今村昌平監督のドキュメンタリー「未帰還兵を追って」「無法松故郷へ帰る」「からゆきさん」を見た。1970年代初頭の作品。
これらは7月にやっとDVDとして商品化されるそうだ。

「未帰還兵を追って」ではマレー、タイにいまだ帰還しない日本兵を探しにいく。暑さとわけのわからない日本語が熱病のように襲う映像だ。見つかった未帰還兵たちはイスラムの信者になっていたり、仏教をモチーフにした刺青を背中全体にいれていたり、宗教がかっている。そして語られる言葉は天皇や日本に対するアンビバレンツな思いである。戦争では敵の弾に当たって死ぬことは珍しく、味方に殺されてしまうことの方が多いことや、戦闘員や市民の区別などせず、女こどもを二つに裂いて臓物をまき散らしてきたことなどが語られる。

「無法松故郷へ帰る」は、上記の未帰還兵が日本に帰ったときの顛末が描かれる。彼はいつのまにか死んだことになっていた。嘘の証言をし、書類を作って、彼を戦死したことにしたのは、彼の家族だった。戦死が確定すれば弔慰金がもらえるのだ。日本に帰ってきた彼は、招かれざる客だったのだ。

「からゆきさん」はからゆきさんの善道キクヨさんにロングインタビューをしている。「神戸につれて行ってあげる」と言われて乗った船がそのままマレーシアに直行、借金を返すまで身を売り続けたことなどが語られる。からゆきさんの多くは天草出身の人だそうだが、キクヨさんは広島の部落出身。戦争が終わったあとも日本に帰国しなかったのは、国内にいたときに受けた差別の酷さによるものだったことも示唆される。

うん?無理矢理外国に連れていかれて、そこで生活していた日本人を探しに行く話?どこかで聞いたような話だ。ただ、この今村昌平監督の作品では、彼らを外国に連れていったのは、日本人である。今の風潮から考えると、当然、「日本バッシング」をしなくちゃいけませんね。

五福星から拳神

2004年5月24日 映画
ユン・ピョウに注目していたら、ケーブルテレビで「五福星」、地上波で「拳神」の放送があったので、見た。

「五福星」は20年前の映画で、若いユン・ピョウが見られる。出番はジャッキーとの格闘シーンが一瞬あるだけだが、いかにも特別出演っぽくてよかった。
昔、劇場で見たきりだったので、内容はすっかり忘れていた。
透明人間のエピソードは今見てもベタベタで面白い。

「拳神」は2001年の映画。主人公の父親で、神拳道の使い手として出てくる、かなり重要な役どころ。ワイヤーワークとCGでドラゴンボール並の技を出しまくる。
ユン・ピョウって、なぜか強く見えないのが面白い。

今日は心斎橋まで出たついでに、ハロプロショップに寄り、Wの写真(辻)を購入。店内でかかっていたベリーズ工房のPVとコメント映像を見て、やっぱり今はモーニング娘。よりもベリーズ工房の時代だなあ、と思った。
アイドル好きの人の話を聞いていて、不思議に思うことが2つある。
1つは、アイドルをセックスの対象になるかどうかで判断しているということ。
もう1つは、自分がアイドルとは親しくなれないと最初から決めていること。
この2つは一般には当然のことなのかもしれないが、僕には欠けている部分だ。
ベリーズ工房を評価しない人は、「こども過ぎて、セックスの対象にならない」とでも考えているんじゃないか、と思った。

ロッテリアのシェーキが安かったので(105円)、小梅ちゃんシェーキを食べる。(飲む?)カップにも林静一のイラスト付き。最近は100円ショップにもグッズ売ってて、すっかり安いイメージがついてしまったかな。
今日はケーブルテレビで「少年時代」を見た。
金曜日の打ち上げ時に藤子不二雄Aの話題が出ていたのでスイッチが入ったのだろう。
内容は戦時の少年が権力闘争に巻き込まれる物語で、「われらの歪んだ英雄」みたいに、アレゴリーとしても読み取れる。

