『悪魔はすぐそこに』
2010年1月19日 読書
D・M・ディヴァインの『悪魔はすぐそこに』を読んだ。
大傑作。ネタバレするので、要注意。
大学を舞台に描かれる事件。
横領容疑で追い詰められた教授が、脅迫めいた謎の言葉を残して変死する。どうやら、8年前のスキャンダルの真相が動機なのか。
と、いうわけで、詳しいあらすじは適当に検索してください。
このミステリの一番の面白さは、結局誰が事件の真相を明かす名探偵なのかがわからないところだ。頭脳明晰そうな人物は何人かいるし、また、主人公だっている。だが、この主人公の青年、こんな調子なのだ。
ピーター(主人公)が答えないのを見て、ルシール(その彼女)の語気が荒くなる。
「ねえ、真実が知りたいとは思わないの?」
思わない。そこが、ふたりのちがいなのだ。ルシールは真実を怖れない。ピーターは真実から目をそむけ、そのまま居心地よく逃避していたい…
えい、優柔不断なやつ!まるでものぐさ探偵物部太郎の元祖かと思わせる、こののらりくらりは何だ!そうそう、一応「主人公」と言ったけど、視点は複数の人物でころころ変わったりする。ルシールはみごとな才女で、こんなふうに書かれている。
どんなことであれ、ルシールは誰よりもみごとにやってのけた。遊びでさえ例外ではない。周りからは傲慢と言われた。たしかにルシールは自分の価値を知っているし、謙虚なふりをする気はない。それを傲慢と呼ぶのなら、その非難は当たっているのだろう。
傲慢で冷淡。容貌さえも、その評判を和らげてはくれなかった。
ピーターはそんなルシールをかばって味方についてあげればいいのに、こんなことを言う。
「いいことを教えてあげようか、ルシール?もしもきみがパンを切ろうとして指を切ったり、皿を落としたり、そんな失敗を初めてやらかしたら、ぼくはきっと狂喜乱舞するな。きみにも人間らしいところがあると知ってね」
ピーター、最低!こんな調子で、どうも物語は事件の真相をつきとめることよりも、主に恋愛のことで多くを費やされる。
たとえばピーターはルシールにこう思われている。
理性で考えれば、ピーター・ブリームはとうてい自分が選ぶべき夫ではない。そもそも、知性において対等とはいえないのだ。ルシールが気にしていないとはいえ、ピーターは気にしている。さらに問題なのは、ピーターの生きかたが偏狭で保守的なことだー不愉快なことからは目をそむけたがり、型にはまったもの以外は信用せず、世間の歓心を買わずにはいられない。理屈で考えれば、カレンのほうがよっぽど似合いの妻になりそうだ。いや、実際にそうなのかもしれない。カレンは、自分では気づいていないかもしれないけれど、本当はピーターになかば恋をしかかっているのだから。ピーターのほうは?いまのところルシールしか目に入っていないようではある。
ピーター、けっこうボロクソに思われているな。
で、上にも出てきた(無能な上司に悩まされている)事務局のカレンはこう思ったりする。
いかにもピーターらしいわ!車を移動させるのを見送りながら、カレンは心の中でつぶやいた。いつだって思いのままに動かせる相手を見つけ、自分は楽をしようとする。いかにも自分は無力だという顔をして。あんなにもすがるような表情を浮かべて。
そして、カレンはラウドン教授についてこう考える。
グレアムのことは好きだ。その鋭敏な知性、誠実さ、責任感。そして、ほほえんだときにぱっと明るくなる表情も。
では、好き以上の強い感情を抱いているのだろうか?同情していることはまちがいない。グレアムの顔に苦痛の色が浮かぶと、自分までつらい気持ちになるし、妻の死のことを思うと心が痛む。
とはいえ、同情だけでは足りない。愛情は?そう考えると、ためらわずにはいられなかった。ピーター・ブリームに対して心に湧きあがった激しい思いは、いまだカレンの記憶に残っている。でも、グレアムを見て感じるのは、もっと控えめな…
一方、ピーターはこんな嫉妬心も。
かすかに惜しむような気持ちが、ピーターの心をよぎった。カレンが自分を忘れ、グレアム・ラウドンに走るなんて…
ああ、これらの恋愛模様はどうなるのだろう。
と、思って読みすすめていると、驚愕の真相が明かされる。どう驚愕なのか、というと、ギリギリまでまったく真相がわからなかったのに、真相を聞いてみると、すべての事実が真相を指さしていたことに気づくところだ。普通にあらすじだけ聞いて、さて、事件の真相は何でしょう?というクイズだったら、まっさきに思いつく自然なことなのに、小説を読んでいるあいだ、まったく思いつきもしなかったのだ。見事だ!
