロボット技術との出会い
オプチカル・アート/イリュージョン・アートとの出会い
めくるめくアートが感覚に及ぼす効果/心理学者が見た夢のスケッチと無限音階/日本の錯視芸術の巨匠たち/スコット・キムと名著『ゲーデル・エッシャー・バッハ』
ライト・アートは1920年代の「ルミア」から
先人、トマス・ウィルフレッドの華麗な試み/光と影をテーマにするアーティストたち/松村泰三のライト・アートを象徴する作品/光の演出による「環境アート」の試み
ショー「レーザリアム」に代表されるレーザー・アート
立体視アートの流行は繰り返す
立体視を実現する知覚と方法の探究/プルフリッヒ効果による立体視の原理とは…
ホログラフィ・アート、驚異の美と科学
パルスレーザー開発が身近にしたホログラフィ/ホログラフィ・アートの世界的隆盛と沈静
【IV】境界領域のアート2 数学、幾何学的な造形
エッシャーとペンローズ、発想の連鎖
不可能の構造シリーズが誕生する背景/広がり続けるエッシャー・ファン/エッシャーと日本との密接な関係/不可能の構図の作品の歴史的先駆者について
メビウスの輪の発想から創造へ
万華鏡や立体模型に宿る幾何学
世界を幾何学で捉えるバックミンスター・フラー
数学者ならではの方法と作品
マックス・ビル、ピート・ハイン/ミゲロ・ベロカルのパズル式彫刻/「ルービック・キューブ」をめぐる出来事/ネルソン・マックス「球を裏返す」
【V】境界領域のアート3 電子技術による表現革命
ビデオを活かす表現者、ナム=ジュン・パイク
「ビデオひろば」に始まる日本のビデオ・アート
コンピュータ・アートの登場
CG技術の発表の場、シーグラフの発足
インタラクティブ・アートの大いなる可能性
参加型のゲーム「センソラマ」/サザランド博士のHMD開発/「人工現実」を著したマイロン・クルーガー/エド・タネンバウムと巨大スクリーン/ジェフリー・ショー「ザ・レジブル・シティ(読める街)」
インタラクティブ・アートの表現者と作品
マイケル・ネイマークの数々の試み/クリスタとローランの共作/アグネスとジェフリーの「ハンドサイト」/スコット=ソーナ・スニッブの不可思議な作品/ウォルフガング・ミュンヒと古川聖のコラボレーション/カミーユ作品はいつも詩情豊か/タミコ、民族や文化の境界から生まれる作品/タマシュが作る独特のCG世界/リュック、ハイパーカードで制作/日本のメディア・アートの第一人者
【VI】境界領域のアート4 視聴覚拡張の試み
広がるワールド・サウンドスケープ運動
風や水、街の振動を音楽に/インタラクティブなサウンド・アート/ユニークな音のパフォーマーたち/ポール・マチスが見い出したパイプの音響/日本のサウンド・アート体験
フェノメナ・アートにこめられたシュタイナー思想
「フェノメナート」展を企画
時空を超える宇宙芸術(コズミック・アート)の表現
エイセ・エイシンガとプラネタリウム/オットー・ピーネと「スカイ・アート」/ロスとタレルの宇宙構想/ウォルター・デ・マリアの「雷を呼ぶアート」/ニューポ:(牛波)の「大空絵画」/ウスマン・ハックのSky Ear計画/クルト・ホフステッターのサン・ペンデュラム計画/SOL計画/宇宙線のアート/人工衛星と共に、ときを超える計画
アース・アート、ランド・アートという環境芸術
急速に世界に広まったパノラマ・アート
球面絵画と球面写真によるパノラマ的表現
【VII】境界領域のアート5 生物学の進展と表現
脳波や脳機能が新たなアート表現を呼び込む
遺伝子によるアート(Genetic Art)はやや難解か
「匂い」をはじめ五感に訴えるアートを
【VIII】デジタル・アートとアナログ・アート
八つの相違点を考える
おわりに----メディア・アートの未来へ
最後の方にある、デジタル・アートとアナログ・アートの8つの相違点は、
ハイブリッド性
作品の生命の変化
作品への参加性の拡大
作品の機能性の拡大
アートの定義の変化
アーティストの意味や定義のゆらぎ
アートの新しい役割
教育体制の変貌
である。
本書から、著者の抱いている歯がゆさが伝わってくる。
メディア・アートがアートの世界で取り上げられることの少なさと、新しいアーティストが小粒になっていることについて。
たしかに、読んでいると、最近の作品になるほど、小手先の作品になっているような印象は否めないし、美術館の旧態依然たる態度も、徐々に改善される程度の歩みだ。
突破せよ!
以下、目次。
はじめに
[I] 私、そして境界領域を訪ね歩いた半世紀
中国・青島(チンタオ)生まれ、京都・丹後育ち
科学者、レオナルド・ダ・ヴィンチを知る
「関係は存在に優位する」の思想に惹かれる
新聞社勤務は、佐賀支局から
世界デザイン会議を取材して
多彩なクリエーターたちとの出会い
企画提案と初めての海外取材
モントリオール万博での発見
日本のアート・アンド・テクノロジーへの取組み
大阪万博EXPO70が始まる
EATグループの世界的デビュー/日本人作家グループの活躍/万国博の大いなる役割
アメリカ留学中の体験
ジョルジ・ケペッシュが説く新しい表現/ソフトウエア展ほか触発されどおしの日々/M・C・エッシャーに会う
「遊び」や「科学と芸術のあいだ」を考察
動きはじめた「メディア・アート」を追って
新聞社を退職して教育の場へ
[II] 科学と芸術の相克を超える思索と試み
J・ブロノフスキー『人類の上昇』の発想
科学の発見と技術がアート表現を呼び覚ます
台頭するアート・アンド・テクノロジー運動
境界領域をつなごうとしたサイエンティストたち
「新しい科学博物館」を提案したF・オッペンハイマー
「サイエンス・アート」と呼ぶべきなのか・・・
日本のキーパーソン、伏見康治
万博、ベニス・ビエンナーレ、ドクメンタが果たしたこと
日本のアート・アンド・テクノロジー運動
ミュージアム、画廊、メディア・センターの拡大
シーグラフとアルス・エレクトロニカの隆盛
境界領域のアートを促す各国のイベント
未来のイメージ展、IMAGINA/DEAF/ISEA/韓国のメディア・アート/ユネスコ
メディア・アートの主な教育機関:海外の例
MIT、メディア・ラボ/ニューヨーク大学ITP/RCA/パリ第八大学/モントリオール大学/UCLA/USC/U.C.サンディエゴ/U.C.バークレー/ZKM/ヘルシンキ芸術デザイン大学
メディア・アートの主な教育機関:国内の例
九州芸術工科大学/筑波大学/神戸芸術工科大学/東京芸術大学、同大学大学院映像研究科/東京大学大学院情報学環/多摩美術大学/武蔵野美術大学
【III】境界領域のアート1 「動」と「光」の饗宴
キネテック・アートとその先駆者たち
フランク・マリーナと機関誌「レオナルド」/シェフェールのサイバネティック・アート/動く彫刻「モビール」の作者、カルダー/タキス、アガム、ティンゲリーの動く作品/ロボット技術との出会い
オプチカル・アート/イリュージョン・アートとの出会い
めくるめくアートが感覚に及ぼす効果/心理学者が見た夢のスケッチと無限音階/日本の錯視芸術の巨匠たち/スコット・キムと名著『ゲーデル・エッシャー・バッハ』
ライト・アートは1920年代の「ルミア」から
先人、トマス・ウィルフレッドの華麗な試み/光と影をテーマにするアーティストたち/松村泰三のライト・アートを象徴する作品/光の演出による「環境アート」の試み
ショー「レーザリアム」に代表されるレーザー・アート
立体視アートの流行は繰り返す
立体視を実現する知覚と方法の探究/プルフリッヒ効果による立体視の原理とは…
ホログラフィ・アート、驚異の美と科学
パルスレーザー開発が身近にしたホログラフィ/ホログラフィ・アートの世界的隆盛と沈静
【IV】境界領域のアート2 数学、幾何学的な造形
エッシャーとペンローズ、発想の連鎖
不可能の構造シリーズが誕生する背景/広がり続けるエッシャー・ファン/エッシャーと日本との密接な関係/不可能の構図の作品の歴史的先駆者について
メビウスの輪の発想から創造へ
万華鏡や立体模型に宿る幾何学
世界を幾何学で捉えるバックミンスター・フラー
数学者ならではの方法と作品
マックス・ビル、ピート・ハイン/ミゲロ・ベロカルのパズル式彫刻/「ルービック・キューブ」をめぐる出来事/ネルソン・マックス「球を裏返す」
【V】境界領域のアート3 電子技術による表現革命
ビデオを活かす表現者、ナム=ジュン・パイク
「ビデオひろば」に始まる日本のビデオ・アート
コンピュータ・アートの登場
CG技術の発表の場、シーグラフの発足
インタラクティブ・アートの大いなる可能性
参加型のゲーム「センソラマ」/サザランド博士のHMD開発/「人工現実」を著したマイロン・クルーガー/エド・タネンバウムと巨大スクリーン/ジェフリー・ショー「ザ・レジブル・シティ(読める街)」
インタラクティブ・アートの表現者と作品
マイケル・ネイマークの数々の試み/クリスタとローランの共作/アグネスとジェフリーの「ハンドサイト」/スコット=ソーナ・スニッブの不可思議な作品/ウォルフガング・ミュンヒと古川聖のコラボレーション/カミーユ作品はいつも詩情豊か/タミコ、民族や文化の境界から生まれる作品/タマシュが作る独特のCG世界/リュック、ハイパーカードで制作/日本のメディア・アートの第一人者
【VI】境界領域のアート4 視聴覚拡張の試み
広がるワールド・サウンドスケープ運動
風や水、街の振動を音楽に/インタラクティブなサウンド・アート/ユニークな音のパフォーマーたち/ポール・マチスが見い出したパイプの音響/日本のサウンド・アート体験
フェノメナ・アートにこめられたシュタイナー思想
「フェノメナート」展を企画
時空を超える宇宙芸術(コズミック・アート)の表現
エイセ・エイシンガとプラネタリウム/オットー・ピーネと「スカイ・アート」/ロスとタレルの宇宙構想/ウォルター・デ・マリアの「雷を呼ぶアート」/ニューポ:(牛波)の「大空絵画」/ウスマン・ハックのSky Ear計画/クルト・ホフステッターのサン・ペンデュラム計画/SOL計画/宇宙線のアート/人工衛星と共に、ときを超える計画
アース・アート、ランド・アートという環境芸術
急速に世界に広まったパノラマ・アート
球面絵画と球面写真によるパノラマ的表現
【VII】境界領域のアート5 生物学の進展と表現
脳波や脳機能が新たなアート表現を呼び込む
遺伝子によるアート(Genetic Art)はやや難解か
「匂い」をはじめ五感に訴えるアートを
【VIII】デジタル・アートとアナログ・アート
八つの相違点を考える
おわりに----メディア・アートの未来へ
最後の方にある、デジタル・アートとアナログ・アートの8つの相違点は、
ハイブリッド性
作品の生命の変化
作品への参加性の拡大
作品の機能性の拡大
アートの定義の変化
アーティストの意味や定義のゆらぎ
アートの新しい役割
教育体制の変貌
である。
本書から、著者の抱いている歯がゆさが伝わってくる。
メディア・アートがアートの世界で取り上げられることの少なさと、新しいアーティストが小粒になっていることについて。
たしかに、読んでいると、最近の作品になるほど、小手先の作品になっているような印象は否めないし、美術館の旧態依然たる態度も、徐々に改善される程度の歩みだ。
突破せよ!
