永井均の『西田幾太郎 〈絶対無〉とは何か』を読んだ。
以下、目次
はじめに
第一章 純粋経験-思う、ゆえに、思いあり
 1.長いトンネルを抜けると-主客未分の経験
  無私の視点/日本語的把握と英語的把握
 2.知即行-真理と意志は合致する
  意志はどう捉えられるか/知識・倫理・宗教-主客の合一としての
 3.デカルトVS西田幾太郎
  観念論的要素を取り去れば/「われ思う、ゆえに、われあり」の第一の二義性/「われ思う、ゆえに、われあり」の第二の二義性/西田はデカルトの何を拒否したのか
第二章 場所-〈絶対無〉はどこにあるのか
 1.言語哲学者としての西田
  確信犯ウィトゲンシュタインとの対決
 2.自覚-「私を知る」とはどういうことか
  「英国に居て完全なる英国の地図を」/私に於いて私を知る
 3.場所としての私
  「私」は主格ではありえない!/私は存在しないことによって存在する
 4.場所的論理-西田論理学の展開
  「がある」と「である」/真の個物とは何か-超越的主語面と超越的述語面/場所の自己限定のプロセス
 5.絶対無
  無の場所としての意識/自覚において有は無化され、言語において無は有化される
第三章 私と汝-私は頃荒れることによって生まれる
 1.思想の体系化
 2.田辺元の西田批判
  種の論理と場所の論理/「西田先生の教を仰ぐ」/西田と田辺の対立の意味
 3.存在する私への死
  私と汝は絶対に他なるものである/汝は神のごとく私の底から動く/私は主格となり、一個の自我となる

ASIAN PUJA 2013@高津宮~「伊賀越道中双六」展示@国立文楽劇場~茨木麦音フェスト@茨木市中央公園南グラウンド~制服向上委員会の第21回生誕祭@中崎町スタジオACT
ASIAN PUJA 2013@高津宮~「伊賀越道中双六」展示@国立文楽劇場~茨木麦音フェスト@茨木市中央公園南グラウンド~制服向上委員会の第21回生誕祭@中崎町スタジオACT
ASIAN PUJA 2013@高津宮~「伊賀越道中双六」展示@国立文楽劇場~茨木麦音フェスト@茨木市中央公園南グラウンド~制服向上委員会の第21回生誕祭@中崎町スタジオACT
高津宮で開催された「子どもとアートの祭り」と題された「ASIAN PUJA 2013」を朝からのぞきに行った。
飲食ブース、物販ブース、癒し・ヒーリングブースなど、多くの店で賑わい、インド舞踊、インド音楽のステージ、屋外ライブなどもあった。
絵馬殿では子どもたちが「豆マンダラ」をつくる催しもあったが、待ちきれないのか、地面の砂を集めてマンダラのような絵を描いている子どももいて、面白かった。
ステージをじっと見るだけの時間がなくて、雰囲気だけ味わったようなものだったが、なんだか、パワーを注入された気分がした。
http://asianpuja.jimdo.com/

国立文楽劇場の資料展示室で、「伊賀越道中双六」の展示を見た。
11月から上演される「通し狂言 伊賀越道中双六」にちなむ企画展示。
いわゆる鍵屋の辻の決闘の仇討ちもの。
文楽と歌舞伎のそれぞれの舞台写真などが、物語の流れにそって展示してあるほか、多くの資料が展示してあった。
ざっと流れを読んだかぎりでは、僕には後半の展開のほうが面白く見れそうな気がした。


茨木市中央公園南グラウンドで、麦音フェスト。
18社のブルワリーが参加し、80種以上のビールが販売され、地元のフード店28店舗がビールにあうフードを販売。
京都一乗寺ブリュワリーの「りんごビール」などを飲んだ。
今日は2日めにあたり、本日のステージは、全部、プログレ!
会場に来るなり、このイベントのスタッフをしていたミンカパノピカの鋭司くんに会って、びっくり。
司会には、あだち理絵子さん(ウルトラ警備隊員)が出てきて、会場を盛り上げる。ライブの間の転換の時間などには、お客さんのほうにおりてきて、しゃべったりしてた。もちろん、僕もおしゃべりしたよ!
ステージでのライブは、正午から「Chip Chaplin」
全員が二十代というから、それほど期待はしていなかったけど、なんと見事にプログレしてた。
午後1時半から「AIN SOPH(アイン・ソフ)」
ニューアルバムからも1曲。ジャズロックを堪能。
午後3時から「松前公高」
シンセサイザー1台と、アイフォン、という司会の紹介に、「アイフォンは、電話として使ってる」と笑わせる。
各、45分ずつくらいのライブ。
ライブとライブの間の時間は、ずっとNHK-FMの「今日は一日プログレ三昧」を聞いていた。まさに、プログレ三昧。
松前さんの後には、シンフォニック・ロックの「MIDAS」や、ローリーの「The卍」のライブもあったのだが、別件があって、会場をあとにした。
いや~、しかし、暑くて、日焼けしちゃったな。
http://ainsoph.jpn.org/index.html


中崎町スタジオACTで、制服向上委員会の第21回生誕祭!
制服向上委員会としてステージに立ったのは、小川杏奈、清水花梨、齋藤乃愛、齋藤優里彩、OGから参加した2人、相澤美沙希、森朱里の合計6人。
1.生誕祭の歌
自己紹介は、最近気になったニュース。
齋藤乃愛「土下座写真」
相澤美沙希「地震」
小川杏奈「安倍総理が、安全なはずの原発で防護服を着ていたこと」
清水花梨「竜巻」
森朱里「台風」
齋藤優里彩「JR北海道でレールの不具合97箇所が放置」
8人の小学生、SKi☆Kidsがバックダンサーで加わって1曲
2.大きな古時計
「チクタク、チクタク」のところで、「四苦八苦、四苦八苦」の振りをキッズたちがするのが可愛い。
生誕祭式典は、清水花梨が仕切る。祝電(掟ポルシェからも来てた)、キッズからナツキとヒカルが漫才的コメント、JK21から色紙と花束贈呈。
3.わが心のふたば
ゲストステージ、JK21のライブ
1.涙目ピースサイン
2.バニラ
3.
4.ほんの少し片思い
5.ラッキートリッパー
6.恋のキセキ
6曲ノンストップで。3曲めのタイトル失念。
制服向上委員会のステージに戻る。ワイヤレスマイクの調子が悪くて、その調整をかねてメンバーによるトーク。
4.地球儀みつめ
5.は~い
SKi☆Kidsが登場し、8人の自己紹介。
キッズも含めて2曲
6.アルプス一万尺
7.なわとびピョン
8.涙のエンブレム
9.おはよう!
以下、アンコール
10.走れ!走れ!SKi
11.クルクルハンカチーフ
12.地球に愛を
以上、午後4時半にはじまったライブの終了は、約2時間後。
かつての生誕祭のいつ終わるともしれない長丁場のライブを体験している僕にとっては、短かすぎるライブだったが、「生誕祭の歌」と「地球に愛を」が聞けただけで、満足。

