『アンドレ・ヴェイユ自伝』(上・下)
2009年6月24日 読書
序
第1章 リセ時代
第2章 ユルム通り
第3章 初期の旅、初期の論文
第4章 インド
第5章 ストラスブールとブルバキ
第6章 第二次世界大戦と私
序幕
2幕 フィンランド風フーガ
3幕 北極近くでの間奏曲
4幕 投獄されて
5幕 軍旗はためくもとに
6幕 武器よさらば
第7章 南北アメリカ
アンドレヴェイユ自身の歩みとともに、彼が出会った人たちのエピソードも興味深い。
たとえば、ポール・ヴァレリーに会ったときのエピソード
「彼は私の年齢を聞き、31歳と答えると、『その年齢を大切にしなさい』と言い、『素数だからね』と言った。面識もなく憧れていた相手にこんな冗談を言われ、一本とられたという感じだった。その後ストラスブールを訪れた時、ある女性が彼の著書『テスト氏』(衆知のようにこの本の書き出しは『愚かさは私の思うがままにならない』)に献辞を書いてくれるようヴァレリーに頼んだが、彼は『愚かさは私の思うままになる ポール・ヴァレリー』と書いていた」
また、船上で出会った彫刻家オシップ・ザッキン
「彼の色彩感覚は非常に研ぎ澄まされていて、船酔いの日にそなえて、自分の青白い顔色に合うようなネクタイをも持参していると聞かされていた」
ガンディーとお茶をしたときのエピソード。
「その時コーヒーカップに入れた紅茶が出された。ガンディーは笑いだした。『あなたが英国人でないことが良くわかる』と彼は穏やかに言った。『こんなしきたりを無視したやり方を許せる英国人は、ひとりもいないから」
あらぬスパイ容疑で投獄されてからは、壁の中の面々の話や、死刑執行直前に助かる話、囚人の移動が面倒で即刻射殺されてしまう話などなど、面白い面白い。なかでもほのぼのとしてエピソードを1つあげると。
投獄されていたとき、彼の両親が面会に行ったとき、刑務所長が「息子さんは元気ですよ。ひどく手こずった序章をようやく終えて、今ではその序章に満足していますよ」と言ったエピソード。
所長は郵便物を検閲して目を通しているうちに、研究をすっかり把握してしまったのだ。
アンドレ・ヴェイユといえば、妹シモーヌ・ヴェイユとブルバキのことももちろん出てくるが、ブルバキに関して、ポルデヴィアのくだりを引用しておこう。
「エリ・カルタンは我々の活動や計画を何も知らなかった。私は彼のためにニコラ・ブルバキの経歴を創作しポルデヴィア出身だということにした。」
「ブルバキの故郷だったポルデヴィアもまた、エコール・ノルマルの別の新入生騙しの産物だった。言い伝えによれば、1910年頃、エコール・ノルマルの学生たちがモンパルナスのカフェに出身地が様々な人を集め、何杯かの食前酒を奢って、彼らをポルデヴィアの代表に仕立て上げてしまった。そしてこの人たちに代わって政治・文学・大学関係の各界著名人に次のような書き出しの手紙をしたためた。『ポルデヴィア国家の悲劇はご存じないでしょうが…』たちまち同情の証しがたくさん集まってきた。頃合いを見て公開集会の告知をした。そこで代表演説者のために、おおよそ次のように締め括られる感動的な演説もでっちあげたということだ。『私ことポルデヴィア議会の議長は哀れな亡命者です。失意の中に暮らしており、ズボンも持ち合わせていないほどであります』とテーブルの上に登った彼は、実際にズボンを履いていなかった』
NHK-FMで、鈴木慶一の案内でBBCライブ〜デペッシュ・モード −
「サムシング・トゥ・ドゥ」
(4分10秒)
「パペッツ」
(3分54秒)
「イフ・ユー・ウォント」
(5分04秒)
「ピープル・アー・ピープル」
(4分08秒)
「サムバディー」
(4分46秒)
「ライ・トゥ・ミー」
(5分26秒)
「ブラスフェマス・ルーモアズ」
(5分24秒)
「マスター・アンド・サーヴァント」
(5分11秒)
「フォトグラフィック」
(4分08秒)
「エヴリシング・カウンツ」
(5分31秒)
「シー・ユー」
(4分01秒)
〜イギリス・ロンドン ハマースミス・オデオンで収録〜
<ライブ>
鈴木慶一は当事のデペッシュモードのライブを聞いて「奥深さ」を感じる、と言ってたけど、聞いてる最中、僕はほとんど爆笑していた。アンコール曲の「シー・ユー」なんて、当事は涙ぐみながらレコード聞いていたのに、どうして今、笑いがこみあげてくるのか。
第1章 リセ時代