事件の真相にまつわるテーマは、僕が勝手に「親子もの」と呼んでいるものだ。
ロス・マクドナルドとか我孫子などの某作品の流れ。
事件とは無関係だが、面白い言葉があったので、書き留めておこう。
年老いることの何が真に悲劇的かというと、それは何につけどうでもよくなってくる点だ。
本当に、そうだと思う。悲劇的かどうかは考えようだけど。
大傑作。ネタバレするので、要注意。
大学を舞台に描かれる事件。
横領容疑で追い詰められた教授が、脅迫めいた謎の言葉を残して変死する。どうやら、8年前のスキャンダルの真相が動機なのか。
と、いうわけで、詳しいあらすじは適当に検索してください。
このミステリの一番の面白さは、結局誰が事件の真相を明かす名探偵なのかがわからないところだ。頭脳明晰そうな人物は何人かいるし、また、主人公だっている。だが、この主人公の青年、こんな調子なのだ。
ピーター(主人公)が答えないのを見て、ルシール(その彼女)の語気が荒くなる。
「ねえ、真実が知りたいとは思わないの?」
思わない。そこが、ふたりのちがいなのだ。ルシールは真実を怖れない。ピーターは真実から目をそむけ、そのまま居心地よく逃避していたい…
えい、優柔不断なやつ!まるでものぐさ探偵物部太郎の元祖かと思わせる、こののらりくらりは何だ!そうそう、一応「主人公」と言ったけど、視点は複数の人物でころころ変わったりする。ルシールはみごとな才女で、こんなふうに書かれている。
どんなことであれ、ルシールは誰よりもみごとにやってのけた。遊びでさえ例外ではない。周りからは傲慢と言われた。たしかにルシールは自分の価値を知っているし、謙虚なふりをする気はない。それを傲慢と呼ぶのなら、その非難は当たっているのだろう。
傲慢で冷淡。容貌さえも、その評判を和らげてはくれなかった。
ピーターはそんなルシールをかばって味方についてあげればいいのに、こんなことを言う。
「いいことを教えてあげようか、ルシール?もしもきみがパンを切ろうとして指を切ったり、皿を落としたり、そんな失敗を初めてやらかしたら、ぼくはきっと狂喜乱舞するな。きみにも人間らしいところがあると知ってね」
ピーター、最低!こんな調子で、どうも物語は事件の真相をつきとめることよりも、主に恋愛のことで多くを費やされる。
たとえばピーターはルシールにこう思われている。
理性で考えれば、ピーター・ブリームはとうてい自分が選ぶべき夫ではない。そもそも、知性において対等とはいえないのだ。ルシールが気にしていないとはいえ、ピーターは気にしている。さらに問題なのは、ピーターの生きかたが偏狭で保守的なことだー不愉快なことからは目をそむけたがり、型にはまったもの以外は信用せず、世間の歓心を買わずにはいられない。理屈で考えれば、カレンのほうがよっぽど似合いの妻になりそうだ。いや、実際にそうなのかもしれない。カレンは、自分では気づいていないかもしれないけれど、本当はピーターになかば恋をしかかっているのだから。ピーターのほうは?いまのところルシールしか目に入っていないようではある。
ピーター、けっこうボロクソに思われているな。
で、上にも出てきた(無能な上司に悩まされている)事務局のカレンはこう思ったりする。
いかにもピーターらしいわ!車を移動させるのを見送りながら、カレンは心の中でつぶやいた。いつだって思いのままに動かせる相手を見つけ、自分は楽をしようとする。いかにも自分は無力だという顔をして。あんなにもすがるような表情を浮かべて。
そして、カレンはラウドン教授についてこう考える。
グレアムのことは好きだ。その鋭敏な知性、誠実さ、責任感。そして、ほほえんだときにぱっと明るくなる表情も。
では、好き以上の強い感情を抱いているのだろうか?同情していることはまちがいない。グレアムの顔に苦痛の色が浮かぶと、自分までつらい気持ちになるし、妻の死のことを思うと心が痛む。
とはいえ、同情だけでは足りない。愛情は?そう考えると、ためらわずにはいられなかった。ピーター・ブリームに対して心に湧きあがった激しい思いは、いまだカレンの記憶に残っている。でも、グレアムを見て感じるのは、もっと控えめな…
一方、ピーターはこんな嫉妬心も。
かすかに惜しむような気持ちが、ピーターの心をよぎった。カレンが自分を忘れ、グレアム・ラウドンに走るなんて…
ああ、これらの恋愛模様はどうなるのだろう。
と、思って読みすすめていると、驚愕の真相が明かされる。どう驚愕なのか、というと、ギリギリまでまったく真相がわからなかったのに、真相を聞いてみると、すべての事実が真相を指さしていたことに気づくところだ。普通にあらすじだけ聞いて、さて、事件の真相は何でしょう?というクイズだったら、まっさきに思いつく自然なことなのに、小説を読んでいるあいだ、まったく思いつきもしなかったのだ。見事だ!
事件の真相にまつわるテーマは、僕が勝手に「親子もの」と呼んでいるものだ。
ロス・マクドナルドとか我孫子などの某作品の流れ。
事件とは無関係だが、面白い言葉があったので、書き留めておこう。
年老いることの何が真に悲劇的かというと、それは何につけどうでもよくなってくる点だ。
本当に、そうだと思う。悲劇的かどうかは考えようだけど。
コメント