サンホールでトーイショー。
午後1時以降は入場が無料になるというので、それまでの時間、堀江の雑貨店やギャラリーをまわったりする。
トーイショーで面白い玩具はいろいろあったが、なかなか手は出ない。

三井アウトレットパーク大阪鶴見でミルキーハット。
1回目はトーイショーの真っ最中で見れず。
午後4時からの2回目のみ見る。
1.グレープフルーツ
2.We Love Sweets
3.黒豆ロックンロール
4.マイレボリューション
5.軌跡
6.歩いて行こう
7.大航海ランドスケープ
レナが復活していた。
でも、12月からチヒロが受験のためにしばらくお休みらしい。
とりあえず、今日はミルキーハット5人が揃った。
今のメンバーだと、注目すべきはどうしてもレナに集中してしまう。

午後6時から第七芸術劇場で「大阪の文化と都市格を考えるLIVE&シンポジウムの夕べ」
天狗の女房/春野恵子(浪曲)
浪花仁侠伝「木津の勘助」/旭堂南海(講談)
休憩
木津川計、有栖川有栖、桂あやめ、旭堂南海、わかぎえふ、小林聖太郎によるシンポジウム。進行は今井仁。
木津川計の言う「文化を享受する際の2つの妨害要素は貧乏と多忙だ」はわかりやすい。
一番おしゃべりだった有栖川有栖と、ぶっちゃけな旭堂南海の発言が興味深かった。
パネラーはそれぞれの立場から発言するので、誰かがまとめてくれないと、バラバラな話になっているような気がしたが、まとめても仕方のない話なのかもしれない。
後半、内容は主に橋下行政の批判になった。
身銭切って劇場に足を運んでいない知事に文化のことを言われたくない、とか、うんうんとうなずくところが多かった。知事にかぎらず、現場に接していない人になぜか発言する場が与えられており、その意見が権威のごとくまかりとおっている、ってな状況はままあるものだ。たとえば、アイドルライブで顔を見かけたことのない人がアイドルについて語っていたり。自分が現場におればそういうことはよくわかるが、そうでない場合はうっかり空っぽな意見を鵜のみにしてしまう恐れがある。人の意見を借りて判断するのは考えものだ。
難波ロケッツでアイドルライブ。
出演したのは4組。
以下、出演順に簡単な覚え書き。

amU
つい先日聞いたばかりの「ハナマルセンセイション」をやってた。
オルゴールアクションも冴え渡る。

優恵
チケット取り置き特典があることをステージ上で発表。なぜ事前に言えなかったかというと、寝込んでいたからだそうだ。これぞ正真正銘の「猫が寝込んだ」

アズ&咲
正式にこのユニットでやっていくことに決めたそうな。
本人たちが楽しみすぎて、伴奏よりも歌詞が走っているのはいつものテイスト。
ロッタラロッタラ、いつのまにか「あほんだら〜」みたいな口調に。

MaryDoll
会いたかったではじまり、オリジナルと、付き合ってるのに片思い。
客席の暴れっぷりに「自重して」の声も。

ライブ後はamUとおしゃべりした後、リサイタルホールに向かう。
大阪ヨーロッパ映画祭、映画を2本見る。
まず午後3時からファン・アントニオ・バヨナ監督の「永遠のこどもたち」(スペイン、メキシコ)。
古い洋館。孤児院。見えない友だち。行方不明のわが子。孤児院で昔起こった事件。
「パンズラビリンス」のギレルモ・デル・トロ製作らしく、雰囲気は満点。ドアがバタンとしまる態の驚かしもあるし、事故で死ぬ女性の大怪我フェイスなどのエグさもある。
ただし、物語そのものはいい話で、強烈な悪の存在が設定されていない。感動も用意されている。また、伏線を丁寧にひろっており、「ああ、あのときのあれが、あのあれか」と膝を打ったりした。単なるショッカーではないのだ。霊媒師の役でジェラルディン・チャップリンも出演したいる。
最初のシーンは「1、2、3、扉をノック」のゲームをしている孤児たち。
これ、「だるまさんがころんだ」なのだが、大阪では「ぼんさんがへをこいた」になる。このゲームが、映画のクライマックスで大きな意味を持ってくるのだが、「ぼんさんがへをこいた」ではあの雰囲気は出まい。
監督が上映後に質疑応答。

午後6時15分からアンドレイ・コンチャロフスキ−監督の「モードの花道」(ロシア)
来日が予定されていたコンチャロフスキー監督、映画今2本撮っているとかで来日中止。
のしあがる女性の物語。
金持ちたちの気まぐれでのしあがる女性たち。(この映画ではグレース・ケリー似の女性を求める金持ちのおかげで、主人公はチャンスをつかむ)
斬新な演出が必要だから、とムキムキの男性や途中でこけるようなドジなお針子(主人公)をモデルに抜擢するファッションショー!でも、こういうの実際にあるかも。
しかし、華やかな世界と、村の実家とのなんというギャップ!ヨーロッパ映画では往々にしてこのギャップを自然に描いていて面白い。かっこいい男性が、実は友人に服を借りて着ていた、とか。
これは楽しいコメディだった。1本めは幻想的な映画。
ヨーロッパ映画と聞いたときに連想する退屈さは今日の2本にはまったくなかった。

アメリカ村のマイケルキューブでsketchのなっちゃんがkissFMの番組に出演する、というので、行って来た。
おおむねインタビューにこたえていく内容で、ライブがあるわけでもなく、長い時間の出演でもなかったが、スケッチのメンバーも応援に見に来ており、集まったお客さんも結構多かった。メンバーのみのりんがなっちゃんを「クールビューティー」と評していたが、ブース内のなっちゃんを見ていると、その言葉がまさにぴったりだった。
ジェスチャーゲームで「はるな愛」を真似ているときとのギャップがすごい。そういえば、メンバーはよく見ているものだ。ちゃんと「ギャップ」という言葉もなっちゃんをあらわすキーワードとして使われていた。
テレビへの出演もあるそうなので、チェックだ。

宮台真司、鈴木弘輝、堀内進之介による『幸福論〜<共生>の不可能と不可避について〜』を読んだ。
対談をまとめたものとは思えぬ歯ごたえある1冊だった。
まるで往復書簡を読んでいるかのような充実度で、そのぶん、対話のダイナミズムはほとんどないといってよい。
以下、目次。
「幸福への設計」はいかにして可能なのか−「序」にかえて/宮台真司
第1章 パターナリズムこそ幸福の大前提?
1、幸福の機会費用
 習い事体験と塾体験
 学力プラスアルファが重要
 教育のパラドクス
 教育の本質はパターナリズム
 まともな感情プログラム
 男は承認を求め、女は理解を求める
 何が「まとも」で何が「合理的」なのか
 SFの教育的効果
 「潜在性の思考」の喪失
 四段階に分かれた子どもたち
 「適応」ではなく「適応力」を
 究極の目標=幸福になること?
2、「不安のポピュリズム」の登場
 過剰流動性に見舞われた社会
 あえて愛国を強調する戦略
 ゆとり教育はなぜ失敗したのか
 グローバル・エリートの画策
 ソーシャル・デザインの課題
第2章 いかに幸せだと思わせるか−幸福の社会工学
1、フィールグッド社会の罠?
 「安楽国家」構想
 教科未履修問題と「不安のポピュリズム」
 公正原理の恣意性
 フィールグッド・プログラムは市民の自己慰撫?
 情報操作は不可欠?
 個人性の調整が必要?
 批判の可能性を開く批判
 反論−フィールグッド・プログラムを正当化できない理由
 オタク問題の両義性
 ポイントは「社会をうまく運転すること」
 「現実の虚構化」と「虚構の現実化」
2、全体性の危機−<公>不在の日本社会
 権益争奪戦と官僚の質低下
 情報管理行政の課題
 パブリック・トークに背を向ける世代
 <公>と<私>の関係
 「一流の存在」が嫉妬される社会
 何が日本的エリーティズムを支えていたのか
 統合シンボリズムの空洞化
 プラットフォームへのベタな没入
 ノーマライゼーションの二つの次元
 丸山眞男の二重性
3、「頭の良いネオコン」の戦略
 再び、フィールグッド是か非か
 「推奨したい」の真意−「ルール主義」と「共生主義」
 「抗いたい」の真意−広範な政治的関心の喪失
 メタ的立場の民権派エリート
 亜細亜主義のベタ化
 プラットフォームの不在?
第3章 エリートが「幸福な社会」を作るのか?
1、まずは「感情的安全」の保障からー多様性の構築へ
 ポストモダンは再帰的近代か
 ポイントは「奪人称性」
 「広いパターナリズム」「狭いパターナリズム」
 いま求められる「パターナリズム」とは?
 愛国教育よりも「ミメーシス」を重視せよ
 過剰流動性の意味
 民主制の困難を補完するエリーティズム
 「帰る場所」の両義性
2、<エリート>の条件
 オタクの世代論的考察
 いつまでたってもダメなボク
 「グロテスク」のアクチュアリティ
 「教養主義」の没落
 多様性フォビアを克服するプログラム
 特定人称性の戦略
 エリートはルックスが重要?
 エリート選抜の入試システム
 「格差」をどう捉えるか
 エリートは「全体性」を見られるか
「幸福」から「教育」へ、「教育」から「幸福」へ/鈴木弘輝
第4章 教育を通して「擬似階級社会」を作る?
1、人を見て「機能の言葉」を説け!
 視座の輻輳がもたらす無限後退
 「機能の言葉」の教育的効果
 自己言及による全体性への接近
 子どもの視座からの教育、デザイナーの視座からの教育
 「適応」「適応力」の循環的関係
 人称的なものを「見えなくする」ことは可能なのか
 9条の本質
 「意思する人」を育てる方法
 全ては、言葉を受け取る側の能力による?
 「闘技」参加には資格が必要?
 「エリート」はファシストなのか
2、「学校的共同性」を再考せよ!
 「知らぬが仏」しかし「知りたければ知れる」
 まずは、子どもの感情への配慮から
 日本的エリートの承認可能性
 共同性をどう自覚させるか
 学校を核とする地域興し
 学校で生育環境の人為的操縦を
 学校の「聖性」に代わるもの
 エリート界隈は甘くない
第5章 <社会設計>の不可能と不可避
1、バイオポリティクスー恣意性にどう対処するか
 代理母問題の本質
 「生活の質」か「生命の尊厳」か
 決定プロセスをめぐる問題
2、「教育の一枚岩」をどう捉えるか
 ゆとり教育の意義
 「戦後教育の失敗」への視点
 ステークホルダーの反動
 「感染動機」こそ重要
 オルタナティブ・スクールの役割
 偏差値教育を肯定できるか
 多様性の強調
3、設計者の責任をめぐる問題
 「全体性」とはどういう概念か
 社会科学の新しいステージ
 予期理論的な恋愛観
 「正しい認識」は万人に必要か
 観察する視座のせめぎあい
 地位達成から人間関係へ
 モラルハザードは回避できるか
 手続きと事実性−正統性の根拠はどこにあるか
 感情的安全というキーワード
 自己決定とパターナリズムの折り合いをどこで付けるか
 <共生>の不可能と不可避1−「適応力」のすすめ
 <共生>の不可能と不可避2−越境可能性に向けて
 <共生>の不可能と不可避3−「幸福への設計」
注釈
批判の可能性を切り開く批判−「あとがき」にかえて/堀内進之介

