ISBN:4903108007 単行本 長尾 みのる よるひるプロ ¥1,890
ピエロ、アリババ、ガリバー、ノラケン、酋長、トイレなど有名フーテンが新宿にいた頃のお話。
「時速20キロ」という名のラクダに乗って、フーテンやヒッピーといった借り物のライフスタイルでなく、日本由来のバサラで行こうと、風俗の先端を旅する女の子。
「イラスト」というネーミングは、長尾みのるのイラストからはじまったらしい。
硬直した「画壇」から解放された場所で仕事をしたかったから、というようなことを巻末のインタビューでこたえていた。
聞き手は山田広野。
なんばBEARSでイベント「冬のソンナタ」。
出演は、魔ゼルな規犬 / 佐伯誠之助 / 邪王院弘&劉麗華女王様 / 野中ひゆ / トンボ / 自分BOX with ララボンゴ /少女崇拝 / 海綿隊 / NO.305 / 秒殺天使 / 丼野M美 / タニシ /ヘルメッツ / いとこ三兄弟 / ことぶきまぐろ / やすみあけ/ポンコポンコ / ペンコパンコ / ピンコポンコ / キョトトット / キーヨトトット / キョーヨヨトトット
ちなみに、「ポンコポンコ」以下は、僕が調子にのって筆がすべっただけで、最初から出る予定もなく、そんなユニットは存在していない。
しかし、16組も出演すれば、もう出演者もお客さんも、何がなんだかわからない。きっと「ポンコポンコ」を見たと勘違いするお客さんもいたはずだ。
今日はこのライブイベントの前に、映画「デスノート2」を見て来た。
エルとキラの対決。
漫画の原作をわりとうまく生かした形で映画化できていたと思う。
今まで、小説の映画化などで、そのクオリティーのあまりの違いに絶望することも多々あったが、この「デスノート」は前作とあわせて、わりと原作の雰囲気を伝えており、大きく失望させられるところはなかった。
その要因は2つ。
ストーリーそのものの面白さと、僕自身がどのキャラクターにも思い入れがなかったことだ。
ただ、エルが映るたびに違う甘いものを食べている演出は、つまらなかった。甘いものに対する食傷ではない。僕は甘いものが大好きだけど、甘党の人間は、あんなふうに毎回違う甘味をとろうとはしないのだ。あんな演出は悪ノリでしかない。
と、いうわけで、僕のユニット「いとこ三兄弟」は、急遽「デスノート」をやることにした。
「天才てれび君MAX」で七海がやってたバルーンアートと、今日見たばっかりの「デスノート」、そしていとこ三兄弟を「パタリロ西遊記」にみたててのベリーズ工房、これら、僕たちが面白いと思えたものをそのままお客さんに伝えようとした。
「いとこ三兄弟」は、自己を表現するユニットではなくて、「みなさん、こんな面白いことがあったんですよ!」と伝達するコミュニケーションユニットなのだ。

打ち上げは、夜中遅くまで。
最近働いてばかりでストレスがたまっていた僕は、ここぞとばかりに発散した。
のだと思う。
でも、いつもどおりだったかも?
解釈は後づけだ。

魔法のゆび

2006年12月6日 読書
ISBN:4566014126 単行本 クェンティン ブレイク 評論社 ¥945
ISBN:4566014215 単行本 クェンティン ブレイク 評論社 ¥945
ロアルド・ダール・コレクションの12巻。
「シンデレラ」
王子をふってジャム職人と結婚するシンデレラ。

「ジャックと豆の木」
お風呂に入ってたので、巨人はジャックが宝を盗んでも、人間の臭いを嗅ぎつけることができなかった。

「白雪姫と七人のこびと」
魔法の鏡を盗み出して、競馬の勝ち馬を教えてもらい、大金持ちになる白雪姫。

「三びきのクマ」
勝手にクマの家に入って食事して寝ていた女の子は、クマに食べられる。

「赤すきんちゃんとオオカミ」
オオカミをピストルで殺して、オオカミの毛皮のコートを作って御満悦の赤ずきん。

「三びきのコブタ」
オオカミの襲撃にそなえて、コブタはオオカミハンターの赤ずきんちゃんに護衛を依頼する。
赤ずきんは、オオカミを撃退し、オオカミの毛皮のコートを作り、豚皮のバッグも手に入れた。

