『CODE Version 2.0』
ローレンス・レッシグ教授の『CODE Version 2.0』を読んだ。
以下、目次。
第二版への序文
序文
第1章 コードは法である
第2章 サイバー空間からのパズル4つ
 境界線/統治者たち/ジェイクのコミュニティ/かぎまわるワーム/主題

規制可能性
第3章 現状主義:現状は変わらないのか?
 サイバー場所:ハーバード大学vsシカゴ大学
第4章 コントロールのアーキテクチャ
 「誰が」どこで何をした?/誰がどこで「何をした」?/誰が「どこで」何をした?/結果
第5章 コードを規制する
 アーキテクチャを規制する:規制の2段階方式/コードを規制して規制のしやすさを高める/東海岸コードと西海岸コード/Z理論

コードによる規制
第6章 各種のサイバー場所
 空間の価値観/サイバー場所/なぜアーキテクチャが問題になって空間に差が出るのか/コードを規制してよりよい規制を
第7章 なにがなにを規制するか
 点の暮らし/政府と規制する方法について/間接的な手法の問題点/その先にあるもの
第8章 オ−プンコードに見る限界
 かぎまわるバイト/数える機械/ネット上のコード/ネット上のコード小史/オープンソースの規制/いきつくところ

隠れたあいまいさ
第9章 翻訳
第10章 知的財産
 著作権の終焉を告げる各種の報告について/法が救いに/サイバー空間における知的財産の未来/財産・所有物保護の限界/公法を私法で置き換える/不完全性からくる匿名性/許認可文化vsフリー文化/完成がもたらす問題/選択
第11章 プライバシー
 私的状況でのプライバシー/公共の場でのプライバシー:監視/公共の場でのプライバシー:データ/解決策/捜索/プライバシーの比較
第12章 言論の自由
 言論を規制するもの:出版/言論の規制:迷惑メールとポルノ/言論の規制:フリー文化/言論を規制するもの:流通・配付/言論の教訓
第13章 間奏

競合する主権
第14章 独立主権
 空間の主権:規制/空間の主権:規制の選択
第15章 競合する主権
 対立/互恵的な盲目性/サイバー空間の「中に」いることについて/考えられる解決策

対応
第16章 われわれが直面している問題
 法廷の問題/立法の問題/コードの困ったところ
第17章 対応
 司法の対応/コードに対する反応/民主主義の対応
第18章 デクランは何を見落としているのか
第19章 補遺

訳者あとがき
 バージョン2について/本書の概要/「規制」とインターネット/民主主義の将来/本書の意義(個人的に)/レッシグその後/謝辞など

索引

この前読んだ『FREE CULTURE』と主張は変わらないが、同じことを言っているわけではないので、最後まで面白く読み通せた。
規制の4つのパターン「法」「規範」「市場」「アーキテクチャ」については、何度もくり返されるので、記憶が80分しか持たない僕でも覚えてしまった。また、随所に著者による見取り図やまとめがさしはさまれるので、全体の流れもわかりやすい。
第5部にあたる「対応」で示されたまとめを例として引用しておこう。

第1部の教訓は、もとのインターネットの規制不可能性はやがて終わる、ということだった。そこでのふるまいを再び規制できるようにするアーキテクチャが登場するだろう。第2部は、その規制可能性の一面を描いた−技術だ。その規制の一部として「コード」の重要性はますます高まり、通常の法律が脅しを通じて実現するようなコントロールを直接強制するようになる。そして第3部は、技術的な変化が根本的な価値観に対するわれわれのコミットメントをあいまいにしてしまう状況を3つ検討した。これをわたしは隠れたあいまいさと呼んだ。知的財産やプライバシー、言論の自由をどう保護するかは、憲法起草者たちが行なわなかった根本的な選択に左右される。第4部は、この対立を行政区域に適用した。ここでも教訓は第1部に戻ってくる。政府としてはますます規制しやすいネットを目指したがるし、今後は国境なきインターネットに地理的な領域を復活させようとするだろう。
この4部にわたり、わたしの中心的な目的は、一度述べれば言うまでもないような認識を強いることだった。それは、このネットワークがどう発展するかについては、なんらかの選択をしなくてはならない、ということだ。こうした選択は、ネットワークにどんな価値観が組み込まれるかに根本的に影響してくる。
この第5部における質問とは、われわれにその選択をするだけの能力があるかということだ。わたしの意見では、ない。われわれは実に完璧なほどに、原理原則の問題で司法府を縛ってしまったし、また立法プロセスも、利益誘導の裏返しによって徹底的に腐敗しているので、このきわめてだいじな瞬間に直面している今この時に、われわれはなんら有効な決断ができないでいる。(後略)

翻訳者の山形浩生も巻末に「本書の概要」を書いている。それだけレッシグの主張はまだ新しいということなのだろう。
読んでいて、本文に書いてあるわけではないが、「なるほど」とわかったことがある。
たとえば、悪質な少年犯罪は昔に比べて減っているのに、マスコミの誘導で、その逆のイメージをわれわれは持っている。それによって、少年法改正をあとおしすることが可能になった。同じように、迷惑メールが大量に来ることで、ネット規制を歓迎する世論を作り出すことができる。スパムメールで得するのは、業者だけではないのだ。国民を管理し、支配したい者にとって、スパムは歓迎すべきものだ。と、すると、毎日届く大量のスパムのうしろに、彼らが関わっていないのか、と考えるのがスジだ。
携帯電話の爆発的普及で、通話はすべて簡単に盗聴可能になったいきさつと似ている。
レッシグは第4章「コントロールのアーキテクチャ」でこんな一文を書いている。
「本当に匿名性がほしければ公衆電話を使いなさい!」
町から公衆電話が消えつつあるのは、そういうわけだったのか。
公衆電話が撤去され、かわりに監視カメラが置かれる町。コストとセキュリティーの裏で、それを操って国民を管理しようとする一連の流れがあるのだ。
この手の議論が古臭く思えるのもまた、何らかの力が働いているせいかもしれない。
なお、本書は膨大な正誤表がサイトにあるほど、誤字脱字が多い。さきほどの引用部分でも、途中「この4部にわたり」は「ここまでの4部にわたり」と訂正されているが、それ以外に、僕が訂正した箇所もある。そんな誤字のなかで、本書を読んでいて思わずにんまりと笑ってしまったのは、「著作権」を「著作嫌」と誤って変換している箇所。これって、わざとじゃないんだろうか。


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