本書は政治社会学の堀内氏と教育社会学の鈴木氏と宮台氏の三者で行われたわけだが、議論の際にもっとも多く登場した人物がいる。
フィールグッド・ステイト構想を打ち出していたヒラリー・クリントンでもなく、レッシグやルーマンやギデンズでもない。
田吾作だ。
田吾作がどういうふうに出てくるかと言うと、ほとんど宮台氏の口から発せられるのだが、
いくつか例をあげてみよう。
「類型の全てに共通するのが奪人称性。恣意的な選択を特定人称に帰属できないことです。つまり特定の田吾作が選んだと言えないこと」
「機会の平等に神経質になり過ぎると、結果の平等を目指す田吾作平等主義と同じになります」
「アメリカはかつてスーパー国家で、カリスマ的な輝きゆえに奪人称性(正統性)を僭称できました。いまではアメリカがどれだけ大きかろうが田吾作に過ぎず、カリスマによる正当性の調達までもが望めなくなった結果、もともと潜在する問題が噴出してしまった」
「問題は日本的学校化と表裏一体の田吾作平等主義。そのせいで勝ち組だの負け組だの下らない抑鬱感や優越感が過剰に蔓延します」
「不幸にも勉強ができてプラスアルファがない人の多くはハイパー・メリトクラシーのなかでルサンチマンを蓄積します。地域空洞化に並行して『田吾作平等主義』が浸透した戦後郊外化ゆえに、このハイパーメリトクラシー空間は、卓越者の傍らに『嫉妬する勉強田吾作』を量産します」
田吾作って奴、かなり手強い。
大庭武年探偵小説選1
『大庭武年探偵小説選1』を読んだ。
大庭武年は1904年生まれ。
本書に収められた小説は1930年から1933年にかけて発表されたものだ。郷警部が事件を推理する本格推理を中心に選んである。
本格推理を書いているが、解説によると、作者は推理小説を余技として書いており、本当は純文学の書き手なのだそうだ。
そう言えば、と思い当たるふしもある。
推理があくまでも推理でしかないことを探偵役の郷警部は言う。
「牧師服の男」のラストはこんな風。

郷警部は語り終えると、自信の籠った朗らかな笑い声をたててから言った。
「しかしみなさん、もう少したてば、いずれこの僕の杜撰な推理を是正する、真実の自白が聞かれるでしょう。まァお互いにそれをたのしみましょう」

自信のなせるわざか、いやみか、謙遜か。
いずれにしても、自分の推理こそ正解だとあえて言い切らない名探偵は珍しい。
以下、目次順に簡単な覚え書き。未読の人はまず、読んでから。
「十三号室の殺人」
第1章 二人の客
第2章 ジョン・ウィリアム
第3章 第十三号室
第4章 二重人格
第5章 惨劇
第6章 フリッツの検挙
第7章 訊問
第8章 ピストルと非常梯子
第9章 郷警部
第10章 論争
第11章 調査
第12章 物置と灰皿
第13章 蜘蛛の糸
第14章 参考人の審問
第15章 フリッツの告白書
第16章 第三十六号室
第17章 蜘蛛の糸の謎
第18章 背広の釦
第19章 事件の解決(1)
第20章 事件の解決(2)
第21章 警部の推理
第22章 キレアージ
第23章 デリケエトな問題
二重人格のマリヤと精神錯乱のフリッツのカップル。
マリヤは密室内で銃で撃たれ、死の直前に20メートル以上移動していた!
犯人の特定は、廊下に張られた蜘蛛の糸が決め手になった。事件に無関係な従業員が、衣服に蜘蛛の糸をつけたままなのがわかる。逃走する犯人が切るはずの蜘蛛の糸テープを、別人が切ったということは、犯人は現場から蜘蛛の糸がはってあった場所までの部屋に宿泊している人間なのだ。
二重人格は実は双子だった。

「競馬会前夜ー郷警部手記の探偵記録」
厩舎の馬を殺害し、自殺した犯人。
と、思いきや。
自殺死体を発見した馬主が、賭け金損失をのがれ、保険金を手にいれるため、馬を射殺したのだ。

「ポプラ荘の事件」
蓄音機の回転によって凶器を引っ張って隠す。

「牧師服の男」
牧師になりすました犯人。牧師は見えない人になって顔を記憶されなかった。

「海浜荘の惨劇」
第1章 惨劇
第2章 廃港市R
第3章 事件現場へ
第4章 屍体検案
第5章 家族
第6章 養女の幼名
第7章 可能犯人
第8章 訊問
第9章 靴跡
第10章 ハミルトン家の暗流
第11章 電話の中の会話
第12章 ブロウニング・三号型
第13章 その時の事情
第14章 発動機の爆音
第15章 町の古記録
第16章 告白 
第17章 最後の鍮
第18章 一人の拘除 
第19章 精神分析
第20章 大団円
潮の干満によって機械的殺害。
ダイイングメッセージ「Lil」は犯人の名前ではなく、殺害方法に関するものだった。
「リル」がダイイングメッセージだなんて、宍戸留美ちゃんはどう思うか。(愛犬の名前)

「旅客機事件」
飛行機内に撲殺死体、凶器見つからず。
いたはずのもう一人の客は墜落死していた。
犯人は副操縦士なのか?
さて、真相は。
部品が飛んで事故で死んだ客。
その客の金を盗んで、パラシュートで逃げようとした男。パラシュート開かず死亡。
墜落死体を見つけ、金を盗んだ農民。


『変transcape』

2008年11月19日 読書
『変transcape』
米澤敬の『変 transcape』を読んだ。
以下、目次。
1、変
 01、蒐集の魔
 02、夢の途中
 03、乱神の貌
 04、空の絡繰
 05、畸人の徽
 06、身中の蟲
 07、砦の残照
 08、愛の暴走
2、甲蟲事物
 01、雨と森
 02、鬱金香
 03、潜水艇
 04、海象
 05、貯古齢糖
 06、銀の鎚
 07、猿
 08、虫と名前
 09、書物
 10、数
 11、金剛石
 12、道
 13、林檎
 14、屍体
3、月次帖
 00、花札事件
 01、睦月 鶴になった鸚鵡
 02、如月 春告鳥と異国の香り
 03、弥生 枯れ木に花を
 04、卯月 時の鳥と不時の花
 05、皐月 いずれ菖蒲か杜若
 06、水無月 胡蝶の夢、牡丹の幻
 07、文月 七尽くし
 08、葉月 別世界の使者たち
 09、長月 不老長寿の花の宴
 10、神無月 紅葉の山で占う
 11、霜月 真冬の五月雨
 12、極月 終わり良ければ
仕舞の記

牛若丸発行の本書は、何よりも造本装丁で遊んでいて楽しい。不思議な素材、本文と図版が半々の構成、さらにページのノンブルが素数のときだけアホになる芸などなど。
巻末に牛若丸の本の言葉が書いてある。最初にあげられたのは、こんな文。
「楽しく明るい玩具としての本」
本は暗いおもちゃだ、とでも言いたくなりそうなところ、逆をついてきたか、と思った。
さて、本書の内容。
「1、変」では変態、永久機関、畸人、寄生虫、革命、恋などのコレクション。
「2、甲蟲事物」はザ・ビートルズにまつわる随想。
「3、月次帖」は花札考。
内容は、たとえば
「(小乗仏教の経量部が説いた)『過未無体説』が唯識経由で輸入されたとき、あらためてリダンダンシーの高い日本語の構造によって規定されて『うつろい』や『はかなさ』といった概念に変質していったのかもしれない」
とか、
「『みち』の『ち』はまた、『おろち』や『いのち』の『ち』と同様に魂魄をあらわす。そんな『道』に出ることが、すなわち漂泊や巡礼である」
など、工作舎っぽさ全開である。
本文と同じだけの分量をもつ図版にはそれぞれキャプションがついているが、これがキャプションアートというかキャプション文学になっていて面白い。
たとえば、式亭三馬『阿古義物語』の欧文組みを真似た扉ページが載った箇所では、
「欧米人が、でたらめな漢字を使ったTシャツを着る感覚にも通じる」とある。
また、バーネットによる北極点の穴の図版には
「極北・極南幻想は一方でエドガー・アラン・ポーとなり、他方でナチスになった」とある。
作者が楽しみながら考えて書いている様子が感じとれて、すごくうらやましくなってくる。

読んだ漫画はSABEの『阿佐谷腐れ酢学園エマニエル編』
ブルマだウンコだおふろだペンギンだ鹿だでもやっぱりブルマだ。
SABEに駄作なし!何を読んでも面白い!
だって、ブルマが描かれているから!

