新神戸オリエンタルアベニューのアベニューステージでエイベックス・チャレンジステージvol.5。1回目のステージだけを見ることができた。
MCは、脇坂春奈
12:00開演
RiMi☆Cherry(中山みなみ/伊地知梨愛)…ミリオンスマイル。昨日の奈良のイベントで「新神戸のイベント」とだけ言って、詳細は言わなかったのをMCの特殊免許につっこまれてたなあ、と思い出した。

レインボー7(西川怜伽/村上夢歌/ウォーリン永愛/山崎暖々/福井千晴/小西怜菜/橋本珠菜)…恋のダイヤル6700のイントロからイージーDOダンス、恋のダイヤル6700の流れ。「ジュワキ!ジュワキ!」

Sparcle Girls(森花乃/井上莉緒)…スイートジュエル、アイシテラブル

野瀬由希子/大島美帆…a piece of my word

吉田健太郎/角田拓磨…(ダンス)

Tues’s(安岡成美/中嶋栄光)…デュエット

奥地真人/片井 真平/岸本紳吾/森井亮介…メドレー

MOKARIKA(浅田萌花/小西梨花)…1曲めは、え~っと。鼓動の秘密

white・bunnys(酒井麻友子/山本梨央/高山真緒)…メドレー

w-Street OSAKA(永戸真優、緒方もも、熊代珠琳、平野沙羅、三谷優依、南口奈々、村上来渚)
1.絶対!LOVE MAGIC
2.キミ恋てれぱしー
3.キラキラホリデー
南口奈々ちゃん、堂々のリーダー!

午後4時から近鉄百貨店橿原店で、JEWELのライブ。
午後2時の回は残念ながら間に合わず。
1.(?)
2.ビリーブ
3.ただ一つの星
4.ビー・マイン
途中、アラリカの仕切りで、「アプリベスト3」を発表してた。
ライン、テンプルラン、なめこ
だそうな。
スマートホンを使っていない僕には未知の領域である。



なら燈花会~音魂2012~@奈良ビブレ~北村來嶺彩@ユニバーサルシティウォーク
奈良ビブレのエントランスで、燈花会~音魂2012~。
MCは、特殊免許。
まずは午後1時からの第一部。
ブリンカールサンバチーム(ダンス)
mey.be(ダンス)
SERILY /Bo Peep Bo Peep
DREAMILY/ジニー
RiMi☆Cherry/We wll win、おんなじキモチ
SweetLove/true blue
響~HIBIKI~(ダンス)           
ウインク戦隊Dollyレンジャー/行くぜっ!怪盗少女
【スペシャルLIVE】
レインボー7  
1.キラキラエブリデイ
2.ライク&ピース
3.恋のダイヤル6700
4.イージーDOダンス
5.GOGOサマー

ライブ終わりでビブレで一服。来年には閉店してしまうらしい。

午後3時過ぎから、第二部。
ブリンカールサンバチーム(ダンス)
mey.be(ダンス)
SERILY /ポニーテールとシュシュ
DREAMILY/M
RiMi☆Cherry /がんばって青春、ミリオンスマイル
SweetLove /true blue
響~HIBIKI~(ダンス)           
ウインク戦隊Dollyレンジャー/行くぜっ!怪盗少女

ビブレ近くの古本屋で、将棋雑誌の付録を数冊購入。

ユニバーサルシティウォークに移動して、北村來嶺彩ちゃんのステージを見る。
1.ファイト・トゥゲザー
2.ゆずれない願い
3.創世のアクエリオン
4.愛情
今まではインターネット上だけのやりとりだったのが、はじめて直接会って挨拶できた。

Kids & Teens Dance☆Expo
大丸心斎橋店本館で、「キッズ&ティーンズ ダンスエキスポ2012」
8月8日から20日まで開催されているイベントで、今日はキッズ&ティーンズダンスショーがあった。
Studio ai
Dance Studio SKYHIGH
コナミスポーツクラブ川西緑台ジュニアファンク
以上3つのダンススクールのステージと、ゲストの「だーよし」のダンス。
ダンススクールの発表会をハイライトで3つ見ている気分になって、楽しめた。
こんなことなら、1日めから日参すればよかった、と思ったほど。

