ダリオ・アルジェント監督の「ジャーロ」を見た。2008年。
ジャーロとは、イタリアの猟奇探偵ものをさす言葉だが、もともとは「黄色」の意味。
ストーリーは、外国人美女ばかり狙う殺人タクシーの話。
外人なので、いなくなっても、すぐに捜査の手が回るってこともないわけだ。
冒頭から日本語での会話がかわされて、ちょっとびっくりしたが、これがとても日本人には見えないが、日本人観光客。ヴァレンティーナ・イズミが演じている。日本人の友人との会話は、これでいいのか、と思わせる棒読み!この日本人美女が、タクシーに乗ったら、とんでもないところに連れて行かれて、身体を切り刻まれて殺されてしまうのだ。
死体は町のいろんなところに捨てられる。
で、日本人が死ぬ直前に残したのが「彼は黄色」というダイイングメッセージだったのだ。とっさにボイスレコーダーで録音した日本語を翻訳するのは、魚市場で働く日本人(タイヨウ・ヤマノウチ)。ほとんど聞き取れない言葉をじゃんじゃん通訳する。
この猟奇連続殺人を担当する警部が、「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディ(Adrien Brody)。幼いときに母親殺害のシーンを目撃し、数年後に犯人を見つけ、殺してしまう。今でもフラッシュバックで殺害シーンに悩まされている。
モデルの妹を連れ去られた姉、リンダは、この警部とともに、妹を探す。
リンダを演じるのは、ポランスキー監督の妻、エマニュエル・セニエ。もうしわけないが、犯人がこの姉リンダでなく、妹を狙ったのもむべなるかな、と思わせる、姉妹の美貌の差が気になった。
彼女の推理により、犯人は黄疸を患っていることを突き止める。「黄色」(ジャーロ)の意味はそれだったのだ。
ふつう、こういう映画は、意外な犯人が最後にあばかれるのだが、この映画では、あっさりと犯人は顔を出す。彼は幼いころから顔が黄色くて醜く、その恨みが嵩じて今回の猟奇殺人に走ったのだ。
「これでもう、キッスはできないよ」と言いながら、美女の唇をはさみで切ったりするのだ!ギャー!
この醜い犯人を演じているのが、バイロン・デイドラ(Byron Deidra)。某知人に似ていて可笑しくてしかたがなかった。
警部は母殺しのフラッシュバックと、自らが犯した殺人に取りつかれている。
姉リンダは妹探索のためとは言え、勝手に報道陣を呼んだり、入ってくるなと言われているのにズカズカ現場に入ってきたり、うっとうしい存在。
犯人は美女ばかり狙い、その美女に「切り刻まれても、わたしの美しさは変わらない。あなたはそのまま一生醜いまま」とか罵られて、マジでへこんでしまう。おまけに、病気で薬飲んだり、すぐに疲れ果てたりしてしまう。
三者三様の厄介さがからまりあいながら、ストーリーは展開する。
残酷なシーンは健在で、額をトンカチでガンガン殴って頭蓋骨陥没させたり、麻酔の注射を眉間とか舌に刺したり、さっきも書いたけど唇をはさみでチョン切ったり。
ただ、ダリオ・アルジェント監督の映画でかつてよく見られた、美しい構図はあんまりなかった。
さて、結局、犯人は妹がどこにとらわれているのか明かすことなく、落ちて死んでしまう。犯人が殺害に使っていたガス工場の廃墟には既に妹の姿がなかったのだ。犯人は、「俺を逃がしてくれれば、妹の居場所を教えてやる」と姉リンダにもちかけ、あろうことか、警部が犯人をつかまえようとしているのをこのリンダは阻止しようとするのだ。なんと厄介な姉!ラストで、まあ、おおよその観客が予想したとおり、妹はタクシーの車のトランクにとらわれていて、流れ落ちる血によって発見されるであろうことを暗示して映画は終わる。推理の過程としては、犯行に使った車を探すのが順序というものだと考えられるが、そこに触れないまま、姉の厄介なリンダは、警部に向かって「おまえのせいで、妹の居場所がわからなくなったじゃないか、この人殺し野郎!」と悪態をつく。
犯人は墜落して死に、警部はさらに心の傷を深くし、姉リンダは厄介さを増幅させて、映画は終わるのだ。なんというバッドエンディング!
おそらく瀕死の状態でも妹が生きて救出されるのが、救いだ。
さて、この映画、探偵ものとしてはイマイチなのかな、と思いきや、実は仕掛けがあった。
犯人を演じたバイロン・デイドラだが、そんな役者は存在しなかったのである。
これには驚いた!
そこがポイントなのか!
