正午からディスクピア日本橋で時東ぁみのインストアイベント。
ライブは3曲。
この涙があるから次の一歩となる
発明美人とパインナッポー!!
せんちめんたる じぇねれ~しょん
1曲目終了後に、4月1日の中野サンプラザでのワンマンコンサートの映像も流れた。
個人的には「21世紀まで愛して」がベスト!
この日、時東ぁみは心斎橋駅から日本橋まで歩いたらしい。
グリコ、かに道楽、くいだおれを経て、グランド花月前で吉本の人形焼きカステラを試食、ひと袋買って食べたそうな。
ライブは歌もしっかりしているし、振り付けのキレもいいし、MCも楽しいし、松浦亜弥の再来かと思った。
メガネさえかけていなければ、言うことないのに。
「ちちんぷいぷい」のカメラが入っており、いつか放送されるらしい。

午後1時から天王寺公園でSTSライブ。
フレーズ/No.1
プリッツ/キング&クイーン
プリッツの自己紹介。ユキが2人いるので2人めを「ユキ2」と呼ぶらしい。
1曲終わったあと、自己紹介のために移動する際、リーダーのマヤが「フウ〜」と声を漏らしたのが萌え度アップ。
プリッツ/ゴー・アヘッド
TOUCH/ラブ・ラズベリー・ジュース
TOUCHの自己紹介。台本を覚えて読むだけでない、ちゃんとしたおしゃべりになっていた。
TOUCH/ラブ・ライク・キャンディフロス
ミューズ/瞳は元気なブルースカイ
ミューズの自己紹介。橋本梨世の思いがけずのベタベタの大阪弁がよかった。
ミューズ/kitto…
ミューズ/ちょっとだけMY LOVE
ミューズは6月21日にメジャーデビューが決まっており、最後の「ちょっとだけMY LOVE」はそのCDバージョンで歌われた。

夜になって、味園ビルの銭ゲバに行く。
この日はSAKURA JYOの3人が来店していたのだ。
DJアイドルのchami
http://groove-room.com
レースクイーンの秋篠くるみ
http://kuruminet.com/
ミスコンクイーンの末永かおり
http://www.geocities.jp/kaori_suenaga_photoroom/
3人はコスチュームも露出度高く、気さくに話しかけてきてくれる。
いや〜、今日はいろんなタイプのアイドルちゃんたちを見たな〜。
佐々木まこと動物写真展を見に行った。
玉出のGALERIA DOMA。やっぱり猫が可愛いニャ〜。
ただ可愛く撮っているだけではなく、笑える写真が多いのが、面白い。
あっ、あれ見てみい!と指摘したくなるような絶妙のタイミングで、シャッターを切っているのだ。

モーニング娘。コンサート「レインボー7」を見に行った。
午後3時30分より、フェスティバルホール。
前日に紺野と小川の卒業が発表されたばかり。この2人がいなくなるのは、とても寂しい。
以下、曲目。
1.HOW DO YOU LIKE JAPAN?〜日本はどんな感じでっか?〜 (「レインボー7」収録)
2.THE マンパワー!!!
3.Go Girl 〜恋のヴィクトリー
大画面で出身地とともにメンバー紹介
4.SEXY BOY〜そよ風に寄り添って〜
5.パープルウインド(「レインボー7」収録)
MC(紺野、小川卒業の報告)
6.色っぽい じれったい
7.愛あらばIT’S ALL RIGHT
8.友達(♀)が気に入っている男からの伝言(No.5」収録。 吉澤/高橋/紺野/小川/新垣/藤本/田中/亀井)
寸劇(8人そろってレインボー7!「レッド」小川、「ブルー」吉澤、「グリーン」藤本、「イエロー」新垣、「タコヤキ」亀井、「イカヤキ」紺野、「お好み焼き」高橋、「ヤキモチ焼き」田中)
9.レインボーピンク (「レインボー7」収録。重ピンク(道重)/こはっピンク(久住) )
10.銀色の永遠(「MIKI1」収録。藤本美貴 )
11.NATURE IS GOOD! (「大阪 恋の歌」カップリング曲。吉澤/高橋/紺野/小川/新垣/亀井/田中 )
MC(巻き物写真集のリストバンド。新垣/亀井/田中)
12.無色透明なままで (「レインボー7」収録。吉澤/高橋/紺野/小川/藤本)
13.大阪 恋の歌 (高橋愛ソロ。ダンス凄い!)
14.レモン色とミルクティ(「愛の第6感」収録。新垣/亀井/田中/道重/久住)
15.青空がいつまでも続くような未来であれ! (「レインボー7」収録)
16.ザ☆ピ〜ス!(大画面で、コンサートステージでのライブ風景。2番からメンバー登場)
17.INDIGO BLUE LOVE(「レインボー7」収録 新垣/亀井/田中)
18.恋は発想 Do The Hustle! (「直感2」カップリング。吉澤/高橋/紺野/小川/藤本/道重/久住)
19.直感2〜逃した魚は大きいぞ!〜
MC(道重「よし、今日もオオサ可愛い!」)
20.女子かしまし物語3(「レインボー7」収録)
21.浪漫〜 MY DEAR BOY 〜
22.なんにも言わずにI LOVE YOU(「いきまっしょい!」収録)
アンコール
23.ラヴ&ピィ〜ス! HERO がやって来たっ。(「THEマンパワー!!!」カップリング曲)
24.さよならSEE YOU AGAIN アディオス BYE BYE チャッチャ!(「レインボー7」収録)
終演は、映画のエンドロール風。
グッズ販売は、いつものことながら、長蛇の列。Berryz工房のときはそれほどでもなかったから、客層が違うのだろう。
今回のライブでは、卒業してしまう紺野を意識的に網膜に焼きつけようとした。
それでもついつい目が行ってしまうのは、久住だった。
久住小春のアイドル性たるや、今、それに匹敵する人を探しても、全く思い付かないくらいに、独走中だ。あっ、嗣永桃子がいるか。この2人はすごいな。もはや人間の域を超えている。
レインボーピンクで道重と久住が2人で口パクで踊るのだが、道重のファンだったはずの僕が、久住に鞍替えしちゃったほどだ。久住のアイドル性の前では、道重も、近所のちょっと可愛いけどダサイ姉ちゃん程度にしか見えない。道重よりも久住の方が上だとなると、モーニング娘。内では久住に対抗できる人材はいない。可愛いだけなら紺野がいい勝負するのだが。

湊町リバープレイスで、K-SAPのストリートイベント。
おかめふくが出るというので、見に行った。
おかめふくはトリで、午後7時42分からはじまった。
以下、曲目。
1.ハッピーラッキーデイ
2.FLY!!
3.いいお天気
4.おかめふくソング
ピアニカとウクレレ。
全体にしっとりとした構成だった。
この日はなんばハッチでキッズドリームというイベントをしており、そのイベントのダンスコンテストに出場した子供たちが客席でノリノリになっていたりして、いつもと違う雰囲気だった。
このストリートイベントは、今後も毎月最終土曜日に開催予定らしい。
夜になると、ちょっぴり肌寒いが、手拍子などしていると、心身ともに温まった。
ORC200のヴォーカルクイーンストリートライブを見に行った。
以下、簡単な感想。
オープニングはD.i.peaceのダンス。約30分間。
増井万帆/「キラキラ」(aiko)、「STARS」(中島美嘉)を歌う。
リトルキャットの千里こどもカーニバルの宣伝などしていた。16歳。
池真衣/「愛のために」(上戸彩)、「Butterfly」(倖田來未)を歌う。
「愛のために」は突然歌いたくなった、と当日選曲を決めたらしい。
工業系高校の新入生で、男子ばっかりかと思ってたら、女子も多かったとか。
馬場綾乃/「ハナミズキ」(一青窈)「ミラクルタイム」(中島美嘉)
京都新風館でのライブ告知など。
河野真実/「泪月-oboro-」(RUI)、「LOVE,needing」(倉木麻衣)
リトルキャットのイベント告知、後日開催のティーンズ部門コンテストに出場するとか。
河野真実ちゃんはバラードが好きだと以前言っていたが、今回の倉木麻衣の曲みたいに、ダンスを織り込むと、一層の魅力を増すと思う。
ここで、再び、D.i.peaceのダンス。1回目と内容は同じ。
畠山智早/「VALENTI」(BoA)ごめん!曲目を書いた自分のメモの字が読めない!2曲歌った。
畠山智早の良さは、客席をあたためる術を知っていることにある、と思う。
大河内美紗/1曲目読めない!「亜麻色の髪の乙女」(島谷ひとみ)、「解放区」(島谷ひとみ)全部で3曲歌った。
クラリオンガールデビューゲートでグランプリ、雑誌『De-View』にインタビュー記事が載っているとのこと。イベント終了後、早速書店にて確認。
Baby Black/まずは山口富久美ソロで、「オールウェイズ・ラブ・ユー」(ホイットニー・ヒューストン)ホイットニー定番の歌い方を真似することなく歌い上げた。2曲目、3曲目は三國里奈と2人でオリジナルの「ノー・モア・ハンド」と「空」を歌う。
ORC200のガイドでこのBabyBlackの2人がモデルとして写っているけど、こうして写真で掲載されているのを見るのと、実際に歌っている姿を見るのとでは、随分と印象が違うものだなあ、と思った。写真だと、普通の「可愛い女の子」なのに、ステージは「堂々」なのだ。