今日は「陸軍」も見た。
この2本には自分の中では関連性があったのだ。
「陸軍」は田中絹代主演、木下恵介監督作品。「少年時代」が描いた1944年の作品だ。戦意昂揚映画として陸軍省の協力を得て作られているが、有名なラストシーンはそれを忘れさせる家族愛の感動がある。ちなみに、このラストシーン、「少年時代」とほぼ同趣向と言っていいだろう。影響がバレバレである。

閑話休題。僕の関心は「戦争と家族」にあったのだ。
「陸軍」では家族愛の発露が一見反戦風にとらえられる可能性もあるが、さにあらず、戦争と家族は一つ穴のムジナなのである。
疑いもなく戦地に赴くような軍国少年を製造したのは家族なのである。
「少年時代」の主人公は軍国主義一色の田舎の子供たちの権力闘争に巻き込まれながらも、常に一歩ひいた場所から物を見ている。それは、疎開によって、家族と離れて住んでいるからなのだ。
家族と軍事、戦争はハンドインハンドなのだ。

さて、今日はこの2本の映画を見る前に、人権博物館で「つくられる日本国民」展を見てきた。
そのうえでの2本の映画の選択があったのだ。
この展示は、「日本国民は幸福か」「日本国民の誕生」「植民地と日本国民」「戦争と日本国民」「新憲法と国民/外国人」で構成されていた。
展示を見ると、現在は戦時中なんだなあ、と改めて思う。
具体的には拉致家族の怒りの会見などで感じたのだが、それについてはまた後日触れることもあるだろう。
この展示で面白かったところを2つだけ書いておこう。

「国民精神総動員家族実践心得」で、戦時中、家族に何ができるかがいくつか書いてあったが、その中で目をひいたのが。
「一片の金物屑を無駄にしても、軍需資源の損失と思へ」の項目で、主婦がゴミを分別している姿が描かれている。
ゴミの分別は戦時の発想だったのだ。
ゴミの分別にうるさいということは、すぐに軍国主義につながる危険性がある。

もう1つ。
『民族政治の基本問題』という1944年に出版された書物が展示してあったのだが、その本の概要は次の通り。
「日本は親であり、家長である。後進国の民族は日本を強者として尊敬し、親に仕えることが必要である」
つまり、大東亜共栄圏は家族の発想だったことをわかりやすく説いている。

さて、今日いちばん楽しかったのは、大相撲で優勝決定戦にまでもつれこんだ熱戦ぶりだった。
大相撲は曙、武蔵丸、朝青龍と、外人力士が活躍するようになってから、人気にかげりが出てしまうような偏った世界なのだが、やっとのことで日本人力士が優勝するかと思ったら、やはり朝青龍が優勝してしまう展開になり、愛国者たちのため息が聞こえてくるようで痛快だった。
1985年に出版された『ユン・ピョウ 純情マイハート』を読んだ。この前の「キミのネガメ」にお越しいただいた皆さんには、ライブのパンフレットにユン・ピョウ載せてたので、僕にとっての旬はユン・ピョウだとおわかりのはず。
6才のときに京劇の学校に入り読み書きもろくに出来ぬまま地獄のシゴキに耐え、卒業したら京劇の人気は没落。映画に出たくてもブルース・リー死後で映画も斜陽。
恩師が頭を下げて見つけてきてくれたスーパーマーケットの働き口(万引きを見つけてつかまえる仕事)を、武道家としてのプライドが許さず3日でやめる。
映画のスタントで15メートルの高さから飛び下りる荒技を決めて頭角をあらわす。地面にはむしろをひいてあるだけ!(ユン・ピョウに勇気づけられて10メートルの高さから飛び下りたスタントマンは下半身不髄になってしまう)
1週間徹夜で映画撮って、完成後37時間眠る。
はじめてのデートで緊張、熱いコーヒーを飲んで「あちちちち」
など、エピソード満載である。

