ウンベルト・エーコの『醜の歴史』を読んだ。
豊富な図版と引用で、西洋における「醜」の歴史をたどる浩瀚な1冊。
以下、目次。
序論
第1章 古典世界の醜
1.ギリシア世界は美によって支配されていたか?
2.ギリシア世界と恐怖
第2章 受難、死、殉教
1.宇宙の汎美主義ヴィジョン
2.キリストの受難
3.殉教者、隠者、贖罪者
4.死の凱旋
第3章 黙示録、地獄、悪魔
1.恐怖の世界
2.地獄
3.悪魔のメタモルフォセス
第4章 モンスター(怪物)とポルテント(予兆)
1.プロディジオ(驚異)とモンスター(怪物)
2.測りがたいものの美学
3.モンスターの教訓化
4.ミラビリア(驚異)
5.モンスターの運命
第5章 醜悪なもの、滑稽なもの、猥褻なもの
1.プリアポス
2.農夫を主題にした風刺文学と謝肉祭
3.ルネサンスの解放
4.カリカチュア(諷刺漫画)
第6章 古代からバロック時代までの女性の醜さ
1.反女性の伝統
2.マニエリスムとバロック
第7章 近代世界の悪魔
1.叛逆天使サタンから哀れなメフィストフェレスへ
2.「敵」の悪魔化
第8章 魔女信仰、悪魔崇拝、サディズム
1.魔女
2.悪魔崇拝、サディズム、残酷趣味
第9章 フィジカ・クリオーサ(肉体への好奇心)
1.月の出産と死体の開腹
2.人相学
第10章 ロマン主義による醜の解放
1.醜の美学
2.醜い者と呪われた者
3.醜い者と不幸な者
4.不幸な者と病んだ者
第11章 不気味なもの
1.不気味なもの
第12章 鉄の塔と象牙の塔
1.産業社会の醜さ
2.デカダン主義と醜の放縦
第13章 アヴァンギャルドと醜の勝利
1.アヴァンギャルドと醜の勝利
第14章 他者の醜、キッチュ、キャンプ
1.他者の醜
2.キッチュ
3.キャンプ
第15章 現代の醜
1.現代の醜
エーコは本書15章で「醜」への省察を4つにまとめている。
醜は時代や文化によって相対的であること。
昨日受け入れがたかったものが明日には受け入れられるかもしれないこと。
醜いと感じられたものが、適切なコンテキストでは全体としての美に役立つこともあること。
省察のこれら3つの相対主義は、あげられている図版を見るかぎり、確かに納得させられるもので、今の眼で見たら、なぜこれが醜であるのかがよくわからないものがあった。
そして4つめは、生理学に基づいた反応は時代や文化が異なろうと多かれ少なかれ不変であること!ちゃぶ台をひっくり返した~。
また、美術が執拗に繰り返し醜を表現した理由は、こう解釈される。「形而上学者の楽観主義にもかかわらず、この世界には、どうしようもないことだし、哀しいことだが、何らかの悪がある」ということを思い出させようとしたのだ、と。
エーコの「醜の歴史」を受けて、振り返って、現代日本での「醜礼讃」の傾向はどう解釈すればいいものか、課題は大きい。
豊富な図版と引用で、西洋における「醜」の歴史をたどる浩瀚な1冊。
以下、目次。
序論
第1章 古典世界の醜
1.ギリシア世界は美によって支配されていたか?
2.ギリシア世界と恐怖
第2章 受難、死、殉教
1.宇宙の汎美主義ヴィジョン
2.キリストの受難
3.殉教者、隠者、贖罪者
4.死の凱旋
第3章 黙示録、地獄、悪魔
1.恐怖の世界
2.地獄
3.悪魔のメタモルフォセス
第4章 モンスター(怪物)とポルテント(予兆)
1.プロディジオ(驚異)とモンスター(怪物)
2.測りがたいものの美学
3.モンスターの教訓化
4.ミラビリア(驚異)
5.モンスターの運命
第5章 醜悪なもの、滑稽なもの、猥褻なもの
1.プリアポス
2.農夫を主題にした風刺文学と謝肉祭
3.ルネサンスの解放
4.カリカチュア(諷刺漫画)
第6章 古代からバロック時代までの女性の醜さ
1.反女性の伝統
2.マニエリスムとバロック
第7章 近代世界の悪魔
1.叛逆天使サタンから哀れなメフィストフェレスへ
2.「敵」の悪魔化
第8章 魔女信仰、悪魔崇拝、サディズム
1.魔女
2.悪魔崇拝、サディズム、残酷趣味
第9章 フィジカ・クリオーサ(肉体への好奇心)
1.月の出産と死体の開腹
2.人相学
第10章 ロマン主義による醜の解放
1.醜の美学
2.醜い者と呪われた者
3.醜い者と不幸な者
4.不幸な者と病んだ者
第11章 不気味なもの
1.不気味なもの
第12章 鉄の塔と象牙の塔
1.産業社会の醜さ
2.デカダン主義と醜の放縦
第13章 アヴァンギャルドと醜の勝利
1.アヴァンギャルドと醜の勝利
第14章 他者の醜、キッチュ、キャンプ
1.他者の醜
2.キッチュ
3.キャンプ
第15章 現代の醜
1.現代の醜
エーコは本書15章で「醜」への省察を4つにまとめている。
醜は時代や文化によって相対的であること。
昨日受け入れがたかったものが明日には受け入れられるかもしれないこと。
醜いと感じられたものが、適切なコンテキストでは全体としての美に役立つこともあること。
省察のこれら3つの相対主義は、あげられている図版を見るかぎり、確かに納得させられるもので、今の眼で見たら、なぜこれが醜であるのかがよくわからないものがあった。
そして4つめは、生理学に基づいた反応は時代や文化が異なろうと多かれ少なかれ不変であること!ちゃぶ台をひっくり返した~。
また、美術が執拗に繰り返し醜を表現した理由は、こう解釈される。「形而上学者の楽観主義にもかかわらず、この世界には、どうしようもないことだし、哀しいことだが、何らかの悪がある」ということを思い出させようとしたのだ、と。
エーコの「醜の歴史」を受けて、振り返って、現代日本での「醜礼讃」の傾向はどう解釈すればいいものか、課題は大きい。
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