と、昔ばなしを面白くアレンジしている。
だが、読んだ印象は、全体を覆う言葉遊びと七五調で、イマイチ筋が頭に入ってこない。
「これは!」と膝を打つような言葉遊びに出会えなかったせいもある。最初はその言葉遊びが邪魔で邪魔でしかたなかったが、読み進めていくうちに、慣れてきた。
ストーリー自身のひねくれっぽさで笑うことはあっても、言葉遊びそのものでニヤリとできなかったのが残念なところか。
ISBN:4566014150 単行本 クェンティン ブレイク 評論社 ¥1,365
父親が中心になって、キジの密猟。
エサに睡眠薬を仕込んでおいて、キジを取る計画など、落語の味わいがある。
塚口さんさんタウンで、ダンスオリンピック開催!
ISBN:4091510299 コミック 阿部 潤 小学館 ¥530
阿部潤のコミックス『ポルタス』を読んだ。
「ポルタス」はゲームの名前。
ゲームが進んでいくと、ゲームの中の少年が「こっちにおいで」と呼ぶ。
それにうっかり答えると、えらいことになる。
と、都市伝説っぽい導入部から、ホラーの王道を驀進する。
僕の考えるホラーの王道は
無気味な導入部
鬼畜な真相
あっけない解決
残尿感
の構成だ。
この『ポルタス』では、
「ポルタス」やってた少女が自殺したり、コケシ=子消しの無気味なすべりだしがあり、
(無気味な導入部。ここでのイメージはとても怖い)

因習的な村での大量殺人、という過去の事件が暴かれ、
(鬼畜な真相。津山や八つ墓村を思わせる)

供養のためのコケシを元の位置に戻すことで、怪現象がおさまり、
(あっけない解決。こんなことでおさまるのなら、自殺した少女はまさに犬死に)

ラストシーンでは、「まだ終わってませんよ〜」と怖がらせる。
(お約束)

教科書どおりの展開でまとまっている。
ホラーとしてよく出来ていて、読んでいて、楽しかった。
読み終わった後まで恐怖が持続するわけでもなく、娯楽の王道を行った。
これを、読後まで恐怖を持ち越させるには、ストーリーを破綻させるしかない。(解決して、よかった、よかった、というだけのシーンを100ページくらい続けるとか)
ISBN:4003356519 文庫 荒木 成子 岩波書店 ¥693
これは面白かったなあ。
ISBN:4329010178 単行本 鈴木 創士 現代思潮新社 ¥2,520

「かわいい」論

2006年11月27日 読書
ISBN:4480062815 新書 四方田 犬彦 筑摩書房 ¥714
六甲のMaiden Voyageで開催された「Brand New Groove presents LIVE BUMP!」を見に行った。
オープニングアクトは「お口なおし」
男性2人、女性1人の、コミカルなダンス。

「むーうぃん」
10月7日に結成されたばかりの女性3人のユニット。
ダンス中心のあやか、歌中心のつかさ、笑顔中心のみわ。
オリジナルを含む4曲、ZONEや鬼束ちひろなどを歌っていた。

「TOUCH」
1.ラブ・ラズベリー・ジュース
2.クインシー
3.ラブ・ライク・キャンディフロス
4.タイムリミット
ダンスの切れはさすが。ステージが狭くて思いきったダンスが出来なかっただろうに、この素晴らしさ。

「いちごっ娘」
1.Uki Uki Baby
2.Your Song
3.Get Your Groove
4.Color of Season

「杉村公奈」
1.未来の地図
2.渡良瀬橋
3.さくらんぼ
4.三日月
5.200倍の夢
最後の「200倍の夢」はユキナがスリーピークスだった頃によく歌っていた曲だ。歌のうまさはピカイチ!

「ペロペロキャンディーズ」
1.スマイル
2.あんぶれら
3.ねぇ、わかんない?
思ったよりもおしゃべりが面白くて楽しめた。
初めて見たライブだったが、これは面白いや!

