22日、国立民族学博物館に行って、「音楽の祭日2014inみんぱく」見てきた。
午前中からはじまっていたが、到着したら、お昼前。
特別展示場と、本館エントランスホールとをこまめに往復して、プログラムを見たので、必ずしも演奏を全部見れたわけではないが、じゅうぶんに堪能した。
以下、ほぼ見たもの順に。タイムテーブルに多少の変更があったかな。
バンチャ・パリワール
 サーランギと太鼓マーダルなどを使ってネパールの民族音楽を演奏。
パシール・ビンタン
 インドネシア民族楽器アンクロン等のアンサンブル。
Pulse
 打弦楽器ダルシマーでのバロックとクラシックの演奏。
ライアーアンサンブル ジルフェ
 竪琴ライアーの、繊細で優しい音色や響きでやすらぎの曲を演奏。
Sol de las Indias
 ボリビアのダンス。
SWEET HERMONY
 歌のシルクロード。中村宏&山本純子がやまとごころを歌う。
Africa We go
 ウガンダ・ケニアからの留学生たちによるダンスパフォーマンス。
チャンドラ・バスカラ、パドマ・サリ、スワ・ギタ・プルティウィ・ジャパン
 バリ島の舞踊とガムラン音楽に魅せられ各地で活動するグループの共演。
ハラウ フラ オ マカナアロハ
 ハワイの楽器イプヘケ、ウリウリ等を用いて歌の意味を踊りとともに表現。
ÁNIMO
 様々な珍しい民族楽器を使って、フォルクローレを中心に演奏。
芸能The"新志"
 三線、三味線、笛、太鼓、鉦等を用いた、阿波踊りなどの演奏と踊り。
ゆや
 小さなアコーディオン「コンサーティナ」でシャンソンやオリジナルを歌う。
大阪大学インターナショナルバンド
 中国の横笛や沖縄の三線、南米アンデス地方の楽器などを用いて演奏。
叩研(TATA QUEM)
 ブラジル北東部に伝わる、お祭り太鼓「マラカトゥ」等を使って賑やかに演奏。
加藤敬徳
 パンフルートの演奏。
ダルマ・ブダヤ
 インドネシア中部ジャワの民族音楽、ジャワ・ガムランの演奏。
 1.ランチャラン・クイ・オポ・クイ
 2.ドラナン・モントル・モントル・チレッ
 3.ラドラン・ムギ・ラハユ
 4. ランガム・チャピン・グヌン
THE ENGINES
 クレズマーなどの音楽を演奏。
神奈川馬匠と締組
 和太鼓のオリジナル曲を演奏。

終わったのは、午後4時半。
全部のプログラムをハシゴできなかった理由は、途中、展示を見に入ったため。22日は無料観覧日だったので、気軽な気分で入ったのだが、これがもう圧巻。何回も展示見たことあったので、さらっと回るつもりが、もう、1時間でも2時間でも足りない。1日まるまるかけても、半分見切れないほどの充実ぶり。
東アジアの展示が変わったとは聞いていたけど、これはすごい。
「朝鮮半島の文化」展示では、クイズラリーに答えて、ポストカードをプレゼント!この「朝鮮半島の文化」のセクションだけでも、半日過ごせるものすごさ。
http://www.minpaku.ac.jp/museum/event/fetedelamusique/2014/index


アートスペース亜蛮人に行って、
1階:山本桃水個展「青空と少女」
2階:微生物個展「イロニー」
を見てきた。

2階のイロニーは、銀箔の空間に銀の鳥居、サイケデリックな映像。
電波が充満したようなインスタレーションで、ありもしない静電気をビリビリ感じるような、隠れ家的楽しさを味わった。

1階の「青空と少女」は、制服の少女たちを中心にした展示。
入るなり、女子ばっかりのクラスに転入したような、なんともいえぬ、甘酸っぱい、居心地がいいやら悪いやら、きやきやした気持ちにとらわれた。
女子の卒業アルバムに迷い込んだような印象で、ここでは、逆に僕のほうが、女子の国のアリスの役割を得たのだった。
あ、あまずっぱい、というのは、山本桃水さんにいただいた「いちごみるく」の効果もあったかも。