赤い糸

2008年11月18日 日常
日本の話芸で笑福亭仁鶴の「崇徳院」
困った顔をするときの仁鶴は、まさに絶品。
ネタに笑う以上に、仁鶴という人間に笑わされてしまう。

ケータイ小説「赤い糸」を読んだ。「赤い糸-destiny-」「赤い糸-precious-」と続編があるが、とりあえず最初のこれだけ。
主人公の女の子、芽衣の中学2年〜高校1年までの波乱万丈の日常を描く。
どう波乱万丈かと言うと、中学のときから酒、煙草、エスケープはもちろん、レイプ、輪姦、復讐、警察沙汰、自分は捨て子と判明、実父はヤクザ、実母は自殺、育ての両親は離婚、自殺未遂、ドラッグ、裏切り、親友が飛び降り〜記憶喪失、愛の証しのタトゥー、彼氏が受験失敗、デートDV。
と、まあ百花繚乱なヤンキーのどれあい生活なわけだが、これらが事件を形成せず、あくまでも日常のレベルでおさまっているのがすごい。文学であれば、花のひとそよぎにも何かを感じ取ってしまう感受性が存在するが、ここには爆弾が破裂しても日常はびくとも揺るがない鈍さがある。とことん鈍いのである。あらすじを読んで出てくる単語に眩惑されて、いったいいかなるスペクタクルが用意されているか、あるいは、どんな精神の深化がみられるか、と思っていたが、見事にはずされた。主人公はどんな目にあっても何も変化しない。成長という言葉は肉体の膨張以外の意味で使われない。彼女の日常も変わらない。精神の欠片も見あたらなければ、物語も綴られない。これはいったい何なのか?
ヒントは、この「赤い糸」を読んだときの印象が、動物を見ているときと同様だったことにありそうだ。ときおり、動物のドキュメンタリーを見ていて「人間にも通じるところがあるなあ」と思う瞬間がある。オランウータンの子育てシーンとか。この「赤い糸」でも、ときどき、「人間にもそんなところがあるよ」とうなずくところがあった。ひょっとして、この「赤い糸」は叙述のトリックが使われていて、登場人物たちは実は人間ではなく、動物だったというオチなんじゃないか。全員動物だと考えれば、IQも偏差値も低いキャラクターばかりが登場してきて、いっさい知的な行動をとらない謎も解けるのである。愛のないセックスが当たり前なのもうなずける。と、すれば、これが三部作になっているのは、新しいアゴタ・クリストフの『悪童日記』をめざしているものと考えてよかろう。きっと「destiny」を読んだ読者は、「えっ、前作はそんな話だったの?」と大どんでん返しを食らわされるに違いないのだ。「赤い糸」が人気を博しているのは、一般世間が動物好きだからに相違ない。主人公メイは人間同士では考えられない短いサイクルで次々とご主人様(作中では恋人と言っている)を替える。メイが渇望する運命の「赤い糸」とは、自分の首輪をひっぱるヒモのことなのである。
高橋真琴個展「ベストフレンド」@小さい芽〜細江英公の世界「球体写真二元論」@尼崎総合センター、「黒い太陽」「斑女」『絶望期の終り』
夙川のギャラリー「小さい芽」で1年1度のお楽しみ、高橋真琴個展「ベストフレンド」。
高橋真琴自身も来廊していた。
ベストフレンドとは、キラキラした目の女の子と一緒に描かれている動物たちのこと。
高橋真琴の描く女の子は、とくに最近は「はい、ポーズ」できりとった、一番いい瞬間の顔の向き、表情のものが多く、可愛いけれど、どれも基本的には同じに見えてくる(それが持ち味で素晴らしいのだが)。ところが、動物となると、その表情の豊かなこと!
主人公より傍役が好きな僕の性向にもぴったりな可憐な展示だった。

尼崎市総合文化センター美術ホールで細江英公の世界「球体写真二元論」
1、初期作品
2、おとこと女
3、薔薇刑
4、写真絵本
5、鎌鼬
6、抱擁
7、ガウディの世界
8、土方巽舞踏大艦 かさぶたとキャラメル
9、[妖精物語]ルナ・ロッサ
10、作品をめぐる人たち
11、春本・浮世絵うつし
12、胡蝶の夢:舞踏家・大野一雄
13、死の灰
「球体写真二元論」とは何か、というと。
従来の写真二元論は「記録性=客観」VS「自己表現性=主観」の対立概念で、二つは反目する関係にあった。しかし実際には写真表現において両者は融合なり独立なり複雑にからみあっている。それで、細江英公は、「客観」を北極とし「主観」を南極とする球体モデルを考えるのである。
本展では、写真絵本『おかあさんのばか』を自由に読むスペースも設けてあり、また、細江英公が作った前衛映画「へそと原爆」も上映されていた。
初期作品の「ポーディちゃん」から、三島由紀夫、土方巽、大野一雄、さらに古田幸まで、被写体の域を越えて関心を抱かせるモデルが多いのに驚く。細江英公の写真撮影風景の写真も展示してあったが、写真家と被写体、どっちが写真に撮られる方なのか疑うようなアクションで写真を撮っていた。カメラの向こうだけでなく、こっち側の世界も面白いから写真が生命をもつんだな、と思った。これこそ、球体写真二元論!

蔵原惟繕監督の「黒い太陽」を見た。(1964)
川地民夫主演、原作は河野典生の『腐ったオリーブ』
タイトルの「黒い太陽」はマックス・ローチの「ブラック・サン」からとられている。全編にジャズが使われた作品だった。作中歌われるアビー・リンカーンの「75セントのブルース」はラングストン・ヒューズの歌詞である。
川地民夫は取り壊される予定の教会に住んでいるその日暮らしの男。ジャズが好きで、愛犬にも「モンク」と名前をつけている。彼のもとに、GIを殺してMPに追われている手負いのアメリカ兵士が逃げてくる。彼は黒人。川地は「黒人がきた!」と大喜びで、ジャズのレコード聞かせたり、トランペット吹かせようとしたりするが、言葉も通じず黒人は心を開かない。しまいには愛犬モンクを殺した黒人に対して、川地は「キチガイ!ドブネズミ!乞食野郎!」と罵る始末。黒人がうとうとした隙に機関銃を奪い取った川地は立場を逆転させて、黒人をジャズ喫茶に連れていき、むりやりダンスさせたりする。ところが、この二人には友情が生まれてくるのだ。銃弾から鉛毒がまわり蛆がわいた黒人の足を川地がナイフで手術したり、MPの目をごまかすため、黒人に白塗りして、チンドン屋のふりをして検問を突破したり(川地は黒塗り)。しかし、その偽装もバレ、教会も取り壊され、二人は追い詰められて行く。海を見たい、という黒人を連れて海の見える場所まで来るが、追っ手はすぐそこまで迫っていた。
最後は、黒人は自らの身体をアドバルーンにくくりつけ、川地にロープを切らせ、母のもとへ、太陽に向かって飛んで行くのだ。
黒人を演じたのはチコ・ローランド。ジャズ嫌いで足の傷に苦しみ、常にテンパって冷や汗をかいている不器用な黒人兵を見事に演じた。ジャズ喫茶でむりやり踊らされるダンスも、チンドン屋に変装して吹くトランペットも、下手を通り越して人間として大丈夫かと疑うレベルである。
河野典生の本は学生時代に1冊か2冊読んだっきりで、ほとんど忘れた存在だった。ジャズのことに疎い僕には縁の薄い作家ではあるが、これを機に、久々に読んでみるのもいいかもしれない。

