『プラネタリムにて−中井英夫に−』
本多正一の『プラネタリムにて−中井英夫に−』を読んだ。
中井英夫晩年の4年を助手として過ごした著者による文章と写真が集められている。
以下、目次
プラネタリウムにて
1993年12月10日のあとに
 彗星との日々−中井英夫に
 1993年12月10日のあとに
きらめく星座
 きらめく星座
 1枚の葉書1 埴谷雄高さん
 1枚の葉書2 武満徹さん
 1枚の葉書3 中井英夫さんへ
薔薇の不在
 『彗星との日々』のために
 「死んだらどこへ行くんだろう」
 『彗星との日々』をめぐって 本多正一インタビュー
 薔薇の不在−中井英夫納骨記
中井英夫と本多正一/田中幸一

田中幸一によると、本多氏は中井英夫を、そのわがままぶりから「きちがいじいさん」と呼んでいたそうだ。
小説が書けずに収入が激減した中井英夫、幻想や耽美にはほどとおい日常をあらわにした写真を撮る本多正一。
しかし、田中氏も言うように、極端な貧乏を強いられても、それが芸術家の生きる道。むしろ、貧乏をもって芸術家を名乗るにふさわしい、のかもしれない。
筒井康隆が「淫蕩と酒乱の側面ではすべての作家に影響を与えた」と言ったポオや、澁澤龍彦が「生前1人にしか認められなかった」と言ったフォルヌレや、貧窮の末、無帽のはげあたまで炎天下を歩いて日射病で死んだペトリュス・ボレルにくらべれば、凄絶な死に方ではない、とはいうものの。
なあに、僕は自分の極貧をこれら芸術家になぞらえて、ナルシスティックに慰撫しているだけなのだ。
あっ、またチャイムが鳴った。居留守、居留守。

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