恋はまぼろし、魔法じかけの言葉、僕のことを話そう
2010年10月18日 映画シネ・ヌーヴォで「ブラジル映画祭」
今日は3本だけ見た。
クラウジオ・トッヒス監督の「恋はまぼろし」
妻に突然、「あんたは理想ばっかり見ていて、現実のわたしを見ていない」
とか言われて、別れを告げられた主人公。
文字どおり、脳内彼女を作って、デートしたりする。
一方、壁ごしに盗み聞きするのが趣味の隣人の女性が、
そんな妄想野郎とつきあおうとしはじめた。
と、いうコメディ。
妄想の脳内彼女は相性もバッチリで、それが妄想だから、という程度で彼女から卒業しなければ、という話の流れは、どうも納得できないな~、と思ってたら、監督もわりとお好きな方だったような展開に。
主題歌がラモーンズの「シーズセンセーション」!
エレナ・ソルベルグ監督の「魔法じかけの言葉」
吟遊詩人の時代から、現代のヒップホップまで、ブラジルの音楽の歴史をたどるドキュメンタリー。
ラップミュージシャンが、自らの音楽を「文学への架橋」と考えていることなど、詩と音楽の関連を中心に多くのアーチストによって語られる。
ある人物が、現代では歌は死んでいる、と言い切っていたのが印象的だった。耳をすませて脳で認識するのが本来の歌なのに、耳も脳も抜きで、肉体の響きが現代の音楽になってしまっている、とか。
ルイス・ヴィラッサ監督の「僕のことを話そう」
ブラジルで有名な語り手、ホベルト・カルロス・ラモスの半生を描いた、実話。
貧乏で子沢山の家に生まれたホベルトは、FEBEMという児童施設で育てられる。施設で悪事を覚えて、職員から「更生不可能」と見はなされたホベルトを、フランスの教育学者の女性マルグリットがひきとって育てる。
海を見たことのないホベルトを、長時間バスにのせて海まで連れて行ったり。
黒人であることを卑下するホベルトに、「この世は色にあふれている。わたしは神様に色を授けてもらえなかった」なんて語ってみたり。
フランスに帰国すると聞いて、置いていかれると勘違いしたホベルトが家の中をむちゃくちゃにしたり。
まあ、わかりやすいベタな展開のつるべうち。
ホベルトの空想が映像化される楽しい場面もあって、全体に面白くて見やすい、感動のベタな映画になっている。
これがまったくのフィクションなら「ベタすぎる」と思うのだが、これは実話なのである。だがしかし、有数の語り手による半生の記録だ。ベタなふうに語られているとしてもおかしくない。
本編が終わり、最後に、ホベルト本人がこどもたちに物語を語っているシーンが入っていて、なるほど、こりゃ、わかりやすくて、ベタなふうに演出入ってるわい、と感じた。
今日は3本だけ見た。
クラウジオ・トッヒス監督の「恋はまぼろし」
妻に突然、「あんたは理想ばっかり見ていて、現実のわたしを見ていない」
とか言われて、別れを告げられた主人公。
文字どおり、脳内彼女を作って、デートしたりする。
一方、壁ごしに盗み聞きするのが趣味の隣人の女性が、
そんな妄想野郎とつきあおうとしはじめた。
と、いうコメディ。
妄想の脳内彼女は相性もバッチリで、それが妄想だから、という程度で彼女から卒業しなければ、という話の流れは、どうも納得できないな~、と思ってたら、監督もわりとお好きな方だったような展開に。
主題歌がラモーンズの「シーズセンセーション」!
エレナ・ソルベルグ監督の「魔法じかけの言葉」
吟遊詩人の時代から、現代のヒップホップまで、ブラジルの音楽の歴史をたどるドキュメンタリー。
ラップミュージシャンが、自らの音楽を「文学への架橋」と考えていることなど、詩と音楽の関連を中心に多くのアーチストによって語られる。
ある人物が、現代では歌は死んでいる、と言い切っていたのが印象的だった。耳をすませて脳で認識するのが本来の歌なのに、耳も脳も抜きで、肉体の響きが現代の音楽になってしまっている、とか。
ルイス・ヴィラッサ監督の「僕のことを話そう」
ブラジルで有名な語り手、ホベルト・カルロス・ラモスの半生を描いた、実話。
貧乏で子沢山の家に生まれたホベルトは、FEBEMという児童施設で育てられる。施設で悪事を覚えて、職員から「更生不可能」と見はなされたホベルトを、フランスの教育学者の女性マルグリットがひきとって育てる。
海を見たことのないホベルトを、長時間バスにのせて海まで連れて行ったり。
黒人であることを卑下するホベルトに、「この世は色にあふれている。わたしは神様に色を授けてもらえなかった」なんて語ってみたり。
フランスに帰国すると聞いて、置いていかれると勘違いしたホベルトが家の中をむちゃくちゃにしたり。
まあ、わかりやすいベタな展開のつるべうち。
ホベルトの空想が映像化される楽しい場面もあって、全体に面白くて見やすい、感動のベタな映画になっている。
これがまったくのフィクションなら「ベタすぎる」と思うのだが、これは実話なのである。だがしかし、有数の語り手による半生の記録だ。ベタなふうに語られているとしてもおかしくない。
本編が終わり、最後に、ホベルト本人がこどもたちに物語を語っているシーンが入っていて、なるほど、こりゃ、わかりやすくて、ベタなふうに演出入ってるわい、と感じた。
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