中村登監督の「斑女」を見た。
北海道から駆け落ち同然で東京に出て来た岡田茉莉子と佐々木功の二人を中心にした物語。
武満徹作曲、谷川俊太郎作詞の主題歌「だれかと誰か」をペギー葉山が軽快に歌う。
内容はというと、東京での幾組かの男女の金と愛のストーリーがつづられる。
岡田茉莉子VS杉浦直樹
銀座の商人、杉浦に好意を持った岡田だが、杉浦は岡田に愛の告白でなくスパイの依頼をする。がっかりして杉浦に愛想をつかす岡田。杉浦は後悔して、再度岡田にアプローチするが、岡田は拒否。
山村聰VS芳村真理
水商売の芳村を囲う画家山村。しかし、芳村には以前より将来を約束した恋人がおり、結婚資金をためるために、山村とのつきあいをしていたのだ。
感心したのは、この二人のわかれるシーン。すべてをさばさばと告白する芳村。彼女は山村を嫌っていたわけでもなく、最後まで悪意のない女だった。山村もそんな芳村にあきれこそすれ、声ひとつ荒げることもない。修羅場を演じず、涙もなく、ラストダンスを踊って別れる男女。別れるときはこうありたい。後で山村はバーでやけ酒飲むわけだが。
峯京子VS佐藤慶
金のために峯は佐藤に接近するが、佐藤は正式に結婚を申し込み、峯は有頂天になる。
ところが、この佐藤は詐欺師だった。峯がためた金を持ち逃げする。あとで調べても、会社名から何からなにまで実在しなかった。
これは金に目がくらんで失敗した女のエピソードになるが、この作品の中では大きな役割を果たす。男と金に逃げられた峯は狂ってしまい、シャイニングよろしく失った金額を紙に何度も何度も書き綴る。また、「男は西に」との占い師の言葉を信じて京都、大阪に向かう。道行く人がみんな佐藤に見える峯を放っておけず、岡田と山村は付き添う。峯の後悔の言葉が岡田をして佐々木への愛情を思い出させるのだ。岡田とよろしくやりたかった山村は、とんだところで水をさされた態。
倍賞千恵子VS佐々木功
大阪出身の倍賞は佐々木功に猛烈アタック。佐々木は岡田へのあてつけで倍賞とデートしたりするし、倍賞は大阪では不良少女で大阪から昔のツレが来て佐々木をボコボコにしたり。それでも倍賞は本当に佐々木を愛しており、大阪に行って佐々木と暮らすのである。ダッコチャンを作る内職しながら佐々木を養う健気な倍賞。しかし、佐々木の心から岡田が消えないことを知り、煩悶。倍賞は結果としてふられるのである。
岡田茉莉子VS佐々木功
佐々木は岡田の義弟にあたる。東京に出て来て水商売で稼ぐ岡田。なんだかんだあって岡田と佐々木はうまくいくのだが、ラストにはサプライズが用意されている。何もかもうまくいきそうな二人。そんなとき、ふと佐々木は「俺はねえさんのヒモにでもなろうかな」なんて言ってしまう。自立したかに見えて、自分がいるとやっぱりたよってしまうのか、と岡田はあきれ顔。駅でちょっと二人が離れた隙に、いつのまにか岡田の姿は消えていた。あっちこっち悲愴な面持ちで探しまくる佐々木。
なお、この映画の原作は村松梢風の『塔』最初に岡田、佐々木と山村が会ったのは東京タワーの見える場所。佐藤を追って峯が向かうのは西の五重塔。さらに西に行って倍賞と佐々木が暮らす場所からは通天閣が見えていた。倍賞は「あなたにはあの通天閣が東京タワーに見えるのね!」と恨み言を漏らすのだ。
村松梢風は村松友視の祖父にあたる。

上方演芸ホール録画しておいたの。
軽業/林家染雀
夢八/桂雀々
「軽業」は米朝の呪縛から逃れることができないネタなのか。
「夢八」はにぎやかな雀々にぴったりなネタ。
ラクゴクラ録画しておいたの。
お見立て/林家たい平
丁寧だなあ。

読んだ漫画は、あびゅうきょの『絶望期の終り』
絶望の陽のもとに
絶望の長い午後
絶望線上のアリア
絶望の中心で哀を叫んだけもの
未来世紀絶望
月は無慈悲な絶望の女王
絶望期の終り
ヒトラー・ユーゲントからの手紙
枯れ行く島の青草よ〜全将兵に告ぐ〜
TNX FR QSL
以上、目次。
童顔少女の絵物語的漫画で、出てくる少女はグラビアのピンナップのように、静的なポーズをとっている。吹き出しがあってしゃべっていても、大半は口もあいていないし、その少女から声が聞こえてこない。絵物語の印象のゆえんだ。
絶望とタイトルに出ているせいか、絵物語のせいか、読んでいて孤独感に苛まれることが多かった。美少女恋愛シミュレーションゲームしてるときとか、グラビアアイドルのイメージビデオ見てるとき、こんな気分によくなる。コミュニケーションに飢えてくる。
しかし、そういった印象も含めて、あびゅうきょってすごく気に入った。以前からずっと読みたいと中身も知らずに切望していたのも、つまるところ、あびゅうきょの描く少女が魅力的だからなのだろう。内容も予想以上によくて、すっかりお気に入りだ。
15日は帰ったら朝8時になっていたので、ちょっと仮眠とっているうちに、すっかり出遅れてしまった。
インテックス大阪で「Dream Party」
無料配付とステージイベントが目当て。
とは言え、ウィンドウズ使ってないので、基本的に美少女ゲームはしないのだ。
と、言うわけで、もらったものの中で一番楽しそうなのは、ヴァイスシュヴァルツのカードだった。
それにしても、無料配付のときの長蛇の列にはおそれをなして、ほとんど列に並べなかった。
以下、記憶しているステージ。
RadioAZミニライブ
two blade/カンノユウキ&諸田英慈
webラジオのテーマソング1曲歌って疾風のように去って行く。

サーカスステージ
Little Non
1.チアーアップ
2.スイートラブフラッグ
3.愛情エデュケイション
4.泥棒猫
5.ハナマルセンセイション
6.1、2、3デー(こどものじかんOVA2学期EDテーマ)
7.冒険記録(バトルスピリッツ少年突破バシンEDテーマ)
公開リハーサルのあと、本番。
これは見てよかった。7曲では少ない、と感じた。

すぐ近くのATCホールでゲームジャパンフェスタ。
いろんなコンシューマーゲームができる。
もらったスカシカシパンマンの紙帽子をつけて、いろいろやってみた。
何をやったのか覚えている範囲では「伊東家の裏技」「TOMB RAIDER」「なかよしオールスターズめざせ学園アイドル」「プリンセスバレリーナ」「西村京太郎サスペンス」
えっ、人気作をやっていないって?列に並ぶのがいやなので、ついつい待ち時間が長そうなのは避けた結果、こうなってしまったのだ。
このイベントでもらったもので収穫はレイトン教授のレベルファイブのDVDと、おじゃる丸のDSカバー。

コスプレイヤーが大勢おり、あっちこっちで撮影会をしていた。
このへんで撮影してるんじゃないか、とあたりをつけて見に行ったら、あっ、やっぱりいたいた!とか探す脳内ミニゲームに興じることもできた。
僕は萌え文化については全く知らないので、誰が何のコスプレしてるのか、とかまったくわからなかったが、ほとんどが女性で、そのため、男装の麗人が多くみられたのが面白かった。

今日は帰ってリアルタイムでNHK-FMで「現代の音楽」を聞けた。
                         西村  朗
                    【ゲスト】近藤  譲
 − 日本の作曲家・近藤譲 −(1)
「桑〜オーケストラのための〜」        近藤 譲・作曲
                      (12分16秒)
                  (管弦楽)東京都交響楽団
                (指揮)ポール・ズコフスキー
                     <ALCD−74>
「橡〜6楽器のための〜」           近藤 譲・作曲
                      (11分44秒)
  (演奏)ケンブリッジ・ニュー・ミュージック・プレイヤーズ
                 (指揮)ポール・ホスキンス
                     <ALCD−45>
「羊歯〜弦楽四重奏のための〜」        近藤 譲・作曲
                      (11分05秒)
              (演奏)ボッツィーニ弦楽四重奏団
                    <CQB−0704>
作曲家をゲストに招いてトークをまじえながらの番組。これがたとえばJ-POPとかロックとかのジャンルだと、会話そのものが芸になるわけだが、やはり現代音楽では曲の解説が中心になってくる。ゲラゲラ笑いながらきける現代音楽の番組、なんてのは無理なんだろうか。リスナーがそんなのを期待していない、と言うのなら、現代音楽は滅亡を約束されたも同然である。

米林昇輝の将棋漫画『KOMA KOMA』全3巻を読んだ。
盛り上がらぬうちに終わってしまった感のある漫画でもったいない。
今まで将棋をほとんど知らなかった少年が将棋にめざめて天才的な指し回しをする、という設定。記憶力がとびぬけてすぐれているのが主人公の特徴だったが、その設定を生かせばもっとのけぞるような話が考えついたんじゃないか。惜しい。天才肌の少年が出て来たり、将棋を教えてくれた人が病気で死んだり、奨励会の過酷さが啓蒙的にとりあげられたり。いろいろあがいてみたが、ツッコミどころが少なく、そつなくまとまってしまったのが敗因ではないか、とこれは感想戦。
SOCIOあめりか村のイベント
【Underground Social Meeting 2008】
http://idea-estate.co.jp/socio/pickup5.html
の 最終日に 出演します。チョコッとだけどね!