京都大学人文科学研究所本館1階セミナー室で、国際シンポジウム「グローバル化する思想・宗教の重層的接触と人文学の可能性」
1日めは行きそびれたので、今日の2日めだけ参加。
午前9時~
グローバル化の時代におけるエンゲイジド・ブッディズム(「社会参加仏教」)/ランジャナ・ムコパディヤーヤ(デリー大学東アジア研究科准教授)
講演者は、「社会参加仏教」の訳語をつけた本人。
「社会参加仏教」とは何か
エンゲイジド・ブッディズムという言葉の登場・採用
エンゲイジド・ブッディズムの諸事例
なぜ「エンゲイジド・ブッディズム」なの?
日本におけるエンゲイジド・ブッディズムに関する研究
「社会参加仏教」は近代以降の現象であるのか-いつの時代から仏教による社会活動を「社会参加仏教」とするのか
近代化と宗教
 世俗化論(「機能分化説」「宗教の私事化説」)
 公共宗教・脱私事化
グローバル化の下の宗教現象
 宗教的思想の多様化と重層化
 超国家性と非地域性
 宗教的なものの拡散化と先鋭化
 ローランド・ロバートソン
グローバル化と「社会参加仏教」
 国境を越えた仏教運動
 西洋における仏教運動
 他国の仏教徒の社会活動や仏教復興への支援
 仏教者の世界規模のネットワーク
エンゲイジド・ブッディズムの3つの課題
 平和・環境・人権
ダライラマの平和主義
 空・縁起・因果論
 普遍的責任
マーハーゴーサナンダー
 カンボジアのガンジー
 ダンマヤトラ(僧侶が不穏な地域を行進)
 藤井日達
ティック・ナット・ハン
 「エンゲイジド・ブッディズム」という造語を作る。
 ティエプ・ヒェン(相即)教団設立

質疑応答では、理想(非暴力)と現実のギャップの話や、リリジョンとスピリチュアリティの境界、具体的イシューについて仏教が発言することについての是非、新たなオリエンタリズムではないのか、などがやりとりされた。
http://plumvillage.org/

午前11時20分~
グローバル化のなかのヒンドゥー教/山下博司(東北大学大学院国際文化研究科教授)
講演者は、インド映画にも造詣が深く、「ムトゥ踊るマハラジャ」の字幕監修もした人。
タミル人と東南アジア世界(古代・中世・近現代)
 インド文明の東南アジアへの浸潤
 近代までの動向(タミル関係)
 19世紀以降(タミル関係)
ディアスポラにおけるヒンドゥー教の変貌
 ディアスポラにおける神々と寺々の変貌
 シンガポールのクイーンズウェイ・ムニースワラン寺院に見る神の変容
 ブラーフマン司祭とパンダーラム司祭(インドではひとつの寺院で共存することは原則的にない、のだが、シンガポールではよくある)
 ディアスポラのヒンドゥー寺院における儀礼空間の変容
 パンダーラムの職域・職能の侵食と変容
 ブラーフマン司祭のプレゼンスの増大と寺院のアーガマ化現象の背景
 Rationalisation of Religion
 (参照)アメリカのヒンドゥー教の動向-現代の「知」と整合するヒンドゥー教を求める動き-
ヒンドゥー司祭養成システムの今
 「シュリー・カルパカ・ヴィナーヤカ・ヴェーダーガマ・ヴィディヤーラヤム」の事例(ブラーフマンは4年制だがパンダーラムは1、2年で修了)
 グルクラからパータシャーラーへ-他のブラーフマン学校の事例から-
 スマールタ派の事例(1)(2)
 タミルナードゥ州の宗教政策(1969~)…政権がかわるたびに反ブラーフマン政策とヒンドゥー教振興が交互にあらわれた。

ヒンドゥー司祭養成システムでは、グローバル化に伴ってマニュアル化した教理で画一化したパッケージで海外へバラモンが拡散していくことが問題視されていた。
コメンテーターからは、ヒンドゥー寺院ではテキスト化とスペクタクル化が共存しているのではないか、との指摘があった。これは、そういう有名寺院もあるが、一般の寺院ではあてはまらない、との回答があった。
また、信者とパトロンの意向が寺院のありかたを左右する面が強いのではないか、パンダーラム中心の儀礼でもバラモンのコントロール化にあるのではないか、などの指摘もあった。

この発表の際、現地の寺院でのパンダーラムやブラーフマンの姿が写真で何枚も投影されたが、つい先日の新世界での「セルフ祭り」とどこが違うのかわからない感じだった。

http://www.heb.gov.sg/temples/8-sri-mariamman-temple-

昼食休憩で1時間ほどあいたので、出町柳のトランスポップギャラリーに寄ってきた。
後藤友香の「コレクションさん展」
今度こそは、と手作りの本を買った。
『幻想の街』はカラーページもあるイラスト集。
『心の底から元気になる13の方法』を』読んだら、ついさっきまで、グローバルと宗教のシンポジウムで名前が出てきたティック・ナット・ハンの本を紹介してた。


午後2時~
「フェミニズム」と「仏教」の接触-トランスナショナルな視線/川橋範子(名古屋工業大学大学院准教授)
『妻帯仏教の民族誌:ジェンダー宗教学からのアプローチ』『新・仏教とジェンダー-女性たちの挑戦』
国内の仏教内において、男女は平等ではないことを指摘するだけでなく、海外の尼僧からは、日本の尼僧は正式の尼僧ではない、とみなされていることなど。
仏教で性差別の問題に際して持ち出される、仏教無謬の態度、「女性差別は女性のほうが強いせい」的言説、ユダヤ一神教批判などの欺瞞をつく。
台湾で八敬法(比丘尼が比丘を敬うきまり)に対し戦った昭慧法師のことも取り上げられた。

僕の隣では、かなり年配の仏教研究者の方が聴講されていたが、こうしたフェミニズムについては、なかなか理解できないことをもらしていて、興味深かった。
http://www.hongshi.org.tw/closeupA.aspx


京都府立府民ホールアルティに行って、大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団京都公演「邦人合唱曲シリーズ~千原英喜の魅力~」を聞いてきた。
混声合唱曲「北からのうたごえ」
 1.よびかわし
 2.オーロラと眠りの精
 3.マツリ
無伴奏混声合唱のための「梁塵秘抄五題」
 そよ、そよや(前奏)
 1.美女(びんでん)うち見れば
 恋ひ恋ひて
 2.遊びをせむとや生まれけむ
 そよ、そよや(間奏)
 3.われを頼めて来ぬ男
 そよ、そよや(間奏)
 女人五つの
 4.仏は常にいませども
 5.よくよくめでたく舞ふものは
当間指揮者と、千原英喜のトーク
混声合唱のための「開運招福 御殿万歳」
 I、II、III
混声合唱組曲「あなたにあいたくて生まれてきた詩」
 あなたにあいたくて生れてきた詩
 雲は雲のままに流れ
 あげます
 丁度よい
 四丁目の犬
 きりん
 風のうた
混声合唱のための「十字架上のキリストの最後の言葉」
 第一の言葉
 第二の言葉
 第三の言葉とStabat Mater
 第四の言葉
 第五、六、七の言葉
 エピローグ:Pater noster
アンコール よもすがら(「方丈記」より)

午後6時からはじまった演奏会、終わったら9時を過ぎていた。

 
指 揮:当間修一
ピアノ:木下亜子
合 唱:大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団

http://www.collegium.or.jp/
ノイズパーティ@なんばBEARS

なんばBEARSで、ノイズパーティ
ASTRO(Hiroshi Hasegawa+Rohco)
長谷川静男(長谷川裕倫+内田静男)
MASONNA
ななのば(嶽本野ばら+北出菜奈)
出店:日本酒カマチ