ユン・ピョウの出演作で最近作といえば「無問題2」になるのだろうか。46才の今でも純情アイドルである。
最近、韓国ドラマが人気で「ヨンさま」がキャーキャー言われていたが、僕にはそれが「ユンさま」に聞こえ、ついにユン・ピョウ再評価の時代になったのかとぬか喜びしたものだ。
芦原橋のウィングエンターテインメントホールにトークイベント「戦え!何を!?人生を!」を見に行った。
毎週金曜日に、しりこだま氏とサブカルチャーノートの草壁コウジ氏がゲストを呼んで開催されている。今回は「なぜ現代人はリストカットするのか?」がテーマだった。
体操服姿でコスプレイヤー有希ちゃんが「ね〜え?」をいきなり歌い、イベントがはじまる。
ゲストは面黒楼卍(仮)さん。「発狂した処女(少女?)」をイメージしたという赤いべべ着て白目むいてライブを行う。面白い。
名前からして夢野久作に影響されたのかな、と思ったがあえて(仮)と後につけているので、そんなにストレートに受け取られても困る、というスタンスなのかな、と思った。
イベント後、打ち上げにも誘っていただき、夜中の3時頃までしゃべったが、結局、「なぜ現代人はリストカットするのか」については何もわからなかった。
帰宅後、しりこだま氏の著作『不治の病とスイートピーと夢』を読んだ。
難病と闘う「自伝的ハーフフィクション小説」にしては、ぬるい感じがしたが、それはしりこだま氏の持ち味なのだろう。
イベント中のトークでも、打ち上げ時にも感じた、しりこだま氏の「いい人」っぷりがとても和む。もっと悪人になってもいいのに、と歯がゆく思うほどだ。
次週は「ゴスロリちゃん祭り」だそうだ。
どんな風に期待を裏切ってくれるのかがみどころだ。
大雨のなか、INAXギャラリーの「漂着物考展」を見に行く。
骨や化石貝、椰子の実の他、手紙の入った壜や玩具等、海浜に漂着した物を分類して展示してある。
漂着物学会もあり、建物のない砂浜美術館だってある。
漂着ということは、向こうからやってくるお客さんが、その旅の土産話をしてくれるようなイメージがある。
ごくありきたりの100円ライターや缶入り飲料水にも来歴があるのだ。
雨でギャラリーに漂着した態の僕も展示品に同化しながら楽しんだ。

調子にのって、studioJに足をのばし、児嶋サコ展「Many balls are going to die」を見る。タマタマぶらさげて戦争する生き物たち(男)が獰猛な小動物風に造型されている。でも、目には涙。面白かった。キャラクターは八畳敷きのウーパールーパーみたいな感じ。可愛い。
30日にはトークイベントがあるそうだ。パフォーマンスも込みだろう。
別件の予定が入っているので、雨でも降らないかぎり、トークは見に行けないが、きっと面白いと思う。
身体は1つでは足りない。

ロリヰタ。

2004年5月19日 読書
三島賞を惜しくも逃した嶽本野ばら君の『ロリヰタ。』を読んだ。
雑誌掲載時に「ロリヰタ。」は読んでいたのだが、ほとんど忘れており、途中で「えっ」とか思いながら楽しく読めた。
ロリータ入門、携帯メール入門等、今さら聞けない入門編に何ページも使っているあたりが、思春期小説の手法として面白いと思った。
周囲に対して常に初体験の入門者として接してしまう、慣れない時期を過ごすのが思春期だからだ。
また、いろんな角度からのツッコミを待っているプチ・バロック小説としての結構もなかなか。
一見エッセイか私小説かと思わせるノンフィクションからいつのまにか虚構に迷い込んでいる作風は、澁澤を思わせる。
そう言えば、澁澤龍彦も大長篇小説とは縁遠い人だった。
野ばら君の作風からして、大長編は書きそうにないのだが、野ばら君の築く観念の大伽藍で戯れてみたい気がする。
他の作家には望めない。

同時収録の「ハネ」は野ばら君の代表作になるだろう。
野ばら君はずっと乙女のためにおとぎばなしを作り続けてきているが、これはとびっきりのおとぎばなしだ。
僕なんかが読むと、感動しながらもツッコミを何度もいれてしまう。

なんだかほめてしまったようで気恥ずかしいので、言っておこう。
『ロリヰタ。』が三島賞をとらなかったのは当たり前だ。
この本は今まで出た野ばら君の本の中でも特別優れた本というわけではないからだ。
次回作、それも書き下ろしの長篇で僕達を驚かせてください。

