「ザ・コーヴ」「不戦勝」
2010年7月12日 映画今日も雨が降ったりやんだりの天気だったが、今月18日味園ビル「白鯨」での映像イベント「眼ノ毒」のために、東瀬戸くんに会ったり、丼野M美の病院に行ったりしているうちは、やんでいてラッキー。
ルイ・シホヨス監督の「ザ・コーヴ」を見た。第82回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞。十三の第七藝術劇場。
反対運動や妨害があって、東京などでは上映をとりやめた館もある、といういわくつきの映画で、その盛り上がりから、勝手に、これは反捕鯨を訴える映画なのかな、と勘違いしていた。
マスコミが騒いで、映画を見る前に、いろんな人の意見、コメントを知る機会があったためにそんな思い込みをしてしまったのだ。そして、多くのコメントが、映画を見ずになされたものであることもよくわかった。
和歌山県太地町で行なわれているイルカ漁が主題。
イルカを音によって入江に追い込んで、水族館行きのイルカをチョイス(これが相当な儲けになる)した後、イルカを銛のようなもので突いて皆殺しにし、食用に回す。
イルカ肉は鯨肉として売られる。
で、イルカを屠殺するシーンは、特に残虐なものではなく、牛や豚の屠殺と比べても、むしろソフトな映像になっている。この映画のイルカ屠殺シーンで目を覆う人は、今まで潔癖な映画しか見てこなかったというだけだろう。
問題は、この食用のイルカ肉が、鯨肉として販売されており、イルカ肉には水銀が多量に含まれている、ということなのだ。そして、その事実が肉を食べる日本人にはほとんど知らされていない、ということだ。
映画は、「わんぱくフリッパー」の調教師、俳優のリック・オバリーが、和歌山の入江でのイルカ屠殺の現場をなんとか見ようとする記録である。
太地町では、立ち入り禁止区域を作って、外国人がその現場を目撃しないように、また、写真などにおさめないように、強硬にガードしている。暴力的とも言えるほどだ。日中は常に尾行がつき、夜中にも入江付近の警戒を怠らない。そこまでされたら、逆に見たくなるのが人情ってもんじゃないか。(先に書いたように、そこでは単に食用にするイルカの屠殺が行なわれているだけなのだから、なぜ太地町がそれを隠そうとしているのか、まったく理解に苦しむ。さらに裏があるってことなのか?)
リック・オバリーは、各分野のプロフェッショナルを結集して、入江で行なわれていることを映像に記録しようとする。
このあたり、まるでスパイ冒険映画を見るようで、実にワクワクする。
映画の特撮スタッフに岩に似せた隠しカメラつきの贋岩石をいくつも作らせ、最先端のマシンと、潜水のエキスパートなどを使って、作戦を実行する。
ただ、映画では、イルカは人間よりも高い知性をもっているかもしれない、とか、イルカを飼育することそのものの批判とか、痛みなしでイルカを殺すナイフを使っているという発言が映像によって裏切られていたり、日本が経済援助によって捕鯨賛成の国を拡大しつつあるとか、入江から逃げ出してきたイルカが血まみれで死ぬシーンがあったり、まあ、そういう一連の映像が、日本が悪者だというようなイメージを惹起していることは間違いない。だが、さっきも書いたように、問題は、隠されたイルカ漁による隠されたデータなのだ。つまり、外国人が日本についてどう思ってるか云々よりも、われわれの問題なのだ。
一方、必ずイルカ肉に水銀が多量に含まれているわけではないとか、この程度の水銀なら人体に影響がないとか、イルカ肉を鯨肉として販売している事実は認められていない、などの注釈もあって、何が本当なのか、さっぱりわからなくなってしまうのである。
とりあえず、この映画の上映を阻止する理由は何もないように思えた。
ひょっとして、反対運動も宣伝のためだったのか、と疑うほどである。
シネ・ヌーヴォのレイトショーでイエジー・スコリモフスキ監督の「不戦勝」1965年。
主人公アンジェイは監督自身が演じているそうだ。
ラジオと腕時計くらいしか手持ちの財産がない主人公は、アマチュアのボクサーとしてかろうじて生計をたてている。
そういう不安定な生き方がえんえんと描かれる。
途中、列車に乗った主人公と、それを盗んだバイクで追い掛ける男がひとつの画面におさまっているシーンは、よくぞ撮影したな、というような長回しで驚いた。ついにはスピードをあげて走る列車から主人公は飛び下りるのである。
また、食事をとっていると、誰かれかまわずたかってくるミエチュという男の言葉がすごく面白かった。
「地球は丸いというけど、靴の底はどっち側が減って行く?」
意味不明だが、含蓄のありそうな言葉だ!
