蜷川実花ピンクリボン写真展〜ショコラティエ・パレ・ド・オール
2008年3月14日 趣味
ハービスentで蜷川実花ピンクリボン写真展。乳癌撲滅ピンクリボンキャンペーンのために撮りおろしたチャリティヌード展。雑誌にも掲載されているが、立ち読みするより、実際に見てみよう、と思ってどんな写真なのかは未見のまま行った。
オセロの中島が話題になっているようだが、僕は中学生の頃からの大ファン、秋吉久美子を見たくて行ってみた。きれいな写真で、秋吉久美子の持つ魅力が出ていたかどうかは微妙だが、とにかく、そのきれいさだけは否定しようがない。
しかし、被写体になった人たちのスタイルのよさには敬服する。
つい最近、睡眠時間が短い人は肥満傾向がある、とニュースで読んだ。なるほど、1日に3時間しか寝ない僕が肥満しやすいのは仕方ないんだな、とまるで御墨付きでももらったかのように油断しまくっていたが、スタイルがいいことはいいものなんだな、と思い知った。
同じハービスent内で、ショコラティエ・パレ・ド・オールでデザート。
ショコラショー(チョコレートドリンク)はおいしいし、チョコレートもおいしい。
今日はパフェ仕立てのものとホットのショコラショー(砂糖で甘味)のセットにした。
店の雰囲気が清潔すぎるのと、価格設定が高いのが難だが、たまにはいい。
http://www.palet-dor.com/
で、いくつかの店をまわって、帰宅後はテレビ番組などを見て過ごした。
今日はTOHOシネマズで千円で映画を見れる日だったので、2本ほどハシゴするか、と意気込みだけはあったのだが、夜勤明けで睡眠不足の身体には、少々無理だった。ちょっと椅子にすわっただけで、30秒後にはうつらうつらしてしまう始末。こんな状態で映画など見に行ったら、睡眠は必至である。
1週間ほど前から読んでいる本も、読了するには至らず。
それでも、これは、と思ったフレーズなり、ひっかかる箇所はあったので、覚え書きのためにそれぞれ書き留めておこう。感想などは、読み終えてから。
オカルティズムの博識家についてベルナルド・ソアレス(フェルナンド・ペソア)がこう書いている。
「とりわけ印象的なのは、彼らが謎を語ったり暗示しようと書くときに、全員文章が拙いということだ。ある人が悪魔なら支配できるが、ポルトガル語だと支配できないというのは理解しかねる」
なるほど!
これはオカルトだけでなく哲学についても応用できるんじゃないか、と思った。
また、別の読みかけの本には、こんなタイトルの漫画があることが書かれていた。
「チンポコ紛失」
漫画ファンの人なら、ああ、あれか、知ってる!と言うかもしれないが、僕ははじめて知った。
1977年に発表された漫画で、何度か単行本化されているが、もっとも近いもので1995年の扶桑社文庫刊に収録されているらしい。言っても10年以上前だ。今、手に入るのかどうか、ちょっと古本屋とかあたってみよう。今日もまんだらけをあたってみたのだが、ちょっとよくわからなかった。
さて、この漫画、ご存じですか?
また、別の読みかけの本に(『千夜千冊虎の巻』松岡正剛)、こんな問題提起があった。
「子供はとてもよく泣くのに、大人はなぜ涙をこらえるようになったのか」
これはネオテニーに関連しての発言。
同じ著者が1995年に出した別の本にネオテニーに関する記述があったのを思い出して、ぱらぱらとページをめくってみたが、この問題提起はなかった(見逃しているだけかも)。
10年以上前からの話なので、その間に、思いついたものなのだろうか。しかし、うまい問題を思いついたものだ、と思う。
また、別の読みかけの本の巻末の年表で(『四谷シモン前編』四谷シモン)、大阪万博のせんい館のために「ルネ・マグリットの男」人形を作ったと書いてあった。
昨日見た「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋」で、店内にルネ・マグリットの絵(顔の前に林檎)が飾られていたのを思い出した。エンドクレジット終わったあとの最後の最後に流れたボーナス映像で、ダスティン・ホフマンが、その絵をペイントしていた。
四谷シモンがルネマグリットの男を作ったことは、前から何かで読んで知っていたが、それが平野にあるあのルネ・マグリットの人形のことなのかどうか、いずれ調べてみようと思いながら、手つかずにいたことを思い出した。最近、平野には全然行ってなくて、したがって地獄の釜の音も聞いていないのだが、もろもろ健在なのだろうか。
こんなとりとめもないことを考えているのも、寝不足で頭がまわっていないせいだ。
録画しておいたスライドショーでも見たら、とっとと眠ることにしよう。
オセロの中島が話題になっているようだが、僕は中学生の頃からの大ファン、秋吉久美子を見たくて行ってみた。きれいな写真で、秋吉久美子の持つ魅力が出ていたかどうかは微妙だが、とにかく、そのきれいさだけは否定しようがない。
しかし、被写体になった人たちのスタイルのよさには敬服する。
つい最近、睡眠時間が短い人は肥満傾向がある、とニュースで読んだ。なるほど、1日に3時間しか寝ない僕が肥満しやすいのは仕方ないんだな、とまるで御墨付きでももらったかのように油断しまくっていたが、スタイルがいいことはいいものなんだな、と思い知った。
同じハービスent内で、ショコラティエ・パレ・ド・オールでデザート。
ショコラショー(チョコレートドリンク)はおいしいし、チョコレートもおいしい。
今日はパフェ仕立てのものとホットのショコラショー(砂糖で甘味)のセットにした。
店の雰囲気が清潔すぎるのと、価格設定が高いのが難だが、たまにはいい。
http://www.palet-dor.com/
で、いくつかの店をまわって、帰宅後はテレビ番組などを見て過ごした。
今日はTOHOシネマズで千円で映画を見れる日だったので、2本ほどハシゴするか、と意気込みだけはあったのだが、夜勤明けで睡眠不足の身体には、少々無理だった。ちょっと椅子にすわっただけで、30秒後にはうつらうつらしてしまう始末。こんな状態で映画など見に行ったら、睡眠は必至である。
1週間ほど前から読んでいる本も、読了するには至らず。
それでも、これは、と思ったフレーズなり、ひっかかる箇所はあったので、覚え書きのためにそれぞれ書き留めておこう。感想などは、読み終えてから。
オカルティズムの博識家についてベルナルド・ソアレス(フェルナンド・ペソア)がこう書いている。
「とりわけ印象的なのは、彼らが謎を語ったり暗示しようと書くときに、全員文章が拙いということだ。ある人が悪魔なら支配できるが、ポルトガル語だと支配できないというのは理解しかねる」
なるほど!
これはオカルトだけでなく哲学についても応用できるんじゃないか、と思った。
また、別の読みかけの本には、こんなタイトルの漫画があることが書かれていた。
「チンポコ紛失」
漫画ファンの人なら、ああ、あれか、知ってる!と言うかもしれないが、僕ははじめて知った。
1977年に発表された漫画で、何度か単行本化されているが、もっとも近いもので1995年の扶桑社文庫刊に収録されているらしい。言っても10年以上前だ。今、手に入るのかどうか、ちょっと古本屋とかあたってみよう。今日もまんだらけをあたってみたのだが、ちょっとよくわからなかった。
さて、この漫画、ご存じですか?
また、別の読みかけの本に(『千夜千冊虎の巻』松岡正剛)、こんな問題提起があった。
「子供はとてもよく泣くのに、大人はなぜ涙をこらえるようになったのか」
これはネオテニーに関連しての発言。
同じ著者が1995年に出した別の本にネオテニーに関する記述があったのを思い出して、ぱらぱらとページをめくってみたが、この問題提起はなかった(見逃しているだけかも)。
10年以上前からの話なので、その間に、思いついたものなのだろうか。しかし、うまい問題を思いついたものだ、と思う。
また、別の読みかけの本の巻末の年表で(『四谷シモン前編』四谷シモン)、大阪万博のせんい館のために「ルネ・マグリットの男」人形を作ったと書いてあった。
昨日見た「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋」で、店内にルネ・マグリットの絵(顔の前に林檎)が飾られていたのを思い出した。エンドクレジット終わったあとの最後の最後に流れたボーナス映像で、ダスティン・ホフマンが、その絵をペイントしていた。
四谷シモンがルネマグリットの男を作ったことは、前から何かで読んで知っていたが、それが平野にあるあのルネ・マグリットの人形のことなのかどうか、いずれ調べてみようと思いながら、手つかずにいたことを思い出した。最近、平野には全然行ってなくて、したがって地獄の釜の音も聞いていないのだが、もろもろ健在なのだろうか。
こんなとりとめもないことを考えているのも、寝不足で頭がまわっていないせいだ。
録画しておいたスライドショーでも見たら、とっとと眠ることにしよう。
マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋
2008年3月13日 映画
「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋」を見に行った。
ダスチン・ホフマン演ずるマゴリアムおじさんのおもちゃ屋は、人形たちが自由に動き、こどもの夢が実現する魔法のおもちゃ屋。大小さまざまのボールがぴょんぴょんはねまくっている部屋とか、空中を飛び続ける紙飛行機とか。
243才になったマゴリアムおじさんは、ナタリー・ポートマンに店を譲り、自分は消える、と言い出した。
前半のおもちゃ屋のカラフルで夢いっぱいの面白さ(ダスティンホフマンパート)と、後半の自分を信じる力を取り戻す再生の物語(ナタリーポートマンパート)をくらべれば、圧倒的に前半が楽しかった。
ダスティン・ホフマンがいなくなってからは、現実的で魔法を信じない人が中心にストーリーが展開するせいだろう。
役柄とは言え、ナタリー・ポートマンがイマイチだったのが残念ではある。
友達のいない帽子収集狂の少年が、現実と悲しみに覆われた店と登場人物たちを救う。
夢のなくなった店が色を失ってモノトーンになるのは、喪に服しているかのようだった。
やっぱり、人間、カラフルでなくっちゃね!
あまり期待していなかったのだが、この映画もかなり楽しかった。
格安チケットとか招待券とかサービスデイを利用して、久々に劇場で映画を見るように心がけているが、この1週間は、はずれなしの面白さだ。ライラの冒険とか、君のためなら千回でも、とか、今年見る映画の中でもおそらく上位にランクインしそうな楽しさだったし。
いやー、映画って本当にいいもんですね。
それじゃ、また一緒に楽しみましょう。
ダスチン・ホフマン演ずるマゴリアムおじさんのおもちゃ屋は、人形たちが自由に動き、こどもの夢が実現する魔法のおもちゃ屋。大小さまざまのボールがぴょんぴょんはねまくっている部屋とか、空中を飛び続ける紙飛行機とか。
243才になったマゴリアムおじさんは、ナタリー・ポートマンに店を譲り、自分は消える、と言い出した。
前半のおもちゃ屋のカラフルで夢いっぱいの面白さ(ダスティンホフマンパート)と、後半の自分を信じる力を取り戻す再生の物語(ナタリーポートマンパート)をくらべれば、圧倒的に前半が楽しかった。
ダスティン・ホフマンがいなくなってからは、現実的で魔法を信じない人が中心にストーリーが展開するせいだろう。
役柄とは言え、ナタリー・ポートマンがイマイチだったのが残念ではある。
友達のいない帽子収集狂の少年が、現実と悲しみに覆われた店と登場人物たちを救う。
夢のなくなった店が色を失ってモノトーンになるのは、喪に服しているかのようだった。
やっぱり、人間、カラフルでなくっちゃね!
あまり期待していなかったのだが、この映画もかなり楽しかった。
格安チケットとか招待券とかサービスデイを利用して、久々に劇場で映画を見るように心がけているが、この1週間は、はずれなしの面白さだ。ライラの冒険とか、君のためなら千回でも、とか、今年見る映画の中でもおそらく上位にランクインしそうな楽しさだったし。
いやー、映画って本当にいいもんですね。
それじゃ、また一緒に楽しみましょう。
君のためなら千回でも〜初年兵水木しげるが描いた島
2008年3月12日 映画
「君のためなら千回でも」を見た。
マーク・フォースター監督
アフガニスタンを舞台にした映画。
少年どうしの友情と裏切りと償いのストーリー。
凧やパチンコの使い方が憎くて、鳥肌がたった。
アフガニスタンの市場って、生首が転がってるんだね。
枚方市の市民ギャラリーで「初年兵水木しげるが描いた島」展。
ラバウル戦記や、自伝漫画からの作品が並ぶ。
スケッチは疲れた兵隊を描いていて、戦争だからみんな疲れていて当たり前なんだなあ、と思った。
ああ、いやだいやだ、戦争はいやだ。
疲れるからいやだ。
勝ち負けなんてジャンケンで決めませんか?
トペトロの村は、ほんと、のんびりしてて楽しそうだなあ。
1日3時間ほど働いて、あとはのんびりしてる。
あっ、そう言えば、ほんの数年前まで、僕は1ヶ月に2時間だけ働いて、あとは遊んでいるという、今から考えると夢のような生活を送っていたんだった。
トペトロの島もいいけど、当時の僕の島(?)もいいなあ。
でも、数年前より、今の僕の方が、楽しく毎日過ごしている気もする。
今の僕の島(?)もいいなあ。
マーク・フォースター監督
アフガニスタンを舞台にした映画。
少年どうしの友情と裏切りと償いのストーリー。
凧やパチンコの使い方が憎くて、鳥肌がたった。
アフガニスタンの市場って、生首が転がってるんだね。
枚方市の市民ギャラリーで「初年兵水木しげるが描いた島」展。
ラバウル戦記や、自伝漫画からの作品が並ぶ。
スケッチは疲れた兵隊を描いていて、戦争だからみんな疲れていて当たり前なんだなあ、と思った。
ああ、いやだいやだ、戦争はいやだ。
疲れるからいやだ。
勝ち負けなんてジャンケンで決めませんか?
トペトロの村は、ほんと、のんびりしてて楽しそうだなあ。
1日3時間ほど働いて、あとはのんびりしてる。
あっ、そう言えば、ほんの数年前まで、僕は1ヶ月に2時間だけ働いて、あとは遊んでいるという、今から考えると夢のような生活を送っていたんだった。
トペトロの島もいいけど、当時の僕の島(?)もいいなあ。
でも、数年前より、今の僕の方が、楽しく毎日過ごしている気もする。
今の僕の島(?)もいいなあ。
ドラえもんのび太と緑の巨人伝
2008年3月11日 映画
「ドラえもん のび太と緑の巨人伝」を見た。
これは楽しかった。
単なる木だったキー坊がふくらんだキャラクターになっていた。ファンシーになった、という感じかな。
スターウォーズとか宮崎駿を想起させるシーンなどもあり、今までのドラえもん映画とはちょっと雰囲気が違った、現代の物語が展開される。
ドラえもんは秘密道具をほとんど使えない設定になっていて、これがストーリーに厚みをもたせていた。結局ドラえもんにたのめば解決する、ではダメなのだ。
それと、のび太の優しさがこの映画ではよく描かれていて、うれしかった。
F先生死去後、最近はリメイクものが続いたが、このオリジナルはこれからのドラえもん映画の方向性を示唆し、期待をもたせる作品になっていたと思う。
次回作は映画ラストによるとまたリメイクに戻りそう(宇宙開拓史?)だが、この「緑の巨人伝」を経たリメイク作品がどういうテイストになるのか、楽しみだ。
これは楽しかった。
単なる木だったキー坊がふくらんだキャラクターになっていた。ファンシーになった、という感じかな。
スターウォーズとか宮崎駿を想起させるシーンなどもあり、今までのドラえもん映画とはちょっと雰囲気が違った、現代の物語が展開される。
ドラえもんは秘密道具をほとんど使えない設定になっていて、これがストーリーに厚みをもたせていた。結局ドラえもんにたのめば解決する、ではダメなのだ。
それと、のび太の優しさがこの映画ではよく描かれていて、うれしかった。
F先生死去後、最近はリメイクものが続いたが、このオリジナルはこれからのドラえもん映画の方向性を示唆し、期待をもたせる作品になっていたと思う。
次回作は映画ラストによるとまたリメイクに戻りそう(宇宙開拓史?)だが、この「緑の巨人伝」を経たリメイク作品がどういうテイストになるのか、楽しみだ。
ライラの冒険 黄金の羅針盤〜潜水服は蝶の夢を見る
2008年3月10日 映画
「ライラの冒険 黄金の羅針盤」を見た。
羅針盤で真実を知るシーンは、テレビドラマのガリレオで応用されてたのかして、雰囲気そっくりだった。
久々に大スクリーンの映画館で見る映画はいいなあ。
あまりの面白さに、このまま僕は死んでしまうんじゃないかとあやぶんだ。
熊どうしの闘いで、意外なところが弱点になる、格闘技の目からウロコシーンもあった。
3部作で続きが楽しみだが、原作未読の僕としては、とりあえず、次にニコール・キッドマンがどんな容貌で登場するのかが楽しみ。
「潜水服は蝶の夢を見る」を見た。
ジュリアン・シュナーベル監督
肉体の檻に囚われた状態を「潜水服」であらわし、自由を「蝶」であらわしているようだ。
映画のテーマは「生きた!」だろうか。
コマーシャルでおすぎがわめくような「感動」をおしつける映画でなくてよかった。
すごくいい映画だけど、まっ先に「感動」という言葉が出てくるのは、よほど妥協と屈服をよぎなくされた人物しかいないだろう。
この映画には「感動」というよりも「共感」の言葉こそふさわしい。
羅針盤で真実を知るシーンは、テレビドラマのガリレオで応用されてたのかして、雰囲気そっくりだった。
久々に大スクリーンの映画館で見る映画はいいなあ。
あまりの面白さに、このまま僕は死んでしまうんじゃないかとあやぶんだ。
熊どうしの闘いで、意外なところが弱点になる、格闘技の目からウロコシーンもあった。
3部作で続きが楽しみだが、原作未読の僕としては、とりあえず、次にニコール・キッドマンがどんな容貌で登場するのかが楽しみ。
「潜水服は蝶の夢を見る」を見た。
ジュリアン・シュナーベル監督
肉体の檻に囚われた状態を「潜水服」であらわし、自由を「蝶」であらわしているようだ。
映画のテーマは「生きた!」だろうか。
コマーシャルでおすぎがわめくような「感動」をおしつける映画でなくてよかった。
すごくいい映画だけど、まっ先に「感動」という言葉が出てくるのは、よほど妥協と屈服をよぎなくされた人物しかいないだろう。
この映画には「感動」というよりも「共感」の言葉こそふさわしい。
FANJでSUPER GIRLS LIVE vol.1
今回はSweetsの岩崎舞ちゃんが登場するのだ。すごい!