エレファント

2004年5月18日 映画
ガス・ヴァン・サント監督の「エレファント」を見た。
コロンバイン高校の銃撃事件をモデルにした1日を複数の視点から描いている。
タイトルの「エレファント」はこうした多視点の描写を「群盲象を撫でる」の寓話にみたてているらしい。
大勢の高校生が銃殺されたのだから、多視点の主人公たちもあっさり殺されてしまったりする。主人公の視点に自分を重ね合わせる観客たちは、何回も殺されるのだ。
しかし、この映画のすごいところは、銃撃がはじまってからの阿鼻叫喚にあるのではない。
銃撃以前の、普通の高校生活が淡々と描かれるが、そのつまらなさと言ったらないのだ。学校生活はまるで凡庸に抑圧された収容所生活だ。作中、銃撃者の学生が決行直前に「学校に入るな、中は地獄になる」と言う場面がある。しかし銃撃事件のような非日常に地獄はない。学校生活の日常にこそ地獄はあったのだ。

このdiary noteでは学生生活をテーマに日記を書いている学生の方が多数見受けられる。どのようにこの息が詰まる教育現場からバランスをとって日々を過ごされているのか、興味深く読ませてもらっている。
映画「真珠の耳飾りの少女」を見た。
フェルメールとその絵のモデルになった少女の関係を描いている。もちろん、フィクション。
芸術を理解せず、嫉妬心の強い妻。
金儲けと見栄にとらわれた義母。
告げ口や意地悪をする子供。
フェルメールは家族によってつぶされていくのだ。
でも、これはフェルメール独自の環境ではなく、妻といえばたいてい嫉妬深いし、親は見栄っぱりで、子供は邪悪だと相場が決まっているのだ。
どうせ理解されないのなら、芸術家は家族など最初から持たねばいいのだ。
ところで、このイギリス映画、監督は長篇初作品のピーター・ウェーバー。彼の作った最初の短編映画のタイトルは「The Zebra Man」らしい。きっと「白黒つけるぜ!」と見栄を切っているのではないか。

今日は京都のカフェアンデパンダンに行く予定だったが、天気が愚図ついているのと、ラジオで聞きたい番組があったのを思い出して、家でラジオを聞くことにした。
その番組は「ハロプロやねん」だ。
石川、藤本、高橋の3人が担当した。3つのコーナーをそれぞれが司会役で進行する構成。かかった曲は、
「でっかい宇宙に愛がある」(テーマ曲)
「浪漫〜MY DEAR BOY〜」
「ファインエモーション!」
「YAH!愛したい!」
「愛あらばIT’S ALLRIGHT」
ロマンチック藤本のコーナーはおなじみの何でもナンバー1。
「総理大臣になったら面白いのは誰か」(よっしーに決定)
「宴会の幹事にふさわしいのは誰か」(ケメ子に即、決定)
「運のいいのは誰か」(ミキティに決定)
「ついでに、運の悪いのは誰か」(高橋に決定)
ラブリー高橋のコーナーは危機脱出(言い訳)を考える。
「遅刻したときの言い訳」
「みやげものを買い忘れたときの言い訳」
「お店で支払いのときにお金が足りなかったときの言い訳」
チャ−ミ−石川のコーナーは業界用語
芸能界から「ケツカッチン」「わらう」
相撲界から「お米」
タクシー業界から「おばけ」

その後、FM大阪で「ポップアップインク」
ハロプロ1、2、3ではWが登場。
ピポエンジェルがハイテンションで「この夏は露出しない!」と無意味に叫んだりしていた。

そんなこんなでカフェアンデパンダンに行けず。
アリスちゃんのライブだったので、今になって「行けばよかったかも」と思ったが、天気の悪いのとお金のないのがブレーキになった。