ノイズとひとくちで言っても、いろいろあるんだ、と実感した。
今日出演した4組を四大であてはめてみると、
ななのば=地
長谷川静男=風
ASTRO=水
MASONNA=火
になるか。(適当)

ななのばは、ノイズをついて聞こえる美空ひばりやイーノが名曲すぎて、
好きな音楽をぶちこんだらノイズになっちゃいました的なおもむきがあった。
長谷川静男の内田静男さんとは、二十数年ぶりの再会だった。
松岡さんと、昼子ちゃんの結婚式に参列したのが最後だったかな。
ご両親以外の出席は、僕と彼だけだった。
昼子ちゃん、今どうしてるのかな?
地球の滅亡を憂えていた佇まいが最後の記憶。
MASONNAは、約4分間のライブ。
「フランス国立クリュニー中世美術館所蔵《貴婦人と一角獣》展」@国立国際美術館~常盤寄席
国立国際美術館で、「フランス国立クリュニー中世美術館所蔵《貴婦人と一角獣》展」を見てきた。音声ガイドもつけて。
貴婦人と侍女、一角獣と獅子が、千花文様(ミルフルール)の地の上に描かれている、6枚のタピスリー。
6枚のタピスリーは、それぞれ人間の五感(触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚)と、6番目の「第六感」をあらわしているとも言われているが、まだまだ解釈の余地があるようだった。
ミルフルールの中には、ウサギや犬などの動物たちやいろんな植物がちりばめられている。
本展覧会は、この6枚のタピスリーがメインディッシュで、あとの展示作品はこのタピスリーを考えるための註釈のようなものだった。
中世は謎だらけで、面白い!
http://www.nmao.go.jp/exhibition/index.html

また、「コレクション2 戦後の彫刻:素材という観点から」もひとわたり見た。なんだかんだ言って、ヘンリー・ムアとか貫禄の存在感。
http://www.lady-unicorn.jp/index.html




天満橋の常盤漢方薬局ビルで、第100回常盤寄席。
毎月開催して、ついに、100回を迎えたもの。
常盤寄席には何度か来たことがあるが、100回めと知らずに来た。

林家染吉「御公家女房」(延陽伯と同趣向の内容)
笑福亭智之介「寝床」(殺人浄瑠璃を聞かされる噺)
内海英華「女道楽」(愛宕山、かんかんのう、都都逸など。本日の目玉!)
林家染太「電話の散財」(創作落語っぽいタイトルだけど、古典。混線したときの「話中!」の呼びかけが伏線)

第100回なのでスペシャルゲストとして内海英華を招いたが、呼ぶ決め手になったのは、家が近い、というところだった、と言ってた。家から歩いて333歩のところに常盤漢方ビルがある、とか。



『生命学をひらく 自分と向きあう「いのち」の思想』
森岡正博の『生命学をひらく 自分と向きあう「いのち」の思想』を読んだ。
1.いのちのとらえ方
 死を前にして起こること
 こころの問題
 誰も教えてはくれない
 医療って何?
 医療の外側の問い

2.「条件付きの愛」をどう考えるか
 生きる意味がわからない
 目隠し装置としての宗教と国家
 「癒し」の意味
 存在肯定への飢餓
 「条件付きの愛」
 「やさしさの愛」のからくり
 システムとの共犯関係
 生命を選別するアイデンティティの壁
 自分の知らない深層アイデンティティ

3.共感的管理からの脱出
 パターナリズムとは
 母性による管理
 家庭内暴力を起こすもの
 調教された子どもの内面
 大衆化された「アダルトチルドレン論」
 援助と共感の落とし穴
 ベトナム帰還兵の聖地
 拒絶の記念碑

4.無痛化する社会のゆくえ
 「無痛化」とは何か
 よろこびの喪失
 ICUで眠る人
 無痛化を支えるテクノロジー
 巨大な問題

5.無痛文明と「ひきこもり」
 自分が崩れ落ちた後で
 対人恐怖を克服する技
 捨て身で腹を割る
 処方箋はない

6.生命学はなぜ必要か
 「他者」とは
 「他者」の力
 価値観の変容
 知恵の次元
 予防医学
 パーソン論の考え方

7.「死者」のいのちとの対話
 宗教と科学の間で
 「脳死の人」
 脳死論議の落とし穴
 科学では片づけられない
 二人称の死
 脳死の人との対話
 「死者」の持っているいのち
 間身体性が支える
 二つのリアリティ
 日本の議論はなぜ最先端なのか
 できなかった脳死判定
 中絶をめぐって
 胎児は人か
 女に殺人をさせるもの

8.「無力化」と戦うために
 通説の嘘
 経済的理由と胎児条項
 視線が人を殺す
 「自己否定」の問題
 「無力化」というキーワード
 優生思想と優生学
 1970年代の優生学
 21世紀の新優生学
 社会全体の無力化
 何もしないことを選ぶ知恵 

むすび・自分と向きあう「いのち」の思想

.アリソン・アンダース&カート・ヴォス監督の「ストラッター」を見てきた。
今年見た映画のなかで、一番好きな映画かもしれない。
突然失恋してしまったロッカー、ブレットが主人公。
バンドのメンバーも、あっけらかんとバンドをやめていき、ライブもままならない。

この映画の世界は、非常にリアルで、かつ、ずっとこの愛しい世界で生きていたいと思わせる、なじんだ感じがする。

彼女を寝取ったのは、ブレットにとっては憧れのミュージシャンであるデイモン。彼は大手と契約した金でマニアックなレコード店を開き、ひと箱レコードが届くたびに、その日の店内はパーティと化す。これが、CDじゃなくて、レコードだ、というのが泣かせる。ブレットは、この店で高価なトルコのサイケデリックアルバムとか買わされて、家で1日中聞いたりするのだった。

ブレットの友人で、次の恋の相手になるクレオは、サイレント映画館を経営しており、ジャック・ピックフォード(メアリー・ピックフォードの弟)の「総てを持てる男」なんて上映している。お客さんは友人だけ、みたいな客の入りだけど。彼女はまた、8ミリフィルムで映画も撮っており、ブレットのバンドのPVも8ミリで撮影したりするのだ。クレオを演じるエリーズ・ホランダーは実際に映画作家。そういえば、ブレットもデイモンもほんとにミュージシャンだし、そういうところがリアリティあるのかもしれない。

ブレットの働く楽器店はレトロなギターが大量にあって、色つきのギターを求めるお客さんに帰ってもらったりする。この店主に、ガン・クラブのテリー・グレアムが扮している。
また、グラム・パーソンズがキー・パーソンになっているのも面白かった。
レコードや8ミリフィルムが出てくるから過去の話なのかな、と思ってみたが、クレオはマッキントッシュのパーソナルコンピュータでPVを作ってたので、現代の話なのだ。
作中、ライブシーンをはじめ、多くの曲が流れるが、どれもこれもニヤニヤできる楽しさ。
と、いうか、冒頭から、エンディングまで、ずっと笑顔で見ることのできる映画だった。こんな映画、なかなかない。
http://strutter-the-movie.com/