出演順に。
Twinkle☆Petal
1. No.1
2. カラー・オブ・シーズン
プリッツ
1. GO AHEAD
2. King&Queen
ユキ、ハルナ、カレン、サラ、レイナ、ユウカの6人、ということは、「ユキ2」から「2」は取れたってことかな。今回はまだステージで「ユキ2」と言われてたけど。
クランベリーズ
1. SAVE MY SOUL
2. LOVE IS A MELODY
ブラックベリーズ
1.深紅
2.Don’t you wanna see me (oh) tonight
3.Garnet Moon
赤い新衣装。深紅の曲名にあわせたのか。
TOUCH
1.タイムリミット
2. QUINCY
3.夕凪
4. Love Raspberry Juice
5. Love like candy floss
6. アプリシェ
今日のキエは、キエのお母さんに似ているな、と思った。キエママとは面識がなくて、お話しさせてもらったこともないのだが。
今回のライブはSweetsイベントと言ってもいいので、TOUCHに比重がぐっとかかっている。
岩崎舞
1. Someday Someplace
2.空色デイズ
3.大切な君へ
以下、アンコール
TOUCHが出てきてダンス。
1. Love like candy floss/岩崎舞+TOUCH
2. I am I/岩崎舞
3. Never Ending Story/岩崎舞+TOUCH+本日登場のSTSユニット
ネバーエンディングストーリーで飛びそこねた。
アンコールにSweetsの曲をもってくるのは感動的。
ダンスはあまり見れなかったが、これだけ歌ってくれれば満足。歌はさすがにうまい。
メジャーな場にこだわらなければ、岩崎舞ちゃんにはいくらでもライブできる環境は整っている(大阪の話だけど)。ライブハウス中心にライブを再開する、っていう道も選択肢として持っておいてほしいな、と思った。大阪の観客は、いつでもウェルカムだ!
午後3時から千林大宮のKinpougeで、ともこのこ「みにきてくれて39ライブ」
「ともこのこ」は歌って踊る姉妹デュオで、姉の黒田恵子さんは舞台や映画などで活躍中。妹の黒田純子ちゃんはキッズダンサーを経て、ミュージカル女優を目指している。
以下、プログラム。
ともこのこのテーマソング(オリジナル曲)
夢に向かって(オリジナル曲)
ショートコント
ズンドコ節ミックス(ドリフ&氷川きよし)
振り向かないで(ザ・ピーナッツ)
コント映像「風呂敷」
おおきに(島田りささんも加わって、しましまくろくろのオリジナル曲)
コント「ホルモン幼稚園」(腸と胃の着ぐるみで「超イイ!」)
ダンス(純子ちゃんが高校の同級生2人と踊る)
年下の男の子(キャンディーズ。最後の「おとこのこ」を「ともこのこ」に)
ミュージカル「シンデレラ」(お客さんから集めた名詞をあてはめながら)
39(オリジナル曲)
以下、アンコール
ほんまは好きやねん(オリジナル曲)
出口のところで、クッキーもいただいた。
「ともこのこ」は、母親の「ともこ」の子、という意味で、このイベントもとてもアットホームな、いいイベントだった。
僕は「オヅの魔法使い」見に行ってたり、宍戸留美ちゃんの写真展で被写体になっているのを見たりしていたのだが、帰りに恵子さんに「テレビ見ましたよ」とか言われて、驚いた。僕が誰なのかちゃんと認識してくれていたのである。
なお、受付で「ともこのこ」のCDを販売していたので、迷わず買った。迷わず買えよ。買えばわかるさ。ありがとー!
このCDの聞きどころは「ともこのこのテーマソング」にある「屁をこいたっておかまいなし」の箇所だと思っている。ポップでキュートでおバカな二人が「アイドル魂見せたげる」と豪語したライブは、それに違わぬ楽しいライブだったが、それをさらに増幅したのが「屁」の歌詞だったのである。こんなこと歌うアイドルはめったにいない!
帰宅後、NHK-FMで現代の音楽
昨年12月14日、津田ホールで開催された「四人組とその仲間たちコンサート」から。
「四人組」とは、池辺晋一郎、新実徳英、西村朗、藤家渓子を指す。全音楽譜出版社主催で、1994年から14回を数えるシリーズ。
「ヴァイオリンとピアノ のための “ソニトゥス・ヴィターリス”4&5」作曲:新実徳英。三上桂子(ピアノ)、藤原浜雄(ヴァイオリン)
「トランペットとトロンボーンのための共鳴の瞬間(とき)」作曲:金子仁美。曽我部清典(トランペット)、村田厚生(トロンボーン)
今回はSweetsの岩崎舞ちゃんが登場するのだ。すごい!
出演順に。
Twinkle☆Petal
1. No.1
2. カラー・オブ・シーズン
プリッツ
1. GO AHEAD
2. King&Queen
ユキ、ハルナ、カレン、サラ、レイナ、ユウカの6人、ということは、「ユキ2」から「2」は取れたってことかな。今回はまだステージで「ユキ2」と言われてたけど。
クランベリーズ
1. SAVE MY SOUL
2. LOVE IS A MELODY
ブラックベリーズ
1.深紅
2.Don’t you wanna see me (oh) tonight
3.Garnet Moon
赤い新衣装。深紅の曲名にあわせたのか。
TOUCH
1.タイムリミット
2. QUINCY
3.夕凪
4. Love Raspberry Juice
5. Love like candy floss
6. アプリシェ
今日のキエは、キエのお母さんに似ているな、と思った。キエママとは面識がなくて、お話しさせてもらったこともないのだが。
今回のライブはSweetsイベントと言ってもいいので、TOUCHに比重がぐっとかかっている。
岩崎舞
1. Someday Someplace
2.空色デイズ
3.大切な君へ
以下、アンコール
TOUCHが出てきてダンス。
1. Love like candy floss/岩崎舞+TOUCH
2. I am I/岩崎舞
3. Never Ending Story/岩崎舞+TOUCH+本日登場のSTSユニット
ネバーエンディングストーリーで飛びそこねた。
アンコールにSweetsの曲をもってくるのは感動的。
ダンスはあまり見れなかったが、これだけ歌ってくれれば満足。歌はさすがにうまい。
メジャーな場にこだわらなければ、岩崎舞ちゃんにはいくらでもライブできる環境は整っている(大阪の話だけど)。ライブハウス中心にライブを再開する、っていう道も選択肢として持っておいてほしいな、と思った。大阪の観客は、いつでもウェルカムだ!
午後3時から千林大宮のKinpougeで、ともこのこ「みにきてくれて39ライブ」
「ともこのこ」は歌って踊る姉妹デュオで、姉の黒田恵子さんは舞台や映画などで活躍中。妹の黒田純子ちゃんはキッズダンサーを経て、ミュージカル女優を目指している。
以下、プログラム。
ともこのこのテーマソング(オリジナル曲)
夢に向かって(オリジナル曲)
ショートコント
ズンドコ節ミックス(ドリフ&氷川きよし)
振り向かないで(ザ・ピーナッツ)
コント映像「風呂敷」
おおきに(島田りささんも加わって、しましまくろくろのオリジナル曲)
コント「ホルモン幼稚園」(腸と胃の着ぐるみで「超イイ!」)
ダンス(純子ちゃんが高校の同級生2人と踊る)
年下の男の子(キャンディーズ。最後の「おとこのこ」を「ともこのこ」に)
ミュージカル「シンデレラ」(お客さんから集めた名詞をあてはめながら)
39(オリジナル曲)
以下、アンコール
ほんまは好きやねん(オリジナル曲)
出口のところで、クッキーもいただいた。
「ともこのこ」は、母親の「ともこ」の子、という意味で、このイベントもとてもアットホームな、いいイベントだった。
僕は「オヅの魔法使い」見に行ってたり、宍戸留美ちゃんの写真展で被写体になっているのを見たりしていたのだが、帰りに恵子さんに「テレビ見ましたよ」とか言われて、驚いた。僕が誰なのかちゃんと認識してくれていたのである。
なお、受付で「ともこのこ」のCDを販売していたので、迷わず買った。迷わず買えよ。買えばわかるさ。ありがとー!
このCDの聞きどころは「ともこのこのテーマソング」にある「屁をこいたっておかまいなし」の箇所だと思っている。ポップでキュートでおバカな二人が「アイドル魂見せたげる」と豪語したライブは、それに違わぬ楽しいライブだったが、それをさらに増幅したのが「屁」の歌詞だったのである。こんなこと歌うアイドルはめったにいない!
帰宅後、NHK-FMで現代の音楽
昨年12月14日、津田ホールで開催された「四人組とその仲間たちコンサート」から。
「四人組」とは、池辺晋一郎、新実徳英、西村朗、藤家渓子を指す。全音楽譜出版社主催で、1994年から14回を数えるシリーズ。
「ヴァイオリンとピアノ のための “ソニトゥス・ヴィターリス”4&5」作曲:新実徳英。三上桂子(ピアノ)、藤原浜雄(ヴァイオリン)
「トランペットとトロンボーンのための共鳴の瞬間(とき)」作曲:金子仁美。曽我部清典(トランペット)、村田厚生(トロンボーン)
ISBN:4588130153 単行本 山縣 直子 法政大学出版局 2001/11 ¥2,100
東大阪市立市民会館で「文化芸術祭」
朝の10時から開催されているイベントで、お目当ては、9番目のミルキーハット。
時間の都合で、当初予定されていたセットリストを変更して、5曲から3曲に短縮。
1.Divin’ to Love
2.We Love Sweets
3.グレープフルーツ
本当なら大航海ランドスケープとかもあるはずだったので、ちょっと残念か。
広いステージ、大きな会場でも、ミルキーハットは見劣りしないダンスをしてくれる。これはたのもしい。
ステージを引っ張るのは、昔からずっと、そして今も玲奈。メンバーそれぞれに個性もあって、見るべき箇所はあるのだが、どうしてもレナの磁力には抗しがたいものがある。実際にメンバーをまとめているのはリーダーのトモミなんだろうけど、レナが抜けたら扇の要を抜いたように空中分解しそうに思えるほど、レナの磁力は強いのだ。まあ、今日はずっとレナばかり見てしまったので、こういうことを書いているわけだ。
ミルキーハット終わったあと、布施(僕はここで生まれ育った)あたりを散策。
文化芸術祭のプログラム見ると、ちょっと後に児玉愛良の名前とか発見したが、今日は布施をぶらぶらすることが優先した。ポッポアベニューとかロンモール布施とかぶらんど〜りとか、懐かしすぎる。駅前のサティが閉店するそうで、セールしてた。ここは「ニチイ」として開店したときに、今じゃプレミアついている劇画『影』とかを叩き売りしていて、喜んで買って帰った思い出もある。
夕方4時からテラヤマ博「レミング」佐藤香聲(銀幕遊學レプリカント)演出。劇中の作曲も担当した。レミングの世界をわりと壊さない音楽の作りで感心したが、見ている僕の方でJ・A・シーザーの呪縛は強く、ああ、これがシーザーの音楽だったらなあ、と思うところが多かった。まあ、僕は「身毒丸」でもシーザー版じゃない音楽をちっとも評価しなかったのだから、頭のかたい狂信的なシーザー患者なのかもしれない。
最後の完全暗転、出口に釘打ちのシーンは、天井桟敷であってはじめて意味のあるところなので、そこをどう料理するかと思ってたら、そのまんまやっていた。銀幕遊學レプリカントでも出口を釘打ちして、客を閉じ込める演劇とかしてたことがあるのだろうか。
天井桟敷の「レミング」は大阪の八尾西武ホールでの全公演を見たが、毎回少しずつ違っていて、何回見てもコンプリートできない思いにとらわれたものだ。今回の「レミング」は、本来やりたいところにまだ到達していないんじゃないか、と思えた。マスゲームの楽しさが空振りしている感じ。
ただ、今回見たテラヤマ博のなかでは、もっとも寺山の世界を受け継いでいるのは疑いなかった。自然に寺山世界が胸に入ってきた。
時間があいたので、大阪市立近代美術館心斎橋展示室で「写真の美術、美術の写真」を見てきた。
1930年代から現代まで。浪華写真倶楽部や丹平写真倶楽部から、森村泰昌まで。
1930年代から1970年代までの作品に興味が湧いた。
現代の作品は写真がいちいち大きいなあ〜くらいしか感想がもてなかった。あんなに大きな作品にする必要がどこにあるんだろう、とそればかり気になった。作品はそれぞれ面白いのだが。
午後7時から、テラヤマ博「星の王子さま」を見た。大塚雅史演出(DASH COMPANY)
これ、テラヤマ博の白眉といっていいだろう。
もともと、寺山修司でございます!といったお膳立てに乏しい劇なので、テーマにより肉迫できたのかもしれない。
この演劇でウワバミ(恐怖の老少女)を演じた吉陸アキコさんを目当てに見に行ったが、予想にたがわぬ好演で安心した。
この演劇ではクライマックスで舞台装置が崩され、点子(旅をしつづける少女)だけを残して、全員がいなくなってしまう。観客がいなくなっても、ステージ上には点子はとどまり続けるのだ。
今回のテラヤマ博全体に言えることだが、終演後、観客は早々に退去を命じられる。点子だけを残して終わる(終わらない?)演劇としては、すぐに会場を追い出されるのは、演劇の効果をそぐものだと思われ、残念でならない。レミングだって、出口を釘付けにした、という設定なのに、「すみやかにご退出ください」も何もないものだ、と思う。
思えば、演劇を見に行って、「さあ、帰ろう」と思っているところに「アンケートにこたえてください」といって足を止められる経験は何度もあるが、その逆パターンだ。
と、いうわけで、今回はアンケートにはこたえる時間がなくて持って帰ったのだが、時間がなかっただけでなく、アンケートの設問が面白かったからでもあった。
「花札伝綺」
「死ぬ方法」をいくつ知ってますか。
誰に何を盗まれたい、または誰の何を盗みたいですか。
死は消費的でしょうか、生産的でしょうか。
「レミング」
あなたにとって「壁」は喜劇的ですか、悲劇的ですか。
同じ夢を見たという人を好きになれますか。
歌は孤独を深めるものでしょうか、絆を深めるものでしょうか。
「星の王子さま」
見えるもの、見えないもの、どちらが悲しいですか。
ホントとウソ、どちらが好きですか。
歌は孤独を深めるものでしょうか、絆を深めるものでしょうか。(レミングと同じだ!)
どう?
この手の質問は、寺山修司にかぶれた人間が必ず作って問いかけたくなる、恥ずかしくも甘酸っぱい質問の数々なのだ。
このアンケート見たとき、「うわ!寺山臭い!」と驚いて、赤面すら催した。
こういう質問に、それらしい答えを考えることも、かぶれた人間(カブレラと呼ぼう)のサガのようなものだ。僕も答えをいろいろと考えて、「あっ、いけないいけない、これじゃ思春期に逆戻りだ」とあやうく回避できた次第。
帰宅時には、「星の王子さま」で点子が「ここを出たら空を見あげて下さい」と言ったのを忠実に守って、夜空を見上げた。やっぱり、点子が予想した通りに、「やっぱり、くもってるな、何もないな」と思った。
読んだ本はモノリ、リオタールの『震える物語』
モノリの写真作品(ジグソウに加工)と、リオタールのテクスト。
男女の性愛の話を天体の震えに結び付けたりする。
風景と感情がなんとなくリンクする。
東大阪市立市民会館で「文化芸術祭」
朝の10時から開催されているイベントで、お目当ては、9番目のミルキーハット。
時間の都合で、当初予定されていたセットリストを変更して、5曲から3曲に短縮。
1.Divin’ to Love
2.We Love Sweets
3.グレープフルーツ
本当なら大航海ランドスケープとかもあるはずだったので、ちょっと残念か。
広いステージ、大きな会場でも、ミルキーハットは見劣りしないダンスをしてくれる。これはたのもしい。
ステージを引っ張るのは、昔からずっと、そして今も玲奈。メンバーそれぞれに個性もあって、見るべき箇所はあるのだが、どうしてもレナの磁力には抗しがたいものがある。実際にメンバーをまとめているのはリーダーのトモミなんだろうけど、レナが抜けたら扇の要を抜いたように空中分解しそうに思えるほど、レナの磁力は強いのだ。まあ、今日はずっとレナばかり見てしまったので、こういうことを書いているわけだ。
ミルキーハット終わったあと、布施(僕はここで生まれ育った)あたりを散策。
文化芸術祭のプログラム見ると、ちょっと後に児玉愛良の名前とか発見したが、今日は布施をぶらぶらすることが優先した。ポッポアベニューとかロンモール布施とかぶらんど〜りとか、懐かしすぎる。駅前のサティが閉店するそうで、セールしてた。ここは「ニチイ」として開店したときに、今じゃプレミアついている劇画『影』とかを叩き売りしていて、喜んで買って帰った思い出もある。
夕方4時からテラヤマ博「レミング」佐藤香聲(銀幕遊學レプリカント)演出。劇中の作曲も担当した。レミングの世界をわりと壊さない音楽の作りで感心したが、見ている僕の方でJ・A・シーザーの呪縛は強く、ああ、これがシーザーの音楽だったらなあ、と思うところが多かった。まあ、僕は「身毒丸」でもシーザー版じゃない音楽をちっとも評価しなかったのだから、頭のかたい狂信的なシーザー患者なのかもしれない。
最後の完全暗転、出口に釘打ちのシーンは、天井桟敷であってはじめて意味のあるところなので、そこをどう料理するかと思ってたら、そのまんまやっていた。銀幕遊學レプリカントでも出口を釘打ちして、客を閉じ込める演劇とかしてたことがあるのだろうか。
天井桟敷の「レミング」は大阪の八尾西武ホールでの全公演を見たが、毎回少しずつ違っていて、何回見てもコンプリートできない思いにとらわれたものだ。今回の「レミング」は、本来やりたいところにまだ到達していないんじゃないか、と思えた。マスゲームの楽しさが空振りしている感じ。
ただ、今回見たテラヤマ博のなかでは、もっとも寺山の世界を受け継いでいるのは疑いなかった。自然に寺山世界が胸に入ってきた。
時間があいたので、大阪市立近代美術館心斎橋展示室で「写真の美術、美術の写真」を見てきた。
1930年代から現代まで。浪華写真倶楽部や丹平写真倶楽部から、森村泰昌まで。
1930年代から1970年代までの作品に興味が湧いた。
現代の作品は写真がいちいち大きいなあ〜くらいしか感想がもてなかった。あんなに大きな作品にする必要がどこにあるんだろう、とそればかり気になった。作品はそれぞれ面白いのだが。
午後7時から、テラヤマ博「星の王子さま」を見た。大塚雅史演出(DASH COMPANY)
これ、テラヤマ博の白眉といっていいだろう。
もともと、寺山修司でございます!といったお膳立てに乏しい劇なので、テーマにより肉迫できたのかもしれない。
この演劇でウワバミ(恐怖の老少女)を演じた吉陸アキコさんを目当てに見に行ったが、予想にたがわぬ好演で安心した。
この演劇ではクライマックスで舞台装置が崩され、点子(旅をしつづける少女)だけを残して、全員がいなくなってしまう。観客がいなくなっても、ステージ上には点子はとどまり続けるのだ。
今回のテラヤマ博全体に言えることだが、終演後、観客は早々に退去を命じられる。点子だけを残して終わる(終わらない?)演劇としては、すぐに会場を追い出されるのは、演劇の効果をそぐものだと思われ、残念でならない。レミングだって、出口を釘付けにした、という設定なのに、「すみやかにご退出ください」も何もないものだ、と思う。
思えば、演劇を見に行って、「さあ、帰ろう」と思っているところに「アンケートにこたえてください」といって足を止められる経験は何度もあるが、その逆パターンだ。
と、いうわけで、今回はアンケートにはこたえる時間がなくて持って帰ったのだが、時間がなかっただけでなく、アンケートの設問が面白かったからでもあった。
「花札伝綺」
「死ぬ方法」をいくつ知ってますか。
誰に何を盗まれたい、または誰の何を盗みたいですか。
死は消費的でしょうか、生産的でしょうか。
「レミング」
あなたにとって「壁」は喜劇的ですか、悲劇的ですか。
同じ夢を見たという人を好きになれますか。
歌は孤独を深めるものでしょうか、絆を深めるものでしょうか。
「星の王子さま」
見えるもの、見えないもの、どちらが悲しいですか。
ホントとウソ、どちらが好きですか。
歌は孤独を深めるものでしょうか、絆を深めるものでしょうか。(レミングと同じだ!)