国立文楽劇場に行って、「文楽若手会」を見てきた。
午後1時~4時10分。

「花競四季寿」より
万才
(15分休憩)
菅原伝授手習鑑
 寺入りの段
 寺子屋の段
(20分休憩)
卅三間堂棟由来
 平太郎住家より木遣り音頭の段

パンフレットに「解説」「あらすじ」「床本」が書いてあり、舞台上部に字幕表示もあったので、非常にわかりやすく、退屈を覚えることもなく、楽しく見れた。
菅原伝授手習鑑で、身代わりになって死んだ小太郎の母親がうっかり「でかしゃった」とか言い出さないかな、と思ってたけど、もちろん、そんなことは言わなかった。今なら、ここはこういうシチュエーションだな、と刷り込まれているけど。

「スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!」~エドワード・ゴーリー原画展~「Peaceful!!」
20日、カラン・ジョーハル監督の「スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!」を見てきた。
大富豪のおちこぼれ息子ロハン(キアヌ・リーブス似)=ヴァルン・ダワンは、学園のスターでロックミュージシャン志望。
スポーツ万能の転校生アビマニュ(平井堅似)=シド・マルホトラは、ロハンと最初、衝突するけど、やがて友情で結ばれる。
ロハンの彼女、シャナーヤ(ベティ・ブープ似)=アーリアー・バットは、贅沢好きのヒロイン。
彼ら3人を含む8人の仲間たちは、学校で毎年開催される「スチューデント・オブ・ザ・イヤー」のナンバー・1を争う闘いで、友情を壊されていく。
この闘いは、謎解き、ダンス、トライアスロンの3種目で、次々と脱落者が出る仕組みになっていて、予想どおり、最後のトライアスロンでのゴール争いは、ロハンとアビマニュの一騎打ちの様相を呈するのだ。
どんでん返しに次ぐどんでん返し、歌とダンス満載の、大衆娯楽の権化とも言えるインド映画だった。
この学園ナンバー1を決める争いを仕組んだ校長先生を、リシ・カプールが演じていて、厳格で身勝手、実はゲイ、という複雑な役をこなしていた。
面白かった!

http://student-no1.com/

グランフロント大阪の紀伊国屋書店に行って、エドワード・ゴーリー原画展を見てきた。6月に発売された初期作品『蟲の神』刊行記念。
原画やポスター、そして、和書、洋書、グッズ類。
ミステリ関係のポスターでは、名探偵たちが描かれていた。エルキュール・ポワロ、ミス・マープル、ピーター・ウィムジィ卿、ダルグリッシュなどなど。
展示された作品に、コレクターの濱中利信氏が記したと思しき解説が書いてあった。入手したときの思い出など。
ゴーリーの世界の展示をするなら、もっとミステリ的な味付けがほしいな、とは思ったが、いずれにしても貴重な展示で、時を忘れて何度も回ったりした。
http://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Grand-Front-Osaka-Store/20140518170132.html


リバーアートプレースに行って、三田みらの脚本・演出の「Peaceful!!」を見てきた。
文化祭のステージを実現させるまでの、小学4年生と6年生のチームの物語。
話がまとまらなかったり、やる気見せないメンバーがいたり、メンバー同士のいざこざがあったり、とか、いろいろ山積みの問題を乗り越えて、やりきる。
指導が入っているとは言え、脚本、演出をみらのちゃんがやっているのが、素晴らしい。荒金理香演ずる協調性を欠いたメンバーの演技が、めっちゃリアリティあって、あの子となかよくやっていくために、自分ならどうしただろうか、なんて考えながら見ていた。
演技もダンスも楽しくて、1時間のステージがあっという間。いいステージだった。
脚本・演出/三田みらの
脚本・演出指導/虎本剛
【場所】River Art Place Aスタジオ
【チケット】500円
【キャスト】
荒金 理香
安藤 光輝
井谷 和佳奈
ウォーリン 永愛
氏野 奈菜
金田 侑大
金ヶ江 あいかビンギラ
高倉 響
早川 心
松本 和花
結城 梓
横野 里南
[振付]
金 李奈
中村 春夏
三田みらの 

トラヴィス・ファイン監督の「チョコレートドーナツ」を見てきた。
母親が薬物使用で逮捕されたため、行き場をなくしたダウン症の少年をゲイ・カップルが育てようとする。
時代は1970年代アメリカ。同性愛に対する偏見も根強く、少年は引き離される。
この映画、予告編見たときは、「あ~、またマイノリティとハンディキャッパーをダシにして安易に感動作をつくりやがって」と軽くみていたのだが、見てみると、あまりの良さに、感動してしまった。僕の感受性こそ安易なのかもしれないが、いい映画だった。
この映画、原題は「ANY DAY NOW」といって、言うまでもなく、有名な曲の歌詞の一部からとられている。ラストで、このタイトルが出てきたときに、あらためて、メッセージ性の強さに打ち震えてしまうわけだが、なぜに「チョコレートドーナツ」などという軟弱なタイトルつけたのか、理解に苦しむところだ。
作中、黒人の弁護士がこんなことを言う。
「正義はない。でも、闘い続けるんだ」
嘆くだけでなく、闘うのだ!
http://bitters.co.jp/choco/