鳥飼否宇の『官能的』を読んだ。
カーの作品をもじった連作集。
ストーカーまがい(まがい?)の行動で自ら渦中にとびこんで巻き込まれる不可能事件に、神の啓示ごとき超絶こじつけ推理でケムに巻いたかと思うと、適当な解決に落ち着いたかと思いきや、最後の最後で真相が明かされるという、推理ファンにはたまらない趣向が満載。
で、連作全体を貫く「趣向」が、本格推理ファンなら、きっと早いうちに見抜けるような趣向で、これなどは、作者が読者に対するサービスとして投げ与えてくれたエサなのだ。
僕などは、そのエサがいつ明かされるのかと気になって、一つ一つの作品の瑕など頭がまわらないほどだった。まんまとエサの罠にしてやられたのである。
以下、目次。
「夜歩くと・・・」漸変態に関する考察
「孔雀の羽根に・・・」過変態に関する研究
「囁く影が・・・」完全変態に関する洞察
「四つの狂気」無変態に関する補足
カーの作品をもじった連作集。
ストーカーまがい(まがい?)の行動で自ら渦中にとびこんで巻き込まれる不可能事件に、神の啓示ごとき超絶こじつけ推理でケムに巻いたかと思うと、適当な解決に落ち着いたかと思いきや、最後の最後で真相が明かされるという、推理ファンにはたまらない趣向が満載。
で、連作全体を貫く「趣向」が、本格推理ファンなら、きっと早いうちに見抜けるような趣向で、これなどは、作者が読者に対するサービスとして投げ与えてくれたエサなのだ。
僕などは、そのエサがいつ明かされるのかと気になって、一つ一つの作品の瑕など頭がまわらないほどだった。まんまとエサの罠にしてやられたのである。
以下、目次。
「夜歩くと・・・」漸変態に関する考察
「孔雀の羽根に・・・」過変態に関する研究
「囁く影が・・・」完全変態に関する洞察
「四つの狂気」無変態に関する補足
『ザ・ビートルズ/リメンバー』
2011年6月28日 読書
クラウス・フォアマンの『ザ・ビートルズ/リメンバー』を読んだ。
クラウスは、ビートルズの「リボルバー」のジャケットを描いた人で、ミュージシャンでもある。(マンフレッド・マンのメンバー)。ビートルズのソロ時代のレコーディングなどにミュージシャンとして参加もしており、僕などはてっきり「クラウス・ブーアマン」と読むんだと思い込んでいた。(Klaus Voormann)
初期のビートルズでの、ポールとスチュの喧嘩のエピソードが実際はどうだったのか、とか、そのときにその現場にいた、親しい友人としての証言が聞けて、これは貴重!
以下、目次。
第1章 ビートルズとの出会い
1.生い立ち
2.地下室のロックンロール
3.カイザーケラー鉄の掟
4.ジョージ・ハリスン
5.ジョン・レノン
6.スチュアート・サトクリフ
7.ポール・マッカートニー対スチュアート・サトクリフ
8.国外退去
第2章 デビュー、飛翔するビートルズ
1.2度目のハンブルグ、そしてスチュの死
2.ブライアン・エプスタイン
3.デビューと最後の休日
4.恋におちたら
5.ア・ハード・デイズ・ナイト
第3章 リボルバー
1.LSD体験とエプスタインの映画会
2.マンフレッド・マン、そしてジョンの電話
3.リボルバー制作秘話
第4章 黄金のサージェント・ペパー時代
1.ストロベリー・フィールズ・フォーエバーとペニー・レイン
2.ア・デイ・イン・ザ・ライフ
3.ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ
4.ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー
5.ドント・パス・ミー・バイ
6.ベイビー・ユーアー・ア・リッチマン
第5章 翳りの王国
1.ブライアン・エプスタインの死
2.アラン・クライン
3.スウィート・トロント
第6章 ソロ時代
1.センチメンタル・ジャーニー
2.インスタント・カーマ
3.ジョンの魂
4.ドリス・トロイのソー・ファー
5.オール・シングス・マスト・パス
6.アイ・リメンバー・ジープ
7.ブラインド・マン
8.コンサート・フォー・バングラデシュ
第7章 イマジンの時代
1.イマジン
2.クリップルド・インサイド
3.真実が欲しい&ジェラス・ガイ
4.ニューヨーク・シティ
5.ビー・ヒア・ナウ
6.トライ・サム・バイ・サム
7.想い出のフォトグラフ
8.アルバム「リンゴ」
第8章 失われた週末、ハウス・ハズバンド、そして突然の別れ
1.ジョンと歌った「ロックンロール」
2.ハリー・ニルソン
3.別れ、そしてジョージのやさしさ
4.ハウス・ハズバンド
5.ジョンの死
第9章 NOW
1.ラン・デヴィル・ラン
2.ジョージのためのセレモニー
3.DVD『コンサート・フォー・バングラデシュ』
クラウスは、ビートルズの「リボルバー」のジャケットを描いた人で、ミュージシャンでもある。(マンフレッド・マンのメンバー)。ビートルズのソロ時代のレコーディングなどにミュージシャンとして参加もしており、僕などはてっきり「クラウス・ブーアマン」と読むんだと思い込んでいた。(Klaus Voormann)
初期のビートルズでの、ポールとスチュの喧嘩のエピソードが実際はどうだったのか、とか、そのときにその現場にいた、親しい友人としての証言が聞けて、これは貴重!
以下、目次。
第1章 ビートルズとの出会い
1.生い立ち
2.地下室のロックンロール
3.カイザーケラー鉄の掟
4.ジョージ・ハリスン
5.ジョン・レノン
6.スチュアート・サトクリフ
7.ポール・マッカートニー対スチュアート・サトクリフ
8.国外退去
第2章 デビュー、飛翔するビートルズ
1.2度目のハンブルグ、そしてスチュの死
2.ブライアン・エプスタイン
3.デビューと最後の休日
4.恋におちたら
5.ア・ハード・デイズ・ナイト
第3章 リボルバー
1.LSD体験とエプスタインの映画会
2.マンフレッド・マン、そしてジョンの電話
3.リボルバー制作秘話
第4章 黄金のサージェント・ペパー時代
1.ストロベリー・フィールズ・フォーエバーとペニー・レイン
2.ア・デイ・イン・ザ・ライフ
3.ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ
4.ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー
5.ドント・パス・ミー・バイ
6.ベイビー・ユーアー・ア・リッチマン
第5章 翳りの王国
1.ブライアン・エプスタインの死
2.アラン・クライン
3.スウィート・トロント
第6章 ソロ時代
1.センチメンタル・ジャーニー
2.インスタント・カーマ
3.ジョンの魂
4.ドリス・トロイのソー・ファー
5.オール・シングス・マスト・パス
6.アイ・リメンバー・ジープ
7.ブラインド・マン
8.コンサート・フォー・バングラデシュ
第7章 イマジンの時代
1.イマジン
2.クリップルド・インサイド
3.真実が欲しい&ジェラス・ガイ
4.ニューヨーク・シティ
5.ビー・ヒア・ナウ
6.トライ・サム・バイ・サム
7.想い出のフォトグラフ
8.アルバム「リンゴ」
第8章 失われた週末、ハウス・ハズバンド、そして突然の別れ
1.ジョンと歌った「ロックンロール」
2.ハリー・ニルソン
3.別れ、そしてジョージのやさしさ
4.ハウス・ハズバンド
5.ジョンの死
第9章 NOW
1.ラン・デヴィル・ラン
2.ジョージのためのセレモニー
3.DVD『コンサート・フォー・バングラデシュ』
『ゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー』
2011年6月27日 読書
円堂都司昭の『ゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー』を読んだ。
「まえがき」にもあるように、これは2000~2010年の批評に関するガイドブックで、多くの本は既に読んでいたが、それがピシッピシッとあるべき位置にマッピングされていく快感ったらなかった。
以下、目次
まえがき
第1章 ゼロ年代批評のインパクト
●ゼロ年代の批評をリードする――東浩紀『動物化するポストモダン』
●コミュニケーションを鍵として――宇野常寛『ゼロ年代の想像力』
●ニコニコ動画は政治をも動かす――濱野智史『アーキテクチャの生態系』
●この国の批評のかたち─佐々木敦『ニッポンの思想』
「世界視線」とアーキテクチャ
パフォーマティヴとコンスタティヴ/「私」からの逃走と自分探し/投瓶通信の否定/不況下の批評
第2章 ネットの力は社会を揺さぶる
●アイロニーと反省からみた状況のねじれ――北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』
●理想と現実、ウェブ2・0と2ちゃんねるのあいだ――梅田望夫『ウェブ進化論』
●宿命とセカイの外へむかって――鈴木謙介『ウェブ社会の思想』
●「祭り」のあとでクールに思考する――荻上チキ『ウェブ炎上』
情報環境と自由、コミュニケーション
セキュリティと環境管理型権力/事件の物語化の変容/秋葉原通り魔事件と「ゲーム的」現実感覚/「呼びかけのメディア」の可能性
第3章 言葉の居場所は紙か、電子か
●「つぶやき」が情報流通インフラになるとき――津田大介『Twitter社会論』
●小説と文芸批評の擁護者として――前田塁『紙の本が亡びるとき?』
●オープン化は「本」をも変えるか――佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』
「教養」の終焉と著者2・0
「本」と「青春」の終わり/「文学」の終焉と成熟の不可能性/文学フリマと批評の居場所/レヴュアーの時代/言葉の変化と風景の変化/ニコニコ動画からツイッターへ
第4章 データベースで踊る表現の世界
●「ぼくら語り」にレッドカード――伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』
●オタクの自意識と思春期をめぐって――前島賢『セカイ系とは何か』
●情報処理の方程式は何を読み解くか――福嶋亮大『神話が考える』
キャラ/テクノ/スーパーフラット
セカイ系と萌え/新本格ミステリーと「キャラ」/『アトムの命題』と大量死理論/八〇年代との連続性/「日本ゼロ年」というリセット
第5章 変容するニッポンの風景
