ISBN:4309015700 単行本 綿矢 りさ 河出書房新社 2003/08/26 ¥1,050 『インストール』で文藝賞を受賞した綿矢りさの受賞後第1作となる『蹴りたい背中』は、前作同様、思春期の女の子が日常の中で感受する「世界」への違和感を、主人公の内面に沿った一人称の視点で描き出した高校生小説である。 <p> 長谷川初実(ハツ)は、陸上部に所属する高校1年生。気の合う者同士でグループを作りお互いに馴染も…
と、いうわけで、綿矢りさの『蹴りたい背中』を読んだ。
本当なら『インストール』読んで、映画との違いを体験したかったのだが、『蹴りたい背中』の方が面白そうだったのだ。
そうそう、映画の「インストール」を見て、強く印象に残った感想が2つある。
1つは、「インストール」とか「あずみ」とか、上戸彩って、意外と体当たり演技をこなす、いい女優さんだな、ということ。
ここで使った「意外と」は、最近の若い人が使いたがる「何気に」と同じ意味合いだ。
もう1つは、上戸彩の幼い頃として、橋本甜歌が出ていたこと。上戸彩と、てんかりん。似ているなんてちっとも思わなかった2人が、年の違う同一人物として出て来たことに不思議な感覚を覚えた。
なにより、てんかりんが上戸彩の子供時代として出て来たのが、意外だったのだ。
ここで使った「意外」は、「別人じゃん」という意味だ。
さて、『蹴りたい背中』。
主人公は自意識過剰な女の子。
つまはじきされるべきオタク男子が、それに頓着せず自分のやりたいことをやっている風なのを見て、イライラする。
そのイライラは、嫉妬でもあり、ほのかな恋心でもあったのだ。
こんなまとめで、どうでしょう。
いくつかの引用で、雰囲気を再確認。
「私は余り者も嫌だけど、グループはもっと嫌だ」
「高校に入ってからというもの、何度笑いをこらえたことか。
笑うってことは、ゆるむっていうことで、そして一人きりでゆるむのには並々ならない勇気がいるものだ」
「こんなふうに存在を消すために努力しているくせに、存在が完全に消えてしまっているのを確認するのは怖い」
「認めてほしい。許してほしい。
櫛にからまった髪の毛を一本一本取り除くように、私の心にからみつく黒い筋を指でつまみ取ってごみ箱に捨ててほしい」
「人にしてほしいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか何一つ思い浮かばないくせに」
「『クラスの人たち、どう思う?レベル低くない?』」
「にな川(オタク少年)の傷ついた顔を見たい。もっとかわいそうになれ」
どう?
未熟な魂が炸裂してる。
それは作者の未熟さを必ずしも意味していない。
主人公の未熟さをここまできっちり書けるのは、小説家として優れた才能だと思うのだ。
主人公の少女は、愛憎なかばするオタクがひどいめにあえばいい、と思い、それがタイトルの蹴りたい背中、になっているが、蹴りたいどころか、現に、蹴ってる!
僕自身の経験で言えば、かなり前のことだが、ファンの人で、僕が傷付くことをあえて言ったりして、僕が傷付いた表情をするのを見て「その表情がいい」と喜んでいる女の子がいた。
迷惑な話だ。
やることなすこと、あんまりひどいから「どういうつもりだ」と反撃したら、「弁護士に相談して、訴える」と書いたファックスが送られてきた。
結局、訴えられる材料もなく、その人とはそれで縁が切れたが、まったく(以下同文)。
『蹴りたい背中』の主人公の少女も、気になる少年を虐待して、弱い面を見せたときを目撃することでしか、コミュニケーションをとれない。
未熟だ。
ただ、未熟な人というのは、はたで見ているぶんには、とても面白い。
それは天から授けられた一種の才能のようなものだと思う。
未熟で愚かな行為をしでかす人間とは、縁を切ったりせず、その人の愚行録を目撃ドキュンし続けるのが、楽しいのではないか、と思っている。
う〜む。
ますます『インストール』が期待できる書物に思えてきた。
と、いうわけで、綿矢りさの『蹴りたい背中』を読んだ。
本当なら『インストール』読んで、映画との違いを体験したかったのだが、『蹴りたい背中』の方が面白そうだったのだ。
そうそう、映画の「インストール」を見て、強く印象に残った感想が2つある。
1つは、「インストール」とか「あずみ」とか、上戸彩って、意外と体当たり演技をこなす、いい女優さんだな、ということ。
ここで使った「意外と」は、最近の若い人が使いたがる「何気に」と同じ意味合いだ。
もう1つは、上戸彩の幼い頃として、橋本甜歌が出ていたこと。上戸彩と、てんかりん。似ているなんてちっとも思わなかった2人が、年の違う同一人物として出て来たことに不思議な感覚を覚えた。
なにより、てんかりんが上戸彩の子供時代として出て来たのが、意外だったのだ。
ここで使った「意外」は、「別人じゃん」という意味だ。
さて、『蹴りたい背中』。
主人公は自意識過剰な女の子。
つまはじきされるべきオタク男子が、それに頓着せず自分のやりたいことをやっている風なのを見て、イライラする。
そのイライラは、嫉妬でもあり、ほのかな恋心でもあったのだ。
こんなまとめで、どうでしょう。
いくつかの引用で、雰囲気を再確認。
「私は余り者も嫌だけど、グループはもっと嫌だ」
「高校に入ってからというもの、何度笑いをこらえたことか。
笑うってことは、ゆるむっていうことで、そして一人きりでゆるむのには並々ならない勇気がいるものだ」
「こんなふうに存在を消すために努力しているくせに、存在が完全に消えてしまっているのを確認するのは怖い」
「認めてほしい。許してほしい。
櫛にからまった髪の毛を一本一本取り除くように、私の心にからみつく黒い筋を指でつまみ取ってごみ箱に捨ててほしい」
「人にしてほしいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか何一つ思い浮かばないくせに」
「『クラスの人たち、どう思う?レベル低くない?』」
「にな川(オタク少年)の傷ついた顔を見たい。もっとかわいそうになれ」
どう?
未熟な魂が炸裂してる。
それは作者の未熟さを必ずしも意味していない。
主人公の未熟さをここまできっちり書けるのは、小説家として優れた才能だと思うのだ。
主人公の少女は、愛憎なかばするオタクがひどいめにあえばいい、と思い、それがタイトルの蹴りたい背中、になっているが、蹴りたいどころか、現に、蹴ってる!
僕自身の経験で言えば、かなり前のことだが、ファンの人で、僕が傷付くことをあえて言ったりして、僕が傷付いた表情をするのを見て「その表情がいい」と喜んでいる女の子がいた。
迷惑な話だ。
やることなすこと、あんまりひどいから「どういうつもりだ」と反撃したら、「弁護士に相談して、訴える」と書いたファックスが送られてきた。
結局、訴えられる材料もなく、その人とはそれで縁が切れたが、まったく(以下同文)。
『蹴りたい背中』の主人公の少女も、気になる少年を虐待して、弱い面を見せたときを目撃することでしか、コミュニケーションをとれない。
未熟だ。
ただ、未熟な人というのは、はたで見ているぶんには、とても面白い。
それは天から授けられた一種の才能のようなものだと思う。
未熟で愚かな行為をしでかす人間とは、縁を切ったりせず、その人の愚行録を目撃ドキュンし続けるのが、楽しいのではないか、と思っている。
う〜む。
ますます『インストール』が期待できる書物に思えてきた。
加戸野五郎監督の「毒蛇のお蘭」を見た。1958年。大蔵貢製作の新東宝映画。
原作は谷井敬『剣豪列伝集』からとっている。
幕末。お嬢さんの小畑絹子は勤皇の志士、中村龍三郎に恋をするが、時代の動乱に2人の連絡は断たれる。
時は流れて、明治。小畑絹子は消息のわからぬ中村龍三郎を探しに東京へ行こうとする。
途中、箱根で、美形のワル、天知茂にさらわれる。
小畑絹子はレイプされ、どっぷり悪の世界に漬かり、背中一面に毒蛇の刺青を彫った「毒蛇のお蘭」と呼ばれる毒婦に変貌する。
スリ、誘惑、美人局、賭場荒らし、強盗、殺人。
中村龍三郎は警察署長になっており、毒蛇のお蘭をつかまえてみると、昔恋した小畑絹子だったことが判明。
罪をつぐなって、元の小畑絹子になって出てきなさい、いつまでも待っている。なんて言う。
ストーリーはよそみしていても把握できるほど単純なものだが、見どころは、悪の演技。
天知茂の水もしたたるいい男ぶりが、悪の魅力をひきたてる。
これがのちに悪をとりしまる側の役柄を主に演ずることになるとは。ただし、この映画からも「非情」はじゅうぶんに汲み取れる。
馬車に小畑絹子と女中を乗せ、山中にさしかかったところで正体をあらわすシーンには鳥肌がたった。切れ長の目にパラリとかかる前髪、冷酷な笑み。どうあがいても逃げようがない、と思わせるような、蛇を睨む蛙のような妖しい眼力を発揮している。
小畑絹子も、最初のなよなよしたお嬢さんと、賭場で背中の彫り物見せて「毒蛇のお蘭とは、あたしのことだよ!」と啖呵きったり、男をたぶらかす際のわる〜いニヤリ笑いなどのワル演技のギャップが凄い。
両者のワル演技は、やり過ぎとも見えるベタベタ演技なのだが、これが見ていて面白い。
何も知らずにそのシーンだけ見ても、だれが悪いのかが一目瞭然。
一方、善の側の中村龍三郎は、まるでのぞきからくりの押絵みたいな記号化された表情。
浮世絵を見ているみたいだった。仁丹を演じさせたらきっと右に出る者はいないだろう。
中村龍三郎は物語の主役ではなかった。毒蛇が自滅する横に、その世界とは無縁な仁丹が転がっていたような話だった。
原作は谷井敬『剣豪列伝集』からとっている。
幕末。お嬢さんの小畑絹子は勤皇の志士、中村龍三郎に恋をするが、時代の動乱に2人の連絡は断たれる。
時は流れて、明治。小畑絹子は消息のわからぬ中村龍三郎を探しに東京へ行こうとする。
途中、箱根で、美形のワル、天知茂にさらわれる。
小畑絹子はレイプされ、どっぷり悪の世界に漬かり、背中一面に毒蛇の刺青を彫った「毒蛇のお蘭」と呼ばれる毒婦に変貌する。
スリ、誘惑、美人局、賭場荒らし、強盗、殺人。
中村龍三郎は警察署長になっており、毒蛇のお蘭をつかまえてみると、昔恋した小畑絹子だったことが判明。
罪をつぐなって、元の小畑絹子になって出てきなさい、いつまでも待っている。なんて言う。
ストーリーはよそみしていても把握できるほど単純なものだが、見どころは、悪の演技。
天知茂の水もしたたるいい男ぶりが、悪の魅力をひきたてる。
これがのちに悪をとりしまる側の役柄を主に演ずることになるとは。ただし、この映画からも「非情」はじゅうぶんに汲み取れる。
馬車に小畑絹子と女中を乗せ、山中にさしかかったところで正体をあらわすシーンには鳥肌がたった。切れ長の目にパラリとかかる前髪、冷酷な笑み。どうあがいても逃げようがない、と思わせるような、蛇を睨む蛙のような妖しい眼力を発揮している。
小畑絹子も、最初のなよなよしたお嬢さんと、賭場で背中の彫り物見せて「毒蛇のお蘭とは、あたしのことだよ!」と啖呵きったり、男をたぶらかす際のわる〜いニヤリ笑いなどのワル演技のギャップが凄い。
両者のワル演技は、やり過ぎとも見えるベタベタ演技なのだが、これが見ていて面白い。
何も知らずにそのシーンだけ見ても、だれが悪いのかが一目瞭然。
一方、善の側の中村龍三郎は、まるでのぞきからくりの押絵みたいな記号化された表情。
浮世絵を見ているみたいだった。仁丹を演じさせたらきっと右に出る者はいないだろう。
中村龍三郎は物語の主役ではなかった。毒蛇が自滅する横に、その世界とは無縁な仁丹が転がっていたような話だった。
ファイナル・セーラー・クエスト 完全版
2006年6月6日 読書
火浦功の『ファイナル・セーラー・クエスト完全版』を読んだ。
よくぞ臆面もなく、つけもつけたり、この恥ずかしいタイトル。
以下、タイトルごとに覚え書き。
「セ−ラ−服と試練場」
ダンジョンの地下十階の学校に通うのりこ。
のりこは極端な方向音痴で、いつも遅刻ばかりしている。
モンスターにでくわしたり、落とし穴にはまったりしても、いちいちキャーキャー言いながら、なんとかクリアしていく。
成田山のアミュレットがのりこをささやかに守る!
「モンスター100人に聞きました」
成長すれば巨大になるバハムートを小犬と思い込んで、てなずけてしまうのりこ。
「ヒットポイントが150トン」
森田正義先生は、「職業」というか「属性」が忍者。忍者は徒手空拳で力を発揮する。
何かというと、全裸になってしまうのだ。
「ひと夏の経験値」
コッカトリスのくちばしを、銀なら5枚、金なら1枚集めて、賞品をもらおうとするのりこ。
「故郷は豆腐にありて想うもの」
伝説の豆腐売りは、豆腐の角をモンスターにクリティカルヒットさせて退治する。
「プールでクエスト」
竹本泉の漫画のための原作。
脱げてしまったスクール水着を、プールの精が返そうとして言う。
このハイレグか?それともこのヒモビキニか?
