大丸心斎橋店で「いちごDAYS〜あの頃のわたしからの招待状 サンリオスペシャルコレクション展」
展示内容から順に感想。
「夢のお部屋」はサンリオ製品で埋め尽くされた女の子の部屋を作っている。
だが、実際の女子の部屋にはほどとおい空間に思えた。サンリオだけで構成したとしても、もっともっとウルトラバロックになっているはずだ。だが、そこはそれ、教育的配慮なのだろうか。
「サンリオ50年ヒストリー」は、プレミアムマスコットや包装紙から、数々の商品の展示。80年代に田園調布のいちごハウスに行ったこととか思い出した。
「サンリオキャラクターヒストリー」は多くのキャラクターが勢揃い。
ボタンノーズとかニャニニュニェニョンはいまでも可愛い。
でも、肝心の、僕の一番好きなハンギョドンにんじゃもんじゃはいなかった。(ハンギョドンはいるのに!)かつて、つかしんに行ったら必ず、サンリオの清涼飲料水自動販売機で飲み物を買っていたが、その自動販売機で「ハンギョドン!ニンジャモンジャ!」と音声が出ていたのを思い出す。とっくの昔に撤去されたこの自動販売機、どこに行けば見れるんだろうか。
「マイフェイバリットルーム」サンリオの有名キャラクターの商品を集めた部屋。
ハローキティ、リトルツインスターズ、マイメロディ、パティ&ジミーの4組。
なるほど。これがベスト4なのか。
いっときは、けろけろけろっぴとか、ばつ丸とか、ポムポムプリンが絶大な人気だったが、いかんせん、最近のキャラクターである。
「いちご女子のパーティルーム」デコ。どうしてもこういうヤンキー=マダム系のセンスは田舎くさくてやりきれない。
そういえば、長らくピューロランドとか行ってないなあ。
赤木智弘の『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』を読んだ。
まず、目次。
第1章 それでもまだ、「希望は、戦争。」と言う。
誰に、希望をつなぐのか
国はフリーターを「徴兵」し、イラクへ派遣して下さい
「経済合理性」が生んだ搾取の構造
格差論争、すれ違いの不幸
蟹工船は閉じた物語である
家族という「権利」を疑え
第2章 時事評論「眼光紙背」−「世論」、「弱者」、「常識」
「世論」−過剰な批判を拒まぬ世論の中で
また「食の安全」か…/流行は常にアサヒられている/ガソリン値上げ?いいじゃないか/「報道の自由」って主張するけど…/福利厚生を切り捨てろ?/親の問題を無視して、児童ポルノは語れない/右へ倣え/秋葉原のパフォーマー問題から、自由を考える/児童ポルノの単純所持を徹底的に取り締まれ/携帯で楽しく写真を撮って、円滑なコミュニケーションを/警察にできること、できないこと/不審者報道の悪癖/脊髄反射で不安がるべきではない/こんにゃくゼリーと安全安心/子供には絶対関わるな!/高齢者と刑務所/急いては事を仕損じる
「弱者」−社会から黙殺される弱者の論旨
年金ってそんなに素晴らしいのか?/新聞業界の責任/祭りはキモい/自殺を考えること 社会を考えること/搾取の連鎖/冗長性の高い社会を/フリーターは減っている?/ビビリな若者たちよ!!要領よく「見える化」するズル賢さを!!/巻き込む 巻き込まれる/なぜ対面販売でもtaspoを利用しないのか/taspoと弱者問題/深夜営業の自粛を求める人たちの目的は、CO2削減などではない/偏見にまみれては、教訓を学び取ることはできない/若者の遊びの幅が減っていると言えるのだろうか?/同じ月15万でも/評価可能性のない「努力」などさせてはいけない/イレギュラーを受け入れられない社会/努力から目を逸らすな/米百俵
「常識」−常識をただ常識と問い質す力を
毎日のニュース/キャッシュとダウンロード/悪いのは誰だ?/公益と利益と著作権/その数秒が問題だ/大人の責任/住の安全/イジメ問題は難しい/一億総モンスター時代の考え方/企業には替わりがあるが、人間には替わりなどいない/外への可能性を開くこと/大分教員不正採用事件で、子供たちに伝えたいこと/「とりあえずビール」なんて文化は滅ぶべきだ/モンスターは増えたのか?/当たり前であることは、本当に当たり前であるべきか
第3章 アキバ事件と「論座」休刊を思う
加藤容疑者を嘲笑う資格が私たちにあるのか!?