主人公は「殴られるために」決勝戦に出るが、相手が棄権して、不戦勝になる。
その賞品は、一文無しの主人公によってすぐに金にかえられたり、ミエチュがくすねたりして、なくなってしまう。
わざと試合を棄権した相手がそのことを知ると、主人公は念願どおり、殴られてしまうのである。
この映画でも、映像と音の鮮烈さは目をみはるものだった。
ルイ・シホヨス監督の「ザ・コーヴ」を見た。第82回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞。十三の第七藝術劇場。
反対運動や妨害があって、東京などでは上映をとりやめた館もある、といういわくつきの映画で、その盛り上がりから、勝手に、これは反捕鯨を訴える映画なのかな、と勘違いしていた。
マスコミが騒いで、映画を見る前に、いろんな人の意見、コメントを知る機会があったためにそんな思い込みをしてしまったのだ。そして、多くのコメントが、映画を見ずになされたものであることもよくわかった。
和歌山県太地町で行なわれているイルカ漁が主題。
イルカを音によって入江に追い込んで、水族館行きのイルカをチョイス(これが相当な儲けになる)した後、イルカを銛のようなもので突いて皆殺しにし、食用に回す。
イルカ肉は鯨肉として売られる。
で、イルカを屠殺するシーンは、特に残虐なものではなく、牛や豚の屠殺と比べても、むしろソフトな映像になっている。この映画のイルカ屠殺シーンで目を覆う人は、今まで潔癖な映画しか見てこなかったというだけだろう。
問題は、この食用のイルカ肉が、鯨肉として販売されており、イルカ肉には水銀が多量に含まれている、ということなのだ。そして、その事実が肉を食べる日本人にはほとんど知らされていない、ということだ。
映画は、「わんぱくフリッパー」の調教師、俳優のリック・オバリーが、和歌山の入江でのイルカ屠殺の現場をなんとか見ようとする記録である。
太地町では、立ち入り禁止区域を作って、外国人がその現場を目撃しないように、また、写真などにおさめないように、強硬にガードしている。暴力的とも言えるほどだ。日中は常に尾行がつき、夜中にも入江付近の警戒を怠らない。そこまでされたら、逆に見たくなるのが人情ってもんじゃないか。(先に書いたように、そこでは単に食用にするイルカの屠殺が行なわれているだけなのだから、なぜ太地町がそれを隠そうとしているのか、まったく理解に苦しむ。さらに裏があるってことなのか?)
リック・オバリーは、各分野のプロフェッショナルを結集して、入江で行なわれていることを映像に記録しようとする。
このあたり、まるでスパイ冒険映画を見るようで、実にワクワクする。
映画の特撮スタッフに岩に似せた隠しカメラつきの贋岩石をいくつも作らせ、最先端のマシンと、潜水のエキスパートなどを使って、作戦を実行する。
ただ、映画では、イルカは人間よりも高い知性をもっているかもしれない、とか、イルカを飼育することそのものの批判とか、痛みなしでイルカを殺すナイフを使っているという発言が映像によって裏切られていたり、日本が経済援助によって捕鯨賛成の国を拡大しつつあるとか、入江から逃げ出してきたイルカが血まみれで死ぬシーンがあったり、まあ、そういう一連の映像が、日本が悪者だというようなイメージを惹起していることは間違いない。だが、さっきも書いたように、問題は、隠されたイルカ漁による隠されたデータなのだ。つまり、外国人が日本についてどう思ってるか云々よりも、われわれの問題なのだ。
一方、必ずイルカ肉に水銀が多量に含まれているわけではないとか、この程度の水銀なら人体に影響がないとか、イルカ肉を鯨肉として販売している事実は認められていない、などの注釈もあって、何が本当なのか、さっぱりわからなくなってしまうのである。
とりあえず、この映画の上映を阻止する理由は何もないように思えた。
ひょっとして、反対運動も宣伝のためだったのか、と疑うほどである。
シネ・ヌーヴォのレイトショーでイエジー・スコリモフスキ監督の「不戦勝」1965年。
主人公アンジェイは監督自身が演じているそうだ。
ラジオと腕時計くらいしか手持ちの財産がない主人公は、アマチュアのボクサーとしてかろうじて生計をたてている。
そういう不安定な生き方がえんえんと描かれる。
途中、列車に乗った主人公と、それを盗んだバイクで追い掛ける男がひとつの画面におさまっているシーンは、よくぞ撮影したな、というような長回しで驚いた。ついにはスピードをあげて走る列車から主人公は飛び下りるのである。
また、食事をとっていると、誰かれかまわずたかってくるミエチュという男の言葉がすごく面白かった。
「地球は丸いというけど、靴の底はどっち側が減って行く?」
意味不明だが、含蓄のありそうな言葉だ!
主人公は「殴られるために」決勝戦に出るが、相手が棄権して、不戦勝になる。
その賞品は、一文無しの主人公によってすぐに金にかえられたり、ミエチュがくすねたりして、なくなってしまう。
わざと試合を棄権した相手がそのことを知ると、主人公は念願どおり、殴られてしまうのである。
この映画でも、映像と音の鮮烈さは目をみはるものだった。
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