「幸福の黄色い半魚人」
魔王エンカルナシオンが帰ってきた。
妻がまだ待っているのなら、庭の世界樹ユグドラシルに黄色い半魚人を吊るしておいてくれる。
以上。
ロールプレイングゲームの世界で、ドジな女子が楽しく暮らすパロディ学園もの。
RPGの国のアリスみたいな趣きがある。趣きだけ。
笑いながら読めた楽しい本だったが、あることを考えた。
この作品で、のりこは「ガチョ〜ン」と谷啓のギャグを飛ばしたり、タイトルのひとつひとつの元ネタも、考えてみれば、すべて、ライトノベル外のものだ。
つまり、ライトノベルとアニメと漫画だけで育った人間には、元ネタがわからない。特に、小林旭ネタとか。
大塚英志もたしか『更新期の文学』で、ライトノベルが、コピ−のコピーであるために、いびつになっている、みたいなことを言ってたように記憶している。
火浦功のこの作品が書かれた時期が、まだライトノベルという言葉も定着していない黎明期だった、と考えればいいのかもしれないが、なら、なぜ今のようなライトノベルが今、花ざかり(?)なのか。
思うに、ライトノベルにそんな広い範囲からパロディ出されても、理解できない、もっと狭い範囲から出してほしい、という学校のテスト的発想なんじゃなかろうか。
今の中学生がクレイジーキャッツを意識的に見たりするとは考えられない。
この前、アニメ夜話で、しょこたんが「今回、ヤッターマンをはじめて見たんですが」とか言ってるのを聞いて、ひっくりかえった。
いろいろ見聞きしているはずのしょこたんでも、守備範囲というのがあって、全部をカバーすることはできない。当たり前だ。でも、あれ〜、ヤッターマン見てなかったなんて〜。
僕のようなオールド世代は、全部をカバーできないのは理解していても、カバーしようと無謀な計画をたてたりしたものだ。試みようと努力してみたものだ。一方、若い人の場合、カバーするものがさらに増えており、アーカイブを制覇していくだけで一生が終わってしまう。はなから自分の好きなものと決めつけた狭い分野にターゲットを絞ろう、という戦略をとっているんじゃないだろうか。
これは、最近の若いもんを否定したくて言ってるんじゃなくて、「あんたはあっち、僕らはこっち」と線引きされたみたいな気がして、冷たいな〜と思ってるのだ。僕も仲間に入れてほしいな〜と。
あっ、これって、宮台が言ってた島宇宙化、タコツボ化の話と一緒かな。
なんだ。既に本で読んだことをまた考えてたのか。
よくぞ臆面もなく、つけもつけたり、この恥ずかしいタイトル。
以下、タイトルごとに覚え書き。
「セ−ラ−服と試練場」
ダンジョンの地下十階の学校に通うのりこ。
のりこは極端な方向音痴で、いつも遅刻ばかりしている。
モンスターにでくわしたり、落とし穴にはまったりしても、いちいちキャーキャー言いながら、なんとかクリアしていく。
成田山のアミュレットがのりこをささやかに守る!
「モンスター100人に聞きました」
成長すれば巨大になるバハムートを小犬と思い込んで、てなずけてしまうのりこ。
「ヒットポイントが150トン」
森田正義先生は、「職業」というか「属性」が忍者。忍者は徒手空拳で力を発揮する。
何かというと、全裸になってしまうのだ。
「ひと夏の経験値」
コッカトリスのくちばしを、銀なら5枚、金なら1枚集めて、賞品をもらおうとするのりこ。
「故郷は豆腐にありて想うもの」
伝説の豆腐売りは、豆腐の角をモンスターにクリティカルヒットさせて退治する。
「プールでクエスト」
竹本泉の漫画のための原作。
脱げてしまったスクール水着を、プールの精が返そうとして言う。
このハイレグか?それともこのヒモビキニか?
「幸福の黄色い半魚人」
魔王エンカルナシオンが帰ってきた。
妻がまだ待っているのなら、庭の世界樹ユグドラシルに黄色い半魚人を吊るしておいてくれる。
以上。
ロールプレイングゲームの世界で、ドジな女子が楽しく暮らすパロディ学園もの。
RPGの国のアリスみたいな趣きがある。趣きだけ。
笑いながら読めた楽しい本だったが、あることを考えた。
この作品で、のりこは「ガチョ〜ン」と谷啓のギャグを飛ばしたり、タイトルのひとつひとつの元ネタも、考えてみれば、すべて、ライトノベル外のものだ。
つまり、ライトノベルとアニメと漫画だけで育った人間には、元ネタがわからない。特に、小林旭ネタとか。
大塚英志もたしか『更新期の文学』で、ライトノベルが、コピ−のコピーであるために、いびつになっている、みたいなことを言ってたように記憶している。
火浦功のこの作品が書かれた時期が、まだライトノベルという言葉も定着していない黎明期だった、と考えればいいのかもしれないが、なら、なぜ今のようなライトノベルが今、花ざかり(?)なのか。
思うに、ライトノベルにそんな広い範囲からパロディ出されても、理解できない、もっと狭い範囲から出してほしい、という学校のテスト的発想なんじゃなかろうか。
今の中学生がクレイジーキャッツを意識的に見たりするとは考えられない。
この前、アニメ夜話で、しょこたんが「今回、ヤッターマンをはじめて見たんですが」とか言ってるのを聞いて、ひっくりかえった。
いろいろ見聞きしているはずのしょこたんでも、守備範囲というのがあって、全部をカバーすることはできない。当たり前だ。でも、あれ〜、ヤッターマン見てなかったなんて〜。
僕のようなオールド世代は、全部をカバーできないのは理解していても、カバーしようと無謀な計画をたてたりしたものだ。試みようと努力してみたものだ。一方、若い人の場合、カバーするものがさらに増えており、アーカイブを制覇していくだけで一生が終わってしまう。はなから自分の好きなものと決めつけた狭い分野にターゲットを絞ろう、という戦略をとっているんじゃないだろうか。
これは、最近の若いもんを否定したくて言ってるんじゃなくて、「あんたはあっち、僕らはこっち」と線引きされたみたいな気がして、冷たいな〜と思ってるのだ。僕も仲間に入れてほしいな〜と。
あっ、これって、宮台が言ってた島宇宙化、タコツボ化の話と一緒かな。
なんだ。既に本で読んだことをまた考えてたのか。
小林桂三郎監督の「初恋おぼこ娘」を見た。1953年。
ビクターの榎本美佐江による歌謡映画で、主演している。
歌は「初恋おぼこ娘」と「今夜とても寂しいの」
美代子(榎本美佐江)はお好み焼き屋の娘。
列車の中で、若だんな修吉(若杉英二)と知り合う。
修吉は幼馴染みの春江(北原三枝)と縁談が持ち上がっている。
修吉はお茶の問屋の若旦那、春江は菓子屋の老舗のお嬢さん。絵に描いたようなピッタリな2人だ。
しかし、それは親の勝手な思いだけで、お互いに結婚する気はない。
修吉が春江にあてた手紙が、間違って美代子に届き、2人はデートする。
2人の仲は接近するが、春江との縁談を耳にし、身分違いの恋と思い、身をひく美代子。
春江には結婚したい別の男性がいたため、それを美代子に告げに行き、誤解をとく。
と、いった、よくある誤解を解いて丸くおさまる恋愛話。
榎本美佐江のあかぬけなさが見事。
奥歯に銀歯を入れているのが見える。
「初恋おぼこ娘」の歌では「娘18まだおぼこ」と歌われ、美代子の役柄は19歳。
先日見た「インストール」の主人公は17才の設定だった。
インストールの子だってかなりのおぼこだったが、この「初恋おぼこ娘」は年が上なのに、もっとおぼこ。しかし、恋愛が結婚に直結している時代に美代子は生きているのだ。
この映画での一番の見どころは、手紙の届き間違いだろう。
修吉はお好み焼き屋にいる春江にあてて、手紙を届けてもらう。
使いの者は、お好み焼き屋で、「お嬢さんいますか」と言うが、お好み焼き屋で働く店員にとって、「お嬢様」は美代子のことだったのだ。
修吉は美代子が来たことで、手紙が間違って届いたことを知ったのだが、美代子に気があったため、それを言わずにいたのだ。
もともとなぜ修吉が春江に手紙を書いたかというと、春江が途中で言うのをやめた話の続きを聞くためであった。その話こそ、春江には結婚したいと思っている別の男がいるという件なのであった。
つまり、手紙は、修吉と春江は結婚せず、お互いに好きな人と恋愛しましょう、という結論を導くための1通になるはずだった。
ところが、届く相手を間違えたことが、かえって手紙本来の役割を強化して実現している。
手紙は間違って届いたのではなく、まさに最適の相手に届けられたのだ。
ビクターの榎本美佐江による歌謡映画で、主演している。
歌は「初恋おぼこ娘」と「今夜とても寂しいの」
美代子(榎本美佐江)はお好み焼き屋の娘。
列車の中で、若だんな修吉(若杉英二)と知り合う。
修吉は幼馴染みの春江(北原三枝)と縁談が持ち上がっている。
修吉はお茶の問屋の若旦那、春江は菓子屋の老舗のお嬢さん。絵に描いたようなピッタリな2人だ。
しかし、それは親の勝手な思いだけで、お互いに結婚する気はない。
修吉が春江にあてた手紙が、間違って美代子に届き、2人はデートする。
2人の仲は接近するが、春江との縁談を耳にし、身分違いの恋と思い、身をひく美代子。
春江には結婚したい別の男性がいたため、それを美代子に告げに行き、誤解をとく。
と、いった、よくある誤解を解いて丸くおさまる恋愛話。
榎本美佐江のあかぬけなさが見事。
奥歯に銀歯を入れているのが見える。
「初恋おぼこ娘」の歌では「娘18まだおぼこ」と歌われ、美代子の役柄は19歳。
先日見た「インストール」の主人公は17才の設定だった。
インストールの子だってかなりのおぼこだったが、この「初恋おぼこ娘」は年が上なのに、もっとおぼこ。しかし、恋愛が結婚に直結している時代に美代子は生きているのだ。
この映画での一番の見どころは、手紙の届き間違いだろう。
修吉はお好み焼き屋にいる春江にあてて、手紙を届けてもらう。
使いの者は、お好み焼き屋で、「お嬢さんいますか」と言うが、お好み焼き屋で働く店員にとって、「お嬢様」は美代子のことだったのだ。
修吉は美代子が来たことで、手紙が間違って届いたことを知ったのだが、美代子に気があったため、それを言わずにいたのだ。
もともとなぜ修吉が春江に手紙を書いたかというと、春江が途中で言うのをやめた話の続きを聞くためであった。その話こそ、春江には結婚したいと思っている別の男がいるという件なのであった。
つまり、手紙は、修吉と春江は結婚せず、お互いに好きな人と恋愛しましょう、という結論を導くための1通になるはずだった。
ところが、届く相手を間違えたことが、かえって手紙本来の役割を強化して実現している。
手紙は間違って届いたのではなく、まさに最適の相手に届けられたのだ。
つっぱれ有栖川、息子の青春
2006年6月4日 読書
ヤマグチノボルの『つっぱれ有栖川』を読んだ。
相撲の有栖川部屋の娘に生まれたばっかりに、大関北小岩との結婚を親に強いられる、ありす。北小岩は性格に問題ありで、ありすは、何としても大関との結婚を反古にしたい。
そこで、親方(父親)は、高校の女子相撲部を親善試合で勝利させれば、結婚のことは考えなおし、自由にしてやろう、と条件を出して来た。
相手の学校の女子相撲部は、強豪中の強豪。
ところが、ありすの学校の女子相撲部は、親方の差し金で部員全体が退部したところ。
にわかに集めたズブの素人部員をどうやって勝利に導くのか。
ちなみに、その部員は、
菅田三枝:デブのコギャル。ちゃんこを食べるために入部。四股名「テディベア」
シャルロット・ド・ルクレール:日本文化に興味あり。四股名「パリジェンヌ」
伊達せいら:華奢で小さく、力がない。四股名「破戒坊主」
震藤響:旧部員。前回の試合で、唯一、勇み足で勝利した。四股名「シャネルの五番」
クライマックスでは、ありすが有栖川部屋の友人と闘うことになる。
どこかで似たようなのがあったな、と思ったら、一色まことのプロレス漫画『ハッスル』だ。
さて、この小説、青春スポーツ根性コメディとして、まとまりもよくて、とても面白かった。もっと破天荒な展開や、ギャグやパロディがないと、最近のライトノベルとしてはものたりないんじゃないか、と思ったほどだ。
あくまでもギャグというより、コメディな感じ。
ところどころアニメや漫画のテイストが入るが、一番近いのは、学園青春ドラマ(実写)だろう。
シコふんじゃった、のイメージにかぶるものがあるのかも。
ヤマグチノボルはこの後に『ゼロの使い魔』などのライトノベルを多数書いている。
この小説のレベルが保てているなら、面白そうだ。読みたい。
そして、見た映画は小林正樹監督の『息子の青春』1952年
小説家の父と、思春期まっただなかの息子2人。
長男がガールフレンドとの恋愛で。
次男が喧嘩っぱやい友人の巻き添えで、警察の御厄介に。
なんてありがちな事件で、父は寛大に見守ろうとし、母はドキドキハラハラ。
誕生パーティにガールフレンドを呼んでいいかどうかを父に打診する長男のシーンが時代を感じさせる。
まず、父親の部屋(小説を書くための部屋のようだ)に入るときには、外の鐘を鳴らさなくてはならない。そして、入っていいと許可を得てから、中に入る。長男はビクビクものでガールフレンドを呼んでもいいかどうか聞くのだ。
また、デートで歌舞伎を見に行くことになったとき、母はそのために背広を1着調達する。背広姿でパリッとした成長ぶりを見せる長男に、母は涙ぐむ。
僕も、中学に進学するとき、学生服を着た僕を見て、母が涙ぐんでいた。
ああ、ベタな者、汝の名は母なり!
おこづかいももらってデートに行った長男だが、銀座のアラスカ(高級レストラン)に臆して入ることもできない。
一方、次男は他校の学生と喧嘩して、勝利の証しとして腕時計を奪い取ったところ、強盗容疑をかけられて、拘束されてしまう。
単なる学生どうしの喧嘩で終わるはずだったのが、次男の友人の親(笠智衆)が、強硬で、一向に謝ろうとしないため、ことがややこしくなる。
次男の家では、「あなたが放任主義すぎて育てまちがった」だの母親がうろたえまくる。
父親が警察に行き、謝罪して丸くおさまる。
長男、次男、そして次男の友人は、家の庭で相撲をとって遊ぶ。
と、まあ、今日は相撲つながりでしめた。
この映画は1回見たことがある。
でも、ストーリーを覚えていなかったので、見はじめたら止まらずに最後まで見てしまった。
映画の中では、長男が自転車に乗りながら歌う「黄色いリボン」と、誕生パーティでえんえんと歌われる「ハッピーバースデイ」が、一応外国曲のせいか、洒落た印象を受けた。
洒落ているけど、母が「ラブレーター」と発音してみたり、学生たちの顔など、50年以上前の日本だと強く感じさせる。
要所に自転車のシーンがあって、それで青春を感じてしまうのは、トリュフォーで刷り込まれたせいなのか。
相撲の有栖川部屋の娘に生まれたばっかりに、大関北小岩との結婚を親に強いられる、ありす。北小岩は性格に問題ありで、ありすは、何としても大関との結婚を反古にしたい。
そこで、親方(父親)は、高校の女子相撲部を親善試合で勝利させれば、結婚のことは考えなおし、自由にしてやろう、と条件を出して来た。
相手の学校の女子相撲部は、強豪中の強豪。
ところが、ありすの学校の女子相撲部は、親方の差し金で部員全体が退部したところ。
にわかに集めたズブの素人部員をどうやって勝利に導くのか。
ちなみに、その部員は、
菅田三枝:デブのコギャル。ちゃんこを食べるために入部。四股名「テディベア」
シャルロット・ド・ルクレール:日本文化に興味あり。四股名「パリジェンヌ」
伊達せいら:華奢で小さく、力がない。四股名「破戒坊主」
震藤響:旧部員。前回の試合で、唯一、勇み足で勝利した。四股名「シャネルの五番」
クライマックスでは、ありすが有栖川部屋の友人と闘うことになる。
どこかで似たようなのがあったな、と思ったら、一色まことのプロレス漫画『ハッスル』だ。
さて、この小説、青春スポーツ根性コメディとして、まとまりもよくて、とても面白かった。もっと破天荒な展開や、ギャグやパロディがないと、最近のライトノベルとしてはものたりないんじゃないか、と思ったほどだ。
あくまでもギャグというより、コメディな感じ。
ところどころアニメや漫画のテイストが入るが、一番近いのは、学園青春ドラマ(実写)だろう。
シコふんじゃった、のイメージにかぶるものがあるのかも。
ヤマグチノボルはこの後に『ゼロの使い魔』などのライトノベルを多数書いている。
この小説のレベルが保てているなら、面白そうだ。読みたい。
そして、見た映画は小林正樹監督の『息子の青春』1952年
小説家の父と、思春期まっただなかの息子2人。
長男がガールフレンドとの恋愛で。
次男が喧嘩っぱやい友人の巻き添えで、警察の御厄介に。
なんてありがちな事件で、父は寛大に見守ろうとし、母はドキドキハラハラ。
誕生パーティにガールフレンドを呼んでいいかどうかを父に打診する長男のシーンが時代を感じさせる。
まず、父親の部屋(小説を書くための部屋のようだ)に入るときには、外の鐘を鳴らさなくてはならない。そして、入っていいと許可を得てから、中に入る。長男はビクビクものでガールフレンドを呼んでもいいかどうか聞くのだ。
また、デートで歌舞伎を見に行くことになったとき、母はそのために背広を1着調達する。背広姿でパリッとした成長ぶりを見せる長男に、母は涙ぐむ。
僕も、中学に進学するとき、学生服を着た僕を見て、母が涙ぐんでいた。
ああ、ベタな者、汝の名は母なり!