SOCIOあめりか村 special live week !!
『Underground Social Meeting ’08』

開催場所:SOCIOあめりか村(大阪心斎橋)
     〒542-0086 大阪市中央区西心斎橋2-11-5 高谷ビル2F
     Tel. 06-6213-2060
     music_socio@venus.livedoor.com
     http://idea-estate.co.jp/socio/(PC用)
     http://blog.m.livedoor.jp/music_socio/index.cgi(携帯用)
     http://blog.livedoor.jp/music_socio/(ブログ)
     フレッシュネスバーガーの近くだよ〜ん

開催日時:2008年11月15日(土)
     17時オープン〜17時30分スタート〜翌午前5時終了予定
入場料金:11/15(土)前売予約1800円/当日2300円
     ※ドリンク代別途500円必要

15日(土)
【Underground Social Meeting 2008〜FINAL DAY〜 ALL NIGHT GIG!!】

BREAK ON THROUGH
DODDODO
monotone
THE BUGGY HOLD JIVE’S(東京)
猿股茸美都子
red ill princess
THE BALLAD
SPEECIES
ZINGI&THE HUNGER
アリスセイラー&ダメージディストーション
オシリペンペンズ
THE GO-DEVILS
ヨルズインザスカイ
A.C.E.
ミンカパノピカ
THE SUN
4-1 しっぴん
THE DISTORTION BABYZ
廃村Z
MINKS
WEIGHT Zero

司会:ガンジー石原
DJ:小西健司(4D、元P-MODEL)
閉会宣言:保山ひャン(モダンチョキチョキズ)

ブーリン家の姉妹

2008年11月14日 映画
ジャスティン・チャドウィック監督の「ブーリン家の姉妹」を見て来た。
16世紀イングランド、ヘンリー8世の妃となり、処刑されたアン・ブーリンとその妹メアリー・ブーリンの物語。メアリーの方はヘンリー8世の愛人として男子を出産したが、その子が王を継ぐことはなかった。メアリーは映画では妹だが、史実によると、アンの姉なのだそうだ。
歴史の物語というと退屈そうに聞こえるが、見てみると、姉妹の女どうしの嫉妬やら愛憎やらの戦いがメラメラと燃え盛っていて、面白かった。まあ、燃えているのは主にアンの方なのだが。
女性向けのメロドラマで、大げさに言えば歴史は女が作る、というような内容になるし、力を持つ男を操縦する方法指南という一面もあるが、総じて下世話な印象だ。
アンを熱演したのはナタリー・ポートマン。メアリーを天然演技でこなしたのはスカーレット・ヨハンソン。女に翻弄されているようにみせて結局一番強かったヘンリー8世を演じたのはエリック・バナ。
ヘンリー8世とアンのあいだに生まれた女児は、後のエリザベス女王になる。

将棋竜王戦は羽生名人が短手数で勝利してこれで3連勝。
夕方からの大盤解説会に行こうかとも考えていたが、解説会がはじまる午後5時にはなんと既に勝敗は決しており、出向かず。解説会も困っていたんじゃないだろうか。

テレビ「美の壷」今日は『コドモノクニ』を中心に絵本を紹介していた。
色や絵の可愛さにももちろん惹かれるが、なにより、谷啓の孫娘役で小池里奈が出ていたのが僕のツボ。

11月9日放送の「現代の音楽」録音したのをやっと聞いた。
                    【ゲスト】猿谷 紀郎
 − 作曲家の個展2008・猿谷紀郎 −(2)
「ホウェアー・イズ・ヒー? 夢 まじらひ
  〜谷川俊太郎の詩“ホウェアー・イズ・ヒー?”とともに〜」
                       猿谷紀郎・作曲
                      (19分54秒)
                   (詩・朗読)谷川俊太郎
                  (管弦楽)東京都交響楽団
                     (指揮)高関  健
「阿佐可夜 流夜真(あさかや るやま)」   猿谷紀郎・作曲
                      (14分08秒)
                  (管弦楽)東京都交響楽団
                     (指揮)高関  健
  〜東京・サントリーホールで収録〜
                   <2008/10/1>

斎藤環の『文学の断層〜セカイ震災キャラクター〜』を読んだ。
以下目次

#0「虚構」と「現実」の相互隠蔽
 はじめに
 レピッシュなサブカルチャー
 虚構スタイルの構造的変遷
 メタリアル・フィクションの時代
 匿名性と虚構性
第1章 キャラクター
#1キャラクターと作家の自意識
 清涼院流水から西尾維新へ
 流水大説
 ミステリーとシニシズム
 西尾維新の小説システム
#2メタ・キャラクター・メタボリズム
 ありえないリアル
 キャラクターから物語へ
 キャラクターにおける「隠喩」と「換喩」
 メタ・リアリズムの不可能性
 名前が支配する「世界」
第2章 棲み分ける「小説」
#3オンライン小説、あるいは文化的誤受信による三幅対
 ベストセラーが象徴する「文化」
 『Deep Love』とヤンキー文化
 『いま、会いにゆきます』とサブカル文化
 『電車男』と「おたく文化」
 棲みわける三つの「文化」
 投瓶通信から振り込め詐欺へ
 想像的誤配、象徴的誤配
 「誤受信可能性」の問題
第3章 家族
#4カーネーションよりも紅いバラを
 家族=母親の疎外
 「物語の欠如」への苛立ち
 「母の呪縛」からの逃走
 母性のしくみ
 若者は「母なき世界」を浮遊する
第4章 戦争とニート
#5「中景」を喪くした「セカイ」
 『宇宙戦争』と「セカイ系」
 『バトル・ロワイヤル』の多重人格性
 視点としての「となり町」、あるいは軍用犬
 微生物とフリークス
#6なぜ「戦争」は「成長」を描き得ないのか
 『君の友だち』における他者
 セカイ系の歴史的端緒
 舞城のセカイ、西尾のセカイ
 他者としての「ニート」
 カーニヴァル化とデータベース
 『りはめ』のセカイと真理の審級
第5章 震災と文学
#7阪神・淡路大震災と文学
 最初の一撃
 震災と戦争
 トラウマからの風景
 「リアル病」
 文学の急性的反応
#8遠隔地のトラウマ
 災害サブカルチャー
 カントとリスボン地震
 震災と「転向」
 震災と書くこと
#9言葉・空間・祈り
 関東大震災と文学
 リアリティの位相
 清涼院流水
 井上廣子の転向
 「心理学化」の水位
 村上春樹における「空間」
 多重化する世界と解離のモチーフ
 空間と祈り

第2章でのヤンキー文化、サブカル文化、おたく文化の話が興味深かったが、どれもこれも「文化」に安住してそれを享受しようとしているうちは、みんな同じ穴のムジナなのである。
また、ケータイ小説にみられる振り込め詐欺的「誤配の余地の無さ」、本文中で言う「送り手の意図いかんにかかわらず、想像的に正しい宛先に届いてしまう手紙」すなわち語受信可能性という新しい不確実性についての下りが興味深い。ちなみに、2008年7月30日第一刷では、このあたりの目次の小見出しが「想像的誤配、象徴的誤記」(正しくは「誤記」でなく「誤配」)とまさしく誤記されて誤配されているのが何かの陰謀のようである。
また、本書で端緒についたと思われる「震災」の考察は今後の展開が楽しみだ。
明らかに、僕は阪神大震災を境に変わってしまったし、勝手にいろんな啓示を受け取り、生き方が変わった。かつて「戦後」という言葉が意味をもっていたように、僕にははっきりと「震後」が生きている。「もはや震後ではない」と言うことができるのはいったいいつの日になることやら。

NHK-FMで第77回日本音楽コンクール − 作曲部門オーケストラ作品・本選会 −
入選「天と光と」                 森川陽子・作曲
                      (16分07秒)
                   (フルート)木ノ脇道元
      (管弦楽)東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
                     (指揮)小松 一彦
第3位「アルベルト・ジャコメッティの“鼻”による変奏曲」
                       大胡 恵・作曲
                      (8分13秒) 
      (管弦楽)東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
                     (指揮)小松 一彦
第2位「“ルーン”オーケストラのための」      江原大介・作曲
                      (11分39秒)
      (管弦楽)東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
                     (指揮)小松 一彦
第1位「レ・フレオ」                江原 修・作曲
                      (11分28秒)
      (管弦楽)東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
                     (指揮)小松 一彦
 〜東京オペラシティ・コンサートホールで収録〜
                  <2008/10/21>
以下、76回日本音楽コンクール − 作曲部門室内楽作品・本選会 −
「パレットの上で奏でるグラデーション」    前田恵実・作曲
                       (9分57秒)
                   (オーボエ)浅間 信慶
                 (クラリネット)中村 克己
                 (サクソフォン)大城 正司
                (ユーフォニウム)斉藤  充
                    (チェロ)高田 剛志
                 (コントラバス)長谷川信久
                     (指揮)夏田 昌和
「ウェル・クレイドル」            山口恭子・作曲
                      (11分15秒)
                  (リコーダー)鈴木 俊哉
                    (ビオラ)桑田  穣
                (パーカッション)伊藤 映子
                   (バリトン)大久保光哉
                    (ピアノ)小坂 圭太
                     (指揮)安良岡章夫
「南国の魚、極彩色の夜」           小出稚子・作曲
                       (6分56秒)
                  (バイオリン)梅沢 和人
                 (クラリネット)重松希巳江
                    (ピアノ)小坂 圭太
「ピエドラ」                稲森安太己・作曲
                      (11分16秒)
                   (ソプラノ)佐竹 由美
                    (ハープ)井上栄利加
                  (バイオリン)川口 静華
                    (ビオラ)甲斐 史子
                    (チェロ)高田 剛志
                      (笙)石川  高
                     (指揮)安良岡章夫


山田正紀の『私を猫と呼ばないで』を読んだ。
月刊「遊歩人」に連載された20枚の短編群の中からよりすぐられた作品に加筆したものが収められている。
以下、それぞれの作品の覚え書き。
ミステリとしての結構を備えているものがほとんどだが、ポイントはそこになく、女性の心情などを描こうとしているようだ。
いちいち書くのも面倒だが、例によってネタバレするので、未読の人はUターン。

「消えた花嫁」
衆人監視の婚礼舟から花嫁が消えた。昔の田舎であるがゆえの消失劇。

「親孝行にはわけがある」
シングルマザーが息子に親孝行について語る。よく聞いてみれば、息子がシングルマザーにする親孝行ではなく、シングルマザーがその父親にする親孝行の話だった。

「猫と女は会議する」
会議のための会議に疲れるサラリーマン。猫は猫で集まって会議をしている。女は猫を相手に会議する。

「津軽海峡、冬景色」
離婚届を出す日に回想する、二人の出逢いの日の思い出。初々しい恋愛の話が展開されるが、結局その二人は結ばれず、別の女性と出逢ったのが今の離婚相手。