フランク・パヴィッチ監督のドキュメンタリー「ホドロフスキーのDUNE」を見てきた。関西人にとって「DUNE」とは、村上ショージのギャグ以外の何物でもないのだが、これは、デイヴィッド・リンチでも手に余ったフランク・ハーバートのSF小説のことである。
1970年代、「スターウォーズ」もまだ無い時代に、ホドロフスキーが撮ろうとしていた幻の映画「DUNE」について、監督やスタッフ達が語る。
そのスタッフの豪華なこと!キャストの豪華なこと!
映画「DUNE」を作るためにホドロフスキーがスカウトしたスタッフ、キャスト(ホドロフスキー曰く、「戦士」)との出会いのエピソードが語られる。
こういうスカウトの醍醐味はいろんな作品で味わうことができるが、僕が最初にこの手の面白さを知ったのは、喜多嶋隆の『ポニー・テールはふり向かない』だった。この小説が大好きで、続編もあらかた読んだ。(テレビドラマは見なかった)
そして、この「ホドロフスキーのDUNE」も、「ポニー・テール」に劣らない素晴らしさだった!ポニー・テールに匹敵するなんて、相当なもんだ!
結局は、映画産業の枠を大きくはみ出るホドロフスキーの存在におそれをなして、映画は頓挫する。あるいは、予算の問題で。金がからむと、とたんにつまらない展開になっちゃうな、とよく思う。「なんだかんだ言って、お金は大切」と言う人がたまにいるが、僕は、その「なんだかんだ」のほうが大好きなのだ。
http://www.uplink.co.jp/dune/

ヘンリー=アレックス・ルビン監督の「ディス/コネクト」を見てきた。
インターネット、SNSに関わる闇の部分にスポットをあてた映画。
なりすまし、個人情報、ウェブカメラ風俗、ネット上の相手に心情吐露、パソコン遠隔操作。
リンクを踏んでスパイウェアを仕込まれて、クレジットカード使われてしまう。
なりすまし女子に送った画像が拡散されて、自殺未遂。
ウェブの風俗で働く少年を救おうとするレポーターの空回り。
ネットを通した人と人とのつながりで、深刻な闇に踏み込んでしまった人たちが、最後には暴力によって決定的な局面を迎える。
暴力は悲劇だが、たとえ暴力でも、人と人が直接つながることで、なにか救いにも似た安堵を覚えてしまうほどに、根は深い。
この映画では、悪は最後まで姿をあらわさない。(未成年を働かせる風俗の元締めだって悪の権化とは言いがたい存在で、少年たちの信頼を得ている)出てくるのは、善人と被害者ばかりで、それこそが、今のネット社会の特徴なんじゃないかな、と思った。
http://dis-connect.jp/


ヤン・ヤーチェ監督の「GF*BF」を見てきた。
女1人、男2人の物語。
トム・クルーズ似のリディアン・ヴォーン演ずる心仁(シンレン)は、グイ・ルンメイ演ずる美宝(メイバオ)が好き。しかし、美宝は、ジョセフ・チャン演ずる忠良(チョンリャン)が好き。でも、忠良は美宝の想いに応えてあげない。それは…。と、いう話。
心仁が美宝に向かって「俺は主題歌じゃないけど、B面の1曲めだろ!」と気持ちをぶつけるのにはまいった。
台湾の民主化運動とストーリーがリンクしていて、最初は1985年、台湾が戒厳令下にあるとき、3人は学生で、校則にさからったり、学生運動に関わったりしている。1990年、1997年、2012年、と時代が変わるにつれて、民主化運動に積極的だった心仁は変節する。美宝は忠良への想いが底に流れながら、B面の1曲めとの関係を続けていたが、大きな決断をしたようだ。忠良も愛人との関係にケリをつける。
美宝の愛は、はなから報われることなく、とうとう報われないのだが、報われないながら続いていた良好な関係についても、先が見えない。これは、せつない!
冒頭、女学生たちが、「短パンはかせろ!」と校則に抗議して、全員でスカートを脱いで短パン姿になるシーンがある。つい先日、ツイキャス見てたら、スカート丈に厳しい校則に抗議して、ジャージパンツで登校し、「家に帰ってスカートにはきかえてこい」と追い返された女子高生がいた。台湾でも、実際にこういう事件があったそうだが、日本でも同じなんだな、と実感。
また、作中、生理痛に苦しむ美宝に、忠良はクスノキの葉っぱをちぎってもみ、美宝に渡す。美宝はそのクスノキの葉のにおいで、痛みを和らげる。樟脳のようなにおい、効果があるんだろうか。クスノキが生えている場所を覚えておいて、苦しむ女の子には、葉っぱをちぎってあげればいいのか、とひとつタメになった。
http://www.pm-movie.com/gfbf/