「H@chi」
オリジナル6曲。
リメンバーミー、好き、パステルカラー、レッツパーティなど。
アイドルとしての実力はじゅうぶんなのだが、あの色気のないツナギを着るのはどうなんだろう。ヤンキーならあれで喜ぶのか?ちょっと理解に苦しむ。

ライブ終了後、物販もあったが、次のイベントに既に遅れているため、急ぐ。

エル大阪地下1階で、ダンシングBANANAの単独ライブ。
途中から入ったので、本日発表の重大発表や「黒豆ロックンロール」などは見逃したようだ。
第1部(見たところから)
歩いて行こう
スクリーム
イッツオーライト
ありがとうの歌
大航海ランドスケープ
真実の宝石

第2部
御堂筋なみはや
シノブ
ダイビング・トゥ・ラブ
ハッピーメイカー
ダンデライオン
軌跡
世界中のこどもたちが
大航海ランドスケープ
(アンコール)
軌跡

ライブ中のトークで、重大発表のことにも触れていた。
ダンシングBANANAという名前を改名するのだそうだ。
愛着のある名前を変える、ということで、まるで解散するかのような感涙のトークが展開した。
ダンデライオンでは、客がサイリウムで会場を黄色に染めて、効果をあげていた。(れなはサイリウムを「ルミカ」と呼んでいた。僕もこれからは「ルミカ」と呼ぼう)
ライブ後は、お客さん全員と握手会、物販もあったが、次のイベントに既に遅れていたので、急ぐ。

新世界ブリッジで魔ゼルな規犬くんのイベント。
入場したら、佐伯誠之助ライブ中。
魔ゼルな規犬&あなるちゃん
オーラルヴァンパイア
月極

1日中アイドルのシャワーを浴びて疲れた心身を癒すアングラ。
きっと逆もまた真なりなのだ。
STSのスペシャルライブを見に行った。
入場者数を限定して、立ち見をなくし、会場をゆったり使うことで、客席後方からダンサーが登場するなどの演出を可能にしていた。
1.Hang Up/スーパーバブルス
2.LOVE RASPBERRY JUICE/TOUCH
3.タイムリミット/TOUCH
4.love like candy floss/TOUCH
5.Your Song/いちごっ娘
6.Get your groove/いちごっ娘
7.COLOR OF SEASON/いちごっ娘
8.Open your mind/ジュニアスペシャルダンスチーム
9.ちょっとだけMY LOVE/ミューズ
10.ONE WAY GENERATION/ミューズ
11.満月の夜に迎えに来て/ミューズ
12.sexy,naughty,bitchy/ブラックベリーズ
13.don’t wanna see me (oh) tonight/ブラックベリーズ
14.Garnet Moon/ブラックベリーズ
各ユニットのサイン色紙争奪じゃんけん大会もあり、ライブ後には物販もあった。
別途料金を支払ったお客さんには、場所をかえての撮影会もあった。
僕は肉眼派なので、そこまでつきあえなかった。
南港ダンスフェス秋グランプリ決勝大会を見に行った。
天候を考慮して、屋内ATCホールで開催された。
以下、出場チーム。
1.パワフルキッズ
2.たまごやき
3.scaletone
4.シャムロック
5.CABBY
6.N.S.LOVERS
7.BOOTY CRUP
8.スティッカーキッズ
9.UPPISH-G
10.乱舞
11.GEMINIST
12.ROSE
13.S.K.NOVA
14.Fairy Lam
15.TRUST5
16.Dixy♪♪
17.Pee Ka Boo
18.CHUM
19.ダンシングヴィガー
20.TiSsue
21.パワフル・プリンセス
22.ALADDIN
23.ピロピロMIX
24.パワフルgirls
25.N.S.SURFIN’
26.My ProDigy
27.glare
28.雅
29.CHELSEA
30.POINT
31.Wet’s up Dolls
32.Ry’s
結果発表はケーブルテレビで生放送されるとあったので、本選見たあと、帰宅して、テレビで続きを見た。
各ユニットの予選時の映像が流れたり、入賞ユニットのダンスがアップで見れたりする特典があって、これはうれしい。おまけに、夜から仕事だったので、体を休ませながら見ることができた。
入賞結果は、また後ほど。
ISBN:4872951026 単行本 武満 徹 Esquire Magazine Japan ¥2,520
東京オペラシティアートギャラリーで今年の4月から6月にかけて、武満徹没後10年特別企画として「Visions in Time」展が開催されていた。