ジャーロとは、イタリアの猟奇探偵ものをさす言葉だが、もともとは「黄色」の意味。
ストーリーは、外国人美女ばかり狙う殺人タクシーの話。
外人なので、いなくなっても、すぐに捜査の手が回るってこともないわけだ。
冒頭から日本語での会話がかわされて、ちょっとびっくりしたが、これがとても日本人には見えないが、日本人観光客。ヴァレンティーナ・イズミが演じている。日本人の友人との会話は、これでいいのか、と思わせる棒読み!この日本人美女が、タクシーに乗ったら、とんでもないところに連れて行かれて、身体を切り刻まれて殺されてしまうのだ。
死体は町のいろんなところに捨てられる。
で、日本人が死ぬ直前に残したのが「彼は黄色」というダイイングメッセージだったのだ。とっさにボイスレコーダーで録音した日本語を翻訳するのは、魚市場で働く日本人(タイヨウ・ヤマノウチ)。ほとんど聞き取れない言葉をじゃんじゃん通訳する。
この猟奇連続殺人を担当する警部が、「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディ(Adrien Brody)。幼いときに母親殺害のシーンを目撃し、数年後に犯人を見つけ、殺してしまう。今でもフラッシュバックで殺害シーンに悩まされている。
モデルの妹を連れ去られた姉、リンダは、この警部とともに、妹を探す。
リンダを演じるのは、ポランスキー監督の妻、エマニュエル・セニエ。もうしわけないが、犯人がこの姉リンダでなく、妹を狙ったのもむべなるかな、と思わせる、姉妹の美貌の差が気になった。
彼女の推理により、犯人は黄疸を患っていることを突き止める。「黄色」(ジャーロ)の意味はそれだったのだ。
ふつう、こういう映画は、意外な犯人が最後にあばかれるのだが、この映画では、あっさりと犯人は顔を出す。彼は幼いころから顔が黄色くて醜く、その恨みが嵩じて今回の猟奇殺人に走ったのだ。
「これでもう、キッスはできないよ」と言いながら、美女の唇をはさみで切ったりするのだ!ギャー!
この醜い犯人を演じているのが、バイロン・デイドラ(Byron Deidra)。某知人に似ていて可笑しくてしかたがなかった。
警部は母殺しのフラッシュバックと、自らが犯した殺人に取りつかれている。
姉リンダは妹探索のためとは言え、勝手に報道陣を呼んだり、入ってくるなと言われているのにズカズカ現場に入ってきたり、うっとうしい存在。
犯人は美女ばかり狙い、その美女に「切り刻まれても、わたしの美しさは変わらない。あなたはそのまま一生醜いまま」とか罵られて、マジでへこんでしまう。おまけに、病気で薬飲んだり、すぐに疲れ果てたりしてしまう。
三者三様の厄介さがからまりあいながら、ストーリーは展開する。
残酷なシーンは健在で、額をトンカチでガンガン殴って頭蓋骨陥没させたり、麻酔の注射を眉間とか舌に刺したり、さっきも書いたけど唇をはさみでチョン切ったり。
ただ、ダリオ・アルジェント監督の映画でかつてよく見られた、美しい構図はあんまりなかった。
さて、結局、犯人は妹がどこにとらわれているのか明かすことなく、落ちて死んでしまう。犯人が殺害に使っていたガス工場の廃墟には既に妹の姿がなかったのだ。犯人は、「俺を逃がしてくれれば、妹の居場所を教えてやる」と姉リンダにもちかけ、あろうことか、警部が犯人をつかまえようとしているのをこのリンダは阻止しようとするのだ。なんと厄介な姉!ラストで、まあ、おおよその観客が予想したとおり、妹はタクシーの車のトランクにとらわれていて、流れ落ちる血によって発見されるであろうことを暗示して映画は終わる。推理の過程としては、犯行に使った車を探すのが順序というものだと考えられるが、そこに触れないまま、姉の厄介なリンダは、警部に向かって「おまえのせいで、妹の居場所がわからなくなったじゃないか、この人殺し野郎!」と悪態をつく。
犯人は墜落して死に、警部はさらに心の傷を深くし、姉リンダは厄介さを増幅させて、映画は終わるのだ。なんというバッドエンディング!
おそらく瀕死の状態でも妹が生きて救出されるのが、救いだ。
さて、この映画、探偵ものとしてはイマイチなのかな、と思いきや、実は仕掛けがあった。
犯人を演じたバイロン・デイドラだが、そんな役者は存在しなかったのである。
これには驚いた!
そこがポイントなのか!
コメント
あったのに、ここ最近駄目になってます。
クローネンバーグも「イグジスタンス」以降 駄目になっています。
今はキム・ギドクが いいですよ。「サマリア」とか「弓」がいい。
キム・ギドク2,3本しか見ていないので、機会あれば見てみます!
ありがとうございます!