どう?
この手の質問は、寺山修司にかぶれた人間が必ず作って問いかけたくなる、恥ずかしくも甘酸っぱい質問の数々なのだ。
このアンケート見たとき、「うわ!寺山臭い!」と驚いて、赤面すら催した。
こういう質問に、それらしい答えを考えることも、かぶれた人間(カブレラと呼ぼう)のサガのようなものだ。僕も答えをいろいろと考えて、「あっ、いけないいけない、これじゃ思春期に逆戻りだ」とあやうく回避できた次第。
帰宅時には、「星の王子さま」で点子が「ここを出たら空を見あげて下さい」と言ったのを忠実に守って、夜空を見上げた。やっぱり、点子が予想した通りに、「やっぱり、くもってるな、何もないな」と思った。
読んだ本はモノリ、リオタールの『震える物語』
モノリの写真作品(ジグソウに加工)と、リオタールのテクスト。
男女の性愛の話を天体の震えに結び付けたりする。
風景と感情がなんとなくリンクする。
花札伝綺@テラヤマ博、ぐるぐる猿と歌う鳥 (ミステリーランド)
2008年3月7日 演劇
ISBN:4062705834 単行本 加納 朋子 講談社 2007/07/26 ¥2,100
-IST零番館プロデューステラヤマ博「花札伝綺」を見に行った。
末満健一(ピースピット)演出。
天井桟敷の初期の上演作品で、寺山曰く「唯一の不入り作品」。僕もこの「花札伝綺」についてはあまり強い印象はなくて、今回の上演は新鮮な気持で見ることができた。
「生と死の転倒を喜劇にした、ニヒリスティックなユーモア」(寺山)は1967年当時の若者には不評でも、2008年の若者には受け入れられた、ということか。
登場するのは(戒名)、墓場の鬼太郎(男装の麗人)、葬儀屋団十郎(ボリス・カーロフ氏)、その妻おはか(刺青姐御)、その娘歌留多(琵琶語り付)、髭の男爵(新興成金)、無産党員(アナキストの墓)、卒塔婆おぎん(仁義一代)、獄門次(ルパンの百姓)、肉天女(ああ肉体美!)、仏蘭西刑事(「近代」の小児麻痺)、手毬童女(オカッパ)、ひきがえるの庖丁(墓掘人夫)、蟹潰し(死歯抜き)、棺桶の死美男(ダンシングチーム)、幽霊ジョニー(棺の中のドラマー)、あんまの笛(好色盲)などなど、寺山ここにあり、というラインナップ。
上演後に、戯曲を読み直してみたのだが、大きく変更したところはなく、わりと忠実に再現しているように思えた。
見ていてうれしくなるシーンが多々あった。
ただ、寺山の持つおどろおどろしさはこの「花札伝綺」からはあまり感じとれなかった。それは、演出者の狙いだったのかもしれない。
ショッキング、恐怖、暗黒、いかがわしさ、裏、闇、病、さらには死でさえもあまり感じられず、きわめて明るい印象をもった。
その大きな原因は、音楽に大槻ケンヂを使っていたところや、アドリブのパートがあまりにも最近の劇団っぽかったところにある。ひとくちで言うと、この「花札伝綺」は寺山演劇ではなく、「大槻ケンヂ演劇」だったのかもしれない。とてもライトな感じ。男装の麗人たる墓場の鬼太郎に「コードギアス」と呼びかけて観客をくすぐる感性にすべてがあらわれている。いっそのこと、寺山的などろどろしたものを、全部アニメ的感覚で処理してくれた方が、刺激的だったように思うが、それではまったく寺山演劇でもなんでもない、ということになろう。難しいな。「花札伝綺」じゃなくて「大貧民伝綺」にしちゃうとか。こりゃ、まったく違う演劇になっちゃうな。
読んだ本は加納朋子の『ぐるぐる猿と歌う鳥』
ネタバレしかしていないので、要注意。
プロローグ−あるいは、物語の前のひとりごと
第1話 ぐるぐる猿と歌う鳥
第2話 図書室の暗号
第3話 社宅のユーレイ
体育館の屋根から町を見おろしたら、町中の屋根を使って、猿が描かれていた。ナスカの地上絵みたいに。
ところが、町全体を見おろせる場所から同じ町を見下ろしたら、そんな猿はちっとも見えない。これいかに?(真相はチェンジングシール)
幼いときの記憶。家に軟禁されている「あや」と遊んでいると、男がいきなり拉致しようとした。この事件の意味は?(我が子を間違えてひきとろうとした)
本書はかなり面白かった。
わるい大人をこらしめるために、住所表示のナンバープレートを偽造して、空家に誘導し、そこでお化け屋敷的おどかしをする話。血だまりは、赤いスライムを使って、あとかたづけをしやすくする。なるほど、アイディアだ!
また、「あや」の正体とか、伏線がいっぱいはってあるのが快感。(ピンクのレンジャーになりたがらない、とか、特撮ヒーローものに詳しいとか)
また、友達になろうと手紙を出した同級生に、突然敬遠される理由とか。(手紙の差出人を勘違い)
ミステリーを読む際は、あからさまに挑戦でもされないかぎり、あんまり眉にツバつけながら読んだりしないことにしている。真相を見抜いた快感よりも、だまされることの方が気持ちいいからだ。
なんでもなさそうな事柄の理由や真相が明らかになっていく過程はとても面白くて、久々にミステリーを読んだ、という実感を得ることができた。
-IST零番館プロデューステラヤマ博「花札伝綺」を見に行った。
末満健一(ピースピット)演出。
天井桟敷の初期の上演作品で、寺山曰く「唯一の不入り作品」。僕もこの「花札伝綺」についてはあまり強い印象はなくて、今回の上演は新鮮な気持で見ることができた。
「生と死の転倒を喜劇にした、ニヒリスティックなユーモア」(寺山)は1967年当時の若者には不評でも、2008年の若者には受け入れられた、ということか。
登場するのは(戒名)、墓場の鬼太郎(男装の麗人)、葬儀屋団十郎(ボリス・カーロフ氏)、その妻おはか(刺青姐御)、その娘歌留多(琵琶語り付)、髭の男爵(新興成金)、無産党員(アナキストの墓)、卒塔婆おぎん(仁義一代)、獄門次(ルパンの百姓)、肉天女(ああ肉体美!)、仏蘭西刑事(「近代」の小児麻痺)、手毬童女(オカッパ)、ひきがえるの庖丁(墓掘人夫)、蟹潰し(死歯抜き)、棺桶の死美男(ダンシングチーム)、幽霊ジョニー(棺の中のドラマー)、あんまの笛(好色盲)などなど、寺山ここにあり、というラインナップ。
上演後に、戯曲を読み直してみたのだが、大きく変更したところはなく、わりと忠実に再現しているように思えた。
見ていてうれしくなるシーンが多々あった。
ただ、寺山の持つおどろおどろしさはこの「花札伝綺」からはあまり感じとれなかった。それは、演出者の狙いだったのかもしれない。
ショッキング、恐怖、暗黒、いかがわしさ、裏、闇、病、さらには死でさえもあまり感じられず、きわめて明るい印象をもった。
その大きな原因は、音楽に大槻ケンヂを使っていたところや、アドリブのパートがあまりにも最近の劇団っぽかったところにある。ひとくちで言うと、この「花札伝綺」は寺山演劇ではなく、「大槻ケンヂ演劇」だったのかもしれない。とてもライトな感じ。男装の麗人たる墓場の鬼太郎に「コードギアス」と呼びかけて観客をくすぐる感性にすべてがあらわれている。いっそのこと、寺山的などろどろしたものを、全部アニメ的感覚で処理してくれた方が、刺激的だったように思うが、それではまったく寺山演劇でもなんでもない、ということになろう。難しいな。「花札伝綺」じゃなくて「大貧民伝綺」にしちゃうとか。こりゃ、まったく違う演劇になっちゃうな。
読んだ本は加納朋子の『ぐるぐる猿と歌う鳥』
ネタバレしかしていないので、要注意。
プロローグ−あるいは、物語の前のひとりごと
第1話 ぐるぐる猿と歌う鳥
第2話 図書室の暗号
第3話 社宅のユーレイ
体育館の屋根から町を見おろしたら、町中の屋根を使って、猿が描かれていた。ナスカの地上絵みたいに。
ところが、町全体を見おろせる場所から同じ町を見下ろしたら、そんな猿はちっとも見えない。これいかに?(真相はチェンジングシール)
幼いときの記憶。家に軟禁されている「あや」と遊んでいると、男がいきなり拉致しようとした。この事件の意味は?(我が子を間違えてひきとろうとした)
本書はかなり面白かった。
わるい大人をこらしめるために、住所表示のナンバープレートを偽造して、空家に誘導し、そこでお化け屋敷的おどかしをする話。血だまりは、赤いスライムを使って、あとかたづけをしやすくする。なるほど、アイディアだ!
また、「あや」の正体とか、伏線がいっぱいはってあるのが快感。(ピンクのレンジャーになりたがらない、とか、特撮ヒーローものに詳しいとか)
また、友達になろうと手紙を出した同級生に、突然敬遠される理由とか。(手紙の差出人を勘違い)
ミステリーを読む際は、あからさまに挑戦でもされないかぎり、あんまり眉にツバつけながら読んだりしないことにしている。真相を見抜いた快感よりも、だまされることの方が気持ちいいからだ。
なんでもなさそうな事柄の理由や真相が明らかになっていく過程はとても面白くて、久々にミステリーを読んだ、という実感を得ることができた。
酸素は鏡に映らない (MYSTERY LAND)
2008年3月6日 読書
ISBN:4062705826 単行本 上遠野 浩平 講談社 2007/03/30 ¥2,100
上遠野浩平の『酸素は鏡に映らない』を読んだ。
1、エンペロイド・サイン
2、ミラー・ビルド
3、クラウン・クライム
4、オキシジェン・デストロイヤー
主人公健輔は影の薄い男に唐突に言われる。
「ふたつにひとつだ」
「え?」
「欲しいものをあきらめるか、それとも死ぬか、どっちがいい?」
上遠野浩平ワールドですなあ。
これ、影の薄い男というのは柊(オキシジェン)。物語前半で世界の支配者だという柊と、健輔の会話するシーンがあるが、これがなかなか上遠野節だ。会話というより、質疑応答かな。おおよその感じはこんなふう。
健「でもあんたは、総理大臣でも大統領でもないんだろ?」
柊「あんなのは全部、組織の責任者に過ぎない」
健「じゃあ、誰が偉いの?」
柊「誰も偉くはない」
健「でも、偉い人っていうのがどっかにいて、そういう人たちが世界を動かしているんでしょ」
柊「世界は、勝手に動いているだけだ。人間はそれに振り回されているだけだ。自分で動かしていると思っている者たちは、実は誰よりも動かされている連中に過ぎない」
健「じゃあさ、あんたはどうやって世界を支配してんの?」
柊「自分が他人を動かしていると、傲慢に思いこめるような者には、何も支配できない。それさえなければ、誰だって世界を手にすることは、たやすくできる。それは、君も例外ではない」
健「へ?おれ?」
柊「そう。君だ。君もまた世界の支配者なのだ」
健「そんなわけないじゃん。思い通りにならないことばっかりだよ。学校でも、家でも」
柊「思い通りにすることが、支配するということではない。そもそも、人間は自分が何を思っているのか、それを知ることができないものだ」
健「は?なんのこと?」
柊「自分だけの確固とした意志、そんなものは存在しない。常に他人の目を、その考えを気にしている。決めているのはいつだって他の誰かだ。そんな中でどんな思い通りのことがある?」
健「それってつまり、他の人のことなんかあんまし気にしないで、のびのびしてろってことなの?」
柊「他人のことを気にしないことなど、人間には不可能だ」
健「不可能って」
柊「君は一人きりで生きていけると思うか?誰にも自由などほんとうは存在しないのだ」
健「じゃ、じゃあさ、自由がないとか言うなら、何をやっても無駄ってこと?」
柊「世界が確固としていれば、そうなるだろう。だが世界には、これと決まった形がない」
健「うーん、何言ってんのか、わかんねーよ」
ラスト近くになると、ムーンリヴァー(末真和子)が出てきたりして、すっかりブギーポップの世界なのだが、オキシジェンとムーンリヴァーでサンドイッチされる形で語られる、本編自体は、きわめて現実的な物語だ。
ひとことで言うと、保険金目当ての狂言強盗事件。それと宝さがしか。
元ヒーロー番組の役者が、真のヒーローとして復活する物語は、それだけでもじゅうぶんに成立する話で、わざわざこの物語をブギーポップの一外伝として設定する意味があったのかどうか、疑わしい。
これは、僕の記憶力が弱くて、シリーズものが苦手だというところからくる意見だ。
オキシジェンとか猫のロキとかカレイドとか出てきているのに、エンディング近くなって、何でもありの世界が夢まぼろしのように現出し、ムーンリヴァーが出てきて、「おいおい、これってひょっとして、他の作品とまじりあってないか?」と気がついたのだ。遅い。遅すぎる。
もちろん、ブギーポップを読んでなくても、単独でこの本は面白い。だが他作品の読者へのサービスにしてはあまりにもそれに割いているページ数が多いのが気になるのだ。
ブギーポップシリーズを読みかえして、登場人物を思い出しておかないと、今後上遠野作品を読む際には要注意だ。わかってたんだけどなあ。
上遠野浩平の『酸素は鏡に映らない』を読んだ。
1、エンペロイド・サイン
2、ミラー・ビルド
3、クラウン・クライム
4、オキシジェン・デストロイヤー
主人公健輔は影の薄い男に唐突に言われる。
「ふたつにひとつだ」
「え?」
「欲しいものをあきらめるか、それとも死ぬか、どっちがいい?」
上遠野浩平ワールドですなあ。
これ、影の薄い男というのは柊(オキシジェン)。物語前半で世界の支配者だという柊と、健輔の会話するシーンがあるが、これがなかなか上遠野節だ。会話というより、質疑応答かな。おおよその感じはこんなふう。
健「でもあんたは、総理大臣でも大統領でもないんだろ?」
柊「あんなのは全部、組織の責任者に過ぎない」
健「じゃあ、誰が偉いの?」
柊「誰も偉くはない」
健「でも、偉い人っていうのがどっかにいて、そういう人たちが世界を動かしているんでしょ」
柊「世界は、勝手に動いているだけだ。人間はそれに振り回されているだけだ。自分で動かしていると思っている者たちは、実は誰よりも動かされている連中に過ぎない」
健「じゃあさ、あんたはどうやって世界を支配してんの?」
柊「自分が他人を動かしていると、傲慢に思いこめるような者には、何も支配できない。それさえなければ、誰だって世界を手にすることは、たやすくできる。それは、君も例外ではない」
健「へ?おれ?」
柊「そう。君だ。君もまた世界の支配者なのだ」
健「そんなわけないじゃん。思い通りにならないことばっかりだよ。学校でも、家でも」
柊「思い通りにすることが、支配するということではない。そもそも、人間は自分が何を思っているのか、それを知ることができないものだ」
健「は?なんのこと?」
柊「自分だけの確固とした意志、そんなものは存在しない。常に他人の目を、その考えを気にしている。決めているのはいつだって他の誰かだ。そんな中でどんな思い通りのことがある?」
健「それってつまり、他の人のことなんかあんまし気にしないで、のびのびしてろってことなの?」
柊「他人のことを気にしないことなど、人間には不可能だ」
健「不可能って」
柊「君は一人きりで生きていけると思うか?誰にも自由などほんとうは存在しないのだ」
健「じゃ、じゃあさ、自由がないとか言うなら、何をやっても無駄ってこと?」
柊「世界が確固としていれば、そうなるだろう。だが世界には、これと決まった形がない」
健「うーん、何言ってんのか、わかんねーよ」
ラスト近くになると、ムーンリヴァー(末真和子)が出てきたりして、すっかりブギーポップの世界なのだが、オキシジェンとムーンリヴァーでサンドイッチされる形で語られる、本編自体は、きわめて現実的な物語だ。
ひとことで言うと、保険金目当ての狂言強盗事件。それと宝さがしか。
元ヒーロー番組の役者が、真のヒーローとして復活する物語は、それだけでもじゅうぶんに成立する話で、わざわざこの物語をブギーポップの一外伝として設定する意味があったのかどうか、疑わしい。
これは、僕の記憶力が弱くて、シリーズものが苦手だというところからくる意見だ。
オキシジェンとか猫のロキとかカレイドとか出てきているのに、エンディング近くなって、何でもありの世界が夢まぼろしのように現出し、ムーンリヴァーが出てきて、「おいおい、これってひょっとして、他の作品とまじりあってないか?」と気がついたのだ。遅い。遅すぎる。
もちろん、ブギーポップを読んでなくても、単独でこの本は面白い。だが他作品の読者へのサービスにしてはあまりにもそれに割いているページ数が多いのが気になるのだ。
ブギーポップシリーズを読みかえして、登場人物を思い出しておかないと、今後上遠野作品を読む際には要注意だ。わかってたんだけどなあ。
CO2映画上映展3日め、ダイアルAを回せ
2008年3月5日 映画
CO2映画上映展3日め。
見たプログラムは次のとおり。
ネコハコベフジワラさん/川原康臣
川原康臣監督×会田健二(映像作家)トーク
流れよ我が涙、と探偵は言った/林海象
トークイベント「監督は因果な商売よ」/中原昌也、戸川純
相原信洋アニメーションリミックス/寝屋川山脈、松野泉、水内義人、西尾孔志
授賞式
トークイベントは昨日に続き、スクリーンに映し出された質問に監督(前日は役者)が答える、という形式。役者のときはチョップリンの2人がいたせいもあってか、あるいはいとうせいこうのリードがよかったのか、時間が足りないくらいに盛り上がったのだが、監督たちになると、とたんにおとなしくなる。
以下、各賞の結果。
オ−プンコンペ部門
(映画)優秀賞「お城が見える」小出豊監督
(映画)最優秀賞「最後の怪獣」高橋明大監督
(アニメ)優秀賞「宇宙航法」並木那央矢監督
(アニメ)優秀賞「迷走赤ずきん」西尾都監督
(アニメ)優秀賞「PRESENT」翠緯泰監督
(アニメの最優秀賞はなし)
企画制作部門
Panasonic技術賞「bluebird」浅川周監督
CO2男優賞「都会の夢」小林幸太郎
CO2女優賞「ネコハコベフジワラさん」喜多香乃実
シネアスト優秀賞「都会の夢」高木駿一監督
シネアスト大阪市長賞(該当作なし)
かなり厳しい講評とともに、発表された。
オープンコンペ部門中、僕が見たなかでは、アニメなら「宇宙航法」で決まり。映画は「Stewed Beef & Potatoes」がよかった。
企画制作部門は文句なしに「都会の夢」だろう。
でも、このイベントで見た作品のなかで、一番面白かったのは、水内義人の相原信洋リミックスだった。(アニメの内容を口で全部実況説明する)映像すら使っていない。
映像を使ったなかでは、林海象がダントツによくて、格の違いを見せつけた感がある。
なお、このイベントのスタッフにはHELPガールの野中ひゆちゃんがおり、授賞式の誘導などしていた。
ひそかに客席で「ひゆちゃん、最後に客席にダイブだ!」と念じていたが、ちょっとそういうことをする雰囲気でもなかった。
そう言えば、客席側にも2日めは丼野M美がおり、3日めはちやじはんがいた。
読んだ本はジャック・リッチーの『ダイアルAを回せ』
以下、目次
正義の味方
政治の道は殺人へ
いまから十分間
動かぬ証拠
フェアプレイ
殺人はいかが?