●すべては個室になるか─―森川嘉一郎『趣都の誕生』
●「過去」失い流動化する地方─―三浦展『ファスト風土化する日本』
●郊外のデフレカルチャー─―速水健朗『ケータイ小説的。』
建築とアーキテクチャ
二種類の「テーマパーク」/「ホームレス」と「ストリート」/都市デザインとしての2ちゃんねる/物理空間と情報空間
終章 二〇一〇年代にむけて
アーキテクチャ批判という伝統芸/「現実」の時代
主要参考文献
あとがき
「まえがき」にもあるように、これは2000~2010年の批評に関するガイドブックで、多くの本は既に読んでいたが、それがピシッピシッとあるべき位置にマッピングされていく快感ったらなかった。
以下、目次
まえがき
第1章 ゼロ年代批評のインパクト
●ゼロ年代の批評をリードする――東浩紀『動物化するポストモダン』
●コミュニケーションを鍵として――宇野常寛『ゼロ年代の想像力』
●ニコニコ動画は政治をも動かす――濱野智史『アーキテクチャの生態系』
●この国の批評のかたち─佐々木敦『ニッポンの思想』
「世界視線」とアーキテクチャ
パフォーマティヴとコンスタティヴ/「私」からの逃走と自分探し/投瓶通信の否定/不況下の批評
第2章 ネットの力は社会を揺さぶる
●アイロニーと反省からみた状況のねじれ――北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』
●理想と現実、ウェブ2・0と2ちゃんねるのあいだ――梅田望夫『ウェブ進化論』
●宿命とセカイの外へむかって――鈴木謙介『ウェブ社会の思想』
●「祭り」のあとでクールに思考する――荻上チキ『ウェブ炎上』
情報環境と自由、コミュニケーション
セキュリティと環境管理型権力/事件の物語化の変容/秋葉原通り魔事件と「ゲーム的」現実感覚/「呼びかけのメディア」の可能性
第3章 言葉の居場所は紙か、電子か
●「つぶやき」が情報流通インフラになるとき――津田大介『Twitter社会論』
●小説と文芸批評の擁護者として――前田塁『紙の本が亡びるとき?』
●オープン化は「本」をも変えるか――佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』
「教養」の終焉と著者2・0
「本」と「青春」の終わり/「文学」の終焉と成熟の不可能性/文学フリマと批評の居場所/レヴュアーの時代/言葉の変化と風景の変化/ニコニコ動画からツイッターへ
第4章 データベースで踊る表現の世界
●「ぼくら語り」にレッドカード――伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』
●オタクの自意識と思春期をめぐって――前島賢『セカイ系とは何か』
●情報処理の方程式は何を読み解くか――福嶋亮大『神話が考える』
キャラ/テクノ/スーパーフラット
セカイ系と萌え/新本格ミステリーと「キャラ」/『アトムの命題』と大量死理論/八〇年代との連続性/「日本ゼロ年」というリセット
第5章 変容するニッポンの風景
●すべては個室になるか─―森川嘉一郎『趣都の誕生』
●「過去」失い流動化する地方─―三浦展『ファスト風土化する日本』
●郊外のデフレカルチャー─―速水健朗『ケータイ小説的。』
建築とアーキテクチャ
二種類の「テーマパーク」/「ホームレス」と「ストリート」/都市デザインとしての2ちゃんねる/物理空間と情報空間
終章 二〇一〇年代にむけて
アーキテクチャ批判という伝統芸/「現実」の時代
主要参考文献
あとがき
『行方不明のヘンテコな伯父さんからボクがもらった手紙』
2011年6月26日 読書
マーヴィン・ピークの『行方不明のヘンテコな伯父さんからボクがもらった手紙』を読んだ。
「白鯨」ならぬ白いライオンを追い求める義足のおじさんの冒険物語。
手紙の体裁をとっていて、誤字を訂正したあとや、書き込み、絵など、1ページ1ページが見ていて楽しい作りになっている。コーヒーをこぼした痕なども。
また、断崖めがけて滑落するピンチや、大竜巻のピンチなど、波乱万丈の大冒険が展開し、わけのわからないカメのお化けみたいな動物を家来にして旅をするなど、「ヘンテコ」と呼ばれながらも子供の心をガッチリつかんで離さない面白さだ。
「白鯨」ならぬ白いライオンを追い求める義足のおじさんの冒険物語。
手紙の体裁をとっていて、誤字を訂正したあとや、書き込み、絵など、1ページ1ページが見ていて楽しい作りになっている。コーヒーをこぼした痕なども。
また、断崖めがけて滑落するピンチや、大竜巻のピンチなど、波乱万丈の大冒険が展開し、わけのわからないカメのお化けみたいな動物を家来にして旅をするなど、「ヘンテコ」と呼ばれながらも子供の心をガッチリつかんで離さない面白さだ。
午後2時からアリオ八尾で、「お笑い定食」、ロッチを見てきた。
10回クイズで車にひかれるネタ、大声大会で得点が出ないままに失恋するネタ、UFO目撃ネタなど。
午後4時から、いずみホールで大阪コレギウム・ムジクム演奏会。大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団第45回定期演奏会「第21回現代音楽シリーズ」~バロックは現代(いま)の音楽へ!~
な、長い!
指揮は当間修一。
H.シュッツ/カンツィオーネス・サクレより
第29曲 主に向かって新しい歌をうたえ
第30曲 私の救い主の御腕の中で
第9曲(第1部) わたしの言葉に耳を傾けて下さい
第10曲(第2部) あなたに向かって祈ります
G.F.ヘンデル/主は言われた
1.合唱 神が私の主に言われる
2.アリア(アルト) 神はあなたの力の杖を
3.アリア(ソプラノ) あなたは王となった、力強き日に
4.合唱 神は誓われた
5.合唱 あなたは永遠の祭司
6.重唱および合唱 主はあなたの右に立ち
7.重唱および合唱 彼は道ばたの渓流から水を飲み
8.合唱 父と子と聖霊とに栄光あれ
武満徹/室内オーケストラのための「雨ぞふる」
千原英喜/混声合唱のための「ラプソディー・イン・チカマツ」〔近松門左衛門狂想〕
(アンコール)
千原英喜/淀川三十石舟唄
合唱団が踊るは見得切るは飛ぶは、にぎやか。
年齢的に、ちょっと無理してる感が、逆に感動を呼ぶ。
帰宅してNHK-FMで「インディーズ・ファイル」では宍戸留美ちゃんがゲスト。魔性姉妹について、など。
つづく「ライブビート」は石橋英子。ジム・オルークなど。
夜中からは、文化系トークラジオ「Life」
レコメンドの話題。
10回クイズで車にひかれるネタ、大声大会で得点が出ないままに失恋するネタ、UFO目撃ネタなど。
午後4時から、いずみホールで大阪コレギウム・ムジクム演奏会。大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団第45回定期演奏会「第21回現代音楽シリーズ」~バロックは現代(いま)の音楽へ!~
な、長い!
指揮は当間修一。
H.シュッツ/カンツィオーネス・サクレより
第29曲 主に向かって新しい歌をうたえ
第30曲 私の救い主の御腕の中で
第9曲(第1部) わたしの言葉に耳を傾けて下さい
第10曲(第2部) あなたに向かって祈ります
G.F.ヘンデル/主は言われた
1.合唱 神が私の主に言われる
2.アリア(アルト) 神はあなたの力の杖を
3.アリア(ソプラノ) あなたは王となった、力強き日に
4.合唱 神は誓われた
5.合唱 あなたは永遠の祭司
6.重唱および合唱 主はあなたの右に立ち
7.重唱および合唱 彼は道ばたの渓流から水を飲み
8.合唱 父と子と聖霊とに栄光あれ
武満徹/室内オーケストラのための「雨ぞふる」
千原英喜/混声合唱のための「ラプソディー・イン・チカマツ」〔近松門左衛門狂想〕
(アンコール)
千原英喜/淀川三十石舟唄
合唱団が踊るは見得切るは飛ぶは、にぎやか。
年齢的に、ちょっと無理してる感が、逆に感動を呼ぶ。
帰宅してNHK-FMで「インディーズ・ファイル」では宍戸留美ちゃんがゲスト。魔性姉妹について、など。
つづく「ライブビート」は石橋英子。ジム・オルークなど。
夜中からは、文化系トークラジオ「Life」
レコメンドの話題。
Chim↑pom展Real Times@スタンダードブックカフェ~ナポレオン生誕映画革命児アベル・ガンス@プラネット+1~お嬢様学校少女部@乙画廊~小桃音まい、JK21@ミドリ尼崎
2011年6月25日 映画
スタンダードブックカフェで開催中の「大阪巡回Chim↑Pom展Real Times」を見に行った。
東日本大震災、福島原発後のアート。
防護服着たカカシ設置の写真とか、防護服着て福島原発内展望台を登頂する映像、被災地で円陣組んで気合100連発の映像とか、話題になった岡本太郎の「明日の神話」に付け足した絵画とか、被災地に残された動物の写真とか。
いや~、行動力あるなあ。そして、若いなあ~。
一番よかったのは、「エロキテル」だった。これは、スポーツ新聞のいかにも風俗風の三行広告の電話番号にかけると、このエロキテルが作動して、発電する、という仕組み。ギャラリー内でも、そして、外からも何回も電話してしまった。
他の作品が、イマイチ笑いに欠ける作品だっただけに、この「性欲電気変換装置エロキテル」はピカイチだった。
プラネット+1でネリー・カプラン監督のドキュメンタリー「ナポレオン生誕 映画革命児アベル・ガンス」を見た。1983年。
1927年の「ナポレオン」のメイキングや、裏話、アベル・ガンス監督のトークなど、興味深かった。昨日「ナポレオン」を見ようとして、あまりに長い映画なので、途中、寝落ちしてしまったのだが、「ナポレオン生誕」が、もう、面白くて面白くて、興奮しっぱなしだった。「ナポレオン」は三面スクリーンで上映されたらしいが、さすがに、それはどこかで上映してくれないことには、体験できない。かなり昔に関西でも上映があったのだが、それを見逃して以来、僕の「見ていない映画ベスト3」の堂々1位を何年も更新している。
この上映は、「前衛映画(アヴァンギャルド)入門」の特集の1本。
プラネット+1の特集映画は全部見たいほどなのだが、平日の夜に仕事をしている僕にとっては、ほとんど見に行けないタイムテーブルになっていて、涙をのんでいるのである。
乙画廊で、少女遊会写真展「お嬢様学校少女部 回遊会」のオープニング・パーティにお邪魔した。
大江ビルヂング入るなりすぐに胡子ちゃんが立っていて、挨拶。久しぶりに会った!
