陳舜臣の『月をのせた海』を読んだ。1964年。
あとがきには「舞台を現代にとって、その自由かつ美しい女性の黠智をえがこうとした」とある。
不遇な女性が、あの手この手でたくましく生きる姿。

小夜子
「あたしって、三度のご飯も満足に食べられなかった女よ。すき腹をかかえて、ボロ切れみたいな服を着て、やぶれた靴はいて...街をうろついた女の子よ。...物心ついたころから、あたし、匍いあがりたかったのよ。邪魔する人がいたら...ほんとに、殺してでも、あたし....」

小夜子は通俗なミーハー的なものを、一切きびしく拒否しているはずだった。彼女は貧しかったが、かたくなと思えるまでに、高尚なものをめざした。いや、みじめに育ったからこそ、そうなったのかもしれない。


範子
壁の崩れた彼女の生家にくらべると、ここは別世界である。範子はしかし、むなしいぜいたくの集結である、この須方邸での生活を愛した。

どんなことがあろうと、これは守らねばならない。ここに根を生やしたようであるが、それでも範子は、心のどこかで、いつ引き抜かれて、抛り出されるかもしれない、という不安が消えなかった。


物語は、殺人事件をめぐって、この二人の女性が対決する構図をとる。

「だって」小夜子は面をあげて、「あたし、自分を守らねばならないのよ。必死なんですわ」

二人とも、哀しい女性なのだ。...
哀しい者同士が戦っていることが、よけいにあわれであった。


ミステリーとしては、写真トリックが使われているものの、主題は女性どうしの戦いにある。ただ、こうした女性の強い心情が、探偵をつとめる必然性、警察でもない一般人が事件を解決しようとする強い動機になっているのが、スムーズで面白かった。

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