「つけあわせ」
スーパーのベンチで毎日きざみキャベツを食べている女性。彼女を追い払おうとあれこれ口実を設けるが、全部対応されてしまう。

「女はハードボイルド」
ATM強盗相手に反撃する女。バイオレンスアクション!
表紙の宇野亜喜良のイラストレーションは、この話からきている。ガラスの破片を持つ女の子。

「窓の見える天窓」
その女性の語る「窓の見える天窓」の話は、入院患者を安らかな気持で死にのぞませる。
評判だけを聞き、その話の内容がどうしても知ることができない。だが、近いうちに彼女に「窓の見える天窓」がどこなのか、教えてもらえる日が来そうである。

「恋の筑前煮」
商品開発で筑前煮にうちこみ、上司のデートの誘いを断わり続けてしまう女性。

「カゴを抜ける女」
カゴ抜けの知恵比べ。

「スイサイド・ホテル」
誰かに、それとも何かにさよならを言った人たちが集まるスイサイドホテル。

「恋のコンビニ愛のチップス」
コンビニ店員に告白してふられた女。そのときヤケ食いしたポテトチップスに違和感を覚え、失恋したときに食べるポテトチップスの味を探しはじめる。毎日ポテトチップスを買うためにコンビニに通ううち、コンビニ店員好みのぽっちゃりタイプになっていた。

「足りないものは何ですか?」
理想的な家具のレイアウトの部屋。別れるにあたって、家具がどっちのものになるかでもめて、ふたり仲良く家具を探しまわる。

「壁の花にも耳がある」
会社の派閥争いで盗聴まで仕掛けられていた。ある社員は派閥と無関係な派遣社員にスパイを頼むが、ふだん派遣の要望を無視してきたツケが彼にふりかかる。

「私を猫と呼ばないで」
ホテルの8階。情事がバレて逃げる女。逃げる際にいろんな部屋の中で起こっていることを目撃する。危険な恋をする若い男女、自殺を決意する老人、盗聴器を仕掛ける闇金の大物、宝石泥棒、裏切り者。女の機転でそれぞれバラバラな部屋の状況が1つに収斂する。

連載された作品の約半分を捨てて単行本にした、ということである。そう言えば、山田正紀の短編集ではそんな言葉を以前にも聞いたことがある。意外と捨ててしまった作品でも拾う神はいるものである。捨てた分を同人誌とか私家版にでもして出してくれれば、僕なんかはむしろそっちを喜んで読みそうだ。

山田正紀の『オフェーリアの物語』を読んだ。
以下、目次
序 人形流しの夏
第1話 顔なし人形の謎
第2話 落ちた人形の謎
第3話 消えた人形の謎
オフェーリア言の葉事典

ハイライトをまず。
「顔なし人形の謎」より

「さきほど男女ふたりの遺体が見つかったーと言ったが、代官所の役人が見つけたときには、虫の息ではあったが、まだ男のほうはどうにか息があったらしい。妙なことにな、この者は下帯ひとつの素裸だったという」
「下帯ひとつの素裸、でございますか」
「うむ、なにしろ男女ともに顔がズタズタに切り裂かれていて、誰なのだか見分けがつかぬ、それで代官所の役人は真っ先に、その男に『誰だ』と訊いたそうな。それに男はうなずいて、与吉、と言った。さらに代官所の役人は、誰にやられたのか、とその男に訊いたよ。するとなー」
「はい」
「人形にやられたとそう答えたのだという」

なぬ?
オフェーリアの物語、というタイトルからは思いもよらぬ、この時代劇、捕物帳風の展開は何?時代はどうなっちょる?と翻弄される。これは「銀魂」や「あまつき」みたいな、時代を超越した物語だととらえた方がわかりやすい。
主人公はリアという少女で、オフェーリアという名のビスクドールをもっている。
リアは人形使(にんぎょうし)で、人形のオフェーリアに入り込んで、照座御代(かみおますみよ)と影歩異界(かげあゆむいかい)の両方の世界を視ることができるのだ。巻末に「事典」ができるくらい、多くの造語による幻想的な世界が広がるわけだが、こういうのは山田正紀の十八番だ。おまけに、この物語は、多くの造語に加えて、時代劇風の言葉使いに、薩摩弁、江戸弁のたんかが入り交じり、多様な言葉が縦横無尽に駆け巡る。
(例)
「軍務をてげてげにしたとは許せんこっじゃっどん、村を思う気持ちに免じて、情状を酌量してやろう。ありがたく受けっがよか」
「ご維新を迎えて赤貧にしんにゅうがかかった」
啖呵をきるのは影華という登場人物で、こんな言い回しをする。
「先祖の助六が聞いてあきれるよ。そんなんじゃ、とてものことに花魁たちのキセルの雨は降りませんのさ」
「てめーみてーな薩摩芋のじゅうさんり、三歳の子供でも齧ってらあ。薩摩芋が怖くて往来が歩けるかってんだ」
そのたびにリアは「影華さん、何を言ってんのかさっぱりわかんないよ」

「顔なし人形の謎」では、顔をズタズタに切り裂かれた死体事件が起き、御所人形の顔が切り裂かれていた。
「落ちた人形の謎」では山車の上から落ちた外国人が、地面に落ちたのを見るとなんとそれは人間ではなく、人形に変わっていた、という事件。山車の上には兵士が立哨に立っており、下の者は上で外国人が叫んだのを聞いているのだ。からくり人形を扱っている。(からくりで動いていたので人間だと勘違いした、というような単純なトリックではない)
モルグ街からのアイディアを使っている。
「消えた人形の謎」は、村から人が消えてしまう事件を扱っている。湯が沸いており、硯の墨が濡れている。つい先程まで人がいたはずなのに、数十人の巡査が村を取り囲むなか、全員消えてしまうのだ。例のあの船の応用ですよ。文楽の浄瑠璃人形が扱われている。
どの話も幻想と推理の物語としてよく出来ているが、さらっと描いているので、作者の仕掛けや趣向を流してしまいそうになる。
どうやら、この連作は続編が用意されているらしいが、早く発表してくれないと、もろもろ忘却の彼方である。

おもくろライブ

2008年11月10日 ライブ
ベアーズで「おもくろライブ」でした。
出演は、次の面々。
●めばちっ娘クラブ
●No.305
●邪王院 弘
●ワンナイトジェラシーズ
●空門
●ぶっちょ&ニシノ
●野中ひゆ
●結城
●丼野M美
●マゾロック
●ここにいる
●進(SHIN)
●学園催
●秋葉原紫音
●(飛び入り)
●佐伯誠之助

飛び入りは、ちやじ&邪王院&保山。
僕を見に来た、というお客さんがいらっしゃったので、飛び入りで出演することを決め、ちょっといつもしないことをしてみました。
いかがでしたでしょうか。

ライブ後は打ち上げして、銭ゲバで朝まで。

M1グランプリ予選2回戦をヨシモト∞ホールに見に行く。
テレビなどで活躍する漫才コンビも出場するとあって、開場前から長蛇の列ができている。
午前11時開演で、ひと組3分の持ち時間。途中休憩が入るまでの約80組を見た。単純計算で4時間ほど。知名度のあるコンビとしては、スマイルや天津、藤崎マーケット、座長座長(吉本新喜劇の座長コンビ)、変ホ長調などなど。天才てれび君MAXからのナンダーMAXも登場した。そのおかげで、帰りにてれび戦士のほのかに会えた。テレビで見る以上に小さくて、可愛くてオーラがあった。ナンダーMAXは、反抗期をネタにしていたが、内容は部屋にとじこもる、というシチュエーションで、そのまんま引きこもりのネタとしても通用しそうだった。引きこもる部屋がトイレだったり、徹子の部屋だったりするのだ。
最後まで見ていれば、ベリーベリーやダブルダッチなど、関わりをもったコンビも見れたのだが、再入場不可で空腹に負けて外に出てしまった。その分、ほのかを見ることができたわけだが。

午後5時半から、SKETCHのスタジオライブ。2ステージあるうちの、1部を見ることにした。
1.恋カナ
2.SOビューティフル
3.ダンス(りーりー、まゆ姉、なっちゃん)
4.お絵描きゲーム(司会:りーりー、みのりん)
 「スヌーピー」「モアイ像」「鉄腕アトム」のお題で絵を描き、一番描けていないメンバーを拍手で決める。罰ゲームをすることになったのは、まゆ姉。鼻眼鏡かけて出っ歯入れ歯して一言しゃべる。視力が悪い出っ歯の外国人の設定。
 みのりんのお手本イラストが「ほーう!」とためいき出るほどうまかった。
5.未来の地図(まゆ姉、のりこ)
6.?
7.ジェスチャーゲーム(司会:まゆ姉)
 のりこ&りーりーチームと、みのりん&なっちゃんチームにわかれて対戦。
 罰ゲームは、のりこ(鼻眼鏡)、りーりー(リーゼントとモミアゲ)
 ゲームに勝つのも罰ゲームをやりきるのも素晴らしいが、罰ゲームで思いきったことしてヒャーと恥ずかしそうに引っ込むのも可愛さのアピールになる。何でもいいのか!何でもいいのさ。人間だもの。
8.イエーめっちゃホリデイ(ダンス)
9.世界中の誰よりきっと
10.COME ON(オリジナル)
6曲目のタイトルがわからなかった。オリジナルの「COME ON」は、メンバーが歌詞に心をこめて、来てくれたお客さんに歌ってくれていた。
ライブ終了後は、各メンバーと、全員揃ってのミニ撮影会。
僕も使い捨てカメラにヘンリー・ダーガーのイラストを貼付けたお手製のカメラで参戦した。
撮影会終わりで、物販。
写真や色紙が並べてあった。
僕は5人揃った写真とサインが入った色紙を購入。
スケッチはとても好感のもてるアイドルユニットで、もっともっと人気が出てほしい。
人間性のよさを正比例で反映させることができれば、必ず大人気を得そうなのだが。
次のライブもスケジュールがあえばぜひ参戦したい。