実験工房と草月ア−トセンタ−(楽譜や、瀧口修造、ポスター関係)
御代田にて(楽譜や帽子やケンダマなど)
美術家との交感(ルドンやミロなど)
画家(武満徹の作品)
映画・テレビ・ラジオ(ポスター、台本)
著述(雑誌、本、原稿)
プロデューサー(Music Todayなどのポスター)
時間の園丁・武満徹(楽譜や、現代作家の作品など)

この展覧会にあわせて出版されたのが『武満徹/Visions in Time』で、多くの図版と、武満徹の著作から引用された文章がたっぷり並べられている。
必ずしも展示との照応がされているわけではなく、これはこれで独立した1冊の本として楽しめる。
僕はあいにくと展示は見に行けなかったが、この本は楽しかった。
五線譜によらない楽譜に、黛敏郎の「楽譜」の写真(五線譜書いた水槽にオタマジャクシを泳がせて、それを見ながら演奏)、巻末の池辺晋一郎によると「ヴィブラフォンを弓で弾く、タムタムをスーパーボールでこする、ティムパニに仏壇用のリンを乗せてペダルを上下させることにより余韻のうねりを生じさせる、ゴングなどを叩いてすぐに水につけて音程を変化させる、トランペットのハーモン・ミュートの二段構造の内側を抜いて装着させて吹く、ハープの下方を弾く『スラ・タヴォラ』や爪で弾く奏法の多用、弦のみならず木管などにもハーモニックスを頻繁に使う」
さらには、「アメリカにはたった8人なんだけど、1人1人が2つの声を出せる合唱団があるんだ」とヨタをとばすこともあったらしい。
こういうところが、現代音楽の面白いところなんだ、と僕は思っている。
本書でデヴィッド・シルヴィアンが寄せた原稿にあるように、「武満さんは、しばしばクラシックの聴衆の狭い世界を嘆いていました」と、若い作家や幅広い世界に目を向けている視線が共感できるところだ。
でも、話はクラシックにかぎるものではなく、1つのジャンルの趣味に特化して、そこから出ようとしない傾向は、「最近の若い者」にも往々にして見られるんじゃないか、と思っている。いわゆるタコツボ化っていうやつだ。
送り手側としての立場から、武満徹が感じたことが次のように記されている。
「現代音楽は、大衆の生活とは無縁のところにある。
では、なぜ今日の音楽は孤立してしまったのだろうか?」
「ぼくがその頃考えていた音楽は、たしかに人々と何もかかわりはなかった。人々はたがいに孤立しあっていた」
これは「ぼくの方法」という原稿からで、こういう思いを抱いたのは、1948年のことだ。(以下、考察が続いて、ミュージックコンクレートの着想にいたる)
音楽にノイズを入れるのは、「自由だ〜!」
「音楽イズ・フリーダム〜」

あと興味深かったのは、この武満徹をして融通無礙ぶりで感心させたのが他ならぬジョン・ケージだということ。そりゃ、ジョン・ケージ(キノコ好き)には叶わない。そういえば、武満徹の本棚の写真があったけど、ちゃんと「キノコ」の図鑑もあったな。

あとは、水の輪の着想を語る原稿がいくつか載せられている。
僕がかつて展開していた「水道」(武道とか茶道みたいに、水を道としてきわめる)の活動の際に、武満徹をカバーしていなかったのが残念だ。
諸事情により読書がはかどらない。
今日もこれから録画しておいた格闘技の番組を5時間かけて見る。(S-CUPと修斗)
本は、まあ、読まない。
と、いうわけで、2006年に読んだ本の中で、印象的だったベスト10を選んでみた。
先年はミュノーナの『スフィンクスケーキ』とか、嬉しい出会いがあったが、さて、今年は?