おこづかいももらってデートに行った長男だが、銀座のアラスカ(高級レストラン)に臆して入ることもできない。
一方、次男は他校の学生と喧嘩して、勝利の証しとして腕時計を奪い取ったところ、強盗容疑をかけられて、拘束されてしまう。
単なる学生どうしの喧嘩で終わるはずだったのが、次男の友人の親(笠智衆)が、強硬で、一向に謝ろうとしないため、ことがややこしくなる。
次男の家では、「あなたが放任主義すぎて育てまちがった」だの母親がうろたえまくる。
父親が警察に行き、謝罪して丸くおさまる。
長男、次男、そして次男の友人は、家の庭で相撲をとって遊ぶ。
と、まあ、今日は相撲つながりでしめた。
この映画は1回見たことがある。
でも、ストーリーを覚えていなかったので、見はじめたら止まらずに最後まで見てしまった。
映画の中では、長男が自転車に乗りながら歌う「黄色いリボン」と、誕生パーティでえんえんと歌われる「ハッピーバースデイ」が、一応外国曲のせいか、洒落た印象を受けた。
洒落ているけど、母が「ラブレーター」と発音してみたり、学生たちの顔など、50年以上前の日本だと強く感じさせる。
要所に自転車のシーンがあって、それで青春を感じてしまうのは、トリュフォーで刷り込まれたせいなのか。
Djamra、AKB48
2006年6月3日 アイドル
心斎橋アップルストアでは、無料でライブを見ることができる。
今日は3時、5時、7時と違うライブが行われていた。
僕が見たのは、5時の回から。
Djamraはジャズロック。サックスが面白い。
名前の響きからか、頭の中では「ジャム・カラット」というバンド名がぐるぐる回っていた。
そのままパソコンを使っていろいろ見ているうちに、7時。
AKB48の新曲「スカート、ひらり」の7人がミニライブ。
板野友美、大島麻衣、小嶋陽菜、高橋みなみ、中西里菜、成田梨紗、前田敦子
東京から来たお客さんも多かったらしくて、満員御礼。メンバーの手の先と、頭の先がたまに見える程度だった。
これでは、AKB48が本当に可愛いのかどうかの判断もつかない。
トークでのやりとりも、「モーニング娘。が大好きで」と言えば客が「え〜っ」というような理解不能なリアクションがあった。オタク内ではモーニング娘。の名を出すのはダメなのだろうか。僕みたいな一般客には知られざる世界だ。
声だけ聞こえる、まるでラジオのような状態のイベントで、ライブそのものはきっと楽しかったのだろうが、お金を払って東京まで見に行くほどの価値は見出せなかった。わざわざ東京まで行って、また声しか聞けないのでは、CDを家で聞いているのと変わらないからだ。つまり、あんなにも全く見えないイベントでは、プロモーションとしては大失敗だったということだ。今となっては、口パクだったかどうかも、どうでもいいことだ。どっちみち本人たちを見ていないのだから。別人が出て来ていても、わからない。
ライブ前に、劇場でのライブの映像も流れていたが、それすらもほとんど見えなかった。
見に来てたみんな、身長高すぎ。寝転がって見てくれ。
千里セルシーでやってくれてたらな〜。
なお、会場で「まちウケ!」収録のときにお世話になった電通の人に再会できた。
これが収穫か。
1.会いたかった
2.AKB48
3.桜の花びらたち
4.スカート、ひらり
5.スカート、ひらり
テレビでK1を放送していたので、見た。
セーム・シュルト追い出し作戦は順調に進んでいるようだ。
一方的にシュルトが攻めて、たまにホンマンがやけくそのパンチを出すだけなのに、実況はホンマンの側に立ったアナウンスをする。ホンマンがシュルトの後頭部を殴ったときも、それは明らかに反則なのに、「うしろを向いたシュルトが悪い」と堂々と言っていた。
こんな調子で、多くの冤罪事件はでっちあげられて行ったのだろう。
判定は、もちろん、ホンマンの勝ち。
シュルトの憮然とした表情がすべてを語っていた。
どう見ても、シュルトが優勢だった。
そうやってK1チャンピオンが、ピークを越えた年寄りアーツや、キャリアの短いホンマンにバタバタ負けるような結果を重ねて、いったいどうするつもりなのか。
チャンピオンの価値が下がる一方ではないか。
それとも、シュルトがいては、武蔵は永遠にチャンピオンになれないからなのか。
久々に銭ゲバに行く。
25日のHELP!について、いろいろ考える。
今日は3時、5時、7時と違うライブが行われていた。
僕が見たのは、5時の回から。
Djamraはジャズロック。サックスが面白い。
名前の響きからか、頭の中では「ジャム・カラット」というバンド名がぐるぐる回っていた。
そのままパソコンを使っていろいろ見ているうちに、7時。
AKB48の新曲「スカート、ひらり」の7人がミニライブ。
板野友美、大島麻衣、小嶋陽菜、高橋みなみ、中西里菜、成田梨紗、前田敦子
東京から来たお客さんも多かったらしくて、満員御礼。メンバーの手の先と、頭の先がたまに見える程度だった。
これでは、AKB48が本当に可愛いのかどうかの判断もつかない。
トークでのやりとりも、「モーニング娘。が大好きで」と言えば客が「え〜っ」というような理解不能なリアクションがあった。オタク内ではモーニング娘。の名を出すのはダメなのだろうか。僕みたいな一般客には知られざる世界だ。
声だけ聞こえる、まるでラジオのような状態のイベントで、ライブそのものはきっと楽しかったのだろうが、お金を払って東京まで見に行くほどの価値は見出せなかった。わざわざ東京まで行って、また声しか聞けないのでは、CDを家で聞いているのと変わらないからだ。つまり、あんなにも全く見えないイベントでは、プロモーションとしては大失敗だったということだ。今となっては、口パクだったかどうかも、どうでもいいことだ。どっちみち本人たちを見ていないのだから。別人が出て来ていても、わからない。
ライブ前に、劇場でのライブの映像も流れていたが、それすらもほとんど見えなかった。
見に来てたみんな、身長高すぎ。寝転がって見てくれ。
千里セルシーでやってくれてたらな〜。
なお、会場で「まちウケ!」収録のときにお世話になった電通の人に再会できた。
これが収穫か。
1.会いたかった
2.AKB48
3.桜の花びらたち
4.スカート、ひらり
5.スカート、ひらり
テレビでK1を放送していたので、見た。
セーム・シュルト追い出し作戦は順調に進んでいるようだ。
一方的にシュルトが攻めて、たまにホンマンがやけくそのパンチを出すだけなのに、実況はホンマンの側に立ったアナウンスをする。ホンマンがシュルトの後頭部を殴ったときも、それは明らかに反則なのに、「うしろを向いたシュルトが悪い」と堂々と言っていた。
こんな調子で、多くの冤罪事件はでっちあげられて行ったのだろう。
判定は、もちろん、ホンマンの勝ち。
シュルトの憮然とした表情がすべてを語っていた。
どう見ても、シュルトが優勢だった。
そうやってK1チャンピオンが、ピークを越えた年寄りアーツや、キャリアの短いホンマンにバタバタ負けるような結果を重ねて、いったいどうするつもりなのか。
チャンピオンの価値が下がる一方ではないか。
それとも、シュルトがいては、武蔵は永遠にチャンピオンになれないからなのか。
久々に銭ゲバに行く。
25日のHELP!について、いろいろ考える。
ペドロ・アルモドバル監督の「セクシリア」を見た。1982年。
意外なことに、今回はじめて見た。
ロックバンドのメンバー、セクシリア(セシリア・ロス)はニンフォマニア。
父親のペニャ博士は人工受精の権威で、実はセックス嫌い。
ティラン国の元皇后から、皇帝の精液を人工受精する計画を依頼されている。
ティラン国の王子リサ・ニロはバンド「エリョス」の代役のボーカルとしてステージに立ち、セクシリアと知り合う。エリョスのボーカルは、ライブ前にバナナの皮を踏んで階段を落ちて、怪我をしていたのだ。
ティラン国転覆を狙う過激派グループ(この中に若き日のアントニオ・バンデラスがいる。格好悪い!)は、リサ・ニロ拉致を計画。部屋の中にホメイニの肖像があるので、ティランがイランのことだ、と観客にはわかる。
エリョスのボーカルは、リサ・ニロを見つけたら賞金がもらえる、と知って、リサ・ニロを追う。
登場人物がみんな変なドタバタ。
妻に逃げられて、娘スサーナを抱く父親(娘と母の区別がついてない)とか。父親は精力剤を飲み、スサーナは性欲抑制剤を秘かに飲ますが、2つの薬の効果がまざって、父親は偏執狂になってしまたのだ。
帽子にリカちゃん人形みたいなのを3体立てたファッションの女とか。
ドリルで血まみれになりながら、長電話してるシチュエーションで写真を撮る撮影風景とか。
窓際で裸で屈伸運動して、人前でのオナラを克服しようとする女。
クライマックスのドタバタチェイスでは、下剤を飲んで、トイレに行こうとしている女が、次々と追っ手につかまって「あいつはどこに行った!」と聞かれる。挙げ句の果には、この女、ウンコもらすんだよ!音だけとかじゃなく、足元に軟便がちゃんと映ってる!
ステージで即興っぽく歌われる数え歌もむちゃくちゃ。
1、ワンプラスワン
2、ツーアウト
3、スリードッグナイト
4、フォーシーズン
5、ジャクソンファイブ
6、あたいのセックス
7、セブンアップ
8、アフターエイト
9、ナインのみなさん
10、ファッキング・ボー・デレク
あたしをしゃぶって
ディナーの後も、ディナーの前も
ランチの後も、ランチの前も
朝食の後も、朝食の前も
ブランチの後も、ブランチの前も
ほしい、ほしい
お金がほしい
ドラッグがほしい
すべてのドラッグがほしい
コカインで、カツを入れ
ヘロインで、夢の中
マリファナで、ハイになり
バスタイドで、リラックス
バリウム15で、興奮し
テクシドリンで、発狂さ
ソゼゴンで、幻覚症状
アヘンで、ノックダウン
これでできあがり
この歌を歌ってる小太りのハードゲイが、監督のペドロ・アルモドバルらしいのだ。
そして、空港に主要人物が集合してのラストはどうなったかというと、こりゃまたムチャクチャ。
過激派はリサ・ニロ拉致をあきらめて、元皇后を誘拐する。
ペニャ博士は、スサーナとセックスしてお互いに癒される。
セクシリアは色情狂になったきっかけを思い出して癒され、リサ・ニロと飛行機の中でセックス。
ペドロ・アルモドバル監督には、今こそこういう変態映画を撮って、映画館に集まるカルチャー婆あをギャフンと言わせてもらいたいものだ。
意外なことに、今回はじめて見た。
ロックバンドのメンバー、セクシリア(セシリア・ロス)はニンフォマニア。
父親のペニャ博士は人工受精の権威で、実はセックス嫌い。
ティラン国の元皇后から、皇帝の精液を人工受精する計画を依頼されている。
ティラン国の王子リサ・ニロはバンド「エリョス」の代役のボーカルとしてステージに立ち、セクシリアと知り合う。エリョスのボーカルは、ライブ前にバナナの皮を踏んで階段を落ちて、怪我をしていたのだ。
ティラン国転覆を狙う過激派グループ(この中に若き日のアントニオ・バンデラスがいる。格好悪い!)は、リサ・ニロ拉致を計画。部屋の中にホメイニの肖像があるので、ティランがイランのことだ、と観客にはわかる。
エリョスのボーカルは、リサ・ニロを見つけたら賞金がもらえる、と知って、リサ・ニロを追う。
登場人物がみんな変なドタバタ。
妻に逃げられて、娘スサーナを抱く父親(娘と母の区別がついてない)とか。父親は精力剤を飲み、スサーナは性欲抑制剤を秘かに飲ますが、2つの薬の効果がまざって、父親は偏執狂になってしまたのだ。
帽子にリカちゃん人形みたいなのを3体立てたファッションの女とか。
ドリルで血まみれになりながら、長電話してるシチュエーションで写真を撮る撮影風景とか。
窓際で裸で屈伸運動して、人前でのオナラを克服しようとする女。
クライマックスのドタバタチェイスでは、下剤を飲んで、トイレに行こうとしている女が、次々と追っ手につかまって「あいつはどこに行った!」と聞かれる。挙げ句の果には、この女、ウンコもらすんだよ!音だけとかじゃなく、足元に軟便がちゃんと映ってる!