三階のクローゼット
カーデュラと盗癖者
カーデュラ野球場へ行く
カーデュラと昨日消えた男
未決陪審
二十三個の茶色の紙袋
殺し屋を探せ
ダイアルAを回せ
グリッグスビー文書
ドラキュラのアナグラムの名をもつカーデュラ探偵社のシリーズと、タ−ンバックル刑事シリーズ(「未決陪審」からの4作、そしてその原型と見られるバックル刑事もの「グリッグスビー文書」)を含んだ短編集。
『マンハント』や『アルフレッドヒッチコックミステリマガジン』などに作品を発表しており、その題材は、「殺し屋」「贋札」「妻と夫の犯罪」といったところ。
ストーリーの特徴の1つは「逆転」だが、それはどんでん返しというより、形勢逆転と呼ぶにふさわしいものだ。
優秀なボディガードが、殺し屋になるとか。加害者が被害者の立場になりかわるとか。監禁されていたと思っていた被害者が、実は狭いところでひきこもって精神の安定を獲得していたとか。
面白かったのはなんといってもターンバックル刑事のシリーズ。
ターンバックルは、推理を暴走させて真相に肉迫するのだが、その推理は大間違いで、真相は別にあるのだ。ただ、ターンバックルの暴走が思わぬ効果をもたらして、結果として事件は解決してしまう。
犬も歩けば棒とかに当たるのだ。
これを人生の教訓にしたいものである。
見たプログラムは次のとおり。
ネコハコベフジワラさん/川原康臣
川原康臣監督×会田健二(映像作家)トーク
流れよ我が涙、と探偵は言った/林海象
トークイベント「監督は因果な商売よ」/中原昌也、戸川純
相原信洋アニメーションリミックス/寝屋川山脈、松野泉、水内義人、西尾孔志
授賞式
トークイベントは昨日に続き、スクリーンに映し出された質問に監督(前日は役者)が答える、という形式。役者のときはチョップリンの2人がいたせいもあってか、あるいはいとうせいこうのリードがよかったのか、時間が足りないくらいに盛り上がったのだが、監督たちになると、とたんにおとなしくなる。
以下、各賞の結果。
オ−プンコンペ部門
(映画)優秀賞「お城が見える」小出豊監督
(映画)最優秀賞「最後の怪獣」高橋明大監督
(アニメ)優秀賞「宇宙航法」並木那央矢監督
(アニメ)優秀賞「迷走赤ずきん」西尾都監督
(アニメ)優秀賞「PRESENT」翠緯泰監督
(アニメの最優秀賞はなし)
企画制作部門
Panasonic技術賞「bluebird」浅川周監督
CO2男優賞「都会の夢」小林幸太郎
CO2女優賞「ネコハコベフジワラさん」喜多香乃実
シネアスト優秀賞「都会の夢」高木駿一監督
シネアスト大阪市長賞(該当作なし)
かなり厳しい講評とともに、発表された。
オープンコンペ部門中、僕が見たなかでは、アニメなら「宇宙航法」で決まり。映画は「Stewed Beef & Potatoes」がよかった。
企画制作部門は文句なしに「都会の夢」だろう。
でも、このイベントで見た作品のなかで、一番面白かったのは、水内義人の相原信洋リミックスだった。(アニメの内容を口で全部実況説明する)映像すら使っていない。
映像を使ったなかでは、林海象がダントツによくて、格の違いを見せつけた感がある。
なお、このイベントのスタッフにはHELPガールの野中ひゆちゃんがおり、授賞式の誘導などしていた。
ひそかに客席で「ひゆちゃん、最後に客席にダイブだ!」と念じていたが、ちょっとそういうことをする雰囲気でもなかった。
そう言えば、客席側にも2日めは丼野M美がおり、3日めはちやじはんがいた。
読んだ本はジャック・リッチーの『ダイアルAを回せ』
以下、目次
正義の味方
政治の道は殺人へ
いまから十分間
動かぬ証拠
フェアプレイ
殺人はいかが?
三階のクローゼット
カーデュラと盗癖者
カーデュラ野球場へ行く
カーデュラと昨日消えた男
未決陪審
二十三個の茶色の紙袋
殺し屋を探せ
ダイアルAを回せ
グリッグスビー文書
ドラキュラのアナグラムの名をもつカーデュラ探偵社のシリーズと、タ−ンバックル刑事シリーズ(「未決陪審」からの4作、そしてその原型と見られるバックル刑事もの「グリッグスビー文書」)を含んだ短編集。
『マンハント』や『アルフレッドヒッチコックミステリマガジン』などに作品を発表しており、その題材は、「殺し屋」「贋札」「妻と夫の犯罪」といったところ。
ストーリーの特徴の1つは「逆転」だが、それはどんでん返しというより、形勢逆転と呼ぶにふさわしいものだ。
優秀なボディガードが、殺し屋になるとか。加害者が被害者の立場になりかわるとか。監禁されていたと思っていた被害者が、実は狭いところでひきこもって精神の安定を獲得していたとか。
面白かったのはなんといってもターンバックル刑事のシリーズ。
ターンバックルは、推理を暴走させて真相に肉迫するのだが、その推理は大間違いで、真相は別にあるのだ。ただ、ターンバックルの暴走が思わぬ効果をもたらして、結果として事件は解決してしまう。
犬も歩けば棒とかに当たるのだ。
これを人生の教訓にしたいものである。
CO2映画上映展2日め、日本男児
2008年3月4日 映画
HEP HALLで「CO2映画上映展」2日め。
見たプログラムは次のとおり。
都会の夢/高木駿一
高木駿一監督×高嶺剛監督トーク
borisco/板倉善之作品inワークショップ
逃亡の町/Wojciech Kasperski(オスカリアダ)
見えたか?/照沼敦朗
眠りの館/太田裕美
最後の怪獣/高橋明大
トークイベント「役者は素敵な商売…なの?」/いとうせいこう、戸川純
インタビュー・リハーサル/Tomasz Jurkiewicz(オスカリアダ)
I am bigger and better/Martin Dud(チェコ)
宇宙航法/並木那央矢
都会の夢での重実百合、チョップリンを見て、ハードボイルドと都会と人探しの関連を強く思い知る。
最後の怪獣での児童虐待から発声までのドラマにエバーグリーンな題材を思い知る。
宇宙航法でのコラージュアニメにエルンストをアニメにしたらこんな風かと思い知る。
トークイベントでの戸川純のたたずまいは、なんだか神話的だった。
今日は夜勤だったので、その後のプログラムは見ずに、職場に向かう。
読んだ本は赤瀬川原平の『日本男児』
以下、目次
男が合理化された
子供を奉公に出す
夜型生活のころ
主義と人生
頭を警戒すること
今日も不快だタバコが不味い
左翼マインドコントロール
揺れ動くビール
女子中高生の短かすぎるスカート
何でもアリに近づく世の中
世界の表面で愛を叫ぶ
人間、死ぬのは想定内である
紙が反り返らない国の感覚
未来に奉仕する気持が激減してある
人生は趣味なのか、事務なのか
遊廓の時代とフーゾクの時代
ロッテ日替り刺客の勝利
虚礼廃止と年賀状
リンクするアレルギー
性格俳優とデザイン家具
役立たずの生活
地球の鼻づまり
タバコと左翼
眉をひそめる
ベネチアの労働者
神風特攻隊と平和憲法
ぼくと世間の鼻づまり
連載時は「頭からウロコ」のタイトルだったらしい。
いろんなことについて、「おお、そういう考え方もあるか」と思わせてくれた。
タバコと左翼の相似を指摘する回にはマイッタ。
どの回も、1つのものの見方だけでなく、複数の見方を提示しているのはさすが。
見たプログラムは次のとおり。
都会の夢/高木駿一
高木駿一監督×高嶺剛監督トーク
borisco/板倉善之作品inワークショップ
逃亡の町/Wojciech Kasperski(オスカリアダ)
見えたか?/照沼敦朗
眠りの館/太田裕美
最後の怪獣/高橋明大
トークイベント「役者は素敵な商売…なの?」/いとうせいこう、戸川純
インタビュー・リハーサル/Tomasz Jurkiewicz(オスカリアダ)
I am bigger and better/Martin Dud(チェコ)
宇宙航法/並木那央矢
都会の夢での重実百合、チョップリンを見て、ハードボイルドと都会と人探しの関連を強く思い知る。
最後の怪獣での児童虐待から発声までのドラマにエバーグリーンな題材を思い知る。
宇宙航法でのコラージュアニメにエルンストをアニメにしたらこんな風かと思い知る。
トークイベントでの戸川純のたたずまいは、なんだか神話的だった。
今日は夜勤だったので、その後のプログラムは見ずに、職場に向かう。
読んだ本は赤瀬川原平の『日本男児』
以下、目次
男が合理化された
子供を奉公に出す
夜型生活のころ
主義と人生
頭を警戒すること
今日も不快だタバコが不味い
左翼マインドコントロール
揺れ動くビール
女子中高生の短かすぎるスカート
何でもアリに近づく世の中
世界の表面で愛を叫ぶ
人間、死ぬのは想定内である
紙が反り返らない国の感覚
未来に奉仕する気持が激減してある
人生は趣味なのか、事務なのか
遊廓の時代とフーゾクの時代
ロッテ日替り刺客の勝利
虚礼廃止と年賀状
リンクするアレルギー
性格俳優とデザイン家具
役立たずの生活
地球の鼻づまり
タバコと左翼
眉をひそめる
ベネチアの労働者
神風特攻隊と平和憲法
ぼくと世間の鼻づまり
連載時は「頭からウロコ」のタイトルだったらしい。
いろんなことについて、「おお、そういう考え方もあるか」と思わせてくれた。
タバコと左翼の相似を指摘する回にはマイッタ。
どの回も、1つのものの見方だけでなく、複数の見方を提示しているのはさすが。
大阪梅田のHEP HALLで「CO2映画上映展」を見てきた。
「CO2」は「Cineastes Organization Osaka」の略なのだが、協賛の関西電力が大真面目に「地球温暖化を防ぐために、CO2を吸収するマングローブやユーカリの植林、自然の力を活かした関西電力の取り組みは続きます」と宣伝しているのがナイスだった。
3日間にわたるイベントで、今日は初日。
開場は午後1時の予定だったが、少々遅れてスタート。
見たのは、次のプログラム。
オープニング/BABY-Q×会田健二
マターナルブルースカイ/羽野暢作品in ワークショップ
NAUS/Lukas Glaser(チェコ)
狸寝入り/中村武
Stewed Beef & Potatoes/石原貴洋
bluebird/浅川周
浅川周監督と矢崎仁司監督のトーク
マターナルブルースカイの若くて妖しい母にクラクラきたり、Stewed Beef & Potatoesの小学生の自然すぎる演技に驚いたりした。
bluebirdで主演の末田光里さんは、以前ライブを見に行ったことのある人だった。道理でどこかで聞いたことのある名前だと思ってたんだ。創叡の古賀葵ちゃんも出演してた。
この日はその後にもプログラムがあったが、次の予定があったため、切り上げる。
なんばBEARSで「保山爆誕祭」
出演は、自分BOX with ララボンゴ、パラリンピクス(家出ジョニー&cos&殺して38)、桃色神社、保山ひャンの順。
自分BOXのときには、A.C.E.の安井くんと僕も加わって、野ばら君が替え歌の歌詞を書いたアナーキーインザUKを歌った。急遽歌うことになったもので、どこでどの歌詞をあてはめればいいのかわからず、これぞ真の意味でのミュージックコンクレートであった。
友達も多く駆け付けてくれて、ケーキやら花やらワインやらファンシーグッズやらバウムクーヘンやら西洋風焼き菓子やらいろいろと祝ってもらった。
やっぱり誕生日は、待っていちゃダメだね!
自分から積極的に前に出て、無理矢理祝ってもらうくらいの勢いでなくっちゃ。
なかでも感動したのは、少女(9歳)のイメージDVDをいただいたこと。
僕は少女アイドルが大好きだが、あいにくとDVDとかぜんぜん持っていないのだ。近年の過激な少女DVDの氾濫について、コメンテーターとしてテレビに出させていただいたが、実際にはほとんど見たことがなかったのである。
もらったのは深浦ゆかりの「Little Friend」みどころはボーナスムービーで、ゆかりちゃんが鉄棒でいろんな技を見せながら回転するシーン。
水着になっていろんなポーズをとってくれたゆかりちゃんだが、実際にはスポーツ万能の元気で活発な女子なんだな、ということがよくわかる。
さて、僕のライブだが、やったのは「保山宗明玉ショー」で、僕だと偽って邪王院弘や、泰子興業が、僕のファッションで出てきて、いつものパフォーマンスを繰り広げる。
僕もちょこっと出て、パンに目潰しする。
ライブ終了後は打ち上げ。
読んだ本はサミュエル・ベケットの『いざ最悪の方へ』
たとえば、こんな文章が並ぶ。
まず骨。まだそれらに戻る。最初に言われて以来すでに言われた名残を侵している。地面。痛み。骨はない。地面はない。痛みはない。なぜ起きるか知られず。なんとしても知られず。もし倒れていたなら。もし倒れていたなら起きるしかない。あるいはけっして倒れていなかった。いつも膝をつき。もっと良くいつも膝をつき。もっと良くもっと悪くいつも膝をつき。いまからはいつも膝をつきと言う。いまのところいまからはいつも膝をつき。いまのところ。
ううむ。もっとピンとくる文章があったのだが、探しても出てこない。どういうわけだ。
「結局、何が言いたいのか?」の、結局の部分を先延ばしにしてあたふたウロウロしているところがえんえんと続くのだ。何かが起ころうとしているのはわかるが。
僕は高校生の頃まで、何かを買おうと店に行ってもどうしてもすぐには決められず、2時間や3時間はざらに迷っていた。その迷う心の過程を文章におこしてみたら、きっとベケットになるに違いない。そんなたいしたものではない。2つは同じではない。いまは同じではないと言う。いまのところは同じではないと言う。
この本にはベケット晩年の作品3つが収められていた。
いざ最悪の方へ
なおのうごめき
なんと言うか
今思ったけど、RPGでレベルをあげるためにスライムをひたすら倒すばかりでストーリーそのものには全く展開がなく、しかも、結局経験値がレベルアップにはつながっていない場合。そういう世界がベケットの世界だ。
いや、何か違うな。ぜんぜん違う。いや、正反対とかそういう意味ではなく、違う。単に違う。
「CO2」は「Cineastes Organization Osaka」の略なのだが、協賛の関西電力が大真面目に「地球温暖化を防ぐために、CO2を吸収するマングローブやユーカリの植林、自然の力を活かした関西電力の取り組みは続きます」と宣伝しているのがナイスだった。
3日間にわたるイベントで、今日は初日。
開場は午後1時の予定だったが、少々遅れてスタート。
見たのは、次のプログラム。
オープニング/BABY-Q×会田健二
マターナルブルースカイ/羽野暢作品in ワークショップ
NAUS/Lukas Glaser(チェコ)
狸寝入り/中村武
Stewed Beef & Potatoes/石原貴洋
bluebird/浅川周
浅川周監督と矢崎仁司監督のトーク
マターナルブルースカイの若くて妖しい母にクラクラきたり、Stewed Beef & Potatoesの小学生の自然すぎる演技に驚いたりした。
bluebirdで主演の末田光里さんは、以前ライブを見に行ったことのある人だった。道理でどこかで聞いたことのある名前だと思ってたんだ。創叡の古賀葵ちゃんも出演してた。
この日はその後にもプログラムがあったが、次の予定があったため、切り上げる。
なんばBEARSで「保山爆誕祭」
出演は、自分BOX with ララボンゴ、パラリンピクス(家出ジョニー&cos&殺して38)、桃色神社、保山ひャンの順。
自分BOXのときには、A.C.E.の安井くんと僕も加わって、野ばら君が替え歌の歌詞を書いたアナーキーインザUKを歌った。急遽歌うことになったもので、どこでどの歌詞をあてはめればいいのかわからず、これぞ真の意味でのミュージックコンクレートであった。
友達も多く駆け付けてくれて、ケーキやら花やらワインやらファンシーグッズやらバウムクーヘンやら西洋風焼き菓子やらいろいろと祝ってもらった。
やっぱり誕生日は、待っていちゃダメだね!