朝聞いたラジオはまず午前8時半からABCラジオ「日曜落語なみはや亭」
いらち俥/笑福亭たま
アメリカ人が家にやってきた/桂三金
どちらも、「らしい」噺。

続いて聞いた「米朝よもやま噺」はゲストが大西信行。
正岡容が自宅で柳家小さん、米朝の噺を聞く会をしていた話で、大西氏はその集まりの中には推理作家の楠田匡介もいた、と言っていた。楠田匡介が落語を聞きに正岡容宅に行っていた、ということ自体も興味深いが、大西氏が楠田匡介を説明する際に言っていた内容こそ、俄然興味が湧く。大西氏は、楠田匡介とは「コンドーム殺人事件」を書いてデビューした変な作家だと言っていたのだ。
今では楠田匡介の作品を読もうと思ったら、密室物のアンソロジー探すか、文庫でまとめられた脱獄ものを読むくらいしかない。僕は寡聞にして楠田匡介作の「コンドーム殺人事件」を読んだこともなければ、その存在すら知らなかった。「謎のコンドーム」というそれらしい作品が雑誌「ロック」の1949年12月号に掲載されているが、代表作とされている「雪」がその前年の1948年に発表されており、「謎のコンドーム」をデビュー作だというにはタイトルも違うし、時系列もおかしい。楠田匡介の書いたデビュー作「コンドーム殺人事件」はどうすれば読むことができるのだろう。やはりカストリか?

録画しておいたテレビで「扇町寄席」
狸の賽/桂きん枝
サイコロは裏表足して7になる、というところをつっかえそうになってヒヤヒヤ。
(片面が7、裏は無し、という下りを導くために、こういう説明をするのだが、見ていて、サイコロの目は6まで、というふうに言い出すんじゃないか、という話の流れになりかけていた)
しつこいようですが、ライブのお知らせ。
2008年11月10日(月)
★保山ひゃン企画【おもくろライブ】
@難波ベアーズ
 http://home.att.ne.jp/orange/bears/ 電話06-6649-5564 
 556-0001 大阪市浪速区難波中3-14-5新日本難波ビルB1F
 http://home.att.ne.jp/orange/bears/access.html (地図)

18時開場/18時30分開演
前売1500円/当日2000円
※先着入場者プレゼント有

《出演》
●めばちっ娘クラブ
●No.305
●空門
●ぶっちょ&ニシノ
●野中ひゆ
●ワンナイトジェラシーズ
●結城
●丼野M美
●マゾロック
●ここにいる
●進(SHIN)
●ゴルバチョ腐
●マジカルプリンソス
●あたまHEAD
●豪華バウムクーヘン
●保山ひャン
●モーターボート3世
●東京ひょっとこ許可局
●ヘリタプコー
●学園催
●秋葉原紫音
●佐伯誠之助
●邪王院 弘

当日、受付で「フルリレロ〜」と言うと、前売り料金で入れます。(マジ)
午前11時からWTCでAKB48「大声ダイヤモンド」キャンペーンイベント。
若干遅れてはじまったが、出てくるなり「大声ダイヤモンド」を1曲歌ったあとは、とくにトークもなく握手会に入った。
その後、ツリーの点灯式などいろいろあるらしいのだが、握手会の終了まで待っていられないので、歌を聞いたあとは、すぐに四ツ橋まで帰る。
「大声ダイヤモンド」に関しては、CDで聞くのと変わらぬ歌唱力でびっくりした。まるで口パクのような、安定した歌唱。

12時半からclub vijonで「BUG- bring up girls-」
9月のBUGで見逃した前半戦の出演者が今回も出演しているので、やっとのことで補完できるか。
新希咲愛
とは言え、到着時、この子のラストの歌の真っ最中だった。たぶん2曲歌ったと思うが、そんなわけで全貌を知るにいたらず。次回に期待。

宮崎亜美
ドラゴンボールの歌など歌っていた。
いきなり「スーパーサイヤ人です!」など叫んでいて面白い。
この子が出ているというので、帰宅後、NHKの「一期一会」を見た。
大きな夢(アイドル志望)の彼女と、万古焼陶芸の職人で足元の夢をこつこつ叶えようとする女性との出逢い。なのだが、どうも2人の夢が両方の極として対比できるものには思えなかった。陶芸職人は、亜美ちゃんの夢は「それは夢じゃなくて単なるあこがれなんじゃないか」とか「人に夢を与える、と言っているが、今は人に夢を見させてもらっている」とか言ってた。それぞれ、まったくもってその通り、なのだが、それは否定したり改善したりする必要のないことだと思う。あこがれの何が悪い。「人に夢を見させてもらってる」そんな女の子を見ているだけでも、僕は夢を与えてもらっているのだ。個人的に言えば、亜美ちゃんが職人の道を選ばずに、アイドルとしてステージに立ってくれていることに、僕は感謝しているのである。
ただ、アイドルとして付加価値をつけるためには、もうちょっと演出が必要だと思う。衣装や選曲や歌い方など。こんなことを思ったのは、ステージで見た彼女もいいが、テレビで見たメイド姿の彼女にまた違う大きな魅力を感じたからだ。

仲村コニー
1.桃色片想い
2.ラムのラブソング
9月のBUG見に行ったときに、客席にお人形さんのように可愛い子がいるなあ、と感心していたのが、彼女だ。9月のときにステージを見れなくて、ステージはどうなんだろう、とワクワクして見た。
緊張していたようだが、彼女の場合は緊張もまた魅力に転換するマジックがそなわっているようだ。変にスレることなく、まっすぐ育っていってほしいと思う。

雪菜
オリジナルの「ウィル」など歌う。

M/W
1.うしろ指さされ組
2.ひとさし指ロマンス
3.リレーションズ
4.最強○×計画
5.最強ヒロイン瞬殺スマイル
お笑いネタのオタ芸の開拓が課題だとか!
ゲスト枠で出演だが、ゲストの出る前に流れるはずの映像がなかなか準備できなくて、かなり間があいた。この時間のロスが、ラストにいたってアンコールなしの事態を招いた。よかれと思って企画したことがアダになってしまったケース。おまけに、そのとき流れた映像も、このために撮った映像ではなく、今までのライブやテレビ映像のダイジェストで、まだまだ改良の余地がありそうだ。

シャンティ
夏水ericoと春菜ありさの2人組。
「ゼロの使い魔」と「ロザリオとバンパイア」からのアニメソングを歌った。
女子高生2人組といった風情で、かつての「マミホ」をほうふつとさせた。

夏雪
1.浮気なハニーパイ
2.ハレ晴れユカイ
「うどんもいいけど、わたしゃあんたのソバがいい」
「差し歯もいけど、わたしゃあんたが入れ歯いい」
謎かけも。「BUGのお客さんとかけて、クリームシチューととく。その心はあたたかい!」
夏輝ちゃんが水戸黄門に出たこともあわせて、なんだか和風&古風な味付けが面白い。

にゃんパラ
「にゃんパラ」という名前なのに、それには触れず、自分のことをずっと「ゆえ様」(優恵)と呼び続けていた。
キャラ作りがアニメ的で、二次元の世界から降臨した雰囲気。
「恋カナ」では歌詞とびまくり。

Mari7
この前のプラッツのライブで愛梨のステージにゲストで出て来たのが彼女だ。
フェミニンなそのときとは違って、今回はボーイッシュなロッカーのイメージ。
CDに入っているオリジナル「インスピレーション」歌ってるのを聞いて、「あっ、この歌知ってる!プラッツに出てた子だ!」とわかったのだから、女の子は衣装で大きく印象が変わるものだと思い知らされる。
ステージ度胸は満点。

4 leaf clover
1.ダンス
2.ヌーワールド
3.シャイニーロード
4.エンプティワールド
5.カラーオブシーズン
6.恋の魔法
衣装はスリットが深く入ったチャイナ服を脱ぐと、へそ出しルック。
衣装に対する感覚が他の出演者とは違うなあ、と思って出演者リスト見てみたら、ダンスできるのは彼女たちだけなのであった。

ましゅまろチェリーBURGER
1.ペッパー警部
2.恋ing
3.大声ダイヤモンド
DDネタや、「恋ましゅチェリing」とタイトルを言ってみたり、歌詞を替えて歌うのがましゅチェリで流行中。
「大声ダイヤモンド」は途中で音が途切れて、最初から。WTCで待機中に流れた分もあわせると、今日は「大声ダイヤモンド」のヘビーローテーションである。

みりん☆
魔法少女〜おジャ魔女、とマジカルな選曲のあと、
オリジナルのちゅーんラブ。
ちゅーんラブでの顔の横でスタン・ハンセン的猛牛振付けもおなじみ。
前回のプラッツでその兆候はあったが、今回のライブで、僕はすっかりこの「みりん☆」の大ファンになってしまった。
とにかく、何を歌っても、みりん節になるのだ。こんなに個性の突出したアイドルも珍しいのではないか。破壊的な魅力だ。お茶じゃなく水を飲む、というなんだかわからない出来事までもが立派なパフォーマンスになる。
不思議とアーティスト写真に見られるような上目使いの顔よりも、客席からステージ上の彼女を見たときのアングルが、より可愛い。また、客席で他の出演者のライブに乗っている彼女の姿(後ろ姿含む)もめっちゃくちゃ可愛いのだ。
とても気に入ったので、CDや写真でも買えばいいようなものだが、物販で人を押しのけたり、並んだりするのは苦手なのだ。おしゃべりするのも緊張する。シャイなので。また機会があれば、みりん☆グッズを買おう。
日記にヴィヴィアンのオーブが載っていて、野ばら君経由で知った、とか、おジャ魔女(宍戸留美)歌うとか、僕の友達とリンクしているのが、より親しみを覚えさせるのかもしれない。

アズ&咲
1.さくらんぼ
2.笑っちゃおうよボーイフレンド
3.ナイトでないと
おなじみのラインナップでお送りいたしました!