『最終講義』

2013年9月18日 読書
『最終講義』
木田元の『最終講義』を読んだ。
1999年に中央大学と人文科学研究所で行われた最終講義。実際に話されたものではなく、用意されていた内容を書かれたもの。
以下、目次
最終講義『ハイデガーを読む』
 はじめに
 大学に入るまで
 ドストエフスキーに魅入られて
 ドストエフスキー論
 ドストエフスキーとキルケゴール
 『存在と時間』を読みたくて
 大学に入ってから
 哲学への深入り
 『存在と時間』の読み方
 未完の書としての『存在と時間』
 『現象学の根本問題』
 『存在と時間』と『根本問題』の関係
 ナトルプ報告
 メルロ=ポンティからの示唆
 ハイデガーの性格の悪さ
 ハイデガーが分かってきた
 ニーチェの遺産
 〈存在と時間〉
 哲学批判としての哲学
 


哲学と文学-エルンスト・マッハをめぐって-
 はじめに
 マッハとフッサール
 マッハとゲシュタルト理論
 マッハとレーニン
 マッハとその思想
 力学主義的物理学
 現象学的物理学
 感性的要素一元論
 全体論
 現象学的物理学とエネルゲティーク
 〈現象学〉の意味
 マッハとアインシュタイン
 進化論的認識論
 マッハとニーチェ
 思考経済説
 マッハ主義
 ウィーン学団
 ウィトゲンシュタインの〈現象学〉
 ホーフマンスタール
 ムージル
 マッハとヴァレリー

ディドロ著作集第3巻『政治・経済』を読んだ。
『百科全書』より
政治的権威
自然法
権力
勢力〈国力〉
主権者
アルジャン〈銀・貨幣〉
農業
技芸
一般的定義
 諸科学及び諸技芸の起源
 技芸の思弁と実践
 自由学芸と機械学的技芸への技芸の分割
 技芸一般の目的
 機械的技芸の一般的取り扱いに関する提案
 この方法の利点
 この種の取り扱いにおいて辿らねばならない順序
 探求の別の動機
 諸機械間の独特な差異
 技芸の幾何学について
 技芸の用語法について
 或る製造業の他の製造業に対する優位について
君主の政治原理
出版業についての歴史的・政治的書簡
ガリアニ師讃
エルヴェシウス反駁
 1.改良主義か革命か
 2.社会問題
 3.能力に応じて各人に与えよ
 4.ユピテルとルイ15世
 5.民主政治
エカテリーナ二世との対談
 1.その起源より現下の消滅にまで至るフランスの政治秩序に関する歴史的試論
 2.私こと、哲学者ドニの夢想
 3.ロシアの国民性について
 4.委員会と、それを常設することの利点について
 5.奢侈について
 6.国家の首都および真の本拠について。色彩を判断する盲人著す。
 7.国王の道徳について
 8.第三身分について
 9.むすび

ディドロ「君主の政治原理」(1774年)より
専制に対する嫌悪と皮肉に満ちているが、ちょっとだけ引用。
「年金を設定しなければならぬ連中をうとんぜよ。これはつねに容易だ」
「隣人にたいしてなされる悪は、自分の臣民の幸福を願ってのことだと市民に納得させよ」

それと、ディドロ「ガリアニ師讃」(1770年)より。
彼は、自分の論敵が間違っていることを証明する、しかも百ヶ所にもわたってみごとに証明するが、しかし、彼の方が正しいかどうかは、誰にもわからないのだ。問題は今までよりも縺れたままである。


ディドロって、インターネット討論に向いていそうだ。

今日は月曜日のメンズデーとやらで映画が安かったので、シネマート心斎橋で熊切和嘉監督の「夏の終り」を見た。
瀬戸内寂聴原作、満島ひかり、小林薫、綾野剛。
個人的には、「鬼畜大宴会」の監督が、フォルダー5、仮面ライダー555、状況劇場の役者とタッグを組んだ作品、ということで、見逃せなかった。

包容力があり、妻もある年上男性の愛と、一途で情熱が暴発している若い男性の愛のあいだで、自分の感情優先で動くわがまま女性が右往左往する。

こういう恋愛における激情や修羅場は、おそらく万人共通のもので、自分の経験と照らし合わせながら、見たんじゃないだろうか。
ずぶぬれになりながら若い男性に走っていく女性が、その若い男性に「情熱よりも習慣のほうが強い」となだめたりする。要するに、愛ってなんでもありなのだ。
http://natsu-owari.com/

セルジュ・ゲンズブール自身が語るドキュメント「ノーコメントbyゲンズブール」を見た。
ゲンズブールに関わった女性たち、ジェーン・バーキン、ブリジット・バルドー、アンナ・カリーナ、バンブー、ヴァネッサ・パラディの魅力的なこと!
それ以上に魅惑的な、シャルロット・ゲンズブールがケンパしてるシーンには、卒倒しそうになった。

ゲンズブールが語った言葉のなかで、最も心に残ったのは、これ。
「心や魂で生きる以前に、私は視覚で生きている」
http://uplink.co.jp/nocomment/
セルフ祭~通天閣将棋まつり~サイケ祭り@夜想
通天閣のすぐ近く、新世界商店街で、セルフ祭!
明日まで。
メルヘソのショップとか出ていて、ライブも随所で。
ジョジョ川が、「乳輪色占い」をしていたのには笑った。
あれは女子専門なのかな?


通天閣下のスタジオ210で、通天閣将棋まつり。
総合司会:村田智穂女流二段
開会式
「阪田三吉・端歩をついた」~南禅寺の決戦を再現
 阪田=井上九段、木村=船江五段
 解説:福崎九段、久保九段
若手女流棋士 浴衣対局
 室谷女流初段(先手)VS室田女流初段(後手)
 解説:井上九段、東七段
 室田女流初段の勝ち
爆笑トークショー
 司会:福崎九段
 出演:谷川九段、井上九段、久保九段、東七段
シークレットイベント
 「なごり寿司」
 歌:井上九段、久保九段、東七段
 女性=室谷女流初段 男性=船江五段
次の一手王将戦
 久保九段(先手)VS船江五段(後手)
 解説:谷川九段、福崎九段
 久保九段の勝ち
お楽しみ抽選会
閉会式
午後1時からはじまって、終了は午後6時前。
とにかく、笑えた。
谷川達人によれば、これはやはり、大阪のイベントならではのことらしい。
http://www.kansai-shogi.com/event/Tutenkaku/2013/2013announce.html

