JK21デイリーライブ「モー娘。夏歌の巻」@アトリエACT、『ゆらめく炎』
JK21のデイリーライブ。
1.ハッピー・グラデュエーション
最近見た夢の話。
須田:日常そのもの
みさき:大きな猿のぬいぐるみ奪われる
真琴:日本人形に囲まれる
みゆき:大学受験失敗
田中:結婚式
月脇:サンタが操縦するタイムマシンに乗って時空をさまよう
椿:宇宙の高さのパフェ食べる
脇坂:テレビから貞子が出てくる
桃菜:テトリス(発熱時に必ずみる、とか)
城島:遅刻
トーク終わりで、モーニング娘。の夏歌特集
2.ひょっこりひょうたん島(月脇、番長)うしろの真琴の振りは完璧!
3.チュ夏パーティー(真琴、桃菜、脇坂)
4.ザ☆ピ〜ス(椿、田中)
伝言ゲーム。背中に書いた文字を伝えていく。
城島が「城島ゆかり」とお題を出すが、須田から月脇への伝言で「ピカチュウ」と変換され、最終的に「ピカチュウ」!月脇以降のメンバーは罰ゲームで空気椅子。
5.エニシングゴーズ
6.フットマン
ライブ終了後は握手会。
あいかわらず、何をしゃべっていいのかわからない。悪意や敵意がないことだけでもわかってもらいたいのだが。
桃菜がペット的なたまらない可愛さを持っている、とは以前から思っていたが、今回、月脇の魅力の種類がなんとなくわかってきた。
月脇は、孫の可愛さなのだ。おじいちゃんが孫を見て、「目の中に入れてもいたくない!」と無条件に可愛く思えてしまうのに似た不思議な魅力を持っている。
本人がこの日記を読むことはまず無いだろうが、こんな意見はうれしいのか?微妙か?絶賛して褒めているつもりなんだけどなあ。

読んだ本は、ピエール・ドリュ・ラ・ロシェルの『ゆらめく炎』
昨日読んだジャック・リゴーをモデルにしたと思しき小説。
今にも自殺しそうな麻薬中毒の男が、友人たちに会って会話したりするが、結局自殺をとめることはできない、という話。
そう難しい小説でもないのに、この本には少々てこずった。
なかなか文意が頭のなかに入っていかないのだ。
そう言えば、と『自殺総代理店』を引っぱりだしてみると、こんな文章があった。

私に起こったあらゆる事柄のなかで、私が全く関与しなかったことを一番よく思い出すのはなぜだろうか。
私は、自分が存在していないと感じる瞬間にだけ生を感じる。
私が生き続けていくためには、自分が存在していないことを信じていくしかない。
(「すべての鏡が私の名を映している」より)

リゴーが他人事の世界でふわふわ生きていたように、なんだか、作中の主人公アランの心情や行動もフワフワした感じだったのだ。
30才で自殺したリゴーへのあてこすりともとれる描写もある。
「その青春は終わろうとしていた。というのも、彼は30才になったばかりだが、30才と言えば、美貌しか持ち合わせていない青年にとっては老けた年だったから」
手厳しいね!
さて、『ゆらめく炎』からいくつか引用してみると。

(金は)際限なく彼の指の間を通り過ぎるが、決してそこにとどまらずに流れ去る束の間の幻だった。

麻薬が再度の転落を正当化するのに吹き込む詭弁とはこうしたものだ−おれはだめな奴だ、だからまた薬に手を出したってかまわないと。

彼はついに、麻薬中毒者たちの生活の真実の性格をはっきりと知った。よく整理された、閉じこもりがちな、気楽さを好む生活。カーテンを引いて、冒険や困難を避ける年金生活者たちの目立たぬ存在。共通の犠牲的精神によって結ばれ、純潔で気むずかしく、お喋り好きで、自分たちの信仰を悪く言われれば眉をひそめて顔をそむけるオールド・ミスたちの変哲もない生活。

個人の意志は過去の時代の神話なのだ。文明に疲れた人種はもはや意志を信ずることはできない。恐らく、彼らは強制の世界の逃げ込むだろう。

「ぼくは女にはほとんど力がない。しかし、女を通してはじめて、物に対して力を持つことができるんだ。ぼくにとって、女とはいつも金のことだった」

「たとえば、ここにいるどの女もぼくは欲しいという気になれない。彼女たちがこわい、ぼくにはこわい。女の前に出ると、戦いの最前線にいるのと同じようにこわいんです。たとえばソランジュですが、彼女と5分間二人っきりになるとしたら、ぼくは鼠になって壁のなかに逃げ込んでしまいますよ」


作品の終わり頃に、主人公アランが自殺する理由をあれこれと考える描写が出てくる。
「男と女の世界に文句を言う筋は何もない。それは畜生の世界だ。そして、おれが自殺するのは、成功した畜生ではないからだ」
「おれが死ぬのは金がないからだ」
「おれが自殺するのは、お前たちがおれを愛さず、おれもお前たちを愛さなかったからだ」
「自殺とは、日常生活の錆によってばねが腐食した人間たちの苦境打開の策である」
「自殺とは一つの行為である。他に何も成し遂げ得なかった人間たちの行為なのである」
いやはや、まったく、甘ったれるな、といい加減な僕でさえ言いたくなるような話だが、やはり、強烈な磁力があることも否定できない。
長く生き過ぎてしまった自分、というものを僕は抱え込んでいるのかもしれない。
なお、この『ゆらめく炎』を原作としてルイ・マルの「鬼火」という映画が作られているが、本書の翻訳当時は、まだ日本公開されていなかったようだ。僕も「鬼火」見たのは20年以上前なんじゃないかな。これを機会に「鬼火」見たら、また自殺の方に針がぶれそうで、恐ろしい。

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