城昌幸の『死者の殺人』を読んだ。1960年。
これ、すごい!
21世紀の新しいミステリーと言っても通用する素晴らしさ!
ネタバレするので、未読の人は、なんとかして読んでください。
作品紹介文には、こうある。
「『余の臨終に立会った者に、余の遺産を贈る…』と書かれた不思議な招待状!!その招待状を手に湘南の寒村に集まる者7人…しかし危篤の筈の男は前日忽然と姿を消している…不気味な巫女、鬼気迫る幽霊屋敷!!」
招待状につられて集まった7人だったが、かんじんの主がいない。食事だけは毎日届けられる。嵐の山荘、というわけではないので、帰ろうと思えばいつでも帰れるのだが、主の臨終の時点で屋敷にいないと遺産分配にあずかれないので、みんな居残るのだ。
屋敷に呼ばれた者たちは、この屋敷の主にとっての仇であって、集めて弾劾されるだけの動機はあったのである。
言ってるしりから、1人が首吊り死体になって発見される。
こういうシチュエーションだと、連続殺人が起こるのがパターンだ。
作中の人物もそれを口にする。
「これ、遺産争いじアねえかと、おれ、思うんだ」
「遺産争いねえ?」
「そうだろ?一人でもすくない方が、余計、貰えるわけだろ?だからよオ。片ッぱしから殺していくんだよオ」
(中略)
「そのうち、次ぎつぎと、ここに居る連中、みんな殺されちゃうンだよオ」
(中略)
「推理小説には、連続殺人、多いぞオ。おれ、読んだんだ」
(中略)
「横溝の『悪魔の手毬唄』、凄いぞオ。二人も三人も殺されちゃってよオ…」
これはメフィスト賞作家の作品ではない。50年前の小説なのだ。なんだ、この若いセンスは!(ただし、「だいじょうび」とか「カックン」など、当時の流行語が時代を如実に暴露してしまうけど)
屋敷では死者も出るし、幽霊も出る。これは候補者を減らすための策謀なのか?
そして、その真相たるや、ひっくりかえるほどのビックリであった。
みんなが集まったときに、屋敷の主は、医学的には既に死んでいた。
それにつきそっていた女性が、ヨーガの秘法で、肉体的には死んでいるがまだ生きている精神をテレパシーで感じ取って、その命令にしたがって事件を起こしていたのだ。
つまり、タイトルどおりの「死者の殺人」!
テレパシーで命令を受けていた巫女的体質の実行犯は、したがって真犯人ではない、とされる。
また、幽霊騒ぎは、候補者をこわがらせて追い払うためのいたずらであり、自殺とみられたのは正真正銘の自殺、事故とみられたのは正真正銘の事故。心臓に負担を与えられて苦しんだ人物(死んだみたいな描写)は命をとりとめていたことがラストで明かされる。巫女のしわざもせいぜいが殺人未遂だったのだ。
タイトルに偽りありか!正しくは「死者の殺人未遂」!
これは「うる星やつら」の1エピソードではない。50年前の小説なのだ。
おまけに、あてにしていた遺産も実はあんまりなくて、屋敷に集まった者たちに食事を用意した分で使い果たされていたのだ。
なんと現代ミステリー的な小説なのか!
中島河太郎も解説でこうしめくくる。
「われわれ読者も、ヨガの行者の絶妙な行法に、しばしば異次元に連れ去られる面持になるだろう。城氏の面目を発揮したユニークな一巻である」


コメント

nophoto
たかし
2010年4月8日21:08

僕は山田正紀氏のブラックスワンがミステリーでありながら詩的で素晴らしいと思います。

保山ひャン
2010年4月9日22:21

コメントありがとうございます!
山田正紀、最高ですね!僕も大好きです。
作品の出来不出来にかかわらず、なんでも読みたくなってしまう作家のひとりです。

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

日記内を検索