京都・夜想で、サイケ祭り。
アマリリス【改】は、デスティニー・オペラ。
アマリリスなのか、ぴいち姫なのか、EP-4なのか、それらを含む世界でのステージ。
セカイ系以降のコンテンツのありかたに敏感なアリスセイラーの最新の展開には、ただついていくしかない凄さ。
泯比沙子&島流しは、ひたすら音をたたき出すステージ上のバンド(島流し)と、客席に自在に乱入する泯比沙子の越境ぶりが素晴らしい。
泯比沙子が客にちょっかいかけるのを、僕もひたすら待ち望んだけど、1回胸を突かれただけだった。
「ウルヴァリン:SAMURAI」~たこやきレインボー@ららぽーと甲子園~海文堂、ちんき堂~世界の具体事情@兵庫県立美術館~「熱波」、鈴木創士×丹生谷貴志トーク
「ウルヴァリン:SAMURAI」~たこやきレインボー@ららぽーと甲子園~海文堂、ちんき堂~世界の具体事情@兵庫県立美術館~「熱波」、鈴木創士×丹生谷貴志トーク
ジェームズ・マンゴールド監督の「ウルヴァリン:SAMURAI」を見てきた。TOHOシネマズで千円の日。
舞台は日本で、東京だけでなく、長崎、大阪(?)でもストーリーが展開される。
違和感はあるものの、日本をむちゃくちゃな誤解で笑わせてしまうほどではない。
この程度でめくじらたてていると、オリンピック招致のプレゼンテーションなんか激怒しなくてはなるまい。
アクション映画なんだから当たり前の話かもしれないけど、俳優たちの肉体やアクションの切れ切れぶりに感心した。こ
れは日本映画ではなかなかお目にかかれない。
そう言えば、日本人でめちゃくちゃそっくりな人が出てるな、と思ったら、やっぱり小川直也本人だった。

千円の日だからお客さんいっぱいなのか、と思ってたら、世間は三連休で、しかも13日映画公開だったからか!
エンドクレジットが出ると、我先にと席を立って映画館を出ていく人が多かった。
よほど映画が嫌いだとみえる。
肝腎の最後に意外な人物登場シーンは、半数が見逃したんじゃないかな。
http://www.foxmovies.jp/wolverine-samurai/


ららぽーと甲子園で、たこやきレインボーのミニライブ。
ウルヴァリン見たあと、図書館寄ってたしわよせがあり、到着時、既にイベントははじまっていた。
見れたところから、曲順は、
・六甲たこおろし
自己紹介
・返してニーソックス
・オーバー・ザ・たこやきレインボー
・あきんどチャチャチャ
・また明日
午後1時から開始のイベントで、到着したのが1時10分頃、イベント終了は午後2時前になっていた。1時間近くライブあったのか!お得!
たこやきレインボーは既に大人気で、遅れて行ったものだから、ライブ中は、まいまいの顔くらいしか見えなかった。
こういうライブのときって、「盛り上がる」ことがよいことだとされているが、いい背丈した男たちに立って盛り上がられると、ステージも見えないし、歌も聞きづらくて困ることが多い。これからは、「盛り上がってますか~」にかえて「はいずりまわってますか~」とか煽って、ファンのみんなは床にべったりはりついてこそ評価しているのだ、という風潮を作ってもらいたい。http://www.stardustrecords.jp/artist/takoyaki/

久々に、海文堂書店(今月末で閉店!)と、ちんき堂に行ってきた。どちらも、何年ぶりか不明なほどの御無沙汰。
海文堂書店は、2階の古書のコーナーを渉猟。ちんき堂では、戸川さんに淹れていただいたお茶を飲みながら、しばし雑談。春陽文庫を数冊購入した。
なん年ぶりかでお会いしたのだが、1週間前からの再会のような、お互い変わってなさに、なんだかホッとした。
http://d.hatena.ne.jp/chinkido/

兵庫県立美術館レクチャールームで、鈴木慈子学芸員によるアートトーク「世界での具体事情」を聞いてきた。午後5時から6時半過ぎてもまだ続く白熱ぶり。
具体美術協会は1954年から1972年までの間活動していた前衛美術グループだが、今年ニューヨークのグッゲンハイム美術館で「具体:Splendid Playground(素晴らしい遊び場)」展が開かれるなど、世界での関心が高まっている。
このトークイベントでは、具体の歴史と作品を写真や映像などを使って解説していた。
鈴木学芸員がグッゲンハイム美術館に行って撮影してきた写真なども紹介されていた。
学術的とかいう以上に、鈴木学芸員が、具体が大好きなのが伝わってくる報告で、メンバーの集合写真などで、「ここに吉原治良がいて、隣がタピエ」などとうれしそうに指さすのを見て、こりゃ「具体萌え」と名づけてもいいんじゃないか、と思った。もちろん、それでいいのだ。http://youtu.be/lJlIZfZanCY


ミゲル・ゴメス監督のポルトガル映画「熱波」(原題:TABU)を元町映画館で見てきた。
映画の構成は、ほぼ次のとおり。
妻の死後、アフリカに行った男が、妻の亡霊から逃れられず、自ら鰐に食われて死ぬ。その後、古めかしい服装の女性の亡霊と鰐が一緒に目撃されるようになった。(と、いう内容の映画を見た女性、ピラール)
第一部「楽園の喪失」
ピラールの隣人、アウロラは孤独な老婆。身の回りの世話をしてくれる黒人のお手伝いさんサンタに呪いをかけられている、と信じており、カジノに行っては大金をすり、家族には会ってもらえず、抗鬱剤中毒になっている。
そんなアウロラが、死ぬ前に会いたいと思ったのは、50年前のロマンスのお相手、ベントゥーラ。
第二部「楽園」
話は、50年前。結婚して妊娠までしているアウロラは、流れ者のベントゥーラと禁断の恋に落ちる。
出産後、アウロラはベントゥーラとの別れを決心し、手紙を書くのだった。

60年代のヒット曲だの、ポルトガルの歴史だの、鰐だの、白黒映像だの、第二部では登場人物の会話はすべてナレーションでの説明になる、だの、いろいろなひっかかりを持ちながら、ストーリーの展開はきわめてわかりやすいメロドラマになっている。
映画上映後、鈴木創士さんと丹生谷貴志さんによるスペシャルトークがあった。
ペソア、ピンチョン、アルトー、デリダなどの人名や、隠喩などの仮説がとびかう面白いトークだった。
http://neppa.net/
動楽亭昼席~ファジーファンクションフェスティバル@イオンシネマ茨木
動楽亭の昼席を見てきた。
リクライニングの座椅子で、リラックスする気になったらとことんリラックスできそうだ。
桂そうば「ちりとてちん」
桂吉の丞「米揚げ笊」
林家染太「蛸芝居」
桂きん枝「悋気の独楽」
中入り
桂わかば「うなぎや」
笑福亭福笑「アイスクリーム殺人事件」

きん枝の「悋気の独楽」は、「キライ!」と言うのがなくなってた。
福笑の落語はいつ聞いても爆発力満点。
http://beichoschedule.osakazine.net/e504006.html

イオンシネマ茨木でファジーファンクションフェスティバル。
HIDE and SEEK(監督:朝倉加葉子)
REDMAN(監督:橋ヶ谷典生)
THEATER OF THE DEAD(監督:飯塚貴士)
電柱に婆さんが(監督:豊永丈尋)
「FFF短編集」
(杉下淳生監督作品)
非情のガーディアン
下校
闘え!ヤングユミック~絶体絶命!救出大作戦
闘え!ヤングユミック~友よ!ヤングユミック危機一髪
放課後魔法クラブ
入場
初恋芸人~理想の恋愛ドラマ
初恋芸人~出版記念
入っちゃダメ
最期のお願い
(西田啓太監督作品)
月夜のチョメチョメ
(「月夜のチョメチョメ」では、杉下淳生監督と、アイドルの藤森望ちゃんが共演している)