『ランプの営み』
トリスタン・ツァラの『ランプの営み』を読んだ。
以下、目次。

芸術ノート
黒人芸術ノート
芸術ノート――H・アルプ
ギョーム・アポリネール『虐殺された詩人』『ティレジアスの乳房』
ピエール・ルヴェルディ『タランの盗人』
ピエール・アルベール=ビロ
黒人詩ノート
ギョーム・アポリネールの死
R・ヒュルゼンベック『幻想的祈り』
詩について
ピエール・ルヴェルディ『屋根のスレート瓦』『迷彩服の騎手』
フランシス・ピカビア『葬儀社の運動選手』『精神的秣の桶』
フランシス・ピカビア『言語なしの思考』
ジャック・リヴィエールへの公開状
芸術と狩猟
ダダの諺
諧謔の破産――あるアンケートへの回答
わたしはオランピアで『しぼんでいく男』を観た
ロートレアモン伯爵あるいは叫びについて
逆さまの写真――マン・レイ
あるアンケートへの回答
ダダについての講演

ランボー+ロートレアモン+ジャリ、これがフランス芸術のもっとも純粋かつ複合的な表現だといえば十分ではあるまいか?

ダダはニュアンスを廃棄した。ニュアンスは言葉の中にはない。少数の萎縮症患者の詰めすぎ脳細胞の中にあるのだ。

90年前のダダの時代は、現代と似通っているのか、はたまた、正反対の事態に陥ってしまったのか。現代の日本にとってこそダダは衝撃をもちうるのか、それとも、ダダは権力によって取り込まれ済みなのか。
何とでも解釈のしようがあるところが歯がゆいのだが、そういう時代だからこそ、裏ダダの暗躍する機運にある、と僕は考えている。裏ダダって今とっさに思いついた言葉だけど。
『無限、宇宙および諸世界について』
ジョルダーノ・ブルーノの『無限、宇宙および諸世界について』を読んだ。
巻頭、エルピーノとフィロテオによる印象的なやりとりではじまる。本書では、フィロテオがブルーノの説をとなえる主人公である。
エルピーノ 宇宙が無限だなどということがどうしてありえましょう?
フィロテオ 宇宙が有限だなどということがどうしてありえましょう?
エルピーノ この無限が証明されると思うのですか?
フィロテオ この有限が証明されると思うのですか?
エルピーノ どのような拡がりなのだろう?
フィロテオ どのような縁に囲まれているのだろう?

例によって序文書簡に目次がわりの全体見取り図が詳細に記されているが、それを書き写すのはたいへん(20ページくらいある!)なので、簡単に言うと、こうなる。
第一対話では宇宙の無限性が説かれる。
第二対話では、エルピーノによって引用されるアリストテレスの所論にフィロテオが反論でこたえる。
序文書簡中に、こんな文章がある。
かくして、世界を無限とする人々に反対して、世界の中心ないし周辺を想定し、有限者や無限者の中心を地球におこうとするアリストテレスの議論が、空しいものであることが明らかになります。結局、『天体論』の第一巻や『自然学』第三巻に、世界の無限性を否定しようとしてこの哲学者が論じている言葉は、舌足らずで、何の意味もないものなのです。