アンヌ・フォンテーヌ監督の「美しい絵の崩壊」を見てきた。
ドリス・レッシング原作。
幼い頃からの親友同士の女性2人。彼女たちにはそれぞれ息子も出来たが、なんと、その若くて美しい息子たちは、それぞれ母親の親友との恋に落ちてしまう。
もちろん、近親相姦ではないけど、母親と同年代の女性、しかも、母親同士は親友、というなんとなく禁断の愛のムードがただよう。
女性の側からすれば、こんな関係はやめたほうがいい、という思いもあり、また年齢のこともあって、彼にはすぐ新しい恋人が出来てしまうだろう、という思いもある。案の定、息子たちは、それぞれ恋人を見つけて、結婚し、子どもも出来る。一件落着かと思いきや…。
恋愛に年齢は関係なく、タブーなどない、ということなんだろう。結局、いろんないざこざは、思いを無理やり断ち切ろうとするところから生じてしまうのだ。
作中、恋人(親友の息子)が、若い女性を相手にダンスするのを目撃するシーンがあった。そのときの、嫉妬ともあきらめとも寂しさともつかぬ(あるいは全部)表情には、身につまされる思いがした。いくつになっても、そして、わかっていても、失恋の予兆には心が乱されてしまう。
http://utsukushiienohokai.com/

ブルース・ロビンソン監督の「ウィズネイルと僕」を見てきた。
これは、まあ、面白いのなんのって。
1987年の作品で、舞台となるのは、1969年イギリス。
ウィズネイル(リチャード・E・グラント)と、僕(ポール・マッギャン)は、貧乏な俳優の卵。酒とタバコとドラッグの日々。気分転換に、と叔父のモンティの持つ別荘小屋を目指す。
ちょっと前に見た「美しい絵の崩壊」が、光あふれる海辺の光景だったのに、この「ウィズネイルと僕」は、冷たい雨がじとじとと降るイギリス。落差が激しすぎる。台所には洗っていない食器が大量に放置してあり、全身にクリームを塗って暖をとり、ライターのオイルを酒がわりにあおる。既に絵は崩壊している。
このウィズネイルという男のキャラクターが秀逸で、威勢のいいことを言うけど、臆病で卑怯。かっこいいカリスマだけど、完全に人間として破綻している。こういう、手に余るどうしようもない人、というのは、実は、周囲にいくらでもいて、親近感を覚えた。
他に登場する人たちも、一級品の奇矯な人々だった。こういう変人も、周囲でよく見かける。また、むちゃくちゃなウィズネイルとの生活と冒険のなかで、やたらホモに間違われて、さんざんな目にあう主人公に、笑った。
田舎でのシーンで、ポリ袋を靴がわりに使って歩いていたけど、これは、わりと日常的に見る光景で、雨の日にコンビニ袋をかぶって、頭だけ守っている人など、しょっちゅう見かける。
と、いうわけで、妙に自分の日常に近しいシーン連発で、みどころ満載だった。
結局、「僕」はオーディションで俳優として主役の座を得て、ウィズネイルのもとを去るのだが、それは人として当たり前の成功への道なのに、祝福する気になれないのが、僕の宿痾なんだろうな。
http://w-and-i.com/

