『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』3
2012年11月30日 読書 コメント (1)ブルーノ以降の流れ。
祇園精舎の鐘の声。
(前回までのあらすじ)
かわいそうだよヘルメス3は。
サバを読んだがバレて~ら。(適当)
さて、つづき。
第20章 ジョルダーノ・ブルーノとトンマーゾ・カンパネッラ
ブルーノを継ぐ者
「カンパネッラは、その人生の第一幕において、ブルーノの足跡を忠実に辿っていた。そのことをわたしは確信しているしかしそれにもかかわらず、彼はブルーノの運命を回避することに成功した。それは彼が一種の世渡りの知恵、つまりある種の狡知を備えていたからだが、まさにこうした世間知がブルーノには全く欠如していたのだった」
カラブリア反乱
「とはいえ事実として、このカラブリア反乱は、ブルーノの改革計画を実地に行動に移したもののように思えるのであり、企図と実行の類似性は一目瞭然である」
『太陽の都市』
「カンパネッラの理想都市は、ルネサンス期の宗教的ヘルメティズムという伝統が生み出した、非常に豊かな、またさまざまな形態をとる文化的営為の中に位置づけられるべきものである。それは確かに、極端に魔術的なタイプの宗教的ヘルメティズムを本質とするものである。しかしまたカンパネッラは、ヘルメス教文献のキリスト教化が非常に一般化していたために、<太陽の都市>の「天然自然な」宗教と法律はキリスト教に近いものだと信ずることもできたのだった。つまりその宗教は、キリスト教の聖餐で完成され得るものであり、キリストを<魔術師>として尊崇するならば、新しい普遍的な宗教と倫理を形成することができるのである。そしてカンパネッラは、世界がまさにこの新しい宗教倫理を待ちわびてしることを確信していたのだった」
教皇のための魔術儀式
「彼は同じ種類の魔術儀式を自身の死の寸前にも行っている。その年1639年にも食が起き、カンパネッラはそれが自分の死を告げるものであることを怖れた。そこでこの『占星術』に描かれた魔術儀式を、自分自身の厄除けのために、サントノレ通りにあったドメニコ会修道院の寄宿室で行ったのだった。
この儀式で演奏された音楽について言えば、これはウォーカーも指摘するように、<食>のために悪い状態に陥った現実の天体の代わりに、人工の、幸運をもたらす天体を造り出すことを目指していたのだろう」
カンパネッラの〈神学大全〉
「本書で研究してきたルネサンス魔術の歴史では、まずフィチーノが、究極的にはヘルメス教に遡行する<魔術>の観念を一般化し、それにピコ・デッラ・ミランドラがカバラを付加補足したのだった。この補足は、カバラに内在する力によって、<魔術>と天使の世界の連続性が再度強化されたことを意味する」
カンパネッラの自然哲学
「ブルーノとカンパネッラは、一つの連続する流れの中で捉えねばならない。われわれが本書で試みてきたこともこの連続性の検証であった。フィチーノはヘルメス教的魔術を復興するに際して、それがキリスト教と両立可能だと弁明し、護符の使用を正当化するためにトマス・アクィナスの権威を援用しようとした。ピコ・デッラ・ミランドラは魔術とカバラが、キリストの神性を証明していると考えた。教皇アレクサンデル六世は、ヴァティカンにエジプト主義のモティーフを山盛りにしたフレスコ画を描かせ、<魔術>の擁護者としての名を残した。こうした傾向の元々の起こりはと言えば、ラクタンティウスがヘルメス・トリスメギストスを教会制度内に受け入れたことにある」
カンパネッラの政治思想
「カンパネッラは、このように、決して一個の自由主義的革命思想家などではなかった。彼が理想とした国家は、かつてのエジプトがそうであったような、絶大な権力を持つ神権国家である。その権力は、科学的魔術によって天上界の感応霊力を十二分に統御するほど絶大であり、それによって住民すべての生命をも統括することになる」
教皇庁との関係
「カンパネッラが一過性のものにせよ、ともかく実際にローマである程度の成功を収めかけたということは、似たような試みの結果火刑台に果てたジョルダーノ・ブルーノの先例を想起すれば、まさに驚くべきことである。ブルーノもフランクフルトで全世界を一つの宗教にするための計画を「占星術化」して示し、伝道の使命に燃え、教皇に献呈する予定の自著を携えて、イタリアに帰国したのだった」