手厳しいお言葉!
第三対話では天体について語られる。
第四対話は、無限についての再説。
第五対話は、アルベルティーノ登場で、「世界が複数かつ多様であるという主張にたいする反論のすべてが含まれる」12の問題をぶつける。これがクライマックス!
アルベルティーノは、ついに説得されて、ブルーノがこの本で言わんとするところをまとめて言ってくれる。まずは、ブルーノの説に対する反対意見についての露はらい。
フィロテオよ。大衆の声も、俗衆の憤慨も、愚か者の蔭口や物識りの嘲りも、気狂いの愚行や低脳の頑固も、嘘つきの情報、悪意の悪口、嫉妬からでた中傷も、君の高貴な姿を私に見誤らせることはできぬし、君の言葉を私から遠ざけることもできないでしょう。忍耐したまえ、わがフィロテオ君、忍耐したまえ。頑迷無知の者たちが厳めしげに集って、さまざまに奸計や作為をめぐらし、君のすぐれた計画と高尚な仕事を脅かして台無しにしようとしても、そのために勇気を粗相させたり尻込みしたりしてはいけませんよ。いつかは皆も私と同じように理解することを確信したまえ。

と、自らを鼓舞し、自画自讃した後、こうある。
君は、天とは真実いかなるものであるかを知らせるために、説きつづけたまえ。天とは実は遊星や星のすべてなのだと。無数に存在する諸世界は一つ一つがどのように区別されているのか。一つの無限空間が存在することは、不可能などころか、いかに必然のことであるか。いかにこれらの無限なる結果は、無限なる原因にふさわしいものであるか。万物の真の実体、質料、活動、動力とはいかなるものであるのか。あらゆる感覚されうる合成物は、どのようにして同じ原理、元素からつくられるのか。無限なる宇宙を認めることに確信をもたせてくれたまえ。元素と天界を内外に限る凸球面、凹球面を打ち砕きたまえ。輸送軌道とか天蓋に固着された星とかを笑いものにしてやりたまえ。活発な議論をわめき立て振り廻して、文盲の俗衆が信じこんでいるあの第一動者と最後の凸球面の堅い壁を、壊して取り払ってしまえ。この地球が真の唯一の中心だという考えを崩してやりたまえ。第五元素という無知な信仰を捨てさせてしまえ。この我々の星、世界も、我々の目に入るあの沢山の星、世界も、同じものからできているいのだということを知らせてくれたまえ。巨大で広大な数限りない諸世界のなかで、どの一つをとっても、他のより小さな無数の世界と、同じ秩序で結ばれていることを、繰り返し教えてくれたまえ。天の外にあるという原動力を天をかこみ閉している壁と一緒に抹消してしまえ。扉を開いて、この星もあの星も相異のないことを見せてやりたまえ。エーテルのなかで、この世界同様、他の諸世界も自立自存していることを示してくれ。万物の運動はその内にすむ霊魂から生ずることを明らかにしてくれ

引用中にある「第五元素」というのは、地、水、火、空気のいわゆる四大元素以外のものとして考えられた元素のことで、アリストテレス(エーテル)やキケロ(名づけられぬもの)に記述がある。
以上で、おおよそ、本書で何が書かれているのかはわかるが、面白くてひっかかる箇所がやはり別にいくつかあった。
第三対話のなかに、序文書簡のまとめで言えば、次のようなことが取り上げられた箇所がある。
強情な狂信者で自分の邪心に気づかぬ者たちが、ふつうどのように議論するものかを見物したのちに、さらにどのようにして議論を打ち切りにするかをはっきりさせている。

ここだけでも興味があるってものだが、簡単に言えば、結論は、「逃げ出せ」ということなのである。
また、よく水を吸い取るスポンジを入れた容器に水を入れたら、からっぽの容器に水を入れるよりも大量の水を入れることが可能、というようなパラドックスや、第五対話でアルベルティーノが対決に持ち出す「12の反論」がよく数えると13あり、しかも序文書簡では11番目を説明して終わらせていることも面白い。対話中では、アルベルティーノは「第7に」と反論を述べたあと、その次も「第7に」と違う反論を言っている、まるで「時うどん」のような数字の数え間違いがなされているのだ。実際には13ある反論にひとつひとつ答えていきながら、フィロテオは最終的に最後の反論を「12番目」として終わらせるイリュージョンも見ものだ。
『パラドクシア・エピデミカ』
ロザリー・L・コリーの『パラドクシア・エピデミカ』を読んだ。副題に「ルネサンスにおけるパラドックスの伝統」とある。
序には、次のようにある。
本書は、パラドックスの伝統を何人かの言語芸術家が一体どういう具合に意識的に利用したかを検討する一方、そうした文学以外のところでのふたつの局面において-ルネサンスの自然科学と、ルネサンス美術の一ジャンルにおいて-パラドクシーがどう機能していたものか、見ようとする。