KAIKETSU!赤頭巾侍

2006年4月27日 読書
鯨統一郎の『KAIKETSU!赤頭巾侍』を読んだ。
時代ミステリ。
頃は元禄。浪人、久留里一太郎は津無時円風流の剣の使い手である。
正義感あふれる彼は、何か事件が起こったときくと、瓦版屋の勘太にだれが下手人なのかを聞きに行く。
瓦版屋の常で、信憑性の薄い根拠で勘太は「だれそれが下手人です!」とワイドショー的決めつけで犯人を告げる。
検証もせぬまま久留一太郎は、赤頭巾で顔を隠して、その下手人を問答無用でバッサリと斬る。
一件落着と思いきや、同心の小田左右衛門之丞和正に聞くと、何と犯行当時のアリバイがあったりして、下手人だと思っていた人物が容疑からはずれていたことがわかる。
こそこそ逃げ出す勘太。
トッホー、イッケネーと焦る一太郎は、とっさに、自分が斬ってしまった人物が真犯人だったと推理を展開する。
本の帯にある「え!?下手人、こいつじゃなかったの!?やばい。斬っちゃったよ…」どおりの話が、8編入っている。
「山吹の好きな狼」
被害者と同じ格好をしたニセモノを使って、犯行時刻をごまかし、アリバイを工作した、と推理。
「川を渡った狼」
叩き斬った「下手人」には現場の川向こうに別の侍と一緒にいたアリバイがあった。
橋の途中で方向転換し、実は現場のすぐ近くにいたのだ、とアリバイ崩し。
「密室の狼」
密室の事件。丸太の中に犯人はひそんでいたと推理。
「湯煙に消えた狼」
湯屋での殺人。犯人は男で、女に化けて女湯から逃げた、と推理。
「走り抜けた狼」
まっすぐな道と、くねくね曲がった道。犯人はまっすぐに走って逃げたが、叩き斬った「下手人」は曲がった道の方にいた。
くねくね曲がった道をまっすぐ走ったのだ、と推理。
「雪化粧の狼」
雪の上に足跡がない。
下手人は川の中に入って、橋をかけかえたのだ、と推理。
「狼の群れ」
辻斬りの話。
「甦った狼」
仇を示す「のり」は法源和尚のことだった。
この連作では、下手人と思い込んで斬る相手が、それぞれいろんな流派の剣術の使い手で、それに関する豆知識が披露される。
鯨統一郎の作品につきものの雑学コーナーだ。
それと、同心の小田左右衛門之丞和正がホモで、一太郎にひそかに思いを寄せており、話のしめくくりはこの小田のモノローグで終わるパターンになっている。
その独り言は「愛を止めてくれるな。そこから逃げるでない」など、小田和正の歌詞からとった台詞になっている。
赤頭巾が狼を退治する時代ミステリ、って、既に誰かが作品化していてもおかしくない設定なのに、僕のザル頭では、他に思い付かない。
謎があってそれを解くのでなく、何でもなかったはずの事件にトリックを見い出すのは面白い。
着想の妙、というやつか。
みうらじゅんの『お悩み祭り ひょっとこ篇』を読んだ。
本書の面白さは、寄せられた悩みの面白さが大半で、その悩みを題材にしてみうらじゅんがエッセイを書いているという体裁。
「兄が『クソッ!』と言うと母は『まあ、お下品な。「うんこさん」と言いなさい』と注意します。『なにくそ』は『なにうんこさん』、『くそったれ』は『うんこさんたれ』だと言うのですが、本当でしょうか。私は将来、玉の輿に乗りたいと思っているので、ぜひ教えてください」
などなど。
逆に、回答が面白いなあ、と思ったのは、次の質問に対するみうらじゅんの発想。
「私は大学生なのですが、あまりにも大学の課題が面白くなく、何の役に立つのか疑問に思えてしまい、全く課題が進みません。どうしたら、課題がサクサク進むようになるのでしょうか?」
悩みの方は、まっとうな質問で、普通だ。
みうらじゅんの回答は「教育とは飲み屋で盛り上がるためのネタなのです」というもの。
共通の話題として、無駄な知識が有効だ、というのだ。
飲み屋でのあるあるネタを仕入れるために学校教育がある、というのは、楽しい視点だ。
解消されることを前提で、悩みを多く思い付くのは、楽しそうだ。
僕は今まで悩みなんて持つ方がおかしい、と思ってたが、悩んでみるのも楽しいかも。
あくまでも、悩み続けるのは無しで。

大衆の反逆

2006年4月25日 読書
ISBN:4480082093 文庫 神吉 敬三 筑摩書房 1995/06 ¥924
オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』を読んだ。
20世紀初頭の本なので、現代そのものの分析として読むと、間違う部分もあるかもしれないが、本書でオルテガが言うように、現代は、あまりにも歴史に無知なために危険な状況を生み出している時代なのだ。
そして、前言を翻すかのようだが、この本は歴史とレッテルをはってしまうには、今の時代にあてはまる部分が多い。
以下、目次と、中での引用や気になった部分のまとめ。
ジャーナリスティックなエッセイなので、厳密な正確さに心を砕く論文とは違って、読者の興味をひきつけて、最後まで読ませるだけの文章の工夫がみられる。
どれだけ名文句が飛び出すのかは、実際に読んでもらうにかぎるが。

第1部 大衆の反逆
1、充満の事実
「今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである」
2、歴史的水準の向上
「われわれは今日、平均化の時代に生きている。財産は均等化され、相異なった社会層間の文化程度も平均化され、男女両性も接近しつつある。そればかりではなく、諸大陸も均等化しつつあるのである」
3、時代の高さ
「真の生の充実は、満足や達成や到着にあるのではない。セルバンテスは、かの昔に「宿屋よりも道中の方がよい」といっている」
「他のあらゆる時代に優り自分自身に劣る時代。きわめて強力でありながら、同時に自分自身の運命に確信のもてない時代。自分の力に誇りをもちながら、同時にその力を恐れている時代、それがわれわれの時代なのであろう」
4、生の増大
「われわれの生きている時代は、信じがたいような実現への能力が自分にあることを感じながらも、何を実現すべきかを知らない」
5、一つの統計的事実
経済学者ヴェルナー・ゾンバルトが紹介したデータによると、ヨーロッパの歴史がはじまった6世紀から1800年にいたるまで、ヨーロッパの人口は1億8千万を越えたことは一度もなかった。ところが1800年から1914年の間にヨーロッパの人口は1億8千万からいっきょに4億6千万に増大したのである。
6、大衆人解剖の第一段階
19世紀の自由主義的デモクラシーと科学的実験と産業主義の原理が大衆を生み出した。
「大衆人の心理の2つの特徴は、自分の生の欲望の、すなわち、自分自身の無制限な膨張と、自分の安楽な生存を可能にしてくれたすべてのものに対する徹底的な忘恩である」
「飢饉が原因の暴動では、一般大衆はパンを求めるのが普通だが、なんとそのためにパン屋を破壊するというのが彼らの普通のやり方なのである」
7、高貴な生と凡俗な生−あるいは、努力と怠惰
高貴な人とは「世間に知られた人」の意味。
高貴なる生は、凡俗で生気のない生、つまり静止したままで自己の中に閉じこもり、外部の力によって自己の外に出ることを強制されないかぎり永遠の逼塞を申し渡されている生と対置される。
「大衆の魂の基本構造は自己閉塞性と不従順さからなっている」
8、大衆はなぜすべてのことに干渉するのか、しかも彼らはなぜ暴力的にのみ干渉するのか
大衆は大衆でないものとの共存を望まない。いや大衆でないものに対して、死んでも死にきれないほどのにくしみを抱いているのである。
9、原始性と技術
科学に対する無関心がはっきりとあらわれているのは、技術家大衆−医者、技師等々である。
平均人が科学から受ける恩恵と、平均人が科学に対して抱かない感謝の念の不調和。
10、原始性と歴史
今日の最も教養のある人々が、信じられないほどの歴史的無知に陥っている。
11、「慢心しきったお坊ちゃん」の時代
遺産相続以外なにもしない相続人
12、「専門主義」の野蛮性
「ニュートンは、多くの哲学的知識を必要とせずに彼の物理学体系を創造することができたが、アインシュタインは、彼の鋭い総合に到達するために、カントとマッハに没頭しなければならなかった」
13、最大の危険物=国家
「大衆が自ら行動するときは、ただ一つの方法によって行動するのみである。それは私刑(リンチ)であり、彼らはそれ以外の方法をもっていない」

第2部 世界を支配しているのは誰か
14、世界を支配しているのは誰か
「世界は今日、重大な道徳的頽廃に陥っている。そしてこの頽廃はもろもろの兆候の中でも特にどはずれた大衆の反逆によって明瞭に示されており、その起源はヨーロッパの道徳的頽廃にある。ヨーロッパの頽廃には数多くの原因があるが、その主要なものの一つが、かつてヨーロッパ大陸が自己およびその他の世界のうえに行使していた権力が移動したことである。つまり、ヨーロッパは自分が支配しているかどうかに確信がもてず、その他の世界も自分が支配されているかどうかに確信がもてないでいる」
15、真の問題は何か
「問題は今やヨーロッパにモラルが存在しないということである。それは、大衆人が新しく登場したモラルを尊重し、旧来のモラルを軽視しているというのではなく、大衆人の生の中心的な願望がいかなるモラルにも束縛されずに生きることにあるということなのである。諸君は若者たちが『新しいモラル』を口にするときはそのいかなる言葉も絶対信じてはならない」
大阪城の花彩祭「S1ミュージックバトル」に、おかめふくが出場するというので、見に行った。
正午と3時の2回ライブがあったようだが、僕は2回目の午後3時からの回のみ見た。
天気もよく、花粉症も軽い。とうとうマスクなしで過ごすことにした。タイガーマスクを脱いだ三沢みたいなもので、爽やかだ。
ぽかぽかといい気分。
午後3時20分からはじまったおかめふくのライブ曲目は次のとおり。
1.いいお天気
2.ココロビーダマ
3.おかめふくソング
ギター伴奏あり。ピアニカ、ウクレレ、鈴も登場し、ほんわかした心地よさを感じた。
ひなたぼっこ、ってこんな風だったけ。
見に来ていたサウンドアーチスターの安井くんと、NHKで珈琲を飲む。