なお、先日書いた推理クイズの解決編をアップ。
http://bbs1.parks.jp/20/answer/bbs.cgi
また、フジヤマのホ−ムペ−ジにコラムをアップ
http://fujiyama.press.ne.jp/
朝から雨。
今日の予定はハシゴするはずの2つとも野外イベントだったため、だらだらと過ごす1日になった。
「ニコモノ」見ると主題歌が2曲ともBABEのカバー(もとは洋楽!)なので、BABEのビデオでも買って見たくなった。
MTVでクラフトワークのライブを見た。さすがヨーロッパ。
ディスクピアでモーニング娘。の「浪漫」のDVDをクローズアップバージョンもメイキングも最後まで見る。あまり出番のない道重が考えられないほど可愛い。
26日発売予定のBOYSTYLEの「花咲く丘へ」「TWO OF US」が試聴できたので、2曲をじっくり聞く。BOYSTYLE節全開で楽しい。このユニットにはイメージチェンジという考えはこれっぽっちもないのだろう。新曲なのに懐かしい思いがした。
日本橋DIVEでガールズパンクのパピーペットのインストアライブ。ピアニカの使い方が気持ちよい。ストリートやってるらしいので、機会があればのぞいてみよう、と思った。
NHKFMの「現代の音楽」は先週と同様、東京混声合唱団の定期演奏会から。特筆すべきところなし。
APHEX TWINのビデオを見る。Chris Cunninhamの映像が、小林亜星の顔ばかりのコマーシャルを思い出させてしかたがない。
テレビで「ザ・メキシカン」ジュリア・ロバーツの嫌な女っぷりに辟易。そう思わせるところは名女優の証しか。

そんなこんなの何もない1日。
あと今日やったのはインターネットでいろいろ調べたり、テレビ見たり、本読んだり、漫画読んだり、CD聞いたり、ゲームしたり。とりたてて書き留めるべきものではない。
こんな無為の1日を過ごしてしまうと、晴れた日にその反動が出て、いろいろ行動して体をこわしてしまうのだ。気をつけねば。
心斎橋タワーレコードでワタナベイビーのインストアライブ。
1、ビュリホな女の子
2、うれしくさせて
3、昨日より若く
4、電話をくれよ
5、下を向いて歩こう
6、サガラミドリさん
7、昼夜逆転
8、マッドマン
公開サウンドチェック時には「ミス・ナンバーワン」「遠距離恋愛は続く」などを演奏。
合計すると1時間弱のお得なライブだった。
見に来ているお客さんも適度に家庭的でダサイ感じがとてもいい雰囲気だ。

その後、創叡のスタジオSTSライブ。
1、「BOON BOON BOON」ブンブン選抜
2、「ニセモノダイヤモド」ミューズ
3、「イントロダクション」ミューズ、AKI&RISAKO
4、「サウスポー」AKI&RISAKO
5、「SHOW ME YOUR STYLE」タイフーンJr.
6、「GET DOWN」タイフーンJr.&クランベリーズ
7、「恋してるって感じ」クランベリーズ
8、「We Will be together」キューティV&プチプリン&Pink Baby
9、「魔法のじゅうたんブットラソ」いちごっ娘
10、「Boys」ミニバブ
11、「ミッキーマウスマーチ」スリーチックス&ミニミニclub
ここで休憩、第2部はゲストから。
「とまり木の女」「夜に咲きます道頓堀」森東いずみ
1、「IF YOU WERE HERE」タッチ
2、「LITTLE BIRD」ラズベリーズ
3、「SMOKE」ラズベリーズ&PHRASE
4、「DANCING JUNK」PHRASE
5、「いただきッ!キッズ」プリッツ
6、「ラブリ−フレンドシップ」ペトラキッズ
7、「JUST LOVIN’ YOU」三谷桃香
8、「ハナミズキ」杉村公奈
9、「Boys&Girls」ステッパ−ズ選抜
10、「Crush my freezen love」YAH!YAH!YAH!&K
11、「200倍の夢」スリーピークス
12「IN THE ZONE」Super Bubblez選抜
ラストは「ショータイム」で全ユニット紹介
僕の選んだベスト3は
「クランベリーズ」美少女ぞろいのアイドルユニット
「ミニバブ」センスのいいチアーガール
「スリーピークス」歌も踊りも最高峰。今回はおとなしい曲だったので、ユキナの歌のうまさだけが突出。
微妙にアイドルファンも増えて来て、今後どうなるのか、と期待と不安。
ケーブルテレビで放送していた「20世紀ノスタルジア」とそのメイキング「インフィニティ」を見た。
「20世紀ノスタルジア」は上映されたときに見ているので、6年ぶりに見ることになる。
この映画はまさにカルト映画である。
これを見ずして「エヴァ」だの「攻殻」にはまった人は不明を恥じるべきだろう。
少年隊を知らずにジャニーズを語るようなものだ。