『狂えるオルランド』アリオスト
(前編)
http://diarynote.jp/d/49497/20060904.html
(後編)
http://diarynote.jp/d/49497/20060905.html

『悪戯の愉しみ』アルフォンス・アレー
http://diarynote.jp/d/49497/20060713.html

『タイムスリップ釈迦如来』鯨統一郎
http://diarynote.jp/d/49497/20060405.html

『未来少女アリス』ジェフ・ヌーン
http://diarynote.jp/d/49497/20060413.html

『ヨットクラブ』デイヴィッド・イーリイ
http://diarynote.jp/d/49497/20060711.html

『象徴の貧困』ベルナール・スティグレール
http://diarynote.jp/d/49497/20060623.html

『最後の一壜』スタンリイエリン
http://diarynote.jp/d/49497/20060406.html

『薔薇物語』ギヨーム・ド・ロリス/ジャン・ド・マン
(見目誠訳)
http://diarynote.jp/d/49497/20060920.html
(篠田勝英訳)
http://diarynote.jp/d/49497/20060921.html
(チョーサー版)
http://diarynote.jp/d/49497/20060922.html

『イリヤの空、UFOの夏』秋山瑞人
http://diarynote.jp/d/49497/20060317.html

三橋一夫ふしぎ小説集成
『腹話術師』
http://diarynote.jp/d/49497/20060316.html
『鬼の末裔』
http://diarynote.jp/d/49497/20060823.html
『黒の血統』
http://diarynote.jp/d/49497/20060317.html