ステージで即興っぽく歌われる数え歌もむちゃくちゃ。
1、ワンプラスワン
2、ツーアウト
3、スリードッグナイト
4、フォーシーズン
5、ジャクソンファイブ
6、あたいのセックス
7、セブンアップ
8、アフターエイト
9、ナインのみなさん
10、ファッキング・ボー・デレク
あたしをしゃぶって
ディナーの後も、ディナーの前も
ランチの後も、ランチの前も
朝食の後も、朝食の前も
ブランチの後も、ブランチの前も
ほしい、ほしい
お金がほしい
ドラッグがほしい
すべてのドラッグがほしい
コカインで、カツを入れ
ヘロインで、夢の中
マリファナで、ハイになり
バスタイドで、リラックス
バリウム15で、興奮し
テクシドリンで、発狂さ
ソゼゴンで、幻覚症状
アヘンで、ノックダウン
これでできあがり
この歌を歌ってる小太りのハードゲイが、監督のペドロ・アルモドバルらしいのだ。
そして、空港に主要人物が集合してのラストはどうなったかというと、こりゃまたムチャクチャ。
過激派はリサ・ニロ拉致をあきらめて、元皇后を誘拐する。
ペニャ博士は、スサーナとセックスしてお互いに癒される。
セクシリアは色情狂になったきっかけを思い出して癒され、リサ・ニロと飛行機の中でセックス。
ペドロ・アルモドバル監督には、今こそこういう変態映画を撮って、映画館に集まるカルチャー婆あをギャフンと言わせてもらいたいものだ。
毎日に脱力し、学校へ行かなくなった17歳の朝子(上戸彩)は、自分が捨てたパソコンを拾っていった小学生かずよし(神木隆之介)と知り合い、人妻風俗嬢のエロチャットの代役を務めることになり…。 史上最年少で芥川賞を受賞した綿矢りさが17歳のときに記した同名デビュー小説(第38回文藝賞受賞)を原作にした風変わりな青春映画。…
と、説明が書いてあったので、そのまま使う。
印象に残ったシーン、ベスト3
1、上戸彩が路上で寝転んでいて足をあげ、「パンツ見たでしょ」
2、エロサイトにアクセスする上戸彩が顔を紅潮させて「濡れた」
3、男の子に胸を触らせる上戸彩。
なんて、罠が張ってある映画。
これらのシーンは、目くらましなので、ここにひっかかると、映画を大きく見誤る可能性がある。
危ない、あぶない。
片岡K監督は、かなり面白く映画を作っていたと思う。
あいにくと原作は読んでいないのだが、ところどころ、おそらく原作を引用したのではないか、と思われる文章が出て来る。
たとえば「あんたには人生の目標がない」と言われるところとか。
「私は私の若さを気にしていた」とか。
高校生特有の青臭さがあり、成人は、こんな台詞は思い付いても表には出さないものだ。
部屋の中をからっぽにしても、親が気づかないことに苛立つなど、中途半端な自意識過剰は、鼻につく。
上戸彩役の人物が身近にいたら、きっと「勝手に自意識肥大させとけば」と放置しているだろう。
ところが、この映画では、「おーおー、若い頃には、こんなこともあるわな」と寛大な気持で受け止められるのだ。
原作読んでから、またこのあたりのことは考えてみたいと思うが、主人公の言動自体が馬鹿すぎて話にならないはずなのに、それほど悪い印象も受けずにすんでいるのは、この映画の功績じゃないか、と思っている。(現在のところ)
ただ、この映画は、上戸彩映画であり、神木映画であった。2人の魅力をひきだすのは成功しているが、ストーリーのどうでもよさが、かえって引き立った。こんなことで、原作、読めるんだろうか。
いや、読めるはずだ。
映画と原作は全然別物なのだから。
きっと、原作を読んでも、「面白い!」と感動している自分の姿が目に浮かぶようだ。
と、説明が書いてあったので、そのまま使う。
印象に残ったシーン、ベスト3
1、上戸彩が路上で寝転んでいて足をあげ、「パンツ見たでしょ」
2、エロサイトにアクセスする上戸彩が顔を紅潮させて「濡れた」
3、男の子に胸を触らせる上戸彩。
なんて、罠が張ってある映画。
これらのシーンは、目くらましなので、ここにひっかかると、映画を大きく見誤る可能性がある。
危ない、あぶない。
片岡K監督は、かなり面白く映画を作っていたと思う。
あいにくと原作は読んでいないのだが、ところどころ、おそらく原作を引用したのではないか、と思われる文章が出て来る。
たとえば「あんたには人生の目標がない」と言われるところとか。
「私は私の若さを気にしていた」とか。
高校生特有の青臭さがあり、成人は、こんな台詞は思い付いても表には出さないものだ。
部屋の中をからっぽにしても、親が気づかないことに苛立つなど、中途半端な自意識過剰は、鼻につく。
上戸彩役の人物が身近にいたら、きっと「勝手に自意識肥大させとけば」と放置しているだろう。
ところが、この映画では、「おーおー、若い頃には、こんなこともあるわな」と寛大な気持で受け止められるのだ。
原作読んでから、またこのあたりのことは考えてみたいと思うが、主人公の言動自体が馬鹿すぎて話にならないはずなのに、それほど悪い印象も受けずにすんでいるのは、この映画の功績じゃないか、と思っている。(現在のところ)
ただ、この映画は、上戸彩映画であり、神木映画であった。2人の魅力をひきだすのは成功しているが、ストーリーのどうでもよさが、かえって引き立った。こんなことで、原作、読めるんだろうか。
いや、読めるはずだ。
映画と原作は全然別物なのだから。
きっと、原作を読んでも、「面白い!」と感動している自分の姿が目に浮かぶようだ。
鉄甲機ミカヅキ〈上〉(下)
2006年5月31日 読書
飯野文彦によるノベライズ『鉄甲機ミカヅキ』上下巻を読んだ。
上巻は、テレビシリーズでいう「序夜」の部分。
古代遺跡を調査中に、行方不明になる父。いじめられる少年。あけぼの重工。ミカヅキ。
映像で見るのと違い、文字で書かれると、いろんなディテイルがはっきりとしてきて面白い。
アカネ社長が少年風雄を見たとき、どんな印象だったかというと、
「見るからに気の弱そうな、鈍くさそうなガキだった」とボロクソ。
でも、僕もそう思ってたけどね!
また、イドムとは何かというと、
「謎の物体ウテルスによって、何者かの想念が具現化したモンスターである」と説明してある。
トルパは想念を実体化することで、理想の世界を実現させようと、ウテルスを作ったのだが、楽園創造計画は失敗に終わった。人間には業があり、その想念の具現化は、モンスターを生み出すだけだったのだ。
神官ザメは、トルパのウテルスに対抗するために、ミカヅキとシンゲツを作り上げたのだった。
あと、月光壱号機の正式名称は「重運搬車両可変型操縦機2002年式HVGM」らしい。
「HVGM」は「Heavy trailer Variable Geometry Manipulater」の略。
感心したのは、下巻の展開。
テレビシリーズとは違って、ここであらわれるのは、ノートイドム。
風雄が破り捨てた交換日記がモンスター化するのだ。
風雄をいじめていた男の子は、秘かにナナちゃんに惚れていて、「くそ、なぜ、あんな風雄みたいな奴と交換日記してるんだ」というどろどろした感情が、モンスター化したのだ。
日記に書かれた文字が「文字ノイド」として、戦闘員みたいな感じで襲ってくる。
文字は日記に書かれていた文章から自由になり、違う配列になって罵詈雑言を吐いたりするのだ。
さて、このノベライズを読んだのは、先日『萌えの研究』で、どこかのオタクが「ライトノベルをデータベースとして読む」とか言ってたのを読み、それが可能なのかどうかを考えてみたかったからでもある。
確かに、ミカヅキの世界をコンパクトに知ることは可能なようだ。
ただ、このノベライズでも、本放送とは違うエピソードが語られており、微妙に設定も違っていたりする。
ノベライズは番組をより面白く楽しむためにはいいのかもしれないが、ノベライズで番組のかわりをすることは不可能だ。
ましてや、特撮ものみたいな、映像重視の作品を、ノベライズだけ読んで把握できるわけがない。
アニメにしたって事情は同じだろう。
作品の世界観や、おおざっぱなストーリーの流れよりも、オタクなら細部にこだわるはずだ。絵柄や声優のちょっとした変化にもっとも過敏に反応するのが、オタクなんじゃないか。
映像と、原作あるいはノベライズは全然違うものだ、ということは、つまり、あれですか。
たとえば「風とともに去りぬ」は映画しか見てなくて、原作読んでないけど、僕はまだ「風とともに去りぬ」を半分も味わっていない、ということなのか。
そうなんだろうなあ。
映画やテレビで映像化したものと、原作って、あまりにも違いすぎて、目を疑うことが多いし。
上巻は、テレビシリーズでいう「序夜」の部分。
古代遺跡を調査中に、行方不明になる父。いじめられる少年。あけぼの重工。ミカヅキ。
映像で見るのと違い、文字で書かれると、いろんなディテイルがはっきりとしてきて面白い。
アカネ社長が少年風雄を見たとき、どんな印象だったかというと、
「見るからに気の弱そうな、鈍くさそうなガキだった」とボロクソ。
でも、僕もそう思ってたけどね!
また、イドムとは何かというと、
「謎の物体ウテルスによって、何者かの想念が具現化したモンスターである」と説明してある。
トルパは想念を実体化することで、理想の世界を実現させようと、ウテルスを作ったのだが、楽園創造計画は失敗に終わった。人間には業があり、その想念の具現化は、モンスターを生み出すだけだったのだ。
神官ザメは、トルパのウテルスに対抗するために、ミカヅキとシンゲツを作り上げたのだった。
あと、月光壱号機の正式名称は「重運搬車両可変型操縦機2002年式HVGM」らしい。
「HVGM」は「Heavy trailer Variable Geometry Manipulater」の略。
感心したのは、下巻の展開。
テレビシリーズとは違って、ここであらわれるのは、ノートイドム。
風雄が破り捨てた交換日記がモンスター化するのだ。
風雄をいじめていた男の子は、秘かにナナちゃんに惚れていて、「くそ、なぜ、あんな風雄みたいな奴と交換日記してるんだ」というどろどろした感情が、モンスター化したのだ。
日記に書かれた文字が「文字ノイド」として、戦闘員みたいな感じで襲ってくる。
文字は日記に書かれていた文章から自由になり、違う配列になって罵詈雑言を吐いたりするのだ。
さて、このノベライズを読んだのは、先日『萌えの研究』で、どこかのオタクが「ライトノベルをデータベースとして読む」とか言ってたのを読み、それが可能なのかどうかを考えてみたかったからでもある。
確かに、ミカヅキの世界をコンパクトに知ることは可能なようだ。
ただ、このノベライズでも、本放送とは違うエピソードが語られており、微妙に設定も違っていたりする。
ノベライズは番組をより面白く楽しむためにはいいのかもしれないが、ノベライズで番組のかわりをすることは不可能だ。
ましてや、特撮ものみたいな、映像重視の作品を、ノベライズだけ読んで把握できるわけがない。
アニメにしたって事情は同じだろう。
作品の世界観や、おおざっぱなストーリーの流れよりも、オタクなら細部にこだわるはずだ。絵柄や声優のちょっとした変化にもっとも過敏に反応するのが、オタクなんじゃないか。
映像と、原作あるいはノベライズは全然違うものだ、ということは、つまり、あれですか。
たとえば「風とともに去りぬ」は映画しか見てなくて、原作読んでないけど、僕はまだ「風とともに去りぬ」を半分も味わっていない、ということなのか。
そうなんだろうなあ。
映画やテレビで映像化したものと、原作って、あまりにも違いすぎて、目を疑うことが多いし。
映画「情熱の花」を見た。1960年。
テレビで「ザ・ヒットパレード」というドラマをしており、そこでなっちとあさみん姉妹がザ・ピーナッツの役で出演していた。
ザ・ピーナッツは、歌のうまさは一流で、外国曲など歌っているのに、どこか田舎者っぽいイメージがあった。安倍姉妹のイメージと、ぴったり来るのだ。ザ・ピーナッツの歌をレパートリーにしているWよりも、本家に近い。
と、いうわけで、ザ・ピーナッツが出演し、もちろん歌もうたっているこの映画を見ることにした。
監督は堀池清。
問題児を集めた教護院、東京学園。
脱走してトランペットを盗み、逃げる少年。
相棒のワルは楽器店の店員を刺し殺してしまった。
少年補導員の女性に見つかり、少年は学園に戻る。
ところが、この少年補導員の兄こそが、死んだ楽器店の店員だったのだ。
少年補導員は、警察の楽隊員に頼んで、学園に楽器を持って行き、音楽に触れてもらおうとする。
心をとざしていた少年も、徐々に音楽の力、トランペットの魅力で更正していく。
少年は相棒のワルに自首をすすめにいき、そこで格闘、警察によってワルはつかまる。
少年も、大会で学園の生徒で作った楽隊でトランペットを吹き、演奏後に警察に連れられて行く。
この映画では、ザ・ピーナッツは少年補導員の友人で、そのまま歌手の役柄で出ている。
「悲しき16才」
「心の窓に灯を」
「情熱の花」
以上3曲が歌われている。冒頭シーンの警察の吹奏楽パレードシーンや、少年の吹くトランペットなどでも、これらの曲が演奏される。
荒れた心に音楽が救いになる、というイメージは、かなり前に読んだ牧野吉晴『海の鉄仮面』という小説をすぐに思い出すのだが、余儀無く本を処分してからというもの、焼け野原で弾くピアノのシーン以外、何も思い出せない。ピアノじゃなくて、オルガンだったかもしれない。
そうそう、この映画、ザ・ピーナッツが出ていること以外に、特筆すべき箇所はないな、と思った。
少年補導員が稲垣美穂子、楽隊員が沢本忠雄だったことくらいかな。
稲垣美穂子は1961年には日活をやめてしまうけど、この映画が上映された1960年だけでも10本以上の映画に出ている。スターだったのだ。
沢本忠雄は「どてらい男」での印象が強くて、いつまでたっても、いじめ役のイメージが抜けない。最近になって、「事件記者」の沢本忠雄を見てなんだか違和感を覚えたりした。事件記者の方が先なんだけど、見た順が逆だったので。
とかなんとか。昨日、テレビで「下妻物語」やってたのを見た。
劇場でも見ていたけど、見始めたら、止まらなかった。最後まで見た。
ノーカット放送ではなかったが、じゅうぶん面白い。
途中でアニメが入るところなど、当時の流行を思い出させる(キルビルとか)。
ラストあたりで、深田恭子が花を散らした絆創膏を顔に貼っているのに拍手した。
野ばら君、早くまた大阪で「へなちょこ」でも開店しないかな。
テレビで「ザ・ヒットパレード」というドラマをしており、そこでなっちとあさみん姉妹がザ・ピーナッツの役で出演していた。
ザ・ピーナッツは、歌のうまさは一流で、外国曲など歌っているのに、どこか田舎者っぽいイメージがあった。安倍姉妹のイメージと、ぴったり来るのだ。ザ・ピーナッツの歌をレパートリーにしているWよりも、本家に近い。
と、いうわけで、ザ・ピーナッツが出演し、もちろん歌もうたっているこの映画を見ることにした。
監督は堀池清。
問題児を集めた教護院、東京学園。
脱走してトランペットを盗み、逃げる少年。
相棒のワルは楽器店の店員を刺し殺してしまった。
少年補導員の女性に見つかり、少年は学園に戻る。
ところが、この少年補導員の兄こそが、死んだ楽器店の店員だったのだ。
少年補導員は、警察の楽隊員に頼んで、学園に楽器を持って行き、音楽に触れてもらおうとする。
心をとざしていた少年も、徐々に音楽の力、トランペットの魅力で更正していく。