画廊の中は人でいっぱいだったが、作品をひととおり堪能し、また、お嬢様学校新聞「黒髪画報」の第壱号と第弐号を購入した。『お嬢様学校少女部卒業記念アルバム』は見る間に買われていって、入手できず。またの機会に。
僕は幼稚園から中学、高校、短大、大学と一貫教育の女子校で十数年勤務していた。その際に、大正時代からの卒業アルバムなど、その女子校の歴史を熱心に調べたものだ。(広報の仕事とかしてたので)
その学校は宗教にもとづく教育をする学校ではなかったが、乙画廊の「お嬢様学校少女部」はミッション系の匂いがした。
ミドリJR尼崎店で、小桃音まいのキャンペーンライブ。
18時30分の回を見た。到着時、16時30分の回がまだ終わってなくて、けっこう長丁場のサービスなんだな、と思った。
ゲストに出たJK21は、スイパラダンスと恋のキセキ2曲。
小桃音まいは4曲。桃井はるこが作った「ラグランジュ☆ポイント」以外、曲名わからず。口パクだったかな。曲はアッパーで、えらくよかった。会場でPVらしき映像が流れており、そのPVのバックダンサーが気になって、その子たちばかり見てしまった。
東日本大震災、福島原発後のアート。
防護服着たカカシ設置の写真とか、防護服着て福島原発内展望台を登頂する映像、被災地で円陣組んで気合100連発の映像とか、話題になった岡本太郎の「明日の神話」に付け足した絵画とか、被災地に残された動物の写真とか。
いや~、行動力あるなあ。そして、若いなあ~。
一番よかったのは、「エロキテル」だった。これは、スポーツ新聞のいかにも風俗風の三行広告の電話番号にかけると、このエロキテルが作動して、発電する、という仕組み。ギャラリー内でも、そして、外からも何回も電話してしまった。
他の作品が、イマイチ笑いに欠ける作品だっただけに、この「性欲電気変換装置エロキテル」はピカイチだった。
プラネット+1でネリー・カプラン監督のドキュメンタリー「ナポレオン生誕 映画革命児アベル・ガンス」を見た。1983年。
1927年の「ナポレオン」のメイキングや、裏話、アベル・ガンス監督のトークなど、興味深かった。昨日「ナポレオン」を見ようとして、あまりに長い映画なので、途中、寝落ちしてしまったのだが、「ナポレオン生誕」が、もう、面白くて面白くて、興奮しっぱなしだった。「ナポレオン」は三面スクリーンで上映されたらしいが、さすがに、それはどこかで上映してくれないことには、体験できない。かなり昔に関西でも上映があったのだが、それを見逃して以来、僕の「見ていない映画ベスト3」の堂々1位を何年も更新している。
この上映は、「前衛映画(アヴァンギャルド)入門」の特集の1本。
プラネット+1の特集映画は全部見たいほどなのだが、平日の夜に仕事をしている僕にとっては、ほとんど見に行けないタイムテーブルになっていて、涙をのんでいるのである。
乙画廊で、少女遊会写真展「お嬢様学校少女部 回遊会」のオープニング・パーティにお邪魔した。
大江ビルヂング入るなりすぐに胡子ちゃんが立っていて、挨拶。久しぶりに会った!
画廊の中は人でいっぱいだったが、作品をひととおり堪能し、また、お嬢様学校新聞「黒髪画報」の第壱号と第弐号を購入した。『お嬢様学校少女部卒業記念アルバム』は見る間に買われていって、入手できず。またの機会に。
僕は幼稚園から中学、高校、短大、大学と一貫教育の女子校で十数年勤務していた。その際に、大正時代からの卒業アルバムなど、その女子校の歴史を熱心に調べたものだ。(広報の仕事とかしてたので)
その学校は宗教にもとづく教育をする学校ではなかったが、乙画廊の「お嬢様学校少女部」はミッション系の匂いがした。
ミドリJR尼崎店で、小桃音まいのキャンペーンライブ。
18時30分の回を見た。到着時、16時30分の回がまだ終わってなくて、けっこう長丁場のサービスなんだな、と思った。
ゲストに出たJK21は、スイパラダンスと恋のキセキ2曲。
小桃音まいは4曲。桃井はるこが作った「ラグランジュ☆ポイント」以外、曲名わからず。口パクだったかな。曲はアッパーで、えらくよかった。会場でPVらしき映像が流れており、そのPVのバックダンサーが気になって、その子たちばかり見てしまった。
『丑三つ時から夜明けまで』
2011年6月25日 読書
大倉崇裕の『丑三つ時から夜明けまで』を読んだ。
これは、滅法面白い短編集だった。
以下、目次
「丑三つ時から夜明けまで」
「復讐」
「闇夜」
「幻の夏山」
「最後の事件」
まず、最初の作品「丑三つ時から夜明けまで」を見てみよう。
とにかく、20ページめで衝撃が走った!それを今からまんま引用するので、未読で予備知識ない人は、まず、本を読むことをおすすめする。
そうなのだ。この作品集の世界では、幽霊の存在を警察では認めている。
不可能犯罪が起こったとき、それは幽霊の仕業とされ、幽霊を取り締まるゴーストバスターズみたいな「捜査五課」が登場する作品集なのだ。
不可思議な犯罪が起こり、幽霊の仕業だとされ、幽霊嫌いの米田警部補がトリックを推理し、そして、真相はまた別にある、というパターンが、素晴らしい。
幽霊の存在を認めてしまうのは、推理小説としては反則の域なので、それでも面白がれるかどうかは読者のセンスにゆだねられるが、僕みたいに、『火刑法廷』や『大東京四谷怪談』が大好物な読者なら、めちゃくちゃ面白いはずだ。この設定だけで、合格。
捜査五課は掃除機みたいな機械で幽霊を捕獲するところなど、まるっきりゴーストバスターズなのだが、そのチームは、いかにもなメンバーで構成されている。
七種(しちぐさ):警部補
怒木(いするぎ):白装束
車(のり):袴姿
私市(きさいち):坊主頭の巨漢
入戸野(にっとの):人形を抱いた少女
神服(はっとり):眼鏡をかけた少年(コナン風?)
座主坊(ざしゅぼう):2メートル105キロの巨漢
これが、アニメとか、ライトノベルであれば、きっとこれらのキャラクターに淫した展開なり作品が書かれたにちがいないが、これは、あくまでも推理小説。キャラに淫することなく、ストーリーが展開するのは、潔くて、いい。
警察が幽霊の存在を認めるにいたった事件が作品ごとに違う説明になっているのも面白い。
捜査五課の登場のきっかけ、『復讐』では、こんな風。
ウヒャー、面白い!
また、『闇夜』では、頭頂部にナイフを刺された死体が出てくる。
うん?
頭頂部にナイフ?
これは『機械探偵クリク・ロボット』じゃないのか?
そして、案の定、頭頂部ナイフのトリックはクリク・ロボットそのまんまだったが、そのあとの展開が違って、『闇夜』はヒチコックのある映画みたいな怖さをかもし出している。
最終話が、作品の発表順で言うと、最初に掲載されているもので、書き直されて本書に収録されている。
いや~、この設定の勝利に、久々にミステリーの醍醐味を味わったな~。
これは、滅法面白い短編集だった。
以下、目次
「丑三つ時から夜明けまで」
「復讐」
「闇夜」
「幻の夏山」
「最後の事件」
まず、最初の作品「丑三つ時から夜明けまで」を見てみよう。
とにかく、20ページめで衝撃が走った!それを今からまんま引用するので、未読で予備知識ない人は、まず、本を読むことをおすすめする。
「全員にアリバイが成立おまけに動機はない。まいったなぁ」
応接間に戻るなり、米田(捜査一課警部補)が言った。
「こりゃあ、金銭より怨恨だな。金庫の金も手つかずだったしなぁ」
「容疑者のしぼりこみには苦労しますよ。富士衛門の悪評は、知らぬ者がないほどでしたから」
人非人、鬼、悪魔と散々に言われてきた富士衛門。彼のために一家心中をした家族もいる。彼を恨んでいる者など、数えきれないほどだろう。
「だが、現場の状況をどう説明する」
書斎の扉は厳重なロックシステムである。しかも、テレビカメラまでついているのだ。さらに、昨夜11時まではずっと雨が降っていた。そのため、庭は泥沼と化し足跡を残さずに歩ける状態ではなかった。
「不審な足跡は発見されていないんだろう」
書斎へ下りていった富士衛門自身の足跡、インターホンを聞きつけた尾崎の足跡、木道を踏みはずした米田の足跡。その三つ以外には、何の痕跡も発見されなかったのだ。
「つまりですね・・・」
的場が一瞬口ごもった。
「現場は密室だったんです。さらに・・・」
的場の声が一段と小さくなる。
「富士衛門の死は自然死とは思えません」
鈍器での一撃。自然死、自殺でないのは、明らかだ。
「そうしますと、これは・・・」
米田が私の顔を見て口をとがらせた。
「いよいよ、ヤツらのおでましだぜ」
ヤツら・・・。
「これだけの条件をすべて満たしているということは・・・」
的場は額の汗をぬぐう。
「やはり、犯人は幽霊以外にはありえません」
そうなのだ。この作品集の世界では、幽霊の存在を警察では認めている。
不可能犯罪が起こったとき、それは幽霊の仕業とされ、幽霊を取り締まるゴーストバスターズみたいな「捜査五課」が登場する作品集なのだ。
不可思議な犯罪が起こり、幽霊の仕業だとされ、幽霊嫌いの米田警部補がトリックを推理し、そして、真相はまた別にある、というパターンが、素晴らしい。
幽霊の存在を認めてしまうのは、推理小説としては反則の域なので、それでも面白がれるかどうかは読者のセンスにゆだねられるが、僕みたいに、『火刑法廷』や『大東京四谷怪談』が大好物な読者なら、めちゃくちゃ面白いはずだ。この設定だけで、合格。
捜査五課は掃除機みたいな機械で幽霊を捕獲するところなど、まるっきりゴーストバスターズなのだが、そのチームは、いかにもなメンバーで構成されている。
七種(しちぐさ):警部補
怒木(いするぎ):白装束
車(のり):袴姿
私市(きさいち):坊主頭の巨漢
入戸野(にっとの):人形を抱いた少女
神服(はっとり):眼鏡をかけた少年(コナン風?)
座主坊(ざしゅぼう):2メートル105キロの巨漢
これが、アニメとか、ライトノベルであれば、きっとこれらのキャラクターに淫した展開なり作品が書かれたにちがいないが、これは、あくまでも推理小説。キャラに淫することなく、ストーリーが展開するのは、潔くて、いい。
警察が幽霊の存在を認めるにいたった事件が作品ごとに違う説明になっているのも面白い。
捜査五課の登場のきっかけ、『復讐』では、こんな風。
「問題点は一つ。鑑識の見立てでは、鰐田の死は他殺と思われる不審死だ。つまり犯人がいるということになる。では、犯人はどうやって彼を殺したのか?」
米田が怒鳴る。
「撲殺だと言ったのは、おまえらだぞ」
「そうじゃない。本館の周囲に足跡はなかったんだ。雪に跡をつけず、犯人はどうやって本館に入り、鰐田を殺したんだ?さらに、殺害後、どうやって逃亡したんだ?」
嫌な予感は当たったらしい。叶も津上も、米田さえも、蒼い顔をして互いを見合っている。
米田が言った。
「つまり、その何だ・・・この一件は、み、み、密室殺人のケースだと?」
「足跡がない限り、そう言わざるを得ないな」
「署長に報告して参ります」
津上が敬礼をして、すっとんでいった。叶も腕組みをして、大きなため息をついている。米田も苦虫を噛み潰したような顔で、
「密室、密室かぁ」
とくり返す。私は反町と目を合わせた。
「反町さん、つまりこれは・・・」
「幽霊の仕業ということになりますな」
ウヒャー、面白い!
また、『闇夜』では、頭頂部にナイフを刺された死体が出てくる。
うん?
頭頂部にナイフ?
これは『機械探偵クリク・ロボット』じゃないのか?