アキバ殺人鬼が「英雄」になる日
なぜ「論座」は死んだのか
最後に、念のために。
正社員や既得権益を持つ者に対するルサンチマンばかりが先行し、なにかと軽んじられて批判されることが目立つ著者だったので、本書を一読して、これほどまでに共感できるとは思ってもみなかった。
本書には、まっとうな暴論とでも呼ぶべき記述が多々出てきて、面白い。
たとえば、「児童ポルノの単純所持を徹底的に取り締まれ」の項には、こんな文章がある。
実際の子供が「児童ポルノを撮影されたことにより、その写真がいつまでも誰かの手にあって、いつその写真のことがばれるかもしれない恐怖」に脅かされ続ける状況というのは、決してよくないことだと思う。
として、まず単純所持の違法化に賛成する。ここまでは、実に普通。だが、警察が児童ポルノ全廃のために狙うべきは、日本ユニセフ協会、マスコミ、出版社、警察の押収資料だと主張するにいたっては暴論の域に入っている。資料のために所持していようが、そんな目的にかかわらず、子供にとっては「写真の存在」が恐怖なのだ。しかるがゆえの「単純所持違法化」のはずだからである。実に、まっとう!
だが、どうも時評に加えられた「追記」とか、本の惹句などを読んでいると、「ここに書いてあるのは、ぜんぜん正論ではないけれど、こんな考え方もあるということで、頭の片隅にでもおいてもらえれば幸い」的な低姿勢で弱気な態度が見られる。インターネットでの赤木批判の多さに反応しているのだろうか。無用の衝突を避けようとする大人的態度なのか。
展示内容から順に感想。
「夢のお部屋」はサンリオ製品で埋め尽くされた女の子の部屋を作っている。
だが、実際の女子の部屋にはほどとおい空間に思えた。サンリオだけで構成したとしても、もっともっとウルトラバロックになっているはずだ。だが、そこはそれ、教育的配慮なのだろうか。
「サンリオ50年ヒストリー」は、プレミアムマスコットや包装紙から、数々の商品の展示。80年代に田園調布のいちごハウスに行ったこととか思い出した。
「サンリオキャラクターヒストリー」は多くのキャラクターが勢揃い。
ボタンノーズとかニャニニュニェニョンはいまでも可愛い。
でも、肝心の、僕の一番好きなハンギョドンにんじゃもんじゃはいなかった。(ハンギョドンはいるのに!)かつて、つかしんに行ったら必ず、サンリオの清涼飲料水自動販売機で飲み物を買っていたが、その自動販売機で「ハンギョドン!ニンジャモンジャ!」と音声が出ていたのを思い出す。とっくの昔に撤去されたこの自動販売機、どこに行けば見れるんだろうか。
「マイフェイバリットルーム」サンリオの有名キャラクターの商品を集めた部屋。
ハローキティ、リトルツインスターズ、マイメロディ、パティ&ジミーの4組。
なるほど。これがベスト4なのか。
いっときは、けろけろけろっぴとか、ばつ丸とか、ポムポムプリンが絶大な人気だったが、いかんせん、最近のキャラクターである。
「いちご女子のパーティルーム」デコ。どうしてもこういうヤンキー=マダム系のセンスは田舎くさくてやりきれない。
そういえば、長らくピューロランドとか行ってないなあ。
赤木智弘の『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』を読んだ。
まず、目次。
第1章 それでもまだ、「希望は、戦争。」と言う。
誰に、希望をつなぐのか
国はフリーターを「徴兵」し、イラクへ派遣して下さい
「経済合理性」が生んだ搾取の構造
格差論争、すれ違いの不幸
蟹工船は閉じた物語である
家族という「権利」を疑え