少年は相棒のワルに自首をすすめにいき、そこで格闘、警察によってワルはつかまる。
少年も、大会で学園の生徒で作った楽隊でトランペットを吹き、演奏後に警察に連れられて行く。
この映画では、ザ・ピーナッツは少年補導員の友人で、そのまま歌手の役柄で出ている。
「悲しき16才」
「心の窓に灯を」
「情熱の花」
以上3曲が歌われている。冒頭シーンの警察の吹奏楽パレードシーンや、少年の吹くトランペットなどでも、これらの曲が演奏される。
荒れた心に音楽が救いになる、というイメージは、かなり前に読んだ牧野吉晴『海の鉄仮面』という小説をすぐに思い出すのだが、余儀無く本を処分してからというもの、焼け野原で弾くピアノのシーン以外、何も思い出せない。ピアノじゃなくて、オルガンだったかもしれない。
そうそう、この映画、ザ・ピーナッツが出ていること以外に、特筆すべき箇所はないな、と思った。
少年補導員が稲垣美穂子、楽隊員が沢本忠雄だったことくらいかな。
稲垣美穂子は1961年には日活をやめてしまうけど、この映画が上映された1960年だけでも10本以上の映画に出ている。スターだったのだ。
沢本忠雄は「どてらい男」での印象が強くて、いつまでたっても、いじめ役のイメージが抜けない。最近になって、「事件記者」の沢本忠雄を見てなんだか違和感を覚えたりした。事件記者の方が先なんだけど、見た順が逆だったので。
とかなんとか。昨日、テレビで「下妻物語」やってたのを見た。
劇場でも見ていたけど、見始めたら、止まらなかった。最後まで見た。
ノーカット放送ではなかったが、じゅうぶん面白い。
途中でアニメが入るところなど、当時の流行を思い出させる(キルビルとか)。
ラストあたりで、深田恭子が花を散らした絆創膏を顔に貼っているのに拍手した。
野ばら君、早くまた大阪で「へなちょこ」でも開店しないかな。
火浦功の『奥さまはマジ』を読んだ。
火浦功読むのは久しぶり。
「奥さまはマジ〜伊藤家の戦争」
嫁いで外国に行った娘が政府軍と闘うゲリラになって帰ってきた。
伊藤家は独立国家になる。
家族の単位が国と同等になる話は、SFの定番。
とっぴなシチュエーションから話を作るのも定番で、読者はそういった奇想そのものの価値でなく、舞台を得た火浦節を楽しむのだ。
「父カエル」
父が変わり果てた姿になった。
カエルになったのだ。
親子の定番の臭い物語が、カエル相手だとどうなるか。
これもシチュエーションを与えられた作者の書きっぷりを楽しむ小説。
カフカが書いてたら、また違った話になっただろう。と、つまり、そういうこと。
「てなもんや忍法帖」
抜け忍が、女子高の教師になったら、どうなるか。
この連作は、もとより行きつく先を設定して書かれたものではなく、現に、話がまとまらないままに中断している。
それこそが、火浦節。
以下、各話の覚え書き。
「第1話:抜け忍vsぢょしこーせー」
忍法美人隠れ。近くにいる女子を裸にして、追っ手の忍者の目をくらまし、興奮させてノックアウトする忍法。
「第2話:激闘!!硬式庭球場」
お釜夫人登場。
勝負と関係なく、ボールに当たって、追っ手の虚無僧ノックアウト。
「第3話:私を修学旅行につれてって」
追っ手の春鮫兄弟は、飛行機の外にへばりついて追い掛けて、凍ってしまったり、いざ勝負というときになって、観光客に記念写真せがまれてカメラぜめにあったり。
「第4話:錆びた手裏剣」
刺客は学校の大掃除を手伝わされて目的を遂行できず。
ついに乗り込んできた首領が学校で待ち伏せするが、夏休み中。
やっと砂浜でつかまえたと思ったら、スイカ割りしてた女の子に脳天を割られる。
「第5話:長老が止まる日」
光速に近いスピードで走り続けることで、時間の流れを止め、数百歳まで生きている長老。
忍法美人隠れで女の裸が出たときに、長老は足を止めた。
「番外:銀嶺の覇者」
刺客は氷点下のゲレンデで待ち伏せ。
ストックで突かれ、エッジで削られ、圧雪車でペチャンコに。
「第6話:謎の転校生」
役に立たない忍パンダ。
刺客は学校に潜り込んで、チャンスをうかがおうとするが、校則を鉄の掟と思い込み、ビビる。
何度も書いたように、火浦作品は、その語り口を楽しむものなので、とっぴなシチュエーションなどは、むしろ読者から応募でもして、それを料理する、という感じで次々と作品を書いていってほしい。
長いあいだ火浦功の本が出ないので、てっきり死んだものと思い込んでいたくらいだ。
火浦功読むのは久しぶり。
「奥さまはマジ〜伊藤家の戦争」
嫁いで外国に行った娘が政府軍と闘うゲリラになって帰ってきた。
伊藤家は独立国家になる。
家族の単位が国と同等になる話は、SFの定番。
とっぴなシチュエーションから話を作るのも定番で、読者はそういった奇想そのものの価値でなく、舞台を得た火浦節を楽しむのだ。
「父カエル」
父が変わり果てた姿になった。
カエルになったのだ。
親子の定番の臭い物語が、カエル相手だとどうなるか。
これもシチュエーションを与えられた作者の書きっぷりを楽しむ小説。
カフカが書いてたら、また違った話になっただろう。と、つまり、そういうこと。
「てなもんや忍法帖」
抜け忍が、女子高の教師になったら、どうなるか。
この連作は、もとより行きつく先を設定して書かれたものではなく、現に、話がまとまらないままに中断している。
それこそが、火浦節。
以下、各話の覚え書き。
「第1話:抜け忍vsぢょしこーせー」
忍法美人隠れ。近くにいる女子を裸にして、追っ手の忍者の目をくらまし、興奮させてノックアウトする忍法。
「第2話:激闘!!硬式庭球場」
お釜夫人登場。
勝負と関係なく、ボールに当たって、追っ手の虚無僧ノックアウト。
「第3話:私を修学旅行につれてって」
追っ手の春鮫兄弟は、飛行機の外にへばりついて追い掛けて、凍ってしまったり、いざ勝負というときになって、観光客に記念写真せがまれてカメラぜめにあったり。
「第4話:錆びた手裏剣」
刺客は学校の大掃除を手伝わされて目的を遂行できず。
ついに乗り込んできた首領が学校で待ち伏せするが、夏休み中。
やっと砂浜でつかまえたと思ったら、スイカ割りしてた女の子に脳天を割られる。
「第5話:長老が止まる日」
光速に近いスピードで走り続けることで、時間の流れを止め、数百歳まで生きている長老。
忍法美人隠れで女の裸が出たときに、長老は足を止めた。
「番外:銀嶺の覇者」
刺客は氷点下のゲレンデで待ち伏せ。
ストックで突かれ、エッジで削られ、圧雪車でペチャンコに。
「第6話:謎の転校生」
役に立たない忍パンダ。
刺客は学校に潜り込んで、チャンスをうかがおうとするが、校則を鉄の掟と思い込み、ビビる。
何度も書いたように、火浦作品は、その語り口を楽しむものなので、とっぴなシチュエーションなどは、むしろ読者から応募でもして、それを料理する、という感じで次々と作品を書いていってほしい。
長いあいだ火浦功の本が出ないので、てっきり死んだものと思い込んでいたくらいだ。
島耕二監督の「争う美人姉妹」を見た。1950年。
上原謙は同人誌作家。恋人のミス東京、高杉早苗は貧乏な上原謙をふって金持ちの山村聰と結婚する。高杉早苗の妹、高峰秀子は、上原謙を励ますうちに恋が芽生え、結婚。内助の功あって上原謙が作家として有名になると、姉の高杉早苗はまた近寄ってきて、誘惑する。
原作は菊池寛の『処女宝』
オープニングは競馬の障害レースからはじまっており、山村聰と高杉早苗の結婚が、「ミス東京と結婚できるか」という賭けからはじまっているのとつながっている。
出演者の中に「江戸川蘭子」がいるのも、時代を感じさせる。
この物語がいつの設定なのかはわからないが、ミス東京の高杉早苗が「大正11年生まれ」というのは、どうなんだろう。「ミス」というには、もうかなりな年齢だと思うのだが、それは、最近のミスコンテストの低年齢化をただあらわしているんだろうか。
ところで、この話、まるでひとごととは思えないのである。
売れない物書き上原謙は、高杉早苗と恋仲なのだが、「同人誌なんかに書いていても駄目だ」とハッパをかけられる。
上原謙がコンサートのチケットを渡して、高杉早苗を誘うのだが、そう、ご察しのとおり、高杉早苗はコンサート会場にあらわれず、すっぽかすのだ。家に帰ってパンフレット破ってふて寝している上原謙に、高杉早苗は一応の謝罪をするが、既に上原謙を見限っている。
どこかで聞いたような話だ。
僕の体験談そのものじゃないか!
菊池寛はメロドラマの大家だが、ほとんど読んだことがない。
きっと、菊池寛全集でも読めば、もっと自分の体験談が掘り起こされるに違いない。
つまり、この映画を見て、何を思い知ったかというと。
自分だけのつらい体験だと思ってたことでも、実は、昔から何度も繰り返された、ありがちなストーリーを反復しているにすぎないのだ、ということだ。
深刻な悩みだとか、人には俺の気持はわからない、とか、自分のことを特殊扱いしたい願望はよくわかるが、そんなことは全部ありきたりのことだったのだ。
「自分だけ」と思う気持自体が、大間違いの、「ありがち」な感情なのだ。
また、姉の高杉早苗が有名になった上原謙を誘惑したときに、上原謙が最後の一線は守りながらもフラフラと動いてしまうのも、心憎いまでによくわかる。
「今さら何を言ってるんですか」とつっぱねながらも、心は苦悩でいっぱいなのだ。
って、ただ、僕が誘惑に弱いってことのカミングアウト?
上原謙は同人誌作家。恋人のミス東京、高杉早苗は貧乏な上原謙をふって金持ちの山村聰と結婚する。高杉早苗の妹、高峰秀子は、上原謙を励ますうちに恋が芽生え、結婚。内助の功あって上原謙が作家として有名になると、姉の高杉早苗はまた近寄ってきて、誘惑する。
原作は菊池寛の『処女宝』
オープニングは競馬の障害レースからはじまっており、山村聰と高杉早苗の結婚が、「ミス東京と結婚できるか」という賭けからはじまっているのとつながっている。
出演者の中に「江戸川蘭子」がいるのも、時代を感じさせる。
この物語がいつの設定なのかはわからないが、ミス東京の高杉早苗が「大正11年生まれ」というのは、どうなんだろう。「ミス」というには、もうかなりな年齢だと思うのだが、それは、最近のミスコンテストの低年齢化をただあらわしているんだろうか。
ところで、この話、まるでひとごととは思えないのである。
売れない物書き上原謙は、高杉早苗と恋仲なのだが、「同人誌なんかに書いていても駄目だ」とハッパをかけられる。
上原謙がコンサートのチケットを渡して、高杉早苗を誘うのだが、そう、ご察しのとおり、高杉早苗はコンサート会場にあらわれず、すっぽかすのだ。家に帰ってパンフレット破ってふて寝している上原謙に、高杉早苗は一応の謝罪をするが、既に上原謙を見限っている。
どこかで聞いたような話だ。
僕の体験談そのものじゃないか!
菊池寛はメロドラマの大家だが、ほとんど読んだことがない。
きっと、菊池寛全集でも読めば、もっと自分の体験談が掘り起こされるに違いない。
つまり、この映画を見て、何を思い知ったかというと。
自分だけのつらい体験だと思ってたことでも、実は、昔から何度も繰り返された、ありがちなストーリーを反復しているにすぎないのだ、ということだ。
深刻な悩みだとか、人には俺の気持はわからない、とか、自分のことを特殊扱いしたい願望はよくわかるが、そんなことは全部ありきたりのことだったのだ。
「自分だけ」と思う気持自体が、大間違いの、「ありがち」な感情なのだ。
また、姉の高杉早苗が有名になった上原謙を誘惑したときに、上原謙が最後の一線は守りながらもフラフラと動いてしまうのも、心憎いまでによくわかる。
「今さら何を言ってるんですか」とつっぱねながらも、心は苦悩でいっぱいなのだ。
って、ただ、僕が誘惑に弱いってことのカミングアウト?
ATCダンス&ボーカルコンテスト予選、現代の音楽(伊福部昭)
2006年5月28日 アイドル
ATCのダンス&ボーカルコンテストの予選を見に行った。
今回は19組が出場した。
ヒアリングが不確かで、表記も正確ではないが、アジアの他国で作られた取扱説明書でも読むような寛大な気持で、誤記を推測で補っていただきたい。
1.Cool Mint
2.Jiggy
3.Shan Guerrilla
4.Pinky
5.Apple Mint
6.ラウンドホッパー
7.フェアリースター
8.セブンテンパー
9.Crazy Green Piece
10.シャカラカダービー
11.Pepper Mint
12.One’s butt
13.Cool Ash
14.風林火山
15.Corsican Mint
16.Great Faculty
17.マンモスター
18.Miki
19.フリーファイバー
内、決勝進出はわずか7組。
Cool Mint(天保山でグランプリ!)
ラウンドホッパー、
セブンテンパー(決勝進出で号泣)
One’s butt、
Corsican Mint、
Great Fuculty、
Miki(アクロバットはお家芸)
審査発表までの間には、ダイナマイトCのライブがあった。
さて、この予選、前回は10組出場で、5組が決勝進出を決めた。
19組出場の今回も半分くらいは行けると踏んでいたのだろう。「7組」とアナウンスがあったとき、「え〜っ?」の声が響いた。
あと1回予選があるが、そこで8組選んで、全部で20組、という計算なのだろうか。
決勝に進んだチームが素晴らしいのは言うまでもないが、僕の好みからいくと、予選で落ちたチームにも魅力的なものが多くて、決勝よりも予選が楽しいくらいなのだ。
帰って「現代の音楽」を聞く。
2回に渡って伊福部昭の作品を放送していた。
そのときに西村朗による作曲者の思い出が語られており、こりゃ面白いや、と思った。
伊福部昭は音楽界の潮流がどうあれ、揺るがぬ自分の世界を表現しつづけた人だが、そのことについてのエピソードも紹介されていた。
西洋に比べて10分遅れの時計を持つよりも、止まった時計の方が、1日に2回は正しい時刻を示す。と言った話。
米を背負って歩くとき、道に落ちた米を拾おうとして、背中の米をこぼすようなことはすべきじゃない。と言った話。
今日の放送では、もともと「モスラ対ゴジラ」のために作られた曲(ザピーナッツが歌う用に作られた)「聖なる泉」とか放送された。
あとで、今日、インテックス大阪でドリームパーティが開催されていたのを思い出した。
どうりで日本橋ではアニメ絵の紙バッグもった人が目立つなあ、と思った。
ATCのすぐ近くで開催されていたので、掛け持ちもアリだったか、と思った。
今回は19組が出場した。
ヒアリングが不確かで、表記も正確ではないが、アジアの他国で作られた取扱説明書でも読むような寛大な気持で、誤記を推測で補っていただきたい。
1.Cool Mint
2.Jiggy
3.Shan Guerrilla
4.Pinky
5.Apple Mint
6.ラウンドホッパー
7.フェアリースター
8.セブンテンパー
9.Crazy Green Piece
10.シャカラカダービー
11.Pepper Mint
12.One’s butt
13.Cool Ash
14.風林火山
15.Corsican Mint
16.Great Faculty
17.マンモスター
18.Miki
19.フリーファイバー
内、決勝進出はわずか7組。
Cool Mint(天保山でグランプリ!)