今日読んだ本は前田律子の『居候としての寺山体験』
天井桟敷の演劇に演出などで関わっていた著者が語る、寺山修司の思い出。
NHKの「知るを楽しむ」で美輪明宏が寺山修司を語っている。
5月4日の命日が近い、ということもあって、自分のなかでは寺山が再燃してきている。
寺山は僕がまだ学校に勤務していた頃、「レミング」の大阪公演中に死んだ。
それ以来かなりの年月がたち、寺山の新作がないのはもちろん、寺山を知り、語る人の老齢化も気になっていた。
「若い人は会ったこともないでしょうけど、私は寺山のいろんなことを知ってるんですよ」的な老人めいた物言いは、聞きたくないものだ。
この前田律子の本は、寺山に怒られた話とか、身近なエピソードが多い。
マスコットで飼っていたリスがクッションの下で寝ているのも知らずに、寺山がその上で寝転がり、圧殺してしまうエピソードとか。寺山は言葉もなくその場を立ち去ったという。
あるいは、大山デブ子の犯罪のオーディションで、肥満の女性を募集したが、1人も応募がなく困ったエピソードとか。ただし、宣伝では、デブの女性が列をなしたことになっていた。
1メートル以上の大蛇を身体に巻く!と宣伝された蛇は30センチ程度だったとか。
狼少女愛子はおばあさんだったとか。
舞台に蛍光塗料塗ったネズミを大量に走らせる演出を考えたが、皮膚呼吸できずにねずみがバタバタ死んでいったとか。
寺山に怒られた話は、「そりゃ、僕でも怒るな」というエピソードが多くて、著者の当時の駄目っぷりを示すものでしかないが、アングラ演劇に転がり込んだ家出少女に実務がバリバリこなせるはずもない。九條映子は別として、変人奇人ダメ人間の集団をよくぞ切り盛りできていたものだ、と思う。
巻末に、「疑似家族その頃」と題した座談会が載せられている。
前田律子、九條今日子、東由多加が語る。
語っているのは現代のはずなのに、60年代にタイムスリップしたかのようだった。
それぞれがかなりの年齢のはずなのに、座談会のメンバーの顔は、僕の頭の中では若かった。
寺山修司に触れて熱中したのが20才くらいだったからなのか、寺山と「若さ」はセットになっている。
京都で「奴婢訓」を2回見たり、寺山のトークイベントも見に行って、寺山の顔を直接見たり、「レミング」の大阪公演を全回見たり、熱中しているまさにその最中に、寺山は死んでしまったのだ。
寺山の死以来、僕はずっとこう思っている。
寺山修司は、今、地団駄踏んでくやしがっているにちがいない。
だって、僕と知り合えなかったんだから。
ATCのダンス&ボーカルフェス予選を見に行った。
10組がエントリーしていたが、そのうち、半分の5組が決勝に駒をすすめた。
その5組は以下のとおり。ヒアリングや表記が正しくないかも。
ダンシングヴィガー(男1人、女3人。今回の予選で、男子は彼1人だけだったと思う)
ZIGU-ZAGU(中1の女子2人)
ホームガール(小2の女子2人)
リズピト(女子7人。「ピト」はタガログ語で「7」の意味)
ドクターピエロ(小4の女子6人。僕がふだんよく履いているCOPOのカラフルな靴下をみんなではいていた)
大会の名前は「ダンス&ボーカル」だけど、決勝に残ったのはダンスのみのチームだけだった。
予選に出た10組のうち、ボーカルは2組だけで、僕が見るかぎり、決勝に残っても遜色ないものだった。「この大会は歌をうたうと不利だ」なんて傾向と対策ができてしまうとつまらないので、何としても残ってほしかったのだが。
残念ながら涙をのんだ5組は、次のとおり。ヒアリングはさらに怪しい。興味のある人は、詳しい人に聞くかネット検索などで調べてください。
セブンアップ(小6の7人)
エムエー(2人)
ビー玉(小3の2人)
ラピストリ(5人。ボーカルで参加。SweetSの「ミエナイツバサ」を歌って踊った)
ひらはらまなみ(ボーカル。ラピストリの子。BoAや倖田來未が好きなんだって)
開催場所が海の近くで、海をバックにダンスのチェックに余念のないキッズたちを見るのは、清清しかった。また、審査発表時に、合掌して祈っていたのも空しく予選落ちしたチームのメンバーが、海面を見つめている姿には心を動かされた。
今回落ちたチームでも、第2回、3回の予選に出場することは可能なようだ。また出て来てもらいたいものだ。
なお、審査のあいだに、SHALE APPLEのライブもあった。

読んだ本は赤瀬川原平の『自分の謎』
目の問題
痛い問題
国境問題
一つだけの問題
強い自分 弱い自分
と章立てされていた。
「目の問題」では、以前に読んだ『目玉の学校』でも触れられていたことが再説されている。
鏡を見たときに、鏡の自分に見られていると思うか、あくまでも自分が見る側に立つか、とかそんなこと。
「痛い問題」というのは、たとえば、爪を切ったとき、爪は自分なのか、違うのか、という疑問からはじめられている。肉体の一部を切ったとき、どちらが「自分」でどちらが「自分でなくなったもの」なのかを決めるのは、痛い側が、自分なのだ。と、そんなことを書いている。
「強い自分 弱い自分」では老人についても触れていた。
各ページにイラストつきで、考える絵本、という感じ。
「自分」っていうのは考えれば考えるほどわからなくなってくる。
でも、僕は「自分」をつきつめて考えるのはやめて、拡大解釈していくことにしている。
自分と非自分の境界を極力なくして、広く広く考えていきたい。
これは、てっとり早く言えば、自分のことについては考えない。自分なんてない、ということなのだ。
こういう方針にしたのは十代に自分のことを頭が痛くなるほど考えていたときからだ。
そのときは、1ヶ月ほど寝巻きのままでベッドと食事やトイレのときだけ動くような生活を送っていた。自分は幽霊みたいだ、と思っていた。
今、考えてみると、そんなふうにつきつめて考えたのも、「自分」なんかないと結論づけて抜けたような性格(今の僕だ)になってしまったのも、自意識過剰のなせるわざ。ナルシシストの自己防衛でしかない、と思える。だからといって、自分的にはこの考え方でいろんな面で楽になっているので、変えるつもりはまったくない。自分を卑下したり、自己嫌悪に陥っているのなら、自分を変えるか、自分をなくせばいいだけの話なのだ。そんな簡単なこともせずに悩むのは、悩み好きなのだとしか思えない。自分で勝手に悩んでいるのは、ひとり遊びだから、自由にやってくれればいいのだと思う。悩んだり、苦しんだりしないと達成感がないとか、生きている実感湧かない人もいるので、大いに悩んでいただきたい。ただし、僕は悩まない。
大阪市立大学「第1回ふたば祭」に行く。
12時半からのWAVEステージでのダンシングBANANAがお目当て。
以下、曲順。
1.軌跡
2.大航海ランドスケープ
3.ダンデライオン
4.イッツオーライト
5.世界中のこどもたちが
自己紹介のときに、ゆいがダンスしたり、かよがラップしたり、とアピールたっぷり。
ただ、マイクがいつものようなワイヤレスではなかったので、「イッツオーライト」のときにレナが歌い出したとき、線が抜けており、生声になっていた。ダンスもいくぶんやりにくそうな感じだった。でも、いつものダイナミックなダンスを見ているからそう思うのであって、ダンスのクオリティーは決して低くない。
ふたば祭は当然のことながら、大学生でいっぱいだ。ダンシングBANANAは中学生と高校生(なったばかり)のユニットだ。表現者と普通の学生の差なんだろうけど、大学生たちを見ていると、みんなおとなしすぎて、今までどんな人生歩いてきたんだ、と考えたりした。
ところで、市大、行きは地下鉄あびこ駅から歩き、帰りはJR杉本町駅を使ったのだが、あびこ駅周辺の充実ぶりと、杉本町駅周辺の田舎っぷりは対照的だった。
行く途中に集合住宅がいくつも並んでいる場所もあり、気持悪かった。
僕は住宅街が気持悪くてしかたない。
「なに住んでるねん!」と何回もツッコミをいれながら歩いた。
住むのに最適な場所とは、住まずにおれる場所だと思っている。