フランス王国への接近
「この波瀾万丈のカンパネッラの生涯において、われわれは果たして<太陽の都市>という一つの象徴的観念自体が持ったしぶとい持続力に驚くべきなのか、それともむしろカンパネッラという個人が、この象徴的観念を自在に変容させ、出発点の全面的敗北を名誉ある勝利へと導いてみせたその劇的天界に感嘆するべきなのか、ほとんど決めかねてしまう」
ブルーノとカンパネッラの対比
「カンパネッラとブルーノの人生の共通点が、はっきり右左に分岐していく地点が存在する。カンパネッラは、ブルーノのようにプロテスタントの国々で暮らしたこともなければ、その異端の国々の君主崇拝に参加したこともない」
最後の〈魔術師〉
「このようにほとんどすべての点で、ブルーノとカンパネッラは、その気質や性格は異なるものの、非常に近い縁戚関係にある二人の人物のように見える。その人生行路は変化やさまざまな運命の違いを伴いつつも、お互いに重なり合い、反復している。彼らは20年の間隔を置いて、共に大いなる力に駆り立てられるようにして、宗教的ヘルメティズムを極端に魔術的な形態に変容させ、その思想を世界の中に解き放つ」
第21章 ヘルメス・トリスメギストスの年代同定以降
ヘルメス文献への死刑宣告
「イザーク・カゾボンが1614年に、ヘルメス文献は、非常に古い時代に生きた一人のエジプト神官の真作ではなく、キリスト生誕後の時代に書かれたものだという年代同定を行った時、それがまさにルネサンスと近代を分かつ分水嶺となったのである」
復古的ヘルメス主義者――ロバート・フラッド
「フラッドは『両宇宙誌』においても、また他の浩瀚な数々の著作においても、この新しい年代同定を完全に無視した。つまり彼は、カゾボンがあたかも全く生まれてもいないかの如くに、宗教的ヘルメティズムの経験世界に生き、この経験世界固有の、太古のエジプト人、ヘルメス・トリスメギストスに対する深甚なる尊崇の念を持ち続けたのである」
復古的ヘルメス主義者――薔薇十字団
「薔薇十字団の構想する世界の全面的改革は、おそらく神秘的かつ魔術的な過程を辿ることになり、ブルーノが歓呼の声と共に迎えた昇り行く魔術的改革の太陽と似たものになるだろう」
復古的ヘルメス主義者――アタナシウス・キルヒャー
「ジョルダーノ・ブルーノのエジプト主義は、神霊的なものであり、革命的なものであった。それはエジプト的-ヘルメス的宗教の完全なる復活を求めるものだったからである。イエズス会士であったキルヒャーのエジプト主義は、確かに悪霊的魔術を厳しく排斥するし、キリスト教を至高のものと位置づけはするものの、そこにおいてはエジプトとエジプトの十字架がキリスト教の背景でふと津の役割を果たしてもいる。この立場の歴史的根拠は、ある意味で、あのヘルメス・トリスメギストスの教会内への侵入という重大な事件であったと言うことができる」
ケンブリッジ・プラトン派とカゾボンによる〈ヘルメス文書〉の年代同定
「よく知られているように、ケンブリッジ・プラトン派として括られているイギリスの思想家たちは、17世紀においても、ルネサンス・プラトニズムの観念と伝統の多くを継承していた。この学派の代表格はヘンリー・モアとラツフ・カドワースである。しかしこの二人は、フラッドやキルヒャーとは違って、<ヘルメス文書>に対するカゾボンの文献批判を知っていたし、またそれを受け入れてもいた。この近代的認識によって、彼らはヘルメス・トリスメギストスをもはや<始源の神学者>と見做すことができなくなった」
第22章 ヘルメス・トリスメギストスとフラッド論争
メルセンヌのルネサンス魔術批判
「われわれは厳密科学の知見が、このわれわれの生きる20世紀に長足の進歩を遂げた現状に目を眩まされて、それがその出発点においていかにひ弱なものだったか、自然現象の唯一の説明方式であることを自負していた魔術的自然観の蔓延に対して、メルセンヌが攻撃を加えた際に身に纏った科学的な鎧兜一式がいかに軽装のものだったか、という事実を忘れてしまいがちである」
フラッドの反撃
「フィチーノ以来、ヘルメティズムは時代思潮の方向をその核心において決定してきた。しかしもはやその支配的な位置を維持することはできなくなった。そして「薔薇十字のヘルメティズム的夢想」を代表とする秘教的な地下集団へと潜行していくことになったのである」