第2章 時事評論「眼光紙背」−「世論」、「弱者」、「常識」
「世論」−過剰な批判を拒まぬ世論の中で
また「食の安全」か…/流行は常にアサヒられている/ガソリン値上げ?いいじゃないか/「報道の自由」って主張するけど…/福利厚生を切り捨てろ?/親の問題を無視して、児童ポルノは語れない/右へ倣え/秋葉原のパフォーマー問題から、自由を考える/児童ポルノの単純所持を徹底的に取り締まれ/携帯で楽しく写真を撮って、円滑なコミュニケーションを/警察にできること、できないこと/不審者報道の悪癖/脊髄反射で不安がるべきではない/こんにゃくゼリーと安全安心/子供には絶対関わるな!/高齢者と刑務所/急いては事を仕損じる
「弱者」−社会から黙殺される弱者の論旨
年金ってそんなに素晴らしいのか?/新聞業界の責任/祭りはキモい/自殺を考えること 社会を考えること/搾取の連鎖/冗長性の高い社会を/フリーターは減っている?/ビビリな若者たちよ!!要領よく「見える化」するズル賢さを!!/巻き込む 巻き込まれる/なぜ対面販売でもtaspoを利用しないのか/taspoと弱者問題/深夜営業の自粛を求める人たちの目的は、CO2削減などではない/偏見にまみれては、教訓を学び取ることはできない/若者の遊びの幅が減っていると言えるのだろうか?/同じ月15万でも/評価可能性のない「努力」などさせてはいけない/イレギュラーを受け入れられない社会/努力から目を逸らすな/米百俵
「常識」−常識をただ常識と問い質す力を
毎日のニュース/キャッシュとダウンロード/悪いのは誰だ?/公益と利益と著作権/その数秒が問題だ/大人の責任/住の安全/イジメ問題は難しい/一億総モンスター時代の考え方/企業には替わりがあるが、人間には替わりなどいない/外への可能性を開くこと/大分教員不正採用事件で、子供たちに伝えたいこと/「とりあえずビール」なんて文化は滅ぶべきだ/モンスターは増えたのか?/当たり前であることは、本当に当たり前であるべきか
第3章 アキバ事件と「論座」休刊を思う
加藤容疑者を嘲笑う資格が私たちにあるのか!?
アキバ殺人鬼が「英雄」になる日
なぜ「論座」は死んだのか
最後に、念のために。
正社員や既得権益を持つ者に対するルサンチマンばかりが先行し、なにかと軽んじられて批判されることが目立つ著者だったので、本書を一読して、これほどまでに共感できるとは思ってもみなかった。
本書には、まっとうな暴論とでも呼ぶべき記述が多々出てきて、面白い。
たとえば、「児童ポルノの単純所持を徹底的に取り締まれ」の項には、こんな文章がある。
実際の子供が「児童ポルノを撮影されたことにより、その写真がいつまでも誰かの手にあって、いつその写真のことがばれるかもしれない恐怖」に脅かされ続ける状況というのは、決してよくないことだと思う。
として、まず単純所持の違法化に賛成する。ここまでは、実に普通。だが、警察が児童ポルノ全廃のために狙うべきは、日本ユニセフ協会、マスコミ、出版社、警察の押収資料だと主張するにいたっては暴論の域に入っている。資料のために所持していようが、そんな目的にかかわらず、子供にとっては「写真の存在」が恐怖なのだ。しかるがゆえの「単純所持違法化」のはずだからである。実に、まっとう!
だが、どうも時評に加えられた「追記」とか、本の惹句などを読んでいると、「ここに書いてあるのは、ぜんぜん正論ではないけれど、こんな考え方もあるということで、頭の片隅にでもおいてもらえれば幸い」的な低姿勢で弱気な態度が見られる。インターネットでの赤木批判の多さに反応しているのだろうか。無用の衝突を避けようとする大人的態度なのか。
コメント