Berryz工房コンサートツアー2006春〜にょきにょきチャンピオン〜 大阪厚生年金大ホール午後6時30分の回を見に行った。
以下、曲順。
1.Berryz工房行進曲(2ndアルバム「第2成長記」収録。オープニングの映像から、メンバー登場してのライブ)
2.ギャグ100回分愛して下さい(9thシングル)
3.恋の呪縛(5thシングル)
MC(自己紹介。「1階席、2階席」は茉麻。桃子は「みなさんの笑顔ゲット」)
4.ジリリ キテル(10thシングル。会場スクリーンはPV)
5.秘密のウ・タ・ヒ・メ(「21時までのシンデレラ」カップリング曲)
6.21時までのシンデレラ(8thシングル)
7.さぼり(2ndアルバム「第2成長期」収録)
寸劇(バスケット部に条件すべてクリアの熊井が入部してくる)
8.女子バスケット部〜朝練あった日の髪型〜(2ndアルバム「第2成長期」収録)
9.なんちゅう恋をやってるぅ YOU KNOW?(7thシングル)
10.愛する人の名前を日記に(2ndアルバム「第2成長記」収録。会場スクリーン映像のみ。今年小学校を卒業した熊井が赤いランドセル姿で映像にうつりまくる。最後は、ステージに熊井が出て来て、ランドセルを置く)
11.BERRY FIELDS(「あなたなしでは生きてゆけない」カップリング)
12.かっちょええ! (「ピリリと行こう!」カップリング)
13.あなたなしでは生きてゆけない (1stシングル。夏焼、菅谷。後半、清水のソロダンスがある。これがすごいのすごくないのって、すごい!)
14.安心感 (1stアルバム「1st超ベリーズ」収録。熊井。ブリブリアイドルだ〜)
15.夢でドゥーアップ (「なんちゅう恋をやってるぅ YOU KNOW?」カップリング。嗣永・徳永・須藤)
16.恋してる時はいつも…(「スッペシャル ジェネレ〜ション」カップリング)
17.ピリリと行こう!(3rdシングル)
18.ハピネス〜幸福歓迎!〜(4thシングル)
19.スッペシャル ジェネレ〜ション(6thシングル)
MC
20.友情 純情 Oh 青春(「ハピネス〜幸福歓迎!〜」カップリング)
21.ありがとう!おともだち。(ミニアルバム「スッペシャル!ベストミニ〜2.5枚目の彼」収録)
終演後の客出しは「.Berryz工房行進曲」
とにかく、熊井好きにはたまらないコンサート。ついこの前まで小学生だった熊井の身長が171センチって!ダンシングBANANAのちひろも同じく中学1年で、身長高いし、なんか重なる。
後で知ったのだが、夜9時から心斎橋大丸前で「おかめふく」の路上もあったそうだ。
これも寄りたかった。
なんばBEARSで「ベアーズ工房」イベント。
午後6時30分からで、出演は以下の多数!
鉄腕ナガイ/ 邪王院弘 / 佐伯誠之助 / NO.305 / いとこ三兄弟 / 丼野M美 / だみあん /北村早樹子 / ヘルメッツ / やすみあけ / 野中ひゆ / 秒殺天使C5NE□/少女崇拝/めがねっ娘クラブ/ちやじ半
僕は「鉄腕ナガイ」「いとこ三兄弟」で参加。
「いとこ三兄弟」は天才てれび君MAXの紙フトタッチダウンを3人で遊ぶ。ダンスは「未来はジョーキゲン」
「鉄腕ナガイ」は「GO AHEAD」をただ踊るだけだが、片腕が異常に長い。
あと、「丼野M美」のステージで、ラブ&ベリーの「まちでうわさの」にあわせて、ゲーム通りにリズムをとる。本来なら、リズムがはずれて、丼野が相撲取りやパジャマに「ドロン!」と変身してたはずだ。
ライブのトリは「ちやじ半」佐伯誠之助と邪王院弘を配しての強力布陣でライブをしめくくった。
ライブ終了後の物販タイムに、このライブのために岡山から駆け付けた三宅くんとサウンドアーターの安井くんとのトークユニット「やすみあけ」がバックグラウンドMCをつけた。
今回はかなり多くのお客さんに来ていただき、ありがたかった。
僕はこのライブの日限定で小説集『反射ノベル』を作って、1冊200円で販売した。
ネットに載せるのをはばかる8編の非道い話を集めたもので、文字もイラストも手書きコピーというローテク。僕が作るものはどうしていつもアングラになってしまうのか。
売れ残ったものは三軒茶屋のフジヤマに置いてもらうことにした。
反射ノベルの雰囲気は、以下のURLで。
http://hansya.bblog.jp/
次回のベアーズイベントは、8月25日(金)「真夏の採点」
売り上げをそのまま打ち上げで使った。
打ち上げにはミック宮川や邪王院弘、佐伯誠之助などなど集まって、1時まで。
ギャちゃんに手相を見てもらった。僕はあと3年後、4年後くらいに絶頂期を迎えるらしい。また、「人のことを軽く見る傾向がある」との指摘も。そういえば、この打ち上げでも失礼な発言をいろいろ飛ばしていたかもしれない。
打ち上げ後、多くの人は味園ビルに向かった。
僕はラジオ「ハロプロやねん」を聞くために二次会には参加しなかった。
と、いうか、夜勤明けのままライブに突入していたので、さすがに睡眠を体が必要としていたのだ。

読んだ漫画は『喰いタン』3巻まで。
テレビドラマはまったく見ていなかったが、タイトルを見て、あれ、これ何だったっけ、と思って読んでみた。わけわからないけど、名前だけ覚えていたのだ。『ミスター味っ子』の寺沢大介らしく、グルメ探偵もので、食にまつわる雑学が事件を解くカギになっている。グルメ探偵というと、ネロ・ウルフなんかすぐ思い浮かべてしまうけど、この『喰いタン』は大食いのフードバトラーにイメージが近い。
食べっぷりがよくて、めちゃくちゃおいしそうに見える。
3巻までの本だと思ってたけど、いったん休載したあと連載を再開しており、5巻まで刊行中だった。
先日読んだ泡坂妻夫の本を読んで、奇術、ミステリーと料理の関連に目を向けたばかりだったので、興味深かった。ミステリーと奇術は大好きだったが、料理やグルメについては全くの未踏の地だったのだ。普通のグルメものを読む気にはなかなかならないが、こういうミステリー絡みだと、僕でも入りやすい。面白かったし。
田代裕彦の『平井骸惚此中ニ有リ〈其貳〉』を読んだ。
大正時代を舞台にした探偵小説第2弾。
探偵作家、書生、華族跡取り、洋館での殺人。
講談調の語り口もあいまって、雰囲気はバッチリ。
それなのに、何か満たされないものが残るのは何なんだろう。
田代裕彦の国語力は見るべきものがあるのだが。
長男が死亡し、次男、三男、四男がお互いに命を狙う。
三男は次男の煙草に毒を仕込む。
その事実を知った四男は、三男の殺害をもくろむ。
次男はほうっておいても毒で死ぬのだ。
こういうわりと古典的なプロットは、推理小説らしくて面白いのだが、他の可能性を否定して、論理的に真相を導く手順がまったくない。
なまじっか文章がきっちりしているだけに、真面目にミステリと思って読んでいると肩透かしをくらうのだ。
トリックは縄に硫酸かけておいて時間トリックを弄する、という程度で、まあ、コナンでも使わないようなレベル。
それと、本作では平井骸惚がアリバイトリックを見破ってもそれを明らかにしようとしない。教えてください、と言うと
「駄目だ。と言うか無駄だ。犯人を特定することはできない。それに余計にわからなくなってしまうことだってある」
とか言って、教えてくれない。挙げ句の果には、こんなことを言うのだ。
「素人探偵が殺人事件の捜査なんぞをしてはいけないんだ。探偵小説じゃあないのだからね」
その真意を聞くと、
「殺人事件というのは、大なり小なり多くの人の人生に関わることだろう。だが、素人探偵は事件にしか関わらない」
また「君らに調べられていることを知った犯人が状況を打破するために、本来ならば無用の行動にでることだって有り得るのだからね。それでは探偵が事件を起こしていることに外ならなくなってしまう」
さらに
「探偵の言うことは真実だが、事実だとは限らないんだ。探偵は自分が納得できてしまえばそれでいいのだからね。それこそが、僕が素人探偵が犯罪捜査をしてはならないと言う理由なんだ」
屁理屈はもういい!と僕は思った。富士見ミステリー文庫でこんなごたくを読まされたくない。作者はこれらの文章に傍点をふっており、「ここが重要ですよ!」と言っているのだ。そんな部分は、一番どうでもいいところなのに。
ラストでも「探偵小説には事件のことしか書かれていない。その後のことは書かれていないんだ」にはじまり、結局は「我々は現実は残酷だと知ってしまっているからね。だからこそ、僕は探偵小説を書くんだ」なんて言っている。
屈折せずに、素直に謎を解けばいいのに。
悩む探偵っていうのがたまにいるけど、その小説のミステリ部分が面白ければ問題はないのだが、たいてい、つまらないのだ。あるいは、その悩む部分だけが無駄な気がする。探偵の悩みが僕には届いてきていないのだ。悩む探偵が出てくると、その悩みにふさわしく、まさに唯一無二のしかも意外性のある真相ってのを出してくれないと、バランスが取れないような気がする。「おまえが悩む必要はない。俺が考えても同じ真相に至った」かつ「この真相を見抜くことはできなかった」という真相。
さもなければ、「なんだ、これは論理の問題じゃなくて、作者がどんな解答を用意したかを当てればいい、アテモノなのか」ということになってしまう。このレベルをクリアしたうえで、探偵が悩むのなら、まあ、しかたない。悩みにつきあってやろう。でも、その悩みは読者の僕に関係あるんだろうな、ええ!?と思う。
ゲームボーイアドバンスの「ボボボーボ・ボーボボ〜マジで!!?真拳勝負」のストーリーモード「鼻毛伝説」のシナリオがやっとのことで100%達成できた。
1週間くらいかかったのかもしれない。
漫画「ボボボーボ・ボーボボ」のキャラクターたちが、マルハーゲ帝国の陰謀によって、ハレルヤランドに拉致される。ハレルヤランドは遊園地みたいなところで、そこのアトラクションをクリアしていくことで、元の世界に戻れるようになるのだ。
このゲームも、大ボス倒してゲームが終わり、エンディング(メチャクチャ長い)を見終わったあとも、話を続けることができる。
何度でもハレルヤランドに行くことができるのだ。
何度も行く目的は、未体験のボスの出るバトルがあること(何回もクリアしてはハレルヤランドに入りなおしていくことで、シナリオを100%にすることができる)。もうひとつは、世界珍獣カードを集めることだ。僕はカードは全部集まっていないが、シナリオの方は全部クリアしたことになる。
敵と戦って勝つと豆をゲットでき、その豆を食べることでレベルが上がっていくシステムになっている。
敵も味方も登場キャラクターも技もすべてがふざけ過ぎで面白く、「ボボボーボ・ボーボボ」の世界を再現しているように思った。
ボーボボの奥義はルーレットで言葉を3つつなげて意味のある俳句にすれば、敵に大ダメージを与えられる、というもので、これは何回も発動させて遊んだ。
でも、その「意味のある」俳句というのも「アイラブユー、ポストインザ、ホットドッグ」とか、「サングラス、はずしてみれば、新宿区」など無意味な言葉のコンボなのだ。
うっかり「閉店」でルーレットを止めてしまうと、鼻の下にいるおやじがシャッターをしめてしまい、技が発動されなくなる。
世界珍獣カードもむちゃくちゃなのばっかりだが、カブトムシの卵を食べさせようとする「山下さん」が気持悪くてイイ。
こういうむちゃくちゃな世界は、ちょっと前だと不条理な文学の本領だったところだ。
それが、ボーボボみたいな漫画で笑いのめすことができるのは、「ボーボボ」だと「ビュティ」みたいなツッコミの存在によるものだ。
カフカの「変身」でザムザが虫に変身した朝、家族にビュティ(ツッコミ)や首領パッチ(ボケ)がいたら、どんなむちゃくちゃなお笑いになったことか。
そうか。カフカの小説にツッコミを配して再読してみる、っていうのは面白そうだな。
今度やってみよう。
宮下英樹の『ヤマト猛る!』を読んだ。全6巻。
高校生相撲漫画。主人公は体重が60キロしかないソップ力士。
最初は拳法の掌底を「突っ張りケンポー」と名付けて大型力士に対するが、ストーリーが進行するにしたがい、まっとうな相撲とりになっていく。
この漫画、めちゃくちゃ男臭い。
女性が出て来て花を添えているのは最初のうちだけで、中盤あたりから、恋愛もなければサービスカットもない、男だらけの相撲大会になる。
こういう格闘漫画は、倒したらまたさらに強い奴が出て来て、無限に続くようなトラップに陥りがちだが、この『ヤマト猛る!』はインターハイで話が終わっており、とりあえずはまとまっている。
そのぶん、こじんまりとしすぎていると言えるかもしれない。
でも、これ以上、話が続くと、相撲の域を超えて行きそうだった。
ただ、ラストあたり、手首を痛めながら優勝しちゃう結果っていうのは、あんまりだ、と思った。それじゃまじで強すぎる。
痛みに堪えて頑張った。感動した!とは言えなかった。
僕も将来は相撲とりになりたい、と思っており、ためになる漫画だった。
迫力だけで触れもせずに相手を負かしてしまう「にらみ出し」という技が気に入ったので、それを得意技にできるように、オーラを練り上げたい。