大井浩明リサイタル・シリーズ《時を得たメシアン Meantime Messiaen》第1回@芦屋山村サロン

15日は、芦屋の山村サロンで大井浩明リサイタル・シリーズ《時を得たメシアン Meantime Messiaen》第1回。
●O.メシアン(1908-1992):《幼な子イエスに注ぐ20のまなざし》(全20曲、1944)
 ――ドン・コルンバ・マルミオン、モーリス・トエスカのテクスト朗読を伴うオリジナル原案版/日本初演(朗読・山村雅治)
I.父のまなざし II.星のまなざし III.交換 IV.聖処女のまなざし V.子にそそぐ子のまなざし VI.その方によって万物はつくられた VII.十字架のまなざし VIII.いと高きところのまなざし IX.時のまなざし X.喜びの聖霊のまなざし
(休憩15分)
●喜多敏博(1967- ):《クエリー・レスポンス》~ピアノとライヴエレクトロニクスのための(委嘱新作初演、2014)
●O.メシアン:《幼な子イエスに注ぐ20のまなざし》
XI.聖処女の初聖体拝領 XII.全能のことば XIII.降誕祭 XIV.天使たちのまなざし XV.幼な子イエスの口づけ XVI.預言者、羊飼いと東方三博士のまなざし XVII.沈黙のまなざし XVIII.恐るべき塗油のまなざし XIX.眠っていてもわたしの心は目覚めています XX.愛の教会のまなざし
(以下、アンコール)
「音価と強度のモード」
「メシアンへのオマージュ」
安定の3時間越えのコンサート。
最後の「メシアンへのオマージュ」で、今まで長い伏線を聞かされていたのか、と思わされる大どんでん返しがあって、快哉を叫んだ。
http://ooipiano.exblog.jp/22070217/

クラスメイトは同級生@ロフトプラスワンwest
14日は、ロフトプラスワンwestで「クラスメイトは同級生」
女子事情に無知な僕が女子先生にレクチャーしてもらうイベント。
これが、他に類例をみないイベントで、めちゃくちゃ面白かった。
これは、僕の手柄ではなく、バラエティーに富んだ女子先生方のレクチャーのおかげだったことは言うまでもない。
まず、須磨日和先生(小学生)のレクチャー。
このレクチャーが流れを決定づけた、と言っていいだろう。
須磨先生のレクチャーのテーマは2つ。
まず、「おねえちゃんとおばさんの違い」
タイトルから想像できる内容をはるかに越えたレクチャー。
ポイントは、「外見」「笑い方」「言い方」の3項目。
それぞれ図解と、日和ちゃん自身のアクション例をまじえて、わかりやすかった。
笑い方は、収斂するおねえさんと、拡散するおばさんの違い。
言い方の解説では、2つの言葉のイントネーションを採譜して図示、さらに、それを菓子の種類や、地図記号であらわすなど、まさにアルス・コンビナトリアの真髄を発揮する。
こういう知的興奮を感じるのは、宇都宮泰氏のレクチャー以来の感動かも。
須磨先生、2つめのテーマは「廃墟の魅力」
廃墟の魅力概説から入り、須磨先生チョイスによる「廃墟ベスト3」の発表と、その解説。
概説でも、美学的におさえるべきところはおさえた名解説だった。

2番手の荒金理香先生(中学生)とは、ピグやツイキャスで絡んだことはあるけど、実際にトークするのは、今回がはじめて。トーク力や芸達者なところは、周知済み。
テーマは「あなたの知らない修学旅行の実態」

以上が前半戦。
後半戦は、今までにおしゃべりしたことのある先生方を配して、トークの面白さを披露する。
3番手は秋山衣梨佳先生。
主に、お笑いについて語ってもらった。
4番手は仲村コニー先生。
コニー節炸裂で、内容としては主に美容のことなど。
5番手の津川まぁ子先生は、自作の漫画を披露。

次回は9月7日のお昼に開催

ATC海辺のステージに行って、たこやきレインボーのライブを見てきた。
朝から図書館行ってたので、到着時、既に自己紹介の最中だった。
いつものごとく、人が集まりすぎて、何も見えないパティーンかな、と思ったが、女の子たちのファンが集まっている後ろで、身長的になんとかステージを見ることができた。
自己紹介後の歌は、

六甲たこおろし
オーバー・ザ・たこやきレインボー
あきんどチャチャチャ
なにわのハニワ
レインボー・レボリューション
めっちゃFUNK
ちゃんと走れ

と、いうわけで、僕は何を聞き逃したのだろうか?
このイベントをもって、奈良崎とわが卒業。
リーダーは、堀くるみがつとめる。
ライブが終わったあと、ステージ上でメンバーたちが名残を惜しみ、一人ステージを前からおりた奈良崎とわは、お客さんの中を歩いて退場していった。
http://ameblo.jp/tacoyaki-rainbow/

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大阪・日本橋のアートスペース亜蛮人で今年もお祭り騒ぎの「2014亜蛮人パンダン展」
73名の作家が出品。
作品は一つでも、その作品がスイッチになって、見たとたんに、その作家さんの世界が広がって入ってくるのが快感。
兵庫県立美術館で、ピーター・グリーナウェイ監督の「レンブラントの夜警」を見てきた。
これは「レンブラントの夜警論」とも言うべき作品だった。
レンブラントは「夜警」で何を描こうとしたのか、そして、「夜警」以降、レンブラントの没落がはじまったのはなぜなのか。
うむ。これはレンブラントについてちょっと調べてみたくなった。
映画は、きわめて人工的な演劇調で演出されていたが、映画後半に至って、登場人物がレンブラントに向かって「この作品は肖像画ではなく、俳優を描いた演劇だ」と見抜くシーンが出てきて、ああ、この言葉に効果を与えるための演出だったのか、と愕然とした。