そして、案の定、頭頂部ナイフのトリックはクリク・ロボットそのまんまだったが、そのあとの展開が違って、『闇夜』はヒチコックのある映画みたいな怖さをかもし出している。
最終話が、作品の発表順で言うと、最初に掲載されているもので、書き直されて本書に収録されている。
いや~、この設定の勝利に、久々にミステリーの醍醐味を味わったな~。
カンディンスキーと青騎士@兵庫県立美術館~「幻燈・夜行」展@トランスポップギャラリー
2011年6月24日 芸術
兵庫県立美術館で「カンディンスキーと青騎士~色彩革命!モダンアートはここから始まった。」を見た。
展示内容は、次のとおり。
序章:フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと芸術の都ミュンヘン
第1章:ファーランクスの時代-旅の時代 1901-1907年
第2章:ムルナウの発見-芸術的総合に向かって 1908-1910年
第3章:抽象絵画の誕生-青騎士展開催へ 1911-1913年
たまたま『青騎士』は読んでいたので、フランツ・マルクがこういう展覧会でどんな位置と重要性をもって展示されているのかな、とワクワクして見た。意外と、フランツ・マルクって動物ばっかり描いている青騎士の一員、という程度の扱いで、拍子抜けした。
主に、カンディンスキーと、その愛人、ガブリエーレ・ミュンターのことが頭に残るあたり、非常にメロドラマ的である。
と、いうか、今調べてみたら、僕が『青騎士』読んだのは、2008年1月のことだった。3年以上も前だ。つい、この間読んだようなつもりだったのに。
兵庫の次は京都。
トランスポップギャラリーで、「幻燈・夜行」展。
今日、電車の中で『幻燈』を読みふけっていたのは、この展覧会を見るための予習というか、頭作り、心構えだった。
ギャラリーの紹介文は、次のとおり。
参加作家:天野天街、石井隆、うらたじゅん、おんちみどり、加藤泰(色紙)、菅野修、甲野酉、斎藤種魚、鈴木翁二、鈴木清順(色紙)、つげ義春(写真作品)、西野空男、ネズ実、林静一、原マスミ、藤宮史、古川益三、湊谷夢吉、山羊タダシ、山田勇男
こうして見ると、ページの穴埋め的存在で、目次にも載せてもらえなかった「秋野すすき」は、ここでも名前がない。
たしかに『幻燈』の作風、画風から考えると、秋野すすきは『幻燈』のストライクゾーンではなかったのかもしれないが、妙に気になる作家だ。
あと、ギャラリーでは漫画をいろいろ販売していたが、なんとなくタイミングが悪くて、何も買わなかった。また、いつか。
展示内容は、次のとおり。
序章:フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと芸術の都ミュンヘン
第1章:ファーランクスの時代-旅の時代 1901-1907年
第2章:ムルナウの発見-芸術的総合に向かって 1908-1910年
第3章:抽象絵画の誕生-青騎士展開催へ 1911-1913年
たまたま『青騎士』は読んでいたので、フランツ・マルクがこういう展覧会でどんな位置と重要性をもって展示されているのかな、とワクワクして見た。意外と、フランツ・マルクって動物ばっかり描いている青騎士の一員、という程度の扱いで、拍子抜けした。
主に、カンディンスキーと、その愛人、ガブリエーレ・ミュンターのことが頭に残るあたり、非常にメロドラマ的である。
と、いうか、今調べてみたら、僕が『青騎士』読んだのは、2008年1月のことだった。3年以上も前だ。つい、この間読んだようなつもりだったのに。
兵庫の次は京都。
トランスポップギャラリーで、「幻燈・夜行」展。
今日、電車の中で『幻燈』を読みふけっていたのは、この展覧会を見るための予習というか、頭作り、心構えだった。
ギャラリーの紹介文は、次のとおり。
『ガロ』から『夜行』、そして『幻燈』へと続く道、そこで歩む作家達がいます。
この度『幻燈・夜行展』としてそこに集う作家たちのグループ展を開催いいたします。
展覧会では各作家の原画や写真、プリントなどを展示販売いいたします。
京都に縁のある湊谷夢吉の漫画原稿の展示も行います。
また期間中には北冬書房のご厚意により絶版本やポスターなどの販売をいたします。
18日には『ガロ』に縁のある石黒清さんと幻燈で活躍される漫画家・うらたじゅんさんを招いてささやかな集いを行います。
参加作家:天野天街、石井隆、うらたじゅん、おんちみどり、加藤泰(色紙)、菅野修、甲野酉、斎藤種魚、鈴木翁二、鈴木清順(色紙)、つげ義春(写真作品)、西野空男、ネズ実、林静一、原マスミ、藤宮史、古川益三、湊谷夢吉、山羊タダシ、山田勇男
こうして見ると、ページの穴埋め的存在で、目次にも載せてもらえなかった「秋野すすき」は、ここでも名前がない。
たしかに『幻燈』の作風、画風から考えると、秋野すすきは『幻燈』のストライクゾーンではなかったのかもしれないが、妙に気になる作家だ。
あと、ギャラリーでは漫画をいろいろ販売していたが、なんとなくタイミングが悪くて、何も買わなかった。また、いつか。
『幻燈』3、4、5、9、10号
2011年6月24日 読書
『幻燈』の3、4、5、9、10号を読んだ。
漫画と文章で構成されており、ふだんなら飛ばしてしまう文章の部分も、この『幻燈』に関しては、ほぼ全部読んでいる。文章の部分が少ないっていうのもあるが、あまりなじみのない漫画家のひととなりがわかるので、漫画がより一層楽しめるのだ。
個性やテーマは、大手の漫画雑誌のものとは、ぜんぜん違うのである。
面白くて好きなのである。
以下、目次。
『幻燈』3号
膨らむ闇/ つげ忠男
君のいた海/菅野ヲさむ
鈴懸の径/うらたじゅん
みち草/山田勇男
死ぬる感覚/新谷成唯
絵コンテ「会津の釣り宿」/つげ義春
創作ノートから/菅野ヲさむ
韓国映画の思い出/渡辺一衛
観光地盛衰記 二 吉見百穴と岩窟ホテル/
山下菊二の遺志 『構造』の批判をめぐって/古田香
続・美代子田川気分/安部慎一
トカゲ/三橋乙揶
浮浪漫歩 シーサイドホテル/うらたじゅん
浮世一夜/うらたじゅん
海女の季節/つげ忠男
女の子はミステリー/秋野すすき(目次に載ってなくて、かわいそう!)
VOICE/声の存在/新谷成唯
『幻燈』4号
妻の肖像/菅野修
眠れる海の城/うらたじゅん
土冷しコーラ/新谷成唯
長男/西野空男
よくある話/永井サク
対談『夜行』が誕生するまで/つげ義春・高野慎三。司会 久保隆(本文と目次でタイトルの表記が違った。これは本文の表記)
つげ義春原作 映画「蒸発旅日記」 山田勇男監督インタビュー
映画「蒸発旅日記」撮影見学記/編集部
映画「蒸発旅日記」撮影用絵コンテ/山田勇男
紅燈夜曲 哀愁の町に星が降る 桃色月夜篇/山田勇男
さっちゃんの方程式/秋野すすき(なぜ目次に載せてもらえない)
RANDEN/うらたじゅん
疾走する<死>という物語 鈴木清順監督『ピストルオペラ』論/久保隆
映画「蝶の舌」の彼方へ スペイン内戦、ユーゴ内戦、そして9・11/古田香
テレビの上の女/新谷成唯
風のつぶやき/高橋太
「百貨店/転落」/西野空男
病窓紀行/うらたじゅん
『幻燈』5号
川をのぼる魚 虹色の銃/うらたじゅん
渡難/うらたじゅん
五月の風の下/うらたじゅん
【特集うらたじゅんの世界】
インタビュー「ささやかな喜びを大切に、のんびりマイペースで描いていきたい」(『眞夏の夜の二十面相』発行まで/マンガとの出会いとそこから離れて/放浪とその後)
物語ること、それは去りゆくものを識ること/石川淳志
マンガの女神はいるのか/片桐慎二
うらたじゅん試論―過去へと向かうまなざし/宮岡蓮二
猫かぶりな子/大畑くみ
うらたじゅんの中之島図書館/中尾務
小ママじゅんちゃん/川崎彰彦
不思議への案内人/南陀楼綾繁
うらたじゅんさんと会うたびに/菊池敏弘
書評・『眞夏の夜の二十面相』再録
河瀬直美の本棚より/河瀬直美
懐かしく淡い子供時代にひたる/川本三郎
遠い記憶の場所から紡ぎ出された物語/久保隆
こんな初恋したかった/畠中理恵子
自由への情熱/権藤晋
凝視する眼差しの徹底性―『幻燈』うらたじゅん諸作品考/ちだきよし
「時」のおもかげを描く―うらたじゅん小論/梶井純
うらたじゅんさん作品集に寄せて/つげ忠男
山犬の子/菅野修
「ねじ式」から「夢の散歩」へ 北冬書房の三十年をふりかえって/つげ義春・高野慎三 司会・久保隆
(「通夜」を発表した頃/『迷路』『忍風』貸本マンガの時代/柳田國男、椎名麟三、梅崎春生を話題に/『漫画主義』でのつげ義春特集/「ねじ式」の出自をめぐって/「ねじ式」の評価について/不安定な状態から蒸発へ/幻燈社の『つげ義春初期短編集』/林静一『紅犯花』、片山健『美しい日々』/「つげ義春以後」というマンガ表現/「夢の散歩」の衝撃力/喫茶店を開業しようと・・・)
〔特集 山下敦弘〕
師弟対談 映画「どんてん生活」から「リアリズムの宿」まで/中島貞夫・山下敦弘 聞き手・編集部+うらたじゅん
(「どんてん生活」のキャラクター/自主映画の枠をどう越えるか/感動したアメリカン・ニューシネマ/「リアリズムの宿」を撮り終えて)
映画「リアリズムの宿」をめぐって
1 風景の感情/久保隆
2 雪の日本海/梶葉子
乙女チャンラ/河内遥
ひまつぶし/河内遥
はい せつせつ はん すうすう/河内遥
トンネル画廊/西野空男
蒸発日記 原案・つげ義春「蒸発旅日記」より/西野空男
昨日の夢/西野空男
『幻燈』9号
小夜時雨/うらたじゅん
或る押入れ頭男の話/藤宮史
金魚と未亡人/菅野修
対談 夢のなかで、夢のそとで(常識を逸脱したようなものを描きたい)/原マスミ・山田勇男
古書市へ行こうよ/角南誠
耕運機にカラス/斎藤種魚(目次には「耕耘機とカラス」表記)
椅子を並べる/おんちみどり
街道/永井サク
hex/海老原健悟
散歩/木下竜一
きしみ 骨が鳴る 誰かが笑う/山羊タダシ
映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』考/久保隆
野田昌宏さんを偲ぶ/高野慎三
瀬沼孝明さんのこと/編集部
水音/瀬沼孝明
夢精/山羊タダシ
いちばん柔らかい肉/海老原健悟
インチキ/木下竜一
葉っぱの亡い花/ネズ実
漫画おんち/おんちみどり
武蔵野/角南誠
『幻燈』10号
夏の午後には/うらたじゅん
性と生活/菅野修
或る押入れ頭男の話・箱舟/藤宮史
彼女の思い出/角南誠
背中/片桐慎二
古本海岸/おんちみどり
人魚/山田勇男
街 ―花ははやく散れ雨の叙事/小林坩堝
さよなら夢幻島/小林坩堝
タスケ/斎藤種魚
灰と煙/山羊タダシ
或る押入れ頭男の話・終章-Ⅰ/藤宮史
無意識の世界と夢 少年王者舘「夢+夜」にふれて 対談(演劇の構造と夢の特殊性/なぜ1954年なのか?/もうだれも見ていない/しでかしてしまったこと/技術的に巧みになった)/天野天街・山田勇男
アクチュアリティと無化 少年王者舘「夢+夜」を観て/金ゐ國許
映像表現とマンガ表現 鼎談(映像作家的な映像作品/空と雲と地平線/言葉へのコンプレックス/「垣間みた」という快楽/マンガとの関わり/つげ義春作品との出会い/ダヴィンチと任侠映画)/山田勇男・ネズ実・角南誠
高橋和己の現在 対談(なぜ高橋和己なのか/「孤立無援の思想」/情況へのリアクション/懐古趣味への誘惑/精神的な飢餓状態)/小林坩堝・山羊タダシ 司会 編集部
きれ間/ネズ実
香り/海老原健悟
行ってきます/永井サク
意識/木下竜一
走馬燈/西野空男
三人/甲野酉
嵐々電々/うらたじゅん
漫画と文章で構成されており、ふだんなら飛ばしてしまう文章の部分も、この『幻燈』に関しては、ほぼ全部読んでいる。文章の部分が少ないっていうのもあるが、あまりなじみのない漫画家のひととなりがわかるので、漫画がより一層楽しめるのだ。
個性やテーマは、大手の漫画雑誌のものとは、ぜんぜん違うのである。
面白くて好きなのである。
以下、目次。
『幻燈』3号
膨らむ闇/ つげ忠男
君のいた海/菅野ヲさむ
鈴懸の径/うらたじゅん
みち草/山田勇男
死ぬる感覚/新谷成唯
絵コンテ「会津の釣り宿」/つげ義春
創作ノートから/菅野ヲさむ
韓国映画の思い出/渡辺一衛
観光地盛衰記 二 吉見百穴と岩窟ホテル/
山下菊二の遺志 『構造』の批判をめぐって/古田香
続・美代子田川気分/安部慎一
トカゲ/三橋乙揶
浮浪漫歩 シーサイドホテル/うらたじゅん
浮世一夜/うらたじゅん
海女の季節/つげ忠男
女の子はミステリー/秋野すすき(目次に載ってなくて、かわいそう!)