で、今回みて思ったこと。
この映画の中で、チュンセが残した映像をポウセが追認するように見るシーンがあり、ビデオカメラを一時停止したときに画面にあらわれる文字は「pause」これは「ポウセ」だ!ということに今回はじめて気付いた。
チュンセの映像を止めたところにポウセの出現が刻印されていたのである。
恋愛冩眞がこの映画の不思議な続編であることもわかった。
広末は映画から映画へと疾走したのだ。

ところで、20世紀ノスタルジアを再度見ようと思ったのは、ただそれが名作だからではない。
その理由については、いずれこの日記で明かされる日も来るだろう。

反定義

2004年5月13日 読書
先日読んだ『メディア・コントロール』の辺見庸が生彩を欠いていたので、元気な辺見氏に会おうと思って、『反定義』を読んでみた。
ブッシュによるアフガニスタン破壊のあとに出された本で、坂本龍一との対談をおさめた1冊だ。
辺見庸のしゃべること、しゃべること。
でも相手が「非戦」の坂本龍一だけに、喧嘩にはならず、冷静な感じだった。
ところで、僕はかつて「博士」と呼ばれていたことがある。
ふと坂本龍一の「教授」と比較してみたのだが、結論が出た。
僕と「教授」とは全然似ていない。
少なくとも僕はあんなに馬面ではない。
今日は読んだ本の感想でも。
ブリジット・バルドー(フランスの女優さん。若いうちにあっさりと引退。老いた姿をスクリーンにさらしたくなかったらしい)の『怒りと絶望』
BBも今年で70才だ。
彼女が書いたこの本はサブタイトルが「他人(ひと)はこれを暴言、妄言と呼ぶ」
中身はタイトル通りの年寄りのぼやき節全開で、一人称の「怒り」と三人称の「絶望」が交互に執筆されている。テレビを見ると馬鹿になる、とぼやき、現代アートは屑と切り捨てる(ニキ・ド・サンファルもだ!)。あげくのはてはお決まりの「最近の若者は」という話になり、死刑反対論者だったBBが、現代の若き無法者たちには死刑復活を提唱すらする。
語り口は激越だが、言ってる内容はきわめて頑固で保守的なのだ。
ところが、この本、案外と面白い。
ナイーブで熱心な動物愛護運動家の彼女の武勇伝がふるっているのだ。
料理される寸前の伊勢エビを救出して海に返したり(料理代金を払って決着つけた)、イスラムの儀式で羊がいけにえになることに憤慨して裁判沙汰に持ち込んだり(敗訴)やることなすこと面白い。
タレント本の一種としては日本のどのタレント本よりも面白いのではないか。
僕もBBのぼやき節に感化されて、自分のホームページでついつい生半可な社会時評っぽい発言を書いてしまったほどだ。
こういうのは生半可でつめがあまいくらいがちょうどいいようだ。
本町のギルドギャラリーとアウラクロスの2ケ所(徒歩で1分ほど離れている)で、チャンキー松本の個展が同時開催している。
ギルドギャラリーでは丸い作品が展示されており、アウラクロスでは「丸い家」と題する長篇漫画の原画(段ボールとかいろんな素材の上に描いてある)と、その1コマずつをスライドで見せてくれていた。
チャンキーの言葉として葉書には「芸術とやらはもしかすると家のようなものを壊す作業なのかもしれない」と書いてあるが、作品とその内容はきわめてアットホームな感じがした。
漫画の方は、思わずほろっとしそうな感動作で、チャンキーにこんな才能があったとは、と驚いた。
ギャラリーに行くと、チャンキー本人がおり、あいかわらず元気に応対してくれる。
僕は、チャンキー松本は仙豆ではないかとひそかに思っているのだ。
サウンドアーチストの安井献くんが貸してくれた本を読んだ。
チョムスキーの『メディア・コントロール』
アメリカのテロ戦争について主に語っている。
おなじみの「マニュファクチュアリング・コンセント」(合意の捏造)の指摘が繰り返されたり、辺見庸氏のインタビューにこたえて、アメリカの非道に憤慨する前に日本人が何をしてきたか考えましょう、と切り返されるあたりがツボだった。
その著作が怒りに満ちて、ついに講演中に脳出血で倒れた(生命には別状ないらしいが)激しい辺見庸氏が、一方的にやりこめられた形だ。
ところで、この本、安井君は貸してくれるときに、こんなことを言っていた。
「チョムスキーは保山さんにそっくりだった」
その言葉を頭において読んでみたが、結論が出た。
チョムスキーと僕は全然似ていない。
少なくとも、僕はあんなに馬面ではない。