『銀の仮面』も面白かった記憶があるが、怠けて日記をつけずにいたら、もう思い出せなくなっていた。こんなこっちゃだめだ。
『象徴の貧困』以外は全部フィクション。僕はやっぱり小説とか好きなんだな、と思った。
1位の『狂えるオルランド』は詩だけどね。
問題は、今年刊行された新刊をあまり読んでいないこと。
きっとめちゃくちゃ面白い本が刊行されてるんだろうなあ。
読めた人がうらやましいなあ。
おおのひろみちゃんのHIROMIX PARTYのChamiバースデイパーティにおよばれして行ってきた。
モデルさんやらレースクイーンやら、業界の方々やら、華やかな人々でいっぱい。
昔からの知り合い、友人にも多数会い、とても楽しかった。
モダンチョキチョキズの歌で久々に踊ろうとしたが、全然振り付けを覚えていなかった。
「頭はクラクラお目めはグルグル」で激しく踊って死のうと思っていたが、(ライブでも一番カロリー消費が激しい歌だったと思う)、歌は「自転車に乗って、」これは「お願いデーモン」の主題歌で、ドラマのタイトル部分や、ドラマの最後に出演させてもらったのを懐かしく思い出した。振り付けはラッキィ池田。つまり、ちゃんとした振り付けなので、1曲踊ったあとに死にかけになることはない。
昔からの知人との再会だけではなく、この場ではじめて知り合った人も出来て、たいへん貴重な体験だった。
ISBN:4821196913 コミック 吾妻 ひでお ぶんか社 ¥900
吾妻ひでおの『クラッシュ奥さん』第1巻を読んだ。全2巻らしいのだが、2巻めは見つけられなかった。
平成6年〜8年に連載された漫画を集めてある。
「クラッシュ奥さん」14話収録(平成8年)
「まじかるミステリーまおちゃん」全15話収録(平成7年)
「あたしはつくし」全10話収録(平成6年)
あっけらかんとしたセックス、犯罪は変わらずエバーグリーン。
スーパーの店内にかってに物を並べて販売したり、勝手に宿の中でマッサージの仕事してお金もらい空き部屋で寝たり、屋台でラッキーホール営業したり。
これって、こどもがお店屋さんごっこしている感覚に近い。
そうか、吾妻ひでおの漫画の主人公は、犯罪にかかわっても、セックスしても、心はこどもなのか。
どんなにむちゃくちゃしても、どうにかなる、という能天気さがうかがわれる。
サービス精神たっぷりな「クラッシュ奥さん」が一番面白かったが、「まじかるミステリーまおちゃん」もSFネタ満載で楽しめた。
マインド・ヴァンパイアとか、シュレディンガーの捨て猫とか、観用女子高生(プランツ・ハイスクール・ドール)とか。
クラッシュ奥さんや、つくしのような無邪気なキャラクターを得意とする吾妻ひでおが、失踪したりアルコ−ル中毒になったり、鬱傾向になるんだから、人間は面白い。
ISBN:4121501748 新書 斎藤 環 中央公論新社 ¥798
齋藤環の『「負けた」教の信者たち』を読んだ。
以下目次
はじめに−なぜあなたは「負けた」と思いこむのか
第1章 メディアから自由になる日
1、メディアという幻想が覆い隠すもの
2、「電波少年」打ち切りにみる一つの感性の終焉
第2章 「ひきこもり」の比較文化論
1、「社会的ひきこもり」100万人の時代に
2、「ひきこもり」にみる日韓の家族
3、ひきこもり対策は「予防」から「対応」へ
4、韓国の「隠遁型ひとりぼっち」と日本の「ひきこもり」
5、「ひきこもり」がもたらす構造的悲劇
6、「ひきこもり高齢化社会」という未来
第3章 ネット・コミュニケーションの死角
1、ネットがいざなう匿名の死
2、ネット上に「影武者」をばらまけ
3、「子ども」はいま最も疎外された存在である
4、ネット・コミュニケーションの危険性を子どもに伝えよ
5、韓国のネット依存者たちに学ぶ
第4章 虐待する側、される側の心理
1、長崎幼児殺人事件の教訓
2、「主張する弱者」にも寛容さを
3、虐待と「世間」は共犯関係か
4、刑務所にも構造改革を
第5章 政治と司法がなすべきこと
1、青少年保護育成条例強化に断固抵抗する
2、護憲派最大のジレンマ
3、「有害なわいせつ性」という社会通年こそ有害である
4、触法精神障害者の処遇についてタブーなき議論を
第6章 ニートたちはなぜ成熟できないのか
1、全共闘・新人類・団塊ジュニア−三つの世代を規定するそれぞれの転向
2、社会の成熟が奪う個人の成熟
3、若者に蔓延する「確固たる自信のなさ」
4、「ニート」対策はいかになされるべきか
5、「ニート」は世間の目が怖い(玄田有史氏との対談)−働くことも学ぶことも放棄した若者40万人の実情
おわりに
本書は『中央公論』連載の『時評』を中心に、『児童心理』『文藝春秋』『VOICE』に掲載された文章と、「はじめに」「おわりに」の書き下ろしで構成されている。
タイトルのあざとさとは対照的に、その内容はしっかりしている。
目次をざっと見たときに覚える、「おっ、これは何だ」と僕自身が思った部分について、覚え書きを残しておこう。

「『電波少年』打ち切りにみる一つの感性の終焉」とは。
バラエティ番組のドキュメンタリー化、虚構が現実を取り込む手法は、80年代の「楽屋落ち」手法にルーツがある。虚構と現実のギャップを楽しむ80年代手法に、90年代は楽屋落ちに笑いや感動を求める手法が加わる。虚構と現実の区別はもう問題にされなくなる。「やらせ」が問題になるのは、テレビのなかに真実があると信じられているかぎりにおいてであり、現代では「やらせ」上等で番組を楽しむのだ。
と、著者はだいたいこんなことを言っているが、その後が、興味深い。
こういう態度は、まさに「シニカルな主体」の問題だという。
出ました!「シニカル」!現代を解き明かすキーワード!
これはジジェクがよく取り上げる事柄らしい。近代的な主体は、たとえば、あるイデオロギーに対して、それが馬鹿馬鹿しいものであることを知っていても、いや、知っているがゆえに、それを深く信じることができる、というのだ。
テレビは「表現された事柄にはすべて楽屋裏がある」ことを人々に知らしめた。
ただし、こういうシニシズムによって維持されていた倫理が、正当な倫理だと思いこんでしまったときに、「ベタ」で「シャレにならない」事態に陥ってしまう。
このあたりの距離の取り方についての最大の啓蒙家は、齋藤環によるとナンシー関だったという。
ナンシー関!
僕は「ツッコミ芸」をあんまり評価していなかった。オタクのみなさんの会話が、ほとんどツッコミに終始していて、辟易していたせいだ。小説や映画やアニメや、ニュースなどについて、ツッコミばかりしていて、自分では何も創造しないのは、うんざりするほど蔓延してるし、もういい、と思ってた。その仲間の1人として、ナンシー関もちゃんと読んできていなかった。でも、昨日読んだ本とか、本書でナンシー関に高い評価を与えているのを見ると、僕の読み方の浅さが暴露された形だ。いずれ、ちゃんと読もう。