VOICE/声の存在/新谷成唯
『幻燈』4号
妻の肖像/菅野修
眠れる海の城/うらたじゅん
土冷しコーラ/新谷成唯
長男/西野空男
よくある話/永井サク
対談『夜行』が誕生するまで/つげ義春・高野慎三。司会 久保隆(本文と目次でタイトルの表記が違った。これは本文の表記)
つげ義春原作 映画「蒸発旅日記」 山田勇男監督インタビュー
映画「蒸発旅日記」撮影見学記/編集部
映画「蒸発旅日記」撮影用絵コンテ/山田勇男
紅燈夜曲 哀愁の町に星が降る 桃色月夜篇/山田勇男
さっちゃんの方程式/秋野すすき(なぜ目次に載せてもらえない)
RANDEN/うらたじゅん
疾走する<死>という物語 鈴木清順監督『ピストルオペラ』論/久保隆
映画「蝶の舌」の彼方へ スペイン内戦、ユーゴ内戦、そして9・11/古田香
テレビの上の女/新谷成唯
風のつぶやき/高橋太
「百貨店/転落」/西野空男
病窓紀行/うらたじゅん
『幻燈』5号
川をのぼる魚 虹色の銃/うらたじゅん
渡難/うらたじゅん
五月の風の下/うらたじゅん
【特集うらたじゅんの世界】
インタビュー「ささやかな喜びを大切に、のんびりマイペースで描いていきたい」(『眞夏の夜の二十面相』発行まで/マンガとの出会いとそこから離れて/放浪とその後)
物語ること、それは去りゆくものを識ること/石川淳志
マンガの女神はいるのか/片桐慎二
うらたじゅん試論―過去へと向かうまなざし/宮岡蓮二
猫かぶりな子/大畑くみ
うらたじゅんの中之島図書館/中尾務
小ママじゅんちゃん/川崎彰彦
不思議への案内人/南陀楼綾繁
うらたじゅんさんと会うたびに/菊池敏弘
書評・『眞夏の夜の二十面相』再録
河瀬直美の本棚より/河瀬直美
懐かしく淡い子供時代にひたる/川本三郎
遠い記憶の場所から紡ぎ出された物語/久保隆
こんな初恋したかった/畠中理恵子
自由への情熱/権藤晋
凝視する眼差しの徹底性―『幻燈』うらたじゅん諸作品考/ちだきよし
「時」のおもかげを描く―うらたじゅん小論/梶井純
うらたじゅんさん作品集に寄せて/つげ忠男
山犬の子/菅野修
「ねじ式」から「夢の散歩」へ 北冬書房の三十年をふりかえって/つげ義春・高野慎三 司会・久保隆
(「通夜」を発表した頃/『迷路』『忍風』貸本マンガの時代/柳田國男、椎名麟三、梅崎春生を話題に/『漫画主義』でのつげ義春特集/「ねじ式」の出自をめぐって/「ねじ式」の評価について/不安定な状態から蒸発へ/幻燈社の『つげ義春初期短編集』/林静一『紅犯花』、片山健『美しい日々』/「つげ義春以後」というマンガ表現/「夢の散歩」の衝撃力/喫茶店を開業しようと・・・)
〔特集 山下敦弘〕
師弟対談 映画「どんてん生活」から「リアリズムの宿」まで/中島貞夫・山下敦弘 聞き手・編集部+うらたじゅん
(「どんてん生活」のキャラクター/自主映画の枠をどう越えるか/感動したアメリカン・ニューシネマ/「リアリズムの宿」を撮り終えて)
映画「リアリズムの宿」をめぐって
1 風景の感情/久保隆
2 雪の日本海/梶葉子
乙女チャンラ/河内遥
ひまつぶし/河内遥
はい せつせつ はん すうすう/河内遥
トンネル画廊/西野空男
蒸発日記 原案・つげ義春「蒸発旅日記」より/西野空男
昨日の夢/西野空男
『幻燈』9号
小夜時雨/うらたじゅん
或る押入れ頭男の話/藤宮史
金魚と未亡人/菅野修
対談 夢のなかで、夢のそとで(常識を逸脱したようなものを描きたい)/原マスミ・山田勇男
古書市へ行こうよ/角南誠
耕運機にカラス/斎藤種魚(目次には「耕耘機とカラス」表記)
椅子を並べる/おんちみどり
街道/永井サク
hex/海老原健悟
散歩/木下竜一
きしみ 骨が鳴る 誰かが笑う/山羊タダシ
映画『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』考/久保隆
野田昌宏さんを偲ぶ/高野慎三
瀬沼孝明さんのこと/編集部
水音/瀬沼孝明
夢精/山羊タダシ
いちばん柔らかい肉/海老原健悟
インチキ/木下竜一
葉っぱの亡い花/ネズ実
漫画おんち/おんちみどり
武蔵野/角南誠
『幻燈』10号
夏の午後には/うらたじゅん
性と生活/菅野修
或る押入れ頭男の話・箱舟/藤宮史
彼女の思い出/角南誠
背中/片桐慎二
古本海岸/おんちみどり
人魚/山田勇男
街 ―花ははやく散れ雨の叙事/小林坩堝
さよなら夢幻島/小林坩堝
タスケ/斎藤種魚
灰と煙/山羊タダシ
或る押入れ頭男の話・終章-Ⅰ/藤宮史
無意識の世界と夢 少年王者舘「夢+夜」にふれて 対談(演劇の構造と夢の特殊性/なぜ1954年なのか?/もうだれも見ていない/しでかしてしまったこと/技術的に巧みになった)/天野天街・山田勇男
アクチュアリティと無化 少年王者舘「夢+夜」を観て/金ゐ國許
映像表現とマンガ表現 鼎談(映像作家的な映像作品/空と雲と地平線/言葉へのコンプレックス/「垣間みた」という快楽/マンガとの関わり/つげ義春作品との出会い/ダヴィンチと任侠映画)/山田勇男・ネズ実・角南誠
高橋和己の現在 対談(なぜ高橋和己なのか/「孤立無援の思想」/情況へのリアクション/懐古趣味への誘惑/精神的な飢餓状態)/小林坩堝・山羊タダシ 司会 編集部
きれ間/ネズ実
香り/海老原健悟
行ってきます/永井サク
意識/木下竜一
走馬燈/西野空男
三人/甲野酉
嵐々電々/うらたじゅん
『九杯目には早すぎる』
2011年6月23日 読書
蒼井上鷹の『九杯目には早すぎる』を読んだ。デビュー作でもある、短編集。
以下、目次。
大松鮨の奇妙な客
においます?
私はこうしてデビューした
清潔で明るい食卓
タン・バタン!
最後のメッセージ
見えない線
九杯目には早すぎる
キリング・タイム
短編とショートショートの九編だが、それぞれ、ひねりがきいていて面白い。
「大松鮨の奇妙な客」は、すし屋で言語道断な食べ方をした男の謎。
「私はこうしてデビューした」は、合作をしいる勘違いファンの話。
「タン・バタン!」は、悪気なく逆鱗にふれる発言を繰り返す男。
「見えない線」は、人間関係の境界線についての話。
「キリング・タイム」は、うっとうしい上司の相手をする。
と、以上5編が短編。
とにかく、うっとうしい人物像を描かせたら、天下一品!
ああ、こういうヤツ、いるいる、とうなずきながら読んだ。
そういう人物描写がうまいものだから、ストーリーとしてのどんでん返しなど予想もしておらず、読み終わって、ああ、推理小説だからこういう意外な結末をつけたんだな、と納得した次第。つまり、最後のヒネリよりも、途中の、うっとうしい人間の描写こそが、この本の持ち味なのである。
ヒネリは確かに素晴らしいが、うっとうしい人間描写が頭に残るため、事件はスッキリ解決しても、なんだかいや~な読後感が漂うのである。たぶん、自分が学生だったら、この本はそんなに評価高くないだろうな、と思う。実際にこの本に出てくるうっとうしい上司やファンとの人間関係があってこそ、この本は輝くのだ。
だがしかし、それゆえに、読後すぐにはかなり高い評価だったのに、日を経るにしたがって、嫌な人間に会った、嫌な読後感だけが、毒のようにじわりじわりときいてきて、いや~な気分になってしまう。
ところで、ペンネームの「上鷹」だが、由来は調べてないので知らないが、ウィテカーのファンなのかな?
以下、目次。
大松鮨の奇妙な客
においます?
私はこうしてデビューした
清潔で明るい食卓
タン・バタン!
最後のメッセージ
見えない線
九杯目には早すぎる
キリング・タイム
短編とショートショートの九編だが、それぞれ、ひねりがきいていて面白い。
「大松鮨の奇妙な客」は、すし屋で言語道断な食べ方をした男の謎。
「私はこうしてデビューした」は、合作をしいる勘違いファンの話。
「タン・バタン!」は、悪気なく逆鱗にふれる発言を繰り返す男。
「見えない線」は、人間関係の境界線についての話。
「キリング・タイム」は、うっとうしい上司の相手をする。
と、以上5編が短編。
とにかく、うっとうしい人物像を描かせたら、天下一品!