推理クイズ(簡単)のURLは次のとおり。
http://bbs1.parks.jp/20/answer/bbs.cgi
今日、家の近くのビルに上海新天地という名前の中国のお店がオープンした。
中華食材マーケット(日本最大級と称している!)に、点心のフードコーナー、家具や家電、文具、おもちゃ、工芸品を売っており、中国茶専門茶房、チャイニーズレストラン、中国の書籍、雑誌販売に中国ドラマ、映画のビデオレンタル。
何も買わず、紹興酒博物館で試飲して、オープニング記念の抽選でハズレひいて帰ってきた。
しかし、自転車や家電はさすがに安かった。

日記というと、食べたものとか書けばいいんだろうか。
昨日は吉本の花月食堂で「けつねうどん」を食べたが、今日はうさぎ家でさぬきうどん。
さぬきうどんにはコシがある、という致命的な欠点があるので、軍配は花月食堂に上がる。
BaskinRobinsでシナモンロールスワールとマンダリンオレンジチーズケーキのダブルカップ(スモール)を食べる。
ジャングルバナナのおいしさにはかなわない。
あとで今日はアイスクリームの日だったことを、アイドルの原田桜怜ちゃんの日記を読んで知った。

見たテレビでは、上方漫才まつりスペシャルで、横山ホットブラザーズがレベル1つ高い漫才を見せてくれた。
ネタの中で閉じた芸じゃなかったのだ。
これにはびっくり。
ハローモーニングのミニモニ。特集では、加護ファンは感涙ものだったろうなあ。僕は辻ファンだが、ちゃんとおいしいところを確保していたのには天性のものを感じた。
録画してあった「グータン」を2回分まとめて見る。
おちまさとの番組だから、どうしようかと思っていたが、この番組は面白いと思った。
NHKのシネマでQに山口小夜子。
普通にしゃべっていると、普通の人だった。

Tsutayaでまた洋楽定番5枚借りてきた。
漏らさず聞く。
うれしくって涙が出る思い。

そうそう、今日のトピックスは何と言っても、午後6時からNHKFMで放送していた「現代の音楽」だった。
松井茂の詩に鶴見幸代が音楽をつけた「縞縞」
8月28日にいずみホールで再演されるので、機会があれば見に行こう。
宇宙哲学っぽい詩を、ど演歌で歌ったり、嵐のような合唱をよく聞いてみたら、ただ銭勘定してるだけだったり。
「縞縞」の前の「レ・クリ・ヴァン」も現代音楽の枠内ではかなり面白くて、一度には処理しきれない情報を同時にたたきつけてくるような作品だったが、「縞縞」の面白さの前にはかすんでしまった。

古本屋でほしかった本を見つけて買った。
3日前に見つけて、昨日は無かったのに、今日また並んでいたのだ。近くの古本屋は毎日のぞくのを日課にしていてよかった。うっかり新本で買ってしまうところだった。

明日発表の推理クイズを仕上げる。
そのクイズについては、明日URLをおしらせします。
今日はたいしたことをしていないなあ、と思ったら、この推理小説を書くのに1日費やしていたのだった。
取材(?)のために沖縄の物産置いている店に行ったり。
その割に、簡単すぎる問題編ができてしまった。
古本屋巡回のついでに、心斎橋から本町あたりまで足を伸ばしてみた。
キリンプラザで開催中の「ミュ−ジック・グラフィティ・ジャパン」をのぞく。入場無料なのをいいことに、既に何度も入っている。
今日はYMOのライブ映像を見て、ギャグ漫画のような髪型が変だなー、とそればかり思っていた。やはり一番の見ものは極東慰安唱歌の戸川純の新聞紙柄のワンピースで、かなり長い時間をその衣裳のもとで過ごしてしまった。