ラウンドホッパー、
セブンテンパー(決勝進出で号泣)
One’s butt、
Corsican Mint、
Great Fuculty、
Miki(アクロバットはお家芸)
審査発表までの間には、ダイナマイトCのライブがあった。
さて、この予選、前回は10組出場で、5組が決勝進出を決めた。
19組出場の今回も半分くらいは行けると踏んでいたのだろう。「7組」とアナウンスがあったとき、「え〜っ?」の声が響いた。
あと1回予選があるが、そこで8組選んで、全部で20組、という計算なのだろうか。
決勝に進んだチームが素晴らしいのは言うまでもないが、僕の好みからいくと、予選で落ちたチームにも魅力的なものが多くて、決勝よりも予選が楽しいくらいなのだ。
帰って「現代の音楽」を聞く。
2回に渡って伊福部昭の作品を放送していた。
そのときに西村朗による作曲者の思い出が語られており、こりゃ面白いや、と思った。
伊福部昭は音楽界の潮流がどうあれ、揺るがぬ自分の世界を表現しつづけた人だが、そのことについてのエピソードも紹介されていた。
西洋に比べて10分遅れの時計を持つよりも、止まった時計の方が、1日に2回は正しい時刻を示す。と言った話。
米を背負って歩くとき、道に落ちた米を拾おうとして、背中の米をこぼすようなことはすべきじゃない。と言った話。
今日の放送では、もともと「モスラ対ゴジラ」のために作られた曲(ザピーナッツが歌う用に作られた)「聖なる泉」とか放送された。
あとで、今日、インテックス大阪でドリームパーティが開催されていたのを思い出した。
どうりで日本橋ではアニメ絵の紙バッグもった人が目立つなあ、と思った。
ATCのすぐ近くで開催されていたので、掛け持ちもアリだったか、と思った。
キッズキッズダンス、カール・ストーン、K-SAP
2006年5月27日 アイドル大阪城花彩祭ステージで正午から創叡の「キッズキッズダンス」ステ−ジ。
電車の乗り換えを間違ってしまい、最初のジュニアスペシャルダンスチームとプリティーズの「浪漫」は見逃す。
以下、見た分の演目。
Your Song/いちごっ娘
Get Your Groove/いちごっ娘
Give Me Up/RISAKO & REINA
センチメタルボーイ/RISAKO & REINA
Love Like Candy Floss/TOUCH
Love Raspberry Juice/TOUCH
King & Queen/プリッツ
Pump It/Super Bubblez
2曲歌ったユニットは、自己紹介、曲紹介などのトークがあった。
今回のライブで異例だったのは、最後のユニット紹介で、スーパーバブルズが出て来たことか。
ふだんは、このユニットのメンバーがいろんなユニットから選抜されているため、出て来ないのだ。今回は、メンバーがかぶっているのがいちごっ娘だけだった。
前から思っていたのだが、今回はRISAKO & REINAの衣装で、ブーツに見せかけて、実は靴下というファッションがある。黒のハイソックスに、ブーツみたいな皮を1枚前面に貼付けて、見た目ブーツにするアイディアだ。
これ、どこかで市販でもされているのだろうか。それとも、ダンスしやすいように、と工夫したものなのだろうか。
欲しくなった。
夜になって、心斎橋のアップスストアのライブイベントを見に行く。
僕は最後のCarl Stoneだけを見た。
カール・ストーンって、「軽石」のことかと思ってたが、外国人だった。
見ていても、iBookをたまに操作しているだけのライブ風景なので、面白いわけではない。ライブの見せ方をついつい考えてしまう僕は、サービス本位の関西人気質満開である。
せめて、キ−ボ−ド操作時に「ポチッとナ」と英語なまりで言ってほしい。
波だか重力だかを思わせる音のあと、右と左で違う音声が流れる。聞く者は、頭の中で複数の音声をアウフヘーベンして楽しむのだ。このアイディアはすごい。複数の音を同時に流して、組み立てて楽しむなんて。日本ではラジオカセッツという現代音楽ユニットも、似たようなことをしているらしい。
ところで、このイベント、終わって「3時間の長いイベント、おつきあいくださいましてありがとうございます」と司会の人が言って、びっくり仰天した。僕は30分しか聞いてなかった。もっと早くに来て、いろんな音を楽しめばよかった。チェックミスだ。
湊町リバープレイスに移動して、K-SAPのストリートライブ。
おかめふくのナオちゃんとは今度たまごっちを通信して遊ぶことを約束し、リサちゃんとは愛犬(イタリアングレーハウンドのミニー)と戯れて遊んだ。
中学くらいまでは家で犬を飼っていたが、その後は現在に至るまで、ペットといえばずっと、猫。僕の中学時代にイタグレなんていなかったので、イタグレを直接見て触れるのは、このときが初体験。
なるほど、可愛い。
このストリートライブ、来月最終土曜にもまた開催されるので、楽しみ。
電車の乗り換えを間違ってしまい、最初のジュニアスペシャルダンスチームとプリティーズの「浪漫」は見逃す。
以下、見た分の演目。
Your Song/いちごっ娘
Get Your Groove/いちごっ娘
Give Me Up/RISAKO & REINA
センチメタルボーイ/RISAKO & REINA
Love Like Candy Floss/TOUCH
Love Raspberry Juice/TOUCH
King & Queen/プリッツ
Pump It/Super Bubblez
2曲歌ったユニットは、自己紹介、曲紹介などのトークがあった。
今回のライブで異例だったのは、最後のユニット紹介で、スーパーバブルズが出て来たことか。
ふだんは、このユニットのメンバーがいろんなユニットから選抜されているため、出て来ないのだ。今回は、メンバーがかぶっているのがいちごっ娘だけだった。
前から思っていたのだが、今回はRISAKO & REINAの衣装で、ブーツに見せかけて、実は靴下というファッションがある。黒のハイソックスに、ブーツみたいな皮を1枚前面に貼付けて、見た目ブーツにするアイディアだ。
これ、どこかで市販でもされているのだろうか。それとも、ダンスしやすいように、と工夫したものなのだろうか。
欲しくなった。
夜になって、心斎橋のアップスストアのライブイベントを見に行く。
僕は最後のCarl Stoneだけを見た。
カール・ストーンって、「軽石」のことかと思ってたが、外国人だった。
見ていても、iBookをたまに操作しているだけのライブ風景なので、面白いわけではない。ライブの見せ方をついつい考えてしまう僕は、サービス本位の関西人気質満開である。
せめて、キ−ボ−ド操作時に「ポチッとナ」と英語なまりで言ってほしい。
波だか重力だかを思わせる音のあと、右と左で違う音声が流れる。聞く者は、頭の中で複数の音声をアウフヘーベンして楽しむのだ。このアイディアはすごい。複数の音を同時に流して、組み立てて楽しむなんて。日本ではラジオカセッツという現代音楽ユニットも、似たようなことをしているらしい。
ところで、このイベント、終わって「3時間の長いイベント、おつきあいくださいましてありがとうございます」と司会の人が言って、びっくり仰天した。僕は30分しか聞いてなかった。もっと早くに来て、いろんな音を楽しめばよかった。チェックミスだ。
湊町リバープレイスに移動して、K-SAPのストリートライブ。
おかめふくのナオちゃんとは今度たまごっちを通信して遊ぶことを約束し、リサちゃんとは愛犬(イタリアングレーハウンドのミニー)と戯れて遊んだ。
中学くらいまでは家で犬を飼っていたが、その後は現在に至るまで、ペットといえばずっと、猫。僕の中学時代にイタグレなんていなかったので、イタグレを直接見て触れるのは、このときが初体験。
なるほど、可愛い。
このストリートライブ、来月最終土曜にもまた開催されるので、楽しみ。
DVD ジェネオン エンタテインメント 2005/10/21 ¥4,935 かつて美空ひばり、若尾文子らが主演し、日本映画の黄金期を支えた人気シリーズ「狸御殿」が鈴木清順監督によって復活。「がらさ城」の城主である実父から命を狙われる雨千代が、唐の国から来た狸姫と出会う。狸姫の御殿に閉じこめられた雨千代は、彼女と惹かれ合っていく。チャン・ツィイー、オダギリジョーという美男美女の共演による、…
と、書いてあるのをそのまま使うか。
美空ひばり(デジタル)が出て来たときは大笑いした。
よく了解してくれたものだ。
チャン・ツィーは可愛いし、音楽はまるでうたう大龍宮城だし、美術はフェリーニのカサノバかと思ったが、そんなことより、ホレ。
豆狸の1人、中心人物は、てれび戦士の一木有海だったのですよ。
いろんな名シーンが、一木有海がクライマックスでにっこり笑って振り向く、なんでもないシーンによって、すべて吹っ飛んでしまった。
僕が覚えているのは、その瞬間の一木有海の笑顔だけである。
それを見るだけでも、この映画には価値があった、とまとめてみてもいい。
と、書いてあるのをそのまま使うか。
美空ひばり(デジタル)が出て来たときは大笑いした。
よく了解してくれたものだ。
チャン・ツィーは可愛いし、音楽はまるでうたう大龍宮城だし、美術はフェリーニのカサノバかと思ったが、そんなことより、ホレ。
豆狸の1人、中心人物は、てれび戦士の一木有海だったのですよ。
いろんな名シーンが、一木有海がクライマックスでにっこり笑って振り向く、なんでもないシーンによって、すべて吹っ飛んでしまった。
僕が覚えているのは、その瞬間の一木有海の笑顔だけである。
それを見るだけでも、この映画には価値があった、とまとめてみてもいい。
物体えっくすでいこう!
2006年5月24日 読書
伊豆平成の『秘密結社でいこう!』シリーズを読んだ。全3巻。
『あしながおじさん』のパロディSF編で、ごく普通の男子高校生、間竜太郎が、いきなり悪の秘密結社「UNCLET」の二代目首領に担ぎ上げられる話。
その幹部たちは、以下のとおり。
護衛ロボットの和世さん。予備のボディを数体もっており、壊れても取り替えがきく。バリアを張ったりもできるのだ。
クララ博士。車椅子に乗ったマッドサイエンティスト。童話を読んで、それにちなんだ怪人を作り出す。
改造人間ライバー。ライバーキックの必殺技をもつ。
獣魔戦将ミーア。猫科の猛獣に変身、鎧と剣で武装している。
謎の物体エッちゃん。アメ−バ状になり、どこでも自由に侵入できる。
メロ大帝。弓の名手。アフリカのゲムダル団からやってきた。
以上、全員女性。
主人公の少年、間竜太郎は、まさにハーレム状態の首領の身の上になったのだ。
彼は、もちろん世界を征服するつもりなどなく、幹部たちが悪事を働こうとするのを言いくるめては、やりすごすのがせいいっぱい。
このシリーズの面白さは、ちょっと懐かしいところの特撮ものパロディがふんだんに用意されているところだ。
「あるある」ネタじゃなくて「あったあった」ネタなのだ。
あとがきで、ご丁寧に、本文中の「バカなこと」の例として、いくつかの「この元ネタわかりますか?」的な問題が設定してある。それは、まだ若い読者に対して、「ここはネタだよ!」と教えてあげているかのようだ。
と、いうより、カルトQか?
作者、伊豆平成は『ケロロ軍曹』のノヴェライズを書いているらしい。いかにも!
さて、各巻の簡単な覚え書き。
『秘密結社でいこう!』は、アンクレットの幹部(えっちゃん)の計画が手違いで実行される。
自衛隊を怒らせて出動させ、持って来た武器を奪うという、無鉄砲な計画だ。
また、アメリカを既に掌中におさめた悪の組織「CHOKER」の怪人マイクロマウスの野望をくじくために、はからずも闘うことになる。
2作め『改造人間でいこう!』は、修学旅行でフランスに行った竜太郎が、またもや悪の組織を壊滅させ、事実上世界を征服してしまうまで。
悪の組織は「CORSET」。コルセットの「おフランス計画」は、実際のフランスではなく、「おフランス」という実在しない国への幻想と優越感を植え付ける企み。
そのおフランスかぶれの会話が、たとえば、こんな風。
「おフランスはいいザンス」
「ほんとすばらしい文化の国ザンス」
「そうそう、魔法の国ザンス」
と、まあ、これは何が面白いのかと言うと、などと説明したくなるパロディが満載。
この巻ではアフリカの組織「ゲムダル団」が悪の秘密結社どうし、提携を申し出て来る。
この「ゲムダル団」は仮面ライダーのゲルショッカーでショッカーと合併した「ゲルダム」なのだが、ライトノベル呼んでいる中高生にわかるのか?リアルタイムで番組見てなくても、このへんは必須科目なのだろうか。
3作め『物体Xでいこう!』では、ついに宇宙に飛び出す。
怪人としては、ヘリウム・ザ・ダックや、「パ〜ンジャ〜」と吠え、「猿まね野郎」と罵られるキングライオンなどが登場。
エッちゃんこと、エックスは巨大化して仮面ライダーXのキングダークよろしく寝釈迦状態でクライマックスに登場、大(ビッグ)エックスと呼ばれる。
必須科目?