フラッド対ケプラー
「フラッドの数学的操作は、本当は「普遍学」であり、「空しい幾何図形もどき」である。なぜなら彼は数学を「化学」及び「ヘルメス学」と完全に混同してしまっているからである。ケプラーが目指しているのは、「ピュタゴラス教徒たちんぽ設定する目的」ではなく、事物それ自体である」
薔薇十字団の影
「メルセンヌは、ブルーノの哲学体系の背景に「伝道的使命」が隠されていることを見抜いた」
ヘルメティズムと科学革命
「「ヘルメス・トリスメギストス」の統治の時代は、年表的な正確さを伴っている。それが始まったのは、フィチーノが新しく発見された『ヘルメス選集』をラテン語訳した15世紀末である。そしてそれはカゾボンがその文献の誤認を暴露した17世紀初頭に終わる。この両端に挟まれたヘルメスの君臨する時代に、やがて近代科学の抬頭を生むことになる新しい世界観、新しい視座、新しい動機の蠢動が見られるのである」
ジョルダーノ・ブルーノの真実
「ドメニコ・ベルティがブルーノを英雄として祭り上げて以来、ブルーノに対する正しい理解は阻害されてきた。彼の解釈に拠れば、ブルーノはコペルニクスの理論が真実であることを否認するよりは死を選んだ科学的確信の英雄であり、近代科学の殉教者であり、中世的アリストテレス主義の束縛を破って近代世界の到来を告知した先駆者である。通俗的なブルーノ像というものは、いまだに概ねこのベルティのブルーノ観に規定されている。もしわたしがこのブルーノ観の根本的な誤りを最終的に証明できなかったとすれば、本書は全く無駄だったことになる」
ヘルメティズム的法悦としての〈デカルトの夢〉
「ではどうしてデカルトはそれほどまでに、精神を軽蔑し、もしこう言ってよければ、それを怖れたのだろうか。そしてそれを機械論的な宇宙と数学から取りのけるために、それ自体としてのみ自立するような場所に置いたのだろうか。これはあるいは彼の世界、彼が全身全霊で確立しようとする新しい世界像が「ヘルメス・トリスメギストス」との葛藤の裡から誕生したということを意味しているのではないだろうか」
原註
訳注
解説 ルネサンス的均衡における魔術の内化 前野佳彦
祇園精舎の鐘の声。
(前回までのあらすじ)
かわいそうだよヘルメス3は。
サバを読んだがバレて~ら。(適当)
さて、つづき。
第20章 ジョルダーノ・ブルーノとトンマーゾ・カンパネッラ
ブルーノを継ぐ者
「カンパネッラは、その人生の第一幕において、ブルーノの足跡を忠実に辿っていた。そのことをわたしは確信しているしかしそれにもかかわらず、彼はブルーノの運命を回避することに成功した。それは彼が一種の世渡りの知恵、つまりある種の狡知を備えていたからだが、まさにこうした世間知がブルーノには全く欠如していたのだった」
カラブリア反乱
「とはいえ事実として、このカラブリア反乱は、ブルーノの改革計画を実地に行動に移したもののように思えるのであり、企図と実行の類似性は一目瞭然である」
『太陽の都市』
「カンパネッラの理想都市は、ルネサンス期の宗教的ヘルメティズムという伝統が生み出した、非常に豊かな、またさまざまな形態をとる文化的営為の中に位置づけられるべきものである。それは確かに、極端に魔術的なタイプの宗教的ヘルメティズムを本質とするものである。しかしまたカンパネッラは、ヘルメス教文献のキリスト教化が非常に一般化していたために、<太陽の都市>の「天然自然な」宗教と法律はキリスト教に近いものだと信ずることもできたのだった。つまりその宗教は、キリスト教の聖餐で完成され得るものであり、キリストを<魔術師>として尊崇するならば、新しい普遍的な宗教と倫理を形成することができるのである。そしてカンパネッラは、世界がまさにこの新しい宗教倫理を待ちわびてしることを確信していたのだった」
教皇のための魔術儀式
「彼は同じ種類の魔術儀式を自身の死の寸前にも行っている。その年1639年にも食が起き、カンパネッラはそれが自分の死を告げるものであることを怖れた。そこでこの『占星術』に描かれた魔術儀式を、自分自身の厄除けのために、サントノレ通りにあったドメニコ会修道院の寄宿室で行ったのだった。
この儀式で演奏された音楽について言えば、これはウォーカーも指摘するように、<食>のために悪い状態に陥った現実の天体の代わりに、人工の、幸運をもたらす天体を造り出すことを目指していたのだろう」