第2章 ユルム通り
第3章 初期の旅、初期の論文
第4章 インド
第5章 ストラスブールとブルバキ
第6章 第二次世界大戦と私
序幕
2幕 フィンランド風フーガ
3幕 北極近くでの間奏曲
4幕 投獄されて
5幕 軍旗はためくもとに
6幕 武器よさらば
第7章 南北アメリカ
アンドレヴェイユ自身の歩みとともに、彼が出会った人たちのエピソードも興味深い。
たとえば、ポール・ヴァレリーに会ったときのエピソード
「彼は私の年齢を聞き、31歳と答えると、『その年齢を大切にしなさい』と言い、『素数だからね』と言った。面識もなく憧れていた相手にこんな冗談を言われ、一本とられたという感じだった。その後ストラスブールを訪れた時、ある女性が彼の著書『テスト氏』(衆知のようにこの本の書き出しは『愚かさは私の思うがままにならない』)に献辞を書いてくれるようヴァレリーに頼んだが、彼は『愚かさは私の思うままになる ポール・ヴァレリー』と書いていた」
また、船上で出会った彫刻家オシップ・ザッキン
「彼の色彩感覚は非常に研ぎ澄まされていて、船酔いの日にそなえて、自分の青白い顔色に合うようなネクタイをも持参していると聞かされていた」
ガンディーとお茶をしたときのエピソード。
「その時コーヒーカップに入れた紅茶が出された。ガンディーは笑いだした。『あなたが英国人でないことが良くわかる』と彼は穏やかに言った。『こんなしきたりを無視したやり方を許せる英国人は、ひとりもいないから」
あらぬスパイ容疑で投獄されてからは、壁の中の面々の話や、死刑執行直前に助かる話、囚人の移動が面倒で即刻射殺されてしまう話などなど、面白い面白い。なかでもほのぼのとしてエピソードを1つあげると。
投獄されていたとき、彼の両親が面会に行ったとき、刑務所長が「息子さんは元気ですよ。ひどく手こずった序章をようやく終えて、今ではその序章に満足していますよ」と言ったエピソード。
所長は郵便物を検閲して目を通しているうちに、研究をすっかり把握してしまったのだ。
アンドレ・ヴェイユといえば、妹シモーヌ・ヴェイユとブルバキのことももちろん出てくるが、ブルバキに関して、ポルデヴィアのくだりを引用しておこう。
「エリ・カルタンは我々の活動や計画を何も知らなかった。私は彼のためにニコラ・ブルバキの経歴を創作しポルデヴィア出身だということにした。」
「ブルバキの故郷だったポルデヴィアもまた、エコール・ノルマルの別の新入生騙しの産物だった。言い伝えによれば、1910年頃、エコール・ノルマルの学生たちがモンパルナスのカフェに出身地が様々な人を集め、何杯かの食前酒を奢って、彼らをポルデヴィアの代表に仕立て上げてしまった。そしてこの人たちに代わって政治・文学・大学関係の各界著名人に次のような書き出しの手紙をしたためた。『ポルデヴィア国家の悲劇はご存じないでしょうが…』たちまち同情の証しがたくさん集まってきた。頃合いを見て公開集会の告知をした。そこで代表演説者のために、おおよそ次のように締め括られる感動的な演説もでっちあげたということだ。『私ことポルデヴィア議会の議長は哀れな亡命者です。失意の中に暮らしており、ズボンも持ち合わせていないほどであります』とテーブルの上に登った彼は、実際にズボンを履いていなかった』
NHK-FMで、鈴木慶一の案内でBBCライブ〜デペッシュ・モード −
「サムシング・トゥ・ドゥ」
(4分10秒)
「パペッツ」
(3分54秒)
「イフ・ユー・ウォント」
(5分04秒)
「ピープル・アー・ピープル」
(4分08秒)
「サムバディー」
(4分46秒)
「ライ・トゥ・ミー」
(5分26秒)
「ブラスフェマス・ルーモアズ」
(5分24秒)
「マスター・アンド・サーヴァント」
(5分11秒)
「フォトグラフィック」
(4分08秒)
「エヴリシング・カウンツ」
(5分31秒)
「シー・ユー」
(4分01秒)
〜イギリス・ロンドン ハマースミス・オデオンで収録〜
<ライブ>
鈴木慶一は当事のデペッシュモードのライブを聞いて「奥深さ」を感じる、と言ってたけど、聞いてる最中、僕はほとんど爆笑していた。アンコール曲の「シー・ユー」なんて、当事は涙ぐみながらレコード聞いていたのに、どうして今、笑いがこみあげてくるのか。
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