この巻での「本文中のバカなこと」の例にこんなのがあった。
メロ大帝が宇宙船の外へ、何も着ずに出て行くシーンがある。それに対して、「裸が宇宙服。実はこれ、野球軍ではない(難度7)」と書いてある。アパッチ野球軍の主題歌にひっかけているのだ。
必須科目か。
この3冊、かなり面白かったので、『ケロロ軍曹』のノヴェライズもさぞや面白いのだろう。でも、ケロロ軍曹そのものを、あんまり見たことがなくて、そっちを制覇してから、ノヴェライズには手をつけるかな。
『あしながおじさん』のパロディSF編で、ごく普通の男子高校生、間竜太郎が、いきなり悪の秘密結社「UNCLET」の二代目首領に担ぎ上げられる話。
その幹部たちは、以下のとおり。
護衛ロボットの和世さん。予備のボディを数体もっており、壊れても取り替えがきく。バリアを張ったりもできるのだ。
クララ博士。車椅子に乗ったマッドサイエンティスト。童話を読んで、それにちなんだ怪人を作り出す。
改造人間ライバー。ライバーキックの必殺技をもつ。
獣魔戦将ミーア。猫科の猛獣に変身、鎧と剣で武装している。
謎の物体エッちゃん。アメ−バ状になり、どこでも自由に侵入できる。
メロ大帝。弓の名手。アフリカのゲムダル団からやってきた。
以上、全員女性。
主人公の少年、間竜太郎は、まさにハーレム状態の首領の身の上になったのだ。
彼は、もちろん世界を征服するつもりなどなく、幹部たちが悪事を働こうとするのを言いくるめては、やりすごすのがせいいっぱい。
このシリーズの面白さは、ちょっと懐かしいところの特撮ものパロディがふんだんに用意されているところだ。
「あるある」ネタじゃなくて「あったあった」ネタなのだ。
あとがきで、ご丁寧に、本文中の「バカなこと」の例として、いくつかの「この元ネタわかりますか?」的な問題が設定してある。それは、まだ若い読者に対して、「ここはネタだよ!」と教えてあげているかのようだ。
と、いうより、カルトQか?
作者、伊豆平成は『ケロロ軍曹』のノヴェライズを書いているらしい。いかにも!
さて、各巻の簡単な覚え書き。
『秘密結社でいこう!』は、アンクレットの幹部(えっちゃん)の計画が手違いで実行される。
自衛隊を怒らせて出動させ、持って来た武器を奪うという、無鉄砲な計画だ。
また、アメリカを既に掌中におさめた悪の組織「CHOKER」の怪人マイクロマウスの野望をくじくために、はからずも闘うことになる。
2作め『改造人間でいこう!』は、修学旅行でフランスに行った竜太郎が、またもや悪の組織を壊滅させ、事実上世界を征服してしまうまで。
悪の組織は「CORSET」。コルセットの「おフランス計画」は、実際のフランスではなく、「おフランス」という実在しない国への幻想と優越感を植え付ける企み。
そのおフランスかぶれの会話が、たとえば、こんな風。
「おフランスはいいザンス」
「ほんとすばらしい文化の国ザンス」
「そうそう、魔法の国ザンス」
と、まあ、これは何が面白いのかと言うと、などと説明したくなるパロディが満載。
この巻ではアフリカの組織「ゲムダル団」が悪の秘密結社どうし、提携を申し出て来る。
この「ゲムダル団」は仮面ライダーのゲルショッカーでショッカーと合併した「ゲルダム」なのだが、ライトノベル呼んでいる中高生にわかるのか?リアルタイムで番組見てなくても、このへんは必須科目なのだろうか。
3作め『物体Xでいこう!』では、ついに宇宙に飛び出す。
怪人としては、ヘリウム・ザ・ダックや、「パ〜ンジャ〜」と吠え、「猿まね野郎」と罵られるキングライオンなどが登場。
エッちゃんこと、エックスは巨大化して仮面ライダーXのキングダークよろしく寝釈迦状態でクライマックスに登場、大(ビッグ)エックスと呼ばれる。
必須科目?
この巻での「本文中のバカなこと」の例にこんなのがあった。
メロ大帝が宇宙船の外へ、何も着ずに出て行くシーンがある。それに対して、「裸が宇宙服。実はこれ、野球軍ではない(難度7)」と書いてある。アパッチ野球軍の主題歌にひっかけているのだ。
必須科目か。
この3冊、かなり面白かったので、『ケロロ軍曹』のノヴェライズもさぞや面白いのだろう。でも、ケロロ軍曹そのものを、あんまり見たことがなくて、そっちを制覇してから、ノヴェライズには手をつけるかな。
ハナのアフガンノート
2006年5月23日 映画日記にコメント機能がついて「ああ、自分のこんな日記でも、読んでくださる方がいるんだ」とわかり感謝しています。
以前ドールヴィイの本の感想を書いたところ、訳者の渡辺義愛さんからありがたいコメントもいただきました。身の引き締まる思いです。
浅い思考と駄文ながら、書いててよかった、と思いました。
と、いうわけで、あいも変わらぬヘボ日記。
「ハナのアフガンノート」を見た。
ハナ肇の映画ではない。
サミラ・マフマルバフの映画「午後の五時」撮影時に、妹のハナ・マフマルバフがカメラを回して撮ったドキュメンタリー。ハナは当時14才。
サミラが映画撮影のためにアフガンで出演者を求めて積極的に活動する。
ギャラが出ると聞いて、一旦は引き受けた人々が、次々と出演辞退していく。
曰く「私は聖職者だから、映画に出たことが知られたら笑い者になってしまう」
曰く「映画撮影だとウソをついて、赤ん坊を殺して埋める気だろう」などなど。
おそらくはアフガニスタンの人々にとっては、映画は悪魔であって、警戒して避けるべきものなのだ。
「男は女性よりも優れているに決まっている!」と断言する女性。
地面にこぼした乳を泥状になったまま赤ん坊に飲まそうとする父親。
「おいおい」とツッコみたくなる光景も、アフガニスタンでは日常、どこにでも転がっていることなのだろう。
進歩的に思える発言をした人物も、いざ映画に出るとなると、二の足を踏んでしまう。
そういう人々を説得するサミラのパワーもすごいし、それを淡々とカメラにおさめるハナの視点も堂に入ったものだ。
単なるメイキングの枠を越えている。
この映画の最後に流れる歌の詞がまたたいへんだ。
私の人生は ゆっくりと死ぬことだった
命をすり減らす それが生きること
私の人生は肩に重く のしかかる荷そのもの
重くのしかかる荷
永遠の人生とは永遠の苦労でしかない
アフガニスタンでは、首都カブールで自動車自爆事件があったばかりだ。
タリバンがロケット砲などで警察や連合軍を攻撃し、民間人を巻き込む。
一方、連合軍(米軍)は空爆でタリバンを攻撃し、民間人を巻き込む。
戦争はちっとも終わっていない。
こういったアフガニスタンの状況よりも、日本では芸能とスポーツのニュースの方が重要らしい。
確かに、芸能、スポーツって、面白いもんね〜。
(追記)
アフガニスタンで米軍による空爆が相変わらず続くなか、反米暴動が起きている。
暴動のきっかけは、米軍の車がアフガニスタン民間人を轢き殺し、逃げるために周囲の民間人を撃ち殺したかららしい。
そりゃ、怒るって。
http://www.asahi.com/international/update/0530/002.html
アルジャジーラによると、カルザイ大統領が暴動についてテレビコメント出したそうだが、これだけ国民感情(?)が打倒カルザイに傾いていては、もはや風前の灯か。
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/B9E0FAF2-B4D3-4A69-93FA-749FAC6CC520.htm
以前ドールヴィイの本の感想を書いたところ、訳者の渡辺義愛さんからありがたいコメントもいただきました。身の引き締まる思いです。
浅い思考と駄文ながら、書いててよかった、と思いました。
と、いうわけで、あいも変わらぬヘボ日記。
「ハナのアフガンノート」を見た。
ハナ肇の映画ではない。
サミラ・マフマルバフの映画「午後の五時」撮影時に、妹のハナ・マフマルバフがカメラを回して撮ったドキュメンタリー。ハナは当時14才。
サミラが映画撮影のためにアフガンで出演者を求めて積極的に活動する。
ギャラが出ると聞いて、一旦は引き受けた人々が、次々と出演辞退していく。
曰く「私は聖職者だから、映画に出たことが知られたら笑い者になってしまう」
曰く「映画撮影だとウソをついて、赤ん坊を殺して埋める気だろう」などなど。
おそらくはアフガニスタンの人々にとっては、映画は悪魔であって、警戒して避けるべきものなのだ。
「男は女性よりも優れているに決まっている!」と断言する女性。
地面にこぼした乳を泥状になったまま赤ん坊に飲まそうとする父親。
「おいおい」とツッコみたくなる光景も、アフガニスタンでは日常、どこにでも転がっていることなのだろう。
進歩的に思える発言をした人物も、いざ映画に出るとなると、二の足を踏んでしまう。
そういう人々を説得するサミラのパワーもすごいし、それを淡々とカメラにおさめるハナの視点も堂に入ったものだ。
単なるメイキングの枠を越えている。
この映画の最後に流れる歌の詞がまたたいへんだ。
私の人生は ゆっくりと死ぬことだった
命をすり減らす それが生きること
私の人生は肩に重く のしかかる荷そのもの
重くのしかかる荷
永遠の人生とは永遠の苦労でしかない
アフガニスタンでは、首都カブールで自動車自爆事件があったばかりだ。
タリバンがロケット砲などで警察や連合軍を攻撃し、民間人を巻き込む。
一方、連合軍(米軍)は空爆でタリバンを攻撃し、民間人を巻き込む。
戦争はちっとも終わっていない。
こういったアフガニスタンの状況よりも、日本では芸能とスポーツのニュースの方が重要らしい。
確かに、芸能、スポーツって、面白いもんね〜。
(追記)
アフガニスタンで米軍による空爆が相変わらず続くなか、反米暴動が起きている。
暴動のきっかけは、米軍の車がアフガニスタン民間人を轢き殺し、逃げるために周囲の民間人を撃ち殺したかららしい。
そりゃ、怒るって。
http://www.asahi.com/international/update/0530/002.html
アルジャジーラによると、カルザイ大統領が暴動についてテレビコメント出したそうだが、これだけ国民感情(?)が打倒カルザイに傾いていては、もはや風前の灯か。
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/B9E0FAF2-B4D3-4A69-93FA-749FAC6CC520.htm
竹本健治の『虹の獄、桜の獄』を読んだ。
建石修志の絵本としてまず、楽しめる。
建石修志については、以前、大学に勤務していたとき、図書館司書の人に「最近、塚本邦雄読んでいるんですよ」と、読みかけの本を見せたら、「わたし、この絵、大嫌い!」と吐き捨てるように言われたのを思い出す。
まあ、癖のある絵ではあるけど。
さて、収録されている小説について。
「七色の犯罪のための絵本」と題する連作は、虹の七色ではないが、色にちなんだ短編が並ぶ。これらは、雑誌『EQ』に掲載され、『閉じ箱』に収められた作品。
「赤い塔の上で」
「黒の集会」
「銀の風が吹き抜けるとき」
「白の凝視」
「ラピスラズリ」
「緑の沼の底には」
「紫は冬の先ぶれ」
以下、覚え書きのためにネタバレしてるので、読んでない人はUターン。
「赤い塔の上で」は、こんな話。
半円の虹でなく、完全に円を描いた虹を見たくて高い塔を上っている男。
少年は、虹を見る方法がある、と男に教える。
鳥になればいいんだ。
目をつぶる男の背中を押し、男は落ちて行く。
男は虹を見ることが出来たのだろうか。
その虹は通常の七色とは違っているだろう。
と、ここまでなら幻想的なショートショートである。
竹本健治はここで終わらない。
少年は塔を降りようとするが、螺旋階段にめまいがして、自分はのぼっているんじゃないか、と思いはじめる。
頂上にたどりつけば、自分も虹を見れるんだろうか。
これでよかったの?ママ?
頂上で見る虹はどんな七色なのだろう。
と。
これ、真円の虹を見ようとする男が鳥になって落ちて行く話と、つながっているようでいて、つながっていない。
虹を見るには、塔を上るんじゃなくて、鳥になればいいんじゃなかったのか?
少年は何のために塔にいたのか?
(男が虹を見るため、という理由がちゃんとあったのに、少年には何もなかった。虹が見れる云々についても少年には初耳だったような描写がある)
塔から突き落とせば鳥になれるのか?
そんなことを素直に信じる男の正体は?
割り切れないことが山ほど出て来る。
狐につままれたよう、とはこのこと。まさに幻想。
「黒の集会」では、夜ごと黒いマントを着た人々が開く集会について語られる。
最近、少年の家では、祖母やペット、妹などが次々と死んでいる。
集会では大きな鍋でなにかをグツグツ煮ており、少年がそれをひっくりかえすと、妹の顔とかがついた得体の知れない塊が露になるのだ。
集会のメンバーには、パパもママもいたようだ。
その後、パパもママも何もしゃべらなくなる。
「銀の風が吹き抜けるとき」は、珍しく、スパッとまとまった話。
体が弱くて駆け回って遊べない少女のために、少年は「夢の中でなら駆け回って遊べるだろう」と、少女をナイフで刺す。
少女は夢の中で、駆け回って遊べるようになる。
でも、夢であるかぎり、さめることがあるかもしれない。
現に、私は、その少女なのだから。
みたいな話。(かなり意訳してます)
「白の凝視」は、得体の知れない怪物が、揺れる少女の首吊りをメトロノームがわりにしてピアノを弾く話(超訳)
「ラピスラズリ」は、連続殺人の話。
死体にはなぜか青いラピスラズリが添えられている。
殺人を犯した少年は、他人の血の色を見たかったのだ。
少年は自分の血の色が青いのを悲しんでおり、次々と人を殺しては、その被害者の血が赤いことに涙し、それがラピスラズリとして残っていたのだ。
「緑の沼の底には」は、神隠しの話。
こどもたちを連れて行ってるのは、おまえだろう!