ファジーファンクションとのつきあいは長く、僕のイベントにもよく絡んでもらっている。
FFF短編集は見るのは3回目くらいかな、と思うが、何度見ても面白い。

『運命論者ジャックとその主人』
ドニ・ディドロの『運命論者ジャックとその主人』を読んだ。
脱線に告ぐ脱線で綴られた無駄話。
ジャックは運命論者で、すべての事柄は既に天上に書かれており、そのとおりにことは運ぶ、と信じている。そのジャックと、主人とが、旅の道すがら、ジャックの恋物語を聞く、というのが、一応の本筋。
そもそも旅の行き先や目的が、作者によって常にはぐらかされるし、運命論者であることが何か意味を持つのかどうかも、判然としない。
さて、ジャックの恋物語だが、途中で必ず邪魔が入って、スムーズに話が運ばない。
会話のある部分がひっかかって、そっちの話になってしまったり、別の誰かが語りはじめたまったく別の物語がえんえんと続いたり、のどの調子が悪くて続きが言えなくなったり、あげくの果てには作者までもが、まったく違うエピソードを語りはじめる。
そうやって、常に中断されるジャックの恋物語にしたところが、旅の道中の退屈しのぎのおしゃべりなのだから、そもそも続きを絶対に聞かねばならない緊急性を帯びていない。せっかくジャックが恋物語を語っていても、主人が途中で寝てしまい、話がストップしたりもするのだ。

この長編小説は1778年~1780年にヨーロッパ諸国の王侯貴族を中心に回覧された雑誌『文芸通信』で連載された作品。
メタフィクション、という言葉が帯には踊るが、僕が読んで感じた印象は、伝奇小説だった。サイドストーリーが本編と同等の重みをもっているところや、物語の起承転結よりも、物語られることの快感にどっぷり浸かってしまうところなど、伝奇そのものだ。
『啓蒙思想の三態 ヴォルテール、ディドロ、ルソー』
市川慎一の『啓蒙思想の三態 ヴォルテール、ディドロ、ルソー』を読んだ。
序文/鷲見洋一
1 ヴォルテールにおけるシナと日本の幻影
 はじめに
 I歴史家ヴォルテールの評価とヴォルテールの立場
 IIヴォルテールに映じた<シナ>
 IIIヴォルテールに映じた<日本>
 IVヴォルテールの歴史作品に占める<シナ>と<日本>の意義
 むすび
2 ディドロにおける政治思想の粗描―『百科全書』から「1772年の三部作」まで
 はじめに
 I『百科全書』の時代におけるディドロの政治思想
 IIルソーが見たディドロの政治思想の問題点
  1.ディドロが考えた「自然状態」から「社会状態」への推移
  2.ディドロの考えた主権者の人格
  3.アンシクロペディストたちが重視した<基本法>
 III「1772年の三部作」におけるディドロの政治思想
 むすび
3 ディドロとエカテリーナ二世―十八世紀フランスにおける一つのロシア体験
 はじめに
 Iディドロに映じたロシア
 II噛み合わなかった女帝との対話
 III専制君主批判の二つの場合
  外側からの告発-ディドロの場合
  内側からの告発-ラヂーシチェフの場合
 むすび
4 ディドロとラヂーシチェフ―エカテリーナ二世をめぐって
5 ルソーと啓蒙思想
 はじめに
 啓蒙思想家としてのルソーの役割
 アンシクロペディストとの対立
 ルソーとフランス革命
 むすび
6 ルソーにおける人間観と教育観―ディドロと比較して
 Iルソーにおける啓蒙理念
 IIルソーの教育論における仮説的思考
 IIIルソーの方法論-ディドロと比較して
 IV『エミール』におけるルソーの人間観と『ラモーの甥』等におけるディドロの人間観
7 ある亡命貴族の目に映じたフランス革命―セナック・ド・メイヤン『レミグレ』の場合
 はじめに
 Iセナックの目に映じた地方の現実とその改革
 IIジャック・ネッケルへの弾劾
 III<証言小説>としての『レミグレ』の位置づけ
  小説『レミグレ』の梗概
  フランス革命の原因分析
  亡命貴族の生活と信条
  名門貴族の名誉の問題
 むすび
8 アレクサンダー・フォン・フンボルトとフランス啓蒙思想家
 はじめに
 フランス啓蒙思想家から学んだA.V.フンボルト
  ヴォルテールとその歴史観
  ジャン=ジャック・ルソーと<善良な未開人>神話
  探検博物学の先駆者たち(ラ・コンダミーヌ、ビュフォン)と新大陸
  ディドロとその自然観
 むすび
9 書評・十八世紀を準備した思想家ピエール・ベールの人と思想
 ユグノーの受難史の生き証人の観
 実証的合理主義を神学の問題に持ち込む
 並の翻訳でない野沢氏の個人訳

中川久定の『ディドロの現代性』を読んだ。

I ディドロの18世紀的新しさ―広がりと深さ
 1.ディドロ没後200年
  祝うことの意味
  ディドロの知の広がり
 2.『ダランベールの夢』(1)
  私の読み違い
  クレメール演出の芝居
 3.『ダランベールの夢』(2)
  日本語とフランス語
  翻訳の歪みの原因
 4.『ダランベールの夢』(3)
  蜜蜂の群れの話・蜘蛛の巣の話
  ディドロの知の深み
II 生きているディドロ
 1.抑圧されたものの復権(1)
  ディドロの精神
  秩序を課すること
  秩序の転倒
 2.抑圧されたものの復権(2)
  タヒチ
  日本
  女性・私生児・子ども・動物
 3.抑圧されたものの復権(3)
  非理性(狂気)
  身体障害者・夢
  〈絶対的転倒〉
 4.ディドロとはなに者なのか
  ディドロの共感
  イエス・キリストの影

解説 若き日の思いは一生を貫き、生き方を決定するか/牧野剛

最後の「解説」は、中川久定氏の紹介文。

うちに新しいエアコンが到着。
今年はもう使わないけど。
『僕はずっと裸だった』
田中泯の『僕はずっと裸だった』を読んだ。
前衛舞踏家ではあるが、役者としても、また言葉の使い手としても、独自のワールドを持っている。
すごくいい年齢の重ね方をしているな、と思った。

001 無意識の踊り
002 私のこども
003 感覚の海の中へ
004 失速・微速・変速
005 何もかもが動いている
006 からだの中のこころ
007 恥にも深さが
008 裸と性の距離
009 裸体という衣裳
010 ヒトが立ったのだ
011 もっとカラダに成る
012 目の中に屍体がある
013 父は警官が嫌いだった
014 判断できない深み
015 隠れん坊は生死の学習
016 目をつむり、立つ
017 私の外国はパリから始まった
018 二十年のギザギザ
019 裸体から雨カッパに着換える
020 青春を完結しない意志
021 感情のエコロジー
022 踊りが感情?
023 からだを動かすと何が見える
024 私とからだ、私のからだ

II………………………………………………………………………………
025 土方巽の弟子になる!
026 ブトーナンセンス
027 一人の時の真実
028 自分が大事だからか
029 「自分」と「私」のあいだで
030 心の片隅・心の隙間に何がある
031 思い出の南方熊楠先生
032 ヒトノフリミテワガフリナオセ
033 心の片隅にしまった一言
034 親しみの奥の方で
035 泥臭い、ダサイ、悪いか!
036 ちょっとの間、自分を留守にする
037 何の値打ちもないのがおどりです
038 「死」も存在の作法だ、と教わった
039 日干しの鯨じゃ様にならん
040 野の花に声をかけたい
041 再び、踊りなんて金になりません
042 地球に境界線は引けるか
043 「野良」、自意識と精神との谷間
044 お百姓さんありがとうです。
045 命と同じ重さの知識や知恵
046 いのちが型を揺り動かす。