21日のライブのために、いろいろ考えたり、練習してみたり、当日販売する小説集『反射ノベル』をつらつらと書いては推敲したりして過ごす。
本番はあっというまに終わってしまうんだけど。

蜃気楼博士

2006年4月17日 読書
都筑道夫の少年小説シリーズ第3巻『蜃気楼博士』を読んだ。
この『蜃気楼博士』は、中学のときだか高校のときだかに読んだのだが、僕にとって、都筑道夫のベストだ。
以下、簡単な覚え書き。
ネタバレ自在。

「蜃気楼博士」
「第一の挑戦 蜃気楼博士」
守護霊が殺人?
老奇術師が遠隔殺人のトリックをあばく。
これぞ少年向け推理小説の最大傑作「蜃気楼博士」だ!
手錠をはめて出入りできないタンスに押し込めておいた人物が「守護霊を使って殺人を犯した」と言う。こんな不可能な話はない!
これに「予告のなされ、かつ実現さるるの章」だの「触れずして、人を殺すの章」などとつければ、まさにカーター・ディクスンの『読者よ欺かるるなかれ』の世界だ!
読者への挑戦もある。
僕の好きな都筑道夫作品はこの『蜃気楼博士』と『七十五羽の烏』で、思えば、カーの作風を意識したものだ。要するに、僕はカーが好きなのだ。

「第二の挑戦 百人一首のなぞ」
暗号。百人一首の読み札の作者名がキーワード。

「第三の挑戦 午後5時に消える」
密室。被害者が密室を作るパターン。

「初刊本あとがき」
この『蜃気楼博士』は意外な犯人、奇術トリックが使われており、こういう作品をはじめて読む読者のなかには、「インチキ」だと言ってしまう者もいた時代だ。
しかし、論理的にたどれば、インチキでも何でもないのだ、と教えてくれる。
プロレスや格闘技を「八百長」とけなすみたいなもので、その手の見当違いは、今では絶滅しており、いかにも時代を感じさせる。

「死体はなぜ歩いたか」
ここからの12編は写真ミステリー。各話、ゲストが写真で登場している。あった、あった、こういう小説。僕も中学時代に「中1時代」とかで読んでいたおぼえがある。
この話は、あおい輝彦が登場。
秘密のメモを万年筆の中に隠した。
あおい輝彦の持っているペンが違うことでわかる。
万年筆にメモがある、というのは、被害者がプールを指していたことで発覚する。
ファウンテンペンの「泉」からプールの水を指していたのだ。

「消えた凶器」
ビレッジシンガーズ。
客席の写真で、途中でいなくなっている客がいる。凶器の処分がその間に行われたのだ。

「宇宙人がやってきた」
コント55号。
クレイトン・ロースンの足跡。(手で小さい足跡つける)
本棚の本が逆さになっているところに隠してある。
コント55号のそっくりさんだと思ってたら、本物だったというオチがすごい。

「月に帰った男」
九重佑三子。
ずいずいずっころばしの歌詞を間違えている部分の文字をひろうと、名前が出て来る。

「ふたりの陽子」
今陽子。(ピンキー)
宝石をガムに包んで、カウンターの裏側にくっつけておく。

「消えた身代金」
松原智恵子。
持っていたカバンと、置いたカバンが違う。

「新幹線爆破計画」
(千葉真一。了解とれずに掲載されず)
サングラスや髪型、服装で、同一人物だと思ってたら、実は別人。
ネクタイが違っているのでわかる。

「消えた文字の秘密」
森田健作。
記憶を取り戻させるショック療法を試みる。
「川田屋」のワゴンの「屋」を塗りつぶして、女もののコートを着た写真を撮り、裏焼きして、自分の名前「田川」を思い出させようとした。
普通に焼いた写真を見ていたため、謎に思えた。

「となりの誘かい事件」
布施明。
本の並びで暗号。
本の「天」を「テン」と読ませることで、いろはの何番目かを特定。

「消えたトラック」
岡崎友紀。
タバコを吸っている手が違うことから、袖に血がついているんじゃないか、と推理。

「ゴムの仮面」
(森進一。これも了解とれずに写真なし。シンイチは肖像権にうるさい?)
手がかりのボタン(コートの背中のかざりボタン)がとれている。

「赤い道化師」
渚ゆう子。
杖の形が違うことから、仕込み杖だとわかる。中には道化師の衣装が隠してある。

「都筑さんとジュニア・ミステリー(加納一朗)」
朝日ソノラマの少年向け小説って、宝庫だったんだな、と思う。
ライトノベルとの違いは、それ専門の作家じゃなくて、大人向けの作家が少年向けに書いているところか。漫画やアニメを小説にしたような軽さはなく、きっちり小説になっている。
さーて、今日も行こうと思ってたイベントを諸事情により3つともにキャンセル。
録画しておいた映画を見て、楽しく過ごすことに。

「ハム太郎と不思議のオニの絵本塔」(2004)
出崎統監督。
松浦亜弥があややム、エコモニの2人がエコハムズ(りかハム、しげハム)で出て来る。
あややムは絵本作家で、桃太郎の物語をベースにした自分のシナリオをもとに、ハム太郎たちに演劇をさせる。
あややムは友達に裏切られてから、友情を信じなくなっていたが、ハム太郎たちのおかげで、友情を信じるようになる。
あややムがどんな傷付き方をしてたかというと、あややムは友人に自作の絵本を作ってプレゼントしてたのだが、その「友人」は影に回って、みんなと一緒に「ダサ〜」「迷惑」と絵本をゴミ箱に捨てた。それをバッチリ目撃!女の子どうしって、怖いね〜。
あややムは勉強も運動もよく出来る子だったので、クラスメイトはやっかんでいたのだ。
まあ、そんなことで嫉妬してかげぐち叩くような輩とは友人になる必要はない。ネコイラズでも食べさせておけばいいのだ。狭量な心の持ち主をいちはやく切ることができて、あややムはラッキーだったんじゃないか、と思う。

「DENGEKI」(2001)
アンジェイ・バートコウィアク監督
スティーブン・セガールが腐敗した警察内部をおそうじ。
DMXがドラッグの売人として登場。
もう、誰が悪人なのか、どれが囮捜査なのか、どんでん返しがあちこちに。
アクションシーンを堪能。
絶体絶命のピンチでも、スティーブン・セガールはこともなげにクリアしていく。
護送車の中で手錠でつながれながら、3人もの悪人に、毒を注射されようとするセガール。これがあっさり助かったりするんだ!
まったくすごい。