自分から積極的に前に出て、無理矢理祝ってもらうくらいの勢いでなくっちゃ。
なかでも感動したのは、少女(9歳)のイメージDVDをいただいたこと。
僕は少女アイドルが大好きだが、あいにくとDVDとかぜんぜん持っていないのだ。近年の過激な少女DVDの氾濫について、コメンテーターとしてテレビに出させていただいたが、実際にはほとんど見たことがなかったのである。
もらったのは深浦ゆかりの「Little Friend」みどころはボーナスムービーで、ゆかりちゃんが鉄棒でいろんな技を見せながら回転するシーン。
水着になっていろんなポーズをとってくれたゆかりちゃんだが、実際にはスポーツ万能の元気で活発な女子なんだな、ということがよくわかる。
さて、僕のライブだが、やったのは「保山宗明玉ショー」で、僕だと偽って邪王院弘や、泰子興業が、僕のファッションで出てきて、いつものパフォーマンスを繰り広げる。
僕もちょこっと出て、パンに目潰しする。
ライブ終了後は打ち上げ。
読んだ本はサミュエル・ベケットの『いざ最悪の方へ』
たとえば、こんな文章が並ぶ。
まず骨。まだそれらに戻る。最初に言われて以来すでに言われた名残を侵している。地面。痛み。骨はない。地面はない。痛みはない。なぜ起きるか知られず。なんとしても知られず。もし倒れていたなら。もし倒れていたなら起きるしかない。あるいはけっして倒れていなかった。いつも膝をつき。もっと良くいつも膝をつき。もっと良くもっと悪くいつも膝をつき。いまからはいつも膝をつきと言う。いまのところいまからはいつも膝をつき。いまのところ。
ううむ。もっとピンとくる文章があったのだが、探しても出てこない。どういうわけだ。
「結局、何が言いたいのか?」の、結局の部分を先延ばしにしてあたふたウロウロしているところがえんえんと続くのだ。何かが起ころうとしているのはわかるが。
僕は高校生の頃まで、何かを買おうと店に行ってもどうしてもすぐには決められず、2時間や3時間はざらに迷っていた。その迷う心の過程を文章におこしてみたら、きっとベケットになるに違いない。そんなたいしたものではない。2つは同じではない。いまは同じではないと言う。いまのところは同じではないと言う。
この本にはベケット晩年の作品3つが収められていた。
いざ最悪の方へ
なおのうごめき
なんと言うか
今思ったけど、RPGでレベルをあげるためにスライムをひたすら倒すばかりでストーリーそのものには全く展開がなく、しかも、結局経験値がレベルアップにはつながっていない場合。そういう世界がベケットの世界だ。
いや、何か違うな。ぜんぜん違う。いや、正反対とかそういう意味ではなく、違う。単に違う。
ISBN:4901477366 単行本 中山 元 月曜社 2007/09 ¥2,625
難波ROCKETSで「PONBASHI DAYS vol.3」
僕は12:30からの第1部を見た。
以下、登場順に。
appeal
1.ラブ&スマイル
2.やっぱ好きやねん
3.カムアゲイン
4.サバイバルダンス
5.スタート
6.サンシャイン
いきなり、たかまる会場。
appealタオル使ったり、振付けを一緒にやったり、と客席との連携もぴったり。
M/W
1.うしろ指さされ組
2.ワンサイドラブ
3.relations
4.ロマンティック浮かれモード
5.Sexy Boy
メイド服で登場。
3曲めのリレーションズはアイドルマスターから。
自分たちのいる場所を「地下アイドル」とはっきり言いきったのがいい。
そこは、いずれ抜け出していくべき下積みの場所でもなく、本来いるべきでない不本意な場所でもなく、さらに上を目指すためのステップの場所でもない。地下アイドルの何が悪い!地下アイドルを盛り上げて、自分たちも一緒に楽しみたい、という姿勢の表明なのだ。
こういうスタンスをとるのは、意外と勇気がいって、難しいことなのだ。
素晴らしい!
星崎なみ
1.一つ星
2.遠くへ
3.I wish
名古屋組の一番手。
名古屋組のアイドルちゃんたちは、基本的に歌がうまくて、「アイドル歌手」と呼ぶにふさわしい子が多い。
この星崎なみちゃんは、その典型的な子だと思う。
すごく安心感が得られるのだ。
城奈菜美
1.翔べ!ガンダム
2.オーバーロード
3.デイブレイク
4.DESIRE
「ジーク、シロン!」「あ〜どっこい!」など客席参加型。
名古屋組は、客席(オタク)をのせるのがうまい。
城奈菜美ちゃんのステージ見ていると、既に完成型を見せられているように思える。
★SAKURAん☆
1.手負いの天使
2.Singing for You
3.(不明)
サクランの多重人格ステ−ジは、とても面白くて、僕のようなオッサンから見ると、すこぶる「女」度が高く感じられる。
消え入りそうな声で「わたしなんか」とか言いそうなのに、3曲めにいたっては、マイクスタンドを肩にかつぐ大胆ぶり。
神秘につつまれた「女」の姿をそこに感じ取ってしまうわけだ。
Mizuka
1.ピンクデコレーション
2.恋愛レシピ
3.アイドル光線キラ
楽曲の素晴らしさはなにものにも替えがたい。
アイドルイベントと、それ以外のロックのライブとは、自分のなかではっきりと評価軸が異なり、同じ土俵で語ることのできない別物だと思っている。だがしかし、たまに、このMizukaのように、複数のフィールドをクロスオーバーする特異な人材に出会うことがある。
一度エレポップのライブで見てみたい。
4 leaf clover
1.ダンス
2.ひなまつり〜エンプティワールド
3.カラーオブシーズン
4.Shine We Are
ブログでのロシアンルーレット寿司で、ワサビを大量に食べていたのは、ナミとレイカだと正解発表。ナミははじめてワサビを食べたらしい!
このステージから、受験のためライブを欠席していたありさが復活。
完璧とはいかないまでも、ブランクを感じさせない復調ぶりに驚いた。
Shine We Areのクライマックスで、メンバーが客席に手をのべる、ファンとのスキンシップタイムがある。今回、僕は前の方で見ていたため、はじめてステージ上のメンバーと握手することができた。奥手な僕としては、快挙である。だれが奥手かって?僕ですよ!
Marry Doll
1.ラブ&ジョイ
2.baby star
3.tell me(新曲)
4.大きな愛でもてなして
5.フレンジャー(新レパートリー)
以下アンコール
6.フレンジャー
涼子ちゃんが、フレンジャー歌うときに、「壊れる予定」と宣言するのが面白い。
パーカーの新衣装。
盛り上がること、盛り上がること。
なお、メンバーには内緒で、卒業祝いの色紙の寄せ書きにメッセージを書かせてもらった。
卒業おめでとう!もっとお祝いの心を盛り込んだメッセージなりイラストなりが書ければ、さらによかったけど。あのときは、あれが僕の精一杯。
それと、個人的には、寄せ書きに参加させてもらい、僕もマリードールのファンの一員だと認知されたのだと思うと、うれしかった。
ライブ終了後の物販には参加せずに、帰宅。
午後6時からNHK-FM「現代の音楽」
西村 朗
− 篠崎史子ハープの個展10から −
「海へ2〜アルトフルート、ハープと弦楽オーケストラのための」
武満 徹・作曲
(14分45秒)
(アルトフルート)小泉 浩
(ハープ)篠崎 史子
(弦楽合奏)東京都交響楽団
(指揮)本名 徹次
「氷上燐光〜ハープとオーケストラのための協奏曲」
池辺晋一郎・作曲
(9分50秒)
「ピエタ〜ハープのためのディプティーク2 作品110」
権代敦彦・作曲
(14分25秒)
(ハープ)篠崎 史子
(管弦楽)東京都交響楽団
(指揮)本名 徹次
〜東京オペラシティ・コンサートホールで収録〜
<2007/12/5>
その後も、比較的NHK関係のテレビ番組ばかり見ていた。橋下府知事はNHKにかなり批判的だが、ふだん見るテレビ番組の半分はNHKな僕にはいまいちピンとこない。
かつてテレビ番組によく出させてもらっていたときも、NHKの印象は悪くなかった。
知事はあまりNHKを見たり聞いたりしないのではないだろうか。
それで思い出したけど、社会学者の宮台がほとんどテレビを見ない、とブログに書いていたのを読んだ記憶がある。
テレビばっかり見ている僕は、「お笑いレッドカーペット」で世界のナベアツとか見ているときに、「ああ、宮台氏はこんなに面白いものを見ていないのか」と感想を抱いたりして、ちょっと可哀相な気分になったりした。
どうでもいいけど。
この日、見たのは「新日曜美術館」でアールブリュットをとりあげている回(田口ランディは必要だったのか?)、そのまま「N響アワー」でブロムシュテットのシューベルト聞いて、ETV特集「ロシア・歴史は繰り返すのか」(亀山郁夫)など。
モーリス・ブランショの『書物の不在』を読んだ。
赤地に黒いニクイ奴!
章立てごとに、引用もしくはまとめ。
1,書くということ、この気違いじみたゲーム。
2,最初に書いた人があとに残したものは、それは宇宙の空虚だったのだ。
3,書物は時間をまきとり、まきもどす。
4,書物の不在とは、書物のうちに閉じ込められていながら、書物にかかわることのない外部をさし示すのである。
5,書くということは、書物の不在を作り出すこと(作品の消去)である。
6,作品は二つの書物のあいだで戸惑っているのである−現前としての作品と、つねにすりぬけてゆき、時間そのものの乱れである作品の不在のあいだで。
7,書くことの目的は、書物のうちにも、作品のうちにもない。
8,書物とは、文化を脅かし、文化を書物の不在へと開く大変動を文化にとりもどしてやるために言語行為が利用する巧智である。
9,書き始めるとき、わたしたちは始めるわけでも、書いているわけでもない。書くということは、端緒とはそぐわないものなのだ。
10,読むということは、書物のうちに書物の不在を読みとるということだろう。
11,書物は本質的に神学的なものなのだ。
12,作品は災厄としての祝祭であり、諦めを要求する。
13,「書物の不在」とは、「書かれたもの」が書くという営みの決して訪れることのない未来として生みだすものである。
14,いわば二つの書きものがあるのだ。一つは白く、一つは黒い。
15,書かれたものは、書物からの不在である。
16,戒律を書いた最初の石板が破壊されたことは、限界のない外在性の代わりに、限定された外在性をもたらすのだ。
17,法の「ねばならない」とはまず、「汝なすべし」ではない。
18,十戒は、単一性を参照することでしか法でありえない。
19,書きものは高さと低さのあいだで行われる仲裁の外にとどまるのだ。
批評や論文のようでいて、読後感は「詩」だった。
ブランショの必殺技「不在」や「外」に眩惑されて、まんまとべちょたれ雑炊食べさせられたのかもしれない。
難波ROCKETSで「PONBASHI DAYS vol.3」
僕は12:30からの第1部を見た。
以下、登場順に。
appeal
1.ラブ&スマイル
2.やっぱ好きやねん
3.カムアゲイン
4.サバイバルダンス
5.スタート
6.サンシャイン
いきなり、たかまる会場。
appealタオル使ったり、振付けを一緒にやったり、と客席との連携もぴったり。
M/W
1.うしろ指さされ組
2.ワンサイドラブ
3.relations
4.ロマンティック浮かれモード
5.Sexy Boy
メイド服で登場。
3曲めのリレーションズはアイドルマスターから。
自分たちのいる場所を「地下アイドル」とはっきり言いきったのがいい。
そこは、いずれ抜け出していくべき下積みの場所でもなく、本来いるべきでない不本意な場所でもなく、さらに上を目指すためのステップの場所でもない。地下アイドルの何が悪い!地下アイドルを盛り上げて、自分たちも一緒に楽しみたい、という姿勢の表明なのだ。
こういうスタンスをとるのは、意外と勇気がいって、難しいことなのだ。
素晴らしい!
星崎なみ
1.一つ星
2.遠くへ
3.I wish
名古屋組の一番手。
名古屋組のアイドルちゃんたちは、基本的に歌がうまくて、「アイドル歌手」と呼ぶにふさわしい子が多い。
この星崎なみちゃんは、その典型的な子だと思う。
すごく安心感が得られるのだ。
城奈菜美
1.翔べ!ガンダム
2.オーバーロード
3.デイブレイク
4.DESIRE
「ジーク、シロン!」「あ〜どっこい!」など客席参加型。
名古屋組は、客席(オタク)をのせるのがうまい。
城奈菜美ちゃんのステージ見ていると、既に完成型を見せられているように思える。
★SAKURAん☆
1.手負いの天使
2.Singing for You
3.(不明)
サクランの多重人格ステ−ジは、とても面白くて、僕のようなオッサンから見ると、すこぶる「女」度が高く感じられる。
消え入りそうな声で「わたしなんか」とか言いそうなのに、3曲めにいたっては、マイクスタンドを肩にかつぐ大胆ぶり。
神秘につつまれた「女」の姿をそこに感じ取ってしまうわけだ。
Mizuka
1.ピンクデコレーション
2.恋愛レシピ
3.アイドル光線キラ
楽曲の素晴らしさはなにものにも替えがたい。
アイドルイベントと、それ以外のロックのライブとは、自分のなかではっきりと評価軸が異なり、同じ土俵で語ることのできない別物だと思っている。だがしかし、たまに、このMizukaのように、複数のフィールドをクロスオーバーする特異な人材に出会うことがある。
一度エレポップのライブで見てみたい。
4 leaf clover
1.ダンス
2.ひなまつり〜エンプティワールド
3.カラーオブシーズン
4.Shine We Are
ブログでのロシアンルーレット寿司で、ワサビを大量に食べていたのは、ナミとレイカだと正解発表。ナミははじめてワサビを食べたらしい!
このステージから、受験のためライブを欠席していたありさが復活。
完璧とはいかないまでも、ブランクを感じさせない復調ぶりに驚いた。
Shine We Areのクライマックスで、メンバーが客席に手をのべる、ファンとのスキンシップタイムがある。今回、僕は前の方で見ていたため、はじめてステージ上のメンバーと握手することができた。奥手な僕としては、快挙である。だれが奥手かって?僕ですよ!
Marry Doll
1.ラブ&ジョイ
2.baby star
3.tell me(新曲)
4.大きな愛でもてなして
5.フレンジャー(新レパートリー)
以下アンコール
6.フレンジャー
涼子ちゃんが、フレンジャー歌うときに、「壊れる予定」と宣言するのが面白い。
パーカーの新衣装。
盛り上がること、盛り上がること。
なお、メンバーには内緒で、卒業祝いの色紙の寄せ書きにメッセージを書かせてもらった。
卒業おめでとう!もっとお祝いの心を盛り込んだメッセージなりイラストなりが書ければ、さらによかったけど。あのときは、あれが僕の精一杯。
それと、個人的には、寄せ書きに参加させてもらい、僕もマリードールのファンの一員だと認知されたのだと思うと、うれしかった。
ライブ終了後の物販には参加せずに、帰宅。
午後6時からNHK-FM「現代の音楽」
西村 朗
− 篠崎史子ハープの個展10から −
「海へ2〜アルトフルート、ハープと弦楽オーケストラのための」
武満 徹・作曲
(14分45秒)
(アルトフルート)小泉 浩
(ハープ)篠崎 史子
(弦楽合奏)東京都交響楽団
(指揮)本名 徹次
「氷上燐光〜ハープとオーケストラのための協奏曲」
池辺晋一郎・作曲
(9分50秒)
「ピエタ〜ハープのためのディプティーク2 作品110」
権代敦彦・作曲
(14分25秒)
(ハープ)篠崎 史子
(管弦楽)東京都交響楽団
(指揮)本名 徹次
〜東京オペラシティ・コンサートホールで収録〜
<2007/12/5>
その後も、比較的NHK関係のテレビ番組ばかり見ていた。橋下府知事はNHKにかなり批判的だが、ふだん見るテレビ番組の半分はNHKな僕にはいまいちピンとこない。
かつてテレビ番組によく出させてもらっていたときも、NHKの印象は悪くなかった。
知事はあまりNHKを見たり聞いたりしないのではないだろうか。
それで思い出したけど、社会学者の宮台がほとんどテレビを見ない、とブログに書いていたのを読んだ記憶がある。
テレビばっかり見ている僕は、「お笑いレッドカーペット」で世界のナベアツとか見ているときに、「ああ、宮台氏はこんなに面白いものを見ていないのか」と感想を抱いたりして、ちょっと可哀相な気分になったりした。
どうでもいいけど。
この日、見たのは「新日曜美術館」でアールブリュットをとりあげている回(田口ランディは必要だったのか?)、そのまま「N響アワー」でブロムシュテットのシューベルト聞いて、ETV特集「ロシア・歴史は繰り返すのか」(亀山郁夫)など。
モーリス・ブランショの『書物の不在』を読んだ。
赤地に黒いニクイ奴!