カンパネッラの〈神学大全〉
「本書で研究してきたルネサンス魔術の歴史では、まずフィチーノが、究極的にはヘルメス教に遡行する<魔術>の観念を一般化し、それにピコ・デッラ・ミランドラがカバラを付加補足したのだった。この補足は、カバラに内在する力によって、<魔術>と天使の世界の連続性が再度強化されたことを意味する」
カンパネッラの自然哲学
「ブルーノとカンパネッラは、一つの連続する流れの中で捉えねばならない。われわれが本書で試みてきたこともこの連続性の検証であった。フィチーノはヘルメス教的魔術を復興するに際して、それがキリスト教と両立可能だと弁明し、護符の使用を正当化するためにトマス・アクィナスの権威を援用しようとした。ピコ・デッラ・ミランドラは魔術とカバラが、キリストの神性を証明していると考えた。教皇アレクサンデル六世は、ヴァティカンにエジプト主義のモティーフを山盛りにしたフレスコ画を描かせ、<魔術>の擁護者としての名を残した。こうした傾向の元々の起こりはと言えば、ラクタンティウスがヘルメス・トリスメギストスを教会制度内に受け入れたことにある」
カンパネッラの政治思想
「カンパネッラは、このように、決して一個の自由主義的革命思想家などではなかった。彼が理想とした国家は、かつてのエジプトがそうであったような、絶大な権力を持つ神権国家である。その権力は、科学的魔術によって天上界の感応霊力を十二分に統御するほど絶大であり、それによって住民すべての生命をも統括することになる」
教皇庁との関係
「カンパネッラが一過性のものにせよ、ともかく実際にローマである程度の成功を収めかけたということは、似たような試みの結果火刑台に果てたジョルダーノ・ブルーノの先例を想起すれば、まさに驚くべきことである。ブルーノもフランクフルトで全世界を一つの宗教にするための計画を「占星術化」して示し、伝道の使命に燃え、教皇に献呈する予定の自著を携えて、イタリアに帰国したのだった」
フランス王国への接近
「この波瀾万丈のカンパネッラの生涯において、われわれは果たして<太陽の都市>という一つの象徴的観念自体が持ったしぶとい持続力に驚くべきなのか、それともむしろカンパネッラという個人が、この象徴的観念を自在に変容させ、出発点の全面的敗北を名誉ある勝利へと導いてみせたその劇的天界に感嘆するべきなのか、ほとんど決めかねてしまう」
ブルーノとカンパネッラの対比
「カンパネッラとブルーノの人生の共通点が、はっきり右左に分岐していく地点が存在する。カンパネッラは、ブルーノのようにプロテスタントの国々で暮らしたこともなければ、その異端の国々の君主崇拝に参加したこともない」
最後の〈魔術師〉
「このようにほとんどすべての点で、ブルーノとカンパネッラは、その気質や性格は異なるものの、非常に近い縁戚関係にある二人の人物のように見える。その人生行路は変化やさまざまな運命の違いを伴いつつも、お互いに重なり合い、反復している。彼らは20年の間隔を置いて、共に大いなる力に駆り立てられるようにして、宗教的ヘルメティズムを極端に魔術的な形態に変容させ、その思想を世界の中に解き放つ」
第21章 ヘルメス・トリスメギストスの年代同定以降
ヘルメス文献への死刑宣告
「イザーク・カゾボンが1614年に、ヘルメス文献は、非常に古い時代に生きた一人のエジプト神官の真作ではなく、キリスト生誕後の時代に書かれたものだという年代同定を行った時、それがまさにルネサンスと近代を分かつ分水嶺となったのである」
復古的ヘルメス主義者――ロバート・フラッド
「フラッドは『両宇宙誌』においても、また他の浩瀚な数々の著作においても、この新しい年代同定を完全に無視した。つまり彼は、カゾボンがあたかも全く生まれてもいないかの如くに、宗教的ヘルメティズムの経験世界に生き、この経験世界固有の、太古のエジプト人、ヘルメス・トリスメギストスに対する深甚なる尊崇の念を持ち続けたのである」
復古的ヘルメス主義者――薔薇十字団
「薔薇十字団の構想する世界の全面的改革は、おそらく神秘的かつ魔術的な過程を辿ることになり、ブルーノが歓呼の声と共に迎えた昇り行く魔術的改革の太陽と似たものになるだろう」
復古的ヘルメス主義者――アタナシウス・キルヒャー