III………………………………………………………………………………
047 我々に風景は踊れるか
048 動き続けるから風景なのだ
049 作る・工作することのルーツ
050 根が生えてこそ物になる
051 デレク・ベイリーが聞こえる。
052 時間や場は、自分でつくる?
053 便利はそれほど尊いのか!糞
054 からだの中で育つ大人のために
055 精霊の群れる白州の夏
056 天然・自然が舞台の「春の祭典」
057 古代からの無垢、自然と人間
058 家に棲む自然
059 血は太陽とともにあり
060 雲は空に浮かぶ水の停留所
061 人もまた、移動し留まり、変容する
062 伝統文化は自然の同伴者
063 「自分さがし」とは何のこと!
064 「からだ」よ、脳に服従するなかれ。
065 「生命のダンス」が白州で始まった
066 からだの本当が流行に塗り潰される。
067 白州から敷島へ、桃花村始まる。
068 斜面こそが稽古場・静かな躍動と持続
069 日本中で里山が山里になった。
070 息する者、生きる物、ヒト、人間そして何。
071 恐れや畏れが無くて何の心意気。
072 村に居て異人の来訪を待つ。

IV………………………………………………………………………………
073 「正面」という衣裳について
074 「正面」の面(おめん、つら、おもて、むき)
075 背に腹はかえられぬ。む!
076 私はかろうじて立っている哺乳動物。
077 言葉に因らない純粋な感覚そしてイメージ。
078 オシッコの周辺そして人間社会
079 生理現象も社会現象?
080 師匠・土方巽の放尿と自然
081 自分で見えない背後のある正面、という正義
082 「座る」だけでも大事件。
083 始まりで最大で最終の環境、からだ。
084 足の骨の数の多さよ。
085 進化の原動力になれなかったヒトもいる。
086 篩にかけられた生命や物達
087 かろうじて立っていることの充足感
088 僕は今でも赤い子供だ。
089 カラダとの時間を生きること。
090 脳の拡大と回転舞踊
091 岡田正人のエゾエノキ
092 野良に出かけてオドリのレッスン
093 土方巽の「性根」をのぞいてみると。
094 道具の変遷と輪廻観
095 時は移り、映り、空ろう。
096 すべて記憶にございます。
097 シロウトには文章もカラダの延長

V………………………………………………………………………………
098 写真と岡田と僕のあひだ。
099 リズムの源は地球の回転
100 他人のカラダの中で眼をさます。
101 生きていることへの好奇心こそが
102 シャッター音が聞こえる草叢で
103 緑が空に伸び大地を這う
104 カラダという闇について
105 オドリは道標、古代への生業
106 一瞬の豊かさに誘われて
107 カラダの中でしか生きられない私。
108 顔の奥の方にその人は走り去る。
109 見えるからって何なのさ!
110 誰からも奪われることのないカラダ。
111 見えない物事の話は続く。
112 ちょっと、オドリにさわってみよう。
113 カラダはコトバか?
114 見えているよりもっと見る。
115 時の水平に佇むことの喜び。
116 僕はカラダと生きるカラダモンだ。
117 あられもなくあるとどうだろうか。
118 地図を眺めると喜怒哀楽
119 今回で最終回ではあるのだが、ハテ

対談:杉浦康平+田中 泯
うしろの正面、だれ
 「名づけられない踊り」でありつづけたい
 「覚醒の彼方の覚醒」を指向する
 いま一度、誕生の元気を意識に
 森のイマジネーション、夜と闇の力
 なぜダンスなのかを探りつつ踊る
EXPO’70パビリオン~のど歌のふるさと@国立民族学博物館~Aell@タワーレコードNU茶屋町~1階「はきたすおもい」おおうえなおこ個展、2階「虫食み展」西塚em個展@アートスペース亜蛮人
国立民族学博物館に行って、「のど歌のふるさと」を見てきた。
アルタイ山脈周辺地域で歌いつがれる「のど歌」
(モンゴルでは「ホーミー」、トゥバでは「ホーメイ」、アルタイでは「カイ」)
巻上公一さんのナビゲーションで、アルタイとトゥバから招いた歌手の歌と演奏を存分に。
トゥバ共和国からの出演者は、
オトクン・ドスタイ(第2回ホーメイシンポジウム第1位。プロデューサーとしてトゥバのホーメイ界を牽引)
アヤス・クーラル(アンサンブルトゥバのリーダー。馬のいななきのトゥバナンバーワン)
モングンオール・オンダール(国際ホーメイフェスティバル2013で、2度目の優勝。トゥバ共和国人民ホーメイ歌手の称号をもつ)
アンザット・クーラル(トゥバの民謡を歌う他、女優としても活躍。ロシア連邦功労芸能家の称号をもつ)
アルタイ共和国からの出演者は、
ボロット・バイルシェフ(カザフスタンのバイコヌール宇宙基地で兵役時代に書いた『我が故郷クルルク』が大ヒット。アルタイ政府より国民栄誉歌手の称号をおくられる。ヨーロッパを中心に世界各国で演奏活動を展開)
タンダライ(5オクターブの声域をもつ稀有な歌手。アルタイ共和国最優秀芸能者の称号をもつ)
プログラムとして発表されたのは、次のとおり。
イントロダクション
パート1 アルタイの喉歌
1.『パズィリック』/ボロット
2.コムス独奏/ボロット
3.『カイソング』/タンダライ
4.コムス独奏/タンダライ
5.『鶴啼き』/タンダライ
6.『ウコック高原』/ボロット、タンダライ
パート2 トゥバの喉歌
7.ホーメイ トールー(ホーメイのおとぎ話)/オトクン、アヤス
8.チャズィグ(祝福)/アンザット(儀式)
9.バィラ ヘムチリム/アンザット、オトクン、アヤス
10.スィグィト/アヤス
11.ホーメイ、カルグィラー/アヤス、モングンオール
12.カルグィラー/オトクン
13.ウルラップ チョルー/オトクン、アヤス、アンザット、モングンオール
14.ホーメイ、ボルバンナディル/モングンオール
15.ハチコ/オトクン、アヤス、アンザット、モングンオール
パート3 
16.エニル チィリドィス/ボロトオ、オトクン
17.シャーマニズム/出演者全員