「護憲派最大のジレンマ」とは。
憲法9条を維持したまま、まともな危機意識を持つことは難しい。
これがジレンマ。

「全共闘・新人類・団塊ジュニア−三つの世代を規定するそれぞれの転向」について
おおざっぱな括りではあるが、こんなことが書かれている。
「全共闘世代は何でもできるが何も知らない。新人類世代は、なんでも知っているが何もできない。団塊ジュニア世代はなんでも知っていて、何でもできるが、何もしたくない」
このあと、著者は「転向」をキーワードにして世代を語ってみようと試みる。
転向というとおおげさだが、アナログレコードをやめてCDを聞くようになったとき、マックをやめてウィンドウズにのりかえたとき、などの場面でも感じる「転向」だ。
それによると、次のとおり。
全共闘世代は政治的転向(価値的欲望。社会性への固執。超越的他者への欲望)
新人類世代は感性的転向(感性的欲望。超越論的他者への欲望)
団塊ジュニア世代は転向なし(超越論的否認)

ところで、なぜ若者たちは負けたと思いこむのかといえば、著者はこう書いている。
「彼らは負けたと思いこむことにおいて、自らのプライドを温存しているのではないか」
「負けたと思いこむこともナルシシズムの産物なのだ」
「負けた」教の信者とは、「自傷的自己愛にしかすがることのできない若者たち」をさしているのだ、という。
そう書いたあとの著者の語りかけが、共感できる。
ひきこもりやニートなど、ここで言う「負けた」教の信者を相手にしたとき、
「あなたに彼らを愛する自信がないのなら、どうかせめて、無関心のままでいてはくれまいか。若者の非社会性などという似非論壇めいた問題意識は、どうか忘れてはくれまいか。それは、あなたに直接害を加えない他者への、最低限の礼儀というものなのだ」
まったく!そのとーり!
ISBN:4140910240 単行本 北田 暁大 日本放送出版協会 ¥1,071
北田暁大の『嗤う日本のナショナリズム』を読んだ。
序章 『電車男』と憂国の徒−「2ちゃんねる化する社会」「クボヅカ化する日常」
第1章 ゾンビたちの連合赤軍−総括と「60年代的なるもの」
1、「総括」とは何だったのか
2、方法としての反省
3、反省の極限へ−ゾンビとしての兵士たち
4、「60年代的なるもの」の終焉
第2章 コピーライターの思想とメタ広告−消費社会的アイロニズム
1、抵抗としての無反省−糸井重里の立ち位置
2、「メディア論」の萌芽−伝達様式への拘泥
3、消費社会的アイロニズムの展開−メタ広告の隆盛
4、新人類化とオタク化−消費社会的アイロニズムの転態
第3章 パロディの終焉と純粋テレビ−消費社会的シニシズム
1、(抵抗としての)無反省−田中康夫のパフォーマンス(括弧内の文字抹消線)
2、無反省という反省−川崎徹と80年代
3、消費社会のゾンビたち
第4章 ポスト80年代のゾンビたち−ロマン主義的シニシズム
1、シニシズムの変容とナンシー関
2、繋がりの社会性−2ちゃんねるにみるシニシズムとロマン主義
3、シニシストの実存主義
終章 スノッブの帝国−総括と補遺