ピヨラビ
1.ゴッドノウズ
2.空色デイズ
3.光のキャンベル
男装の2人組。from東京。
オタ芸に特化しており、ステージ上からmixを発動したり、秋葉原ではやっている「イエローパンチョス」を紹介したり。
ドリームパーティでオタ芸が禁止になるなど、オタ芸粛正のムーブメントに対する、まさに反逆のオタ芸伝道師である。

MarryDoll
1.ラブ&ジョイ
2.ベイビースター
3.テルミー
4.さあ恋人になろう
5.ひまわり〜ハニーチューン
6.ホントのじぶん
これは、ここまで長丁場のライブを見て来たお客さんへの御褒美のようなもの。
でも、1組の持ち時間が30分以内、というのが疲れなくて僕にはちょうどいい。

ライブ終了後の物販はなんだか込み合っていて、回避。
帰りにまんだらけに寄って、安い漫画買う。
読んだ漫画は勝又進作品集『赤い雪』
以下、目次。
桑いちご
木魂
鈴虫坂
袋の草紙
子消し
夢の精
まぼろし
虎次郎河童
雁供養
赤い雪
エッセイ
 鯨捕り
 雪女
 冬の夜遊び
 寒造り
解説 呉智英
勝又進自筆年譜

「村(むーらー)の時間(じーかん)の時間(じーかん)がやってまいりました」という感じ。こういう民俗学で扱われるような話は、こういう書き手の存在によって伝わりやすく届くんじゃないか、と思った。

大阪農林会館にあるArundel(アランデル)に行ってきた。
フライヤーには、こんな説明文が。
「11月の間、アランデルが不思議の国に変わります!
期間中、店内はアリスのグッズでいっぱい!」
このフライヤーの素晴らしいところは、アリスグッズを並べるなら、定番とも言えるテニエル卿の絵を使いそうなものなのだが、それをあえて使わず、ルイス・キャロルが撮影したアリス・リデルの写真を使っていることだ。
そして、フライヤーには「永遠に醒めない、アリスの夢の世界へ…」と書いてある。これはテニエルやディズニーのアリスに魅せられるいわば女性目線の世界ではなく、ルイス・キャロルの、そして遡ればアリス・リデルに魅せられる男性目線の意匠なのである。
店内にはマクミランのアリスグッズなどが並ぶ。スタンプだとか傘だとか鞄、時計に単語帳まであった。
建物の古めかしさとあいまって、この農林会館には時間が止まったような店がいくつかある。万博グッズなどが並ぶ「日本極東貿易プロジェクト」に至っては「Stop the Time」と堂々と銘打っているくらいだ。
少女を封印しようとしたルイス・キャロルをコンセプトにもってきたアランデルは、この店、この建物にしてうまくマッチングしているように思えた。

現代音楽を聞きに京都の春秋座まで行く予定ではあったが、やはり、春秋座は遠過ぎた。うろうろしているうちに、間に合わない時間になり、あきらめる。
テレビで再放送していた将棋の羽生名人への90分インタビュー番組を見た。
将棋を知らない人にも面白く聞けるような内容だったが、そうなると、いきおいプレジデント系の、というかビジネス書みたいな雰囲気が漂いはじめるのがいやな感じだった。子育てや教育や、企業で何かを考える際のヒントにも応用できますよ、というような提示の仕方が鼻につく、というか。
羽生名人の強さに迫る、というテーマをもうけながら、人生哲学っぽい名言が出てくると、素晴らしい話が聞けた、と納得する根性があさましいのだ。
こういった反感は、もちろん、羽生名人側には何の落ち度もない。問題は聞き手のアナウンサーにあった。どうもこのアナウンサー、将棋のことをよく知らないんじゃないか、というのが言葉使いのはしばしにあらわれるのだ。それでも、含蓄のある言葉を発することができた羽生名人こそ賞賛されるべきであろう。賞賛してたけど。
読んだ漫画は田邊剛の『アウトサイダー』
ラヴクラフトの「アウトサイダー」、チェーホフの「中二階のある家」、ゴーリキーの「二十六人の男と一人の少女」の漫画化。
そして呪画のシリーズ。魔を筆によって紙に封印する悪魔祓い話。これはオリジナルになるが、名作と並べてみると、とたんに話が陳腐に見えてしまうのが残念なところ。
円堂都司昭の『「謎」の解像度(レゾリューション)〜ウェブ時代の本格ミステリ』を読んだ。
以下、目次

プロローグ 基本感情
 現実への抗いとしてのミステリ 有栖川有栖
1、場所
 シングルルームとテーマパーク 綾辻行人
 プライバシーの壊れた場所 折原一
 楽園であり牢獄である都市 芦辺拓
2、人・アイデンティティ
 「私」と「わたし」のギャラリー 北村薫
 個人性の回復と分身 法月綸太郎
 交換可能な人、あてレコ的な世界 麻耶雄嵩
 編集・加工される記憶 島田荘司
 「人間」を描くための「眼」 道尾秀介
3、システム・世界
 POSシステム上に出現した「J」−90年代ミステリに与えた清涼院流水のインパクト
 人と世界の多重イメージ 歌野晶午
 現実感の裂け目の不条理 貫井徳郎
 検索が無効な空間 我孫子武丸
 相対化される推理 竹本健治
4、人とシステム
 ファストフード的世界と疎外感 西澤保彦
 器としての人形・館 綾辻行人2
 モノ化するコトと「環境」の多面性 京極夏彦
 ゼロ年代の解像度(レゾリューション)−本格ミステリをめぐる現在
エピローグ 「青春」「紙の本」以後
 青春以前小説/青春以後小説 米澤穂信
 「本の終焉」以後の小説−北山猛邦『少年検閲官』と山田正紀『ミステリ・オペラ』

一番面白かったのは、「1、場所」の各論。
そのなかで、駄目押しの推測がツボに入った。
たとえば、綾辻80年代のシングルルームから清涼院90年代のストリートへのうつりかわりを示す、次のような表記。
「だが、80年代的なシングル・ルーム感覚は、やがて携帯電話に代表される90年代のストリート感覚によって蝕まれ変質していった。このことは『黒猫館の殺人』(92年)以後、<館シリーズ>が長期にわたって中断したことと微妙に関係しているようにもみえた」
これぞ、『成吉思汗の秘密』でラストに明かされる「なるよしもがな」的駄目押しの締めくくりだ。
冷静に考えると、「ほんまにそうかいな?」と言うような粗い推理だが、傾いている体勢に加えられる最後のひと押しとして機能している。
同じ論考で、こんな文章も。
「『コズミック』(96年)で進行する1200個の密室殺人計画が、まず平安神宮の路上の密室でスタートしたことは暗示的だ」
著者は控えめに「〜ようにもみえた」とか「暗示的だ」と濁しているが、ここは断言してもらって、快哉を叫ばせてもらいたいところだ。
林忠彦の『カストリ時代』を読んだ。
先日テレビで林忠彦の映像見たり、カストリ雑誌の小説関連の本読んだりして、僕のなかではちょっとしたカストリブームだったのだ。
以下、目次
誰か故郷を想わざる
占領の時代
焼け跡・闇市
戦災孤児の街
甦った青春
ニコヨンの哀歓
戦後の象徴・上野駅
空手チョップと赤バット
スター誕生
最後の文士
帰らざる日々
スルメと焼酎/吉行淳之介

僕が生まれるちょっと前の時代の写真だというのに、なんだか懐かしく思える。
文章は著者への聞き書きをもとに編集されている。
MPと殴り合いして血みどろになった秋山庄太郎の武勇伝とか、泥酔した女性のパンツを肴に飲んだ話とか、いちいち面白い。
カストリに関しては、こんな文章が。
「辞典に書いてあるような本物(のカストリ焼酎)はそれほど悪い酒じゃない。酒の粕を蒸留した、非常に香りの高い、いや味のない、いい酒といっていい。
戦後、カストリと称した酒は、まったく鼻つまんで飲まなきゃ飲めないような、何でできたかわからないような、ただアルコール度が強いだけの酒だった。だから、本当の意味のカストリ焼酎を作っていた醸造元は大変な迷惑を被ったんじゃないかと思う」
「朝になっても、目やにがこびりついて目があかない。それで、自分の手で瞼をひろげて、ああ、見える見えるって、やっと安心したような時代だった。そして、いつしかひどくなっていって、おしっこに血が混じりはじめた。これはいかんと深刻になったころには、やがてビールが出回り、ウィスキーも何となく出てくるような時代に変わってきて助かった。当時、ヒロポンの錠剤を頬張って、それで徹夜つづきの仕事をやったこともあった。あのまま続いていたら、おそらく盲目になったが、早くもあの世行きだったろう」
ひどい時代のはずなのに、なんともエネルギッシュ!

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