また、本書の構成について、次のように書いている。
まず一番単純なパラドックス、即ちラブレーが使ったものが典型たる修辞的パラドックスから始め、次に文学の、というか抒情詩が内包する自己言及の根本的パラドックスに転じ、次にペトラルカとシドニーの恋愛詩を繋ぎに、性愛そのもの、そして愛の詩に孕まれる心理学的パラドックスに進もうと工夫してみた。ジョン・ダンの歌う愛のパラドックスはなにも俗なる性愛を歌う作には勿論とどまってはいなかった。その聖愛を言祝ぐ宗教詩を手掛かりに本書は、神をめぐるさまざまな公的パラドックス、無限と永遠といった観念をめぐり、ロゴス観念に含まれる多様なパラドックスを扱う次の段階にと入っていく。そうやって聖なる存在論を論じた後、もっと俗なる存在論に含まれる各種パラドックスに目を転じ、まずは「無」という基本中の基本のパラドックスに付き合ってみる。


この「無」の問題はルネサンス思想中、特に重要なものなので、幾つもの論じ方を示してみた。第7章では道徳的に、第8章では物理と道徳の見地から、そして第9章では美の問題、霊性の問題として、である。


最後のひと塊は人間の知とは何か意識的な検討がなされていたことを扱う章ばかりだ。第12章は自我の文学的表現に孕まれるさまざまな問題を論じるので、第2章を大いに基礎にしている。第13章はダンの周年記念詩篇をテクストに、知ある無知、自己言及、そして否定神学といった主題を論じ、ということはこれら複雑で鳴る詩篇のパラドックスについて新しい見方を提供しもできるはずと願っている。ロバート・バートンの『憂鬱の解剖』を論じる章は『ガルガンチュワとパンタグリュエル』論の章を基礎にしているわけだが、目はそこでの各種自己言及の方に転じ、実際にはこの大作がひとつ丸ごと大きなパラドックスの箱であって、容器としてのこのものをそれぞれが鏡映する小さなパラドックス群を注意深く収めたという構造になっていることを言う。『リア王』のパラドックスについては何を今更屋上屋を架けることもなさそうにも思われようが、まず何故この作かと説明して後、これが修辞的パラドックスの典型作たると同時に道徳的パラドックスとしてもよくでいている点を述べる。最後の章も、鏡映というか、「即合」をみる章になる。即ち自殺、自死についてのパラドックスを、道徳と修辞二面におけるパラドックスとして検討するからである。自殺パラドックスは一方において弁護し難いものの弁護であり、他方、その戦略、その主題においてはそれ自らのパラドキシカルな作用を自らに映しだすからである。


以上にように「序」において見取り図が示されている。
「修辞的パラドックス」というのは、無価値なものや、弁護し難いものを弁護してみせるもののことである。
ゴルギアスが、トロイア戦争の因となった美姫ヘレネーを礼讃した文や、
イソクラテスによる、醜男テルシテス讃美や、
シネシウスによる、禿頭礼讃や、
ルキアノスによる、蝿讃美や、
オウィディウスによる、胡桃讃美や、
偽ウェルギリウスによる、羽虫讃美や、
ウルリッヒ・フォン・フッテンの『人で無し(ネモ)』や、
エラスムスの『痴愚神礼讃』や、
オルテンシオ・ランドの『逆説』などがあたる。
以下、目次。


序論 パラドックスの諸問題
第1部 修辞と論理のパラドックス
第1章「けちな卑し絵師」―フランソワ・ラブレーとその本
第2章「我が物語を愍れめ」―ロゴスと芸術の永遠性
第3章ジョン・ダンと受肉のパラドックス