章立てごとに、引用もしくはまとめ。
1,書くということ、この気違いじみたゲーム。
2,最初に書いた人があとに残したものは、それは宇宙の空虚だったのだ。
3,書物は時間をまきとり、まきもどす。
4,書物の不在とは、書物のうちに閉じ込められていながら、書物にかかわることのない外部をさし示すのである。
5,書くということは、書物の不在を作り出すこと(作品の消去)である。
6,作品は二つの書物のあいだで戸惑っているのである−現前としての作品と、つねにすりぬけてゆき、時間そのものの乱れである作品の不在のあいだで。
7,書くことの目的は、書物のうちにも、作品のうちにもない。
8,書物とは、文化を脅かし、文化を書物の不在へと開く大変動を文化にとりもどしてやるために言語行為が利用する巧智である。
9,書き始めるとき、わたしたちは始めるわけでも、書いているわけでもない。書くということは、端緒とはそぐわないものなのだ。
10,読むということは、書物のうちに書物の不在を読みとるということだろう。
11,書物は本質的に神学的なものなのだ。
12,作品は災厄としての祝祭であり、諦めを要求する。
13,「書物の不在」とは、「書かれたもの」が書くという営みの決して訪れることのない未来として生みだすものである。
14,いわば二つの書きものがあるのだ。一つは白く、一つは黒い。
15,書かれたものは、書物からの不在である。
16,戒律を書いた最初の石板が破壊されたことは、限界のない外在性の代わりに、限定された外在性をもたらすのだ。
17,法の「ねばならない」とはまず、「汝なすべし」ではない。
18,十戒は、単一性を参照することでしか法でありえない。
19,書きものは高さと低さのあいだで行われる仲裁の外にとどまるのだ。
批評や論文のようでいて、読後感は「詩」だった。
ブランショの必殺技「不在」や「外」に眩惑されて、まんまとべちょたれ雑炊食べさせられたのかもしれない。
森繁ダイナミック、「白バラ」尋問調書―「白バラの祈り」資料集
2008年3月1日 読書
ISBN:4624111966 単行本 田中 美由紀 未来社 2007/08 ¥3,360
昨日のイベントで野田氏からGETした桃吐マキル+福耳ノアルの『森繁ダイナミック』が面白かった。森繁はすべての男に避けられても「地球の男に飽きたところよ!」と開きなおるのだ。森繁は墓場から這い出てきて、トーストくわえながら「あ〜ン、遅刻しちゃう」と言うのだ。森繁は生理の経血が多いのをごまかすために、血を全身に塗って「やられた〜!」と血みどろの姿になるのだ。
こういう場合はこう、といつのまにか自分で可能性を狭めがちな最近、こういうエネルギーを見るのは、すごく元気づけられる。
読んだ本はフレート・ブライナースドルファー編の『「白バラ」尋問調書』
1942年夏から1943年にかけてナチスドイツ下で「白バラ」抵抗運動が行われた。
その内容はビラ配付(知識人に読まれることを目的としていた)と街中での落書(「自由」「打倒ヒトラー」ハーケンクロイツに×点)で、消極的抵抗、つまりサボタージュを訴えた。
今考えてみると、ビラや落書きで死刑にまでなるなんて信じられないが、それだけ、影響力があったということなのだろうか。
ビラを読むかぎりでは、次のようなところから引用がされていて、これはインテリでないと読む気も起こらない感じだ。
フリードリヒ・シラー『リュクルゴスとソロンの立法』、ゲーテ『エピメニデスの目覚め』、老子、アリストテレス『政治学』、聖書、ノヴァーリス。
そして、こう訴える。
「今日のわれわれの『国家』は、悪の独裁制である。『そんなことはみんなとっくに知っている』という諸君の反論が聞こえる。『そのことをあらためて非難される筋合いはない』と。しかし、私は諸君に問いたい。もし知っているのなら、なぜ動かないのか」(3番目のビラ)
以下、目次
第1章 「白バラ」のビラ
1
2
3
4
ドイツ抵抗運動のビラ
最後のビラ
1943年1月28/29日のクリストフ・プロープストのビラの草稿
第2章 「自由!」−「白バラ」小史、その最期から遡る/ウルリヒ・ショシー
スターリングラードと「総力戦」−帝国に不穏な空気が立ちこめ、ミュンヘンでは騒ぎが起こる
捜査と憶測−ゲシュタポの捜査
「夜は自由なる者の友」−活動する「白バラ」
吹き抜けホールの最後のビラ−逮捕
調書と告白−ゲシュタポでの尋問
処刑人の前に毅然と立つ−クリストフ・プロープスト、ハンス・ショル、ゾフィー・ショルに対するフライスラーの司法殺人
「白バラ」の仲間たちの運命と彼らが遺したもの
第3章 バイオグラフィー・メモ/ウルリヒ・ショシー
ハンス・ショル
アレクサンダー・シュモレル
クリストフ・プロープスト
ゾフィー・ショル
ヴィリー・グラーフ
クルト・フーバー
エルゼ・ゲーベル
ローベルト・モーア
ローランド・フライスラー
第4章 「白バラ」メンバーの尋問調書/ゲルト・R・ユーバーシュア
ゲシュタポの一次史料について
ゾフィー・ショルの取り調べ
ハンス・ショルの取り調べ
クリストフ・プロープストの取り調べ
アレクサンダー・シュモレルの取り調べ
第4章の尋問調書はベルリンの壁崩壊以降に発掘され、本書によってはじめて公開された。
それを読むと、取り調べにおいて各メンバーが事実を明らかにしながらも無関係の人間を巻き込まぬように気を配っているのがよくわかる。
この調書によると、抵抗運動をはじめた理由は次のとおり。
「東部戦線での敗北後の軍事的な状況や、イギリスとアメリカの軍事力が途方もない勢いで教化されたことから、我が国が勝利をもって終戦を迎えることができるとは思えなくなり、苦しみ抜いていろいろと考えた末、ヨーロッパの理想を持ち続けることができる道は、一つしかないと考えるにいたりました。それはつまり、戦争を早く終わらせることです」(ハンス・ショル)
また、「白バラ」の由来については、こう言っている。
「『白バラ』という名は無作為に選んだものです。説得力あるプロパガンダには、何か決まった概念がなくてはならない。それ自体は何の意味ももたず、響きがよくて、しかもある基本計画がその背後にあるものでなくてはならないと思いました。ちょうどその時、ブレンターノの『ローサ・ブランカ(白バラ)』というスペインの物語詩に感銘を受けていたので、その名前を気分で選んだのかもしれません。イギリス史に出てくる『白バラ』とは全く関係ありません」(ハンス・ショル)
白バラメンバーが、それぞれ運動に加わる動機も明かされている。
ヒトラーユーゲントに入り、非政治的な人間だったクリストフ・プロープストが参加した大きな動機は、鬱!
「スターリングラードの戦況が、わが軍に不利な状況に陥った一時期、私は、ドイツ指導部に対する信頼を失いました。私の精神的なダメージは、当時私の妻が重い病気にかかったことで、いっそうひどくなりました」(クリストフ・プロープスト)
「その草稿を書いた夜は、私は精神的にひどい鬱状態でした。その原因は東部戦線でのできごとにもありましたが、それ以上に妻の重い病気にありました。私の神経は非常に張りつめた状態にあって、その夜は何とかして発散させずにはいられないほどの状況でした。ですから、私はあまり深く考えずに自分の思いつきを書き記しました」(クリストフ・プロープスト)
また、ドイツ人の父とロシア人の母をもつアレクサンダー・シュモレルは、ロシアに対する愛情から、この戦争を早期に終わらせることを願う。
「私にとってドイツとロシアの戦争は非常に大きな心痛となりました。ですから、私はこの戦いが何らかの方法でできるだけ終結に向かえばいいのにと思っています」(アレクサンダー・シュモレル)
「私が何かしなくてはならないと動かされたのは、この二つのことからです。つまり、ひとつには、ドイツ国民を、広範な領土征服と、さらなる対立がもたらす危険から守るため、今ひとつは、ロシアの大規模な国土の喪失を防ぐためです」(アレクサンダー・シュモレル)
本書は映画「白バラの祈り」の制作の記録の資料編である。
第3章のバイオグラフィー・メモにあげられたエルゼ・ゲーベル(ゲシュタポ留置場でゾフィーと同じ房に入っていた)、ローベルト・モーア(ゲシュタポ本部の検察事務官)、ローランド・フライスラー(民族裁判所長官)が映画のなかでも重要な役割を演じていたのを思い出す。
ローベルト・モーアは、ゾフィーを尋問して追い詰めるが、なんとか命だけは救おうと逃げ道を用意する。
ローランド・フライスラーが長官をつとめた民族裁判所では、予備捜査抜きで、被告が有利になるような証拠の提出申請は無視された。彼は法廷でここではどんな法にも審理規則にも縛られないと豪語した。法典を放り投げて「法などわれわれには必要ない!われわれに反逆する者は根絶されるのだ!」とわめいたエピソードもある。
こういう一方的な裁判めいたものは、以前学校に勤務していたときに実際に受けたことがあるので、ひとごととは思えない(あれはひどい体験だった。学校が好きな僕が、それを機に学校や教育というものにすっかり絶望してしまったんだから)。フライスラー本人の写真も映画での演技も、その悪役ぶりはすさまじい。
彼は1942年から死ぬまでに2295人に死刑判決を下した。
「フライスラーは、1945年2月3日に死亡したその日も、同じことをしている最中だった。公判の休憩中に、ベルリンの激しい空爆で爆弾の破片に当たり、フライスラーは死んだ」
この本はゾフィー、ハンス、プロープストがギロチンで処刑された2月22日に読みはじめた。プロープストなんか、ぜんぜん死刑にあたいしない罪だったのに、みせしめとして殺されたのである。無関心でいても殺されるだけなのだ。たまには政治のことも考えようっと。
昨日のイベントで野田氏からGETした桃吐マキル+福耳ノアルの『森繁ダイナミック』が面白かった。森繁はすべての男に避けられても「地球の男に飽きたところよ!」と開きなおるのだ。森繁は墓場から這い出てきて、トーストくわえながら「あ〜ン、遅刻しちゃう」と言うのだ。森繁は生理の経血が多いのをごまかすために、血を全身に塗って「やられた〜!」と血みどろの姿になるのだ。
こういう場合はこう、といつのまにか自分で可能性を狭めがちな最近、こういうエネルギーを見るのは、すごく元気づけられる。
読んだ本はフレート・ブライナースドルファー編の『「白バラ」尋問調書』
1942年夏から1943年にかけてナチスドイツ下で「白バラ」抵抗運動が行われた。
その内容はビラ配付(知識人に読まれることを目的としていた)と街中での落書(「自由」「打倒ヒトラー」ハーケンクロイツに×点)で、消極的抵抗、つまりサボタージュを訴えた。
今考えてみると、ビラや落書きで死刑にまでなるなんて信じられないが、それだけ、影響力があったということなのだろうか。
ビラを読むかぎりでは、次のようなところから引用がされていて、これはインテリでないと読む気も起こらない感じだ。
フリードリヒ・シラー『リュクルゴスとソロンの立法』、ゲーテ『エピメニデスの目覚め』、老子、アリストテレス『政治学』、聖書、ノヴァーリス。
そして、こう訴える。
「今日のわれわれの『国家』は、悪の独裁制である。『そんなことはみんなとっくに知っている』という諸君の反論が聞こえる。『そのことをあらためて非難される筋合いはない』と。しかし、私は諸君に問いたい。もし知っているのなら、なぜ動かないのか」(3番目のビラ)
以下、目次
第1章 「白バラ」のビラ
1
2
3
4
ドイツ抵抗運動のビラ
最後のビラ
1943年1月28/29日のクリストフ・プロープストのビラの草稿
第2章 「自由!」−「白バラ」小史、その最期から遡る/ウルリヒ・ショシー
スターリングラードと「総力戦」−帝国に不穏な空気が立ちこめ、ミュンヘンでは騒ぎが起こる
捜査と憶測−ゲシュタポの捜査
「夜は自由なる者の友」−活動する「白バラ」
吹き抜けホールの最後のビラ−逮捕
調書と告白−ゲシュタポでの尋問
処刑人の前に毅然と立つ−クリストフ・プロープスト、ハンス・ショル、ゾフィー・ショルに対するフライスラーの司法殺人
「白バラ」の仲間たちの運命と彼らが遺したもの
第3章 バイオグラフィー・メモ/ウルリヒ・ショシー
ハンス・ショル
アレクサンダー・シュモレル
クリストフ・プロープスト
ゾフィー・ショル
ヴィリー・グラーフ
クルト・フーバー
エルゼ・ゲーベル
ローベルト・モーア
ローランド・フライスラー
第4章 「白バラ」メンバーの尋問調書/ゲルト・R・ユーバーシュア
ゲシュタポの一次史料について
ゾフィー・ショルの取り調べ
ハンス・ショルの取り調べ
クリストフ・プロープストの取り調べ
アレクサンダー・シュモレルの取り調べ
第4章の尋問調書はベルリンの壁崩壊以降に発掘され、本書によってはじめて公開された。
それを読むと、取り調べにおいて各メンバーが事実を明らかにしながらも無関係の人間を巻き込まぬように気を配っているのがよくわかる。
この調書によると、抵抗運動をはじめた理由は次のとおり。
「東部戦線での敗北後の軍事的な状況や、イギリスとアメリカの軍事力が途方もない勢いで教化されたことから、我が国が勝利をもって終戦を迎えることができるとは思えなくなり、苦しみ抜いていろいろと考えた末、ヨーロッパの理想を持ち続けることができる道は、一つしかないと考えるにいたりました。それはつまり、戦争を早く終わらせることです」(ハンス・ショル)
また、「白バラ」の由来については、こう言っている。
「『白バラ』という名は無作為に選んだものです。説得力あるプロパガンダには、何か決まった概念がなくてはならない。それ自体は何の意味ももたず、響きがよくて、しかもある基本計画がその背後にあるものでなくてはならないと思いました。ちょうどその時、ブレンターノの『ローサ・ブランカ(白バラ)』というスペインの物語詩に感銘を受けていたので、その名前を気分で選んだのかもしれません。イギリス史に出てくる『白バラ』とは全く関係ありません」(ハンス・ショル)
白バラメンバーが、それぞれ運動に加わる動機も明かされている。
ヒトラーユーゲントに入り、非政治的な人間だったクリストフ・プロープストが参加した大きな動機は、鬱!
「スターリングラードの戦況が、わが軍に不利な状況に陥った一時期、私は、ドイツ指導部に対する信頼を失いました。私の精神的なダメージは、当時私の妻が重い病気にかかったことで、いっそうひどくなりました」(クリストフ・プロープスト)
「その草稿を書いた夜は、私は精神的にひどい鬱状態でした。その原因は東部戦線でのできごとにもありましたが、それ以上に妻の重い病気にありました。私の神経は非常に張りつめた状態にあって、その夜は何とかして発散させずにはいられないほどの状況でした。ですから、私はあまり深く考えずに自分の思いつきを書き記しました」(クリストフ・プロープスト)
また、ドイツ人の父とロシア人の母をもつアレクサンダー・シュモレルは、ロシアに対する愛情から、この戦争を早期に終わらせることを願う。
「私にとってドイツとロシアの戦争は非常に大きな心痛となりました。ですから、私はこの戦いが何らかの方法でできるだけ終結に向かえばいいのにと思っています」(アレクサンダー・シュモレル)
「私が何かしなくてはならないと動かされたのは、この二つのことからです。つまり、ひとつには、ドイツ国民を、広範な領土征服と、さらなる対立がもたらす危険から守るため、今ひとつは、ロシアの大規模な国土の喪失を防ぐためです」(アレクサンダー・シュモレル)
本書は映画「白バラの祈り」の制作の記録の資料編である。
第3章のバイオグラフィー・メモにあげられたエルゼ・ゲーベル(ゲシュタポ留置場でゾフィーと同じ房に入っていた)、ローベルト・モーア(ゲシュタポ本部の検察事務官)、ローランド・フライスラー(民族裁判所長官)が映画のなかでも重要な役割を演じていたのを思い出す。
ローベルト・モーアは、ゾフィーを尋問して追い詰めるが、なんとか命だけは救おうと逃げ道を用意する。
ローランド・フライスラーが長官をつとめた民族裁判所では、予備捜査抜きで、被告が有利になるような証拠の提出申請は無視された。彼は法廷でここではどんな法にも審理規則にも縛られないと豪語した。法典を放り投げて「法などわれわれには必要ない!われわれに反逆する者は根絶されるのだ!」とわめいたエピソードもある。
こういう一方的な裁判めいたものは、以前学校に勤務していたときに実際に受けたことがあるので、ひとごととは思えない(あれはひどい体験だった。学校が好きな僕が、それを機に学校や教育というものにすっかり絶望してしまったんだから)。フライスラー本人の写真も映画での演技も、その悪役ぶりはすさまじい。
彼は1942年から死ぬまでに2295人に死刑判決を下した。
「フライスラーは、1945年2月3日に死亡したその日も、同じことをしている最中だった。公判の休憩中に、ベルリンの激しい空爆で爆弾の破片に当たり、フライスラーは死んだ」
この本はゾフィー、ハンス、プロープストがギロチンで処刑された2月22日に読みはじめた。プロープストなんか、ぜんぜん死刑にあたいしない罪だったのに、みせしめとして殺されたのである。無関心でいても殺されるだけなのだ。たまには政治のことも考えようっと。
2月の日記は、次のとおり。
2008年2月29日 日本SF・幼年期の終り―「世界SF全集」月報より、FLY...Hard pop 2@saomai
2008年2月28日 昭和前期の青春―山田風太郎エッセイ集成
2008年2月27日 喪男の哲学史 (現代新書ピース)
2008年2月26日 イスラームと西洋―ジャック・デリダとの出会い、対話
2008年2月25日 刑務所の中、エビータ、クラッシュ、地上より永遠に
2008年2月24日 Girls Panic〜IDOL〜、わたしは血 (le livre de luciole (62))
2008年2月23日 メアリーエンジェル@ストークマイティ、ミクロコスモス I
2008年2月22日 HELP!バレンタインだよ全員自決!、間暮警部の事件簿 マグレと都市伝説
2008年2月21日 扉は閉ざされたまま (ノン・ノベル)
2008年2月20日 紙魚家崩壊 九つの謎
2008年2月19日 ハズバンド (ハヤカワ文庫 NV ク 6-5)
2008年2月18日 チャレンジ・キッズ
2008年2月17日 H@chi卒業ライブ@石山ユーストン
2008年2月16日 Marry Dollストリートライブ@オタロード
2008年2月14日 美しい暦、海抜0米
2008年2月13日 アンダーワールド
2008年2月12日 さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)
2008年2月11日 STSライブin FANJ〜ミルキーハットSt.Valentine’s Day Live、BEHIND THE WALL
2008年2月10日 宍戸留美アコースティックライブ、ミラー・ウォーズ、ヒストリー・オブ・バイオレンス、『奇想科学の冒険』
2008年2月9日 サッドヴァケイション、河童のクゥと夏休み、長江哀歌、グミチョコレートパイン(チョコ編)
2008年2月8日 宍戸留美・西泰幸写真展「君が僕を知ってる」〜Redemption、グレゲリーア抄
2008年2月7日 遠い遠い街角
2008年2月6日 ローランド・サウンド・スパーク、殺人の門
2008年2月5日 ルビアンの秘密 (ミステリーYA!)
2008年2月4日 パンズ・ラビリンス、ボーン・アルティメイタム〜朝日放送テレビ収録
2008年2月3日 Candy Pop Beat in LABI1なんば〜銀色の髪のアギト
2008年2月2日 ペロキャンファイナルライブ「スマイル:)」〜Girls Panic
2008年2月1日 グミ・チョコレート・パイン、ステーションの奥の奥 (ミステリーランド)
ろくに書けていない日も多い。
で、印象に残ったのをあげてみると。
読書:『わたしは血』ヤン・ファーブルかな?
映画:パンズ・ラビリンス
ライブ:HELP!バレンタインだよ全員自決
2月は途中から風邪をひいて咳がひどく、ろくに趣味に時間を費やせなかった感がある。
3月はどうなるのかな?
2008年2月29日 日本SF・幼年期の終り―「世界SF全集」月報より、FLY...Hard pop 2@saomai
2008年2月28日 昭和前期の青春―山田風太郎エッセイ集成
2008年2月27日 喪男の哲学史 (現代新書ピース)
2008年2月26日 イスラームと西洋―ジャック・デリダとの出会い、対話
2008年2月25日 刑務所の中、エビータ、クラッシュ、地上より永遠に
2008年2月24日 Girls Panic〜IDOL〜、わたしは血 (le livre de luciole (62))
2008年2月23日 メアリーエンジェル@ストークマイティ、ミクロコスモス I
2008年2月22日 HELP!バレンタインだよ全員自決!、間暮警部の事件簿 マグレと都市伝説
2008年2月21日 扉は閉ざされたまま (ノン・ノベル)
2008年2月20日 紙魚家崩壊 九つの謎
2008年2月19日 ハズバンド (ハヤカワ文庫 NV ク 6-5)
2008年2月18日 チャレンジ・キッズ
2008年2月17日 H@chi卒業ライブ@石山ユーストン
2008年2月16日 Marry Dollストリートライブ@オタロード
2008年2月14日 美しい暦、海抜0米
2008年2月13日 アンダーワールド
2008年2月12日 さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)
2008年2月11日 STSライブin FANJ〜ミルキーハットSt.Valentine’s Day Live、BEHIND THE WALL
2008年2月10日 宍戸留美アコースティックライブ、ミラー・ウォーズ、ヒストリー・オブ・バイオレンス、『奇想科学の冒険』
2008年2月9日 サッドヴァケイション、河童のクゥと夏休み、長江哀歌、グミチョコレートパイン(チョコ編)
2008年2月8日 宍戸留美・西泰幸写真展「君が僕を知ってる」〜Redemption、グレゲリーア抄
2008年2月7日 遠い遠い街角
2008年2月6日 ローランド・サウンド・スパーク、殺人の門
2008年2月5日 ルビアンの秘密 (ミステリーYA!)