ナダール大阪に行って、植田正治写真展「Illusion」を見てきた。
ミニチュアや小さなオブジェを使った合成写真を中心に展示されていた。
幻想的なあるいはシュルレアリスムのような世界だが、諧謔精神にも富んでいて、マン・レイっぽいな、と思った。


テヅカヤマギャラリーに行って、瀧口修造展を見てきた。
造形作家としての瀧口修造にスポットをあて、ドローイングやデカルコマニーを中心に集められた。
7日は午後3時からイベントもあった。
「瀧口修造の講演を聞く会」
1962年に瀧口修造が母校の富山高校で行った講演「美というもの」の録音を聞く。
瀧口修造の研究家で収集家の土渕信彦氏による解説と、講演内容にそった資料的画像と解説の註釈上映もあった。
内容は、自伝的なものが多く含まれていた。
瀧口修造の写真や映像は目にしたことがあるが、講演はほとんどされておらず、声を聞くのは、これがはじめて。
「トークショー」
土渕信彦氏と、国立国際美術館副館長の島敦彦氏とのトーク。
島氏は富山出身。
貴重な資料もさらに投入されて、興奮した。


あべのキューズモールに行って、Berryz工房のライブを見てきた。
午後6時の回。
到着時、既にはじまっており、聞いたところからの曲名は、以下のとおり。

シャイニング・パワー
恋の呪縛
雄叫びボーイ WAO!
普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?

ハロプロ好きの前方のファンと、同じ楽曲でもカバーやDJで聞いて盛り上がってきた後方のオタクとの間で、くっきりとノリの違いがあらわれており、面白かった。
途中のMCでは、桃子が、メンバーに「10年続けている自慢できること」を聞いていた。清水が「500円玉貯金」と答えたのが唯一のそれらしい答えだったかな。

ウェス・アンダーソン監督の「グランド・ブダペスト・ホテル」を見てきた。
こりゃ面白い!
遺産をめぐるミステリー。
残酷なシーンもときどき出てくる、可愛くて笑える楽しい映画だった。
同じ日に見た「レンブラントの夜警」もそうだったけど、謎解きには、こういうアーティフィシャルな作りがハマるように思った。
http://www.foxmovies.jp/gbh/
国立国際美術館で、「ノスタルジー&ファンタジー 現代美術の想像力とその源泉」を見てきた。
北辻良央
柄澤齊
山本桂輔
小西紀行
橋爪彩
小橋陽介
須藤由希子
棚田康司
横尾忠則
淀川テクニック
以上10人の作家の作品が展示されていたが、これが、もうめっちゃすごかった。どの作家のコーナーでも、そこには独自の宇宙が広がっていて、「ウワー、スゲー」と感動しまくった。こんな体験は久々。
世界の独自性だけでなく、物量でも圧倒された。
ギャラリーでのグループ展だと、作品を出品してもせいぜい数はしれているが、この展覧会では、北辻良央が30点を展示、続く部屋では柄澤齊が30点以上を展示。すごいなあ、と思ってたら、小西紀行は87点展示。ウワー!さらに小橋陽介は118点展示!
最後の淀川テクニックの作品では、顔出しで記念写真を撮れるものもあった。コインロッカーに全部預けて入ってしまったのをこれほど悔やんだことはない。
とにかく、これは必見。

南堀江のギャルリプチボワに行って、「柄澤齊展」を見てきた。
絵画とコラージュを中心とした展示。
と、いうことは、ルネ・マグリットとマックス・エルンストのキメラと考えてよいのでしょうか。よくないのでしょうか。
ちなみに、このギャルリプチボワ、わかりやすい場所にあるのに、なぜか僕はたどりつくのに、2時間も迷った。日曜日に2時間かけて迷って場所を特定していたのにもかかわらず、だ。
ロプ・ノールみたいだ。
http://petitbois.mond.jp/index.html/index.html/pages/140526.html