ああ、こういうヤツ、いるいる、とうなずきながら読んだ。
そういう人物描写がうまいものだから、ストーリーとしてのどんでん返しなど予想もしておらず、読み終わって、ああ、推理小説だからこういう意外な結末をつけたんだな、と納得した次第。つまり、最後のヒネリよりも、途中の、うっとうしい人間の描写こそが、この本の持ち味なのである。
ヒネリは確かに素晴らしいが、うっとうしい人間描写が頭に残るため、事件はスッキリ解決しても、なんだかいや~な読後感が漂うのである。たぶん、自分が学生だったら、この本はそんなに評価高くないだろうな、と思う。実際にこの本に出てくるうっとうしい上司やファンとの人間関係があってこそ、この本は輝くのだ。
だがしかし、それゆえに、読後すぐにはかなり高い評価だったのに、日を経るにしたがって、嫌な人間に会った、嫌な読後感だけが、毒のようにじわりじわりときいてきて、いや~な気分になってしまう。
ところで、ペンネームの「上鷹」だが、由来は調べてないので知らないが、ウィテカーのファンなのかな?
柳広司の『最初の哲学者』を読んだ。
ギリシアをモチーフにした語りなおし。
以下、各作品と、それでとりあげられる人物(神)。
「オイディプス」(オイディプス)
「異邦の王子」(アナカルシス王子)
「恋」(アリアドネ、テセウス)
「亡牛嘆」(ミノタウロス)
「ダイダロスの息子」(イカロス)
「神統記」(ゼウス)
「狂いの巫女」(カサンドラ、クリュタイメストラ)
「アイギナの悲劇」(ミュシアス)
「最初の哲学者」(タレス)
「オリンポスの醜聞」(ヘファイストス)
「ソクラテスの妻」(クサンティッペ)
「王女メデイア」(メデイア、イアソン)
「ヒストリエ」(ヘロドトス)
「恋、「亡牛嘆」「ダイダロスの息子」は1つの神話をもとに、主人公を変えて語っていて、面白い。
それぞれ、「アリアドネの真意」「ミノタウロスによる牛頭人身論」「イカロスが空高く飛んだ理由」、つまりは、神話の解釈しなおしを行っている。
しかしながら、全体にミステリー味はとくに強くなく、軽い読み物として楽しめた。
ギリシアをモチーフにした語りなおし。
以下、各作品と、それでとりあげられる人物(神)。
「オイディプス」(オイディプス)
「異邦の王子」(アナカルシス王子)
「恋」(アリアドネ、テセウス)
「亡牛嘆」(ミノタウロス)
「ダイダロスの息子」(イカロス)
「神統記」(ゼウス)
「狂いの巫女」(カサンドラ、クリュタイメストラ)
「アイギナの悲劇」(ミュシアス)
「最初の哲学者」(タレス)
「オリンポスの醜聞」(ヘファイストス)
「ソクラテスの妻」(クサンティッペ)
「王女メデイア」(メデイア、イアソン)
「ヒストリエ」(ヘロドトス)
「恋、「亡牛嘆」「ダイダロスの息子」は1つの神話をもとに、主人公を変えて語っていて、面白い。
それぞれ、「アリアドネの真意」「ミノタウロスによる牛頭人身論」「イカロスが空高く飛んだ理由」、つまりは、神話の解釈しなおしを行っている。
しかしながら、全体にミステリー味はとくに強くなく、軽い読み物として楽しめた。
『ビッチマグネット』
2011年6月21日 読書
舞城王太郎の『ビッチマグネット』を読んだ。
なんと、家族小説だ。
すねかじられで被害者体質の母親、下半身に人格がある父親、ディシプリンな弟、その弟をふりまわすビッチなあかりちゃん、素敵な女性は父の愛人、からっぽなわたし。
「ビッチマグネット」は、弟のことで、次のような文章がある。
一種の教養小説でもあるこの作品だが、さて、感想はと言うと、すごくおとなしくて、エキセントリックなところもなく、きれいで、なんだ、文学賞狙いなのか、と思わせるところがあった。小説としての読みやすさはあるが、「家族」テーマがどうにも納得できないのであった。
だから、この本で面白いのは、家族からはみ出た存在の、ビッチの娘だったりする。この娘の、男の振り回しっぷりはすごくて、絶叫マシーン好きの僕なんかは、こういう娘に思いっきり振り回されてみたいと思うのである。
願わくば、タイトルの「ビッチマグネット」にふさわしい作品であってほしかった。心を傷つけたくなく読書したい向きにはいいのかもしれないが。
なんと、家族小説だ。
すねかじられで被害者体質の母親、下半身に人格がある父親、ディシプリンな弟、その弟をふりまわすビッチなあかりちゃん、素敵な女性は父の愛人、からっぽなわたし。
「ビッチマグネット」は、弟のことで、次のような文章がある。
「俺、友達に言われたんだけど、ビッチマグネットだってさ」
と電話で友徳が言う。
「何それ」
「ビッチばっかり引き寄せる磁石ってこと」
「あはは。上手いじゃん」
「ちょ、上手いとかじゃないから。俺さ、自分が恋愛下手で、何か、自分で言うのは変だけど、優しすぎるから相手を駄目にしちゃうんだって思ってたけど、・・・そもそも変な子に好かれやすいってことかな」
「まあまあ。女なんて皆男から見たらビッチだから」
一種の教養小説でもあるこの作品だが、さて、感想はと言うと、すごくおとなしくて、エキセントリックなところもなく、きれいで、なんだ、文学賞狙いなのか、と思わせるところがあった。小説としての読みやすさはあるが、「家族」テーマがどうにも納得できないのであった。
だから、この本で面白いのは、家族からはみ出た存在の、ビッチの娘だったりする。この娘の、男の振り回しっぷりはすごくて、絶叫マシーン好きの僕なんかは、こういう娘に思いっきり振り回されてみたいと思うのである。
願わくば、タイトルの「ビッチマグネット」にふさわしい作品であってほしかった。心を傷つけたくなく読書したい向きにはいいのかもしれないが。
10minutes TV MAX
2011年6月20日 アイドル今日は、なんば紅鶴で10minutesの告知番組「10minutes TV MAX」(テンテレMAX)だった。
午後7時過ぎからはUstreamも流した。
司会という名の妨害者は、僕とB・カシワギ。
ゲストで来てくれたのは、
ねみ
夢野さくら
野中ひゆ
丼野M美
の4名。
ベアーズでの7月3日10minutesの告知
9月末締め切りの10minutes映画祭の告知
保山ひャン工作「りす」上映
10minutesアイドルによる歌
10minutesオリジナルソング(リあ326ver.)発表
その他コーナーは、
ぴいち姫のテレフォンショッキング(次のおともだちは四万十川さん)
サイコ・ロトーク(今日のおめざは、丼野特製のグミ)
ゴチバ・トル(目標の金額は2万5千円)
保山ひャン渾身の物真似「霧に棲む悪魔」オープニングシーン
夢野さくら「ボッキ、サンキュー!」
オスシタント丼野M美
1時間1万円生活(1時間だけケチケチする)
うすべらない話(薄いヘラが無いことに関するエピソード)
皮声シェフのクッキングナンデオマンニヤワ
寝起きドッキリ(人間の眠れる能力を目覚めさせる)
帰れまテン(この前、夜、外を歩いていたら道をイタチが走っていた。すわ、鼬の道きりか、と思ったが、ひょっとしたら、あれはイタチではなく、テンだったのかもしれない。野生のテンがこの街なかで生きていけるんだろうか。最初はきっと飼われていたのに違いない。あのテンは、飼い主のもとに帰れるのだろうか、いや、帰れまテン。これ、反語)
などなど。
よく「グダグダ」とこういうのを評するが、僕は、ぜんぜんそうは思わない。
言ってみるなら、「ダダダダ」だ。
この「ダダダダ」(最近のネットスラングだとddddと表すのか?)の妙味を存分に味わえる、いい番組だったと自負している。自負でもしないと、誰もほめてくれないからだ。
午後7時過ぎからはUstreamも流した。
司会という名の妨害者は、僕とB・カシワギ。
ゲストで来てくれたのは、
ねみ
夢野さくら
野中ひゆ
丼野M美
の4名。
ベアーズでの7月3日10minutesの告知
9月末締め切りの10minutes映画祭の告知
保山ひャン工作「りす」上映
10minutesアイドルによる歌
10minutesオリジナルソング(リあ326ver.)発表
その他コーナーは、
ぴいち姫のテレフォンショッキング(次のおともだちは四万十川さん)
サイコ・ロトーク(今日のおめざは、丼野特製のグミ)
ゴチバ・トル(目標の金額は2万5千円)
保山ひャン渾身の物真似「霧に棲む悪魔」オープニングシーン
夢野さくら「ボッキ、サンキュー!」
オスシタント丼野M美
1時間1万円生活(1時間だけケチケチする)
うすべらない話(薄いヘラが無いことに関するエピソード)
皮声シェフのクッキングナンデオマンニヤワ
寝起きドッキリ(人間の眠れる能力を目覚めさせる)
帰れまテン(この前、夜、外を歩いていたら道をイタチが走っていた。すわ、鼬の道きりか、と思ったが、ひょっとしたら、あれはイタチではなく、テンだったのかもしれない。野生のテンがこの街なかで生きていけるんだろうか。最初はきっと飼われていたのに違いない。あのテンは、飼い主のもとに帰れるのだろうか、いや、帰れまテン。これ、反語)
などなど。
よく「グダグダ」とこういうのを評するが、僕は、ぜんぜんそうは思わない。
言ってみるなら、「ダダダダ」だ。
この「ダダダダ」(最近のネットスラングだとddddと表すのか?)の妙味を存分に味わえる、いい番組だったと自負している。自負でもしないと、誰もほめてくれないからだ。
高山宏の『かたち三昧』を読んだ。
澁澤龍彦の著書名を借りて、高山版の『思考の紋章学』と呼びたい、と著者自身が語る1冊。だが、『かたち三昧』は『終末のオルガノン』とか『痙攣する地獄』などの大仰なタイトルが並ぶ高山宏の著作のなかでも、これはまたふんわりとしたタイトルだ。著者自身も言うように、「精神図像学序説」あたりが、それらしいように思える。
以下、目次。
口上 フィギュラリズム
1 フィギュラティヴ・サークル
2 フィグーラ・セルペンティナータ
3 エキセントリック・ガーデン
4 うねくった漱石
5 彼岸へと過ぎる蛇
6 十九歳、何てパンクなマニエラ
7 薔薇の庭の音の蛇
8 詩神の音連れ
9 百学連環(1)
10 百学連環(2) グラン・メートル種村季弘(2004・8・29没)に
11 鯨の百科、鯨〈と〉百科
12 マーヤーは人のかたち
13 「く寝る」言葉の川走
14 サイモン・シャーマの歴史形態学
15 エーコ・インポッシビリア
16 ジュゼッペのヒト猫
17 我レ亦あるかであニ在リ
18 アナモーフィックな死
19 よく見ればオムニス
20 驚く、ヒューマニティーズ
21 葡萄のパラダイム
22 葡萄ルネサンス
23 シーレーノスの箱
24 これビン笑すまじきこと
25 ヒトはこれノミ
26 懼龍犇は寝ている―─キャロル・フィギュラル1
27 切って分かった蛇馬魚鬼―─キャロル・フィギュラル2