60年代から現代に至るまでの、反省の歴史が描出されている。
60年代は自己否定(総括)
70年代は抵抗としての無反省
80年代は「抵抗としての」が抜け落ちた無反省
90年代は80年代への抵抗としての反省
これは、シニシズムの変化も伴っている。どうやらシニシズムというのは、現代を考えるうえでのキーワードらしく思えてきた。
著者が言うには本書の議論は、
「ベタな感情とアイロニカルな感性の共存、世界と『この私』との短絡−この二つのアンチノミーの来歴を探るべくはじめられた」
「アイロニー」もキーワードだな。うむうむ。
現代の2ちゃんねる的なナショナリズムは、政治思想のナショナリズムの文脈でとらえるべきものではなく、「人間」が死に、「歴史」が失われた地平からのロマン主義的シニシズムのなかから湧き上がってきたものだ。
つまりは根が無いので、問題にするに足りないともとれるが、だからこそ危険なのだとも言える。
なるほど。
この本は、60年代から現代まで、多くの素材を扱っている。
クボヅカ、電車男、糸井重里(西武のコピー)、津村喬、『なんとなく、クリスタル』、『ビックリハウス』、元気が出るテレビ、『サラダ記念日』、ナンシー関などなど。
それぞれが時代を代表するものだが、なぜだろう、読んでいて、とても恥ずかしかった。
昔の自分の写真や作文をみんなの前で公表されるような恥ずかしさを感じた。
要するに、ここで描写され、分析されているのは、他ならぬ自分自身の来歴なのだ、という意識が、恥として認識されたのだ。
スローターダイクの『シニカル理性批判』とコジェーヴのスノッブ論をひきあいに出して論をすすめているのも、なんとなく、恥ずかしい。
あまり研がれていない鈍い刃で切られているような気持悪さがあるのだ。
この感情がどこからくるのかは、また考えてみよう。
ISBN:4840233594 コミック しかげ なぎ メディアワークス ¥893
しかげなぎの『ネジマキ』を読んだ。電撃コミックスEX。
からくりで動くメイドさんのお話。
人形でメイド、と願望のミックスがここに実現する!
言葉遣いが古風というか、堅くて間違っているのが萌えどころ。
「醤油を使用しますか?」
「コーヒーにミルクを混入いたします」
なんて、これは最近日本橋でも飽和気味のメイド喫茶の新機軸になるんじゃないだろうか。メカメイド!ロボメイド!
自分のことを「小生」と呼んだり、「拙者」など時代劇風の言葉も使う。
そう言えば、つい最近「カフェくらら」というメイド喫茶に行ってきた。
内装は最悪で、通路をむりやり店にしたような不思議な空間だったが、メイドさんがコーヒーにミルク&シュガーを入れて「おいしくおいしくなりますように」と呪文を唱えてくれたのはうれしかった。メイド喫茶なんだから、ホットケーキくらい切らすなよな、と思っていたが、このメイドさんのおかげでいっきに好印象に。言葉遣いひとつで印象は大きく変わるのだ。
さて、『ネジマキ』
前半は、からくり好きの主人公が、ガリ勉の女の子と友だちになったりするほのぼのストーリーもあって、楽しい日常が描かれている。
からくりなのに、心をもったメイドさんの顛末は、後半に行くにしたがって、メイドを生かすには自分の命を削らねばならない仕組みになっていたりして、お別れがやってくる。ありがちな展開なのに、そのあまりにもベタな演出に負けてうるっときてしまった。こういう話を今の僕は必要としているのだろう。
でも、これって、どこかで聞いたことのある話だなと思ってたら、ネジ巻きの場所が下半身にあることも含めて、まるで「ちょびっつ」だ!
「ちょびっつ」でも言葉を「ちぃ」しか言えない頃は可愛かった。言葉遣いは重要なのだ。
そう言えば、今行っているバイトでは、「〜でよろしかったでしょうか」というファミレスのウェイトレス言葉が横行している。敬語にもいろいろあって、学生敬語や体育会系敬語は、「私はていねいに言おうとしているのであります!」という姿勢は見えるが、使い方は無茶苦茶で、違和感を非常に覚えるものだ。バイトの先輩や、店長が正しい敬語を使えない場合は、その無茶苦茶敬語が定着していって、恥ずかしい状態になるものだ。
言葉遣いは重要なのだ。

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