そんな、濡れ衣だ。
おいおい、おまえ、さっきからひとりで何を言ってるんだ。
みたいな話。
「紫は冬の先ぶれ」
宇宙に行って帰ってきたら、地球では2億年が経過していた。
自殺願望のある少年は、自分が死ぬこととは、世界を殺すことだ、と気づき、自殺のかわりに世界が終わった時間で生きることにしたのだ。
自殺の罪は重いという。
誰もいなくなった地球は、少年にとって、罰そのものであった。
なーんて話。
書き下ろしで少し長めの短編も収録されている。
「しあわせな死の桜」
これは一転して、ジュブナイル風味の作品になっている。
これもまた神隠し事件。
現場には桜の花びらが残されている。
この事件を追うのは「ハンサム探偵団」と名乗る中学生たち。
中学生なのに「傲岸不遜」とか「風雅」なんて言葉を使う、異様な集団だ。
犯人は少年の1人。しあわせな死に方を追求するあまり、凄い能力を身につけた。
指パッチンすれば、特定の人物を桜吹雪に分解することができるのだ。
ここで終わっておれば、普通のジュブナイルSF小説だ。
竹本健治は違う。
主人公の少年は、ふいに睡魔におそわれて、自分は誰とも出会っていない第三者であり、当事者だったことはなかった。とか思う。
そうかと思えば、いや、自分こそ人を桜の花びら舞い散らす力を持つ犯人と同じだった、と思う。
桜一色の世界の中で、少年は愛しい人を奪い去られる桜色の罰を受けているのだ。
う〜む。わからない。
雰囲気はわかるが。雰囲気から先に進まない。
少年探偵団の話を読んでいたら、ラストにいたって「明智なんて幻想でしかなかった」「二十面相なんて存在しなかった」「いや、じつは僕こそが明智であり、二十面相の1つの顔だったのだ」なんてわけわからなくされたみたいなものである。
でも、竹本健治の持ち味は、そこにある。
蛇足に命をかけるのが、竹本健治の真骨頂なのだ。(憶測)
建石修志の絵本としてまず、楽しめる。
建石修志については、以前、大学に勤務していたとき、図書館司書の人に「最近、塚本邦雄読んでいるんですよ」と、読みかけの本を見せたら、「わたし、この絵、大嫌い!」と吐き捨てるように言われたのを思い出す。
まあ、癖のある絵ではあるけど。
さて、収録されている小説について。
「七色の犯罪のための絵本」と題する連作は、虹の七色ではないが、色にちなんだ短編が並ぶ。これらは、雑誌『EQ』に掲載され、『閉じ箱』に収められた作品。
「赤い塔の上で」
「黒の集会」
「銀の風が吹き抜けるとき」
「白の凝視」
「ラピスラズリ」
「緑の沼の底には」
「紫は冬の先ぶれ」
以下、覚え書きのためにネタバレしてるので、読んでない人はUターン。
「赤い塔の上で」は、こんな話。
半円の虹でなく、完全に円を描いた虹を見たくて高い塔を上っている男。
少年は、虹を見る方法がある、と男に教える。
鳥になればいいんだ。
目をつぶる男の背中を押し、男は落ちて行く。
男は虹を見ることが出来たのだろうか。
その虹は通常の七色とは違っているだろう。
と、ここまでなら幻想的なショートショートである。
竹本健治はここで終わらない。
少年は塔を降りようとするが、螺旋階段にめまいがして、自分はのぼっているんじゃないか、と思いはじめる。
頂上にたどりつけば、自分も虹を見れるんだろうか。
これでよかったの?ママ?
頂上で見る虹はどんな七色なのだろう。
と。
これ、真円の虹を見ようとする男が鳥になって落ちて行く話と、つながっているようでいて、つながっていない。
虹を見るには、塔を上るんじゃなくて、鳥になればいいんじゃなかったのか?
少年は何のために塔にいたのか?
(男が虹を見るため、という理由がちゃんとあったのに、少年には何もなかった。虹が見れる云々についても少年には初耳だったような描写がある)
塔から突き落とせば鳥になれるのか?
そんなことを素直に信じる男の正体は?
割り切れないことが山ほど出て来る。
狐につままれたよう、とはこのこと。まさに幻想。
「黒の集会」では、夜ごと黒いマントを着た人々が開く集会について語られる。
最近、少年の家では、祖母やペット、妹などが次々と死んでいる。
集会では大きな鍋でなにかをグツグツ煮ており、少年がそれをひっくりかえすと、妹の顔とかがついた得体の知れない塊が露になるのだ。
集会のメンバーには、パパもママもいたようだ。
その後、パパもママも何もしゃべらなくなる。
「銀の風が吹き抜けるとき」は、珍しく、スパッとまとまった話。
体が弱くて駆け回って遊べない少女のために、少年は「夢の中でなら駆け回って遊べるだろう」と、少女をナイフで刺す。
少女は夢の中で、駆け回って遊べるようになる。
でも、夢であるかぎり、さめることがあるかもしれない。
現に、私は、その少女なのだから。
みたいな話。(かなり意訳してます)
「白の凝視」は、得体の知れない怪物が、揺れる少女の首吊りをメトロノームがわりにしてピアノを弾く話(超訳)
「ラピスラズリ」は、連続殺人の話。
死体にはなぜか青いラピスラズリが添えられている。
殺人を犯した少年は、他人の血の色を見たかったのだ。
少年は自分の血の色が青いのを悲しんでおり、次々と人を殺しては、その被害者の血が赤いことに涙し、それがラピスラズリとして残っていたのだ。
「緑の沼の底には」は、神隠しの話。
こどもたちを連れて行ってるのは、おまえだろう!
そんな、濡れ衣だ。
おいおい、おまえ、さっきからひとりで何を言ってるんだ。
みたいな話。
「紫は冬の先ぶれ」
宇宙に行って帰ってきたら、地球では2億年が経過していた。
自殺願望のある少年は、自分が死ぬこととは、世界を殺すことだ、と気づき、自殺のかわりに世界が終わった時間で生きることにしたのだ。
自殺の罪は重いという。
誰もいなくなった地球は、少年にとって、罰そのものであった。
なーんて話。
書き下ろしで少し長めの短編も収録されている。
「しあわせな死の桜」
これは一転して、ジュブナイル風味の作品になっている。
これもまた神隠し事件。
現場には桜の花びらが残されている。
この事件を追うのは「ハンサム探偵団」と名乗る中学生たち。
中学生なのに「傲岸不遜」とか「風雅」なんて言葉を使う、異様な集団だ。
犯人は少年の1人。しあわせな死に方を追求するあまり、凄い能力を身につけた。
指パッチンすれば、特定の人物を桜吹雪に分解することができるのだ。
ここで終わっておれば、普通のジュブナイルSF小説だ。
竹本健治は違う。
主人公の少年は、ふいに睡魔におそわれて、自分は誰とも出会っていない第三者であり、当事者だったことはなかった。とか思う。
そうかと思えば、いや、自分こそ人を桜の花びら舞い散らす力を持つ犯人と同じだった、と思う。
桜一色の世界の中で、少年は愛しい人を奪い去られる桜色の罰を受けているのだ。
う〜む。わからない。
雰囲気はわかるが。雰囲気から先に進まない。
少年探偵団の話を読んでいたら、ラストにいたって「明智なんて幻想でしかなかった」「二十面相なんて存在しなかった」「いや、じつは僕こそが明智であり、二十面相の1つの顔だったのだ」なんてわけわからなくされたみたいなものである。
でも、竹本健治の持ち味は、そこにある。
蛇足に命をかけるのが、竹本健治の真骨頂なのだ。(憶測)
「鉄甲機ミカヅキ」全6話を見た。
2000年から2001年にかけて放送された特撮番組。監督は雨宮慶太。
巨大ロボットが怪獣と闘う物語なのだが、中心になるのは、主人公の少年(岩動風雄)の自立と成長の物語だった。
「巨大ロボット対怪獣」というのは実際には大雑把な言い方すぎる。巨大ロボットのミカヅキは、ロボットではなく、鉄の塊。番組中でも言われるように、「巨大な彫刻」なのだ。
そのミカヅキは少年の声にだけ反応して動くことができる。
このあたりの設定は、ジャイアントロボを思わせるが、ロボットと操縦する少年とのシンクロという点ではエヴァンゲリオンとかアイアンマッスルとか、いろいろあるのだ。
怪獣はイデアモンスターと呼ばれている。激しい感情が実体化したものがモンスターとしてあらわれるのだ。
最初にあらわれるモンスターは、巨大なスイカだったし、巨大な風鈴とか、家とか、心の中で重大な位置を占めているものが怪物化する。
ミカヅキだって、いじめられっ子の少年が成長するのを促す父親の役割を果たしていたことが作品全体からわかる仕組みになっている。
少年が成長するにあたっての心の揺れ動きは、かなり見事に描かれているように思った。
ぎりぎりまで、この少年、親を頼ったりして、成長しきれないのだ。やっとラストで自立して、「もっと早く自立しろ、このヘタレ!」と思ってしまった。自分自身が助けを求めているっていうのに、それを自分が助けずに、ギリギリまで誰かの助けを待ったりしていた。
父親が別れを告げるときに少年が泣くのも情けなかった。泣いて問題が解決できるのは乳児のあいだだけだ。
そんな、成長のもたもたした感じが、とてもリアルだった。
闘いのシーンも面白くて、いかにも正義の味方ミカヅキ、ラストボスのシンゲツの凶悪なムード、おもちゃっぽい月光機、どれも見事。特に、クライマックスでシンゲツを倒すために、歴代月光機が勢ぞろいしたときは、涙が出そうになった。
さて、このミカヅキ、何年も前に見た。はずだ。第2夜で、風雄がナナちゃんからの交換日記を「昔の自分に戻りたくない」と言って受け取るのを拒否する。ナナちゃんは風雄の目の前で交換日記を破り捨てる。このシーンをはっきりと覚えていた。ミカヅキ全体の中で覚えていたのは、このシーンだけだった。今回見直してみて、このシーンがミカヅキのポイントだったんだな、ということがよくわかった。
なお、6年の歳月をおいて見ることで、役者陣で「あっ、この人が出ていたんだ」という発見もあった。
女子高生社長をおはガールの奈良沙緒理が演じているのは当時から意識して見ていたが、それ以外にも、たとえばドアイドムの回でビ−玉をためていた女の子が鉢嶺杏奈(腕に長髪をはやしてクイクイ引っ張ってる子)であり、ナナちゃんがピチモの野口由佳だったとか。
八木田麻衣の名もあった。東京パフォーマンスドールで一番好きだった子だ。
少年役で、よく見た名前もあったが、少年には興味がないので、無視。
あっ、社長が月光機を操縦してるシーンも覚えてたな。
少年が意のままにミカヅキを操るのと、少女が必死で月光機を操縦する姿のコントラストが印象的だ。
少年は自分の成長がテーマでロボットに乗るのに対して、少女は会社の売り上げとか現世の成功のためにロボットに乗るのだ。
男女の差は、悪者側のおもわくからも感じられた。
トルパ(小家山晃)は地球を滅ぼしてしまおうとするが、ルナ(吉野紗香)は地球をそのまま壊さずに自分のものにしてしまおうとするのだ。
まあ、男女の差というより、個人差なのかもしれないけど。
2000年から2001年にかけて放送された特撮番組。監督は雨宮慶太。
巨大ロボットが怪獣と闘う物語なのだが、中心になるのは、主人公の少年(岩動風雄)の自立と成長の物語だった。
「巨大ロボット対怪獣」というのは実際には大雑把な言い方すぎる。巨大ロボットのミカヅキは、ロボットではなく、鉄の塊。番組中でも言われるように、「巨大な彫刻」なのだ。
そのミカヅキは少年の声にだけ反応して動くことができる。
このあたりの設定は、ジャイアントロボを思わせるが、ロボットと操縦する少年とのシンクロという点ではエヴァンゲリオンとかアイアンマッスルとか、いろいろあるのだ。
怪獣はイデアモンスターと呼ばれている。激しい感情が実体化したものがモンスターとしてあらわれるのだ。
最初にあらわれるモンスターは、巨大なスイカだったし、巨大な風鈴とか、家とか、心の中で重大な位置を占めているものが怪物化する。
ミカヅキだって、いじめられっ子の少年が成長するのを促す父親の役割を果たしていたことが作品全体からわかる仕組みになっている。
少年が成長するにあたっての心の揺れ動きは、かなり見事に描かれているように思った。
ぎりぎりまで、この少年、親を頼ったりして、成長しきれないのだ。やっとラストで自立して、「もっと早く自立しろ、このヘタレ!」と思ってしまった。自分自身が助けを求めているっていうのに、それを自分が助けずに、ギリギリまで誰かの助けを待ったりしていた。
父親が別れを告げるときに少年が泣くのも情けなかった。泣いて問題が解決できるのは乳児のあいだだけだ。
そんな、成長のもたもたした感じが、とてもリアルだった。
闘いのシーンも面白くて、いかにも正義の味方ミカヅキ、ラストボスのシンゲツの凶悪なムード、おもちゃっぽい月光機、どれも見事。特に、クライマックスでシンゲツを倒すために、歴代月光機が勢ぞろいしたときは、涙が出そうになった。
さて、このミカヅキ、何年も前に見た。はずだ。第2夜で、風雄がナナちゃんからの交換日記を「昔の自分に戻りたくない」と言って受け取るのを拒否する。ナナちゃんは風雄の目の前で交換日記を破り捨てる。このシーンをはっきりと覚えていた。ミカヅキ全体の中で覚えていたのは、このシーンだけだった。今回見直してみて、このシーンがミカヅキのポイントだったんだな、ということがよくわかった。
なお、6年の歳月をおいて見ることで、役者陣で「あっ、この人が出ていたんだ」という発見もあった。
女子高生社長をおはガールの奈良沙緒理が演じているのは当時から意識して見ていたが、それ以外にも、たとえばドアイドムの回でビ−玉をためていた女の子が鉢嶺杏奈(腕に長髪をはやしてクイクイ引っ張ってる子)であり、ナナちゃんがピチモの野口由佳だったとか。
八木田麻衣の名もあった。東京パフォーマンスドールで一番好きだった子だ。
少年役で、よく見た名前もあったが、少年には興味がないので、無視。
あっ、社長が月光機を操縦してるシーンも覚えてたな。
少年が意のままにミカヅキを操るのと、少女が必死で月光機を操縦する姿のコントラストが印象的だ。
少年は自分の成長がテーマでロボットに乗るのに対して、少女は会社の売り上げとか現世の成功のためにロボットに乗るのだ。
男女の差は、悪者側のおもわくからも感じられた。
トルパ(小家山晃)は地球を滅ぼしてしまおうとするが、ルナ(吉野紗香)は地球をそのまま壊さずに自分のものにしてしまおうとするのだ。
まあ、男女の差というより、個人差なのかもしれないけど。
味園ビルの深夜喫茶「銭ゲバ」で、アイドルイベント「HELP!」を開催した。
出演は草壁コウジ、ぶっちょカシワギ、保山宗明玉の司会進行&前説と、アイドルの野中ひゆ、丼野M美。
歌ライブ、アイドルちゃんによる心のこもった脅迫状朗読と、オークション。お客さんとアイドルちゃんによるボディペインティングの描きあい。
全身が落書き帳のようになったアイドルちゃんが、店の外に出て、ぐるりと1周してくるハプニング・パフォーマンス。
イベント終了間際には、ちやじによるテロで、いきなり人質がとられて、イベント乗っ取り。「歌を歌わせろ!」の要求を飲んだが、歌をワンフレーズだけ歌って放り出す、まさに投げっぱなしスープレックス芸。
いろいろあったが、楽しく出来たのが何より。
来月にでも、また開催したい。
出演は草壁コウジ、ぶっちょカシワギ、保山宗明玉の司会進行&前説と、アイドルの野中ひゆ、丼野M美。
歌ライブ、アイドルちゃんによる心のこもった脅迫状朗読と、オークション。お客さんとアイドルちゃんによるボディペインティングの描きあい。
全身が落書き帳のようになったアイドルちゃんが、店の外に出て、ぐるりと1周してくるハプニング・パフォーマンス。
イベント終了間際には、ちやじによるテロで、いきなり人質がとられて、イベント乗っ取り。「歌を歌わせろ!」の要求を飲んだが、歌をワンフレーズだけ歌って放り出す、まさに投げっぱなしスープレックス芸。
いろいろあったが、楽しく出来たのが何より。
来月にでも、また開催したい。