2008年2月4日 パンズ・ラビリンス、ボーン・アルティメイタム〜朝日放送テレビ収録
2008年2月3日 Candy Pop Beat in LABI1なんば〜銀色の髪のアギト
2008年2月2日 ペロキャンファイナルライブ「スマイル:)」〜Girls Panic
2008年2月1日 グミ・チョコレート・パイン、ステーションの奥の奥 (ミステリーランド)
ろくに書けていない日も多い。
で、印象に残ったのをあげてみると。
読書:『わたしは血』ヤン・ファーブルかな?
映画:パンズ・ラビリンス
ライブ:HELP!バレンタインだよ全員自決
2月は途中から風邪をひいて咳がひどく、ろくに趣味に時間を費やせなかった感がある。
3月はどうなるのかな?
ISBN:4152088478 単行本 早川書房編集部 早川書房 2007/08/25 ¥1,785
『日本SF・幼年期の終わり』を読んだ。早川書房の『世界SF全集』の月報からチョイスされた文章で1冊を編んだ本。
こういうのを読むと、初心にかえる、というか、ワクワクした気持が甦って楽しい。
以下、目次。
はじめに/森優
Part1 Essays by Japanese Authors
本能と理性/星新一
もしもSFがなかったら/筒井康隆
SF雑感/眉村卓
無上の世界への感動と不安/光瀬龍
人類公害/平井和正
私は前座/半村良
SFに憑かれて/矢野徹
書きたい小説/石川喬司
Part2 Essays on Author
星さんとぼく/真鍋博
ピザロの白鳥的怪物/手塚治虫
卓さんのこと/藤本義一
光瀬龍の空間と時間/尾崎秀樹
安部公房さんのことも入ってます/石森章太郎
ヴォクトを読んだころ/都筑道夫
ブラッドベリ雑感/三木卓
『トリフィドの日』に出あった日/浅倉久志
Part3 Essays on Science Fiction
見果てぬ夢/福島正実
推理小説とSF/佐野洋
さらに飛躍を/生島治郎
SF漫画の現状/水野良太郎
未来社会の犯罪学/小鷹信光
空想科学漫画的回顧録/松本零士
ロボットの奉仕と反逆/石原藤夫
SF雑感/松谷健二
由無し言/谷川俊太郎
星の海を超えて/団精二
Part4 Essays on World Science Fiction
アスタウンディング誌と私/野田昌宏
イギリスSFの系譜/伊藤典夫
バルジャベルとフランスSF/榊原晃三
SFの文学的可能性/三輪秀彦
ドイツのSF/金森誠也
現代ポーランド文学とレム/吉上昭三
ソ連SF前史/飯田規和
ソ連SFを集める苦労/深見弾
あの頃のこと/石川喬司
こうして見ると、物故者の多いこと!
時代を感じさせる。
このSF全集の作品自体、僕はあまり読めていないうえに、パート4の世界のSFになると、未踏の分野だとしか形容のしようがない。
僕はSFのまったくの初心者なのだ。
まだ読んでいない名作、傑作が山ほど残っているかと思うと、興奮して眠れない。
と、いうわけで、saomaiのオールナイトイベントに行ってきた。
FLY Hard pop 2 午後11時open/start
11時過ぎに行ったら、オープニングアクトの秘密飛行船団が今まさにはじまるところだった。
秘密飛行船団(フレンチなテイストとか、小説朗読の文芸POP)、
A.C.E.(簡略版。コスチュームの白マスクが、僕のマスクとかぶり、感染したかに見える。マスクが感染するとは、何という皮肉!)、
thumm(かつてELOやボストンは、シンセサイザーを使わないことをモットーにエレポップ並の音楽を実現させていた。それは明らかに無理があると見えたが、このthummは自然な感じだった)、
松前公高(ライブは指先で起こっている!)、
東京ピーチ(ジャンポール!)
DJにはLOVE BEACHのアキイ君が80年代豪速球どまんなか投げてきたり、WADA the Vampire!が渋い選曲見せたりして、面白かった。
途中、ABCラジオで「ハロプロやねん」聞くために外に出た以外は、ずっと音楽づけで、こんなに音楽に浸っていたのは久しぶりだった。
やっぱり、人間、音楽聞いているといろんなパワーを得るね!
『日本SF・幼年期の終わり』を読んだ。早川書房の『世界SF全集』の月報からチョイスされた文章で1冊を編んだ本。
こういうのを読むと、初心にかえる、というか、ワクワクした気持が甦って楽しい。
以下、目次。
はじめに/森優
Part1 Essays by Japanese Authors
本能と理性/星新一
もしもSFがなかったら/筒井康隆
SF雑感/眉村卓
無上の世界への感動と不安/光瀬龍
人類公害/平井和正
私は前座/半村良
SFに憑かれて/矢野徹
書きたい小説/石川喬司
Part2 Essays on Author
星さんとぼく/真鍋博
ピザロの白鳥的怪物/手塚治虫
卓さんのこと/藤本義一
光瀬龍の空間と時間/尾崎秀樹
安部公房さんのことも入ってます/石森章太郎
ヴォクトを読んだころ/都筑道夫
ブラッドベリ雑感/三木卓
『トリフィドの日』に出あった日/浅倉久志
Part3 Essays on Science Fiction
見果てぬ夢/福島正実
推理小説とSF/佐野洋
さらに飛躍を/生島治郎
SF漫画の現状/水野良太郎
未来社会の犯罪学/小鷹信光
空想科学漫画的回顧録/松本零士
ロボットの奉仕と反逆/石原藤夫
SF雑感/松谷健二
由無し言/谷川俊太郎
星の海を超えて/団精二
Part4 Essays on World Science Fiction
アスタウンディング誌と私/野田昌宏
イギリスSFの系譜/伊藤典夫
バルジャベルとフランスSF/榊原晃三
SFの文学的可能性/三輪秀彦
ドイツのSF/金森誠也
現代ポーランド文学とレム/吉上昭三
ソ連SF前史/飯田規和
ソ連SFを集める苦労/深見弾
あの頃のこと/石川喬司
こうして見ると、物故者の多いこと!
時代を感じさせる。
このSF全集の作品自体、僕はあまり読めていないうえに、パート4の世界のSFになると、未踏の分野だとしか形容のしようがない。
僕はSFのまったくの初心者なのだ。
まだ読んでいない名作、傑作が山ほど残っているかと思うと、興奮して眠れない。
と、いうわけで、saomaiのオールナイトイベントに行ってきた。
FLY Hard pop 2 午後11時open/start
11時過ぎに行ったら、オープニングアクトの秘密飛行船団が今まさにはじまるところだった。
秘密飛行船団(フレンチなテイストとか、小説朗読の文芸POP)、
A.C.E.(簡略版。コスチュームの白マスクが、僕のマスクとかぶり、感染したかに見える。マスクが感染するとは、何という皮肉!)、
thumm(かつてELOやボストンは、シンセサイザーを使わないことをモットーにエレポップ並の音楽を実現させていた。それは明らかに無理があると見えたが、このthummは自然な感じだった)、
松前公高(ライブは指先で起こっている!)、
東京ピーチ(ジャンポール!)
DJにはLOVE BEACHのアキイ君が80年代豪速球どまんなか投げてきたり、WADA the Vampire!が渋い選曲見せたりして、面白かった。
途中、ABCラジオで「ハロプロやねん」聞くために外に出た以外は、ずっと音楽づけで、こんなに音楽に浸っていたのは久しぶりだった。
やっぱり、人間、音楽聞いているといろんなパワーを得るね!
昭和前期の青春―山田風太郎エッセイ集成
2008年2月28日 読書
ISBN:4480814922 単行本 日下 三蔵 筑摩書房 2007/10 ¥1,890
山田風太郎のエッセイ集成『昭和前期の青春』を読んだ。日下三蔵編。
山田風太郎によると、敗戦の昭和20年を境に昭和は前期と後記にわかれる、という。
前期は悲惨でむちゃくちゃ。後記は平和で幸せな時代。
ただ、この昭和20年までの「前期」は黒船、明治維新から続く1つの時代だとの認識で、太平洋戦争に負けた昭和の日本、軍隊を否定するなら、明治維新からの歴史を否定することになる、ということだ。
本書は3部にわかれている。1部は生い立ちなど。2部は太平洋戦争関連。3部は『同日同刻』に収められなかった、日々のサンプリング。
以下、目次。
1、私はこうして生まれた
中学生と映画
雨の国
故里と酒
退屈な古典を乱読
解剖風景
二十歳の原点
眼前に死があったから本を読んだ
帰らぬ六部
私はこうして生まれた
忘れられない本
停学
昭和六年の話
停学覚悟の大冒険
遠い日の関宮
新「古事記」時代
上方の味
郊外の丘の上から
僕の危機一髪物語
私の暗愁の時代
父のひざ
少年倶楽部の想い出
2、太平洋戦争私観
太平洋戦争、気ままな”軍談”
愚行の追試
気の遠くなる日本人の一流意識
太平洋戦争私観−「戦中派」の本音とたてまえ
「戦中派不戦日記」から三十五年
昭和前期の青春
私の記念日
私と昭和
一閃の大帝
太平洋戦争とは何だったのか
自作再見−『戦中派不戦日記』
戦時下の「青鉛筆」
もうひとつの「若しもあのとき物語」
3、ドキュメント
ドキュメント・1945年5月
山田風太郎略年譜
巻頭の「中学生と映画」は著者が中学生時代の原稿で、山田風太郎というペンネームを使った最初の作品になる。
戦争をことさらに悲惨に描いているわけでもないのに、やはり戦争に関するエッセイを読むと、息がつまる思いをする。ひょうひょうとはしているが、同時に生き生きともしているので、それが「青春」ともとれ、また息苦しさにもなるのだ。
昭和後期に若者がインスタントラーメンばかり食べて栄養失調になったニュースに、山田風太郎は憤慨する。戦時下でインスタントラーメンが食べれたら、それでモリモリ元気が出て敵に立ち向かっただろう、というのだ。
確かに。
日本国民が痩せることに血眼になっている現代は、戦時下から考えれば、冗談にしか思えないだろう。
そんな文章を読むと、体のためにダイエットしよう、とか、インスタントやファストフードは少なめにしよう、なんて気が起こらなくなってしまう。いや、最初からあまりそんなつもりはないのだが、いつか生活環境を見直そう、なんて面白くもないことを考えてる自分もいて、それが多少の重荷にもなっていたのだ。いい口実を見つけたものだ。僕がジャンクフードで肉体を肥え太らせているのは、いざというときのための蓄え、ラクダのコブなのだ、と。
山田風太郎のエッセイ集成『昭和前期の青春』を読んだ。日下三蔵編。
山田風太郎によると、敗戦の昭和20年を境に昭和は前期と後記にわかれる、という。
前期は悲惨でむちゃくちゃ。後記は平和で幸せな時代。
ただ、この昭和20年までの「前期」は黒船、明治維新から続く1つの時代だとの認識で、太平洋戦争に負けた昭和の日本、軍隊を否定するなら、明治維新からの歴史を否定することになる、ということだ。
本書は3部にわかれている。1部は生い立ちなど。2部は太平洋戦争関連。3部は『同日同刻』に収められなかった、日々のサンプリング。
以下、目次。
1、私はこうして生まれた
中学生と映画
雨の国
故里と酒
退屈な古典を乱読
解剖風景
二十歳の原点
眼前に死があったから本を読んだ
帰らぬ六部
私はこうして生まれた
忘れられない本
停学
昭和六年の話
停学覚悟の大冒険
遠い日の関宮
新「古事記」時代
上方の味
郊外の丘の上から
僕の危機一髪物語
私の暗愁の時代
父のひざ
少年倶楽部の想い出
2、太平洋戦争私観
太平洋戦争、気ままな”軍談”
愚行の追試
気の遠くなる日本人の一流意識
太平洋戦争私観−「戦中派」の本音とたてまえ
「戦中派不戦日記」から三十五年
昭和前期の青春
私の記念日
私と昭和
一閃の大帝
太平洋戦争とは何だったのか
自作再見−『戦中派不戦日記』
戦時下の「青鉛筆」
もうひとつの「若しもあのとき物語」
3、ドキュメント
ドキュメント・1945年5月
山田風太郎略年譜
巻頭の「中学生と映画」は著者が中学生時代の原稿で、山田風太郎というペンネームを使った最初の作品になる。
戦争をことさらに悲惨に描いているわけでもないのに、やはり戦争に関するエッセイを読むと、息がつまる思いをする。ひょうひょうとはしているが、同時に生き生きともしているので、それが「青春」ともとれ、また息苦しさにもなるのだ。
昭和後期に若者がインスタントラーメンばかり食べて栄養失調になったニュースに、山田風太郎は憤慨する。戦時下でインスタントラーメンが食べれたら、それでモリモリ元気が出て敵に立ち向かっただろう、というのだ。
確かに。
日本国民が痩せることに血眼になっている現代は、戦時下から考えれば、冗談にしか思えないだろう。
そんな文章を読むと、体のためにダイエットしよう、とか、インスタントやファストフードは少なめにしよう、なんて気が起こらなくなってしまう。いや、最初からあまりそんなつもりはないのだが、いつか生活環境を見直そう、なんて面白くもないことを考えてる自分もいて、それが多少の重荷にもなっていたのだ。いい口実を見つけたものだ。僕がジャンクフードで肉体を肥え太らせているのは、いざというときのための蓄え、ラクダのコブなのだ、と。
喪男の哲学史 (現代新書ピース)
2008年2月27日 読書
ISBN:4062137763 単行本 本田 透 講談社 2006/12/20 ¥1,890
本田透の『喪男の哲学史』を読んだ。
以下、目次
序章 喪男とは何か
「モテ」の思想「喪」の思想/本当の哲学とは「モテない苦悩」から始まる/一元論という「王様の世界観」/映画「マトリックス」のネオもまた喪男哲学者である
第1章 世捨て人の出現
1、女からの「解脱」を説いた喪男ブッダ
なぜカースト制度が存在するか/ブッダの「悟り」と「電波男」/「モテの魔の手」と「護身」/人類史上最強の喪男/哲学の普及を阻む「組織化」「カリスマ化」「体系化」の三点セット/喪男哲学は現実への本物の怒りと悲しみから生まれる/「モテ」の欲望からの脱却を説いたブッダ
2、「現実こそが偽物」プラトンのイデア論
外見も発言も「喪」そのものだった師ソクラテス/「現実」のほかに真実の世界はある/現実こそがイデアの影/イデアという脳内世界の発見/プラトンの理想郷はアキバである/萌え哲学を創始したプラトン/解脱系思考の東洋とユートピア的二元論の西洋
3、ジーザス・キモイスト・喪男スター
ユダヤ教的な価値観をひっくり返した/神の愛/性愛と萌えを完全分離/「ダ・ヴィンチ・コード」がバチカンの怒りを買ったわけ/二元論をユダヤ教世界に持ち込む/キリスト教でも組織化が始まる/女性に厳しかった喪男宗教/喪男哲学から喪男宗教への変異
第2章 科学の誕生
1、科学はデカルトに始まる
押井守は「イノセンス」で何を語ったのか/世界は精神と物体の二種類でできている/心理とは「モテない」ものである/共通感覚/世界とは、モノにすぎない/人間機械論とデカルトの萌え伝説/科学によって理想の女性を作り出そう
2、リラダンの人形萌え
人形萌えの名作、リラダンの『未来のイブ』/世界も人間関係も不安定に
第3章 恋愛と資本主義
1、喪男芸術家 ダンテからゲーテへ
恋愛の登場/脳内に萌えの世界を発見したダンテ/萌え逃げの達人ゲーテ/ファウストの行き着いた先
2、カントからヘーゲルの「セカイ系哲学」へ
三次元世界もまた精神の生み出したものである/カントの理性主義/過激化する喪男哲学者たち/カントの観念論を全世界に拡張したヘーゲル/喪男の時代に現れた「絶対精神」
3、ヘーゲルの「セカイ系哲学」と、キルケゴールの「キモイ系哲学」
「俺がモテない現実をなんとかしろ」/ヘーゲルがモテに転じて/組織化はすべてごまかしだ/「乙女化」の先駆者アンデルセン
4、恋愛をも放棄した喪男ニーチェの崩壊
新しすぎて当時の哲学界からは無視される/ヘーゲル哲学よりいまの現実/恋愛と贅沢と資本主義/ショーペンハウエルの厭世主義/最初に哲学史を喪男の歴史として語ったニーチェ/神の代わりに永劫回帰を唱える/超人という「俺萌え」の道/女に捨てられ「超人」宣言
第4章 国家萌えと鬼畜
1、鬼畜哲学と喪男政治 喪男集団ナチス
ニーチェからナチスへ/生きたまま萌えキャラになったヒトラー/二次元で失敗し三次元の世界へ/近代国家と民族という幻想/二次元男が権力を握ってしまった悲劇/ヒトラーが登場した「時代の気分」/ニーチェは個人の闘争、ヒトラーは国家の闘争/「萌え」と「鬼畜」/喪男たちによる革命/ヒトラーが死んで「国家萌え」も終わった/キモメンたちが作ったイケメン王国/メディアによる大衆支配システム/自分のルサンチマンを他者に押し付けた悲劇
2、マルクス主義は喪ルクス主義
唯物史観と喪男問題/喪男革命宣言/二次元を無視して失敗/国家は喪男を救えなかった/哲学の終わり/モテない苦しみから世界を語る
第5章 喪男の精神に分け入る
1、フロイトの精神分析
デカルトとカントの二元論/ヘーゲルとマルクスの一元論/精神を二元論で捉えたフロイト/人間社会を発達させたエスの衝動/死の苦悩からいかに逃れるか/キリスト教も近代西洋も苦悩は救えなかった/人間は生まれつきみんな変態だ/超自我で人は世界と繋がる/エロスとタナトス/自分で自分を救う方法を持たせようとしたフロイト
2、哲学の終焉と「共同幻想」
政治の季節が終わり恋愛の時代へ/恋愛資本主義時代の哲学/唯脳論の登場/二次元による自己救済/自我を支える装置の歴史
第6章 文化は喪男が作り出す
1、哲学の仕事は「脳科学」と「物理学」に引き継がれた
「言語の体系」としての哲学は第二次世界大戦で終わった/物理学という新たな哲学/三次元も脳内現象である/恋愛資本主義の不毛/人は三次元と二次元を生きる二元的生物
2、日本で「仮想」=オタク文化が隆盛になった理由とその必然性
戦争に負けて三次元の虚しさを知る/手塚マンガの辿った道/二次元が自我安定装置として機能/脳内二次元がネットワーク化される時代
すごいですね。目次を読んだだけで、だいたい何が書いてあるのか思い出せてしまいますね。喪男というのは、独身者というのと似通った概念なので、オタク趣味と縁遠い人でも特別珍奇な発想というわけではないでしょう。まあ、外見にあれだけ拘泥する議論は独身者ではあまりなされなかったでしょうが。
実はこの本は1年くらい前に読みはじめて、「面白い、面白い」と読み進めていたんですが、ヒトラーとか国家萌えのあたりで、作者がこっちの予想以上に本気なのが伝わってきて、ええと、はっきり言えばしんどくなって途中でおいてたのです。
今回、最初から読み直して感じたのも、第4章あたりからの熱気で、風邪で熱があったせいかもしれないと疑いながら、ここを越えればゴールは近い、と自らにムチを打ち、心臓破りの「国家萌え」を乗り切ったのです。
非常に読みやすくてわかりやすい哲学史で、たとえにゲームやアニメがふんだんに使われ、哲学が決して雲の上のジャーゴンではないことを教えてくれます。
たとえば、よく使われていたのが「これは〜ではありません」という言い回しで、哲学をオタクのアイテムに引き寄せる書き方が、これが実に効果的でした。
いくつか引用してみると。
プラトンの『饗宴』
「ここで、『永遠』という概念が出てきます。恋愛とは永遠への憧れ、不死への憧れであると。これはTacticsのPCゲーム『ONE〜輝く季節へ〜』の話ではありません」
デカルトの共通感覚
「これは有明のコミックマーケットの世界を論じているのではありません。デカルトは全人類が同じイデア界を共有しているはずだと考えたのです」
リラダンの『未来のイブ』
「困ったエワルドは、なんと、エジソン博士に頼んで、人造美少女人形を作ってもらうのです!