「ゴジラファイナルウォーズ」(TV特別編集版)
北村龍平監督。
X星人の陰謀で、人類危うし。
世界を滅亡させると言われているゴジラを復活させるしか、人類には打つ手がない。
ガイガン、アンギラス、ラドン、モスラ、エビラ、カマキラス、クモンガ、ジラ、マンダ、ミニラ、ヘドラ、海底軍艦、妖星ゴラス、などなどいろいろ出て来る。キングギドラもカイザーギドラという名でバージョンアップして出て来る。
ゴジラが半端なく、強い。ガメラなみに強い。
ザコ怪獣はその反面、弱すぎる。ヘドラなんて、登場と同時に退治される。
だけど、怪獣のシーンよりも、重点は人間たちにあった。
地球防衛軍や、ミュータントとX星人とのアクションが多くて、見終わった後も怪獣映画を見た印象が残らなかったほどだ。
ケイン・コスギはさすがのアクションの切れを見せるし、いっこく堂(北村一輝)とイレイザーヘッド(松岡昌宏)のマトリックス風の戦いも、「ああ、やりたいことやってるなあ」とニヤリとした。結局イレイザーヘッドが勝つポイントも、マトリックス風。
半端なく強いのは、ゴジラだけでなく、ドン・フライも強い!
レイ・セフォー、ゲイリー・グッドリッジも出演しており、格闘技ファンにはうれしい。
ゴジラだって、マウントポジションからの打撃で攻めたりしているのだ。相手は顔が3つあるので、防御しきれない。
格闘技だけではない。サッカーシーンもある。針ボール状のアンギラスをキングシーサーがキック、ゴジラはゴールキーパーのようにアンギラスに飛びつく。わざわざ飛びつかずに、放っとけばいいのに。
エンディングの音楽はキース・エマーソンで、プログレファンとしてはポイント高し。
宝田明が「百発百中の男」と名乗るシーンも面白い。
娯楽に徹した映画作りはとても好感が持てた。
ゴジラ映画の中でも、一番面白かったんじゃないか、と思う。なにより、メッセージ性がまったく無いのがいい。それらしい発言がないではないが、「こんなのも入れてみました」的スタンスが見えていて、笑える。もっともっと自由奔放に作って、「そんなアホな!」とか「これはゴジラじゃない」とツッコミたかったほどだ。たとえば、海底軍艦が宇宙まで飛んでいくとか。
ラスト、ゴジラの暴走をミニラが止めるのは、くさくて見ていられないが、あの場面で言いたかったのは「親子の愛情」とか「仲間を傷つけるな」とか、そんなやわなことではなくて、ただ単に「もうやりたいことはやった。はい、映画はこれで終わり」と挨拶しているだけだと感じた。これはこれで仕方ないか。僕なら、ゴジラはひと暴れしたあと、急に南極に帰ろうとするエンディングを用意するだろう。眠くなったから、とか、見たいテレビがあるから、という理由で。あるいは、ゴジラが駄洒落を言って、凍り付いてしまうとか。
ディスクピア日本橋6階イベントフロアで「プリマベーラ」のショーがあった。
プリマベーラは、マジックとトーク、ダンス、歌のショーを展開する9人の女の子たち。
今回は、そのうちの6人が来阪してのDVD発売キャンペーンイベントだった。
店頭でプリマベーラがチラシを配っている。このイベントは入場無料なのだ。
プリマベーラには、元制服向上委員会の松本久美子が「クミ」という名で参加している。
前回、梅田でイベントがあったときはクミは来ていなかったが、今回はクミが参加していた。クミ以外のメンバーは、リョーコ、エイカ、アカネ、カオリ、トモ。
アカネは天王寺出身。僕が好きなメンバーはリョーコとマイ。(聞いてない!)
以下、プログラムの内容。
火のついた檻からメンバー登場
屏風を折り畳むとメンバー入れ替わり
新聞を6つに破ったものが、復活
切ったロープがつながる、結び目が移動する
箱の中にメンバーが入り、四方八方から剣で串刺し
客の選んだカードを剣で串刺し(シルクハットからカード噴出)
箱の中に入ったメンバーと箱の上に立ったメンバーが一瞬で入れ替わり
トーク
歌「あきらめないで」
写真撮影タイム

マジックはダンス付き、ストーリー仕立てのものもあって、楽しい。
どのマジックも仕掛けに頼っているものが多いが、そこは承知の上だ。
歌では、クミやリョーコの出番はほとんどなかった。新入りなのか?

帰宅後、坂本九の「アワモリ君」シリーズを放送していたので、見た。
「アワモリ君」は週刊読売に連載されていた秋好馨の漫画。
主人公はアワモリ君(坂本九)。その友人のダイガク君(ジェリー藤尾)、マドンナ役は森山加代子。アワモリ君の父親は有島一郎(アワモリ洋品店)。ダイガク君の母親は都家かつ江(漫才師)。
監督は古澤憲吾。歌と踊りと笑いであふれたミュージカル・コメディの傑作シリーズになっている。
「アワモリ君、売り出す」(1961)
立花チャームスクール拡大で、アワモリ洋品店は立ち退くよう持ちかけられる。
スクールの学長(沢村貞子)が有島一郎の同級生だったことが判明し、お互いに頑固もの同士ながら、淡い恋心がめばえる。
ウルトラQの櫻井浩子がアワモリ用品店で万引きするチョイ役で出ていた。
スクールの講師で、生徒にウインクを練習させるのは塩沢とき。
映画のみどころは、歌の数々と、坂本九の「こりゃまた申し訳ない」のギャグ。それと、古澤映画お馴染みの過剰な演技。そこまでしなくても、と思うところまで、おおげさで過剰な立ち居振る舞いが演出されている。自然な演技とは正反対の、何事もオーバーアクション。
たとえば、有島一郎がズボンを上半身に着ようと悪戦苦闘するシーン。
ボディガードで雇われたジェリー藤尾が、しつこい客を追い返すのにリアルな熊のぬいぐるみを着て、脅すシーン。
立花チャームスクールの水着ファッションショーに有島一郎を無理やり連れていくのに、大量に睡眠薬を飲ませるシーン。ねぼけた有島一郎がフラフラとプールサイドに歩いていくが、それを助けようとしたジェリー藤尾たちが、反対にプールに落ちてしまうお約束シーンもある。
坂本九とアワモリ君が間違われるシーン。
最後には、有島一郎は沢村貞子と仲良くなり、立花チャームスクールの理事長に就任して、めでたしめでたし。
パワフルこのうえない映画だ。
この映画、公開時は同時上映が「モスラ」。

「アワモリ君乾杯!」(1961)
予備校生なのに、早慶大学生と嘘をついてしまうアワモリ君と、大金持ちの屋敷の娘と勘違いされた門番の娘、加代子。2人の恋の行方は?
アワモリ君は、加代子の写真をひそかに入手するが、これがレントゲン写真。ニコニコしながら骨の写真を見つめるアワモリ君を見て、父親の有島一郎は「牡丹灯籠だ」
鞄を間違えて、銀行強盗が落とした大金入りの鞄を手にしたダイガク君。
鞄を取り戻そうと強盗一味(パラダイス・キング・コーラス)が追いかけて来る。
クライマックスで、映画撮影所にまぎれこんだ銀行強盗たちと、アワモリ君ら、警察の追いかけっこが面白い。
この映画の同時上映作「世界大戦争」の撮影現場に乱入するアワモリ君たち。「世界大戦争」主演のフランキー堺、乙羽信子、星由里子が「なんだありゃ」とあきれるシーン。
小道具置いた部屋でバランは空を飛ぶわ、モスラが動いて結局銀行強盗を追い詰めるわ。もう、やりたい放題。
盆踊りで歌いまくる3人も楽しい。
時代を感じさせるシーンとしては、テレビで大相撲、大鵬対柏戸が大関同士のたたかいとして映される。
ラストは、「今、何時ですか」と聞かれたアワモリ君が「もうあなたは出てこなくてもいいんですよ。だって、この映画、もう終わりなんです」エンドマーク。