トミー・ヴィガント監督の「バチカンで逢いましょう」を見てきた。
「バグダッド・カフェ」のマリアンネ・ゼーゲブレヒトが、おばあちゃん「オマ」役で主役。
母娘3世代の女性がそれぞれ問題を克服して、素敵な男性とうまくいく過程を描いている。
心配性で家族を過保護に縛り付ける母。(夫との仲がうまくいかない)
ローマ法王にあうためにバチカンに行ったオマは、そこで詐欺師と出会い、翻弄される。
娘は母に内緒でロック・ミュージシャンと同棲しているが、ある日彼氏の浮気を目撃する。
小さなエピソードをちりばめて、深い問題になりそうなテーマも、わりと浅いまま進行する甘い展開は、最初は浅さが気になったけど、途中から、甘さが長所に思えてきた。
そう。かつて邦画2本立てで、メインじゃないほうの映画を見たときのような、チープでそれなりに真面目なテーマの快楽を久しぶりに味わえたのだ。
オマの長いPV、のようだった。ハッピーエンドだったし。

それと、ちょうどクリストファー・ウッドワードの『廃墟論』読み終わって見た映画だったので、ローマの光景を映画で見れたのは、まさにタイムリーだったかな。

http://www.cinematravellers.com/

平安神宮に行って、京都薪能見てきた。
観世流能「屋島・那須語」(やしま・なすのかたり)
金剛流半能「花筐」(はながたみ)
大蔵流狂言「止動方角」(しどうほうがく)
観世流半能「石橋」(しゃっきょう)
能のことは全くわからない僕でも楽しめた。雰囲気もバッチリ。
かなり多くの席が用意されていたが、ほぼ満席。外国人客も多かった。
予想以上にカジュアルな感じだったので、これなら、僕でもきゅうくつな思いせずに、見にこれるな、と思った。
http://www.kyoto-kanze.jp/takiginoh/takiginoh65.html



アスガー・ファルハディ監督の「ある過去の行方」を見た。
前作「別離」を見た人なら体験した、あの感情のたかぶりが再び味わえる。
離婚の手続きのために戻ってきた男は、妻に新しい男がおり、彼と再婚しようとしていることを知る。新しいほうの男も妻帯者なのだが、妻は自殺未遂をおこして植物状態になっていた。
子どもとの関係、妻との関係、新しい男との関係などなど、映画を見ている2時間というもの、ずっと感情の底が干上がってしまうとんでもない体験が味わえた。さらに、映画の後半は、新しい男の妻がなぜ自殺しようとしたのかについて、二転三転する展開があり、どの段階でも「うわー、なんだ、そりゃないんじゃないか」といやな気分になれる。
2時間えんえんと、修羅場と疑いと嫉妬と別れ話と復讐と喧嘩の渦のなかにたたされる、居心地悪いサスペンスの大傑作。
http://www.thepast-movie.jp/


中崎町のニアリーイコールギャラリーで「魔女展」を見てきた。
魔女というと、僕には、男性が何かことを為すのとは別の方法でそれを実現させようとしている、というイメージがあって、信じられないショートカットととんでもない遠回りをあわせもつ面白さを感じている。肉体の使い方が違う、とでもいうんだろうか。
この「魔女展」を見ていて思ったのは、反対の賛成の反対、みたいなフィードバックした視線で、それは、男目線の「女性」→ではない「女性」の正体→を男目線で見直したもの、なのかな、と思った。つまり、魔女は女性論のことなのかな、と。
たま、中村趫、ぴこうさ、ぐんちょ、今井まい、敦仁、椿蒼音、いりざわちひろ、ホリイロハ、中村キク、lilyco、ササベ翔太、真元、戌ヰヒロシ、Mai Aimheart、松太、にごたらこ、ミッサン、彩夏、西村美希、えに子、とうもりゆみ、ホシノユキコ、高山基成、中野夕衣
http://pinkjack.jp/project/majo2014/
『シャーロック・ホームズ&イレギュラーズ1消されたサーカスの男』
T・マック&M・シトリンの『シャーロック・ホームズ&イレギュラーズ1消されたサーカスの男』を読んだ。
ロバート・ニューマンのシリーズでウィギンズの妹「スクリーマー」がいい味出してるように、このシリーズでは、占い師の娘「パイラー」がいい味を出している。つまりは、コナン・ドイルの本家の作品には魅力的な少女は出てこなかったことの反動というか、どんな魅力的な少女を配することが出来るかが作家の腕の見せ所なのかもしれない。
とくに、この「イレギュラーズ」のシリーズは、ウィギンズがフェレットのシャーリーを飼っていたり、縫い物が得意な「スティッチ」がいたり、と、キャラクターに重きを置いているようだった。
以下、目次
第1章 ザリンダ・ブラザーズ、謎の転落死
第2章 重要な客、ホームズを訪ねる
第3章 キャッスルのパーティ
第4章 ベイカーストリートの話しあい
第5章 イレギュラーズ、バルボザ大サーカスに到着
第6章 サーカスでのききこみ
第7章 ウィギンズ、凶器を発見
第8章 暴かれた殺人
第9章 イレギュラーズ、パイラーにあう
第10章 パイラーVSカーロフ
第11章 オジーVSインディゴ・ジョーンズ
第12章 パイラーの活躍
第13章 イレギュラーズ、ベイカーストリートへもどる
第14章 スチュアート・クロニクル
第15章 代書屋のオジー
第16章 エリオット、手術をする
第17章 もどってきたパイラー
第18章 イレギュラーズ、埠頭に到着
第19章 埠頭での張りこみ
第20章 みしらぬ男
第21章 対決
第22章 ホームズと、イレギュラーズと、スコットランドヤード
第23章 イレギュラーズ、馬車で家にもどる
第24章 代書屋を訪ねてきた謎の男
第25章 ウィギンズとパイラー、ホームズを訪ねる
第26章 オジー救出作戦
第27章 オジーの証言
春宵ファンタスマゴリア@アートスペース亜蛮人~スクールフェティッシュ@ギャラリーパライソ
春宵ファンタスマゴリア@アートスペース亜蛮人~スクールフェティッシュ@ギャラリーパライソ
アートスペース亜蛮人で、幻想浪漫展「春宵ファンタスマゴリア」を見てきた。
牧田紗季、染、詩布、南真樹、枝李子、一紅、前川ルチオ、月夜乃散歩、psycho、三上ともか、越智紫、おおうえなおこ、RocoAsada
内面が可視化されると、いかに心を動かされるかを体験。