セガのゲームセンターの前にソニックがいた。
噂に違わず仕種が高速なのには驚いた。

BaskinRobbinsでダブルカップ。一番好きなチョコレートミントとシーズンフレーバーのマンゴタンゴの組み合わせにする。
シーズンフレーバーではジャングルバナナが意外にも美味いので、次はそれを何かと合わせてみるか。

カワチ、シモジマで何も買わずに、グッズを作ってみるシチュエ−ションを空想して楽しむ。

TSUTAYAで次回のライブ「This is 宇宙」で使うための音楽を試聴して選び、5枚1000円のキャンペーン中だったので、洋楽の定番をチョイスしてレンタルした。全部聞いたが、乾いたスポンジが水を吸収するように「楽しい、楽しい」と聞いてしまった。今までこのアルバムを聞いていなかった年月って何だったんだろう、と思う。
明日も行って、また5枚借りよう。

結局、本来の目的だった古本めぐりでは1冊しかほしい本が見つからなかった。
京都に行って、「まんが道 藤子不二雄A展」を見てきました。
僕はFの異様な人気が納得できなくて、結果としてAの方に肩入れしてしまう。魔太郎が面白いのは当然として、今回の展示でプロゴルファー猿の面白さにめざめました。
展示の内容は、原画に、アニメ上映、富山県氷見市のモニュメント展示、手塚治虫からもらったという机に向かってマンガを描くAの人形展示等々。
予想以上に楽しめました。
また、簡単なスタンプラリー(5分で回りきれる)をすると、オリジナルのノートがもらえました。これだけでも入場料分はもとがとれます。

京都に出て来たので、アヴァンティに行ったり(スイマーにスーパーラバーズ、ベティーズブルー、エンジェルブルー、ミルクなど、大阪から撤退しつつあるブランドも集合している夢のようなビル)、京都タワー、四条通り、新京極をぶらついたり。

ハロプロショップにも寄って、辻加護のパジャマ衣裳見て、辻とベリーズ工房の写真購入。ファンクラブ特典としてミニモニ。のカードを選んだら、間違えたのか、ベリ−ズ工房のカードをくれました。
見抜かれた、の思い。
イラクの人質問題で、「自己責任」が取り沙汰されていた。
だいたい、「自己責任」とか「テロに屈しない」とか「人命は地球より重い」とか、それらしい言葉が使われると、ついつい眉に唾をつけてしまう。
そんな決まり文句に説得されていいのか、と。

で、桜井哲夫が1998年に講談社から出した『自己責任とは何か』を読んでみた。
6年前の本なので、今回の人質問題について語っているはずもないのだが、文中「自己責任論のいかがわしさは、アメリカの影がちらついているからなのだ」など、まるで今書かれたかのような発言が相次ぐ。
自己責任という言葉がしきりに使われるとき、それは裏にアメリカの影を察知しなければ正しくものを考えられない、のだろう。

この本の中では「公私」についても考察されており、日本にとってアメリカこそが「公」で、それ以外は抑圧された「私」になる、とこれまた、今のことかと疑うような表現が出てくる。

ところで、イラク人質事件のとき、テレビを見ていてとても興味深かったのは、「もしも自分があの人質の親だったら」と前置きして何かを語ろうとする人が多かったことだ。
「もしも親なら」という前置きは、僕から見ると、「最も愚かな意見を言わせてもらえれば」とか「無意味で最悪なことを言っても許されるなら」という前置きとあまり変わるところがない。
そんな発言は何も言っていないに等しいし、むしろ有害だからだ。
だいたい、人間、自分の人生をむちゃくちゃにしたかったら、親の言うことを聞いて、それにしたがって生きるに限るのだ。
これは自明のことのように思える。
「親子の愛情」なんて特権的なものも、僕の理解の埒外にある。
親と子の間の愛情は、相手を一個の人間として認めあうことから生じるのであって、「自分を生んで育ててくれたから」とか、無条件に「親子だから」などという理解不能な決まり文句によるものではない。

しかし、ワイドショーとか見ていたら、視聴者に脳を働かせようとするまい、とするコメントが横行していて、「なんじゃ、こりゃ!」と叫ぶことしきり。

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