「ジョルダーノ・ブルーノのエジプト主義は、神霊的なものであり、革命的なものであった。それはエジプト的-ヘルメス的宗教の完全なる復活を求めるものだったからである。イエズス会士であったキルヒャーのエジプト主義は、確かに悪霊的魔術を厳しく排斥するし、キリスト教を至高のものと位置づけはするものの、そこにおいてはエジプトとエジプトの十字架がキリスト教の背景でふと津の役割を果たしてもいる。この立場の歴史的根拠は、ある意味で、あのヘルメス・トリスメギストスの教会内への侵入という重大な事件であったと言うことができる」
ケンブリッジ・プラトン派とカゾボンによる〈ヘルメス文書〉の年代同定
「よく知られているように、ケンブリッジ・プラトン派として括られているイギリスの思想家たちは、17世紀においても、ルネサンス・プラトニズムの観念と伝統の多くを継承していた。この学派の代表格はヘンリー・モアとラツフ・カドワースである。しかしこの二人は、フラッドやキルヒャーとは違って、<ヘルメス文書>に対するカゾボンの文献批判を知っていたし、またそれを受け入れてもいた。この近代的認識によって、彼らはヘルメス・トリスメギストスをもはや<始源の神学者>と見做すことができなくなった」
第22章 ヘルメス・トリスメギストスとフラッド論争
メルセンヌのルネサンス魔術批判
「われわれは厳密科学の知見が、このわれわれの生きる20世紀に長足の進歩を遂げた現状に目を眩まされて、それがその出発点においていかにひ弱なものだったか、自然現象の唯一の説明方式であることを自負していた魔術的自然観の蔓延に対して、メルセンヌが攻撃を加えた際に身に纏った科学的な鎧兜一式がいかに軽装のものだったか、という事実を忘れてしまいがちである」
フラッドの反撃
「フィチーノ以来、ヘルメティズムは時代思潮の方向をその核心において決定してきた。しかしもはやその支配的な位置を維持することはできなくなった。そして「薔薇十字のヘルメティズム的夢想」を代表とする秘教的な地下集団へと潜行していくことになったのである」
フラッド対ケプラー
「フラッドの数学的操作は、本当は「普遍学」であり、「空しい幾何図形もどき」である。なぜなら彼は数学を「化学」及び「ヘルメス学」と完全に混同してしまっているからである。ケプラーが目指しているのは、「ピュタゴラス教徒たちんぽ設定する目的」ではなく、事物それ自体である」
薔薇十字団の影
「メルセンヌは、ブルーノの哲学体系の背景に「伝道的使命」が隠されていることを見抜いた」
ヘルメティズムと科学革命
「「ヘルメス・トリスメギストス」の統治の時代は、年表的な正確さを伴っている。それが始まったのは、フィチーノが新しく発見された『ヘルメス選集』をラテン語訳した15世紀末である。そしてそれはカゾボンがその文献の誤認を暴露した17世紀初頭に終わる。この両端に挟まれたヘルメスの君臨する時代に、やがて近代科学の抬頭を生むことになる新しい世界観、新しい視座、新しい動機の蠢動が見られるのである」
ジョルダーノ・ブルーノの真実
「ドメニコ・ベルティがブルーノを英雄として祭り上げて以来、ブルーノに対する正しい理解は阻害されてきた。彼の解釈に拠れば、ブルーノはコペルニクスの理論が真実であることを否認するよりは死を選んだ科学的確信の英雄であり、近代科学の殉教者であり、中世的アリストテレス主義の束縛を破って近代世界の到来を告知した先駆者である。通俗的なブルーノ像というものは、いまだに概ねこのベルティのブルーノ観に規定されている。もしわたしがこのブルーノ観の根本的な誤りを最終的に証明できなかったとすれば、本書は全く無駄だったことになる」
ヘルメティズム的法悦としての〈デカルトの夢〉
「ではどうしてデカルトはそれほどまでに、精神を軽蔑し、もしこう言ってよければ、それを怖れたのだろうか。そしてそれを機械論的な宇宙と数学から取りのけるために、それ自体としてのみ自立するような場所に置いたのだろうか。これはあるいは彼の世界、彼が全身全霊で確立しようとする新しい世界像が「ヘルメス・トリスメギストス」との葛藤の裡から誕生したということを意味しているのではないだろうか」
原註
訳注
解説 ルネサンス的均衡における魔術の内化 前野佳彦
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