「アワモリ君西へ行く」(1962)
3本めはカラー作品。
舞台は大阪。新歌舞伎座とか、大阪城などが映るが、このへんは、今とたいして変わりなし。いとしこいし、藤田まこと、茶川一郎らコメディアンに、ダイガク君の上司として高島忠夫、その恋人浜美枝など、キャストも豪華になった。
アワモリ君は親戚の旅館に寝泊まりすることになるが、隣がうるさいと思ったら、そこは「キチガイ病院」!
この作品は宝塚映画で、宝塚歌劇のステージも映る。
この映画で多用されるギャグは「スクスク」と「どんどん、きいてきた!」
過剰な演技も3作中一番すごくて、社長に呼ばれた高島忠夫が「ハイッ!」とあわてて行こうとして転ぶシーン。
「お願い」と手をあわせた両手の指先が相手の喉を地獄突きするシーン。
ごはんを食べるときに、いきなり都家かつ江が三味線で歌いだし、ジェリー藤尾らが踊りまくるシーン。
お得意先の左卜全を逃がさないように、ジェリー藤尾がえんえんと踊りまくるシーン。
いとしこいしや坂本九、高島忠夫による歓送迎会のシーン。
これもまた、パワフルな映画で、インド映画にも似た感覚を覚えた。
鯨統一郎の『パラドックス学園〜開かれた密室』を読んだ。
ネタバレしているので、注意。
第1章 密室が生じると人が殺される
第2章 最も怪しい人物は犯人ではない
第3章 アリバイのある者が犯人である
第4章 名探偵は事件を防げない
最終章 だませばだますほど喜ばれる
ワンダー・ランド(人名!)は、パラレルワールドに入り込んでしまった。
その世界では、「パラパラ研」(パラドックス学園パラレル研究会)の部員として、ポー、ドイル、アガサ、ルブランという錚々たるミステリ作家たちが、普通の学生として存在していた。また、この世界にはミステリ小説というものが存在していないのだ。
「パラパラ研」の新入部員として、カーが入ってきた。また、フレデリックとマンフレッド(エラリー・クイーン)も入ってきた。
そんなある日、シェルターの中でカーが殺される。
完全な密室殺人だ。
犯人はいったい誰?
この小説もまた、たくらみに満ちた作品だった。
次から次へとよく、これだけアイディアが湧いて出るものだ。
パラパラ研の部員以外でも、ポール・アルテ学園長、ピーター・ラヴゼイ副学園長、スカーペッタ検屍官など、ミステリの読者なら誰でも知っている名前が出てきて、文士劇かと思わせる。(スカーペッタは主人公の名前だけど)
ページの隅にはパラパラ漫画も描かれている。
以前、鯨統一郎は、1冊にこれでもかと回文を織り込んだ長編も書いているが、この本は、いろんなパラドックスが書かれている。
有名なゼノンのパラドックスの紹介はもちろん、囚人のパラドックスも。
冒頭の作者からの注意書き「作品内で、この作品自体の犯人、トリックなどに言及していますので、本作を読了されたかただけこの作品をお読みください」もいきなりパラドックス。
カフェの名前が「キャッチャーライナー」だというのも、おかしい。
ファッションでは、明るい黒が好きというアガサ。
医学が発達すればするほど病気が増える。
「けっして」とはけっして口にするな。
成長するほど教えてもらうことが増えていくものだよ。
この小説はノンフィクションです。
などなど。
さあ、ここから、真相。
ワンダー・ランドは、今自分がいるのは書物の世界だと見抜く。
シェルターには誰も入れなかったはずだが、唯一入れた人物がいた。
読者だ。
カーは一人きりになったと思っていたが、あたかも神の視点で、読者はカーを見ていたのだ。
カーの死因は、板のようなもので何度も叩かれたせいだった。
凶器はすなわち、本のページ。
普通に本を読めばページをめくるスピードもゆっくりだが、この本にはパラパラ漫画がついている。パラパラ漫画で勢いよくページを一気に叩き付けられて、カーは死んでしまったのだ。
読者が犯人なのか!
作者は、さらに黒幕として「読者の親」を持ち出したりするが、これは「最も怪しい人物は犯人ではない」とルールをきめると、誰も犯人になりえない永久運動と同じで、マルチ犯人になってしまう。
僕が面白いと思った推理は、「クイーンは犯人ではない」とする推理のくだりだった。
シェルターは、2人同時に離れた場所にあるスイッチを押すことで、開く仕掛けになっている。フレデリックとマンフレッドはいつも一緒で、怪しいのかな、と思ったら、そうではなかった。フレデリックとマンフレッドはシャム双生児だったのだ。離れた場所のスイッチを同時に押すことはできない。厳密に言えば、3人共犯なら可能なのだが、そんなことはどうでもいい。ここがパラレルワールドだという設定を認識していたのに、実際のエラリー・クイーンがシャム双生児ではないからといって、この世界でもそうだとは言い切れなかったのだ。(これは、シェルターに設置されたカメラで、頭の人数と足の数で矛盾が出たことの解明につながっている)
これって、『十角館の殺人』でやられた〜!と思ったのと同じだ。
昨日読んだ『未来少女アリス』と同様の、「現実の自分」と「想像された自分」の境界がごっちゃになっているシチュエーションだったのも、興味深かった。
「著者のことば」として、「本当におもしろい本ほど壁に叩きつけたくなります」と書いてあるのも面白い。この手の作品に憤慨して、壁に叩き付けたくなる読者を予想しているのだ。僕は、全面的に支持する。面白かったもん!

未来少女アリス

2006年4月13日 読書
ジェフ・ヌーンの『未来少女アリス』を読んだ。
ジェフ・ヌーンといえば、あの『ヴァート』の人ですよ!
これは大傑作だ。天下の奇書だ。オールタイムベスト5だ。
作中、ヴァート体験、ヴァート集合化の言葉も出てきて、そこではみんな羽根でコチョコチョくすぐってトリップしている!
アリスが、「不思議の国」「鏡の国」に次いで3番目に訪れたのは、「未来の国」だった。と、いっても、1860年から1998年にタイムスリップした恰好。つまり、現代にアリスがあらわれたという話なのだが、今、ここのこのまんまの現代ではなくて、どこか違うパラレルワールドに紛れ込んだようだ。この世界の人間はキメラで、アヒル男とか、シマウマ男とか、カエル女とか、とにかく何かと合体しているのだ。
「不思議の国」のトランプ、「鏡の国」のチェスに続いて本作では、アリスは失われた12のピースを集めてジグソーパズルを完成させることで、もとの世界に戻れる。
全編、これ言葉遊びと逆説、奇想のオンパレード。
まず、落下するアリスが着地する際、かすり傷ひとつ負っていないわけがこんな風に語られる。
「着地の瞬間にジャンプをしたからです」
ありえな〜い!
他にもこんな場面がある。
3つのドアの1つを選ばねばならないケースで、ドアにはそれぞれ言葉が書いてある。
最初のドアには「3番目のドアが安全なドア」
2番目のドアには「最初のドアは嘘つき」
3番目のドアには「2番目のドアこそほんとうの1番目のドア」
さあ、どのドア開けたら、安全?
わから〜ん!
この物語に登場する主要なキャラクターを紹介しよう。
*アーミントルード
大おばさん。
アリスに省略法の正しい使い方に関する宿題を出している。
省略法が、3つの小点から成るものだとはわかっているのだが…。

*モーティマー
アリスの大おじ。街の大物。
「大おじさんは街では大物かもしれないけど、家に帰ったらどちらかと言えば小さい。大おじさんには2つの大きさがあるんだわ!」

*キャプテン・ラムシャックル
アナグマ男。ランダムロジスト。ランダムロジストが何かとアリスが尋ねると「ランダムロジイを研究する人」との回答。ランダムロジイが何かというと「ランダムロジストが研究するものにきまっておるじゃろが」
世界はカオスで成り立っていると信じている。

*コンピューターシロアリ嬢
豆的システムで問いに答えるのを日課としている。
豆的システムとは、豆をいっぱい集めてビーンズ細工を作るように、質問も答えも綴ることができるシステム。一兆もの豆があれば、どんな問題でも解けるという。

*ホイッパーウィル
なぞなぞ好きなオウム。
「どんな生き物だ、アリス、あんたみたいのは?」
こんな禅問答みたいな問いも発する。

*アホムシ
コンピューターシロアリ塚の中にこっそり巣を作り、全力をつくしてシロアリたちが間違った答をするように仕向ける。
「アリエナイ・ホンモノセカイニ・ムカウ・シレモノ」の頭文字をとった。

*グラディス・クロウディングラー教授
時の神秘を研究している。

*スリア
アリスの分身たる自動人形。シロアリを原動力とした人工生物で、シロボットと呼ばれている(シロポットは便器の意味)。頭の中にシロアリが無数にいて、互いに質問と答えを受け渡している。太ももに戸棚があり、緊急時にはアイテムが出て来る。

*パブロ・オグデン
アベコベ動物処理業者。ガラクタを集めて作品を作っている。
生き物を処理された部分から再創造する、肉の芸術的職人。
パブロは自分の芸術を「歪曲主義」と呼んでいるが、以前は「猥雑主義」だった。
それが「卑猥主義」「汚穢主義」「弱い主義」「祝い主義」「可愛い主義」「あわい主義」「ハワイ主義」「交配主義」「怖い主義」「やばい主義」「やわい主義」「齢主義」「間合い主義」「ワイン主義」「ワイフ主義」「ワイド主義」「ワイヤ主義」「矮小主義」「賄賂主義」と変遷して、現在に至る。

*ロングディスタンス・デイヴィス
カタツムリ男。
あまりにもトランペットをゆっくり演奏したので逮捕拘留されている。

*ジーニアス・オクロック
小説家ならぬ騒節家。

*ミセス・マイナス
ヘビ女。厄人、シビルサーペント。
シビルサーペントが何かというと、「人のうわばみをはねる、実におろちなやつ」

この物語のアリスは、アリス・リデルだ。自分がルイス・キャロルによって創造された登場人物としてのアリスなのか、それとも実在した少女アリス本人なのか、疑問に思うシーンが出て来る。
自分がアリスなのか、人形のスリアなのかもわからなくなって、「あなたは、どちらだったと思います?」の決め文句で作品は終わっている。
人間でも人形でも、現実でも想像でも、どっちでもオーケイだよ!君が少女アリスなら!
泡坂妻夫の『大江戸奇術考』を読んだ。サブタイトルは「手妻・からくり・見立ての世界」
第1章「奇術前史」
第2章「放下と幻術」
第3章「はじめての奇術書『神仙戯術』」
第4章「趣味人の座敷手品」
第5章「プロの舞台奇術」
第6章「江戸の手練奇術」
第7章「からくりと時計」
第8章「江戸の怪奇趣味」
第9章「歌舞伎のからくり」
第10章「奇術と料理」
第11章「伝承の奇術」
第12章「世界との交流時代へ」
「大江戸」とタイトルにあるが、卑弥呼の鬼道から話がはじまる。
修験道、陰陽道と、奈良時代の散楽雑伎(芸能)、猿楽、平安時代の外術(げじゅつ。仏教の正法からはずれた外法)、室町時代の放下(ほうか。大道芸)を経て、江戸時代の手妻、からくりを語る。
江戸時代の奇術伝授本からどんな手品が考案され、演じられていたかが紹介される。
歌舞伎、料理との関連もカバーしている。
からくりのくだりで、町の趣味人、多賀谷環中仙著『訓蒙鑑草』と天文方の侍、細川半蔵頼直著『機巧図彙』を対照的な書として紹介していた。
僕は細かい技術はともかく、驚きや面白さを重視しているので、『訓蒙鑑草』の方が性にあっていそうだ。これはつまり、実現するかどうかにポイントはなく、発想が全てだということだ。「発想倒れ」と呼ばれるのは、僕の勲章だ!勲章か?
現代のイリュージョンは、機智によっては解明できない仕掛けがあるんじゃないか、と思う部分があるが、江戸時代なら、おおよそのテクノロジーも周知の上なので、わかりやすい。
この本を読んだのは、テレビで「華麗なるマジシャン日本初上陸スペシャル、空飛ぶ貴公子ピーター・マービー」というのを見たからだ。
昨今のマジックブームで、こういう番組はよく放送していて、極力見ようと思っている。
Mr.マリックが「トレビア〜ン」のピエールと対決したのは面白かった。(マジックの内容はともかく、対決する、という演出が面白かった)
Dr.レオン(ヒロサカイ)が「時空をとらえました」「コンプリート」と、やり過ぎの演出と髪形で頑張ってたのも大笑いで大喝采した。
ピーター・マービーを見るのははじめてだったので、期待していたのだが。
ちょっと、あれはないんじゃないか?と思った。
客の中から1人を選んで、浴衣と面をかぶらせる。
ピーターも違う柄の浴衣と、違う色の面をかぶる。赤鬼と青鬼の面だ。
2人並んで立ち、それぞれが面をかぶり、指パッチンのあと、面をはずすと、人が入れ替わっているのだ。選ばれた客は、自分がいつのまにか違う柄の浴衣を着ていることに驚いている。
これは、イリュージョンとか手品の域を超えている。
カメラのマジックだ。単なる特撮だ。映像ゆえに出来た技だ。
この手の映像の魔術だけをとれば、「スパイダーマン」なんかの方がよっぽどすごいことをやっている。
なにが「イッツミラクルタイム」だ。
これなら、「カマータイム!」の方がいい。
仕事があったので、そこまで見て、僕は仕事に出かけた。その後を録画する気になれなかった。いっそのことフィクションであれば、「怪奇大作戦」の「壁抜け男」みたいに、あきらかなカメラのマジックでも許すことができたのに。
奇術好きだったのに、汚されたような気分になったので、この本を読んで中和したのだった。

