勇嶺薫の『赤い夢の迷宮』を読んだ。
作者は「はやみねかおる」名義でジュブナイルを多数書いており、僕も「名探偵夢水清志郎事件ノート」シリーズを中心に数冊読んでいる。今回は成人向けの小説とあって、人殺しの暗く狂った感情や、死骸に群がる虫などのえぐいシーン、出口のないバッドエンディングで後味の悪さを演出したりしている。
はやみねかおるの『そして五人がいなくなる』のあとがきでは、「とくに好きな」推理小説の条件の1つとして、「HAPPY ENDでおわること」と書いてあるけど、さて、本作のラストはハッピーエンドなのか?
タイトルに関するヒントは、今まで出した本の中にちりばめられていた。はやみねかおるの『機巧館のかぞえ唄』の巻頭には、勇嶺薫の『夢迷宮』からの抜粋として文章が掲げられている。
「この現実が、だれかのみている赤い夢にすぎないのなら、それは、だれのみている夢なんですか?云々」
また、同じく『踊る夜光怪人』の冒頭には勇嶺薫の『赤い夢』からの抜粋が載せてある。
「だから、犯人も探偵も、一生覚めることのない、赤い夢の中に住んでいるんです。云々」
『赤い夢』『夢迷宮』が『赤い夢の迷宮』と無関係だとは思えない。
さて、本作は同窓会っぽい再会とともにはじまる惨劇を描いている。一種のタイムカプセル物語かな、と思いきや、そこはあんまりつっこまれず、閉ざされた場所での殺人ゲームがはじまるのである。いかにも新本格でござい、というトリックが使われているが、これはジュブナイルでもおなじみの、楽しく大がかりなトリックになっており、そのわかりやすさは明快で素晴らしい。
犯人の意外性は、もとよりクローズドサークルでの出来事で犯人候補者もかぎられているため、とくにびっくりはしなかったが、悪く言えば、別にだれが犯人でもよかったんじゃないのか、と思ってしまった。乱歩の二十面相シリーズみたいに、誰が犯人なのか、という興味が最小限な小説のような気がした。
登場人物の肉付けにちょっと感心してしまった。身の回りにいそうな、すごく嫌なやつをみごとに描いているのだ。このあたり、単なる駒として殺人ゲームを動かしているのではなく、じゅうぶん小説として読ませてくれる。
作者はあとがきで、主戦場はジュブナイルであることを書いている。それは、非常に正しい選択だ、と感じた。「はやみねかおる」の作品の方が好感をもてるような気がしたのだ。
作者は「はやみねかおる」名義でジュブナイルを多数書いており、僕も「名探偵夢水清志郎事件ノート」シリーズを中心に数冊読んでいる。今回は成人向けの小説とあって、人殺しの暗く狂った感情や、死骸に群がる虫などのえぐいシーン、出口のないバッドエンディングで後味の悪さを演出したりしている。
はやみねかおるの『そして五人がいなくなる』のあとがきでは、「とくに好きな」推理小説の条件の1つとして、「HAPPY ENDでおわること」と書いてあるけど、さて、本作のラストはハッピーエンドなのか?
タイトルに関するヒントは、今まで出した本の中にちりばめられていた。はやみねかおるの『機巧館のかぞえ唄』の巻頭には、勇嶺薫の『夢迷宮』からの抜粋として文章が掲げられている。
「この現実が、だれかのみている赤い夢にすぎないのなら、それは、だれのみている夢なんですか?云々」
また、同じく『踊る夜光怪人』の冒頭には勇嶺薫の『赤い夢』からの抜粋が載せてある。
「だから、犯人も探偵も、一生覚めることのない、赤い夢の中に住んでいるんです。云々」
『赤い夢』『夢迷宮』が『赤い夢の迷宮』と無関係だとは思えない。
さて、本作は同窓会っぽい再会とともにはじまる惨劇を描いている。一種のタイムカプセル物語かな、と思いきや、そこはあんまりつっこまれず、閉ざされた場所での殺人ゲームがはじまるのである。いかにも新本格でござい、というトリックが使われているが、これはジュブナイルでもおなじみの、楽しく大がかりなトリックになっており、そのわかりやすさは明快で素晴らしい。
犯人の意外性は、もとよりクローズドサークルでの出来事で犯人候補者もかぎられているため、とくにびっくりはしなかったが、悪く言えば、別にだれが犯人でもよかったんじゃないのか、と思ってしまった。乱歩の二十面相シリーズみたいに、誰が犯人なのか、という興味が最小限な小説のような気がした。
登場人物の肉付けにちょっと感心してしまった。身の回りにいそうな、すごく嫌なやつをみごとに描いているのだ。このあたり、単なる駒として殺人ゲームを動かしているのではなく、じゅうぶん小説として読ませてくれる。
作者はあとがきで、主戦場はジュブナイルであることを書いている。それは、非常に正しい選択だ、と感じた。「はやみねかおる」の作品の方が好感をもてるような気がしたのだ。
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