第2部 神の存在論のパラドックス
第4章否定神学の中の肯定―無限
第5章否定神学の中の肯定―永遠
第6章『聖堂』の中のロゴス

第3部 存在論的パラドックス―存在と生成
第7章「すべて、存在せぬものばかり」―無問題を解く
第8章賭け―全てか無か
第9章静物画―存在のパラドックス
第10章存在と生成―事物の言語のパラドックス
第11章『神仙女王』に見る存在と生成

第4部 認識のパラドックス
第12章「我れは我れなり」―自己言及の問題
第13章超越知の修辞学
第14章ロバート・バートン『憂鬱の解剖』とパラドックスの構造
 1.ルネサンス認識論詩学のパラドックス的伝統
 2.ジョン・ダンの周年記念詩と認識論のパラドックス
第15章「狂いし中にもまともな」
第16章「自らの刑執行人」
エピローグ

ロザリー・コリー讃
訳者あとがき
原注
参考文献
索引

各章冒頭には、トマス・ブラウンの『医家の宗教』からの引用が付されている。
それぞれの章で中心的に取り上げられているのは、
第1章 ラブレー
第2章 ペトラルカ
第3章 ジョン・ダン
第4章 トマス・トラハーン
第5章 ジョン・ミルトン
第6章 ジョージ・ハーバート
第7章 シェイクスピア(ソネット)
第8章 ブレーズ・パスカル
第9章 (静物画。ウァニタス)
第10章 (科学)
第11章 エドマンド・スペンサー
第12章 (絵画に描かれる画家の姿から)シェイクスピア、モンテーニュ
第13章 ジョン・デイヴィーズ、ヘレフォードのデイヴィーズ、グレヴィル、ジョン・ダン
第14章 ロバート・バートン
第15章 シェイクスピア(『リア王』)
第16章 シェイクスピア(『ハムレット』)、ジョン・ダン

第14章には、ロバート・バートンの書を「基本中の基本のパラドックス、愚の礼讃である」と評したあとに、いくつかの系譜をあげていて、わかりやすい。
無知の知を讃えたニコラウス・クサーヌス
無知と不確実の遍在を博識の限りを尽くして証明したモンテーニュ
全学問分野の力不足を学識の全力投入で証したハインリッヒ・コルネリウス・アグリッパ
愚行を讃え同時に間接的かつ昏く、人の知を越えた叡智を讃えたエラスムス
その目に世界が愚者で溢れる世界船と映じたゼバスティアン・ブラント


幻想奇譚第3回@ワッハ上方
午後7時からワッハ上方で講談と朗読の続き読みの会「幻想奇譚」第3回(最終回)。
斉藤幸恵の朗読:岡本綺堂『心中浪華の春雨』
旭堂小二三の講談:安倍晴明伝
今まで中入りで流れていたトークの録音放送はなく、イベント後半にトークコーナーが設けられていた。
そのときのトークでも触れられていたが、続き読みの「前回までのあらすじ」を毎回つけねばならない、というのは、見ている客としたら、ああ、そんな話だったな、と思い出すきっかけにもなったが、1話完結のほうがスムーズに行くのもたしか。
http://kofumi.jimdo.com/
中崎町のワンプラスワンギャラリーで、「おんなのこ展」
51名のおんなのこ写真展
出品者やモデルさんに、見知った顔がちらほらあって、楽しい。
http://one-plus-1.net/2012girls/

ニアリーイコールギャラリーで岡藤真依個展「恍惚」
昔、ガロとか読んでいた頃の懐かしいアングラサブカル臭がそこはかとなくただよう作品群。「そこはかとなく」というのがポイント。
http://okafujimai.com/

中崎町を歩いていると、公園でカメラマンのnaoさんの撮影現場に遭遇したりした。数枚、被写体にもなる。

コーポ北加賀屋でBar Sachiko 夏祭り本祭
plays photo score, solo second half ~写真譜による、ソロ組曲後半~
写真を楽譜にして奏でられる電気ノイズ。