輝く断片

2006年4月11日 読書
シオドア・スタージョンの『輝く断片』を読んだ。
先日スタンリイ・エリンの短編集を読んだばっかりなので、見劣る部分が目立ったのも確かだが、それでも、面白かった。
以下、各作品の覚え書き。
ネタをバラしてバラしまくっているので、要注意。

「取り替え子」
体は乳児、心は大人。
赤ん坊の面倒をきっちりみることができれば、遺産相続できると聞いた若夫婦は、取り替え子(赤ん坊の身体をもった妖精)と組んで、ことを運ぶ。
思わぬところにめばえる愛情。
取り替え子はステーキを食べて、ベビーフードは夫婦がこっそり食べてしまわねばならない事態になったとき、夫婦はこんな感想を漏らす。
「いま僕が赤ん坊に対して抱いている深い尊敬の念は、このときの経験が出発点だと思う。あんな食事を与えられて文句ひとつ言わないとは、赤ん坊とはいかに善良な存在であるかという認識も、同時に確立された」
僕はかつて学校勤めのとき、昼食はベビーフードと決めていた時期がある。自分のデスクの2番目の引き出しをあけると、ベビーフードの壜がびっしり並んでいたのだ。いろんな味があって、飽きることはなかった。でも、この作品が発表された1941年だと、味もさぞかしまずかったんだろうなあ。

「ミドリザルとの情事」
ジャングルでサルを1匹つかまえて緑色に塗ると、仲間はよってたかってその猿を殺してしまう。自分たちと違うという理由だけで。
人間の集団でも、1人だけ違う者がおれば、イジメの対象になったり、排除されたりする。
「集団を刺激するあらゆる危険な違いの中でも、いちばんその度合いが強く、いちばん反応が迅速で、最悪の結果を招くのは、性的な差異だ」と、フリッツはルーリオにこんこんと説く。
仲間内ではともかく、人前では男らしさの仮面をかぶれ、とアドバイスするフリッツ。
フリッツの妻、アルマは、フリッツのたくましい腕を見て、あらためてうっとりとする。
フリッツは女顔のルーリオをゲイだと思い込んでいるようだ。
でも、実際は違った。
ルーリオは宇宙人だったのだ。
そして、そのイチモツは、たくましい腕くらいの太さがあった!
ウヒョー。
男は大きさを気にするけど、巨根は女性にとって痛いだけであんまりよくない、と、僕の歴代彼女は口を揃えて言う。
ひょっとして、僕、慰められてる?

「旅する巌」
はじめて書いた小説は大傑作だった。
2番目に書いたのは最低だった。
奇跡の名作を生み出したのは、宇宙からの最終兵器のなせるわざだったのだ。
この兵器は人間の恐怖心を取り除いてしまう。
人間は恐怖を克服するにはより大きな恐怖によらねばならない、と思い込んでいる。
この究極兵器のおかげで、宇宙は平和になるのだ。
って、スタージョンのお家芸、無理やりSFかい!
最高の小説を読んだときの反応がぐぐっときた。
「原稿を読みはじめると、たちまち物語にぎゅっとのどを締めつけられ、骨を揺さぶられ、心臓の鼓動がリンパ腺を伝わり、最後にはとうとうノックアウトされて、ぐったりとしあわせな気分で息をあえがせる」
そんな作品を書いてみたいものだ。
一方、最低な小説の例が、これまた面白い。
「ジェットを噴かし、大気を切り裂く轟音と共に、バット・ダートスンが急降下して来た。ここはソルから七十億光年彼方のちっぽけな惑星、ブブルルズナジ。バットは着陸に備えてスーパーハイパードライヴを切り」云々。
これをたいしてひどい小説とは感じないほどに、僕は毒されているのかもしれない。

「君微笑めば」
ヘンリーはいつでも微笑んでいる。
そんな愚鈍なヘンリーを自分のうっぷんのはけぐちとして、連れまわし、蹂躙する。
愚にもつかない駄弁でも、ヘンリーなら逆らわずに聞いてくれる。
ところが、ヘンリーには、これらの言葉が堪え切れないノイズとして到達して、苦しめていた。
ノイズの源は、今、毒を盛られた。
上司と部下など、こういう関係はありそうだ。
僕の場合、仕事上の愚痴などが、この手のノイズとして認識される。
そんなノイズに共鳴して「本当にひどい話だなあ」なんて言えるみなさんは尊敬の対象だ。

「ニュースの時間です」
マクライルは新聞、ラジオなど、ニュース中毒で、それなしでは生きて行けない。
よかれと思った妻がニュースを取り上げると、マクライルは失読症になり、ニュースの届かない山奥で1人暮らすようになる。
これもまた、よかれと思った精神科医が、社会復帰させると、マクライルは人を殺しまくる。
ニュースを読んで、人類のひどい行いを見るにつけ、彼は傷付いていた。防衛本能で人類の群れから離れていたのに、無理やり戻されたがゆえの凶行だった。
この話は、解説によると、ロバート・A・ハインラインからのネタ提供で書かれたものらしい。
僕が考えるスタージョンの最高傑作はエラリー・クイーンがネタを提供し、クイーン名義で書かれた『盤面の敵』だ。
他人のネタで作品を書いたとき、スタージョンはなぜか輝くのだ。

「マエストロを殺せ」
バンド内殺人。
キモメンがイケメンを殺す。
このイケメン、音楽的才能にも人格にもすぐれていたため、彼がいなくなっても「彼ならどうしたか」を考えてバンドのメンバーたちは行動を決定する。
バンドの音楽に、彼の痕跡、要素がいつまでも残る。
新曲でさえ、彼の存在があきらかに感じられるのだ。
キモメンは、バンドの曲からイケメンの香りを消すために、いろんな工作を試みる。
犯行が暴露されて、キモメンは整形手術をされる。
あまりにも醜かった容貌が、十人並みになったのだ。
キモメンは地団駄踏む。
「何度も何度も何度も何度も言ったろう!おいらは自分の力で生きたいんだって。こんな顔なんて欲しくない!」自殺。
今なら、モテないオタクが、似たような境遇にあるんじゃないか、と思う。
自分の気持悪さが、言い訳のひとつになっているのだ。

「ルウェリンの犯罪」
男たちは週末にナンパしたとか、自分の悪行を自慢げに語る。
そんな会話を聞きながらも、ルウェリンは平静だった。
みんなに内緒で、同棲している女がいた。みんなより悪いことをしている、という感情で、ルウェリンはうろたえなかったのだ。
ところが、ある日、同棲していた女から1枚の書類を見せられる。
実は、かなり前に、2人は結婚していたのだ。
ルウェリンは、何か悪いことをしなくてはならないと思い、いろいろやるが、どれもこれもうまくいかない。
同棲してたか、と思えば婚姻証明書でそれが真っ当な夫婦になる。
無理矢理新しい女と結婚して、重婚したかと思えば、最初の女が婚姻無効証明書をとってきて、真っ当な一夫一婦制に落ち着いてしまう。
女と書類が悩みのたねだと悟ったルウェリンは、女を殺して、書類を破り去る。
と、思いきや、女は既に死体で、破り捨てたのは単なる死亡証明書だった。
悪いことをしなければ一人前じゃない、という強迫観念はいかにくだらないか。
「自分も悪いことをした」「自分も苦しんでいる」など、心の平静を保つため、ネガティブなことを言い訳に使うのは、底が知れてつまらない。
悪事や苦しみなどは、自己申告するものじゃない、と思っている。
僕も、「僕のことをひどいと言う人がいるんだ」と言ったとき、「保山さんがひどいのは当たり前やん」と言われて、ああそうか、と納得したことがある。僕はそのときはじめて、自分は非道だと悟ったのだ。
悪さを求めて悪いことをすることなんて不可能だ。悪さは結果として、他人が判断するのだ。
「自分も頑張っている」「自分も悩んでいる」「自分も苦しんでいる」なども同じ。
「自分で言うな!」の世界だ。

「輝く断片」
重傷の女性を自宅に運んで、治療してやる男。
熱心な看護の甲斐あって完治した女性は、感謝の言葉とともに出て行こうとする。
その女性を襲って、また治療しはじめる男。
男にとって、助けを必要とする女性は自分の存在理由だったのだ。
この話、アイディアはストレートだが、読んでいて面白かった。
この1冊は、後半に行けば行くほど小説の面白さが味わえて楽しかった。
まだまだ短編が発掘されそうで、今後も期待だ。

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