パート2最後の「ハチコ」は、渋谷のハチ公のことを歌った曲!
巻上さんの話だと、パート2は、プログラムに発表された曲より、多めに披露してくれたようだ。道理で途中で「あれ?今、どの歌?」と迷子になってしまったわけだ。
アンコールにこたえて全員再登場し、巻上さんも加わってのセッション。
トゥバとアルタイを同じステージで見れるだけでも奇跡的なのに、こりゃ、凄すぎた。
トゥバのモングンオールも凄かったが、アルタイのタンダライに至っては、想像をはるかに越えた存在だった。終演後に、巻上さんにお会いして挨拶したときにも、タンダライに感動したことばっかり喋ってしまった。
http://makigami.com/makigaminews/2013/08/post-91.html

http://www.minpaku.ac.jp/museum/event/slp/130908

「のど歌のふるさと」でタンダライに衝撃受ける前、EXPO’70パビリオンを見に行った。
大阪万博の貴重な資料や映像が山ほど展示してあって、30分ほどで駆け足で見たけど、こんなに充実しているのなら、少なくとも後2時間はかけてじっくりと見たかった。
ホワイエでは鉄の音響彫刻「池田フォーン」などが展示されており、「私の大阪万博 思い出の品展」が開催されていた。
常設展では、スタンプシートに当時の記念スタンプを押せたし、万博で上演された音楽(現代音楽!)が流れるコーナーがあったり、さらに、今日はビデオ上映として、「三菱未来館の記録」が流れており、円谷英二がキラウエア火山を撮影したとか、貴重な写真や映像が見れた。(残念ながら、時間の都合で途中まで!)
各パビリオンのパンフレットも見ものだったし、やはり、これは1日コースかな。http://www.bmkkc.or.jp/expo70pavilion/index.html

タワーレコードNU茶屋町で、Aellのインストアライブを見てきた。
到着したら既にはじまってたけど、たぶん、1曲めだったと思う。
と、いうわけで、2曲めからは。
2.シンデレラ・サマータイム
3.ハリケーン・ガール
4.エブリバディ・セイ
衣装に気合が入っているわけでもなく、歌もダンスも格別優れていないのだが、きれいな女性たちであることは確かで、ちょっとゆるめのこういう持ち味も癒されるんだな、と思った。

大阪・日本橋のアートスペース亜蛮人に行って、1階「はきたすおもい」おおうえなおこ個展、2階「虫食み展」西塚em個展を見た。
おおうえなおこ作品は少女をそのポーズや表情で描きだしており、西塚em作品は処女を幼虫などとの絡みで投影させていた。
僕のような男にとっては、処女も少女も厄介だけど、愛おしい。http://www.aband.jp/exhibition.html

尼崎のアルカイックホール・ミニに行って、小澤佳子「ソロとアンサンブルによる打楽展」を聞いてきた。
バラエティに富んだ打楽器の世界を堪能。
現代音楽でも、小難しくなく、楽しく聞けた。未就学児もウェルカムなコンサートだったので、優しい感じがした。
共演は藤本真基子(ピアノ)、アンサンブル・クライス(パーカッション)
以下、プログラム

ジークフリート・フィンク/小太鼓組曲
ウィリアム・クラフト/打楽器ソロの為のフランス組曲
一柳慧/マリンバとピアノの為のパガニーニパーソナル
(休憩)
スティーブ・ライヒ/木片の為の音楽
ネイ・ロウサロ/ブラジルの神話
モーリス・ラヴェル/ボレロ
(アンコール)剣の舞

ブラジルの神話では、神話のナレーションもあり、水の音や、風船を割る音、空き缶を投げ捨てる音など、いろんな音が使われていた。
http://www.archaic.or.jp/event/hall/ongaku.html

ザック・スナイダー監督の「マン・オブ・スティール」見てきた。
スーパーマン・ビギニングというか、ストーリー的には終わった感ただよう映画だった。
馬鹿映画でもB級でもないせいか、スーパーマンの悲哀が全編を覆っていて、決してスカッとするストーリーではない。
それでも、スーパーマンが触手と戦ったり、ドラゴンボールばりの空中での大立ち回りは、うひゃ~っと驚いた。この早さは、横綱・柏戸が電車道で相手を土俵の外に出す取組にも匹敵する、と思った。


なんば紅鶴でジェフリー・シュヴァルツ監督の「SPINE TINGLER! ウィリアム・キャッスル・ストーリー」を見てきた。
1950年~60年代にかけて、数々のB級ギミック映画を世に送り出したウィリアム・キャッスルの一代記。
恐怖のあまり死亡したら保険金がおりる、というシステムで上映し、映画館内には本職の看護婦が待機していた作品とか、
物語のクライマックスで、これ以上怖くて見られない人の退場時間を設け、途中で帰る人には返金を約束したり、
クライマックスで観客に札をあげさせて、結末を選ばせて、多数決でストーリーが決まったり。
スクリーンから実際にガイコツが出てくる「イマーゴウ」方式や、映写技師を襲って映画館内に殺人虫が侵入、恐怖のタイミングで座席が電気仕掛けで震える「パーセプトウ」方式など、面白そうな映画ばっかり!
なんと、カナザワ映画祭で、このパーセプトウ方式でウィリアム・キャッスルの「ティングラー」が上映されるそうだ。もちろん、パーセプトウ方式での上映は本邦初。
うらやましいな、金沢。
後藤友香「コレンクションさん」展@トランスポップギャラリー~くりかまき@タワーレコード京都~京都国際現代芸術祭のオープンリサーチプログラム、ドミニク・ゴンザレス=フォルステル@京都文化博物館別館ホール
後藤友香「コレンクションさん」展@トランスポップギャラリー~くりかまき@タワーレコード京都~京都国際現代芸術祭のオープンリサーチプログラム、ドミニク・ゴンザレス=フォルステル@京都文化博物館別館ホール
京都・出町柳のトランスポップギャラリーで、後藤友香「コレクションさん」展を見てきた。
絵本の原画なども展示されていたが、注目は、手書き文字で手作りされたコピー本。
こういう、手作りの感じって、大好物なのに、値段もきかずに買わずに出てしまったのが、悔やまれる!7日に京都行くからついでに寄って、そのときに買おう、と思ってたけど、京都行かずに尼崎に行ってたので、ちょっと足を伸ばせなかった。誰かもう買ってしまったかな。うう。

http://www.trancepop.jp/

タワーレコード京都に行って、くりかまきのインストアライブを見てきた。
くりか&まきの2人組。
1.HELLO!!
2.森のくまさん
3.アナログマガール
まきの誕生日を祝って、ハッピーバースデイを歌う。
くりかまきは、京都アイドルシティフェスタのメインステージで見て、面白いな、と思っていたが、つい最近、ドラヒップを見て、「あれ?くりかまき?」と思ったので、注目度がアップしていたのだ。
実際に、またくりかまきを見てみたら、ドラヒップとは根本から違うものだった。
どっちも好き!

京都文化博物館別館ホールに行って、京都国際現代芸術祭のオープンリサーチプログラム、ドミニク・ゴンザレス=フォルステルのパフォーマンスを見てきた。
作家に話を聞くトークイベントなのかな、と思ってたら、それは罠で、最初から最後までパフォーマンスだった。
ビビアン・リー扮するスカーレット・オハラになりきったドミニクが登場し、キーボードに打ち込んだ文章がスクリーンに大きく映し出される。
音楽が「風と共に去りぬ」~ソニック・ユース~オペラ「嵐が丘」~レスリー・ワイナーへと移るにつれて、ドミニクは、映画のせりふや、歌詞などの文字を打ち込む。
後半は、スクリーンの前におりてきて、キャラクターに扮することなどについて、休みなく語り続ける。
そして、突然話をうちきって、沈黙が続いたあと、スカーレット・オハラの衣装のまま優美に退場するのだ。
不意打ちのパフォーマンスで約1時間、夢のような時間だった。
http://www.parasophia.jp/events/a/dominique-gonzalez-foerster/

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