28 「体」現憧憬―─キャロル・フィギュラル3
29 「クンストゲシヒテ」の星たち
30 哲学する「映像の力」
31 暗号はゼロのかたち(1)
32 「言葉と物」のペダゴジックス
33 言葉の永久機関
34 ちゃんと面白い英文学
35 はじめっから詐欺
36 暗号はゼロのかたち(2)
37 エヴリ・バディに謹賀新年
38 フォシヨンの家の馬鹿息子
39 ヤラセ引くヤセで裸
40 顔に目をつけた
41 未知の西鶴、道の才覚
42 きみの顔は正しい
43 お勉強やめてギルマン読もう
44 ブルーサティン、顔のマニエリスト
45 顔のマニエリスム(1)
46 顔のマニエリスム(2)
47 アポカリプスな顔
48 宙にあそぶ視線(1) 亡き若桑みどり先生に
49 宙にあそぶ視線(2)―─His private eye
50 宙にあそぶ視線(3)─―女たちは見る
51 絵面の見得 服部幸雄先生追善
52 語る目、語る指
53 アメリカン・マニエリスムの手
54 「知」塗られた手首の話(1)
55 「知」塗られた手首の話(2)
56 「知」塗られた手首の話(3)
57 「知」塗られた手首の話(4)
58 かたち好き垂涎の「大図典」
59 影のない翻訳
60 雲をつかむような話
61 こんなミーイズムなら大歓迎だ
62 矩形なのに、まどか
63 かたちばかりの修了試験
吾輩は死ぬ――『吾輩は猫である』
座頭を殺す――『夢十夜』第三夜
夢の幾何学――『夢十夜』第四夜
「擬(まが)いの西洋舘」のト(ロ)ポロジー――『明暗』冒頭のみ
文献索引/人名索引
あいにくとカラー図版がなかったり、図版は多数だがページぶち抜きの大きな図版がないのが残念だが、各章の内容の凝縮ぶりたるやすさまじいし、巻末の索引だけでも読み物になってしまうすごさだ。
高山宏の翻訳した大著で未読のものがいくつもあるので、時間を見て、楽しんでいきたい。必読文献の紹介が何年も遅れていることに憤慨する高山氏だが、せっかく翻訳してくれているのに、読まない手はないのだった。
澁澤龍彦の著書名を借りて、高山版の『思考の紋章学』と呼びたい、と著者自身が語る1冊。だが、『かたち三昧』は『終末のオルガノン』とか『痙攣する地獄』などの大仰なタイトルが並ぶ高山宏の著作のなかでも、これはまたふんわりとしたタイトルだ。著者自身も言うように、「精神図像学序説」あたりが、それらしいように思える。
以下、目次。
口上 フィギュラリズム
1 フィギュラティヴ・サークル
2 フィグーラ・セルペンティナータ
3 エキセントリック・ガーデン
4 うねくった漱石
5 彼岸へと過ぎる蛇
6 十九歳、何てパンクなマニエラ
7 薔薇の庭の音の蛇
8 詩神の音連れ
9 百学連環(1)
10 百学連環(2) グラン・メートル種村季弘(2004・8・29没)に
11 鯨の百科、鯨〈と〉百科
12 マーヤーは人のかたち
13 「く寝る」言葉の川走
14 サイモン・シャーマの歴史形態学
15 エーコ・インポッシビリア
16 ジュゼッペのヒト猫
17 我レ亦あるかであニ在リ
18 アナモーフィックな死
19 よく見ればオムニス
20 驚く、ヒューマニティーズ
21 葡萄のパラダイム
22 葡萄ルネサンス
23 シーレーノスの箱
24 これビン笑すまじきこと
25 ヒトはこれノミ
26 懼龍犇は寝ている―─キャロル・フィギュラル1
27 切って分かった蛇馬魚鬼―─キャロル・フィギュラル2
28 「体」現憧憬―─キャロル・フィギュラル3
29 「クンストゲシヒテ」の星たち
30 哲学する「映像の力」
31 暗号はゼロのかたち(1)
32 「言葉と物」のペダゴジックス
33 言葉の永久機関
34 ちゃんと面白い英文学
35 はじめっから詐欺
36 暗号はゼロのかたち(2)
37 エヴリ・バディに謹賀新年
38 フォシヨンの家の馬鹿息子
39 ヤラセ引くヤセで裸
40 顔に目をつけた
41 未知の西鶴、道の才覚
42 きみの顔は正しい
43 お勉強やめてギルマン読もう
44 ブルーサティン、顔のマニエリスト
45 顔のマニエリスム(1)
46 顔のマニエリスム(2)
47 アポカリプスな顔
48 宙にあそぶ視線(1) 亡き若桑みどり先生に
49 宙にあそぶ視線(2)―─His private eye
50 宙にあそぶ視線(3)─―女たちは見る
51 絵面の見得 服部幸雄先生追善
52 語る目、語る指
53 アメリカン・マニエリスムの手
54 「知」塗られた手首の話(1)
55 「知」塗られた手首の話(2)
56 「知」塗られた手首の話(3)
57 「知」塗られた手首の話(4)
58 かたち好き垂涎の「大図典」
59 影のない翻訳
60 雲をつかむような話
61 こんなミーイズムなら大歓迎だ
62 矩形なのに、まどか
63 かたちばかりの修了試験
吾輩は死ぬ――『吾輩は猫である』
座頭を殺す――『夢十夜』第三夜
夢の幾何学――『夢十夜』第四夜
「擬(まが)いの西洋舘」のト(ロ)ポロジー――『明暗』冒頭のみ
文献索引/人名索引
あいにくとカラー図版がなかったり、図版は多数だがページぶち抜きの大きな図版がないのが残念だが、各章の内容の凝縮ぶりたるやすさまじいし、巻末の索引だけでも読み物になってしまうすごさだ。
高山宏の翻訳した大著で未読のものがいくつもあるので、時間を見て、楽しんでいきたい。必読文献の紹介が何年も遅れていることに憤慨する高山氏だが、せっかく翻訳してくれているのに、読まない手はないのだった。
「三浦崇志&大力拓哉特集」@CAMP GALLERY~ケセラセラ@心斎橋オンジェム
2011年6月19日 ライブ福島のCAMP GALLERYで映画上映とトークのイベント「三浦崇志&大力拓哉特集」
正午からはじまっていたが、「コロ石」を2回上映するということなので、最初の上映はパスして、2本目から見ることにした。
家を出るまでがグズグズして、なかなか外出できないのだ。
「僕の心の中には、いつも雨が降っている」2006年
(夜道の暗さ)
「僕達は死んでしまった」2008年
(クスミヒデオさんも出演)
三浦&大力、Sessionトークショー
(高木駿一監督が主に質問を投げかけてのトーク)
「コロ石」2010年
(遊ぶ男たち)
「コロ石」に顕著に見られる、えんえんと続く男たちの少年的遊びは、まるでヘルツォークの「小人の饗宴」やジャック・スミスの「燃え上がる生物」の三浦&大力版とも見えて、楽しかった。
「バイバイ」と家に帰る演出が、幸福な家庭、少年時代を思わせて、ここちよかった。ヘルツォークやジャック・スミスとは違って、帰る場所がある、という安心感。
午後6時から、心斎橋オンジェムで、「ケセラセラ」
tofubeats
DJカラテカ
佐伯誠之助
DJモタコ
BUBBLE-B feat.Enjo-G
鳥肌実
終わったら午後11時過ぎ。
佐伯、カラテカ、モタコの3氏がやはりめちゃくちゃよかった。
ナイーヴなお客さんが多かったようで、そんなに強烈でもないネタに対して過剰に反応しているのが、新鮮だった。「サブカル」という造語を無批判に受け容れている一般のお客さんが多かった、ということなんだろうか。(悪口ではない。時代は変わったな、と思ったのだ)
あと、オンジェムの全体的な「背の高さ」にちょっとびっくりした。
トイレで手を洗ったあと、風でかわかす機械は、腕を上げないと手が入らない。
入場の際の受付も、お客さんよりも高い位置にモギリの人の頭が存在している。
客商売は頭も腰も低く、低くと考えていたので、意外だった。
帰宅後、録音しておいたNHK-FM「現代の音楽」。
実験的というより、民族的な音楽。これもまた、現代の特徴なのか。
猿谷紀郎
- 音の現在(いま)
~ペール・ヘンリク・ノルドグレン -(1)
「交響曲 第4番 作品98」
ペール・ヘンリク・ノルドグレン作曲
(23分20秒)
(管弦楽)フィンランド放送交響楽団
(指揮)ユハ・カンガス
<FINLANDIA RECORDS WPCS-10563>
「弦楽のための協奏曲 作品54」
ペール・ヘンリク・ノルドグレン作曲
(22分10秒)
(演奏)オストロボスニア室内管弦楽団
(指揮)ユハ・カンガス
<FINLANDIA RECORDS FACD 350>
正午からはじまっていたが、「コロ石」を2回上映するということなので、最初の上映はパスして、2本目から見ることにした。
家を出るまでがグズグズして、なかなか外出できないのだ。
「僕の心の中には、いつも雨が降っている」2006年
(夜道の暗さ)
「僕達は死んでしまった」2008年
(クスミヒデオさんも出演)
三浦&大力、Sessionトークショー
(高木駿一監督が主に質問を投げかけてのトーク)
「コロ石」2010年
(遊ぶ男たち)
「コロ石」に顕著に見られる、えんえんと続く男たちの少年的遊びは、まるでヘルツォークの「小人の饗宴」やジャック・スミスの「燃え上がる生物」の三浦&大力版とも見えて、楽しかった。
「バイバイ」と家に帰る演出が、幸福な家庭、少年時代を思わせて、ここちよかった。ヘルツォークやジャック・スミスとは違って、帰る場所がある、という安心感。
午後6時から、心斎橋オンジェムで、「ケセラセラ」
tofubeats
DJカラテカ
佐伯誠之助
DJモタコ
BUBBLE-B feat.Enjo-G
鳥肌実
終わったら午後11時過ぎ。
佐伯、カラテカ、モタコの3氏がやはりめちゃくちゃよかった。
ナイーヴなお客さんが多かったようで、そんなに強烈でもないネタに対して過剰に反応しているのが、新鮮だった。「サブカル」という造語を無批判に受け容れている一般のお客さんが多かった、ということなんだろうか。(悪口ではない。時代は変わったな、と思ったのだ)
あと、オンジェムの全体的な「背の高さ」にちょっとびっくりした。
トイレで手を洗ったあと、風でかわかす機械は、腕を上げないと手が入らない。
入場の際の受付も、お客さんよりも高い位置にモギリの人の頭が存在している。
客商売は頭も腰も低く、低くと考えていたので、意外だった。
帰宅後、録音しておいたNHK-FM「現代の音楽」。
実験的というより、民族的な音楽。これもまた、現代の特徴なのか。
猿谷紀郎
- 音の現在(いま)
~ペール・ヘンリク・ノルドグレン -(1)
「交響曲 第4番 作品98」
ペール・ヘンリク・ノルドグレン作曲
(23分20秒)
(管弦楽)フィンランド放送交響楽団
(指揮)ユハ・カンガス
<FINLANDIA RECORDS WPCS-10563>
「弦楽のための協奏曲 作品54」
ペール・ヘンリク・ノルドグレン作曲
(22分10秒)
(演奏)オストロボスニア室内管弦楽団
(指揮)ユハ・カンガス
<FINLANDIA RECORDS FACD 350>