通常営業ではあるが、周年でもあった夕顔楼に顔を出す。
なんば紅鶴で、午後2時半から、
「生タクミでどうですか〜2都市開催決定〜 」
start 14:30 / ¥1,000- (1drink別)
出演 /笠原拓巳
トークと歌。
前回イベントの模様を編集したDVDがおみやげ。

ギャラリーノマルで、「PEKE1」で作品展示中の稲垣元則さんと鈴木創士さんのトークセッション「Another World超覚」&.esライブ。
http://www.nomart.co.jp/exhibition/session_04.php

淀川の花火大会、人で混雑するのを見越して、空いている場所を選んで動いたつもりが、まあまあの人出。
石切劔箭神社夏季大祭宵宮祭
石切劔箭神社で大幣神事。
近鉄の石切駅で下車して向かうと、たどりつくまでの道が実にいい。

太洋の寵児

2012年8月2日 映画
矢倉茂雄監督の「太洋の寵児」を見た。1936年。
主人公の藤山一郎、たよんないぞ!
ヘルタースケルター

『マンク』上・下
読んだつもりでいたけど、実際に読んでみると、はじめてだった。
映画で見た部分は上巻の最初の100ページまでに結末以外ほぼおさまっているのにびっくり。
映画で描かれていた、修道僧の堕落と、それにまつわる別のストーリーがあわさっている感じ。
ルイスは十代でこの本を書いたそうだが、解説にもあったように、ルイスは早熟だったが、真に成熟することはなかった、というのがぴったりくる。
今、この『マンク』を読んでも、童貞臭がぷんぷんするライトノベルに思える。
高潔な人間の下卑た面をあらわにする描写は、まるでネットの書き込みみたいで、現代の若い読者にも大いに受け入れられるのではないか、と思った。


「奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解 展」@弥生美術館~「夢二と大正時代」@竹久夢二美術館~万有引力「怪人フー・マンチュー」@座・高円寺
「奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解 展」@弥生美術館~「夢二と大正時代」@竹久夢二美術館~万有引力「怪人フー・マンチュー」@座・高円寺
「奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解 展」@弥生美術館~「夢二と大正時代」@竹久夢二美術館~万有引力「怪人フー・マンチュー」@座・高円寺
東京2日め。と、言っても、今晩帰る。
弥生美術館で「奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解 展」を見る。
こどもの頃に持っていてよく読んでいた怪獣の本や、少年マンガ雑誌の特集ページなど。僕が一番記憶に残っているのは、江戸川乱歩の世界を描いたもので、内容は鏡地獄で発狂した男とか、あと、地獄風景とか、鬼とかが取り上げられていたと思う。大時計の文字盤で長針に首を切られそうになっている表紙は、復刻版でも見れたと思うが、中身までは紹介してくれていないのが残念(しかも、表紙は小説の中身と違って、体が切られそうになっている)。
あと、青銅の大魔神のソノシートもあって、青銅の大魔神を退治するために日本古来の化け物(守護する妖怪?)が出てきて戦うのだが、全体に音楽の鬱屈したムードとあわせて、夏のけだるさを思い出させる。

隣接している竹久夢二美術館では「夢二と大正時代Ⅲ 夢二の恋と関東大震災をめぐって―大正9~12年を中心に―」
震災時のスケッチと文章もまとめて読むことができて、これはよかった。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/

高円寺に移動して、座・高円寺で演劇実験室・万有引力の「紙芝居活劇オペラ 怪人フー・マンチュー」を見た。
映画のシーンもまじえて、現実と虚構が交錯する音楽劇。
ストーリーは、ぼけ~っと見ていたせいか、あってないような感じだった。
やっつけた!と思ったら、復活した!またやっつけた!あ、復活した!みたいな感じ。
音楽は伊福部のくすぐりからはじまって、JAシーザー全開。寺山修司らしさはあったが、ライトな感じだったかな。

http://www.banyu-inryoku.net/main/main.htm

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