ギャラリーパライソで「スクールフェティッシュ」後半の「学校性癖週間」を見てきた。前半の「学校制服週間」(学ラン、セーラー服、ブレザーなど)は、ぼやぼやしている間に見逃してしまった。
この「学校性癖週間」はスクール水着、ランドセル、ブルマ、リコーダーなどの学校フェチ要素をテーマにした作品展。
近藤宗臣、白翠皇夜、夜乃雛月、前川ルチオ、Roco、津川まぁ子、とうもりゆみ、山本桃水、黒色テリーヌ、えりっくえいりあん、ヤマヂ、おくだみほ、詩布、染、魚子
学校の囲いの中が、楽園なのか地獄なのかは、人ぞれぞれだが、「囲い」の中での鬱屈こそが学校フェチの淵源なので、最近の学級崩壊にみられるような「殺伐」からは、フェティッシュは生れない。スクールフェティッシュというテーマも、今や失われつつある、ノスタルジックな領域に足を突っ込みかけているのかもしれない。
ブルーノ・レティ新作展「White Garden 庭をめぐる白のヴァリアント」、巌谷國士講演「庭園とは何か シュルレアリスムの視点」@ギャルリー宮脇
京都のギャルリー宮脇に行って、ブルーノ・レティ新作展「White Garden 庭をめぐる白のヴァリアント」を見てきた。
作者のことばに、次のような文章がある。
「俗世の煩労を避け隠棲の場として造られるそうした庭の構想を、あらためて表現したいと思う。そういった庭はまた、至福の場、深い瞑想の場のメタファーでもあるだろう」
「画紙に描いた新作での試みは、多様な白の「土壌」の上に私の庭を造り、そこになにが育っていくのかを見とどけることだ」
白の概念の探究とともに、人間の創造行為としての庭を探究する作品群だが、作者曰く「白い庭の絵は、それゆえに、囲まれた空間の中での自然の延長であり、私の囲われた庭なのである」と、あるように、自然と人間とのあわいを探究するものでもあった。
この24日は、午後3時から巌谷國士氏の講演「庭園とは何か シュルレアリスムの視点」もあった。
ブルーノ・レティ氏も在廊されており、まずはブルーノ・レティさんの作品、作者のことばから話をはじめられ、エジプト、メソポタミア、ペルシア、イスラム、イタリア、フランス、中国、日本、と庭園の起源と歴史、その謎と意味合いを語られた。
楽園の雛形としての庭、憧憬を形にした世界模型としての庭、という観点。
庭園などの「四角」があらわす数字「4」の謎。
野生を本質にもつシュルレアリスムと植物の親和性、などなど、どの話題も刺激的で、面白かった。
講演後は、巌谷さんにサインをいただき、ほくほくして帰った。

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