エジソンかよっ!
これはコミケで売られている十八禁同人マンガのあらすじではありません」
ゲーテの『ファウスト』
「古くから伝わっていた民間説話のファウストは地獄へ落ちましたが、ゲーテはグレートヒェンという萌えキャラの愛によってファウストは救済されたと考えたのです。愛が、奇蹟を起こしたのです。
これはKeyの泣きゲーのシナリオの話ではありません」
フロイト
「フロイトによれば幼い子供にもちゃんと『小児性欲』があるというのです。これは梶原一騎の『カラテ地獄変』の話ではありません」
まだあったけど、まあ、これくらいで。
わかりやすさは半端じゃなく、この本を読んで、今まで専門書を読んでなんとなく理解していたつもりだったことが、コトンと胸に落ちる実感を得た部分もあります。
既に哲学書を何冊も読んで、本書でとりあげられる哲学などわかりきっている人には、本書は単なるわるふざけにしか見えないかもしれませんが、僕は悪ふざけが大好きなのです。
いつもとこの日記の文体が違っているのには、あまり意味はありません。
本田透の『喪男の哲学史』を読んだ。
以下、目次
序章 喪男とは何か
「モテ」の思想「喪」の思想/本当の哲学とは「モテない苦悩」から始まる/一元論という「王様の世界観」/映画「マトリックス」のネオもまた喪男哲学者である
第1章 世捨て人の出現
1、女からの「解脱」を説いた喪男ブッダ
なぜカースト制度が存在するか/ブッダの「悟り」と「電波男」/「モテの魔の手」と「護身」/人類史上最強の喪男/哲学の普及を阻む「組織化」「カリスマ化」「体系化」の三点セット/喪男哲学は現実への本物の怒りと悲しみから生まれる/「モテ」の欲望からの脱却を説いたブッダ
2、「現実こそが偽物」プラトンのイデア論
外見も発言も「喪」そのものだった師ソクラテス/「現実」のほかに真実の世界はある/現実こそがイデアの影/イデアという脳内世界の発見/プラトンの理想郷はアキバである/萌え哲学を創始したプラトン/解脱系思考の東洋とユートピア的二元論の西洋
3、ジーザス・キモイスト・喪男スター
ユダヤ教的な価値観をひっくり返した/神の愛/性愛と萌えを完全分離/「ダ・ヴィンチ・コード」がバチカンの怒りを買ったわけ/二元論をユダヤ教世界に持ち込む/キリスト教でも組織化が始まる/女性に厳しかった喪男宗教/喪男哲学から喪男宗教への変異
第2章 科学の誕生
1、科学はデカルトに始まる
押井守は「イノセンス」で何を語ったのか/世界は精神と物体の二種類でできている/心理とは「モテない」ものである/共通感覚/世界とは、モノにすぎない/人間機械論とデカルトの萌え伝説/科学によって理想の女性を作り出そう
2、リラダンの人形萌え
人形萌えの名作、リラダンの『未来のイブ』/世界も人間関係も不安定に
第3章 恋愛と資本主義
1、喪男芸術家 ダンテからゲーテへ
恋愛の登場/脳内に萌えの世界を発見したダンテ/萌え逃げの達人ゲーテ/ファウストの行き着いた先
2、カントからヘーゲルの「セカイ系哲学」へ
三次元世界もまた精神の生み出したものである/カントの理性主義/過激化する喪男哲学者たち/カントの観念論を全世界に拡張したヘーゲル/喪男の時代に現れた「絶対精神」
3、ヘーゲルの「セカイ系哲学」と、キルケゴールの「キモイ系哲学」
「俺がモテない現実をなんとかしろ」/ヘーゲルがモテに転じて/組織化はすべてごまかしだ/「乙女化」の先駆者アンデルセン
4、恋愛をも放棄した喪男ニーチェの崩壊
新しすぎて当時の哲学界からは無視される/ヘーゲル哲学よりいまの現実/恋愛と贅沢と資本主義/ショーペンハウエルの厭世主義/最初に哲学史を喪男の歴史として語ったニーチェ/神の代わりに永劫回帰を唱える/超人という「俺萌え」の道/女に捨てられ「超人」宣言
第4章 国家萌えと鬼畜
1、鬼畜哲学と喪男政治 喪男集団ナチス
ニーチェからナチスへ/生きたまま萌えキャラになったヒトラー/二次元で失敗し三次元の世界へ/近代国家と民族という幻想/二次元男が権力を握ってしまった悲劇/ヒトラーが登場した「時代の気分」/ニーチェは個人の闘争、ヒトラーは国家の闘争/「萌え」と「鬼畜」/喪男たちによる革命/ヒトラーが死んで「国家萌え」も終わった/キモメンたちが作ったイケメン王国/メディアによる大衆支配システム/自分のルサンチマンを他者に押し付けた悲劇
2、マルクス主義は喪ルクス主義
唯物史観と喪男問題/喪男革命宣言/二次元を無視して失敗/国家は喪男を救えなかった/哲学の終わり/モテない苦しみから世界を語る
第5章 喪男の精神に分け入る
1、フロイトの精神分析
デカルトとカントの二元論/ヘーゲルとマルクスの一元論/精神を二元論で捉えたフロイト/人間社会を発達させたエスの衝動/死の苦悩からいかに逃れるか/キリスト教も近代西洋も苦悩は救えなかった/人間は生まれつきみんな変態だ/超自我で人は世界と繋がる/エロスとタナトス/自分で自分を救う方法を持たせようとしたフロイト
2、哲学の終焉と「共同幻想」
政治の季節が終わり恋愛の時代へ/恋愛資本主義時代の哲学/唯脳論の登場/二次元による自己救済/自我を支える装置の歴史
第6章 文化は喪男が作り出す
1、哲学の仕事は「脳科学」と「物理学」に引き継がれた
「言語の体系」としての哲学は第二次世界大戦で終わった/物理学という新たな哲学/三次元も脳内現象である/恋愛資本主義の不毛/人は三次元と二次元を生きる二元的生物
2、日本で「仮想」=オタク文化が隆盛になった理由とその必然性
戦争に負けて三次元の虚しさを知る/手塚マンガの辿った道/二次元が自我安定装置として機能/脳内二次元がネットワーク化される時代
すごいですね。目次を読んだだけで、だいたい何が書いてあるのか思い出せてしまいますね。喪男というのは、独身者というのと似通った概念なので、オタク趣味と縁遠い人でも特別珍奇な発想というわけではないでしょう。まあ、外見にあれだけ拘泥する議論は独身者ではあまりなされなかったでしょうが。
実はこの本は1年くらい前に読みはじめて、「面白い、面白い」と読み進めていたんですが、ヒトラーとか国家萌えのあたりで、作者がこっちの予想以上に本気なのが伝わってきて、ええと、はっきり言えばしんどくなって途中でおいてたのです。
今回、最初から読み直して感じたのも、第4章あたりからの熱気で、風邪で熱があったせいかもしれないと疑いながら、ここを越えればゴールは近い、と自らにムチを打ち、心臓破りの「国家萌え」を乗り切ったのです。
非常に読みやすくてわかりやすい哲学史で、たとえにゲームやアニメがふんだんに使われ、哲学が決して雲の上のジャーゴンではないことを教えてくれます。
たとえば、よく使われていたのが「これは〜ではありません」という言い回しで、哲学をオタクのアイテムに引き寄せる書き方が、これが実に効果的でした。
いくつか引用してみると。
プラトンの『饗宴』
「ここで、『永遠』という概念が出てきます。恋愛とは永遠への憧れ、不死への憧れであると。これはTacticsのPCゲーム『ONE〜輝く季節へ〜』の話ではありません」
デカルトの共通感覚
「これは有明のコミックマーケットの世界を論じているのではありません。デカルトは全人類が同じイデア界を共有しているはずだと考えたのです」
リラダンの『未来のイブ』
「困ったエワルドは、なんと、エジソン博士に頼んで、人造美少女人形を作ってもらうのです!
エジソンかよっ!
これはコミケで売られている十八禁同人マンガのあらすじではありません」
ゲーテの『ファウスト』
「古くから伝わっていた民間説話のファウストは地獄へ落ちましたが、ゲーテはグレートヒェンという萌えキャラの愛によってファウストは救済されたと考えたのです。愛が、奇蹟を起こしたのです。
これはKeyの泣きゲーのシナリオの話ではありません」
フロイト
「フロイトによれば幼い子供にもちゃんと『小児性欲』があるというのです。これは梶原一騎の『カラテ地獄変』の話ではありません」
まだあったけど、まあ、これくらいで。
わかりやすさは半端じゃなく、この本を読んで、今まで専門書を読んでなんとなく理解していたつもりだったことが、コトンと胸に落ちる実感を得た部分もあります。
既に哲学書を何冊も読んで、本書でとりあげられる哲学などわかりきっている人には、本書は単なるわるふざけにしか見えないかもしれませんが、僕は悪ふざけが大好きなのです。
いつもとこの日記の文体が違っているのには、あまり意味はありません。
イスラームと西洋―ジャック・デリダとの出会い、対話
2008年2月26日 読書
ISBN:4411003775 単行本 小幡谷 友二 駿河台出版社 2007/10 ¥1,785
ムスタファ・シェリフの『イスラームと西洋』を読んだ。
2003年5月、パリのアラブ世界研究所(イマ)で開催された「アルジェリア・フランス、文明の対話に尽力した重要人物へのオマージュ」というテーマのシンポジウムでの対談のレポート。
デリダはアルジェリア生まれでアルジェリア。
以下、目次
序論 何にもまして友情が大切である
第1章 諸文明の未来
第2章 討論
第3章 アルジェリア人としての経験と思い出
第4章 東洋と西洋、同質性と差異
第5章 不正行為と急進的潮流
第6章 区別するべきか、関連づけるべきか?
第7章 進歩は完全である一方で不完全でもある
結論 私たちの生活には異なる他者が不可欠である
対談後記 南海岸からのアデュー、ジャック・デリダへ
訳者あとがき
書誌 ムスタファ・シェリフ/ジャック・デリダ
年譜 デリダと南海岸
ムスタファ・シェリフはアルジェリアの哲学者でイスラーム学者。
「西洋における一部の人々は、あいかわらずイスラームとイスラーム文化の単純化した姿をこしらえることにこだわり続け、恣意的な基準から『発展途上』とみなされる東洋文化に『先に進んでいる』とされる西洋文化を機械的に対置し、自分だけが文明化していると言い張って、つねに自分たちの価値を力づくで押し付けようとしますが、それはなぜでしょうか?」
「現代ではどうやって生きていけばいいのかを学ぶことが実に難しく、説得力をもたずに、むしろ失望させたり心配させたりするモデルしかないというのに、イスラームに対してどうしてあのようなけんか腰になる必然性があるのでしょうか?なぜわざわざ、西洋化やヨーロッパ化やアメリカ化をすすめて進歩に順応し、文明化したと見られる必要があるのでしょうか?」
なんて質問したりする。
きっと純粋な目をうるませて、「僕、ちっとも悪くないのに、なぜ?」という疑問でいっぱいな様子だったんだろうな、と思わせる。小動物を見ているようで、可愛い。
デリダの発言もわかりやすく、これがあのデリダなのか、と思わせる普通っぷり。
デリダはこんなことを言っている。
「責任や決断は、言うなれば真っ暗で右も左も分からない暗闇の中で背負われるものなのです」(知識は必要だが、責任や決断を導くのは知識によってではない)
「私は多元性が文明の本質そのものであると思います。多元性と言っても私は他者性という意味で使っていますが、差異の原理、他者性への敬意、これらは文明の根源と言えます」(固有言語をマスターする必要があるが難しい、と言ってから)「たしかに固有言語は原則的に翻訳不可能なものです。けれども翻訳不可能なものだけが翻訳を必要としています」
デリダはヨーロッパ中心主義的伝統を疑い、来るべき民主主義をめざすことを説く。
たしかにデリダはデリダなのだが、受けた印象は「ダレダ?」でアルジェリア。
ムスタファ・シェリフの『イスラームと西洋』を読んだ。
2003年5月、パリのアラブ世界研究所(イマ)で開催された「アルジェリア・フランス、文明の対話に尽力した重要人物へのオマージュ」というテーマのシンポジウムでの対談のレポート。
デリダはアルジェリア生まれでアルジェリア。
以下、目次
序論 何にもまして友情が大切である
第1章 諸文明の未来
第2章 討論
第3章 アルジェリア人としての経験と思い出
第4章 東洋と西洋、同質性と差異
第5章 不正行為と急進的潮流
第6章 区別するべきか、関連づけるべきか?
第7章 進歩は完全である一方で不完全でもある
結論 私たちの生活には異なる他者が不可欠である
対談後記 南海岸からのアデュー、ジャック・デリダへ
訳者あとがき
書誌 ムスタファ・シェリフ/ジャック・デリダ
年譜 デリダと南海岸
ムスタファ・シェリフはアルジェリアの哲学者でイスラーム学者。
「西洋における一部の人々は、あいかわらずイスラームとイスラーム文化の単純化した姿をこしらえることにこだわり続け、恣意的な基準から『発展途上』とみなされる東洋文化に『先に進んでいる』とされる西洋文化を機械的に対置し、自分だけが文明化していると言い張って、つねに自分たちの価値を力づくで押し付けようとしますが、それはなぜでしょうか?」
「現代ではどうやって生きていけばいいのかを学ぶことが実に難しく、説得力をもたずに、むしろ失望させたり心配させたりするモデルしかないというのに、イスラームに対してどうしてあのようなけんか腰になる必然性があるのでしょうか?なぜわざわざ、西洋化やヨーロッパ化やアメリカ化をすすめて進歩に順応し、文明化したと見られる必要があるのでしょうか?」
なんて質問したりする。
きっと純粋な目をうるませて、「僕、ちっとも悪くないのに、なぜ?」という疑問でいっぱいな様子だったんだろうな、と思わせる。小動物を見ているようで、可愛い。
デリダの発言もわかりやすく、これがあのデリダなのか、と思わせる普通っぷり。
デリダはこんなことを言っている。
「責任や決断は、言うなれば真っ暗で右も左も分からない暗闇の中で背負われるものなのです」(知識は必要だが、責任や決断を導くのは知識によってではない)
「私は多元性が文明の本質そのものであると思います。多元性と言っても私は他者性という意味で使っていますが、差異の原理、他者性への敬意、これらは文明の根源と言えます」(固有言語をマスターする必要があるが難しい、と言ってから)「たしかに固有言語は原則的に翻訳不可能なものです。けれども翻訳不可能なものだけが翻訳を必要としています」
デリダはヨーロッパ中心主義的伝統を疑い、来るべき民主主義をめざすことを説く。
たしかにデリダはデリダなのだが、受けた印象は「ダレダ?」でアルジェリア。
刑務所の中、エビータ、クラッシュ、地上より永遠に
2008年2月25日 映画
今日は録画分含めて映画の1日。風邪をなおすために、外出しない、と決めたせいでもある。
詳しい感想は後日追記するかもしれないけど、簡単に書いておこう。
「刑務所の中」
規則と時間に拘束された毎日。
どこか懐かしい、と思ってたら、学校生活ってこんな風だったな、と思い出した。
「エビータ」
エバ・ペロン自身よりも、エバを男たちや一般大衆がどう見ていたのか、に興味が湧いた。
「クラッシュ」
人種差別をめぐる複数のエピソードが同時多発。
人種とか出身地とか卒業校とか、本人の力や才能以外で差別するのって、弱さの証拠で、恐怖の裏返しでしかないと思う。
差別はいけない、とか差別はなくならない、とか簡単に言うけど、そんなことは当たり前で、そこからスタートする話なんだろう。
差別とたたかう、というより、僕は差別するくらいなら戦え、と言いたい。
(映画とはあまり関係なかったか)
「地上より永遠に」
兵隊さんは、ボクシング部に入れと圧力かけたり、シゴイたり、不倫したり、酔っぱらったり、喧嘩したり、女にいれあげたり、脱走したり、踊ったり。
気楽な乱痴気騒ぎのあげく、真珠湾攻撃で大あわて。
詳しい感想は後日追記するかもしれないけど、簡単に書いておこう。
「刑務所の中」
規則と時間に拘束された毎日。
どこか懐かしい、と思ってたら、学校生活ってこんな風だったな、と思い出した。
「エビータ」
エバ・ペロン自身よりも、エバを男たちや一般大衆がどう見ていたのか、に興味が湧いた。
「クラッシュ」
人種差別をめぐる複数のエピソードが同時多発。
人種とか出身地とか卒業校とか、本人の力や才能以外で差別するのって、弱さの証拠で、恐怖の裏返しでしかないと思う。
差別はいけない、とか差別はなくならない、とか簡単に言うけど、そんなことは当たり前で、そこからスタートする話なんだろう。
差別とたたかう、というより、僕は差別するくらいなら戦え、と言いたい。
(映画とはあまり関係なかったか)
「地上より永遠に」
兵隊さんは、ボクシング部に入れと圧力かけたり、シゴイたり、不倫したり、酔っぱらったり、喧嘩したり、女にいれあげたり、脱走したり、踊ったり。
気楽な乱痴気騒ぎのあげく、真珠湾攻撃で大あわて。